2018年7月16日 (月)

キャスト

 イギリスにキャストというバンドがいた。自分はマイナーなバンドだと思っていたのだが、実はどうしてどうして、かなり有名なバンドのようなのだ。てっきり1枚か2枚ぐらいしかアルバムを発表していないだろうと思っていたのだが、実際は、6枚もスタジオ・アルバムを発表していた。勉強不足で申し訳ないと思っている。

 自分はそのうちの「マジック・アワー」を聞いたことがある。彼らにとっては3枚目のスタジオ・アルバムにあたり、1999年に発表された。全英アルバム・チャートでは6位まで上昇している。41862gx069l
 なぜ、このアルバムを持っているのかよくわからないのだが、おそらく雑誌か何かで知って、良さそうだったので購入したのだろう。そして1枚しか持っていないということは、次のアルバムを聞いてみようという気持ちになれなかったのだろう。

 このアルバムからは2枚のシングルが発表されていて、そのうちの1枚がアルバム冒頭に置かれていた"Beat Mama"だった。メジャー調の明るい曲でテンポもよく、思わずスキップをしたくなる曲だった。ここではアルバム・ヴァージョンと記載されていて、シングルとは少し趣が違うようだ。全英シングル・チャートでは9位まで上がっていたから、そこそこヒットしたのだろう。

 続く"Compared to You"も似たような感じの曲で、ボーカルのジョン・パワーの声がファルセットになったりならなかったりと、結構メロディーの浮き沈みが激しい曲だ。
 3曲目の"She Falls"はギター・のアルペジオで始まるややスローな曲で、ここでいったん落ち着かせて曲を聞かせようと意図しているのだろう。

 "Dreamer"は冒頭の"Beat Mama"のようにアップテンポの曲で、バックのリズミカルなキーボードと轟音ギターがうるさいくらい耳に残る。キャスト流ハード・ロックだろうか。
 そして2曲目のシングル・カットとなった曲が"Magic Hour"で、まるでウォール・オブ・サウンドのようにストリングスが全体を包んでいて、甘くコーティングされたチョコレートのようだった。

 確かにこの曲はメロディアスでドリーミングな曲調だった。タイトル通りの“魔法の時間”を味わえるかのようだ。作曲者のジョン・パワーの趣味なのだろう。ただし、チャート的には28位どまりだったので、イギリス人にはこういう曲は不向きなのだろうか。

 "Company Man"もギターのカッティングが強調されていて、どちらかというと激しい曲調だった。あえて言えば、初期のオアシスやステレオフォニックスのようだ。そういえば、ジョン・パワーはザ・フーをフェイヴァリット・バンドに挙げていたので、ザ・フーのハードな面を受け継いでいるのかもしれない。Johnpower845x564
 7曲目の"Alien"という曲にも全面的にストリングスが使用されていて、バラード風味になっていた。4曲に1曲はストリングスが使用されているようだ。ただ、エレクトリック・ギターも最初と最後には目立っているから、ロック・バラードだろう。

 スローな曲の次は、ハードな曲が置かれるのが定番だろう。だから次の"Higher"はややハードな展開になっている。ただ、他のハードな曲との違いがあまり見られず、どれも似たように聞こえてくる。
 バラード曲の方は出来がいいので、こういうハードな曲を整理すれば、このアルバムはもっと引き締まったのではないだろうか。何となくもったいないような気がした。

 そんな声が聞こえたわけでもないだろうが、"Chasing the Day"はエレクトリック・ギターの弾き語りのようなミディアム・テンポの曲で、ギミックも少なく、聞いていてホッとしてきた。このアルバムの中の清涼剤のようだった。
 別にクレーマーではないのだが、こういう曲をアコースティック・ギターでやるともっと素朴な感じが出たのではないかと思ったりもした。中間部のソロだけエレクトリックでやって、後はアコースティックなら、メリハリがついて印象度も違ってきただろう。

 "The Feeling Remains"もギンギンのエレクトリックな曲だったから、次の曲はスローな曲だろうとアタリをつけたのだが、タイトルが"Burn the Light"というタイトルだったから、たぶんハードな曲だろうと思った。実際は、ハードな曲の中にストリングス・キーボードも使用されていた。ちょっとしたアクセントのつもりだったのだろうか。

 オリジナル・アルバムでは最後の曲になった"Hideaway"には壮大なストリングスが部分的に使用されていて、確かにアルバムの最後にはふさわしいような曲だった。だけど無理にエンディングを引っ張りすぎていて、くどい。6分42秒もいらないだろう。
 エレクトリックな曲はそれはそれでいいのだけれども、印象に残るサビやメロディが少ないのである。

 日本盤には2曲のボーナス・トラックがついていて、"Get on You"はポップ感に溢れた佳曲で、何となくチープ・トリックの曲のようだった。
 もう1曲の"All Bright"も軽めのポップ・ソングで、そんなにアレンジも凝っていなくて聞きやすい。こういう曲をもっと増やせば、このアルバムはもっと売れたのではないだろうか。

 なぜ自分がこのバンドの次のアルバムに興味を失ったかというと、やはりアレンジが凝り過ぎていたからだろう。もっと原曲の良さを生かしたアレンジに抑えていれば、もっと売れたと思うのである。
 だから似たようなアレンジになると、どれも同じように聞こえてきてしまい、全体が一本調子になってしまったのではないだろうか。結局、ハードなギターと分厚いストリングスしか耳に残らないのである。

 どうでもいいことだが、国内盤には最後にヒドゥン・トラックがあって、"All Bright"から約13分後に映画のサウンドトラックのようなストリングスだけのインストゥルメンタル曲が準備されていた。決して悪くない曲だと思うのだが、13分も無音が続くのだから、ほとんどの人は気づかないか、気づいても飛ばしてしまうのではないだろうか。ちなみにタイトルは"Solo Strings"というらしい。

 キャストは、1992年にザ・ラーズというバンドを脱退したベーシストのジョン・パワーという人によって結成されたバンドだった。
 彼は新しいバンドではおもにギターとボーカルに専念し、ほとんどすべての曲を手掛けてきた。

 バンド・メンバーは、主にリバプール出身で、ジョン自身もそうであった。最初は売れずに、オアシスやエルヴィス・コステロのオープニング・アクトを務めてきたが、1995年にはポリドールと契約して、シングルを発表することができた。

 時はあたかもブリット・ポップの真っ盛りで、彼らもその流行に乗ったかのように見られていた。だからデビュー・アルバム「オール・チェンジ」は全英アルバム・チャートの7位を、2年後の1997年のセカンド・アルバム「マザー・ネイチャー・コールズ」は3位まで上昇した。

 このサード・アルバムの「マジック・アワー」を発表したときには、ブリット・ポップの波はもう過ぎ去っていて、だからというわけでもないだろうが、このアルバムが彼らにとって最後のヒット・アルバムになってしまった。

 彼らはこのあともう1枚アルバムを発表したが、売れなかった。レゲエやブラック・ミュージック寄りのアルバムだったからだと言われている。
 それで2001年には一度解散したが、2010年には再結成して、活動を再開し、2012年と2017年にはそれぞれスタジオ・アルバムを発表している。Localheroescasttoplayatliverpoolsou
 キャスト自身は、むしろアルバムも売れていて知名度もあるバンドだったが、自分には1枚のアルバムを通してしか、お付き合いのないバンドだった。彼らのファンには申し訳ないが、残念ながら、それほど食指が動かなかったのである。

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2018年7月 9日 (月)

クーラ・シェイカー

 90年代や00年代初頭を回顧するシリーズとして、マイナーなブリティッシュ・ロック・バンドのことを書き綴ってきたが、今回はクーラ・シャイカーが登場する。マイナーとは言えないと思うし、知っている人は知っていると思うのだが、サイケデリック・ロックというか、正確に言うと、ラーガ・ロックの再来あるいは復興と呼ばれたバンドだった。

 「何かものすごい斬新なことが起きなきゃだめなんだ。ポップ・ミュージックがそれを形にできないようじゃ、もうポップ・ミュージックなんてあったってゴミってもんだ。とにかく俺たちは、人々の夢や希望を凝縮する究極のバンドを生み出したいんだ。
 究極のバンドとは?それは社会そのものの神経に触れるかどうかってことだよ。で、俺はそれをやってやろうと思う。革命をやってやろうと言っているんだよ」

 なんかすごい自信満々というか、“ビッグ・マウス”だ。まるで、オアシスのギャラガー兄弟の言葉のようだが、これを言ったのは、このバンドのギター&ボーカル、実質的なリーダーのクリスピアン・ミルズだった。やはり一発当ててやろうと思う人は、これくらいの自信がないとやっていけないのだろう。

 クーラ・シェイカーは、1988年にクリスピアン・ミルズとベース・ギター担当のアロンザ・べヴァンがリッチモンド大学在籍中に知り合って結成された。最初は“オブジェクツ・オブ・デザイア”と名乗っていたようだ。

 このクリスピアンという人は、中産階級出身である。イギリス人は名前を見て、労働者階級出身か中産階級出身かがわかるそうだが、私にはよくわからない。
 事実、クリスピアンの祖父は、イギリスの演劇界を代表するジョン・ミルズという人で、父親は映画監督、母親はハリウッドのディズニー映画にも出演していたヘイリー・ミルズという人だった。
 ただし、両親の結婚生活は4年間ぐらいしか続かなかったようで、クリスピアンは16歳になるまで父親と会うことはなかった。

 また、ベーシストのアロンザ・べヴァンの両親もまたモデル出身だったし、ドラマーのポール・ウィンターハートの両親もミュージシャンだった。だから彼らは、中産階級出身者で固められたバンドだったのである。A
 彼らの音楽性とは無縁の話だけれども、だからというわけでもないだろうが、労働者階級出身のオアシスとは仲が悪い。クリスピアンはこうも言っていた。「俺たちは、人々がため込んできたものをビッグ・バンド状態にできるように、そのために力を尽くしたいんだ。少なくともオアシスにそれをみすみすやらせるつもりじゃないのは、確かだよ」

 一方、リアムは「クリスピアン?何者?お遊びでやっているぽっと出のバンドだろ。流行が過ぎれば、消えていくのが目に見えている。本物は生き残るのさ、俺たちのように」と、これまた冷たい返事。かように階級闘争が、音楽・芸能面にも影響を与えるのがイギリス社会のようだ。

 それはともかく、クリスピアン一行は、メンバー・チェンジを行い、バンド名を何度も変えながら音楽活動を進めていった。その間の1993年頃に、クリスピアンは、バックパッカーとしてインドに旅行した。
 彼は、子どもの頃から生命の永遠性や必然的な身体の限界などについて考えていたようで、夜中に目が覚めては、いずれ訪れる死の前兆などを感じていたようだ。そしてその時に、手元にあったインドの神話的、哲学的叙事詩である「マハーバーラタ」を読んでは心を落ち着かせていたそうである。

 だから、こういうインド音楽に影響されたラーガ・ロックをやるのは、ある意味、運命的な必然性があったのだろう。
 また彼は、子どもの頃から様々な音楽を聞いていた。例えば、アメリカのフォーク・グループのピーター、ポール&マリーが歌った"Puff, the Magic Dragon"から始まり、70年代のラモーンズやアダム&ジ・アンツ、デュラン・デュラン、ボーイ・ジョージなどをよく聞いていたようだ。

 そのうち60年代の音楽にも触手を伸ばし、ザ・ドアーズを聞きながらLSDをきめていたが、ドラッグ中毒になった友だちを見て、ドラッグが人生を豊かにしてくれるとは思わなくなり、そういう習慣を断ち切ったらしい。意志が強かったのだろう。

 彼の運命を決めた曲のひとつが、キンクスの"You Really Got Me"だった。この曲を聞いて、彼はギタリストになる決意を固めた。また、リッチー・ブラックモアのギター・スタイルをお手本にして練習を重ねていった。
 1997年には、ディープ・パープルもカバーした"Hush"もシングルとして、発表しているから、リッチー・ブラックモアの影響は強いものがありそうだ。

 「俺が音楽で一番好きな時期は、1967年なんだ。ジョージ・ハリソンがインドっぽいことをやり始めた頃だね。そのせいで、俺もインドの神秘主義にどっぷりハマってしまって、実際に行ってみたくなったんだ」

 ともかく、クーラ・シェイカーというバンド名も、インドの歴史が影響している。「インドの皇帝の名前なんだ。インドの導師のヨギたちは、誰もがこの皇帝かヴィシュヌ神の武器の化身だといって、その名前をとればヴィシュヌのご加護に逢うということだった。で、そうしてみみたら3ヶ月もしないうちにレコード契約にありついたんだ」

 実際に、インド旅行で巡り合った人の出会いからグラストンベリー・フェスティバルの出演機会を得たり、バンド名を変えてから1995年に行われたマンチェスターでの「イン・ザ・シティ・フェスティバル」のバンド・コンテストで最優秀バンドに選ばれて、イギリスのコロンビア・レコードと契約を結ぶことができたのである。これらの出来事は、インドのヴィシュヌ神の恩恵なのだろうか。

 1996年にレコード・デビューした後は、トントン拍子に売れていった。グレイトフル・デッドの亡くなったジェリー・ガルシアとジャム・セッションをするという内容のセカンド・シングル"Grateful When You're Dead"は、シングル・チャートで35位になると、続くサード・シングル"Tattva"は4位まで上昇した。

 この曲は、500年前にチャイタンヤというインドの聖人によって書かれた宇宙の究極的な真理を唱えたもののようで、“永遠の真理”という意味らしい。この曲にはメロトロンも使用されていて、個人的には大いに気に入っている。

 さらに、デビュー・アルバム「K」の冒頭を飾っている"Hey Dude"は2位に、4曲目に配置された"Govinda"も7位まで上がった。
 確かに、"Hey Dude"には、シャウトするボーカル、うねるようなリズムと疾走感のある雰囲気がすばらしい。チャートの2位になる要素は備えているだろう。51tqm5vdol ただ、"Govinda"という曲は、クリスピアンによるヒンズー教のマントラに曲をつけたもので、インドの神、クリシュナの別名のひとつが"Govinda"で、クリシュナを讃える内容になっている。歌詞的には、パブやカラオケで歌えるようなものではないと思うのだが、演奏的にはインド風味のみならず、スペイシーで音響空間が豊かであり、優れていると思う。

 個人的には、5曲目の"Smart Dogs"の方が好きで、ロックの圧倒的なダイナミズムやギターとキーボードの見事な融合など、聞きどころは多いと思う。
 むしろこういうメロディアスでハードな曲風の方がヒットするのではないかとも思ったのだが、このデビュー・アルバムの素晴らしさは、こういう佳曲がさりげなく置かれているところにもあるのだろう。

 他にも、ジミ・ヘンドリックス的雰囲気のギター・サウンドを味わうことのできる"303"やミディアム・テンポのやや落ち着いた雰囲気の味わえる"Start All Over"、ピアノとシンセサイザーなどのキーボード演奏とアコースティック・ギターのコンビネーションがフィーチャーされたバラード風味の"Hollow Man Parts1&2"など、確かに良い曲が多く含まれているアルバムだと思っている。単なるブリット・ポップの流れの中で出てきたバンドとは思いたくないのだ。

 デビュー当時には、お金持ちの中産階級の若者が時間と金にまかせて作ったアルバムのような声も聞かれたのだが、音楽的な才能がなければこれほどのアルバムは作れないはずだし、クリスピアンの頭の中には音楽によって世の中を変えていくという決意が漲っていたようだ。

 「現実逃避ってのは現状改革の第一歩だと思う。ただし重要なのは、それが幻想に過ぎないものか、それともちゃんとした現実に変換できる意志と可能性を作ったものであるか、それを見極める目を持つことだ。そもそも60年代のオプティミズムが無効になったのは、あれが、結局ただのファッションになってしまったからなんだ。それで僕らは、ただヒッピー風の格好をして、ヒッピー風の音を出したいからこのバンドをやってるわけじゃない。あの時代の基本理念を90年代型にモデル・チェンジしたくて、うずうずしているからだよ」

 確かにこのデビュー・アルバム「K」は売れた。イギリスでは、アルバム・チャートで初登場1位、オアシス以来の最速売上げを記録し、ダブル・プラチナ・アルバムに認定された。

 ただし、3年後に発表されたセカンド・アルバム「ぺザンツ、ピッグス&アストロノウツ」は全英8位になり、ゴールド・ディスクにはなったが、売り上げは芳しくなく、そのままバンドは新世紀の幕開けを見ることもなく、解散してしまった。デビューしてからわずか3年という短さだった。これもまた、ヴィシュヌ神の恩寵によるものなのか。

 ザ・ビートルズは、ロックン・ロールやバラード、室内管弦楽にレゲエ、ブルーズなどなど、様々な音楽性を有していて、その中のひとつにインド音楽があった。
 一方、クーラ・シェイカーには、メインがインド音楽であり、それ以外にも素晴らしい音楽的要素を有していたにもかかわらず、それを活かすことができなかった。この違いが、歴史に残るバンドになったかどうかの違いだと考えている。

 その後、クリスピンはソロ活動を行ったり、新しいバンドを結成したりするものの、思うような結果を出せず、結局、2004年にクーラ・シェイカーを再結成して、3枚のアルバムを発表しているが、アルバムごとにインド音楽を加味したラーガ・ロックから離れようとしたり、接近したりしている。もうこうなったら、インド映画のサウンドトラックを制作するなど徹底的にインド音楽を追及したらどうだろうか。

 というわけで、中産階級出身の人たちのバンドなのだが、音楽的には優れた能力を有しているミュージシャン達だと思っている。ただ、その豊かな才能が十分に発揮されていないのではないかと危惧しているのである。

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2018年7月 2日 (月)

オクトパス

 西洋では、タコは悪魔の魚とか、漁船や人間を海に引きずり込む海の怪物みたいな扱いをされていて、決して食用にはされない。正確に言うと、イタリアやギリシャなどでは食べられているものの、もっと北の方では網にかかっても捨てられてしまうようだ。

 これは、タコが自分の足を食べるという話から、キリスト教では守銭奴のシンボルとして扱われていたり、毒素や催淫作用が含まれているといった俗信によるものらしいのだが、タコにとってはとんだ迷惑な話である。
 実際には、タコにはタウリンがたっぷりと含まれていて、疲労回復や中性脂肪の減少に効果があると、医学的に裏付けられているからだ。

 だから、西洋の人にとっては、タコの英語名であるオクトパスには、あまりいい印象を持っていないのではないだろうか。918
 1995年に、イギリスでオクトパスというバンドが結成され、翌年にアルバムを発表したものの大した結果を残すこともなく解散してしまったが、その原因もバンド名が悪かったのではないかと思っている。「オクトパス」ではなくて、「オクトーバー」とか「オクタビアヌス」、もしくは似たような生き物である「スクゥイッド」か「キャトルフィッシュ」にすれば、もっと売れたのではないかと思ったりもした。

 冗談はこれくらいにして、この「オクトパス」というバンドの唯一のアルバム「フロム aトゥ b」は、結構イケてるアルバムだと思っていたから、このバンドは売れるに違いないと思っていた。ところが、結果は散々でさっぱり売れなかった。なぜだろうか、よくわからない。

 このバンドは、基本的には4人組だった。基本的というのは、当初は4人だったようだが、アルバム制作にはトランペットやハーモニカ、キーボード奏者などが加わっていて、最大8人くらいまでにはなっていた。だから、アルバム・ジャケットの写真には、いろんな人が写っていた。

 彼らはイギリスのグラスゴー近くのランカシャー、ショッツという街で結成された。最初はみんな学校の友だち同士だった。のちにフランス人のドラマー、オリヴァー・グラセットという人が加入するのだが、この人は元テロリストだったという噂があった。

 また、ハーモニカ奏者のニック・レイノルズという人は、有名な列車強盗だったブルース・レイノルズの息子という話もあった。ちなみにブルースの列車強盗事件については、のちに映画になり、フィル・コリンズがその役を演じていた。

 そんなどうでもいいエピソードも伴いながら、彼らはバンドを結成して、当時のブラーも契約していたフーズ・レコードからデビューした。
 彼らのデビューには、ブラーのデーモン・アルバーンの後ろ盾もあったようで、彼らは間違いなくビッグになるとまで言って、応援していたようだ。

 彼らの音楽性は、一言で言うと、サイケデリック・ポップ・ミュージックである。ちょうど60年代後半のイギリスの音楽シーンに出てくるジュライやスティーヴ・ハウも在籍していたトゥモロウのような感じだ。それらの音楽をもっとポップ化したらこう成りましたよという感じの曲が目立つのである。

 メンバーの一人、ギター&ボーカルのマーク・シェアラーは、次のように述べていた。『オクトパスは取っ散らかったバンドなんだ。僕たちは世界一のバンドになろうとは思わないし、なれないのはわかっている。最も重要なのは、いい曲があるかってことなんだ』、『僕たちは、曲を狭いところに押し込めておこうとはしないつもりだ。一つの形のサウンドしか持っていないバンドが多すぎるし、彼らはそれしかできない。そういうのは好きじゃないし、うんざりしているんだよ』

 なんかえらい鼻高々というか、高慢な気がするが、実際に彼らの曲を聞くと、確かに新人バンドとしては、出来過ぎのようなポップ・アルバムに仕上げられていた。彼らも自信を持って発表したのだろう。

 1996年に発表されたアルバム「フロム a トゥ b」には、15曲(日本盤には17曲)収められていて、どこをきってもポップ風味満載だった。6114ugoczl
 1曲目の"Your Smile"はセカンド・シングルに選ばれた曲で、全英シングル・チャート42位まで上昇した。ホーンとストリングス・キーボードのアレンジが、ザ・ビートルズ中期の音楽性を有している。

 基本的に彼らの楽曲はアレンジが素晴らしく、音の装飾については優れていると思う。また、ドラムスがバタバタしていて、何となくリンゴ・スターのドラミングを思い出してしまった。
 2曲目の"Everyday Kiss"もトランペットがぐるぐる回っていて、「リボルバー」や「マジカル・ミステリー・ツアー」の中の曲を連想してしまった。

 エンジンがかかってくるのは3曲目の"If You Want to Give Me More"あたりからだろう。アップテンポのこの曲はノリがいいし、シングル向きでもある。
 ギターのアルペジオが美しい"Kong for A Day"はバラード・タイプでもあるが、途中からサイケデリックな音響空間に導かれ、トリップ感覚も味わうことができる。あえてこういう曲形式をとったのだろう。

 サイケデリックといえば、6曲目と10曲目にはタイトルが付けられていなくて、無題である。6曲目はピアノやキーボードが中心になっていて、それにハーモニカやトランペットが並奏していくスローなインストゥルメンタルだった。
 10曲目は22秒しかない間奏扱いの曲で、楽曲というよりは、サウンド・コラージュとして曲と曲をつなぐブリッジ的な役目を果たしているようだ。

 7曲目の"Jealousy"も管楽器が大きくフィーチャーされていて、ミディアム・テンポの印象的な曲だった。この曲は、このアルバムからの4枚目のシングルに選ばれていて、チャートの59位まで上がっている。

 彼らの最初のシングルは"Magazine"という曲で、このアルバムの中盤8曲目に配置されている。これは疾走感あふれる佳曲で、まさに若さに任せてブッ飛ばしていますというような曲だった。これは売れただろうと思ったのだが、実際は90位と低迷した曲になった。これが売れなかったところが、彼らの不運を象徴していたようだった。

 アルバム・タイトル曲の"From a to b"は、幻想的な雰囲気を持った静かな曲で、ギターのアルペジオと広がりのあるキーボード・サウンド、ハンド・クラッピング、鈴の音などが神秘的で荘厳なたたずまいを表現していた。

 ついでに3枚目のシングルに選ばれたのが、11曲目の"Saved"であり、これまたゆったりとしたミディアム・テンポの曲だった。チャート的には40位とまあまあ健闘していた。
 個人的には、この曲よりももっとテンポの速い"Theme from Joy Pop"の方が、パンキッシュで好きだし、ザ・ビートルズの"She said, She Said"をスロー・バラードにしたような"Night Song"の方が、売れるのではないかと思ったりもした。

 そして、"In This World"は、それほど凝っていないストレートなポップ・ソングで、途中でファルセットで歌われるところなんかは、ボーカルのマークの上手さがよく表れていると思った。やはり、バンド活動後にすぐにレコード・デビューできたのだから、それなりに音楽的能力が高かったのだろう。デビュー時の彼は、ジュリアン・コープの再来とまで言われていたからだ。

 最後に、このアルバムには、ザ・ビートルズの「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のように、秘密のメッセージが隠されているという。そのメッセージは、アメリカの作家サリンジャーの作品から引用されていたようだが、そのことに気がついた人は誰もいなかったようだ。まさに本当の“シークレット・メッセージ”になってしまったのである。

 結局、このアルバムが売れなかったのは、あまりにもバラエティに富み過ぎていて、ファンとしては全体像がつかみにくかったからではないだろうか。
 確かにブリット・ポップの時代だったから、レコード会社はこの手の音楽も売れると思ったのだろうが、残念ながら、そうはならなかった。

 ブリット・ポップの時代と言っても、何でも売れるというわけではなかったようだ。このアルバムの場合は、躍動感のある曲がもう2,3曲あれば、もっとバランスの取れた良いアルバムになったし、アレンジを簡素化してメロディの美しさで勝負をすれば、もっと売れたと思うのだがどうだろうか。

 ただ、個人的には結構気に入っていて、今でもたまに聞くことはある。おそらくあと20年もすれば、20世紀末の隠れた名盤として、再評価されるのではないかと期待しているのである。

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2018年6月25日 (月)

ザ・モントローズ・アヴェニュー

 このバンドは、なぜ売れなかったのだろうか?本当に良いバンドだったのに残念だ。たった1枚のアルバムを残して解散してしまった。北ロンドン出身のザ・モントローズ・アヴェニューのことである。マイナーなブリティッシュ・バンドの第2回は、このバンドについてになった。

 自分は彼らの曲をラジオで聞いて、またまた素晴らしい才能を持ったバンドが誕生したなあと思い、アルバムを購入したのである。1998年頃のお話だ。
 このバンドは5人組で、そのうち3人の優れたソングライターがいた。それに3人ともボーカルが取れるので、美しいコーラスも聞くことができたのだ。

 彼らの音楽的なポリシーというか方向性としては、アメリカの西海岸風のサウンド、たとえばザ・バーズやバッファロー・スプリングスティーンを志向していて、それにブリティッシュ・ロック的な骨太のダイナミズムを取り入れていた。

 だから、デビュー当時平均年齢22歳のバンドにしては老成していて、70年代のアメリカン・ロックやブリティッシュ・ロックが好きな人なら、きっと飛びつくに違いないという音楽性や面影を備えていた。それで自分としては一発で好きになってしまったのだろう。

 ザ・モントローズ・アヴェニューは、1996年頃にバンドの2人のギタリストであるスコット・ジェイムスとポール・ウィリアムスが出会ったところから始まった。そして、もうひとりのギタリスト兼キーボード・プレイヤーのロブ・リンゼイ・クラークとパブで出会い、バンド構想を練っていった。バンド名も自分たちが生まれ育ってきた場所から取られていた。8713130_2

 彼らは最初から、ザ・バーズやバッファロー・スプリングフィールド、モビー・グレイプなどのバンドの音楽性を取り入れようとしていた。3人の趣味が合ったのだろう。
 そして翌年には、リズム・セクションのベーシストとドラマーが参加して、バンドとして活動を始めたのである。ちなみに、ドラマーのマシュー・エヴェレットはメンズウェアというバンドの元メンバーだった。

 彼らは、当時のU.K.コロンビア・レコードと契約を結び、"She's Looking For Me"や"Where Do I Stand?"などを発表した。
 そして、これらの曲を含む彼らの唯一のアルバム「サーティ・デイズ・アウト」は、1998年の10月に発表された。418cv538yl
 このアルバムは、個人的には、時代の波にのれなかった名盤だと思っている。デビュー・アルバムらしい若さと疾走感が漲っていて、単なるアメリカ西海岸の音楽の焼き直しにはなっていない。
 また、自分たちのオリジナリティもしっかりと発揮されていて、何度も言うけれど、ザ・バーズやバッファロー・スプリングフィールドなどの二番煎じにはなっていなかった。

 全13曲(日本盤は14曲)のうち、4分台の曲は3曲しかなくて、ほとんどが2分か3分台の曲だった。この辺もいかにも新人バンドとしてのフレッシュさが発揮されているという気がした。

 アルバムの最初は、風雲急を告げるサイレンで始まる"She's Looking For Me"で、2分2秒という短い曲ながらもメロディーは際立っているし、テンポも速く、アルバムの冒頭に相応しい曲だった。ただ、シングルとしては118位というチャート・アクションで、ヒットはしなかった。

 2曲目は"Helpless Hoping"というタイトルで、このタイトルを見れば、思わずC,S,N&Yの曲を思い出してしまうだろう。
 ただ、同名異曲であって、C,S,N&Yの曲とは全く違う。この曲も若さに満ち溢れていて、コーラスの巧みさとソングライティングの上手さが伝わってくる。隠し味として、オルガンやピアノが使用されている点が印象的だった。

 一転して3曲目の"Start Again"はギターが主体の曲で、ギター・ソロやハンドクラッピング、交互のリード・ボーカルなどが織り込まれていて、とても新人バンドの曲とは思えないほど素晴らしい。

 このアルバムを聞いて、そんなに70年代風の曲やアレンジなどは意識させられないのだが、"Yesterday's Return"は、確かにザ・バーズのような感じがしてくる。70年代というよりも、60年代のホリーズのような感じだろう。雰囲気としては、ホリーズの"Bus Stop"に似ていると思った。

 バンドは2曲のバラード曲を用意していて、そのうちの1曲"Keep on the Radio"で、壮大なコーラスと流麗なストリングス、それにトランペットの管楽器まで使用されていて、盛り上げに必死である。だからというわけではないだろうが、聞かせるバラード曲になっていた。

 "Where Do I Stand?"は再び疾走する曲になっていたし、"Emergency Exit"もタイトルを反映したような焦燥感と性急感が漂っていた。ただ、このバンドが優れていたのは、それを単なるアップテンポの曲として終わらせることなく、コーラスの美しさや緩急をつけたリズムなどを配置している点だろう。
 この"Emergency Exit"の中でもスライド・ギターが要所要所で使われていて、確かにアメリカ西海岸のサウンドに影響されていたというのが伝わってきた。

 バンドの最後のバラード曲になった"Leaving in the Morning"はキーボードとスライド・ギターとブラスがフィーチャーされた曲で、バッファロー・スプリングフィールドの曲をハードにアレンジしたらこうなりましたよ、という感じがした。シングルとしてはヒットしないだろうけれど、決して悪い曲ではないはずだ。

 10曲目の"Closing Time"は、タイトル通りの穏やかな曲で、アコースティックギターとニッキー・ホプキンス風のリリカルなピアノがエヴァーグリーンな香りを漂わせてくれる。この曲もヒットはしないだろうけれど、佳曲だと思う。もっと注目が集まってもよかったのにと、残念でならない。

 ブリティッシュ・ロック・バンドとしてのパワーがあるのが"Lost for Words"だろう。アコースティック・ギターのイントロから始まり、エレクトリック・ギターのカッティングが始まると一気に勢いを増して走り出していく。それにキーボードが音に厚みをつけ、ボーカルとコーラスが盛り上げていく。わかっていても、こういう展開についつい耳を傾けてしまうのであった。

 アルバム・タイトル曲の"Thirty Days Out"は、約1か月間の恋愛や契約から抜け出そうというもので、コーラスの美しさや曲作りの巧みさ、メロディの印象深さなど、彼らの音楽の魅力を詰め込んだ曲でもあった。

 そして最後は、ニール・ヤングのカバー曲"Ohio"のライヴ・バージョンだった。エレクトリック・ギターが前年に押し出され、何のアレンジもなく、勢いで最後まで突っ走っている曲だったが、これも若さという特権の表れなのかもしれない。617nwl9aqll
 このアルバムは、全英チャートでは102位と全く振るわなかった。このアルバムから4曲がシングルとして発売されたが、"Where Do I Stand?"の38位が最高位だった。あとはすべて50位から出ていた。

 彼らは続く2枚目のアルバムを準備していたようだったが、チャートの結果を見たレコード会社が契約を打ち切ったようだ。実質、約1年間少々の活動で終わってしまった。
 もし彼らが60年代か70年代の初頭にデビューしていたならば、もう1枚はアルバムを発表できただろう。90年代にもなると、音楽性よりは商業性が上位に来る時代になってしまっていたのだ。

 とにかく、この1枚だけで解散してしまうには惜しいバンドだった。バンドのもつテンションは素晴らしかったし、時代の空気にはマッチしていたと思うのだが、オーディエンスの渇望感には欠けていたようだった。ということは、やはり結局は時代の空気感にも合っていなかったのだろうか。

 ブリット・ポップではないし、かといってハード・ロックでもない。ブリティッシュ・ロックの持つ陰鬱性は影を潜めているものの、アメリカ西海岸風のようなカラッとした明るさがメインになっているわけでもない。その辺の中途半端さが受け入れられなかったのかもしれない。

 しかし、それでも一度は耳を傾けてほしいアルバムでもある。何度も言うが、時代の波にのり切れなかった名盤だと思っている。

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2018年6月18日 (月)

マーブルス

 これから、マイナーなブリティッシュ・バンドを数回にわたって紹介しようと思う。いずれも解散したか、解散状態にあるバンドだ。
 ただし、マイナーだけど、音楽的水準は高いと思っている。どのバンドにも言えることは、なぜ売れなかったのだろうか、こんなに良い音楽なのにという印象を伴っているということだ。もし、機会があれば、ぜひ一度は聞いてほしいと思っている。

 それで第1回は、アイルランド出身のザ・マーブルスである。日本ではただ単に、“マーブルス”と表記されていた。R30972701315597529_jpeg
 このバンドの詳細は、今になってみれば、よくわからない。デビュー・アルバムを発表した後、メンバー・チェンジをしたので、それがうまく行かなかったのだろう。あるいは、力を入れて制作したアルバムが、売れなくて自信をなくしたのかもしれない。とにかく、今はもう存在していないのは、間違いない事実である。

 とりあえずは、デビュー・アルバムを聞きながら、このバンドのことをできる限り調べて載せたいと思う。

 このバンドは、1997年にアイルランドで結成された。場所はよくわからない。ダブリンかもしれないし、もっと地方の街なのかもしれない。
 わかっているのは、結成当時は18歳前後の男性だということと、3人のメンバーでスタートしたということだけだった。

 メンバーの名前はわかっている。最小限の3人組バンドで、ドラマーのシーマス・サイモン、ギタリストのジョニー・マクグリン、ベーシストのジャスティン・ウィーランだった。
 曲のクレジットを見ると、シーマスとジョニーの手によるものが多いから、この2人が中心メンバーなのだろう。

 彼らはアイルランド国内で徐々に人気が出てきて、バンド結成して1年後には、“アイルランド国内で、最も期待されている未契約バンド”と呼ばれるようになった。
 そんなときに、彼らをサポートしたのが、アイルランドの国民的バンドであるザ・ポーグスのメンバーだったテリー・ウッズだった。

 彼は自らマネージャー役を買って出て、彼らをいくつかのレコード会社に紹介した。そのうちのZTTレーベルが彼らに興味を持ち、1998年の2月にマネージメント契約を結んだのである。おそらくメンバーはまだ10代だったはずだ。

 ZTTレーベルといえば、設立者はあのトレヴァー・ホーンである。元バグルス、元イエスのメンバーで、本来はミュージシャンだった人だ。
 このレーベルからは、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドやアート・オブ・ノイズ、シールなどのバンドやミュージシャンが輩出されていて、基本的には、サンプリングやフェアライトなど、最新の音楽的機材やプロダクションを用いたダンサンブルな音楽性を志向したレーベルである。

 そんなレーベル会社であったが、ザ・マーブルスの音楽性はそれとは真逆のもので、ギターとボーカル中心のロックン・ロールだった。しかもデビューして間もないザ・ビートルズ風の爽やかな歌声とメロディアスな曲調も伴っているから、確かに当時は売れるのではないかと思われていた。時代はブリット・ポップの残照がまだ残っていたからだ。(日本の国内盤は、当時のコロンビア・レコードの子会社から発売されていた)

 彼らのデビュー・アルバムは、2000年に発表された。タイトルは「オーヴァーグラウンド」と付けられていた。如何にも彼らの願いが込められたようなタイトルだ。31wzw8b0mel
 このレコーディングの途中に、マルコ・レアというメンバーが加入してきた。彼はギターとボーカルを担当する予定だった。

 なぜ加入したのかというと、ドラマーのシーマス・サイモンがメイン・ボーカルも担当していたので、ボーカル面を強化するために参加してきた。だから、レコーディングの後半部分ではマルコも共作して楽曲を提供していたようだ。

 ところが、ここで予期しないアクシデントが発生したのだ。3人組メンバーでよく起こる問題は、人間関係の軋轢によるものが多い。3人がバラバラになるというよりも、3人のうち1人が残りのどちらかと仲良くなって、ひとりが孤立してしまうということはよくあることだと思う。

 ひょっとしたらこのマーブルスにおいても、このことが起きたのかもしれない。3人組の悪癖みたいなものを乗り越えようとして4人にしようとしたのかもしれない。
 ところが、ここでオリジナル・メンバーだったシーマス・サイモンが脱退してしまったのだ。彼は、アルバムの中ではジョニーと一緒に12曲中9曲を手掛けていたから、バンドにとっては痛手になったのではないだろうか。

 新加入したマルコも残りの3曲中2曲を単独で、残り1曲を共作していて、それなりの高いソングライティング能力を発揮していたが、それだけではうまく行かなかったのだろう。さらにまた、ドラマーが不在になったので、トム・ドミカンという人がアルバム発表後に加入したのだが、新メンバー2人とオリジナル・メンバーとの間で、何かがあったということも考えられる。

 とにかく彼らは、2000年にアルバムを発表したものの、それ以降は目立った動きはなく、いつの間にか自然消滅していた。
 メンバー間の人間関係のみならず、バンドとしての個性も、思うようには発揮できなかったのかもしれない。

 「虎は死して皮を残す」という言葉があるが、ザ・マーブルスも「オーヴァーグラウンド」という素晴らしいアルバムを残してくれた。このアルバムは、初期のオアシスのように瑞々しく、清々しい。
 例えば、冒頭の曲は、短いストリングスからアコースティック・ギターのカッティングが強調されたオアシス調の"Slip Into Sound"というものだったが、これがなかなかの佳曲なのである。60年代の懐古調のメロディと、当時のミレニアムの雰囲気を反映した力強さを備えていて、若い世代も古い世代も満足してしまう魅力を持っていると思った。

 アルバム・タイトルはこの曲から取られたと思われる"Fallin' Overground"は、ミディアム調の耳に馴染みやすい曲になっているし、続く"Crash Car"もアメリカのパワー・ポップな曲を聞いているような錯覚を覚えさせるものだった。曲はギター担当のジョニーが書いていたのかもしれない。アルバムに統一感があるのは、彼のおかげなのだろう。

 4曲目の"History"は新加入のメンバーだったマルコ・レアひとりで書いた曲だが、他の曲と比べて遜色ないし、むしろよりポップ寄りになっている。まるでティーンエイジ・ファンクラブの曲のようだ。

 特筆すべきは、5曲目の"Miles And Miles"というバラードだ。これは90年代のイギリスを代表するような名バラードだと思っている。最初のワン・フレーズを聞いただけで、これはもう涙なしでは聞くことができない名曲だと思ってしまった。メロディーの美しさとバックのストリングスの演奏が絶妙にマッチしていて、何度聞いても感動してしまうのである。

 その他にも、アコースティック・ギターが基調の肩の力を抜いたような"Trampoline"や、地元のアイリッシュ風味の強い"Avalon"、バック・コーラスがユニークな"So Far Away"など、耳を傾けるべき曲は多いのだ。

 彼らのデビューは話題性に満ちていた。曲の良さはもちろんのこと、ZTTレーベルという時代の先端を行くダンス系のレーベルから、正統な英国ロックを演奏するバンドが誕生してきたからだ。だからこのアルバムも売れると思ったのだが、残念ながらそうはならなかった。The_marbles_00s_fallinoverground495
 なぜ彼らが、時代の波の中に埋没してしまったのかはよくわからないが、おそらくオアシスやブラーを代表とする他のブリット・ポップのバンドとの差別化ができなかったからだろう。
 もし彼らがあと3年ほど早く生まれていれば、このバンドは流行の波に乗って成功していたに違いない。それだけの水準は保っていると思うのである。

 もう少しアイリッシュ・バンドとしての個性を発揮したり、ハードな側面も出していけば、もう少し多様なファンを獲得できたのではないだろうか。時代の流れに乗ったように見えて、そこからこぼれ落ちてしまったバンドだった。アルバム・タイトルのように、浮上することはできなかったようだ。

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2018年6月11日 (月)

スターセイラー

 イギリスに、スターセイラーという名前のバンドがいる。日本語にすると、“星間航行者”となるのだろうか。何となくカッコいい感じがするのだが、デビューしたのは、2000年のことだった。

 自分は、このバンドについては詳しくは知らない。ただ、名前があまりにもカッコよかったので、思わず買って聞いてみた。タイトルは「ラヴ・イズ・ヒア」というもので、11曲入っていた。51o1jf8vahl
 楽曲の出来や完成度は、とても新人バンドとは思えないほど完成されていた。老成というか成熟というか、とても新人のバンドのアルバムとは思えなかった。
 逆に言えば、若々しさがない、躍動感がない、聞いていて心が晴れないのだ。ザ・ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」とは、180度というか540度は違うのである。

 普通のロックのデビュー・アルバムには、テンポの速い曲やスローなバラードがバランス良く配置されているのだが、このスターセイラーのデビュー・アルバムは、基本的に、曇天の下で梶井基次郎の小説を読んでいるような、あまり気分のすぐれない気持ちにさせてくれた。

 ただ、デビュー・アルバムと思えないほどの重厚で、壮大な、ベテラン・バンドのようなアルバムを発表できるほどの才能があるのは、確かである。
 曲の作詞作曲は、すべてバンド名になっているので、共同で作っているのかもしれないが、バンドの中心メンバーは、間違いなくギター&ボーカルのジェイムズ・ウォルシュである。

 スターセイラーは4人組のバンドで、通常のロック・バンドのフォーマットだった。彼らはイギリスの北西部にあるチョーリー出身で、中産階級の出身だった。

 ご存知のように、イギリスは階級社会で、目には見えないけれども、身分の違いというのは存在している。ただし、それで差別されたり非難されたりすることはなく、むしろ、それぞれの階級に所属している人は、自分たちの階級や仕事にプライドを持っていて、それが階級制の固定化につながっているという説もあるほどだ。

 それでスターセイラーのジェイムズは、オアシスのノエル・ギャラガーに話しかけた時に、横にいたリアムから、「俺の兄に話しかけないでくれ」と言われたそうだ。オアシスは労働者階級の出身なので、中産階級出身のジェイムズに冷たく接したのだろうと言われている。その理由が本当かどうかは不明だが、ありえる話である。

 話は横道にそれたが、彼らはウィガンというところにある大学でバンドを結成した。同場所は、以前紹介したザ・ヴァーヴの出身地でもある。
 ドラマーとベーシストは以前から同じバンドで活動していたが、バンドのボーカルが病気になってしまい、当時大学の合唱部員だったジェームズに声をかけたようである。P01bqm2j
 彼らは中産階級出身とはいえ、当時のイギリスの社会状況は決して明るくはなく、むしろ閉塞感に満ちて、息の詰まるような生活を送っていたようだ。ジェイムズは、「僕たちの住んでいる街では、そういう現実を振り切るには、歌を作るしかなかったんだ」と述べていた。

 もともとジェイムズは歌が好きで、12歳でピアノを始め、14歳で曲を書き始めた。彼がバンドに入った時に、ジェフ・バックリーの「グレイス」というアルバムを聞きこんでいて、その父親だったティム・バックリーの曲からバンド名をつけた。バックリー親子には尊敬の念を持っているのだろう。

 そんな彼らがロンドンのクラブで演奏を行っているときに、ニュー・ミュージカル・エクスプレスの記者がたまたま目撃してそのレビューを記事に乗せたところから火が付き、多くのレコード会社から声がかかり、最終的にはイギリスEMIと契約を結んだのである。2000年10月の頃だった。

 そして、レコード・デビューする前からグラストンベリーのフェスティバルに出演するなど活動を続け、ライヴ活動の合間にレコーディングを行って、翌2001年の8月にデビュー・アルバムが発表された。

 何度も言うが、とても新人バンドのアルバムとは思えないほどの完成度を示している。ただ、躍動感に乏しいのだ。
 だからバンドのアルバムというよりは、感覚的には、シンガー・ソングライターのアルバムに近い。バンド名が象徴しているように、シンガー・ソングライターだったバックリー親子のアルバムのようだった。

 ミディアム・テンポの曲は2曲目の"Poor Misguided Fool"と10曲目の"Good Souls"ぐらいだろう。あとは、アコースティック・ギターの弾き語り("She Just Wept"、"Coming Down")やピアノやキーボードがアクセントになっている曲("Alcoholic"、"Lullaby"など)が多い。

 そして、シングルカットされた"Fever"は、確かに良い曲だと思う。静~動へと広がっていくバラード・タイプの曲で、このアルバムから最初にシングル・カットされた曲だった。全英シングル・チャートでは18位まで上昇している。31ioqkvp6dl
 ちなみに、このアルバムからは、上記の"Fever"以外に、4分台の"Good Souls"や2分台の"Alcoholic"、ニッキー・ホプキンス風のピアノが美しい"Lullaby"などがシングルになっていて、それぞれ12位、10位、36位にまで上がっていた。

 また、アルバム自体もイギリスでは2位に、アイルランドでは4位まで上昇している。イギリスではプラチナ・アルバムに認定されていて、ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌によれば、2001年のベスト5のアルバムの1枚に挙げている。

 彼らは2017年まで5枚のスタジオ・アルバムを発表しているが、2009年から2014年まで活動を休止していて、その影響からか、2017年の5枚目のアルバム「オール・ディス・ライフ」は、イギリスでは23位まで上昇したものの、他の国では売れなかった。チャート・インしたのは、イギリス以外では、スイスとベルギーだけだった。

 というわけで、私の中では、バックリー親子の音楽の影響を受けたシンガー・ソングライター風のアルバムを発表するバンドが、スターセイラーだった。ジェフ・バックリーのような音楽が好きな人なら、ぜひ一度は耳を傾けてほしいと思っている。

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2018年6月 4日 (月)

キーン

 キーンというイギリスのバンドがいる。このバンドの特徴はギターレスということで、基本的にはピアノを主体としたバンドである。

 結成は1997年だった。イギリスのサセックス州バトルというところで活動していたティム・ライスとリチャード・ヒューズが中心メンバーだった。
 ただ、最初はドミニク・スコットというギタリストがいたのだが、音楽性の違いから脱退してしまった。

 最初は、2000年の2月に"Call Me What You Like"を、2001年6月には"Wolf at the Door"というシングルを4人組で発表したのだが、ほとんど話題にもならずに終わっている。ドミニクは、バンドとしての将来性に不安を感じたのだろう。

 そこで、元々はベース・ギターを演奏していたティムがピアノを担当するようになり、最終的には、リチャードがドラムスを、そしてトム・チャップリンがボーカルに専念して、ギターレス&ベースレスの3人組として再出発したのである。2001年頃のお話だ。0903
 世の中は何が幸いするかわからないものだ。普通は誰かが加入してバンドとしての化学変化が生じて、大きく飛躍するという話はよく聞くもの。
 ところが、キーンというバンドは、逆に誰かがいなくなって大きく成長していったのだ。これはバンド・メンバー間の化学変化というよりは、役割変化による結果によるものだろう。

 2002年に、フィアース・パンダというマイナー・レーベルと契約をしたのだが、ここから彼らに光が当たり始めた。
 このレーベルは、マイナーながらもコールドプレイやザ・ミュージックを発見し、その後押しをしてきたレーベルで、新人発掘と育成に関しては定評のあるレーベルだった。

 2002年5月に発表された"Everybody's Changing"は限定発売だったものの、瞬く間に完売してしまった。続くシングル"This is The Last Time"も大ヒットして、BBCからも取り上げられるようになってしまったのである。 

 そうこうしているうちに、彼らはアイランド・レコードというメジャーなレーベルに移籍して、レコーディングを始めた。また、トラヴィスのツアーにはオープニング・アクトとして、イギリス中を巡業して回った。

 そして、2004年には待望のデビュー・アルバム「ホープス・アンド・フィアーズ」を発表したが、これが全米初登場1位を記録してしまい、まさに“キーン現象”ともいうべき出来事だった。

 自分は彼らのデビュー・アルバムを購入して聞いたのだが、確かに曲はメロディアスで、上場的な雰囲気に満ちていた。
 それに"Bend And Break"のようにアップテンポの曲もあるし、"Somewhere Only We Know"のようなミディアム調の曲もある。アルバム全体の流れも、よく考えられていると思った。51jna0yucel
 それにメロディー楽器がピアノしかないと言っても、実際は他のキーボードやシンセサイザー、ストリングス・アンサンブルなども使用されているので、そんなに単調すぎることもなかった。
 シングル・カットされた"Everybody's Changing"もボーカル主体の楽曲で、バックの演奏もボーカルに負けることなくしっかりしている。

 普通のバンド形態ならば、間奏にはギター・ソロなり曲のリフなりが挿入されるところだが、ギターレスのバンドなので、当然のことながらギター演奏は聞くことができない。
 そこは、ピアノやキーボードの演奏に置き換えられているのだが、曲の流れから行くと、あまり気にならなかった。
 ただ、ギター・ソロを期待している人やギタリストが好きな人にとっては、飽きが来るのが早いのではないかと思っている。

 エルトン・ジョンというミュージシャンがいる。知っている人は知っていると思うけれど、英国王室から勲章とサーの称号までもらったイギリス音楽シーンのみならず、ロック史の中に残るほどの偉大なミュージシャンである。
 彼は、イギリスの王立音楽アカデミー卒業のピアニストなので、演奏能力のみならず、ロックからディスコ・ミュージックまでその演奏ジャンルも幅広く、しかも高水準を保っているのだが、彼の作る音楽とキーンの音楽を比べると、少し差異が見られる。

 例えば、声質である。エルトン・ジョンの声はどちらかといえば、テノール風で深みのあるいい声をしているのだが、キーンのボーカリストのトム・チャップリンの方は声がよく伸びていて、ファルセットまで使っている。デビュー・アルバムに収められている"She Has No Time"や"Sunshine"を聞けば、よくわかると思う。

 また、エルトン・ジョンの曲作りは本人が作曲し、主にバーニー・トーピンがそれに詞をつけるというパターンが多かったが、キーンの場合は3人で曲作りをしている。
 それに、エルトン・ジョンは基本的にシンガー・ソングライターである。だから、ピアノだけをバックに切々と歌う時もあれば、ギタリストを含むバンド形式で歌うこともある。

 一方、キーンの方は、デビュー・アルバムを聞く限りでは、そういうシンガー・ソングライター風の曲は無くて、ピアノやキーボードを主体にしてのボーカル入りの曲が目立つようだ。
 だから楽曲が命なのだ。メロディー勝負のバンドだと思う。いかに聞きやすくし、多くの人から受け入れられる曲を作れるかどうかが、このキーンというバンドの課題だろう。

 プログレッシヴ・ロックの世界では、例えばE,L&Pのように、クラシックと融合を目指したとしても、キーボードとリズム楽器だけでは、どうしても限界が生じてしまう。その限界の中で、どのように音楽を展開していくかが問題なのだけれども、あまりにも急にポップ化してしまって、人気を失ってしまった。

 キーンの場合も弦楽器がないという状況の中で、どのように人気を保っていくかが問題になるだろう。メロディを紡ぐのはピアノしかないわけで、だから曲の展開やメロディの美しさなどが問われるはずだ。

 このデビュー・アルバムには"Untitled 1"という曲が収められていたが、この曲はリズムが面白くて、まるでドラムマシーンで打ち込みをしたような感じだ。でも、そういう無機質なリズムと複雑なボーカリゼーションが組み合わさって聞き応えのある曲が生まれている。ギターレスのバンドには、こういった工夫が今後も問われてくるはずだ。

 ただ、このデビュー・アルバムは全米でもゴールド・ディスクを記録し、全世界で600万枚以上売れた。自分も購入したのだから、それぐらいは売れただろう。
 しかも、このデビュー・アルバムだけではなかった。彼らは2012年までに4枚のアルバムを発表しているが、その4枚ともイギリスではNo.1に輝いている。アメリカでもセカンド・アルバムは4位、サード・アルバムは7位を記録している。恐るべし、キーン、彼らの魅力は決して色褪せていないようだった。

 2011年には、ベーシストとしてジェシー・クインが加入して4人編成になったことも、よい結果につながったのだろう。翌年発表された4枚目のアルバム「ストレンジランド」もまた、全英チャート初登場1位を獲得している。4704
 しかし残念なことに、2013年にベスト盤を発表した後、無期限の活動停止を発表した。理由は、トム・チャップリンと他のメンバーとの確執や音楽的見解の違いのようだ。
 また、彼はまだ39歳なのだが、父親としての役割も果たしたいということで、ソロ活動を追及していて、2018年までに2枚のソロ・アルバムを発表している。しばらくは再活動はありえないようだ。

 いずれにしても、キーンは、90年代のブリット・ポップ以降、ダンス・ミュージックが主流を占めていたイギリスの音楽シーンにおいて、メロディの復権を唱え、その良さを再認識させたバンドだった。イギリスの内外において、おそらく多くのファンが、彼らの再出発を願っているに違いない。

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2018年5月28日 (月)

レディオヘッド

 90年代のブリティッシュ・ロックといえば、やはり“ブリット・ポップ”の影響を避けて語ることはできないだろう。“ブリット・ポップ”の主流だったオアシスとブラーは言うに及ばず、トラヴィスやオーシャン・カラー・シーン、エンブレイスにザ・ヴァーヴなどは、オアシスなどと同様に、一時代を築いたバンドだった。

 それで今回は、レディオヘッドについてである。バンドの結成は80年代とは言え、90年代に大きく開花し、世界的にも有名なバンドになったわけだから外すわけにはいかない。ロック史上においても重要なバンドと言えるだろう。1462197677radiohead051
 ただ、このバンドについては自分は苦手である。最初はよく聞いたのだが、今では彼らの音楽性についていけなくなってしまったのだ。
 何しろ彼らの音楽性はアルバムごとに変化している。まるで万華鏡のように美しくカラフルに変化していった。その変化に追いついていけなくなったということだろう。感性が劣化したのかもしれない。

 彼らの凄いところは、音楽性が変化していっても、その水準は常に一定以上の高レベルをキープしていて、アルバムを発表するたびに、世界中のファンや評論家たちから高評価を得てきた点である。
 “バンド版デヴィッド・ボウイ”と自分は呼んでいたのだが、まるでカメレオンのように変化する音楽は、つねに時代性への認識と変革への挑戦を秘めていて、その時々の音楽的潮流を築いていた。

 自分が初めて聞いた彼らのアルバムは、彼らのセカンド・アルバムだった「ザ・ベンズ」だった。1995年に発表されたものだ。
 自分はある人からこのアルバムはいいと勧められて聞いたのだが、その時の感想は“イギリス版グランジ・ロック”といったものだった。91qnwrj56hl__sl1400_
 ザラザラとささくれ立ったような音質、ハードな楽曲とソフトなバラードの対比などが、アメリカのシアトル系のバンド群を思い出させたのだった。やや遅れてきたニルヴァーナやパール・ジャム、スマッシング・パンプキンズといった感じだろうか。(スマパンはシアトル出身ではないけれど、グランジ・ロックという範疇で語らせてもらいました)

 だから、基本的にはエド・オブライエンやジョニー・グリーンウッドのギターやキーボードと、バンドのリーダーであるトム・ヨークのボーカルが目立っていた。
 それに、このアルバム自体も素晴らしかった。確かに“グランジ・ロック”の影響は感じさせられるものの、普通のロックにはない前衛性や革新性を備えていたし、ギターやキーボードの音色にも彼らのそういう意思みたいなものが宿っていた。

 それと自分たちが生きている時代に対する覚醒というか対峙というか、危機意識や不安、危うさなどが漂っていて、まさに時代を意識したアルバムなのだということが理解できた。

 何しろアルバム・タイトルの「ザ・ベンズ」という意味自体が、潜水病や高山病における“痛み”のようなものを指しているそうで、これはまさに彼らが今を生きる時代や社会に対して感じている“痛み”や“苦しみ”、そこから導き出される“諦観”や“反抗”などではないかと思っている。

 だからこのセカンド・アルバムは、刺々しさと同時に、儚く美しいのだ。だから、通常のポップ・ソングなどは収められていないし、ほかのバンドと同様なロック・アルバムでもない。
 彼ら独特のオリジナリティーと時代感覚、音楽性を備えていて、唯一無二の存在であった。

 これは当時からそうだったのだが、自分はその時はまだ気づいていなかった。彼らレディオヘッドを通常の音楽フォーマットのバンドとしか捉えることができずに、オアシスやトラヴィスなどと同等のバンドとしか思っていなかった。

 今から考えれば、それは完全な間違いだったのだが、それには気づけなかった。確かにこのセカンド・アルバムの中の"The Bends"や"Black Star"などを聞けば、メロディアスでドラマティックな音楽性を備えたバンドと思ってしまうかもしれない。
 あるいは、冒頭の"Planet Telex"や"Sulk"などの轟音ギターを聞けば、シアトルから来たバンドと思うかもしれない。

 しかし、彼らは決してそんなバンドではなかった。アルバム5曲目の"Bones"や7曲目の"Just"のギターやキーボードの使い方を聞けば、単なるチャート狙いの商業主義的ロック・バンドではないということが分かるはずだ。
 でも当時の自分には、それがわからなかった。彼らを単なる流行のロック・バンドとしてしか認識できていなかったのだ。

 そして、約2年後、サード・アルバム「OKコンピューター」が発表された。これは今までのレディオヘッドのイメージを覆すような、レディオヘッドだけでなくロック・ミュージックというフォーマットの転換を促すような、そんなアルバムだった。

 だから、言葉本来の意味での“プログレッシヴ・ロック”だったと思う。そこにはメロトロンもないし、各楽器の冗長なソロも含まれていない。もちろん曲自体も10分も20分もない。しかし、間違いなくこれは“プログレッシヴ”なロック・ミュージックなのだ。

 当時、彼らの音楽を評して“ロック・ミュージックの解体と再構築”といわれていたが、今回改めて聞き直してみると、まさに通常のロック・フォーマットに捉われない音楽がそこに横たわっていた。
 もう少し付け加えると、楽器自体は普通のバンドが使用しているものと同じものだが、その使用方法が独特だし、楽曲自体がそれまでの常識から意識的に離れようとしているかのようだった。

 これはまさに革新的であり、しかもその試みに対して自覚的、意欲的だった。そして、結果的には、世界中で彼らの音楽が受け入れられたのである。
 これままさに、何度も言うようだが、真の意味での“プログレッシヴ・ミュージック”であり、ニュー・タイプの音楽だ。

 ただし、このアルバムにおいては、あくまでもその萌芽が見られているだけで、これ以降の「キッドA」や「アムネージア」においては、もっと“解体と再構築”が進んでいる。これについては、また別の機会に述べたいと思う。別の機会があればのお話だが…

 この革新性と商業性の絶妙な“止揚”を、果たして彼らは予測していたのだろうか。ひょっとしたら、失敗するかもしれないという可能性も考えていたのだろうか。
 その点はよくわからないのだが、それでも彼らは自分たちの音楽性に自信を持っていたはずであり、失敗しようがしまいが、そんなことは眼中になかったはずだ。51rowiiznl
 むしろ時代の方が、後からついてくるだろうという意識だったのではないだろうか。それがわかるのが、このアルバムの中の"Airbag"であり"Paranoid Android"だと思っている。
 通常の楽曲の中に、変則的なビートと機械的な装飾音が散りばめられたこの2曲は、このアルバムの方向性を示していた。

 特に、"Paranoid Android"は、それこそプログレッシヴ・ロックに通じるような複雑な曲構成を持っていて、エキセントリックなギター音などは通常のロック・ミュージックからはかなりかけ離れている。この曲を聞けば、当時の世紀末的な世相や来るべき新時代への不安などが想起されたはずだ。ロック・ミュージックは、まさに時代を映す鏡なのである。

 "Subterranean Homesick Alien"は、ボブ・ディランの"Subterranean Homesick Blues"から借りてきたタイトルだし、"Exit Music"は映画「ロミオ&ジュリエット」のエンディング・テーマに使用されたものだった。

 ところが、意外にも"Let Down"は、後半に近づくにつれて大々的なバラードとして仕上げられていたし、"Karma Police"もまたピアノを基調とした静かなバラード・タイプの曲だった。ただエンディングには電子音が使用されていて、ただのバラード曲では終わらせないという意思も伝わってきた。

 "Fitter, Happier"は、ポエトリー・リーディングであり、その周りに電子音が飛び交っていて、ある意味、ピンク・フロイドの雰囲気に似ていた。"Electioneering"はレディオヘッド的ロックン・ロールだろうし、間奏やエンディングのギター・ソロというか、環境音楽にギターが突っ込んでいるような雰囲気もまた彼ら独特のものだった。

 “音楽の解体と再構築”と同時に、ボーカルの再認識と音楽との再編もまたこのアルバムにおける重要なテーマだと思っている。
 このテーマを追及し、実現させたのは、もちろんメンバーたちと同時に、このアルバムを担当したプロデューサーであるナイジェル・ゴッドリッチの手腕によるものである。このアルバムの後半に進むにつれて、そのあたりの感覚が伝わってきて、ますます魅力的に感じさせてくれた。

 9曲目の"Climbing Up the Walls"でのキーボードの使い方や、シングル・カットされた"No Surprises"におけるアコースティック・ギターとキーボードとボーカルの絶妙なバランスなどは、このアルバムをして90年代を代表するアルバムのみならず、ロックの歴史に残せしめるものとなった。

 後半の4曲、"Climbing Up the Walls"、"No Surprises"、"Lucky"、"The Tourist"はどれも比較的静かな曲で、深遠な世界に引きずられそうになる。
 逆に言えば、ロック的なダイナミズムには欠けているのだが、それでも"Lucky"におけるギター演奏などは十分にプログレ的で、目立っていた。

 この後半を聞くと、何となくポーキュパイン・ツリーのアルバムを聞いているような感じがしてくるし、ギターの音色などはマリリオンのスティーヴ・ロザリーに似ているような気がした。
 だから、前半は電子音楽との融合やロック・ミュージックの再構築や復権がテーマになっていて、後半はよりプログレッシヴな音楽を目指しているようだった。

 今になって考えれば、社会やシステムに対する抗議や反抗を含み、実験性をそなえたロック・アルバムだった。タイトルには“コンピューター”という言葉が使われていたが、実際にはそんなに使用頻度は高くはない。むしろ次作の「キッドA」の方にコンピューターの使用度がかなり高くて、実験的な作風に満ちていた。

 個人的には、最初の2枚のアルバムがレディオヘッドの初期にあたり、叙情性と衝動性がフィーチャーされたアルバムだったと思っている。
 そして、1997年の「OKコンピューター」以降、実験性や前衛的作風の比重が増えていった。そういう意味では、分岐点となったアルバムだと思っている。

 このアルバムは全英1位、全米21位を記録して商業的にも大成功した。全英チャートに関しては、次作の「キッドA」以降、2007年の「イン・レインボウズ」まで5作連続してチャートのNo.1になっているし、全米のビルボードのチャートでもいずれも3位以内に入っていた。

 この1997年以降のアルバムに関しては、断片的にしか聞いていなくて何とも言いようがないのだが、とにかく時代の最先端を走っていたバンドのひとつだったと言えるだろう。
 なので、通常のロック・バンドとして聞いてしまうと、私みたいについていけなくなる人も出てくるかもしれない。

 だから、むしろプログレッシヴ・ロック・バンドのアルバム群として聞けば、十分に満足できたに違いないだろう。実際に、欧米ではこのアルバムを“プログレッシヴ・ロック”としてジャンル分けしているところもあるくらいだ。

 当時の時代の渦中においては、自分にとって身近過ぎて、その役割が曖昧なものに映ってしまった。もう少し正しい認識や距離感があれば、当時からこのバンドの価値や素晴らしさが分かったはずだったのにと思うと、今更ながら後悔している。
 今さらながらで恐縮だが、このアルバム以降のものを、もう一度聞き直してみて、その内容や価値などを考えていきたいと思っている。

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2018年5月21日 (月)

ザ・ヴァーヴ

 以前にも書いたけれど、自分にとって1990年代は、ついこの前の出来事のような気がする。でも実際は、20年以上も前のことなのだ。年を取ったら時間の流れを早く感じるというのは、本当のようだ。

 この20年以上、自分はどんな音楽を聞いてきたのだろうかと振り返ったりするのだが、70年代から90年代の20年間と、90年代から今までの20年以上と比べたら、やはり70年代からの20年間の方が、音楽的には濃密で影響力のある期間だったと思う。人間が一番大きく成長する時期に触れたものが、やはり人格形成や趣味嗜好に大きく影響を与えるのだろう。

 でも、90年代以降の音楽が意味がなかったのかというと、決してそんなことはないわけで、アンプラグドの流行や過去の曲の再評価、ブルーズ・リバイバルやラップ・ミュージックの存在意義などは、自分にとっては大いに有益だったと思っている。

 さらには、90年代以降も新しいバンドは次々と生まれてきたわけで、90年代のブリット・ポップやアメリカにおけるグランジ・ロックなどは、当時はそんなにすごいこととは思えなかったのだが、今では忘れられない刺激的な出来事になった。

 それで、そんなことを考えながら、90年代に一世を風靡したブリティッシュ・ロック・バンドについて紹介しようと思った。今回は、ザ・ヴァーヴである。彼らが1997年に発表した「アーバン・ヒムス」は、まさに90年代のブリティッシュ・ロックを代表するアルバムだと思っている。717flmsdql__sx450__2
 このアルバムを聞いた人は、誰でも素晴らしいと賛嘆するのではないだろうか。このアルバムを聞いてい悪く言う人がいるとは思えないし、もしいたとしたら、それはよほどのへそ曲がりか、音楽自体を嫌っている人ではないだろうか。

 「アーバン・ヒムス」は、冒頭の"Bitter Sweet Symphony"があまりにも有名なので、どうしてもこの曲の紹介を避けるわけにはいかないし、やはりこの曲から始めるのが筋だと思う。

 この曲のバックのストリングスは、今でもテレビのCM等で使用されていて、耳にすれば、あぁあの曲ね、と分かるはずだ。
 ストリングスの部分はサンプリングされていて、元々はザ・ローリング・ストーンズの元マネージャーだったアンドリュー・オールダムの手によるものだった。彼がストーンズの曲である"The Last Time"をオーケストラでアレンジしたものを使用しているのである。

 ところが、最初は無断でサンプリングしていたようで、ローリング・ストーンズのレコード会社側から告訴される騒ぎになった。最終的には、ザ・ヴァーヴ側が無断使用を認めたため、裁判までには至らなかったが、それ以後は、曲のクレジットに"ジャガー/リチャーズ"の名前が記載されるようになった。

 そんな曰く付きの曲ではある。しかし、シンプルなフレーズの繰り返しだけの曲なのだが、いい曲はいい。
 もともとザ・ヴァーヴは、サイケデリックなロック・バンドだったから、この手の曲は得意なのだろう。

 そして、このアルバムから最初にシングル・カットされた曲でもあり、約3ヶ月全英シングル・チャートに留まっていた。もちろん全英1位を獲得し、全米のビルボード・シングル・チャートでも12位まで上昇している。

 このアルバムが有名になったのは、この曲だけのおかげではなかった。続く"Sonnet"もまた見事な曲だからだ。ポップでありながらもリード・ギターもしっかり目立っていて、その構成も見事だと思う。

 一転して"Rolling People"は、ハードな曲になっていて、うねるようなベースに立ち向かうかのようなギターが特徴的だ。この多重録音されたギターは、サイモン・トングとニック・マッケイブが弾いていて、特に、ニックのリード・ギターはエコーが豊かでエッジが効いていいる。

 4曲目の"The Drugs Don't Work"は、非常に美しいバラードで、このアルバムからの2枚目のシングルに選ばれている。しかも全英シングル・チャートでは首位を獲得し、2011年のニュー・ミュージカル・エクスプレス誌が選んだ“過去15年における名曲150選”において78位を獲得した。
 この曲はバンドのリーダーであるリチャード・アシュクロフト自身のドラッグ体験を表していて、ドラッグを用いてさらに悪くなっていった事実を淡々と歌っていた。

 このアルバムは、この4曲だけ聞いても素晴らしいと思うし、購入する価値はあると思うのだが、これら以外においても不思議な浮遊感を味わえる"Catching the Butterfly"やニックが作曲したスペイシーな雰囲気が味わえる"Neon Wilderness"なども収められている。

 "Neon Wilderness"は前衛音楽というか、ピンク・フロイドが環境音楽を演奏しているような摩訶不思議で、サイケデリックな2分余りのサウンドだった。
 逆に、"Space And Time"という曲はそのタイトルに反して、全然スペイシーではなく、まともな楽曲に仕上げられていた。強いて言えば、バックのキーボード・ストリングスがややサイケ調を高めているぐらいだった。

 そういえば、リチャード・アシュクロフトと元オアシスのギャラガー兄弟、特に弟のリアム・ギャラガーとは仲が良いようだ。
 ザ・ヴァーヴが最初に解散した1995年には、リチャードはオアシスに呼ばれて彼らのライヴで一緒に歌っているし、オアシスの曲"Cast No Shadow"は、傷心のリチャードに捧げられていた。

 リアムはまた、"Bitter Sweet Symphony"を連続30回以上も聴いたと言われているし、兄のノエルもこの曲をライヴで演奏したことがあるようだ。この兄弟とリチャードの間には他の人にはわからない友情めいたものがあるのだろう。

 だからザ・ヴァーヴの曲の中には、オアシスの曲をややサイケデリックな色彩に染め上げた"Space And Time"や"Weeping Willow"のような曲も収められている。
 また、3枚目のシングルとして発表された"Lucky Man"もまた、一聴に値する佳曲である。もちろんE,L&Pの曲とは同名異曲であることはいうまでもない。

 この曲は、ミディアム・テンポで、前半はアコースティック・ギターが、後半はストリングスが主導していて、ポップかつメロディアスで、ヒットする要素は満載だ。全英のシングル・チャートでは7位まで上がったし、全米のモダン・ロック・チャートでは20位内に顔を出している。

 一転して、けだるいバラードの"One Day"も穏やかで、疲れているときに聞くと、何となく心が軽くなるような気がした。"Velvet Morning"も同じような傾向の曲で、エレクトリックな部分とストリングスの部分のバランスがよく取れている。613nipx3fgl__sl1391_
 これらのメロディアスな曲も収録されているから、このアルバムは売れたのだと思っている。何しろ14週連続して全英No.1アルバムになり、全世界で1000万枚以上売れたのだ。この年のベスト・セラー・アルバムに認定され、翌年のブリット・アワードでは、ベスト・ブリティッシュ・バンド賞と最優秀批評家賞を獲得した。

 また2015年には、イギリスのアルバム・チャートで1000万枚以上売れたアルバムの中で18位に認定されている。ちなみに、首位はクイーンの「グレイテスト・ヒッツⅠ」、2位はアバの「ゴールド;ザ・グレイテスト・ヒッツ」、3位にザ・ビートルズの「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が入っていた。

 ただ、“好事魔多し”の譬えではないが、彼らは、翌年の1998年に二度目の解散をしている。原因はリード・ギタリストのニックとの確執のせいで、リチャードとニックは昔からそりが合わず、最初の解散もニックの脱退が原因だった。

 そして“二度あることは三度ある”の諺ではないが、2007年に再々結成して4枚目のアルバムを発表した後、2009年に三度目の、そしておそらく最後となるであろう解散をしている。Uhverve3

 その後、リチャードはソロ活動を始め、ニックとベーシストのサイモン・ジョーンズはザ・ブラック・シップス(のちに「ブラック・サブマリン」と改名)を結成して、バンド活動を続けている。

 昨年の2017年には、「アーバン・ヒムス」の発売20周年記念盤が発表された。これもまた売り上げ枚数に含まれるのだろう。
 とにかくこのアルバムは、90年代を代表するアルバムなのは間違いない。ブリット・ポップの流れから一歩踏み出して、サイケデリックな感覚と流麗なストリングスを配置してのサウンドは、これからも新たなファンを獲得するに違いない。

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2018年5月16日 (水)

ホース・ソルジャー

 久しぶりに映画について書く。今までそれなりに映画を見てきたのだが、なかなかコメントする機会が得られなかった。「スター・ウォーズ;最後のジェダイ」、「オデッセイ」、「ゼロ・グラヴィティ」などのSF洋画や「破門 ふたりのヤクビョーガミ」、「三度目の殺人」、「ユリゴコロ」などの邦画など、気の向くままに見てきた。

 書こうと思ったものの、なかなかその時間がなかったというところが本音である。ところが、なぜか今回は短いながらも書こうと思った。それはあまりにも期待が外れたからだ。

 この映画「ホース・ソルジャー」は、原題を"12 Strong"といって、12人の勇敢なアメリカ軍兵士のことを意味している。A2ub7950
 この映画は実話に基づいたもののようで、今まで表ざたにならなかったのは、計画自体が極秘だったかららしい。

 12人の兵士は、陸軍の特殊部隊に所属していて、イラクの軍閥と協力して、約5万人のタリバン部隊と戦うという内容だった。

 これは、2001年の「9・11」に対して、アメリカ軍が極秘に行った最初の反撃と言われていて、この功績を讃えるための馬に乗った陸軍兵士の銅像が、グラウンド・ゼロの跡地に建てられているそうだ。744af604
 ここからはネタバレになるので、まだ見ていない人は、読まない方がいいと思う。一応、注意しておきます。

 この映画は、国策映画である。どこをどう見ても、アメリカの国威発揚と正統性を示しており、逆に、宿敵アルカイダを徹底的に悪者として描いている。
 だから、勧善懲悪主義であり、結果的に、アメリカ軍兵士の英雄的行為が描写されている。したがって、非常にわかりやすく、しかも面白く展開していて、安心してみていられるのである。

 映画の冒頭では、アメリカにおける「9・11」のニュースやそれを受けての人々の対応などが描かれているし、一方のアフガニスタンでは、自分の娘たちに勉強をさせた母親が、公開処刑されるシーンがあった。アルカイダは、8歳以上の女子には教育は必要ないと考えていて、その決まりを破った母親が処刑されたのだろう。

 この辺は、誰が正しくて誰が悪いというのが一方的に示されているので、非常にわかりやすい。しかし、アフガニスタンに旧ソ連からの共産主義が広がるのを防ぐために、1979年からのアフガン戦争時に、現地のゲリラに武器を供給したのはアメリカだった。
 また、アメリカは、中東の地にアメリカの威光を示すために、当時のサウジアラビアと仲良くして、武器や資本を供与したのだ。そういう歴史的な経緯は置いといて、一方的にアフガニスタンの一部の人たちを悪者として描くのもどうなのかなあと思った。

 また、途中で投降してきた兵士たちの中に、自爆テロを行うものがいたが、彼らの宗教というか思想では、死んだ方が豊かで幸せに過ごせるというのだから、生きていても毎日が戦争状態なら、むしろ死を選んで報われたいと願うだろう。

 これは価値観の違いなので、否定も肯定もできないが、もし彼らが、今の日本のように豊かな環境の中で生活していたら、果たして死を選ぶだろうかとも思った。(でもやっぱり死を選ぶだろう。先進国と呼ばれている欧米社会の各国でも、たびたび自爆テロが行われているからだ。宗教的価値観こそ絶対的基準なのである)

 確かに、アルカイダは暴力的で独善的だし、少なくともテロリズムも容認するつもりはない。それはないものの、もう少し批判的に描いてほしかった。世界で一番大切な人の命を奪っているのは、アメリカもアルカイダも同じだからだ。Horsesolider_jpg_pagespeed_ce_tikby
 だからこの映画には、批評性がない。自分はロック・ミュージックが大好きで、今でも聞いているのだが、ロックには批評性が備わっている。カントリー・ミュージックとブルーズやゴスペルが融合して、ロックン・ロールが生まれた。だから、ロック・ミュージックには、旧来の音楽、音楽のみならず社会体制への批判が内包されていると考えている。

 批評性のない音楽などの表現活動には、興味がわかない。それは映画も同じ。ただ、興味がわかないだけで、その存在までは否定するつもりはない。
 それはともかく、だからと言ってこの映画は、全くつまらないというわけではない。アメリカ映画の素晴らしい点は、良い意味でも悪い意味でも、娯楽性が備わっている点だ。

 この映画でも、21世紀の戦争という状況の中で、空からピンポイントで攻撃するところと、馬に乗って戦闘するシーンがあった。この対比が面白かった。まるで、日中戦争のさなかに、満洲国を馬に乗って戦う馬賊のような、そんな感じなのだ。張作霖と関東軍の戦いが、そのままタイムスリップしたような、現代に置き換えられている感じがした。あるいは、戦国自衛隊ともいうべきか。

 それに現代のテクノロジーを集結した最先端の兵器と馬に乗った兵士という、ある意味、ミスマッチというか落差が、この映画を一層面白くさせている。
 また、戦闘シーンは確かに迫力があって、ワクワクさせてくれた。この辺のカメラワークというか、描き方は素晴らしいと思った。Hs10332src
 ただし、突っ込みどころは満載で、12人のうち1人は重傷を負ったものの、それ以外は無傷に近かったというのは信じられなかった。相手の敵陣の中を馬に乗って突っ込んでいくのである。アルカイダから集中砲火を浴びているのである。それでも主人公は無傷だった。
 まるで、織田信長が今川軍の中に突っ込んでいった桶狭間の戦いのようだった。日本でも起きたのだから、アフガニスタンでも起こりえるのだろう。

 正確に言えば、1人は負傷したので、残りは11人だったが、2人は狙撃手として別の場所にいたので、戦闘に参加したのは最大でも9人だ。実際は、後方に位置していた人もいたので、ひょっとしたら5~6人だったのではないだろうか。8fb85322
 映画の最後で、主題歌らしきものが流れた。ザック・ブラウンという人が歌っていて、この人は、アメリカのカントリー・シンガーらしい。この辺もまさに国策映画というような気がしてならなかった。昔の日本でも、さだまさしなどの歌手が戦争映画の主題歌などを歌っていたが、当時は、ニュー・ミュージックの歌手が映画とタイアップしていた。当時というのは、1980年代初頭の頃だ。

 ちなみに、ザック・ブラウンはバンドで活動していて、ザック・ブラウン・バンドはグラミー賞も受賞している人気バンドのようで、ジョージア州アトランタを中心に活動している。彼自身はまだ40歳である。Zacbrownbandrealthing
 いずれにしても、何も考えないで観るだけなら、何の問題もない映画である。むしろハラハラするし、兵士たちは勇敢だし、ある意味、感動するだろう。ただ、それで満足するかどうかは、また別の問題だと考えている。

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