2019年10月14日 (月)

追悼:ジンジャー・ベイカー

 ジンジャー・ベイカーが亡くなった。享年80歳だった。病気のために亡くなったようなのだが、具体的な病名は伏せられていた。ただ、以前から心臓が悪くて、手術を受けたぐらいだから、おそらくは心臓病か、それから来る合併症だったのだろう。また長年にわたって喫煙の習慣とヘロイン中毒に悩まされていたから、その辺の事情もあるのかもしれない。4ea7b7f2

 ジンジャー・ベイカーといえば、やはりクリームだろう。エリック・クラプトンとジャック・ブルース、そしてジンジャー・ベイカーの3人で結成されたこのロック・バンドは、1966年当時は革新的で先鋭的な音楽をやっていた。レコードでは1曲3分くらいだった曲を、ステージでは20分近く演奏してしまうからだ。また、アンプを大量に配置して轟音で演奏していた。やっている音楽は、基本的にブルーズに根差したものだったが、ステージでは即興演奏、いわゆるインプロビゼーション中心だったから、必然的に時間も長くかかってしまったのである。

 基本的に、ベーシストのジャック・ブルースとドラマーのジンジャー・ベイカーは、ジャズ・ミュージシャンだった。そしてギタリストのエリック・クラプトンは、ブルーズの探究者だった。3人は対等の立場でそれぞれの楽器を通して表現の可能性を追い求め、その限界を超えようとしていた。ある意味、真剣勝負のステージだっただろうし、その緊張感たるや、言葉では言い表されられないくらいきついものだったのだろう。だから2年しかもたなかったのだと思う。Cream_clapton_bruce_baker_1960s

 そんなジャックとエリックを結び付けたのが、ジンジャー・ベイカーだった。もともとジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーは知り合いで同じバンドにも在籍していたし、ジャズという共通するバックグラウンドがあったのだが、エリックとは面識がなかった。ジンジャーに言わせれば、この男(エリック・クラプトンのこと)と組んで活動すれば、かなり面白いことができると直感したようで、まずジャックに声をかけ、そしてエリックに迫っていった。エリック・クラプトンは同意はしたものの、自分はブルーズ・ギタリストで、ジャズ・ミュージシャンではないと最後まで認めなかったようだが、ジンジャー・ベイカーにいわせれば、ジャズもブルーズも根っこは一緒ということで、押し切ったようだ。さすがジンジャー・ベイカー、押しの強さは昔から有名だった。

 彼らの代表作に、1968年の「クリームの素晴らしき世界」という2枚組レコードがある。1枚目はスタジオ録音で、もう1枚はライヴ・レコーディングだった。スタジオ録音とライヴ録音の両方を聞き比べることができるという優れモノのレコードで、自分が手に入れたときは、両方ともよく聞いていたものである。811gi9mdgl__sl1400_  そのスタジオ録音された曲の中に、"Pressed Rat and Warthog"という曲があった。この曲を歌っていたのが、ジンジャー・ベイカーだった。歌うというよりもポエトリー・リーディングのようなものだった。もう少し早口で歌っていれば、ラップ・ミュージックと呼ばれるかもしれないが、レコードではトランペットなどの楽器も使用されていて、実験的な要素が強い曲だった。曲はジンジャー・ベイカーとマイク・テイラーの共作で、マイク・テイラーという人もジャズ系のピアノ・プレイヤーだった。そして残念ながら、マイクは1969年の1月にトーマス川で溺れて亡くなった。麻薬中毒だったから、誤って川に落ちたのではないかと囁かれている。

 ジンジャーはこの"Pressed Rat and Warthog"をライヴでは演奏しようとはせず、極力避けていた。しかし、2005年の"リユニオン・コンサート"では歌っていた。時の流れは人の気持ちも変えてしまうのだろう。513pfyw53fl
 ちなみに、この「クリームの素晴らしき世界」では、"Passing the Time"や"Those Were the Days"もジンジャー・ベイカーとマイク・テイラーの曲だった。"Passing the Time"のリード・ボーカルはジャック・ブルースだったが、エリック・クラプトンとジンジャー・ベイカーも歌っていた。ただギター・ソロなどはなく、やや前衛的でプログレッシヴな雰囲気を醸し出していた。"Those Were the Days"では、ジンジャー・ベイカーはチューベラー・ベルズも使用している。51el2txia7l

 ディスク2のフィルモア・ウエストでのライヴでは、4曲目にジンジャー・ベイカー作の"Toad"を聞くことができる。この曲のオリジナルは、1966年の彼らのデビュー・アルバム「フレッシュ・クリーム」に収められていたインストゥルメンタルで、5分の曲が16分に延ばされていた。ロック・バンドのドラム・ソロをライヴ・レコーディングするという発想は画期的なもので、ここから、特にハード・ロックの分野ではライヴ演奏におけるドラム・ソロのレコーディングが一般化していったのではないかと思われる。5169tagbyl

 それに、ジンジャー・ベイカーはツイン・バス・ドラムだったから、視覚的にも訴えるものがあったし、音楽的にも低音が強調され、タムタムやハイファットとの相性も良かった。ドラマーとしても一流なのは当然のことだが、他のミュージシャンの追随を許さない程のセンスやアイデアも秘めていた。のちに彼がアフリカン・リズムやワールド・ミュージックを追及するようになったのも、本来備わっていたリズムを追い求めるという鋭敏な感覚のせいではないだろうか。9d78353e77a3d5be439f3da46a501c02

 なぜ彼が"ジンジャー"と呼ばれたのかというと、彼の燃えるような赤い髪の毛が遠目に見ると、"生姜"のように見えたからだという。"ベイカー"は本名だが、別にパン屋ではなかった。謹んでご冥福をお祈りいたします。

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2019年10月 7日 (月)

ザ・ラカンターズの新作

 今年の上半期に発売されたアルバムで印象に残ったシリーズの最後を飾るのは、アメリカのロック・バンド、ザ・ラカンターズの「ヘルプ・アス・ストレンジャー」である。
 知っている人は知っていると思うけれど、このザ・ラカンターズというバンドは、アメリカ人ミュージシャンのジャック・ホワイトとブレンダン・ベンソンの2人を中心とした双頭バンドである。Raconteurs2018_header  ジャック・ホワイトといえば、現代ロック・ミュージックの復興の祖として崇められているように、22歳の時に当時の妻であったメグ・ホワイトとともにホワイト・ストライプを結成すると、瞬く間に全米で人気を獲得し、やがてその火は世界中へと燃え広がっていったのである。そして、2005年にはホワイト・ストライプと同時並行で、旧友同士といわれているが、ブレンダン・ベンソンほか2名とともに、ザ・ラカンターズを結成して、翌年にはデビュー・アルバムを発表してしまう。

 よほどの才能の塊なのだろう、ジャック・ホワイトという人は。2009年には専任ボーカリストを加えた新しいバンドであるザ・デッド・ウェザーも結成して、一時は3つのバンドを掛け持ちし、その合間にソロでの活動を行うというまさに八面六臂の活動を行っていた。さらには、ジミー・ペイジとU2のエッジとともに映画「ゲット・ラウド」に出演したり、ソロ・アルバムを発表しライヴ活動を行ったり、はたまた自身のレコード会社を立ち上げたりと、一体いつ休むのだろうかと周囲が不安に思うほどワーカホリックな生活を送っている。Jackwhite2920x584

 ブレンダン・ベンソンの方はというと、ジャック・ホワイトほどではないにしろ有名なミュージシャンで、1996年のデビュー・アルバム「ワン・ミシシッピー」ではいくつかの曲で、元ジェリーフィッシュのメンバーであるジェイソン・フォークナーと共作していた。それからもわかるように、どちらかというとポップでマイルドなロックンロールを志向するミュージシャンだろう。今まで6枚のソロ・アルバムを発表してきている。
 ただ、ジャック・ホワイトとは旧友といってもブレンダン・ベンソンの方が4歳ほど年上の48歳だ。そして共通する点では、ジャックもブレンダンもギターからキーボード、ドラムス、プロデューサー業と何でもこなせるマルチ・ミュージシャンということだろう。そういう点でも意気投合したのかもしれない。P01bqlwl

 それでザ・ラカンターズは、2006年と2008年にアルバムを発表しているが、何しろメンバー4人とも忙しい人たちで、セカンド・アルバム発表以降は、なかなか揃うことができずにバンド活動は停止中だった。ところが、昨年からタイミングがあってきたのか、レコーディングを開始し、11年振りのアルバムを発表後は来日公演まで行っている。やはり物事は進むときは一気に進んでいくのだろう。一気呵成とはまさにこのことである。

 このサード・アルバムに当たる「ヘルプ・アス・ストレンジャー」では、25曲から30曲ぐらいが用意され、その中から厳選された12曲がレコーディングされた。ジャック・ホワイトが言うには、『どの曲もいい感じで、一瞬でダブル・アルバムが作れる勢いだった。次のアルバムに良さそうな未完成の曲が今も手元にたくさんあるよ』と述べている。

 このアルバムは、1曲を除いて基本的にはジャックとブレンダンが曲を作っていて、まるでレノン&マッカートニーのような感じでアルバム制作に臨んだらしい。ブレンダンは雑誌のインタビューで、『お互いを補い合っているんだ。ほとんど虎と羊の関係というか、陰と陽の関係みたいなもの』と述べていた。おそらくは、ジャックが虎でブレンダンの方が羊ではないだろうか、たぶん。そしてまた今回のアルバムでは、どちらかが曲を持ってきて他の人からアイデアをもらう形で進行し、最終的にメンバー全員で音作りに加わり携わったという。

 また、7曲目の"Hey GYP"だけは、イギリスのシンガー・ソングライターであるドノバンの作品であり、1965年のシングル"Turquoise"のサイドBに収められていた曲で、イギリスのバンド、ジ・アニマルズもカバーしていた曲だった。こういうマイナーな曲をも探し出すセンスはおそらくジャック・ホワイトに起因するものだろう。彼は以前にも、シェールの"Bang Bang"やラヴの"A House is not A Motel"などを探し出してきてはカバーしているからだ。719jb78yapl__sl1200_

 もともとジャック・ホワイトという人は、古典的なブルーズやカントリー・ミュージックの再解釈に長けた人で、伝統的なブルーズの手法などを踏襲しながらもそこに現代的でノイジーなサウンドを持ち込むことで、アメリカン・ロックの再興を果たしたミュージシャンだった。だから、アナログに異常なまでにこだわっており、レコーディング機材はもちろん、ギターのエフェクト類までもアナログで済ませている。自分のレコード会社を立ち上げたと言ったが、これは文字通りレコードを中心に制作、販売を行う会社であり、CDだけでなくレコードでも自分たちの作品を発売しているのだ。

 だから、曲のフレーズやサビなども60年代風なところも目立っていて、オールド・ロック・ファンは思わず涙腺が緩くなり、歓喜の涙を流してしまうところもある。このアルバムの冒頭の"Bored And Razed"もタイトルからしてゼップの"Dazed And Confused"を思わせてくれるし、実際の音もゼッペリンぽくってカッコいいのだ。やはりロックは、カッコよくなくてはいけないというお手本だろう。メロディは素晴らしいし、リフは強力で破壊力がある。1回聞いただけでノック・アウトされてしまった。今どきこういうパワフルで印象的な曲を表現できるのは、このバンドしかいないのではないだろうか。(ちょっと言い過ぎたか)

 ブレンダンが一番気に入っている曲が"Help Me Stranger"で、ブレンダンとジャックはギターとボーカルを担当し、ベーシストのジャック・ローレンスは手でベース・ペダルを演奏し、ドラマーのパトリック・キーラーはスネアをさかさまにして叩いていたという。そういうアグレッシブというか普通でない演奏方法などもブレンダンを魅了させたのだろう。

 3曲目の"Only Child"はお約束のバラードで、アコースティック・ギターが主体になり、それにベースやドラムス、キーボードの音が重ねられていく。実はジャックがアルバムの中で一番好きな曲がこれで、メロディーのみならず歌詞も気に入っているらしい。また、ソングライティングからプロダクションまでメンバー全員で力を合わせてできた曲だと自負をしている。

 "Don't Bother Me"もユニークな曲で、"Don't Bother Me, Bother Me"と何度も繰り返すフレーズが新鮮味でもあり、同時に破壊衝動をもたらしてくれる。1曲の中に転調がいくつもあって複雑な構成になっているが、最後まで聞くと一貫してロック的だと納得できる。特に最後のギター・ソロから短いドラムの連打のところは、まるでザ・フー、しかも60年代後半のキース・ムーン在籍時の様子を想起させてくれた。この曲もまたカッコいいのである。

 ザ・ローリング・ストーンズ主演の映画のタイトルに似ている"Shine the Light On Me"はピアノのリードで始まるミディアム・テンポの曲だ。普通に演奏すればお涙頂戴のバラード風になるのだろうが、それをいったん壊してドラムとベースで盛り上げていくという力業がまさにロックンロールだろう。

 続く"Somedays"のような郷愁を覚えるようなメロディを持つ曲は、ブレンダン・ベンソン主導で作られた曲だろう。ただ、この曲も個性的である。序盤や中間のギター・ソロ後に入る轟音ギター・フレーズの方が目立っていて、ある意味、ロックの持つ衝動性や破壊性がいかんなく発揮されているのだ。普通のポップ・ソングならここまでのアレンジは必要ないだろうが、そこはやはりザ・ラカンターズである。一筋縄ではいかないのだ。

 そして"Hey GYP"が始まる。ドノバンの元歌はブルーズ調だったのだが、ここでは初期のザ・ローリング・ストーンズのようにハーモニカも使用され、躍動感のある曲に仕上げられている。黒っぽい雰囲気だし、途中のごちゃごちゃしたギター・ソロも何となく下世話で猥雑な感じがした。演奏上手なストーンズといった匂いがプンプンするのだ。

 "Sunday Driver"はファースト・シングルに選ばれた曲で、これもまたキレのあるリフとサウンドが荒々しい。中間のハーモニーがザ・ビートルズ的であり、また後半はオルガンも使用されていて、何が出てくるかわからないところがこのバンドの優れたところだろう。こういう何でもありのモダンなロックンロールというところが若者にも支持される由縁だろう。

 そのシングル化された"Sunday Driver"のサイドBが"Now That You're Gone"である。この曲はバラード・タイプの曲で、メロディアスで耳に残る曲だ。ギター主体の音作りでシングルに相応しい曲といえる。中間のギターソロがカッコいいし、ベース・ギターもしっかりと自己主張している。まさにメンバー全員で作りましたよというような曲だ。

 続く"Live A Lie"は2分20秒の短い曲で、この性急感はまるでパンク・ロックだろう。ただ単なるパンクではなくて、よく練られ考えられたパンク・ロックの曲だ。ギターのアレンジが巧みで、普通のパンク・バンドではこの表現は難しいと思う。また、エンディングがスパッと切れるところも清々しい。理想的なパンキッシュな曲構成ではないだろうか。

 "What's Yours is Mine"もリフがゼッペリンぽくって、完全に意識しているよなあという感じがした。こういう過去のお手本を参考にしながらも、そこから自分たちのオリジナリティを生み出していくという方法が、60年代を生きたオールド・ファンだけでなく今を生きる若者にまで感動と興奮を与えているのだろう。この曲も2分台と短いが、あえて長めにアレンジをせずにコンパクトにまとめているところが、現代のロックンロールの特徴のような気がする。昔のような重厚長大はヘヴィメタ部門では受けるだろうが、いわゆるオルタナティヴ・ロックでは違うのだろう。

 そしてアルバムの最後を飾るのは、"Thoughts And Prayers"だ。ロックンロール色は薄く、アコースティック・ギター主体なのだが、特徴的なのはゲスト・ミュージシャンのフィドルがフィーチャーされている点だ。また、シンセサイザーの音なのか、時々、装飾音も入ってきて曲を盛り上げている。例えていうなら、ソロになった今のロバート・プラントが好きそうなサウンドだ。エンディングのフィドル・ソロは圧巻だし、それと他の楽器との調和が見事である。エンディングに相応しい曲といえるだろう。71qlcb9dl__sl1200_

 21世紀の今となってみれば、1950年代のロックンロール誕生から2010年代までのロック・ミュージックを俯瞰できるわけで、その中でよいものや参考になるものを拾い上げていくことは簡単なことだろう。しかし、それが受けるとは限らない。そこにオリジナリティというものがないと、単なるパクリで終わってしまうからで、そんなものには洋楽ファン、特に耳の肥えたファンは見向きもしないだろう。

 ジャック・ホワイトやザ・ラカンターズが受けるのは、単なるオールド・ミュージックの焼き直しに終わらず、そこに現代的なセンスやオリジナリティを持ち込んでいるからだ。だから彼らは広い層から支持されるのである。11年ぶりの新作となったアルバムだったが、イギリスのチャートでは8位を、アメリカでは初登場1位を記録していることが何よりの証明ではないだろうか。

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2019年9月30日 (月)

スプリングスティーンの新作

 「今年上半期の印象に残ったアルバム」シリーズの第6弾は、今年の6月に発表されたブルース・スプリングスティーンの新作「ウエスタン・スターズ」である。81zgsbrhf9l__sl1417_

 このアルバムは、スプリングスティーンの19枚目のスタジオ・アルバムに当たり、前作の「ハイ・ホープス」から5年の間隔があいており、しかも全曲オリジナル曲で占められてアルバムでは、2012年の「レッキング・ボール」以来、7年振りになるという。
 しかも、楽曲が制作されていたのは2010年頃から始まって、中断を繰り返しながら2015年頃まで行っていたようだ。スプリングスティーンは多忙なミュージシャンでも知られるが、個人の趣味性の高いアルバムと、「レッキング・ボール」のような社会性や時代の空気を反映したようなアルバムとを同時並行しながら進めていったようだ。

 本来なら2016年頃に発表することも考えていたようだが、途中で長期間にわたるツアーや自伝の出版、未発表音源を加えたボックスセットの発売、さらにはニューヨークのブロードウェイでの舞台演奏などなど、様々な活動に取り組んでいて、結果的には2019年にずれ込んでしまったのである。Resize_image

 そして今回のソロ・アルバムのモチーフについては、2017年12月号の雑誌「ヴァラエティ」のインタビューで次のように述べていた。『70年代の南カリフォルニアの音楽に影響を受けている。グレン・キャンベル、ジミー・ウェッブ、バート・バカラック、そういった類のレコードだ。みんながそれらの影響を聞き取るかはわからない。でも、それが僕が心に描いたものだ。それが1枚のアルバムをまとめる特別なものをくれたんだ。(中略)このアルバムは、キャラクター主導型の曲と、広がりのあるシネマティックなオーケストラのアレンジを特徴としていた僕のソロ作品への回帰だ。宝石箱のようなアルバムなんだ』

 スプリングスティーンの口から「宝石箱」という言葉が飛び出して来るとは思っても見なかったが、それ以上に、「広がりのあるシネマティックなオーケストラのアレンジ」という言葉にも驚嘆してしまった。今までストリングスを使ったアレンジはあったが、基本的にはステージで再現できるサウンドということで、Eストリート・バンドにはピアニストを含む2人のキーボード奏者が在籍していた。だからストリングスもキーボードで再現していたのだが、オーケストラとなると話が違ってくる。

 確かに、ソロ・アルバムだからストリングスでもオーケストラでも何でもいいのだが、今までのスプリングスティーンのソロ・アルバムは、いずれもアコースティック色が強くて、オーケストラとは無縁のような気がした。だから、事前の予想では、ついにスプリングスティーンも”フランク・シナトラ化”したのではないかと危惧していたのである。

 それに上に出てきていた”ジミー・ウェッブ”や”グレン・キャンベル”などは適度にポップで適度にカントリーっぽいサウンドだったし、バート・バカラックに関してはまさにアメリカン・ポピュラー・ミュージックのヒット・メイカーであり、いまだに現役のレジェンドでもある。彼の曲の特徴としては、複雑なコード進行やオーケストラを多用したアレンジの精巧さなどが挙げられるが、そうした影響を反映しているのがスプリングスティーンの新作なのだろうか。実際に音を聞くまでは、複雑な心境だった。

 そして、アルバム「ウエスタン・スターズ」には2つの意味が込められていて、1つはそのもの通り”西部地方の星”であり、もう1つは”西部劇の映画スター”という意味だった。内容的には統一感があって、アメリカ西部をヒッチハイクする若者からあてもなく放浪を繰り返す人、アリゾナのトゥーソンからの恋人を待つ労働者、鳴かず飛ばずで年老いてしまった西部劇の役者、ハイウェイ沿いにあるカフェでの情景など、アメリカ西部を中心に映像的な情景が歌われていて、こういうところは、今までの彼のソロ・アルバム、「ネブラスカ」や「トンネル・オブ・ラヴ」、「デヴィルズ&ダスト」を踏襲しているかのようだ。

 さらに曲の登場人物においても、裕福な青年や成功した人々のことを描いてはおらず、孤独な人生を歩んでいる姿や、愛と悲しみ、人生の悲哀を背負い込みながらも希望を失わずに生きていく様子などが描写されていて、確かに時代性や社会性は反映されてはいないものの、人間としてのいつの時代でも変わらない不変性、道徳性や尊厳性などがテーマになっている。そういう意味では、スプリングスティーンの吟遊詩人のようなストーリーテリングの妙技が味わえるのである。だから、”アメリカの良心”とも言われるスプリングスティーンの本領が発揮されたアルバムといってもいいと思う。

 そして音楽性については、これは賛否両論あるに違いない。特に、オーケストラの導入に当たっては、本当に必要だったのかどうかが吟味されるだろう。個人的には、もう少しアコースティック色を強めてもらって、その上でアクセントとして導入もありかなと思ってはいるのだが、スプリングスティーンの声質とオーケストラがマッチングするのだろうかと疑心暗鬼だった。

 ただ、基本的にスプリングスティーンのソロ・アルバムは抑制されていて内向的だったし、今回はバート・バカラックの名前まで引き合いに出してアルバム作りを行っていたのだから、オーケストラが目立つのも仕方がなかったのだろう。71rtf1oltol__sl1200_

 冒頭の"Hitch Hikin'"から西部への旅が始まる。アコースティック・ギターのアルペジオから低く響くストリングスに繋がれて、その中でスプリングスティーンの声がこだましている。この曲はアルバムの導入曲だろう。そしてアルバムの方向性を示している。
 続く"The Wayfarer"から徐々にオーケストレーションが顔を出してくる。"Wayfarer"とは高速道路で料金を払う人のことを指していて、それを街から街へ流れて行くというから、”さすらい人”という意味になるのだろう。
 ここでのオーケストレーションは少し抑え気味のようで、間奏では聞かせてくれてはいるものの、あくまでも”ちょっとしたアレンジ”といった味付けだった。ただこの曲に必要なのかというと、そこは個人の見解に左右されると思った。

 アリゾナ州トゥーソンからの恋人を待つ労働者のことを歌った"Tucson Train"では、もう少しオーケストラが目立ってくる。ミディアム・テンポの曲にオーケストラが絡むとどうしても目立ってしまうようだ。ただそんなに違和感があるかというと、個人的にはそうは思わなかったが、これも個人の見解だろう。
 そしてアルバム・タイトルの曲"Western Stars"が始まるのだが、この曲は素晴らしい。かつてはジョン・ウェインとも共演した西部劇の役者が酒浸りの生活を送りながらも、いまだに端役で映画に出続け何とか糊口をしのいでいる物語だが、これがバラードのせいもあるだろうが、結構泣ける話なのである。ここでのオーケストレーションは似合っていると思った。

 軽快な"Sleepy Joe's Cafe"ではアコーディオンやオルガンも使用されていて、何となくメキシコ音楽のテックスメックスのような気がした。しかもポップなのだ。ジミー・ウェッブやグレン・キャンベルの影響を受けているのだろうか。
 "Drive Fast"には"The Stuntman"というサブタイトルがついていて、文字通り、映画やドラマのスタントマンのことを描いた曲。ゆったりとしたややスローな曲で、スタントマンとしての悲哀や先の見えない仕事への嫌悪と愛着、愛憎あわせ持った主人公の内面が丁寧に描かれていて、これもまた佳曲である。決して目立たない曲だが、こういう曲のおかげで"Western Stars"などの曲が目立つのだろう。

 土地管理の仕事を請け負い、野生の馬を追いかけている"Chasin' Wild Horses"では、スティール・ギターとオーケストラの絡みが印象的だ。オーケストラの空間的な広がりをバンジョーやスティール・ギターが支えている。こういうアレンジは、スプリングスティーンのアルバムでは珍しいのではないだろうか。
 "Sundown"とは実際の地名なのだろうか。よくわからないのだが、愛する人を待ち焦がれながらも一人で暮らしている男の姿が何とも哀愁をそそるのだが、このアルバムでは珍しくスプリングスティーンの熱唱を聞くことができる。スプリングスティーンが声を張り上げて歌えば、当然のことながらオーケストラも一緒に盛り上げようとする。こういうところは、バート・バカラックを見習ったアレンジなのかもしれない。

 一転して"Somewhere North of Nashville"では、再びアコースティック・ギターがフィーチャーされて静かなバラード調になる。ナッシュビルにやってきた男は何をしでかしたのだろうか。1分52秒と非常に短い曲でもある。
 ”今朝目覚めたら、口の中に石が入っていた。それは私がついた嘘の数でもある”と歌われる"Stones"。このバラード曲でもオーケストレーションが施されていて、重厚な作品に仕上げられていた。ただ、個人的にはできればアコースティックな作品として聞いてみたかった。そうするともっと生々しい感情が伝わってきそうな気がしたのだ。

 "There Goes My Miracle"というと何となく期待を持たせるような明るい内容のようだが、スプリングスティーンの声は高らかに響くものの、歌詞的には”私の奇跡が逃げていこうとしている、私は探している”というあまり楽しくないものだった。この時のオーケストレーションはかえって悲惨さを醸し出しているようだ。
 最初にシングル・カットされたのがメジャー調の"Hello Sunshine"だった。確かに明るいポップな曲で、ジミー・ウェッブやグレン・キャンベルが歌っても違和感はないと感じた。しかし、これも”日の光よ、ここにいてくれ”と哀願するような内容で、あえて明るく歌われている。バックのスティール・ギターとオーケストレーションがここでもマッチングしていた。

 最後の曲が"Moonlight Motel"だった。日の光の次は月光ということだろうか。この曲はエンディングを飾るに相応しいアコースティック・ギターがメインの曲だった。スプリングスティーンの西部の旅は安っぽい場末のモーテルで締めくくられるのだが、もちろんここで終わるのではなく、一休みした後、また孤独の旅路へと出かけるのだ。そのための安息の場所なのだろう。スプリングスティーンのバラードはどれも心揺さぶられるものだが、この曲もまた彼の名曲リストに加えられるのだろう。1862020190809160550 このスプリングスティーンのアルバムは、前々回のマドンナのアルバムと同じように、賛否両論だろう。特に、2曲目の"The Wayfarer"から4曲目"Western Stars"にかけてと、"Sundown"や"There Goes My Miracle"などではオーケストレーションが目立っていて、中には確かにフランク・シナトラ張りの熱唱といわれても仕方がないほどだ。
 ただ、それが似合っていないのかというと、決してそうではなくて、全体を通して聴き込めばそんなに違和感は生まれない。変な偏見が心のフィルターを汚してしまうのかもしれない。ただ、個人的には「ネブラスカ」のように、フル・アコースティック・セットで聞きたかった。あの「ネブラスカ」と比べても、メロディーや物語性などは決して遜色ないと思っている。

 そして、今後もこの方向性をたどるのかというと、決してそんなことはないだろう。あくまでも今回はジミー・ウェッブやバート・バカラックの音楽性を踏襲したもので、決してロックン・ローラーとしての自分を忘れたわけではない。思えばスプリングスティーンは、70年代の頃から数年おきに「ネブラスカ」のようなアコースティック・アルバムを発表していて、ロックン・ローラーとしての自分とシンガー・ソングライターの自分とのバランスをとってきた経緯がある。今回は、それがオーケストラをバックに歌うシンガー・ソングライターとしてのアルバムになっただけだろう。51ptop8emnl

 ちなみに、この「ウエスタン・スターズ」は全米アルバム・チャート第2位、全英アルバム・チャートでは1位を記録した。スプリングスティーンは、このアルバム用のツアーは行わずに、かわりにEストリート・バンドと一緒にスタジオでアルバムを制作し、新作を今年中にも発表するつもりでいるようだ。

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2019年9月23日 (月)

プリンスの新作

 「今年の上半期に印象に残った新作アルバム」シリーズの第5弾は、プリンスの新作「オリジナルズ」についてである。ご存知のように、プリンスは、2016年の4月21日に57歳の若さで亡くなっている。だから当然のごとく、生前にレコーディングしていたものが編集されてアルバムとして発表されたのだ。ちょうど、ジミ・ヘンドリックスの新作アルバムが発表され続けているようなものである。昨年は「ピアノ&ア・マイクロフォン1983」という秘蔵音源集が発表されたが、今年はこの「オリジナルズ」だった。毎年1枚ずつ発表され続けるのだろうか、そうなったらプリンスの場合は、全部発表するとしたら恐らく四半世紀はかかるだろう。71dnzvubsl__sl1500_   今回発表されたアルバム「オリジナルズ」には明確な趣旨が備わっていて、基本的には1981年から85年にかけて、つまりプリンスがまさに世界的なアーティストとして上り詰めていくその過程で作られた曲であり、しかも他のミュージシャンに提供した楽曲で占められているというものだった。だからその趣旨に沿って聞くならば、まさにオリジナル楽曲で編成されたオリジナル・アルバムといっても過言ではないだろう。

 それに他のミュージシャンに提供された曲とはいえ、このアルバムで聞くことのできる曲は、すべて単なるデモ・テープという範疇を越えていて、このまま世の中に出しても全く違和感のない、まさに彼の新作といってもおかしくない統一感と芸術性が添えられているのである。あらためてプリンスの凄さを認識させられるものばかりであり、これはプリンス・ファンなら当然のこと、ファンでなくても80年代を過ごした洋楽ファンなら、一度は耳を傾けてもいいアルバムではないかと思っている。

 アルバムは全15曲、時間にして約63分以上というボリューミーなもので、昨年の4月に先行発表された"Nothing Compares 2 U"以外は、すべて未発表音源の曲だった。
 しかし、ここまで完璧な形で残しておかないと気が済まなかったプリンスというミュージシャンは、やはり天才であり、完璧主義者だったのだろう。むしろ送られた方のミュージシャンの方は、このオリジナル・デモ・テープを超えるほど自分の中で咀嚼するのは困難だったのではないかと考えている。61z9me0iufl__sl1200_

 はっきり言ってしまえば、このプリンス・バージョンをそのままなぞった方が売れるのではないかとか、下手にアレンジをして楽曲の良さを壊してしまうのではないかとか、そうなると殿下の機嫌を損なってしまってもう二度と相手にされなくなるのではないかとか、いろいろと考えてしまうのではないかと想像してしまう。だから送られた方も冷や冷やしながら緊張感をもってレコーディングしたのではないだろうか。あるいは出来上がったものでも、むしろプリンスのデモ・テープの方が良かったと思われる可能性もあるため、むしろこの新作を封印してほしいと願っていた人たちもいるのではないかと邪推してしまうのである。

 1曲目は"Sex Shooter"で、これはアポロニア6に提供されたもの。アポロニア6は3人組の女性コーラス・グループで、ちょうどモータウンのダイアナ・ロスが所属していたシュープリームスを想像してみるとわかりやすい。プリンス版シュープリームスもしくはロネッツだろう。曲のイントロを聞くだけで、80年代の時代に連れて行ってくれる。また、映画「パープル・レイン」を思い出してしまう。映画は散々非難されていたけど、アルバムは全世界的に大ヒットした。ちなみにこの曲は、シングル・チャートで85位、R&Bチャートで7位を記録している。File

 続く"Jungle Love"はザ・タイムのために用意されたもので、オリジナルは1984年に発表され、ビルボードのシングル・チャートで20位を記録した。ボーカルとギターのパート以外はプリンスが演奏していた。
 ザ・タイムは、元々は”フライト・タイム”という名前で活動していたのをプリンスに見出され、”タイム”と改名した。途中参加したモーリス・デイという人がボーカルを担当していた。映画「パープル・レイン」の中では、プリンスのライバル・バンドとして扱われている。29aa087bc9b94142a0615f71af7bf848

 "Manic Monday"のオリジナルは、1986年に女性4人組バンドのザ・バングルスが発表し、世界中で大ヒットした曲。イギリスとアメリカのシングル・チャートでは、両方とも2位を記録した。本当はアポロニア6が歌うはずだったんだけれども、解散状態になってしまったのでザ・バングルスに提供された。当時はプリンスとバンド・メンバーのスザンナ・ホフスが付き合っていたとかいないとか言われていた。Bangles

 "Noon Rendezvous"は、プリンスと当時の恋人だったシーラ・Eの共作曲。シーラ・Eは現在61歳、かつてはジョージ・デュークのバンドに所属してパーカッションを担当していたし、セッション・ミュージシャンとしてもダイアナ・ロスや高中正義、ライオネル・リッチーなどのアルバムにも参加していた。プリンスにはカルロス・サンタナを通して紹介された。このバラード曲は1984年の彼女のデビュー・アルバム「グラマラス・ライフ」に収録されていた。Sheilaeamaslive1985billboard1548

 続く"Make Up"は、ヴァニティ6に提供されたもの。ヴァニティ6も3人組の女性コーラス・グループで、カナダ出身のヴァニティという人を中心に活動していたが、プリンスとヴァニティの仲が悪くなって彼女は脱退してしまう。本来なら映画「パープル・レイン」に出演予定だったのだが、ヴァニティの代わりにアポロニアが加入してアポロニア6になった。ちなみにヴァニティ(本名デニス・クリスティーナ・マシューズ)は長年の薬物中毒のため肝臓がんを併発し、2016年の2月に57歳で亡くなった。プリンスの亡くなる約2か月前だった。61qjdwggzl__sy355_

 "100MPH"は、マザラティというバンドに送られた曲で、1986年にシングル・チャートの19位になり、バンド唯一のヒット曲になった。プリンスのアルバム「パレード」のアウトテイクといわれている。マザラティはプリンスのバンドにいたベーシストのブラウンマークという人が結成したバンドで、アルバムを2枚残していて、そのうちの1枚はモータウン・レコードからカナダ限定で発売されている。Maxresdefault

 "You're My Love"は、ミディアム・テンポのラヴ・ソングで、何故か1986年にケニー・ロジャースが歌ってヒットさせた。プリンスはこの曲を1982年にレコーディングしていて、その後何度かアレンジを繰り返していたらしい。こういうまっとうなラヴ・ソングも書けるところがプリンスの凄いところである。Kennyrogers0042

 リズミカルでダンサンブルな"Holly Rock"もシーラ・Eとの共作で、彼女が出演していた1985年のヒップホップ映画「クラッシュ・グルーヴ」の中で彼女が歌っていた。プリンス版の方は、暴れるパーカッションとともに、サックスが元気良くて走り回っている。

 "Baby, You're A Trip"はジル・ジョーンズという女性ミュージシャンに送られていて、感涙もののバラードになっている。彼女は、元々はプリンスのバンドでバック・コーラスを務めていた。また、映画「パープル・レイン」ではウェイトレス役を演じていた。1987年にソロ・アルバムを発表し、現在でも活躍中である。1980年から93年頃まで、公私ともにプリンスと親しかったようだ。R9030051171248007_jpeg

 "The Glamorous Life"はシーラ・Eに、"Gigolos Get Lonely Too"はザ・タイムに送られたもので、前者は1984年にポップ・チャートの7位、ダンス・チャートでは1位になり、後者は1983年に発表されR&Bチャートで77位を記録している。シーラ・Eのデビュー・アルバムは28位まで上昇したから、この同名シングルも売れたのだろう。"Gigolos Get Lonely Too"の方は、なかなかのバラード曲なのだがあまり売れなかった。ザ・スタイリスティックスのような男性ボーカル・グループの方が適していたのかもしれない。

 "Love...Thy Will Be Done"は、1991年のマルティカのセカンド・アルバム「マルティカズ・キッチン」に収められていたもので、プリンスは彼女の祈りの言葉にメロディを付けたと言われている。イギリスでは9位を、アメリカでは10位になり、オーストラリアでは堂々の首位を飾っている。マルティカは女性シンガーで女優でもあり、元はアイドルとしてデビューしたが、このセカンド・アルバムのヒットの後しばらく休養していた。21世紀になって活動を再開し、古くからのファンをホッとさせている。41yaztkzrwl__sy355_

 "Dear Michaelangelo"もシーラ・Eとの共作曲で、彼女らしいパーカッションを生かしたリズミカルなナンバーだ。彼女の1985年のアルバム「ロマンス1600」に収録されていた。"Wouldn't You Love to Love Me?"は、タジャ・シヴィルというミネアポリス出身の女性シンガーに送られたもの。同郷のよしみでデビューさせたのかどうかは不明だが、バークリー音楽学院卒業なので、音楽的な素養は確かなものを備えていたのだろう。デモ・テープを聞いたプリンスがデビューさせたというラッキー・ガールだった。このワイルドなアップテンポの曲のプリンス・バージョンの方は、1976年に作られ、1981年にロサンジェルスでレコーディングされた。タジャの方は、1987年の彼女のデビュー・アルバムに収録されている。R106663713662268003086_jpeg

 最後の曲"Nothing Compares 2 U"については何も付け加えることはないだろう。1990年にアイルランド出身のシンニード・オコナーが涙を流しながら歌って大ヒットさせた曲のモト歌だ。本当はザ・ファミリーというバンドにプリンスが提供した曲。ザ・ファミリーはザ・タイムからボーカルのモーリス・デイが抜けた後を引き継ぐ形で結成されたバンドで、残念ながらアルバム1枚で解散してしまった。ただ2009年に「エフデラックス」という名前で再結成され、アルバムも発表している。ザ・ファミリーの方ではベース担当のポール・ピーターソンが歌っていた。 The-family

 とにかく、プリンスの新作だよと言われて渡されても、全く違和感のないアルバムだ。さすがに打ち込みのデジタル・ビートは時代を感じさせるものの、曲の質感やバラードにおけるメロディーの美しさ、タイトなリズムなど、21世紀の今でもタイムレスな内容なのである。
 しかも当時のプリンスは、「1999」や「パープル・レイン」など、彼の代表作が制作された時期でもあり、それに映画製作やアルバム発表に伴うツアーなども行われていた時でもあった。そういう多忙な時期において、他の人のために曲を作り、しかもほぼ完璧に仕上げてデモ・テープにまとめているのだから、時間が何時間あっても足りなかったのではないだろうか。1346148493_300x300

 上記にもあったジル・ジョーンズという人がインタビューに答えていたけど、夜中の3時頃にプリンスから電話があって、今すぐスタジオに来て歌ってほしいと頼まれたことが何度もあったそうだ。携帯電話などのない時代だから、枕元に電話機を引っ張ってきて寝ていたといっていた。まさに天才たる所以であろう。だからこそ神は召されたのかもしれない。彼が逝ってから3周年、このアルバムは天国からの贈り物に違いないと思っている。

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2019年9月16日 (月)

マドンナの新作

 今年の8月でめでたく61歳になったマドンナの新作である。タイトルは「マダムX」というもので、とても年齢を感じさせない内容に仕上げられていると書きたいところだが、今までのダンス系ミュージックとは違って、おとなしめの曲が多く、少し路線を変えている。この辺は好き嫌いの別れるところであろう。そういう意味では問題作でもある。ただ、アルバムに含まれているメッセージ性は、相変わらずアグレッシヴで強烈なパワーを秘めている。コンセプトは次のようなものだ。
「マダムXは秘密諜報員
世界中を旅してまわり
自己を変えていく
自由のために闘い
暗闇の場所に明かりをもたらす
彼女はチャチャのインストラクター
教授であり
元首であり
主婦であり
騎手であり
囚人であり
学生であり
教師であり
尼僧であり
キャバレー歌手であり
聖人であり
娼婦である」

 過激で先鋭的、だれも思いつかないことを思いつき、それを実行する。とても61歳とは思えないマドンナの、衝撃的で強烈なメッセージを含んだセクシーなアルバムである。今回の「上半期の印象に残ったアルバム」は、マドンナの14枚目のスタジオ・アルバム「マダムX」の登場だ。81ehe06jy1l__sl1500_

 アルバム・ブックレットによると、マドンナは生活の拠点を今はポルトガルのリスボンに置いているという。養子にしている次男がプロ・サッカー選手の育成のための施設に入ったためだそうだ。年間数十億円も稼ぐマドンナだから、どこでも暮らすことは可能だろう。だからこのアルバムは、ポルトガルのリスボンやイギリスのロンドン、アメリカのニューヨークとロサンジェルスなどでレコーディングが行われた。さすが天下のマドンナ、時間も距離も超越したような仕事ぶりである。

 それで、リスボンで生活しているせいか、ポルトガル語を始め、デビュー初期からも使用されていたスペイン語、英語などで歌っているし、曲によっては他のミュージシャンとコラボレーションをしながら曲作りやパフォーマンスを行っている。このあたりも世界を股に掛けた活動である。マドンナの辞書には不可能という文字は見当たらないような感じがする。

 一聴した感じでは、前作までのダンス・ミュージック中心の作風が影を潜めたようで、ある意味、年齢に相応しく落ち着いた楽曲が目立っているように思えた。ただ、曲はバラエティ豊かで様々な音楽的要素を含んでいるし、歌詞のメッセージ性は今という時代を反映したものになっていて、とてもその辺のミュージシャンと比較にならないほど扇情的だ。
 こういう意識感覚は、彼女の生来的なものだろう。彼女の持つ功名心や反骨心、闘争心などは年齢を重ねて言っても消えることはない。むしろ高まってきているようだ。そこがマドンナのマドンナたる所以だろうし、それを失ったらマドンナではなくなるだろう。まさにマドンナのアイディンティティが十二分に発揮されたアルバムだともいえるのだ。

 アルバムは"Medellin"という曲で始まるが、これがまた何と”チャチャ”というダンスとレゲトンというヒップホップに影響を受けたプエルトリコ産の音楽を融合したものになっていて、時代の流れに鋭敏なマドンナの嗅覚の鋭さを感じさせてくれた。タイトルは、コロンビアの第2の都市の名前を意味していて、そこで出会ったマドンナと地元の青年との恋愛という設定のもと、掛け合いで歌っている。

 地元の青年というのは、マルーマというコロンビアを代表するミュージシャンで、PVでも登場している。25歳の男性と当時59歳の女性との恋愛は、一般常識ではありえないように思えるが、そこはマドンナ、不可能はないのであろう。Maluma ちなみにメデジンはかつては麻薬王が仕切っていた都市で、治安が悪く日本人旅行者も殺害されたところだが、実際は親日家が多く、街全体でイメージ回復を図っており、2013年には「世界で最も革新的な都市コンテスト」の1位に選ばれたこともあるところだ。

 "Dark Ballet"というのはバレー音楽ではないのだが、内容がフランスの救国の英雄ジャンヌ・ダルクのことについて述べていて、確かにバレーを意識したような中盤でのブレイクや語りが挿入されている。そういう意味では、絵画的でもあり映像的でもあるのでイメージを浮かべやすい曲になっている。
 続く"God Control"は、タイトルでは"God"になっているが、PVを見ると、明らかに"Gun Control"(銃規制)のことについて歌っている。今のアメリカの現状に警鐘を鳴らしているというか、明確に反暴力、反現政権を前面に打ち出していて、マドンナらしい楽曲だ。このアルバムの中ではリズミカルでダンサンブルなものになっている。

 4曲目の"Future"ではジョージア州出身のクエイヴォというラッパーの人と共演していて、全体的にはレゲエのリズムである。ミディアム・テンポで流れて行き、ラップの部分も高速マシンガンではなく、丁寧に歌われている。このあたりが前作や前々作とは違う点だろう。B320452ec5924db690b5f3082857d435  次の"Batuka"は力強いドラムのビートから始まり、人生における問題や葛藤、宗教的な信念などが語られるが、タイトルのバトゥーカというのはアフリカの打楽器のことで、曲の導入の部分も含めて、全編にわたりこのバトゥーカが使用されている。アフリカン・ビートとでも言えばいいのだろうか。

 さらにまた問題作ともいえる"Killers Who Are Partying"では、一転してバラードっぽくなるものの、歌詞の方はセンセーショナルでもある。
「男性同性愛者が焼かれるなら
私は男性同性愛者になろう
アフリカが撃たれるなら
私はアフリカになろう
貧しいものが侮辱されるのなら
私は貧しいものになろう
子どもが搾取されるのならば
私は子どもになろう
私は自分が何者か知っている
そして自分が何ものでないかも知っている」

 こういう出だしで淡々と歌われて行く。中にイスラムが嫌われるのならイスラムになろうと言っているし、それと敵対するイスラエルに対しても庇護する姿勢を示している。まさに博愛主義者というか世界市民的な平和主義者の面も打ち出している。さすがマドンナ、このアルバムのテーマに相応しく、聖者もしくは修道女の部分を明示しているのだろう。

 "Crave"もまたバラード系の曲で、アコースティック・ギターで導かれ、途中から手拍子とスウェイ・リーというLA生まれでミシシッピー育ちのラッパーとのデュエットに繋がっていく。このスウェイ・リーという人は、レイ・シュリマーという兄弟ラッパーの弟の方で、来日経験もあるミュージシャンだ。この曲はメロディアスで美しい恋愛の曲で、マドンナのピュアな感情が切々と歌われている。このアルバムからの第2弾シングルとして発表された曲でもある。Swaelee
 一転して"Crazy"では恋愛の終わりが歌われていて、あなたは私をクレイジーと思っているのでしょうけど、もうあなたに心を乱されないわという決別の歌になっている。この曲もまたスローなバラード系で、確かに恋愛についての曲なのでおとなしめになるのかもしれないが、何となく今までのマドンナらしくないと思ってしまった。

 次の"Come Alive"では、少しビートが強調されているが、曲全体としての躍動感はない。むしろ言葉の響きが面白くて、同じ言葉を重ねて歌うところの方がリズミカルで印象的だった。むしろそちらの方に焦点があてられた曲なのだろう。この曲も4分くらいしかない短い曲だった。

 後半も他のミュージシャンとのコラボが続く。"Faz Gostoso"ではブラジル出身のアニッタという人と一緒に歌っていて、さすがブラジルだけあってブラジリアン・ミュージック全開、久々にノリのよい曲にこちらもうれしくなってしまった。このアニッタという人は若干26歳で、歌も歌うし曲も書き、踊って映画にも出演するという才女らしい。マドンナは、かつての自分の姿を彼女の中に見出したのかもしれない。Pdpj6int38kq6ktq

 "Bitch I'm Loca"では、冒頭の曲"Medellin"にも登場したマルーマが再び参加して歌っている。リズムはレゲエだが、それにマドンナの歌とマルーマのラップが絶妙に絡みついてくる。ただこの曲もミディアム調なので、ラップもそんなに早くはない。聞かせる曲として作ったのだろう。逆に、次の"I Don't Search I Find"の方がテンポが良い。ただ全体的にアンビエントなムードが漂っていて、摩訶不思議なダンス・ミュージックになっている。ブライアン・イーノ+ディスコ・ミュージックといった感じだろう。

 そして、アルバムでは最後の曲になる"I Rise"では、マドンナの決意表明が歌われている。曲の冒頭では、フロリダ州のダグラス高校で起きた銃乱射事件の生存者のスピーチの一部が引用されていて、そこから”私は立ち上がる 私は上を目指す 私たちは一緒ならできるはず”と力強いビートに乗ってマドンナは訴えてくるのであった。3分44秒しかない短い曲ながらも、そこには強いパワーが秘められている。このアルバムから第3弾シングルになった曲だった。71hplmyqlql__sl1162_

 4年振りのスタジオ・アルバムであり、還暦を迎えたマドンナではあるが、いささかの衰えはそこにはない。今回のアルバムでもソングライターとしてすべての曲に関わり、プロデューサーとしてもフランス人のミルウェイズやアメリカ人のマイク・ディーンらと協力しながら全曲に参加していた。Madonnna  ただ気がかりなのは、中盤にスローなバラード系が多く配置されていて、アルバム全体としては、今までのノリノリダンス系からしっとりとした聞かせるものになっている点だろうか。ひょっとしたら年齢が年齢だけに、キレッキレのマドンナのダンスも見られなくなるのかもという不安はある。それは今回だけの方針なのか、それとも今後こういう路線を歩んでいくのか注視していきたい。いずれにしてもマドンナ、そのメッセージ性については、どれだけ年齢を重ねていっても、括目させられるのであった。

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2019年9月 9日 (月)

アフリカ・スピークス

 今年の上半期に発表されたアルバムの中で、気になったものを記している。今回で3回目だが、一気に知名度が上がっていく。何しろサンタナなのだから、これはもう正座をして聞いてもおかしくないだろう。800x_image  今年はウッドストックから50年目の佳節だった。本当はその聖地ウッドストックで、当時のミュージシャンやバンドを中心にニュー・フェイスも含めて大々的なイベントを行う予定だったのだが運営上うまくいかず、結局、イベント自体は取りやめになってしまった。残念なことではあるが、大物ミュージシャンが参加を避けたので集客の見込みが立たなくなったようだ。その中にはサンタナも含まれていた。ただ、サンタナやジョン・フォガティなどは、8月15日から行われる非公式のライヴ・イベントには参加すると表明していて、昔からのファンを安堵させていたが、果たしてどうなったのだろうか。

 そのサンタナだが、今年の1月には5曲入りのミニ・アルバムを発表しているし、6月には11曲入りのフル・レングスのアルバムを発表した。カルロス・サンタナ自身は72歳になるが、その創作意欲には翳りは見えないようだ。
 そのアルバム「アフリカ・スピークス」は、サンタナ・バンドにとっては25枚目のスタジオ・アルバムにあたり、ウッドストック50周年記念を祝うように発表された。全11曲、64分余りの内容になっていて、日本国内盤には2曲のボーナス・トラックが含まれていたから、それを入れると75分以上にもなる。ボリュームいっぱいのアルバムに仕上がっている。812fqut3v7l__sl1400_

 アルバム解説書には、10日間で49曲をレコーディングしたと書かれていたが、72歳にしてこのエネルギーには脱帽してしまう。まるで20代と変わらないパワーを保っているようだ。
 そして今回のアルバムのプロデューサーは、リック・ルービンだった。リック・ルービンといえば、ビースティー・ボーイズやレッド・ホット・チリ・ペッパーズ、メタリカにブラック・サバスなど、ヒップ・ホップ系からヘヴィ・メタル系まで幅広いミュージシャンやバンドと一緒にやっているが、今回はカルロス・サンタナの方から一緒に仕事をしてみたいと声をかけたようだ。

 リック・ルービンはデモを数曲聞いて感動し、ぜひ一緒にということで、リックの所有するスタジオにバンドを呼んでレコーディングを行った。このスタジオはフロリダのマリブにあり、シャングリラ・スタジオといって、ザ・バンドの「南十字星」や「ザ・ラスト・ワルツ」、エリック・クラプトンの「ノー・リーズン・トゥ・クライ」などがレコーディングされた場所としても有名だ。

 リック・ルービンというプロデューサーは、ミュージシャン側に自由に創作させようとするタイプで、曲自体についてはあまり細かな指示を与えないそうだ。カルロス・サンタの言葉を借りれば、”とても礼儀正しくて紳士的で、作業中は相手の領域というものを尊重してくれる”そうである。
 しかもほとんどの曲をワンテイクで録音していて、それだけスタジオ内の雰囲気がよく、同時にライヴの感覚を重視した音作りを目指したのだろう。また、基本的にカルロス・サンタナという人は、”即効性”と”自発性”を重視していて、あまりにアレンジ等にこだわってしまうと良い曲がつまらなくなってしまうのだという。だから最初のテイクが常にベスト・テイクだと信じているのである。何となくジャズにおける即興性重視みたいに聞こえてくるのだが、彼がジョン・マクラフリンやマイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコックなどとコラボレーションしているのも、ジャズのような即興性を求めているのかもしれない。

 それで今回のアルバムは、タイトルからも分かるように、アフリカン・ミュージックを意識したものになっていた。カルロス・サンタナは、アフリカの音楽は癒しの音楽であり、世界が殺伐として人々が周囲の出来事に関心を持たなくなってきた現代にこそ耳を傾けるものだと述べていて、世界中の誰が聞いても気分を高揚させ、気持ちを和らげる魔法のようなものと力説していた。

 確かに人類の祖先はアフリカ大陸にあり、そこから枝分かれしているし、今のロック・ミュージックも元はといえば、アフリカから強制的に連れてこられた人たちとヨーロッパからの移民の音楽がミックスされてできたものである。ある意味、原点回帰とも言うべき音楽であろう。

 それにしても、カルロス・サンタナは弾きまくっている。72年の傑作アルバム「キャラバンサライ」の頃よりも弾きまくっているように聞こえてくる。
 まず1曲目の"Africa Speaks"だが、コンガなどのパーカッションが思わせぶりな前奏を形作り、やがて官能的なカルロス・サンタナのギターがつま弾かれる。単純な発想で申し訳ないが、密林を探索中に奥から聞こえてくる太鼓の音を頼りに中に入っていくとサンタナがいたというような感じである。この曲はまだ序章のようで、次の"Batonga"からサンタナは自己主張を始めるのだ。
 
 どの曲でもサンタナのトレードマークとも言うべきあの情熱的で官能的なギター・サウンドを聞くことができる。"Batonga"ではキーボードの掛け合いも聞くことはできるのだが、後半はカルロス・サンタナの独壇場である。3曲目の"Oye Este Mi Canto"ではカルロスのギターと同様に、ボーカルのブイカも目立っている。Buika31000x1500e1509484434754

 ブイカという女性ボーカリストが今回はフィーチャーされていて、スペインのマヨルカ島出身の47歳で、グラミー賞にもノミネートされたことのあるラテン系のジャズ・ボーカリストだ。最初声を聞いたときは、男性かと思ったほどパワフルで凄みをきかせてくれている。
 カルロス・サンタナとは面識もなかったのだが、彼が誰かいいボーカルはいないかなとyou tubeで検索していた時に、彼女を発見して声をかけたそうだ。そりゃ、カルロス・サンタナから声をかけられれば、断る人はそんなにいないでしょうというもので、ブイカは歌詞とボーカルのメロディを書き上げたそうである。さすが才能あるミュージシャンは、いつ声をかけられても即座に対応できるようだ。これにはカルロス・サンタナも感動したようで、当初の予想以上に素晴らしい楽曲に仕上がったと妻と一緒に満足したという。

 ちなみにカルロス・サンタナの妻シンディ・ブラックマンは、サンタナではドラムスを担当していて、2人は2010年に結婚している。また、このアルバムでは前妻の息子のサルバドール・サンタナが7曲目の"Breaking Down the Door"でキーボードを担当している。
 ということで、今回のアルバムはギターのカルロス・サンタナとボーカリストのブイカがフィーチャーされていて、ほとんどの曲ではスペイン語で歌われている。ある意味、”双頭的な”アルバムだと思っている。4曲目の"Yo Me Lo Merezco"でも最初はゆったりとした歌い出しだが、徐々にピッチが上がっていき、最後はカルロス・サンタナにスポットライトがあてられるのだった。

 そして英語のタイトルの曲では英語で歌われているのだが、ブイカが歌うと英語も何となくスペイン語風に聞こえてきて、そうすると全部がスペイン語で歌われているのではないかと錯覚してしまう。一応、"Blue Skies"と"Breaking Down the Door"という曲が用意され、後者はシングルとしても発売され、確かにポップで聞きやすいし、カルロス・サンタナのギターも抑え気味である。アコーディオンやトロンボーンが使われていて、メキシコの結婚式かお祝い事でみんなが集まって歌っているかのようだ。こういうポップ・センスを忘れないサンタナはやはりつわものである。Santana__buika_photo_1_by_maryanne_bilha  また、"Blue Skies"でのギター・ソロは鳥肌もので、まるで全盛期のクラプトンのようにハードなのである。カルロス・サンタナの場合は、年をとればとるほどギター・ロック路線に移行するのだろうか。

 一方で、"Los Invisibles"では、マルーン5と共作したようなフレーズも飛び出してくるし、"Luna Hechicera"では少しレゲエっぽい雰囲気も味わえる。それでもカルロス・サンタナのギターはブレずに主張しているところが素晴らしい。曲調は違っていても、どこを切ってもサンタナ節なのである。

 "Europe"や"Moonflower"のようなインストゥルメンタルはないものの、"Bembele"はテンポのよい哀愁味があって、その種の系列に含めてもいいような気がした。
 ただ、サンタナといえば"ラテン・ロック"というイメージが強いのだが、今回のアフリカにインスパイアされたアルバムを聞いて、特にアフリカン・ドラムが使われているとか、民族楽器やアフリカ独特の旋律が使用されているというわけではなく、今までのサンタナのアルバムと比べてみてもそんなに違和感はない。61ymyf9dbl

 たぶんそれは、サンタナの音楽とアフリカの音楽とが深い次元で結ばれているからだろう。深い次元というのは、陶酔感や高揚感が両者の音楽に含まれていて、聴く人の精神の覚醒や心の傷を治すヒーリング効果を秘めているからだろう。そういう意味では、今回のこのアルバムも"アフリカ"というテーマの元での癒しの旅なのかもしれない。ちょうどラクダの隊商が月の夜に砂漠をわたっていったように。

 サンタナは現在、このアルバムのプロモーションを兼ねてツアーを行っており、今年は無理だが、来年か再来年には日本に来たいといっている。できれば「ロータスの伝説」のようなライヴを期待したいし、今のサンタナならそれ以上の興奮と熱狂とパフォーマンスを発揮できるのではないかと思っている。

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2019年9月 2日 (月)

ホージアの新作

 「今年上半期の気になった新作シリーズ」の第2弾は、アイルランド出身のシンガー・ソングライター、ホージアの新作である。このホージアという人は3年前にもデビュー・アルバムについて、このブログでも取り上げていた。期待の大型新人として紹介したつもりだったが、ここ日本ではイマイチ盛り上がりに欠けていたようだった。日本でも海外のシンガー・ソングライターは受けないのだろうか。受けるのはバンド活動をしている人たちやエド・シーランぐらいかもしれないなどと思っていた。1

 前回にも書いたけれど、ホージアのシングル"Take Me to the Church"は2013年に全米2位を獲得し、翌年のデビュー・アルバム「ホージア」は全英で3位、全米では2位まで上昇した。母国アイルランドでは、当然のことながら首位に輝いている。また、2014年度のグラミー賞の"Song of the Year"にもノミネートされていた。
 それほどの人気なのに、何故か日本では一部で盛り上がってはいるものの、いま一つパッとしない。これはきっと国内盤が発表されなかったからではないか、そして発表されないから当然のことながらプロモーション不足ではないかと思っている。無名の新人については国内盤が出されるのに、これほど実力あるミュージシャンが冷遇されているのは腑に落ちないのである。81nsetbgiol__sl1500_

 前回も書いたけれど、もう一度、簡単に彼のプロフィールを紹介したいと思う。現在は29歳のホージアは、父親の影響で幼い頃から音楽に親しんでいた。父親はブルーズ・ミュージシャンで普段は銀行で働きながら、夜はパブや、声がかかれば地方のスタジオなどでドラムを叩いていたようだ。
 ホージア自身も15歳頃から曲を書き始め、高校卒業後はダブリンにあるトリニティ・カレッジで音楽を専攻した。しかし、学校生活に馴染めなかったのか、あるいはプロとしての意識が芽生えたからなのか、1年で退学して作曲に専念したり、デモ・テープ作りを行うようになって行った。ただ、退学しても合唱団に所属し、人前で歌うことは心がけていたようだ。
 2013年に5曲入りのEPを自主制作すると、その中に収められていた"Take Me to the Church"がインターネットで評判になり、あれよあれよという間に世界中でヒットしていったのである。まさに、この辺はシンデレラ・ストーリーだろう。

 この"Take Me to the Church"という曲は、性的マイノリティーに対する教会側の方針に対して異を唱えるもので、特にアイルランドでは、昔から権力側にいた教会が、マイノリティーの人々や他宗派の人たちに対して、偏見をもって接していたようだ。ホージア自身はアイルランドでは珍しい少数派のプロテスタントに属していたから、カトリックであれプロテスタントであれ、宗教的権威については根強い反発があるのかもしれない。

 それでデビュー・アルバムから約5年、この間ツアーを続けながら曲作りに励んでいたホージアは、2018年に、「ニーナ・クライド・パワー」という4曲入りのEPを発表した。タイトル曲にはアメリカのR&Bシンガーであるマーヴィス・ステイプルズがフィーチャーされていた。名前を見て気づかれた人もいるかもしれないけれど、彼女はあの名高いステイプル・シンガーズの一員でもある。Nina_cried_power_ep
 そして2019年には、ついにセカンド・アルバムとなる「ウェストランド、ベイビー!」を発表した。全14曲、57分というボリューム豊かな作品で、EP「ニーナ・クライド・パワー」とのダブりは2曲("Nina Cried Power"、"Shrike")だけだった。
 一聴した限りでは、アルバム前半はロック色がにじみ出ているが、後半は前作のようなシンガー・ソングライター風の曲が続いているようだった。

 "Nina Cried Power"は”ゴスペル+ロック・ミュージック”といった感じで、力強いビートに乗って、ゴスペル風のバック・コーラスが展開される中で、ホージアの歌声が性急に何かを訴えるかのように表れてくる。また、途中にはマーヴィス・ステイプルの声がフィーチャーされ、曲に色どりを添えるのである。
 このアルバムにはホージアを入れて4人の名前がプロデューサーとしてクレジットされているが、その中の一人マーカス・ドレイヴスとの共同プロデュースがこの"Nina Cried Power"だった。

 ちなみに、ホージアはそれぞれのプロデューサーと全曲で共同制作していて、マーカスとは9曲、残りの2人については、アメリカ人のアリエル・レクトシェイドと2曲、アイルランド人プロデューサーのロブ・カーワンと3曲である。プロデューサーの違いで曲の趣向が全く違ってくるということはないのだが、アリエルとの曲、5曲目の"Nobody"と6曲目の"To Noise Making"は何となくポップな感じがした。”ゴスペル+ポップ・ミュージック”である。何となく協会の合唱団をバックに歌うエド・シーランのような気がした。

 また、1曲を除いてすべてホージアの作詞・作曲である。その1曲とは7曲目の"As It Was"で、これはアレックス・ライアンという人との共作曲だった。この曲は雰囲気的にダークで、それまでの楽曲とは少しイメージが違った。バラード系には間違いないのだが、暗い冬空と荒涼と吹きすさぶ原野を想起させる。

 2曲目の"Almost"には"(Sweet Music)"という副題がついているのだが、そんなに甘い歌ではない。これもソウル風で、これにアイリッシュ風のリズムが微妙に合体している。その危うさが非常に印象的で、そういう意味では"Sweet Music"なのかもしれない。
 "Movement"はスローなバラード曲。これはデビュー・アルバムの系列に含まれるような曲で、空間を生かしたバック・コーラスが素晴らしい。
 この人の特徴は、やはりゴスペル・ミュージックとは切っても切れない関係という点ではないだろうか。一人で切々と歌うというような従来のシンガー・ソングライター風ではなくて、壮大なバック・コーラスやエコーを生かした空間的な響きをどの曲も伴っていて、そういう意味では、アイリッシュ風でもあり、アメリカ南部風でもある。だから、欧米、特にアメリカでは好まれるのであろう。

 4曲目の"No Plan"もバックの重く引きずり込むようなビートがロック的でもあるし、逆に、それを膨らましているコーラスは天空にいざなうかのように持ち上げるのである。
 "Shrike"は前年に発表されたEPにも収録されていた曲で、これはホージア風のフォーク・ソングだろう。基本的にはアコースティック・ギターだけなのだが、この人の場合はこれだけでは終わらずに、最小限度の装飾音がついてくる。それでもそれが嫌味にならず、むしろ豊かな想像力が引き出されて行くのだから見事なものである。

 この"Shrike"や次の"Talk"などを聞くと、デビュー・アルバムの延長上に連なる楽曲だとわかる。前半までは重いビートやテンポ良い曲が目立ったのだが、このアルバム中盤辺りからは落ち着いてくるのである。
 10曲目の"Be"もバックのファズ・ギターが目立つものの、全体的には静かな部類に入るだろう。大ヒットした"Take Me to the Church"の二番煎じという声もあるが、こういう音的感覚はホージア独特のものではないだろうか。これに類するものとしては、同じアイルランド出身のU2にも感じられるところだ。特に、U2のエッジのギター感覚に類似するところもあるのだが、アイルランドという土地柄とも関係があるのかもしれない。

 一転して、アルバム前半の雰囲気に戻るのが次の曲の"Dinner&Diatribes"だ。ここでもドラムスが強調されていて、それにエレクトリック・ギターが絡みつき、女性コーラスも後を追うようについてくる。このアルバムが、前作よりもハードになったといわれるのもうなずけるところである。
 そして"Would That I"では、また一転してアコースティック色になり、デビュー・アルバムを彷彿とさせる。従来からのファンやアイリッシュ・ソングが好きな人には懐かしいだろう。

 13曲目の"Sunlight"は、自分にはキーボードの音がチャーチ・オルガンに聞こえてくるほどのホージア風ゴスペル・ミュージックである。これはまさに21世紀に生きるゴスペル・ソングだろう。全体的にはゆったりなものの、途中にはアコースティック・ギターがリードする部分はあるし、バックのコーラスが目立つところもある。そういうバランスが素晴らしいと思う。

 そして最後の曲が、アルバム・タイトルの"Wasteland,Baby!"である。冒頭はアコースティック・ギターで導かれ、徐々にキーボードやベースなどの楽器が加わり、ゆったりと盛り上がってゆく。ところが、それはある意味、ホージアの定石通りではあるものの、その盛り上がりのスケール感はあえて抑え気味であり、逆に言えば肩すかしを食らったような展開になっている。この辺は、彼のシンガー・ソングライター資質が表れているような気がした。この曲が最後に置かれたのも、そういう意図的な印象操作みたいなものがあったのかもしれない。でも、良い曲だと思っている。

 このアルバムは、全米アルバム・チャートでは1位を獲得したし、全英でも6位、アイルランドでは当然1位になっている。これは昨年度EPを発表した後、プロモーションを兼ねたライヴ活動を行ったからではないかといわれているが、約5年間待たされた世界中のファンの期待度の表れでもあろう。
 また、アルバム・ジャケットはホージアの母親が手掛けていて、彼女は画家でもあるそうだ。そういう意味では、彼は芸術一家に生まれたのだろう。71lk89vobel__sl1500_  いずれにしても、これだけの世界的な評価を得ているミュージシャンのアルバムが国内盤未発売という点はいかがなものかと考えている。権利や契約の関係で難しい部分があるのかもしれないが、その点は早く解消して発表してほしい。その時は、2018年に発表されたEP4曲分をボーナス・トラックとして付け加えてほしいものである。

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2019年8月26日 (月)

ザ・ドラムス

 さて、8月も最後の週になってきた。今年の夏も暑かったし、残暑もまた続いている。本当に日本は、亜熱帯気候に属しているのではないかと思われるほどだ。地球温暖化なのかどうかはわからないけれど、間違いなくこの傾向は続いていくのだろう。
 そんな暑さの中で、今年上半期に気になったアルバムを何枚かピックアップしてみたいと考えている。題して、”2019年上半期私の中での話題のアルバム”シリーズだ。そのまんまのタイトルになってしまった。相変わらず芸のない試みである。

 それで第1弾の今回は、アメリカのバンドのザ・ドラムスが登場する。自分はこのバンドのデビュー・アルバムを持っていたと思うのだが、探してみても見つからない。ひょっとしたら売っ払ってしまったのかもしれない。ということは、自分にとってはそんなに良いアルバムではなかったということだろうか。
 確かシングル・ヒットした"Let's Go Surfing"はポップでメロディアスで、どことなく60年代風な要素を携えていたと思っていたのだが、それ以外の曲がピンとこなかったかもしれない。でも、それ以降は、頭の片隅にこのバンドのことは覚えていたようで、今回もラジオでニュー・アルバムのことを知って、聞いてみた次第である。23373

 自分にとってこのバンドは、基本的にはギターとキーボード中心のインディ・ロック・バンドだと思っていたのだが、この最新アルバム「ブルータリズム」を聞くと、そんな感じではなくて、キーボード中心のエレクトロニクス・ポップに変身してしまったような気がした。しかも浮遊感が溢れており、メロディックでキュートな感じがしたのだ。
 こういう音楽は1980年代から存在していた。例えばこんな感じである。
80年代・・・ストロベリー・スウィッチブレイド
90年代・・・ジュエル
00年代・・・ザ・ポスタル・サーヴィス
10年代・・・アウル・シティ

 それぞれどれもドリーミングでファンタスティック、高揚感あふれるエレクトロニクス・ポップで彩られており、この手の音楽が好きな人にとっては、もう離したくないほどだろう。特に、季節的には夏の暑い時期にはぴったりで、四畳半のアパートで孤独な生活をしていても、あるいはプライベート・ビーチでカクテルを片手に優雅な時間を過ごしていても、気分はもうサマー・バケーションといった感じになっていくのである。

 それで、ザ・ドラムスのことに話を戻すと、このバンド、元は4人組でデビューした。2008年頃のお話である。バンドの中心メンバーは、ボーカル&キーボードのジョナサン(ジョニー)・ピアースとギター担当のジェイコブ・グラハムで、ふたりはニューヨーク出身で、幼い頃に教会主催のサマー・キャンプで知り合い、友だちになった。長じて、ジョナサンはエレクランドというバンドを、ジェイコブの方はホース・シューズというバンドで活動していたが、お互い音楽が好きという点で一致し、2008年にブルックリンでザ・ドラムスを結成したのである。

 当初は2人組だったが、あるライヴで会場に来ていたふたりの若者に声をかけ、バンドにいれたそうだ。真偽のほどはよくわからないのだが、もし本当とすれば、奇跡的な出来事のような気がする。
 そして、またこれも嘘のような話なのだが、ライヴ会場に来ていた音楽ライターの目に留まり、好意的な記事が紹介され、すぐにイギリスのインディ・レーベルからシングルが発表され、あれよあれよという間に、シングルがヒットしてアルバム・デビューまでしてしまったようなのだ。

 しかもザ・ドラムスは、2010年度のブライテスト・ホープに選出され、このデビュー・アルバム「ザ・ドラムス」自体も当然のことながら世界中で売れたのである。51bhsgpwnwl
 ところが、ここでギター&ベース担当だったメンバーが脱退してしまう。何となくもったいないような話だが、ある意味、急ごしらえのバンドだったせいか、メンバー間のコミュニケーションがうまく取れなかったのではないだろうか。

 その後、2011年にセカンド・アルバム「ポルタメント」、2014年には「エンサイクロペディア」を発表するものの、アルバムが世に出る前に今度はドラマーが脱退してしまった。 結局、幼馴染だったジョナサンとジェイコブのふたりだけになってしまったのだ。オリジナル・メンバーといえばいいのかもしれないが、2017年のアルバム「アビスマル・ソーツ」のジャケット写真には何とジョナサンしか写っていないではないか。そう、この約1年前に幼馴染だったジェイコブはバンドを離れていたというのである。20140908thedrums_l_full

 ここからは個人的なゲスの感繰りになるのだが、ジョナサンは2013年頃に男性と結婚した。つまりゲイ・カップルである。この結婚生活がバンドに悪影響を与えたような気もしないわけではない。自身の生活優先になってしまって音楽活動に支障をきたしたジョナサンにジェイコブが嫌気をさしたとか、あるいはジョナサンとジェイコブと三角関係になってしまったとか、いろんなことを想像してしまうのだが、ここまで成功していたバンド活動から身を引くというのは、やはりそれなりの理由があったのだろう。

 いずれにしても、ザ・ドラムスはジョナサンのソロ活動のユニット名になってしまった。そして発表されたアルバムが「ブルータリズム」だったのである。
 この”ブルータリズム”というのは、1950年代に流行した建築様式のことだ。獣のようなどう猛さと野蛮さを備えているというで、コンクリートむき出しの様式や装飾や塗装のない無味乾燥とした冷酷さを感じさせるようなものだった。ある意味、都会的といっていいのかもしれない。

 実は、ジョナサン自身はパートナーとの結婚生活を解消していて、それが原因で鬱状態に陥ってしまっていた。そして定期的に医師のもとに通いセラピーを受けていたのだが、その時の憂鬱な気分をタイトルに反映させているという。飾りを排除したむき出しのコンクリート建築と自分自身の心象風景を重ねているのであろう。実際に彼自身もこう述べていた。
 『僕は自分に向き合う必要があった。過去を見つめ、長い間先延ばしにしていた問題に取り組まなければならなかったんだ』

 セラピーを続けながら、自暴自棄に陥りそうな自分を励ましつつ、ニューヨークとカリフォルニアのスタジオを行き来しながら、このアルバムの制作を続けていった。しかし、そういう状況だったにもかかわらず、アルバム自体はポップで浮遊感に溢れており、先ほども述べたように、この手の音楽が好きな人ならマスト・アイテムになるような音楽で占められている。71xowgkjwol__sl1400_

 結果的には、メディカルな対応と音楽制作がジョナサンの精神状態に良い効果をもたらしたようで、アルバムを制作しながら徐々に回復していって、人に対してよりオープンに接することができるようになったと述べている。まさに音楽療法だろう。『悲しみやメランコリーと向き合うことは、それらを否定することではなくて、あるがままの自分を受け入れることなんだ。決して力任せに征服することではないと悟ったんだよ』

 なるほど、だからこのアルバムには、キラキラと岸辺で輝く日差しや、地面に溶けて消えてゆく淡雪のようなピュアネスなどが、どの曲においても感じられるのだろう。そういう感触がジョナサンの作る楽曲には備わっているのである。

 例えば、シングル・カットされた"Body Chemistry"には、今まで偽っていた自分をさらけ出すような性急なビート感覚が溢れているし、一方では"626 Bedford Avenue"のようなメランコリックでファンタジックな美しさが表現された曲も含まれている。
 他にもアルバム・タイトルにもなった"Brutalism"では、無慈悲な冷酷主義に対してたった一つのキスでも有効なんだと謳われているし、波打ち際で囁かれるように歌われる"I Wanna Go Back"は、自分のあるべき場所に回帰しようとするバラードでもある。

 このアルバムの優れている点は他にもあって、基本はキーボード主体のエレクトロニクス・ポップなのだが、スタジオ・ミュージシャンなどを使って、ギター・サウンドも効果的に使用されているところだろうか。5曲目の"Loner"などは良い味付けをしているし、7曲目の"Kiss It Away"でも、まるでU2のエッジのようなエコーが活かされた空間的なサウンドを味わうことができる。
 そしてアコースティック・ギターのアルペジオで誘われるように歌い出す"Nervous"は歌詞的にはヘヴィーな内容ながらもメロディー的には本当にまどろむような感覚を表しているし、それをアップテンポにした"Blip of Joy"では、逆に疾走感がその儚さを追い求めているかのようで、決してマンネリズムに陥らないように巧みにアルバム自体も構成されている。とても心の病に陥った人が作ったようなアルバムとは思えなかった。

 『僕はポップが大好きなんだけど、今の状況は繊細さを失っているような気がするんだ。ちょっと時間をかけて落ち着いた状態を作り、自分が一体なにを試しているのか聞き取りたいんだ』とジョナサンは述べていたが、今の彼にとっては、心の余裕みたいなものも生じてきているのであろう。E29c161eda51960d108ee11a7ea35fcc

 ただ、まだ心理療法が続いてるのかどうかはわからないが、9曲35分というボリュームは少し物足りなさも感じた。しかし逆に考えれば、曲数を絞った分、ジョナサンの持つポップネスがより対象化され、抽出された美しさが表現されているのではないだろうか。夏に聞くアルバムがまた1枚増えたような気がしている。

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2019年8月19日 (月)

ジョン・サイモン

 ジョン・サイモンのアルバム「ジョン・サイモンズ・アルバム」について記すことにした。このアルバムはずいぶん昔から持っていて、幾度となく聞いてきたのが、何となくパッとしなかった。パッとしなかったというのは、自分の中で感じるものがなかったからである。
 でも最近、ジョン・セバスチャンやマリア・マルダーなどを聞き出して、再びこのアルバムに向き合ったところ、これが今までがまるで嘘であるかのように、非常に印象的なアルバムとして感じるようになってきたのだ。

 このアルバムのことは雑誌で知った。アメリカン・ロックの隠れた名盤として紹介されていて、ぜひ一度は耳を傾けてほしいというようなことが記されていたので、当時はロックおたくだった自分は(今もそうだけど)、当時あったCDショップにダッシュで走り込んで購入した記憶がある。だけど、それだけ期待して聞いたのだけれど、何となく自分には合わなかった。ロック的な躍動感や焦燥感が伝わってこなかったからではないかと、いま振り返ってみればそんな感想だったと思う。

 ところが、年老いて人生の先が見えてくると、こういうアルバムの方が合ってくるというか、落ち着いた心境に導いてくれるというか、豊饒なアメリカン・ロックの一端を感じさせてもくれるのである。だから最近はほぼ毎日1回は聞いているのだ。

 このアルバムが発表されたのは1970年の5月だから、もう50年くらい前のことになる。50年だぞ、50年。オギャーと生まれた赤ん坊が50歳の壮年になる時間だ。この50年の間に社会も変わったし、ロックという音楽もずいぶん変わった。まあそんなことはともかく、50年前のアルバムを今も聞いているのだから、いかにこのアルバムが時代の波に流されない、不朽の名作、名盤であるかが分かると思う。

 音楽的な感触は、ソロになったザ・バンド、あるいはニューヨーク近郊のウッドストック発ランディー・ニューマンといった感じだろうか。決してメロディアスといった感じではないし、ありふれたポップ・ソングではない。むしろポップから遠ざかろうとしているのではないかと思われるところもあるし、サックスやトロンボーン、アコーディオンなどのアレンジも凝っていて、一筋縄ではいかない様相を示している。そういうところが逆に新鮮に映るし、聞くたびに味わい深くなって行くのである。

 ジョン・サイモンは1941年8月11日生まれだから、ついこの間78歳になったばかりだ。コネチカット州のノーフォーク生まれで、目の前には大きな牧場がある田舎町で育った。父親は医者であると同時に、ジュリアード音楽院を卒業したセミプロ級のバイオリニストだった。地元では交響楽団のコンサート・マスターも務めた経験があったようだ。
 そういう家で育ったから、小さい頃から音楽に囲まれて育ち、4歳頃からピアノやバイオリンを学ぶようになった。最初はクラシック音楽を学んでいたが、徐々に世の流れに気づくようになり、ジャズやポップスに興味が動き、ついにはライヴ活動まで行うようになって行った。

 大学を卒業すると、当時のコロンビア・レコードに就職してプロデューサーになった。最初は映画音楽やテレビの挿入歌などを担当していたが、ザ・サークルというバンドの「レッド・ラバー・ボール」というアルバムを担当してこれがヒットし(ビルボードのアルバム・チャートの2位)、一躍彼は敏腕プロデューサーとして有名になり、以降、サイモン&ガーファンクルやレナード・コーエン、ジャニス・ジョプリン、ザ・バンドなどを手掛けるようになっていった。920x920 
 特に、ザ・バンドとの仕事はうまく行き、ザ・バンド自体も人気が出てきたし、ジョン・サイモンの名声も高くなって行った。ザ・バンドのデビュー・アルバムである「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」はニューヨーク郊外ウッドストックにある一軒家の地下室で練習やレコーディングが行われたが、これはジョン・サイモンのアイデアでもあった。そしてそのアルバムのレコーディングが終了した後に、彼自身のソロ・アルバムの制作が行われたようだ。それが「ジョン・サイモンズ・アルバム」だったのである。

 全11曲39分少々のアルバムだが、参加メンバーがすごい。ベースにリック・ダンコ、リチャード・デイヴィス、カール・レイドル、ドラムスにジム・ゴードン、ロジャー・ホーキンス、リチャード・マニュエル、ギターがレオン・ラッセルにジョン・ホール、サックスとトランペットにはジム・プライス、ボビー・キーズ、ガース・ハドソン、その他にもデラニー・ブラムレット、リタ・クーリッジ、メリー・クレイトン、ボビー・ウィットロック、サイラス・ファイヤーなどなど、つまり、ザ・バンドとレオン・ラッセルのバック・バンドのほとんどが参加しているのだ。これにエリック・クラプトンとレヴォン・ヘルム、ロビー・ロバートソンが加わらなかったのが不思議である。ちなみにアルバム中4曲目の"Davy's on the Road Again"はロビー・ロバートソンとの共作だった。

 1曲目の"Elves' Song"を聞いたとき、正直お世辞にも歌は上手ではないなと思った。これは本人も認めていて、歌はもうだめだと思っていたらしい。でもソロ・アルバムはこれ以降も発表して歌っているので、あきらめたわけではないようだ。ピアノはジョン本人が、ギターはレオン・ラッセルが演奏している。何となくイギリス人のケヴィン・エアーズの曲に似ている気がした。

 "Nobody Knows"はランディ・ニューマン風の楽曲で、ピアノの弾き語りである。これといったフレーズやメロディに乏しく、もう少しよく聴き込もうと思っているうちに曲が終わってしまう。ちょっとコメントしづらい曲だ。
 "Tannenbaum"はジョン・サイモンの故郷のことを歌っていて、かつては豊かだったが、今は荒れ果ててゴースト・タウンのようになってしまったと嘆いている曲だった。バックのギターも美しいし、ホーン・セクションも哀愁を帯びていて素晴らしい。確かに、ザ・バンドの曲だと言われても分からないかもしれないが、ジョン・サイモンも高音が時々裏返るものの、精一杯歌っている様子が伝わってきて、感動を覚えるのである。

 ロビー・ロバートソンとの共作の"Davy's on the Road Again"はややゆったりとしたテンポで歌われていて、穏やかな感じを与えてくれる。ただ個人的には、イギリスのバンドであるマンフレッド・マンズ・アース・バンドが1978年にカバーした曲の方が好きで、そちらの方が躍動感がありメロディー本来の美しさが伝わってくるからだ。このカバー曲は全英シングル・チャートで6位を記録しているので、ロックにうるさいイギリス人でもこの曲の良さは認めているようだ。

 続く"Motorcycle Man"では、リチャード・マニュエルとリック・ダンコがそれぞれドラムスとベース・ギターを担当していて、曲調もザ・バンド風でもある。マーロン・ブランドとリー・マーヴィンが主演した映画「ザ・ワイルド・ワン」をもとにして出来上がった曲らしい。
 "Rain Song"はもちろんイギリスの4人組ロック・バンドの曲ではない。長いギター・ソロやメロトロンも使用されていない。60年代のジョンが生活していたコミューンのことを歌っていて、雨が降ってほしいという雨乞いの祈りのために書いたそうである。この曲もピアノだけをバックに切々と歌っていて、味わい深い。エンディング近くのジョンのうねり声というか遠吠えが寂寥感を与えてくれるようだ。Images

 以上がレコードのサイドAに当たり、次からはサイドBになる。サイドBの1曲目は"Don't Forget What I Told You"で、これもゆっくりとした曲調で、ジョンの奥さんに対するラヴ・ソングである。オーリアンズのジョン・ホールがギターを弾いていて、これがまたなかなか流麗でカッコいいのだ。ロビー・ロバートソンならもう少し違った雰囲気になっただろう。

 続く"The Fool Dressed in Velvet"はジョンの知り合いだった知的障がい者の兄弟について書いた曲で、2人の生き方の対比を通して、人生の無常さを教えてくれているように思えた。これもゆったりとしたバラード系の曲で、途中でマンドリンに近い楽器マンドラが使用されていた。演奏しているのはジョン自身である。またエンディングにギター・ソロがあるが、これもジョン・ホールの手によるものである。

 "Annie Looks Down"はジョンの知り合いの女性について歌ったもの。バックのオルガンはバリー・ベケットが演奏していると思われる。後半はミディアム・テンポかバラード系の曲が多くて、この曲もその中の1つだ。2分50秒と短い曲だった。
 10曲目の"Did You See?"は人生の終わりについて書いた曲で、天国の門の前で迎えが来たかどうかを確認したかと歌っている。ここでもジョンはピアノとマンドラを演奏している。

 最後の曲"Railroad Train Runnin' Up My Back"は楽しそうな曲で、列車の雰囲気がよく表現されている曲でもある。バック・コーラスやハーモニーが、どことなく素朴でノスタルジックな感じを与えてくれる。ジョンは過去の旅行の中から思いついた曲だと述べているが、内容的には男女の三角関係を描いていて、そんなに楽しくはないだろうと個人的には思っている。それでもアルバムの最後を飾るにはマッチしているのではないだろうか。

 というわけで、ジョンサイモンのこのファースト・アルバムは、アメリカン・ロックの歴史的名盤といわれているのだが、今になってやっとそういうもんかなと感じた次第である。たぶんこのアルバム当時の歴史的、社会的背景や日本人にはよくわからない歌詞の部分なども含めて、アメリカ人のロック・リスナーにはかなりインパクトがあるのだろう。
 ザ・バンドのように、個々のメンバーの技量や楽曲の良さで聞かせるアルバムではなくて、アルバムのもつ雰囲気などを含めたトータルな意味での印象度なのだろう。

 また、このアルバムのジャケットも水墨画か墨絵のようで、東洋的だった。こういうミステリアスな東洋趣味みたいなものも、アメリカ人好みなのかもしれない。41xn57wbfpl
 この後ジョンは2年後の1972年にセカンド・アルバム「ジャーニー」を発表し、しばらくブランクがあったが、20年後の1992年にサード・アルバム「アウト・オン・ザ・ストリート」を発表しているし、枚数は少ないもののプロデューサー業の合間を縫って、アルバムを発表している。
 一時、ディスコ・ミュージックやヘヴィメタル・ミュージックが隆盛の頃はプロデューサー業にも嫌気を示していたようだが、1997年には日本人ミュージシャンである佐野元春のアルバム「ザ・バーン」のプロデュースも行っている。ジョンは彼のことを日本のブルース・スプリングスティーンだと思っていたようだ。

 本来のプロデューサーのみならず、ウッドストック系ミュージシャンとしても名声を得ているジョン・サイモンである。もう少し長生きしてもらって、「ジョン・サイモンズ・アルバム」以上のインパクトのあるアルバムを発表してほしいと願っている。

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2019年8月12日 (月)

エイモス・ギャレット

 マリア・マルダーのアルバムから始まって、彼女に関係のあるミュージシャンについて調べてきた。今回はおそらく最後になるであろうギタリストのエイモス・ギャレットが登場する。彼はマリア・マルダーのアルバムに参加してから脚光を浴びるようになったミュージシャンでもある。

 今の日本で、エイモス・ギャレットの名前を聞いて、ああ、あの人かと何人の人が気づくだろうか。かくいう自分もマリア・マルダーのアルバムを聞くまでは全く知らなかったし、聞いてからも上手なギタリストだと思ったものの、具体的なイメージがつかめないでいた。
 彼が有名になったきっかけは、上にもあるように、マリア・マルダーの1973年のアルバム「オールド・タイム・レイディ」の中に収められていた"Midnight at the Oasis"で印象に残るギター・ソロのおかげだった。このプレイのおかげで一気に彼の名前は知れ渡っていったのだが、もちろんそれ以前から彼の名まえは知られていて、ある意味、”ミュージシャンズ・ミュージシャン”として、その筋の人たちからは尊敬と信頼を集めていた。Hqdefault

 例えば、彼は150以上のミュージシャンやバンドと一緒にレコーディングや共演を果たしている。古くは1969年のアン・マレーのNo.1ヒット曲"Snowbird"であり、トッド・ラングレンやスティーヴィー・ワンダー、エミルー・ハリスにボニー・レイットとジャンルを問わない。最近では元フェアポート・コンヴェンションのリチャード・トンプソンや元ザ・バンドのリック・ダンコなどと共演している。あのジミー・ペイジでさえも、最も好きなアメリカ人ギタリストの1人と名前を挙げているくらいだ。だから、欧米では玄人好みのミュージシャンというイメージだったのだろう。

 彼は1941年生まれだから、今年で78歳になる。もちろんいまだに現役だ。生まれはアメリカのミシガン州デトロイトなのだが、5歳の時にカナダのトロントに引っ越していて、アメリカとカナダの両方の国籍を有している。音楽好きの両親のもとで育ち、幼い頃からピアノやトロンボーンに親しんできて、14歳頃からギターを弾き始めたようだ。
 きっかけは、クラブなどでベン・E・キングやB.B.キング、T-ボーン・ウォーカーなどの演奏を見たからで、自分もやってみようと思ったのだろう。その後、アメリカの大学で英文学を学んだあと、トロントに戻ってローカル・バンドに加わりテクニックを磨いていった。

 60年代初めは様々なバンドを渡り歩いていったが、そこで後に”ザ・バンド”として有名になった”レヴォン&ザ・ホークス”と出会っている。1968年からは2年間、カナダ人のフォーク・デュオであるイアン&シルヴィアのレコーディングやツアーに参加していて、やがては彼らと一緒にカントリー・ロック・バンドのグレイト・スペックルド・バードを結成して、アルバムも発表した。ナッシュビルで録音された彼らのデビュー・アルバムは、トッド・ラングレンがプロデュースしていた。自分は未聴なので、一度聞いてみたいと思っている。

 1970年にニューヨークに移り住んだエイモス・ギャレットは、ジェフ&マリア・マルダーに出会い、これまた彼らと一緒に活動を始めた。この時の関係で、彼ら2人だけでなくニューヨーク郊外のウッドストック周辺に住んでいたミュージシャンたちと交流が始まったようだ。つまり、ジョン・サイモンやジェシ・ウィンチェスター、ポール・バタフィールドなどである。
 1972年には、元グレイト・スペックルド・バードのメンバーとハングリー・チャックというバンドを結成して、アルバムを1枚発表したが、バンドはすぐに解散してしまった。また、この年はジョン・サイモンのセカンド・アルバム「ジャーニー」にも参加している。

 翌年になると、交友関係をたどってポール・バタフィールドのベター・ディズというバンドに加わって豪快なギターを聞かせたりしたが、バンド活動はここまでで、これ以降はソロ・ミュージシャンとして、様々なセッションやレコーディングに参加するようになって行った。マリア・マルダーのアルバムへの参加もそうだし、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアの2枚目のソロ・アルバム「コンプリメンツ」では2曲で昔習っていたトロンボーンを演奏している。なかなか芸達者なミュージシャンだ。
 また、マリア・マルダーの元夫であるジェフ・マルダーのソロ・アルバムにも参加しているし、エミルー・ハリスの1975年のアルバム「エリート・ホテル」では、ザ・ビートルズの"Here,There and Everywhere"にも客演していた。その後は、ボストンやサンフランシスコに移り住んで、セッション・ミュージシャンとして活動を続けていった。81h89qny2xl__sl1022_

 80年代に入ると、本格的にソロ活動を開始して、80年に「ゴー・キャット・ゴー」、82年には「エイモスビヘイヴィン」、89年には「ホーム・イン・マイ・シューズ」というアーシーでアットホーム的なアルバムを発表している。中でも「エイモスビヘイヴィン」は名盤との誉れが高く、レイドバックした演奏やリラックスしたボーカルなどを味わうことができる。61jzttppmml__sl1500_
 もともとエイモス・ギャレットは歌が歌いたくてしょうがなかったのだが、ずっとセッション・ワークが続いたため、またバンドでは他にボーカルがいたため、なかなか歌う機会に恵まれなかった。しかし、ソロになってからは当然のことながら、すべてのアルバムで歌声を披露している。

 中でも1992年に発表された「雨のジョージア」(原題はサード・マン・イン)では、彼のルーツがうかがい知れるようなカバー曲やオリジナル曲で占められていて、今でも比較的入手しやすいアルバムだ。彼はテレキャスターを弾くことで知られていて、このアルバムでもテレキャスター独特の枯れた味わい深い音色を聞かせてくれる。71lqffrg91l__sl1500_
 全10曲で38分余りしかないアルバムだが、1曲目の"Poor Fool Like Me"は軽快なカントリー・ロックで、アルバム冒頭からエイモスは飛ばしている。中間のソロ演奏は、何となくスティーヴィー・レイ・ヴォーンを彷彿させてくれた。
 続く"Baby Your Feets is Cold"はミディアム・テンポの曲で、今度はテックス・メックスのような陽気な雰囲気を漂わせている。途中でセリフのようなものが挿入されるところが何となくユーモラスな感じで、劇中歌のようだ。

 3曲目の"But I Do"はボビー・チャールズという人の曲で、彼とエイモスは親友のようだ。ボビー・チャールズもウッドストック系のミュージシャンで、シンガー・ソングライターだった。ギタリストというよりも作曲家というイメージが強くて、彼の書いた曲はレイ・チャールズやファッツ・ドミノ、Dr.ジョンなど、多くのミュージシャンによってカバーされている。残念ながら、2010年の1月に71歳で亡くなっている。
 この曲はお洒落で都会的な感じの曲で、バックのピアノがナイトクラブでカクテルを飲むような感じを与えてくれる。中間部でのギター・ソロはこれまたスローでジャジーな調べで、サスティーンがよく伸びていて印象的だ。エイモスの曲調の幅の広さを示してくれている。

 一転して"I Ain't Lying"ではシャッフル調になり、続く"What a Fool I Was"ではホーン・セクションが使用されていて、モダンなスロー・ブルーズといった感じだ。この曲はエイモスの敬愛するアフリカ系アメリカ人ミュージシャンのパーシー・メイフィールドのオリジナル曲であるが、R&Bというよりはこれまたモダンでジャズっぽくアレンジされている。
 パーシー・メイフィールドという人は、1950年代から60年代にかけて一世を風靡したブルーズ・シンガーで、彼の落ち着いた低いバリトン・ボイスは神をも聴き入らせてしまうほどといわれていた。1952年に自動車事故に遭ってからはライヴ活動を控えるようになったものの、その後もヒット曲を連発し、60年代では作曲家として活躍している。ただ、彼もまた1984年に心臓発作で亡くなった。64歳だった。

 "Got to Get You Off My Mind"はローリング・ストーンズもカバーした有名な曲だが、ここでの曲はそれとはまったくアレンジが異なっていて、最初聞いたときは軽めの曲だったせいか、ほとんど印象に残らなかった。アレンジが異なればここまで曲が変わるのかという典型的な見本かもしれない。時間があれば、聞き比べてみるのも面白いと思う。ちなみに、オリジナルはミック・ジャガーが崇拝していたR&Bシンガーのソロモン・バークという人の曲だった。

 7曲目は、日本語盤のタイトルにもなっている曲"Rainy Night in Georgia"(雨のジョージア)で、 オリジナルはトニー・ジョー・ホワイトというシンガー・ソングライターの曲だ。トニー・ジョー・ホワイトといえば"Rainy Night in Georgia"、"Rainy Night in Georgia"といえばトニー・ジョー・ホワイトといわれるくらい有名な曲だが、この曲も多くのミュージシャンによってカバーされている。ミディアム・スローの曲調が印象的で、何度聞いても心にじわっと哀愁が染み込んでくる。このアルバムの中でも一聴に値する曲だろう。

 "Flying Home"は、このアルバムでは珍しく彼と同じギタリストのトム・ラヴィンが共作したインストゥルメンタルで、最初サックスから入ってビックリしたのだが、途中からはエイモスとトムのギターの掛け合いが始まったので、少し安心した。でも最初と最後のサックスは要らないから、その代わりにギター・ソロを聞かせてほしかったなあと思った。せっかくのインストゥルメンタルが何となくもったいない。
 "Let Yourself Go"もまたボビー・チャールズのオリジナル曲で、この曲もまた"Rainy Night in Georgia"と同じくらい印象的なバラード曲だ。バックで演奏されるエイモスのギターもまた、それに拍車をかけてブルージーである。ただエンディングがフェイドアウトされるのが残念で、もう少し最後まで聞かせてほしかった。

 ブルージーといえば、このアルバムの中で一番ブルージーな曲が最後の曲"Lost Love"だろう。完全なスロー・ブルーズで、間奏ではクラプトンも顔負けの渋めのチョーキングを聞かせた速弾きを聞かせてくれる、ほんの少しだけど。この曲もカバー曲で、オリジナルはカナダのブルーズ・ギタリストのジョニー・V・ミルズの手によるもので、4曲目の"I Ain't Lying"もジョニーのオリジナル曲だった。91cp8e3rvkl__sl1500_

 エイモス・ギャレットはまた親日家としても有名で、1970年に大阪万博でのカナダの音楽大使として来日して以来、幾度となくライブを行っていて、1990年には東京や大阪での公演を収めた「ライヴ・イン・ジャパン」というライヴ・アルバムも発表している。
 顔は俳優のジェームズ・コバーンに似ているし、ギターの腕前は超一流、ギターの教則本の本やビデオを出しているくらいだ。日本でももっとメジャーになっておかしくないのに、ヒット曲がないせいか、一部の人たちを除いてあまり知られていない。このまま玄人受けのミュージシャンとして終わってしまうのだろうか。

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