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2007年10月

2007年10月31日 (水)

バッドリー・ドローン・ボーイ

 いきなり21世紀に飛んで、イギリスのSSWであるバッドリー・ドローン・ボーイ(以下BDBと称す)について書きたい。

 最近、2002年に発表された彼のアルバム「恋を見ていた少年」を中古CD販売店で購入した。これは初回生産限定スペシャル・エディションで2枚組だった。
 正規のアルバム+オフィシャル・ブートレッグ(公式海賊盤、ようするにアーティストが認めたライヴ・アルバムのこと)の2枚組なのである。

恋を見ていた少年 Music 恋を見ていた少年

アーティスト:バッドリー・ドローン・ボーイ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2003/01/29
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 このアルバムを最初、通して聴いたときは、何といっていいか分からないほど、奇妙な気がした。ポップ・アルバムのような、しかし1分10秒や中には45秒の曲もあって、一筋縄ではいかなかったのである。

 それで1回通して聴いたあとは、しばらく放っておいて、時間を置いてからまた聴いてみた。すると何となくいいような気がしてきたのだ。

 もともと貧乏性の自分は、1,280円も出して買ったのだから、無意識のうちに何とかしていいところを見つけようとしたのかもしれない。

 すると3回目に突入したとき、ふと頭に閃いたのである。これはBDB流の「ホワイト・アルバム」ではないのか、と。
 「ホワイト・アルバム」といえば、あのザ・ビートルズの「ホワイト・アルバム」である。2枚組でロックン・ロールからレゲエ、ボードヴィル調、バラード、ハード・ロック、アヴァン・ギャルド(前衛音楽)までビートルズの音楽性の全てをさらけ出した歴史的名盤である。

ザ・ビートルズ Music ザ・ビートルズ

アーティスト:ザ・ビートルズ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:1998/03/11
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 しかもアルバム・ジャケットが白一色で統一されていたので、通称「ホワイト・アルバム」といわれているのだ。

 その「ホワイト・アルバム」にBDBの音楽性がよく似ているのである。基本的にはSSWなので、フォーク調なのだが、それにミュージカル、60年代のロネッツのようなウォール・オブ・サウンド、ロックン・ロールなどが混合していて、聴いていて飽きさせない。

 45秒の曲"Imaginary lines"も歌詞があり、しっかりとしたメロディもついている。ちょうどポール・マッカートニーがソロ・アルバム「マッカートニー」の中で披露したような曲である。

 アルバムでは5曲目"All possibilities"から急に浮上してくる感じだ。ここから彼の本領発揮という感じである。この曲からポップになり、一気に聴かせてくれるのである。
 特に"I was wrong"、"You were right"、"How?"、"The futher I slide"、"Tickets to what you need"、"What is it now?"、ボーナス・トラックの"Last fruit"などは優れていると思う。

 SSWというとフォーキーなイメージがあるが、このアーティストはその対極にある。結局ひとりで何でもするというマルチ・ミュージシャンなのだろう。
 その証拠にオフィシャル・ブートレッグを聴くとわかるように、ほとんどアコースティック・ライヴに近いのがわかるはずだ。

 これは2002年のグラストンベリー・フェスティバルでのライヴ録音である。最初はギター一本での弾き語り、途中でささやかなドラムとベースが入り、終わりはピアノでの弾き語りという構成である。
 こういうアコースティックになると、曲の骨格というものがはっきりしてくるので、曲のよさが手に取るように分かる。

 全16曲のライヴであるが、秋の夜長に聞くとなかなか心に染み渡るのである。スタジオ録音は様々なテクニックやエフェクトを使って、効果を高めようとしているが、このライヴ盤ではそういった装飾が剥ぎ取られているので、じっくりと曲自体を聴きこむことができる。

 ある意味スタジオ盤よりもライヴのほうがいいかもしれない。そういう意味ではお買い得感のあるアルバムだったと思う。
 数曲はスタジオ盤と同じ曲であるが、3分の2は知らない曲ばかりであった。それでも統一感があり、何曲かは今すぐにでもシングル・カットできそうなものであった。ある意味SSWの本領発揮という感じのライヴ・アルバムであった。

 彼の本名はデーモン・ゴフといい、1969年マンチェスターの出身である。BDBというのは、テレビ番組"Sam and his Magic ball"の登場人物から取ったようである。
  またニット・キャップをいつでもかぶっていて、彼のトレード・マークにもなっている。これも例のテレビ番組の登場人物を真似しているということらしい。

 彼自身はブルース・スプリングスティーンに憧れ、彼のファンだというが、彼の声質は少しジョン・レノンに似ているような気がする。

 それで、結局BDBにハマってしまったプロフェッサー・ケイなのである。

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2007年10月30日 (火)

クリス・スペディング

 ウィッシュボーン・アッシュのアンディ・パウエルは通常“フライングV”というギターを使用している。これは文字通り“V”の字の形をしているギターで、見た目もカッコいいということで日本人には人気のあるモデルである。

Photo_3 Music Hurt

アーティスト:Chris Spedding
販売元:Repertoire
発売日:2002/11/15
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 それでフライングVつながりということで、本来ならマイケル・シェンカーあたりが登場するのであろうが、へそ曲がりの自分としてはここでクリス・スペディングを登場させるのである。

 クリス・スペディングは日本でも意外に人気のあるギタリストである。ブライアン・フェリーのツアー・メンバーとしても、ソロ活動としても来日経験がある。
 個人的には1枚しか彼のアルバムを持っていないのだが、それを聞く限りは、50年代のロカビリーを髣髴させるような音作りだと思う。

 またバディ・ホリーの作品やロックン・ロールの古典"Route 66"などを意欲的に取り上げるなど、彼のルーツは50~60年代のロックン・ロールだということがわかる。
 彼の唯一の?ヒット曲である"Motorbikin'"を聞くと、やはりノリのいいロックン・ロールであり、歌自体は上手とは思わないが、さすがにギターは上手である。("Motorbikin'"は1975年の全英チャートでNo.14であった)

2_2 Music Motorbikin'

アーティスト:Chris Spedding
販売元:Prism Platinum
発売日:2005/06/07
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 歌い方は何となくJ.J.ケールに似ているような気がする。ケールをもう少しハッキリさせたような歌い方だと思う。
 ただ、当然ながら歌よりはギターの方が評価が高く、ブライアン・フェリーをはじめ、プリテンダーズ、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイル、SSWのロイ・ハーパーなどと一緒にツアーを行っているし、スタジオ・セッションではエルトン・ジョン、ポール・マッカートニー、ニナ・ハーゲン、ジャック・ブルース、ブライアン・イーノ、最近では女性SSWのケイティ・メルーアなどのアルバムに参加しており、本当に全体を把握するのは困難である。

 またロックのアルバムだけでなく、その昔はジャズ・ロックにも取り組んでいて、モントルー・ジャズ・フェスティバルではNo.1ジャズ・ギタリストに選出されたという話も残っている。

 さらにはパンク・ロックにも造詣が深く、セックス・ピストルズの最初のデモ・テープをプロデュースしたのはクリスだった。
 ミック・テイラーがローリング・ストーンズを脱退したときに、当然のことながら彼にもお声がかかったが、彼は辞退したそうである。

 ところで彼の一番の人気曲は"Guitar Jamboree"ではないだろうか。これは古今東西の有名なギタリストのフレーズを拝借してきて、次々と演奏してみせるという曲である。

3 Music Guitar Jamboree

アーティスト:Chris Spedding
販売元:Music Avenue
発売日:2005/07/04
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 スタジオ盤とライヴ・バージョンでは若干違いが見られるが、スタジオ盤ではアルバート・キングから始まり、チャック・ベリー~ジミ・ヘンドリックス~ピート・タウンゼンド~キース・リチャーズ~ジョージ・ハリソン~エリック・クラプトン~ジミー・ペイジ~ジェフ・ベック~ポール・コゾフ~レスリィ・ウェスト~デヴィッド・ギルモアが登場し、たとえばジミ・ヘンなら"紫のけむり"、クラプトンなら"愛しのレイラ"のような超有名フレーズを演奏するのである。

 ライヴではデヴィッド・ギルモアの代わりにロバート・フリップになったりする場合もあったということで、まるでお菓子の宣伝ではないが、一粒で何度でも楽しめるという超豪華な曲なのである。当然のことながらライヴでは総立ちになるそうである。

 クリスは1944年の6月生まれだが、もともとはピーター・ロビンソンという名前だったが、父親がオーストラリア空軍の兵士で、任務遂行中に事故で亡くなってしまった。それで生後3ヶ月で養子に出され、そこでクリストファー・ジョン・スペディングという名前に変わったのである。

 養父母のジャックは音楽の素養があり、ピアノなどの演奏もできたし、母親のムリエルはアマチュアの歌手だったこともあった。
 それでクリス自身も9歳からヴァイオリンを習い始めたという。彼の音楽のキャリアはそうやって始まったのである。

 クリス自身はまだまだ現役で、今年もアメリカのライノ社から「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」というアルバムを出している。イギリスにはこういう職人肌のミュージシャンが多いようで、地味だけどいい仕事をしているこんな人にこそ頑張ってほしいと思うのである。

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2007年10月29日 (月)

ウィッシュボ-ン・アッシュ(2)

 ウィッシュボーン・アッシュの代表作は「百眼の巨人アーガス」であるが、前回のブログで個人的に「ウィッシュボーン・フォー」を推薦させてもらった。

 今回はさらに続く推薦盤として、1974年に発表された「There's the rub(邦題:永遠の不安)」を紹介することにした。

永遠の不安(紙ジャケット仕様) Music 永遠の不安(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ウィッシュボーン・アッシュ
販売元:ユニバーサルインターナショナル
発売日:2010/05/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 1973年に発表された2枚組ライヴ・アルバム「ライヴ・デイト」に、ツイン・リード・ギターの響きを残したまま、その片割れであるテッド・ターナーが音楽業界から引退した。
 それで新しいギタリストを迎えたのである。それがローリー・ワイズフィールドであった。
彼はイギリス国内でホームというバンドのギタリストだった。このグループはカントリー・テイストを持ったバンドだったらしいのだが、自分は音を聴いたことがないので、よくわからない。

 そういう音の志向を持ったギタリストが加入したせいか、イギリス特有の音のウェット感や哀愁性といったものが幾分薄くなり、カリフォルニアの青空のようなカラッとした質感に変わっているのがわかる。

 1曲目に"Silver shoes"という曲があるが、イントロからキラキラとしたアルペジオ、バンジョー、すぐにスティール・ギターも加わり、今までのツイン・リードとは趣をことにしているのがわかる。
 音に幅が出てきたことはわかるが、純粋なブリティッシュ・ロック・ファンからみれば、少々裏切られたと感じたかもしれない。

 内容はシンデレラの20年後の姿を歌ったようなものだ。シンデレラはガラスの靴だったが、ここでは銀の靴に変わっている。老いていく哀しさを歌ったものか。

 2曲目は"Don't come back"でタイトル通り、もう戻ってくるなという内容だが、これが発売された当時は、きっとこれは別れたテッド・ターナーのことを言っているに違いないと思っていた。このアルバムの中では結構ハードな曲である。彼らの全曲を通しても1,2を争うほどハードなものであり、ウィッシュボーン流ハード・ロックではなかろうか。

 一転して華麗で哀愁のある音色のリード・ギターで始まるのが3曲目の"永遠の不安"である。ギリシャ神話の女神の名前からタイトルを取った曲だが、これが名曲なのだ。彼らの全曲の中で、1,2を争うほどのスロー・バラード系でなおかつ盛り上がる曲である。

 途中のマンドリンはローリーが弾いているし、ツイン・リードも効果的に相互にいい影響を与えあっている。
「ペルセポネーを輝かせるライトがある
彼女の目にはいつも炎が燃え上がっていた
そして最後に彼女のところにいったとき
物事が正しいということができなかった

私はあなたの歳月が無駄になっていくのを
見ることを気にしない
あなたの瞳にはもはや輝きがないのだ

私はこのフットライトのもとに来た
全ての曲をあなたとともに生きるため
そしてあなたの表情は穏やかなものに変わり
幕が降りようとするのが信じられないのだ

今や私はあなたの歳月が決して無駄にされない
ということを知っている
今夜、私はあなたの瞳の中に
マジックを見たからだ」(訳:プロフェッサー・ケイ)

 言葉自体は難しくないのだが、全体を通して訳してみると、今一歩何かよくわからない。
ペルセポネーとはギリシャ神話に出てくる冥界の女王のことで、無理やり冥界に連れ去られて来たらしい。そこで結婚させられるのだが、それでも彼女は冥界と地上との間を行き来していたらしい。彼女が地上にいないときが冬(一説によると夏)で、戻ってきたら春になるという。

 この曲に関していえば、彼らの決意表明というべきか。今までは音楽業界や名声に流される場合もあったが、これからは(メンバー・チェンジ後は)、もう一度原点に立ち戻って、音楽を追求していくという情熱を感じるのである。

 当時のLPでは片面3曲ずつで、4曲目からサイドBに移った。4曲目の"Hometown"は明るくて、軽快なハード・ロックである。明るいハード・ロックというのも変だが、要するにサザン・ロックからブルーズ臭味を取っ払ったような感じである。

 そしてサイドAでは"永遠の女神"なら、サイドBでは"Lady Jay"であろうか。ただ"永遠の女神"のような叙情性はない。いま少し盛り上がりには欠けるが、哀愁味はたっぷりである。
 古い民話から取ったテーマのようで、愛する人の子どもでない子を身ごもったレディ・ジェイは自殺してしまうが、その墓にはいつも新しい花が手向けられているという話である。

 最後の曲は久しぶりのインストゥルメンタルで、1stや2ndでは結構やっていたのだが、この当時では珍しかった。

 前後半に別れていて、前半はわりとゆったり目の展開で5分50秒辺りから、コンガが打ち鳴らされアップ・テンポになっていく。もちろん全体にわたってツイン・リード・ギターが鳴っているのだが、後半は特に走り回っているという印象がある。

 これがまたいい曲なのである。できれば最初から後半のようなアップ・テンポでスタートして、展開してほしかったなあとは思うが、まあこれでいいのかもしれない。

 最後の曲のタイトルは、"F.U.B.B"というのだが、これが何を意味するのか不明である。昔々何となく、これは車のことをいっているというような話を聞いた記憶があるのだが、定かではない。でもいい曲はいいのだ。

 このアルバムは、初めて彼らがアメリカのフロリダで録音したもの。当時、彼らは全員カリフォルニアに移住していて、アメリカ制覇へ向けていよいよ一歩踏み出したというところだった。
 のちにアメリカでの成功をあきらめてイギリスに戻るのだが、しかしこのアルバムは少ししか売れなかったとはいえ、名盤に属するものだと思うのである。

 それはイギリスの哀愁とアメリカの爽快さがうまくブレンドされているからだ。隠れた名盤とはこのようなアルバムのことをいうのではないだろうか。

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2007年10月28日 (日)

ウィッシュボーン・アッシュ

 70年代に“哀愁のツイン・リード・ギター”というキャッチフレーズで売り出したイギリスのバンドがあった。その名をウィッシュボーン・アッシュという。

 うろ覚えで恐縮だが、彼らのバンド名の“ウィッシュボーン”というのは、鳥の胸の骨のことで、この骨を取り合って一番長い骨をとった人には幸運が訪れる、とか願い事が叶うとヨーロッパでは言われている。

 それでバンドのメンバーは、この名前を採用したといわれている。“アッシュ”というのは、たぶん不死鳥のフェニックスが灰の中から再び甦るといわれていることから、永遠の命という希望を込めて付けたのではないだろうか。

 バンドの始まりは、1969年にまでさかのぼる。オリジナル・メンバーはベーシストのマーティン・ターナーとドラマーのスティーヴ・アプトンであった。
 彼らはギタリストを募集したところ、最終的にアンディ・パウエルとテッド・ターナーの2人が候補として残った。

 結局、彼らはギタリストを絞り込むことができずに、最終的に2人がそのままバンドのギタリストとして残ったのである。

 それまで2人のギタリストがいるバンドは、ビートルズもそうであるように、1人がリード・パートを、もう1人がリズム・パートを受け持つというのが一般的であった。
 しかしウィッシュボーン・アッシュには、2人のソロ・パートを受け持つギタリストがいたのだ。ひょっとしたら彼らの頭の中には、オールマン・ブラザーズ・バンドのようなアメリカのバンドのようなものを構想していたのかもしれない。

 アンディのギターはギブソンのフライングVを、テッドはフェンダー・ストラトキャスターをもっぱら使用していたから、そういう音色の違いみたいなものも味わえたのかもしれない。

 彼らは69年に活動を始め、翌70年にはディープ・パープルの前座を務めた。その際、アンディ・パウエルが、ステージ上でリハーサルしているリッチー・ブラックモアに歩み寄り、一緒にギターを弾いたという逸話が残されている。

 どうもこの話は本当のようで、リッチーの方は途中で何もいわず、不機嫌そうにステージを去ったという。アンディは機嫌を損ねたと心配していたようであったが、実はチッリーはプロデューサーのデレク・ローレンスに有望な新人バンドがいるから連絡を取ってみたらどうかとアドヴァイスをしたという。

 1stアルバムから3rdアルバムまでデレク・ローレンスがプロデュースしたのもそういう経緯があったからである。
 一般的に彼らの代表作は3rdアルバムの「百眼の巨人アーガス」だといわれている。これには自分も異論はない。ただ今回は特にコメントはせずに、別の機会に譲りたい。

百眼の巨人アーガス+3 30thアニヴァーサリー・エディション Music 百眼の巨人アーガス+3 30thアニヴァーサリー・エディション

アーティスト:ウィッシュボーン・アッシュ
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2002/05/29
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 ただ、個人的にはその次の作品、オリジナル・メンバーとしての最後の作品となった「ウィッシュボーン・フォー」が一押しなのである。

ウィッシュボーン・フォー(紙ジャケット仕様) Music ウィッシュボーン・フォー(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ウィッシュボーン・アッシュ
販売元:ユニバーサルインターナショナル
発売日:2010/05/19
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 1973年の作品であるこのアルバムは、全米ツアー後に制作されたせいか、全体的に前作よりもアメリカナイズされたポップな作品になっていた。
 またそれまでのプロデューサー、デレク・ローレンスと別れ、自分たちでプロデュースした初めての作品でもあった。

 全編に渡って、曲が長くなく、聴きやすいのも特徴である。のっけから激しいドライヴのかかった曲"So many things to say"が響き渡る。「お前にいいたいことが山ほどあるんだ」と歌っていた。これくらいは中学生でも理解できたのである。

 また"Sorrel"とはスタンダールの「赤と黒」の主人公、ジュリアン・ソレルとはまったく無関係であり、初夏に花咲くタデ科の「すいば」のことだそうである。
 作詞したマーティン・ターナーが育てていたこの植物が、ツアーから帰っていたら枯れていたという話を植物を女性に例えて失恋に置き換えた曲である。

 どの曲も捨てがたいのだが、特にアコースティック・ギターとエレクトリック・ギターが美しく絡み合う"The ballad of the Beacon"、珍しくシンセサイザーを使用し、音が厚く重ねられている"Everybody needs a friend"は名曲である。

 特に後者は8分27秒もあり、友だちのいなかった自分にもひょっとしたら友だちくらいはできるのではないかと希望を持たせてくれた曲だった。
 結局は友だちはできなかったけれど、それでもいい曲にめぐり合えて幸せだったと思っている。

 若いときは(特に思春期などは)、ほんのささいな事で落ち込んだり、ハイになったり、気持をむき出したりと感情の起伏が激しいときだ。
 そんな辛いときにはなんども聴いた覚えがある。いつ聴いても慰められた曲だった。

 それ以外にもカントリー・フレイバーあふれる"Sing out the song"も捨てがたい。テッド・ターナーが演奏するスティール・ギターがいい味を出している。
 そして"Rock'n'roll widow"である。この曲が一番いいと思うのだが、なぜかシングル・カットはされていない。コンサートでは必ず演奏される曲でもある。

 彼らがアメリカのテキサスで野外公演をしているとき、ホットドッグ売りが射殺された。理由はホットドッグが売り切れたのを怒った客がピストルで撃ったのである。
 この出来事をモチーフにしてこの曲が出来た。ロックン・ロールのせいで未亡人になったホットドッグ売りの奥さんのことが曲のテーマになるというのも珍しい。

 彼らはその後もバンドを継続していくも、メンバー・チェンジが災いしてか、人気も収入も下がっていった。特に80年代以降は低迷を続けた。

 2007年現在でもバンド名は継続して活動しているが、オリジナル・メンバーはアンディ・パウエルだけで他のメンバーは全て交代している。
 またマーティン・ターナーズ・ウィッシュボーン・アッシュというバンドもライヴを中心に活動している。名前の通りマーティン・ターナーが中心のバンドだが、「ニュー・ライヴ・デイト・Vol.1」というライブ盤を発表しているという。

 80年代後半から90年にかけて一時再結成したが、上記の通りまた分裂した。できればバンド名のように、もう一度灰の中から甦って復活してほしいものだ。でもオリジナル・メンバーももう60歳前後だし、オリジナルの復活は厳しいだろうなあ。

 でも名曲はいつまでも名曲である。ときどきこのアルバムを引っ張り出して自分を励ましながら、生きていこうと思うのである。

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2007年10月27日 (土)

461オーシャン・ブールヴァード

 エリック・クラプトンの名盤である。“461オーシャン・ブールヴァード”とはマイアミにある彼の家の番地だそうで、アルバム・ジャケットに写っている白い家の住所ということだ。個人情報バレバレであるが、当時はそういうことも許されていた時代であった。

461 Music 461オーシャン・ブールヴァード

アーティスト:エリック・クラプトン
販売元:ポリドール
発売日:1997/03/05
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 エリック・クラプトンは、1945年3月30日にイングランドのリプリーに生まれた。18歳からプロ活動をはじめ、63年に伝説のバンド、ヤードバーズに加入したが、バンドがブルーズよりもポップな音楽に走り始めたため、2年程度で脱退。ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズに加入。自分の求めるブルーズを追求し始めた。

 66年にベースのジャック・ブルースとドラムのジンジャー・ベイカーとの3人でクリームを結成した。音的にはブルーズを基盤としながら、新しいロック、いわゆるニュー・ロックやサイケデリック・ロックを追及するものだった。

Photo_2 Music カラフル・クリーム

アーティスト:クリーム
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2006/06/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 このバンドはロック史上に残る最高のトリオといわれており、3人が対等の立場でお互いに全力を出し切って演奏するというプレイ・スタイルが人気に拍車をかけ、ビートルズ以上の存在になろうとしていた。
 しかしその分、メンバー間での緊張が極限に達してしまったらしい。わずか2年余りで解散してしまったのである。もともとジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーは仲が悪かったらしいのだが・・・

 クリーム解散後、スティーヴ・ウィンウッドやリック・グレッチらとともにブラインド・フェイスを結成するが、アルバム1枚とツアーを行っただけで、わずか半年で解散してしまった。このアルバムはイギリスとアメリカではNo.1になっている。

 その後、クラプトンはアメリカの南部音楽にひかれ、デラニー&ボニーらとともにアメリカ中をツアーしてまわるようになった。そこでバンドのメンバー数人とともに結成したのがデレク&ザ・ドミノスであった。
 そこで歴史的な名曲である"Layla"(愛しのレイラ)を発表する。1970年の出来事だった。

 そこであのデュアン・オールマンと共演したり、ライヴ・アルバムを発表したりするのだが、メンバー間での対立があったらしい。71年に解散してしまった。

 ここからから約2年間に渡って、クラプトンの暗黒時代が始まるのである。クリーム時代から緊張感を解放するために、ドラッグに手を出していたが、ここにきてほとんどドラッグ中毒と化してしまい、まともに演奏もできなくなってしまった。

 73年にリハビリ施設などで治療しながら、一時的に快方に向かうと、彼の親友たちが“励ます会”を開いた。これが世にいう“レインボウ・コンサート”であり、ザ・フーのピート・タウンゼンドたちが彼を復活させようとして企画したものだった。

 これで少しは調子が上向いてきたのか、74年にこの歴史的名盤を発表することができたのである。やっと本題にたどり着くことができた!

 当時の私は、クラプトンといえばクリーム時代のことが頭にあったため、1曲20分近いことしか思い浮かばなかったのだが、1枚のアルバムに10曲もあるなんていうのは信じられなかった。
 しかもヒットしている曲が、ボブ・マーレィのレゲエ、"I shot the sheriff"だったから、なおさら驚いた。(当時は全世界的にレゲエが流行していたのだ。ポール・サイモンなんかも取り入れていたなあ)

 さらに1曲目から明るい音なのである。こんなに明るくていいのか、アンタ麻薬中毒だったのだろ、と思わず口走ってしまったくらいビックリしたのだった。
 とにかく全体的に力を抜いたリラックスしている雰囲気が漂うアルバムだったのだ。今まで病気休暇をとっていたとは思えないくらい元気がいいのである。子ども心にもやっぱり外国人は違うなあ、と思ったものである。

 このアルバムの中に数曲目立つ曲がある。"Give me strength"と"Please be with me"、"Let it grow"である。最初の曲は「おお神よ、私に続けさせてくれる力を与えて下さい」をただ繰り返すだけの2分50秒の曲であるが、この当時のクラプトンの心境がうかがえる曲である。

 "Please be with me"はアコースティックな、といってもドブロ・ギターなのだが、心に染み入るような曲である。聴けば聴くほど感動する。イヴォンヌ・エリマンのバッキング・ボーカルがなかなかマッチしている。秋という季節にはふさわしい曲である。

 そして"Let it grow"はアコースティックではないが、スローな曲である。かつてクラプトンに"Let it rain"という曲があったが、全然似ても似つかない。
 この曲は名曲ではないのだが、次の"Sready rollin' man"と"Mainline Florida"につなごうとするかのように、控えでなおかつその存在を主張しているかのような曲である。

 この3曲に共通していることは、いずれもエリック・クラプトンが作曲しているということだ。つまりクラプトンはけっこう作曲能力があるということを言いたかったのだ。

 でも40年近いキャリアのなかで、全米No.1になったシングルは"I shot the sheriff"1曲だけで、皮肉にもそれは他人の曲であった。1992年の自作曲"Tears in heaven"は全米2位に終わった。チャートのランクだけで、彼の作曲能力を判断してはいけない。1位になれなくても彼の作曲能力が疑われることはないのだから。

 アメリカの音楽雑誌ローリング・ストーン誌2003年8月号では「100人の偉大なギタリスト」で第4位に選ばれた。ちなみに1位はジミ・ヘンドリックス、2位はデュアン・オールマン、3位はB・B・キングであった。

 また長年の音楽活動が認められ2004年には、ナイトの次に叙される「大英帝国第三級勲位」(CBE)がイギリス政府より授与された。さらに第三子も誕生し、三姉妹の父親にもなり、体型も以前とはかなり違ってきた。
 
 残念ながら最近のクラプトンは、ブルーズが似合わなくなってきたようだ。

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2007年10月26日 (金)

アヴェレイジ・ホワイト・バンド

 ハミングバードはイギリスのファンキーなバンドだというようなことを書いた。すると、そういえば他にもまだイギリス出身でファンキーなバンドがあったなあと考えていたら、思い出したバンドがあった。それがアヴェレイジ・ホワイト・バンドであった。

 アヴェレイジ・ホワイト・バンド(以下AWBと称す)は、1971年にロンドンで結成されたバンドである。一説によるとスコットランドで結成されたとあるが、それは間違いで、メンバーの中にスコットランド人がいたことから誤説が生まれたのであろう。

 中心人物は、ベース&ボーカルのアラン・ゴリエとサックスのマルコム・ダンカンで2人はルームメイトだった。またマルコムとキーボーディストのロジャーとは同じアート・スクールの通っていて、そこで一緒にジョン・コルトレーンなどのジャズを演奏していたそうである。  
 また、ギタリストのオニー・マッキンタイアとテナー・ボーカルのハミッシュ・ステュワートはグラスゴー出身であった。

 1973年、彼らはエリック・クラプトンのカム・バック・コンサート(いわゆるレインボー・コンサート)で前座を務め、その年にデヴューした。

 彼らの友人のロバート・ワイパーという人の口癖のせいで、彼らのバンド名ができたそうだ。
 彼には奇妙な観察癖があり、英国国内サーヴィスに勤務しているときに様々な人や出来事を見たり聞いたりしていたそうで、そこから“ウガンダは平均的な白人には暑すぎる国だ”という言葉が生まれたという。
 そこでメンバーのアランが自分たち6人も平均的な白人だからということで、このネーミングにしたということだった。

 彼らの名前を一躍ビッグ・ネームにしたのは、1974年の2ndアルバム「アヴェレイジ・ホワイト・バンド」であり、この中に収められている"Pick up pieces"が全米No.1になったからだった。

AWB Music AWB

アーティスト:The Average White Band
販売元:Rhino
発売日:1995/06/20
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 これはインストゥルメンタルで当時のディスコでよくかかっていたそうだ。シングル・ヒットにつられて、アルバムも全米No.1になった。ちなみにこのアルバムは、通称“ホワイト・アルバム”とも言われている。

 しかし、この年の9月にドラマーのマッキントッシュがパーティの途中でストリキニーネの入ったコカインを飲み、翌日ホテルの部屋で死亡しているのを発見された。
 ボーカル&ベースのアランも同じ中毒症で死にかけたのだが、そばにいたシェール(あのソニー&シェールのシェールである!)が気づいて、救急車を呼んだので助かったということだ。

 それで新しいドラマーとして、黒人のスティーヴ・フェローンが参加することとなる。正確にいうと、アヴェレイジ・ホワイト・バンドではなくて、アヴェレイジ・ホワイト&ブラック・バンドになるのだが、そこはお堅いことを言わずに今まで通りの名前を使用することにしたとのことだった。

 その後、隠れた名盤といわれる「カット・ザ・ケーキ」を発表したり、ベン・E・キングと共演したりと精力的に活動を続けたが、1982年頃にバンド活動を休止している。

Cut the Cake Music Cut the Cake

アーティスト:The Average White Band
販売元:The Hit Label
発売日:1993/07/20
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 ドラマーのスティーヴ・フェローンはデュラン・デュランに参加し、ハミッシュ・ステュワートはポール・マッカートニーのツアー・メンバーとして活動している。 

 82年に活動停止したものの、1996年には活動を再開した。しかしオリジナル・メンバーはアランとオニー・マッキンタイアーだけである。
 ハミッシュは、昨年リンゴ・スターのオール・スターズ・バンドにベーシストとして参加し、ツアーを行っている。

 AWBはイギリス出身の70年代を代表する白人ファンク・バンドであった。

Pickin' Up the Pieces: The Best of Average White Band (1974-1980) Music Pickin' Up the Pieces: The Best of Average White Band (1974-1980)

アーティスト:The Average White Band
販売元:Rhino
発売日:1992/09/01
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年10月25日 (木)

ハミングバード

 ハミングバードとは、ハチドリのことである。蜂のように小さくて、ヘリコプターのように空中で止まったり、自由に上下高低に飛ぶことのできる鳥のことである。

 この名前を冠したロック・バンドがあった。1975年にデヴューしている。メンバーは、
ボーカルにボブ・テンチ、
ギターがバーニー・ホランド、
ベースはクライヴ・チャーマン、
キーボードにはマックス・ミドルトン、
そしてドラムスがコンラッド・イシドールであった。

 そう、見てわかるように5人中3人が第2期ジェフ・ベック・グループに在籍していた。第2期ジェフ・ベック・グループが解散したのは1972年7月のことであったが、残ったメンバーのボブ、クライヴ、マックスの3人が中心となって結成された。73年とも74年とも言われていて、ハッキリしたことは不明である。

 しかし1stアルバム「ハミングバード」は1975年に発表されているので、いずれにしても結成はそれ以前ということになる。

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 当時のイギリスではソウル・ミュージック(黒人音楽と当時は言われていた)に影響を受けたロックが流行しており、もちろんジェフ・ベック・グループもその1つであった。
 また、ジャズ・ロックというジャンルも存在していて、コロシアムやテンペスト、ソフト・マシーンなどがその中心となっていた。

 これらの動きが混在しながら進んで行き、やがてはフュージョンやクロスオーヴァーなどにつながったのではないかと思っている。

 それでこのハミングバードもソウル・ファンク色の強いグループであった。1stではほとんどの曲をドラマーのコンラッド・イシドアが手がけていて、以前ジェフ・ベックが「ラフ・アンド・レディ」などで演奏していた曲をもう少しファンキーにしたものになっている。
 要するにボーカルがメインの「ラフ・アンド・レディ」というところだろうか。実際、インストゥルメンタルは1曲しかないのである。

 個人的には結構気に入っていて、車の中でよく聞いたものだ。ノリがいいので、車の中で聞くと、何となく走りがよくなっているような気がしたのだった。

 ところがバンド内ではあまりいいとは思われていなかったらしい。もう少しファンキーというかアドリヴが入るような余地がほしいということで、コンラッド・イシドア以外は不満をもらしていた。
 それでドラマーのコンラッドが退団し、アメリカ人のバーナード・パーディが加入。またサポート・ギタリストとしてロバート・アーワイという人も参加している。この人は3枚目のアルバムでバーニー・ホランドと交代することになった。

 76年に2ndアルバム「密会」が発表されたが、1stよりもファンキーで、タイトル通りに艶っぽくなっている。

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 女性コーラスも配置され、1stよりマック ス・ミドルトンのシンセサイザーやキーボードが目立っている。
 また曲の雰囲気もロック色は薄くなり、フュージョンの先駆けとも思えるような軽快で、かつリズムが複雑な曲が目立っている。

 確かに各プレイヤーの自由度は増えたと思うのだが、ゴリゴリのロック派からすれば、ちょっとテクニックやソウル・ミュージックに走りすぎているのではないかなとも思える。何しろハーモニカまでフィーチャーされているのだから、かなりの路線変更だと思う。

 だから個人的には2ndよりも1stの方が好きだった。もちろん2ndにもよい曲はある。マックスのシンセが目立つ"Gypsy skys"、ジェフ・ベック・グループの“オレンジ・アルバム”に収められてもおかしくない"Heaven knows"、ギターがメインの"Scorpio"などである。

 1stではコンラッドが主に作曲していたので、アルバムとしての統一感があったが、2作目では各人がそれぞれフィーチャーされた曲があるので、全体としては散漫な印象を受けるときもあった。
 テクニック的にはみんな折り紙つきなので、申し分ない。ただインストゥルメンタルが4曲に増え、ボーカル曲とほぼ半々になっている点については賛否両論あるかも知れない。

 何で今頃ハミングバードについて書いているのかというと、最近彼らの紙ジャケット・アルバムが出たからである。特に2ndと3rdの「ダイヤモンドの夜」は世界初CD化ということらしくて、店頭でも宣伝されていた。
 それで今回2ndを購入してみた次第ということである。

 彼らは77年に解散するのだが、世間的にはこの2ndアルバムが一番人気が高く、最高傑作と評価されているらしい。
 ソウル・ミュージックは不思議なことに、何年たってもあまり古臭さを感じさせないようだ。彼らが制作したアルバムも30年以上立っている割には古くはないと思う。いまどきの季節に聴くにはいいアルバムだと思う。

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2007年10月24日 (水)

ナザレス

 今回はイギリスのちょっとマイナーなハード・ロック・グループ、ナザレスのことについて述べてみたい。

 あのガンズ&ローゼズのボーカリスト、アクセル・ローズが若いときに、このナザレスを聞いて、バンドのボーカリスト、ダン・マッカファティーに尊敬と憧れを抱いたというから、どんなグループかなと興味津々で聞いてみたところ、あまりたいしたこともないなあ、と思ったことがあった。

 今回改めて聞いてみても、その気持は変わらなかった。むしろちょっとしわがれた声質がアクセル・ローズとよく似ていると思ったくらいである。今のアクセル・ローズの歌い方はこの人からだいぶ影響を受けているということはわかった。

 このバンドは、イギリスのスコットランドに誕生したグループだった。当時からロックン・ロールを主体とした演奏をしていて、地元では評判だったそうである。

 アルバム・デヴューは1971年である。以来メンバー・チェンジを繰り返しながらも現在まで活動中の現役バンドだ。
 日本では知っている人は少ないが、欧米ではディープ・パープル以上の人気を博しているともいわれるくらいだ。

 彼らの最盛期は、やはり70年代であろう。最初にヒットしたアルバムは、「ラザマナス」である。(73年発表)

Razamanaz Music Razamanaz

アーティスト:Nazareth
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 このアルバムのプロデュースには、ディープ・パープルのロジャー・グローバーが担当している。なぜ担当したかというと、パープルの全英ツアー中のサポーティング・アクトとしてナザレスが起用され、この演奏を見ていたパープルのメンバーたちが感動したらしいのだ。

 したがって彼らの3作目のアルバム「ラザマナス」は全英チャート11位という大ヒットとなった。やはりロジャー・グローバーの手腕は大きい。売れるハード・ロックを制作させるにはもってこいのプロデューサーだったのだ。

 シングル"Razamanaz"もヒットし、彼らはメロディ・メイカーでブライテスト・ホープ部門で第1位になった。以降、順調にヒット・アルバムを発表していったが、70年代の後半、特にパンク・ロックが世界中で人気になる頃には、ナザレスだけでなく他のバンドも含めて人気が下がっていった。

 そんな状況下でラッキーなことに、エヴァリー・ブラザーズの"Love hurts"が全米トップ10内に入るという快挙をもたらした。
 これによって、彼らの人気は持ち直すとともに、1979年にセンセイショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドからザル・クレミンソンが加入した。曲の書けるギタリストの加入は彼らに大きな自信をもたらした。また、ギタリストが2人になり音の厚みも増した。

 80年代に入るとメンバー・チェンジが目立つようになり、彼らのパワーも失われていく。栄枯盛衰は世の習いということか。
 彼らのグループ名は、ザ・バンドの"The weight"からとられたという。ナザレスとザ・バンド、あまり結びつかないような気がするが、どうだろうか。

 彼らの魅力を端的に知りたい場合は「グレイテスト・ヒッツ」がお勧めである。これは1973年から1983年までの10年間の彼らのベスト曲を集めたものである。彼らの人気がピークの時のもので、軽快なロックン・ロールからハード・ロック、アコースティックなバラードまで幅広く収録されている。

Greatest Hits Music Greatest Hits

アーティスト:Nazareth
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 "Love hurts"、"Razamanaz"、"Broken down Angel"、"Hair of the dog"、"Expect to mercy"、"Dream on"などがいい曲だと思う。80年代後半に流行したL.A.メタルの原形のようなものがここにあるような気がする。

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2007年10月23日 (火)

ジョン・メイオール

 かつてローリング・ストーンズのミック・ジャガーは"John Mayall school"と呼んでいたが、まさしく彼の下で修練を積んで、のちにビッグになったプレイヤーは多いのである。

 思いつくまま挙げても、エリック・クラプトン(g)、ピーター・グリーン(g)、ミック・テイラー(g)、ミック・フリートウッド(dr)、ジョン・マクヴィー(b)、エイズレーダンバー(dr)、ジャック・ブルース(b)、ジョン・ハインズマン(dr)、ハーヴィー・マンデル(g)、コリン・アレン(dr)もっといたと思うのだが、疲れてきたのでこの辺でやめる。そういえばコロシアムのディック・ヘックストール=スミス(sax)もいたと思う。

 ジョン・メイオール自身は1933年生まれで、幼い頃からブルースを聴いて育ち、13歳のときに両親の離婚のために、マンチェスターの祖父に預けられた。そして高校生の頃からギターを演奏していたという。この頃、自分で木を切って家を作って住んだこともあるらしい。その経験は1971年発表のアルバム「メモリーズ」の中の"Home in a tree"という曲にまとめられている。

 高校卒業後は、一時就職したあとに兵役につき、国連軍の一員として韓国に駐留した。帰国後、大学に行ってバンド活動を始めたようである。

 地元のパブなどで、演奏中のところをアレクシス・コーナーから声をかけられ、ロンドンに来ることを勧められたという。そして1963年にマンチェスターからロンドンに出て、ブルース・ブレイカーズを結成した。彼が29歳のときだった。

 昼間は働きながら、夜クラブなどで演奏するという生活が続き、その中で数多くのミュージシャンと交流を深めていった。そして1964年にデッカ・レコードと契約ができて、シングル・レコードを出した。

 64年4月に、ヤードバーズに在籍していたエリック・クラプトンが加入した。ヤードバーズがポップな音楽を求めるようになり、それに嫌気が差したというのが原因のようである。
 結局、クラプトンは64年から66年までブルース・ブレイカーズに在籍した。このときの名盤が「ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズfeaturing エリック・クラプトン」である。

ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン Music ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン

販売元:ユニバーサル インターナショナル
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 彼らの2ndアルバムであるが、これは日本でも有名である。ちなみにジョン・メイオール自身はオルガンやブルース・ハープとボーカルを担当している。

 とにかくジョン・メイオールは働き者で、今までで40作品以上のアルバムを残している。そのいずれもがブルーズだから、まさにブルーズ命という感じである。

 その活動が評価されてか、2005年に大英帝国勲章(OBE)を受賞した。そのさい“自分は今までヒットしたアルバムなど出していないし、グラミー賞などにも縁がなかった。これが今までで最大の栄誉だ”と述べている。

 とにかくもう70歳を過ぎたが、まだまだ現役である。若いミュージシャンもこれがブルーズ・パワーだということを理解して、さらに頑張ってほしいものだ。
 私もロック道を究めるために、今後も精進していきたい。

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2007年10月22日 (月)

ピーター・グリーン

 イギリスのブルーズ・ロック・バンド、フリートウッド・マックのギタリストだったピーター・グリーンは、1970年に同グループを脱退した。理由はドラッグの常用による精神異常だった。

 もともとイギリスにはジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズという超有名なグループがあって、エリック・クラプトンはこのグループの初代ギタリストだったのだ。

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 クラプトンがクリームを結成するためにブルース・ブレイカーズを脱退したあと、ギタリストになったのがピーター・グリーンだった。ちなみにピーターが抜けたあとギタリストになったのは、後にストーンズに加入したミック・テイラーであった。

 だからこのブルース・ブレイカーズのリーダーであるジョン・メイオールという人の目利きの素晴らしさは、並大抵のものではないのである。

 それでピーター・グリーンはドラマーのミック・フリートウッドと一緒にブルース・ブレイカーズを脱退したのだが、実際はアルコール中毒のために解雇されたらしい。
 だからアル中が作ったバンドがフリートウッド・マックだったのである。ベース担当のジョン・マクヴィーもブルース・ブレイカーズにいて大酒のみだったので、この話は結構信憑性が高い。

 この3人に新ギタリスト2人(ジェレミー・スペンサーとダニー・カーウェン)を加え、5人組として出発したのが、フリートウッド・マックだったのである。そして1969年に編集盤として発表されたのが、「英国の薔薇」で、この中にはサンタナもカヴァーした名曲"Black Magic Woman"が収録されている。

英吉利の薔薇 (イングリッシュ・ローズ) Music 英吉利の薔薇 (イングリッシュ・ローズ)

アーティスト:フリートウッド・マック
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 しかしピーターはアル中と麻薬中毒が高じて、結局グループを脱退した。ちなみにあと2人のギタリストもカルト教団に入団したり、精神を患ったりと、結局グループを抜けていくのだった。意外にも悲劇のバンドだったのである。

 それでピーターは墓場の庭師として働くなど、音楽業界から一時離れたが、79年から86年にかけて、ソロ・アルバムを発表している。病状も改善されたのであろうか。
 この時期のアルバムとしてお勧めなのが、「虚空のギター」である。79年発表のこの作品では、ギターだけでなくボーカルも披露している。

In the Skies Music In the Skies

アーティスト:Peter Green
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 しかし以前のようなドップリとブルースに漬かりましたというアルバムではなくて、少しどこか遠慮をしているようなブルース・フィーリングを残している。インストゥルメンタルがほとんで、ボーカル入りは3曲しかないが、クラプトンのようなけっこう渋い声を披露している。

 バックにはスノーウィ・ホワイトやピーター・バーデンス、日本人のクマ原田などが参加して盛り上げようとしている。

 ピーター・バーデンスとは65年にピーターB&ザ・ルーナーズを結成しているし、このときのドラマーは既にミック・フリートウッドだったとのことである。その後、ロッド・ステュワートを加えて、66年にショットガン・エクスプレスを結成するが、ピーター・グリーンの方が脱退した。そういう人脈図があるのだ。

 でも意外と病状は重く、彼はまた隠遁生活に入ってしまった。一時は浮浪者として一生を終えたなどとも言われていた。かわいそうなピーターである。

 しかし神は見捨てなかった(と思う)。90年代になると再び復活した。何と99年4月には来日してしまったのだ。もちろんコンサートにである。
 昔は頭の中で人の声が幾重も聞こえていたと言うが、最近は2~3しか聞こえなくなったという!しかもそれも自分を応援してくれ、励ましてくれる声というのだから、もう大丈夫なのであろう?

 お腹はビア樽のように出て、頭も真ん中が完全に禿げ上がっているが、ギター・プレイに関しては申し分ないという話であった。

 少し前まではピーター・グリーン・スプリンター・グループを率いて、1997年から2003年までに9枚のアルバムを発表しているが、現在はスウェーデンに引っ越したといわれている。2005年にはミック・フリートウッドがオリジナル・フリートウッド・マックを再結成すると発表したが、今のところ何の音沙汰もない。

 まだ61歳のピーターである。本格的なブルーズはこれからだと思うのであるが、どうだろうか。

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2007年10月21日 (日)

センセイショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド

 センセイショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドという長ったらしい名前のバンドが70年代のイギリスにあった。(以下S.A.H.B.と略す)

 リーダーはアレックス・ハーヴェィで、これは先日のストーン・ザ・クロウズの項でも述べたが、レスリィ・ハーヴェィの実兄である。だから当然のことながら、スコットランドのグラスゴー出身であった。

 手元に詳しい資料がないのでよくわからないが、日本ではそんなに知名度はなかったように思う。インターネットで検索してもあまり出てこなかった。それで輸入盤のアルバム解説から一部引用してみることにした。

 グループの結成は1972年である。ギタリストがザル・クレミンソン、キーボーディストはヒュー・マッケンナ、ベーシストはクリス・グレンで、ドラマーがテッド・マッケンナであった。ヒューとテッドは同姓で、いとこ同士であった。

 それでアレックス以外のメンバーは、ティア・ガス(日本語にすると催涙弾か?)というグループ名で活動していたのだが、アレックスの提案で、S.A.H.B.が誕生したのである。
 アレックスの望む音楽というのは、ロックはもちろんのこと、リズム&ブルーズやボードヴィル、ディキシ-ランド・ジャズ、キャバレー・ミュージックにわたる実に幅広いものであった。

 そしてステージ上では、コミック・ヒーローに扮してシアトリカルな演出を心がけるなど、さすがシェークスピアを生んだお国柄だけあって、聴覚的にも視覚的にもオーディエンスを楽しませるというエンターテインメント精神に満ち溢れたライヴ演奏がセールス・ポイントだったのである。

 余談だが、ジェスロ・タルなども視覚に訴える演出をライヴで取り入れており、アメリカのバンドでは見られないようなことをイギリスのバンドは昔から行っていたのだ。
 むしろアメリカではマドンナやマイケル・ジャクソン、エミネムなど個人のコンサートではけっこう演出を入れているようである。英米比較演出論講義は以上で終わり。

 コミック・ヒーローといっても、漫画のキャラクターという意味ではない。アレックス自身がクリエイトしたヒーローであり、彼自身が様々な役割りを演じているものなのである。
 特にVamboという都会のスーパーヒーローを演じたキャラクターが有名で、ステージ上から聴衆に向かってまじめに説教したり、そういうメッセージを含んだ歌を歌っていたそうである。昔あった横浜銀蠅や今の気志團の善玉版と思えばわかりやすいだろうか。

 そのせいもあってか、本国イギリスではけっこう受けたようであり、スレイドとのジョイント・コンサートではラジオ放送までされたという。(でも聞いただけでは100%楽しめないと思うのだが・・・)

 音楽的な特徴としては、もちろんオリジナル作品もあるが、ブロードウェイ・ミュージカルから借りてきたり、トム・ジョーンズの歌をリメイクしたりと、オリジナル以外でも目立っていた。("Tomorrow belongs to me"はミュージカル「キャバレー」からの挿入歌で、"The impossible dream"はトム・ジョーンズの持ち歌である)

 もちろんこれ以外にも、スコティッシュ風の"Anthem"やトルコ風の"Action Strasse"など実にユニークで幅広いのである。
 だから1974年10月に発表された3枚目のアルバム「見果てぬ夢」はチャートの16位に、4枚目のアルバム「Tomorrow belongs to me」はチャートの9位まで上がったのだ。

 さらにはアレックスだけでなく、ギタリストのザルは道化師のメーキャップをしてパントマイムをしたり、ベーシストのグレンは、ダンスステップを披露するなど、ミュージシャンが演技しているのか、役者が演奏しているのかよくわからないようなライヴもあったらしい。

 ところが70年代後半から肝臓病でたびたび入院することが多くなり、バンド活動も急速にその活躍の場を失ってきた。
 クリスとテッドはマイケル・シェンカーとMSGを結成するし、ギタリストのザルはナザレスに加入した。
 アレックスは自分の新しいバンド、エレクトリック・カウボーイを結成し活動を始めるも、1982年2月4日、ベルギーでのツアー中に心臓発作で倒れ、病院に行く途中の救急車の中で亡くなった。47歳だった。

 昨今のリヴァイバル・ブームの中で、S.A.H.B.も新しいボーカリスト、“Mad”・マックス・マックスウェルを加入させて、ツアーをしたのだが、これがけっこう好評で、本来ファイナル・ツアーだったのが、活動を続けることになった。
 昨年のスウェーデンでのフェスでは、アリス・クーパーやディープ・パープル、ホワイトスネイクらとともに演奏している。

 彼らのお勧めはやはり3作目、4作目でバンドが一番ノッテいた時期のアルバムであろうか。最近では2in 1CDが発売されている。

Impossible Dream/Tomorrow Belongs to Me Music Impossible Dream/Tomorrow Belongs to Me

アーティスト:The Sensational Alex Harvey Band
販売元:Universal
発売日:2007/05/07
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 結局、兄弟とも早く亡くなってしまった。不運な星の下に生まれていたのだろうか。

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2007年10月20日 (土)

ストーン・ザ・クロウズ

 前回のブログでポール・マッカートニー&ウィングスの「ヴィーナス&マーズ」を紹介し、そこでウィングスのギタリストだったジミー・マッカロウのことについて少し触れた。

 今回はその彼がウィングス以前に加入していたバンド、ストーン・ザ・クロウズについて述べてみたい。
 とはいっても実際に彼が加わっていた期間は1年余りと短い。実はジミーはレスリィ・ハーヴェイというギタリストの代わりに加入したのである。

 ストーン・ザ・クロウズにはマギー・ベルという強力な女性ボーカリストがいた。マギー・ミネンコではなく、マギー・ベルである。
 1945年1月12日にグラスゴーで生まれたマギーは、父親がオルガン奏者という音楽一家に育った。叔母は有名なグラスゴーのミュージック・ホールの女王と言われていたそうで、彼女の家には常にミュージシャンが出入りしていたという。

 つまり彼らはスコットランド出身というわけだ。だからこのバンド名はスコティッシュから来ているらしいのだが、詳細については不明であった。だからわかる人がいたら教えてほしい。

 それでマギーは17歳の頃にはバンドを結成して、地元のダンス・ホールなんかで公演をしていたのだ。そのときのギタリストがレスレィ・ハーヴェイであり、知っている人はわかると思うけど、あのアレックス・ハーヴェイの弟だったのである。

 ここからはバンドの結成と発展をしていく物語なので、少し割愛する。当時のバンドとしてはよくある話で、地元のホールで経験を積んで、上達すると今度はドイツのハンブルグで腕を磨くというものだ。この辺はビートルズと同じである。

 60年代の後半でもそういうことが行われていたのである。当時はアメリカ軍基地で、一晩に5時間、週7晩働いたらしい。それをかれこれ2年間近く続けたというからたいしたものである。
 アレックス・ハーヴェイもハンブルグのスター・クラブで公演していたので、その口利きみたいなものもあったのかもしれない。

 マーティン・ルーサー・キング暗殺後、米軍キャンプへの出入りが厳しく制限されることになり、彼らはグラスゴーに帰っていった。そこでベースのジム・デューワーとキーボードのジョン・マクギネスを見つけパワーというバンドを結成した。これがストーン・ザ・クロウズの前身バンドになる。

 そしてマネージャーを見つけようということで、マーク・ロンドンという人にマネージャー兼プロデューサーになってもらった。そのつてで何とあのレッド・ゼッペリンのマネージャーであったピーター・グラントがバンドの名付け親になったのである。
 しかもマークと共同でマネージャーをしようとしたのだから、如何に彼らに力を入れていたかがわかるであろう。

 しかしこのピーター・グラントという人は不幸をもたらす疫病神みたいな人で、レッド・ゼッペリンもドラマーのジョン・ボーナムが死んでしまうし、バッド・カンパニーも死人こそ出なかったが、やがて解散してしまった。やがてこのストーン・ザ・クロウズにも悲劇的な出来事が起きるのである。

 しばらくしてマギーベルはジャニス・ジョップリンの再来とまでいわれ、雑誌メロディ・メイカーの読者人気投票でベスト・女性・ボーカリスト賞を受賞するようになった。確かに少しハスキーでシャウトするところは似ていると思う。

 バンドはポリドールと契約し、1970年に1stアルバムを発表した。メンバー・チェンジはあったものの、アルバムを出すたびに少しずつ売れていった。特に2枚目の「Ode to John Law」はファンの間でも人気がある好盤である。このアルバム・タイトルの“John Law”とは“警察”を意味する古いコックニー訛りらしい。コックニーとは簡単に言うと、ロンドンのある地域での方言のことである。
 また"Mad dogs and Englishmen"という歌もあるが、当然これはジョー・コッカーへの敬意を表しての歌である。

Photo_2 

Music Ode to John Law

アーティスト:Stone the Crows
販売元:River
発売日:2006/07/18
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 ところが“好事魔多し”である。1972年3月3日、ギタリストのレスリィ・ハーヴェイが感電事故を起こし、死亡したのである。ライヴ前でのサウンド・チェック時での出来事であった。悲劇的な出来事というのは、このことを指す。

 それでギタリストの代役を見つけなければならなかった残りのメンバーは、元フリートウッド・マックのギタリスト、ピーター・グリーンに白羽の矢を立て、しばらくの間(約1ヶ月という話もある)リハーサルを行った。
 ところがウィーリー・ロック・フェスティバルの2日前に、急に電話をかけてきて一緒にはできないと言ってきた。おいおい、それはないだろうと思うのだが、この辺がピーター・グリーンのピーター・グリーンである所以だ。

 フェスに出場するために、急遽新しいギタリストを呼んだ。それがイエスのスティ-ヴ・ハウであった。この頃のイエスはまだまだマイナーだったので、ハウも時間があったのだろう。
 フェスを乗り切ったストーン・ザ・クロウズは、いつまでもスティーヴ・ハウに頼むわけにはいかないので、新しいギタリストを探した。
 それでサンダークラップ・ニューマンにいたギタリストを加入させたのだ。それがジミー・マッカロウなのである。やっと本題にたどり着いた。

 彼もまたスコティッシュであったが、他のメンバーはまったく彼の存在を知らなかったらしい。
 それでセッションを重ねたのだが、ニュー・アルバムはレスリィ・ハーヴェイが生前にほとんど音を入れていた。ただ1曲"Sunset cowboy"という曲にだけジミーがギターを弾いている。アルバムの最後を飾るバラードの6分42秒の曲である。残念ながらあまりギターは目立たない。最後にメロディアスなパートを弾いているだけである。

 ラスト・アルバムとなった「オンティニュアス・パフォーマンス」はブルーズ・ロックの名盤である。イギリスのジャニス・ジョップリンという感じである。シングル・カットされた"Good time girl"は聴きやすいし、1曲目の"On the highway"なんかは車の中で流しながら運転すると、どこまでもドライヴしようという気になってしまう曲だ。

2

Music Ontinuous Performance

アーティスト:Stone the Crows
販売元:Repertoire
発売日:2002/11/18
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 結局、このアルバムを最後に彼らは解散してしまう。マギーはソロ活動を始め、ジミーはウィングスに、ドラマーのコリン・アレンはオランダのフォーカスに加入した。

 マギーは1997年現在、オランダのロッテルダムに住んでいるという。このバンドについては、時代の音に合っていたし、25年前に作られたと思えば、なかなか悪くないわね、と言っている。
 なかなか悪くないどころか、けっこういけるのである。

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2007年10月19日 (金)

ビューティフル・サウス

 ビューティフル・サウスはイギリスのグループである。日本ではほとんど知名度はないと思うのだが、本国イギリスでは国民的人気バンドだそうである。最新アルバム「スパービ」のキャッチ・コピーは「英国で最も綺麗なメロディーと最も卑俗な詩を持つバンド」とある。

スパービ Music スパービ

アーティスト:ビューティフル・サウス
販売元:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
発売日:2006/11/15
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 確かにその通りで、以前のアルバム「ブルー・イズ・ザ・カラー」にも元恋人が別の女性と結婚するという話を聞いて“Don't marry her, fuck me”と歌う曲があった。しかもこれを女性ボーカリストがサラリと歌うのである。
 さらにコンサートでは聴衆を巻き込んでの大合唱になるというのだから、これはもう興奮モノである。

 自分が一番好きなアルバムは3枚目の「0898」である。前作の「チョーク」が全英でダブル・プラチナ・ディスクを獲得した勢いそのままに制作したアルバムなのである。

0898 Music 0898

アーティスト:The Beautiful South
販売元:Go Discs
発売日:1992/04/01
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 全曲シングル・カットできそうなキャッチーでメロディアス、ポップな作品に仕上がっている。特に1曲目~3曲目はメドレーではないのだが、流れるような形式になっている。"Old red eyes is back"というのはアル中男の物語であり、"We are each other"とはホモ・セクシャルな関係を歌っている。
「年老いた赤い目の男が戻ってくる
毎晩飲んだくれの赤い目の男が
まちがった酒場に入っていって
ドアの方に歩いていった

よく聞け 赤い目の男よ
お前は医者の言うことを全然聞かない
彼はこのままだと死んでしまうと言ったのに」

「兄弟や姉妹よりも近い関係
子どもと猫よりも近い関係
恋人よりも近く
僕たちはおたがい同じ

僕たちがショッピングに行った夜のことを
覚えているかい
僕は足の毛をすべてそり
君は背中に毛を生やした
誰も恋人たちの小屋に行ったものはいない
それは行き止まりのようなものだから」(訳:プロフェッサー・ケイ)

 こんな歌詞がヒット・チャートに上がったりするのだ。しかもポップなメロディだからアルバム自体も売れるのである。
 中には王室批判の歌もある。“政府は盛衰するものだが、王室はそのままである。女王や公爵が同志を刈り取ろうとしようとしても気にするな”などというのが歌詞カードに載るのだから日本では考えられない。

 さらには夜の女たちを歌ったものやビートルズの"When I'm 64"をパロッた"When I'm 84"という歌もある。内容も64歳から84歳までの内容だ。まったくどこまでが本気でどこまでが冗談かわからない。

 そして極めつけは"Bell-bottomed tears"という曲だ。
「これは私が準備した夕食
これは私が作ったドレス
これは私が育てた子ども
そしてこれはあなたが一緒に寝た女

これは私が身につけている香水
これは私たちが泊まったホテル
こうやって私は横になったのに
これはあなたが寝た女
これはあなたが一緒に寝た女

涙が 涙が 混乱からではなく
恐れからのせいで 溢れ出てくる」(訳:プロフェッサー・ケイ)

 不倫現場を見つけた、もしくは証拠写真を手に入れた女性の歌だろうか。これをスゥイートなメロディと可憐な声で歌うのだから、絶句してしまう。経験者ならもっと身につまされるだろう。

 ビューティフル・サウスは6人組で、男性2人、女性1人の男女混合3人ボーカルである。結成は1989年で、ほとんどの曲をメンバーのデイヴ・ロザリーとポール・ヒートンで作っている。
 中心人物はポール・ヒートンであるが、女性ボーカルの方は入れ替わりが激しく、現在3人目である。やっぱりこんな歌ばっかりを歌わせられると、イメージが悪くなるので、それを嫌って辞めていくのだろうか。

 現在までに10枚の公式アルバムと数枚のベスト・アルバムが発売されている。ただ残念なことに、2007年の1月に解散声明を出したとのことである。

 このアルバムはたぶん廃盤になっていると思うが、もしどこかで見つけたなら即買いだと思う。このアルバムでなくても彼らの出したアルバムは本国ではほとんどがベスト10に入っているので、どれを買っても満足できると思う。
 日本でメジャーになる前に、解散してしまうのは惜しいことである。

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2007年10月18日 (木)

ヴィーナス&マーズ

 1973年に発表されたポール・マッカートニー&ウィングスのアルバム「バンド・オン・ザ・ラン」は、"Jet"、"Band on the run"などのヒット・シングルの影響もあって、7ヶ月以上にわたってヒット・チャートのベスト10内に残るという記録的なものになった。

 おかげで元ビートルズのポール・マッカートニーからウィングスのポール・マッカートニーというふうに呼び方も変わってきて、70年代でもメロディ・メイカーとして通用することをじゅうにぶんに世間に認めさせることができた。

 このアルバムの成功のおかげで、バンドとしてライヴ活動に意欲を見せたポールは、ウィングスとしてもう1枚アルバムを制作し、ワールド・ツアーに出ようとしたのであった。そのアルバムこそ名盤の誉れ高い「ヴィーナス&マーズ」なのである。

Photo Music Venus and Mars

アーティスト:Wings
販売元:Parlophone
発売日:1993/06/07
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 このアルバムは1975年5月に発表され、9月からヨーロッパ、オーストラリア、アメリカというワールド・ツアーに出かけたのである。
 そのツアーの影響からかイギリスとアメリカではアルバム・チャートNo.1に輝き、特にアメリカでは1年半以上もの長きに渡って、アルバム・チャートに居座るというロング・セラーを記録したのだ。

 確かテレビでもTBSかどこかがポールのオーストラリア公演を特番で扱っていたような気がする。また当時あった音楽雑誌のミュージック・ライフが別冊の増刊号を発刊して、大きく取り上げていた。その雑誌は購入した思い出があるので、覚えているのである。

 ちなみにコアラを抱いたポールの写真や生まれて間もない男の子ジェイムズの写真などが掲載されていたのを思い出す。またデニー・レーンがジミー・ペイジばりのダブル・ネック・ギターを抱えてステージで演奏していたり、リード・ギターのジミー・マッカロウがサンタクロースのような真っ赤なステージ衣装を着ていた写真などもあった。

 それで9月からのワールド・ツアーに合わせたのかどうか忘れたが、その年の秋になってこのアルバムを買った。だからこの季節になると、いつもこのアルバムのことやこのアルバムの中にある曲を思い出すのである。

 このアルバムは「架空のコンサート」という演出がなされており、"Venus and Mars"はコンサート開演の前のイントロのようなものであり、2曲目の"Rock show"からいよいよショーの幕開けという感じである。
「スポーツ・アリーナのスタンドに座って
ショウが始まるのを待っている
赤いライトや緑のライト、イチゴワイン
友だちの一人が夜の星に従って
金星と火星は今夜もきらめいている」(訳:プロフェッサー・ケイ)

「ステージを横切っているのは誰?
昔ジミー・ペイジが使っていた物によく似ている
まるで違う時代の遺跡のようだ」(from "Rock show")
(訳:プロフェッサー・ケイ)

続いてスロー・バラードの"Love in song"になるのだが、この最初の3曲はメドレー形式になっている。以下コンサートのように曲が続いていくのだが、途中でもう一度"Venus & Mars"(Reprise)が出てくる。まだまだコンサートは続くぞという決意表明みたいな感じだ。(当時のLPではB面の最初の曲だった)

 このアルバムでの新しいギタリスト、ジミー・マッカロウは、まだ22歳の若さでウィングスに加入した。ザ・フーのピート・タウンゼンドから将来有望との太鼓判を押されていて、彼もポールのファンだったそうである。
 このアルバムでも、"Letting go"ではブルージーな演奏を披露し、"Medicine jar"では以前のバンド、ストーン・ザ・クロウでも歌っていたこの歌を彼自身が歌っている。ポールがこのアルバムの中に入れるのを許可しただけあって、けっこういい曲だと思う。

 ちなみにジミーは、1979年の9月に26歳の若さで亡くなった。死因は薬物中毒による心不全であった。"Medicine jar"とはドラッグの入っているビンのことであるが、そんなものに手を出してはいけないと歌っていた本人が薬物中毒で亡くなるのだから、皮肉な話である。 

 このアルバムの中での一番の盛り上がるところは、コンサートと同じように最後のところ"Listen to what the man said"~"Treat her gently-lonely old people"の部分である。最初の曲は"あの娘におせっかい"という意味不明な邦題がつけられていた。いまだにどういう意味なのかよくわからない。邦題は意味不明だったが、全米ではビルボードNo.1を記録した。
 この2曲もメドレー形式になっていて、"Listen to what the man said"ではデイヴ・メイソンがギターを、トム・スコットがサックスをそれぞれ演奏している。
 "Treat her gently-lonely old people"はポールお得意の2曲を1曲にまとめたもので、枯葉の舞う公園のベンチに座っている年老いたカップルを連想させてくれる。
「少しずつ 年老いた2人が
一日を過している
ここに座っている年老いた人たちは
人生を眺めている」(訳:プロフェッサー・ケイ)

 曲自体もバラードで、聴くたびにじわっと感動してしまう。本当にこの頃のポールの才能は溢れるばかりで、メロディが泉のようにこんこんと湧き出ているようだった。

 CDではボーナス・トラックがついているが、LPレコードでは"Crossroads"がエンディングになっている。この曲はTV番組のテーマ曲らしい。リード・ギターを弾いているのはポール自身である。

 このアルバム発表後のワールド・ツアーで、アメリカを10年ぶりに訪れたポールは、ビートルズの曲を数曲演奏した。これはその後発表された「ウィングス・オーヴァー・アメリカ」の中に収められている。

ウイングス・オーヴァー・アメリカ Music ウイングス・オーヴァー・アメリカ

アーティスト:ウイングス
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:1989/12/20
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 また、ニュー・ヨークでは非公式に突然ジョンの自宅を訪れ、数年ぶりに直接話をしたということだ。2人のわだかまりも少しずつ解けていったのだろう。実は2人でTVに突然出て世間をびっくりさせてやろうと思ったらしいのだが、取りやめている。たぶん2人が直接会ったのは、これが最後になったのではないだろうか。

 とにかく、この時期のポールの才能がぎっしりと詰め込まれている。「バンド・オン・ザ・ラン」が直球勝負のアルバムだとしたら、「ヴィーナス・アンド・マーズ」はバラエティ豊かな変化球主体のアルバムなのである。

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2007年10月17日 (水)

ヴァン・モリソン(2)

 個人的には、ヴァンの90年代以降の作品で一番のお勧めは「エンライトメント」である。Photo_2 何しろ楽曲がいい。"Real real gone"はアップ・テンポで最初から飛ばしてくれる。歌詞の中にサム・クックやウィルソン・ピケット、ジェームス・ブラウンなどが出てきて、ヴァン自身のブラック・ミュージックへの思い入れがひしひしと伝わってくるのである。

 2曲目はミドル・テンポの曲でモリソン流の悟りの境地が歌われている。夜に聴くといいと思われるのが、3曲目である。時間的にも6分以上あるし、ピアノの流れるような調べと淡々としたリズム陣を背景にして、時に切々と、時に情熱的に歌うヴァンの姿が浮かび上がってくるようだ。"So quiet in here"というタイトルにふさわしい歌である。

 次の曲"Avalon of the heart"はバラードでこれもまた素晴らしい。人間というのは本当に感動した場合は、何もいえなくなってしまう。言葉を失うとはまさにこのことである。
 だから本来はもう少し違う表現で、この楽曲の素晴らしさを伝えないといけないのだろうが、いいものはいい、素晴らしいものは素晴らしいとしかいえないのである。とにかく一度聞いてみてほしい類の歌だ。

 続く"See me through"も静かな曲。秋の夜長に聴いてみたい曲である。これもモリソン流のバラードなのかもしれない。

 "Youth of 1000 summers"では、まだまだ自分は元気だというようなことを歌っている。
「彼は1000の夏の若さだ
彼は1000の夏の若さだ
甘くささやく若鳥のように
甘くささやく若鳥のように
私の心の中で 私の魂の中で

彼は光り輝くように見える
太陽のように光り輝き
地球を照らしている」(訳:プロフェッサー・ケイ)
 年はとってもまだまだ精神は若くて元気だとでもいいそうである。なかなかやるじゃないか、ヴァン・モリソン。

 7曲目の"In the days before rock'n'roll"は語りかけるように歌っている。こういう歌い方はヴァン・モリソンの得意とするところである。8分もあり長い。このアルバムは、たぶんこの曲を中心にして構成されたのではないかと思う。

 8曲目"Start all over again"はミドル・テンポの曲で、恋人にやり直そうと歌っている。そしてアコースティック・ギターに導かれて"She's a baby"が始まる。これも静かなバラード系である。サビの歌詞の部分はどこかで聞いたような気がするのだが、思い出せない。似たような曲があったと思うのだが不明である。R&Bなんていうものは似たような歌詞が多いからかもしれない。

 そして最終曲"Memories"なのである。アルバム全体の雰囲気がさきほど7曲目から徐々にゆったりとなってきて、ヴァンは、最後の曲を情感豊かに歌って締め括る。何しろタイトルが"Memories"なのだから、聴く方の感情がいやがうえにも高まってしまう。バックのアコーディオンとアコースティック・ギターが美しい。名曲だと思う。

 このアルバムを聴きながら目を閉じれば、たぶんぐっすりと眠れるのではないだろうか。そんなアルバムなのである。

 それにしても全て作曲、一曲を除いて作詞しているヴァン・モリソンはすごいと思う。結構作曲能力が高いのである。こんなに曲がかけるとは思えなかった。
 とにかく日本では知名度が低いのだが、海外では有名なミュージシャンであり、いまだに一度も来日経験のないアーティストである。最後の大物といわれているが、理由は極度の飛行機嫌いとも、単なるわがままとも言われている。

 ちなみにヴァンは、73年に離婚して以来ずっと独身を通してきたが、現在は元ミス・アイルランドのミッシェル・ロッカと結婚している。
 また彼女の写真は95年に発表された「ディズ・ライク・ディス」の表ジャケットに写っている。ヴァンは、奥さんの写真をアルバム・ジャケットに載せるのが好きなようである。Photo

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2007年10月16日 (火)

ヴァン・モリソン

 ヴァン・モリソンは、ソウル・サーチャー(魂の求道者)とよく言われている。簡単にいうとソウル・ミュージックを極めようとしていることだ。彼の振り絞って歌うような唱方や黒人音楽をこよなく愛し、歌い続ける姿勢がそう呼ばせているのだろう。

 彼は1945年8月31日、アイルランドのベルファストで生まれた。ベルファストといえば、IRAで有名なところで、イギリスからの独立問題で長年に渡って紛争が続いているところである。
 幼い頃の彼も、そういう風景を間近で見てきたに違いない。アイルランド出身の多くのシンガーやアーティストが平和や心の安らぎなどをテーマに音楽に取り組んでいるのは、そういう政治的風土があるからに違いない。

 ヴァンの母親はジャズ・シンガーだったことから、自然と彼も音楽に向かっていった。15,6歳頃から地元のパブなどでサックス奏者として活動を始めたようである。

 彼の経歴を述べ始めると、それこそいくらあっても紙面が足りなくなってしまうので、ゼム時代のことや、その後のソロ活動については省略をする。とにかく彼は現役のミュージシャンであり、膨大な数のアルバムが存在するのだ。

 その中から何か1枚を選べといわれても困る。ハッキリ言って、ベスト盤ならまず外れはないだろう。だからそう聞かれたときは、いつもベスト盤を薦めている。

Still on Top: The Greatest Hits Music Still on Top: The Greatest Hits

アーティスト:Van Morrison
販売元:Hip-O
発売日:2007/11/06
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 個人的には初期のアルバム「テュペロ・ハニー」がいいと思う。よく「アストラル・ウィーク」がいいという人もいるが、個人的にはあれはジャズ・アルバムだと思っている。確かに悪くはないと思うが、ポップなフレーズを好む私にはどうも食指が動かない。とっつきにくいのであった。

 それで「テュペロ・ハニー」である。これは当時新婚だった奥さんのジャネット・プラネットのことを意味している。この人はアルバム・ジャケットにも載っている。髪の長いきれいな女性である。Photo
恋は人を変える。新婚当時のヴァンは、ここではのびのびと歌っているように思える。1曲目の"Wild night"からして軽快なロック・ナンバーである。このアルバムからの1stシングルとしてヒットした。(全米28位)
「君が靴をはいたら 鏡の前に立って
髪をとかし コートをつかんで笑う

君が歩くとき 通りはこのワイルドな夜を
忘れないようにしようとしている
そして全てが完璧に見えてくるんだ」(訳:プロフェッサー・ケイ)

ここでいう君とは新妻の女優ジャネット・プラネットのことである。また彼女はこのアルバムにはコーラスとして参加している。
 そしてアルバム・タイトル曲の「テュペロ・ハニー」はそのものズバリ奥さんのことを歌っている。荘厳なオルガンの音から導かれるヴァンの声は限りなく優しく聴こえる。
「彼女はテュペロ・ハニーと同じくらい甘い
彼女は第1級の天使のようだ
彼女はテュペロ・ハニーと同じくらい甘い
ミツバチから届けられた蜂蜜のように」(訳:プロフェッサー・ケイ)

 甘いのはお前の新婚生活の方だ、と思わずチャチャを入れたくなってくる。この時期のヴァンは本当に幸せだったんだなあと思う。そしてこの曲は全米47位のヒットになった。
 しかし結局のところ、2人の新婚生活も長くは続かず、2年後の73年には離婚をし、アイルランドに戻っていくのであった。

 このアルバムのバック・ミュージシャンには、意外な人物が参加していて、ギター、マンドリンがロニー・モントローズ、ベースがビル・チャーチ、ドラムスがリック・シュロッサーでこの3人は後にハード・ロック・バンド、モントローズを結成するのである。(正確に言うとドラマーのリックは少し遅れて加入した)

 またスティール・ギターのジョン・マクフィーはのちにドゥービー・ブラザースに参加している。そしてプロデューサーはテッド・テンプルマンで、モントローズやヴァン・ヘイレンなどのハード・ロック・バンドのプロデューサーとして有名になった。このアルバムと真反対の音である。不思議なものだ。

 聴きやすいといえば、まさにこのアルバムだろうと思う。ヴァン・モリソン入門盤としてはうってつけではないだろうか。

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2007年10月15日 (月)

ジェスロ・タル、天井桟敷の吟遊詩人

 久々のジェスロ・タルの登場である。ジェスロ・タルといえば、リーダーのイアン・アンダーソンの独特の声、ロックとフルートという取り合わせ、シアトリカルなライヴ演奏が有名であるが、秋の夜長にふさわしいジェスロ・タルのアルバムといえば、やはり「天井桟敷の吟遊詩人」であろう。

Minstrel in the Gallery Music Minstrel in the Gallery

アーティスト:Jethro Tull
販売元:Capitol
発売日:2002/11/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 一般にトラッド三部作といわれるのは「神秘の森」、「逞しい馬」、「北海油田の謎」である。しかしトラッドというとフォーキーなイメージを連想させるが、これらのアルバムでは題材がトラディショナルなのであり、楽曲的にはかなりハードな面もあるのだ。

 だからいわゆるアコースティックなアルバムといえば、これしか思いつかないのである。(アコースティック・ライヴのアルバム、1992年の「ア・リトル・ライト・ミュージック」があるが、それは例外として扱いたい)

 この「天井桟敷の吟遊詩人」は1975年の秋に発表されたアルバムで、彼らの9作めにあたるものだ。アルバム・チャートを見ると、イギリスでは20位に、アメリカでは7位にまで上昇した。この当時の彼らは、いまでは考えられないことだが、飛ぶ鳥を落とすほどの勢いがあったのである。

 もちろん「天井桟敷の吟遊詩人」とはジョン・アンダーソンをはじめとするジェスロ・タルのことを指していることは間違いない。

 アコースティックとはいえ、まったくエレクトリックな音がないというわけではない。最初の"Minstrel in the gallery"も途中からエレクトリック全開になるし、北欧伝説から題材をとった2曲目の"Cold wind to Valhalla"も1曲目ほどではないが、途中やエンディングの方でエレクトリック・ギターが使われている。

 アコースティックの比重が増すのは4曲目からだ。アコースティックと同時にフルート、チェロやヴァイオリンのアンサンブルも重要な位置を占めてくる。
 何しろタイトルが"Requiem"だから、これはもうガンガン音を鳴らせることはできないのだ。といっても葬送の曲ではない。人生の中にはレクイエムのようなときがあるとでもいっているかのようだ。

 LPではA面が4曲で、B面が3曲だった。だからCDの5曲目からB面に移るのであるが、この5曲目もまた素晴らしいアコースティック作品になっている。
 基本的にはイアン・アンダーソンのギター1本と彼の多重録音のボーカルで成り立っている曲だ。
 ただタイトルが意味不明である。"一羽の白アヒル/0の10乗=0"なのである。一体何を例えているのだろうか?
 だいたいアンダーソンという名前のアーティストの詩は難解なのである。イエスのジョン・アンダーソンしかり、このジェスロ・タルのイアン・アンダーソンしかり。しかも2人ともボーカルでグループのリーダーでもある。

 そしてこのアルバムの一番の聴き所は16分38秒の"ベイカー・ストリートの女神"である。いわゆる組曲形式で主題、"Pig-Me and the whore"、"Nice little tune"、"Crash-Barrier waltzer"、"Mother England reverie"の5つにわかれている。

 ところどころ、曲の継ぎ目でエレクトリック・ギターが使われるところもあるが、全体的にアコースティック・ギターとピアノとストリングスが覆っている。
 まず主題である"ベイカー・ストリートの女神"が流れ、ベイカー・ストリートが描写される。続いて"Pig-Me and the whore"が始まる。たぶんこれはベーカー・ストリートで夜毎行われている?お客と夜の女性との駆け引きのことを歌っていると思われる。この曲の継ぎまではエレクトリック・ギターが効果的に使用され、扇情的に盛り上げていく。

 "Nice little tune"はインストゥルメンタルである。これは美しい調べを持つ小曲で、次の"Crash-barrier waltzer"へとつながっていく。アコースティック・ギターにピアノやストリングスが絡み合っていく様がとてもいい。
 "Crash-barrier waltzer"はベイカー・ストリートの住民や通りの様子のことを歌っているのだろうか。同じ調べが繰り返しになっていて、強い印象を与えてくれる。この辺はアコースティック一色である。

 続いてフルートの音に導かれて、"マザー・イングランドの幻想"が始まる。この組曲の中で一番聴かせるところである。この部分は時間的には短く、すぐに曲の始めの主題が表れる。最後の盛り上がるところはエレクトリック・ギターが使用されている。
 要するに全体としてはアコースティックとエレクトリックを対比させながら、基本はアコースティック、盛り上げるところはエレクトリックと使い分けているのであろう。

 とにかくイアンの歌詞は難解で、よくわからない。韻を踏んだ言葉が繰り返されているのはわかるのだが、普通のラヴ・ソングのような歌詞には絶対に出てこない言葉がふんだんに出てくる。同じ英国人でも知らないような言葉ではないだろうか。

 LPではこの後に36秒の曲"Grace"が最後を締めくくる。これもアコースティックな曲だ。CDではボーナス・トラックが続くが、いずれもこのアルバムの趣旨に沿ったようなアコースティックな曲ばかりである。
 更けゆく夜にはピッタリの1枚だと思うのである。 

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2007年10月14日 (日)

トミー・ボーリン

 トミー・ボーリンのアルバムを中古CDショップで買った。980円だった。トミー・ボーリンといってもわかる人は少ないと思うが、以前のこのブログでも紹介したようにディープ・パープルというロック・バンドの2代目ギタリストだったアメリカ人である。ちなみに初代ギタリストはリッチー・ブラックモアだった。

 アルバム・タイトルは「ティーザー」。1975年の作品である。トミー・ボーリンといえばディープ・パープルにR&B、ファンクを導入した人として知られている。

ティーザー Music ティーザー

アーティスト:トミー・ボーリン
販売元:ソニーレコード
発売日:1997/05/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 彼が参加した「カム・テイスト・ザ・バンド」は発表当時は不評を買っていたものの、現在ではその音楽性が高く評価されており、もしそのまま彼がバンドに在籍していたなら、ハードだけでなく、もっとメロディアスでソウルフルな音になっていただろうといわれている。

 このアルバムでもそんな彼の音楽性が伺える。口の悪い評論家は、おそらく散漫な印象を受ける音とか統一感のないアルバムなどというに違いない。
 しかし逆にいうと、それだけ才能豊かな彼の独創性が発揮されているのである。

 1曲目から彼のスライド・ギターが全開である。素晴らしい演奏で、これを聴いただけでもなぜ彼がディープ・パープルから声をかけられたかがよくわかる。
 ちなみにパープルに参加する前は、ジェイムズ・ギャングに参加していて、2枚のアルバムを残したが、それに誘われたのも後にイーグルスに参加することになるジョー・ウォルシュが自分の後釜にトミーを推薦したからだという。

 それだけ彼は当時のミュージシャンから期待されていたのである。このアルバムでもドラムスにTOTOのジェフ・ポーカロ、キーボードにはデヴィド・フォスター、ヤン・ハマー、パーカッションにはジェネシスのフィル・コリンズ、サックスにはデヴィッド・サンボーンと一流どころが名を連ねているのだ。これも彼の才能のなせる技なのかもしれない。

 このアルバムには2曲のインストゥルメンタルが収められているが、いずれもファンキーな音楽である。"Homeward Strut"と"Marching Powder"であるが、ロック色の強いジェフ・ベックの「ワイヤード」という感じである。
 実際に後者の曲では、ドラムスがナラダ・マイケル・ウォルデン、シンセサイザーにヤン・ハマーが参加していて、ギターとキーボードのバトルを行っている。本当に「ワイヤード」の中の曲を聴いているような錯覚を覚える曲だ。

 また"Dreamer"はピアノを中心とした非常に美しいバラードで、それに徐々にギターが絡んでいくさまはゾクゾクッとくる。映画のテーマ・ソングにしてもおかしくない曲なのだ。
 さらに"Savannah woman"はボサノバ調の曲で、パーカッションはフィル・コリンズが担当しているし、"People, people"はレゲエ調の曲で、デヴィッド・サンボーンが軽妙なサックスを聴かせてくれている。

 そして75年の来日時でも演奏していた"Wild dogs"のオリジナルも聞くことができる。来日公演時の演奏の方がゆったりとしているが、ここではハードなヴァージョンが聴ける。シンセサイザーもトミー自身が演奏している。(来日公演ではジョン・ロードがシンセを演奏していて、ジョン・ロードといえばハモンド・オルガンしか思いつかなかっただけに、なんか奇妙な感じがしたものだった)

 全9曲なのだが、あっという間に聴き終わってしまった。ハードな曲ではスライドをバリバリ弾き、スローな曲では感情がこもったフレージングを披露してくれている。本当にトミーは才能豊かな人だったというのがわかるのである。

 1976年に2ndアルバム「魔性の目」を発表したが、同年の12月、薬物中毒のためにツアー中のホテルの部屋で亡くなった。まだ25歳の若さだった。

Private Eyes Music Private Eyes

アーティスト:Tommy Bolin
販売元:Sony Mid-Price
発売日:1990/10/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 このアルバム・ジャケットに“富墓林”とあったことから、縁起でもないといわれていたのだが、現実になったようである。これも何かの因縁なのだろうか。

 彼の薬物中毒は昔からで、ディープ・パープルとして来日したときも、ドラッグのせいで左手がほとんど動かず、スライド・ギターしか演奏できなかったといわれている。当時は左手を寝違えたと言われていたのだが・・・

 「天才は夭折する」とよく言われるが、本当にトミー・ボーリンは天才肌のミュージシャンだった。“もし”という言葉は今となっては意味もないが、彼がまだ生きていたならどんな音楽を創っていただろうかとか、どんなミュージシャンと一緒にバンドを組んでいただろうかなどと興味は尽きない。返す返すも惜しい人を亡くしたものだ。980円のCDだったが、私には倍以上の価値があるアルバムである。

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2007年10月13日 (土)

カウンティング・クロウズ

 アメリカには大きな音楽の流れが2回襲ってきた。70年代中期にニュー・ヨークから起こったパンク・ロックと90年代初期にシアトルから始まったグランジ・ロックである。

 ニルヴァーナやパール・ジャムなどのグランジ・ロックを経験することで、あらたにミックスチュアー・ロックやオルタナティヴなどがメジャー・シーンに浮上することができたのだと思う。

 グランジが与えた影響は大きく、アメリカだけでなく全世界に与えている。具体的にいうとそれまでの自分たちの音楽を見直そうという風潮が生まれてきたように思えるのだ。
 だからグランジの前と後でとは、アメリカ音楽シーンも変化が出てきた。もう一度自分たちの想いを、地に足がついた状態で歌っていこうとしたのではないだろうか。

 そんな中で様々な新しいグループが生まれてきた。彼らの多くは特に何か変わった音を奏でるわけではなかった。自分たちアメリカの音楽を見直し、そこからオリジナルなものを創っていこうとしたのである。
 そして90年代に特に目立ったのが、カウンティング・クロウズであった。

 このグループの音も別に変わっているわけではない。曲によってはアコーディオンやバンジョー、ハモンド・オルガンなどが使用されていて、アメリカの伝統的な音楽にプラス自分たちのやりたい音を重ねているだけである。それでいてやはりそれまでの音とは違うのであろう。

 今までならサザン・テイストを持ったロック・グループとかアメリカロック界にサンフランシスコからの回答、ニュー・グループ登場などというキャッチ・コピーをつけられて紹介されていたかもしれない。
 しかしアルバムのキャッチ・コピーは“サンフランシスコのストリートから生まれてきた実力派”とあるだけだ。

 彼らの1stアルバムは全世界で850万枚以上売れた。このアルバムからシング・カットされた"Mr. Jones"が売れたせいもあっただろう。

August and Everything After Music August and Everything After

アーティスト:Counting Crows
販売元:Geffen Records
発売日:1993/09/14
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 しかしその最大の要因は、その歌詞にあると思うのだ。音楽性は今までの伝統的なアメリカ音楽に根ざしている。しかし、その歌詞もボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンのように日常の生活に立脚した視点から綴られているものの、それは今まで以上に孤独感や寂寥感、現代社会での複雑な人間関係からもたらされるディス・コミュニケーションな状態、そんなものが混在して一塊になって、聞き手に迫ってくるのだ。

 こういう新しい視点で綴られた歌詞が90年代の若者に新鮮なインパクトを与えたのではないだろうか。
 だからグランジ以前と以降では、アメリカの若者の意識やアメリカン・ロックも変化したと思うのである。

 「優しさが雨のように降りかかる
 それは私を洗い流し
 アンナは心変わりを始める
 そして彼女がくしゃみをするたびに
 それを愛だと思う
 おお神様、私はまだ準備が出来ていないのです」(from "Anna begins")

 「ジョーンズさんと私は
 ビデオをじっと見つめている
 私がテレビを見ていると
 私を見つめ返したい気がしてくる
 私たちはビッグ・スターになりたいのだが
 その理由も方法もわからない
 だけどみんなが僕を愛してくれるとき
 僕はできるだけ幸せになりたいと思うのだ」(from"Mr. Jones")
〔両訳ともプロフェッサー・ケイ〕

 グループの中心人物はキーボードのアダム・デュリッツとギターのデヴィッド・ブライソンであるが、主にアダムの方がメインで作詞・作曲を行っている。

 彼らは現代までに5枚のアルバムを出している。最新作は「ハード・キャンディ」であるが、今年は新作が出るという話である。

 お勧めのアルバムは1stと金魚の絵がついている4作目の「ディス・デザート・ライフ」である。一人でも多くの人が、この秋の夜長にぜひ彼らの音楽を味わってほしいと思う今日この頃である。

Photo Music This Desert Life

アーティスト:Counting Crows
販売元:Interscope Records
発売日:1999/11/02
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2007年10月12日 (金)

WAX

 前回のアンドリュー・ゴールドつながりから、今回はそのアンドリューが10ccのグラハム・グールドマンと結成したWAXを紹介することにした。

 彼らが出会ったのは、1982年のことだった。当時のワーナー・ブラザーズの社長であったレニー・ワロンカーから10ccのアルバムのプロデュースを受けたのが、アンドリュー・ゴールドであった。

 そのアルバムは「ミステリー・ホテル」というタイトルであったが、どういうわけかどこにもそのクレジットはない。この話が本当ならこちらの方がミステリーである!

 ともかくこれを契機として、2人の交流が始まった。たぶん2人とも同じような趣味やテイストの持ち主だったのであろう。
 ちなみにアンドリューは1951年生まれで、グラハムの方は1946年生まれである。グラハムは10cc加入前に、ソングライターとして成功を収めており、ホリーズの"Bus stop"やヤードバーズの"For your love"を作曲したのは彼である。

 アンドリューのソロ・アルバムなどを聴いてみると、60年代のポップ・ミュージックの影響をかなり受けており、曲作りにそれが反映されているのがわかるが、実際に60年代を音楽産業の中で泳いできたグラハムからは、決して少なくない影響を受けたのではないだろうか。

 そんな彼らが結成したのがWAXであった。(それ以前に一時コモン・ノリッジというグループを結成していた)
 グループといっても2人組なので、正確にはデュオである。彼らはマルチ・ミュージシャンだから、おそらく2人でほとんど全ての楽器を演奏したことだろう。そういう意味では、スタジオ・ミュージシャンを雇う必要もなく、大変リーズナブルだった?のではないだろうか。

 1986年に発表された彼らの1stアルバム「マグネティック・ヘヴン」はそんな彼らのポップ・ミュージックがぎっしりと詰まっている。Wax

 アメリカでは"Right between the eyes"がシングル・カットされ、イギリスでは"Ball and chain"がシングルになったそうである。いずれも確かに売れそうな音である。
 前者は、ちょうどジェネシスのマイク・ラザフォードが結成したマイク&ザ・メカニックスによく似た音で、彼らのアルバムに納められていてもまったく違和感はないと思う。

 後者の音は、80年代を代表するような薄っぺらいシンセの音が中心となったダンサンブルなナンバーである。ちょうどティアーズ・フォー・フィアーズのような感じだ。ジャニス・ジョプリンの歌に同名曲があるが、似ても似つかない曲だ。

 彼らは87年に2ndアルバム「アメリカン・イングリッシュ」、89年に3rdアルバム「ア・ハンドレッド・サウザンド・イン・フレッシュ・ノート」をコンスタントに発表した。

 そして1997年には未発表曲6曲、ライヴ音源、リメイクなどを含んだコンピレーション・アルバム「ザ・ワックス・ファイル」を発表した。
 86年から97年までの音源が含まれているので、彼らの活動を俯瞰するには手ごろなアルバムだ。

 しかし聴けば聴くほど80年代の音である。やはりマイク&ザ・メカニックスやトンプソン・ツインズなどを思い出す。特にややアップ・テンポな音はその傾向が強い。
 逆に、バラード系はいいムードを醸し出している。新曲"Baby's got a gun"や89年の3rdアルバムに入っていた"Wherever you are"などは素晴らしいできである。

 また新曲の"Same boat now"やハーモニカがさわやかな60年代を印象付ける"Can anybody see you"、2人のハーモニーが美しいバラード"Touch and go"など聴きどころは多い。
 おまけに65年のマーヴィン・ゲイのヒット曲"One more heartache"やアンドリュー・ゴールド自身の78年のヒット曲"気の合う二人"のライヴ・ヴァージョンまで納められている。もちろん歌っているのは、アンドリューとグラハムの2人である。

 というわけで全17曲、これ1枚あれば、彼らの魅力を満喫できるほどの満足できるアルバムになっている。美しいメロディを求めている人にとっては、お薦めであろう。

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2007年10月11日 (木)

アンドリュー・ゴールド

 アンドリュー・ゴールドの1977年の作品、「自画像」は名盤である。どの曲も捨てがたい立派なできだ。Photo_3

Music What's Wrong with This Picture?

アーティスト:Andrew Gold
販売元:Collectors' Choice Music
発売日:2005/05/31
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 全曲を作詞・作曲しているわけではない。中にはイギリスのマンフレッド・マンが歌ってヒットした"Do Wah Diddy"やバディ・ホリーが歌った"Learning the game(人生はくりかえし)"などもある。
 しかしそういう他人の作品と自作品の間に差が見られないのだ。ということはいずれもベースは60年代のポップスやロックン・ロールであり、その上に彼の味付けがなされているのであろう。

 だから作品に統一感がある。1曲目の"Hope you feel good"から彼の魅力が表れている。ミディアム・テンポの曲であるが、一度聴けばすぐに覚えられるようなフレーズを持っている。これは他の曲にもいえることだ。

 "Passing thing(過ぎゆく日々)"はスロー・バラードで、尺八の音色も聞くことができる逸品だ。静かに語りかけるように歌っている。
 60年代の雰囲気が一番出ているのが、"Must be crazy"である。手拍子はアンドリュー本人とこのアルバムのプロデューサー、ピーター・アッシャーが叩いているし、ギターは友人のダニー・コーチマーが弾いている。

 そして一番のヒット曲は、全米7位まで上がった"Lonely boy"である。これは彼自身の自伝的要素が濃い内容の歌だ。
 「彼は1951年の夏の日に生まれた(アンドリューは1951年8月2日生まれだ)
 たった一人の息子として生まれた
 彼の母親と父親はこういった
 なんてかわいい子どもなんだろう
 この子には私たちが学んだこと全てを教えてあげよう
 かぜをひかないように暖かくして
 彼を学校に送ってあげよう

 ところが53年の夏に 母親が妹を連れて来てこう言った
 私たちは彼女を育てるのに必要なの
 彼女はあなたよりずっと若いわ
 彼は駆け下りて行って泣いた
 彼らは何という嘘つきなんだ
 たった一人のかわいい子どもだといっていたのに
(訳プロフェッサー・ケイ)

 これもまたイノセンスの喪失を意味する歌なのだろうか。ベースはかつて一緒にバンドを組んでいたケニー・エドワーズ、ギターはワディ・ワクテルとダン・ダグモア、ピアノは彼自身でバック・ボーカルには当時の恋人、リンダ・ロンシュタットが参加という超豪華ライン・ナップである。

 "Firefly"という曲はドラムからベース、ピアノ、ギター、パーカッション、バッキング・ボーカルとすべて一人で演っている曲だ。自作自演とはまさにこのことである。しかも結構渋くていい曲なのだ。

 他にも"Go back home again"や"One of them is me"など佳曲が多い。前者は軽いノリのロックン・ロール・タイプの曲で、後者はアルバム最後を締め括るクロージング・テーマのような曲である。

 このあと数枚のソロ・アルバムを出して、82年に10ccのアルバムのプロデュースをしたおかげで、グラハム・グールドマンとWAXというグループを結成し、アルバムを発表した。詳細については次回のブログで紹介するが、これもポップでなかなか良いアルバムである。

 しかし彼は今どうしているのだろうか。リンダ・ロンシュタットのアルバムに楽曲を提供したり、演奏に参加しているので、その印税で生活しているのだろうか。アメリカにはこんなミュージシャンがいっぱいいるようで、「あの人は今」というTVシリーズでも企画すれば、おもしろそうと思うのだが、どうだろうか。

 それでこのアルバムのジャケットもまた面白い。オリジナル・タイトルを"What's wrong with this picture?(この写真は何か変だな)"というものだが、よく見るといくつかおかしなところがある。(窓が閉まっているのにカーテンが揺れているとか)
 秋の夜長に、それを探してみるのも一興であろう。

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2007年10月10日 (水)

ポール・サイモン

 S&Gのところでも述べたが、ポール・サイモンは、かつてはアメリカの吟遊詩人と言われていたSSWであった。

 S&G解散後、ポール・サイモンはソロ活動に自分の価値を見出したようで、次々とアルバムを発表した。ベスト盤を除くと次のようになる。

 1972年「ポール・サイモン」
 1973年「ひとりごと」
 1974年「ライヴ・ライミン」
 1975年「時の流れに」
 1980年「ワン・トリック・ポニー」
 1983年「ハーツ・アンド・ボーンズ」
 1986年「グレイスランド」
 1990年「リズム・アンド・セインツ」
 1991年「ライヴ・イン・セントラル・パーク」
 1997年「ザ・ケープマン」
 2000年「ユー・アー・ザ・ワン」
 2006年「サプライズ」

 この中で 「時の流れに」と「グレイスランド」がそれぞれグラミー賞の最優秀アルバム賞他2部門を受賞している。
 それでS&G時代から数えて、合計13のグラミー賞を獲得しており、これは史上最多の受賞になるらしいのだ。さすがアメリカの吟遊詩人である。

 実際、ノーベル文学賞を受賞したデレック・ウォルコットは、"Graceland"の中の"The Mississippi delta was shining like a national guitar(ミシシッピー・デルタはナショナル・ギターのように輝いている)"をその例としてあげながら、現在最高の詩人の一人と評価している。

 個人的には「ポール・サイモン」の中の"母と子の絆"、"ダンカンの歌"、"僕とフリオと校庭で"などが好きである。両親が離婚して母親がいなかった自分にとっては、レゲエで歌われる"母と子の絆"は陽気なリズムの中にも何かしら意味があるように思えたし、"ダンカンの歌"の哀愁は、芽生え始めた自我に少なからぬ影響を与えたように思えるのだ。

ポール・サイモン(紙ジャケット仕様) Music ポール・サイモン(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ポール・サイモン
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2006/09/20
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 また「ひとりごと」は本当にロックの衝動性とは無縁の内省的なアルバムだった。"アメリカの歌"なんかを聞くと、S&Gの"アメリカ"とは違う意味でいい歌だと思う。
 とはいっても"僕のコダックローム"や"母からの愛のように"などの軽快なサウンドもある。前者は絶対にNHKではかからなかった。リクエストがきても、『ではリクエストとは違いますが、ポール・サイモンの"~です"」と違う曲が流されていた。
 “コダックローム”はアメリカの写真メーカー、コダック社のフィルムのことだったからだ。
 そんな話題性もあって、このアルバムは大好きである。今だに時々は聴いている。とくにこの季節にはあうと思う。

There Goes Rhymin' Simon Music There Goes Rhymin' Simon

アーティスト:Paul Simon
販売元:Warner Bros.
発売日:2004/07/13
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 合うといえば、「時の流れに」、これはクールである。アート・ガーファンクルとのデュエット曲"My little town"も含まれているということもあるが、全編ポールの出身地、ニュー・ヨークのジャズのたたずまいが香ってくるのだ。ジャケット写真を見てもニュー・ヨークである。

Still Crazy After All These Years Music Still Crazy After All These Years

アーティスト:Paul Simon
販売元:Warner Bros.
発売日:2004/07/13
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 それもそのはず、このアルバムには名うてのジャズ・ミュージシャンが演奏に加わっているからだ。ギターはヒュー・マクラッケン、ベースはトニー・レヴィン、ドラムスはスティーヴ・ガッド、ピアノはリチャード・ティーとボブ・ジェームズ、サックスはデヴィッド・サンボーンといずれも名うてのスタジオ・ミュージシャンかジャズ・ミュージシャンである。

 これで楽曲がいいのだから、売れないわけがない。アルバムとシングル"恋人と別れる50の方法"ともに全米No.1を獲得した。
 "Still crazy after all these years"の最初のエレクトリック・ピアノの音から都会の喧騒の中でのひと時の安らぎが湧き上がってくるようだ。ポールの歌声も優しいし、途中に入るサックスのソロはいやがうえにも哀愁をかき立てられる。
 曲の内容が別れた恋人とばったりと出会うというシチュエーションだけに、よけいにその情景を想像させてくれるのだ。
 当時のポールは、最初の妻ペギーと別れて間がないときだったから、よけい切実さを感じさせてくれた。

 それにしてもこのアルバムの中で、静かな曲はモノローグのようだ。ポールひとりで口の中でモグモグつぶやくように歌っている。"きみの愛のために"はまだ良い方で、"Night game"は、タイトル通りお休みをいう前の曲だ。
 他にも"優しいあなた"、"もの言わぬ目"などしっかり歌っているのだが、声質のせいかマイルドに聴こえてしまうのだ。だからシャウトには程遠い歌になってしまう。それがポール・サイモンのいいところかもしれない。

 2006年の最新作「サプライズ」では、あのブライアン・イーノとの共同制作である。65歳にしてこの意欲。ハッキリ言って何を考えているのかわからないのだが、欧米では結構評価されているという。

サプライズ Music サプライズ

アーティスト:ポール・サイモン
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2006/05/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 ライヴ盤「ライヴ・ライミン」の最後でファンから“Say a few words(何か言ってよ)”といわれて、“Um…,continue to live(生き続けたいですね)”と応えている。
 たいした言葉ではないのだが、その後に来るジョン・レノンの悲劇的な死や今もなおアルバムを出し続けるポールのことなどを考えると、何か象徴的な言葉である。

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2007年10月 9日 (火)

リッチー・サンボラ

 以前ある人からリッチー・サンボラのアルバムを紹介されたことがあった。1991年に発表された彼のファースト・ソロ・アルバム「ストレンジャー・イン・ディス・タウン」である。

Music ストレンジャー・イン・ディス・タウン

アーティスト:リッチー・サンボラ
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2006/10/18
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 リッチー・サンボラといえば、泣く子も黙るといわれるボン・ジョヴィのギタリストである。1959年生まれだから、今年で48歳になるが、このアルバムを出した当時は32歳のときだった。
 当時はボン・ジョヴィも4枚目のアルバムを出し、ワールド・ツアーが終わったばかりで、メンバーも休止中だった。その間を利用して、ソロ・アルバムを作成したのであろう。

 このアルバムを聴いて驚いたことは、彼が力いっぱい歌っていることであり、結構ボーカルが上手なのである。これはひょっとしてボン・ジョヴィのリーダーであるジョン・ボン・ジョヴィよりうまいのではないかと思ったくらいである。
 歌だけでなく、当然のことながらギター演奏もうまいとあっては、ソロでも食っていけるのではないかと思った。自分だけこんなことを思ったわけではなく、このアルバムを聴いた人はみんな思ったに違いない。それはグループ解散説がまことしやかに囁かれたことからでもわかる。

 もちろん曲も良い。"Rosie"はんかは、もろボン・ジョヴィ風の楽曲で彼らのアルバムに入れてもおかしくない。と思って聴いていたら、曲つくりにジョン・ボン・ジョヴィとダイアン・ウォーレン、デズモンド・チャイルドが参加していた。これじゃ売れ線狙いといわれても仕方ないな。
 またアルバムと同名曲はブルージィでソロでは泣きのギターが入り盛り上がる曲だ。もう少しテンポを落として演奏すると、名バラードになっただろうにと思う。
 その他にも、"Mr. Bluesman"にはエリック・クラプトンも参加し、情感たっぷりのギター・ソロを展開しているし、"Father time"では壮大なストリングスに導かれて、リッチーのボーカルとギターが流れ、これも情感豊かな曲である。

 日本盤にはボーナス・トラックとしてジミ・ヘンドリックスの"風の中のマリー"が収録されている。これは彼が14歳でギターを始めたきっかけとなったのが、ジミ・ヘンの死だったからで、彼に敬意を表しているかららしい。

 1stアルバムがブルーズを基本としたロック・アルバムだったのに対し、2ndアルバム「アンディスカヴァード・ソウル」ではちょっとリラックスして肩の力を抜いた音楽が聴ける。どちらかというと、トム・ペティをハードにしたような感じだ。(1997年発表)

Undiscovered Soul Music Undiscovered Soul

アーティスト:Richie Sambora
販売元:Mercury
発売日:1998/03/03
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 よりポップで聴きやすくなっているし、サビの部分なんかはシンガロングできるくらいだ。どこを切っても金太郎飴というのがあるが、あれと同じようにどこを切っても売れ線ソングである。
 ロックなギターは期待しない方がいい。ソロの部分ではギター演奏はあるが、1stに比べれば数曲しかない。土の香りのする大陸的なアメリカン・ロックである。

 どの曲かは不明だが、キーボードにビリー・プレストンやTOTOのデヴィッド・ペイチ、ストーンズのツアーにも参加したチャック・リーヴェル、ギターに売れっ子セッション・ミュージシャンのマーク・ゴールデンバーグなどが参加している。

 この2枚とも結構な名盤だと思うのだが、おそらくは売れなかったと思う。売れていればもっと続けてアルバムを出していたと思う。

 これも余計なことだが、1994年に女優のヘザー・ロックリアと結婚し、一女をもうけたが残念ながら今年になって別れたということである。そのせいかブクブクと太ってしまい若い頃とは別人のようである。まあアメリカではよくあることで、だからといって彼の才能までが枯渇してしまったわけでもないだろう。

 これにめげずに新しい人生を開拓してほしい。またニュー・ソロ・アルバムも期待しているので、慰謝料のためにも頑張ってほしいものだ。

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2007年10月 8日 (月)

アメリカ

 先日、ラジオでアメリカの"A horse with no name"(邦題:名前のない馬)を久しぶりに聞いて、そのあまりのよさに感動した。何年たってもいい曲はいいと思った。

名前のない馬 Music 名前のない馬

アーティスト:アメリカ
販売元:Warner Music Japan =music=
発売日:2008/05/28
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 だいたいこの曲を初めて聞いたのは、随分とむかしのことで、1972年のことである。もう35年も前のことだ。英語なので、当然のことながら何を言っているのかさっぱりわからなかったけれど、子ども心にも何か感じるものがあったに違いない。すっかりこのグループのファンになってしまった。

 残念ながらこのグループのオリジナル・アルバムは1枚も聞いたことがない。アルバムよりもシングルの方が有名で売れたと思う、特に日本では。
 だからアルバムを買おうとは思わなかったが、シングルはやっぱり何回も聞きたいと思った。

 この70年代の前半の彼らのヒット曲を列挙してみる。先ほどの全米No.1の"A horse with no name"、8位になった"Ventura Highway"、74年に4位の"Tin man"(魔法のロボット)、5位の"Lonely people、"75年に2曲目のNo.1になった"Sister golden hair"(金色の髪の少女)、20位と健闘した"Daisy Jane"(ひなぎくのジェーン)などなど・・・

 これ以外にも"I need you"、"Muskrat Love"、"Don't cross the river"、"Sand man"などヒットしなかった曲の中にも印象深いものは多い。まさにポップな3人組だったのだ。

 アメリカというグループ名は、イギリス在住のアメリカ人3人組によってつけられた。この3人の父親はアメリカ軍に勤務していて、そのベイス(基地)がイギリスにあったのだ。だから彼ら3人は、母国への望郷の念を込めて、自分たちのグループ名にアメリカと名づけたのである。

 最初、彼らはイギリスのクラブなどをまわっては活動していて、あのピンク・フロイドの前座まで経験したというから、当時のロンドンはまさに音楽の坩堝と化していたのであろう。
 あのアコースティックな音楽とハーモニーが、ピンク・フロイドの前座にふさわしいかどうかは微妙であるが、たぶん当時はシド・バレット在籍時のことだろうから、フロイド流のサイケデリック音楽とアメリカのアコースティックのバランスがよかったのだろう。

 "A horse with no name"の大ヒットのあとは、段々彼らの人気も下降気味になってきた。だから2年後の74年にビートルズのプロデューサーであったジョージ・マーティンをイギリスから呼び、アルバム制作を依頼したのだ。
 その2枚のアルバム、「ホリディ」と「ハート」から"Tin man"、"Lonely people"、"Sister golden hair"などの大ヒットが生まれたのである。さすがジョージ・マーティンであった。ちなみに「ハート」は彼らの最高傑作といわれている。

 そして2年後の76年にメンバーのひとり、ダン・ピークが、まさに人気がピークのときに脱退してしまった。
 以後は2人組で活動を続けていくのだが、残念ながら往時の人気を再び獲得することはなかった。

 彼らは今も2人組で活動をしているそうだ。最近は昔のアルバムが紙ジャケットとして再発されているので、興味のある方はどうぞ手にとって見てください。
 ちなみに一番売れた彼らのアルバムは、ベスト・アルバム「アメリカの歴史」である。

History America's Greatest Hits (Rpkg) Music History America's Greatest Hits (Rpkg)

アーティスト:America
販売元:Rhino / Wea
発売日:2004/06/01
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年10月 7日 (日)

ロバータ・フラック

 私は、実はロバータ・フラックが好きなのである。実は物心ついて聞いた彼女の曲"Killing me softly with his song"が大好きであった。邦題は“やさしく歌って”である。

51e8ctdadql Music やさしく歌って

アーティスト:ロバータ・フラック
販売元:イーストウエスト・ジャパン
発売日:1996/10/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 この曲は1973年2月から3月にかけて4週連続No.1位を獲得し、その年のグラミー賞ベスト・レコード、ベスト・ソング、ベスト・ポップ・ヴォーカル部門で表彰されている。いつ聞いてもいい曲だと思う。

 ただ曲が長すぎて(4分47秒である。当時は3分30秒を越えるとカットされるのが当たり前だったのだ)、当時のAMラジオ局でのベスト10番組では、最初から最後までかかったことがなかった。いつも途中でカットされるのである。それが悔しいというか、残念でたまらなかった。

 特に“オー、オオー、オオオ、オーオオーオーオー”と終わりで盛り上がるところでカットされるときが一番辛かった。何でこんなにいいところでカットするのか、と聞くたびに怒っていた思い出がある。
 しかもそのあとで(4分17秒あたり)いったん曲が終わったかと思いきや、またすぐに始まるところがあるのだが、ながくても大体この辺で終わってしまった。

 たぶん局のプロデューサーあたりが、あまりにも終わり方がくどいと思っていたのではないかと思っているのだが・・・
 ごくまれに最後までかけてもらうことがあったが、なるほどこういう終わりになっているのかとびっくりしたと同時に感心した思いでもある。

 最初はそんな聴き方しかできなかったが(今も基本的にはそうであるが)、そこから私のロック人生の旅が始まったのかと思うと、決して単なる思い出としては済ませられないのである。結構こだわっているのだ。

 あとになってこの曲は、アメリカのSSWであるドン・マクリーンのことを歌っているのだと知って驚いた。何しろタイトルが"Killing me softly・・・"なのだから、恋愛の歌か、殺人依頼の曲か(そんなバカな!)と思っていたからだ。(こういうタイトルのサスペンス映画があったぞ)

 ドン・マクリーンといえば、あの有名な"American Pie"を歌った人だが、その人のステージを見て作られた歌だそうである。ドン・マクリーンとロバータ・フラック、どうも結びつかないのだが、これがアメリカ音楽社会のいいところであろうか。

 なぜかというと、当時は今よりも人種差別が激しかったのである。マイケル・ジャクソンのところでも述べたように、何しろMTVでさえも最初は黒人の映像を流すのを嫌がったという話である。

 80年代でもそうなのだから、70年代初めはもっと状況は厳しかった。もっというとロバータ・フラックが成功できたのも、彼女の努力と才能と分け隔てのない性格のおかげであったのだ。

 彼女の母親は教会のオルガン弾きで、父親もジャズ・ピアノを演奏していたから、彼女の才能は持って生まれたものであったらしい。
 4歳でピアノを弾き始め、13歳でクラシックのピアノ・コンテストで入賞もしている。成績も非常によく、15歳で高校を卒業して、音楽の特待生として大学に入学。18歳で学士号を取得した。

 父親が亡くなったために大学卒業を断念して、音楽教師になったのだが、アメリカの教師の地位は低く、重労働の割には低賃金というのは有名な話である。

 彼女も2800人の生徒に音楽を教えて、得られた収入は年間2800ドルだった。つまり1人年間1ドルという計算である。200ポンドあった体重が160ポンドに減ったというから、もとはどれだけ太っていたのか、ではなくて、それだけ大変な仕事だったのである。

 7年間の教職経験のあと、レストランのピアノ・プレイヤーになり、それがまたオーナーに気に入られ、結構引っ張りだこになったそうである。
 結局、慈善コンサートで演奏していたところをスカウトされて、プロ・デヴューした。1969年の事である。

 そして彼女が33歳のときに"愛は面影の中に"が映画の挿入歌として使われ、話題になり、しかもビルボードNo.1にもなったのだ。こうやって見ると彼女には幸運の女神がついているようである。

 とにかく彼女の成功が、黒人社会に与えた影響は決して少なくないのである。彼女は黒人とだけでなく、ジャニス・イアンやキャロル・キングのような白人の曲も同じように取り上げている。
 その彼女の姿勢が白人社会にも受け入れられたのであろう。ブラック・ミュージック界(当時の呼称)という限定されたフィールドの中だけで終わらなかった原因ではないだろうか。

 彼女の艶のあるボーカルをもっと楽しみたい人はベスト盤がお勧めである。

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Music ベスト・オブ・ロバータ・フラック

アーティスト:ロバータ・フラック,ダニー・ハザウェイ
販売元:イーストウエスト・ジャパン
発売日:1993/07/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

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2007年10月 6日 (土)

スリラー

 スリラーといっても映画でもなければ、お化け屋敷のことでもない。マイケル・ジャクソンが1982年に発表したアルバム「スリラー」のことである。

Thriller Music Thriller

アーティスト:Michael Jackson
販売元:Epic
発売日:1999/11/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 このアルバムは全米アルバム・チャートで37週に渡ってNo.1ヒットを記録した、まさにモンスター・アルバムなのである。
 またこのアルバムから"Billie Jean"、"Beat it"、"Thriller"、ポール・マッカートニーとデュエットした"The girl is mine"、"Wanna be startin' something"、"Human Nature"、"P.Y.T."
と7曲もシングル・カットされ、そのうち"Billie Jean"と"Beat it"が全米No.1を獲得している。

 ちなみに全曲とも全米トップ10に入っている。(いずれもビルボードHot100の結果より)
2006年のギネス・ブックでは、このアルバムは全世界の累計で1億400万枚以上を売り上げているといわれ、当然今もってなお世界で一番売れているアルバムである。

  また彼自身のソロ・アルバム全ての累計は7億5000万枚以上といわれ、何も仕事をしなくても、年間20億円の音楽関係の印税収入があるという。庶民にはまったく無縁の世界である。

 それでなんで「スリラー」なのかというと、これを聴くと秋を思い出すというただ単にそんな理由からである。他の人にとってはどうでもいい話なのだが、個人的にそう思うのである。
 どの辺が秋かというと、やはり"Thriller"のSEから始まるのだ。墓地にある墓の蓋がギィーと開くあたりから、やはり枯葉に埋もれた墓地を想像するのである。

 また"Billie Jean"、"Human Nature"、"P.Y.T."の3連発あたりは、秋の匂いが濃い。特に"Human Nature"と"P.Y.T."は、どちらかというとこのアルバムでは静かな部類に入るのか、そういう印象が強いのである。
 "Baby be mine"もキャッチーでミドル・テンポのダンサンブルなナンバーであり、途中入るマイケルの叫び声もなかなか秋の雰囲気が出ているのだ。

 そしてとどめが最後の"The lady in my life"という大げさなタイトルの曲である。この曲はシングル・カットされなかったのだが、深まりゆく秋には似合いの1曲である。でもそんなに名曲というわけではない。だいたいいい曲ならシングルとして発売されているはずだからだ。

 1983年当時のMTVでは黒人の映像を流してはいけないという暗黙のルールがあったようで、当初マイケルの映像を流すことはためらわれたと言われている。
 しかし、当時の人気ではそんなことを言ってはいられないほど、凄まじいものがあったわけで、"Billie Jean"がその掟を破って流されたのである。

 そして何といっても特殊メイクを施したゾンビが踊り歌う"Thriller"はみんなの度肝を奪うほどの話題を集めた。
 1999年のMTVによる「今まで作られたビデオの中で最も偉大なベスト100」でも1位に輝いているほどだ。この頃はMTVの台頭で、映像と音楽を結びつけることが主流になっており、そういう意味ではマイケルの時代の流れを見極める感性の鋭さが光るのである。

 バックのメンバーも豪華で、TOTOの主要メンバーを始め、ラトゥーヤやジャネットなどのジャクソン・ファミリーも集合している。
 特に、TOTOのスティーヴ・ポーカロは"Human Nature"をマイケルと協作しているし、、ジェイムズ・イングラムは"P.Y.T."を一緒に作っている。
 そしてとどめは、"Beat it"でギター・ソロを披露しているエディ・ヴァン・ヘイレンである。後にこのギター・パートはリック・デリンジャーにパロディされたが、ここでは素晴らしいライト・ハンド奏法を聞かせてくれている。

 この秋に一度は聞いてみたい20世紀を代表するアルバムの1枚である。

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2007年10月 5日 (金)

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

 むかしダウン・タウン・ブギウギ・バンドというグループがあった。(以下DTBBと略す)リーダーは宇崎竜童である。1946年、京都に生まれた。明治大学在籍時は吹奏楽部に所属し、トランペットを吹いていた。

 最初TVで見たときは、キワモノバンドという印象があった。リーゼント頭で、サングラス、つなぎの作業服を着て歌う姿は、一発屋かなと思ったりもした。1970年代半ばの頃である。
 何しろ初めて聞いた曲が「スモーキン・ブギ」である。未成年がタバコを隠れて吸うという内容の曲だ。いまならJTが喜んで手を叩くかもしれない曲だが、当時はPTAなどから非難轟々だった。私は、当初はコミック・バンドだと思っていた。
 次に聞いた曲が「港のヨーコ、ヨコハマ、ヨコスカ」である。“アンタあの娘のなんなのさ”というセリフが流行した。確かその年の紅白歌合戦にも出場したと思う。

 そんな彼らが満を持して発表したアルバムが1977年の「身も心も」である。何しろ初めての海外レコーディングであった。場所はカリフォルニア、ロサンジェルスである。Dtbb

 心なしか少し乾いた音がするようだ。彼らのアルバム(当時はLPレコード)を初めて買ったのだが、まともな、いやそれ以上の硬派なロック・アルバムだったのでびっくりした思い出がある。

 テクニック的にも申し分ない。リード・ギターの和田静男のうまさには舌を巻いたし、キーボードのチノ シュウイチなんかはメロトロンまで弾いている。
 もちろん曲は当然ながらよい。演歌のような、歌謡曲のような、でも根底はロックな音楽であり、そのへんの混ざり具合がまさにクロスオーヴァーしているのだ。

 1曲目の"ためらいもなく時はすぎ"の和田のリード・ギターは格別に素晴らしいし、3曲目の"しのび逢い"のピアノ演奏は流麗であり、キース・エマーソン的でもあるし、5曲目の"Ballad"のハモンド・オルガンはサザン・テイストに満ちている。

 6曲目の"Mine"なんかは、まるでディープ・パープルの縮小版を聞いているような感じになる。また8曲目"乾いた花"はラテン・フィーバー満開である。アメリカ大陸の影響を受けたのかロックン・ロールから南部音楽、ラグタイム、ラテン音楽まで様々なジャンルの音楽を聴くことができる。

 また詩もほとんどを宇崎の妻の阿木燿子が手がけていて、先ほどの"しのび逢い"はまさに不倫そのものであり、"Kiss me"もこれは娼婦のことである。そういう内容をサラリと歌と交わらせている点は、まさに阿木ワールドである。描写力も見事ながら、言葉のセンスや的確さは他に比較するものがないほどである。
 彼らの力があったからこそ、山口百恵も歌謡界の頂点に立つことができたのだろう。

 まさにこの雑食性こそがロックの本質なのである。このアルバムは私たちにロックのあるべき姿を見せてくれているのかもしれない。

 そしてラストの名曲"身も心も"が始まるのである。7分33秒のこの曲は、ゼッペリンでいうと"天国の階段"であり、パープルでいうと"ミストゥリーティッド"である?
 日本のロックの歴史の中に残る名バラードだと思うのだ。

 曲も段々と盛り上がっていく日本人好みの典型的なタイプだが、詩もまた秀逸である。“サイレンかすかに 遠くから響いて 夜のとばりの幕引き係”、“愛とは呼ばず あなたに 愛しい そう打明けよう”、“身も心も 一つに溶けて 今 俺の腕の中で 眠る人よ”

 こういう詩はそう簡単に書けるものではない。さすが阿木燿子である。女性なのだが、女性だけにその気持はわかるし、女性から見た男性の気持、特にこうあってほしいという行動や感情を描くのに秀でているのだ。

 なぜこの歌はもっとメジャーにならないのだろうか。それが残念である。こうなったら"身も心も"普及委員会を作って、宣伝しようと思うのだがどうだろうか。

 個人的な話なのだが、私はカラオケが嫌いでずっと行ったことがなかった。ところが先日ある人に連れられて、飲み屋に行ったのだが、そこにあったのだ、カラオケが。
 まさか私だけ歌わないというわけにもいかず、結局歌ってしまった。たぶん7,8年ぶりぐらいだと思う。

 そのときに歌ったのが、この"身も心も"なのである。改めてこの曲の素晴らしさを実感した。そしてこの曲が収められているアルバムを持っていることを誇りとしているしだいである。
 ぜひDTBBを再評価し、同時にこの曲やこのアルバムの素晴らしさを声高々に訴えていこうと決意したのだ。

 P.S.
 所ジョージという名前の名付け親は、宇崎竜童である。デヴュー前の所ジョージは宇崎竜童の付き人をしていたからである。どうでもいい話だが・・・

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2007年10月 4日 (木)

チャーリー・セクストン

 昔のアルバムしか聴かないのかと思われそうであるが、たまには新作も聴くのである。それで最近聞いた新しいアルバムは、なんとチャーリー・セクストンである。はたして何人の人が知っているのだろうか。

 チャーリー・セクストンといえば、テキサス出身の若き天才ブルーズ・ギタリストとして華々しくデビューした。なにしろ15歳でイギリスのパンク・バンド、ザ・クラッシュと、16歳ではデヴィッド・ボウイのバック・バンドとして、ツアーを行ったりしたのだ。
 アルバム・デヴューは1985年、「ピクチャーズ・フォー・プレジャー」で当時は17歳だった。ギタリストだけではなく、ボーカリストとしても評価された。ただ、あまりにも若すぎたせいか、アイドルとして扱われてしまい、その音楽性が正当には認められなかったようである。

 そして2枚のソロ・アルバムを発表したあと、新バンドを結成した。それがアーク・エンジェルスである。
 バンドのメンバーには、1990年に飛行機事故で亡くなった同郷のブルーズ・ギタリスト、スティーヴィー・レイー・ヴォーンのバック・メンバーもいた。

 また、今はエリック・クラプトンのアルバムやツアーに参加しているドイル・ブラムホールⅡもギタリスト兼ボーカリストとして加わっていた。つまりこのバンドは、ドイルとチャーリーのツイン・ギター、ツイン・ボーカルだったのである。

 そのデヴュー・アルバム「アーク・エンジェルス」を聴くと、まだまだ音楽がこなれていない感じである。音が中途半端なのだ。ブルーズ・ロックを狙ったのか、売れ線ハード・ロックを狙ったのかがよくわからないのだ。

Arc Angels Music Arc Angels

アーティスト:The Arc Angels
販売元:Geffen Records
発売日:1992/04/14
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 もう少しギター・バトルを入れてハードにまとめるとか、ポップな曲を入れて、売れ線ブルーズにするとか、徹底すればよかったのにと思う。ちなみにプロデューサーは、ブルース・スプリングスティーンのE・ストリート・バンドのギタリスト、リトル・スティーヴンである。

 それでも"Paradise cafe"、"See what tomorrow brings"、"Carry me on"など聴きどころは多い。どちらかというとドイルの作った曲にいい曲が多いと思う。

 それで10年ぶりのチャーリーの新譜である。ハッキリいって渋い。アコースティックな曲が目立つのである。アーク・エンジェルスと比較すると180度転換したようである。

明日への轍 Music 明日への轍

アーティスト:チャーリー・セクストン
販売元:SMJ(SME)(M)
発売日:2007/07/18
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 何しろ1曲目から"Gospel"というタイトルなのだから、雰囲気は想像できるはずだ。デヴュー時のようにバリバリとギターを弾きながら、ワイルドに歌うということはない。むしろディランとルー・リードを足して2で割ったような、低くて枯れた歌声なのである。
 まだ38歳なのだが、年齢以上の演奏と歌という感じで、何が彼をこうさせたのかビックリである。

 聞くところによると、アーク・エンジェルスを1994年に解散させた後、ソロ・アルバム制作や他のミュージシャンのレコーディングに参加していたらしい。
 また99年から2003年までは、ボブ・ディランのツアーやレコーディングにも参加していたというから、その間に何か学ぶものがあったのだろう。

 曲によっては、ドラム、ベース、ギター、ピアノ、キーボードを全てひとりで演奏している曲もある。最初から静かな曲で始まるのだが、5曲目の"Bring it home again"からいい曲が目白押しである。"Once in a while"、"Just like love"、"Regular grind"とこのあたりはなんど聴いてもイイ。

 日本盤ボーナス・トラックを除いた最後の曲"It don't take long"ではメロトロンまで演奏している。1曲たりともスライド・ギターがうねりを上げるということはないのだ。
 本当に静かで聴かせる曲が多いが、いい仕事していますね、と思わず声をかけたくなってくるようなアルバムである。

 アメリカでは2005年に発表されたそうだが、日本では今年の7月になってやっと発売された。よく日本の音楽会社が発売を許可したなあと、正直言って思ってしまった。
 はたして何枚売れるかわからない。むしろ売れない可能性が高いが、それでも私はこのアルバムをこの秋一番の新譜だと推薦したいのだ。

 人生の喜怒哀楽を音にしたものがブルーズならば、チャーリーの人生こそ、まさにブルーズだと言えるだろう。

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2007年10月 3日 (水)

ライ・クーダー

 ボニー・レイットが女性のスライド・ギタリストの代表とすれば、男性では、やはりこの人、ライ・クーダーに尽きるであろう。

 ライ・クーダーは1947年にカリフォルニアのL.A.で生まれた。最初は、ボブ・ディランと同じようにフォーク・ソングに興味を持って、アメリカの代表的フォーク・シンガーのウディ・ガスリーやブルーズ・ミュージックを目指していたという。

 やがてアメリカの伝統的な音楽を通して、スライド・ギターをマスターしていった。実際、彼は様々な音楽に触手を伸ばしながら、さらにはそれらをほぼ完璧にマスターしている。そこのところがスゴイのである。
 たとえば、カントリー・ミュージックやブルーズ、ゴスペルは当然のこと、テックス・メックスといわれるメキシコの音楽、ハワイアン・ミュージックから沖縄民謡と実に懐が広い。

 最近はキューバ音楽まで取り組んでおり、ヴィム・ヴェンダースが監督した映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」では、キューバ産の音楽を充分に堪能することができる。

 また彼はオリジナル・アルバムとほぼ同じくらいの数の映画音楽を制作している。この点が他のロック・ミュージシャンと違う点であろう。
 もちろんその中でスライド・ギターを披露していることは言うまでもない。

 1986年に発表された「クロスロード」は、伝説のギタリスト、ロバート・ジョンソンをモチーフにして制作されたものであるが、そのサウンドトラックでは、ロバート・ジョンソン以上にスライド・ギターを弾きまくっている曲もある。

Crossroads: Original Motion Picture Soundtrack Music Crossroads: Original Motion Picture Soundtrack

アーティスト:Ry Cooder
販売元:Reprise
発売日:1990/10/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 彼の音楽が映画に起用されるということは、それだけ人の感情を揺り動かすものをもっているからであろう。またそれだけアイデアが豊富であり、どういう場面でもそれにふさわしい音を創造できるからだと思うのである。

 個人的に一番好きなアルバムは、「ゲット・リズム」である。1987年に発表された。
最初の曲"Get rhythm"から彼の豪快なスライド・ギターを聴くことができる。この曲は、カントリー歌手の大御所ジョニー・キャッシュの歌である。また"13 question method"はチャック・ベリー、"All shook up"はチープ・トリックもカヴァーしたエルヴィス・プレスリーの曲である。

 こうみると、ボニー・レイットもライ・クーダーも耳がいいというか、選曲のセンスが素晴らしいようだ。他人の曲でも自分が作曲したかのように、自在に弾きこなす点が魅力である。オリジナルと比べると違う曲のように聴こえるものもある。("All shook up"など)

 特に"Across the borderline"は名曲である。まさに国境沿いをひとり旅し、旅愁を味わうという感じである。地平線に沈む夕日が美しく輝き、空は薄暗くなっていくという情景が浮かび上がるようだ。

 このアルバムでもテックス・メックスや沖縄音楽、ロック・ミュージックやR&Bを味わうことができる。自由闊達に演奏している点がうらやましい。本当に器用な人だと思う。これだけ自由に演奏できれば本人も楽しいと思う。

 彼は60年代終わりから、様々なミュージシャンのレコーディング・セッションに参加してきた。 ランディ・ニューマンやニール・ヤング、リトル・フィートやドゥービー・ブラザーズなど数々あるが、その中で一番有名なのはローリング・ストーンズの「レット・イット・ブリード」に参加したことであろう。

 ある話によると、彼は数多くのアイデァを出しサポートしたのだが、マンドリンを演奏したとしかクレジットされなかったので、かなり憤慨したという。
 その後、ストーンズのギタリスト、ミック・テイラーが脱退したとき、彼に白羽の矢が当たったのだが、当然のことながら、これを断っている。やはりそのときの恨みつらみがあったのであろうか。面白いエピソードである。

 今年久しぶりに新作が発表された。「マイ・ネイム・イズ・バディ」というタイトルなのだが、ジャケットの猫の名前である。この猫の目を通して、現代アメリカ社会の抱える問題を音楽を通して表現しているそうである。

My Name Is Buddy Music My Name Is Buddy

アーティスト:Ry Cooder
販売元:Nonesuch
発売日:2007/03/06
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年10月 2日 (火)

ボニー・レイット

 エリック・ジャスティン・カズのところで、ボニー・レイットが彼の曲を取り上げていたと言うようなことを書いたところ、ボニー・レイットって誰?という声が聞こえてきたような気がしたので、CDラックから彼女のアルバムを取り出して、ちょっとだけ聴いてみた。

 聞いてみたのは1989年発表の「ニック・オブ・タイム」と94年発表の「心の絆」の2枚である。
 「ニック・オブ・タイム」は89年度のグラミー賞で、最優秀女性ロック・シンガー、最優秀女性ポップ・シンガー、最優秀アルバム作品賞、最優秀トラディショナル・レコーディングの4部門を獲得した。当然のことながら同アルバムはNo.1に4週間とどまった。

Nick of Time Music Nick of Time

アーティスト:Bonnie Raitt
販売元:Capitol
発売日:1989/04/01
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 アルバム自体は、普通のロック・アルバムで、特にこの曲がヒットしたということはない。この人は自作曲というのは少なく、1枚のアルバムの中に3曲~4曲くらいである。あとは他の人の作品ということになる。
 だから選曲のセンスがいいのだと思う。このアルバムでもジョン・ハイアットの曲"Thing called love"を取り上げている。
 また、参加ミュージシャンも豪華で、デヴィッド・クロスビーやグラハム・ナッシュ、ジャズ・ピアニストのハービー・ハンコックまで加わって、盛り上げている。

 ちょっとハスキーで、ギターが上手なシンガーという感じである。アルバム・タイトル曲"Nick of time"を聴くと、ちょっとオシャレな雰囲気を持つ曲という気がする。でもこれは彼女の本質ではないだろう。彼女の基本は、ブルーズだと思うからだ。そうでなければ、スライド・ギターなんかは普通は演奏しないはずだから。

 彼女とスライド・ギターの出会いは古く、彼女が10歳頃に自宅の庭で、ローウェル・ジョージとライ・クーダーと3人で、スライド・ギターを弾いてみたり、ブルーズについて話し合ったりしていたという。この話はちょっと出来すぎだと思うのだが、本人がそういっているので間違いはないだろう。
 ちなみに彼女はカリフォルニア州バーバンクの生まれだという。そういえば残りの2人もカリフォルニアの出身である。

 このアルバムのヒットのおかげで、彼女の人気は一部のファンだけのものから、全米,全世界へと広がっていった。

 一般的に彼女の代表作とされるのは、1972年作品の「ギヴ・イット・アップ」といわれているが、自分は未聴なので何ともいえない。ただ先ほどのエリック・カズの作品"Love has no pride"やジャクソン・ブラウンの"Under the falling sky"は、このアルバムに入っている。また、ジョン・ホールがギターとバック・ボーカルで、ポール・バタフィールドがハーモニカで、エリック・カズ自身もピアノで参加している。

Give It Up Music Give It Up

アーティスト:Bonnie Raitt
販売元:Warner Bros.
発売日:2002/03/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 「心の絆」では珍しく5曲も(作詞)作曲している。さすがに年齢を重ねてきたせいか、歌に表現力がみられ、バラード系の曲も胸にグッとくる。特に"You"は季節的にも相応しい名曲だと思う。また彼女がピアノやキーボードを弾いている曲もあり、"Circle dance"ではエレクトリック・ピアノを演奏しながら、切々と歌っている。

Longing in Their Hearts Music Longing in Their Hearts

アーティスト:Bonnie Raitt
販売元:Capitol
発売日:1994/03/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 このアルバムは、結構いいアルバムだと思うのだが、評判がよいという話しは聞かない。"Dimming of the day"では、イギリスのフォーク・ミュージシャン、リチャード・トンプソンも参加して、流麗なアコースティック・ギターを聴かせてくれる。

 少し装飾に走りすぎたのかもしれない。もう少し、バリバリとスライド・ギターを演奏する彼女を、ファンは聴きたかったのかもしれない。
 全体的にゆったりとした、くつろいだ雰囲気が目立つのがよくないのだろう。でも逆に言うと、ベテランの円熟の味といえると思うのだが・・・。

 最新アルバムは2005年に発表された「Souls alike」である。1950年生まれの彼女。まだまだ現役である。

Souls Alike Music Souls Alike

アーティスト:Bonnie Raitt
販売元:Capitol
発売日:2005/09/13
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

 

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2007年10月 1日 (月)

カーペンターズ

 別に真打ち登場というわけではないのだが、カーペンターズは、70年代のポップ・ミュージックを代表するようなデュオである。
 私のような年よりには、同時代を生きてきたので、あえて言わなくても感覚で理解できるのだが、若い人のなかにはよく知らない人がいるかもしれない。というわけで、あえて知ってる範囲で書くことにした。

 彼らは、1969年にビートルズの"Ticket to ride"でデビューした。兄のリチャード・カーペンターは1946年10月15日生まれで、妹のカレン・カーペンターは1950年3月2日生まれであった。
 兄は12歳からピアノを始めたという。ちょっと遅咲であるが、16歳でバンド活動を始めた。彼らはコネティカット州からカリフォルニア州に引越し、その頃から妹のカレンもドラムを叩くようになったそうである。
 そして友人と3人でジャズ・バンドを組み、コンテストに優勝した彼らは、最終的に兄妹でデビューすることになった。兄23歳、妹19歳のときである。

 70年にシングル第2弾の"Close to you"がビルボードNo.1を記録したが、それ以降、彼らはアメリカをいや世界を代表するトップ・アーティストになった。
 彼らは3枚のNo.1シングルを持っていて、"Close to you"と"Top of the world"、75年最後のNo.1になった"Please Mr. Postman"である。

 また日本国内での公式スタジオ・アルバム(編集盤を含む)は18枚あり(たぶん!)、そのうち個人的に好きなのは、72年に発表された「トップ・オブ・ザ・ワールド」と、73年に発表された「ナウ・アンド・ゼン」である。

 このうち「トップ・オブ・ザ・ワールド」は、赤地に白い♡が描かれており、リチャードは、“まるでヴァレンタインのチョコレートみたいだ”と皮肉を込めて述べていた。

 31rf1w5cynl Music ア・ソング・フォー・ユー

アーティスト:カーペンターズ
販売元:ユニバーサルインターナショナル
発売日:2007/09/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 曲目は"A song for you"で始まり、"A song for you(Reprise)"で終わるというトータル・アルバム形式で、途中でインターミッションも挿入されている。
 内容も"小さな愛の願い"、"愛にさよならを"、"動物と子どもたちの詩"、"トップ・オブ・ザ・ワールド"と名曲ぞろいである。(もちろん"A song for you"もだが)

 ところで蛇足だが、発売当時のタイトルは「トップ・オブ・ザ・ワールド」だったが、現在では原題の"A song for you"に代わったようである。

 そして73年に発表された「ナウ・アンド・ゼン」は、これはもう企画モノというか、1つの仮想空間として完全にパッケージされた作品である。この構想においては完全にプログレの世界である。

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Music Now & Then

アーティスト:The Carpenters
販売元:A&M
発売日:1998/12/08
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 ここから「カーペンターズとプログレッシヴ・ロック」について述べてみたい。まずこのアルバムがなぜプログレなのかというと、
①アルバム後半の"Yesterday once more"から最後の同名曲のリプライズまでが、組曲形式であるということ。
 "Yesterday once more"~"Fun, Fun, Fun"~"The end of the world"~"Da Doo Ron Ron"~"Deadman's curve"~"Johnny Angel"~"The night has a thousand eyes"~"Our day will come"~"One fine day"~"Yesterday once more(Reprise)"とノン・ステップで18分あまり続く展開は、まさに組曲であり、圧巻である。

②この組曲の中で全米1位になったのは2曲あり、"Johnny Angel"と"Our day will come"
である。また曲間をギタリストのトニー・ペルーソがDJを演じており、実際のラジオを聴いているかのように次々と曲が飛び出すという感じである。このアイデアが凄い。

③基本的にプログレッシヴ・ロックというのは、“ここではないどこか”に誘う音楽である。それは音で理想郷を提示したり、トリップ感覚であったり、技巧で圧倒したりと、方法論は様々であるのだが、基本的には違う世界や感覚を聴く者に訴えるのである。
 例えばイエスは音の構築美を示すことで、クリムゾンは即興演奏で、キャメルは叙情性で、ジェネシスは曲の展開と詩の世界で我々を誘うのである。

④当時のレコード・ジャケットが3面鏡のような特殊ジャケットだった。これもプログレのアルバムではよく見られるものである。

 それでこのカーペンターズのアルバムは、まるでオールディーズ専門局のラジオ放送を聴いているかのようにさせてくれるので、まさにこれは“ここではないどこか”に私たちを連れて行ってくれる。そういう意味でも、これはプログレなのである。

 残念ながらカレンは拒食症を治療しようと服用した薬の副作用からか心臓を痛め、結局1983年2月4日に亡くなった。まだ33歳だった。彼女自身はこの世にいなくなったけれど、その歌声は永遠に残るのである。

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