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2007年12月

2007年12月30日 (日)

エヴリバディ・エルス

 今年最後の今回のブログでは、アメリカの新人バンドの紹介を行うことにした。その名をEverybody elseという。もともとはアメリカ東海岸出身なのだが、LAに移住してから自主アルバムをつくり、それが大ヒットしてメジャー・デヴューしたので、一般的には西海岸出身として紹介されている。

 彼らは日本でも輸入盤から火がつき、11月に正式に国内盤が発売された。国内盤では全14曲で、どの曲も捨てがたい魅力を持っている。

エヴリバディ・エルス/エヴリバディ・エルス[CD] エヴリバディ・エルス/エヴリバディ・エルス[CD]

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 このブログで以前Sailsというバンドを紹介させてもらったが、あそこまで70年代はしていないものの、ポップさと今どきの弾けるようなロックンロールの両方をあわせもったバンドである。このバンドはきっと売れる!間違いないと思う。

 事実、本国アメリカでも売れているのである。音楽メディアは彼らをエルヴィス・コステロやラスカルズ、レイザーライツなどと並び評しているほどだ。
 アルバムでは、1曲目の"Meat market"からさっそく弾けたロック・チューンを聴くことができる。また4曲目は静かなピアノのイントロから導かれてミディアム・テンポの曲がポップに展開していく。バック・コーラスもいいし、曲に起承転結があるからすぐに耳に残る。

 また8曲目の"Without you"や10曲目"The longest hour of my life"、11曲目"Button for punishment"は本当にいい曲である。特に10曲目の曲は、こんな若い人にこんな曲が書けるのかと思わせてくれるし、それに続く曲もアコースティック・ギターとバック・コーラスだけで聞かせてくれる。この落差が見事である。
 声も癖のないストレートな声で、声量もあり、高音部も無理せずに伸びやかに出せている。

 国内盤には2曲のボーナス・トラックが付いていて、4曲目の"In memorial"と10曲目のアコースティック・ヴァージョンである。(4曲目はギター一本で、10曲目はピアノ1台で歌っている)
 やはりこの2曲がこのアルバムでは印象に残るものとして、メンバー自身も認識しているのであろう。

 個人的には、21世紀のラズベリーズだと判断している。ラズベリーズについてはいずれこのブログでも取り上げるつもりではあるが、エリック・カルメンという稀有のソング・ライターを擁した70年代を代表するアメリカのポップ・ロック・バンドである。

 メンバーは、いずれも20歳前後のスリー・ピース・バンドである。中心人物はキャリック・ムーアとマイキー・マコルマックで、バンド名はキンクスのシングルのBサイドから借用したといわれている。この年でキンクスから名前を借りるほどだから、やはりその時代の音楽が好きなのであろう。だから若者からおじさんまで好まれる音だということだ。

 ちなみにキャリックがボーカル、ギター、キーボード、ベースと器用に何でもこなし、マイキーがドラムス、パーカッション、ピアノを担当している。もう一人のメンバーであるオースティン・ウィリアムスはベース担当になっている。

 こんなふうに若いうちから売れてしまうと、すぐに解散してソロ活動に走ってしまう。そうすると個人の才能だけで音楽を作ってしまい、グループとしての化学作用が失われてしまうものである。再結成で浮かれているレッド・ゼッペリンなんかはその最たる例だと思う。

 で結局、ソロ活動は個人の自己満足にはなっても、音楽的な深化は甚だ疑問なのである。同様なグループに80年代のポップ・ロックを代表するジェリーフィッシュがいたが、このEverybody elseもそうなる可能性がある。まだまだグループで頑張ってほしいという余計なおせっかいをしてしまうほどだ。

 しかしそれだけの魅力と可能性を持ったグループであることは間違いない。そしてさっそく来年1月30日に、原宿アストロホールでのライヴが決まっている。すでにチケットもぴあなどで売り出されていて、3900円と大変リーズナブルな値段になっている。
 興味のある方はぜひ楽しんできてほしいと思う。私もこんな辺鄙なところでなければ参加するのだが、つくづく残念である。

 こういう音楽が評価されるアメリカの音楽状況はまだまだ健全だと思う。ヒップ・ホップとダンス・ミュージックだけが音楽ではないのである。
 来年もどんどんこんなメロディックで意気のいいバンドが出てきてほしいものである。さようなら2007年!

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2007年12月29日 (土)

鈴木慶一とムーンライダーズ

 私の知人K氏のことについて述べることにする。彼は人柄もまじめなシティ・ボーイで、仕事も堅い職業に就いている。私は、個人的に彼のことを“音楽鑑定団”と呼ぶことがある。
 理由は彼も私以上に音楽について詳しいからだ。特にパンク・ニューウェーブ関係と日本のロックについては、左には出ても、右に出るものはいないほどである。

 先日も内容不明のテープがあるので、誰が歌っているか教えてほしいという要請が私のところに来た。みると確かに薄汚い一本のテープが私の机の上に置いてあった。
 これは私のことを嫌っている職場のH氏からの要請だったのだが、口頭で言えばすむものを、わざわざ紙に書いて残すという姑息なやり方で済ませるものだから、わたしのことを嫌っているということが分かる。

 でもそこはそれ、いくら嫌われても、他人を恨まないように今まで生きてきた私のことだから、仇を恩で返そうと思った。思ったのはいいが、自分にも誰が歌っているのかよく分からない。残念ながら洋楽は得意でも、邦楽は極端に限られてくるのだ。

 それで今回も“音楽鑑定団”のK氏にお願いをした。そしてK氏の回答は見事の一言に尽きる。一発で分かったそうだ。“鈴木慶一とムーンライダーズ”それが彼からの回答だった。

 しかもクリスマスのプレゼントまで付いてきた。鈴木慶一とムーンライダーズのアルバム「火の玉ボーイ」+αのCD-Rであった。これを聴いてもっと勉強しなさいという親心であろう。

火の玉ボーイ 火の玉ボーイ
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 1976年に発表されたこのアルバムは、彼らの代表作とされているものである。76年の制作の割には音は古臭さを感じさせない。いま聴いても充分通用する音楽である。
 古臭く感じさせるのは音よりも、むしろ歌詞の方かもしれない。2曲目の"スカンピン"を聴くと心なしかホッとしたり、涙ぐんだり、そんな気分にさせてくれる。当時の売れないバンドの様子を歌にしたような、その日暮らしの貧乏生活を想像させてくれる。自分にもそういう経験はあるので、十分に理解できるのだ。

 ところで「スカンピン」を漢字で書くと“素寒貧”となるのだが、今どきこんな言葉は誰も使わない。使わないし知らないだろう。また“ジゴロ”という言葉も今では死語に近いであろう。
 しかし逆にこの“素寒貧”という音がリフレインされることで、日本語の曲ではない外国の曲のような雰囲気を醸し出してくれる。

 彼らの音楽を一言でいうと何といえばいいのだろうか。無国籍の日本流ロック・ミュージックとでもいうのだろうか。前述の"スカンピン"のように、特定の日本語を繰り返すことで洋楽のようなリズムを出しているし、続く曲"酔いどれダンスミュージック"や"火の玉ボーイ"ではムーンライダーズ流リズム&ブルースを聞くことができる。

 そういう意味では桑田佳祐よりも3年は進んでいた音楽を奏っていたように思えるのだが、どうだろうか。

 それら以外にも名曲は多い。6曲目は"地中海地方の天気予報~ラム亭のママ"という曲であるが、組曲もしくはメドレー形式になっている。この曲はこのアルバムの中でもひと際目立つ曲である。時間的にも6分以上あるし、前半のゆったりしたムードから後半は一転してアップテンポになるあたりの音の重ね具合は、鈴木慶一の面目躍如といった観がある。

 この曲や続く"ウェディング・ソング"、"魅惑の港"などには、地中海や南洋の島、中国の港町(香港?)など、文字通り国際色豊かなテーマに彩られており、音楽的にもオリエンタルなムードやホーンを使用したニューオーリンズ風な音になっている。

 だから彼らの音楽的な特徴を形作っているものは、リズム感の巧みさだと思うのである。これは鈴木慶一の才能なのか、バンド全体としての能力なのかはクレジットがないので不明であるが、当時のバンドでこれだけのアイデアと演奏力を持っていたのは、一部のプログレ・バンドを除いて存在しなかったのではないだろうか。

 彼らの一風変わったポップさというのは、ハマればこれほど受けるものはないと思うが、受けなければそのまま終わってしまう危険性がある。聴く方の音楽的センスの問題だと思うが、確かにメインストリームの音楽にはなりにくいかもしれない。

 K氏は彼らの音楽は初期の10ccに近いといっていたが、確かにそれはいえると思う。10ccと初期のXTC、ザ・バンドやリトル・フィートを足してシェイクしたような音楽である。要するにイギリスとアメリカのバンドを混ぜて日本語で歌ったという感じだ。

 後半の曲ほど70年代のニュー・ウェーブ風の薄っぺらいシンセの音が耳に残ってチープな感じがした。逆に考えれば「火の玉ボーイ」がどれほど素晴らしいかが分かるという逆説的な意味で印象に残る楽曲群だった。

 ムーンライダーズは1975年に、はちみつぱいというグループを母体に結成された。同じ時期にムーンライダーズというグループが存在していて、それには鈴木慶一の実弟の博文が在籍していた。
 そのムーンライダーズが解散した後、名前の使用権を認めてもらって弟も参加したのが“鈴木慶一とムーンライダーズ”である。
 初期には“ムーンライダース”という表記もしていたようであるが、正確にいうと、“ムーンライダーズ”といわれている。

 最初はなかなか音楽性が理解されなくて、食べていけない状態が続いていたようである。それこそ"スカンピン"の歌詞ような生活だったらしい。
 だからアグネス・チャンのバックバンドをして、彼女のサポート・バンドのような仕事をしていた。最初のステージは青森県の五所川原だった。やがては彼女とともに香港にまで出かけるようになったそうである。だから"魅惑の港"のような曲が書けたのだと思う。

 ところで鈴木慶一は1951年生まれなので、今年で56歳になる。ムーンライダーズの活動と平行して、宮崎美子のCMや北野武の映画「座頭市」の映画音楽など幅広く活動している。最近では俳優としても映画などに出演している。
 ときどきNHKなどにも出ているが、最近はさすがに白髪が目立つようになった。しかし白髪になっても杖をつくようになっても、活動を続けていってもらいたいものである。

 これは蛇足だが、彼ら自身にも本場の10ccと同じように架空のサウンドトラックをテーマにしたアルバム「カメラ=万年筆」というコンセプト・アルバムがある。(1980年発表)
 またソロ・アルバムにはsuzuki Ki >> 7.5ccという名義のアルバムもある。ということは、彼ら自身も自分たちを日本の10ccと位置付けているのかもしれない。

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2007年12月28日 (金)

ノー・サイド

 年末になると、なぜか松任谷由美を聴きたくなる。実際、1983年に発表されたアルバム「ボイジャー」は12月1日に発売されているし、それ以降のアルバムもベスト盤を除いて、11月末か12月に発売されている。

 だから年末になると、ユーミンを聞きたくなるのだろう。1983年から1995年までそういう状況だったから、“年の瀬=ユーミンの新譜”というのは、一種の歳時記みたいになっていった気がする。

 また年末に発売されるユーミンのアルバムは、1988年の「Delight Slight Light KISS」(原題の意味は舌を入れないキスという何やら意味深なものらしい)から95年の「KATHMANDU(カトマンドゥ)」までは連続してミリオンセラーを記録している。

 特にバブル期以降のユーミンのアルバムは200万枚以上売れた。実際にオリコンの記録を見ると、アルバム総売上数女性部門1位2945万枚、アルバム1位獲得数歴代1位の21作、アルバム1位連続獲得年数18年、アルバム年間トップ10獲得年数歴代1位の17年、アルバム年間トップ10獲得作品数歴代1位の19作というとほうもない数字を残している。(いずれも2006年末現在)

 それで今回は1984年に発表された「ノー・サイド」というアルバムについて書くことになった。(何で?)

NO SIDE Music NO SIDE

アーティスト:松任谷由実
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:1999/02/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 これも年末の12月1日に発売された。実家に帰省する車の中で、当時はLPレコードからカセット・テープに録音したものを、飽きずに聴いたものだった。懐かしい思い出である。個人的には"Downtown Boy"と"破れた恋の繕い方教えます"に思い入れがあった。
 後者の曲はビートがかっこよくて、特にベースのチョッパー音が好きだった。(今どきチョッパー・ベースとかいっても誰も知らないだろうな。当時は一世を風靡した演奏技術だったのだ)

 話をアルバムに戻すと、まずジャケットの表のデザインが印象的である。ユーミンの頭文字、MとYを組み合わせて作られたものであるが、制作したのはイギリスのアート集団、ヒプノシスである。さすがヒプノシス、ピンク・フロイド専属ではないのである。

 1曲目はアフリカを舞台にした壮大なコンセプトを持つ楽曲である。「天は大地にそそぎ
 大地は天に溶け 私はうでをひろげ 世界抱きしめる」というフレーズは普通の人には思いつかないのではないだろうか。

 またこの曲と対をなすのが9曲目"Shangrilaをめざせ"であろう。内容は直接関係はないのだが、アルバム構成上そういう感じを受ける。
 内容は一緒にユートピアを見つけようといっているのだが、心の中にあるともいっている。この曲はのちに「ユーミン・スペクタクル・シャングリラ」というパフォーマンスとコンサートを融合した舞台のテーマ・ソングにもなった。

 4曲目の"Blizzard"も、"恋人はサンタクロース"のように、今では冬の定番の曲になってしまった。
 5曲目も冬の、しかも年末を迎えたちょうど今頃の季節感である。やがてくるNEW YEARを待ち遠しく思う恋人たちが、一緒に暮らそうと話し合っているのである。
 8曲目も"木枯らしのダイヤリー"だから今どきの曲である。ただし内容が失恋なので、あまりハッピーとはいえないが・・・

 こんな曲が続くのだから、やはり年末はユーミンなのである。しかもとどめはアルバム・タイトル曲"ノー・サイド"である。これは元はSSWの麗美への提供曲だった。
 ラグビーの試合について歌われたものであるが、モデルは天理高校と大分舞鶴高校との試合の結果についてといわれている。

 84年の正月に行われた大阪花園での全国高校ラグビーの決勝戦で、試合終了直前に放ったゴールキックが外れて、18-16で天理高校が優勝した。
 もし最後のキックが入れば同点で両校優勝になっていたのであるが、キックが外れた直後にノー・サイドのホイッスルが鳴ってしまったのである。

 この試合をTVで見ていたユーミンは、敗者になった舞鶴高校の姿を見て感動し、この曲を作ったといわれている。またアルバム最後に収められている曲もラグビー選手になる途中の少年の姿が歌われている。

 このアルバムもそういう意味では、コンセプト・アルバムかもしれない。そしてそれは、歌詞の内容や曲のタイトルから見ても、冬の、しかも年末年始の雰囲気を充分に醸し出しているコンセプトなのである。

 今年もまた高校ラグビーが開幕した。夏の甲子園、冬のラグビーと、今年もまたドラマが生まれるのだろう。

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2007年12月27日 (木)

スプリングスティーンの“マジック”

 ついにというか、やっとというか、ブルース・スプリングスティーンの最新作「マジック」を聴いた。近年のスプリングスティーンにしてはなかなかの秀作である。久しぶりに弾けるロックン・ロールを演奏するスプリングスティーンを聴いたような気がする。

マジック Music マジック

アーティスト:ブルース・スプリングスティーン
販売元:SMJ(SME)(M)
発売日:2007/10/24
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 100点満点中何点だろう。個人的には87点としたい。なかなか微妙な点数である。本当は採点なんかしたくないのだが、やはりスプリングスティーンには他のアーティストとは違って思い入れもあるので、こんな点数をつけてしまった。

 彼の名前を初めて知ったのは、1975年の「明日なき暴走」からの同名シングルがヒットしたときだった。その時はカッコいいロックだと思った。しかしそのあとはしばらく彼の名前を聞かなくなった。
 あとになって知ったのだが、そのとき彼は当時のマネージャーと裁判沙汰になっていて、アルバムを発表できない時期が続いていたのだった。

 で結局、大学に入ってしばらくしてから、めちゃくちゃブルースのことが好きで、尊敬する人物No.1という知り合い(男性)に出会った。その影響からか、自分も彼のアルバムをきちんと聴き返すようになったのだ。

 大学の生協で数枚の彼のレコードを買った。その中で一番よかったのが、「ザ・リバー」であった。2枚組であったが、生協の購買部だったので2割引ぐらいだったと思う。このときほど大学生でよかったと思ったことはなかった。

ザ・リバー(紙ジャケット仕様) Music ザ・リバー(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ブルース・スプリングスティーン
販売元:Sony Music Direct
発売日:2005/06/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 それでこのアルバムにノック・アウトされたのだ。最初の4曲がすべてである。"タイズ・ザット・バインド"、"愛しのシェリー"、"ジャクソン刑務所"、"二つの鼓動"。この4曲を聴いただけで、すっかり虜になってしまい、以後何ヶ月にも渡ってこのアルバムを聴き続けた。

 そのあとの5曲目"独立の日"は一転して静かな曲で、父親との対立や別れが歌われていて、心に染み入るものだった。たぶんこれはブルースの実体験を歌っているものと思われる。彼の家族は彼をニュージャージーに置いて、西海岸に行ってしまったからだ。もちろんこれは、ブルースがニュー・ジャージーに留まって、バンド活動を続けたいと願ったからだったが・・・

 だから彼の新作にもこのような曲構成を期待していた。1stシングルになったアルバム最初の曲"レディオ・ノーウェア"は確かに疾走感のある"明日なき暴走"を思わせるような曲だった。これは満点。
 しかしその次の曲からは失速してしまうのである。ただ今までのアルバムは、その失速の度合いが急なものだったが、このアルバムではその差は小さい。ちょっとアップテンポの曲に留まっているだけだ。だから決して悪くはないのだが、全盛期を知るものにとっては辛いのだ。したがって-5点。

 でも彼のエナジーはまだまだ充実している。3曲目の"リヴィング・イン・ザ・フューチャー"では、あのクラレンス・クレモンスのサックスが聴ける。これは名曲である。
 しかしあの往年の名曲"ジャングルランド"のサックス・ソロを知るものにとっては、もう少し吹いてほしかったというのが正直なところである。

 だいたいアルバム全体を通してサックスの比重が少ない。もっとクレモンスのソロ・パートを増やしてほしかったのだ。これは痛い減点になる。
 ただ彼が病気だったので、思うようなプレイができなかったという点を考慮しなければならない。またよる年波には勝てず、Vote for changeツアーでは途中でステージ横に座り込んでいたという報告もある。頑張れ、クレモンス。だからここは-3点にした。

 さらに"涙のサンダーロード"のイントロのようなロイ・ビタンのピアノを期待している人は失望を味わうことになるだろう。唯一目立つピアノは7曲目の"アイル・ワーク・フォー・ユア・ラヴ"だけである。
 やはりE・ストリート・バンドにはロイ・ビタンの叙情的なピアノが必要なのだ。これはやはり-3点である。

 また10曲目の"ロング・ウォーク・ホーム"は、これもまた名曲なのだが、最後が急にフェイド・アウトしてしまう。これは不思議だ。たぶんこのアルバムで一番盛り上がるところだと思うのだが、なぜか急にフェイド・アウトしてしまう。どうしてこうなったのかが分からない。責任者呼んで来いという感じである。

 ギターとサックスで盛り上げ、オルガンで音に厚みをつけるといういつものE・ストリート・バンド流の曲なのだが、一番いいところで切れてしまうのだ。これは減点の対象であろう。-2点とみた。
 というわけで-13点の87点という結果なのである。

 しかしそれでも私はこれは素晴らしいアルバムだと断言する。今年発売されたアルバムの中で3本の指に入るであろう。

 全体的にギター中心の音作りというのがうまくいったのではないだろうか。ブルースの声も衰えを見せていないし、相変わらずアメリカの現状やアメリカ社会に生きる人々の様子を克明にとらえていて、歌詞カードを見ながら聴くと、もっと彼の切実なメッセージが伝わってくる。

 今までは「ネブラスカ」のようなソロ・アルバムが多かったが、これを契機にさらに昔のようなアルバムを、いや「ザ・リバー」を上回るようなアルバムを作ってほしいものだ。
 とりあえずこれはリハビリが終わって作ってみました、というふうに考えれば、次はもっと期待できるのではないだろうか。彼の“マジック”はまだ尽きていないのだ。

 年末になっていいアルバムにめぐり合えることができて、幸せである。

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2007年12月26日 (水)

E.L.O.

 以前サンタナの2枚組アルバム「ムーン・フラワー」のことについて書いた。1977年に発表されたものであるが、この年の2枚組のアルバムとしてはこのアルバム以外にも、とても素晴らしいアルバムが発表されている。それがエレクトリック・ライト・オーケストラ(以下E.L.O.と略す)の「アウト・オブ・ザ・ブルー」である。

Photo_2 Music アウト・オブ・ザ・ブルー

アーティスト:エレクトリック・ライト・オーケストラ
販売元:ソニーレコード
発売日:1998/02/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 発売当時はLPレコードの2枚組だったのだが、CD時代になると1枚に収められた。しかも廉価盤で1800円で販売されたりもした。はっきりいってお買い得である。何を買うか迷っているときは、もしこのアルバムを聞いたことがなければ、即買いだと思う。

 もともとELOは、ロイ・ウッドという人が作ったバンド、ザ・ムーヴをその前身にしている。ザ・ムーヴ自体は60年代の終わりにデヴューしていて、サイケデリックなポップ・ロックを身上としていた。

 それでELOとしてデヴューしたのは1971年で、その当時のメンバーは、ロイ・ウッド、ジェフ・リン、ベヴ・ベヴァン、ビル・ハント、スティーヴ・ウーラムの5人だった。
 ちなみにロイ・ウッドとジェフ・リンはマルチ・ミュージシャンでほぼなんでも演奏できた。特にロイ・ウッドはチェロやバスーン、オーボエ、クラリネットなど弦楽器から木管楽器まで巧に演奏できた。だから彼のソロ・アルバムは、歌から演奏、プロデュースまでひとりで制作されている。

2_2 Music ボールダーズ(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ロイ・ウッド
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007/09/26
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 ただ「両雄並び立たず」という言葉があるように、ロイ・ウッドとジェフ・リンは互いに豊かな才能を持っていたため、意見の対立が目立ち、セカンド・アルバムの制作中に、結局ロイの方がグループを去る形になってしまったのである。

 そしてここからジェフ・リンの手腕が冴え渡り、徐々にヒット・シングルも出始め、知名度も上がってきた。
 アルバム・チャートをみるとその軌跡がよく分かる。
1974年「エルドラド」・・・全米16位、初のゴールド・ディスク獲得

1975年「フェイス・ザ・ミュージック」・・・全米8位、ゴールド・ディスク獲得

1976年「オーロラの救世主」・・・全米5位、プラチナ・ディスク獲得

1977年「アウト・オブ・ザ・ブルー」・・・全米4位、プラチナ・ディスク獲得

1979年「ディスカヴァリー」・・・全米5位、プラチナ・ディスク獲得

1981年「タイム」・・・全米16位

 この74年から81年までがELOの黄金期だと考えている。特に77年の「アウト・オブ・ザ・ブルー」は予約だけで400万枚という途方もない数字を記録したのだった。

 もともとELOは、ロックとクラシックの融合を基本コンセプトにして結成されたという経緯もあった。だから初期の段階でも黄金期に入っても、レコーディングやライヴには(もちろんメンバーとしても)チェロやヴァイオリン奏者が加わっていた。“世界最小で最高のオーケストラ”という異名もこのときにつけられたものだ。

 この77年のアルバム制作時にもミック・カミンスキー(ヴァイオリン)、ヒュー・マクドウェル(チェロ)、メルヴィン・ゲール(チェロ)という3人のストリングス・メンバーが在籍していた。
 また、リーダーのジェフ・リンは、大のビートルズ・ファンで、彼のアルバム棚にはビートルズとバルトークのレコードしかないと言われるほどであった。

 だからアルバムを発表するたびに、そのビートルズ度合いというかビートルズ指数は上がっていったのである。つまりどんどんポップになっていったのだ。
 グループ解散後は、ジョージ・ハリソンのアルバム・プロデュースやビートルズ・アンソロジーの編集まで携わっているのだから、まさにビートルズ冥利に尽きると思ったに違いない。

 この「アウト・オブ・ザ・ブルー」でもビートルズのようなポップな要素とストリングスが合体したような音楽を聴くことができる。全17曲だから、これだけでもお腹いっぱいという感じになってしまうほどだ。
 特に"ターン・トゥ・ストーン"や"スウィート・トーキン・ウーマン"、"ミスター・ブルー・スカイ"などは秀逸であると思う。

 ところでELOという名前の使用権は、ジェフ・リンとドラム担当のベヴ・ベヴァンの2人にしか与えられていないようで、他のメンバーが活動するときはこの名称は使えない。
 だから1988年にベヴ・ベヴァンがジェフ・リン抜きでバンド活動をしたときには、“エレクトリック・ライト・オーケストラPart2”という名前でアルバムを発表している。

 どうしてこうなったかというと、ELO自体がジェフ・リンのバンドのようになってしまったからだ。またベーシストのケリー・グロウカットがジェフとマネージメント側を訴えたという事件も見逃せない。
 ケリーはもとの契約時では賃金週払いのサポート・メンバー扱いだったようだ。しかしオリジナル・メンバーと同じようにレコーディングやライヴ活動を行っていたのだから、他のメンバーと同じ扱いにしてくれという訴えももっともなことであった。

 でも何度も訴えても、希望を聞いてくれないリーダーとマネージメントに業を煮やし、ついに裁判所に訴えでたのだった。
 結果は、当然の如くケリーの勝訴に終わったが、以後二度とジェフから声がかかることはなかった・・・

 作詞・作曲・プロデュースすべてジェフ・リンの手によるアルバム「アウト・オブ・ザ・ブルー」。日本語にすると“突然に”とか“思いがけなく”というような意味である。自分はこのアルバムのおかげでこの熟語を覚えた。そういう意味でも大変思い出のあるアルバムでもあった。

 さらにLPでは、ジャケットにあるような切抜きのできる小さなUFOやメンバーの似顔絵ポートレイトというオマケがついていた。廉価盤のCDには当然ながらついていない。残念である。

 また「アウト・オブ・ザ・ブルー」以降は、7人組から4人編成に変わり、チェロなどのストリングスをキーボードで代用するようになった。それだけテクノロジーが進んだということだろうか。
 ともかく今でも"ターン・トゥ・ストーン"を聞くと、当時の雰囲気にタイム・スリップできるのである。音楽というものは本当に不思議なものなのであった。

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2007年12月25日 (火)

クリスチャン・ミュージック

 日本でもケーブル・TVやデジタル放送の普及で多チャンネル時代を迎えはじめているが、海の向こうのアメリカでは80年代から多チャンネル時代であった。

 何しろMTVのような音楽専門チャンネルは84年に始まったし、CNNのようなニュース専門番組や天気予報専門番組もその頃から始まった。

 そして新興宗教の教祖様がTVを通して魂の覚醒や愛の募金を呼びかける専門局まであるというのだから、たいしたものである。お金さえあればTVを通して、不特定多数の人に呼びかけることができるのである。
 もちろん既成の宗教でもTV放送は行っていて、教会の補修をするので募金を募るくらいは日常茶飯事らしいのだ。

 音楽の分野でも、最近クリスチャン・ミュージックというのが流行っている。一昔前まではゴスペルがメイン・ストリームであったのだが、最近ではコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック、オルタナティヴ・クリスチャン・コンテンポラリー・ミュージック、果てはクリスチャン・ラップからクリスチャン・メタルまであるという。

 いずれも聖書や信仰に基づいたメッセージを含む音楽なのであるが、日本では念仏ラップなどは考えられないことだ。それほどキリスト教が日常の生活の中に密接に結びついているのであろう。

 ちなみにエイミー・グラントやステイシー・オリコなどはこの手の音楽に含まれるミュージシャンらしい。でもこれ以外でも古くはボブ・ディランやバーズ、新しくはU2やシンニード・オコナーなどは間接的に神について歌ったり、あるいは詩の中に聖書からの一節が引用されていたりと、やはりキリスト教の影響は大きいといえる。

 それで最近買ったCDのなかにこの手の音楽を奏でるグループがいた。エヴリデイ・サンデーというグループのアルバムである。

ウェイク・アップ!ウェイク・アップ! Music ウェイク・アップ!ウェイク・アップ!

アーティスト:エヴリデー・サンデー
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007/11/07
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 解説によると彼らは、アメリカの中西部にある銃乱射事件で有名になったオハイオ州コロンバスで結成されたという。平均年齢20.8歳のパンキッシュなポップ・ロック・バンドである。一番若いメンバーは17歳だから、青春してますの年齢である。

 とにかく音が若い。そしてどの曲も歌いやすいサビを持ったメロディアスなものばかりである。ちょうどグリーン・ディを一回り若くして、もっとポップ寄りにした感じである。あるいは「蒼ざめたハイウェイ」の頃のチープ・トリックをさらに軽くしたような感じと思えばわかりやすいのではないだろうか、40代以上の人には。

 1曲目の"Let's go back"では楽しかったあの頃に戻ろうよと歌っているし、2曲目の"ウェイク・アップ!ウェイク・アップ!"では自分自身に対して目を覚ませと歌っている。
 いずれも元気よく若さに任せて突っ走っている感じがあるが、この疾走感がたまらなく気持ちいいのだ。やはりロックは焦燥感であり、疾走感である。

 最初の3曲まであっという間に曲が終わってしまう。そして4曲目の"ファインド・ミー・トゥナイト"が始まる。
「だから僕を見つけてほしい
たとえ僕がどこにいたとしても
僕を見つけてくれないか
僕は自分を見失っていて
心の痛みを抱えたまま
このまま流離おうとは
思わないんだ
だから今夜僕を見つけてください」
(訳プロフェッサー・ケイ)

 このアルバムに"You"という言葉が数多く出てくるのだが、素直に“あなた”と相手のことを歌っていると考えることもできるし、“天にまします我らの神”のことをたとえているとも考えられる。
 しかし、ここはクリスチャン・ミュージックである。やはりここは“神”のことをいっていると考えたほうが妥当だろう。

 でもそんなことをいちいち考えなくても充分楽しめる音楽である。パーティなどでかけても充分盛り上がると思う。さすが神様の音楽だけあって、様々な状況に対応できるようになっているのであろう。

 何しろグループ名からして「毎日が日曜日」なのである。城山三郎の小説ではないのだ。
 これはグループのリーダーで熱心なクリスチャンでもあるトレイ・ピアソンが付けたグループ名であり、“礼拝=厳粛さや真剣さ、休日=楽しもう”という2つの意味が込められているという。やはりクリスチャン・ミュージックである。基本は外さないのだ。

 ビルボードのトップ・クリスチャン・アルバムのチャートでは最高位39位を記録したこのアルバムを引っさげて、現在は全米ツアー中だという。たぶんこの調子では来日も間近だと思う。なかなかイキがよくて、メロディックなバンドである。
 ちなみに私が購入した理由は、もちろんキリスト教に改宗したわけではなくて、試聴してよかったのと、1980円という値段の安さからだった。私にとって宗教とは、やはり理念よりも現実なのである。
 今日は12月25日クリスマスの日である。

 追記:
 彼らの先輩格に“リライアントK”というグループがいる。これは日本語に訳すと「信頼できるK」という意味になるのだが、この“K”とは日本製の軽自動車のことを指しているというのだ。つまり日本製の軽自動車は信頼できる乗り物というわけだ。

 彼らもエヴリデイ・サンデーのように、若くてイキのいいパンク・ポップ・バンドである。そして同じクリスチャン・ミュージック・シーンの担い手なのだ。

ファイブ・スコア&セブン・イヤーズ・アゴー Music ファイブ・スコア&セブン・イヤーズ・アゴー

アーティスト:リライアント K
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007/03/07
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2007年12月24日 (月)

フォリナー

 1977年にフォリナーという6人組のロック・グループがデヴューした。1stアルバムの「フォリナー」は全米で300万枚以上売れて、トリプル・プラチナ・アルバムに認定された。またその年のグラミー賞にもノミネートされた。

Photo Music 栄光の旅立ち(紙ジャケット仕様)

アーティスト:フォリナー
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2007/02/28
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 “フォリナー”というと、“外国人”とか“異邦人”とかいう意味であるが、このバンド結成時のメンバーが英国人3人、米国人3人という構成だったために、このようなバンド名が付けられたのである。

 ちなみに結成時のメンバーを羅列してみると次のようになる。
・ミック・ジョーンズ・・・英国人、ギター担当、元スプーキー・トゥースというB級バンドに在籍していた。

・イアン・マクドナルド・・・英国人、キーボード、フルート、サックス担当、ご存知の通り、A級バンド、キング・クリムゾンのオリジナル・メンバーであった。

・デニス・エリオット・・・英国人、ドラムス担当、元イアン・ハンター&ミック・ロンソン・バンドに在籍していた。イフというグループにもいたらしいが、残念ながらこのグループのことについては全く知らない。

・ルー・グラム・・・米国人、リード・ボーカル担当、いくつかの曲では作詞・作曲に参加している。元ブラック・シープというバンドにいたらしい。このバンドも詳細は不明。

・アル・グリーンウッド・・・米国人、キーボード、シンセサイザー担当。元ストームというバンドにいたらしい。また数多くのセッションも経験している。

・エド・ガリアルディ・・・米国人、ベース担当、無名であるが、ニューヨーク周辺のローカル・バンドに加入していた。

 以上の6人である。もともとはニューヨークに住んでいたミック・ジョーンズがイアン・マクドナルドと出会い、グループ結成を思いついた。そしてアル・グリーンウッドが加わり、次々と他のメンバーも集まったそうである。

 当時はそのメンバーの構成や経歴からスーパー・バンドと囃し立てられたような記憶がある。経歴といっても有名なのはイアン・マクドナルドだけで、ミック・ジョーンズとかいわれてもピンとこなかった。ルー・グラムにいたっては「誰、その人?」という感じであった。

 音楽評論家や専門家にとっては、ブラック・シープやスプーキー・トゥースは知られていたかもしれないが、10代の自分にとっては全く未知のグループだった。(いまだに未知でもある)

 しかし、アルバムは売れた。何でこんなに売れ線なロック音楽を創れるの不思議だった。曲のほとんどはミック・ジョーンズが手がけており、何曲かはルー・グラムとの共作、アル・グリーンウッドとイアン・マクドナルドもそれぞれ1曲ずつ参加している。

 イアンが作った曲はもっとプログレッぽい音かと思ったら、全然そうではなく、3分足らずのハードな曲であった。
 ミックもこんなに売れる音楽が書けるのなら、なぜもっと早く書かなかったのか、当時は不思議に思ったものである。(いまだに不思議だ)スプーキー・トゥースは1枚だけベスト盤を持っているが、ブルースを基調とした純然たるブリティッシュ・ロック・バンドであった。

 とにかくぽっと出の新人バンドとは違って、ある程度の経験のある熟練したミュージシャンが集まったバンドだから、それまでの経験から売れる音楽のツボというものものを知っていたのであろう。
 あるいは売れないままでは終われない、ここで一発ビッグになろうという強い上昇志向があったのかもしれない。特にミック・ジョーンズは・・・あるいはもう一度メジャーになろうとしたのかもしれない。イアン・マクドナルドは・・・

 とにかくポップなサビの部分を持ったハードな音楽という感じであった。ほぼ同時期に出たボストンやジャーニーと同じような音の傾向であった。

 ちなみに1stシングル"衝撃のファースト・タイム"は77年の6月に全米4位を記録した。そして次のシングル"つめたいお前"は10月に全米6位を記録している。アルバム自体も最高位で全米4位を記録している。

 日本ではこの2枚のシングル以外にも、"スターライダー"や"ロング、ロング・ウェイ・フロム・ホーム"(イアンが曲つくりに参加している)もヒットしたような記憶がある。だからアルバムも秋口から12月、年を超えて2月くらいまで、ロング・ヒットを記録したのではないだろうか。

 だからこの時期になると、このアルバムを思い出すのである。特にシングル"Cold as ice(つめたいお前)"を聞くと、寒そうなタイトルとともに冬の冷たい朝や冷え冷えとした当時の状況をも思い出してしまう。罪作りな曲である。

 彼らは2ndアルバム「ダブル・ヴィジョン」も500万枚以上を売り上げ、名実ともにトップ・グループに成長した。しかし3rdアルバム「ヘッド・ゲームス」ではベーシストが元スモール・フェイセズのリック・ウィリスに交替。
 続く1981年に発表されたアルバム「4」では、イアンとアルが脱退し、タイトル通り4人になってしまった。

 前作から2年のブランクを経て発表されたアルバムであったが、皮肉なことにこのアルバムは、全米で1500万以上売れ、アルバム・チャート10週連続No.1という結果を出している。

2 Music 4(紙ジャケット仕様)

アーティスト:フォリナー
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2007/02/28
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 しかしこのアルバムの録音時の様子は、まさに分裂状態のようだったと、ホール&オーツのダリル・ホールが述べている。
 彼は、隣りのスタジオで彼ら自身のアルバム「プライヴェート・アイズ」を録音していたとき、イアンとアルが録音しに来て、彼らが帰ると、残りの4人が制作に訪れてたと述べている。
 そしてホール&オーツがアルバムを完成させ、1年間ツアーに出て、またスタジオに戻って、次のアルバム「HO」を録音しようとしたときも、隣りではまだ「4」を録音していたという逸話も紹介している。でも売れたのはフォリナーのアルバムだった。

 彼らには“ジューク・ボックス・ヒーロー”という名前のコンピレーション・アルバムがあるらしい。名前の由来はジューク・ボックスのようにたくさんのシングル・ヒット曲をもっているからである。確かにプラチナ・アルバムは7枚あるし、ヒット曲も20曲以上あるからその呼称は正しいと思う。

 ただ結果としては、人間関係も壊れていったということもまた事実である。現在のフォリナーも6人組だが、オリジナル・メンバーはミック・ジョーンズだけである。バンドというよりは、彼個人のサポート・バンドといったほうが適切かもしれない。

 "Cold as ice(つめたいお前)"という言葉は、メンバー相互がお互いを呼び合うさいのキーワードになったのかもしれない。

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2007年12月23日 (日)

ムーン・フラワー

 フェリー会社の船にサン・フラワーというのがあるが、今回はムーン・フラワーについて書くことにした。あのサンタナが1977年10月に発表したアルバム「ムーン・フラワー」のことである。

ムーン・フラワー Music ムーン・フラワー

アーティスト:サンタナ
販売元:Sony Music Direct
発売日:2003/10/22
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 「ムーン・フラワー」とは日本語でいうと、“夜顔”と辞書に載っていたが、“夕顔”とどう違うのだろうか。よくわからないがそんな事を考えた。

 このアルバムは、当時は2枚組のLPレコードとして発売された。全16曲であるが、スタジオ録音が8曲、ライヴ録音が8曲という変則的な内容であった。
 スタジオ録音では、このアルバムからシングル・カットされた"She's not there"がヒットした。これはゾンビーズというグループが1964年に彼らの1stシングルとして発表したもので、全米では2位まで上がった有名な曲である。

 今回は最高27位ということで中ヒット程度に終わったが、当時のサンタナにしてみれば、久々のシングル・ヒットになったのである。
 アルバム自体も全米10位まで上昇しており、2枚組のアルバムにしては、大ヒットといってもいいであろう。

 また日本では"ムーン・フラワー"もシングル・カットされてヒットした。これはインストゥルメンタルであるが、"哀愁のヨーロッパ"の流れを継ぐサンタナ流ムード演歌の曲である。相変わらずサスティンの伸びたサンタナのギターを堪能することができる。この2曲が連続しているので、ポップな面と流麗なギター演奏との両方を楽しむことができる。

 でもこのアルバムでは、やはりライヴ演奏が一番の聴き所だろう。2曲目の"カーニバル"~"子供たちの戯れ"~"喝采"の3曲はいずれも時間的に2分程度のものであるが、躍動感に溢れ、聞いているこちらまで思わず腰を浮かして踊りだそうとするほど、白熱したものである。
 カルロスのギターだけでなく、ラテン・パーカッションにキーボードとギターの絡み合う様は、本当に間近でライヴを見ているような感覚に襲われてしまうほどである。特に"喝采"のカルロスのギターが切り込んでくるところは、見事というほかはない。

 その後に続く、スタジオ録音の曲も違和感なく収まっている。スタジオ録音の曲はボーカル入りもあるのだが、インストゥルメンタルの曲も多くあり、そういう意味で、スッと耳に入って馴染んでしまう。

 定番の"ブラック・マジック・ウーマン~ジプシー・クィーン"、"ダンス・シスター・ダンス"、"哀愁のヨーロッパ"にいたっては、もうお手上げである。
 スタジオ曲とライヴ曲が混じっていても、このアルバムが統一感に満ちているのは、ラテン・パーカッション並びにリズム隊が躍動感に満ち満ちているからであろう。
 特に"ソウル・サクリファイス"のドラムは圧巻である。グラハム・リアという人が叩いているのであるが、さすがサンタナが目をつけただけあって、手数が多く、リズムに全然乱れがない。またこのアルバムの中で一番時間の長い曲でもある(約14分)。

 いい忘れていたが、ライヴは前年に発表された「フェスティバル」ツアーのヨーロッパ公演から録音されたものである。このときサンタナは29歳の若さであった。まさにこれから円熟の域を目指そうとする時でもあった。

 またジャケットも見事である。雲海の写真が感動的でもある。昔はレコードだったので、ジャケットも大きく、CDのジャケットとは受ける印象も全く違うものであった。ちなみに写真は日本人の白川義員(「よしかず」と読む)という人が撮影したとのこと。
 この人は文化勲章まで受章しているほどの、日本を代表する写真家でもある。世界の瀑布や高山などの自然を被写体とするのが得意の分野らしい。

 しかし、今年はよくサンタナを聴いた。ちょうどカルロスも今年で60歳。節目の年だからというわけでもないのだが、「ウェルカム」や「不死蝶」、「フェスティバル」などの70年代半ばのアルバムを紙ジャケットのCDで買って揃えたからだと思う。
 できれば80年代のアルバム、「ジーバップ!」や「シャンゴ」なども紙ジャケ化してほしいものである。

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2007年12月22日 (土)

地球最後の男が聴いていた音楽とは…

 映画「アイ・アム・レジェンド」を見た。主演のウィル・スミスは相変わらずカッコよかったし、演技にも幅が出てきたように思えた。

アイ・アム・レジェンド (ハヤカワ文庫 NV マ 6-5) Book アイ・アム・レジェンド (ハヤカワ文庫 NV マ 6-5)

著者:リチャード・マシスン
販売元:早川書房
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 映画に関しては、あまり詳しく書きすぎるとネタをばらしてしまう恐れがあるので、難しいのだが、予想以上に迫力があって結構楽しめた。

 簡単なストーリーをいうと、ある女性医師がガンに効果的なワクチンを開発した。そのワクチンはあるウィルスを培養して作ったのだが、それが最初は100%効果があったのだが、だんだん効き過ぎて、狂犬病のような症状を呈して亡くなったり、生き残ってもものすごく凶暴な人間に変化してしまった。

 やがて60億人のうち、55億人ほどが死亡し、4億8千万人以上が汚染され、生き残った人間は約1200万人ほどであったという。
 特にニューヨークがその汚染源であり、ニューヨークには一人の人間を除いて誰もいなくなったのだ。その人間というのが、主人公のウィル・スミスである。ウィルスによるワクチンが失敗して汚染が広がったから、ウィルス・ミスになったというくだらないジョークを言ってはいけない。

 そのウィルス・ミスではなくて、ウィル・スミスの娘の名前がマーリィーで、それはボブ・マーリィーにちなんで名づけた、と語っていた。そしてボブ・マーリィーの曲を流しながら自分を鼓舞しようと、あるいは癒すために聴いていた(と思う)。

 前にもこのブログで述べたが、ボブ・マーリィーはジャマイカ出身のミュージシャンであり、ジャマイカのみならず世界各国にレゲエ・ミュージックを広め、行動を通して、平和を求める大切さや差別や偏見に対して、団結し、闘おうとする姿勢を示したのだった。ボブ・マーリィーの偉大なる楽曲を集めた究極のベストアルバム!BOB MARLEY/ONE LOVE:THE VERY BEST OF BOB MARLEY & THE WAILERS【ボブ・マーリー】

 映画の中では、さらにボブ・マーリィーについてのエピソードが語られる。「1976年12月3日にボブ・マーリィーと彼の妻、マネージャーは自宅にいたところを5人組のギャングに襲われ、数発の弾丸を発射された。弾は彼の左肩と頭に当たったが、幸いにも命に別状はなく、2日後に行われたフリー・コンサートに参加し、平和と団結の大切さを訴えた。
 彼はなぜステージに立ったのかと問われて、こう答えた。『悪は一日たりとも休んだりはしない。だから正義も闇を照らさないといけないのだ』だから自分も闇を照らす戦いを続けるのだ」

 ウィルス・ミスではなくて、ウィル・スミスはそういいながら、ボブ・マーリィーの曲をかける。かけるだけでなく、エリック・クラプトンが歌って有名になった"アイ・ショット・ザ・シェリフ"の一節を口ずさむのだった。

 ボブ・マーリィーの曲は、これ以外にもこの映画では数曲使われていた。最後のエンド・ロールでも流れていた。初期の有名な曲"トレンチタウン・ロック"や"ノー・ウーマン、ノー・クライ"、"ゲット・アップ、スタンド・アップ"などは使われずに、"3羽の小鳥"や"レデムプション・ソング"などが使用されていたと思う。

 この映画では、徹底して闘うウィルス・ミスではなくて、ウィル・スミスが描かれているが、その背景にはボブ・マーリィーが当時闘った差別や偏見、また平和への粘り強い闘争というものと重なりあう部分がかなりあったからだと推測される。

 残念なことにボブ・マーリィーは、36歳の若さで亡くなっている。病名は脳腫瘍だった。亡くなる前のボブ・マーリィーは、32kgまでやせ細っていったという。
 葬儀はジャマイカの国葬であった。まさに「人生は短く、芸術は長し」である。

 こういうSF映画にまで彼の音楽が使われ、しかもその精神性まで一部披露されるとは彼も思ってもみなかったに違いない。確実にまた着実に彼の精神は時代とともに生きているのである。

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2007年12月21日 (金)

スティーヴ・ミラー・バンド

 ボズ・スキャッグスの盟友ともいわれるスティーヴ・ミラーは、ボズと同じ高校、大学に通い、その当時からバンドを結成していた。高校時代のバンド名は“The Marksmen”といい、大学時代では“The Ardells”といった。

 やがてボズはヨーロッパに出かけて、己の技量を試す武者修行を行ったが、スティーヴはアメリカに残り、バンド活動を続けた。1965年にバリー・ゴールドバーグという人と“ゴールドバーグ・ミラー・ブルース・バンド”を結成し、やがてそれが“スティーヴ・ミラー・ブルース・バンド”という名前に変わり、66年には“スティーヴ・ミラー・バンド”に落ち着いた。

 68年にはボズ・スキャッグスがヨーロッパから戻り、アルバム「未来の子どもたち」と「セイラー」に参加している。
 この当時のスティーヴ・ミラー・バンドは時代の影響からか、サイケデリックでブルースともロックともつかない音楽を演奏していた。

 アルバム「セイラー」からは"Living in the U.S.A."がシングルカットされてヒットしたが、バイクの爆音から始まるこの曲は、確かにブルースを根本にしたロック・ミュージックである。のちのスティーヴ・ミラー・バンドからは想像もつかないほどのブルースである。
 それ以外にもブルース・ミュージシャンのジミー・リードの曲をカヴァーしたりしている。

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Music Sailor

アーティスト:Steve Miller Band
販売元:Toshiba EMI
発売日:1991/04/09
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 ボズ自身も3曲の曲つくりに参加しており、いずれもリフ主体のブルース・ロックである。ただそんなにガチガチのブルースではない。中でも最後の曲"Dime-a-dance romance"はリフがローリング・ストーンズの曲"ジャンピング・ジャック・フラッシュ"にそっくりである。

 ボズはこれでスティーヴ・ミラーと袂を分かち、ソロ活動を始めた。一方、スティーヴ・ミラーは、サンフランシスコを中心に地道なライブ活動を続けながら、コンスタントにアルバムを発表し続けた。

 私が個人的にスティーヴ・ミラー・バンドを知ったのは、1977年に大ヒットしたシングル曲"ジェット・エアライナー"を聞いてからである。それまではジャケット・デザインを見たことはあっても、中身までは聴いたことがなかったのだ。

 この曲は全米No.1とはならなかったが、ノリのいい名曲である。これはアルバム「ペガサスの祈り」からの1stシングル・カットであった。

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 このアルバムからは"ジャングル・ラヴ"、"スイングタウン"などシングル・カットされた曲はすべてヒットしている。アルバム自体も全米2位まで上昇している。

 個人的には"ジェット・エアライナー"と"冬将軍"が好きであった。"冬将軍"の方は日本でややヒットしたと思う。ちょうど今時期にヒットしたような気がする。

 スティーヴ・ミラー・バンドは、とにかく70年代の半ば、ちょうどアルバム「鷲の爪」をだした1976年以降から急にブルース・ロックからポップスへと移行した。だから初期のボズがいた頃と比べると全く違うバンドのようである。

 ポップなスティーヴ・ミラー・バンドを聴きたければ、アルバム「グレイテスト・ヒッツ1974-78」がお勧めである。

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 14曲収められたこのアルバムの中で、「鷲の爪」から6曲、「ペガサスの祈り」から7曲収録されているから、ほとんどの曲がこの2枚のアルバムからであり、とどのつまりはベストアルバムとはいっても、この2枚のアルバムから選曲されたものともいえる。

 さすがにいい曲が集められただけあって、どの曲から聴いても満足できるアルバムになっている。
 特に"ロックン・ミー"と"星空のセレナーデ"はすばらしい。前者の曲のイントロは、ポール・ロジャースのフリー時代の名曲"オールライト・ナウ"に酷似している。こう思うのは私だけだろうか。

 その後、スティーヴはまたもとのブルース・ロックへと回帰していったようだが、やはり一番売れたのは70年代の後半だと思う。そういう意味ではこのベスト・アルバム1枚だけでも充分に楽しめると思うのである。

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2007年12月20日 (木)

ボズ・スキャッグス

 以前にスタジオ録音の鬼といわれる?スティーリー・ダンを紹介したが、同じように屈指のスタジオ・ミュージシャンを起用して、アルバムを作り上げたソロ・ミュージシャンがいる。

 彼の名はボズ・スキャッグス。そして彼のバック・バンドはのちにデヴューを果した。そのバンドの名前はTOTOである。

 ボズはスティーリー・ダンほど一つの音に凝るというタイプではない。もとはR&Bシンガーだったから、むしろ泥臭いブルースや伝統的な南部音楽に根ざした音を追求していた。だからどちらかというとザクッとした肌触りの音楽を目指す方だった。

 少年時代をテキサスで過ごし、高校、大学ではスティーヴ・ミラーとバンドを組んでブルースを演奏していた。
 よほどR&Bが好きだったのだろう。60年代初めにはひとりでロンドンに渡り、歌っていたそうである。プロとしてスウェーデンのポリドール・レコードからアルバムを出したらしいが、今では入手困難であり、ボズ自身もアメリカでは2人ぐらいしか持っていないだろうと述べている。

 帰国後、ハイスクール時代からの友人であるスティーヴ・ミラーとともにバンドを結成するが、2人の目指すブルースに違和感を覚えて、脱退。アメリカでソロ・デヴューを飾った。

 彼の実質的なソロ・アルバムが「ボズ・スキャッグス」である。1969年のお話である。このアルバムでは“スカイドッグ”という愛称のデュアン・オールマンがギターを弾いている。彼がデレク&ザ・ドミノスに参加する前であった。

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Music Boz Scaggs

アーティスト:Boz Scaggs
販売元:Wea International
発売日:1990/10/25
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 また、このアルバムには"ローン・ミー・ア・ダイム"という12分を越える曲が収められていて、彼のギターがフィーチャーされている。

 アルバム・ジャケットに写しだされている家は、あの有名なアラバマ州にあるマッスル・ショールズ・スタジオである。ここでは数多くのミュージシャンが録音し、アルバムを制作したが、南部音楽やR&Bの聖地といっていいようなところだ。ボズもまたこの地に憧れて、アルバム制作に携わった。

 彼の原点という意味で、貴重なアルバムである。今一度聴いてみると、渋くて本当にソウルフルに歌っているという印象がある。後に聞けるような都会的で洗練された音とは程遠いような、むしろ180度違う世界が提示されている気がする。

 彼の音楽が変化したのは1976年に発表された「シルク・ディグリーズ」からである。スリー・ディグリーズではないので間違ってはいけない。このアルバムは売れに売れて、それまではサンフランシスコ地域限定だったのが、一挙に全米、全世界に名前が売れてしまった。
 全米2位、400万枚以上も売れたというからたいしたものである。このアルバムからは"ロウダウン"や"ウィ・アー・オール・アローン"などのヒット・シングルが生まれれ、この年を代表するアルバムになってしまった。そしてこのときのバック・ミュージシャンがのちにTOTOとして1978年にデヴューしたのだった。

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Music シルク・ディグリーズ(エクスパンディッド・エディション)

アーティスト:ボズ・スキャッグス
販売元:Sony Music Direct
発売日:2007/04/04
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 このアルバムと翌年に発表された「ダウン・トゥー・ゼン・レフト」は双子のようなアルバムである。前年からクロスオーヴァーなる言葉が流行した。それは従来のポップスやロックの枠にとどまらないソウルやジャズ、R&Bなど幾種類もの音楽の要素が一体となって昇華された音楽というような意味であろう。

 1977年に発表されたこのアルバムからも"ハード・タイムス"、"ハリウッド"などのヒット・シングルが生まれた。確かに都会的で洗練された音楽である。いま聴いても全然古くささを感じさせない優れたアルバムだと思う。

ダウン・トゥー・ゼン・レフト Music ダウン・トゥー・ゼン・レフト

アーティスト:ボズ・スキャッグス
販売元:Sony Music Direct
発売日:2004/12/22
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 これらの音楽は、またAORといわれていた。アダルト・オリエンティッド・ロックと呼ぶのだが、おとなのための洒落た音楽という意味である。ただしこれは日本でしか通用しない言い方で、アメリカではMORとかACとかいわれている。
 (*MORとはミドル・オブ・ザ・ロードつまり道の真ん中という意味で、当たり障りのない平均的なポピュラー音楽という意味だと推測される。またACとはアダルト・コンテンポラリーである。日本語のAORは、このACという語感に近い気がする)

 このときの私は、ラジオから流れてくるこの"ハード・タイムス"を聴きながら癒されたものだ。当時は青春を謳歌しながらも、それなりに勉強もしなければならなかったし、家庭も閉塞状況で、家でも学校でも鬱々と過していて、なかなか気持が晴れなかった。

 この曲は恋愛の虜となって行くという先の見えない状況を歌ったものであるが、自分にとっては恋愛ではなく、人生の行く先に不安を抱いていた時期だったのだ。だから歌詞の中にある“I am falling”というフレーズが自分にとっては印象的だった。

 いまでもこの曲を聴くと、そのときの状況をまざまざと思い出すことができる。確かに自分にとっては“つらい時期”だったのである。

 今ではボズも事業家に転身し、音楽業界からはほぼ引退状態である。ただ日本ではいまだに人気があるので、ときどき日本に来ては小銭稼ぎをしている。

 一度ステージを見てみたいという気もするが、もう60歳を超えたボズの姿を見てもちょっと悲しくなるような気がして遠慮している。たぶん永遠に本物には会うことはないだろうが、当時の自分を癒してくれた音楽にはいまだに感謝しているのだ。

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2007年12月19日 (水)

ジェスロ・タル・クリスマス・アルバム

 クリスマスも間近に迫り、街はイルミネーションに満ちている。通り過ぎる人たちもまた素晴らしいページェントを待ち望むかのように、また巨大なイリュージョンを期待するかのように、帰路を急ごうとしている。
 相変わらずの年末恒例の風景かもしれないが、希望であれ失望であれ、人々の風貌からは何がしかの感情が読み取れるものだ。

 毎年こんなときに流れる音楽にも、定番といわれるものが使用される。たとえば、ジョン・レノンの"Happy Christmas~War is over"やワム!の"Last Christmas"などである。またアルバムでは、フランク・シナトラやアンディ・ウィリアムス、ビーチ・ボーイズなど有名アーティストなどがクリスマス・アルバムと銘打って、数多くの企画アルバムを発表している。

The Christmas Album Music The Christmas Album

アーティスト:Andy Williams
販売元:Sony Budget
発売日:2003/11/03
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 しかし、それらを紹介したのでは面白くないし、さらに今回は友人のK氏からのリクエストもあったので、このブログらしく定番といわれないクリスマス・アルバムを紹介したい。

 それがジェスロ・タルが2003年に発表した「ジェスロ・タル・クリスマス・アルバム」である。6 これは完全に企画ものであった。アルバム・スリーヴにある解説によると、2002年のクリスマス前に所属会社の社長からイアン・アンダーソンにクリスマス・アルバムを作らないかという提案があったようである。
 それで数年前にもそういう企画を考えていたイアン・アンダーソンは、即座に24時間以内に曲目リストを回答すると応えたのである。

 それで出来上がったのがこのアルバムである。全16曲であるが、新曲は1曲目の"Birthday card at Christmas"、7曲目"Last man at the party"、10曲目"First snow on Brooklyn"の3曲である。
 1曲目の出だしのフルートは、1980年のアルバム「A」の中のある曲に酷似している。個人的には10曲目の"First snow on Brooklyn"がストリングを交えながらメロディに起伏がありジェスロ・タルらしい佳曲だと思う。

 他の曲はリメイクもしくはトラディショナル曲のカヴァーである。3曲目の"A Christmas song"はシングル"Love story"のBサイドの曲。確か1970年の発表だったと思う。続けての曲"Another Christmas song"はアルバム「ロック・アイランド」に収録されていた曲。だから“Another”がついているのだろう。でも曲どうしには全く関係はない。

 他にも8曲目"Weathercock"はアルバム「逞しい馬」から、12曲目"Fire at midnight"と14曲目"Ring out solstice bells"はアルバム「神秘の森」からのリメイクであるが原曲とあまり変わっていない。

 特筆すべきは"Bouree"である。これはアルバム「スタンド・アップ」からの曲であるが、驚くほどアレンジされている。さすがイアン・アンダーソンである。これならお金を払っても買う価値はあるだろう。いくら名曲とはいえ、同じ曲を何度も聴けば飽きが来るだろうから、この曲は、ファンにとってはまさにクリスマス・プレゼントになるだろう。

 それ以外にも5曲目と6曲目もアルバムのアウトトラックのカヴァーらしいが、オリジナルをあまり聴いたことがないのでよくわからない。(5曲目はライヴ「Live Bursting out」には収録されているし、6曲目は「ブロードスウォード・アンド・ザ・ビースト」のアウトテイクらしい)

 上記以外の曲はすべて定番のクリスマス用のトラディショナル曲のカヴァー・ソングである。2曲目の"Holly Herald"はトラディショナルの曲とメンデルスゾーンの曲を合体させてアレンジしたもの。9曲目もクラシックでフォーレの曲のアレンジ、11曲目は"Greensleeves"をアレンジしたもの。なぜ過去形になっているのかよく分からない。イアン・アンダーソンらしいパロディなのかもしれない。でもこのアルバムでは結構かっこいいインストゥルメンタル曲なのである。

 13曲目はもともと"We three kings"という賛美歌だった曲を変えたもので、裏ジャケットに写っている5人のメンバーのことを讃えているのだろうか。最後の曲である"A winter snowscape"はバンドのギタリスト、マーティン・バレが作曲したもの。彼の曲がタルのアルバムに収められるということは大変珍しいことである。
 聞くところによると彼のソロ・アルバムからの曲だといわれている。ここで聞かれるギターはすべてマーティンによる演奏である。アンダーソンはフルートに徹しているのだ。 

 クリスマス・アルバムなので、ストリングスやマンドリン、アコーディオンなどを使用した曲が目立つ。さすがに電気ギターでガンガンにリフを決めるというような曲はない。内容が内容なだけに、それはある程度仕方ないと思う。

 またもともとのアルバム・ジャケットは下にあるような写真であった。なぜ上にあるようなジャケットになったのかは不明である。

 とにかくこの時期に聴くべき(もしくはこの時期にしか聴けない)アルバムである。来年はタル結成40周年ということで、ニュー・アルバムも発表されるという朗報もある。それを期待しながら、このアルバムを聴いてクリスマスを静かに過ごしたい。Happy Christmas!!!5_2

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2007年12月17日 (月)

スティーリー・ダン

 話は突然1977年に戻る。その頃青春を謳歌していた私は、ラジオを通して様々な音楽を聴いていた。様々なといっても基本はロックなので、そこから外れることはなかった。要するにプログレッシヴ・ロックやハード・ロック以外のロックということである。

 ところで話は変わるが、今年の8月にモデルで女優の山口小夜子が亡くなった。急性肺炎とのことだったが、彼女は1977年にニューズウィーク誌が選ぶ「世界のトップモデル6人」のなかに選ばれている。

 さらにこの年に、彼女はあるアルバム・ジャケットのカバー写真を飾っている。それがスティーリー・ダンのアルバムであった。タイトルを「彩(エイジャ)」といった。

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アーティスト:Steely Dan
販売元:MCA
発売日:1999/11/23
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 このアルバムは彼らの代表作である。もともとスティーリー・ダンというグループは6人組であった。中心人物はウォルター・ベッカーとドナルド・フェイゲンである。
 よく間違えられることであるが、彼らはロサンジェルスで結成された。よくニューヨーク出身のバンドといわれているが、それはウォルター・ベッカーとドナルド・フェイゲンがニューヨーク出身ということと、またそのサウンドが都会的といわれていることでそう思われているだけのことだ。

 彼らの名前を最初に知ったのは、シングル"リキの電話番号"がヒットしていたときだった。1974年の頃だったが、当時はそんなに意識していなかったから、サビの部分しか覚えていなかった。何となく普通のポップソングとは違う、覚えにくい歌だなあという印象でしかなかった。
 しかし全米4位まで上がったというから、かなり売れたのであろう。

 それから3年、グループ6作目のアルバム「彩(エイジャ)」で、アメリカのみならず世界中でブレイクしたのだ。このアルバムは最高位4位となり、200万枚以上売れ、その年のグラミー賞最優秀録音賞を獲得した。

 ロック・ファンなら誰でも知っていることであるが、このグループは最終的にウォルター・ベッカーとドナルド・フェイゲンの2人組ユニットである。最初は6人だったが、この2人がライヴ活動を嫌がるようになり、またそれとは逆にスタジオ録音に異常にこだわるようになり、完璧なアルバムつくりを目指すようになったために、他のメンバーが段々と辞めていったのである。(もしくは頃合を見て辞めさせられたという話もある)

 いずれにしても、このアルバム以降は2人組として活動するようになった。このアルバムまではオリジナル・メンバーのデニー・ダイアスがギターを弾いているので、彼らにとっては3人で制作した最後のアルバムということができるであろう。
 しかしアルバム・ジャケットにはドナルドとウォルターの2人しかいないのだが、デニーはそういう扱いだったのであろう。

 ビックリすることは、当時の超一流のスタジオ・ミュージシャンが集められて制作されたということである。ギターにラリー・カールトンにリー・リトナー、ベースにチャック・レイニー、ドラムスにはスティーヴ・ガッドにジム・ケルトナー、キーボードはジョー・サンプル、マイケル・オマーティアン、サックスにトム・スコットなどなど、ニューヨークからロサンゼルスまでアメリカ全土から呼び寄せられた実にそうそうたるメンバーである。

 これでつまらない音楽が生まれるわけがない。また彼ら2人が録音にこだわった理由もここにある。もっとクォリティーの高いものをと要求しても、このメンバーならそれが可能だからだ。だからライヴ演奏をするヒマもなく、スタジオ録音に没頭したのだと思う。

 どの曲も練りに練ったという印象である。ロックのダイナミズムとはかけ離れているが、都会的な洗練されたジャズとロックの融合、当時はクロスオーヴァーなどと評されたが、完璧なサウンド構築という2人の目標を充分にクリアしている。

 彼らの完璧主義はとどまることを知らず、次のアルバム「ガウチョ」完成には、2年以上の年月と1億円以上の費用がかかったといわれている。このアルバムもまた前評判とおりの傑作でベストセラーを記録した。

 またこの完璧主義が裏目に出て、メンバーのウォルター・ベッカーは麻薬に溺れ、一時は命の状態も保障できないほどの状態だったという。
 彼はハワイに移住し、そこで静養に努めながらまた音楽業界に復帰している。今年の9月にはドナルドとともに日本でライヴ活動を行っているようだ。

 ところで元メンバーのギタリスト、ジェフ・バクスターはスティーリー・ダンを74年に脱退したあと、ドゥービー・ブラザーズで活躍した。
 面白いことに彼は1979年にそのドゥービー・ブラザーズを脱退したあとは、セッション・ミュージシャンとして活動しながら、独学で軍事技術や大量破壊兵器について学び、現在では軍事アナリストとしても活躍している。

 2001年にはアメリカ国防総省の軍事顧問を務め、2005年にはNASAの有人探査部門の諮問委員も務めている。
 ロック・ミュージシャンで軍事アナリストというのも珍しい。そんな人は聞いたこともない。そんな人もかつて所属していたスティーリー・ダンというグループもまた、希少な存在なのかもしれない。

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2007年12月16日 (日)

ラスカル・フラッツ

 たまには新譜についても書かないといけないかなあと思って、今回は最近買ったアルバムを紹介することにした。

 アメリカのカントリー・ロックバンドであるラスカル・フラッツの「スティル・フィールズ・グッド」である。

スティル・フィールズ・グッド Music スティル・フィールズ・グッド

アーティスト:ラスカル・フラッツ
販売元:カッティング・エッジ
発売日:2007/10/10
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 自分はこのグループのアルバムを買うのは2回目で、前回買った「ミー・アンド・マイ・ギャング」は名盤であったと確信している。だから今回も買ったのだ。

 「ミー・アンド・マイ・ギャング」は全米で420万枚以上を売り上げ、ビルボードのチャートでは3週連続No.1を記録したモンスター・アルバムであった。

ミー・アンド・マイ・ギャング Music ミー・アンド・マイ・ギャング

アーティスト:ラスカル・フラッツ
販売元:カッティング・エッジ
発売日:2006/10/11
Amazon.co.jpで詳細を確認する

それから1年、今どきのグループとしては珍しく、こんな短いインターバルでアルバムを発表した。これがまた傑作なのである。
 このアルバムは5作目で、当然のことながら初登場No.1を飾っている。今のアメリカではラスカル・フラッツという名前だけで、アルバム・セールスがあるのだろう。

 もともとこのグループはカントリー畑出身であった。確かにカントリー・フレイバー溢れる楽曲はある。マンドリンやバンジョー、ヴァイオリンなどを使って、アメリカの古き良き伝統を継承しているような音楽を聴くことはできる。しかし、それでけではないのだ。それだけであれば、彼らはオハイオ州出身のカントリーバンドで終わってしまっていただろう。

 彼らが売れたのはそれにプラスして、楽曲の良さやカントリーだけにとどまらない曲想の豊かさ、それに演奏ジャンルの幅広さがあげられると思う。
 保守的な層だけでなく、ヤングからアダルトまで幅広く受け入れられる楽曲の良さが売れた理由ではなかろうか。とにかくキャッチーでありながら、起承転結のハッキリした曲構成の巧みさが彼らの持ち味であると思うのである。

 1999年にデヴューして以来、彼らは着実に実績を築き、トップ・グループへとたどり着いた。ちょうどイーグルスと比較すると分かりやすいと思う。彼らも最初はカントリー・ロックが主体であったが、メンバー・チェンジを経てアメリカン・ロックを代表するロック・バンドへと変身した。

 ラスカル・フラッツは3人組でたぶんメンバー・チェンジはしないと思うが、カントリーやロックの枠にとらわれないスケールの大きい楽曲を聴かせてくれる。21世紀のイーグルスといったところか。
 ただイーグルスとの違いは、ラスカル・フラッツの方が積極的に優秀な外部ライターの曲を取り入れていることである。例えばジェフリー・スティールとかウェンデル・モーブリーなどだが、残念ながら自分は寡聞にして知らない。たぶんカントリー界では大御所たちではないだろうか。

 自分がこのグループを知ったのは、ささいなことからだった。いつものようにCDショップの試聴コーナーで、レッチリのニュー・アルバムを聴こうとしてプレイボタンを押したら、このグループのアルバムの音が流れてきたのである。一聴して虜になってしまった。だから「ミー・アンド・マイ・ギャング」の国内盤は即購入した。

 個人的には「スティル・フィールズ・グッド」よりも「ミー・アンド・マイ・ギャング」の方が優れた曲が多いように思う。今作も前作を踏襲した音作りになっているので、楽曲的には大きな変化はないと思う。そうした安定感があるのも人気の理由かもしれない。

 この「スティル・フィールズ・グッド」では5曲目以降に素晴らしい曲が多い。アルバム・タイトル曲の"Still feels good"はボン・ジョヴィのような王道のアメリカン・ロックであり、"Everyday"はアメリカの広さを体感させてくれるような壮大なバラードである。
 中には"She goes all the way"のように80年代のクリストファー・クロスを髣髴させてくれるような曲もある。たぶんこのアルバムも売れるだろう。

 保守という言葉は嫌いなのだが、健全な保守というのはいいことかもしれない。よい伝統を守り続けることは決して悪いことではないからだ。
 アメリカの音楽シーンもラップやヒップ・ホップやダンス・ミュージックだけでは、発展は望めない。そういう音楽も存在しつつ、一方でこういうグループの音も好まれているという状況の方がバランスが取れていて、さらに伸びていく余地があるような気がするのである。

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2007年12月12日 (水)

童夢

 今回も前回に引き続きムーディー・ブルース(以下MBと略す)のアルバムを紹介する。1969年に「子どもたちの子どもたちの子どもたちへ」を発表したMBはその年にアメリカに演奏活動に出かけた。イギリスに帰国後、ロイヤル・アルバート・ホールでのライブ演奏はのちに「コート・ライヴ+5」として、新曲5曲を含むライブ・アルバムとして、1977年に発表された。

Caught Live + 5 Music Caught Live + 5

アーティスト:The Moody Blues
販売元:Polydor
発売日:1996/10/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 アメリカの聴衆は、メロトロンをほぼ完璧に操るイギリスのバンドを見てかなり驚いたといわれている。それはメロトロンは録音されたアナログ・テープを鍵盤で操作するものであるが、湿度や気温、衝撃で微妙に音質が変化するからである。
 かつてこのブログでも紹介したが、リック・ウェイクマンが自分の思うように音が出せずに、頭にきて庭でメロトロンを燃やしたという。それくらい扱いが難しいらしい。

 MBがライヴ演奏で使用したメロトロンは、キーボード担当のマイク・ピンダーが改良を加えているらしい。キング・クリムゾンが1stアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」で使用したメロトロンはMBから譲り受けたものだった。

 それでライヴ活動が終了してから制作したアルバムが「童夢」だった。

Every Good Boy Deserves Favour Music Every Good Boy Deserves Favour

アーティスト:The Moody Blues
販売元:Polydor / Umgd
発売日:1997/05/20
Amazon.co.jpで詳細を確認する

1971年の発表で、原題を「Every Good Boy Deserves Favour」という。これは主要な音楽コードのE、G、B、D、Fを表しているという。ちなみに日本語の「童夢」とはよく名づけたものだと思う。このネーミングは素晴らしい。原題を日本語に訳すと“すべてよい子は好きなものをそのままにする”というような意味だろう。それを「童夢」というのだから言い得て妙である。

 これも友だちから借りて、テープに録音して聴いたのだが、確か「クィーンⅡ」と同時に借りた。なぜそう言えるのかというと、どちらも1曲目が"プロセッション"というタイトルのインストルメンタル曲で始まっていたからだった。偶然の一致であるが、シンクロニティというのだろうか。
 ただ「クィーンⅡ」は1974年の発表なので、3年のタイムラグがある。でも当時は新しいのも古いのも一緒に聞くのは普通だったのだ。

 MBのよいところは、全員が作詞作曲ができ、マイク・ピンダー以外の4人全員が歌えることである。また前回でも書いたように全員が複数の楽器を演奏できることである。
 基本的にはレイ・トーマスがリード・ボーカルでフルート担当、ジャスティン・ヘイワードがリード・ギター、ジョン・ロッジがベース担当、グレアム・エッジがドラムスで、マイク・ピンダーがキーボード、特にメロトロン演奏であった。

 このアルバムも全員で書いた曲が1曲、マイクとエッジが1曲ずつ、残り3人がそれぞれ2曲ずつ書いている。(全9曲)
 このアルバムは、捨て曲なしのアルバムで、まさにこの曲はこの場所にという、みごとなアルバム構成にもなっている。

 特に1曲目の"Procession"から2曲目"The story in your eyes"に移行するあたりは絶妙と言うほかないほど巧に作られている。ギターがダダダダーンと入ってくるあたりは鳥肌ものである。
 また"Our gessing game"や"Emily's song"などはシングル・ヒットを狙えるほどのポップなできばえであり、事実、日本では、この"Emily's song"のおかげでやっと名前が売れたといわれているほどである。

 当時中学生だった私は、白紙にこの2曲の歌詞を書き写して、歌ったものである。もちろん一人でいるときだったが・・・それほど印象的だったのである。

 また"One more time to live"は言葉遊びのような歌詞で、語尾が同じ音(-tion)を持つ言葉がたくさん出てくるのであった。このときに英語の持つ面白さやユニークさを味わったのかもしれない。
 それまでのMBはどちらかというとマインド・トリップのような、個人の内面についての曲が多かったが、この"One more time to live"はそれまでとは違って、政治的な内容とまでいかないまでも、世界の状況や戦争や革命について歌っている。MBの曲としては珍しいものであった。

 さらに最後の2曲、"You can never go home"と"My song"の持つ陰影は先の"Emily's song"とは対照的なほど深みがある。
 "You can never go home"はジャスティン・ヘイワードの曲であるが、個人的にサビの部分がいつ聴いても胸を打つものがある。今回聴いてみてあらためていい曲だと思った。
 また"My song"は、このアルバムでのマイク・ピンダーの唯一の曲で、“Love can change the world”というフレーズが一種の決意表明を表しているかのようだ。
 結構ドラマティックな曲構成になっていて、アルバム最後を飾るにふさわしい曲である。そして当然のことながら全編に渡ってメロトロンが鳴り渡っているのである。

 とにかくこのアルバムは歴史に残る名盤である。ムーディー・ブルースといえば、やはりこのアルバムをおいて他にはないであろう。69年から72年にかけてのMBは真のプログレッシヴなバンドだったのである。

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2007年12月11日 (火)

ムーディー・ブルース

 ムーディー・ブルースを聴いたのは一体いつのことだったろうか。たぶん中学生の頃だったと思う。友だちにレコードからテープに録音してもらって、聴いていた思い出がある。ちょうど年末を迎えた慌しい頃だったと思う。今となっては懐かしい思い出である。

 ムーディー・ブルース(以下MBと略す)ほど、過小評価されているバンドもないと思う。私も最初はヒットしたシングル曲"サテンの夜"ぐらいしか知らなくて、これがプログレッシヴ・ロックなのかとビックリした記憶がある。プログレッシヴ・ロックではなくて、これではロック歌謡、もしくはロック演歌ではないのかと思ったからだ。

 たぶん日本のプログレ・ファンは、テクニック重視、インストルメンタル重視、雰囲気重視のような気がするのだ。だからイエスやキング・クリムゾン、ジェネシス、キャメルなどは評価や人気が高く、アルバムも売れるのだが、それ以外のプログレッシヴ・バンドはなかなか売れないのではないだろうか。

 それで友だちに録音してもらったMBの最初のアルバムは、「子どもたちの子どもたちの子どもたちへ」であった。これは1969年7月20日のアポロ11号の月面到着に触発されて、その年に発表されたものであった。

To Our Children's Children's Children Music To Our Children's Children's Children

アーティスト:The Moody Blues
販売元:Threshold
発売日:1997/05/20
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 コンセプトを思いついたのは、ドラマーのグレアム・エッジといわれている。地球以外の惑星に到着した人類の過去から現在までの道程やこれからの可能性についてを音楽で表現したのであろう。

 ジャケットを見ても分かるように、まるで歴史で習ったラスコー洞窟の壁画のような印象を受ける。向かって右側が人類の祖先を、左側が現在と未来の人類を表しているように思えるのだが、どうだろうか。

 内容はとにかく素晴らしいの一言に尽きる。プログレ歌謡といったが、それはエイジアのような売れ線狙いのバンドにいうべき言葉で、MBには当てはまらない。確かにポップであるが、それはもともとがR&Bを中心に演奏するビート・バンドだったから仕方ないのである。
 
 全13曲の組曲形式で流れるように曲がつながっていく。これはこの当時のこのバンドの特徴でもあった。しかも1曲あたり3分~4分程度であり、中には1分程度や30秒くらいの曲もある。
 さらにメロトロン全開である。アルバム全体にわたってメロトロンが流れており、それがこのアルバムに統一感を与えているのである。("Beyond"という曲はメロトロンを中心としたインストルメンタルである)

 特に8曲目の"Gypsy"、10曲目の"Candle of life"は秀逸な出来栄えである。また最後の曲"Watching and waiting"は感動的である。最後を飾るにふさわしいドラマティックな曲でもある。
 これほどファンタジックで、シンフォニックなアルバムはそうそうあるものではない。歴史的な名盤ではないか、と思っていたが、このあと彼らはもっと素晴らしいアルバム「童夢」を発表することになる。このアルバムはもっと凄いのだが、次の機会に譲りたい。

 なぜ日本ではMBは欧米よりも人気がないのか。
①それはイエスやクリムゾンに比べて、テクニック重視ではない。
②メロディーがポップすぎて、プログレッシヴとはいえない。
③1曲あたりの時間が短い。したがってアルバムの曲数が多い。
④コーラスやハーモニーを多用しすぎている。
⑤フルート奏者がいるので、ブルー・コメッツと間違えやすい。

 などの理由が考えられる。先ほども述べたように、MBはイギリスはバーミンガム出身のR&Bバンドであった。オリジナル・メンバーには、ポール・マッカートニー&ウィングスにいたデニー・レーンがいた。彼の手による"Go now"は1965年に全英No.1になっている。
 そして彼がMBを去ったあと、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジが加入してからプログレ・バンドに変身するのである。

 もともとそういうバンドなので、そのバンドのDNAがずっと働いていたのであろうか。だからプログレ・バンドに変身しても、曲も短く、アルバムに10曲以上収録されているのであろう。また、まるでシングル重視のように(実際は正反対なのだが)、綺麗なメロディが溢れているのであろう。

 特筆すべきは、彼らは全員マルチ・ミュージシャンであることだ。全員がギター、ベース、キーボード、ドラムスなどほぼすべてを扱うことができる。またほぼ全員が歌える。これもまたこのバンドのDNAのようである。確かにデニー・レーンもウィングスでほぼ何でも演奏していたし、歌っていた。
 このバンドに加入する際の最低条件なのかもしれない。

 さらにジミー・ペイジは、かつて「本当にプログレッシヴなバンドは、ピンク・フロイドとムーディー・ブルースだけだ」と語っていたが、実際に初めてオーケストラと共演したアルバムを発表したのはMBである。1967年のことで、ナイスやプロコル・ハルム、ディープ・パープルよりも早かった。
 だからロックとクラシックの融合というのは、ムーディー・ブルースが先駆けなのである。

 またメロトロンをアルバムに使用したのも早く、ビートルズとほぼ同時期で、これも67年ごろであった。
 このようにMBには先進性が早くからあったのである。これをプログレッシヴ・ロックといわずして何をプログレッシヴといえばいいのであろうか。

 とにかくこのアルバムを聴くと、心が和むというか、ホッと温まるのである。季節的にもそうであろうが、アルバムからのメロディやハーモニー等の全体の調和がさらにいっそう、そうした気持を高めてくれる。
 ともあれ今の季節には最適のアルバムなのである。

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2007年12月10日 (月)

リンゴ

 思えば1973年は、元ビートルズの4人が精力的に活動をした年だった。5月にポールが「レッド・ローズ・スピードウェイ」を、6月にジョージが「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」を、11月にはジョンが「ヌートピア宣言」を発表している。

 そして最後のひとりリンゴ・スターもまた12月にアルバムを発表した。それが「RINGO」である。

Ringo Music Ringo

アーティスト:Ringo Starr
販売元:Capitol
発売日:1991/04/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する

このリンゴのアルバムのために、ジョン、ポール、ジョージが協力をしている。つまり4人が集まったというわけで、そのためにビートルズが再結成されるのではないかという噂も流れた。

 しかし4人が同時にそろったというわけではない。最大でポール以外の3人であった。1曲目の"I'm the greatest"にはジョンがピアノとコーラスで、ジョージがギターで参加している。またこの曲を作ったのはジョン・レノンだった。でもそんなにいい曲とは思えない。

 全米No.1になったのは2曲で、最初が"想い出のフォトグラフ"、次に"You're sixteen"であった。
 "想い出のフォトグラフ"はジョージとの共作で、ドラムがリンゴとジム・ケルトナー、ギターがジョージで、ピアノがニッキー・ホプキンス、ベースがポールのあとにビートルズに加入するのではないかと騒がれたクラウス・ヴアマンなどであった。ちなみにオーケストラ・アレンジメントはニール・ヤングの「ハーヴェスト」で有名なジャック・ニッチェである。

 この曲もラジオの洋楽ポップスのベスト10のような番組でよくかかっていた。真冬のこの時期に聴いたものである。だから12月になるとこの曲を想い出すのである。"想い出のフォトグラフ"ならぬ、"想い出のヒット曲"なのだ。

 "You're sixteen"は1960年に全米8位になった曲のリメイクである。ハリー・ニルソンがコーラスに参加し、ポールがマウス・サックスと呼ばれるカズーを演奏している。

 もう一度確認するとジョンが参加している曲が1曲、ポールが参加している曲は2曲、ジョージが参加している曲は7曲と断然ジョージが多い。(ボーナス・トラック入りCD参照)当然のことながらリンゴはすべての曲でドラムを叩いている。
 またジョンとジョージが参加しているのは1曲で、ポールが参加している曲には先に述べたようにリンゴ以外は参加していない。やはりこの当時はまだ確執があったのである。

 面白いのは2曲目にT・レックスのマーク・ボランが参加している曲がある。ランディ・ニューマンが作った"Have you seen my baby"であるが、なかなか渋いギター・ソロを披露している。
 また"Sunshine life for me"ではザ・バンドのメンバーが、"Step lightly"ではギターにスティ-ヴ・クロッパーが、ボーナス・トラックの"明日への願い"のギターはジョージとスティーヴン・スティルスが演奏をしている。さすが交友関係が広いリンゴならではである。友だちのいない私とは正反対だ・・・

 とにかくこのアルバムは曲が素晴らしい。決して上手でないというかとぼけた歌い方が魅力のリンゴのボーカルでも印象に残る佳曲が多いのである。先に挙げた曲以外でもロック調の"Down and out"や"Devil woman"、全米で3番目にシングル・カットされた"Oh my my"、ポールが作詞作曲した"Six o'clock"などどの曲もいいのである。

 またジャケット・デザインもビートルズの「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のようにレコーディングに携わった人やリンゴに関係する一人ひとりの似顔絵が描かれている。もちろんジョンとヨーコやジョージ、ポールやリンダは中央に描かれている。だからビートルズ再結成の噂がたったのであろう。

 当然のことながらアルバムは全米No.1になった。リンゴのアルバムの中で最も売れたものになったのである。
 なおCDにはボーナス・トラックがついているのでお得である。最近DVD付きのリンゴのベスト盤が発売されたらしい。彼のほとんどのヒット曲が網羅されているのでこれもまたお得かもしれない。

フォトグラフ:ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・リンゴ・スター<コレクターズ・エディション>(DVD付) Music フォトグラフ:ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・リンゴ・スター<コレクターズ・エディション>(DVD付)

アーティスト:リンゴ・スター,バック・オーウェンズ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007/10/03
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年12月 8日 (土)

心の壁、愛の橋

 誤解を恐れずに書くが、自分とジョン・レノンにはいくつかの共通点がある。それはなにも同じ人間とか、男性とかそういうくだらない理由ではない。似たような境遇だったということだ。
①両親が離婚している
②叔母に育てられた
③ジョンは父親を、自分は母親を直接に知らない
④ジョンは実の母を、自分は実の父を亡くしている
⑤その結果、ジョンも自分も皮肉屋でマザコンである

 別に自分がジョンに近いとか、立派だとかそんなことを言っているのではない。普通の人が体験しないようなことを早くから体験していたということである。だからそういう少年時代を送った人にしかわからないことがあるという話だ。

 だからジョンの気持が感覚的によく分かるときがある。こればっかりは口で説明できるものではない。共通認識というものだろう。だからアルバム「ジョンの魂」は2回くらいしか聴いたことがない。あまりにもリアルで痛々しいからだ。

ジョンの魂(紙ジャケット仕様) Music ジョンの魂(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ジョン・レノン
販売元:EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)
発売日:2007/11/28
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

 「心の壁、愛の橋」は1974年の11月に発表された。だからどちらかというと冬の季節を連想させてくれる。

心の壁、愛の橋(紙ジャケット仕様) Music 心の壁、愛の橋(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ジョン・レノン
販売元:EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)
発売日:2007/12/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 当時のジョン・レノンはオノ・ヨーコと別居状態に陥っていた。多くの本によれば、当時のジョンは反戦活動や、グリーンカード(アメリカ永住権)をめぐってのアメリカ移民局との対立はそうとうジョンを疲れさせたらしい。それでかなりジョンはフラストレーションがたまっていたということだった。

 その解消のために、一時的に別居を行ったのだという。提案をしたのはヨーコの方だった。それでジョンはニューヨークを離れて、ロサンジェルスに居を構えたのだ。これは「失われた週末」(Lost weekend)と呼ばれ、ビートルズ・ファンやジョン・レノン・ファンの間では有名になっている。

 この間に酒びたりの日々が続いたといわれているが、クスリも少なからずやっていたのだろう。何しろ相手がキース・ムーンやハリー・ニルソンなのだから、まともなはずがないのだ。

 しかしそんなジョンでもやはり才能は巨大だった。そんな不本意な毎日でもこんな偉大なアルバムを残すことができたのだから。

 ポールのメロディメイカーとしての才能は誰しもが認めるところであろう。しかしジョンもまたポール以上のメロディメイカーなのである。ビートルズはやはり4人そろってのビートルズであり、なかんずくジョンとポールの才能はぶつかり合ってこそ、1+1が4にも5にもそれ以上にもなる。

 "真夜中をぶっ飛ばせ"は全米シングルNo.1になった曲。ピアノにエルトン・ジョンが参加している。また"枯れた道"はニルソンとの共作で、ニルソン自身もバック・ボーカルに参加している。

 この頃はウォール・サウンドの立役者であるフィル・スペクターと一緒に仕事をしていたせいか、全体的にオーバー・プロデュースの観がある。音に厚みがあるというか、ストリングスやオーケストレーションが重厚なのである。この曲もそうであり、"夢の夢"もまた幻想的な雰囲気を醸し出している。

 4曲目の"What you got"なんか、もろファンク・ミュージックである。タワー・オブ・パワーなんかが歌ってもおかしくないと思う。こういう音に対する感覚の鋭さについては、ポールの10倍先をいっていたような気がする。

 次の曲にはメロトロンも使われている。前作の「ヌートピア宣言」にもメロトロンが使われている曲があったが、ビートルズの楽曲にメロトロンを導入したのも、ジョンが最初だった。("Strawberry fields forever")
 それで"果てしなき愛"はファンクから一転して、まるでバラード・シンガーのようにジョンとしては切々と歌い上げているのである。

 このアルバムの中で好きな曲は"夢の夢"と"愛の不毛"である。"夢の夢"はまさにタイトル通りの不思議な曲だ。夢の世界を浮遊するかのように曲が続いている。
 "愛の不毛"はヨーコとの関係を歌っているのであろうか。次の一説がジョン自身のことを暗示しているかのようだ。

"Everybody loves you when you're six foot in the ground"(おまえが6フィートの地下に入ったとき皆はお前を愛するのだ)
6フィートの地下というのは死んで埋葬されたときのことを言っているのだ。確かに12月8日は世界で何百万人の人がジョンのことを愛していると確認する日なのだ。

 このアルバムを聴くと、とにかく冬を思い出す。昔は冬には当たり前のように雪が降っていた。特に生まれ育ったところは寒くて、雪を踏みしめながら学校に通っていたものだ。

 それで「心の壁、愛の橋」は、その冬景色を心の中に思い出させてくれる。そしてそれは私の贖罪の日々でもあった。
 雪道を踏みしめ、ジョンのアルバムを思い出しながら、私はいつか本当の両親が現れて、自分を引き取ってくれるはかない夢を夢想していたのである。

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2007年12月 7日 (金)

ヌートピア宣言

 ジョンのアルバムといえば、やはり「ジョンの魂」や「イマジン」、「心の壁、愛の橋」などを思い浮かべるだろう。多くの人がそう思うはずだ。でも今回は1973年に発表された「ヌートピア宣言」を紹介したい。オリジナル・タイトルは「マインド・ゲームス」である。

マインド・ゲームス(ヌートピア宣言)(紙ジャケット仕様) Music マインド・ゲームス(ヌートピア宣言)(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ジョン・レノン
販売元:EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)
発売日:2007/11/28
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 「ヌートピア」というタイトルは、もちろん「ユートピア」をもじったものである。「ユートピア」は理想郷と訳されることが多いが、「ヌートピア」は何と訳せばいいのだろうか。
 このアルバムには"ヌートピア国際賛歌"という曲が収められている。時間はたったの6秒間である。これはこの6秒間内で、自分の好きな曲を思い浮かべれば、それが国歌になるという意味であった。

 自分の好きな曲が国歌になることで、その場所が国家になるということであろう。たとえアメリカに住んでいても、日本に住んでいてもその人の場所が国家になるのである。みんながコスモポリタンなのである。
 まさに"イマジン"に歌われていたように、ここには国境もなければ国家もない、争いごとのない平和な状態が創出される。昔からのジョンの思想がここにも出ているのであろう。

 このアルバムに記載されているのだが、「ヌートピア宣言」というのがあって、私のおぼつかない英語で訳すと次のようになる(はずだけど・・・)。

「我々はここに観念的な国家、ヌートピアの
誕生を宣言する

この国の市民権はヌートピアの存在を意識する
だけで獲得できる

ヌートピアには国土も、国境も、パスポートもない
あるのは人間だけである

ヌートピアには宇宙の法則以外に法律はない

ヌートピアのすべての人々はこの国の大使である」

 この宣言は1973年の4月1日にされたものである。だからエイプリル・フールといって笑ってすごしてもいいわけだ。その点がジョンのうまいところである。表面的にはエイプリル・フールを装いながら、内面では平和な世界の創出を願っていたのであろう。

 あるいはそれもジョンの思いつきで、単なるジョークかもしれない。ジョンは平和の闘士というイメージが先行していて、本人は単なるロックン・ローラーに過ぎないと思っているような気がする。今となってはどちらかわからないし、どちらでもいいことである。

 今回このアルバムを聴いて気がついたのは、レゲエのリズムが使われているということであった。ビートルズは昔から音に敏感というか、時代の一歩先を行くような音楽に目ざとい部分があって、たとえば"オブラディ、オブラダ"なんかもレゲエを用いた最初のポップ・ソングといわれている。

 このシングル・カットされた"マインド・ゲームス"にもバックにゆったりとしたレゲエが刻まれており、今までそんなに意識したことはなかったのだが、こんなところにもジョンの作曲能力の素晴らしさが表れている。

 4曲目の"One day"の出だしの音は、「ジョンの魂」の"Love"に似ている。曲全体は違うのだが、雰囲気はよく似ている気がする。
 
 このアルバムには"マインド・ゲームス"以外にも良い曲が多い。たとえば"Intuition"という曲は非常にポップである。こんなにポップでいいのかというくらいポップなのである。
 また"Out of the blue"はアコースティック・ギターが印象的なイントロを爪弾き、ピアノがニッキー・ホプキンスみたいにこまめに音を出して盛り上げている。ちなみに弾いているのはケン・アッシャーという人である。


 "I know"もギターがカントリー調で、当時アメリカで生活していたジョンにアメリカの音楽が影響を与えてきたような印象を持った。
 また"You are here"ではスティール・ギターが心地よく曲を奏でている。曲全体の雰囲気はのちに「心の壁、夢の橋」に出てくるような曲で、ミディアム・テンポで、音が重ねられている。

 さらにロックン・ローラー、ジョンの才能が発揮されているのが"Tight as"、"Only people"、"Meat city"などのロックン・ロールである。やはりジョンには熱くロックしてほしい。

 このアルバムでギターを弾いているデヴィッド・スピノザはいい仕事をしていると思う。
"Aisumasen"の最後で弾いているギターはクラプトンばりである。彼はスタジオ・ミュージシャンらしいが、さすがジョンが連れてきただけはあると思う。電気ギターだけでなく、アコースティックも巧である。

 ジョンのことを書き出すときりがないのでもうやめるが、今年も12月8日がやってくる。戦争と平和に大いに関わっている日である。太平洋戦争勃発の日でもあるのだが、ジョンがこの世からいなくなった日だからだ。
 ジョンはいなくなっても、ジョンの魂は私たちの心の中に生き続けているのである。

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2007年12月 6日 (木)

レッド・ローズ・スピードウェイ

 中高生の頃、遅れてきたビートルズ・ファンとしてもっとたくさんビートルズ関係のアルバムを聴きたいと思っていた。だから矢継ぎ早に手にとって聴いていた。ビートルズ自身のアルバムはもちろんのこと、ビートルズの4人のソロ・アルバムはよく聴いたものだった。

 この時期になると、ポール・マッカートニーの「レッド・ローズ・スピードウェイ」をよく聴いた。たぶん寒い時期に友だちに借りて聴いていたのだと思う。

レッド・ローズ・スピードウェイ Music レッド・ローズ・スピードウェイ

アーティスト:ウイングス
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:1995/11/08
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 「レッド・ローズ・スピードウェイ」は1973年の5月に発表された。だから本当は冬に聴くアルバムではなくて、初夏に聴くものである。でも自分は暖かいストーブのある家の中で聴いていた。

 彼の経歴の中で、このアルバムの占める位置は決して高くはない。「バンド・オン・ザ・ラン」に比べると、当然の如くかなり評価が下がるようだ。でもこのアルバムが好きな人は決して少なくないはずだ。
 当初、ポールは2枚組のアルバムを予定していたらしい。そして彼の言葉を借りれば「中にはピンク・フロイドのような曲もあるよ」というものであった。どの曲がピンク・フロイドなのかよくわからないが、たぶん8曲目の"Loup"ではないだろうか。

 この曲はエコーをビンビンに効かせたギターとシンセサイザーで主に構成されているインストゥルメンタル曲だからだ。でもそこはポールで、もっとまろやかなピンク・フロイドに変身している。

 いきなりマイナーな曲から紹介してしまったが、もともとこのアルバムには"Hi,Hi,Hi"
や"007死ぬのはやつらだ"が収録される予定であった。でもこれらはアルバム発表前にシングル・カットされてしまったので、このアルバムには収録されなかったのである。

 しかしこのアルバムには、全米No.1を4週連続記録した名曲"My love"があるのだ。このヒットのおかげでアルバム自体も全米No.1を記録した。

 それ以外にも"Get on the right thing""One more kiss""Little lamb dragonfly"などキャッチーでメロディアス、中学生の自分でも歌えるようなそんな曲が多いのである。

 特筆すべきは当時のLPのB面の各曲である。組曲形式ではないのだが、良質なメロディをもった曲が続くのである。最初の"Single pigeon"は1分52秒という短い曲で、すぐに"When the night"が始まる。この曲も良い曲だ。ピアノ中心のシンプルな曲なのだが、そのシンプルさが良い味を出している。これより少し前のポールの不遇時代を反映しているかのようだ。

 そして例のピンク・フロイドっぽい曲"Loup(1st Indian on the moon"を挟んで、メロディ形式で4曲続くのである。全体で11分少々であるが、4曲ひとつずつ独立させても充分単独の曲として通用すると思う。聴いた人はたぶんそう思うのではないだろうか。

 a) Hold me tight 、b) Lazy dynamite 、c) Hands of love 、d) Power cutの4曲であるが、個人的にはb)のLazy dynamiteが好きである。もっと長く聴きたい曲であったが、これも3分くらいで次の曲に移ってしまう。
 c) Hands of loveも短いが佳曲である。アコースティック・ギターが中心であるが、本当にポップなのである。何となくこんな曲を作ってみたけどどうかな、という感じなのである。

 当時のポールからすれば、お遊び程度で作ったような気がするのだ。メロディーの最後の曲d) Power cutも最後の曲だから盛り上げようか、せいのーっという感じだ。ラストはそれまでのLazy dynamiteやHands of loveのサビの部分をのせて一気にエンディングに向かっている。ちょうど"All you need is love"のようなものである。

 LPには少し分厚いブックレットが付いていて、ポール個人の年表やメンバーそれぞれの写真などもあった。CDにはそんなものは付いていないが、ボーナス・トラックが3曲付いている。どちらがいいか意見の分かれるところだが、やはりブックレットの方が価値がありそうだ。

 とにかく、ここからポールの怒涛の前進が始まるのである。このアルバムを契機に、再び世界の表舞台に躍り出て行った。それは「バンド・オン・ザ・ラン」、「ヴィーナス・アンド・マーズ」で頂点を極めるのだが、その出発点になったのはこのアルバムなのである。

 そういう意味では、ポール・ファンのみならず全世界の音楽ファンにも、もう一度聴いてもらいたいアルバムなのである。

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2007年12月 3日 (月)

ジャスティン・ティンバーレイク

 最近は原油高の影響を受けて、ガソリンからカップめん、はたまたその他の商品たとえばサランラップなど、次々と値上がりを表明している。この調子で行けば間違いなくCDやDVDも値上がりをするだろう。その分の給料が上がるかといえば、決してそんなことはない。厳しい世の中になったものだ。

 それでCDを購入する際に、よく吟味して買わないと損をした気分になってしまう場合がある。だから雑誌のディスク・レヴューを参考にしたり、ラジオの新譜情報を聴いて購入を決めたりしている。
 中古CD屋にいくと、たくさんCDが並んでいる。こういうときに通常の値段ならまず絶対に買わないのだが、安くなっているとこれなら失敗してもいいや、と思って買ったりする。
 予想が外れてももともとだし、これが意外によかったりすると、随分ともうけた気がするものだ。

 それで最近買ったCDがジャスティン・ティンバーレイク(以下JTと略す)の「フューチャー・セックス/ラヴ・サウンズ」である。

フューチャー・セックス/ラヴ・サウンズ Music フューチャー・セックス/ラヴ・サウンズ

アーティスト:ジャスティン・ティンバーレイク,スヌープ・ドッグ,ティンバランド,T.I.,ウィル・アイ・アム,スリー・6・マフィア
販売元:BMG JAPAN
発売日:2006/09/20
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 まず通常価格の2548円なら絶対に買ったりはしない。確かにアメリカでは売れに売れていて、ヒットしているとは知っていたが、ポップ・グループ出身の人で今どきのダンス・ミュージックなのである。

 ところがこれが980円となれば、話は別である。ちょっと下心を出して、買ってみようと思った。実際に聴いてみると、さすがアメリカで1年以上ヒットしただけあって、大変素晴らしいものであった。

 エミネム以降ラップに対して抵抗心をなくしつつあったし、もともとプリンスのような音楽は大好きである。しかもポップな面もあるとくれば、これはもう買って大正解といえるものであった。

 もともとこの人は、イン・シンクという男性5人組のポップ・グループのメンバーであった。結成は1995年だったから、結構古い。JTも当初は14歳だったからまだ中学生だった。
 そして数々のヒットを飛ばしたあと、2001年にアルバムを発表してからは休止状態になっている。
 JTは2002年にアルバム「ジャスティファイド」でデヴューした。このアルバムも売れてビルボード初登場2位、最終的に全世界で約700万枚売れたらしい。

 それで満を持してのセカンド・ソロ・アルバムがこのアルバム「フューチャー・セックス/ラヴ・サウンズ」だったのである。
 このアルバムからは3枚連続チャートNo.1シングルが生まれた。"Sexy back"、"My love"、"What goes around......comes around"の3枚である。

 個人的な感想を言わせてもらえば、21世紀の売れ筋ポップ・ソング集である。21世紀の売れ筋とは、ダンス・ミュージック、ラップ・ミュージックとスィートなソウル・バラードである。

 このアルバムはそれらの要素がバランスよくミックスされている。ちょうど20年以上前にヒットしたジョージ・マイケルのアルバム「フェイス」を思い出した。

FAITH Music FAITH

アーティスト:ジョージ・マイケル
販売元:Sony Music Direct
発売日:2004/04/07
Amazon.co.jpで詳細を確認する

あのアルバムにも"I want your sex"という曲があったが、あんな感じである。あのアルバムをさらにダンサンブルにして、ラップを混ぜた感じだ。(アルバム「フェイス」については来年の4月にプログに載せたいと思っている)

 そして定番のバラード曲もアルバムの最後の方に用意されている。"Until the end of time"や"(Another song)All over again"がそれである。これで売れないはずがないのだ。インシンク時代から名前は売れていたし、歌のうまさも定評があった。ブリトニー・スピアーズやキャメロン・ディアスとも浮名を流したこともあった。これはもう最初から売れることが約束されていたようなものであった。

現在のアメリカで、21世紀型ポップ・ミュージックというのは、こんなアルバムを指すのだろう。良くも悪くもこれが現実の音楽なのである。

 それでつまりこれが980円で日本で売られていたのだから、本人が知ったらどんな顔をするだろうか。買った私は、本当に買ってよかったと思っている。でもこれでは許してはくれないだろうけれど…

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2007年12月 1日 (土)

万物は流転する

 もう12月になったのだが、11月での大事なミュージシャンがもうひとりいる。2001年の11月29日(日本時間では11月30日)に亡くなった偉大なミュージシャンのことである。そう、元ビートルズのジョージ・ハリソンである。

 ジョージは1943年2月24日生まれなので、58歳で亡くなったことになる。ビートルズの4人の中では一番若いメンバーであった。16歳ですでにジョンやポールとともにバンド活動をしていた。ドイツのハンブルグのクラブで演奏していたときは、年齢をごまかしてプレイをしていた。ときにそれがばれて、イギリスに強制送還されたこともあった。

 また、若い割には老成しており、「静かなビートル」(Quiet Beatle)ともいわれていた。しかしジョンやポールの前では、誰でも、特に年下であれば、口を閉ざさざるを得ないのかもしれない。

 さらに若い割には、積極的に様々な楽器を導入するのが好きだったようだ。シングル"ハード・ディズ・ナイト"では12弦ギターを、アルバム「ラバー・ソウル」の"ノルウェーの森"ではインドの楽器、シタールを演奏している。
 ついでに「アビー・ロード」の"ヒア・カムズ・ザ・サン"では、シンセサイザーをも導入している。そういえば、ビートルズの中で一番最初にソロ・アルバムを出したのはジョージ・ハリソンであった。

 彼は1968年に「不思議の壁」を、翌年には「電子音楽の世界」を発表している。前者は映画のサウンドトラック盤で、後者はのちのブライアン・イーノもビックリの電子音が飛び交う環境音楽?を聴くことができる。ただ個人的にはそんなに聞きたいとは思わないが・・・

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Music Electronic Sound

アーティスト:George Harrison
販売元:Apple
発売日:1996/09/30
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 だから年齢は若くても、ミュージシャンシップというか、演奏家としての進取の意欲はあったのである。彼は彼なりに自分の存在感を示そうとしたのであろうか。それともジョンやポールの偉大な芸術欲を取り入れようとしたのであろうか。

 そんなジョージだから、ビートルズ解散後に一番意欲的にアルバムを出したのも彼であった。しかも当時のLPで3枚組というボリュームであった。タイトルは「オール・シングス・マスト・パス」という。日本語にすると「万物は流転する」という意味である。(今日のブログのテーマだ!)

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Music All Things Must Pass

アーティスト:George Harrison
販売元:Capitol
発売日:2001/10/09
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 1970年の11月27日に(イギリスでは11月30日)に発表されたこのアルバムは、当然の如く英米両方でNo.1に輝いた。当時の彼の感性を反映しているせいか、実にのびのびと明るく歌っている印象がある。おそらく100人聞けば100人とも明るい印象を持つのではないだろうか。

 特にアコースティックな曲が異色のできばえのような気がする。盗作と訴えられ敗訴した"My sweet lord"ではあるが、私のようにもともとの原曲を知らない人には、そんなの関係ねえ!と思うほど、この曲はいい曲である。

 またボブ・ディラン作の"If not for you"は名曲である。これ以降、オリビア・ニュートン=ジョンほか多数のミュージシャンがカバー・ソングを出したことからでも、その良さが分かると思う。
 それ以外にも、"Behind that locked door"、"Run of the mill"、"Apple scruffs"、"Ballad of Sir Frankie Crisp"などまさに捨て曲なしのアルバムである。これらの曲を聴くと、青春の甘酸っぱさ、草原の匂い、夕日の美しさなど、日頃気恥ずかしくてとても口に出せそうにもない言葉でさえも平気で話せてしまう、そんな魔法を持ったアルバムなのである。

 エレクトリックな曲では、"What is life"、"Awaiting on you all"、"Art of dying"などがいい。特にクラプトンのギターが冴える"What is life"や"Art of dying"はロックするジョージの姿を耳にすることができる。

 またスローな曲"Beware of darkness"、"All things must pass"、"Hear me lord"も絶品である。要するにこのアルバムではすべていいのである。
 LPでは3枚目の曲たち、CDではdisk2の5曲目以降の曲は、フリーなジャム・セッションを録音したものだが、要するにボーナス・トラックと思えばいいと思う。エリック・クラプトンやデイブ・メイソンたちとジャムっているジョージを想像すればよろし。ジャム・セッションとはこういうものだということが分かればいいのだ。

 このアルバムから約31年後にジョージは亡くなったのである。そう思うと、余計このアルバムに対する思いが募るのである。
 これから11月になったときには、毎年ジョージのアルバムを1枚ずつ順番に紹介していきたい。「リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」は既にこのブログで紹介しているので、来年は「ダーク・ホース」である。

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