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2008年1月

2008年1月31日 (木)

ラナ・レーン

 自分でも呆れてしまうのだが、アメリカのプログレッシヴ・バンド、ラナ・レーンの新作を買ったら、自分のCD棚に彼らのアルバムが9枚になっていた。いつの間にこんなに集めたのだろうか。

①「ラヴ・イズ・アン・イリュージョン」(1995)
②「キュアリアス・グッズ」(1996)
③「バラード・コレクション」(1998)
④「ガーデン・オブ・ザ・ムーン」(1998)
⑤「クィーン・オブ・ジ・オーシャン」(1999)
⑥「シークレッツ・オブ・アストロジー」(2000)
⑦「プロジェクト・シャングリラ」(2002)
⑧「レディ・マクベス」(2005)
⑨「レッド・プラネット・ブールヴァード」 (2007)

 これらは一気に集めたわけではなくて、①~⑤までは中古CDショップで購入し、残りは新作としてリアル・タイムで手に入れたものだった。中古CDショップで購入できたということは、数年前までは彼らの人気があったということだろうか。(もちろん現時点でも人気があるから新譜が発売されているのだ。需要と供給の関係である)

 もともとこのグループのことを知ったのは、音楽鑑定団で有名なK氏から勧められたからである。さすが鑑定士だけあって、耳が肥えている。良い音楽は聞き逃さないのである。
 女声ボーカルのプログレだけど、だまされたつもりで聴いてごらんなさいと勧められたのが、編集盤であった「バラード・コレクション」である。文字通り彼らの叙情性が溢れんばかりに表現されている好盤だと思う。

Photo Music バラード・コレクション

アーティスト:ラナ・レーン
販売元:バンダイ・ミュージックエンタテインメント
発売日:2000/04/19
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 どこを切ってもバラードなのだが、バラードだからこそラナ・レーンの歌唱力や表現力がはっきりと分かる。1曲目の"Avalon"から6分を超えたドラマティックな曲が展開されているし、4曲目の"Through the fire"のようにアコースティックな音使いを強調した作品もある。
 特筆すべきは、"Stardust"や"When time stood still"、"Across the universe"のようなポップな作品も並んでいるということだ。
 "When time stood still"はELOが1981年に発表したアルバム「タイム」からシングル・カットされた7インチ・シングル"Hold on tight"のB-sideの曲、"Across the universe"はご存知ビートルズの「レット・イット・ビー」に収められていたジョン・レノンの作品である。

 だからプログレッシヴ・ロックといってもポップな面も備えているのだ。以前のブログにも書いたように、アメリカのプログレ・シーンは芸術性と商業性の両方を兼ね備えておかなければならない。だからいくら才能が豊かであっても、ある程度売れないといけないのである。
 この辺が難しいところであろうが、やはりラナ・レーンも意識的か無意識的か売れる要素は備えている。

 彼らの最高傑作は3作目の「ガーデン・オブ・ザ・ムーン」ではないかと思う。ここでは彼らのプログレッシヴ・ロックな面とハード・メタリックな面とが程よくブレンドされており、非常に聞きやすいアレンジとともに、彼らの豊かな表現力や巧みな演奏力が上手にまとめられている。

3 Music ガーデン・オヴ・ザ・ムーン

アーティスト:ラナ・レーン
販売元:マーキー・インコーポレイティドビクター
発売日:2000/04/19
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 アルバム構成上もプログレの方法論にならって並べられており、最初の曲"River of the stars"と最後の曲"Garden of the moon"は2分少々のインストゥルメンタルで、プロローグとエピローグのような対の関係になっている。

 どの曲もいいが、しいて言えば"Seasons"、"Under the olive tree"、"Dream of the dragonfly"などが名曲だと思う。これらは彼らの繊細な叙情性を堪能することができる。個人的にメタリックな部分はあまり好きではないのである。

 最新作は「レッド・プラネット・ブールヴァード」である。約2年ぶりに発表されたアルバムであるが、個人的にはあまり好きではない。それは初期にあった彼らの叙情性や瑞々しい繊細さなどが段々消えていっているように思えたからだ。

2 Music Red Planet Boulevard

アーティスト:Lana Lane
販売元:Frontiers
発売日:2007/12/10
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 やはりアメリカでは“売れてなんぼ”の世界である。商業性獲得のためには、ハード・メタリックな面を強調した方がよいと判断したのではないだろうか。

 でも現在の環境汚染が進む地球を“レッド・プラネット”と譬えているように、内容的には物質文明批判を展開していて、京都議定書を批准しなかったアメリカにとっては耳が痛いアルバムかもしれない。

 もともと女声ボーカルのプログレ・バンドは好きでなかった。オランダのアース&ファイヤーは別だったが、男性が高音を出して歌うのが本筋だと思っていて、女性が高い声を出せるのは当然のことだと考えていた。

 しかしこのバンドを知ってから、高い声だけが評価の対象になるのではなくて、表現力や歌唱力の方が大事なのだとあらためて認識させられた。
 自分の考えの狭隘さにほとほと呆れたしだいである。我ながら情けないものだ。

 ところで“ラナ・レーン”とはこのバンドの女声ボーカリストの名前である。基本的にこのバンドは彼女とキーボード奏者のエリク・ノーランダーという人が中心になって構成されている。ちょうど日本の小室哲哉と女性ボーカルと考えれば分かりやすいと思う。やっている音楽は全然違うが・・・

 それに彼らの(特にラナ・レーンの)プロフィールは不明である。年齢も不詳だ。わざとミステリアスな雰囲気をだそうとマネージメント側が隠しているのであろう。たぶん彼女は30代後半~40代前半ではないかと思う。昔はスレンダーだったが、今はちょっと・・・という感じである。

 またジミー・ペイジとポール・ロジャースが結成していた“ザ・ファーム”のベーシスト、トニー・フランクリンや元レッド・ゼッペリンのジョン・ボーナムの息子、ジェイソン・ボーナムも数枚のアルバムに参加している。

 最後に一言。彼らの初期のジャケット・デザインは秀逸である。サドバドール・ダリのようにシュールで美しいデザインが描かれていて、ヤチャク・イエルカという画家の手によるものらしい。ジャケット・デザインだけでも一見の価値があると思っているのは、私だけではあるまい。

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2008年1月28日 (月)

ジェイムス・ブラント

 今のシンガー・ソングライターのブームを作ったのは、他の誰でもないイギリス出身のジェイムス・ブラントだと確信している。それほど彼の影響力は大きかったのである。Photo

 まず彼の経歴からすでに他のアーティストとは違う。1977年2月22日に生まれた彼は、本名をジェイムス・ヒリアー・ブラウント(James Hillier Blount)という。アーティストとしてはジェイムス・ブラント(James Blunt)と短く発音できるようにしている。

 祖父、父、叔父がイギリス軍に所属していた軍人であり、彼も大学卒業後に陸軍に入隊し、近衛騎兵連隊で活動したり、大尉に昇格しNATO平和維持部隊として紛争地帯のコソボに赴任したりもしている。
 その赴任先のコソボで経験したことを歌にしたのが1stアルバムに収められている"No bravery"である。
 コソボでは戦車にギター・ケースを取り付け、移動先で作曲や歌などを歌っていたらしい。また戦地の難民になった人たちに歌を聞かせたりもしていたそうである。

 そうやって書き溜めていた曲をアルバムとして発表したのが「バック・トゥ・ベッドラム」である。
 このアルバムは売れた。スイス、デンマーク、アイルランドで1位、フランス、アメリカで2位と全世界的に売れに売れ、何と1300万枚以上という数字を挙げている。

バック・トゥ・ベッドラム Music バック・トゥ・ベッドラム

アーティスト:ジェイムス・ブラント
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2005/12/07
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 またこのアルバムからシングル・カットされた"You're beautiful"は6週連続全英1位になり、全米でも英国人ソロ男性歌手としては1997年の"Candle in the wind"を歌ったエルトン・ジョン以来9年振りのNo.1を獲得している。

 あまりにも売れすぎたためオアシスのギャラガー兄弟からは一発屋と非難されたり、イギリスのエセックス州のFMラジオ局は"You're beautiful"を当分の間自粛すると打ち出したりした。理由はあまりにもリクエストが殺到して、ラジオでかかり過ぎたために、リスナーも嫌気がさしてきたからというものであった。
 果してそれが真実かどうかは分からないが、物議をかもすくらい売れたのは事実である。

 その1stアルバムから約2年、ついに彼の2ndアルバムが昨年秋に発売された。「オール・ザ・ロスト・ソウルズ」である。

オール・ザ・ロスト・ソウルズ Music オール・ザ・ロスト・ソウルズ

アーティスト:ジェイムス・ブラント
販売元:WARNER MUSIC JAPAN(WP)(M)
発売日:2007/09/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 相変わらず高音でハスキーな彼の声は、美しく澄み切っている。1曲目の"1973"から涙腺も緩むほどのポップ・チューンが展開されており、それはこのアルバム全体を貫くトーンになっている。

 2曲目もまるでギルバート・オサリヴァンが歌っているかのようなミディアム・バラード曲である。"One of the brightest stars"というタイトルだが、もちろんこの“最も有望なスターの一人”とは彼自身のことを指している。
 何しろデビュー・アルバムが1300万枚以上売れたわけで、本人はそれほど意識しなくても周りが変わってしまったのである。
 先述のような売れすぎて嫌われたりもしたし、有名人になったあまりプライベートも安心して落ち着けることができなくなった。そんな周囲の状況を皮肉を込めて歌ったものである。

 やはり今回のアルバムには有名になった後の彼の心象風景が反映しているようだ。アルバム・タイトルのフレーズは10曲目の"I can't hear the music"から抜粋されたもので、“And when you sell your soul for a leading role, will the lost souls be forgot?”から来ている。
 「主役のために君が魂を売り渡すときは、魂を失ったものは忘れられるのか」というような意味だろう。つまり一時的に売れたとしても、本来の目的を失った人は忘れ去られるのだ、というようなことだと思う。

 だからこそデビュー時のピュアな気持ちを忘れずに、頑張っていこうと自分自身に言い聞かせているに違いない。

 これらの曲以外にも"Same mistake"、"Give me some love"、"Annie"の歌詞の中にはセレヴ?としての苦悩や悲しみなどが綴られている。やはり1300万枚の代償は大きかったのであろう。

 1stシングルは"1973"であり、これは1973年当時の頃を思い出しながら恋人に呼びかけているものであるが、彼が生まれたのは1977年なので、自分が生まれる前のことを歌っている。
 これはアルバム1曲目なのであるが、この1曲目がこのアルバム全体の雰囲気を決定している。そしてそれは“1970年代”ということである。
 だからこのアルバムを聴くと、何となく懐かしさを覚えるのである。ジェイムス・ブラント自身が当時の音楽が大好きであり、本当の音楽が存在していた時代とまで言い切っている。

 このアルバムもイギリスでは1位、アメリカでも7位まで上がっている。さすがに1300万枚とはいかないだろうが、それでも並のアーティストくらいは売れている。

 このアルバムが売れたおかげで、一発屋という批判は的外れになった。これで彼も少しは安心して暮らせるようになるのではないだろうか。これからも充実したアルバムをコンスタントに発表してほしいものである。

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2008年1月27日 (日)

ジョシュ・リッター

 最近気になるシンガー・ソングライターにジョシュ・リッターがいる。近年全世界的にシンガー・ソングライター・ブームであるが、この人はそのブーム以前にSSWとして活動していた。
 それがブームの影響もあったせいか、日本でもアルバムが発売されるようになった。

 自分が最初に聴いたアルバムは「アニマル・イヤーズ」というタイトルのもので、2006年に発表されている。日本ではこれが彼のデビュー・アルバムだった。

Josh Ritter/Animal Years Josh Ritter/Animal Years
販売元:HMVジャパン
HMVジャパンで詳細を確認する

 基本的にはボブ・ディラン、ニール・ヤングやブルース・スプリングスティーンの伝統を継ぐ、アメリカ人らしいシンガー・ソングライターのアルバムだと思う。

 現在30歳のジョシュだが、デビューは1999年である。アイダホ州出身で、18歳のときに聴いたボブ・ディランとジョニー・キャッシュのデュエット曲"北国の少女"が彼の人生を変えたという。

 大学生ときはアメリカのフォーク・ミュージックを研究しようと民俗学を専攻していた。卒業後はディランやスプリングスティーンのように、小さなコーヒー・ショップで歌いながらバイト生活を送っていた。

 そのときアイルランド出身のバンド、フレームスに見出され、一緒にアイルランドでツアーを行ううちに、人気に火がつきアメリカ本国でも売れるようになった。いわゆる逆輸入型のシンガー・ソングライターである。

 この「アニマル・イヤーズ」でも"モンスター・バラッズ"にはスプリングスティーンの叙情性が、"リリアン、エジプト"では同じスプリングスティーンでもロックする疾走型のスプリングスティーンの姿が見え隠れする。
 また、"イン・ザ・ダーク"ではニール・ヤングの"ハーヴェスト"を連想させるような枯れた味わいを見せてくれる。当時29歳とは思えない老獪な作風である。

 アルバム後半は静かな曲が続けて並んでいて、聴いている方も何だか妙にしんみりとしてくる。ちょうどスプリングスティーンのソロ・アルバムのようである。だから秋の夜長に聴くと心を動かされるものがあるはずだ。

 そのアルバムから約1年少々でニュー・アルバムが届いた。「ザ・ヒストリカル・コンクエスツ・オブ・ジョシュ・リッター」という長いタイトルで、14曲+ボーナス・トラック2曲の全16曲という大作である。

Josh Ritter/Historical Conquests Of Josh Ritter Josh Ritter/Historical Conquests Of Josh Ritter
販売元:HMVジャパン
HMVジャパンで詳細を確認する

 前作より1年しかたっていないので、作風的にはあまり変化はない。しかし、以前のような曲を聴けば元歌というか、元ネタがわかるような曲はほとんどなくなり、彼の音楽観がよりグレードアップしているような印象を与えてくれる好盤である。

 前作は叙情性とロックする姿の主に2パターンが見られたが、今作では非常にバラエティに富んでおり、バラードもあれば、ギター弾き語りやインストゥルメンタル、カントリー&ウェスタンと様々なジョシュ・リッターの顔を見ることができる。

 "Right moves"はライトな感覚を持つポップ・ソングである。フリートウッド・マックの「ファンタスティック・マック」にある"Say you love me"のようなフィーリングをもった曲で、シングル・カットすれば売れそうな予感がする。

 バラエティ溢れる作りにはなっているとはいえ、基本はフォーク・ソングである。明らかにボブ・ディランからの影響がうかがえる"The temptation of Adam"や70年代当初のジョン・レノンのような"Wait for love"などは、ジョシュ・リッターのレアな精神性が原石のように輝いている作品である。

 アルバムの実質的な意味での最後の2曲"Still beating"と"Empty hearts"は名曲である。何度聴いてもいい。初めてこのアルバムを聴く人はこの2曲から先に聴くときっと忘れ難いものになるであろう。
 "Still beating"は彼の叙情性が色濃く表れていて、思わず聴き入ってしまう。「トンネル・オブ・ラヴ」の頃のスプリングスティーンをおもわず思い出してしまう。
 また、"Empty hearts"は新しいジョン・ハイアットの登場を思わせるような魅力に富んだ曲である。

  日本ではブルース・スプリングスティーンやニール・ヤングのアルバムほどは売れないと思うが、それでもこのまま行けば、かなり有名なミュージシャンになることは間違いないと思う。才能は豊かであり、歌も演奏も巧みである。あとは如何にして自分のオリジナリティを出していくかだと思う。
 日本でもこれから売れてほしいミュージシャンのうちの一人である。

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2008年1月26日 (土)

佐野元春

 今から20年以上も前の話であるが、ちょうど季節的にいまと同じ頃だった。この温暖な地にも大雪が降ったのである。慣れない雪のために人々は戸惑い、交通はストップし、学校も臨時休校になった。

 普通の人ならここで喜ぶはずだが、残念ながら私は喜べなかった。なぜなら卒論準備でそういう余裕はなかったからである。むしろ参考文献を借りられずに、逆に焦った思い出があるくらいだった。

 以前にも同じことを書いたが、在学途中で無気力状態に陥ってしまい、授業を受けるのが億劫になってしまった。だから卒論を書くときにも何をどう書いていいのかわからなかったし、誰に聞いていいのかも不明だった。

 だから適当に本を読んで、そこから気に入った箇所を選び、調べていった。そして壮大な建築には空洞部分がたくさんあるように、自分の論文も空虚な意味のない言葉の羅列物だった。

 この大雪の降った夜も自分ひとりで机に向かい、推敲に推敲を重ねていった。中身がないものを如何に中身があるように見せるかというのは、思ったより大変なことだった。自分の人生も同じようなものだと今さらながら痛感している。

 そんなときに毎日毎日聴いていた音楽が佐野元春の「Someday」だった。はっきり言って心の糧になっていた。

佐野元春/Someday 佐野元春/Someday
販売元:HMVジャパン
HMVジャパンで詳細を確認する

 当時の佐野元春はNHK-FMのラジオ番組「サウンド・ストリート」月曜日のDJも担当していた。これも毎週欠かさず聞いていた。おかげで自分の心の闇も少しずつ縮小していくような気がした。

 彼の音楽を何と例えればいいのだろうか。シングル"ガラスのジェネレーション"のなかで、“つまらないおとなになりたくない”と歌っていたが、その言葉が当時に自分の心にストレイトにヒットした。
 それから彼の音楽に興味を持ち聴き始めたのだが、一言でいうと要するに“イノセンスの喪失とその復権”だと、自分の中では捉えている。

 前作のアルバム「Heartbeat」では、よく言われることだが、都会で生活する少年少女のイノセンスを歌っていたと思う。"ガラスのジェネレーション"がその代表的なものだが、"彼女"やアルバム・タイトル曲"Heartbeat"を聴けば、その音楽的特徴(70年代を象徴するアレンジ)とともに、純粋に人生に向かい合う若者の姿勢を感じることができるはずだ。

 そしてそれがアルバム「Someday」では、若者らしさが無くなり、おとなへと成長しようとする青年の姿に変わるのだ。
「窓辺にもたれ
夢のひとつひとつを
消してゆくのは つらいけど
若すぎて何だか解からなかったことが
REALに感じてしまうこの頃さ」
(“Someday”より)

 ここでは夢見る年頃から現実社会に投げ出されようとする若者の姿が浮かび上がる。そしてこの後、“まごころがつかめるその時まで”“信じる心いつまでも”というピューリタン的な理想主義が描かれるのである。
 これはとりもなおさず“現実への直視”=“イノセンスの喪失”と“理想への渇仰”=“その復権”を表していると思うのである。

 3曲目の"Down Town Boy"でも喪失感が歌われている。“本当のものより きれいなウソに夢をみつけているあの娘”、“すべてをスタートラインにもどして ギアを入れ直してる君”
“たったひとつだけ残された 最後のチャンスに賭けている”

 しかし生きていく限りは現実を直視しなければならないのである。このアルバムでの大作"Rock&Roll Night"では佐野元春の一種の決意表明が行われるのである。
「たったひとつの夢が
今 この街の影に横たわる
でも今夜は思いっきりルーズに
みじめに汚れた世界の窓の外で
全てのギヴ&テイクのゲームに
さよならしておくれ

フッと気づけば みんなこの街に
のみこまれたプリテンダー
どんな答えをみつけるのか 
どんな答えが待ってるのか

Rock &Roll Night Rock & Roll Night 
今夜こそ
Rock &Roll Night Rock & Roll Night 
たどりつきたい」

 それこそどんな答えがあるのか、また、どこにたどり着こうとするのか、その回答は自分で見つけなければならないと思っている。
  
 このアルバムは、彼にとっての「アビー・ロード」である。"Happy Man"は"Maxwell's silver hammer"であり、"サンチャイルドは僕の友達"は"Her Majesty"である。
 このように曲構成も似ているし、ミュージシャンとしての純粋な結晶みたいなものが込められていると思うからである。

 "Down Town Boy"を聴くと、当時は車でよく深夜に徘徊していたことを思い出すし、"Someday"を聴くと、つらかった真冬の卒論作業を思い出してしまう。
 また、"Vanity Factory"では沢田研二のカッコいいバック・ボーカルを思い出してしまうのだ。
 そういう意味では思い出がいっぱい詰まっているアルバムなのである。

 その後自分は、卒論提出日の最終日の午後5時の15分前に提出することができた。余裕を持って4時前に持って行ったら、きちんと表と裏表紙をつけて綴じ紐で綴じていないと認められないといわれて、あわてて生協に行ってそれらを購入し、食堂で制作したことを覚えている。

 そして今はもうないのだが、数年前までは夜中にハッと目が覚めることがよくあった。そういう時はたいてい“自分は本当に卒業できたのだろうか”と煩悶したり、教務から“(卒業まで)あと○単位足りない”と夢の中で言われて、目が覚めるのであった。

 卒業後数十年がたったが、このアルバムの中でも歌われていたように、自分自身にとってその答えを見つけたのかもしれないし、まだ途中なのかもしれない。
 たぶんまだ途中なのだろう。もし見つけてしまったなら、そこに安住してしまい自分の成長はないと思うからである。
 だから、たどり着くように努力しているのだ。そしてそこには永遠にたどり着けないとしても、である。

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2008年1月23日 (水)

アラジン・セイン

 デヴィッド・ボウイを初めて聴いたのはいつのことだろうか。たぶん中学生になる前後にラジオから流れてきた曲を聴いたのが最初ではないかと思う。流れてきた曲は、"スペイス・オディティ"や"スター・マン"だと記憶している。メロディのサビの部分が印象に残ったからだ。

 本格的に聴き始めたのは大学生になってからだ。時間的にゆとりがでてきたので、当時再発された廉価盤のレコードを買って聴き始めた。
 よく聴いたのはやはり「ジギー・スターダスト」だった。何しろ曲がいい。ボウイがこんなにいい曲がかけるとは思っても見なかった。

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Music Ziggy Stardust

アーティスト:David Bowie
販売元:Virgin Records Us
発売日:2003/10/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 静かに始まる"Five years"からリズムが面白い"Soul love"、名曲"Starman"、"Lady Stardust"、激しくロックする"Hang on to yourself"、"Suffragette city"とバラエティ豊かな曲が多く、改めてデヴィッド・ボウイはすごいと思った。見かけは変だが(当時はグラム・ロックのけばけばしいボウイというイメージしかなかった)、結構いい曲が多い、これは歴史的名盤であると再確認したものだった。

 でも一番頻繁に聴いたのは「アラジン・セイン」だった。タイトルからして“アラビアン・ナイト”の世界を演出しているのではないかと思ったのである。

 もともとボウイという人は、変化し続けることを自分に課しているような人だった。初期のボブ・ディランのようなフォーキーなイメージから、「ジギー・スターダスト」時の地球に下りてきた異星人、アメリカに進出してソウル・ミュージックをやり“シン・ホワイト・デューク”(痩せたホワイト公爵)と名乗り、ヨーロッパに行ってはシンセを大胆に導入した音楽をやったりした。そして「レッツ・ダンス」で一躍ポップ・スターに成り上がった(成り下がった?)のである。

 だから「アラジン・セイン」と聞いたときに、アラビアン・ナイトのようなまた新しいキャラクターを始めたのかと思ったのだった。

 何しろジャケットからして、ドキッとさせる。顔の毒々しいペイントは何だ!何で髪が赤なんだ!と当時は驚いたものである。今でこそ茶髪は珍しくはないが、当時はヤンキーくらいしか脱色はしていなかったからだ。

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Music Aladdin Sane

アーティスト:David Bowie
販売元:Virgin
発売日:1999/09/28
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 話によると、パナソニックのメーカーの炊飯器にあったマークにヒントを得て、この稲妻のようなペイントをしたそうである。さすがデヴィッド・ボウイ、目の付け所が常人とは違う。

 アルバム自体に話を移すと、とにかく1曲目からノリがいい。「ジギー・スターダスト」はトータル・アルバムのために曲の構成も重要な要素だったが、このアルバムはそうでないために、1曲1曲が独立したものになっている。

 1曲目の"Watch that man"から切迫感というか、聞き手に迫ってくるものがあった。ミック・ロンソンの弾くギターがえらくかっこよく聞こえた。

 2曲目の"Aladdin Sane"ではジャズ・ピアニストのマイク・ガーソンの弾くピアノがまるで不協和音のように神経を逆立てるというか、苛立たせた。
 しかし一度聴くと忘れがたい印象を残すのもまた事実であった。最後にフリーキーなサックス・ソロが鳴り響き、ピアノが後を追いかけるように音を奏でる。現実と狂気の境を漂うかのようである。

 この曲と4曲目の"Panic in Detroit"は危ない曲である。いたずらに焦燥感を掻きたてるからだ。その間にある"Drive in Saturday"がその緩衝材として役立っていると思う。
 このミディアム・テンポの曲が何度自分の心を救ってくれたか分からない。そういう意味ではこのアルバムも曲の配置が素晴らしいと思う。

 "Panic in Detroit"では最初のタムタムの音からして、いやがうえにも緊張感を掻きたてる。それにしてもバックの絶叫する女声コーラスや演奏陣との息のあったパフォーマンスにつくづく感動してしまう。ある意味美しい音楽である。

 さらに"Cracked actor"がますます緊迫感を高める。このアルバムではサックスとピアノが重要なファクターになっていると思う。この2つの楽器が絡み合いながら緊張や焦燥、退廃、悪徳などを醸し出しているような気がしてならない。

 "Time"は名曲である。ここでのボウイの歌声は、解放された精神の如く天上へと舞い上がる。ここではピアノとギターが音楽的に重要な要素になっている。
 以前、T・レックスのマーク・ボランと一緒に録音した曲"The prettiest star"をここで再録している。ノスタルジーに溢れた佳曲である。

 後半はギターが大活躍なのだが、ストーンズの曲"Let's spend the night together"はオリジナル以上に切羽詰った印象を与える。テンポも速く、効果音を取り入れて、本家以上に疾走感にみなぎっている。こうやって聴くとあらためていい曲だと思う。

 このアルバムからは2曲のシングル・カットがあったが、それは"Drive in Satrurday"と"The Jean Genie"だった。日本でもそこそこヒットしたような思い出があるが、"The Jean Genie"は今聴くとそんなにいい曲とは思わない。当時のボウイの影響力でヒットしたのかもしれない。

 最後の曲がおどろおどろしく、まるでオペラかミュージカルのように聞こえるのだ。邦題を“薄笑いソウルの淑女”という分かりやすいようでよく分からないタイトルだが、マイク・ガーソンのさざなみのようなピアノ演奏が忘れがたい印象を残している。アルバムの最後を飾るのにふさわしい曲だと思う。

 このアルバムが発売されたのは1973年だったが、自分が聴いたのはそれよりもずっと後になってである。温故知新ではないが、古いものから聴いていたのである。
 そして「ダイヤモンドの犬」、「ヤング・アメリカンズ」、「ステイション・トゥ・ステイション」、ベルリン三部作へと手を伸ばしていった。

 ただ間隔を置かずにいきなり聴いたので、消化不良になった。ベルリン三部作や「ロジャー」のよさがよく分からなかった。いい曲があることはわかるのだが、アルバムをトータルで見ると、やはり「ジギー・スターダスト」や「アラジン・セイン」、「ダイヤモンドの犬」にはかなわないのではないかと思ったりした。

 やはり「レッツ・ダンス」や「トゥナイト」が好きな自分は、ボウイ信奉者にはなれないのであろう。そして当時の自分を振り返るたびに、神経症的圧迫感を伴った「アラジン・セイン」を思い出すのである。

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2008年1月22日 (火)

斉藤哲夫

 先日、音楽鑑定団のK氏より贈り物を頂いた。それは斉藤哲夫という日本のフォーク・シンガーのアルバム「君は英雄なんかじゃない」という名前のものだった。

君は英雄なんかじゃない Music 君は英雄なんかじゃない

アーティスト:斎藤哲夫
販売元:avex io
発売日:2002/10/09
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 鑑定団のK氏から駄作が送られてくるはずがない。一聴して、これは名盤だとわかった。全体として内省的で、静謐な瑞々しさに溢れている。1972年6月に発表されたそうであるが、九州の片田舎に住んでいた自分には全く無縁の存在であった。

 静かな音楽であるが力強さに溢れている。それはこの当時の時代状況を反映したものであろうが、それだけではなくてこのミュージシャンの持っている意識の高さだと思う。
 その意識の高さが言葉になって、歌詞として表現されているのである。

 歌詞カードにはこういうふうに書かれている。
「素晴らしい人生よ 素晴らしい明日よ
世はまさに今変わりつつある
世はまさに今変わりつつある
素晴らしい人生よ 素晴らしい明日よ」
(6/8無題〔素晴らしい人生〕)

「何度でも転がるのさ 何度でも倒れるのさ
苦しみなんて吹き消そう
淋しさなんて捨て去ろう
くよくよしても今ははじまらないから
明日になればきっと
そこに確かな自由をみつけることができるだろう」
(明日になれば)

「悩み多き者よ 時代は変わっている
全てのことが あらゆるものが
すさんだ日々に ゆがんだ日々に
休みなく時は通り過ぎてゆく

ああ人生は吹きすさぶ荒野のように
ああ生きる道を誰でもが忘れているのさ
暗い歴史のかげに埋もれてはいけない
飾り気の世の中に埋もれてはいけない」
(悩み多き者よ)

 こういう言葉が綴られているのである。人生に対して肯定的で自覚的である。ある意味吉田拓郎よりも純粋に前向きに人生をとらえているのではないかと思うのである。
 ただし全体的には丸くなった吉田拓郎といったところか。

 自分の当時の印象では、フォーク・ミュージックというと、暗い、陰湿、退廃的という印象が強かったし、いまもそうである。どうもこれは四畳半ミュージックといわれた影響だと思っているし、小学生のときに通学路に張ってあった"神田川"や"赤ちょうちん"という映画のポスターの視覚的印象が刷り込まれているせいでもある。

 だからこういう前向きに歌うフォーク・ソングというのは貴重だと思った。当時はどういうふうに見られていたのであろうか。斉藤哲夫という名前がメジャーになったという話は聞かないので、たぶんセールス的には売れなかったのであろう。

 これは個人的な推論だが、斉藤哲夫のようなミュージシャンは全体から見ればマイナーな存在だっただろうし、当時は既にフォーク・ミュージックが既成の体制に組み込まれてしまい、売れる音楽は親会社がバックアップし、売れないものはそのままにされてしまったのではないだろうか。

 だからフォーク・ミュージシャンでも小汚い格好はしていても小金持ちはいただろうし、四畳半的人生を歌っていても、実生活は違う人はいたのだと思う。

 その点では斉藤哲夫は、実生活でも歌詞のような生活ぶりではなかったかと判断する。言行一致型のミュージシャンではないかと思うのである。

 また人生や生活を語るだけでなく、やはり社会面についても言及している部分がある。
「愛だとか平和だとか毎日口ぐせのように
言い合っている君は
うしろからふいに足をさらわれて頭は空回り
これから先はまだまだ遠い
倒れたり転んだりつまずいたりすること
それは全て君の考え一つだけれども
さあ流れに乗り遅れたらおしまいだ
しっかりしてよ よそ見なんかするんじゃないよ」
(君は英雄なんかじゃない)

「壁に向かってみるがいい
それを崩し去ればいい
世のうら若き者達よ
鏡に向かってみるがいい
それを割ってしまえばいい
(中略)
斧をもて石を打つが如く
新たなる時代に向けて」
(斧をもて石を打つが如く)

 彼の音楽を聴くと、イギリスのグループ、コールドプレイを思い出す。コールドプレイの現時点での最新アルバム「X&Y」は、この「君は英雄なんかじゃない」と雰囲気的によく似ているのだ。

X&Y Music X&Y

アーティスト:Coldplay
販売元:Capitol
発売日:2005/06/07
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 共通点は、静かであるが力強さを感じさせてくれること、ボーカルの声が裏返ること、メロディが美しく繊細であること、などがあげられると思う。
 相違点は、斉藤の音楽はあくまでフォーク・ミュージックの範疇にいるのに対し、コールドプレイの方は、ロックのフィールドにいるので、音の厚さが違う点である。また、コールドプレイは個人の意思を尊重することやドラッグには手を出さないという決まりを作っているが、斉藤哲夫は残念ながら大麻に手を出し、麻薬取締法違反で逮捕されてしまった。残念である。

 フォークと呼ぶにはギターよりもピアノやオルガンの方がメインであり、その点でも自分には新鮮に映った。
 そしてCDショップに確認したところ、復刻シリーズのCDとして再発されているということなので、即購入した。しかもデジタル・リマスタリングで、価格も1785円であった。

 こういう名盤が今でも手に入れることができるということが素晴らしい。まだまだ日本の音楽シーンも見捨てたものではないのである。

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2008年1月21日 (月)

ザ・ウォール

 『全世界が注目する中で2年10ヶ月ぶりに発表された待望の新作』と当時のレコードの帯には書かれていた。またこうも記されている。『巨大な人間社会をレンガの壁とすれば、一人の人間は一個のレンガだ。そして一個一個のレンガに刻まれた人間のドラマ、さらに壁を打ち壊しシステムを崩壊させ枠から飛び出した真理』

 感のいい人には誰の何というタイトルのアルバムか分かると思う。そう、ピンク・フロイドが1979年の終わりに発表した「ザ・ウォール」である。

The Wall Music The Wall

アーティスト:Pink Floyd
販売元:Sony
発売日:2000/04/25
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 70年代のピンク・フロイドは売れたアルバムを作り続けた。それは結果的に売れたのであって、90年代の以降のフロイドのように最初から売れるアルバムを意図して制作していたのとは180度違う。
 70年代のフロイド・ミュージックは、その思想性・音楽性が全世界的に多くの人に受け入れられ、その結果アルバムが天文学的数字になるほど売れたのである。

 この「ザ・ウォール」も2枚組にもかかわらず、全世界で二千万枚以上売れた。コンセプト・アルバムで、発売当時からこれほど売れたアルバムは他にはない。売り上げではあの「狂気」をも上回っているのである。
 ひとつにはシングル・ヒットが生まれたからという理由もあるであろう。アルバムの中の"Another brick in the wall(partⅡ)"は1980年の3月に4週間全米No.1も記録している。当時はついにピンク・フロイドもディスコ・ミュージックという時流に走ったのかと揶揄されたものだった。
 
 しかしこのアルバムが受け入れられた理由は、決してそれだけではないだろう。2枚組というボリュームにしては全26曲と曲数が多い。一番長い曲でも6分23秒であり、今までのフロイドからすれば、短い曲が多すぎる。

 シングル・カットされた曲を聴いても分かるように、比較的聞きやすい曲が多い。またこの年はアメリカでスリーマイル島原子力発電所放射能漏れ事件や旧ソ連のアフガニスタン侵攻などがあり、世紀末的な世の中にますます拍車をかけるような状況が生まれた。
 そういう背景もあり、また久しぶりのピンク・フロイドのアルバムということもあって、売れたのではないかと思う。当然ながらアルバムも全米でNO.1を獲得した。(全英では3位)

 ピンク・フロイド・ファンならよく知っていると思うのだが、前作のアルバム「アニマルズ」発表後のコンサート・ツアーにおいて、カナダのモントリオールでの公演中、前列の客席で大騒ぎしていた観客に対し、激怒したロジャー・ウォーターズは彼らに向かってつばを吐き掛けるという行動を起こした。
 ウォーターズは自らのこの行為をこう言って弁解している。『モントリオールに滞在していたとき、あまりに多くの都市を充分な睡眠を取れず、お世辞に囲まれて回り過ぎたために、自分が少しおかしくなってしまった。有名になって自分が変わってしまった』

 そして彼は(決して“彼らは”ではない)、それを“壁”として考え、バンドは新しい作品やサウンドを披露したいのに、観客は有名な曲や代表曲を求めようとする、そこには目に見えない壁が存在する、と判断したのだ。

 もちろんそれは観客とのコミュニケーション・ギャップだと思うのだが、演奏者と観客だけでなく、広く一般社会に存在する人種や世代の壁、思想・哲学の違い、社会体制の壁などのすべてを、このアルバムの中に象徴したのだと思う。

 プロデューサーは、あのボブ・エズリンである。アリス・クーパーやKISS、このブログでも紹介したルーリードの「ベルリン」などを担当している。

 彼はこのアルバムでもわかるように、聴覚だけでなく、視覚的イメージとしての音楽構築力やドラマティックな演出に優れているプロデューサーである。だから曲ごとにとらえるよりも、アルバム全体をある程度俯瞰した上でプロデュースする方法に長けている。

 彼の起用が結果的に大成功している。特にDISC2の後半"The show must go on"から最後の"Outside the wall"までは、BGMのようで、まさに映画を見ているかのような錯覚を覚えた。事実、のちにボブ・ゲドルフ主演でアラン・パーカーが監督した同名の映画も制作されている。

 また曲の短さが、却ってステージ上での舞台転換のような作用をしている。パッパッと曲が変わることで、新たな曲やストーリーに聴くものを引きつけていき、最後まで途切れずに流れるように進行していく。
 その辺の構成が見事である。

 またここでのロジャー・ウォーターズの歌い方は、まるで「ベルリン」のルー・リードにとてもよく似ている。特にDISC1の"Mother"、DISC2での"Hey you"、"Nobody home"、
"Vera"などは効果音も混じっていて、よく似ていると思う。
 救われたのは"Young lust"や"Comfortably numb"でのデヴィッド・ギルモアのギターだった。この伸びやかなギターの音色を聴いて、アァ何て美しい音だろうと現実に戻ることができた。今まだこの世にいるのもギルモアのお陰かもしれない。

 このアルバムは当時2枚組4000円だった。大学生協で購入したので3200円だったと記憶している。それでも決して安い金額ではなかった。バイトで稼いだなけなしのお金を払って購入し毎朝、毎晩聴いていた。もちろんテープに録音してである。

 そして自分の無気力状態はこのときが最盛期だったと思う。ほとんど学校にも行かず、深夜に寝て、昼前に起きる、果てはいったん目を覚ましてまた寝入り、目が覚めたときは夕方という日もたびたびあった。

 授業は最低限必要なものを絞って受講していた。それでもよく欠席してしまっていた。だから4年生になっても、必修だった第二外国語を受講したり、免許申請に必要な単位が足らずに夏休みに補講を受けたりした。他の同学年の人が旅行をしたり、長期アルバイトに精を出しているのを横目に見ながら、受講し試験を受けた。悲惨なものである。

 それもこれも自分の精神状態が不安定なせいであった。きっかけは一人暮らしという環境の変化や精神的にモラトリアムになったせいかもしれないが、それに拍車をかけたのは間違いなく、デヴィッド・ボウイやルー・リードやピンク・フロイドのこのアルバムであった。

 このアルバムを発表したフロイドは、ワールド・ツアーに出た。そして演奏途中でステージ上に大きな壁をつくり、このアルバムの中にある"Outside the wall"の直前でそれを壊すという演出を行った。ただ、あまりにも費用と経費がかかるので、四都市でしか実施しなかったが・・・

 自分はこのアルバムをよく聴いていたが、あるときから急に聴かなくなった。それまではまるで自分の周りに壁があるかのように思っていたから、聴いていたのであろう。
 それが自分の周りではなく、実は自分の心の中に壁があると気がついたところから、変わっていったのかもしれない。

 それは自我崩壊の始まる一歩手前だったのかもしれないし、それを防ぐための自己防衛手段だったのかもしれない。
 もしあのまま聴き続けていたら、今はどうなっていたのだろうかと思うときがある。おそらく今とは違う人生を歩んでいることは間違いないだろう。そう考えると、自分にとって「ザ・ウォール」は、たかが1枚のロック・アルバムだと軽んじることはできないのである。

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2008年1月20日 (日)

ディフェクター

 今回もスティーヴ・ハケットのソロ・アルバムを取り上げることにした。個人的には「プリーズ・ドント・タッチ」、「虹色の朝」、「ディフェクター」を初期三部作と考えているのだが、その三部作の最後を飾るものである。(ジェネシス在籍中にソロ・アルバムを発表しているが、それはソロ活動とは考えないものとする)

 三部作の最後は「ディフェクター」である。今から28年も前の作品であるが、いま聴いても全然違和感がなく、古臭さを感じさせないアルバムである。

ディフェクター(紙ジャケット仕様)/スティーヴ・ハケット ディフェクター(紙ジャケット仕様)/スティーヴ・ハケット
販売元:イーベストCD・DVD館
イーベストCD・DVD館で詳細を確認する

 確か日本では11月か12月に発売されたと思う。それで冬の間はこのアルバムを繰り返し聞いていた。当然のことながら、四畳半の部屋に布団にくるまって聴いていたのである。いま考えると、まるで蚕の繭の中で聴いていたようなものだ。

 それにこのアルバムを聴くと分かるが、彼の艶っぽいサスティンの効いた伸びのあるギターの音色とそれを支える厚みのあるキーボードが私の心に響いてくるのである。まるで桃源郷のようだった。

 1曲目の"The Steppes"から彼の特徴あるギターの音色を聞くことができる。タイトルのようにゆったりと歩みを続ける巨人のように、リズムを取りながら聞き手に迫ってくる。
 当時はこの曲を聴くと、後半のクライマックスに向けて音が迫ってくるような錯覚を覚えたものだった。ひょっとしたら自我が崩壊しつつあったのかもしれない。しかし、それくらいよくできたインストゥルメンタル曲だと思う。

 2曲目はボーカル入りの曲で、メロディアスな佳曲である。耳にも心地よく、シングルカットしてもおかしくないと思う。

 このアルバムでは今まで以上にバンド・アンサンブルに力を注いでいるような気がする。その理由はニック・マグナスの演奏するキーボードが重要な役割りを果していると思うからだ。
 3曲目の"Slogans"を聴けば、スティーヴ・ハケットというよりは、まるで「太陽と戦慄」の頃のキング・クリムゾンを連想してしまう。
 ベースは地を這いながらバンドを支え、パーカッションは正確無比にリズムをキープしている。それをキーボードが音でくるみ、ギターが切り込むのである。この曲の後半で、あのライトハンド奏法を聞くことができる。エディ・ヴァン・ヘイレンが発明したといわれるものだが、すでにスティ-ヴ・ハケットがジェネシス時代に使用していたといわれる演奏方法だった。

 3曲目と4曲目の"Leaving"は繋がっていて、曲間がない。というかアルバム全体を通しても曲と曲の間はほとんどない。この辺のアルバム構成は見事である。

 "Leaving"では冬の情景?のような描写で、静かに叙情的に歌われており、次の曲"Two vamps as guests"ではかつての名曲"Horizons"のようなアコースティック・ギターのインストゥルメンタル演奏を聴くことができる。でも"Horizons"よりはスローな曲である。

 レコードではここまでが前半で、次の"Jacuzzi"から後半に移っていた。この"Jacuzzi"は名曲である。“イントロ=サビ”というつくりなのだが、いまだに時々口をついて出てくるメロディなのだ。ギター、キーボード、フルートが入れ替わり立ち代りリードを取るのだが、その展開が実にシャープで切れがある。

 この曲と次の曲は、2曲ともインストゥルメンタルなのだが、このアルバムで一番の聴き所である。"Jacuzzi"の次ではイエスのリック・ウェイクマンのような鍵盤使いを聴くことができる。これにメロトロンが加わればいうことないのだが、贅沢をいってはいけない。メロトロンがなくても充分に印象的な名曲である。ちなみに曲名を"Hammer in the sand"という。

 ここからアルバムは一気にクライマックスに向かって進んでいく。スティーヴのアルペジオから始まる"The toast"では、それにフルート、キーボードが絡み合っていくといういつもの構成であるが、まるで子守唄のように静かに歌が流れている。

 続く"The show"では、一気に曲調が変わりビートが強調される。「そう、僕はシンプルな人間だ 飛行機の予約をするよ 毎日違う場所に移動し 夜に演奏するんだ」というタイトルのままのロック・ショーの様子がうかがえる曲である。

 最後の曲"Sentimental institution"は、ライザ・ミネリのショーで歌われるような40年代のボードヴィル調の曲である。曲の途中でも「僕はルイ・アームストロングの歌やグレン・ミラーの曲で彼女を誘惑することができるんだ」と歌われており、やはりそういう雰囲気が出るように意識してこの曲を作ったのであろう。

 初期三部作に共通していることは、楽曲がバラエティに富んでいること、アルバムが発表されるにつれて、バンドとして機能するようになったこと、ボーカル・パートとインスト・パートのバランスがよくなったことなどが挙げられる。
 そして一方では、私の精神状態もますます内に篭るようになっていき、自分でコントロールすることも困難な状況に陥ったのである。

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2008年1月18日 (金)

虹色の朝

 確か「虹色の朝」というタイトルだったと思う。それがいつのまにか「スペクトラル・モーニングス」に変わってしまった。1979年に発表された元ジェネシスのギタリスト、スティーヴ・ハケットのソロ・アルバムのタイトルのことである。

3_3 東芝EMI スティーヴ・ハケット/スペクトラル・モーニングス(紙ジャケット仕様)
販売元:murauchi.DVD
murauchi.DVDで詳細を確認する

 確かに原題をそのまま日本語に訳したら「虹色の朝」である。そのまんまだから決して間違いではないと思う。「スペクトラル・モーニングス」でも悪くはないと思うのだが、しかし「虹色の朝」の方が分かりやすい、視覚的にもイメージをつかみやすいと思う。特に私のように英語を苦手としている人にとっては、である。

 だって“スペクトラル”とかいう耳慣れない言葉を使われると、ウルトラマンのスペシウム光線と間違えそうだし、スペクタクルと関係がありそうな気がして、何となく戦争映画かアクション映画を連想してしまう。
 いま手元の辞書で調べてみると、"Spectral"には“お化けの、怪奇の、恐ろしい”というような意味があり、「恐ろしい朝、空虚な朝」と訳してもおかしくない。だから逆に英語ができる人にとっては誤解を与えそうな原題になる可能性もあるのだ。

 だから誤解を与えないためにも、ここは「虹色の朝」とはっきりわかるようにタイトルを変えたほうがいいと提案するのである。

 以上どうでもいいことをいろいろと書いてきたが、このアルバムは傑作である。以前のこのブログでも触れたが、スティーヴ・ハケットの「プリーズ・ドント・タッチ」を購入してから、ますます彼のことが好きになった。

4  東芝EMI スティーヴ・ハケット/プリーズ・ドント・タッチ(紙ジャケット仕様)
販売元:murauchi.DVD
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 このアルバムはそれほど売れなかったようであるが、自分にとってはその年のベスト3に入れてもいいくらいの素晴らしい出来であった。
 チェスター・トンプソンやアメリカのグループ、カンサスのフィル・イハートやスティーヴ・ウォルシュも参加してのバラエティ豊かな作品であり、ボーカル入りの曲が多く、とても聴きやすかったのである。

 それで翌年でた「虹色の朝」を買ったのだが、このアルバムもまた名盤だった。1曲目の"Every day"からして充分に彼の艶やかなギターの音色を楽しめるのである。この曲を聴いたとき初めて「虹色の朝」というのは、彼のギターの音色を形容しているのだと理解した。

 インストゥルメンタルの曲に続いてボーカル入りの曲"The virgin and the gypsy"が始まる。バックのキーボードの音が分厚く重厚感を与えてくれるし、後半のジョン・ハケットの吹くフルートの音色が心地よい。

 3曲目の"The red flower"はインストゥルメンタルで、琴のような音色の東洋的音階が異国情緒を漂わせてくれる。ここではギターは使用されていない(はずである。ひょっとしてギター・シンセサイザーか?)。
 次の曲もインストゥルメンタルだが、ここではエフェクトを満載した彼のギターが爆発している。この曲はライヴでもよく演奏されている曲で、"Clocks"というタイトル通りチクタクと時を刻む音から始まっている。最後の短いドラム・ソロもライヴでは映える場面である。

 5曲目はボーカルが非常にコミカルな曲で、前のアルバム「プリーズ・ドント・タッチ」のアウトテイクのような印象を与えてくれる。
 曲の構成も面白く、後半はキューバのスティール・ドラムのような音を聞かせてくれる。このアルバムの中では毛色の違う曲で、息抜きをさせてくれるために用意された曲と思われそうだ。

 後半は"Lost time in Cordoba"で始まる。“コルドバ”とはスペインのアンダルシア州にある都市を指しており、その中に世界遺産に指定されている地区があることから観光客も数多く訪れるとのこと。
 まるで“アルハンブラの想い出”のハケット・ヴァージョンのような観があり、彼の演奏するアコースティック・ギターと弟のジョン・ハケットのフルートによる二重奏が美しい、絵画のような印象を残す曲である。

 続く曲"Tigermoth"は、第二次世界大戦中に活躍したイギリス空軍機にちなんで名づけられたもので、曲の中ほどでボーカルの始まる前に飛行機が急降下し、爆弾を投下するような音を聞くことができる。歌詞の内容も戦争に関する言葉が出ているようだ。Photo

 そして最後の曲「虹色の朝」が始まるのである。自分はこの曲を聴きながら、何という色鮮やかな曲だろうと思ったものである。
 たとえば初夏の朝の日差しにも似た眩しさと鮮やかさが交差する、そんな曲なのである。バックの重厚なキーボード群に支えられながらハケットのギターがカラフルな、それこそスペクトラルな音を奏でてくれるのだ。

 このアルバムは前回のアルバムとは違って、ギター・オリエンティッドな姿勢で制作されている。ボーカル入りの曲もあるが、基本はギターである。彼の本質が色濃く表れているアルバムだといっていいだろう。

 とにかくこのアルバムを聞きながら、一人悦に入っていた。私の自閉的体質はますます強化されていったのである。
 

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2008年1月17日 (木)

ルー・リード

 正直な話、大学時代に少しノイローゼというか、鬱病のような状態になったことがあった。今でいうひきこもりとは少し違う。何しろ外食中心だったので、外に食べに出ないといけなかったし、いつも一人というわけでもなかったからだ。

 たぶん“ステューデント・アパシー”というのではないかと自分で判断していた。“ステューデント・アパシー”というのは学生の無気力状態のことを指す心理学的用語である。

 すべてに無気力というわけではなく、学業以外のことには熱心な場合があると心理学の用語辞典に載っていた。またそれに関する本も数冊読んで、ますますその確信を強めたのだった。
 ただ人と接する仕事を避けたりするとあったのだが、家庭教師や販売のアルバイトは続けていたので、一概にすべてに自分があてはまるというわけではなかった。

 芥川ではないのだが、“将来に対するぼんやりとした不安”は確かにあったと思う。何しろ入学して読んだ本が太宰治と芥川龍之介、梶井基次郎なのだから、やはり変になる下地みたいなものができていたのかもしれない。

 学業以外でもサークル活動や恋愛などに情熱を傾けることができれば、無気力状態も回避できたのかもしれないが、まわりにいたのは男ばかりだったし、自分の趣味に合うようなサークルもなかったので、ますます一人の世界に入ってしまった。

 そんなときに聴いていたのが、ルー・リードの「ベルリン」であった。これも当時廉価盤のレコードが発売されていて、安い値段で購入できたことを覚えている。

Photo_7


 いま聴くとけっこう明るい曲もあるのだなあと思ったりしたのだが、当時はそういう心理状態を反映してか、けっこう暗いアルバムだなあと思っていた。

 特にレコードでいうところのA面最後の曲"オー・ジム"の終わりの部分からB面の"キャロラインの話Ⅱ"、"子どもたち"と続くところは、聴くたびに美しいと思い、なおかつ儚さと哀しさを見せつけられた気がした。
 "子どもたち"の終わりに子どもたちが“マミー”と泣き叫ぶSEが入っているが、そこらあたりになると本当に気が滅入った。寒い冬の部屋に、一人でぽつんと座ってこういう音楽を何度も聴いていると、本当に気が変になったように思えた。

 またルー・リードがつぶやくように、ささやくように歌うので、まるで自分に向かって歌っているように思えたのだ。アルバムの終わりの曲"ベッド"や"悲しみの歌"などは、エンディングを迎えるせいもあって聞き手に直接届くかのような歌い方をしている。それがまた自分にとっては催眠術のように効いたのである。

 このアルバムは1973年に発表されたが、自分が聴いたのは70年代の後半であった。当時は“スクリーンのない映画”とか“レコードで再現されるロック・オペラ”などといわれていたらしい。
 プロデューサーはあのボブ・エズリン。効果音などを利用して、ロックを単なる騒音から芸術へと昇華することのできる演出家でもある。

 このアルバムでも街角の騒音や人の声を挿入していて、非常にドラマティックに盛り上げることに成功している。
 また参加ミュージシャンも豪華で、サックス関係がブレッカー兄弟、ベースにジャック・ブルースとトニー・レヴィン、ドラムスにエイズレー・ダンバー、キーボードにスティーヴ・ウィンウッドが参加し、ピアノとメロトロンはボブ・エズリン自身が演奏している。

 アルバムにもひとつのストーリーがあり、ベルリンで出会った女性(たぶん娼婦)と恋に落ちる男性の姿を描いている。その男性には家庭があり、道ならぬ恋に身を焦がすのであるが、やがてその女性の子どもは施設に入れられて、彼女は絶望のあまり自殺してしまう。このストーリー自体も当時の自分にとっては何か象徴的な意味あるものに思えた。そんなこんなで、やはり鬱状態で陥っていったのである。

 ルー・リードについては、このアルバムからスタートして、「トランスフォーマー」や「コニー・アイランド・ベイビー」、「ブルー・マスク」、「New York」と聴いていった。だから自分にとって「ベルリン」は忘れようとしても忘れられないアルバムなのである。

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2008年1月16日 (水)

ジョージー・ジェイムズとトゥー・ギャランズ

 最近よく聞いているアメリカ人のグループを紹介する。ひとつは男女のデュオでジョージー・ジェイムズという。
 彼らの1stアルバムが昨年秋に発売された。タイトルを「プレイセズ」という。

Photo_3


Music Places

アーティスト:ジョージー・ジェイムズ
販売元:SideOut
発売日:2007/10/10
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 これは結構イケてるアルバムである。どこがイケてるかというと、ポップなのである。彼らのフェイヴァリット・ミュージシャンはゾンビーズ、ビートルズ、トッド・ラングレン、キンクス、ザ・フー、ニール・ヤング、エミット・ローズ、バッドフィンガー、バート・バカラック、ELO、ABBA、ニール・セダカ、S&G、ギルバート・オサリバン、ビージーズ、バズコックス、ザ・ジャム、エルヴィス・コステロなどなどであり、いずれも60年代から70年代を代表するポップ、ロック・ミュージシャンである。

 アルバムにも彼らの志向する音楽の影響があらわれており、どの曲もなかなかのポップである。
 昨年のこのブログの中で、セイルズというイギリスのバンドのアルバムを紹介したが、あそこまでキラキラとした輝くようなポップさはない。しかし、サビの部分にはあのアルバムと比肩されるほどの良質なポップネスが宿っている。

 1曲目の"Look me up"のギターのコード・カッティングやドラムスの音はどことなくザ・ナックの"マイ・シャローナ"を思い出させてくれる。2曲目の"Cake parade"も60年代の雰囲気をひきずっている曲。この曲だけではなくて、どの曲にも特にバック・コーラスにその余韻が漂っているのである。

 特に印象的なのは4曲目の"Long week"で、それこそバート・バカラックが作曲したような転調のある曲になっている。そこがまたイイのである。また日本盤ボーナス・トラックの"Aftermath"はピアノの弾き語りで、心に染み渡るような印象をもたらしてくれた。

 このグループは2人組のデュオと書いたが、男性と女性交互にボーカルをとっており、それがわかりやすくていい。奇数曲が男性で偶数曲が女性なので、今聴いている曲が何曲目なのか見当が付けやすい。
 ただし、途中で男性ボーカルが続く場面があり、その辺が少し単調になっているのが残念だ。

 男性の名前はジョン・デイヴィス、女性をローラ・バーヘンという。ジョンはQ and not Uという名前のグループに在籍していたが、そのグループが解散した後、シンガー・ソングライターのローラと出会い、結成に至ったという。
 Q and not Uというグループはインディ・グループとしては結構人気があったようで、来日してライヴ活動を行ったりしていたようである。

 キーボードをローラが、それ以外の楽器をジョンが演奏している。また曲も2人で作成している。ジャケットを見る限りは美女と野獣といった観があるのだが、この調子で更なるファン層を開拓してほしいものだ。

 もう1組はトゥー・ギャランズというグループで、こちらはギターとドラムスの男性デュオである。ホワイト・ストライプスの男性版といえばわかりやすいと思う。出身はサンフランシスコで、ストリート・ミュージシャンを続けながらライヴ活動を行い、徐々に人気に火がついていったという。

 イギリスのNME等の雑誌に紹介され、レディング・フェスティバルなどにも出演して好評を博した。アメリカ本国よりも最初にイギリスで人気が出たのはニューヨーク出身のシザー・シスターズと同じである。

 音楽的には21世紀のフォーク・ロックという感じで、哲学的な散文詩とヒリヒリするようなレアな音であり、“フォークとインディ・パンクをミックスした音”(ローリング・ストーン誌より)とデヴュー時には評論されている。

 3週間で録音されたというアルバム「ホワット・ザ・トール・テルズ」を聴くと、リアルに彼らの熱気が伝わってくるようだ。

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Music whats the toll tells

アーティスト:トゥー・ギャランツ
販売元:ヴィレッジアゲインアソシエイション
発売日:2006/02/15
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 特に2曲目"Steady rollin'"は自分の好きな曲である。ゆったりとしたギターのイントロに導かれてアダム・スティーヴンスの高音の少しかすれた声で淡々と歌う様は何度聴いてもいいと思った。特にドライヴ時に聴くと、この曲とともにどこまでも運転していってしまいたい気持ちに駆られてしまう。

 3曲目"Some slender rest"も捨てがたい。これはもろフォーク・ブルーズという印象を持つ曲である。そして彼らの特徴が一番出ているのが、次の曲"Long summer day"である。

 速射砲のように矢継ぎ早に言葉を連ねる、まさに21世紀のボブ・ディランといってもおかしくない曲で、たとえばディランのアルバム「欲望」の中に収められていても全くおかしくない印象を持っている。

 続く曲もアコースティック・ギターとハーモニカ、ドラムスだけで構成された曲で、ディランの曲といってもおかしくない雰囲気を携えており、ロックには珍しくワルツのような三拍子の曲である。タイトルを"the prodigal son"(放蕩息子のままで)という。

 "threnody"の邦題は“挽歌”とつけられているが、タイトル通りの曲調である。秋の夜にひとりで聴くと、きっと心に何かを感じると思う。特にラスト近くはボーカルが声を荒げてスキャット風に叫ぶのだが、それが非常に効果的でますます寂寥感を増してくれるのだ。

 
 だからもしあなたがボブ・ディランや若い頃のブルース・スプリングスティーンをフェイヴァレット・アーティストにしているのなら、このアルバムはきっと気に入るはずである。
 確かに基本的なフォーマットはギターとドラムなので音数は少ないのだが、そこさえクリアすればディランが好き嫌いにかかわらず、きっと気に入ると思う。

 彼らの名前をいい忘れた。ギターがアダム・スティーヴンス、ドラムスがタイソン・ヴォーゲルである。このアルバムは2006年に発表されている。

 ちなみに、音楽性は異なるジョージィ・ジェイムズとトゥー・ギャランツは、同じレーベルに所属している。アメリカではインディ・レーベルなのだろうが、こういう小さなレーベルが独自性を発揮するためにも、こういう個性豊かなアーティストたちを擁しているのであろう。

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2008年1月14日 (月)

パティ・スミス

 まさかホントにパティ・スミスについて書くことになるとは思わなかった。以前のブログに記しているように、パンク・ロックは苦手なのである。様々な理由で、基本的に音楽とは認めていなかったからだ。

 何しろパンク・バンドの名前は知っていても、音自体は聞いたことがなかった。とにかく貧乏だったので、同じお金を出すのなら少しでも買って納得がいくものを購入したかったからである。だって60分と30分程度のアルバムが同じ価格だなんて許せますか、皆さん?

 それでパティの名前を知ったのはいつだったろうか。当時、熱心に購読していた「ミュージック・ライフ」でその名前や写真を見かけたような気がする。それでトッド・ラングレンと顔の長さがほぼ同じくらいだなあとつまらないところに感心していたように思う。

 また“恋多き女”とも紹介されていたが、“エッ、そんな・・・”と意外に感じたような思い出がある。自分の中ではそう思えなかったからである。やはりアメリカ人ならもっと肉付きのいい人を選ぶのではないかと思ったのである。
 写真でも分かるように、彼女は痩せているので、そんなふうには見えなかったのだ。

 また、FMラジオで"ピッシング・イン・ア・リヴァー"を聞いた思い出がある。意外とよかったように思えたので、いつかは彼女のアルバムを購入しようと思った。
 この曲は1976年に発表されたアルバム「ラジオ・エチオピア」に収録されている。当時は(そして今も)貧乏だったので、リアル・タイムではアルバム購入はできなかったが、遅れること3年余りして、レコードを購入した。もちろん、生協購買部である。

ラジオ・エチオピア(紙ジャケット仕様) ラジオ・エチオピア(紙ジャケット仕様)
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 一聴して意外とまともな音楽ということが分かった。もっとアヴァンギャルドな音作りを想像していたのだが、いい意味で裏切られたことがうれしかったという覚えがある。
 1曲目の"アスク・ジ・エンジェルス"なんかはローリング・ストーンズが歌ってもおかしくないほどのロック色の強い曲である。この曲が1曲目にあったことが救われたような気がする。このときに思ったことが、パンクとは一概に演奏が下手とか、曲が悪いとはいえないということだった。

 2曲目の"エイント・イット・ストレンジ"もイントロの繰り返されるリフが格好よくて、そのリフに絡みつくように歌うパティ・スミスの力の入った歌い方が耳にこびりついて離れなかった。何と歌っているのかさっぱり分からなかったが、そんなことは瑣末なことだといわんばかりのパティの歌唱の方に心を動かされたのである。

 次の曲はタイトルからして妖しい。何しろ"ポピーズ"なのである。ポピーといえば、ケシの花である。ケシといえば阿片である。あのイギリスと中国の清とが戦争するきっかけにもなった花である。
 この曲あたりからパティの本当の実力が発揮されてくるように感じた。何しろ彼女はもともとポエトリィ・リーディング、要するに広場や路上で即興の詩を作ったり、詠んだりしてして人気が出た人である。
 で、この曲の途中から朗読のような、呟きともささやきともとれない歌い方がされている。確かに彼女は詩人としての才能だけでなく、シンガーとして、特にロック・シンガーとしての才能も豊かなようだ。

 そして4曲目"ピッシング・イン・ア・リヴァー"が始まる。ゆっくりとした曲調なのだが、彼女の歌を聞いていると、何となく聞いている方まで、煽られるというか焦らされるというか、腰の辺りがムズムズしてくるのである。
 とにかくギターがいい。曲の終わりの方になると段々と盛り上がって行くのだが、その進行役をつかさどっているのがレニー・ケイが演奏するエレクトリック・ギターなのである。
 また、タイトルの"pissing"とはオシッコをするという意味なので、"pissing in the river"とは“川でオシッコをしている”という意味であり、はたしてどんなことを歌っているのか興味は尽きない。要するに精神の解放ということであろうか。

 5曲目、レコードではB面の最初の曲"パンピング"はギターとピアノがノリノリのロックン・ロールである。この曲でのギターもなかなかカッコいいのだ。本当にストーンズやザ・フーあたりが演奏しても全く違和感がないと思う。一聴の価値アリ、なのである。

 次の曲"ディスタント・フィンガース"はブロンディが歌いそうなポップな曲調をもっている。こんな歌も作れるのかとビックリしたし、ロックン・ロールからバラード、ミディアム・テンポの曲と結構幅広い楽曲がそろっているのには驚いた。

 何しろプロデューサーがエアロスミスやチープ・トリックで有名な、あのジャック・ダグラスなのである。凝った音作りよりも生の音やライヴ演奏に近い音を好むプロデューサーなので、やはりそれにふさわしいロック・アルバムになっている。

 最後の曲でこのアルバムのタイトルにもなっている"ラジオ・エチオピア"が流れるのだが、この曲だけ自分が予想したようなアヴァンギャルドな曲になっている。約12分の曲であるが、最後まで聴きとおすのは結構きつい。
 レコードではこの辺でターン・テーブルから下ろしていたし、カセット・テープにはこの曲は録音しなかったように思う。今回このブログを書くにあたって改めて聞きなおしたが、やはり6分ぐらいでギヴ・アップしてしまった。

 内乱や旱魃により政情不安が高まり1974年に帝政が廃止されたエチオピアでは、翌年社会主義政権が樹立された。しかし、反対勢力の粛清や独裁政治により数10万に及ぶ人々が殺害されたといわれている。
 その実情を世界に訴えたのがラジオ・エチオピアという抵抗運動であった。文字通りラジオを通して世界中に社会主義政権の圧制を訴えたのである。

 パティ・スミスはそのことを12分の曲の中で取り上げ、表現したのだと思う。ちなみにアビシニアというのはエチオピアの別称である。

 とにかくこのアルバムでパティ・スミスが好きになった。またその頃、ブルース・スプリングスティーンの作った曲"ビコーズ・ザ・ナイト"をパティが歌ってヒットしており、知名度もアップしていた。
 その勢いで自分も3作目のアルバム「イースター」を購入したのだが、イマイチ好きになれなかった。プロデューサーが代わって、音がクリーンになったせいかもしれない。

Easter Music Easter

アーティスト:Patti Smith Group
販売元:BMG
発売日:1996/06/18
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 ただ相変わらずいい曲は多い。たとえば"ティル・ビクトリー"、"ビコーズ・ザ・ナイト"、"ロックン・ロール・ニガー"などは何度聞いてもいい。また"ウィ・スリー"も泣かせるバラードである。

 その後彼女は、数年間の子育て期間を経て、ミュージック・シーンに復帰した。しかし復帰した彼女には悲劇が待っていたのだ。
 1989年にニュー・ヨークに来て最初に同居生活をおくった写真家のロバート・メイプルソープが亡くなった。彼はゲイであり、死因はエイズだった。彼はパティの1stアルバムのジャケット写真を撮影している。
 また翌年バンド・メンバーだったキーボードのリチャード・ソウルが心臓発作で亡くなっている。

 それらの哀しみから立ち直ろうとした矢先、1994年11月に今度は最愛の夫である元MC5のギタリスト、フレッド・スミスが心臓発作で、1ヵ月後にはロード・マネージャーであった弟のトッド・スミスが脳溢血で亡くなった。

 彼女の悲しみは如何ほどだったか余人には計り知れない。天才詩人ともてはやされながら、私生活では決して幸せだったとはいえないのではないだろうか。それでもなお金儲けに走らずに、音楽や芸術を通して前向きに生きて行く姿が、私たちに感動を与えてくれるのである。

 最新アルバムはカヴァー・アルバムである。ビートルズ、ボブ・ディラン、ジミ・ヘンからポール・サイモン、スティーヴィー・ワンダー、果てはティアーズ・フォー・フィアーズまで全12曲をカヴァーしている。

トゥエルヴ Music トゥエルヴ

アーティスト:パティ・スミス
販売元:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
発売日:2007/04/18
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 基本的には彼女の好きなアーティストの好きな曲を集めたらしい。しかし自分には魂の解放を訴えてきた彼女のゴスペル・ミュージックに聞こえるのである。

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2008年1月11日 (金)

ロング・ロード・アウト・オブ・エデン

 イーグルスの最新アルバム「ロング・ロード・アウト・オブ・エデン」は13年ぶりとなるスタジオ・アルバムであり、新曲だけで構成されたアルバムとしては実に28年ぶりという作品である。

ロング・ロード・アウト・オブ・エデン Music ロング・ロード・アウト・オブ・エデン

アーティスト:イーグルス
販売元:UNIVERSAL INTERNATIONAL(P)(M)
発売日:2007/10/31
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 しかも全21曲(ボーナス・トラックを含む)、2枚組という大作でもある。このアルバムを私の中で消化するのに約2ヶ月近くもかかったということになる。

 とにかくこのアルバムは売れることは間違いない。2枚組というボリュームにもかかわらず、それこそ「ホテル・カリフォルニア」並みに売れると思う。
 事実、英米ではチャートでNo.1になっている。(それまでイギリスではシングル・アルバムともにNo.1になったことはなかった。このアルバムが初めてなのである!)

 売れる原因はもちろんイーグルスというネーム・ヴァリューもあるとは思うが、それでも曲がよくなければ、すぐにチャートから落ちてしまう。
 特にアメリカではなかなかトップ10から落ちなかったが、その理由はここにあると思う。要するに楽曲が充実しているのである。

【Disc1】
 ディスク1の1曲目"失われた森を求めて"は、まるでC,S&Nのようにアカペラで歌っている。こういう曲を聞かされると、あらためてイーグルスのメンバーは歌が上手だと思う。
 この曲はアメリカ人の詩人ジョン・ホーランダーという人の詩に曲をつけたもので、環境保護に取り組んでいるドン・ヘンリーの提唱でアルバムに収められたらしい。

 シングル・カットされた"ハウ・ロング"は、21世紀の"テイク・イット・イージー"である。もともとは1972年に発表されたJ・D・サウザーの1stソロ・アルバムにあった曲であるが、あらたな生命を吹き込まれて21世紀に甦ったのである。
 だから土の香りがする。バーニー・リンドンが在籍していた初期イーグルスの雰囲気を湛えている。フロンティア・スピリットを胸に秘め、理想郷を築こうとしたイーグルスの初々しい姿を思い出させてくれる。もう二度と見ることはない姿を・・・

 "享楽の日々"や"戻れない二人"を聴くと、昔の(70年代の)ミディアム・ロックやバラードを聴いているような錯覚にとらわれてしまう。前者はロイ・オービソンあたりが歌っていてもおかしくないと思う。

 とにかく予定調和のアルバムである。特にディスク1はその印象が強い。これがみんなが聴きたがっていたイーグルですよと言わんばかりの音で固められているのである。こういうアルバムを聴かされれば、これが売れないはずがないと確信するしかないほどだ。

 特に6曲目~最後の11曲目まではもう何をかいわんや、である。ティモシー・B・シュミットの甘いボーカルが聞ける"もう聞きたくない"、ドン・ヘンリーのソロ作品"ジ・エンド・オブ・イノセンス"の続編といった情感を持っていて、サビの部分が秀逸な"夏の約束"。グレン・フライの深く響く歌声が聴ける"明日はきっと晴れるから"。これらの曲はディスク1のハイライトだと思う。

 また"明日に向かって"などはキャット・スティーヴンスの"雨にぬれた朝"を思い出させるし、"陽だまりの中へ"はAORに近いシンガー・ソングライターの作品のようである。

【Disc2】
 10分17秒という大作からディスク2は始まる。"エデンからの道、遥か"というタイトルから連想されるように、イラク戦争をモチーフにした曲である。ダークな雰囲気を醸し出しており、内容が内容なだけに、このアルバムの中で唯一異質な光を放っている。 

 どちらかというとディスク2はロック色が強い特徴がある。"サムバディ"しかり、"歴史は繰り返す"しかり、である。前者はこのアルバムの中では疾走感を与えてくれるし、後者の曲は、後期イーグルスの楽曲に似合いそうな黒っぽい曲調である。ギターはジョー・ウォルシュが弾いているのだろうか。
 そういえばこのアルバムのクレジットはグレン・フライ、ドン・ヘンリー、ジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミットの4人だけである。ドン・フェルダーはメンバーではないようだ。

 グレン・フライはこんなに優しい歌声だったろうか、その思いにさせるのは、6曲目の"追憶のダンス"である。パーカッションとアコーディオンで構成されたこのバラードは、まるで70年代のSSWの作品のようである。

 次の曲"退屈な日常"でハードなイーグルスに戻り、どこかに似たようなタイトルがあった"宇宙の中心で愛を叫ぶ"ではアコースティックで幻想的なボーカル・ハーモニーを聞かせてくれるイーグルスに出会うことができる。
 そしてオリジナル・アルバムでは最後の曲となる"夢のあとさき"ではメキシコのテックス・メックスのような音楽を奏でている。

 日本盤にはボーナス・トラックとして、2001年の「9・11」のことについて歌った"ホール・イン・ザ・ワールド"が収められている。
 この曲があってこのアルバムは完結すると思う。そう思わせるにふさわしい楽曲である。イーグルスの4人がイスに座って、アコースティック・ライヴをしているかのような錯覚にとらわれてしまうのである。

 確かグレン・フライだったと思うが、「地獄が凍りつく“Hell freezes over”まで再結成はないよ」と言っていたように思うのだが、そういうタイトルのアルバムは出しても、実際に新しいアルバムが出るとは思っていなかった。

 これだけ充実した曲が溢れているアルバムである。しつこいようだが、これは売れるし、売れないわけがないのだ。
 初期から後期まで様々なイーグルスの姿に接することができるし、おとなとしてのロックを堪能することができるからである。

 さすがに28年たっているだけあって、同じ方法論でアメリカを描いてはいない。ある意味直接的に混迷するアメリカ社会を描いたのが「ホテル・カリフォルニア」だとすれば、様々な楽曲を通しながら、余裕を持って表現したのが今回の作品「ロング・ロード・アウト・オブ・エデン」ではないだろうか。

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2008年1月 9日 (水)

僕と布団とパンク・ロック

 もともとパンク・ロックが苦手であった。若いときからパンクに対して拒否反応が強かったのである。なぜだろうか?

 好き嫌いという個人的感情を論理的に説明することは難しい。スター・トレックのDr.スポックではないが、何か微妙な雰囲気を醸し出してしまいそうになり、自分の気持ちを正確には言い表せそうにないからだ。

 それでも何とか考えてみると、
①ポップでない。
②ボーカルや演奏が下手。
③ガチャガチャうるさい曲か、極端に音数が少ない曲が多い。
④社会性や思想性が強く、芸術性が見られない。
⑤誰でもできることを平気でやっている、等々。いくつか思いつくことができた。

 しかし、当時はそう思っていたのは確かだが、今となっては、それこそがパンクの生命線であり、存在理由でもあるのだと考え方を改めた。

 パンク・ロックは最初、当時の社会状況と密接に結びついていたと思う。それこそ“怒れる若者”の声を代弁する音楽という感じで、70年代の半ばに出現してきた。あるいは当時の社会的閉塞状況を打破する音楽としても機能していたと思っている。

 その代表が、アメリカではテレヴィジョンやパティ・スミス、ラモーンズ、イギリスではセックス・ピストルズであり、ザ・ジャム、ザ・クラッシュ、ザ・ダムドなどではないだろうか。

 そして例えば、セックス・ピストルズなどは一聴した印象では単純そうだが、よく聴けば曲構成はしっかりしており、サビの部分は覚えやすく歌いやすい。またギターのスティーヴ・ジョーンズは結構テクニシャンであり、昨日今日覚えた演奏ではなかった。だからパンク・ロックを一概に演奏が下手とか、芸術性がないとはいえないのである。

Photo Music 勝手にしやがれ(紙ジャケット仕様)

アーティスト:セックス・ピストルズ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007/10/31
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 そのパンク・バンドの中で、リアル・タイムで好きだったのはザ・ストラングラーズとポリスとパティ・スミスだった。ポリスをパンク・バンドと言っていいかどうかは疑問であるが、当時はそういう風に認識していたのだった。

 ポリスの「白いレガッタ」については、以前このブログで扱ったので、今回は割愛させていただく。またザ・ストラングラーズの「ノー・モア・ヒーローズ」についても同様に省略させてもらいたい。
 パティ・スミスについては次回に譲りたい。次回があればの話であるが・・・

 とにかくこの3枚は、自分でお金を払って買ったアルバムであった。パンク・ロックのアルバム(レコード)を買ったのは、後にも先にもこのときだけである。就職してお金に余裕ができたときには、セックス・ピストルズやバズコックス、ウルトラヴォックスなども買ったが(もちろんCDだが)学生の時には全くそんな余裕もなかった。

 余裕もなかったし、寒いときは布団にくるまってこれらの音楽を聴いたものだった。何しろ今も昔も貧乏だったのである。

 そのストラングラーズであるが、確かに「ノー・モア・ヒーローズ」はとにかく飽きるほど聞き込んだが、それ以降のアルバムについてはなぜか急に聞かなくなった。なぜだろうかと今回これを書くにあたって考えたところ、やはり尖がったところがなくなり、丸くなってきたと判断したからではないかと思っている。

 個人的に「ノー・モア・ヒーローズ」以外で好きなアルバムは、「オーラル・スカルプチュアー」である。これは1984年に発表されたアルバムで、パンク・ロックから芸術至上主義に変化しており、デヴュー時の荒々しさはすでに見られない。

 Photo_2 それが逆に自分にとってよかったのかもしれない。エッ、これがストラングラーズ?という感じで、少なからずの衝撃とともによく聴いたものだ。

 今聴いても充分鑑賞に耐えうる音だと思う。当時はヨーロッパ流芸術主義とか耽美主義とかいわれていたが、確かにデヴュー時と芸風は180度違っているのだから仕方ない。

 何しろシンセサイザーからホーン・セクション、女性コーラスまで出てくるのである。また1曲1曲がよく練られていてメロディがしっかりしており、ポップな雰囲気を湛えている。

 出世魚は大きくなるにつれて名前が変わるが、このストラングラーズは、名前は変わらなくても中身が大きく変わってきた。今ではイギリスを代表するグループにまで成長してしまったのである。

  日韓サッカー・ワールド・カップのとき、アディダスのCMにストラングラーズの曲"ピーチズ"が使用されていたが、これはCM出演したデヴィッド・ベッカムの希望だったといわれている。
 ベッカムも好きなストラングラーズである。たいした出世である。これからも中高年の星として頑張ってほしいものだ。

 ここで訂正がある。以前キーボードのデイヴ・グリーンフィールドの年齢が60歳以上というようなことを書いたが、その後の調査でデイヴではなく、ドラムスのジェット・ブラックの年齢であったことが判明した。ここにお詫びして訂正したい。
 ちなみにジェット・ブラックはデヴュー時に37歳であったという。デヴュー・コンサートが1975年に行われているので、今年は・・・

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2008年1月 8日 (火)

北海油田の謎

 といっても社会的な事件のことを扱った作品ではない。1979年に発表されたジェスロ・タルのアルバムのタイトルなのである。正確にいうと「ストームウォッチ~北海油田の謎」である。

 個人的な話で申し訳ないが、初めて購入したジェスロ・タルのアルバムがこのアルバムだった。今は廃刊になってしまった雑誌「ミュージック・ライフ」のアルバム評を読んで購入したものだった。

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 当時のアルバム評にはこう記載されている。『ジェスロ・タルのニュー・アルバムは石油問題の打開策として注目を浴びている北海油田をテーマにした、彼ら独特のコンセプト・アルバムです。注目すべきことは、現実の社会問題に対して放ったイアン・アンダーソンの強力なメッセージであり、壮大なドラマが展開されているということでしょう。
 トラディショナル・サウンドと称されているタルですが、ロックのスピリット、パワーも十分伝わってくる快作で、鬼才イアン・アンダーソンの創作力には、ただただ感心するばかりです。
 過去2度の日本公演を果しているにも関わらず、イギリスの至宝とも言うべきザ・フー、キンクス同様、我が国での人気が今ひとつパッとしませんが、その辺に転がっているチンピラ・バンドより、余程の価値があるか計り知れません。ゼヒ一聴を!!』

 原文のまま引用させていただいた。(酒井)という署名があるので、たぶん酒井 康氏のことではないかと思われるが、定かではない。ちなみに星は★★★★であった。

 また、その辺に転がっているチンピラ・バンドが具体的にどのバンドを指すのか分からないが、この文面に惹かれて購入したのは事実である。

 当時はアメリカでスリー・マイル島事件という原子力発電所の事故があり、アメリカのミュージシャン、ブルース・スプリングスティーンやジャクソン・ブラウンなどはMUSEという組織を設立して、反対運動を行っていた。
 それに触発されたわけでもないだろうが、イアン・アンダーソン自身も核エネルギーには反対の立場をとっていたために、こういうコンセプトを思いついたのではないだろうか。

 この作品はトラッド三部作といわれる最後の作品であるが、それにあたる作品「神秘の森」、「逞しい馬」と比べてみると、アコースティック色が薄く、ロック寄りの作品に仕上がっている。

 シングルカットされたアルバム・タイトル曲"北海油田の謎"を初めて聴いたとき、ロック+フルートという異色の音楽にビックリした記憶がある。「何だコリャー」という感じだった。
 しかも軽快なうえに、3分10秒という短い時間にもかかわらず、ギター・ソロやフルート・ソロもあるし、曲構成もけっこう複雑だったので、回数を重ねるたびに好きな音楽になっていった。

 続く曲は"オリオン星座"というタイトルだった。英語でいうと“Orion”だが、発音するときは“オライオン”というのだと、このとき初めて知った。エレクトリックな曲なのだが、マイナー・キーの曲で、途中から入ってくるオーケストレイションが日本人好みの音を奏でてくれるのである。

 そして3曲目は、ジェスロ・タル流バラードともいうべき曲で、メンバーであるデヴィッド・パーマーによるオーケストラ・アレンジが私には心憎いばかりにピタッとハマったのである。
 アルバム解説によると、タル版“セイリング”とあるが、まさにその通りでオーケストレーションと緩やかなエレクトリックの伴奏が絶妙なバランスを伴って聞き手に静かに忍び寄ってくる。

 この曲は2枚目のシングル・カットになったらしいが、確かに洋の東西を問わず、こういう音は人々の心に哀愁や郷愁などを呼び覚ますのだと思う。タイトルからして"ホーム"なのである。

 最初の3曲は3分台や2分台の曲で短いが、4曲目の"ダーク・エイジズ"は9分13秒もある。こういう長い曲にこそ、タルの魅力が詰まっている。まさに本領発揮、千両役者という感じがする。
 フルート、エレキ・ギター、キーボードと一糸乱れぬアンサンブルは只者ではないと思わせてくれた。それまでもイエスやクリムゾンを聴いてきたが、曲の長短にかかわらず、構成がしっかりしているし、起承転結が見事なのである。

 今になって分かるのだが、「ジェラルドの汚れなき世界」のような1曲40分以上もあるようなアルバムを創作することのできたタルにとってみれば、こんなことは当たり前だったのだろう。

 このアルバムにはインストゥルメンタルが2曲ある。1曲は当時A面最後の曲だった"防寒具スポラン"、もう1曲はアルバム最後を飾る曲"エレジー"である。
 前者はミディアム・テンポの曲で、イアン・アンダーソンのフルートをメインにした曲。途中にたぶんイアンの声と思われるスキャットのような、コーラスのような得体の知れない声がかぶさってくる。
 でもこれが航海を続ける船員の歌声のような感じで、なかなかユーモラスなのである。そして最後の方はスコットランドのバグパイプのような音や鼓笛隊の太鼓のような音まで入ってくる。

 もう1曲は"エレジー"というタイトルだけあって、儚さや悲しさを感じさせてくれる。アルバムの最後を締め括るには相応しい曲である。"ホーム"といい、この曲といいタイトル通りの曲調なので、安心して聴きとおす事ができた思い出がある。

 B面最初の曲"サムシングス・オン・ザ・ムーヴ"はタル流ロックン・ロールである。このアルバムの中では一番乗りやすい曲ではないだろうか。タイトルを日本語でいうと「何かが動いている」という意味である。
 「気象予報士は言っている。何かが動いていると」というフレーズからも分かるように、天気予報の歌であるが、そう言い切ってしまうと単純すぎる。たぶん北から巨大な寒波が襲ってくる兆候が見られるということをたとえて言っているのであろう。だから石油が、北海油田が必要なんだと暗示しているのである。こういう回りくどいところがジェスロ・タルのいいところだ?

 この次の曲"年老いた妖怪達"からトラディショナルな雰囲気が高まってくる。たぶんこのフレーズは自分たちのことをいっているのだと思う。楽曲的には「逞しい馬」や「神秘の森」に収められていてもおかしくない曲である。

 次の曲"ダン・リンギル"は最もトラディショナルな曲で、イアン・アンダーソンのアコースティック・ギターとオーヴァー・ダビングされた彼のボーカル、ときおり挿入される雷鳴で構成されている。このアルバムの中では静かな曲である。
 ちなみに“ダン・リンギル”とはイアン・アンダーソンが副業で行っていた鮭の養殖場の近くにある石器時代の遺跡の名前だそうである。

 そしてこのアルバムの中で2番目に長い曲"フライング・ダッチマン"が始まる。8分近いこの曲の中で、イアン・アンダーソンは17世紀のオランダ船の伝説を歌う。この伝説を通して彼は、人生の喜怒哀楽を歌っている。確かにささいなきっかけで、人はフライング・ダッチマンになるかもしれないと私は思っている。
 話は全然関係ないが、映画の「パイレーツ・オブ・カリビアン」はこの伝説を下敷きにしているのであろう。

 そして最後は"エレジー"でこのアルバムは締め括られるのである。こうして改めて聴くと当時のことがはっきりと甦ってくる。

 このアルバムを聴いていた頃は、一人暮らしをしていて、それこそレコード・プレイヤーと布団しかなかった。だからこのアルバムを購入した1月頃は、布団の中で暖をとりながら聴いていた。私にとっての防寒具は布団だったのである。

 コタツを購入したのはずっと後だったが、購入しても出すのが面倒くさいし、何しろ部屋が狭くなるのが嫌だったから、そのままにしておいた。だから春になるまで、寒いときは布団の中でくるまって聴いたものだ。

 とにかく初めて聴いたタルのアルバムだったので、これをきっかけにのめり込んでしまった。ここから「ライヴ!バースティング・アウト」や「アクアラング」「天井桟敷の吟遊詩人」「逞しい馬」などの旧作を聴きあさり、同時にそこからリアル・タイムで「A」や「アンダー・ラップス」などの新作アルバムを聴き始めた。

 今となっては懐かしい思い出である。そしてジェスロ・タルのアルバムはベスト盤を除いてすべて買い揃えたし、これからも購入するつもりである。
 そしてあれから30年近い付き合いになるのだが、ジェスロ・タルの音楽性は変化しても、私の心象風景はあの暖房のない部屋のままなのかもしれない。

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2008年1月 7日 (月)

ゼッペリン再結成コンサート

 レッド・ゼッペリンの再結成コンサートが行われた。昨年の12月10日、イギリスはロンドンの02アリーナというキャパ15,000人収容の会場だったらしい。Plant

 年末の各種スポーツ紙やTV、インターネットでも報じられたように、コンサートは成功裏に終わったらしい。少し拾い出してみると、次のようなものが見受けられた。

★ガーディアン紙のAlexis Petridis氏
「『グッド・タイムズ・バッド・タイムズ』でためらいがちにスタートしたが、そのあとは約30年間も一緒に活動していないバンドとは思えないほどのステージだった。彼らの音は、信じられないほどひとつになっていた」
★デーリー・テレグラフ紙のDavid Cheal氏
「予想以上に素晴らしかった。このコンサートを見ることができて、うれしく光栄だった」
★タイムズ紙の評論家Pete Paphides氏
「古い機材は動き出すのにしばらく時間がかかるが、エンジンが温まれば、その質は素晴らしいものになる」
「昔も良かった。だが今は、彼らの何かがこの曲(『ブラック・ドッグ』)を掌握してしまったように見える」
「これほど注目されるイベントが、こんなに自信にあふれて行われることはない」
★インディペンデント紙のAndy Gill氏
「それまでどんよりとしていた音が、『ブラック・ドッグ』で生まれ変わった。プラントが観客と声を出し合った場面は、コンサートの中でも素晴らしい瞬間のひとつだった」
★サン紙の評論家Pete Sampson氏
「彼らの音楽は、現代の音楽が昔ほどロックじゃないことを示した」

 ここまでイギリスのメディアが絶賛すること自体が珍しいことである。別の話によると、数ヶ月前からイギリスのメディアはこの再結成コンサートについて報道していたので、国民的大関心事になっていたようである。要するに紅白歌合戦とK-1とドラえもんが同時に放送されるようなものと考えればわかりやすいかもしれない。

 このライブには実に世界50ヶ国以上から彼等のファンが訪れ、インターネットを経由してチケットの購入を登録を済ませた約2500万人の応募者から、抽選で約2万人の観客が選ばれたそうである。2

 観客の中にはチャリティーオークションに出品された1枚のペアチケットに、8万3000ポンド(約1900万円)もの値をつけ、購入した者が居たということでも話題となった。ちなみに、この日会場にはポール・マッカートニー、ミック・ジャガー、ジェフ・ベック、デヴィッド・ギルモア、オアシスのノエル・ギャラガー、モデルのケイト・モス、ナオミ・キャンベルなど多数の有名人の姿も見られたという。

 また日本からの来賓のための招待席も確保されていて、雑誌の編集者やテレビ関係者たちに混じって、舞台挨拶で不機嫌な態度を取って干されたある女優も招待されていた。

 もともとこのコンサートはアトランティック・レコードの創始者であるアーメット・アーティガンの追悼のためのコンサートだった。
 アーティガンは、一昨年の10月、ローリング・ストーンズの楽屋で足を滑らせ頭部を強打し、ひと月半ほど昏睡状態に陥った後亡くなった。
 昨年4月にニューヨークで行なわれた追悼式は、エリック・クラプトン、クロスビー・スティル・ナッシュ&ヤング、ベン・E・キング、フィル・コリンズらがパフォーマンスし、ミュージック界の重鎮ならではの音楽葬となったのであるが、今回のコンサートはその英国版と考えてもいいかもしれない。

 アトランティック・ソウルという言葉があるように、もともとこのレーベルはR&Bを中心に始まった。オーティス・レディングやアレサ・フランクリン、サム&デイヴ、ウィルソン・ピケットなどはここ出身である。
 またソウル・ミュージックだけでなく、イエスやゼッペリン、CSN&Yなどのロック・ミュージシャンも在籍していた。だから彼らはこのレーベルの創始者の功績を讃えようとして企画されたこのコンサートの出演を快諾したのである。

 当日ゼップが登場する前には、ピート・タウンゼンド、ポール・ロジャース、元ローリング・ストーンズのビル・ワイマン&リズム・キングス、フォリナー、キース・エマーソン・バンド、若手では昨年ブレイクしたパオロ・ヌティーニが全員で約1時間少々の演奏を繰り広げたらしい。
 面白いことに、キース・エマーソン・バンドとはキーボードがキース・エマーソンで、ベースがクリス・スクワイア、ドラムスがアラン・ホワイトだったらしいのだ。これではキース・エマーソン+イエスのリズム・セクションである。メンバーが集まらなかったのだろうか。

 最後に、トリであったゼッペリンの曲目リストを挙げておく。アルバムの「Ⅰ」から2曲、「Ⅱ」から2曲、「Ⅲ」からは1曲、「Ⅳ」から4曲、「聖なる館」から2曲、「フィジカル・グラフィティ」から3曲、「プレゼンス」から2曲、計16曲でほぼ満遍なく彼らの主要アルバムから選曲されている。また人気のある代表曲が選ばれている。
1.グッド・タイムズ・バッド・タイムズ
2.ランブル・オン
3.ブラック・ドッグ
4.イン・マイ・タイム・オブ・ダイイング
5.フォー・ユア・ライフ
6.トランプルド・アンダー・フット
7.俺の罪
8.ノー・クォーター
9.貴方を愛し続けて
10.幻惑されて
11.天国への階段
12.永遠の詩
13.ミスティ・マウンテン・ホップ
14.カシミール
〔アンコールⅠ〕
15.胸いっぱいの愛を
〔アンコールⅡ〕
16.ロックン・ロールLed_zeppelin_2007_2

 合計2時間10分のコンサートだった。最初の2曲はPAの調子がよくなくてイマイチ調子が出なかったらしいが、3曲目からはパワー全開で突進していったという。やはり個人個人ソロで活動するよりも、グループで行った方が化学反応が起こるのであろう。1+1は3にも4にもなるのである。

 写真を見ればわかるように、ジミー・ペイジの髪は白髪である。ジョン・ポール・ジョーンズの顔は皺が多い。でもロバート・プラントの髪はまだ残っている。まさに髪は長い友だちをたとえているような気がするのだ。

 ちなみにロバート・プラント59歳、ジミー・ペイジ63歳、ジョン・ポール・ジョーンズ61歳、ドラムスのジョン・ボーナムの息子、ジェイソン・ボーナムは41歳、平均年齢56歳のバンドにしては音もしっかり出ており、プラントの高音も全盛期の頃には遠く及ばないものの、音程はしっかりしており、声も出ていたという。
 さすがプロ・フェッショナルである。この日のために約3ヶ月間練習してきた甲斐があったというものだ。

 そしてこのコンサートの結果を受けて、彼らは4人でワールド・ツアーを開始するのではないかと囁かれている。これはある程度信頼できる話である。ただその場合は最初に全米ツアー、ヨーロッパ・ツアーが開始されるのが濃厚ということで、日本に来るのは彼らの体調も考えて、来年以降といわれている。

 それまで彼らには生きておいてほしい。某雑誌の見出しには『奇跡は起きた』とあったが、この奇跡を一日だけで終わらせたくないと思っているのは、恐らくあと2500万人以上はいると考えられるからだ。

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2008年1月 6日 (日)

親愛なるKK様

 年賀状の整理をしていると、懐かしい人から来ているのが分かった。懐かしい人というよりは、むしろ自分にとってはロックについての師匠からのものであった。

 仮にKK氏というふうにしておこう。このKK氏とは中学・高校時代の同級生という間柄であった。彼のおかげで自分はロック道に本格的に目覚め、その後ずっと関わることになったのである。

 前にも書いたことだが、中学校に入学してポップ・ミュージックをよく聴くようになった。当時はカーペンターズやエルトン・ジョン、元ビートルズのメンバーたちの音楽を聴いていた。要するにビルボードのヒット・チャート番組のようなものを聴いていたのだ。

 今をときめく“みのもんた”なんかは、当時はラジオ番組のDJをしていた。“みのみのもんた みのもんた パァ”という掛け声を入れながら、曲紹介をしていた。

 だからロックといっても系統だてて学んだわけでも、聴いたわけでもなかった。シングル中心だったのである。

 それをアルバム中心にしてくれたのがKK氏なのである。何の曲だったか忘れたのだが、学校で私がサビの部分を口ずさんでいた時に、そばに寄ってきていろいろなことを教えてくれたのが彼だった。
 そして家に来ないかと誘ってくれた。家に来ればもっと曲が聴けるよ、ということだった。

 当時もそして今も友だちのいない私には願ってもないことで、しかもラジオでかかる曲以外の曲もタダで聴けるというのだから、こんな夢みたいな話はなかった。だから土日になると、よく遊びに行った。

 彼は農家の3男で、上ふたりの兄は既に大学生だった。だから家では実質一人で両親と暮らしているようなものであった。
 だから彼の部屋には数多くのレコードがあった。おそらく半分は兄貴たちのものであろうが、でも半分は彼のものかもしれない。

 自分にとっては、彼のうちはお金持ちのように見えた。たぶん兼業農家だったと思うのだが、今もってよく分からない。山も持っているというようなことを言っていたので、たぶん資産家だったのだろう。
 秋の終わりぐらいに遊びに行ったときに、2回くらいは稲刈りの手伝いをしたことがあった。それは無論、稲刈りをしてみたかったという気持ちもあったが、彼の家の手伝いが終わらないと一緒に遊べないので、急遽手伝いを買って出たという事情も絡んでいたからだった。

 そして彼は、本当に幅広くレコード所有していた。ビートルズからストーンズ、レッド・ゼッペリン、ディープ・パープルにキング・クリムゾン、イエス、ピンク・フロイド、などのブリティッシュ・ロックやプログレッシヴ・ロック、CSN&Y、マウンテン、S&Gなどのアメリカン・ロックと、このブログに出てくるようなグループ、ミュージシャンなどはほとんど持っていた。

 どちらかというとUSよりもUKの方のアルバムをたくさん持っていたような気がする。彼自身もディープ・パープルに凝っていて、特にリッチー・ブラックモアが好きだったように思う。

マシン・ヘッド Music マシン・ヘッド

アーティスト:ディープ・パープル
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2005/06/22
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 アルバム「マシン・ヘッド」の内ジャケットの写真の中に、左右の眉毛の間を剃らずにほぼ一本のようにつながった眉毛をしたリッチーの写真があったが、彼もそのまねをしていた記憶がある。でも完全につながってはいなかったが・・・
 また学校に長髪のかつらを持ってきてかぶっていたという噂を聞いたことがあった。自分は直接その姿を見たことはなかったので、真実かどうかは分からない。あくまでも噂であった。

 だから彼からレコードを借りたり、テープに録音してもらったりして、それらの音楽に触れていった。それでほぼリアル・タイムで聴くことができた。
 また彼のおかげでビートルズのアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」とジェイムス・ブラウンのアルバム「プリーズ・プリーズ・プリーズ」の違いを理解することができた。

プリーズ、プリーズ、プリーズ(紙ジャケット仕様) プリーズ、プリーズ、プリーズ(紙ジャケット仕様)
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プリーズ・プリーズ・ミー プリーズ・プリーズ・ミー
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彼とは高校に入っても、回数は少なくなったとはいえ交流は続いたし、社会人になっても一度彼の家にお邪魔したことがある。
 彼は自宅に彼専用の別棟を持っていて、そこで仕事をしたり音楽を聴いたりしているようである。やっぱり大人になってもお金持ちだった。

 ある夏の風雨の強い夜の日に、帰省する途中にお邪魔した。そしてレイザー・ディスクを鑑賞しながら、よもやま話をした。こちらがやっとCDで彼所有のアルバム数に追いついたと思ったとき、彼はすでにLDを所有していた。常に時代の一歩先を行っていた。
 やっぱり師匠には勝てないと思った。師匠はいつでも師匠だったのである。ちなみに鑑賞したLDはキャメルのアンディ・ラティマーのライヴであった。

カミング・オブ・エイジ / キャメル カミング・オブ・エイジ / キャメル
販売元:CD&DVD Neowing
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 とにかく師匠への賀状を欠かしてはいけないと思っている。年に一回ではあるが、自分にとっては過去の様々な思い出の回顧と、今こうして音楽を楽しむことのできるお礼を込めて書くのである。返事が来ようが来まいが、そんなことは関係ない。弟子は返事を期待してはいけないのだ。
 弟子はあくまでも師匠の健康と長寿を祈るのが本来のあるべき姿だからだ。KK師匠、これからも長生きしてください。

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2008年1月 5日 (土)

孤独なランナー

 ジャクソン・ブラウンのアルバム「孤独なランナー」が好きだ。いまだに冬の寒い時期によく聴くことがある。
 このアルバムが発表された時期がちょうどいま時だったせいかもしれない。当時は洋楽に狂っていて、夜遅くまで聴いていた。

孤独なランナー Music 孤独なランナー

アーティスト:ジャクソン・ブラウン
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2005/09/21
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 ちょうどこのアルバムからのシングル"孤独なランナー"がヒットしていたことも重なって、ラジオから彼の音楽がよく流れてきたものだった。
 タイトルからして寂しくなるようなものだったし、“running on empty”と繰り返されるサビの部分がアップテンポな楽曲とは何か違う対照的なものを感じさせてくれたせいもあった。

「ツアーバスの車輪の下に伸びる道路を見ながら
数多くの夏の草原のような過ぎ去った年月を
振り返っている
1965年に17歳だった私は
それからずっと走り続けている

走り続けている-むなしく走りながら
走り続けている-脇目も降らずに
走り続けている-太陽に向かって
だけど遅れてしまうのだった」
(訳;プロフェッサー・ケイ)

 ただアルバム全体として聴き通したのは、もっとずっと後になってからだった。それまではシングル・ヒットした曲しか知らなかった。いくらFMラジオといってもアルバム全体をかけてはくれなかった。
 もちろん、ひょっとしたらジャクソン・ブラウンの特集があって、アルバムを紹介したかもしれない。でも、当時の自分はまだ洋楽ヒット・チャートのようなものに興味があったので、ラジオではシングルを中心に聴いていた。

 大学生になってアルバムを聴いたときもシングルと同様に感動したものだった。"孤独なランナー"だけでなく、"ザ・ロード"、"ロージー"や"コケイン"などの静かな曲には特に感銘を受けた。
 "ザ・ロード"や"コケイン"ではデヴィッド・リンドレーの演奏するフィドルの物悲しい音が、"ロージー"ではジャクソン・ブラウン自らのピアノの弾き語りが聴く側の寂寥感をいっそう高めてくれた。

 またアルバム最後を飾る2曲"ザ・ロード・アウト"、"ステイ"はこのアルバムのクライマックスでもある。
 最初の曲もジャクソン・ブラウンのピアノの弾き語りから始まり、途中でバンド演奏が入ってくる。曲の中ではライヴが始まる前の雰囲気や街から街へとライヴ演奏を続けるバンドの立場などが述べられている。

「さあ客席はもう空っぽだ
ローディにステージを片付けさせろ
すべて荷造りして幕を下ろせ
彼らは最初に来て最後に去って行く
最低賃金で働きながら
次の街でもまた準備をする
今夜の観客は本当に立派だった
彼らは一列になって開演を待ち
ショーが始まったら盛り上げてくれた
だけど俺には聞こえるんだ
ドアを閉めたり、イスをたたむ音が
それは彼らが知ることのない音だ
(中略)
バンドはバスに乗り
出発の合図を待っている
俺たちは一晩中ドライヴしなければならない
次のシカゴかデトロイトのショーのために
目的地はよく分からないけれど
俺たちはこのさき数多くのショーを
こなさないといけない
だから街はどれも同じに見える
そしてホテルの部屋で時間をつぶしたり
楽屋をうろついたりするんだ
ステージライトがともり、観衆のざわめきが
聞こえるまで
そして俺たちがここに来た理由を思い出す」

 そして最後の曲では観客にこう呼びかけている。
「みんなはもうちょっと留まってほしいという
もちろん俺たちもここでもう少し演奏したい
もう後援者も気にしないよ
そして組合の人も気にしない
俺たちがもう少し時間を延ばして
もう1曲歌ったとしても」
(訳;プロフェッサー・ケイ)

 だから、このアルバムのキーワードは、“孤独”、“旅”、“連帯”である。旅から旅への旅ガラスではないが、全米中を公演して行く様やその時の思い、観客へのメッセージ等を、伝わるか伝わらないかは別として、歌っていると思う。

 それはこのアルバム自体が、ライヴ・アルバムだからという理由によるのかもしれない。1977年に発表されたこのアルバムは、彼にとっての5作目のアルバムだった。
 アルバム・クレジットを見れば分かるように、77年の夏から秋にかけてのツアー中に録音されたものである。

 正確にいうと、通常のステージ進行にしたがって録音されたライヴ・アルバムではなく、すべて新曲とカヴァー曲で構成されており、中にはホテルの部屋やバスの中で録音された曲もある。だから曲の終わりに観客の拍手が入っているものもあるし、そうでない曲もあるのだ。

 またこのアルバムは全米3位まで上昇し、約700万枚以上の売り上げを記録した。そしてそれまでの彼のアルバムの中で一番売れたものになった。

 とにかくミュージシャンの人柄がにじみ出ているアルバムである。彼の誠実さや音楽に取り組む真剣さがこちらまで伝わってくる。こういうミュージシャンやアルバムは少ないと思う。だから売れたのだろう。

 西海岸からはるばる海を渡って日本の片田舎にも、彼のメッセージは伝わって来たのだ。こんなアルバムに出会うと、本当にロックを聴いてよかったと思うのである。

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2008年1月 4日 (金)

ロッド・スチュワート

 正月ということで、豪華な人について書こうと思った。豪華といえば派手なイメージがある人ということで、今回はロッド・ステュワートにした。このブログでは初めての登場となる。

 いまの若い人にとってはロッド・ステュワートって誰?ということになると思うが、昔はとてもかっこよかったのだ。特にステージ上でのマイク・スタンドの使い方や、それを使っての熱唱は、ロック・ボーカリストならば一度は憧れたのではないだろうかと思われるほどだった。

 たぶん本人は否定すると思うのだが、矢沢永吉のステージングなんかは、少なからずロッド・ステュワートの影響があるように思えてならない。マイク・スタンドに白のテープをグルグルに巻きつけているところなんかは、そのまんまである。

 今でこそロッドは、昔のフランク・シナトラのようにラスベガスのショーがふさわしいエンターテイナーになってしまった。黒のタキシードを着てアメリカのポップスやスタンダードなジャズを歌って拍手喝采をもらうというステージであるが、その手のアルバムも売れるのだから、本人にしてみれば需要があるから供給しているんだという気持ちもあるのだろう。

ザ・グレイト・アメリカン・ソング・ブック Music ザ・グレイト・アメリカン・ソング・ブック

アーティスト:ロッド・スチュワート
販売元:BMG JAPAN
発売日:2002/11/20
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 もともと彼にはそういう要素があったのだが、それは1976年以降だと考えている。その分岐点となったアルバムが「アトランティック・クロッシング」である。

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アーティスト:ロッド・スチュワート
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2005/10/26
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 “大西洋を越えて”というタイトルからもわかるように、活動の拠点をそれまでのイギリスからアメリカへと変えたのである。直接の理由はイギリスの課税が大きかったので税金対策だといわれていた。
 しかしそれだけでないであろう。それよりも彼が志向する音楽の変遷によるものだと思う。

 彼はもともとはイギリスのフォークやブルースの影響を受けたロックンロールを得意としていた。彼のマーキュリー時代のアルバムを聴けば分かると思うが、代表曲の"マギー・メイ"やソロとしての代表作「ガソリン・アレイ」、「エヴリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー」などは、ストーンズのようなロックとイギリス特有のフォークやR&Bが絶妙にブレンドしている。個人的に大好きなアルバムである。

 そのイギリス特有のフォークやR&Bをもたらした母国、つまりアメリカのソウル・ミュージックや南部の泥臭いサザン・ミュージック、R&Bを本場アメリカで学ぼうと思ったのではないだろうか。

 それが「アトランティック・クロッシング」で実を結んだような気がする。ここではボズ・スキャッグスもそうしたように、アメリカ南部のマッスル・ショールズのスタジオで録音された楽曲が渋くて胸を打つ。
 プロデューサーは枯れた音を得意とするあのトム・ダウドである。デレク&ザ・ドミノスやクラプトンもお世話になったプロデューサーなのである。彼はシンプルながらもソウルフルなロックを好む傾向があり、このアルバムからはあの名曲"セイリング"が生まれた。

 だからこのアルバムから彼の音楽的傾向がアメリカ志向にシフトし、より本格的なソウル・ミュージックやR&Bを追求するようになったのである。

 その頂点に立つアルバムが1977年に発表された「明日へのキック・オフ」だと思う。このアルバムでもプロデューサーはトム・ダウドがつとめている。これが連続して3作目のロッドとのアルバムなので、お互いに気心も知れてきたせいか、ロッドの思うような音使いがなされている。

 Photo 明日へのキック・オフ
販売元:TSUTAYA online
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 このアルバムからは"胸につのる想い"が大ヒットした。惜しくも全米No.1にはならなかったが、No.2か3にはなったと記憶している。また日本では"ホット・レッグス"もヒットしたように思う。
 ただしアルバムは全米2位、全英3位を記録している。

 彼のアルバム構成の特徴として、テンポの速い楽曲を集めたfast side、スローなバラードを集めたslow sideと分けられることが挙げられる。これは「アトランティック・クロッシング」の頃から行われているのだが、このアルバムでもそういうふうに聴くこともできる。
 当時はLPレコードだったので、そういうふうに分けられていたのだが、CD時代の今となっては効果はあるのかどうなのか、よくわからない。

 ただ"胸につのる想い"は当時のA面に収められていて、この曲だけスローだったので少々不思議だった思い出がある。
 そして深夜のFMラジオからはよくこの曲がかかったものだった。ちょうど77年の終わりから78年にかけてヒットしたので、夜中によく聴いたものだった。懐かしい。
 ピアノはあのニッキー・ホプキンスが弾いている。その次の曲"生まれながらのルーズ野郎"にはジョン・メイオールがブルース・ハープで参加している。

 このアルバムのバック・バンドは一流ミュージシャンぞろいで、ベースが第2期ジェフ・ベック・グループにいたフィリップ・チェン、ドラムスが元ベック・ボガード&アピスのカーマイン・アピスだった。
 ギタリストも3人いて、3人ともトップ・セッション・ミュージシャンである。

 またロッドは、ジェフ・ベックからティム・ボガードとカーマイン・アピスと一緒にバンドを作るのでボーカリストとして参加しないかといわれた。またその後カクタスからも誘われたが、フェイセズに参加することになっていたために断った経緯があった。
 そしてこのアルバムでその時のドラマー、カーマイン・アピスと初めて共演したのである。双方ともやっと念願が叶ったというべきだろうか。

 またこのアルバムにはヴァニラ・ファッジの演奏でも有名な曲"キープ・ミー・ハンギング・オン"が収められているが、ヴァニラ・ファッジといえば、リズム・セクションにカーマイン・アピスが在籍していた。これもまた奇妙な因縁である。

 一介の墓堀人夫からサッカー選手になろうとし、挙句の果てにロック界に身を投じてしまったロッド・ステュワートとは、上昇志向の塊である。
 イギリスの中堅バンドのボーカリストだった彼が海を渡り、アメリカで成功し、全世界的にも名前が売れ、ビッグになってしまった。

 その彼がロックンローラーからエンテーテイナーに転身していく姿がこのアルバムからうかがわれるのであり、なおかつちょうどその微妙な分岐点に位置づけられるアルバムだと思っている。

 このあと彼はディスコ・ミュージックに走ったり、80年代の時流に敏感なところを見せたりもするのだが、そこにはロック・ボーカリストとしての姿は見られない。唯一86年に発表された「ロッド・ステュワート」がかつての自分を髣髴させる音作りになっていると思うのだ。3

 ジェフ・ベックと共演した"ピープル・ゲット・レディ"やビートルズの"イン・マイ・ライフ"などシンプルな音作りに救われるのは私だけではなかったはずだ。

 ともかく今となっては姿かたちも見られないロックンローラーとしての最後の輝きを放ったアルバム「明日へのキック・オフ」は、私にとって忘れがたいものとなっている。

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2008年1月 3日 (木)

RCサクセション

 いまから20年以上も前の昔の話だが、正月のお年玉で買った思いでのアルバムがある。それがRCサクセションの「ラプソディ」であった。確か1981年の正月だったと思う。今でも名盤だと思うし、買ってよかったと思っている。

ラプソディー Music ラプソディー

アーティスト:RCサクセション
販売元:USMジャパン
発売日:2005/11/23
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 当時はまだLPレコードだった。何で買ったかというと、当時矢沢永吉やRCサクセション(忌野清志郎)がNHKの教育TVによく出演していたからだった。理由はよく分からない。そういうニーズがあったからだろうか。

 単発ではなくて、その前の年も、前の前の年も、とにかく数年間にわたって年末や新年になると出演していた。矢沢永吉はライヴよりもインタビューが中心でときどきライヴ映像が混じっていた。
 一方、RCの方はというと、インタビューよりもライヴが中心だった。そんな映像をよく見ていたからだろうか、RCに興味を覚え、購入したものと思われる。

 何を買っていいのかわからなかったので、とりあえず"雨上がりの夜空に"が収録されているアルバムを買おうと思った。彼らの曲はそれぐらいしか知らなかったのだ。しかもこれがライヴ盤だとは全然知らなかった。

 当時の日本を代表するライヴ・バンドとしての面目躍如という観がある。1曲目の"よォーこそ"からノリにのった躍動感溢れるライヴを展開していて、それぞれのメンバー紹介を曲に載せて行う方法に、そんなやり方もあったのだと妙に納得した思い出がある。

 当時は(今でも)あまりRCのことは知らなかった。NHKでのライヴを見る限り、メイクど派手のギンギラ衣装だったから、音よりもまずヴィジュアル的にインパクトがあった。そういう意味では、のちのラルク・アン・シェルやグレイの先駆け、元祖といってもいいかもしれない。
 また楽曲的にはストーンズの影響が大だと見た。清志郎の動き方がミック・ジャガーとダブって見えたからだ。

 とにかくどの曲もイイ。"雨上がりの夜空に"は当然のことながら、1曲目の"よォーこそ"から"エネルギーohエネルギー"、"ラプソディ"の連続3曲に完全にノックアウトされた。

 特に"ラプソディ"や"エンジェル"などのバラード系は本当に心揺さぶられるものがある。もともと清志郎の書くバラードは昔から定評があり、聴いている人の心の琴線をくすぐるものがあった。
 特に、井上陽水と共作した"帰れない二人"は名曲だと思う。またそれ以外にも"シングルマン"や"スローバラード"など佳曲が多い。

 また"ブン・ブン・ブン"や"キモちE"、坂本 九の曲をアレンジした"上を向いて歩こう"などのアップテンポの曲もゴキゲンである。
 "上を向いて歩こう"などは完全にロック・バージョンであり、彼らのセンスの見事さに感銘を受けたものだった。

 しばらくはこのアルバムをカセットに録音して、家の中や車の中でよく聴いたものだった。特に精神的に落ち込んだときには、これらの曲を聴くと不思議とエネルギーみたいなものがどこからか湧き上がってきた。今でいうところのヒーリング効果かもしれない。

 もともとRCサクセションの“RC”とはどんな意味なのかいまだに気になってしょうがない。“ラジオ・コントロール”の略という人もいれば、“ある日作成しよう”が訛ってこういう名前になったという説もある。

 一般的には、清志郎の中学時代のときのバンド名が“クローバー”で、高校入学後その残党ということで“リメインダー・オブ・クローバー”と名乗り、その継続なので“サクセション”をつけて、それじゃ長すぎるということで短くしたといわれている。
 でも逆にもっともらしくて、できすぎたような話なので個人的にはどうかな?と思っている。

 さらに個人的な話で申し訳ないが、忌野清志郎と仲井戸麗一は昔から一緒に活動していたと思っていた。でもそれはマチガイだった。
 仲井戸麗一(通称;チャボ)は、古井戸というグループで活動していた。加奈崎芳太郎というボーカリストとデュオで活動していて、解散する前にもチャボは、たびたび清志郎とライヴ活動を行っていたようである。だからこんがらがったのかも知れない。

 もともとRCはメンバーの出入りが多くて、ちょっと掌握しずらい。清志郎とチャボ以外ではベースのリンコ・ワッショ(小林和生)がオリジナル・メンバーらしい。それ以外は出たり入ったりである。カルメン・マキ&OZのギタリストも一時メンバーだったらしいし、RCがデヴューする前は、あの俳優の三浦友和もパーカッションで一緒に活動していたらしい。
 だから清志郎と三浦友和は今でも仲がいいらしいのだ。

 またRCの(清志郎の)曲はCMとしても使用されているし、清志郎自身もCMに出演している。先ほどのNHKのTV出演といい、これほど問題発言や問題行動の多い人を起用するTVディレクターの勇気には敬意を表したいと思う。
 具体的にどんな問題があったかはここでは省略をしたい。また別の機会に譲りたいと思う。別の機会があればの話だが・・・

 とにかく正月になると、RCのことやこのアルバムのことを思い出す。コタツやフトンの中で聴いたりしたことを思い出す。音楽だけでなく、そのときの情景や様子、吐く息の白さまでも思い出してしまう。そんな記憶と結びついたアルバムなのである。

 清志郎は喉頭癌だったが、少しずつライヴ活動にも参加しているようである。まだまだ完全復活とはいえないのだろうが、一刻も早く完治してアルバム発表やライヴ活動にいそしんでほしい。心からそう願っている。

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2008年1月 2日 (水)

トレヴァー・ラビン

 年が明けた。2008年閏年である。昔は新しい年を迎えると、一年の計画を立てたり、何かを決意したりするのだが、年をとるとそれも億劫になってきて、アァまた1年が始まったのだなあという感慨しか持たなくなってしまう。

 こうやって人はだんだん感性が鈍くなってしまい、果ては痴呆が始まってしまうのだろう。せめてみずみずしい感性だけは失いたくないものだ。そのためにもロックを聴いて、もうロック(耄碌)しないようにしたい。

 などとくだらないことを考えている自分が情けない。情けないといえば、元日に見た映画も予想をはるかに下回るくだらない映画だった。タイトルを「ナショナル・トレジャー2~リンカーン暗殺者の日記」といった。「1」が結構よかったので、「2」もいいかと思って見に行ったら、本当につまらなかった。Photo
 これもあまり詳しく書くと見に行ってない人に申し訳ないのだが、様々な場面で現実的でない場面が見られた。アメリカ大統領が、多少名前が通っているとはいえ、一介の市民の後を付いて行ったり、ペットボトルで水をかけると鷲の絵が浮かび上がったり、はては非常に運良く主人公が助かったりするというのは、どう見ても無理があった。

 それはともかく、映画が終わったあとのエンドロールで“music Trevor Rabin”とあったのを見て、そちらの方によほど驚いたし感動したのである。

 トレヴァー・ラビンといえば、元イエスのあのトレヴァー・ラビンである。いくらロック界広しとはいえ、そんなに同姓同名の人がいるとは思えない。
 以前にこのブログで「エクソシスト・ビギニング」という映画のサウンドトラックをトレヴァー・ラビンが担当していると書いたことがあったが、彼は現在は映画の仕事を主に活動しているようなのである。

 それで調べてみると、「ナショナル・トレジャー1」でもサウンドトラックを担当していたらしい。それ以外でも「アルマゲドン」、「タイタンズを忘れない」、「ディープ・ブルー」など結構多種多様な映画の音楽を担当しているようでビックリした。イエス時代のイメージとは少しかけ離れていたように思ったからだった。

 彼は1954年の1月13日に南アフリカ共和国のヨハネスブルグに生まれている。(一説によると55年生まれとも言われている)
 両親とも音楽関係者で、父親はヨハネスブルグ交響楽団の指揮者、ヴァイオリン奏者、母親はピアノ教師という家庭に生まれ育った。5歳からピアノを始め、12歳でギターに親しんだという。

 彼自身はマルチ・ミュージシャンで、基本的にドラム以外はほぼすべて演奏することができる。また作詞作曲、編曲からプロデュースまで一応すべてこなせるため、イエス時代のときでも同じように縦横無尽に活躍している。
 その根底には子どもの頃にクラシックの基礎をきちんと受けたからだといわれている。やはり家庭の雰囲気は重要なのであろう。

 南アフリカにいたときは、ラビットというグループを作って活動していた。彼自身はアパルトヘイトに反対していたので、そのグループで2枚のアルバムを発表したあと、広く活躍の場を求めてヨーロッパに活動の場を求めたようである。

 1978年にソロ・アルバム「誘惑の貴公子」を発表した。タイトルから分かるように、これではまるでロックというより、アイドル路線である。実際、発売元のクリサリス・レコードもアイドルとして売り出す予定だったらしい。

誘惑の貴公子 / トレヴァー・ラビン 誘惑の貴公子 / トレヴァー・ラビン
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 しかしアイドルというよりはマルチ・ミュージシャンだから、このアルバムでもほぼひとりで制作していた。だからファンもどう接したらいいのか戸惑ったようである。ハードなロックを丸くしたような、結構いい曲もあるのだが、あまり売れなかった。

 日本でも若くてルックスのいいマルチ・ミュージシャンとして売り出したのだが、一部で名前は売れたものの、セールス的には厳しかったような記憶がある。

 その後2枚のアルバムを発表したあと、1981年にエイジアに参加しないかと声をかけられたが断っている。当時のトレヴァーはジャック・ブルースやサイモン・フィリップスらとセッションするなど、ミュージシャンの間では名前が売れていたようだ。

 また声質も良くて、アリスタ・レコードから「その声ならトップ40を狙うシンガーになるべきだ」と転身も勧められたということだった。まさにミューズの神の申し子のような存在である。

 当時イエスのクリス・スクワイアとアラン・ホワイトは、ジミー・ペイジとXYZというグループ名で活動しようとセッションを繰り返していた。でも結局これがご破算となり、ギタリストを探していたクリスはトレヴァーに声をかけ、ここにcinemaというグループでアルバム制作を始めた。82年~83年頃の話である。

 このcinemaが最終的に90125イエスとなってアルバム「ロンリー・ハート」を発表したのは周知の通りである。アルバムもアメリカでは5位、シングルは2週連続1位を記録し、その他の国でも大ヒットした。新生イエスともてはやされたものである。

 当時のイエスのライヴ・アルバム「90125ライヴ」を聴けば分かるように、トレヴァー・ラビンの演奏するアコースティック・ギターはスティーヴ・ハウ以上のインパクトがあり、当時の解説にはジョン・マクラフリンと同等のテクニックと書いてあったように思うが、そこまではいかなくてもスティーヴ・ハウの穴を補って余りあるようなソロであった。若くて優秀なミュージシャンという評判は、本当であったと当時は実感したものだ。

 それに嫉妬したわけでもないだろうが、やがてジョン・アンダーソンとトレヴァーとの意見が対立し、結局8人編成イエスという活動もあったものの、トレヴァーは、アルバム「トーク」を発表したあと、1994年にグループを去っていった。

 私は1989年に発表されたトレヴァーのソロ・アルバム「キャント・ルック・アウェイ」を持っているが、そこで聴かれる音はまさに新生イエスといっていい音である。

キャント・ルック・マイ・ウェイ / トレヴァー・ラビン キャント・ルック・マイ・ウェイ / トレヴァー・ラビン
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 プロデューサーがアリス・クーパーやピンク・フロイドの「ザ・ウォール」を担当したボズ・エズリンなので、ドラマティックな音作りになっている。

 当時はまだイエスに在籍していたときなので、(「ビッグ・ジェネレーター」発表後)意識してそういう音作りになったのであろうか。何しろ1曲目の"I can't look away"からして7分以上もあるのだ。

 また1分や2分程度のインストゥルメンタルの曲もある。いずれもギターを中心としたインスト曲である。相変わらずのテクニックを披露している。またドラムスは数曲でアラン・ホワイトが叩いている。

 個人的には好きなアルバムである。叙情性は少ないが、硬質でカチッとしたフォーマットにトレヴァーが演奏するギターやキーボードが自由に動き回っている感じでだ。イエスよりも自由にやりましたという彼の声が聞こえてきそうである。

 それ以降はソロ・アルバムを発表したのか、しなかったのかは分からない。とにかく96年以降から映画音楽作品が多くなっているので、もう10年以上にわたって映画と関わっているということだ。

 もう彼がロックのフィールドに戻ってくるのは難しいかもしれないが、まだ50歳代だし、もう一度有名ミュージシャンと組んで、バンド活動かあるいはソロ活動を行ってほしいものである。もう一度あのギター・ソロを聴きたいのは私だけではないはずだからだ。

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