2017年3月20日 (月)

Suchmos

 最近、知人から2枚のCDが送られてきた。それには簡単なメモがついていて、テレビのCMで彼らのことを知った、デビュー・アルバムはなかなか気に入ったので、ぜひ一度聞いてほしい、というようなことが書かれていた。

 そのアルバムでパフォーマンスをしていたのは、Suchmosというバンドだった。自分はバンド名から想像して、きっとジャズか、フュージョン系のバンドだろうと思っていた。
 また、ルイ・アームストロングのような、トランペットのような管楽器もフィーチャーされているいるのだろうと、勝手に想像していた。Vhrwafie

 ところが、送られてきたCDを聞いてビックリした。全然、ジャズでもフュージョンでもなかったからだ。
 また、自分も某クルマ会社のCMに使われていた曲には興味をもっていたのだが、その曲をやっていたのが、このSuchmosだったとは知らなかった。だから、もう少し彼らのアルバムを聞いてみようと思ったし、彼らのことを調べてみようと考えた。

 それでわかったことは、バンド名の読み方が“サッチモズ”と思っていたら、実際は“サチモス”と短く読むということだ。
 しかも、最近のバンドでもあり、結成されてまだ4年程度で、平均年齢25歳程度の若者たちということも知った。

 出身は神奈川県の横浜や茅ヶ崎などで、遊び友達がそのままバンド結成に至ったようだ。そういう意味では、お互いに気心が知れた関係なのだろう。

 2013年頃からバンド活動を始め、2015年にデビューEP「エッセンス」を発表して、同年の7月にはオリジナル・アルバムの「ザ・ベイ」を発表した。
 全12曲入りのこのアルバムは、基本的には“Japanese R&B”もしくは“Japanese Funky Music”だろう。51ynob4y7l

 このCDを送ってくれた私の知人は、昔からこの手の音楽が好きだった。例えば、南佳孝とか寺尾聰などであり、ジャズはジャズでも渡辺香津美などのフュージョン・ミュージックなどだ。
 また、洋楽ではボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルのようなモダンなR&Bやアール・クルーのようなフュージョン系も大好きで、ビルボードライヴ大阪までよく見に行く人なのである。

 よく考えたら、70年代後半に流行した“ソフト&メロウ”や“クロスオーヴァー”系の音楽だ。私も含めて、この時代に青春を過ごした人は、なかなか70年代の呪縛から逃れられないようで、どうしても耳がいってしまう。

 それでこのアルバム「ザ・ベイ」はとてもよくできていて、当時のその手の音楽が好きな人なら、一発で虜にさせられるような雰囲気に満ちている。

 まず、けだるいボーカル・スタイルで、厭世観や終末観と少しの希望が入り混じったシンギング・スタイルは、行く先不透明な現代社会の若者の声を代弁しているようだ。

 次にファンキーなリズム・セクションとクールなギターのカッティングは、まさに70年代当時の再現だろう。
 しかも、単なるモノマネで終わっているのではなく、洋楽とも対等に勝負できる高度なレベルまでもっていっているのだから、大したものである。若者のみならず、40代、50代のシニアの心までとらえてしまうのも当然のことだろう。

 このアルバム制作当時の彼らの平均年齢は、23歳ぐらいだっただろうから、本当に素晴らしい。日本の音楽制作レベルも、世界標準まで近づいたような、そんな気もしてきた。

 セカンド・アルバムの「ザ・キッズ」は、2017年の1月に発表された。この中に収められていた"Stay Tune"が、某クルマのCMに使用されたのだ。712hy3wjnnl__sl1094_
 自分は最初、CMで流されていた曲を聞いて、これは70年代のカシオペアやスペクトラム、もしくはT-スクエアなどのフュージョン系のバンドの曲に歌詞をつけたのだろうと思っていた。それくらい昔の雰囲気に溢れていたからだ。

 特にTV-CMで使用された“Stay Tune in 東京 Friday Night”のところのフレーズは、いつまでも頭の中に、それこそ“Stay Tune”していた。

 ただ、セカンド・アルバムは、1作目よりはキーボードの音が全体的に目立っていて、無機質で、かつ空間的な広がりを演出しているようだった。ギターの音も、例えば10曲目の"We Are Alone"の後半で聞かれるように、かなり頑張っている。
 それにまた、よりダンサンブルでファンキーなサウンドや曲で占められていて、彼らの成長した姿が伺えるようだ。

 逆に言うと、ハードなロック的部分は後退していて、彼らの今後の活動方針というか、音楽的に進む道がクリアになったような気がした。

 世間では“日本のジャミロクアイ”と呼んでいるみたいだが、確かに同様な音楽性は有しているし、メンバーの内の何人かは、ジャミロクワイの音楽が好きだと公言している。

 ジャミロクアイが好きであろうがなかろうが、そんなことはあまり重要ではないだろう。それよりむしろ、「~みたいな音楽」とか「~のようなバンド」と呼ぶことが問題で、それならオリジナルのジャミロクアイやマルーン5を聞けばいい話だ。

 だから、むしろSuchmosには、日本のバンドとしてのオリジナリティを確立してほしいのだ。日本風のファンク・ミュージックやR&Bサウンドをパッケージした音楽を創造してほしいと願っている。

 例えば、もっとDJのスクラッチやミキシングを取り入れたり、管楽器やストリングスを入れた日本人好みのウェットな感覚を取り入れてみても面白いと思う。

 それに歌詞に含まれている独特の世界観というか感性は、今の若者に受け入れられていることからも分かるように、他のバンドにはない素晴らしいものがある。この辺は今後も磨いていってほしいものだ。そうすれば、世界でも通用するバンドに大きく飛躍するに違いない。1

 とにかく、日本のバンドやJ-POPもこれだけ成長しているということを証明しているような存在感のあるバンドだった。これからますます輝いていくだろうし、日本のミュージック・シーンを牽引していくことは、間違いないだろう。ひょっとしたら、バンド名以上の存在になる日も近いのかもしれない。

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2017年3月13日 (月)

ポール・ネルソン・バンド

 2014年の7月16日に、ブルーズ・ギタリストであるジョニー・ウインターが亡くなった。“100万ドルのギタリスト”とも言われていたジョニーだったが、享年70歳だった。

 彼のことについては、何度かこのブログでも取り上げていたので、詳細については割愛するが、自分にとってはロック・ミュージックとブルーズを繋いだ最後のブルーズ・ギタリストだった。

 そのジョニーの晩年を支えたミュージシャンが、ポール・ネルソンである。彼の年齢は非公開になっていてよくわからないのだが、デビューが1990年代なので、おそらくは40歳代後半から50歳代始めあたりだろう。56708215thepaulnelsonbandtoreleaseb
 生まれはニューヨークのマンハッタンで、影響を受けたミュージシャンは、レッド・ゼッペリンにエアロスミス、ZZトップ、ジェフ・ベック、そしてもちろんジョニー・ウインターなどだった。

 学生の頃からバンド活動を始め、バークリー音楽院に進んで音楽理論を学び、その後はスティーヴ・ヴァイから直接ギター奏法や採譜などの指導も受けたようだ。

 公式のバイオグラフィーでは、まだアマチュア時代のときにデモ曲を発表しているが、正式のソロ・デビュー・アルバムは、2001年の「ルック」という5曲入りのインストゥルメンタル・ミニ・アルバムだった。5109bs4j3al__ss500
 このアルバムでは、ロックやフュージョンと様々なスタイルの曲を弾きこなしていて、まさに新時代に相応しいニュー・ギタリストの登場といったものだった。

 そんな彼がジョニーと出会ったのは、2003年である。ポールは、アメリカン・フットボールの団体用に曲を録音していた時、スタジオの隣ではジョニーがアルバムを録音していた。
 その時、ジョニーがたまたまポールの弾く曲を耳にして、自分のアルバム用にも曲を書いてくれと頼んだことから親交が始まった。

 それから、もう2曲ほどジョニーのアルバムのために曲を提供し、その2曲を含む他の曲でも演奏を行った。
 ジョニーは、その演奏をいたく気に入ったようで、ライヴでも一緒に演奏してほしいと頼んで、ポールがいつからと聞くと、明日イギリスに行くからという答えが返ってきたという。

 何とも急な話だが、その時ジョニーは健康問題を抱えていて、思うようにミュージシャンを集めることもできなかったからと言われている。
 また、のちにマネージャーも頼まれたというから、健康面だけでなく経済的にも逼迫していたようだった。

 面白いことに、他のギタリストはみんなジョニーとギター・バトルをやりたがって来るのに、ポールはジョニーのギターが前面に出るように意識してレコーディングに参加していた。
 このことがジョニーがポールのことを気に入った理由になったようで、これ以降、ポールがジョニーのバンド・メンバーになり、レコーディングのエンジニアやプロデューサーを担当するようになっていった。

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 結局、それ以降、ポールはジョニーと同行して、ヨーロッパのツアーや3回にもわたる日本でのライヴ公演にも帯同していた。

 ジョニーがスイスのチューリッヒで亡くなったときも、ポールは彼と一緒にホテルに滞在していて、病院に連れて行ったのもポールだった。
 ジョニーは抗生物質を飲まされて、その後ホテルに戻って休んだらしいが、そのまま帰らぬ人になってしまった。苦しまずに安らかに眠ったようだ。

 そんなポールがジョニー亡き後、彼の遺志を引き継ぐような形でアルバムを制作し、発表した。それが昨年発表された「バッドアス・ジェネレーション」だったのである。

 全12曲で、ブルーズ一本やりではなくて、"Good Bye Forever"のようなブギー調もあれば、"Cold Hearted Mama"のようなロックン・ロールも収められている。前者はZZトップのようで、後者はエアロスミスの曲のようだった。

 また、アコースティックな味わいの"Please Come Home"や、タイトル通りアメリカ南部のスワンプな感じの"Swamp Thing"など、バラエティに富んでいるのも特徴的だ。

 ただ、共通しているのは、ポール・ネルソンのギターが全面的にフィーチャーされていることである。今どきこういうギター・サウンド全開のアルバムは、珍しいのではないだろうか。ある意味、アナクロニズムというか、いまは1970年代か、と自問してしまいそうな感じだが、それがある一定以上の年齢の人にはカッコイイのである。71dao6vp92l__sl1417_ ブルーズ一辺倒というわけではないし、アメリカ社会の多様性を反映しているようなバラエティに富んでいるところも捨てがたい。ジョニーの遺志を引き継ぐのなら、ブルーズ・アルバムだと思うのだが、初期のジョニーのように、ロックからブルーズと幅広く演奏している。

 しかも国内盤も発売されていた。それだけ需要が見込まれているから発売されたのだろうが、これだけ洋楽アルバムのみならず、CD全体の売り上げも減少している中で、ギター・オリエンティッドなアルバムが果たしてどれだけ売れるのか疑問にも思える。

 いくら日本でジョニー・ウインターの人気があったといえ、それだけを見込んで発売されたとは思えないのだが、どうだろうか。

 このアルバムが発売元のソニー・ミュージックの売り上げ予想を超えれば、2枚目、3枚目と発売されていくだろうが、果たして今の日本でどれだけ需要があるのかよくわからない。もちろん個人的には、ぜひ売れてほしいと願っている。

 課題は、曲の持つメロディラインなどの魅力だろう。どの曲も平均点以上の出来栄えなのだが、これはといったインパクトを持つ曲が見当たらない。彼が第二のジョニー・ウインターやスティーヴィー・レイ・ヴォーンになれるかどうかは、ひとえにこの点にかかってくるだろう。Maxresdefault
 現在、ポールは、ポール・ネルソン・バンドとしてツアーを行っている。世界中を回って、ブルーズやロックン・ロールの素晴らしさや、ジョニー・ウインター直伝のブルーズ・パワーを発揮して聴衆を魅了していることだろう。
 彼のような音楽が、もっと日本でも広く認められるようになり、人気が出てくることを願っている。

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2017年3月 6日 (月)

追悼;グレッグ・レイク

 昨年の12月7日、グレッグ・レイクが亡くなった。まだ69歳だった。彼もジョン・ウェットンと同じように、癌で長い間闘病中だったそうだ。彼の死亡について、まだ追悼記事を書いていなかったので、今回、彼の活動歴を記すことで、あらためて彼の冥福を祈りたい。08greglake_w1200_h630
 グレッグ・レイクは1948年11月10日に、イギリスのボーンマスで生まれた。12歳頃からギターを弾き始め、すぐにバンド活動を行うようになった。

 1967年に、友だちのリー・カースレイクに誘われて、ゴッズというバンドに加入した。そのバンドには、ケン・ヘンズレーというキーボード・プレイヤーがいて、リーとケンはのちにユーライア・ヒープというハード・ロック・バンドを結成している。

 ちなみに、このゴッズの初代ギタリストは、のちにローリング・ストーンズでも活躍したミック・テイラーだった。今から考えればスーパー・バンドだったといえるかもしれないが、当時は、誰もそんな有名人を輩出するバンドだとは思っていなかったに違いない。

 ゴッズはレーベル契約し、アルバム録音を始めようとした矢先に、グレッグはバンドを脱退している。
 理由は、同郷の友人であるロバート・フリップに誘われたからで、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップにボーカル&ギタリストとして参加して、やがてこれがキング・クリムゾンに発展していった。

 キング・クリムゾンは1968年に結成され、翌年、歴史的な大傑作アルバム「クリムゾン・キングの宮殿」を発表し、バンドはアメリカ・ツアーに出発した。Fd3b5248c1cf337aeedda8a72d559b8570c
 アメリカ・ツアー中にナイスと一緒になり、グレッグはナイスのキーボーディストだったキース・エマーソンと意気投合して、バンド結成を考えるようになった。

 やはり、プロのミュージシャンならば、いつかは自分のバンドを持つか、あるいは自分自身の手によってコントロールされた活動を望むようになるのだろう。
 幼馴染とはいえ、いつまでもロバート・フリップなどによって指図されたくなかったのではないだろうか。

 グレッグ・レイクは自意識が強く、またプライドも高かったようで、常に自分が前に出ないと気が済まない性格だった。
 実際は、作曲や編曲、制作面の実権はキース・エマーソンが行っていたにもかかわらず、クレジットでは、プロデュースド・バイ・グレッグ・レイクとなっていた。キースがグレッグに対して配慮していたのである。そうしないと、バンド運営が困難になるからだった。

 グレッグは、ロバート・フリップにも声をかけ、エマーソン、レイク、パーマー&フリップを結成するつもりだったが、ロバートが直前になって回避したため、結局、E,L&Pとして活動を始めたのである。Elp
 彼ら3人組は、約10年間で10枚のアルバムを発表した後に、1979年に解散してしまった。グレッグは、ソロ活動を開始し、ゲイリー・ムーアやスティーヴ・ルカサー等をゲスト・ミュージシャンに迎えて、ソロ・アルバムを発表した。

 1983年には一時、エイジアに加わるものの、すぐに脱退して、1985年にはキース・エマーソンとコージー・パウエルとともに、エマーソン、レイク&パウエルを結成し、アルバムを発表した。ただ、このバンドは長続きせず、アルバム1枚だけで解散してしまった。

 本当はもう少し長く続けるつもりだったのだが、ツアー時の費用がかかりすぎてしまい、セカンド・アルバム録音用にとっておいた予算まで使ってしまったらしい。

 ツアーの途中で続けるかどうかバンド内で協議したらしいのだが、グレッグが執拗に継続を主張したため、結局、最後までツアーを続けたということだった。長期的な展望に立つこともなく、目先の利益を追求したということだろう。

 1987年にはE,L&Pの再結成リハーサルが行われたが、何故かグレッグは元エイジアのジェフ・ダウンズとライド・ザ・タイガーというバンドを結成した。ところが、今度はジェフがエイジアの再結成に参加したため、このバンドも途中で空中分解してしまった。

 1992年になって機が熟したのか、やっとE,L&Pの再結成が行われ、「ブラック・ムーン」や「ライヴ・アット・ロイヤル・アルバート・ホール」、「イン・ザ・ホット・シート」と3枚のアルバムを発表している。

 21世紀に入ると、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドに参加して、あの有名なクリムゾンの"The Court of the Crimson King"などを歌っていた。ちょっと微妙な気がするが、それでもオリジナル・メンバーだった人のボーカルなのだから、居合わせた人はラッキーだっただろう。今となっては、生ではもう二度と聞くことはできないのだから。

 その後は、グレッグ・レイク・バンドを結成して、ツアー活動を出向いたり、チャリティー活動を行っていたが、2010年には、キース・エマーソンと“エマーソン&レイク”を結成して、アコースティック・ライヴ活動を行っている。Greglake_2
 同年にはE,L&P結成40周年記念ということで、ロンドンで行われた“ハイ・ヴォルテージ・フェスティバル”で一度限りの再再結成を行った。このライヴの模様は、CDやDVDとしてのちに発表されている。

 その後のグレッグは、2013年までソロ・ツアーを続けた。そこでは、クリムゾンやE,L&Pの歌だけではなく、自分が子どもの頃に好きだったエルヴィス・プレスリーの曲や、この世界に足を踏み入れるきっかけにもなった好きなミュージシャンの曲なども歌っていたという。

 キース・エマーソンの言葉を借りれば、E,L&Pはお互いのエゴのぶつかり合いが激しくて、その微妙なバランスの上に成り立っていたようだ。キース・エマーソンは作曲に没頭していて、それ以外のことにはなるべく口を出さなかったらしい。

 だから楽曲のクレジットもなるべく3人が公平になるように図らった。ステージでは、キースのピアノがせり出して回転するようになれば、カールのドラム・セットも空中に浮遊し、回転するように演出した。

 スタジオでは、マスタリングの際に、カールとグレッグは自分のパートの音量が残りの2人の音量より低いと文句を言って、それぞれがボリューム・レベルを最大限まで上げようとした。
 最後は、3人とも自分の音量があとの2人以上になるようにフェーダーを上げ続けたのだが、最終的には、エンジニアが逆にマスターの音量を下げざるをえなかったといわれている。

 そんなエゴイストのグレッグが、これまたエゴ・ギタリストと組んだアルバムが1981年の「グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーア」だった。1075143
 このアルバムは結構好評で、各国で好意的に迎えられた。時流はNWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)だったから、この手の音楽も受け入れられやすかったのだろう。
 と同時に、80年代に入ってもグレッグの奥行きのあるテノール・ボーカルを聞くことができるというファン心理も背景にあったのかもしれない。

 とにかく、冒頭の"Nuclear Attack"や途中の"Long Goodbye"など、ゲイリー・ムーアのギターがフィーチャーされているからメタル・ファンにとっても聞き逃せないだろうし、逆にバラード調の"It Hurts"などは、グレッグのボーカルの特徴がよく出ていて、昔からのファンは涙したに違いない。

 グレッグ・レイクとゲイリー・ムーアのことだから、この1枚で終わってしまうだろうと思っていたのだが、何と2年後には2枚目のコラボレーションのアルバム「マヌーヴァーズ」を発表した。

 ただ“柳の下の二匹目の泥鰌”の言葉通りに、このアルバムはコケてしまった。内容的に散漫な印象が残ったのだろう。エイジア風の曲もあれば、AOR風な曲やゲイリー・ムーアがフィーチャーされたヘヴィ・メタルのような曲もあって、リスナーとしても戸惑ったようだ。Fc2blog_20141206072933ebc
 グレッグ・レイクのソロ・スタジオ・アルバムは、結局、この2枚だけになってしまった。結構、芸歴は長かったのだが、たった2枚とは少ない気がしてならない。

 要するにこの人は、他の人をライバル視することで自分を高めていこうというミュージシャンだったようだ。

 自分自身の表現活動がボーカルとベース・ギターだけになることを嫌ってクリムゾンを去ったが、新しいバンドでは、他の2人と競い合いながらも自分の表現欲求を満たすことができたようだった。もちろん、キース・エマーソンの寛大な思いやりがあったからだが、果たしてグレッグは、それに気づいていたかどうかは、定かではない。

 ソロ活動では十分な成果を出せなかったし、期待にも応えられなかったことが原因になったからだろう。結成40周年記念を祝うなど、最後までE,L&Pに固執していたことは間違いないはずだ。

 そのE,L&Pのうち、“E”と“L”はあの世に行ってしまった。きっと2人でアコースティック・セッションを繰り広げているだろう。アコースティックとはいえ、きっとお互いのスピーカーの音量のことでもめているに違いない。

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2017年2月27日 (月)

サーカ(2)

 Yosoというバンドは長続きしなかったが、それでも3年間近く活動し、1枚だけアルバムを残している。「エレメンツ」という名前のアルバムで、これは今でもアマゾン等で手に入れることができる。

 基本的にYosoは、2009年当時のサーカにボビー・キンボールが参加したもので、専任のボーカリストが入ったおかげで、ビリーは演奏に集中できるようになり、バンドとしてもまとまっていった。Yoso_band

 当時の彼らのライヴでは、TOTOの"Rosanna"や"Hold the Line"、イエスの"Owner of A Lonely Heart"や"Roundabout"、メドレー形式での"Yours is No Disgrace"や"Heart of the Sunrise"などもYosoのオリジナル曲と一緒に演奏されていて、それらはライヴ・アルバムとしても発表されていたようだ。自分は聞いていないので、近いうちに購入しようと思っている。

 ボビーのドラッグ癖や酒癖の悪さは昔から定評があったようで、だいたいあんなに売れていたTOTOを辞めたのも、辞めたというよりは首になったといった方が正しかった。

 結局、2011年にはサーカの再活動を始めたのだが、その時はギタリストとドラマーが不在だったので、ビリーがキーボードを除くすべての楽器を演奏した。そうしてつくりあげたのがバンドとして3枚目の「アンド・ソウ・オン」だった。

 このアルバムのジャケットには写真が掲載されていたが、それにはビリー・シャーウッドとトニー・ケイしか写っていなかった。要するに、バンドというよりは、2人のプロジェクトになっていったようだ。

 アルバムは全9曲で、1曲目のアルバム・タイトル曲からイエスっぽい雰囲気を漂わせている。61a62um7tl
 こうやってイエスの二番煎じ的なバンドの曲を聞いていると、逆に本家のイエスがどういう音楽性を持っているのかがよくわかるというものだ。

 結局、イエスの特徴は
①緩急つけた複雑でドラマティックな曲展開
②プログレにはおよそ似つかわしくないハーモニー・コーラス
③聞かせどころを押さえたそれぞれの楽器のソロ・プレイ
④アタックの効いたハードなベース音と硬質なドラム・サウンド
⑤効果的なアコースティック&スティール・ギターの使用
⑥多種多彩なキーボードの使用
⑦複雑な曲の中にも分かりやすいメロディー・ラインを含む
 等だろう。
 
 このアルバムでもビリーの演奏するベース・ギターはクリス・スクワイヤの演奏にそっくりだし、1曲目は9分弱、7曲目のややスローなイントロから徐々に盛り上がっていく曲"True Progress"も7分弱もある。途中でアコースティック・パートを挿入するあたりも本家イエスを踏襲しているようだ。

 3曲目の"'Til We Get There"では、アコースティック・ギターが導入されて牧歌的なイントロからやがてアップテンポになり、モダンな雰囲気に変わっている。こういう曲をイエス・ファンは待っているのではないだろうか。曲時間も6分35秒あった。

 4曲目の"Notorious"も素朴で分かりやすいメロディーラインを持っていて、清涼剤的な役割を持っている。こういう曲が収められている点でも、サーカは1st、2ndアルバムよりは進化してきたといえるだろう。

 サーカ的ミディアム・ハード・ロックが"Half Way Home"だ。ここではビリーの弾くエレクトリック・ギターが炸裂している。ただところどころにコーラスがついている点が、純粋な意味でのハード・ロックとは異なってくる。この辺がイエス・ファミリーのいいところではないだろうか。

 "In My Sky"はアコースティック・ギター弾き語りのバラードで、ジョン・アンダーソンが歌ったらもっと印象的になるだろうと思ってしまった。

 このサーカの弱点は3つあって、一つはボーカルの弱さだろう。せっかくの申し分のない曲が印象薄になっているのも、ボーカルが弱いからだ。そういう意味では、専任のボーカリストを入れたYosoもアイデアとしては悪くなかったと思う。

 ただ、ボビー・キンボールではポップネスさが表に出てしまって、プログレ色が薄くなってしまうと思うのだがどうだろうか。それを確かめるためにも、Yosoのアルバムは手に入れた方がいいと思っている。

 2つ目は、トニー・ケイのソロ・プレイだ。基本的にこの人はオルガニストなので、ハモンド・オルガンのソロ・プレイは素晴らしいが、それ以外のソロはほとんど稀である。このアルバムの最後の曲"Life's Offering"は10分以上もあるのだが、それでもオルガンを弾いていた。イエスでなぜリック・ウェイクマンが重宝されているかがよくわかると思う。3334
 ところで、このアルバムには「オーヴァーフロウ」というミニ・アルバム、といっても7曲40分以上もあるものが付属していて、2枚組になっていた。
 これは彼らの1stと2ndアルバムのアウトテイク集のようだ。それにしてもよくできていて、オリジナル・アルバムに収録されなかったのが不思議なくらいだった。

 このアルバムの曲は4分、5分台の曲が多いことから、どちらかというとポップな傾向が強かった。おそらくは曲の傾向と時間的な問題から、オリジナル・アルバムには収録されなかったのだろう。

 アルバムを発表するごとに、徐々にイエス色が薄れていき、ポップで耳に残りやすいメロディーを含む曲が増えていった。だからこの3枚目のアルバム「アンド・ソウ・オン」はなかなかの良盤だと思っている。

 3枚目のアルバムから約5年後、彼らは「ヴァレー・オブ・ザ・ウィンドミル~風車の谷の物語」というアルバムを発表した。
 このアルバムでは、前回までのポップな要素をやや削ぎ落として、プログレッシヴ・ロックの王道的なサウンドに回帰していた。

 全4曲(国内盤ではボーナス・トラック付きの5曲)で、最も短い曲で7分32秒、最も長い曲で18分43秒だった。4曲合計で50分20秒である。本家のイエスを凌ぐ容量だ。さすがビリー&トニーである。
 しかもこのアルバムでは、バンド編成になっていて、ベーシストとドラマーが新たにクレジットされていた。

 このアルバムでも、さすがにトニーは他のキーボードも演奏しているようだが、基本はオルガンを弾いている。また、如何せんボーカルの線が弱いのもネックのままだった。クリス・レインボウのような専任ボーカリストを入れればいいのに、といつも思ってしまう。

 それから彼らの弱点の3つ目を言い忘れていたけれども、それはギター・ソロが目立たない点である。長厚重大な曲の中に埋もれてしまっていて、せっかくのギター・ソロが目立たないのである。

 せめてソロ・プレイの時にはもう少しバックにおとなしくしてもらうとか、ギターにエフェクトを効かせるとか、あるいは際立って速いパッセージを弾くとか、何か工夫がほしいのだ。51emnfwijml

 このアルバムではボーカリストではなく、リック・ティアーニーという専任ベーシストを加入させていて、ビリーはギターにまわっている。だからギター・ソロはそこかしこに用意されているのだが、アルバムを通して聞くと印象に残らないのである。

 ある意味、器用貧乏なのかもしれない。ギターもベースもキーボードやドラムまで、何でも一通りこなすことができて、しかもレベルも高いのだが、なぜか記憶に残るようなフレーズが少ないのである。自分の感性が鈍ってきたせいだろうか。

 ちなみに、このアルバムのドラムはスコット・コナーが担当していた。彼は現在56歳で、歌も歌えるという。Yosoからの付き合いのようだ。

 確かに良いアルバムには違いないと思うのだが、繰り返し聞きたくなるかというと、ちょっとどうかなあと思ってしまう。
 自分にとってはトランスアトランティックやムーン・サファリ、スティーヴン・ウィルソンのアルバムの方に手が出てしまうのである。

 だから、もっとメジャーを目指すのであれば、
①専任ボーカリストを加入させる
②トニー・ケイにピアノやメロトロンも使用させる
③印象的なギターのフレーズを考える
 等を工夫すればいいと思っている。

 あとは曲もコンパクトにまとめればもっといいかもしれない。90125イエスで学んだことをビリーにはもっと発揮してもらいたいと願っている。そうすれば、このバンドは単なるコピー風なバンドから、オリジナリティ溢れるバンドへと変身していくだろう。

 本家のイエスは、クリスが亡くなり、アランも病気で以前のようには叩けない状況だ。まさに“スティーヴ・ハウズ・イエス”になってしまった。これをイエスと呼んでいいのかどうなのか、わからない。むしろサーカの方がよりイエスらしいだろう。

 ファンは、イエスの遺伝子を正統に受け継いでくれるバンドを欲している。ビリーはまだ51歳だ。イエスのみならず、願わくば次世代のプログレ界の牽引をしてほしいものである。

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2017年2月20日 (月)

サーカ(1)

 昨年の話であるが、何かいいアルバムはないかと探していたら、サーカというバンドに出会った。ちょうどジョン・アンダーソンとロイネ・ストルトとのアルバムが発表された後の頃だった。

 このサーカというバンドに驚いたのには、理由がある。何しろオリジナル・メンバーの4人のうち3人が元イエスに所属していたし、残りの一人もイエスのアルバムで演奏していたのである。正確に言うと、次のようなメンバーで構成されていた。

 ベース   …ビリー・シャーウッド
 ドラムス  …アラン・ホワイト
 キーボード…トニー・ケイ
 ギター    …ジミー・ハーン

 見てわかるように、トニー・ケイはイエスのオリジナル・メンバーだったし、アラン・ホワイトも2代目ドラマーとして70年代から活躍している。
 ビリーは1996年から2000年までイエスに在籍して、「オープン・ユア・アイズ」や「ザ・ラダー」制作に携わっていた。

 ギタリストのジミーもイエスの1991年のアルバム「結晶」にサポート・ミュージシャンとして参加していたし、クリス・スクワイアとビリー・シャーウッドのアルバムにもクレジットされていた。要するに、みんな“イエス・ファミリー”の一員なのである。Circa_portrait
 トニー・ケイは1994年のアルバム「トーク」に参加はしたものの、ミュージック・ビジネスに興味を失ったようで、その後は、一時、引退生活を送っていた。
 ところがピンク・フロイドのトリビュート・アルバムを制作するときにトニー・ケイにもお声がかかり、ビリー・シャーウッドと再会して、彼らはバンド結成に至ったのである。

 彼らは2006年末に正式にバンドとして活動を始め、デビュー・アルバムは翌年の1月からビリーの自宅で録音が始まり、その年の9月には発表された。
 全9曲で、一聴してわかるように、イエスのコピー・バンドといっていいようなサウンドで固められている。61oqkidr9fl
 ビリーのベース・プレイは、クリス・スクワイアのそれといっていいほど酷似しているし、アランのドラミングもまだまだ現役でも十分通じるような(今となっては考えられない程)溌溂とした切れ味のよい演奏を披露している。当時57歳だったから、まだまだ叩けたのだろう。

 イエスといってもその活動歴は50年近くなるので、彼らのサウンドといっても、その時期によって多少ニュアンスが違ってくる。
 このサーカの場合は、90125イエスにやや近い。ちょっとモダンでコンパクトな雰囲気を携えていて、それぞれのソロ・テクニックもやや控えめである。

 1曲目の"Cut the Ties"などを聞くと、1971年の3枚目のアルバムである「イエス・アルバム」の"Yours is No Disgrace"によく似たギター・フレーズやメロディが飛び出してきて、思わずニンマリしてしまった。

 また、2曲目の"Don't Let Go"と8曲目の"Look Inside"の曲のクレジットには、トレヴァー・ラビンの名前も見られる。おそらくは、90125イエスの時に作った曲群のアウトテイクではないだろうか。

 両曲ともゆったりとした曲調で、そんなに耳に残るようなメロディや、印象に残る構築美を誇るものではない。やはり当時の90125イエスの公式アルバムには収録されなかった理由がありそうな気がした。

 個人的に気になったのは、最後の曲"Brotherhood of Man"だ。この曲だけは、このアルバムの中で11分以上もあり、組曲のような形式になっていた。ただ、これも残念なことには、全体的には穏やかな曲に仕上げられていることで、最初の2分程度はアップテンポになっていて、これでグイグイ押していくと思ったら、やがてまたスローダウンしていってしまった。

 往年のイエスなら、ここでギター・ソロやピアノ、キーボード・ソロを織り交えて展開していくのであるが、ここではそうなっていない。イエス・ファンとしてはちょっと物足らないのである。

 その後、イエス本体が活動を再開したため、アラン・ホワイトはそちらの方に戻ってしまった。
 ドラマーが不在になったために、ビリーは80年代末にロサンジェルスで結成したバンド、ワールド・トレイドで一緒に活動していたジェイ・シェリンに声をかけてバンドに誘った。彼はまた、ギター担当のジミー・ハーンともロジックというバンドで活動していたので、サーカにとっては気心が知れたミュージシャンだったようだ。

 彼らは2008年から曲作りを始め、翌年にはセカンド・アルバム「HQ」を発表した。デビュー・アルバムはイエスというバンドのコピー程度のものだったが、このアルバムから徐々に彼らのオリジナリティーが芽生えてくる。61sufxiyqbl

 何しろ1曲目の"If It's Not Too Late"から10分50秒もある大作が用意されている。複雑な構成を持つこの曲は、4人のチームワークの結果から生み出されたというべきものだろう。

 2曲目はギタリスト、ジミー・ハーンによるアコースティック・ギターのインストゥルメンタル曲で、1分18秒と短い。ただ、この曲においてはテクニック的には見るべきものはなく、トレヴァー・ラビンの方が100倍は上手に聞こえてきそうだ。

 ただ、本人の名誉のために言っておくが、ジミー自体は非常に優秀なギタリストであり、テクニック的にも決して劣っているわけではない。ヴァンゲリスや日本人の喜多郎とも交流があり、最近では映画のスコアも手掛けているほどだ。
 あくまでもこの"Haun Solo"という曲においては、彼のテクニックが十分発揮されたわけではないと思っているだけである。

 また、5曲目のインストゥルメンタル曲"Set to Play"は1分49秒と短いものの、白熱したインタープレイになっていた。個人的にはこの曲をもう少し膨らませて、完全な独立した曲として扱ってほしかったと思っているのだが、でも、次の曲"Ever Changing World"とつながっていて、そういう意味では、よく考えられていると思った。

 その"Ever Changing World"はアップテンポで、ロック的なダイナミズムに溢れている。こういう曲をもっとやると、若者にも受けるのではないかと思ったりもした。

 3曲目の"False Start"の3分過ぎでは、1974年のアルバム「リレイヤー」の3曲目"To Be Over"の中に出てくるフレーズによく似たメロディ・ラインを聞くことができて、この辺はご愛嬌というか、昔のファンなら泣いて喜びそうなところだと思う。

 個人的に好きなのは8曲目の"Twist of Fate"で、このスリリングな曲展開や途中の爆発するギター・ソロなどは、とても魅力的なのである。こういう傾向の曲がもう1,2曲あれば、もっと話題になって売れたのではないだろうか。

 最後の曲"Remember Along The Way"もドラマティックな曲で、12分36秒もあった。さすがにこういう長い曲になると、ギター・ソロあり、キーボード・ソロあり、果てはアコースティックな部分やハードな部分も盛り込まれて、興味深く聞くことができた。途中のフルート・ソロはクレジットがないところを見ると、キーボードで出しているのかもしれない。

 8分過ぎにはギターとキーボードのソロを聞くことができるのだが、相互に掛け合うかと思ったら、すぐに終わってしまった。
 
 21世紀の時代には、昔のような重厚長大な楽曲は似合わないのかもしれないが、ファンとしてはもう少し引っ張ってほしかったと思っている。そうはいってもエンディングは非常に盛り上げられていて、なかなかのものであった。 

 セカンド・アルバムは、全体的にはデビュー・アルバムよりは各曲の構成が複雑になり、時間が長くなっている。そういう点では努力の跡がうかがえるだろう。

 彼らはアルバム発表後、ツアーを行ってプロモーションを行ったが、話題にはなったものの、商業的には成功しなかった。
 ただ、面白いことに、元TOTOのボーカリストであるボビー・キンボールと合体してYOSOというプロジェクトを始め、2010年にはアルバムを発表している。

 YOSOとは“Yes”と“TOTO”が合体してできたネーミングだった。彼らはアルバム発表後もツアーを行ったのだが、ボビー・キンボールはアルコール中毒だったために、途中でドロップアウトしてしまい、結局、バンドは2011年に解散してしまった。

 それでビリー・シャーウッドとトニー・ケイは、サーカに戻って活動を再開したのだが、ジミー・ハーンとジェイ・シェリンは自身の活動が忙しくなってしまい、サーカには加わらなかったのである。(To Be Continued...)

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2017年2月13日 (月)

コンスパイラシー・ライヴ

 昨年は、プログレッシヴ・ロック界でも偉大なミュージシャンが鬼籍に入った。3月にキース・エマーソンは自殺するし、年末にはグレッグ・レイクが病死している。これでE,L&Pはひとりになってしまい、もう伝説の中でしか存在しなくなってしまった。

 また、今回のブログの話題に関するイエスのクリス・スクワイアは一昨年の6月に亡くなっている。まだ67歳だった。イエスの中で唯一のオリジナル・メンバーだった。

 オリジナル・メンバーがいなくなると、普通は解散して歴史の中でしか存在しなくなるのだが、イエスの場合は代わりのメンバーを入れて、ツアーを続けていた。そのクリスの代わりに加入したのがビリー・シャーウッドだったのである。

 一説によると、クリスを見舞いに行ったビリーは、クリスからこう言われたらしい。“イエスの継続にとって、君は重要な存在だ。私の存在を意識せず、イエスで自分の役割を全うしてくれ”

 その結果、イエスのツアーに参加してベース・ギターを演奏しコーラスをつけるなど、クリスの遺志を継いだ熱いパフォーマンスを繰り広げていた。Billysherwood
 そんなビリーは1965年に、アメリカのラスヴェガスに生まれた。父親は俳優でジャズ・バンドのリーダー、母親は歌手という音楽一家に生まれていて、兄のマイケル・シャーウッドもキーボード・プレイヤーだった。ビリーがこういう人生を送るのも、ある意味、歴史の必然だったのだろう。

 このブログでも2006年に取り上げていたので、知っている人は知っていると思うけれど、クリスとビリーは昔から交流があって、1989年のビリーが中心になって結成したバンドであるワールド・トレイドのデビュー・アルバムから具体的に始まっていた。

 当時のイエスは、“90125イエス”と呼ばれていて、コンパクトでエッジのきいたプログレッシヴ・ロックをやっていた。これは当時ギタリストとして加入していたトレヴァー・ラビンの功績だったのだが、アルバム「ビッグ・ジェネレイター」発表後、そのトレヴァーとボーカルのジョン・アンダーソンが脱退してしまった。

 そのあとを埋めるために、クリスはビリーとビリーの友人だったギタリストのブルース・ゴーディに声をかけたのだ。

 結局、彼らはイエスには加入しなかったのだが、ビリーの方は「トーク」ツアーにサポート・ミュージシャンとして参加したり、1997年にはキーボード・プレイヤーとしてイエスに参加し、アルバム「オープン・ユア・アイズ」制作に加わったりしていた。これもクリスからのプッシュがあったからだろう。

 ビリーはまた、いわゆるマルチ・ミュージシャンで、ベース・ギターやキーボードだけでなく、ギターやドラムの方も達者のようだ。イエスの1999年のアルバム「ラダー」では、ギターを担当していた。

 イエスのような高度な技術を求められるバンドで、いくらサポート・ミュージシャンとはいえ、キーボードやギターを自由に操ることができたミュージシャンは、ビリー・シャーウッドしかいないのではないだろうか。(トレヴァー・ラビンもマルチ・ミュージシャンだったが、基本的にはギタリストとして参加していた)

 また楽器演奏だけでなく、それぞれのアルバム曲の作曲やアレンジも担当していて、トレバー・ラビン脱退後の90年代後半において曲の水準を一定以上に保つことができたのも、彼のおかげだといわれている。

 クリスとビリーが最初に書いた曲"The More We Live"はアルバム「結晶」に収録され、"Love Conquers All"はボックス・セット「イエス・イヤーズ」に収められている。(両曲とものちに彼らのファースト・アルバムにもアレンジされて収録された)

 話を少し前に戻すと、イエスとしてのツアーが一段落した1992年には、クリスは自身のバンド“ザ・クリス・スクワイア・エクスペリメント”を発足させ、アメリカ西海岸を中心に小規模のライヴを行った。
 ちなみにそのときのメンバーはクリスにビリー、アラン・ホワイト、ジミー・ハーン、映画音楽作曲家のジョン・ウィリアムスの息子マーク・ウィリアムス、TOTOのスティーヴ・ポーカロだった。なかなかの面子である。

 そうこうするうちにクリス・スクワイアに1975年のアルバム「未知への飛翔」以来、25年ぶりとなるソロ・アルバムの話も出てきて、結局その話がビリー・シャーウッドとの合作というかコラボレーションになったのが2000年に発表されたアルバム「コンスパイラシー」だったのである。
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 全10曲+ボーナス・トラック3曲という構成で、内容的には90年代のイエスをポップに味付けしたような音になっている。

 もともとイエスはビートルズの曲をアルバムに取り入れるなど、ポップな要素は備えていたのだが、シンフォニックなイエスになったあとも、特に80年代以降は最新テクノロジーとイエスにしては短めの楽曲を中心にアルバムを制作していった。

 このクリスとビリーのアルバム「コンスパイラシー」も“リトル・イエス”といった感じで、当時のイエスのアルバムに入っていてもおかしくない楽曲で占められていた。あるいはイエスのアウトテイク集といってもいいかもしれない。ボーカルの声質が違うだけである。
 
 それに前述したマーク・ウィリアムスやジミー・ハーン(彼はアルバム「結晶」でギターを弾いている)、アラン・ホワイトと気心の知れたミュージシャンも参加していて、リラックスして制作されたことが予想される。

 また1曲だけギターにスティーヴ・スティーヴンスが参加して流暢な演奏を聞かせてくれる。彼は80年代に有名になったギタリストで、ビリーはビリーでも、ビリー・アイドルのバンドで頭角を表し、今ではソロ・ギタリストとして活躍している。

 彼らは2枚のスタジオ・アルバムを残しているのだが、昨年は2004年のスタジオ・ライヴ盤が発表された。
 「コンスピラシー・ライヴ」というこのアルバムには、クリスとビリーをサポートする形で、キーボードにビリーの兄のマイケル・シャーウッドとスコット・ウォルトン、ドラムにジェイ・シェリンが参加していた。スコットはセッション・ミュージシャンで、ジェイは元バンドメイトだった。

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 彼らはアルバムを発表したものの、それぞれのスケジュールの調整がつかずにライヴ活動ができなかった。だからスタジオ・ライヴ盤を制作したのである。DVDの方では2004年に発表されていたが、CDでは初めてだった。

 全8曲で、彼らの2枚のスタジオ・アルバムから3曲ずつ、クリスのソロ・アルバムから1曲、イエスのアルバムから2曲("The More We Live"と"Universal Garden")収められていた。("The More We Live"はイエスとコンスパイラシーの両方に収められている)

 中でも一番の話題は、先ほどのクリスの1975年のソロ・アルバム「未知への飛翔」からメドレーで2曲選ばれていることである。
 この"Hold Out Your Hand"と"You By My Side"は「未知への飛翔」の冒頭の2曲だった。オリジナル・アルバムでもメドレーで並べられていた。

 自分の中でもこの2曲を含む「未知への飛翔」は忘れがたいアルバムで、カセット・テープに録音したものをよく聞いたものだった。イエスのように構築美というよりは、歌ものアルバムになっていて、しかも抽象的な歌詞ではなく、恋愛などのような日常的な題材も含まれていたから、ビックリしたことも覚えている。

 それにスタジオとはいえ、クリスの曲がライヴで演奏されたのはイエスの1976年のツアーにおけるアメリカ公演10回分だけだったから、こうしてアルバムの中に記録としてまとめられたのは、まさに僥倖といえるだろう。

 他の曲では、"New World"の変幻自在の転調やリズムのキレの良さ、印象的なギター&キーボード・ソロも捨てがたい。もう少しボーカルがパワフルであれば、言うことはないだろう。

 "The More We Live"はイエスの1991年のアルバム「結晶」やコンスパイラシーのファースト・アルバムにも収録されていた曲で、元々はクリスとビリーの共作曲だった。ここではやや幻想的な装飾が施されていて、イエスの長い歴史を思い出してしまうと、神妙な気持ちにさせられてしまった。

 最後の曲の"Universal Garden"もイエスの曲で、リック・ウェイクマン脱退後に加入したビリー・シャーウッドが正式にクレジットされたアルバム「オープン・ユア・アイズ」に収められていた。マイナー調からメジャーに展開するあたりが、いかにもイエスの楽曲に相応しいような気がした。

 それにしても、アルバム・ジャケットは何とかならないものか。ロジャー・ディーンにするとイエスっぽくなってしまうので、それは彼らも嫌だっただろうから、せめてメンバーの写真を使うとかライヴ風景を使用するとか、考慮してほしかった。

 今となっては、二度と実現できないプロジェクトである。おそらくビリーは、今後もクリスの遺志を引き継ぐ形で、イエスに帯同するとともに、自分の音楽道を進んでいくのであろう。それがあとに残された者の使命でもあるかのように。

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2017年2月 6日 (月)

追悼;ジョン・ウェットン

 1月31日にジョン・ウェットンが亡くなった。67歳だった。ジョン・ウェットンといえば、プログレッシヴ・ロック界のみならず、広くロック・ミュージックの分野でも、なくてはならないレジェンダリーなベーシストだった。C09eb7cd53846ea70ec1445da6415c11
 2007年頃から体調を崩していて、心臓の冠動脈のバイパス手術を受けていた。手術は成功し、体調も回復してエイジアやUKの再結成アルバムを発表していたが、2015年には結腸癌になり、翌年の5月には約1kgの悪性腫瘍摘出を行っていた。その後、容体は一進一退を繰り返していたようだが、結局、残念ながら帰らぬ人になってしまった。

 もともとお酒が好きで、一時はアルコール依存症に苦しむほどの飲みっぷりだったようだ。だからそのせいかどうかは不明だが、かなり太っていた時期もあった。Johnwetton630x420
 最後は本人も自覚したようで、長年の友人だったロバート・フリップやビリー・シャーウッドのところに赴き、今までの感謝とニュー・アルバム制作にかける意気込み等も語ったと言われている。最後まで楽天家で、彼の人柄の良さを示しているようだ。001

 ジョンは1949年6月12日に、イギリスの西部、ダービーというところで生まれている。12歳の時にボーンマスに引っ越し、そこでベーシストとして音楽活動を始めた。
 その時に参加したバンド・メイトには、ロバート・フリップやグレッグ・レイク、リチャード・パーマー・ジェイムズなどがいたというから、彼の運命はこの時に決まっていたのかもしれない。

 学校卒業後は、プロ・ミュージシャンとして1971年に、元コロシアムのメンバーがいたモーガル・スラッシュのアルバムに参加した。

 同年にはファミリーに参加して約1年活動を共にし、2枚のアルバムにクレジットされた。翌年にはキング・クリムゾンに加入して、約2年間で3枚のアルバムに参加している。あくまでも個人的意見ではあるが、日本人の間では、このクリムゾン参加の時期から名前が知られるようになったのではないかと思っている。9c88d25efee37cde7f4ce518c783d780_10
 その後は、ロキシー・ミュージック、ユーライア・ヒープ、ブライアン・フェリー・バンド、ウィッシュボーン・アッシュ等々のアルバムやツアーに加わって、誰が名付けたか“ベース・ギターを背負った渡り鳥”状態になる。

 何しろジョンは人が好いというか、頼まれたらいやといえない人柄のようで、ブライアン・フェリーやユーライア・ヒープに加わったのも、友だちのフィル・マンザネラや幼馴染のリー・カースレイクなどから声をかけられたからだった。行き当たりばったりに見えるが、友だちからの頼みと同時に、できるだけ仕事をしたかったからという理由だったようだ。

 1977年には、リック・ウェイクマンとビル・ブルーフォードとともに、ウェットン、ウェイクマン&ブルーフォードを結成しリハーサルを行ったが、リック・ウェイクマンが参加できなくなり、最終的にエディ・ジョブソンとアラン・ホールズワースを誘って、UKを結成した。

 パンク・ロック全盛期に結成されたプログレッシヴ・ロック・バンドということで、このバンドはヨーロッパや日本ではかなり好意的に迎えられた。Uk_polydor_1978
 相変わらずのメンバー・チェンジはあったものの、約3年も続き、3枚のアルバムを残している。やはり本人が中心になって結成したせいか、ジョンには責任感が伴っていたのだろう。

 音楽的な時流に乗れず、なおかつ商業的な原因もあり、UKは解散してしまう。しかし、この時の失敗を次のバンドでは見事に生かすことができたようだ。

 1979年にはリチャード・パーマー・ジェイムズらとともにジャック・ナイフを結成してアルバムを発表したが、内容的にはリハビリのようなものだった。曲の半分は古いブルーズや昔のヒット曲を再解釈したものだったからだ。

 そして1980年末には、イエスのマネージャーと契約してゲフィン・レコードに移ると、新バンドの結成を図った。それで生まれたのが、かの有名なエイジアだった。
 デビュー・アルバム「詠時感~時へのロマン」は全米で9週間アルバム・チャートの1位を独走し、全世界で1500万枚以上も売れた。

 売れた原因は、上にもあるように、パンクの洗礼を受けたプログレッシヴ・ロックをやったからだ。つまり、“4分間のプログレッシヴ・ロック”というわけである。

 それぞれのメンバーが一流のプログレッシヴ・ロックのミュージシャンであり、それぞれのソロを強調しながらも曲自体をコンパクトにまとめて、ラジオやMTVなどでのローテーションの回数を増やした。もちろん曲自体もキャッチーでメロディアス、歌謡プログレッシヴ・ロックだったということも売り上げの上昇には影響しただろう。

 もともとジョンは、4分間のポップな曲を書くのが得意だった。彼はインタビューでこう答えている。
 『70年代のプログレッシヴ・ロックは、新しいものを創造するために、既存の価値観や世界観を解体していたはずだった。ところがいつのまにか解体が目的化してしまい、様式美を再生産するだけのものに成り下がってしまったんだ。だから、もう一度原点に戻ろうとしたのさ。例えば、"Heat of the Moment"も単純には聞こえるけれど、コード進行などを分析してみると、かなり複雑な構造を持っているんだ』

 彼が言うには、クリムゾン時代の曲"The Book of Saturday"や"Starless"なども、もともとは3分から4分程度のものだったらしい。それが結局、10分から11分もある曲に仕上げられていたという。だからジョンのプログレ観によると、プログレッシヴ・ロックとは曲ではなくて、アレンジに対する名称だと言い切っている。

 ただ彼の人生は、順風満帆ではなかった。スーパー・グループにつきもののエゴとエゴのぶつかり合いの結果、ジョンの知らないところで彼は解雇されてしまったのである。

 原因はジョンのアルコール依存症といわれていたが、実際はジョンとスティーヴ・ハウとの確執からだった。
 だから1983年の武道館ライヴでは、ジョンの代わりになぜかグレッグ・レイクがテレプロンプターで歌詞を見ながら歌っていたのだ。

 この時の模様は“Asia in Asia”という企画で全米生中継されていたし、日本でもテレビ放映されている。
 ジョンとしては面白くなく、弁護士を雇って訴えようとしたのだが、公演自体をキャンセルさせられることを知ったのにもかかわらず、何もそこまでしなくてもいいだろうと思ったという。何という人の良さだろうか。

 ところが、今度はグレッグ・レイクが辞めていったために、ジェフからバンドに戻ってきてほしいと懇願されたのである。
 もちろんジョンは、喜んでエイジアに戻った。まるで何事もなかったかのように。この辺もジョンの人柄をよく表しているエピソードではないだろうか。Asia
 1986年にエイジアが一時活動休止に陥ると、ジョンはフィル・マンザネラとのプロジェクトやソロ活動にいそしむようになった。80年代後半から90年代にかけて、また2006年からもエイジアに復帰していた。

 もともと彼もまた、ワーカホリックだったのだろう。ソロ活動を続けながらもエイジアや再結成されたUKで活動を続けていた。
 また、ジェフ・ダウンズやスティーヴ・ハケットとのコラボやアニー・ハズラムのいるルネッサンスとの共演も果たしている。本当に頼めば何でもやってくれるミュージシャンだった。

 プログレ界では、クリス・スクワイア、グレッグ・レイクと今回のジョン・ウェットンと、立て続けに偉大なベーシストが亡くなっている。
 また、キング・クリムゾン関係でもボズ・バレル、グレッグ・レイクと、3人もベーシストを失ってしまった。

 でもまあ、人の好いジョンのことだから、天国に行ってもセッション・ミュージシャンとして活動していくだろうが、メンバーがまだそろっていないから、手持無沙汰なのかもしれない。ともあれ謹んでジョンの冥福を祈りたい。

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2017年1月30日 (月)

スティーヴン・ウィルソン

 今年は、日本でのプログレッシヴ・ロック生誕47周年記念ということで、これから大いに盛り上がっていくと思っている。(あくまでも個人的希望です)

 それで今回は、スティーヴン・ウィルソンの昨年のアルバムについて簡単に記してみたい。ちょっと古い話で恐縮だけど、寒い冬にはプログレッシヴ・ロックがよく似合うということで、お許し願いたいと思う。

 さて、21世紀におけるプログレ界の“ハタラキ蜂”、ワーカホリック三人衆といえば、スェーデンのロイネ・ストルト、イタリアはホストソナテンのファビオ・ズファンティ、そしてイギリスからのスティーヴン・ウィルソンだろう。Introcrop400100120080
 このスティーヴン・ウィルソン、以前にもたびたびこのブログにも登場してきているが、とにかく自分のバンドのポーキュパイン・ツリーから他のミュージシャンとコラボしたプロジェクトのブラックフィールドやノー・マン、ストーム・コロージョン、実験的な音楽を追及したインクレディブル・エクスパンディング・マインドファック、同じく実験的で前衛的なベース・コミュニオンなど紹介するだけで終わってしまいそうだ。

 それに他のバンドのプロデュースやキング・クリムゾンやイエス、ジェスロ・タル、キャラヴァン、ジェントル・ジャイアントなどの古いカタログのリマスターもあるし、一体いつ休むのだろうかと思うほどだ。

 また、ソロ・アルバムも当然のことながら発表している。そんな彼にとっては、勤勉さというのは至極当たり前のことなのだろう。

 彼は、カバー・アルバムを含めて2008年から6枚のスタジオ・アルバムを発表している。また、昨年はそれらの中から数曲をピックアップしてまとめられたベスト・アルバム「トランシェンス」が発表された。71k37p41vsl__sl1200_
 実はこのアルバム、2015年にアナログ盤で限定販売されていて、今回はそれらにボーナス・トラックとして"Happiness Ⅲ"を加え、CD化されたものである。

 またこのアルバムの曲は、発表順には収められていなくて、それぞれのソロ・アルバムから1曲から3曲ほど選ばれたものが順不同で並んでいた。

 これはスティーヴン・ウィルソンの曲作りに関する首尾一貫した姿勢を訴えているのだろうか。昔から、といっても約8年くらいだけど、それだけ自信のある証拠なのだろう。

 1曲目は2015年のアルバム「ハンド.キャンノット.イレイス」からの"Transience"。ここではシングル・バージョンになっている。シングルで発表されたのだろうか。
 タイトルの英語は、“はかなさ、一時性”という意味で、確かに儚さを感じさせるようなアコースティック・バージョンになっている。

 続く2曲目"Harmony Korine"は、2008年のファースト・ソロ・アルバム「インサージェンツ」からで、スティーヴン・ウィルソン自身によってリマスターされている。
 ピンク・フロイドがややメタル寄りになったような雰囲気を携えていて、奥行きのある音響空間からハードに畳みかける後半の変化が素晴らしい。

 ピアノをバックに歌う"Postcard"は、2011年の「グレイス・フォー・ドラウニング」から。非常にセンチメンタルで感動的な名バラードだ。ストリングス・アレンジメントは元エッグのデイヴ・ステュワートが手掛けている。

 "Significant Other"と"Insurgentes"は、2008年のソロ・アルバムからで、これまた夢幻的で浮遊感溢れる桃源郷的な感覚に満ちている曲だ。自身のバンドのポーキュパイン・ツリーとも共通性のあることが分かると思う。

 6曲目の"The Pin Drop"は2013年のソロ・アルバム「レイヴンは歌わない」からの曲で、前半はバンド・メンバーのテオ・トラヴィスのサックスが、後半はガスリー・ゴーヴァンのギターがフィーチャーされている。

 "Happy Returns"はピンク・フロイドの"Hey You"を少しだけ明るくしたような曲で、2015年のアルバム「ハンド.キャンノット.イレイス」の実質的な意味で最後を飾っていた曲。ここでは編集されたものが収録されている。

 8曲目の"Deform to Form a Star"もまた珠玉のバラードで、テオ・トラヴィスのクラリネットとメロトロンの絡みが、初期のキング・クリムゾンを髣髴させてくれる。「グレイス・フォー・ドラウニング」からの選曲。

 次の"Happiness Ⅲ"は昨年のソロ・アルバム「4/1/2」からの曲で、メロディラインだけを聞けば、かなりポップな要素を持っている。スティーヴン・ウィルソンは意外とメロディ・メイカーだということがわかるだろう。

 ちなみにこの「4/1/2」アルバムは2015年のアルバム「ハンド.キャンノット.イレイス」と次に発表するアルバムの“つなぎ”として重要な意味を持つアルバムのようで、過去の曲の再録や今までのセッションの未発表曲が収められていた。"Happiness Ⅲ"自体は、元々2003年に作られていたようだ。

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 "Thank You"はカナダのシンガー・ソングライターのアラニス・モリセットの曲で、彼女の1998年のサード・アルバム「サポーズド・フォーマー・インファチュエイション・ジャンキー」からシングル・カットされたもの。
 スティーヴン・ウィルソンは、2014年にカバー曲を集めたアルバム「カバー・ヴァージョン」を発表しているが、その中に収められていたものだ。

 11曲目の"Index"は彼の実験的な側面が発揮された曲で、プログラミングされた曲と深遠なストリングスが対照的な効果を生み出している。

 "Hand Cannot Erase"は、もちろん2015年の同名アルバムからの曲で、この曲もメロディラインが明瞭でわかりやすい。ソロ・ベスト・アルバムの中に選ばれた理由も、彼の多面的な才能が発揮されていることを示そうとしたのではないだろうか。

 "Lazarus"は、“2015レコーディング”と書かれていることからも分かるように、ポーキュパイン・ツリーの2005年のアルバム「デッドウイング」からの曲を再録したもの。バッキング・トラックを2015年3月のツアー時に録音して、オーヴァーダビングとミキシングをスタジオで加えたようだ。

 ずっと聞いていると、何となく普通の美メロ・ロック・バンドの曲のような気がしてならない。また、この曲は日本語盤の「4/1/2」にはボーナス・トラックとして収められている。

 最後の曲は"Drive Home"で、これは2013年の「レイヴンは歌わない」から選ばれている。スローな曲で、タイトルが示すような哀愁味と叙情性が抑え気味に歌われている。

 これまたバックのストリングスが美しく、アレンジの素晴らしさと後半のエフェクティヴなギター・ソロが終焉に向かっていく様は、まさに感動ものである。81y6ggymral__sl1200_
 とにかく、このアルバムは、ベスト・アルバムと侮ることなかれ、である。ただ単に良い曲を並べたのではなく、彼の才能のレンジの広さや、昔から培ってきたプログレ知識の集積がよくわかるように配慮されているようだ。

 音楽に対して求道的でストイックな姿勢を貫くスティーヴン・ウィルソンである。2015年には“キング・オブ・プロッグ・ロック”の名称を与えられている。
 そんな彼のことだから、今年の終わりまでには「4/1/2」に続くソロ・アルバムを発表するだろう。今後も彼の活動から目を離せないのである。

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2017年1月23日 (月)

師匠と弟子が語る「アンダーソン/ストルト」

弟子:あけましておめでとうございます、師匠。今回で3回目ですね。ついにメジャーになりましたね。

師匠:誰がメジャー・デビューじゃ。たまには趣を変えようというだけじゃろ。それに今までは年末じゃったが、今回は年の初めになっただけじゃ。しかももう年始の挨拶をする時期でもあるまい。最近の若い者は何も知らんな。

弟子:そんなことより、早く本題に行きましょうよ。今回はあのジョン・アンダーソンとプログレッシヴ・ロック界の異才ロイネ・ストルトのコラボですよ。これは凄い出来事ですよね。Andersonstoit
師匠:ジョンも盟友クリス・スクワイヤが亡くなって、自暴自棄になったのかもしれんな。一昨年はジャン・リュック=ポンティとアンダーソン・ポンティ・バンドを結成するわ、昨年はロイネ・ストルトとアルバムを発表するわで、もう収拾がつかんな。

弟子:何を言っているんですか、師匠。ジョンは72歳ですよ。それでもこれだけ創作意欲が溢れているのですから、精神的にはロイネと同じかもしれませんね。

師匠:お前は何も知らんな。ロイネがいくつだと思っとるんじゃ。もう60じゃぞ。昔でいえば還暦じゃ。わずか一回りしか違わんのじゃ。大して変わらんじゃろ。

弟子:ロックの歴史の中で12歳違いは、かなりのものですよ。ロイネが中学生の時は、ジョンはもう「イエス・アルバム」や「こわれもの」を発表していたんですからね。

師匠:だから何じゃい。中学生の時はそうかもしれんが、今は年齢的にも経験値でもそんなに変わらんと言いたいだけじゃ。それより、早くアルバムを紹介せんかい。

弟子:師匠がくだらないことを言うから遅くなったじゃないですか。この「インヴェンション・オヴ・ナレッジ」というアルバムは、久しぶりのジョンの力作ですよ。この高揚感、この浮遊感、圧倒的な肯定的サウンド、まさに元イエスのボーカリストという感じがしましたね。81smwfhatfl_sl1200_
師匠:わしも聞いたが、割合的にはジョンが8割、ロイネが2割といった感じじゃな。ロイネがバックに徹していて、それはそれで好感が持てるが、何もそこまで隠れんでもいいじゃろと思ったな。

弟子:いえいえ、それはどうかと思いますが…このアルバムのギターはロイネが弾いているんですよ。ノーマルな6弦&12弦ギターからラップ・スティール・ギターに、ドブロ・ギター、ポルトガル・ギターというよくわからないギターまで。
 しかも、ギターだけでなく、このアルバムのベーシック・トラックもすべてロイネが手掛けています。自宅のスタジオにあるコンピューターを使って、ベースやキーボード、ドラムを含むリズム・セクションまで作ってジョンに送ったそうです。

師匠:要するに、小難しいことは人に任せて、自分はのほほんと歌っただけじゃろ。まるで“プログレッシヴ・ロック界のラッパー”のように歌いまくっておるな。よっぽど溜まったものがあったんじゃろ。ストレス発散には良かったかもしれん。

弟子:それは違いますよ、師匠。歌詞は確かにジョンが書いていますが、それはストルトが送ってきたデモを自分のコンピューターに取り入れてアレンジを加えながら書いたわけで、ふたりとも“ロジック・プロ”というデジタル・ソフトを使っていたから互換性があったんですよ。

師匠:それにしても曲が長すぎるわ。今どき1曲目から22分を超える曲なんかありえんな。1曲目が3部形式の"Invention of Knowledge"に、2曲目が18分近い2部形式の"Knowing"、3曲目がこれまた3部形式の"Everybody Heals"で、これが13分9秒、やっと最後の曲が11分13秒の"Know..."。21世紀の現在で、こういうアナクロニズムの権化のようなソロ・アルバムに近いものを作れるのはジョンだけじゃろ。71ureuzcs4l_sl1200_

弟子:いえいえ、ジョンは最初から意図的に、こういう長い組曲形式のアルバムを作ろうとしています。本人は、リスナーを音楽的な“長い旅路”に導こうとしたと言っていますよ。それを今度はロイネが懐古趣味にならないように現代的に甦らしたんですよ。やっぱりロイネも凄いですね。

師匠:いやいや、それはジョンの病気の発露じゃな。相変わらず誇大妄想というか、自己肥大化というか、理想と現実の区分がつかんのじゃろう。ただ、それを1枚のアルバムにまとめるには手に余りすぎるので、外部の有能なミュージシャンを活用したんじゃ。
 思えば、ジョンの夢の実現のために、イエスのメンバーやヴァンゲリス、喜多郎、ジャン・リュック=ポンティなど、多くの優秀なミュージシャンが協力してきたわけじゃよ。

弟子:そこがジョンのジョンたる所以でしょうね。そうやってシンフォニックで壮大な楽曲を提供してきたわけで、それがプログレッシヴ・ロックの歴史を築いてきたんです。偉大なるプログレの伝道師と呼ばれるわけです。

師匠:誰がそう呼んどるのか知らんが、このアルバムは長いだけで、途中で眠くなってしまったわい。テンポも速くないし、「危機」や「究極」のような緊張感がもう少しほしいな。やはりジョンも年には勝てんのじゃろう。

弟子:それでもメロディー的には聞きやすく、2曲目のパート2"Chase and Harmony"なんかはもう感涙ものですよ。"Soon"の再演といってもいいかもしれませんね。

師匠:それはないじゃろ。今までのジョンのリサイクル的作品じゃ。良くいえば、ヴァンゲリスとのコラボにロック的装飾音を付け加えたようなもんじゃな。予定調和的であり、良い意味で裏切られるような展開は見られんな。ジョンのファンなら安心して聞けようが、もう少し新しい展開がほしかったな。これでは“進歩的なロック”とは言えんじゃろう。

弟子:相変わらずシビアですね。ジョンのように、もう少しポジティヴにとらえたらどうですか。ジョンは、このアルバムのテーマを“相互理解”としていて、今の世界を変えるためにはお互いに理解する手段を見つけようと呼びかけているんですよ。だから“Know”という単語が数多く使われているんです。

師匠:そこがジョンのいつもの思考回路じゃな。考えただけでは変わらんわい。まあ、呼びかけるのは結構なことじゃが、それをわかりやすく伝えんとメッセージは伝わらんぞ。今回のアルバムでは、メッセージ性は高くとも、わかりやすさという点では失格じゃな。音楽的な面では、Yes時代の方がまだわかりやすかったな。

弟子:何を言うんですか。このアルバムは久しぶりにチャートにも登場しています。英国では58位、スイスでは26位、ドイツでは18位というまずまずの結果ですね。ヨーロッパでは相変わらず人気は高いですよ。Roineanderson1
師匠:ネーム・ヴァリューだけで売れるんじゃろ。それまでの蓄積があるからな。いずれにしても21世紀の現代で、こういうダラダラとした長尺の音楽を作れるのは、いい意味でも悪い意味でも、ジョン・アンダーソンくらいかな。ロイネのトランスアトランティックの方がバンドとしてまとまっていて、構築美があるわい。

弟子:そうですかね。作ろうと思えば作れる人は、まだまだいっぱいいるとは思うのですが。でも最初に戻りますけど、72歳にして、まだ挑戦する意欲があるというのは素晴らしいと思いますけどね。ある意味、“21世紀のスキッツォイド・マン”といえるのではないでしょうか。

師匠:それはわしの言葉じゃ。お前がそれを言ってどうするんかい。

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2017年1月16日 (月)

アラバマ・シェイクスのデビュー・アルバム

 昨年の話だけれど、アラバマ・シェイクスのライヴを見に行った。夜の8時開始だったので、余裕で間に合うだろうと思っていたのだが、年末のせいか、予想以上に道路事情が悪くて、途中から渋滞にあってしまった。Cnrtftiukaaqpuk

 普通は2時間も走れば到着するところを、その倍以上時間がかかってしまい、ライヴ会場に着いた時にはもうすでに始まっていたのだ。やはり日頃の行いが悪い人は、いざという大事な時にその報いが来るのだろう。“因果応報”とはよくいったものである。

 オールスタンディングのライブだったが、とにかく満員でよく見ようと思っても前にも行けないし、しかも、でかい外国の人がいっぱいいて、ステージもよく見えなかった。ドリンクバーにも行けないのだから、金返せと言いたいくらいだった。

 でも、そんな会場の熱気にこちらも感化されて、たとえ姿かたちが見えなくても、サウンドだけで十分に元が取れるステージだった。やはり本物は違うとつくづく思ったものである。

 それにしても、キャパ1000人程度のライヴハウスに、こんな大物がよく来たなあと感心してしまった。ドーム会場ではちょっと厳しいとは思うけれど、もう少し大きな市民会館やサンパレスでも十分いけたと思ったのだが、どうだろうか。

 12月の寒い時期だったが、会場内は熱気で暑苦しく、思わずコートを脱いでしまったし、時間があっという間に過ぎて行った気がした。

 今回は2度目の来日公演だったが、次回は、もう少し大きな会場でお願いしたいと思っている。Suguta01
 それで今回のライヴを見て思ったことは、彼らの音楽の根底には、ゴスペルが存在しているのではないかということだった。

 もともとアメリカ南部のアラバマ州で結成されたバンドである。リーダー?のブリタニー・ハワードは黒人だ。誰がどう見ても(どう聞いても)、ソウルフルなロック・バンドということが分かると思う。

 でも、そのソウル・ミュージックの中でも、ライヴでのお客さんとのコール&レスポンスやブリタニーのボーカルを聞いていくと、ゴスペル・ミュージックの影響が強いと考えたのである。同時に、ステージのライティングも時々観客を照らしていたし、ステージとフロアの一体感を演出するかのようだった。

 自分的には、“黒いジャニス・ジョプリン”もしくは“ロックするアレサ・フランクリン”といった感じだった。これらの言葉に、彼らの音楽が集約されているのではないだろうか。

 わずか90分程度の短いステージだったけれども、彼らの2枚のアルバムからの代表曲はほとんど演奏していたし、当然、参加したファンの反応も素晴らしくて、イントロが流れただけで大いに盛り上がっていた。

 ライヴについてはこの程度で話を締めるとして、その会場までの道中に聞いたのが、彼らのデビュー・アルバムの「ボーイズ&ガールズ」だった。

 このアルバムは2012年に発表されたもので、全米6位、全英3位を記録し、両国でゴールド・ディスクになっている。また、その年のグラミー賞の最優秀新人賞にもノミネートされた。51rzoyo9iql
 全11曲で、時間的にはわずか38分程度だ。80分近いCDのフルレンジの中で、わずか38分少々というのは、まるで60、70年代のレコードを聞いているかのようだった。意図的に狙ったものではなくて、彼らの基準以上の曲を集めたらこういう結果になっただけなのだろう。逆に、それを新鮮に感じた若者もいたのではないだろうか。

 自分はセカンド・アルバムの「サウンド&カラー」の方を先に聞いて、このブログにアップしたのだが、セカンドの方がよりソウルフルでディープな音空間だったような気がした。
 
 それに比べて、こちらのアルバムの方は、シンプルで、ポップでソウルなテイストを含んだロック・ミュージックのように感じられた。

 とにかく、このアルバムには良い曲がいっぱい詰まっている。冒頭の"Hold On"のサビの部分は、ライヴでも観衆も一体になって歌っていたし、バラードから一気に盛り上げてくれる"You Ain't Alone"、C.C.R.の曲に似ている"Hang Loose"なども素晴らしい。

 そして、特に後半の曲はどれも佳曲だろう。ギターのアルペジオが効果的なスロー・バラードのアルバム・タイトル曲"Boys&Girls"は実にソウルフルだし、続く"Be Mine"もライヴで歌われた曲だった。

 さらに続く"I Ain't the Same"も彼らのデビュー当時からライヴで歌われ続けられたものだ。この曲は骨太のロックで、サザン・ロックの影響が感じられた。途中のギター・ソロと最後のボーカルのシャウトが感動的だった。

 最後の曲"On Your Way"のテイストは、続くセカンド・アルバムに受け継がれている。以前聞いたことがあるような、それでいて斬新な感覚を備えている曲形式には、とても新人とは思えないセンスが散りばめられている。

 とにかくこのバンドは、もっともっとビッグになるだろうし、この次の来日公演時にはライヴハウスでは、入りきれないほどファンが詰めかけるだろう。

 でもやはりこのバンドには、ブリタニーのダイナミックでパワフルなボーカルと、ロックなバックの演奏が不可欠だろう。この路線を続ける限り、ますます世界中にファンは増え続けるに違いない。

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