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2007年3月13日 (火)

僕が64歳になったら・・・

 ポール・マッカートニーと妻ヘザーの離婚調停が成立した。和解金(慰謝料)は、日本円にして約66億円らしい。さすが天下のポール・マッカートニーである。

 ポールは1969年にアメリカ人であるリンダ・イーストマンと結婚した。彼女は当時写真家だったが、父親は弁護士でイーストマン・コダック社つまり、フィルムのコダック社は彼女の親戚筋に当たるらしい。だから写真家になったのだろうか。もちろん使うフィルムは、まちがってもフジ・フィルムではないけれど・・・

 リンダは41年生まれで、ポールは42年生まれだからリンダの方が1歳年上である。そのせいかどうかわからないが、ポールはリンダにラブラブだった。70年に発表した初めてのソロアルバム「マッカートニー」では、1曲目に「ラヴリー・リンダ」という曲をもってきている。

 当時はビートルズを解散させたのはポールのせいだとか、ジョンの方がポールよりも率直に自分を語っているとか、平和運動の闘士であるとか様々な非難中傷が巻き起こっていた。そんな中をポールは愛妻リンダを支えとしながら制作したのがこのアルバムである。今で言うところの宅録、自宅録音であるが、4トラック・レコーダーで録音されたこのアルバムは当時の荒涼としたポールの心象風景を映し出しているのかもしれない。

McCartney Music McCartney

アーティスト:Paul McCartney
販売元:EMI
発売日:1990/10/25
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 ところでリンダは再婚で、ポールは初婚だった。リンダには奇しくもヘザーという名前の連れ子がいた。2001年に発表された「ドライヴィング・レイン」には「ヘザー」という曲があるが、これはリンダの連れ子のヘザーではなく、当時付き合っていて後に結婚したヘザー・ミルズのことを歌ったものである。奇妙な偶然である。

  その公私ともにいつもそばにいたリンダは乳癌になり、1998年に死亡した。ポールは2002年にヘザーと結婚し、翌年女の子までもうけたが、06年には別居し、離婚してしまった。天国のリンダはどう思っているのだろうか。

 1967年に発表されたビートルズの「サージャント・ペパーズ」にはポールの作った「When I'm sixty-four」という曲があり、そこにはこう歌われている。

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド Music サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

アーティスト:ザ・ビートルズ
販売元:東芝EMI
発売日:1998/03/11
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 「僕が年を取って 髪の毛が抜けていっても、
 まだ僕にヴァレンタインのカードや誕生日のカードやワインを送ってくれるかい?
 まだ僕を必要としているかい、まだ僕を養ってくれるかい、僕が64歳になっても・・・
 もし君が必要というなら、ずっと君のそばにいてあげられるよ、
 僕が64歳になったら・・・」

 ちなみにポールはまだ64歳である。残念ながらこの歌のようにはならなかったようだ。


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コメント

 改めて、お邪魔いたします。
 先日、本屋で『BURRN』誌の表紙をみてビックリ!
 若き日のオジー・オズボーンとランディー・ローズの2ショットでした。

 私が10代の頃に憧れていたギタリストがランディー・ローズでした。当時、阪神で活躍していたのはランディー・バースでした。

 時は移り変わっていくものですね。

投稿: 王子 | 2007年3月14日 (水) 21時51分

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