2019年4月22日 (月)

コーポレイト・アメリカ

 ボストンというアメリカのロック・バンドについて記すことにした。特に深い理由はなくて、以前からこのアルバムを聞きたくて、最近購入して聞いたからだ。

 このアルバムというのは、彼らの5枚目のスタジオ・アルバムにあたる「コーポレイト・アメリカ」のことである。2002年の11月に発表されたもので、全10曲47分余りの内容だった。
 なぜこのアルバムが聞きたかったかというと、彼らのアルバムにしては売れなかったという理由と、売れなかったのはアメリカの大企業を批判したせいで、プロモーションが十分させてもらえなかったという噂を聞いたからだった。41th8d26apl_2
 ご存知のように、ボストンは1976年にアルバム「幻想飛行」でデビューした。このアルバムは、全米のアルバム・チャートでは最高位3位どまりだったが、セールス的にはアメリカだけでも1700万枚以上、全世界で20000万枚以上の売り上げがあり、今でも30周年記念盤「幻想飛行」が発売され、売れ続けている。

 続く1978年のセカンド・アルバム「ドント・ルック・バック」、1986年のサード・アルバムの「サード・ステージ」は、連続してチャートの首位に輝き、1994年の4枚目の「ウォーク・オン」も100万枚以上売り上げ、7位になっていた。
 ところが、1997年の「グレイテスト・ヒッツ」を挟んで、2002年に発表されたこのアルバムは、チャート的には42位と低迷し、アルバム・セールスも約50万枚程度だった。まさに、70年代の往時を知る者にとっては信じられない悲劇であり、ボストンというブランドにキズがついたような出来事だったのである。

 ところがなぜ売れなかったかという理由が、半ば都市伝説のように語られていった。それが上記にもあったように、アメリカの大企業を批判したために圧力がかかり、プロモーションができなかったというものだった。また、それだけでなく、一部自主回収もされたという噂もまことしやかに流されていた。

 このアルバムの中に収められていたブックレットの裏表紙には、次のように書かれていた。ちなみに自分は輸入盤を購入して聞いたので、日本語訳はついていなかった。だから、正確な日本語ではないことをお許し願いたい。
 “化石燃料を保護しよう、ムダな資源を削減しよう、菜食主義者の生き方を学ぼう、動物製品を避けよう、銃ではなくカメラで仕留めよう、環境保護者に投票しよう、児童虐待や動物虐待を知ろう、毛皮を買うな!”2_000000002394
 そしてその後には、動物保護団体や環境保護団体、児童虐待を防ぐ委員会などにアクセスできるメール・アドレスが記載されていた。ということは、ある意味、このアルバムはプロテスタントな色合いの濃いアルバムだったということが分かる。ちなみに、リーダーのトム・ショルツ 自身も30年以上のヴェジタリアンとのことだった。

 しかし、これだけでは大企業の批判とは言えないだろう。そこで、アルバムの3曲目に収められていたアルバム・タイトル曲"Corporate America"の歌詞について調べてみた。
「誰が人類の退化を防ぐことができるのか
自分を見つめろ、みんなで協力しよう
たばこ産業やビジネスジェット機のグローバル化などは
恥ずべき事 みんなはそれを最大限に好んでいるけど
だけど結論はまだ取り出して突きつけることはできる

さあ行動を起こせ 俺は今夜少し手助けが必要なんだ
お前は何というのか
お前は何というのか
明かりが見えない時でさえも」

(訳;プロフェッサー・ケイ)

 要するに、環境保護の大切さや地球温暖化の危機のことを暗に仄めかしていて、これ以上地球がこのままいけば滅びるぞ、人類は協力してこの危機的状況を打開できるはずだと訴えている。確かに、かつてのゴア副大統領あたりが聞いたら喜びそうな曲かもしれないが、これだけで大企業批判には当たらないだろう。

 ただ最後のフレーズに、「レザー張りのメルセデスを注文して何の意味があるんだ」という言葉があり、固有名詞が出てくるのはここだけなので、ひょっとしたらこれが原因とも考えられるが、たぶん違うだろう。
 一番の問題は、このアルバムは、それまでのエピックやMCAというメジャーなレコード会社からアルテミスというマイナーな会社に移籍して発表されたものだったから、十分なサポートが受けられなかったことは言えるだろう。そこから、上記のような噂が生まれた(あるいは意図的に流された)のではないだろうか。

 肝心のサウンドはどうかというと、特徴的なギターの多重サウンド、空に突き上げるかのようなスペイシーな音の響きなど、今までのボストンを継承している。
 ただ、このアルバムではトム・ショルツ以外のメンバーが健闘していて、2曲目の"Stare Out Your Window"と6曲目の"Turn It Off"、7曲目の"Cryin'"はアンソニー・コスモという人の手による曲で、この人は同じボストンの当時のメンバーであるフランシス・コスモの息子だった。息子の書いた曲を父親のフラン・コスモが3曲とも歌っていたのだ。

 フラン・コスモは、アルバム「ウォーク・オン」から参加していた人で、ブラッド・デルプの代わりにリード・ボーカルを取っていた。ボストンにはこのアルバムとそれに伴うツアーまで参加している。アンソニーは、2002年のツアーからボストンに参加し、2006年頃まで在籍していた。ギターやベース・ギター、ドラムスにキーボードと何でもこなすマルチ・ミュージシャンでもあった。

 アルバム・タイトル曲の"Corporate America"は、何故かディスコ調の曲で、ブラッド・デルプとフラン・コスモ、新人女性ボーカリストのキンバリー・ダーマという人の3人が歌っていた。バックの演奏は、ドラムスからキーボードまで、すべてトム1人が演奏している。ディスコ調にアレンジすることで、切迫感や自堕落な様子を表現しようとしたのだろう。

 4曲目の"With You"は、女性ボーカリストのキンバリーの手による曲で、キンバリーがアコースティック・ギターを担当し、トムがエレクトリック・ギターとベース・ギターを演奏する素朴なバラードである。ウェストコースト風の爽やかなバラードなのだが、途中のエレクトリック・ギターの入り方がいかにもトム流で、ワ~といっぺんに多重録音で入ってくるのがちょっと残念だった。バラードなのだからもう少しそっと来てくれると、盛り上がっただろうに。

 キンバリーは、53歳になるアメリカ人のミュージシャンで、ボストンではベース・ギターも担当していたが、ベース・ギターに関してはボストンに加入が決まってから手ほどきを受けたようで、そんなに得意ではないようだ。基本はボーカルとギターである。3393672570_74d2a256f6_o
 "Someone"はブラッド・デルプとトム・ショルツの2人のパフォーマンスで出来ている曲で、次の"Turn It Off"とともに、ミディアム調のややダークな曲だった。
 この"Turn It Off"と"Cryin'"については、上にも述べたようにアンソニー・コスモの手によるもので、ボストンというよりは、西海岸のオルタナティブ・ロック・バンドの曲のようだ。メロディアスでありながらも刺々しい雰囲気も備えていて、個人的には好きな曲だった。トム・ショルツのギター・ソロがなければ、ボストンの曲とは誰も気がつかないだろう。

 "Didn't Mean to Fall in Love"は、珍しくトムがアコースティック・ギターのソロも演奏している。また、ハモンド・オルガンなども使用されていて初期の雰囲気を携えていた。ただ、メジャー調ではないので、明るい曲ではない。制作者はトムとカーリー・スミス、ジャネット・ミントという人たちだった。トム以外は、具体的にどんな人かはよくわからなかった。(カーリー・スミスはドラムスを演奏するようだ)

 9曲目の"You Gave Up on Love"では、再びキンバリーがメイン・ボーカルを務めており、伸びのあるボーカルを聞かせてくれる。"More Than A Feeling"の二番煎じといった感じで、フルート演奏が少しだけいい味を出している。
 最後の曲の"Livin' For You"は、ライヴ音源で、オリジナルは「ウォーク・オン」に収録されている。"Peace of Mind"をかなりスローにした感じで、フラン・コスモがリード・ボーカルを、ブラッド・デルプがハーモニーをつけている。一応、ボーナス・トラック扱いだが、そのクレジットはないようだ。

 とにかく、発表されたときは、酷評されたアルバムだったが、最近では再評価されてきている。トムのギターの音色は相変わらず独特だし、それに加えてキンバリー・ダームとコスモ親子の参加がアルバムに色どりを添えている。ディスコ調の曲には参ったけれど、冒頭の"I Had A Good Time"やアンソニーの手による"Stare Out Your Window"や"Cryin'"、バラード調の"With You"など、バラエティに富んでいて聞いていて飽きない。6q0j1u10
 このバラエティの豊かさが、従来のボストン・ファンに受け入れられるか、受け入れられないかが評価の分かれ目だろう。むしろ、ボストンのアルバムと思って聞かない方が受け入れやすいのではないだろうか。ただ、セール私的にはこのアルバムからトム・ショルツの神通力は失われてしまったようだ。

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2019年4月15日 (月)

クィーンのラスト三部作(3)

 映画「ボヘミアン・ラプソディ」にも登場したフレディの恋人のジム・ハットンによれば、1986年当時の様子について、次のように述べていた。『フレディには特定の恋人はいないと、世間の人やファンには思わせるようにしていた。そういう線で通した方が僕たちふたりにとって何かと楽に運ぶとフレディはずっと考えていた。実際その通りだった。メアリー(注:フレディの女性としての最初の恋人)は、もうずいぶん前からマスコミでフレディの生活に関わる人間として知られているから、彼女なら簡単にマスコミをあしらえるだろうとフレディは思っていた。でも僕のこと(注:ジム・ハットンのこと)は常にマスコミから守ろうとしていた。フレディは初めて自分の中に満ち足りた思いを感じているとインタビューにこたえていたが、それは僕たちのことを言っているのだと彼は僕に言ったんだ』

 同時期のロジャー・テイラーもジムに対して、フレディは以前とはまるで別人になったようだと言っていた。以前はみんながホテルに戻った後もゲイのたまり場をうろついていたのに、そんなことはもうしなくなった。いったいフレディに何をしたんだとわかってて聞いたようだが、ジムにとっては何よりの誉め言葉だったに違いない。
 確かにフレディ・マーキュリーはハード・ゲイのような態度や雰囲気を湛えていたから、その当時も暗黙の了解みたいなものがあったのだろうけれど、ゲイということは公式にも非公式にも明かされてはいなかった(と思う)。また、メアリーという女性の元恋人がいるなんて自分は全く知らなかった。そんなプライベートなことよりも、音楽性の方が大事だったし、バラエティ豊かな音楽性の中からファンクに走ったり、映画音楽を担当したりと、何となく方向性が定まらない80年代以降のバンドの行く先の方が、最大の関心事だった。また、それと同時に不安の原因にもなっていたのである。

 さて、「クィーンのラスト三部作」の最終回は、1995年に発表された「メイド・イン・ヘヴン」である。当然のことながら、フレディ・マーキュリーの死後発表されたアルバムだが、収録された曲の中には、1991年の「イニュエンドゥ」制作時に録音された曲をもとにして作られたものもあり、そういう意味では、フレディ・マーキュリーの遺作ともいうべき内容を伴っていた。
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 大雑把に言うと、フレディ・マーキュリーの死後、約4年間をかけて過去の既発や未発の曲を集めてきて、さらにブラッシュアップしたアルバムといえるだろう。つまり、フレディを除く3人がフレディの意志を引き継ぎ、バンドとしての最後の輝きを放とうとしたような、そんなバンドとしての結束性や力強さを感じさせてくれるアルバムなのだ。だからこのアルバムは、バンドとしての15枚目のスタジオ・アルバムとして公認されている。アルバムのフロント・カバー写真には、スイスのモントルーにあるジュネーヴ湖(別名レマン湖)のほとりに立つフレディの銅像の写真が使われていて、実際にこの場所は、観光地にもなっているという。
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 曲数自体は11曲と、以前のバンドのアルバムとしては多くはなく、むしろ少ない方だ。これはフレディの最後のレコーディングができるだけ数多く収録したものの、断片的なものしか残っていないということが主な原因だった。だから、他のメンバーの作品も収録されているのである。実際にブライアンは、当時を回顧しながら、「イニュエンドゥ」完成後もスタジオで生活しながら、フレディの調子のいい時を待ってレコーディングを行っていて、『バンドのメンバーは、フレディにとって残された時間は本当に少ないと聞かされていたからだ。僕らは目一杯、彼の意向に沿うことにした。彼は歌わせてくれ、書ける曲は何でも書いてくれ、それを歌うからと言っていた』と述べていた。

 プロデューサーだったデヴィッド・リチャーズは、普段のフレディの録音時の様子からこのアルバムを次のように判断していた。『フレディは、いつも最後にボーカルの音入れをやっていた。曲が完成するまで待ってから自分の声を入れていたんだ。ところが、「メイド・イン・ヘヴン」に収められている曲の中には、まだ曲が完成していないにもかかわらず自分の声を吹き込んでいるのもあった。自分の残された時間を考えると、曲が完成するまで待てなかったのだろう。だからこのアルバムは、彼が絶対にリリースしたいと考えていただろうし、彼の最後のアルバムだ、絶対に世の中に発表しないといけないと思ったね』

 2013年には、ブライアン・メイが「メイド・イン・ヘヴン」は、今まで制作してきたクィーンのアルバムの中で最上の作品だとインタビューに答えていた。『何より美しいし、作り上げるまでに長くて険しい道のりを歩んできたからだ。本当の愛の苦悩の結晶なんだ』確かに、どちらかというと、バラエティ豊かで、ある意味、散漫な印象もあったクィーンのアルバムの中では、“フレディの意志”という点では首尾一貫しているし、統一性があるといえよう。
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 1曲目の"It's a Beautiful Day"は、1980年のドイツのミュンヘンでデモテープが制作されていたものを、ジョン・ディーコンが2分32秒までに引き延ばしたもの。当時のクィーンは「ザ・ゲーム」のアルバムを制作中だった。その時にフレディが作った曲が原曲になっている。アルバムの全体の雰囲気をよく掴んでいる曲だと思う。

 2曲目のアルバム・タイトル曲"Made in Heaven"もまた、力強いフレディのボーカルを堪能できる曲で、1985年の彼のソロ・アルバム「ミスター・バッド・ガイ」の中の曲だった。バックの演奏は、このアルバムのためにブライアンとジョンとロジャーで再録している。
 "Let me Live"は、ゴスペル風味あふれるバラード曲で、元は1984年の「ザ・ワークス」制作時に作られたものだった。ロッド・スチュワートとともに録音されたと言われている。それをロッドの部分を削除して、録音し直されている。珍しいところでは、ボーカルがフレディからブライアン・メイ、ロジャー・テイラーと引き継がれて歌われているところだろう。また、歌詞がエマ・フランクリンの"Piece of My Heart"と似ていたため、著作権に引っかからないように改作されていた。

 "Mother Love"は、フレディとブライアンが一緒に作った最後の曲で、1991年の5月13日から16日にかけて録音された。曲の最後のヴァースになって、フレディはちょっと休んでくるといって、スタジオから出ていってからまた戻って書き上げた。しかし、それからはスタジオに戻ってくることはなく、仕方なくブライアンが最後の部分を歌っている。この曲にはまた、1986年のウェンブリー・スタジオのライヴ音源や"One Vision"、"Tie Your Mother Down"のスタジオ・ヴァージョンのイントロ、フレディが1972年に歌っているキャロル・キング&ジェリー・ゴフィンの曲"Goin' Back"もほんの一部ではあるが使用されていた。

 "My Life Has Been Saved"はジョン・ディーコンの作品で、元々はアコースティック・ヴァージョンだった。それを当時のプロデューサーだったデヴィッド・リチャーズがキーボードを加え、バンド全体で演奏して、1989年のシングル"Scandal"のBサイドに収録された。今回アルバムに収録するときに、フレディのボーカルはそのままで、演奏を取り直している。ちなみに、基本のギターやベース、キーボードはジョンが演奏している。

 6曲目の"I was Born to Love You"は、日本でも特に人気の高い曲で、テレビドラマやCMでも使用されていた。音源は「ミスター・バッド・ガイ」のアルバムからで、このアルバムではテンポを少し早くし、ブライアンのギターをフィーチャーしていて、この「メイド・イン・ヘヴン」の中では、ハード・ロックとして聞こえてきそうだった。

 7曲目の"Heaven for Everyone"もまたミディアム・テンポの曲で、いかにもフレディのボーカルを噛み締めて味あわせようとするかのような曲調だった。元々は1987年にロジャー・テイラーの書いた曲で、自身のバンド、ザ・クロスのアルバム用だった。ゲストとしてフレディが歌ったものをボーカル部分だけ取り出して録り直している。

 "Too Much Love Will Kill You"は、「ザ・ミラクル」前後にブライアン・メイとフランク・マスカー、エリザべス・ラマーズという3人が共作したバラード曲で、著作権の関係からか、それまでクィーンのアルバムの中では発表されず、のちにブライアン・メイの1992年のソロ・アルバム「バック・トゥ・ザ・ライト」で発表されている。「フレディ・マーキュリー追悼コンサート」で初めて公にされたもので、ブライアン・メイはピアノを弾きながら歌っていた。

 "You Don't Fool Me"は、何となくファンキーで、お洒落な感じを伴う曲で、クィーンらしくない。曲の枠組みはかつてのプロデューサーだったデヴィッド・リチャーズが手掛けていて、それにフレディがボーカルを入れ、バンドが演奏を加えている。ただ、このアルバムの中では躍動感があり、ハードではないものの、好印象を与えてくれる。この曲もフレディが亡くなる前の録音だと言われている。

 10曲目の"A Winter's Tale"は、フレディが病気の末期にスイスのモントルーに来て、自分のフラットで作曲したもの。彼の最後の自作曲だと言われている。そういう経緯があったからか、ジュネーヴ湖畔に彼の銅像が建てられたのだろう。この曲もまた、フレディ自身が死期を強く意識しながら書かれたものだろうが、哀しみや苦しみなどは全く感じさせず、むしろ彼の力強いボーカルに逆にこちらが励まされるようだ。まさに感動的なバラードで、クィーン・ファンでなくても、感慨はひとしおだろう。
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 11曲目は、冒頭の曲"It's a Beautiful Day"のハード・ロック・ヴァージョンだった。最後に"The Seven Seas of Rhye"のピアノが挿入されていた。アルバムのクレジットはこれで終わっているが、11曲目に続いて12曲目に"Yeah"という曲が収められているそうで、これは単にフレディが、"Yeah"と言っているもの。むしろ、11曲目の曲の最後にフレディが歌ったものと考えても問題はないようにも思えた。

 問題は13曲目で、22分32秒にわたって、アンビエント・ミュージックのようなサウンドが延々と続く。いわゆる隠しトラックだろう。約2か所くらいでちょっとした演奏っぽい雰囲気が伝わって来そうになったが、すぐに元の環境音楽に戻ってしまった。最後に一言が聞こえてきて終わるのだが、たぶんフレディの声だろうけれど、何と言っているのかわからなかった。ネットで検索してみると"FAB!"と言っていると書かれていたが、本当だろうか。でも、"FAB"って、“素晴らしい”という意味だけど、フレディは最後に自分の人生を振り返って、素晴らしい人生だったと思ったのだろうか。そりゃ自分の誕生パーティーに8000万円も一晩でお金をかけるのだから、素晴らしいに違いない。
 前述のジム・ハットンの手記によれば、そのパーティーの様子はすべてビデオ撮影されていたらしいのだが、あまりにもエグイので鑑賞に堪えられず、すべてお蔵入りになったという。関係者がこの世からいなくなれば、そのうちどこからか、ひょっこりと出てくるかもしれない。ただ一般公開は無理だろうけれど。
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 というわけで、遅ればせながら、映画「ボヘミアン・ラプソディ」の影響を受けて、クィーンの最後の三作品について綴ってみた。もちろんフレディ・マーキュリー自身も素晴らしい不出世のボーカリストだと思うが、最後まで輝かしいキャリアを築き上げることができたのも、他の3人のメンバーが彼の最後を看取るという決意で、彼を支えていったからではないだろうかと思っている。
 それはまた、彼がエイズという、当時では不治の病と言われた病気になってしまい、人生自体が限定的になってしまったからだろう。エイズという病に冒されたからこそ、最後の三部作は、輝かしい不滅の光を放つ作品群になったのである。

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2019年4月 8日 (月)

クィーンのラスト三部作(2)

 1980年代から90年代にかけて、先天性免疫不全症候群(通称;エイズ)という病気は、不治の病として恐れられていた。つまり、一旦、エイズウィルスを保持してしまうと、ほぼ間違いなく数か月から数年のうちに亡くなってしまうと信じられていた。
 もちろんそれは間違いではなくて、確かに当時では、発症すれば死を待つしかないのは事実だった。しかし、その対策が進んだ現在では、発症を遅らせたり、発症しても進行をくい止める方法が研究され、実際に感染後でも治療を開始すれば、余命は平均寿命に並ぶと言われている。それだけ臨床検査などで、新薬の開発が進んだせいだろう。

 それで、クィーンのフレディ・マーキュリーがもしそういう新薬を接することができていれば、今もなお現役で活躍していたかもしれない。もし生きていれば、今年で73歳になっていた。ミック・ジャガーが今年76歳だから、ほぼ同世代なのである。

 それで、今回は、クィーンの実質的なラスト・アルバムとなった1991年に発表された「イニュエンドゥ」について記すことにした。Innuendo
 前作のアルバム「ザ・ミラクル」が久しぶりに気合の入ったアルバムで、メンバー全員で制作されていて、セールス的にも好調だった。それで引き続きメンバーは、1989年の3月からロンドンやスイスのモントルーでレコーディングを始めたのである。
 当初は、1990年のクリスマス時期を狙って発表しようと計画されていたが、残念ながらフレディ・マーキュリーの病気の進行が早くて、その時期が遅れてしまったのである。

 当時のフレディ・マーキュリーについて、様々なメディアがエイズではないか、しかも末期症状だとか根拠のない噂話(実際は本当の話だったのだが)を書き立てていた。もちろん、彼自身はそれらを認めることはなく完全否定を続けていたのだが、1990年2月のブリット・アワードの授賞式で4人全員がそろった時のフレディのやつれた姿は、誰がどう見ても間違いなく何かの病気にかかっていると思われた。

 それで、1991年の2月に発表されたアルバム「イニュエンドゥ」は、初期のクィーン・サウンドが甦ったような原点回帰されたアルバムとして好意的に迎えられた。ただ、“イニュエンドゥ”とは、“暗示”や“ほのめかし”という意味だそうで、今となって考えればフレディの病のことについて仄めかしていたのだろう。

 冒頭のアルバム・タイトル曲の"Innuendo"は、ブライアンとロジャーとジョンの3人のジャム・セッションから生まれた曲で、2階で聞いていたフェレディは慌てて降りてきて、この曲にメロディと中間部の歌詞を付け加えたという。
 また、歌詞はロジャー・テイラーが引き継いで書き加え、シンセサイザーによるオーケストラは共同プロデューサーのデヴィッド・リチャーズが、途中のフラメンコ・ギターはイエスのギタリストであるスティーヴ・ハウが担当していた。彼はスタジオに遊びに来た時に、演奏してくれと頼まれたようだ。できればもう少し長く演奏してほしかった。イギリスでは、この曲が1991年の1月にシングルカットされて、見事に初登場1位を記録している。

 続く"I'm Going Slightly Mad"は、フレディの書いたミディアム・テンポの曲で、スイスのモントルーで作られたもの。この曲のプロモーション・ビデオは黒白のフィルムで、フレディもぼさぼさの髪に白い手袋をして出演していたが、かなりの厚化粧だった。メンバーのロジャー・テイラーもこの時のフレディの姿を見て、かなり深刻な病気だなと思ったと後に告白していた。

 "Headlong"はテンポのよいハード・ロック風の曲で、ブライアンのギターが目立っている。もちろんブライアンが書いた曲だが、彼は自分のソロ・アルバム用に録音していたのだが、フレディがこの曲を聞いて、クィーンのアルバムに入れることを強く主張したので収められたもの。ブライアンの書いた曲はギターが目立っているのでわかりやすい。

 続く"I Can't Live With You"もまたブライアンのソロ・アルバム「バック・トゥ・ザ・ライト」用にレコーディングされたものだが、クィーンの他のメンバーが気に入ってしまい、このアルバムに収録された。いかにもクィーンと言われそうなコーラスと後半のギター・ソロが、彼らの全盛期を彷彿させる。

 "Don't Try So Hard"はフレディの作ったバラード曲で、ファルセットで始まり、高い音域までカバーしている。もちろんエコー処理などの音響的なテクニックなどを使用しているのだろうが、初期の彼らのアルバムを聞いているような感じがしてきて、まさに“原点回帰”という言葉がふさわしい曲に仕上げられている、

 勇ましいタイトルをつけられた"Ride the Wild Wind"は、サーフィン用の曲ではなくて、カーレースのことをイメージされて作られたもので、バンドの中で車といえばこの人、ロジャー・テイラーが作った曲。デモ・テープではロジャーが歌っていたが、本番ではフレディが歌い、ロジャーはバック・コーラスに回っている。また、「オペラ座の夜」の中の"I'm in Love with My Car"の続編とも言われていて、いかにもロックン・ローラーであるロジャーらしい作品になっている。Qooonlineshop_pfmyhbevh0_1
 "All God's People"は、フレディが自分のソロ・アルバム「バルセロナ」用に作った"Africa by Night"という曲が原曲で、このアルバムの中で唯一、個人名義のクレジットになっている。つまり、他の曲はすべてクィーン名義なのに、この曲だけは”フレディ・マーキュリーとマイク・モーラン”名義になっていた。本来ならフレディとモンセラート・カバリエが歌うはずだったのだが、結局、選から漏れてしまったようだ。
 自分のアルバム用の曲だったので、ボーカルがかなり多重録音されていて、オペラチックな印象を受ける。それでもクィーン風のロックにアレンジされているところが素晴らしいし、アルバムに統一感をもたらしていると思う。4分21秒のオペラだろう。

 8曲目の"These Are the Days of Our Lives"は、ロジャー・テイラーの作品で、全体的にシンプルで落ち着いた曲調になっている。その中でブライアン・メイのギターが、飛翔するかのように鳴り響いているのが印象的だった。また、この曲のプロモーション・ビデオもまた黒白のフィルムで、フレディ・マーキュリーの生前最後の姿が映されていて、最後に彼の唇が"I still love you"と動いていた(曲の中では歌っている)。ファンに対する最後のメッセージだったのだろう。

 "Delilah"は、フレディが買っていた11匹の猫の中の最も愛した雌猫の名前で、もちろんフレディが書いた曲だった。ブライアンがトーク・ボックスというエフェクターを用いて猫の声のような音を出している。ただ、ロジャーは後にこの曲は好きではないとインタビューで告白していた。

 ハード・ロック好きならこの曲は気に入るだろう。"The Hitman"は、フレディが基本的なリフを書き、ジョンが肉付けをして、ブライアンがキーを代えてレコーディングしたもの。この曲を聞いて、フレディが不治の病に冒されているなどとは思いもしないだろう。それだけインパクトの強い曲でもある。

 "Bijou"はフレディとブライアンの2人だけで作った曲で、アイデアはフレディからもらい、フレディが歌ったあとをブライアンのギターがその音を拾っていくという作業から生まれたもので、ギターが歌詞の部分を、ボーカルがサビの部分を担当していた。
 また、イエスの1974年のアルバム「リレイヤー」の中の通称"Soon"という部分に関連付けられることが多いようだ。ブライアンは後に、ジェフ・ベックの1989年のアルバム「ギター・ショップ」に収録されていた"Where Were You"に影響を受けた曲だと述べていた。最後の曲になった次の"The Show Must Go On"の序章のようにも思える。

 そして"The Show Must Go On"である。曲の基本は、ブライアンとロジャー、ジョンで作られていて、曲のテーマと歌詞はフレディが手掛けている。ただ、最初の節の部分は、ブライアンも手伝っているようだ。曲調はクィーンの1989年の曲"I Want It All"に似ているが、ブライアンはバロック期のドイツ人作曲家であるヨハン・パッヘルベルのカノンにインスピレーションを受けたと語っていた。いずれにしても、このアルバムの白眉であり、フレディ自身が希望と諦観を同居させながらも、自分自身の死に対峙して歌っているところが、涙無くして聞くことはできないだろう。199e675ddf22914cd7de7330e5eebaff
 自分がこのアルバムを聞いたときは、まだフレディは生きていて、曲の中の力強いボーカルを聞いたときは、数か月後に彼が亡くなるとは思ってもみなかった。実際は、アルバム発表後の約半年後には亡くなっていたから、レコーディングやプロモーション・ビデオ制作時にはかなり衰弱していたようだ。そんなことはこれっぽっちも知らなかったから、このアルバムを聞いても、もう少しシングル向けの曲が欲しかったなとか、珍しくゲスト・ミュージシャンがいるなとか、そんな感想しか持てなかった。

 しかも、ここ極東の日本にいては彼の詳細な様子はわからず、1991年の11月23日にフレディがエイズに冒されているという報道があり、翌24日に45歳で亡くなったということを知ったのは、25日だった。自分にとってはあまりにも早すぎる彼の死であった。

 だからこのアルバムは、クィーン版“アビー・ロード”ともいうべきものであり、迫り来る死を自覚したフレディが最後の気力を振り絞って制作したものであり、文字通り彼の遺作なのである。

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2019年4月 1日 (月)

クィーンのラスト三部作(1)

 遅ればせながらクィーンである。昨年末のクィーン再評価現象は、本当に影響力があったようで、ついにはその再評価のきっかけとなった映画「ボヘミアン・ラプソディ」が、アカデミー賞の主演男優賞ほか4部門で受賞までしてしまった。当時を知る者としては、誠に感慨深いものがあった。71gio3nhzfl__sy355_
 ただあくまでも個人的な感想だが、自分は一度見れば十分というか、70年代から80年代にかけてロックの黄金期に、やりたい放題し放題、自分の才能のほとばしるままに彗星のように生きていったフレディ・マーキュリーのストーリーには、心情的にはあまり共感できないでいる。それは自己責任だから仕方ないよなあと、単純に思ってしまったからだ。

 ある人が言っていたけど、あのフレディの生き方が映画になるのなら、ジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソンやジョン・レノン、あっ、ジム・モリソンの映画はあったなあ、つまりそんなロック史における夭折した天才ミュージシャンの伝記映画を作ろうと思えば、他にもいくらでも題材はあるだろう。何もフレディ・マーキュリーにだけ焦点化しなくてもいいのではないのかと言っていたが、まあそれも一理あるだろう。ただこの人はクィーン嫌いの人だったので、半分やっかみみたいのもあったのかもしれない。

 確かにほぼ同時期に、エリック・クラプトン自身がナレーターも担当した彼の伝記映画も上映されていたが、こちらはクィーンの映画ほどは話題にはならなかったようだ。320
 自分的にはこちらの映画の方がショッキングで、ドラッグでラりって演奏するシーンや鼻から吸引する姿も映し出されていたから、これはR指定してもいいのではないのかと思ったりもした。さらに、90年代に入ってからもアルコール中毒症だったことを告白していて、結局、60年代の終わりから、ドラッグかアルコールか、あるいは恋愛か、ずっと何かに依存症だったということになる。クラプトンの映画は、そういう驚きが満載の映画だった。

 それはともかく本題に戻すと、クィーンがというか、フレディ・マーキュリーが自身がエイズという病気のキャリアだというのが分かった1985年か86年だったわけで、それ以降にクィーンのメンバー4人で制作したアルバムが1989年の「ザ・ミラクル」だった。タイトルがいかにもフレディの病気のことを想起させてくれるが、これはアルバムの中にある曲名から取られたものだった。71x9rn0y47l__sl1078_
 思えば、1986年の「マジック・ツアー」終了後に、フレディは“最低2年はバンドを離れる”と公言していたし、その言葉通りに2年後の88年頃から、約1年をかけてこのアルバムのレコーディングが開始されて行った。
 ただ、この2年の間に何もしなかったというわけではなくて、フレディはスペインのオペラ歌手モンセラート・カバリエとデュエット・アルバムを発表したし、他のメンバーでは、ドラマーのロジャー・テイラーは自身のバンド、ザ・クロスを結成してアルバムの発表とそれに伴うライヴ活動を行っていた。ブライアン・メイやジョン・ディーコンも他のバンドのプロデュースやアルバムに参加していた。だから、誰もがクィーンは健在だと思っていたのだ。

 それでこの89年のアルバム「ザ・ミラクル」では、曲のクレジットがすべて“クィーン”名義になっていた。それまでは各曲ごとに実際に手掛けたメンバーの名前が記載されていたが、もう一度バンド結成の原点に戻って、全員でアルバムを手掛けることになるのだから、権利関係も公平にしようとしたのだろう。

 この辺の経緯は、映画「ボヘミアン・ラプソディ」にも描かれていたから、見た人は分かると思う。フレディと他の3人の確執を解消するために、3人がフレディに認めさせた形になっていたけど、作曲クレジットによる金銭問題は、制作意欲の減退につながり、やがてはバンド解散という危険を含んでいたのだろう。

 今回のブログ用に久しぶりに引っ張り出して聞いたけど、このアルバムなかなか良い。1曲目の"Party"からノリノリなのである。だいたいクィーンのアルバムは、1曲目が特徴的でユニークなものが多い。"Procession"、"Brighton Rock"、"Death on Two Legs"、"We Will Rock You"、"Mustapha"、"Radio Ga Ga"など個性的で独創的だ。
 ただ、アルバムのジャケット写真が気に入らなかった。特に、裏ジャケットのメンバー4人の目だけの写真が不気味で、同様のアイデアの写真はレインボーのアルバムにもあったけれど、ちょっと個人的には抵抗感があった。だから、何となくリピートして聞くのを、ためらっていたのかもしれない。

 このアルバムでも"Party"から"Khashoggi's Ship"へはメドレー形式で続いていて、このアルバムがロックン・ロール・アルバムであるということを定義付けている。"Party"はフレディとブライアン、ジョン・ディーコンの3人がジャム・セッションをしながら形作っていったもので、曲の冒頭部分だけブライアンが歌っている。

 "Khashoggi's Ship"は、フレディのアイデアに他の3人が曲を膨らませていったもので、まさに4人の共同制作曲だ。曲のモチーフは、サウジアラビアの大富豪で武器商人の所有している世界最大規模のヨットのことを意味していて、ある意味、皮肉を込めた反戦歌なのだろう。

 アルバム・タイトル曲の"The Miracle"もフレディ特有のミディアム・テンポ調から後半はギター・ソロとベース音がフィーチャーされていて、彼らの意欲というかやる気が伝わってくるのである。ただ転調が多い曲で、誰が聞いてもフレディが作った曲というのがすぐわかるというもの。実際は、フレディとジョン・ディーコンの共作曲だった。

 このアルバムは気力十分で作られているせいか、ハードで硬質なイメージを伴っている。言ってみれば、“ギター・オリエンティッド・アルバム”なのである。それがよく表れているのが、"I Want It All"であり、"Breakthru"だろう。
 また"The Invisible Man"は、リズムが独特というか、クィーン流ファンク・ミュージックを表していて、ちょうど82年のアルバム「ホット・スぺイス」の曲を進化させた感じだ。Miracle2compressor
 7曲目の"Rain Must Fall"は、ジョン・ディーコンが曲を書き、フレディが歌詞をつけたもので、ラテン・パーカッションの部分はロジャー・テイラーが書き加えたもの。“クィーン流カリプソ”あるいは“ラテン・ミュージック”ともいうべきか。でも、ギター・ソロが加わったラテン・ミュージックはあまり聞いたことがない。さすがクィーンである。

 "Scandal"は、ブライアン・メイがイギリスのプレスについて書いたもので、当時の彼の離婚というデリケートな問題やフレディのエイズ疑惑について盛んに書き立てていたので、それについて一言述べている。要するに表面的に面白おかしく記事にするんじゃなくて、もっと本質的な部分を見ろよと言いたいのだろう。この曲のシンセ・ベースは、このアルバムの共同プロデューサーだったデヴィッド・リチャーズが演奏している。

 "My Baby Does Me"もフレディとジョン・ディーコンの共作で、これも“クィーン流ブラック・ミュージック”だろう。この時期のこの手の楽曲は、80年代初期よりも洗練されていて、なかなかいい雰囲気を醸し出している。

 そしてアルバム最後の曲、"Was It All Worth It"は、ファンの間でも特に人気の高い曲で、人によってはこのアルバムの中のベスト・ソングだと推す人もいるようだ。デビューして間もない70年代初期のハード・エッジなエネルギーに満ちていて、確かにこのアルバムの方向性を示している。基本はフレディが作っていて、ベース・ラインはジョン・ディーコンが、ギター・パートはブライアン・メイが手を加えている。L_0203902
 とにかく、このアルバムは気合が入っている。曲のクレジットをバンド名にしたのもうなずける話だった。とにかく、当時は表ざたにはなっていなかったけれど、フレディ自身の病への自覚が、このアルバムを統一感のあるものに仕上げたのかもしれない。
 ただ、他のメンバーはフレディの病気については薄々気がついていたのかもしれないが、それについて言及するのは避けていたようだ。

 この「ザ・ミラクル」は、そういうメンバー間の緊張感も伝わってくるような素晴らしいロックン・ロール・アルバムだった。(To be continued...)

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2019年3月25日 (月)

金属恵比須(2)

 さて、2ヵ月にわたって綴ってきた“プログレッシヴ・ロック特集”も、今回で一応終わりにしたい。ビリー・シャーウッドのバンドからムーディー・ブルースのメンバーのソロ・アルバムなどを取り上げてきたのだが、正直言って、かなりマイナーだったような気がする。

 まあ、このブログ自体が超マイナーなので、別にどうでもいいことなのだが、いまや“プログレッシヴ・ロック”自体が現在のミュージック・シーンから消えかかりそうな状態なので、何とか復活してほしいという願いを込めて記してきたつもりである。
 でも、昔のバンドやミュージシャンばかりだと、“温故知新”的な面もあるけれど、結局、“あの頃は良かった”的な懐古趣味に陥ってしまう危険性も考えられる。したがって、最終回の今回では、“今を生きる”プログレッシヴ・ロック・バンドについて述べることにした。

 “今を生きる”といっても、2016年の12月12日付で、このバンドのことは紹介していた。日本が世界に誇るプログレッシヴ・ロック・バンドの金属恵比須である。
 彼らのことは既に述べているので、彼らが昨年の8月に発表した一番新しいアルバム「武田家滅亡」について、簡単に紹介しようと思う。

 このアルバムは、タイトルからも分かるように、戦国時代に実在していた武田信玄の息子勝頼のことを歌っていて、武田家の滅亡を描いた伊東潤の傑作歴史小説「武田家滅亡」をテキストにしていた。そして、音楽的には「武田家滅亡」という“小説のサウンドトラック”をイメージして作られたといわれている。

 アルバム・ジャケットのスリーヴ・タイトルには、「武田家滅亡(オリジナル・サウンドトラック)」と書かれていて、まるで映画音楽のような感じがするが、実際は上にも記したように、映画ではなく小説のバックグラウンド・ミュージックなのである。61dtzpscn1l
 また、アルバムの裏ジャケットには、作家の伊東潤氏の次のようなコメントが記載されていた。「天正十年、戦国最強を謳われた武田家は滅亡した。その七年前の長篠合戦後から滅亡までを描いたのが拙著『武田家滅亡』だ。この作品を読んで感銘を受け、音楽で再現しようと思い立ったのが高木大地氏である。氏は文芸作品に造詣が深く、小説や民間伝承をモチーフとした作品を数多く手掛けてきた。その心の琴線に拙著の一つが触れ、こうしてアルバムとして結実したことは、作者として無上の喜びである。
 このアルバムは静と動のコントラストが明確で、戦国時代の非情や悲哀が見事なまでに再現されている。これこそは、音楽、歴史、文芸作品が三位一体となった新しい試みであろう。
 かくして時空を超え、ここに武田家はよみがえったのだ。」

 この文を読めば、このアルバムのコンセプトが明確に伝わると思う。ここに出てくる高木大地氏とは、この金属恵比須のリーダーで、唯一のオリジナル・メンバーでもあるギタリストを指している。

 アルバムは11曲で構成されていて、冒頭の"新府城"から7曲目の"天目山"までが、いわゆる組曲形式の「武田家滅亡」であり、残りの4曲はそれぞれが独立した曲になっていた。

 1曲目の"新府城"は、ゼップの"Kashmir"を70年代のクリムゾンがバックアップしたような曲で、"Kashmir"のあのリフにメロトロンが覆いかぶさってくるようなサウンドが痺れさせてくれる。この曲を聞けば誰でも続きを聞きたくなるもの。この曲だけ聞いて、アルバム全体の進行をStopできる人は、真のプログレッシヴ・ロック・ファンではないと言えるだろう。

 次の"武田家滅亡"は、アップテンポのプログレッシヴ・メタル・ソングだ。歌詞の中に出てくる“東奔西走”、“議論百出”、“孤軍奮闘”、“捲土重来”などの四文字熟語がこれほどマッチするメタルチックな曲は、他にない。演奏テクニックのみならず、歌詞を通してアルバム・タイトルをイメージさせるパワーを持っている。まさに“金属恵比須ワールド”を表出している曲だろう。ちなみに、この曲の歌詞制作には、小説の原作者である伊東潤氏も関わっていて、だから、入試に出るような四文字熟語が使用されたのかもしれない。

 3分40秒程度しかない短い曲だが、リフレインする“武田家”、“滅亡”というところは、まさにコール&レスポンスの世界だ。ライヴだったらきっと盛り上がるだろう。
 続く"桂"はインストゥルメンタル曲で、前曲とは違い、ガットギターのアコースティックな柔らかさを感じさせてくれた。ボーカルは“ラーラララ”と歌うだけで、ガットギターとたぶんメロトロンによるフルート音、ボーカルが三位一体でハーモニーを奏でている。

 一転して"勝頼"では、来ましたE,L&Pの"Tarkus"の再来である。手数の多いドラミング、主旋律を導くハモンド・オルガン、間を飛び交うムーグ・シンセサイザー(最近ではモーグ・シンセサイザーというらしいが、70年代ではこう呼んでいたのだ)、後半に顔を出すフリップ風のギター・サウンド、70年代のプログレッシヴ・ロックのオマージュに溢れている。

 5曲目の"内膳"は穏やかなバラードだ。この曲ではボーカルが入っていて、故郷である甲斐の国への郷土愛や国防の精神を歌っている。この曲もまた2分少々と短くて、アルバム前半は、短い曲が連続して配置されている。
 次の"躑躅ヶ崎館"もまた、不協和音を交えたピアノ・ソロのインストゥルメンタル曲で、雷鳴などのSEも使用されて、武田家の将来を予感させるような不穏な曲だった。次の組曲最後の"天目山"のプレリュードなのだろう。Adjzvep36jhgd4rnhxmkjklrogwuhcojbgb
 7曲目の"天目山"はクリムゾンのセカンド・アルバム「ポセイドンのめざめ」の中の"The Devil's Triangle"のような出だしから、アルバム冒頭の"新府城"でのフレーズへとつながり、エンディングを迎える。いわゆる“円環的な手法”が使われており、トータル・アルバムとしてのアイデンティティが示されているようだ。

 ここまでが“武田家滅亡”の小説のサウンド・トラックで、短い曲が畳み込まれて編成されているから、イントロからエンディングまで、まるでジェットコースターに乗っているかのように流れて行く。強盛を誇っていた武田軍団が、奈落の底に落ちていくかの如く、滅び去るさまが見事にイメージされ音楽として表現されている。まさに圧巻の出来栄えだろう。

 8曲目の"道連れ"は、金属恵比須風のライトタッチなポップ・ソングだ。ポップといっても、普通のラジオで流れるような音楽ではなくて、耳に馴染みやすいという意味でのポップであり、やっている楽曲自体は、ギター・ソロも含めて、ドリーム・シアターの日本版という気がした。3分過ぎからはメロトロンも使用されているし、プログレッシヴ・ロック・ファンなら一度は聞いておいても損はしないだろう。 ただし、この曲も3分55秒しかなかった。

 続く"罪つくりなひと"もボーカル入りで、曲はメンバー全員で作っている。ミディアム・テンポの曲で、途中でメロトロンや分厚いストリングス・キーボード、テクニカルなギター・ソロを聞くことができるところがうれしい。珍しく4分57秒もあった。

 10曲目の"大澤侯爵家の崩壊"は、グランド・ピアノによるソロ演奏で、荘厳で陰影に満ちている。1分53秒の短い曲で、これもまたアルバム最後の曲"月澹荘奇譚"の序曲なのだろう。

 その"月澹荘奇譚"は、ハードなバラード風の曲で、これもまたメンバー5人で作った曲だった。4分25秒くらいからのムーグ・シンセサイザーで前半と後半が仕切られているようで、前半はボーカル主体のメロディアスな構成、後半はブルージィーなギター・ソロがフィーチャーされた後は、再びボーカル・パートが顔をのぞかせ、ギターとシンセサイザーとが絡み合っていく。Euaerm4kauyqoqjo0fcn9tywtwos1bcprur
 ボーカルがフェイド・アウトした後は、やや長いエンディングが気になるのだが、シンセサイザーの主旋律に導かれて終息へと向かっていく。この辺はスウェーデンのフラワー・キングの手法によく似ている。この曲だけは10分27秒と長かった。アルバム全体としては、41分50秒と、今どきのアルバムにしては短い方だろう。

 とにかく金属恵比須は、今の日本を代表するプログレッシヴ・ロック・バンドである。できれば生きている間に一度はライヴに接してみたいと思っているのだが、地方にまで出稼ぎで来てくれない限りは無理なのかもしれない。最後に、この素晴らしいミュージシャンたちを紹介して終わりにしたい。
ギター     …高木大地
キーボード   …宮嶋健一
ベース・ギター …栗谷秀貴
ボーカル      …稲益宏美
ドラムス    …後藤マスヒロ

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2019年3月18日 (月)

ジョン・ロッジ

 1960年代末から80年代後半まで一世を風靡したイギリスのプログレッシヴ・ロック・バンドのムーディー・ブルースのスピン・オフ第3弾は、ジョン・ロッジの登場である。
 彼は、ジャスティン・ヘイワードとともに後からバンドに加入したメンバーだったが、ジャスティン・ヘイワードとともにバンドを発展させた功労者でもあった。P05phr0l
 何しろ曲が書けることが彼の強みだったし、しかもロックン・ロールからフォーク調、バタード・タイプの曲まで、幅広く対応できるところも彼の才能の片鱗を示すものだった。
 ムーディー・ブルースの曲でいうと、1972年のアルバム「セヴンス・ソジャーン」からシングル・カットされた"I'm Just A Singer"であり、そこではノリのよいロックン・ロールを聞くことができるし、1971年の「童夢」には愛する娘に捧げた牧歌的な"Emily's Song"が、1969年の「子どもたちの子どもたちの子どもたちへ」には"Candle of Life"という感動的なバラードが彼の手によって提示されていた。

 基本的には、ムーディー・ブルースのメンバーは、全員が曲も書けて歌も歌えるし、複数の楽器を巧みに操る有能なミュージシャンの集まりだった。だから、それだけでもバンドが有名になる要素はあったのだが、その中においてもジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジの才能は、ある意味、突出していたともいえるだろう。Ob_0f4eba_8f1060abd68d1b07b14a7d65e
 ジョン・ロッジは、1945年生まれなので、今年で74歳になる。イギリスのバーミンガム出身で、バーミンガム工科大学に入学したものの、学業にはさっぱり興味を示さず、好きな音楽で身を立てようと、バーミンガム市内のパブやクラブで活動を始めた。小さい頃から彼のアイドルは、バディ・ホリーであり、ジェリー・リー・ルイスだったから、彼の作る楽曲にもその影響が反映されていた。

 1966年にはジャスティン・ヘイワードとともにムーディー・ブルースに参加して、本格的に音楽活動を開始した。それ以降は、バンドのメンバーと切磋琢磨しながら音楽的キャリアを追及し、数々の名曲をアルバムに刻んできたのである。
 そして、ムーディー・ブルースが活動を休止した1972年以降、バンド・メンバーはソロ活動を始めていった。

 ジョン・ロッジはジャスティン・ヘイワードとともに、アルバム「ブルー・ジェイズ」を1975年に発表する。全英アルバム・チャートの4位を記録したこのアルバムについては、前回述べたので割愛するが、それから2年後の1977年には、今度は完全なソロ・アルバムになる「ナチュラル・アヴェニュー」を発表した。
 盟友のジャスティン・ヘイワードも同じ年に、競い合っていたのか、偶然だったのかはわからないが、「ソングライター」という傑作ソロ・アルバムを発表していた。これもユングの唱えた“シンクロニティ”ということに該当するのだろうか。

 それはともかく、オリジナルのアルバムは10曲で構成されていて、すべてジョン・ロッジの手によるものだった。1曲目の"Intro to Children of Rock'n'Roll"は文字通り1分4秒しかないイントロで、最終曲の"Children of Rock'n'Roll"と対をなすものだった。アコースティック・ギターをバックに美しく歌われている。

 2曲目の"Natural Avenue"はゴージャスなロックン・ロールで、何となく50年代を思わせるような雰囲気を備えていた。チェット・アトキンス風のギターは、スティーヴ・シンプソンという人が演奏しているし、サックスはあの大御所メル・コリンズが、ハーモニカはジョン自身が担当していた。聞いているこちら側までが楽しくなってくる曲だ。

 次の"Summer Breeze, Summer Song"はストリングスが曲に厚みをつけていて、曲全体は、タイトル通りの真夏の爽やかな朝を思わせるようなミドルテンポの曲だった。こうやって聞いていると、ジョン・ロッジの豊かな才能を感じさせてくれる。ちなみにここでのサックス・ソロは、ジミー・ジュエルという人が演奏していた。

 "Carry Me (a song for Kristian)"は、ロマンティックなバラードで、ここでもブライアン・ロジャーズが担当するオーケストラが効果を発揮している。メロディラインが美しいし、オーケストラも甘美になりすぎずに、程よい心地よさだった。途中のオーボエやピッコロなどが牧歌的で素朴な雰囲気を高めていた。

 当時のレコードのサイドAでの最後の曲は、"Who Could Change"で、このアルバムの中で最もバラードらしいバラードである。壮大なオーケストレーションに乗って、ジョンは切々と歌っていて、ピアノも彼自身が弾いていた。こういう素晴らしい曲が書けるのであれば、わざわざムーディー・ブルースで歌わなくてもいいのではないだろうか。そんな気もしないではない。

 サイドBの1曲目は、軽快なロックン・ロールの"Broken Dreams, Hard Road"で、ロックン・ロールとはいいながらも、ここでもオーケストラが使用されているし、途中一旦ブレイクしてスローになり、またメイン・テーマに戻っている。ここでのサックスもジミー・ジュエルで、ギターはスティーヴ・シンプソンだった。

 次の"Piece of My Heart"は三拍子のリズムで、ギターはあのクリス・スぺディングが担当していた。クリスは5曲目の"Who Could Change"でも弾いていたのだが、オーケストラの陰に隠れてよく聞こえなかった。でも、ここでは短いながらも印象的なソロを聞かせてくれている。

 このタイトルを見れば、ああきっとバラードだろうと、誰しもが思うはずだ。"Rainbow"という曲は、その名前のような印象に残るバラード曲で、もちろんオーケストラも前面に出ているのだが、クリス・スぺディングのギターも時おり顔をのぞかせてくれる。クリスは"Broken Dreams, Hard Road"以外のサイドBの曲全てに参加していた。

 サイドBの4曲目"Say You Love Me"もバラード曲で、このアルバムで気に食わないところはバラード曲が続いているこの部分だった。こうバラード曲が続くと、何となくジョンが、バラード歌手にでもなったような感じがしてきて、よくない。クリスのギターはこっちの曲の方で目立っているので、前曲の"Rainbow"をもう少し勢いのある曲と差し替えればもっと良くなったのではないだろうか。
 何しろ当時の時代は、パンクなのだ。パンク・ロックと対抗しろとは言わないけれど、これでは時代遅れとか、“ジュラ紀の生き残りの恐竜”と言われても仕方ないだろう。時代の空気感をもう少し反映させてもよかったのではないだろうか。

 そしてアルバム最後の曲が、冒頭の曲を展開させた"Children of Rock'n'Roll"だった。タイトル通りのロックン・ロールで、イントロはゆっくりながらも、やがてミディアム調のロックン・ロールになり、豊かなオーケストレーションやクリス・スぺディングのギターがフィーチャーされてくる。何となくジェフ・リン率いるエレクトリック・ライト・オーケストラの曲を思い出させてくれた。

 ちなみに、このアルバムでは、ケニー・ジョーンズが全ての曲でドラムスを担当している。ある意味、豪華なメンバーが集まっているが、これはジョンが皆に声をかけて集まってもらったという。またこのアルバムは、チャート的には全英で38位、全米で121位を記録した。パンク全盛時代に、よく健闘したのではないかと思っている。また、アルバム・ジャケットは、御覧の通り、あのロジャー・ディーンが手掛けていた。51fpklp5ral
 この「ナチュラル・アヴェニュー」は、良い曲はあるものの、個人的にはバラード色が強すぎて、あまり好きになれなかったのだが、このアルバムから38年後の2015年に、ジョン・ロッジは、2枚目のソロ・アルバムを発表した。「10000ライト・イヤーズ・アゴー~10000光年前に」というタイトルのアルバムだったが、このアルバムが結構イケるし、お薦めなのである。

 全8曲、31分余りしかないのだが、曲が絞り込まれているし、現代風のキレのあるアレンジが施されていて、カッコいいのだ。特に1曲目から3曲目、4曲目まではお勧めである。91xygtgb4ol__sl1500_
 1曲目の"In My Mind"は、ボーカルが始まるまでは、デヴィッド・ギルモアの曲といわれても分からないほどだ。艶とタメのあるギター、バックのコーラス(これは男性コーラス、女性ならまさにギルモアの世界である)、中間部のブルージィーで空間を生かしたギター・ソロなどは、一度は聞いておいて損はないだろう。ギターは前作に続いてクリス・スぺディングが担当していて、絶対にギルモアを意識しているよなと思わせるほど絶妙なのだった。

 2曲目"Those Days in Birmingham"は、ジョンらしいロックン・ロール曲で、ここでもクリス・スぺディングのギターがフィーチャーされているから、疾走感がある。ドラムスはゴードン・マーシャルという人が担当していて、この人は1991年からムーディー・ブルースのライヴに参加している人で、そういう意味でもジョン・ロッジとは息があったのだろう。

 このアルバム制作時のジョンの年齢は70歳だったから、とても70歳の人が作ったアルバムとは思えないほどロックしていたのである。
 3曲目の"Simply Magic"には、何とフルートにはレイ・トーマスが、メロトロンにはマイク・ピンダーが参加していて、曲に色どりを備えていた。アコースティック・ギターがメインの爽やかな曲で、レイのフルートもマイクのメロトロンも表に出過ぎず、裏に隠れ過ぎず、絶妙な塩梅で盛り上げていた。なかなかの佳曲だし、もっと長く聞きたいと思った。

 4曲目の"Get Me Out Of Here"は、ミディアム調ながらも力強い作風を感じさせてくれた。ミキシングが残響を大事にしているのと同時に、余分なものをカットしているからだろうし、クリス・スぺディングのスライド・ギター風の演奏が曲にモダンな印象を与えているからだろう。

 逆に、次の"Love Passed Me By"では、マイク・ピゴットという人のバイオリンがフィーチャーされていて、何となく1920年代のダンスホールのような感じがした。もっとロック調で統一したなら、このアルバムは話題になっただろうし、セールス的にも好調だっただろう。統一感がないのが、ジョン・ロッジの、いい意味でも悪い意味でも、特徴だと思っている。

 6曲目の"Crazy"はまた正統的なロックン・ロールに戻っていた。クリスのギターとアラン・ヒューイットのジェリー・リー・ルイスのようなピアノ演奏は、微妙なバランスを保っていて、御年70歳のボーカルを手助けしていた。
 アラン・ヒューイットという人はアメリカ人で、ジャズからファンク、R&Bにロックン・ロールと幅広く何でもこなすキーボーディストで、2010年よりムーディー・ブルースのツアー・キーボーディストを務めているミュージシャンである。

 続く"Lose Your Love"は哀愁味あふれるロッカ・バラードで、前作のバラードよりも飾り気がなくシンプルで、それがかえっていい味を出している。アルバムに1曲でいいから、こういうバラードを入れてほしいものである。

 そして最後の曲は、アルバム・タイトルの"10000 Light Years Ago"である。このアルバムのテーマについて、ジョンはこのように言っていた。“未来はいつでも手の届くところにある。でもけれど過去は永遠に去ってしまう”、また、“過去の全てが今の自分に結実しているように、このアルバム全体もこの曲に帰結している”とも述べていて、この曲に力を入れて作ったことが伺えた。

 曲自体もミディアム調で、まとまっているし、クリスのギターやアランのキーボードも曲のアレンジに貢献していた。もう少し長めにアレンジするか、冒頭の曲のギルモア風のスペイシーなギター・ソロがフィーチャーされると、もっと印象的になったのではないだろうか。Johnlodgecruiseinterviewjpg
 いまだに現役で活躍しているジョン・ロッジであるが、おそらくこのアルバムが最後のソロ・アルバムになるだろうと思っている。そういう意味では、プログレッシヴ・ロック史には残らないけれど、隠れた必聴盤だと後世に評価されるのではないかと思っている。

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2019年3月11日 (月)

ジャスティン・ヘイワード

 今は“ジャスティン”といえば、ジャスティン・ビーバーやジャスティン・ティンバーレイクを指すが、昔は“ジャスティン”といえば、この人、ジャスティン・ヘイワードだったのだ。というのは、自分が勝手に作った話だが、でも1970年代の初めは、自分の中ではこのジャスティン・ヘイワードだったのである。

 ムーディー・ブルース関連の第2弾は、ジャスティン・ヘイワードについてである。前回も記したけど、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジは遅れて参加したメンバーだった。1966年頃のお話である。

 ジャスティン・ヘイワードは、イギリスのウィルトシャー州、スウィンドン出身のミュージシャンで、現在72歳。15歳頃から活動を始め、若くしてギブソン335を手に入れ、以来ずっと愛用のギターとして使用している。“ギブソン335”というギターは、あのラリー・カールトンも愛用している名器で、赤いボディでセミ・アコースティックという特徴を持ち、多くのミュージシャンや音楽愛好家からも憧れのギターだった。P02k8dw4
 それはともかく、とにかく10代から地元のパブやダンス・ホールで活動を行っていて、その中で演奏テクニックやソングライティングの技術を磨いていったようだ。また、当時の有名なロカビリー歌手だったマーティ・ワイルドと彼の奥さんの3人で、“ザ・ワイルド・スリー”としても活動をしていた。ちなみに、80年代に一世を風靡したキム・ワイルドは、マーティ・ワイルドの娘である。

 ジャスティン・ヘイワードは、若い頃から作曲能力にも秀でたものを持っていたようで、17歳の時に、ロニー・ドネガンのテイラー・ミュージックと8年間の作曲家としての専属契約を結んでいる。この契約は1974年まで有効だったようで、ということは、この間、彼が作った曲の著作権は、ロニー・ドネガンの会社が所有していたということになるのだが、ムーディー・ブルースの楽曲の著作権もそうなるのだろうか。もちろんジャスティンは、この契約のことは後悔していたようである。

 1966年に、メロディー・メイカーの出ていたエリック・バードン&ジ・アニマルズのメンバー募集の広告に応募したのだが、エリックは興味を示さず、ジャスティン・ヘイワードのデモ・テープをマイク・ピンダーに手渡し、それを聞いたマイク・ピンダーがバンドを脱退したデニー・レインの代わりにジャスティン・ヘイワードに声をかけバンドに誘った。ここからが、ジャスティン・ヘイワードの運命が大きく変わるのである。

 その後、彼と盟友ジョン・ロッジが加わって、ムーディー・ブルースは栄光への階段を一気に駆け上っていったのだが、1972年のアルバム「セヴンス・ソジャーン」以降、活動を停止してしまった。その理由は前回記したので省略するが、その間、各メンバーがソロ・アルバムを発表していった。

 最初に発表したのが、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジの共同制作アルバム「ブルー・ジェイズ」だった。61rfuptkml
 1975年のアルバムだったが、元のバンド、ムーディー・ブルースのメイン・ソングライター2人が作ったアルバムだったから、本家のアルバムとそんなに違いのない内容だった。ただし、バックの演奏にはストリングスが多用されていて、メロトロンや他の電子音楽機器は、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジが演奏していた。

 その理由は、こうである。本当は、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジ、それにマイク・ピンダーの3人(+プロデューサーのトニー・クラーク)で、アルバムを作る予定だったのだが、マイクが他の誰ともやりたくない、自分はこのプロジェクトから出ていくといったので、結局、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジで制作せざるをえなかったのである。

 アルバムの2曲目の"Remember Me (My Friend)"とは、マイク・ピンダーに向けて作られたもので、当時の彼らの関係性を歌っている。“僕たちの関係がどうなろうとも、僕たちは君の友だちなんだよ、覚えておいておくれ”と切々と訴えかけている。
 全10曲(ボーナス・トラックを入れて11曲)のうち、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジの2人で作った曲は、この曲と10曲目の"When You Wake Up"の2曲だけで、残りの曲はそれぞれで作った曲だった。ジャスティン・ヘイワードは5曲、ジョン・ロッジが3曲手掛けていて、それぞれ自分の曲ではリード・ボーカルをとっている。

 ジャスティン・ヘイワードの曲で印象的なのは、5曲目の"Nights Winters Years"だろう。重厚なストリングスをバックに、切々と歌われるバラードで、"Nights in White Satin"を思わせるような曲(似たようなフレーズも出てきたような気もするし)だったし、深みのあるジャスティンの声と非常によくマッチしていた。
 ジョン・ロッジの曲では6曲目の"Saved By The Music"だろうか。ムーディー・ブルースのメロトロンとE.L.O.の軽快さを掛け合わせたような曲で、聞いているとこちらまで気持ちが軽くなってくる。まさに“音楽に救われるような”曲だった。

 アルバム後半4曲は、まさに牧歌的で静謐な雰囲気に満ちていて、白日夢でも見ているかのような感覚に陥ってしまいそうだった。アコースティックな"Who Are You Now"、ジョンが作ったバラードの"Maybe"、2人で作った"When You Wake Up"ではゆったりとしたストリングスとジャスティンの弾くファズ・ギターが見事に共演していた。71rqgk5drl__sl1293_
 1987年以降のCDには、ボーナス・トラックの"Blue Guitar"が収録されていて、この曲はジャスティン・ヘイワードが10ccのメンバー4人と共演したものだが、クレジットではジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジ名義になっていた。もちろん実際は、ジャスティンの曲だった。ジャスティンの曲なので、10ccらしいポップさは見られなくて、むしろムーディー・ブルースの新曲といっても通用するくらいだった。

 前回のレイ・トーマスが、バンドの叙情性や牧歌性を醸し出しているのであれば、バンドの“ロックン・ロール・サイド”という躍動感を表現しているのが、ジャスティン・ヘイワードではないかと思っている。その特長がよく発揮されたアルバムが、1977年に発表された「ソングライター」だろう。51bgt35rc6l
 1曲目の"Tightrope"から走っているし、続く"Songwriter Part1"は、ミディアムテンポながらもストリングスやキーボードのアレンジが凝っていて、切れ目がなく3曲目の"Songwriter Part2"へと流れて行く。"Part2"は"Part1"と違って、叩きつけるようなピアノやキーボード、個性的なエレクトリック・ギターなどロック的なダイナミズムに溢れている。

 また、"Country Girl"は、題名とは裏腹にノリのよい明るいロックン・ロールだったし、当時のLPレコードではサイドAの最後の曲"One Lonely Room"は、一転してサックスがフィーチャーされたお洒落なAOR風のスローな曲だった。
 このアルバムは、ジャスティン・ヘイワードを代表するアルバムといっていいだろう。彼の豊かな才能が発揮されているし、曲もバラエティに富んでいて聞いていて飽きないのだ。

 ジャスティン・ヘイワードは、ギターだけでなく、ベースやドラムス、タンバリン、バイオリン、チェロ、フルートまで演奏している。もちろん、曲によっては当時のトラピーズのメンバーだったデイヴ・ホランドやメル・ギャレー、テリー・ロウリーなども参加して、バックアップしていた。

 8曲目の"Raised On Love"では、当時5歳だったジャスティン・ヘイワードの娘であるドレミ・ヘイワードも参加して、可愛らしい声を聞かせてくれるし、続く"Doin' Time"では、ジャスティン・ヘイワードのギターが大きくフィーチャーされている。
 そして、最後の6分30秒余りの曲"Nostradamus"では、ややダークな雰囲気を湛えながらも、徐々にストリングスやフルートなど楽器が増えていき、ビッグ・エンディングを迎える。

 最後にやっとプログレッシヴな風味を持つ曲を聞くことができた。ちなみに、この曲ではストリングスとタムタム以外の楽器はすべてジャスティン・ヘイワードが操っているという。さすがマルチ・インストゥルメンタリストである。また、アルバム・セールスとしては、全英アルバム・チャートで28位、全米では37位という結果だった。

 自分はもう1枚彼のソロ・アルバムを持っていて、1996年に発表された彼の5枚目のソロ・アルバム「ビュー・フロム・ザ・ヒル」である。51269qmhfql
 このアルバムは、ジャスティン・ヘイワードのルーツを探るような曲で占められていて、60年代のビート・バンドが持つポップでR&B風の曲が目立つ。最初に聞いた感じは、マイク&ザ・メカニックスのソウル風味が薄れていってややポップになったアルバムのように思われた。特に冒頭の3曲"I Heard It"、"Broken Dream"、"The Promised Land"を聞くと、その感じがますます強くなってきてしまった。

 プロデューサーはフィル・パーマーという人で、元デヴィッド・エセックスのバンドのギタリストだった。その後、キーボーディストのポール・ブリスと組んだり、ミッキー・フィートというベーシストとイエロー・ドッグというバンドを結成したり、マイク・オールドフィールドのツアー・ギタリストとしても活動したりしていた。
 
 このアルバムでは11曲収録されているが、ジャスティン・ヘイワード1人で手掛けた曲は7曲で、残りの曲は上記のミュージシャンたちとの共作だった。
 セールス的には恵まれなかったが、このアルバムではソングライターというよりは、ボーカリストとしてのジャスティン・ヘイワードを味わうことができる。さらに、1人のミュージシャンとして成熟した姿も知ることができるのではないだろうか。名盤ではないけれど、好盤と言えるだろう。

 現在のジャスティン・ヘイワードは、もちろんライヴ活動は行っていて、最近では豪華船で開かれる5日間の音楽クルーズ“ザ・ブルー・クルーズ”において、彼がホストを務めており、スティーヴ・ハケットやアラン・パーソンズ、プロコル・ハルム、ウィッシュボーン・アッシュ等々、一世を風靡した豪華ミュージシャンやバンドが出演して、演奏を繰り広げている。
 彼もまた、そのクルーズで歌っているようだが、まだまだ現役ミュージシャンとして今後も活躍してほしいものである。Justinhaywardoptimisedcopy770x46277

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2019年3月 4日 (月)

レイ・トーマス

 今月は、主にムーディー・ブルース関連のミュージシャンについて、記そうと思った。理由は、ムーディー・ブルースのオリジナル・メンバーだったレイ・トーマスが、昨年の1月4日に亡くなったからだ。享年76歳で、死因は前立腺癌が原因のようだ。Raythomasthemoodyblues1193820_2
 知っている人は知っていると思うけれど、ムーディー・ブルースはイギリスのプログレッシヴ・ロック・バンドである。解散宣言は出ていないと思うけれど、メンバーの脱退などもあって、実質的には活動を停止しており、恐らく再活動はありえないだろう。

 このブログでも、散々彼らのことを推奨してきた。曰く、世界で最も小さなロック・オーケストラとか、メロトロンを最初にメジャー化させたバンドだとか、あのジミー・ペイジがプログレッシヴ・ロック・バンドという名称に相応しいのは、ピンク・フロイドとムーディー・ブルースだと言ったとか、とにかく、個人的には大好きなバンドだった。逆に今では、最も過小評価されているプログレッシヴ・ロック・バンドではないかと思っている。

 ムーディー・ブルースは、1964年にイギリスのバーミンガムで結成された。結成当時のメンバーは5人で、その中にはのちにポール・マッカートニー&ザ・ウィングスのメンバーになったデニー・レインも含まれていた。

 基本的に、ムーディー・ブルースはマルチ・インストゥルメンタリストの集まりだった。もちろんレコーディングやライヴ・ステージでは、各人が自分の担当楽器を演奏しているが、その役割に関わらず、基本的な楽器であるギター、ベース、キーボード、ドラムスなど一通りは操ることができると言われていた。
 そして、レイ・トーマスはボーカルとフルートやハーモニカなどを担当していたが、もちろんそれ以外でも演奏することはできた。ただ、上手かどうかは定かではない。

 レイ・トーマスは、9歳の頃に父親からハーモニカの手ほどきを受けたが、14歳で学校を自主退学し、ものづくりの職人の道を歩み始めた。しかし、何を思ったかその道を断念し、再び音楽関係へ進もうと考えたのである。それが16歳の頃だった。
 その後、数多くのローカル・バンドで活動を始め、その中で彼の祖父がフルートを演奏していたのを思い出して、彼もまたフルート奏者としてスタートした。当時のバンドメイトには、のちに同じバンドで活動することになるジョン・ロッジもいた。ジョンとレイとは、エル・ライオット&ザ・レベルズというバンドで一緒だった。“エル・ライオット”とは、当時のレイ・トーマスの芸名だったようだ。

 ある意味、レイ・トーマスとマイク・ピンダーが、ムーディー・ブルースの創立者だった。彼らが中心となって、デニー・レインやドラムス担当のグレアム・エッジ、当時のベーシストだったクリント・ワーウィックを募集したからだ。
 そして結成当時の彼らは、イギリス流のR&Bやソウル・ミュージックを追及していて、60年代初期のイギリスのブームを反映した活動を行っていた。だから、初期のムーディー・ブルースはビート・バンドだったのだ。その影響は、のちにプログレッシヴ・ロック・バンドと呼ばれるようになってからも、彼らの作る楽曲の中に色濃く残っていった。

 1966年に、デニー・レインとクリント・ワーウィックの代わりに、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジが加入して、本格的なプログレッシヴ・ロックを追及するようになった。当時としては画期的な楽器であったメロトロンやシンセサイザーの使用、そしてオーケストラとの共演、哲学的な内容を伴うトータル・アルバム制作などは、まさに文字通り“プログレッシヴ”な音楽的展開だった。Moody_blues
 とにかく、ムーディー・ブルースのアルバムは売れた。イギリスでは当然のことだが、アメリカでも1968年の「失われたコードを求めて」から1986年の「ジ・アザー・サイド・オブ・ライフ」まで、10枚のスタジオ・アルバムの全てがチャートの30位以内に入っていた。具体的には、全米チャート1位のアルバムが2枚、2位と3位のアルバムが1枚ずつ、9位が1枚、10位台が2枚、20位台が3枚とセールス的にも全く問題はなかったのである。

 ムーディー・ブルースは、1972年から78年の間に活動を休止した。それまでの長い間の活動中に、少しずつたまってきたメンバー間の軋轢やストレスなどが、その原因だったのだろうし、当時としては画期的だった(というかザ・ビートルズが運営したアップル・レコードのように)、自分たちのレコード・レーベルである“スレッショルド”の運営に専念したのもその理由にあたるのだろう。

 この活動休止中に、各メンバーは、それぞれソロ・アルバムを発表した。もちろん、自分たちのレーベルである“スレッショルド”から発表されたものだった。
 そして、レイ・トーマスもまたこの時期に2枚のソロ・アルバムを発表している。彼は最初のソロ・アルバム「樫の木のファンタジー」を1975年に発表したが、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジが共作した「ブルー・ジェイズ」、グレアム・エッジのソロ作品「キック・オフ・ユア・マディ・ブーツ」が発表されるまで待たされている。理由は、スレッショルドの専用レコーディング・スタジオが彼らに使用されていて、使えなかったからだ。

 この「樫の木のファンタジー」には9曲収められていたが、1曲目の"From Mighty Oaks"はオーケストラが使用された壮大なシンフォニーだった。まるで「デイズ・オブ・ヒューチャー・パスト」の再演のようだ。
 このアルバムの特徴は、レイのボーカルがフィーチャーされていることと、オーケストラやストリングスで優しくコーティングされていることだ。51ixmzmtqnl
 彼は本家ムーディー・ブルースでは、"Floating"、"Our Guessing Game"、"Nice to Be Here"などを手掛け、歌も歌っていたが、そんなに声量のあるシンガーとは思っていなかった。このファースト・ソロ・アルバムでも同様に、ジェントルでソフトな歌声を聞かせてくれる。だから場合によっては、のちの80年代に流行したアメリカ西海岸のA.O.R.のような曲調も見られた。
 例えば"Rock-A-Bye Baby Blues"では、ゲストのB.J.コールの弾くペダル・スティール・ギターがメインに出てきているし、"Love is The Key"などは、まるでB.J.トーマスかスコット・マッケンジーのようだった。

 アルバム・ラストの"I Wish We Could Fly"に使われているメロディが、アルバム冒頭の曲の"From Mighty Oaks"にも使用されているのが分かって、ああこのアルバムは、そういう意味では、円環的なアルバム、ちょっとこじつけに近いけど、トータル・アルバムに近い性格を有しているんだというのが分かった。

 このアルバムの9曲のうち、レイ1人が作った曲は2曲("Rock-A-Bye Baby Blues"と"I Wish We Could Fly")しかなく、残りはニッキー・ジェイムスという人との共作曲だった。このニッキー・ジェイムスという人は、ムーディー・ブルースと同郷のミュージシャンで、スレッショルド・レーベルとも契約をしていたシンガー・ソングライターだった。
 また、ギターとベースにはジョン&トレヴァー兄弟、ドラムスにはデイヴ・ポッツが参加していて、彼らはいずれも当時のプログレッシヴ・ロック・バンドだったジョーンジーのメンバーだった。

 ただし、そういう優れたミュージシャンが参加している割には演奏的には目立っていなくて、ギターもキーボードもソロを聞かせるところは全くと言っていいほどなかった。だから、このソロ・アルバムはロック的なダイナミズムには欠けていたといえるだろう。逆に、レイ・トーマスの内面から滲み出るようなジェントルな雰囲気がそこかしこに漂っていたのである。

 ほぼ1年後の1976年の6月には、セカンド・ソロ・アルバム「希望、願い、そして夢」を発表した。レコーディング・メンバーは前作とほぼ同様だったが、ペダル・スティール・ギター担当のB.J.コールは参加していなかった。また、ドラムスにはグラハム・ディーキンという人が担当していて、彼はジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジのアルバム「ブルー・ジェイズ」にも参加していたドラマーだった。51hrsttcvll
 このアルバムは全10曲で構成されていて、最後の曲"The Last Dream"のみがレイ・トーマス一人の楽曲で、残りの9曲はレイとニッキー・ジェイムスとの共作だった。また前作よりもロック色、リズム感が強く前面に出されているところは、前作と大きく異なっている点だった。1曲目や2曲目の"In Your Song"、"Friends"では、エレクトリック・ギターのソロが聞こえてくるし、3曲目の"We Need Love"では甘美なストリングスの合間からエレクトリック・ギターも少しだけ自己主張をしていた。

 "Within Your Eyes"では、レイ・トーマスの演奏するフルートを耳にすることができるし、全体的にキャメルのような耽美性を感じさせてくれた。逆に、次の"One Night Stand"では、トランペットなどの金管楽器や女性ボーカルがフィーチャーされていて、R&B色が強い。この辺は、元々ビート・バンドとして出発したムーディー・ブルースの基本的な遺伝子が発動しているのかもしれない。

 このアルバムは、バラエティに富んでいて、ロックン・ロール調の"Keep On Searching"を聞いていると、何となくアメリカのスワンプ・ロックではないかと思ってしまうし、"Didn't I"などは前作同様のアメリカンA.O.R.だ。あるいはフランク・シナトラのようなスタンダード曲といってもいいかもしれない。アルバム後半には、こういう曲調が続くので好悪が分かれるかもしれない。

 セールス的な話をすると、前作「樫の木のファンタジー」は全英で23位、全米アルバム・チャートでは68位だった。2枚目の「希望、願いそして夢」は全英ではチャート・インせず、全米では147位だった。
 この結果に動揺したのかどうなのか、レイ・トーマスは二度とソロ・アルバムを発表することはなかった。90年代以降はアルバムごとには楽曲を提供するものの、ミュージック・ビジネスから遠ざかろうとしていたようだ。原因のひとつには、癌という病に冒されたことも挙げられるだろう。

 2002年には、今後楽曲の提供はあるものの、ツアーには参加しないと明言し、バンドを脱退してしまった。これ以降、ムーディー・ブルースは、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジ、グレアム・エッジの3人で構成されることになったのである。

 レイ・トーマスは、ムーディー・ブルースの情緒面というか、牧歌的雰囲気や叙情性を生み出すような役割を果たしていたようだ。彼は2018年の1月に亡くなったが、それから3ヶ月後、バンドは“ロックン・ロール・ホール・オブ・フェイム(ロックの殿堂)”入りを果たしている。きっとレイ・トーマスも授賞式に参加したかっただろう。あらためて哀悼の意を捧げたい。

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2019年2月25日 (月)

ファイアーバレー

 前回でも同じようなことを言ったが、最近はプログレッシヴ・ロックの分野で、傾聴に値するようなアルバムに、なかなか出会えないでいる。めまぐるしい変化を遂げている現代社会において、1曲10分や20分近くもある曲に耳を傾ける余裕は見いだせないだろうし、ネットからダウンロードしようとも思わないだろう、いくら通信速度が速くなったとしても。

 それでも昔のアルバムで、まだ聞いていないアルバムがあるだろうと思って検索していたら、このアルバムが見つかった。アメリカのプログレッシヴ・ロック・バンドであるファイアーバレーの2枚のアルバムだった。

 1960年代末のアメリカというところは、ハード・ロック不毛の地と言われていて、ハード・ロック・バンドが育たないところだった。確かに、マウンテンやグランド・ファンク・レイルロードなどが売れ始めたのは70年代に入ってからだった。
 同様に、プログレッシヴ・ロックの分野でもまた、アメリカはイギリスやヨーロッパに比べて遅れを取っていた。カンサスやジャーニーなどは、“アメリカン・プログレ・ハード”と呼ばれていて、1970年代後半から人気に火がついたが、その本質は、プログレッシヴ・ロックの要素は含まれていても、本来の姿からは似て非なるものだった。

 自分が知っていた1970年代前半のアメリカのプログレッシヴ・ロック・バンドと言えば、パブロフス・ドッグ、イーソス、スターキャッスルくらいで、いずれもマイナーな存在で終わった。辛うじて、パブロフス・ドッグぐらいが、そのユニークな歌い方やアルバム・ジャケット、元キング・クリムゾンのビル・ブルーフォードの参加などで、少し話題になったくらいだったと思う。

 それで、ファイアーバレーに話を戻すと、彼らは70年代初期にニュージャージー州北部で結成された。当初はザ・ファイアーボール・キッズと名乗っていたようだ。メンバーは次の5人だった。
・ジム・コモ(ボーカル&ドラムス)
・ブライアン・ハウ(キーボード)
・フランク・ペット(キーボード)
・マーティン・べグリン(ベース・ギター)
・リッチ・シュランダ(ギター)

 2人のキーボード奏者がいるようだが、ブライアンは主にハモンド・オルガン、パイプ・オルガン、チェレステを担当し、フランクの方はそれ以外のピアノやシンセサイザー、メロトロンなどを担当していた。また、名前からわかるようにイタリア系が多くて、そういう意味でもヨーロッパ的な感覚を身につけていたのかもしれない。
 彼らの音楽は、アメリカのバンドとは思えないほどの本格的なプログレッシヴ・ロックをやっていて、初期のジェネシスの影響が強いと思った。

 1975年に「はげ山の一夜」というデビュー・アルバムを発表したが、タイトルを見ればわかるように、クラシックの大家であるムソルグスキーの交響詩をロック風にアレンジしていて、アルバムのメインに置かれていた。18分以上もあるクラシックの大曲を用意していたのも、バンドとしての自信の表れでもあろう。61xstz3xn2l
 しかも、アルバムのプロデューサーは、何と元キング・クリムゾンのイアン・マクドナルドである。これでロックン・ロールやR&Bをやっていたら、全くの詐欺であろう。プログレ・ファンとしては、期待満々で耳を傾けるに違いない。

 冒頭から10分を超える"Les Cathedrales"という曲が始まる。ノリの良さはイエス風であり、転調してスローになると、ジェネシス風になったりする。2分40秒あたりからシンセサイザーとアルト・サックスがリードを取るが、もちろんこのサックスはイアン・マクドナルドが担当している。
 転調が多くて、途中にはドビュッシーの“亜麻色の髪の乙女”の一部も引用されているのだが、個人的には、ギターがもう少し目立ってほしいと思っている。バックで細かく動いているのはわかるのだが、ソロとしてはちょっと弱いのだ。キーボード奏者が2人いるからだろうか。後半の8分過ぎの素早いパッセージは印象的なのだが、もう少し頑張ってほしかったというのが素直な実感である。

 2曲目の"Centurion(Tales of Fireball Kids)"は、彼らが結成間もない頃に作った曲で、最初の曲もそうだが、中世の騎士物語や新世界を求めての旅路のようなものがテーマになっている。まさに、初期ジェネシスの世界観に近いと言えるだろう。エンディングは、E,L&Pの「恐怖の頭脳改革」に収められていた"Jerusalem"に極似していた。

 3曲目は、2曲目を発展させたような曲で、タイトルも"The Fireballet"という。この曲はコーラスがイエスに似ていて、ギターも初代ギタリストであるピーター・バンクスのように、ジャズっぽい早いフレーズを弾いている。4分過ぎからキーボードとストリングスが全体を覆っていて、ソフトなエンディングを迎えている。

 LPレコードではここまでがサイドAで、次の"Atmospheres"からサイドBになる。この曲と次のアルバム・タイトル曲である"Night on Bald Mountain"の曲構成は、ジェネシスのアルバム「フォックストロット」のサイドBを想起させてくれた。つまり、"Horizons"と"Supper's Ready"である。ファイアーバレーもまた意識しながら制作したのではないだろうか。

 "Atmospheres"はアコースティック・ギターのインストゥルメンタルではないので、その点は"Horizons"とは違うのだが、幻想的で耽美で静寂な雰囲気を湛えている点ではよく似ている。何しろイアン・マクドナルドの吹くフルートがフィーチャーされているし、アコースティック・ギターはバックで流れている。そして分厚いキーボードの中から現れるボーカルは、まさにピーター・ガブリエルの世界観だろう。3分40秒と時間的にも短く、次の曲の導入部に当たっている。

 そして、本アルバムのハイライトである"Night on Bald Mountain "が始まるのだが、この曲でもイアンはフルートとサックスを演奏している。もしこのバンドが成功したら、メンバーとして参加して、“第二のクリムゾン”を目指したのではないだろうか。そんなことを考えさせられてしまう曲だった。

 全体は5部に分かれていて、18分55秒という長さを全く感じさせないほどスリリングだ。2分30秒たってからのコーラスは、ユーライア・ヒープの"July Morning"に似ている感じがした。そのあと、イアンのサックス・ソロ、転調しての手数の多いリズム・セクションに絡まるファズ・ギターとシンセサイザーなど、聞きどころは多い。
 中盤の"The Engulfed Cathedrale"でのシンセサイザーやパイプ・オルガンの荘厳な響きやそれを突き破るエレクトリック・ギター、クリムゾンの"The Letters"のようなボーカルと続く緻密なアンサンブルなどは、このバンドでしかできない演奏だろう。キーボード奏者が2人いるということはほんとに心強い。81tdjvjjcll__sl1314_
 国内盤にはボーナス・トラックが3曲ほどついていて、"Robot Salesman"は甘ったるいキーボード・ストリングスが目立つ曲で、かなりポップな曲だ。全くロック的ではない。2曲目は何とクリムゾンの"Pictures of A City"の完璧ライヴ曲だった。1974年のライヴのようで、音質はあまりよくない。
 そして最後のボーナス・トラックは、何と驚くなかれ、日本のロック・バンド、X-ジャパンのカバー曲"Say Anything"だった。しかも、日本語で歌っているのだ。オリジナル制作時には、X-ジャパンの曲はまだ生まれていないわけで、ということはファイアーバレーは、90年代以降再結成して、この曲をレコーディングしたというわけだろうか。

 翌年の1976年には、彼らは2枚目の、そして最後となったスタジオ・アルバム「ツー・ツー」を発表した。一聴した限りでは、ジェネシス風のソング・スタイルから、クリムゾンあるいはジェントル・ジャイアント風に変わっていた。
 前作はイアン・マクドナルドがプロデュースしていたが、2枚目はオールマン・ブラザーズ・バンドやミートローフをプロデュースしていたスティーヴン・ガルファスという人だった。

 変わっていたのは、作風やプロデューサーだけではない。アルバム・ジャケットもまた、違う意味で変わっていた。なぜかメンバー全員がバレリーナのコスプレをしていたのである。
 別に楽曲の内容とは関係ないし、バレエに関するコンセプト・アルバムでもない。強いて言えば、バンド名がファイアーバレーだから、バレリーナの格好をしたのだろうか。

 彼らには申し訳ないが、このアルバム・ジャケットを見ただけで、アルバム・セールスが分かるというものである。よほど内容が優れていない限り、このアルバムは売れないだろう。そんなことは子どもでもわかると思うのだが、なぜこんなふざけたアルバム・ジャケットにしたのだろうか。意味が分からない。これじゃ、コミック・バンドである。51nofo9q7zl
 ところが、肝心の中身の方はというと、これがまあ結構イケるのである。全7曲で、国内盤には2曲のボーナス・トラックがついていた。
 1曲目の"Great Expectations"は、イエス風のコーラスとテンポのよい曲構成が見事で、アルバム冒頭の曲に相応しい。途中で一旦ブレイクして静かになるが、また主題に戻るところが、いかにもプログレッシヴ・ロックしている。

 2曲目の"Chinatown Boulvevards"は2部構成の組曲で、6分余りしかないものの、転調に次ぐ転調と、メインの楽器がキーボードからギター、金管楽器、ストリングス、打楽器と、めまぐるしく変化する点が特徴である。全体的に緊張感が漂っているし、確かにこの曲を聞けば、ジェントル・ジャイアントの再来だと思うだろう。

 "It's About Time"は、イエスの曲をアップテンポにして、スキャットを加えた構成で、これまた疾走感に満ち満ちている。ベース・ギターもイエスを意識したようなアタックの強い音を出している。後半にはベートーベンの“歓喜の歌”が挿入されていて、クラシックとの関連を想起させてくれた。

 "Desiree"は2分45秒と短い曲だが、それなりにテンポもよく、このアルバムからシングルを出すとすれば、まさにこの曲がふさわしいだろう。メロディラインもはっきりしているから、チャートの100位以内には入ると思うのだが、どうだろうか。
 続く"Flash"という曲は、ややスローな出だしから、徐々にテンポがあがり、やがて打楽器とストリングス・キーボードとの応酬が始まる。静~動~静~動という展開で、最後はコーラスで終わる点が興味深い。

 逆に最初から走り出すのは次の曲の"Carrollon"だろう。これもジェントル・ジャイアント風のリズムの変化とコーラス・ワークの見事さを味わえる楽曲で、見事なアンサンブルである。これだけの演奏力があれば、かなりの実力を備えていると言えるだろう。
 当時は、パブロフス・ドッグやイーソス、スターキャッスルなどがアルバムを発表していた時期で、これ以降はボストンやカンサス、フォーリナーなどのバンドの人気が出てきていたが、これらのバンドの中では、かなりのハイレベルな演奏能力を所持していたのではないだろうか。

 最後の曲の"Montage En Filigree"は荘厳なキーボードを主体としたインストルメンタルで、最初と後半のスキャット、中盤のフルートがいい味付けをしている。今まで緊張感のある楽曲が多かったから、この曲を聞いてほっと心が休まる気がした。

 ボーナス・トラックは、ホルストの"火星"とX-Japanの"Tears"である。ホルストはE,L&P(パーマーではなくてパウエルの方)が有名だが、ここではライヴ演奏になっていて、ギターとキーボードのバランスが良い。
 "Tears"という曲は知らなかったので何とも言えないが、ここでも日本語を交えて歌っていた。そんなにX-Japanと親密な関係だったのだろうか。よくわからない。71smdgtydrl__sl1215_
 2枚のアルバムとも商業的には成功せず、バンドは解散してしまった。キーボード奏者のブライアン・ハウとドラムス&ボーカルのジム・コモは、その後も一緒に活動していたようだが、詳細は不明である。
 とにかく、1970年代の前半において、アメリカのプログレッシヴ・ロック・シーンの一角を担っていたバンドだったようだ。日本ではイマイチ知名度が低かったかもしれないが、その実力は折り紙付きだっただろう。

 ただ、音楽的にはギターに頑張ってほしかったと思っている。テクニック的には優れていると思うのだが、耳に残るフレーズや印象的なソロが少ないのである。これがもう少し目立っていれば、もっと多くのファンを獲得できたであろう。
 それから、アルバム・ジャケットの問題も含めて、プロモーションが不足していた。“ロジャー・ディーン”クラスとはいかないまでも、もう少しまともなアルバム・ジャケットに差し替えてもっと宣伝をすれば、まだ寿命は延びたのではないだろうか。再結成は無理でも、再評価は必要なバンドだと思っている。

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2019年2月18日 (月)

ワールド・トレイド

 さて、今年もやってきましたプログレ祭り。今回は2か月間限定ということで紹介することにした。実際、最近はプログレッシヴ・ロックのアルバムをあまり聞かないからだ。なかなか良質のアルバムに出会わないのである。

 さて、第1回目はワールド・トレイドというバンドだ。知っている人は知っていると思うけれど、一時期イエスに在籍した、そして今は再び加入し、ツアーに同行しているビリー・シャーウッドが中心となって結成されたバンドである。Worldtrade17c
 ビリー・シャーウッドといえば、イエスのベーシストだったクリス・スクワイアが、死の床で自分の後継者として指名したと言われるほどのミュージシャンだ。昔からビリーのベース音はクリス・スクワイアのゴリゴリのリッケンバッカーの音とそっくりだった。アタックの効いたそのサウンドは、クリス・スクワイアの代名詞だったのだが、今ではビリー・シャーウッドが見事にその代役をこなしている。

 また、演奏面のみならず声質についてもクリス・スクワイアによく似ていて、高音の伸びや声域の広さもクリスを補って余りあるというものだった。それに、時々ジョン・アンダーソンと聞き違えるかのような歌い方もあって、このビリー、実は昔からのかなりのイエス・ファンではないだろうかと思っている。
 実際、1989年にはジョン・アンダーソンの後任ボーカリストとして白羽の矢が当たって、デモ・テープをレコーディングしている。80年代の終わりからイエスはボーカリスト探しを行っていて、それは今に始まったことではなかったようだ。

 その後、ビリーは1991年の8人編成イエスのアルバム「ユニオン」の中で、クリス・スクワイアと一緒に"The More We Live - Let Go"を共作しているし、1994年夏に行われた「トーク」ツアーで、サポート・ミュージシャンとしてステージに立っている。さらには、1996年の2枚組アルバム「キーズ・トゥ・アセンション」でのスタジオ録音曲を2曲分をミキシングしていた。この時点ですでにイエス加入については、時間の問題といってよかったのだ。

 ビリー・シャーウッドについては、クリス・スクワイアとの共同アルバム「コンスピラシー」やトニー・ケイなどと組んだバンド、サーカなどを通して、何度もこのブログで紹介してきたので、もう詳しく語る必要はないだろう。イエスのオリジナル・メンバーがいずれも70歳代になっているなかで、唯一、彼だけはまだ53歳と若い部類に入るのである。

 ネヴァダ州ラスヴェガス出身のビリー・シャーウッドは、80年代に実の兄であるマイケル・シャーウッドとともに、ロジックというバンドを組んで1985年にアルバムを発表したが、やがて解散して、その後元ストーン・ヒューリーというバンドのギタリストであるブルース・ゴーディとともにバンドを結成した。それがワールド・トレイドだった。1988年頃のお話である。

 彼らは1989年にデビュー・アルバムを発表した。全11曲だが、オープニングの"The Painted Corner"は煌びやかなシンセサイザーが目立つ2分足らずのインストゥルメンタルだった。2曲目の"The Moment is Here"は、ワールド・トレイドを代表する曲だろう。ゆったりとした曲で、先ほどの"The More We Live - Let Go"に雰囲気がよく似ている。適度にプログレッシヴで、適度にポップなのだ。後に3枚目のアルバムのボーナス・トラックとして収録されていたから、彼ら自身も気に入っているのだろう。51vl4nnvll
 "Can't Let You Go"は、どことなく80年代初期に流行ったL.A.メタルのようだ。テンポの速いL.A.メタルの曲をクリス・スクワイアがアレンジしたような感じで、声もクリスに似ているし、高音部はジョン・アンダーソンのようだ。

 "Life-Time"は90年代のイエスの曲のように聞こえてくる。ベース音がまさにリッケンバッカーしているし、声質もイエスの曲に似ている。この曲はビリー・シャーウッドとブルース・ゴウディの共作だが、ギタリストのゴウディがあまり目立っていない。もう少し目立つギター・ソロなりフレーズを聞かせてほしかったのだが、それがない。アルバム通しても、ギターが目立っていないのだ。むしろキーボードの方が目立っていると感じた。

 ブルース・ゴウディは、元はメタル・バンドで活動していたからギター・ソロはお得意のものだと思うのだが、このアルバムではあまり目立っていない。スタジオ・ミュージシャンとしても働いていたし、1987年からは矢沢永吉のツアー・ギタリストとして約10年間活動していたから、決して実力は劣っていないと思うのだが、力の出し惜しみか、あるいは楽曲に合っていないからと削られたのだろうか。

 ブルース・ゴウディ自身は、理想とする音楽とはティアーズ・フォー・フィアーズとレッド・ゼッペリンをミックスしたようなサウンドで、現存するHR/HMとは異なるテクノロジーを大胆に導入したもの、と以前インタビューで答えていたが、ちょっとビリー・シャーウッドの音楽観とは違うようだ。

 唯一、7曲目の"The Revolution Song"ではやや長いソロを聞かせてくれていて、かつて流行った速弾きを披露している。そのあとキーボード・ソロがあるのだが、楽曲自体がイエスのようなプログレッシヴ・ロック風だからだろう。

 とにかくこのアルバムは、“リトル・90年代イエス”といった内容で、90年代のイエスの楽曲をこじんまりさせたような感じがした。あるいは逆に言うと、90年代のイエスの方が70年代のイエスよりも極小化してきたともいえるだろうし、さらには、90年代のイエスの楽曲に占めるビリー・シャーウッドの影響力がいかに強かったかが分かるだろう。

 また、全体的にゆったりとした楽曲が多くて、何となく爽快感が味わえない。複雑な曲展開もなく、印象的なソロも少ない。どの曲も似たように思えてきて、ある意味、単調で面白みがないのである。

 そして、ワールド・トレイドはこの1枚で活動を停止してしまった。ブルース・ゴウディは、ワールド・トレイドのキーボーディストだったガイ・アリソンとともに、アンルーリー・チャイルドというバンドを結成し、ビリー・シャーウッドの方は、ザ・キーというバンドを結成した。
 アンルーリー・チャイルドの方はアルバムを1枚発表したものの、商業的には成功せず解散の憂き目にあってしまった。
 ビリーの方も自分のバンドよりもイエスとともに活動することの方が多くなり、最終的にはアルバムを出すこともなくバンドは消えていった。(その後1997年には「ザ・キー」というアルバムを発表している)

 ところが、1995年にワールド・トレイドがドラマーを代えて復活し、セカンド・アルバム「ユーフォリア」を発表した。このアルバムには、本物のクリス・スクワイアが参加して、2曲で共演を果たしている。たぶん、ビリーをイエスへのヘッド・ハンティングしに来たついでに、アルバムに参加したのだろう。418dv0e078l
 ビリー・シャーウッドは、イエスの1997年のアルバム「オープン・ユア・アイズ」から正式メンバーとしてクレジットされ、1999年のアルバム「ザ・ラダー」に伴うツアーまで在籍していた。(もちろん現在では再び正式メンバーにクレジットされている)

 その後のビリーは、ソロ・アルバムの発表や、他のミュージシャンのアルバムに参加したり、プロデュースしたりと八面六臂の活躍をしていたが、ワールド・トレイドとしては、突如として2017年に約22年振りのアルバム「ユニファイ~統合理論」というアルバムを発表した。

 前作の「ユーフォリア」では、ドラマーがエイジアやイエスのアラン・ホワイトの代役をしていたジェイ・シェレンだったが、このアルバムではオリジナル・メンバーだったマーク・T・ウィリアムズに戻っている。彼は、「スター・ウォーズ」や「ハリー・ポッター」などの映画音楽の巨匠として知られるジョン・ウィリアムズの息子だという。

 基本的にこのアルバムも、ビリー・シャーウッドの個性が発揮されていて、今までのアルバムと大きな変化はない。ただ1曲当たりの楽曲が長くなった分、より複雑でプログレッシヴした雰囲気を味わうことができる。51sx8t6znol
 それに、ブルース・ゴウディのギターもデビュー・アルバムよりは目立っているし、楽曲に貢献している。ただ残念なのは、アコースティック・ギターやスライド・ギターなども披露してほしかったことだ。そうすればもう少し曲に色どりを施すことができたのではないだろうか。

 "Pandora's Box"は疾走感があっていいし、各楽器のバランスもいいが、各人のソロ、特にギターとキーボードに関しては、もっと目立ってもいいのではないか。この辺は本家イエスを見習ってほしいものである。続く、"Gone All The Way"はワールド・トレイドの得意なややゆったりしたタイプの曲で、ブリティッシュ風味の陰鬱な展開を含んでいる。

 アルバム・タイトル曲の"Unify"もまたスピード感があり、やや複雑な曲展開を持っていて、こういう曲を聞くとプログレッシヴ・ロックのアルバムだと実感できる。もう2曲くらいこんな感じの曲があればよかったと思った。
 また、"Same Old Song"という曲には珍しくバンジョーが使われていて、そういう意味ではデビュー・アルバムよりは工夫されているだろう。こういう意欲的な試みをもっと発揮してほしいものだ。だって、プログレッシヴ・ロックのアルバムなのだから。

 現在のビリー・シャーウッドは、イエスに在籍しているのと同時に、サーカ、ワールド・トレイド、その他のソロ活動やプロジェクトとして活動しており、ある意味、スティーヴン・ウィルソン、ロイネ・ストルトと並んで現代のプログレッシヴ・ロック・シーンを牽引していると言えるだろう。
 できれば、その優れた才能を分散させないで、何か一つに集中させて後世に残るような傑作を作ってほしいと願っているのである。

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