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2007年11月

2007年11月28日 (水)

ストローブス

 ストローブスというバンドがある。いまだに現役で活動を続けているらしい。イギリスのバンドなのだが、私の中ではプログレッシヴ・ロックの範疇に位置していると思っている。でも正確にはプログレではなくて、イギリス特有のフォーキーでトラッドなバンドのようである。

 1973年に彼らは"Part of union"というシングル・ヒット曲を出した。そのとき初めて彼らのことを知ったのだが、しかしその曲はヒットしただけに(全英2位)、とてもトラディショナルな音楽とはいえず、完全なポップ・ソングだった。だからあとになって、バンジョーやダルシマー、シタールなどを使って演奏するグループと知ったときはビックリしたのだった。

 もうひとつストローブス関連で驚いたことは、このブログにも何度も出てきたイエスというグループのキーボーディスト、リック・ウェイクマンがイエスに移籍する前に在籍していたグループということだった。

 少なくともイエスとストローブスではその音楽性は180度までは行かないかもしれないけれど、158度くらいは違うグループである。特に初期のストローブスではエレクトリック・ギターはほとんど使用されていない。またキーボードもピアノやオルガンが主で、たまにハープシコードやクラビネット、ごくまれにメロトロンを使用するぐらいだったから、これまたイエスとは大きく異なっていた。

 それでも私の中で、ストローブスはプログレ・バンドとして位置している。その音楽性が初期のトラッド志向から中期のプログレ志向やポップ志向とけっこう幅広いのである。その多様性が私の中ではプログレとして認識されているのだと思う。もちろんリック・ウェイクマンが在籍していたということもあったかもしれない。

 リックが在籍していた当時のアルバムは2枚だけで、ライヴ・アルバムの「骨董品」と「魔女の森から」である。

 「骨董品」は1970年7月11日にロンドンのクィーン・エリザベス・ホールで行われたライヴを収録したもので、リックが正式に参加を表明した最初のアルバムである。いきなりボブ・ディランのようなフォーク・ソングで始まる。

Just a Collection of Antiques & Curios Music Just a Collection of Antiques & Curios

アーティスト:Strawbs
販売元:Universal I.S.
発売日:1999/01/26
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 ここでのリックは、主にピアノやオルガンをメインに弾いていて、特に3曲目の"激しき心"というインストルメンタル曲では、その華麗なるピアノ技を披露している。面白いのはこの曲では後の「ヘンリー8世の6人の妻」の中に出てくるフレーズがすでにここで使われていることだ。やはりプロ・ミュージシャンでも手癖というのは隠せないのであろう。

 「魔女の森から」は1971年に発表された彼らの4作目となる作品である。彼らの中では傑作の部類に入る作品のようであるが、個人的にはどうもピンと来ない。たぶんロックの持つ疾走感や新鮮さというものとはかけ離れているからであろう。何しろトラッドでフォーキーな作品なのだから。

From the Witchwood Music From the Witchwood

アーティスト:Strawbs
販売元:Universal I.S.
発売日:1998/09/29
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 ここでもリックは、自分の存在感を示すかのごとく、前作以上にオルガンなどのキーボードを演奏している。8曲目の"Shepherd Song"では珍しくメロトロンなんかを弾いていて、結構いい曲もあるのである。また10曲目の"I'll carry on beside you"では電気ギターも演奏されていて、前作よりはロック寄りになっている。

 残念ながらといっていいのか、イエスのファンからすればよかったといわれるかもしれないが、この2作でリックはストローブスを離れることになった。やはりイエスのほうが自分の可能性を試せると判断したに違いない。実際にもそうなったのだから・・・

 それでも2003年には、リックとストローブスのリーダーであるデイヴ・カズンズの2人は「ハミングバード」というアルバムを共同で制作して発表している。その意味では、決して喧嘩別れではないのである。いまだに交流は続いていたのであろう。
 あのリックにしては珍しいことで、たぶんデイヴ・カズンズの人柄が良いのであろう。

 ストローブスに関しては後の作品の方が名盤だと思っている。それらについてはまた来年くらいに紹介しようと思う。ちょっと季節的にずれるからだ。ただストローブスに関しては、いいバンドだと思っている。これからもこのブログで良質のバンドやミュージシャンを数多く紹介していこうと思っている。

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2007年11月26日 (月)

アメリカでの朝食

 「アメリカでの朝食」を英語にすると「ブレックファスト・イン・アメリカ」になる(と思う)。以前このブログでも紹介したが、スーパートランプの6枚目のアルバムのタイトルである。

Breakfast in America Music Breakfast in America

アーティスト:Supertramp
販売元:Universal
発売日:2003/09/01
Amazon.co.jpで詳細を確認する

1979年に発表されたアルバムで、早いものでもう発売から28年にもなる。ほんのつい最近のように思えるのだが、時の流れというのは過ぎ去ってみれば早いものである。

 このアルバムを聞くと、深まりゆく秋を思い出してしまう。ちょうど学園祭シーズンで東へ西へと車を走らせながら、カセットでよく聞いたものである。
 何をしに学園祭に顔を出したのかというと、ヒマだったのと、けっこう有名なミュージシャンが演奏に来ていたのだ。

 たとえばジャズ・ミュージシャンの坂田 明や山下洋輔を初めて見たときはビックリした。ひじを使ってピアノを弾く人なんか奇想天外というか、自分にとってはカルチャー・ショックだったのだ。それでいて、きちんと正統的な演奏もするわけで、今でもまだまぶたに焼き付いている。
 しかもこれがフリー・コンサートだったのだから、二重の驚きだった。また、アマチュア・ミュージシャンのコンサートなどもセミプロ級の人やグループがいて、これもまた自分のような素人には新鮮に写ったものだった。

 それでスーパートランプである。このアルバムはポップ性とプログレッシヴな面とが程よくブレンドされていて、微妙なバランスの上に成立しているのである。たとえば10CCやELOのような音楽性を内包していると思う。

 もちろん"Logical song"、"Breakfast in America""Goodbye stranger"などのシングルヒットも手伝って、売れたという印象もある。("Breakfast in America"は日本だけでのシングル・カット)
 しかしそれだけではない。このアルバムの中でプログレ的雰囲気を残している曲がとてもイイのである。

 たとえば"Take the long way home"ではエレクトリック・ピアノとハーモニカ、クラリネットがいい雰囲気を出しているし、バックの多重録音されたオーケストレーションがさらに盛り上げてくれている。

 次の曲"Lord is it mine"もしっとりした重厚な雰囲気を醸し出してくれている。
「なぜ私が一人になる必要があるのか
その理由はよくわかる
自分自身の居場所を思い起こすために
私には静かな場所が必要なのだ
それは私の物なのでしょう、神よ
私にはそれが許されるのでしょう?

この人生での争いごとに疲れてしまっても
あなたの存在が私にとって唯一の心の休まるもの
そう何度も信じてきました、神よ
私にもそれが許されるのでしょう」
(訳プロフェッサー・ケイ)

 シリアスな曲である。この曲と次の曲は落ち込んだときに繰り返しよく聞いたものだった。次の曲とは"Just another nervous wreck"(神経衰弱を吹き飛ばせ)である。
 すべての曲のクレジットは作詞・作曲リック・デイヴィス&ロジャー・ホジソンとなっているが、たぶん実際は、その曲のリード・ボーカルをとっている人がその曲を作っているものと思われる。
 だから"Take the long way home"と"Lord is it mine"はロジャーが、"Just another nervous wreck"と"Casual conversation"はリックが作ったに違いない。

 しかし最後の曲、"Child of vision"はロジャーとリックの共同作品ではないだろうか。基本的なベースはロジャーが作り、リックが手を貸したような気がする。ふたりの掛け合いがあるからだ。
「えーと、君はだれが君の事をからかっていると
思っているのかい
君は楽しんでいると言っているが
ただ単にどこにも行くところがないのだろう
ただ太陽のもとで寝転がっているだけだ
英雄になろうとしているんだろう
完全犯罪を犯したように
しかしお金を手に入れて
踊ったり時間を浪費しているだけだ

君は水に溺れている
君はワインを転がしている
君は自分の体と心を汚している
君は僕にコカコーラをくれた
君はおいしかったという
君はテレビを見ている
君にとっては必要なことだというけれど

どうやったらこんなふうに生きられるんだ?
(変だとは思わないのか)
何か言いたいことがあるに違いない
(なぜ変えないといけないのか教えてくれ)

僕たちには闘う理由なんかないんだ
なぜなら自分たちが正しいと分かっているから
子どもの見方、聞いてみないか
自分の中に新しい希望を見つけるんだ」
(訳プロフェッサー・ケイ)

 解説によるとイギリス人から見たアメリカ人の生活様式やアメリカ流の大国主義を批判している曲らしい。なるほど確かにコカ・コーラやハンバーガーはアメリカを象徴するものだしなあ・・・
 最初に述べたように、このアルバムは売れた。計6週にわたってビルボードNo.1になり、アルバム・チャートには88週に渡ってランクインされた。この年を代表するアルバムだった。

 それで秋も深まると、懐かしい思い出とともにこのアルバムのこともまた思い出すのである。

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2007年11月25日 (日)

メイド・イン・ヘヴン

 某車会社の新車発表のCMがTVで流れていた。そのときにBGMとして流れていたのがクィーンのアルバム「メイド・イン・ヘヴン」の中にあった"It's a beautiful day"であった。

 このアルバムは1995年に発表されたもので、当然のことながらフレディ・マーキュリーの死後発表されたものである。

Made in Heaven Music Made in Heaven

アーティスト:Queen
販売元:Toshiba
発売日:1995/11/07
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 ある意味企画物というか、追悼盤という意味合いが濃いのだが、それでも亡くなる直前のフレディのボーカルに演奏を追加して録音した曲も含まれている。
 ただアルバム1枚としては曲数が少ないので、数曲は各自のソロ・アルバムから再録されている。

 その数曲とは、"Born to love you"、"Made in heaven"は1985年に発表されたフレディの「Mr.バッド・ガイ」から、"Too much love will kill you"は92年のブライアン・メイのアルバム「バック・トゥ・ザ・ライト」から、"Heaven for everyone"はロジャー・テイラーのリーダー・バンド、ザ・クロスの88年のアルバム「愛の大陸横断」からそれぞれ録られている。

 それらの曲とプラス未発表曲で構成されたものであるが、やはり聞いていて切ない感じがするし、"A winter's tale"などはある意味、清涼かつ静謐とした諦観が漂うものになっている。

 不思議なのは、アルバム全11曲が終わったあとに、約22分弱に渡って、環境音楽のような音が続くのである。シンセを中心としたキーボードが中心なのだが、ノイズとも違うし、ムーディな音楽でもない、まさに“メイド・イン・ヘヴン”(天国で奏でられるよう)な音なのである。

 うがった見方をすると、数合わせならぬ音合わせのような感じで、このノー・クレジットの音があるからこそ、アルバムにふさわしい分量になったような気もする。ボーナス・トラックという記述もないし、それこそクィーンからファンに贈られた最後のプレゼントなのかもしれない。

 冒頭の"It's a beautiful day"は1曲目と最後の11曲目にリプライズとして収録されている。CMに使われているのは、リプライズの方なのだろうか。
 この時期に使用するというのは企業の戦略なのだろうか、それとも純粋に新車の発表がこの時期になったので、BGMとして採用したのだろうか。
 よく分からないが、いずれにしてもコアなファンから見れば、望外の喜びになるに違いない。

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2007年11月23日 (金)

オペラ座の夜

 どうもイギリスのバンドには伝統的に音楽と演劇をミックスしたシアトリカルなステージ演奏を披露するのが多いようで、その中には、結構国民的な人気を博しているものもあるようだ。
 例えば、このブログでも紹介したジェスロ・タルをはじめ、センセイショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド、デヴィッド・ボウイ、最近ではロックではないものの、アンダーワールドやダフト・パンクなどのダンス系も斬新な映像を駆使したステージ展開をしているので、その系統に入れてもいいだろう。
 また、ニュー・ヨーク出身のシザー・シスターズは本国よりもイギリスで人気が出て、世界的に有名になっていった。それもユニークなステージが受けたというのも一因だといわれている。

 やはりシェイクスピアの時代から国民の中に演劇に対する親近感というか、それだけ浸透していると思うのである。
 それで、クィーンであるが、彼らもこれだけいまだに人気があるというのも、当然のことながら楽曲の良さもあると思うが、4人の個性が共鳴し、高まりあうそのステージにもあると思う。

 その中で、やはりボーカルのフレディは群を抜いている。というか、ボーカリストとしての歌のうまさだけでなく、そのコスチュームやパフォーマンスがユニークなのである。何しろ4オクターブの声と胸のはだけた白や黒のバレエのタイツ、もちろん胸毛がモジャモジャなのだが、それでオペラティックに歌い、華麗な?ステップをするのだから、どう考えても普通は変である。
 また80年代以降はゲイ的な衣装でも歌ったりしていた。(もちろん本人がゲイだからそれはそれで理由があるのだろうが)

 それを不自然とは思わせずに最後まで聴かせてしまうのだから、さすがフレディである。ボーカリストとしての技術だけでなく、自分に対する自信がそうさせているのであろう。

 1stから出すアルバム出すアルバムがヒットして行き、世界的に人気が出てきた彼らが満を持して発表したのが、4thアルバム「オペラ座の夜」である。1975年の11月(日本では12月)であった。

A Night at the Opera Music A Night at the Opera

アーティスト:Queen
販売元:Hollywood
発売日:1991/09/03
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 これはクィーン版“ホワイト・アルバム”というべきもので、ハード・ロックからバラード、アコースティック、ボードヴィル調など様々なジャンルの音楽が、それこそ万華鏡のように輝いているのである。

 彼らの音楽の特徴として"No Synthesizer music"と1stアルバムからずっとクレジットされているが、シンセサイザーを使わないでギターやピアノを中心としたキーボード類を中心に音を重ねたその音楽は、驚異的でもあった。

 そしてこのアルバムで、俺たちはハードなロックだけではないのだぞ、こんなこともできるんだと高らかに宣言したのがこのアルバムだと思うのである。
 その1つがベーシストのジョン・ディーコンが作曲した"You're my best friend"である。聞けばわかるが、ポップ・ソングである。あの「クィーンⅡ」で見せたロックンロールはこの曲では聴くことができない。

 そして世紀の名曲"ボヘミアン・ラプソディ"が含まれているのも、このアルバムである。6分近いこの曲で、彼らは初めて全英No.1を獲得した。アルバムも初めて全英でNo.1になった。(アメリカでは4位だった)
 この曲を録音するだけで180回のオーヴァーダヴィングを繰り返し、完成させるまでに約3週間かかったという。確かにオペラのようなコーラス部分は昔からのクィーン・ファンもビックリしたに違いない。
 しかし静~動~静という曲展開は見事だし、フレディのピアノやブライアンのギターもドラマティックに盛り上がっていき、最後のロジャーの銅鑼の音まで聞き手を離さない。本当に名曲である。

 このあとアルバムは英国国歌"God save the Queen"で幕を閉じる。このアルバムもまたトータル・アルバムであった。

 翌年、彼らはこのアルバムの対になるニュー・アルバム「華麗なるレース」を発表した。前作が白っぽいアルバム・ジャケットだったのに対して黒を基調としたアルバムだった。また内容も前作と同じく多彩な音楽性を発揮したものだった。

A Day At The Races [+2 Remixed] Music A Day At The Races [+2 Remixed]

アーティスト:Queen
販売元:Hollywood
発売日:1991/03/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 唯一の違いはプロデューサーのロイ・トーマス・ベイカーと袂を分かったということだろう。

 この頃のクィーンはそれだけ創作意欲と創造性がピークに向かいつつあったということかもしれない。このあと彼らは世界の頂点を極めながらも、折からのディスコ・ブームや黒人音楽に肩入れを始めてしまった。そのせいか徐々に失速していったのである。

 ともかく12月も近くなると、クィーンやフレディがやたらと恋しくなるのであった。 

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2007年11月21日 (水)

クィーン

 11月といえばクィーンである。というよりもフイレディ・マーキュリーが亡くなった日が1991年の11月24日だから、11月といえばクィーンやフレディを思い出すのであろう。

 クィーンはいまだに人気のあるグループである。何しろフレディが亡くなったあとも、一時解散状態であったが、昨年ポール・ロジャースを加えてコンサート活動までしているのだから、日本だけでなく諸外国でもその人気は根強いものがある。(しかし果たしてそれをクィーンと呼んでいいのか悪いのかは論議の的である)

 個人的に初期のアルバムで一番好きなのは、「クィーンⅡ」である。初めて聞いたのは中学生のときだったが、今から思えばやはりロックとは疾走感であり、単純にカッコいいと思えるものが一番いいということを証明しているアルバムだと思う。当然のことながら、結果的にも売れた。

Queen II Music Queen II

アーティスト:Queen
販売元:Hollywood
発売日:1991/10/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 当時はLPレコードだったのだが、A面をホワイト・サイド、B面をブラック・サイドと銘打っており、A面では1曲1曲が独立したものになっているのに対して、B面では曲がつながっており、華麗なる組曲といった構成になっている。

 確かその当時はレッド・ゼッペリンとイエスを足して2で割ったような音楽と形容されていたような気がする。確かにこのアルバムを聞けば、そういう印象も受け取ることができると思う。

 このアルバムの聞き所は、やはり"Ogre Battle"から"The seven seas of Rhye"までの組曲形式になった後半部分だろう。日本では、今でいうグラビア・アイドル並の人気を誇っていたが、このアルバムを聞けば、人気だけでなく実力も充分に備えているロック・バンドだということが分かった。

 また彼らのプロデューサーでもあったロイ・トーマス・ベイカーの手腕も大きいと思う。この流れるような形式はロイの得意とするところであり、彼らのヘヴィな音楽観やポップなサビの部分が強調されるような音作りは、彼の存在があったからこそだと思われるのだ。

 またこれは余談だが、ビートルズは4人とも全員労働者階級の出身で学歴もなかったが、クィーンは全員中流階級出身であり、フレディーはアート・カレッジ出身のイラストレイター、ブライアン・メイは天文学博士の学位を持ち、ロジャー・テイラーは生物学士の学位を持つ歯科医師であり、ジョン・ディーコンは大学で電子工学を専門に学んでいるインテリ・バンドであった。
 中学生の頃はやはり自分の将来が不安なのか、そういうことを考えながら、あらためてクィーンとはすごいバンドだなあと思ったものである。

 でもいま考えてみれば、ロックという音楽にはそういう魅力というか魔力みたいなものが潜んでいるということなのだろう。博士号の学位を投げ捨て、安定した職業をも放棄し、将来の見通しもないロック・ミュージックにこの身を投げ打つことができるほど、何が彼らにそう決心させたのか。それを考えると、意外と面白いのではないだろうか。

 若さゆえの特権とか、一時の気の迷いといってしまえばそうかもしれないのだが、それだけでは味気ない。大のおとなをして、夢中にさせるマジックをロックは内包しているのである。

 話はそれてしまったが、とにかく「クィーンⅡ」はいろいろと考えさせてくれる充分に刺激的なアルバムなのだ。

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2007年11月16日 (金)

エミネムのこと

8 Mile DVD 8 Mile

販売元:ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
発売日:2006/09/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンに、新しいアトラクションとして「ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド」というジェット・コースターがある。私もつい先日、それに一日2回も搭乗してしまったほどの面白さである。

 このジェット・コースターの売りは、自分のお気に入りの音楽を選択し、それを聴きながら宙を舞うことができる点だ。
 選択できる曲は洋楽が3曲、邦楽が2曲の計5曲の中から1曲だけである。洋楽はボン・ジョヴィとビートルズの"ゲット・バック"、そしてエミネムの"Lose yourself"なのだ。

 そしてジェット・コースターに乗るというこの特殊な状況にピッタリな曲をこの3曲から選べといわれれば、やはりエミネムの"Lose yourself"であろう。

 エミネムといえば、アメリカの白人ラッパーである。1972年10月生まれで、本名をマーシャル・ブルース・マザーズ3世というらしい。
 それがなぜエミネムというのかは、はっきりしていない。一番有力な説は自分自身のイニシャル“M&M”を早口に言ったらエミネムになったというものであるが、彼自身別に何とも思っていないし、気にしないと思う。そんなの関係ねえとは言わないだろうけれど・・・

 また自分自身の中に別の人格“スリム・シェイディ”が存在するともいって、自作曲の中に何度も登場させている。
 なぜそんなことになったのかというと、現実逃避である。彼は極度の貧困の中で育ったからだ。両親は離婚し、母親は2,3カ月おきに転々と引越し(というか正確には移動といったほうがいいかもしれない)を繰り返していて、学校にも通えども、いじめを受けたり、仲間はずれにされたようである。

 だから小さい頃から自分の中に違う自分を見つけて、何とか正気を保っていたのではないだろうか。
 そして14歳頃からラップ・ミュージックに興味を持ち、MCとして活動するようになった。この辺の事情は、彼の自伝的映画「8マイル」に詳しい。

 この映画にはラップ・バトルのようなものが登場し、その技量を競い合うシーンが見られるが、実際にエミネムもこういうバトルを経験して、技術を身につけたようである。

 彼は白人社会からも見離され、黒人からは白人のラッパーとして軽蔑されていた。白人にラップなどができるわけがないという偏見の目で見られていたからだ。
 だから彼は別人格を設定することで、その対象から離れ、同時に自分を客観視することができたのだと思う。何度も自殺をしようと考えたらしいが、それをしなかったのも本能的に危険を回避しようとしたのだろう。

 それで「8マイル」のなかで挿入されていた曲が"Lose yourself"なのである。この曲は2003年度のアカデミー歌曲賞を受賞している。

 それまでの私は、ラップ・ミュージックなどはゴミだと思っていた。理由は、音楽的に進化がない、ワンパターンのリズムと日本人には意味不明の歌詞、そしてその多くは社会への不満や不平、怒りなど、およそ理性とはかけ離れたものばかりだと思っていたからだ。ついでにそのファッション性、だぶだぶの腰パンツにパーカーもワン・パターンだった。

 ところがその思い込みを打破してくれたのが、エミネムの音楽だったのだ。彼のラップにはメロディやストーリーが存在しているのである。

 疑う人には"Like toy soldiers"や"Mocking bird"、"Stan"、"When I'm gone"などを聴いてみるといい。そこにははっきりとしたメロディとストーリーを発見することができる。
 またラップがこれほどまでに攻撃的になれるのかと驚いたことも事実である。エレキ・ギターのアンプで増幅された音やキーボードの技巧的な旋律などなくても、充分にロックなのである。そう、自分にはヒップ・ホップでもラップでもなく、まさしくこれはロックとして聞こえるのである。

 現実との矛盾に悩む姿や、社会批評性、疾走感などをすべてひっくるめて表現した音楽がラップなのだろう。そこには楽器を持つ必要もなく、言葉だけですべてを表現できる先進性も見られる。

 これもまたロックの進化形なのかもしれない。そんなエミネムを知りたい人は、今までのベスト・シングルを集めた「カーテン・コール~ザ・ヒッツ」がお勧めである。

カーテン・コール。~ザ・ヒッツ デラックス・エディション Music カーテン・コール。~ザ・ヒッツ デラックス・エディション

アーティスト:エミネム,ドクター・ドレー,エルトン・ジョン,ダイド,ネイト・ドッグ,ノトーリアスB.I.G.,D12,ジェイ・Z
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2005/12/02
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2007年11月15日 (木)

アーサー王と円卓の騎士

 「アーサー王と円卓の騎士」といえば、リック・ウェイクマンの3枚目のソロ・アルバムのタイトルである。(正確にいうと4枚目、1971年にエルトン・ジョンやジェイムス・テイラーの曲をオーケストラと競演しているアルバムを発表している。ただし本人はソロ・アルバムとは認めていない)

Myths & Legends Of King Arthur & The Knights Of The Round Table Music Myths & Legends Of King Arthur & The Knights Of The Round Table

アーティスト:Rick Wakeman
販売元:Universal
発売日:1990/10/25
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 リック・ウェイクマンといえば、イエスの2代目キーボーディストだった人だ。もともと4歳からクラシックを学び、高校卒業後はバンド活動を続けながら、ロイヤル音楽カレッジに通い、より専門的にクラシックを学んだ。

 デヴィッド・ボウイの1970年のアルバム「スペイス・オディティ」でメロトロンなどのキーボードを演奏したことから、脚光を浴びストローブスに加入。トニー・ケイが脱退したことから1971年には22歳の若さでイエスに引き抜かれて加入した。

 その後の活躍は省略するが、彼の演奏スタイルなどはその後のロック史に深く影響を与えた。
①まずキーボードを積み重ねて演奏するスタイル。彼のまわりにシンセサイザー、クラビネット、ミニ・ムーグ、メロトロン、エレクトリック・ピアノなどをぐるりと配置し、積み重ね、必要なときに必要な音を出せるようにした。

②運指の速さ。キース・エマーソンをして、俺のパクリだといわせた華麗なる指使いはその後のキーボーディストに影響を与えたらしい。ただリックの場合は、エマーソンに比べて、ジャズやブルーズの影響は少ないように思われる。

③ステージ衣装のカッコよさ。彼は長い金色の髪が特徴だったが、それだけでなく長いマントのようなものを着ていた。そして左右にあるキーボードを演奏するときは、両手を広げて、まるで吸血鬼ドラキュラのような姿で演奏をしていた。
 またその姿を上から大きな鏡を吊り下げて、反射させていた。それを大掛かりにしたのがジェネシスだった。彼らは3枚の鏡を、コンピューターを使って動かして客席に見えるようにしていた。

 彼はイエスの中でたった一人菜食主義者ではなく、また好んでビールなどのアルコールを飲んでいた。それが原因というわけでもないのだろうが、何度もイエスを脱退、加入している。
 またわがままな性格ともいわれ、他のメンバーがソロを演奏中にカレーを食べたり、ビールを飲んだりしていたという。だからアルコール中毒で入退院を繰り返していた。また若い頃は痩せていたが、年をとるにしたがって太くなっていった。

 それでこの「アーサー王と円卓の騎士たち」は1975年の4月に発表された、イエス脱退後のアルバムである。イエスの他のメンバーたちがソロ・アルバムを出す前に発表していたことから、かなり前から準備していたと思われる。メンバー間で競争でもあったのだろうか?

 しかしセールスからいえば、リックの作品の方に軍配が上がる。リックの初期三部作といわれる「ヘンリー8世の6人の妻」「地底探検」「アーサー王と円卓の騎士たち」はいずれも世界的に売れた。特に「地底探検」はアルバム・チャートで英1位、米3位と大ヒットした。

 それを受けての新アルバムである。リック自身もこれは売れると自信があったのではないだろうか。確かにこのアルバムも全英2位、全米21位まで上がっている。

 前作との共通点はオーケストラやコーラス隊を使用していることで、相違点は前作がライヴ盤だったのに対し、今作はスタジオ盤になっている。そのせいか緻密な音作りになっている。
 ボーカリストを2人起用している点も同じで、バリトン気味の声質とアルト気味の声質がうまく絡まって、全般的に盛り上げている。

 サウンド的にもキャッチーな部分が目立ち、アルバムを発表するたびにポップになっている気がした。特に3曲目の"王妃グネヴィア"はいい曲である。しっとりしたピアノに導かれて、2人のボーカリストが歌っているが、バックのコーラス隊やシンセサイザーが効果をよりいっそう深めている。
 アーサー王伝説によれば、このグネヴィアはアーサー王の信頼していた部下であるサー・ラーンスロットと恋愛関係にあったとされている。今も昔は男女の関係はあまり変わりはないようだ。

 リックの目指していたことは、ロックとクラシックの融合である。この初期3部作でその目的はほぼ達してしまったように思える。だからというわけではないのだが、この後のリックは、音楽性を広げていき、映画のサウンドトラックや冬季オリンピックのテーマソングなどを手がけるようになった。

 彼のオフィシャルな作品は2007年現在で80点以上を数えており、企画盤を数えるとおそらく100点以上にはなるのではないか。それほどの多作家である。ちなみに子どもも6人いて、長男のアダム・ウェイクマンは、一時イエスに加入しないかと打診されたときがあったということだ。90年代にリックも長男とウェイクマン&ウェイクマンという名前で一時活動していた時期もあった。

 このアルバムを本格的に聴いたのは大学に入学してからであった。そのときにコール・レティッヒ(要するに大学の合唱部)に所属していた先輩に、このアルバムを聴かせたことがあった。
 そのとき、先輩はなかなかいいアルバムだといいながら、そばにあったギターでいきなり伴奏してくれた。要するに耳コピーである。コードだけだったが、ほとんどA面全部を伴奏してくれたのには驚いた。さすが部長で指揮者だけあった。現在ではカワイ楽器の店長をしている。

 リックが一番輝いていた時期だと思う。そういう意味で「地底探検」とこのアルバムは、彼のソロ作品を代表するものになっているのである。

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2007年11月14日 (水)

サンヒローのオリアス

 イエスのソロ・アルバム・シリーズの第3回である。今回はイエスのリーダーであるボーカルのジョン・アンダーソンのソロ・アルバムを取り上げることにした。

 1944年生まれのジョンは今年で63歳になった。最近の活動として、2004年には大規模なワールド・ツアーを行ったが、最近は沈黙している。少なくとも2008年まではイエスとしては活動しないようである。だから、スティーヴ・ハウはエイジアの一員としてツアーを行っているのだろう。

 さて、そのジョンが1976年の5月に発表した初めてのソロ・アルバムが「サンヒローのオリアス」という非常に観念的なアルバムだった。私にとって観念的というのは、聴いてもすっきりしなくて、肩が凝るような音作りということである。

Olias of Sunhillow Music Olias of Sunhillow

アーティスト:Jon Anderson
販売元:Wounded Bird
発売日:1998/09/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 だいたいロック・ミュージックというのは、カタルシスを得てはじめてロック・ミュージックと呼ばれるものだ。そのカタルシスは、きれいなメロディーであったり、メタリックな大音量であったり、電子音楽機器を使った異質な音であったり、方法は様々であるが、とにかくリスナーが聴いてスカッとしないといけないものである。

 ロバート・プラントの金属的なボーカルに絡みつくジミー・ペイジのヘヴィーなリフや、キング・クリムゾンの壮絶なインプロヴィゼーションとそれとは対照的なメロトロンの荘厳さ、2分間に凝縮されたパンク・ロックの怒りの表現等々、カタルシスを与えてくれるアーティストには事欠かない。

 しかし、このジョンのソロ・アルバムには、後半になればなるほどカタルシスを得ることができなくなってくるのである。聴いてて息苦しくなってくるばかりだ。

 私がこのアルバムを初めて聴いたのは、友だちが録音してくれた1本のカセット・テープからだった。あれは6月くらいの雨の日の夜だったと思う。このアルバムを聴くと、なぜかしとしとと降る雨の夜を思い出してしまうのだ。Jon_anderson_1978

 それに他のメンバーのソロ・アルバムはそれなりに個性というか、独自性が出ているが、ジョンのアルバムにはそれがないのだ。つまりジョン=イエスなのだから、彼のソロ・アルバムを聴いても、イエスのアルバムを聴いているような錯覚にとらわれてしまう。
 それどころか、イエスのほうがもっと開放されている感じだ。なんか無理して自分のアイデアを音にしましたみたいだ。音が溢れ出てくる感じではなくて彼のアイデアに無理やり音を合わせたようである。

 そのアイデアというのが、このアルバムのストーリーである。サンヒローとは地名であり、オリアスとは人名である。他にランヤート、コクアクという人物が出てくるが、この3人が主人公で、3人でムアグレードという船を作り、宇宙に飛び出すのである。詳細はアルバムの解説を読んでもらえれば分かるので、ここでは割愛する。

 それでも当時のLPのA面、"オーシャン・ソング"から"ムアグレードの飛行"までは、まずまずである。硬くなったイエスという面はあるが、それなりに曲が続いていて、組曲形式になっている。また"ムアグレードの飛行"なんかは、結構いい曲である。シングル・カットしてもいいのではないか、と思うほどだ。

 問題はB面、"ソリッド・スペース"から最後の曲、"走者"である。この部分を聞きながらときどき眠り込んだこともあった。A面は起承転結があるのだが、B面にはそのメリハリがないのである。これが一番の原因だと思う。もうちょっとなんとかしてほしかった。

 ただ当時のイギリスのメロディー・メイカーという音楽雑誌の調査による売り上げでは、最高位12位で、メンバーの中で一番の売り上げを記録したという。どうなっているんだ、イギリス人の耳は。やっぱりイエスの幻影を追い求めていたのだろう。

 その後、ジョンはヴァンゲリスと一緒にアルバムを制作したり、自分自身でアルバムを出したりしていた。ソロ・アルバムの音の傾向としては、イエスから離れて自分の個性を発揮するようになった。というか、出すアルバムごとに音の傾向が変わっていった。ポップになったり、ブラジル音楽を取り入れたりしていたが、イエスのような音楽にはなっていないようだ。

 それで今回のジョンのアルバムでこの企画も終わりになる。ほんとは、パトリック・モラーツの「Story of i」とか、アラン・ホワイトの「ラムシャックルド」が残っているのだが、別の機会に譲ることにする。別の機会があればの話だが・・・

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2007年11月13日 (火)

クリス・スクワイア

 さて前回に引き続いての、イエス・メンバーのソロ・アルバム特集である。今回は個性派集団イエスの中で、メンバー・チェンジや脱退、再加入を経験していない、唯一のオリジナル・メンバーであるクリス・スクワイアのソロ・アルバムを紹介する。

 1975年11月に発表された「未知への飛翔」は、2007年11月現在クリスにとって唯一のソロ・アルバムである。ひょっとしたら最初で最後のソロ・アルバムになるかもしれない。5人のメンバーの中で2番目に発表されたアルバムでもある。

51wattndgul Music Fish out of Water

アーティスト:Chris Squire
販売元:Castle Us
発売日:2007/08/14
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 それまでベーシストによるソロ・アルバムを聴いたことがなかったので、正直言って聴くまで不安だった。しかし聴いてみると、ある意味スティーヴ・ハウの「ビギニングス」よりもカッコよかったと感じた。
 それはスティーヴのアルバムはある程度予測できたし、なるほどこういうものかという印象もあったのだが、クリスのアルバムは予測がつかなかったからかも知れない。

 最初の曲"Hold out your hand"からクリスのソリッドなベース・ソロが展開される。同時にビル・ブラッフォードとの息のあったリズム・セクションが披露されて、ファンにとってはたまらないのだ。基本的にキーボードとベース、パーカッションとで構成されている曲で、高音と低音が強調されたリード・ギターのような彼のベース・プレイに圧倒された。

 次の曲"You by my side"と切れ目もなくつながっていて、この曲がまたいい。このアルバム唯一のメロディックな曲で、途中で挿入されるジミー・ヘイスティングスのフルートがいい雰囲気を醸し出している。

 さらに曲後半の盛り上げ方も微妙に力が入っていながらも、上手にまとめていると思う。何しろバック・ミュージシャンが先ほどの、ビル・ブラッフォードをはじめ、キャラヴァンのジミー・ヘイスティングス、サックスにキング・クリムゾンのメル・コリンズ、キーボードがイエスのパトリック・モラーツなどの豪華メンバーで固められているからだ。

 これらのメンバーが演奏を盛り上げるのだから悪いわけがない。"You by my side"には後半部分にホーンやブラス、ストリングスもかぶさってくる。そして3曲目の"Silently falling"につながっている。

 またこの曲もかっこいい。やはりリズム陣がタイトなせいか、曲が締まって聞こえる。メロディはゆったりとしているのだが、リズムは激しい。3分45秒を過ぎたあたりから、キーボードとリズム陣の掛け合いが始まるのだが、これが非常にアグレッシヴで、ビル・ブラッフォードの手数は多くなるし、モラーツはキース・エマーソン以上に動きまくっている。それにスクワイアのベースがかぶるのだから、これはもう悶絶モノである。

 イエスのアルバム「リレイヤー」でもこれほどまでの展開は、あまり聞かれなかったように思う。それほどの出来栄えである。6分過ぎまでの約2分間はプログレ史上に残る名演だと思う。それにこの曲は起承転結がハッキリしているので、聞いてて飽きないのだ。

 全体的に文字通り「黒い」アルバムである。ジャケットが黒いし、印象的にも日中聴くよりは夜に聴くにふさわしいアルバムと思う。

 このアルバムを聴くと、当時の友人が家を出てテント暮らしをしていたことを思い出した。その人は別に家出をしたわけではない。気分転換にと、家にあったテントを持ち出して、海岸にそれを張り、その中で3日間ほど過したのだ。

 違う友人からその話を聞いて、様子を見に行ったというか、遊びに行ったというかそういうことを思い出した。確か高校生くらいのときだった。時期的にも10月くらいだったと思う。なかなかユニークな人だった。

 そういえば高校時代の同級生にクリス・スクワイアとそっくりの女の子がいた。たぶんもう結婚しているだろう。本当によく似ていた。あとで卒業アルバムを見てみることにしよう。

 4曲目の"Lucky seven"はクリスのベースと、メル・コリンズのサックス、ブラッフォードのパーカッションが強調された曲である。本当にクリスのベースは1オクターブ下げたリード・ギターのようである。彼はポール・マッカートニーと同じように、ピックを使って弾いているのだが、ピックを使った方が指よりも速く弾けるのかも知れない。

 このアルバムを聴くと、バンドというのはギターがなくても充分鑑賞に堪えうるのだ、ということが分かった。

 またこのアルバムの特徴として、歌詞が分かりやすい、しかも恋愛のことを歌った曲もある、イエスのようなプログレッシヴ・ロックというより、キャラバンのような少しジャズ的なテイストを持ったインタープレイ中心の音楽という感じ、などがあげられると思う。

 最後の曲が唯一、プログレっぽい印象を与えてくれる。確かにこのアルバム中一番長い曲ではあるが、無理に長くしようとする印象が強い。そんなに引っ張らなくてもいいのに、と聴くたびに思うのだ。
 とにかく同じ旋律が何度も何度も繰り返し出てくるのには少し閉口した。(約15分近い曲である)13分を過ぎて、やっと終わったかなと思うと、まだベース音が鳴っているのである。

 それでこのアルバムにあるプログレらしくない音は、彼が幼い頃から聖歌隊で歌っていたことと関係がありそうで、イエスというグループの中で、抽象的な歌詞や技巧的な作曲はジョンとスティーヴが主に担っていて、コーラスや歌唱方法、音を重ねて盛り上げていくやり方などはクリスが担当しているのではと思っている。

 だからこのアルバムを聴くと、意外にポップな音作りや上手な曲構成が耳に残るのである。これはクリスの資質からくるのであろう。

 ところでFIsh(フィッシュ)というのは、クリスが魚座なので、彼にニックネームとしてつけられたものである。だから、イエスのアルバムにときどきfishというタイトルがついているのを目にするが、それはクリスのことを指しているのである。Chris_squire_1978

 そしてこのアルバムのタイトルが「Fish out of water」で、日本語に直すと“水から出た魚”になるのだが、全体の印象は、まさに水を得た魚という感じがするのである。 

 

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2007年11月12日 (月)

スティーヴ・ハウ

 前回のイエスの「究極」についてのブログの中で、各メンバーのソロ・アルバムのことについて少しだけ触れたので、今回から3回シリーズで書いてみたい。

 第1回目はメンバー5人の中で、最初にソロ・アルバムを出したスティーヴ・ハウの「ビギニングス」についてである。このアルバムは1975年の10月に発表された。

Beginnings Music Beginnings

アーティスト:Steve Howe
販売元:Atlantic
発売日:1994/05/17
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 74年に「リレイヤー」を発表したあと、イエスは休止期間に入った。たぶんリック・ウェイクマンの代わりに加入したパトリック・モラーツと制作したアルバム「リレイヤー」があまり芳しくないセールスだったからではないだろうか。
 正確に言うとアメリカでは全米8位とそこそこ売れたのだが、イギリスでは4位に終わっている。その前後のアルバムが1位に輝いているので、やはりメンバーは、特にボーカルのジョン・アンダーソンは落胆したのではないだろうか。

 それで各メンバーが75年から76年にわたって、ソロ・アルバムを企画し、編集し、発表した。
 それで自分も発売されたときに真剣に聞いたものだ。特にこの季節になるとこのアルバムや、クリス・スクワイアのアルバムを聴いたものだ。

 イエスのギタリストらしく、自分の音楽観や世界を見事に描き出している。何しろ器用な人で、およそ弦楽器なら一通り上手に演奏している。最初の曲の"Doors of sleep"と2曲目"Australia"などはふたりで演奏して録音したものである。アラン・ホワイトのドラムス以外はすべて自分で演奏しているのだ。

 また"Ram"という曲は、ひとりでバンジョー、ドブロ・ギター、スティール・ギター、洗濯板などを使用して演奏したもので、イエスのコンサートでもよく演奏されたものだった。

 そういうミュージシャンなのだが、ボーカルだけはちょっと音域が狭くて、決して上手とはいえない。ちょうどビートルズのリンゴ・スターのような感じである。でもそういうところが聴いているファンに安心感を与えるのかもしれない。これでバリバリ歌えたなら、ひとりで独立しようとするだろう。ちょうど後にメンバーになったトレバー・ラビンのように。

 特筆すべきはアルバム後半の曲構成で、タイトル曲"ビギニングス"は弦楽四重奏にピッコロやフルート、オーボエ、バスーンを加えた本格的なクラシック曲になっていて、これがまたスティーヴの人柄を反映してか、非常に聴きやすくなっている。クラシック嫌いな人でもこれなら大丈夫だろう。
 途中にクラシック・ギターも入るので、まどろむ時や胎教にいいかもしれない。ここまでクラシックの素養があるとは思わなかった。

 個人的には"ウィル・オー・ザ・ウィスプ"や"歓喜の夜"などが好きである。高校生のとき夜にバイクで知り合いの家に行って、このアルバムを聴いたことを思い出す。そのときは秋なのに台風が迫っていて、強い雨の中を出て行った。
 もう遅くなったので帰ろうとすると、その先輩は泊まっていけと言った。泊まろうとしたのだが、とりあえず家に電話してみようと思い、電話したところ父親から帰って来いと言われた。予期していたとはいえ、当時はまじめで素直な少年だったから、雨の中をバイクで帰ったことを思い出した。

 個人的な話で申し訳ない。とにかく思い入れのあるアルバムだったのだ。それに"ウィル・オー・ザ・ウィスプ"にはメロトロンが演奏されていて、これはパトリック・モラーツが弾いているのだが、これが幽遠な印象を与えてくれる。

 モラーツで思い出したが、ゲスト・ミュージシャンは、先ほどのアラン・ホワイトやパトリック・モラーツ以外に、ビル・ブラッフォードが参加していて、最後の2曲でドラムを叩いている。以前にも書いたが、一発でブラッフォードだとわかる特徴的なドラムである。

 これ以降もスティーヴは、ソロ・アルバムを発表しているが、自分のボーカルを入れたアルバムは二度と発表されていない(と思う)。そういう意味では彼の器用な演奏とそうでもないボーカルを聞くことのできる貴重なアルバムなのである。

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2007年11月11日 (日)

究極のイエス

 高校生のときに、ある人から1枚のアルバムをプレゼントされた。それはイエスというグループが制作した「究極」と名づけられたアルバムだった。
 今となっては記憶の隅にあるので、はっきりとは覚えていないのだが、確か文化祭前のことだったように思えた。

 「究極」は原題を“Going for the one”という。直訳すると「1つを目指すこと、1つに向かって」というような意味だろう。当時のイエスの状況を素直に英語にしたものである。

Going for the One Music Going for the One

アーティスト:Yes
販売元:Rhino
発売日:2003/08/26
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 もともとこのグループは状況をアルバムタイトルにしたものが多く、例えば「こわれもの」、「危機」、「90125」、「Union」などがある。これらのアルバムはいずれも大ヒットした。不思議な話ではある。

 それでこのアルバムも大ヒットした。新生イエスと囃し立てられ、旧来のイエス・ファンも大満足のアルバムだった。
 何しろ当時は世界的にパンク・ロックが大流行し、ピンク・フロイドやレッド・ゼッペリンなど、ギター・ソロやドラム・ソロなどを延々とやるようなグループはジュラ紀の恐竜の生き残りとまで言われていたのだ。

 だからイエスもその例にもれず、若いパンクスからも攻撃された。しかしこの音を聴け、という感じで、それまでよりも若々しくリフレッシュしたサウンドになっている。

 1つには、75年から76年にかけて、メンバーの一人ひとりがソロ・アルバムを制作して、自己を分析していたという事情もある。まるで機械仕掛けの時計を分解して、油をさしたかのように、それまで以上により精密に動くようになったのである。(ソロ・アルバムについては後日述べたい)

 しかもアルバム・ジャケットがそれまでの幻想的なものから、現代的にアレンジされたものになっていた。これは少しショックだった。
 自分はロジャー・ディーンの描く「ここではないどこか」の世界が大好きだったからだ。あのジャケット・デザインを見ながらイエスの音楽を聴けば、メンタルな意味でトリップできたのである。

 それがヒプノシスになると、どうもピンク・フロイドをイメージさせるのか、それともイエスのようなカチッとした音の世界に合わないのか、いまいちピンと来なかったのである。やはりイエスとくれば、ロジャー・ディーンなのである。
 ただ、当時のオリジナル・ジャケットの中写真は、そのときの録音場所であったスイスのレマン湖?のほとりで佇んでいるメンバーの写真が掲載されていて、それがよりいっそう深まりゆく秋を連想させてくれたのである。(スティーヴだけバックは湖ではない)

 とにかく見た目から音の方まで、心機一転して制作しましたという姿勢がうかがえるアルバムだった。
 肝心の曲の方も、1曲目のアルバム・タイトル曲"Going for the one"ではスティーヴ・ハウがスライド・ギターをバリバリ弾いていて、第二の"ラウンドアバウト"だとまでいわれた。イエス流のロックン・ロールである。

 また2曲目の"世紀の曲り角"は、イエス流のバラード・ソングである。出だしのアコースティック・ギターからしていい味を出している。7分58秒の秋にふさわしい曲だ。途中からピアノがかぶさり、徐々にキーボード群が音に厚みをつけていく様は、心に染み入る名曲といっていいだろう。

 そして"パラレルは宝"はパイプ・オルガンがいい効果を出している。リック・ウェイクマンが演奏しているのだが、教会のパイプ・オルガンとスタジオの録音機とを電話回線でつないで録音したといわれている。
 ベースのアタック音がビンビン来るので、何となく「危機」の中の"シベリアン・カートゥール"に似ているなと思ったら、この曲はクリス・スクワイアが作った曲だった。

 "不思議なお話を"は3分台の短い曲で、イギリスではシングル・カットされ、ベスト10に入ったという。確かにこのアルバムの中では、メロディも覚えやすくポップ・ソングだといっていいだろう。

 アルバムのラスト・ソングはジョン・アンダーソンとスティーヴ・ハウとの共作による"悟りの境地"である。この曲は15分と長い曲で、それまでのイエスの特長ともいえる曲だった。この曲でもリックによるパイプ・オルガンを聴くことができる。

 リック・ウェイクマンは1973年の「海洋地形学の物語」を最後にグループを脱退していたが、このアルバムで復帰している。最初はセッション・プレイヤーとして呼び出されたのだが、やはり結束の絆は強かったのか、はたまた昔の感覚が甦ったせいか、最終的にメンバーとしてクレジットされた。

 そういう経緯もあってイエス・ファンにしてみれば、原点への回帰という印象が強いのだと思う。ファンの中には、このアルバムこそがイエスの2番目の最高傑作?という人もいるくらいなのだから。

 アルバム自体もイギリスではNo.1になっている。(ちなみにアメリカでは8位であった)このアルバムと「海洋地形学の物語」はイギリスでNo.1になっている。(アメリカでの最高位は「危機」の3位)

 秋が深まるにつれて、このアルバムの味も深まっていくように、私には思われるのである。

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2007年11月10日 (土)

炎~あなたがここにいてほしい

 ほのたす☆ブログはなかなか面白い。今どきの女の子のことがよくわかると思っていたのだが、これが全然よく分からない。でも全然分からなくても、それはそれでいいのではないだろうか。普段はモノクロの世界に住んでいるので、何となく華やかな雰囲気に浸れるのだ。Happy Birthday! Honoka.

 こういうふうに人間には違う世界をのぞいてみたいという欲求があるものだ。しかし現実に違う世界に行ってしまったらもうお終いである。

 ロックの歴史にも、違う世界に行ってしまった友だちのことを歌った作品があった。そうあのピンク・フロイドが1975年に発表した「炎~Wish you were here」なのである。自分はこのタイトルを見て、英語の仮定法を覚えたのだった。ロックもたまには役に立つのである。

 それでこのアルバムを聴いたときは、それまでのフロイドとは違い、なんか統一感がないというか、アコースティックすぎるというか、今でいうビミョウな感じがしたのを覚えている。

 何しろ前作がすごかった。1973年に発表された「狂気」は天文学的な数字で売れていたからだ。このアルバムは、ビルボードで連続591週、トータルで724週に渡ってHot200にチャート・インしており、全世界で3000万枚以上売れたのである。
 要するに15年以上にわたって売れ続けていたということで、当然「炎」が発売されたときもまだチャートにあった。

 自分が初めて聴いたトータル・コンセプト・アルバムが「狂気」だった。そのあとからそれまでのアルバム、例えば「原子心母」や「おせっかい」、「神秘」などを聴いたのだが、「狂気」以前では、確かにプログレッシヴなのだが、何となくダラダラと演奏を続けている印象が強かった。

 その点、「狂気」はフロイドらしくない音だった。音自体はフロイドのものなのだが、アルバム構成がカチッとしすぎているのである。それまでのフロイドなら、きっとそんなにきちんと作らなかったに違いないと思った。
 全体の流れがあまりにもハマっているのである。これでもっとアップ・テンポでテクニックがあれば、まるでイエスの世界である。

 「狂気」は1曲1曲が独立しているのだが、全体としてはきちんと整列している。ちょうどアルバム・ジャケットのプリズムの解析のようである。

The Dark Side of the Moon Music The Dark Side of the Moon

アーティスト:Pink Floyd
販売元:EMI
発売日:1990/10/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 そんな怪物のようなアルバムを聴いたあとだから、「炎」は何となく肩透かしを食らったような気がした。しかしよく考えてみれば、「おせっかい」の前半はほとんどアコースティックな作品で占められているので、もともとフロイドにはそういう流れというか、傾向があったのだろう。

 もちろん全曲がアコースティックではないのだが、タイトル曲の"Wish you were here"の印象が強かったのだろうか。
 これは結成当時のオリジナル・メンバーでリーダーであったシド・バレットに捧げた曲である。彼は残念ながら2006年の7月7日に亡くなったのだが、麻薬中毒から精神的なダメージを受けて、1968年に脱退していた。結成は1965年だったから実質3年くらいの在籍期間だった。

 しかしたった3年でも彼らの中、特にロジャー・ウォーターズの中には彼に対する尊敬の念や思慕の念、友情や反発などの思いが複雑に入りまじっていたのではないだろうか。
 彼らが1stアルバムを制作中に、隣りのスタジオでビートルズが「Sgt. Pepper's lonely heart club band」を録音中であった。そのときポール・マッカートニーが彼らの音を聴いて、「彼らにはノック・アウトされた」というコメントを残している。
 また、ジミ・ヘンドリックスも彼らと一緒にツアーに出たとき、シド・バレットを高く評価していた。やはりシドには、接してみないとわからない才能や人をひきつける魅力があったのであろう。

 脱退後のシドは2枚のソロ・アルバムを出したが、自分の飼い猫と一緒に録音したり、ライヴ中にいなくなったというエピソードも残されている。やはり精神を病んでいたのであろう。その後の彼の消息を知るものは誰もいない。入院したとも他国に行ったとも言われている。

 なかには日本でレコーディング中とかいうとんでもない噂もあった。フランスの雑誌が彼の写真を撮って雑誌に載せたという話もあった。そのときの彼は髪はボサボサ、目は焦点が定まらずうつろ、口は開いていて涎が垂れていたという。

 真実味のある話としては、このアルバム「炎」録音中にシドがふらっとやって来て、「何かできることがあったら手伝うよ。何でも言ってくれ」といって立ち去ったというエピソードがあるが、そのときの容姿も頭髪は薄く、太っていて、目はうつろだったという。今はやりの都市伝説のようなものだろうか。

 それで「炎」であるが、75年の9月に発表されて、英米両国でNo.1を記録した。彼らのディスコグラフィーの中で、英米でNo.1になったアルバムはこれが最初であった。

Wish You Were Here Music Wish You Were Here

アーティスト:Pink Floyd
販売元:Sony
発売日:2000/04/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 このアルバムの中でもシド・バレットに捧げた曲がある。"Shine on you crazy diamond"
と"Wish you were here"である。ここでいう"crazy diamond"と"Wish you were here"
の"you"というのは、シド・バレットのことを指している。
 シドが精神を患ったというのも、個人の問題というよりは音楽業界の中で成功するというプレッシャーが彼をしてそうさせたというふうにとらえており、特にロジャー・ウォーターズは、自分の中にシドの影を垣間見たのではないだろうか。

「君は天国と地獄の違いや
青空と苦痛の違いを区別できると思っているけど
緑の平原と冷たい鉄のレールを区別できるのか
微笑みと仮面と
本当に君はできると思っているのか

彼らは君に君のヒーローと幽霊を交換したんだろ
熱い灰と木を
熱風と冷たいそよ風を
冷たい安楽と変化を
そして君は戦場を歩くのとかごの中で役割りを演じるのを
交換してしまったんだね

どれだけ君にここにいてほしいと思っているか
僕たちは水槽の中で泳いでいる
心を失った二匹の魚みたいなものさ
毎年毎年、同じ昔からの地面を走っている
僕たちは何を見つけたのだろうか
同じ昔ながらの恐怖さ
本当に君がここにいてくれたらいいのにと思う」
(訳:プロフェッサー・ケイ)

 アルバム「狂気」の成功で、彼らも音楽ビジネスの裏側や成功がもたらす甘美な出来事や次作への期待と重圧などを"Have a cigar"や"Welcome to the machine"で皮肉っている。

 とにかくこのアルバムは、フロイドの深層や荒涼とした精神がうかがえるダイヤモンドの原石のようなアルバムであるのと同時に、向こうの世界に行ってしまった親友を追悼するアルバムなのである。

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2007年11月 9日 (金)

ネブラスカ

 一般的にブルース・スプリングスティーンの名盤とされているのは、「ザ・リバー」とか「ボーン・イン・ザ・USA」あたりだと思っている。確かに両方ともセールス的にも人気面でも頂点に立つようなアルバムであった。
 あるいは人によっては、3rdアルバムの「明日なき暴走」をあげるかもしれない。

 しかしこの時期に聴くアルバムとして最適なのは、1982年の9月に発表された「ネブラスカ」だと思うのである。こう思うのは私一人だけだろうか。

ネブラスカ Music ネブラスカ

アーティスト:ブルース・スプリングスティーン
販売元:ソニーレコード
発売日:1999/08/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 全編アコーステック・ギターとハーモニカだけで演奏されているこのアルバムは、私にとってもスプリングスティーンにとっても癒しのアルバムだと思うのである。

 しかもこのアルバムは、ニュー・ジャージー州の彼の自宅で録音されたもの。さらに昔ながらの4トラックのカセット・レコーダーで録音されたのだ。デジタル、しかもコンピューターで作曲もできる今の時代からは想像もできないくらいアナログ録音である。まるで旧石器時代の代物といってもいいくらいだ。

 しかし内容は21世紀の今でも、いや今こそ再評価されるにふさわしいアルバムなのである。
 思うにスプリングスティーンにとっても癒しが必要だったのではないだろうか。今でこそアメリカの良心や正義を歌うシンガーになってしまったが、当時はメジャーには違いないが、まだまだロックンローラーにすぎなかったスプリングスティーンである。

 父親はアイルランド系移民でトラック運転手、母親もイタリア系の家庭で育った。フリーホールドという人口1万人程度の町で18歳までいて、その後アズベリー・パークに引っ越した。
 ディランのような詩を書き、ロイ・オービソンのように歌い、デュアン・エディのようなギターを弾くことが目標だった青年も、「明日なき暴走」で一挙に世界的に有名になり、出すアルバム出すアルバムすべて大ヒットした。

 特に1980年に発表した「ザ・リバー」は2枚組アルバムにもかかわらず、彼自身初めての全米No.1ヒット・アルバムになった。そしてシングル・カットされた"Hungry heart"も全米トップ10に入り、スプリングスティーンは、約1年間に渡るワールド・ツアーを開始した。

 そのあとに続くアルバムが「ネブラスカ」なのである。前作から約2年余りが経過しているのだが、この2年というと歳月が彼の魂の再生に必要だったのではないだろうか。

 全世界的にスター・ダムに登ったスプリングスティーンだが、心の中は満たされていなかったのかも知れない。お金や車や女では満たされないものが心の中で渦巻き、それがアコースティックという表現形態をとらせたのではないかと思うのである。

 歌詩に出てくる登場人物も、彼の心象風景の中から表れ出てきたような人ばかりである。
 懲役98年+1年と判決を言い渡されたジョニーは、それ以来“ジョニー99”と呼ばれている。彼はこう言う「裁判長、オレにはとても払いきれない借金もあったし、家も抵当に入っていた。自分を無実だというつもりはないが、銃を手にした理由はあったんだ」("ジョニー99"より)

 兄弟がいて、兄は警察官、弟は無頼漢、ある日弟が若者を暴行し、車で逃走。兄は追っていったが国境前で追うのを止めた。兄弟なら当たり前だと兄は言う。("ハイウェイ・パトロールマン"より)

「ずっと仕事を探しているのだが
全然見つけることができない
ここでは勝者も敗者も同じだ
でも間違った方についてはダメだ
俺は負け組から逃れようとしたが
もう疲れた
ハニー、昨日の夜ある奴に会った
俺は奴のために何かをしようと思う

俺は思うに、すべてのものは
死んでしまうというのは事実だ
だけど死んだものは、いつの日か
また甦ってくるのだと思う
さあ、ハニー、化粧を直して
髪をきれいに直すんだ
今晩アトランティック・シティで会おうぜ」
("アトランティック・シティ"より、訳プロフェッサー・ケイ)

 こういう社会の底辺に住んでいる人や世の中からクズと呼ばれるような詐欺師や犯罪者などをヴィヴィッドに描いている。
 それは彼自身の見聞や体験と同時に、彼の心の叫びにも等しい表現者としての欲求の表れだと思うのである。

 彼は現実のアメリカを描き出すことで、彼自身の深層を描こうとした。社会に対してのどうしようもない憤りを詩の中の風景に描き出そうとした。
 そして描き出すことによって、名もなき人々への愛情と自分自身の自尊心や存在意義を表出したのであろう。

 この後スプリングスティーンは、大ヒットアルバムを出した後は必ずアコースティックやそれに近いアルバムを出すようになった。たぶんそれは彼自身の癒しへとつながるからであろう。たとえば「ボーン・イン・ザ・USA」を出した後の、「トンネル・オブ・ラヴ」のように。

 もう少し彼について書きたいのだが、ここら辺で止めることにしよう。続きは彼の新譜を聴いてからにしたい。何しろ全米・全英初登場No.1のアルバムなのだから。

マジック Music マジック

アーティスト:ブルース・スプリングスティーン
販売元:SMJ(SME)(M)
発売日:2007/10/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年11月 8日 (木)

ビリー・ジョエル

 文化祭の時期である。秋に行われるのが普通で、大学から小中学校までだいたいどこもこの時期に行われているようである。

 それで文化祭のときに英語弁論というのがあって、そのときは英語暗唱で、アメリカの作家O・ヘンリーの「20年後」というのを男子生徒が暗唱していた。

 内容は極々簡単に言うと、20年後にまた会おうと約束した男2人が実際に会ってみると、一人は警官に、もう一人は指名手配中の犯罪者になっていたというお話で、警官の方は直接自分が逮捕するのは忍びがたいので友だちの警官にその場所に行ってもらっていた、というオチがついている。

 それでその暗唱のとき、男子生徒が入場する際に、流れていたのがビリー・ジョエルの"ストレンジャー"だったのである。当然のことながら、その男子生徒はトレンチ・コートを着て、帽子を目深にかぶっていたことはいうまでも無い。ある学校での出来事だった。

 ビリー・ジョエルは1949年5月9日生まれ。ニュー・ヨークのサウス・ブロンクスというあまり治安のよろしくないところに生まれた。
 両親の勧めで4歳頃からクラシック・ピアノを習い始めた。しかし両親が離婚し、ドイツ生まれの父親は祖国に帰ってしまったため、彼は職業として音楽を選択したのである。14歳頃から、バンド活動やナイト・クラブでピアノを弾きながら家計を助けた。同時にアマチュア・ボクシングも始め、28戦22勝という戦績を残している。おかげで鼻をつぶしてしまったといわれているが・・・

 だからアルバム「ストレンジャー」のジャケットにはボクシング・グローブがぶら下がっている。まるで映画「ロッキー」の世界である。お互いに連携があったわけでもないだろうが、この年1977年にはボクシング関係のあたり年だったのだろうか。

ストレンジャー Music ストレンジャー

アーティスト:ビリー・ジョエル
販売元:Sony Music Direct
発売日:2006/04/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 それでいくつかのバンドを経て、アルバムも発表するが全然売れずに、彼はノイローゼになって精神病院に入院したこともあったという。

 それで当時のマネージャーであるエリザベス・ウェーバーとロスアンゼルスに行き、ピアノ・バーで生活費を稼ぎながら、チャンスをうかがっていた。またコンスタントにアルバムを発表し、そのたびに徐々に彼の知名度も上がっていった。

 そしてニュー・ヨークに戻り、満を持して発表したのが、「ストレンジャー」なのである。プロデューサーはフィル・ラモーンであり、フィル・ラモーンといえば都会のしゃれた音作りで有名なプロデューサーである。あのS&Gの「明日に架ける橋」やポール・サイモンの「時の流れに」などをプロデュースした人で、それらのアルバムとビリーとのアルバムの傾向は大きく変わっていない。

 まさにこのアルバムでビリーは、ブレイクした。このアルバムの中にある"Just the way you are"(素顔のままで)は、全米3位になり、1978年度のグラミー賞で最優秀楽曲賞と最優秀レコード賞を獲得している。

 軽快なロック調の曲と繊細なリリシズムとが同居しているアルバムである。前者では"Movin' out"や"若死にするのは善人だけ"、"最初が肝心"などが該当し、"ストレンジャー"や"素顔のままで"、"She's always a woman"、"Vienna"、"Everybody has a dream"などは後者に当たるだろう。
 また、フィル・ラモーンのアドバイスのせいか、アコーディオンやサックス、パーカッションなどが効果的に使用されており、ニュー・ヨークという大都市の持つ冷たさや、その中で暮らす人々の温かさ、アンニュイ、楽しさなどを見事に表現しきっている。

 これだけいい曲がそろっていれば売れるのは当たり前で、全米2位を記録し、その後の累計売り上げ枚数は1000万枚以上にのぼり、2003年にはダイヤモンド・ディスクに認定されたほどである。

 この頃が公私共に充実していたときであろう。その後は83年に下積み時代を支えてくれたエリザベスと離婚をしたり、交通事故にあったりと私生活ではあまり恵まれていないようである。
 音楽的には売れ続けていくも、89年に先のフィル・ラモーンと分かれてからは、No.1にはなるものの日本での売り上げは下火になっていった。

 90年代の終わりにはアルコール依存症や鬱病などで入退院を繰り返していたが、2004年に3度目の結婚をしてからは、精神的にも落ち着いてきたせいか、ライヴ活動にも精力的に取り組んでおり、今年の2月には14年ぶりにシングル・ヒットNo.1も記録している。
 やはり愛は人を元気にさせるのであろうか。ちなみにお相手は32歳年下である。

 どうでもいいことだが、世界で初めてCDとして発売された音楽作品はビリーの「ニュー・ヨーク52番街」であるといわれている。1978年のことであった。

 さらにどうでもいいことだが、シングルの"ストレンジャー"はアメリカではシングル・カットになっていなくて、日本だけでヒットした曲である。

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2007年11月 7日 (水)

イーグルス

 欧米ではハロウィーンが終われば、クリスマス・シーズンである。クリスマスといえばクリスマス商戦も今から始まる。

 最近は大物ミュージシャンの作品が続々と登場している。たぶんこれらはクリスマス商戦を期待して、この時期に発売されるのであろう。財布の紐もゆるくなり、プレゼントとしてあるいは自分用として購入されることが予想されるからだ。

 新譜のCDとしてはブルース・スプリングスティーン、マッチボックス20、ラスカル・フラッツ、レディオヘッド、レッド・ゼッペリンなどなど。
 DVDとしては、同じくレッド・ゼッペリン(「永遠の詩」の完全版)、ニルヴァーナ、ポール・マッカートニー(3枚組)、デヴィッド・ギルモア(3枚組でなおかつ"エコーズ"収録)、AC/DCと続々と発売される予定である。

 その中で期待されるのが、イーグルスの新譜である。28年ぶりのオリジナル・スタジオ・アルバムだ。あの天下のNHKが夜9時台のニュースでも報じていたが、それほどのニュース・ヴァリューがあるのであろう。

 新譜は「ロング・ロード・アウト・オブ・エデン」といい、2枚組である。シングルはあのJ・D・サウザーの1stアルバムに収録されていた"How long"という曲である。J・D・サウザーのことについてはこのブログですでに触れたので省略する。

Photo

ロング・ロード・アウト・オブ・エデン

アーティスト:イーグルス
販売元:UNIVERSAL INTERNATIONAL(P)(M)
発売日:2007/10/31
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 ただメンバーに変化があり、今回はドン・フェルダーは参加していないらしい。つまり4人で制作したということだ。詳細については購入してからこのブログで触れたい。

 それでそれに至る前の、彼らが一番ピークのときのアルバム「ホテル・カリフォルニア」について簡単に述べてみたい。これは誰が何と言おうと歴史的な傑作アルバムである。

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ホテル・カリフォルニア

アーティスト:イーグルス
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2005/12/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 1976年に発表されたこのアルバムは、アメリカ建国200年を記念するように見えたが、記念すると同時に、アメリカの建国精神である自由と独立の崩壊を意味しているかのようである。
 シングル・カットされた"Hotel California"の中に有名な一説がある。

「彼女の心はティファニーでゆがんでいて
メルセデス・ベンツも手に入れている
彼女には友だちと呼んでいる
たくさんのかわいい男の子たちがいる
彼らは中庭でダンスをする 甘い夏の夜に
そのうちのいくつかは覚えているが
いくつかのダンスは忘れてしまった

 

それで責任者を呼んだ
オレにワインをくれよ
彼はいった
私たちは1969年以来そのspiritを切らしているのです
そして遠くからまだその声が叫んでいる
真夜中にお前を起こし
それらの声がこう言っているのを聞かせるために

 

ようこそホテル・カリフォルニアへ
こんなに麗しい場所です(美しい顔です)
彼らはこのホテルで生活しているのです
なんて素晴らしいでしょう 
あなたも口実を用意したらどうですか」

(訳:プロフェッサー・ケイ)

 ここでいうspiritとは「お酒」という意味と「精神」という意味の両義である。いわゆるダブル・ミーニングというやつである。

 1969年といえばウッドストック・フェスティヴァルが開かれたときであり、イーグルスのメンバーのうちの何人かがロスアンゼルスに来た年でもある。ちなみにイーグルスの中で純粋にロスアンゼルス生まれは、あとでグループに参加したティモシー・B・シュミットだけである。

 また1969年という年は泥沼化していたベトナム戦争が打開の糸口を見せ始めた年でもあった。この年アメリカの大統領に就任したリチャード・ニクソンは、ベトナム戦争を収束させようとした。いわゆるデ・タント(緊張緩和)が図られ、一方でアポロ11号が月面に到着し、人々は70年代に希望を持とうとしたときであった。

 しかし、楽園は訪れなかった。戦争をめぐっての国内世論の分裂や事実上の敗北による挫折感は既成の価値観を崩壊させ、アメリカ国内では犯罪の増加や教育の崩壊・貧困の増加などがおきた。他にもトム・クルーズの映画でも見られるようにベトナム帰還兵への非難や中傷が社会問題化したのである。

 先ほどの詩の中の“彼女”とはアメリカ自身のことであり、1969年まで繁栄を誇っていたアメリカがその魂を失っていくというのが詩の後半の部分ではないだろうか。
 理想の国であったアメリカでは、逆に道徳観が揺らぎ、欠如し、貧富の差が広がっていったのである。

 このアルバムの最後に用意された"The last resort"(最後の楽園)という曲には次のような歌詞が見られる。
「誰がグランド・デザインを描いたのだろうか
それはあなたのものでもあり、私のものでもある
なぜならもうここには
ニュー・フロンティアなどはないからだ
私たちはここではっきりさせないといけない
私たちが果てしのない欲望を満足させ
血の出るような行いを正当化させている
ということを
運命という名の下に
神という名の下に」


 この曲でこのアルバムは終わっている。見事なアメリカ批評である。このような判断ができることに、当時の人はまだ救われるという思いを持ったのではないだろうか。

 当時のイーグルスは人間関係が相当に乱れており、お互いに直接連絡を取ることは全くなかったようである。必要なときはスタッフが話しに行くか、ファックスでやり取りをしたという。ライブが終わったあとで、楽屋での殴りあいは日常茶飯事だったという。

 みんな富を手に入れて、コカインとアルコール、グルーピーとの乱交パーティで精神がボロボロになっていたのであろう。グレン・フライはコカインの吸いすぎで鼻腔の粘膜を手術し、テフロン加工までしたといわれている。

 だから「ホテル・カリフォルニア」とはアメリカのことでもあり、実は自分たち自身のことを例えているのであろう。

 それから31年後の新譜である。はたして彼らはどのような境地にたどり着いたのであろうか。「楽園からの長い道のり」というタイトルは何を暗示しているのであろうか。今から楽しみである。

 どうでもいいエピソードを1つ。このアルバムの中ジャケットの写真に(CDでは裏写真に)、悪魔が写っているという。2階左手から下を見下ろしている男が写っているが、たぶんこのことだろう。これも都市伝説である。

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2007年11月 6日 (火)

リンダ・ロンシュタット

 きた、きた、きた、ついにやって来ました、カリフォルニアの歌姫こと、リンダ・ロンシュタットの登場である。

 確かにリンダは歌はうまいと思うが、それ以上に彼女の持つ魅力というかキャラクターが歌以上に人気を博したということもまた事実である。
 何しろあのイーグルスが歌の題材として取り上げたくらいなのだから、かなりのものだったのだろう。("Witch woman"という曲のなかでリンダのことを歌っている)

 歌以上に人気が先行した観もあった。“恋多き女”ということで一世を風靡したこともあった。
 実際、プロデューサーのピーター・アッシャーからイーグルスのドン・ヘンリー、グレン・フライ、その友人のJ・D・サウザー、元バック・バンドのメンバーだったケニー・エドワーズ、ジェイムズ・テイラーからニール・ヤング、アンドリュー・ゴールド、ワディ・ワクテル、はたまたあのミック・ジャガー、さらには当時のカリフォルニア州知事だったジェリー・ブラウンまでと幅広い。たぶんまだいると思うのだが、誰とつきあったかが主意ではないので、この辺でやめておく。

 そういう艶っぽい話もまた彼女の人気に拍車をかけたことは間違いない。しかし、別に弁護するつもりはないのだが、彼女の歌唱力には耳を傾けさせる力を持っていた。
 彼女の父親はメキシコ系のギター弾きで、母親はオペラ歌手志望のドイツ系だった。そのせいかどうかは不明だが、自然と音楽の道に歩んで行ったようだ。

 高校を卒業すると、ケニー・エドワーズとともにストーン・ポニーズを結成し、1967年にアルバム・デビューをしたが、さっぱり売れなかった。しかたなくソロで活動を始めたのが69年だった。

 しかしそれからの5年間も泣かず飛ばずで不遇の時代を過している。この間にイーグルスが彼女のバック・バンドとして活動をしていたのだ。
 結局、大物プロデューサーのピーター・アッシャーが彼女の魅力に気づき、アルバムのプロデュースを買って出た。そしてアルバム「悪いあなた」からシングル"You are no good"が全米No.1になり、ここから彼女の快進撃が始まったのだ。

Photo_4 Music Heart Like a Wheel

アーティスト:Linda Ronstadt
販売元:Capitol
発売日:1990/10/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 彼女は1946年生まれだから、この当時28歳だったことになる。まさに脂ののった時期といえるだろう。このときから80年代の初頭までが彼女の第1期ピークではないだろうか。
 この時期のマイ・フェイヴァレット・アルバムは1977年に発表された「夢はひとつだけ」である。

1 Music Simple Dreams

アーティスト:Linda Ronstadt
販売元:Asylum
発売日:1990/10/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 彼女の音楽センスもまた素晴らしいものがあり、このアルバムにもバディ・ホリーの"It's so easy"、ロイ・オービソンの"Blue bayou"のオールディーズが収められているし、当時の新進気鋭のSSW、ウォーレン・ジヴォンの"Carmelita"、"Poor poor pitiful me"、J・D・サウザーの"Simple man, simple dream"、エリック・ジャスティン・カズの"Sorrow lives here"もある。

 いずれの人もこのブログの中で取り上げてきた人たちだが、どの曲も忘れがたい印象を残す曲である。リンダは自分では作詞・作曲はできなかったけれど、外部のライターの作品(特にその人が売れているいないに関係なく)を見つけてくる嗅覚の鋭さ、またそれらを自作曲のように歌いこなす表現力などは第一級のセンスを持っていた。

 彼女は直球のロックンロールの歌については、迫力を込めながらシャウトし、歌いこむし、バラード系の曲では情感を込めながら、歌いきってしまう。
 このアルバムでもストーンズの"Tumbling dice"や"Poor poor pitiful me"などでは、力強く歌っているし、トラディショナルの"I never will marry"や"Old paint"、バック・ミュージシャン、ワディ・ワクテルの作品の"Maybe I'm right"などでは実に切々と歌っているのである。

 やはりこういう表現力では、当時の女性アーティストで彼女の右に出る人はいなかっただろうと思うのである。

 第2期のピークは80年代終わりから90年代にかけてのいわゆるメキシコ音楽に転身した時期だと思う。もちろん第1期の方が世界的にも有名だったし、人気があったが、第2期以降も地味ではあるが、彼女のファンは離れなかった。
 メキシコ音楽は彼女のルーツ探しの旅の結果だったのかもしれない。けっこうこの種のアルバムが続いたのである。小さい頃は父親が歌っていたというから、その種の楽曲をいつかは歌いたかったのであろう。

 現在ではもう60歳を越えているが、まだまだ国民的人気があるようで、ジャズの分野にも触手を伸ばしながら活動を続けている。
 そういう意味では、単なる“恋多き女”ではなく着実に自分のキャリア・アップを図っていくことのできた人生だったのではないだろうか。やはり彼女には才能があったのである。

 この秋の夜長にもう一度彼女のアルバムを聴いて、過ぎ去った恋や出会いを回顧するのもいいかもしれない。

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2007年11月 5日 (月)

イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー

 イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーは70年代に人気のあった男性デュオである。長ったらしいので以下E&Jと略すことにした。

 最初に彼らの名前を知ったのは1972年ごろだった。"シーモンの涙"という曲がヒットしていたときだった。これは名曲だった。
 当時日本でもシモンズという女性姉妹?のフォーク・デュオがいてヒット曲を出していたのだが、最初は彼女たちのことを歌っているのかと思った。男性2人組対女性2人組の対決である。実際は全然関係なかったのだ。

 そんなバカな話は置いておいて、とにかくその"シーモンの涙"という曲はいい曲だったのである。ところがCDとしてはずっと廃盤だった。アルバムならまだしもシングルで探すのは、太平洋の中に落ちたマッチ棒を探すようなものである。

 だから半分以上あきらめていた。ところが最近のリヴァイバル・ブームの中で、オムニバス盤として、CDの中に編集されたのである。「僕たちの洋楽ヒット」シリーズである。
 素晴らしい企画ではないか。曲の版権やレーベルの枠を越えて当時のヒット曲(もちろん日本での!)を集めたもので、こんな素晴らしい企画はもう二度と出ないだろう。それほど感動したものだった。("シーモンの涙"はこのシリーズのVol.5に収められている)

僕たちの洋楽ヒット Vol.5 1971~72 Music 僕たちの洋楽ヒット Vol.5 1971~72

アーティスト:アメリカ,アルバート・ハモンド,アンディ・ウィリアムス,オージェイズ,ドン・マクリーン,テンプテーションズ,ニュー・シーカーズ,ラズベリーズ,ムーディ・ブルース,ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2002/10/09
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 それで"シーモンの涙"は手に入れたが、次に彼らのヒット曲"秋風の恋"を探そうとしたら、これは簡単に手に入った。彼らのオリジナル・アルバムに収録されていたのである。

 このアルバムは、今は無き名店「リズム・レコード」のCD棚の片隅に置かれていたのを購入したという記憶がある。たぶんこのアルバムを見るたびに、リズム・レコードのことを思い出すだろう。決して大きな店ではなかったが、一般には全然名前の知られていないCDで、好事家にはのどから手が出そうなものも置かれていて、オタクにとってはたまらないお店だった。本当にいい店を失ったものだ。合掌。

 このシングル曲は、1976年に発表され全米2位を記録した。それだけの実績があったから、ベスト・アルバムに収録されたのであろう。いまだにTVCMなどでも使用されている。
 またこのシングルが収められているアルバム「Nights are Forever」も全米17位を記録している。いわゆるAORのアルバムである。Photo

 それからこのE&Jのイングランド・ダンことダニー・シールズとシールズ&クロフツのジミー・シールズとは実の兄弟であり、ジミーの方が兄ということであった。
 シールズ&クロフツという男性2人組のデュオも70年代に活躍しており、日本ではあまり人気はなかったが、本国アメリカでは結構人気があったように記憶している。

 シールズ&クロフツの方が、無骨なゴツゴツしたボーカルを聞かせるのに対して、E&Jの方はさわやかで優しい歌声やハーモニーを聞かせてくれていた。この辺の違いが日本での人気の差になったように思える。

 E&Jは両方ともテキサスのオースティン出身で、高校生ぐらいから2人とも同じバンドで音楽活動を始めたようである。そのせいかAORでありながら、どことなくカントリー・テイストを含む音作りが目立つようである。

 ただヒットした曲は、自作曲よりも他人の曲を用いた方が多く、"秋風の恋"や全米10位を記録した"眠れぬ夜"はパーカー・マッギーというSSWの作品であった。
 "シーモンの涙"は、彼らの自作曲であるが、先ほども書いたように残念ながらこの曲は日本でしかヒットしなかった。

 現在、E&Jは別々でソロ活動をしているようである。イングランド・ダンは1950年生まれ、ジョン・フォード・コーリーは51年生まれということなので、もういい年齢なのだが、まだまだ現役とはうれしい限りである。ただニュー・アルバムは期待できそうもないので、再結成して2人でやった方がいいと思うのだが、どうだろうか。

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2007年11月 4日 (日)

アルバート・ハモンド

 これを見ている人は、アルバート・ハモンドという人を知っているのだろうか。若い人は、(そんな人はいないと思うけど)ニュー・ヨーク出身のバンドであるストロークスで、ギターを担当しているアルバート・ハモンドJr.の父親であるといえば分かりやすいのであろうか。

 アルバート・ハモンドはアメリカ人だとずっと思っていた。ところが、つい最近知ったことなのだが、彼はイギリスで生まれたらしいのだ。
 CBSソニーから昔出されていた彼のベスト・アルバム(もちろんレコードだが)の解説によると、1944年イギリス生まれで、生後半年で父親の関係上スペインのジブラルタルに移住したそうである。

 だから彼は生粋のイギリス人だったのである。ただ子どもの頃のイギリス本土での生活経験はほとんど0に近いということだ。だからカリフォルニアに夢を求めてやってきたという"カリフォルニアの青い空"のような曲を作ることができたのだろう。

Music カリフォルニアの青い空(紙ジャケット仕様)

アーティスト:アルバート・ハモンド
販売元:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
発売日:2007/12/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 ジブラルタルで音楽に目覚めたアルバートは、ミュージシャンになるために、なぜかモロッコへと赴く。しかし当時はまだ13歳だった。いくら才能があっても13歳じゃやっぱり甘く見られたのか、3年後にはジブラルタルへと舞い戻り、そこで弟とバンドを結成して、地道に活動するようになった。

 1963年にイギリスに戻ったアルバートは、その後不遇の時代を過したらしい。ところがふとしたきっかけで知り合った友人とテレビ用の子ども番組の音楽を担当したところ、これが大ヒットし、あのビートルズも受賞したアイヴァー・ノヴェロ賞も受賞したのである。1968年のことだった。

 ここから彼の快進撃が始まった。そして2年後の1970年にアメリカに進出し、最初のシングル"Down by the river"、2ndシングル"カリフォルニアの青い空"を発表した。特に後者のシングルは瞬く間にミリオンセラーを記録し、いまだに70年代の思い出の曲ということで、繰り返しTVCMや洋楽懐メロ番組などで流されている。

 その後も"カリフォルニアに愛を込めて"や"Free electric band"などのヒットシングルをコンスタントに発表していったが、今回のブログで推薦したいのは"落葉のコンチェルト"である。この時期にピッタリの曲である。

 原題を"For the peace of all Mankind"というのだが、直訳すると「すべての人類の平和のために」という大仰なものになるが、内容は極々私的なものである。
 1973年に発表された曲だが、アメリカよりも日本で大ヒットをした。当時29歳だったアルバートの公演時に、楽屋に訪れたのがテリー・ムーアという44歳の女優だった。この女優との恋愛?を歌にしたものである。恋愛というよりは出会いのようなものであろう。

 この"落葉のコンチェルト"と"Woman of the world"の2曲を捧げたらしい。よほど印象深かったのだろう。
 ともかくこの"落葉のコンチェルト"は名曲である。イントロのピアノと徐々に盛り上がっていくストリングスなどは、やはり何度聴いてもいい永遠の名曲である。この曲を紹介したくてアルバートのことについて調べたくらいなのだから。

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Music Greatest Hits

アーティスト:Albert Hammond
販売元:Epic Europe
発売日:1996/09/17
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 その後アルバートは、アート・ガーファンクルに"99miles from L.A."、レオ・セイヤーに"When I need you"、スターシップに"Nothing's gonna stop us now"など、他にもセリーヌ・ディオン、ダイアナ・ロス、ホイットニー・ヒューストンなど超有名歌手に楽曲を提供している。やはり才能豊かなSSWなのだろう。

 彼の曲を詳しく聴きたい人は、これらの曲が収められているベスト・アルバムがお得である。編集盤は結構発表されているし、特に日本編集盤では日本でヒットした曲が多い。夏には"カリフォルニアの青い空"を、秋には"落葉のコンチェルト"を聴くのが、正しいアルバート・ハモンド鑑賞法かもしれない。

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2007年11月 3日 (土)

ミッシェル・ポルナレフ

 秋も深まってくると、なぜかミッシェル・ポルナレフを思い出す。特に"Tout tout pour ma cherie"(邦題:シェリーにくちづけ)を思い出してしまう。

シェリーに口づけ Music シェリーに口づけ

アーティスト:ミッシェル・ポルナレフ
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2000/04/26
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 この曲は1971年に日本で40万枚以上のヒットを記録した。当時の40万枚というのは、今で考えれば、かなりの影響があったと思う。ただ、自分はまだこの頃は小学生だったので、直接聞いた覚えはない。

 ただ中学生になったときも、まだポルナレフは、人気絶頂期で来日公演中にファンからトレードマークのサングラスを奪われたとかいう話しは聞いた。

 当時のミッシェル・ポルナレフは、金髪のライオンのようなパーマ、白い縁取りのサングラス、それからすぐに裸になる?振る舞いなどが目立つ、エキセントリックなアーティストだった。アルバム・ジャケットに股間に帽子を被せたオールヌードの写真を載せたり、今でいうボンデージ・ファッションに近いものを身にまとったりするくらいだから、その言動は常に注目の的だった。

Michel Polnareff Music Michel Polnareff

アーティスト:Micheal Polnareff
販売元:Unknown Label
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 しかし音楽性は華麗で、ファッショナブル、印象的なメロディと明らかに日本人受けするもので、出す曲、出す曲ヒットし続けた。
 先ほどの"シェリーにくちづけ"以外にも"愛の願い"、"渚の思い出"、"愛の休日"、"忘れじのグローリア"、"火の玉ロック"、"愛の伝説"と1971年から74年にかけては、まさに飛ぶ鳥を落とすほどの人気があったのだ。

 それでなぜ秋になると"シェリーにくちづけ"を思い出すのかよく分からない。昔は秋といえば、すぐに日が落ちあたりは暗くなったものだ。今のようなネオンの灯は少なかったし、夕方は冷え込むこともあった。
 そんなときに耳に残っている"シェリーにくちづけ"のサビの部分を口ずさみながら、帰っていたのだろう。

 しかしポルナレフはフランス人で、当然のことながら曲もフランス語であった。口ずさむといっても、赤ん坊がバウバウ言っているようなものである。何を歌っているか分からないし、発音なんか全く不明だったけど、でも何となくカッコよかったのだ。やはりこのカッコよさという正体不明なものが、少年の心を刺激したのだろう。これがロックの初期衝動なのだろうか。

 おとなになって彼のCDを買おうとしても国内盤がなかったので、輸入盤を買おうとしたところ、曲名が分からないのである。自分の好きな曲が入っているのか、入っていないのか判断するのに苦労した。"忘れじのグローリア"は分かったのだが、"渚の思い出"や"愛の思い出"などはさっぱり分からない。
 だから運良く購入したCDにそれらの曲があったときは、うれしくてうれしくて飛び上がって喜んだものだ。

 彼は1944年7月3日生まれの今年63歳である。70年代の半ばにフランスからアメリカのLAに移り、活動を始めたようだが、精神的に苦しくなったのか、1990年まで、ほぼ5年おきにしかアルバムを発表していない。だから彼の最新スタジオ・アルバムは1990年に発表された「カーマ・スートラ」である。

KAMA-SUTRA KAMA-SUTRA

アーティスト:Michel Polnareff
販売元:Unknown Label
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 しかし、2007年の3月2日、フランスのパリでコンサート活動を開始したようだ。はたして60歳を越えた現在のポルナレフの容姿がどんなものなのか気になるところである。たぶん、もうヌードにはならないと思うけれど・・・

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2007年11月 2日 (金)

ポール・キャラック

 ポール・キャラックについては、以前一度、マイク&メカニックスのときに簡単に述べたが、もう一度確認の意味で紹介したいと思う。

 自分の家には2枚の彼のCDがある。1982年に発表された彼の2ndソロ・アルバム「サバーバン・ヴゥードゥー」と3rdソロ・アルバムの「ワン・グッド・リーズン」である。
 「サバーバン・ヴゥードゥー」のプロデューサーはニック・ロウである。だからこのアルバムはニック・ロウのようなポップなつくりになっている。

サバーバン・ヴードゥー Music サバーバン・ヴードゥー

アーティスト:ポール・キャラック
販売元:MSI
発売日:2006/06/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 アルバムの参加ミュージシャンもニック・ロウのバック・バンドのメンバーと同じである。そしてバック・ボーカルにもニック・ロウが参加している。
 ちなみにニック・ロウというのは、イギリスのパブ・ロックと呼ばれるグループの教祖的存在の人である。60歳を越えた今もソロ・アルバムを出し、現役で活躍しているアーティストである。

 だからどこを切ってもポップ・ソングなのである。全曲シングル・カットされてもいい曲だ。のちにリンダ・ロンシュタットがこのアルバムから2曲ほど自分のアルバムに入れたという話も残っている。
 リンダは非常に選曲センスの鋭い人で、彼女のアルバムに採用された曲やミュージシャンはその時点では知名度がなくても、必ずやのちに売れるようになるというジンクスがあるほどだ。(と勝手に思っているのだが、でもこれはそんなに間違ってはいないと思う)

 だからこのアルバムは、ポール・キャラックという人の個性を発揮させながら、ニック・ロウのセンスを見せつけているのである。

 そして5年後の1987年に発表されたのが、「ワン・グッド・リーズン」である。これはニック・ロウから離れ、クリストファー・ニールの下でプロデュースされた作品である。

 クリストファー・ニールといえば、マイク&メカニックスのプロデューサーである。1985年にポールは、マイク&メカニックスでボーカルを担当し、そのアルバムが世界的大ヒットをした。それでポールの知名度も一気に世界的になったのだが、その流れの中で発表したのがこのアルバムなのである。

 だから自信に溢れている。前作のように純度100%のポップ作品ではなくて、彼のもともと持っているソウル・ミュージックが表れているのだ。
 1曲目は80年代当時流行した薄っぺらいシンセ・サウンドが耳につくが、それ以降の曲はよくできていて、一度聴いたら忘れられないメロディ・ラインと彼の艶っぽいボーカルが非常にうまくマッチしているのである。

 特にこのアルバムでは"Button off my shirt"、"Give me a chance"、"Don't shed a tear"、"Collrane"などが印象的である。決して華やかな印象はないけれど、忘れられない名盤とはこのことだろう。

 個人的には、イギリスの3大マイナー・ボーカリストというのは、フランキー・ミラー、クリス・ファーロウ、ジェス・ローデンだと思うのだが、四天王となると、これにポール・キャラックが加わるのではないだろうか。

 彼は1951年、シェフィールドというところに生まれた。音楽好きの父親の影響で、最初はドラムスを担当していたという。そして彼の関心はオルガン、ピアノに移り、アメリカのモータウン系のソウル・ミュージックを好んで聞くようになったという。

 いくつかのバンドを渡りあったあと、エースというバンドで"How long"というヒット・シングルを出した。1975年のことであり、全米3位にまで上がったという。
 その後はロキシー・ミュージックのワールド・ツアーに参加したり、81年にはスクイーズのメンバーとしてアルバムにも参加している。 

 彼はもちろん現在でもコンスタントにソロ・アルバムを出している。願わくばもう少し彼の人気も出てきて、もっとアルバムも売れていけばいいのになあと思う今日この頃である。

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2007年11月 1日 (木)

スノーウィ・ホワイト

 雪のように白い、という名前らしいスノーウィ・ホワイトというのは。もちろん本名ではない。もし本名ならナイティ・ブラック(夜のように黒い)とか、ウッディ・ブラウン(木のように茶色)とかいう名前も出てくるだろうに。

 冗談はさておいて、イギリスのギタリスト、スノーウィ・ホワイトの紹介である。私はこの人を知ったのは、ピンク・フロイドのコンサートでギターを弾いていたからである。
 ただ演奏していたのではなく、実はフロイドのギタリスト、デヴィッド・ギルモアが弾いているかのように見せかけておいて、実はカーテンの陰で実際に弾いていたのがスノーウィ・ホワイトだったという話を耳にしたからである。

 それで最初は隠れて演奏していたのであるが、彼の存在が明らかになってからは、堂々と前面に出て演奏するようになったらしいのである。フロイドの「アニマルズ」ツアーのことのように記憶している。

 この話がどの程度真実かどうかは分からないのだが、でもピンク・フロイドのツアー・メンバーとして演奏していたのは事実である。

 世間的に彼が有名になったのは、アイルランド出身のハード・ロック・バンドであるシン・リジィの後期のアルバムに参加してからだった。1980年発表の「チャイナタウン」からである。彼はこのバンドに80年から82年の途中まで一緒に活動した。

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アーティスト:Thin Lizzy
販売元:Polydor
発売日:1998/08/01
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 バンド脱退後は、ソロとして活動することになるのだが、どうも彼の印象は薄い。確かに演奏自体は上手なのだが、+αというか華がないのである。だからピーター・グリーンやピンク・フロイドなど、他人のアルバムやコンサートでは主演者よりも目立たないのだから重宝されるのであろう。80年代に入ると、ある意味引っ張りだこであった。

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アーティスト:Snowy White
販売元:Repertoire
発売日:2002/11/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 個人的に持っているアルバムは1枚きりで、タイトルは「ハイウェイ・トゥ・ザ・サン」というものである。確かに地味なアルバムである。完全にブルーズに浸っているという印象でもなく、またヒット狙いという感じもない。目玉になるシングル用の曲がないからだ。

 ただゲスト陣は豪華である。1曲めのスライド・ギターはクリス・レアが弾いている。彼のことは、このブログですでに述べた。3曲目の"Burning love"はポール・キャラックと協作している。バック・ボーカルにもポール・キャラックは参加している。彼らしいポップな作品に仕上がっている。

 またホワイトの親友?のデヴィッド・ギルモアも7曲目の"Love, Pain&Sorrow"という曲でリード・ギターを披露している。
 そして8分以上の長い曲、"Keep on working"ではゲイリー・ムーアが参加しているのだ。どうもバリバリ弾いているなあと思っていたら、ホワイトではなく人違いだった。ホワイト自身はスライド・ギターとリズム・ギターを担当していた。

 ということで、ゲスト陣は豪華なのだが、主演のホワイトが地味なのだから、全体としてもいま一歩なのだ。
 彼のギター演奏もオーソドックスなもので、あまりエフェクターを使用しないナチュラルなトーンがお好みのようである。
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 1949年3月3日生まれなので、まだ還暦は迎えていない。しかしプレイ自体は還暦以上の印象を与えてくれるのである。

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