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2008年2月

2008年2月29日 (金)

ブルース・コバーン

 初めてブルース・コバーンのCDを買ったのはいつだろうか。10年以上も前のことではあるが、具体的にいつだったのかは思い出すことができない。

 しかしどこで買ったのかは思い出すことができる。小さな中古CDショップだった。そこはミュージックCDも扱ってはいたが、主な商品は中古ゲーム・ソフトだった。
 だからミュージックCDの棚は店内の隅のほうだったし、棚自体もそんなに大きくなかった。

 そこで買ったのはブルース・コバーンのほかに、ユーライヤ・ヒープの2枚組ライヴCDもそこで購入した。またそれら以外に、いくつかのCDも購入したと思う。そういう意味では思い出のCDショップということができるかもしれない。

 それでブルース・コバーンである。カナダのシンガー・ソングライターで、自分が買ったのは彼の2ndアルバム「雪の世界」であった。1971年に発表されたものである。Photo

Music 雪の世界(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ブルース・コバーン
販売元:インディペンデントレーベル
発売日:2007/10/24
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 まずジャケット写真を見て驚いた。一面雪で覆われている。これがカナダの冬なのかと思った。こんなに雪が降ったら、交通は遮断され人は家の中に閉ざされてしまう。そういう生活の中で生まれてきたのが彼の音楽なのだろうと思った。

 71年当時の時代を反映してか、シンプルな音で埋め尽くされている。しかしシンプルだけでなく、静かな中にも何か力強いものを感じさせてくれる。

 それにギターが天才的にうまい。13歳で弾きはじめ自己流で学んでいったという。ヨーロッパで約1年間、放浪生活を送りながら、いわゆるストリート・ミュージシャンとして技量を高めていった。
 さらに帰国後はボストンのバークレー音楽院で作曲法などを学んでいる。3年間学んだあと卒業前になって、“いろいろ学んだけれど、もう続けても何も得るものがない”と感じたそうで、さっさと退学してしまった。

 だからこのアルバムでも、多重録音しながらギターを操っているし、初期のポール・サイモンのようにさりげなく華麗なギター・ワークを聞かせてくれる。

 曲自体は決してポップではないし、ヒット・チャートに上るような曲は一曲もない。事実、カナダのチャートでも1979年になるまで、シングル・ヒットはなかった。("Wondering where the lions are"で初めてチャートの39位に上がった。ちなみにアメリカでは21位まで上昇している)

 このアルバムでも"One day I walk"がシングル・カットされているが、ヒットしていない。ただ、同じカナダ出身の女性シンガー、アン・マレーがこの曲をカバーしている。ちなみにブルースは、彼女と同じ年である。

 しかし彼はヒットしようがしまいが関係ないと思っているに違いないし、そういう次元をとうに飛び越えていると思う。
 彼は曲を通して、自分の信念や考えを主張している。最近のアルバムでは発展途上国の貧困や差別、また地雷除去の問題など具体的な政治・社会問題なども盛り込んでいる。

 2005年のライヴ8でもカナダのステージで、彼は弾き語りをして訴えていた。大国主導の政治のあり方を批判する歌を歌っていた。

 ポップ性はないが、とにかく静謐である。このジャケットの写真のような冬の時期に、部屋の中で聞きこむには最適のアルバムだと思う。この時期にこそ聴いてほしい、あるいは聴くべきアルバムではないだろうか。

 自分のCD棚には彼のアルバムが7枚ある。代表作は70年代の「Salt, Sun and Time」、「In the fallin' dark」などといわれているが、検証の意味においても、これからも折に触れて、彼のアルバムを紹介していきたい。

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2008年2月27日 (水)

マンドゥ・ディアオ

 スウェーデンの音楽シーンを語るのもこれが第3回目。最終回の今回はマンドゥ・ディアオを紹介したい。
 70年代から80年代にかけてアバが、90年代はカーディガンズやクラウドベリー・ジャムなどのスウーディッシュ・ポップが世界的に有名になった。

 21世紀になって世界を相手にスウェーデンから出てきたバンドが、ハイヴスとマンドゥ・ディアオである。
 活動期間としてはハイヴスの方がやや長いし、彼らの方がロックンロールやパンクの影響を色濃く受けている。

 一方、マンドゥ・ディアオの方はポップでビートルズやキンクスの60年代ロックンロールの影響が強いバンドである。
 このバンドのベーシスト、カール・ヨハン・フォーゲルクロウはポール・マッカートニーと同じヘフナーのベース・ギターを持っていたからバンド加入を認められたという噂もあるくらいだ。

 現時点では世界的に有名なのは、ハイヴスの方ではないだろうか。残念ながらマンドゥの方は、ヨーロッパや日本では人気があるものの、イギリスやアメリカでは知名度は今一歩である。
 そんな彼らがこれからの目標として英米を意識していることはいうまでもない。ハイヴス以上にビッグになることが当面の目標だろう。

 面白いことにハイヴスとマンデゥ・ディアオは非常にライバル意識が高く、というと聞こえはいいが、要するに仲が悪いのである。
 ハイヴスはマンドゥに対して“過去のロックンロール、それにまつわるノスタルジアだけが大切なバンド”と言い、マンドゥの方は相手を“ステージに突っ立っているだけの、ただのでくの坊”とこちらも手厳しくこき下ろしている。

 同じ国民同士だからもっと仲良くすればいいのにと思うのだが、逆に同国出身バンドだからこそ、敵意に近いようなライバル意識があるのかもしれない。

 自分は彼らのアルバムは1枚しか持っていないが、これがなかなかの傑作である。2004年に発表された彼らの2ndアルバム「ハリケーン・バー」である。

マンドゥ・ディアオ/hurricane bar(CD) マンドゥ・ディアオ/hurricane bar(CD)
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 1曲目の"Cut the rope"からノリノリのロックンロールが始まる。まさにパーティ・ロックのような曲で、ノリもいいがメロディがしっかりしているから歌いやすい。しかも1分40秒程度とくればジェットコースターのように早く終わってしまう。もっと聴きたいと思わせる“じらし”作戦なのかもしれない。

 続く曲"God knows"も3分45秒とこれまた短い。しかしこれまた美メロの曲である。こういった短い曲が連続していて、若々しい息吹を感じさせてくれる。
 ただ逆にいうと、いくらメロディが綺麗でも短い曲が続いてしまうとワン・パターンに陥ってしまう。この辺が彼らの欠点なのかもしれない。

 だから6曲目の"Added family"のようなミドル・テンポの曲や9曲目の"Ringing bells"のアコースティック主体の曲がアルバム全体ではいいアクセントになっている。こういう曲がもっとあると、アルバム全体にメリハリが出てきてよくなると思うのだが…

 7曲目"Annie's angle"は、まさにシングル・カット向きの曲である。こういう曲が平気で?書けるところがこのグループの凄いところである。

 メイン・ソングライターはグスタフ・ノリアンとビヨルン・ディクスクウォットの2人である。2人ともギターとボーカルだが、ビートルズのレノン・マッカートニーのように、全ての曲を2人で作っている。
 どちらかというとグスタフの方がロック寄りで、ビヨルンの書く曲の方がバラエティに富んでいるようだ。

 ちなみにグループ名の“マンドゥ・ディアオ”というのは、ビヨルンの夢に出てきた言葉で、特に意味はないらしい。
 彼らの最新作は昨年秋に発表された「ネヴァー・シーン・ザ・ライト・オブ・ディ」である。

ネヴァー・シーン・ザ・ライト・オブ・デー Music ネヴァー・シーン・ザ・ライト・オブ・デー

アーティスト:マンドゥ・ディアオ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007/11/07
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このアルバムで打倒ハイヴスはおろか、念願であったアメリカ、イギリスを制覇してほしいものである。

 というわけでスウェーデンのポップ・シーンを代表するグループを年代別に紹介してきたが、スウェーデンの音楽シーンは日本と同じように非常に幅が広く、プログレッシヴ・ロックからポップス、イングウェイのようなヘビ・メタまで、世界的な規模で成功したグループ、個人は少なくない。

 冬は雪に閉ざされるかもしれないが、その音楽性は豊饒で、洋の東西を問わず、多くの人を惹きつけてやまないのである。それが自分をしてスウェーデンの音楽シーンを書かせたのかもしれない。

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2008年2月26日 (火)

カーディガンズ

 スウェーディッシュ・ポップを語る第2回目の今日は、90年代初頭から今も現役中のグループ、カーディガンズを紹介したい。Thecardigans

 カーディガンズは1994年にデヴューを果したが、もとはヘビメタ・バンドだった。だから当時は演奏時にブラック・サバスの曲もやっていたらしい。

 そんなヘビメタ・バンドが5人組になり、その中に女性ボーカルのニーナ・パーションが参加したところから、彼らはビッグになっていった。

 彼らが世界的に有名になったのは1995年に発表されたアルバム「ライフ」から"Carnival"が大ヒットしてからである。この浮遊感のあるメロディ・ラインこそ、このカーディガンズの魅力だと思う。

ライフ+5 Music ライフ+5

アーティスト:カーディガンズ
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2006/11/22
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 またボーカルのニーナのハスキーでコケティッシュな声質もヒットの要因だったように思える。音楽とは映像とは違って、イメージを喚起しやすいので、こういう声質は結構大事な要素ではないだろうか。Nina_persson

 またプロデューサーのトーレ・ヨハンソンの影響も大である。1stアルバムからの付き合いであるトーレはスウェーデンを代表するプロデューサーでもあり、自国のカーディガンズやクラウドベリー・ジャムだけでなく、イギリスのニュー・オーダーやスウェード、トム・ジョーンズ、日本の原田知代、Bonnie Pinkにル・クルプなどなど、こちらも世界的に活躍するプロデューサーでもあった。

 その次の年に「ファースト・バンド・オン・ザ・ムーン」というアルバムを発表し、ここからも"ラヴフール"というシングルがヒットした。これはレオナルド・デカプリオが出演した映画「ロミオとジュリエット」にも用いられている。

 彼らの音楽性としては、伝統的なギター、ベース、ドラムスというフォーマットにフルートやオーボエ、チェロ、トロンボーンというロックやポップスとは少し毛色の違う楽器類を用いたことだと思う。
 こういう手法は現在のホワイト・ストライプスにも受け継がれている。そういう意味では先駆的なグループだったのかもしれない。

 彼らは1998年ごろまで活動したが、その後一時バンド活動を休止した。スウェーデン本国では人気があったのだが、それ以外の外国では人気が降下したのが主な理由と見られている。

 メンバーはソロ活動を行っていたが、2003年に再び集結し、アルバムを発表。2005年にも制作し、発表しているが、残念ながら全盛期のような面影はないようだ。

 というわけで70年~80年代のアバとまではいかなかったが、キラリと光る輝きを残したスウェーデン出身のポップ・グループであった。

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2008年2月25日 (月)

アバ

 以前、スウェーデンのプログレッシヴ・ロックについていくつか紹介させてもらったが、スウェーデンの音楽状況は、もちろんプログレだけでなく、それ以外にもある。

 特にポップスについては、昔から定評があり歴史的にも長く、俗にスウィーディッシュ・ポップなどと呼ばれている。
 それで今回から3回に分けてスウェーデンのポップについて紹介をしたいと思う。まず第1回目は70年代半ばから80年代初頭にかけて世界中を席巻した男女4人組、アバについてである。

 もともとアバは、ビヨルンとベニーという男性デュオにその妻たちが合体してできたようなグループである。
 ビヨルンとベニーは、日本でも"木枯らしの少女"というヒットを持っている。作られたのは1970年だが、日本で発表されたのは1972年であった。自分はその頃まだ子どもだったのであまり詳しくは知らない。

 2人ともスウェーデンではかなり有名なグループに所属していたミュージシャンである。ビヨルンはフーテナニー・シンガーズというフォーク・グループのリード・ボーカリストで、ベニーの方は、スウェーデンのビートルズといわれたヘップ・スターズのキーボード奏者だった。

 ただ自分にとって、どちらがビヨルンでどちらがベニーかよくわからない。ギターを弾くのがビヨルンでキーボード担当がベニーなのだが、演奏でもしていない限り判断がつかない。
 だからブロンドの女性、アグネタと結婚していたのがビヨルンで、黒っぽい髪のフリーダと結婚していたのが、ベニーだと覚えていた。2組の夫婦は写真に映るときも一緒に寄り添っていたからである。

 そのアグネタは1950年生まれ。今年で58歳で孫もいるという。5歳の頃、アパートの上から流れてくるピアノの音に興味を持ち始め習い始めた。
 17歳でデビューし、スウェーデンではアイドルだったといわれている。19歳でビヨルンと出会い、1971年に結婚している。

 またフリーダの方は1945年ノルウェー生まれで、父親は妻子あるドイツ軍の将兵でよくある兵隊さんと世間知らずの17歳とのロマンスがきっかけでこの世に誕生した。
 そしてこれもよくある話で、戦争が終結するときに父親は現地を離れ母国に帰り、18歳の母は赤子を連れて隣国スウェーデンに逃げこむのである。やはり戦争の傷跡は深かったのだ。

 しかし母親の方は、ひょっとしたら父親が戻ってくるかもしれないという淡い期待を胸にノルウェーに戻ったので、祖母がスウェーデンまで行ってフリーダを育てている。だからフリーダは父親の顔も母親の顔も知らずに育った。のちにあきらめた母親はフリーダの元に身を寄せるのだが、惜しくも2ヵ月後に病に倒れこの世を去っている。

 フリーダが音楽関係に進んだのは、教会の合唱団に入ったからで、その頃から彼女の美声は有名だったらしい。13歳で学校を辞めて、年齢をごまかしてナイトクラブで歌うようになった。
 18歳で結婚し、長男を出産し、22歳で長女を出産するも24歳で離婚する。理由は更なる音楽的なキャリアを積むためであった。彼女は世界的なジャズ歌手になることを考えていたようである。子どもは父親が引き取った。
 そして音楽活動を続ける中で、ベニーと出会うことになる。1969年のことだった。

 だから"木枯らしの少女"がヒットしているときは、すでに4人そろっていたのだ。そんなアバはビヨルンとベニーがレコーディングの練習をしていたときに、バック・コーラスでアグネタとフリーダが参加したところから始まったのである。

 1974年に"恋のウォーター・ルー"が世界的に大ヒットし、ここから彼らの快進撃が始まるのである。以降"S.O.S."、"マネー、マネー、マネー"、"ダンシング・クィーン"と出す曲出す曲世界中でヒットした。

 しかし、ただ単にポップなのではない。あのディープ・パープルのリッチー・ブラックモアでさえ、“彼らの曲をヘッドフォンで聴いてごらん。複雑な曲構成にびっくりするから”と述べているように、単純な曲ではないようだ。
 また"ヴーレ・ヴー"や"ギミー!ギミー!ギミー!"のように、のちのユーロ・ディスコの原曲のような曲も作っている。そういう意味では幅広いレパートリーがあった。これらはビヨルンとベニー、マネージャーのスティグ・アンダーソンの作曲能力の高さを表している。

 2004年現在で、彼らのアルバムの公式売り上げ記録は3億5千万枚以上といわれ、今なお一日の平均売り上げ枚数は3千枚以上といわれている。これはビートルズ、プレスリーに続く数字である。

Photo


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アーティスト:アバ
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 ビヨルンとベニーはミュージカルの作曲などを行っているようだが、アグネタとフリーダは引退している。(アグネタは2004年にアルバムを発表しているが、続ける気はないようだ) 

彼らはポピュラー・ミュージックの歴史の中の存在になってしまったが、彼らの残した音楽は今もなお生き続けているのである。

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2008年2月24日 (日)

グラミー賞2008

 今年のグラミー賞はあまり面白くなかった。個人的な意見で恐縮だが、これはというパフォーマンスも演奏も大物ミュージシャンも見当たらなかったと思っている。

 しかも今年は50周年ということで、かなり期待度が大きかっただけに、少々裏切られたような気がした。

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 面白いことに、ミュージシャンが高齢化すると、プレゼンテイターに変わることを発見した。特に80年代に一世を風靡したミュージシャンはプレゼンテイターとして式典に参加している。プリンスやシンディ・ローパーなどである。できればブルース・スプリングスティーンのようにノミネートされてほしいものだ。特にプリンスなどは、まだまだ現役だと思う。

 カニエ・ウェストは最多の8部門ノミネートされながら、結局最優秀ラップ・アルバムしか取れなかった。本人も最優秀アルバム賞などを狙っていたようであるから、かなりショックだったに違いない。(アルバム「グラデュエーション」)

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 しかもその年間最優秀アルバムは67歳になるハービー・ハンコックのアルバムだった。ジョニ・ミッチェルに捧げられた「リヴァー」というアルバムだったが、これもまたかなり予想を裏切る結果になった。だいたいそのアルバムは何枚売れたのだろうか。ハッキリいってカニエのアルバムの方が売れたのは間違いないことなのに…

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 結局、一人勝ちだったのはエイミー・ワインハウスだった。最優秀新人賞、年間最優秀レコード賞、年間最優秀楽曲賞の主要3部門を制覇した。これで先ほどのアルバム賞まで獲得していれば、1981年のクリストファー・クロス以来2人目の完全4部門制覇だったのに残念である。

 2006年に発表された彼女のアルバム「バック・トゥ・ブラック」は英国ではいまだに売れ続けており、大ベストセラーになっている。

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アーティスト:エイミー・ワインハウス,ゴーストフェイス・キラー
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 グラミー賞では英国から生中継で歌っていた。現地時間で朝の4時というから、エイミーもさすがにグラミー賞をブッチぎることはできなかったようである。

 エイミーは1983年生まれの今年で24歳になるイギリス人R&Bシンガーである。若いのに歌は上手なのだが、どうも歌以外の話題が多いことでも有名である。
 ライヴの予定を私用でブッチぎることは朝飯前。インタヴューの予定なんかはあって無きが如し、当日のその時間まで来るかどうか分からないのである。

 またドラッグとアルコールに溺れ、数回にわたってリハビリ施設に入所していた。その時の経験を歌った"リハブ"がシングル・ヒットしたのは有名な話である。こんな曲が年間最優秀楽曲を獲得したのだから、人生何が幸いするか分からない。

 また昨年の5月に結婚したが、10月にノルウェーで大麻所持と密輸の疑いで夫とともに逮捕されている。さらには12月にも夫の司法妨害で再び逮捕された。
 そして今年の1月には、またリハビリ施設に入所し治療を受けていた。だからグラミーにはその施設から退所して間もない頃に出演したことになる。何という歌姫であろうか。

 21世紀のディーヴァには実力だけでなく、実力プラス話題作りが必要なのだろう。それにしてもあのタトゥーといい、クレオパトラのようなアイ・シャドーといい、まさに個性的・現代的な歌姫である。

 話を元に戻すと、グラミー賞の授賞式で一番印象的だったのは、ティナ・ターナーとアレサ・フランクリンの体型の変化であった。あれは見事すぎたと思う。
 次に印象的だったのは、カニエ・ウェストとダフト・パンクのコラボレーションだった。あれなら2時間くらいやっても、文句は出ないと思う。

 それ以外の演奏やパフォーマンスはおよそ50周年という割には陳腐なものだった。だいたい予定されていたマイケル・ジャクソンがすっぽかすから悪いのである。ブッチぎりはエイミーだけで充分だ。

 来年は51周年であるが、もう少し出演者とステージのパフォーマンスを充実したものにしてほしいものだ。

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2008年2月23日 (土)

追悼;ダン・フォーゲルバーグ

 ダン・フォーゲルバーグが亡くなった。昨年の12月16日にメーン州にある自宅で生涯を終えたとのことである。死因は前立腺ガンだった。享年56歳。

 2004年から闘病生活を送っていたらしい。自分もつい最近彼の死を知ったので、びっくりしている。先日行われたグラミー賞の中継の中で、昨年亡くなった有名ミュージシャンをビデオで紹介しているときに、オスカー・ピーターソンやパバロッティとともに彼の肖像が流されていたのだ。

 一瞬まさかと思い、インターネットで確認したところやはり間違いなかった。本当にいい人を亡くしたものである。

 ダンはイリノイ州出身であるが、ロスで活動を始めてから全米的に名前が知られるようになった。
 1974年に発表されたアルバム「スーヴィニアーズ」の中からシングル"Part of the plan"がヒットして、アルバム自体もプラチナ・アルバムになっている。
 このアルバムにはイーグルスのメンバーも参加しており、アルバムのプロデューサーだったジョー・ウォルシュとは、これをきっかけにして親しくなり、のちにジョーがイーグルスに参加する原因にもなったといわれている。

 ジョーがプロデュースしたせいかどうかはわからないが、さわやかなカントリー・ロック・タッチの小粋な曲に仕上がっている。ちょうどイーグルスの"Take it easy"からバンジョーやスティール・ギターを取り除いたような曲である。

 ダンは日本でこそ知名度は低いが、アメリカでは数々の大ヒットアルバムを出しているだけに、かなり名前が浸透しているようだ。グラミー賞でも紹介されるほどだから、やはり有名なのだと思う。

 先述の「スーヴィニアーズ」はプラチナ・アルバムで、78年の「ツインズ」はトリプル・プラチナ・アルバム、続く「フェニックス」、「イノセント・エイジ」もベスト・セラーを記録した。思えば1978年から84年までは彼の全盛期だったと思う。

 その後も寡作ながら作品を発表し続けていた。のちにコロラド州に移り住んで、大自然の中で悠々自適な生活を送っていたようだ。そういう雰囲気が彼のアルバムには漂っているという評論家もいた。

 日本では、やはりシングル"Longer"の大ヒットで有名である。この曲は79年のアルバム「フェニックス」に収められているのだが、いまだにTVCMなどに使用されていて、耳にすることができる。

 日本ではこのヒットのおかげで、AOR系のミュージシャンと見られがちだが、実際はシンガー・ソングライター(SSW)なのである。しかもギター、ピアノ、ベース、ドラムスと何でも一通り演奏することができて、マルチ・ミュージシャンなのだ。

 彼のことを知りたければ、「オリジナル・グレイテスト・ヒッツ」がお勧めである。曲数は10曲とCD時代の今からすれば少ないが、内容は充実している。Photo
 彼の代表曲は一通り網羅しているので、この1枚あれば充分だと思う。自分も実はこの1枚しかもっていないのである。
 しかも78年から81年までの黄金期から選曲されており、アルバム未収録曲も2曲含まれている。だから昔からのファンにとっても、初めて接する人にも内容的には充分満足がいくのではないかと思う。
 もちろん最近は他のベスト盤も出されているので、そちらでもいいと思う。

ベリー・ベスト・ダン・フォーゲルバーグ Music ベリー・ベスト・ダン・フォーゲルバーグ

アーティスト:ダン・フォーゲルバーグ
販売元:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
発売日:2001/11/21
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 昔通った中古レコード店に「フェニックス」や「ツイン・サンズ」が置かれていたのを思い出した。いま思えばあの時購入していればよかったと思う。もうあの優しい歌声も心地よいメロディも豊かなハーモニーも耳にすることができないからである。

Photo


Music Phoenix

アーティスト:Dan Fogelberg
販売元:Sony Japan
発売日:2008/03/01
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 とにかく、残念なことにまた素晴らしいSSWを失った。どうか天国でも心行くまで演奏活動をしてほしいものである。

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2008年2月21日 (木)

親愛なるQに捧ぐ

 初めて加川良を聞いたのはいつのことだったのでしょうか。確かそれは中学生の頃に流れてきたFMラジオを聴いていたときだったと思うんです。

 ラジオから“一杯飲み屋を 出てゆくあんたに むなしい気持ちがわかるなら”という歌が聞こえてきたとき、僕にはそれが自分に向かって歌ってくれていると錯覚してしまったのです。
 確かにそれは僕の勘違いだったのですが、当時の僕にとっては何かしら大事なことを囁きかけてくれているように思えたんです。

 “あせって走ることはないよ 待ちつかれて みることさ” それが今でいうメッセージ・ソングだとか、昔のプロテスト・ソングだとか、そんなことはどうでもいいことだったのです。

 何も信じられない自分にとって、でも何かを信じようとした自分にとって、自分以外に何を信じることができるのかというと、何もなかったし、自分自身にも自信がもてなかった。
 そんな中学生にとって彼の歌は、ある意味では、もっと肩の力を抜いたらといってくれているようでした。

 当時も今も人様に迷惑ばかりかけていた僕に、その時ははっきりとは分からなかったけれども、何となく大事なことを言ってくれているように思えたのです。
 結局あれから30年以上もたってから、「もっとゆっくりやったら」とか「もっと自由でいいんじゃない」、「自分のしたいことをすれば」と言ってくれていると分かったような気がしました。

 当時の彼のいっていることが、今になってやっと分かったことが自分にとってはうれしかったし、それでもそんなに時間がかかったことが、ほんとに自分はつまらない奴に見えてきて、哀しい気持ちにもなるのです。

 昔の自分には勉強するしかなかったし、それでも結局はできませんでした。だけども貧しい家では勉強をして何とか自分の将来を拓いて、安定した仕事に就くこと、これが自分にとって課せられた使命のように思えたのです。

 だから勉強する、だけどもできない、そして不安を覚える、そんな繰り返しの日々の中で彼の歌は僕にとっては宝石のようでした。

 “ため息ついても 聞こえはしないよ それが唄なんだ” 特にこの"下宿屋"という歌は、はっきりとした口調のなかに、登場人物の“彼”と“僕”と“岩井さん”や“シバ君”という友人たちの姿が妙に明瞭に浮かび上がってくるのです。
 そしてこの“寒いくらいの”部屋の中で、彼らが音楽談義をしている様子や生活と歌が相対していることが僕にも伝わってきて、当時の自分と自分の数少ない友人のことを歌っているようにも思えたのです。

 “何がいいとか 悪いとか そんなことじゃないんです たぶん僕は 死ぬまで彼に なりきれないでしょうから”この気持ちは今でも変わっていません。自分が今まで会った人たちには本当に感謝しているのです。だからその人たちのためにも頑張ろうと思うのですが、なかなか思い通りにはならないのです。

 この曲が収められているアルバムが「親愛なるQに捧ぐ」というタイトルだと知ったのは、かなり後になってからでした。

親愛なるQに捧ぐ Music 親愛なるQに捧ぐ

アーティスト:加川良
販売元:avex io
発売日:2003/03/05
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 そしてこの“彼”というのは、2005年4月に心不全で亡くなった高田渡だと知ったのはもっと後のことでした。

 このアルバムには他にも"偶成"や"こがらし・えれじい"などの名曲も含まれているのですが、でも僕にとってはこの"下宿屋"しかなかったのです。

 そして今でもこの曲を聴くと、自分の心のいやらしさや汚さが見えてくるんです。でもそれを何とかよくしようとする自分もそこにはいることもわかるのです。

 そういうもどかしさの中で生きていくこと、今となっては人生を変えることはできないけれど、それでも真っ直ぐに自分の気持ちに正直に生きていきたいと、ただそれだけを信じて生きていこうと思っているんです。

 そんな気持ちにさせてくれた加川良の"下宿屋"には今も聴くたびに感謝をしているんです。どうもありがとう、と。

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2008年2月20日 (水)

 寒い冬の日になると、日本のフォーク・グループ、「猫」というグループの"雪"という曲を思い出してしまう。
 
 “雪でした あなたのあとを なんとなく ついてゆきたかった”というフレーズで始まるのだが、この“雪”という言葉と“ついて「ゆき」たかった”という言葉の中の“ゆき”という言葉がどうもひっかかって、これはひょっとしてシャレで歌っているのではないかと思っていた。

 もちろんそんな不謹慎な気持ちで作ったわけではないだろう。ちなみに作詞・作曲したのは吉田拓郎である。

 猫は1971年に、早稲田大学のカレッジ・フォーク・グループのメンバーが集まって結成されたグループである。
 メイン・ボーカリストは田口清という人だが、中心人物は常富喜雄ではないかと思っている。理由は単に彼が作曲した曲が多いというだけであるが・・・

 他にも"各駅停車"を作曲した石山恵三や伊勢正三とフォーク・グループ「風」を結成した大久保一久などがいた。

 彼らは学内で活動したあと、同じ大学の卒業生が吉田拓郎とユイ音楽工房を設立したことをきっかけに、拓郎のバック・バンドを1年以上も続けたという。
 72年に"人生なんてそんなもの"でデビューし、"雪"や"地下鉄にのって"などが、ビッグ・ヒットして一躍有名になった。

 (と思っているのは私だけかもしれない。実際は、中ヒット程度だったような気がする。でも当時やっと中学生になったかならないかの自分にとってはかなりヒットしたという印象しかないのである)

  フォーク・グループといっても当時は四畳半フォークからの過渡期だったので、ギター1本で歌っていますというような感じではなくて、結構エレキ・ギターも入っていて、少しロックぽかった気がしたのだ。確かに"雪"のエンディングは、かなりギターが前面に出ていて、ロックっぽい演奏になっている。

 今から考えれば、ボブ・ディランのバック・バンドを務めたザ・バンドのような気がする。そうだったのか!猫は日本のザ・バンドだったのである。ただし75年に解散したので、実質活動期間は3年あまりと短かったのだが・・・

 実際に日本で初めて“ニュー・ミュージック”という言葉が付けられたのは、このグループだったといわれている。ある音楽雑誌がそれを使って紹介したというのだが、どの雑誌なのかは特定できなかった。

 また“猫”というグループ名は、当時流行していたグループ・サウンズ、ザ・タイガース、ザ・スパイダースのように動物の名前を使ったグループ名を考えていたらしいが、結局、うまくいかずにメンバーの誰かが“犬でも猫でもいいだろう”といって、“猫”になったという。これは確かな話らしい。

 自分は彼らのベスト・アルバム1枚だけを持っているのだが、このアルバムに収められている"雪"や"地下鉄にのって"、"昼下がりの街"を聴くとタイム・マシンに乗ったかのように一挙に昔のことを思い出してしまう。

THE BEST Music THE BEST

アーティスト:猫
販売元:ソニーレコード
発売日:1990/09/15
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 "雪"はちょうど冬の頃に流行った曲なので、この曲を歌いながら雪道を歩いて登校していたような記憶があるし、"地下鉄にのって"は最初のスティール・ギターが春の陽気を思い出させてくれる。
 当時も今も田舎に住んでいるので、“赤坂見付”、“四谷”といわれてもピンとこなかったけど、東京ってやっぱり大変なところなんだなあと妙に感心していたように思う。

 "昼下がりの街"は、聴いてみると全然違うのだが、「ふきのとう」の"冬が来る前に"を思い出させるようなニュアンスを持った曲だと思う。この曲と"各駅停車"は彼らのオリジナルである。

 ところでこのアルバムには、意外にもアメリカのSSWであるアルバート・ハモンドの曲が2曲も収められている。これにはビックリした。
 猫とアルバート・ハモンドがどういう関係なのかよくわからない。現在調査中であるが、たぶんよく分からないという結論しか出ないと思う。(ちなみに"コスモス"、"君の心はおもちゃ箱"という曲である)

 現在、猫は2004年に再結成されてから、ときどきライヴハウスで演奏しているという。ただメイン・ボーカルの田口清は1991年に事故で亡くなっている。享年42歳であった。転倒したときに子どもを守るために無理な姿勢をしたため頭を強打したということである。

 「風」の大久保一久は現在東京で薬局屋を経営していて、店内には「風」の写真が飾られているという。
 残りの常富は音楽制作会社の部長職を辞めて、石山は運送会社の所長を退職し、再結成したといわれている。みんな50歳代だが、もう一度“自分の原点”を見つめ、自分自身を振り返るということだろうか。“温故知新”、団塊の世代は未だに強いパワーを秘めているのであろう。

 それにしてもカレッジ・フォークとかグループ・サウンズとかいう言葉は現在では死語である。言葉は死語でも、その精神はいまもなお生きているのではないだろうか。

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2008年2月19日 (火)

パル・リンダー・プロジェクト

 北欧のプログレッシヴ・ロック・シリーズも今回が最後ということになる。よくまあこのテーマで今まで引っ張ってこれたなあ、と自分でも驚いている。
 たぶんこんなブログを読んでいる人はほとんどいないから気にすることはないのだけれど、それでも数少ない訪問者がこれをきっかけに二度と訪れなくなりさらに減少すると思えば、もう少し考えたテーマを準備した方がいいのではないかと、自分ながら呆れてしまうのである。

 それで今回はパル・リンダー・プロジェクトという、これもまたスウェーデン出身のグループを紹介したいと思う。
 パル・リンダー・プロジェクト、略してPLPである。この「PLP」という文字から何かを連想することはできないだろうか。そう、ちょっとプログレに詳しい人なら何となくあの例のグループを想像することだろう。

 「PLP」といえば「ELP」である。何となく発音も似ているではないか。「ELP」は正確にはエマーソン、レイク&パーマーという3人の名前の頭文字をとって付けられたものであるが、PLPの方は、何となくELPから拝借したようなちょっと洒落てみましたという臭いがするのである。

 その理由は彼らの奏でる音である。まさにスウェーデンのE,L&Pなのである。違いは、女性ボーカルということと、このグループはあくまでもプロジェクトなので、ときどきギターやホーン、フルート、ヴァイオリンが入るところだろうか。

 彼らのスタジオ4作目のアルバム「幻想のノスタルジア」は、けだし名盤である。2001年に発表されたこのアルバムは、彼らの良質な音楽性が滲み出ている。良質な音楽性というのはただのE,L&Pのモノマネバンドではないということである。

ヴィニ・ヴィディ・ヴィチ ヴィニ・ヴィディ・ヴィチ
販売元:TSUTAYA online
TSUTAYA onlineで詳細を確認する

 1曲目のストリングスを使用した短い"アダージョ"から続けて2曲目の"ヴェニ・ヴィディ・ヴィシ"が始まる。キース・エマーソンばりのハモンド・オルガンがフィーチャーされており、まさに21世紀のE,L&Pということができる。
 ただハモンド・オルガンだけでなく、パイプ・オルガンや暴れまくるパーカッションも目立っており、音楽性の深さを感じさせてくれる。曲のタイトルはシーザーの言葉の“来た、見た、勝った”という意味である。

 続く曲は女性ボーカルがメインの曲であるが、メロディが何となくヨーロッパ風で面白い。途中に入ってくるピアノ・ソロも技巧的で優雅である。クラシックのショパンかラフマニノフのような感じだ。13分54秒もあるので結構やりたいことを詰め込んでいる感じがする。

 4曲目と5曲目の"タワー・オブ・ソーツ"や"リヴァー・オブ・テイルズ"は比較的短い曲であるが、メロディがハッキリとしていて綺麗である。そのせいか聞きやすく、このアルバムの中ではポップな印象を与えてくれる佳曲だ。

 特に4曲目はベースが小刻みに動き回っていて、後半になるにつれて機動性が増してくるように思える。キーボードもピアノやパイプ・オルガンで追いかける展開が素晴らしいと思う。
 5曲目はピアノだけをバックに切々と歌われている。メロディが北欧的というのだろうか。何となく物悲しくなるような曲である。

 6曲目は一転してパル・リンダー的ハード・ロックが展開される。かなり疾走感があり、この曲だけでもこのアルバムの水準の高さが分かると思う。

 途中短い曲を挟んでアルバムの最後は、"ヒム"と"ザ・プリモニション"が演奏されクライマックスに移る。
 "ヒム"はその名の通りの賛美歌のような曲である。パイプ・オルガンをバックに女性ボーカルが流れ、テーマを歌ったあとハモンド・オルガンが後を引き継ぐ。
 またこの女性ボーカリスト、マグダレーナ・ハグバーグはヴァイオリンも演奏するそうで、ここでもその一部が聞こえてくるようだ。

 そして荘厳な曲のあとは、畳み掛けるかのように各種キーボードが鳴り響き、ハードな曲になる。この静から動への曲構成は彼らの得意とする部分のようである。
 またバイオリンやストリングスも奏でられ、クライマックスに突入するところは何度聴いてもいい。まさに圧巻である。

 このグループの中心人物パル・リンダーという人は、テクニック的にも申し分ないキーボーディストであり、北欧ではかなり有名で、オーケストラとの共演もあるらしい。
 とにかくクラシックからジャズ、ハードロックまで、そのカヴァーできる分野の広さがキース・エマーソンとはまったく違っている。

 だからHM・ファンからクラシック・ファンまでが彼らの音楽性を支持するのだろう。とにかく聴いていてマンネリに落ちないところが彼らの魅力のかなりの部分を占めるのではないだろうか。

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2008年2月18日 (月)

トマス・ボーディン

 外国人の名前を正確にカタカナで表すことは難しい。英米人ならまだしも、ドイツ人やギリシャ人、チェコ人とかになると、かなりアバウトな表記になる。
 何事も正確を期す日本人には、そういう曖昧さは許しがたいのかもしれないが、とうの外国人から見ればそんなに気にはしていないのかもしれない。

 それでスウェーデン人の名前の発音も日本人には難しい。フラワー・キングスのキーボーディストである人の名前も、「トマス・ボーディン」なのか「トマス・ボディーン」なのかハッキリとしない。

 一般的には英語的な表記の「トマス・ボーディン」と書かれる場合が多いと思うのだが、ファンクラブのサイトには「ボディーン」とある。どうもこれはボディーンが正しいように思えるのだが、ここは一般的な英語の表記にしたがって、「トマス・ボーディン」に統一して進めたいと思う。

 彼の1stソロ・アルバムは1996年に発表された「永劫への聖歌」だった。何やら仰々しいタイトルだ。原題は“An ordinary night in my ordinary life”(私の平凡な人生の中の平凡な夜)だから、180度転換したようなタイトルである。Photo

 内容はキーボード・ソロたっぷりの見せ場はあまりない。だからリック・ウェイクマンのソロ・アルバムを連想されるとちょっと違うと印象を持つと思う。強いて言うなら、「ヘンリー8世の6人の妻」に近いかもしれない。

 キーボードがメインになって暴れ狂うということはなく、あくまでもバンドの中でのキーボード・ソロが目立つという感じである。だからメインはキーボード・ソロではなく、バンド・アンサンブルの中のキーボード演奏で、ギターやベースが目立つ箇所もあり、そういう意味ではいろいろ楽しめる要素はあると思う。

 そのキーボード演奏に関していえば、とにかく多彩なキーボードを操っている。ハモンド・オルガンやシンセサイザー、ピアノは当然のこと、メロトロンやパイプ・オルガン、はては奇妙な声まで披露している。

 最初の数曲はバンド・アンサンブルがメインで、中ごろになると、ちょっとアブストラクトなコラージュ風の曲もある。だから聴いてて飽きがこないという利点もあるかもしれない。

 最大の聴きものは10曲目、最後の曲"Three stories"である。これは3部に別れており、1部は、まるでキース・エマーソンのように弾きまくっている。7分近くあるのだが、何かいままで抑えていたものが一気に噴出したような感じである。
 2部になると、ベートーベンのピアノ・ソナタのように静謐なピアノ演奏を聴くことができる。このピアノにロイネ・ストルトのギターが絡み合うところがまるでキャメルのようなのである。この6分程度のこの部分が、このアルバムのハイライトだと思っている。
 そして最後の3部に入ると、ボレロのリズムに乗ってシンセサイザーが再登場し、それがピアノや他のキーボードに代わっていくのである。

 とにかくフラワー・キングスの面々がみんなで、トマスを盛り立てて作ってみましたというようなアルバムなのである。

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2008年2月17日 (日)

フラワー・キングス(その3)

 記念すべきフラワー・キングスの10作目は2004年に発表された。タイトルを「アダム&イヴ」という。本来は1枚のシングル・アルバムだが、日本盤は1999年や2001年当時の未発表曲が含まれた2枚組アルバムになっている。

Photo Music Adam & Eve

アーティスト:The Flower Kings
販売元:Inside Out Music
発売日:2004/08/03
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 スウェーデンのイエスといわれるわけは、やはり転調の多い複雑な曲構成のせいとギターの音色やキーボードの入り方などがよく似ているせいだろうと思う。
 このアルバムも最初の曲"Love supreme"は19分50秒の曲だが、これを聴くとそういういわれ方をするのもよくわかる。時間的には長いが聞くとそんなに長さは感じない。ただ、日常的に口ずさんだりはできない曲だと思う。

 また彼らはライヴ盤も発表しているのだが、これもイエスと同じようにあの複雑な曲をいとも簡単に演奏することができるという。自分は未聴だが、いままで2枚の公式ライヴ盤を出しており、本国や日本だけでなくヨーロッパ各国や南米で録音されている。いかに彼らがワールド・ワイドで支持されているかが分かると思う。

 また彼らは曲構成もたくみで、長尺の曲に次は3分程度の短いを配置し、絶妙なバランスをとっている。
 このアルバムでも2曲目"Cosmic circus"はボーカルをメインにした3分のアコースティックな曲、続く"Babylon"も2分41秒のインストゥルメンタルである。さらに8分、1分、7分、3分、7分、18分、5分と続いていく。

 とにかく彼らのアルバムは聴くだけでお腹がいっぱいになるようなもので、今どきこういうグループは希少である。

 またこのアルバムのブックレットには、ジョニ・ミッチェルの"Woodstock"の歌詞が掲載されている。“We are stardust, we are golden and we got to get ourselves back to the garden”(私たちは星屑であり、金色に輝くものである。そして私たち自身を庭に戻さなければならないのである)

 この歌詞にある“garden”とはアダムとイヴが住んでいた楽園のことを指しているそうで、旧約聖書にあるように、神の指示に従わなかった彼らはこの楽園から追い出されたのである。
 だからこの楽園に戻るためには、もう一度私たちのライフ・スタイルを見直し、世の中に寄与する生き方をしないということであろう。

 グループのリーダーのロイネ・ストルトは、ジョニ・ミッチェルを敬愛しており、このアルバムのクレジットには、彼女の2002年にリリースされたオーケストラとの共演アルバム「トラヴェローグ」がいかに彼に啓示を与えたかが記されている。そういう意味でジョニに捧げられたアルバムでもある。

 北欧といえば冬は長く暗い夜に支配され、夏は短く過ぎ去って行くというパターン化された印象しかないのだが、たとえ夜が長くとも豊かな想像力や豊饒な音楽は生まれるということを証明しているのがフラワー・キングスのアルバムだと思うのである。

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2008年2月16日 (土)

フラワー・キングス(その2)

 このグループの中心人物であるロイネ・ストルトはワーカホリックである。70年代はカイパのギタリストとして活躍し、80年代はファンタジア、90年代はフラワー・キングスでアルバムを発表しているが、その傍らには他のバンドのアルバムにゲスト参加したり、制作を手伝っている。

 また200年に入って、カイパの再結成に参加し、アルバムやツアーにジョイントしているし、本家のフラワー・キングスとは別にトランスアトランティックというプロジェクトを企画し、アルバム発表やライヴ活動にも携わっている。
 このトランスアトランティックというのが凄腕ミュージシャンの集合体で、ギターがロイネ自身で、ベースにマリリオンのピート・トレワヴァス、ドラムスがドリーム・シアターのマイク・ポートノイ、ギター、キーボードにスポックス・ビアードのニール・モーズである。DVDも出ているので、個人的にも是非一度見ておきたいと思っている。

Photo_2 Building the Bridge / Live in America (2pc)

発売日:2006/05/02
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 さて、彼らが2000年に発表した6枚目のアルバム「スペース・リヴォルバー」もまた素晴らしいアルバムである。日本ではスペシャル・エディションということで2枚組が発表されたが、他国はシングル・アルバムだと思われる。

2 Music スペース・リヴォルヴァー

アーティスト:ザ・フラワー・キングス
販売元:マーキー・インコーポレイティド
発売日:2000/08/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 今までのアルバム(といっても自分は「スターダスト・ウィ・アー」しか知らないのだが)と違って、音がクリアになっており、いかにも現在に生きるプログレッシヴ・ロックという感触である。

 例によって1曲目から15分5秒という長い曲から始まる。"I am the sun"というタイトルなのだが、もとは25分という曲だった。それでは長いし、途中で飽きるのではないかということでパート1とパート2に分けられ、パート1は最初に、パート2の10分39秒の曲は最後に配置されている。

 確かにスウェーデンのイエスというだけあって、長い曲でも不安なく最後まで聴きとおすことができた。途中でジャズっぽい演奏やクラシカルな装飾はあるものの、あくまでもそれらは飾りであり、根本はモダン・テクノロジーを駆使したシンフォニックなプログレッシヴ・ロックである。

 このアルバムではロイネの片腕的存在であるキーボードのトマス・ボーディンの活躍が光っている。前のアルバムでもメロトロンをはじめ各種キーボードを弾きまくっていたが、今回は作曲でも貢献している。
 彼はグループの中でも積極的にソロ・アルバムを発表しているので、作曲にも自信があるのだろう。もちろんテクニックも折り紙つきであり、リック・ウェイクマン脱退後のイエスに加入するしないという噂もたつほどだったし、実際キャメルには参加しないかと打診されたそうである。

 2曲目の"Dream on dreamer"は彼が作曲し、ロイネが詩をつけている作品で、2分台と時間は短いものの非常にファンタスティックな安らぎを覚える佳曲である。

 また3曲目"Rumble fish twist"もトマスの作曲したインストゥルメンタルである。キーボーディストの作曲したインストだからといって、鍵盤楽器ばかりが目立つということはなく、ギターの印象的なフレーズもあれば、このアルバムから加入したベーシスト、ヨナスの強力なベース・ソロも収められている。途中で拍手や口笛など聴衆の歓声も入っているが、これは後でスタジオで付け加えられたものらしい。(ここでも偽装行為が行われたということか?)

 またトマスが作曲したものではないが、5曲目の"Chicken farmer song"は売れ線狙いというわけではないだろうが、非常にポップな曲である。まるでビートルズがプログレッシヴ・ロックをやるとこんな曲を作りますよとでもいうような曲である。
 "You don't know what you've got"はボーカルのハンスが作った曲で、アコースティックな香りの漂う小品である。

 その後、"Slave to money"、"Kings's prayer"、"I am the sun(part2)"とつながって行くのだが、いずれも叙情的かつ力強い曲である。アメリカのプログレ・グループのように、メタリックになったり、無機質的な音に浸るのではなく、あくまでも温かい音のフレーズに満ちているところがこのグループの特色ではないだろうか。

 ディスク2はあくまでもボーナス・トラックなので、それでも5曲も付いているのだが、作品としての価値よりも付録としての価値を素直に喜ぶべきであろう。

 とにかくこのアルバムは現在まで3枚しかもっていないフラワー・キングスの中で、個人的に一番好きなアルバムである。3枚の中で一番よく聴いたせいもあるかもしれないが、やはり一番音がクリアで聴きやすいという点がよかったのかもしれない。

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2008年2月15日 (金)

フラワー・キングス

 最近は北欧のプログレッシヴ・ロック・バンドの紹介続きであるが、今回も北欧のバンドでは人気・実力ともに他の追随を許さない迫力のプログレ・バンドを紹介したい。

 その名をフラワー・キングスという。何となく殿様キングスやフラワー・トラベリン・バンドなどを想起させるかもしれないが、全然別種類なので安心してほしい。

 そのフラワー・キングスの結成は1995年で、現在までにライヴ盤2枚を含む11枚のアルバムを発表している。
 バンドの事実上のリーダーは、ギタリストのロイネ・ストルトという人で、1956年9月5日、スウェーデンのウプサラというところで生まれている。

 60年代の終わりにはローカル・バンドのベーシストとして活躍し、のちにギタリストへと転向した。74年に、若干17歳でカイパというグループのギタリストとして活動を開始してから一躍脚光を浴び、80年代ではファンタジアというグループを結成している。
 85年に自分自身のレコード・レーベルFoxtrot Recordsを設立し、自分のアルバムだけでなく他のミュージシャンのレコーディングにも関わっている。そして90年代からはフラワー・キングスとしての活動になるわけである。

 自分がフラワー・キングスと出合ったのは、95年の終わり頃だったように思う。とある地下のCDショップで彼らの3枚目のアルバム「スターダスト・ウィ・アー」を見つけた。2枚組で3990円という値段の高さに最初は躊躇したものの、シンフォニック・ロックという文字が見えたので、エイヤーと思い切って購入してみたのである。

Stardust We Are Music Stardust We Are

アーティスト:The Flower Kings
販売元:SPV
発売日:2000/10/17
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 最初は彼らのよさがよく分からなかったし、いまだによく分からない部分がある。何しろ2枚組で20曲、1曲目から10分38秒もあるから聴きこむにも時間がかかる。さらに1曲25分2秒という曲もあった。
 だからさすがに緊張感を保って聴き込むのが難しかった。さらにプログレ特有の曲展開がやや複雑な曲もあり、1曲の中にメロディが美しい部分もあれば、グニャグニャと不思議に広がって行く部分もあったりして、全体像を把握するのも困難だった。

 さすがスウェーデンのイエスといわれただけのことはある。いや曲数などのヴォリュームではイエスを圧倒しているといってもいいだろう。
 今回このブログを書くにあたって、このアルバムをもう一度よく聴き直してみた。そして分かったことは、要するに初期フラワー・キングスの集大成もしくは総決算的なアルバムだということである。

 このアルバムが彼らにとっての初めての2枚組アルバムなのだが、ここからフラワー・キングスといえば2枚組アルバムといわれるほどシリーズ化?してくるのである。

 ディスク1で印象に残るのは、4曲目"Church of your heart"、6曲目"The man who walked with kings"、7曲目"Circus Brimstone"、9曲目"Compassion"だろうか。
 "Church of your heart"は90125イエスのような感触を持つ曲で、メロディがハッキリしており佳曲である。"The man who walked with kings"はアコースティックな感覚が残る曲で、"Circus Brimstone"は12分を超える長尺な曲、"Compassion"はロイネのギターをフィーチャーしたインストゥルメンタルである。

 一方、ディスク2ではメロディの展開がハッキリして聞きやすい曲が多いと思う。3曲目の"The Merrygoround"などはその際たるものだし、次の曲"Don of the Universe"はゲスト・ミュージシャンのサックスやシタールがフィーチャーされたインストゥルメンタルである。

 6曲目の"Different people"はサビのところが覚えやすく、つい口ずさんでしまうメロディを持った曲で、次の"Kingdom of Lies"もポップな印象を与える曲である。
 9曲目の"Ghost of the red cloud"はレゲエのリズムに乗って華麗なギターや美しいメロディが流れる曲。こういうふうにこのアルバムは、非常にバラエティに富んでいるのが特徴である。

 そして最後の曲アルバムタイトル"Stardust we are"が始まるのである。25分2秒のこの曲はこのアルバムのハイライトでもある。
 まさにイエスの「危機」をもっと明るくカラフルにしたような印象を持つこの曲は、静かなインストから徐々に盛り上がっていくように構成されている。さらに曲展開もめまぐるしくまさに70年代プログレッシヴ・ロックの典型のような曲である。

 今になってみて初めてフラワー・キングスの凄さが分かったような気がする。アルバム構成上も7分、8分台の曲の間に1分26秒や57秒、45秒の短い曲が挿入されており、飽きないように工夫されている。(ただ自分の場合は曲間があまりに短いので、結局長い曲の導入部のように聞こえたのだった)

 またボーカルの声が若い頃のジョン・ウェットンに似ていて、ジョンのバック・バンドがイエスになったような感じだった。
 とにかく何度聞いても飽きない、そのつど構図が変わる万華鏡のようなアルバムなのである。

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2008年2月14日 (木)

ヴァレンタイン

 2月14日は聖バレンタイン・デーであり、世の中の風習として女性が男性にチョコレートを贈るというものである。
 これは間違いなくアメリカのチョコレート会社の政界的戦略の一環として行われていると思うのだが、この風習によって誰かが迷惑をこうむったということも聞かないので、すっかり世間に定着してしまった。

 自分にとっては全く関係のない出来事なので、どうでもいいことなのだが、やはりうら若き男女にとっては気になることなのかもしれない。

 今回はバレンタイン・デーにちなんで、オランダ出身のアーティスト、ロビー・ヴァレンタインに再登場を願うことにした。
 彼についてはプログレッシヴ・ロックのオランダ編で、出身グループのZINATRAとともに一度紹介しているのだが、そのときはソロ活動をしていたということで、今回はグループとしてのヴァレンタインということで勘弁してもらいたい。

 1968年生まれのロビー・ヴァレンタインは本名をロバート・マルコ・ケンペという。彼とロックの出会いは、彼が6歳のときに聞いたクィーンの"ボヘミアン・ラプソディ"だった。
 それ以来は彼は、フレディ・マーキュリーを師と仰ぎ、ピアノやギターでクィーンの曲をコピーする日々が続いた。

 彼の両親はお金持ちだったのだろう。子どもにピアノやギターを習わせていたのだから、経済的に余裕がないとできないことである。そして22歳でデヴューする前に、両親の援助で自分の録音スタジオを準備されたというから、やはりこれは誰がなんと言ってもリッチだったとしかいいようがない。

 ZINATRAについては、プログレッシヴ・ロックのオランダ編で紹介したので割愛するとして、グループ解散後、1991年にソロアルバムを発表したロビーは、ツアーに出る傍ら2ndアルバム制作を開始し、そしてそれは93年に「マジック・インフィニティ」というタイトルで発表された。
 そしてこのアルバムを最後に、彼はグループをヴァレンタインと名乗り、ソロではなく本格的にバンドとして活動を始めたのである。Photo

 基本的に彼の音楽的なルーツはビートルズであり、クィーンである。だから彼のアルバムの楽曲では、良い意味でのポップさとロック・ミュージックが絶妙のバランスで成立している。
 ただいくらバックグラウンドがそうであっても、こんなに良い曲が書けるというのは、やはり並大抵の才能がないと無理だと思う。

 それにまた彼自身はクィーンやフレディのコピーといわれても、却ってそれを栄誉だと感じているふしがある。むしろ逆に開き直ってやっているところに彼の凄さを感じるのだ。

 純粋に楽曲だけを取り上げても、ハッキリとしたメロディ・ラインや伸びのあるボーカル、転調の多い曲展開などはやはり素晴らしいものがある。
 その曲想に亡きフレディの姿をダブらせた世界中のファンは、彼のアルバムを期待しているともいえる。

 この2ndアルバムでもシングルになった"Mega-man"や"Don't make me wait forever"などは秀逸だと思う。予想された曲展開とはいえ、何度聞いても感心させられることは間違いないだろう。

 彼は現在までに、ミニ・アルバムを除いて8枚のアルバムを発表しているが、最近はあまり彼の音沙汰を聞かないようだ。まだ若いのでこれからもアルバムは発表するだろうけれど、彼の音楽を聴くと、まさに「芸術は模倣より生まれる」という言葉を思い出してしまうのである。

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2008年2月12日 (火)

アネクドテン

 アネクドテンというと、何となく白亜紀やジュラ紀の恐竜の名前のような印象を持ってしまうが、もちろんここで恐竜のことを論じるつもりは全くない。

 スウェーデンのプログレッシヴ・ロック・バンドだが、スウェーデンのキング・クリムゾンと言っていいほどのバリバリのクリムゾン影響下にあるバンドである。

 結成は1991年で、それ以前はギタリストでボーカルのニコラス、ベース担当のヤン・エリック、ドラムス、ビブラフォン担当のピーターの3人でクリムゾンのコピー・バンドを続けながら活動をしていたらしい。

 そのライヴを見ていた聴衆の一人にアンナという女性がいた。彼女も別のフォーク・グループやオーケストラなどで活動していたらしいのだが、自分も一緒に活動したいと申し出て、結局4人組になったそうである。ちなみに彼女の担当はメロトロン、ピアノ、キーボード、チェロである。

 91年にアネクドテンとして活動を始めた彼らは、93年に1stアルバムを発表した。邦題は「暗鬱」というものであったが、そのタイトル通りの印象を持ったジャケットだった。

Photo_2
 自分は輸入盤で初めて彼らを知った。ジャケットを見れば分かると思うのだが、何となくブラック・サバスの1stアルバムに似ているという印象があった。だからきっとおどろおどろしいホラー映画か何かのサウンドトラックに近い音ではないかとあたりをつけた。

 だから一瞬購入するのを躊躇したのだが、裏ジャケを見ると曲の時間の長さが書かれていて、7曲中4曲が7分台、また6分58秒の曲もあったので、これはひょっとしてイケるのではないかと何かが自分の中でひらめいたのである。曲の長さでプログレかどうかを決めるのは昔も今も得意なのだ。
 また当時はちょっと貯金を下ろしていて、持ち金も結構あったので、だめもとで買ってしまった。

 ところがこれが意外や意外、当時は彼らの名前も知らなかったのだが、本当にクリムゾンのようでビックリしたのを覚えている。何しろ1曲目からメロトロンが鳴り響き、正確なリズム陣とフリップのような無機質で轟音ギターが駆け回るのである。

 資料も何もない状態だったから、どこのバンドか分からなかったが、曲のクレジットから英米ではない、ドイツかそのあたりのバンドだろうと考えていた。しかしスウェーデンとは予想もしていなかった。

 1stでは歌詞は英語で歌われていることから、最初から英米や世界を意識して活動をしていたことが分かる。また日本にも今年1月の来日を含めて3回ライヴ活動に訪れており、また日本でのライヴを記録したCDも出していて、日本を大切なマーケットとしてとらえているようだ。

 しばらく彼らのことは聞かなかったのだが、偶然彼らの国内盤を見かけて購入してしまった。それが3枚目のアルバム「フロム・ウィズイン」である。1999年のことだった。

2_2
 彼らの2ndアルバムは当時の時代の音を反映してかオルタナティヴ系やヘヴィー・ロックのような音だったらしいが、この3rdアルバムでは原点回帰をしていて、「太陽と戦慄」当時のクリムゾンが今も存在していたなら、きっとこんな音を出すに違いないというアルバムに仕上がっている。

 2曲目の"Kiss of life"はライヴでも演奏される曲であるが、冒頭からメロトロンが炸裂し、日本人好みの叙情的なメロディと激しいバックの演奏が何ともいえない絶妙の音空間を生み出している。
 また4曲目の"Hole"は「レッド」の"Starless"のような印象を与えてくれる楽曲だと思う。静かに幕を開け徐々に高まりクライマックスを迎えるという展開はよく似ている。またギターのフレーズもどことなくそういうふうに感じられるのだ。このアルバムの中で一番の出来だと思う。

 8曲で構成されているのだが、最後の曲"For someone"だけはアコースティック・ギターとボーカルがフィーチャーされた3分少々の短い曲である。こういう曲も奏でることができるようになったというのは彼らの進歩かもしれない。

 昨年の5月には6枚目のフル・アルバム「ア・タイム・オブ・デイ」が発表された。本家のクリムゾンの新譜が発売されるといいながら未だに何の音沙汰もない中で、こういうクリムゾンの遺伝子を持ったバンドが活躍していることは喜ばしい限りである。

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2008年2月11日 (月)

ホワイト・ウィロー

 ホワイト・ウィローとは、通常西洋シロヤナギの木を指していう言葉らしい。この木のエキスにはステロイド剤と同様にアトピー性皮膚炎に効く成分を持ち、錠剤として薬局でも手に入るようである。

 しかしこのブログには薬は関係ない。単に同名のバンドのことを検索しようとしたら、そういう項目があっただけなのだ。

 ホワイト・ウィローはノルウェー出身のプログレッシヴ・バンドである。前身バンドが1993年に結成され、95年からこの名前を使用し始めたらしい。
 当初は5人メンバーだったが、デヴュー・アルバム「鬼火」を発表した頃には8人編成になっていた。ギター、キーボード、ベース、ドラムにフルート、ヴァイオリン、男女ボーカルである。

Photo_4 Music Ignis Fatuus

アーティスト:White Willow
販売元:Laser Edge
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 もともとサイケデリック・フォーク・バンドとして結成されたみたいで、1stアルバムもルネッサンスのアニー・ハズラムを若くしたような女性ボーカルがキング・クリムゾンをバックに歌うような感じだった。
 ただキング・クリムゾンといってもメロトロンとアコースティック・ギターを多用するロバート・フリップといった方が正確で分かりやすいかもしれない。タイトルからして何となくおどろおどろしい感じがするかもしれないけれど、実際はそんなことはない。

 ボーカル入りとインストゥルメンタルが半々くらいで、インストの方は、まさに中世トラッド・ミュージックやイギリスのフォーク・ミュージックの様である。だからエレクトリックよりもアコースティックな香りに満ちたアルバムであった。夜眠る前に聞くと速やかに睡眠状態に入れそうである。
 ちなみにこの1stは、ビルボード誌のプログレッシヴ・ロック・ガイド100選の中に選ばれたというから当時は画期的だったのかもしれない。

 このアルバムは当時マーキー・コーポレーションから発売されており、税込み2884円もした。アルバムの帯にあった『高水準のシンフォニック・ロック・グループ』、『ヴァイオリン、フルート、メロトロン等をうまく使用し独特の世界を形成している』というキャッチ・コピーにひかれて購入してしまった。
 そしてその後忘れていた。

 ところが久しぶりに今は無きリズム・レコード店頭で、このグループの4枚目のアルバムを見つけ、期待と不安が入り交じった気持ちで購入した。2004年のことである。
 タイトルは「ストーム・シーズン」といい、サリーという女性を中心にしたコンセプト・アルバムの形式になっている。

2_3 Music Storm Season

アーティスト:White Willow
販売元:Laser's Edge
発売日:2004/09/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 1stアルバムと比べると、リーダーでギタリストのヤコブ以外は全員メンバーが代わっていて、ギター、ベース、キーボードとドラムにフルート、女性ボーカルの6人編成である。

 またアコースティックな雰囲気は残しつつも、むしろエレクトリックでゴシック・メタルのようなところが強調されている感がある。ワールドワイドな人気を獲得しようとした戦略なのかもしれない。
 ただ1st以上にメロトロンが使用されていて、そこがメロトロン・ファンとしてはうれしいかぎりである。

 1stは全12曲で中には短い曲もあったが、このアルバムは全7曲+ボーナス・トラック1曲という引き締まったものになっており、9分台の曲が2曲、7分台が1曲、6分台が2曲と比較的長い曲が多いのもプログレ・ファンのツボを押さえてくれている。

 1st同様に、キング・クリムゾンの影響が濃いグループである。特にエレクトリック・ギターの奏でる旋律はロバート・フリップに近いものがあると思う。このアルバムのハイライトである6曲目"Storm season"や7曲目"Nightside of Eden"では特にその傾向が強い。

 曲構成もエレクトリックが途中で切れ、アコーステック・ギターとフルートが忍び寄り、メロトロンが絡み合うところは本家並の聞かせどころでもある。唯一の目立つ違いは女性のボーカルだろうか。

 ただ3分36秒の"Endless science"はポップである。こういう曲もできるのかとビックリしたことを思い出した。

 ノルウェーのキング・クリムゾンといってしまえばそれまでかもしれないが、それだけでなく北欧の様式美や旋律を兼ね備えている点は独自性が表れており、評価に値すると思う。もっとメジャーになってメロトロン全開のアルバムを作ってほしいものである。

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2008年2月10日 (日)

ウィッシング・トゥリー

 イギリスのプログレッシヴ・ロック・バンドにマリリオンというグループがある。1982年のデヴューなので、もう20年以上も活動していることになる。 

 デヴュー当初は、ボーカリストのフィッシュがピーター・ガブリエルのような歌い方やステージ・パフォーマンスをしていたことから、第二のジェネシスなどと呼ばれていたが、1989年にフィッシュからスティーヴ・ホガースに交代したことから、独自のプログレ路線を歩むようになった。

 もとは東芝EMIからアルバムが発売されていたが、契約を失ってからは自分たちのレーベルを立ち上げ、インターネットを通じて地道に活動を続けていた。2000年になって再びEMIと契約が成立し、昨年も「Somewhere else」というアルバムを発表している。

 そういう世間の荒波にもまれ、苦労を重ねてきたバンドであるが、その中の中心人物であるギタリストのスティ-ヴ・ロザリーが96年に結成したユニット名がザ・ウィッシング・トゥリーである。

 メンバーはスティーヴと女性ボーカリストのハンナ・ストバートの2人で、脇を固めるのが同じくマリリオンのベーシスト、ピート・トレワヴァスとドラマーでキーボードも担当しているアメリカ人のポール・クラディックである。

 このハンナという女性とは、94年ごろにイギリスのブリストルという町でコンサートを行ったときにバックステージで紹介されたという。名前から察するに北欧出身のようであるが、詳細は不明である。写真で見る限りは、金髪・碧眼という典型的な北欧美人タイプであり、男性ファンの♡をとらえて離さない魅力も兼ね備えているようだ。

 その頃の彼女はフランス語とイタリア語を学ぶ大学生だったようであるが、本人の希望とスティーヴのひらめきもあって、素人の彼女をボーカリストにしたのである。

 そして発表されたのが「カーニヴァル・オブ・ソウルズ」という非常に幻想的で耽美的なアルバムだった。Photo
 このアルバムで聞かれるハンナの歌声は、とても素人とは思えないほどの可憐で美しい。それに上手である。例えていうならば、フリートウッド・マックのスティーヴィー・ニックスから毒気とハスキー・ボイスを取り除き、逆に女性らしさや健康的な妖艶さを降りかけたような感じである。

このアルバムの帯には『20世紀最後の妖精、ハンナ・ストバートがあなたを美と官能の世界へと誘う』とあるが、これは決して誇大広告でも何でもなく、このアルバムを聴く限りは、まさにそのとおりだと思う。

 1曲目の"Evergreen"と3曲目の"Nightwater"、6曲目の"Night of the hunter"、9曲目の"Empire of lies"では、デヴィッド・ギルモアばりの艶のあるエレキ・ギターが目立つのだが、それ以外の曲はアコースティック中心であり、エレクトリック・ギターはほとんど目立たない。むしろアコースティック・ギターをフィーチャーしたトラディショナル・フォーク・ミュージックのような感じである。

 アコギ1本でも、いやだからこそハンナのボーカルのよさが際立ってくる。2曲目の"Starfish"や7曲目の"Fire-bright"などは聞いているだけで夢心地になってきそうだ。まさに桃源郷のような味わいを持ったアルバムなのである。

 ただ残念なのは、何があったのかは分からないが、このアルバム1枚だけでこのユニットは終わってしまったようである。ハンナの学業の妨げになったのか、それとも商業的に失敗したからなのか、理由は様々だろうが、どういう理由があってもこの1枚限りでは何とも残念でならない。

 ひょっとしたら、それこそルネッサンスやケイト・ブッシュのような存在になれたかもしれないのに・・・
 とにかく本業の傍らにとりあえずやってみましたという軽いものではないのである。おそらくほとんどの人は知らないと思うが、これだけで終わらせるには非常にもったいなかったユニットだったと思う。

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2008年2月 8日 (金)

Shai

 冬はソウル・ミュージックを聞きながら暖をとるというような生活に憧れる。しかし、だからといってブラック・ミュージックに特に造詣が深いわけでもないし、ピーター・バラカン氏のように、ブラック・ミュージックが大好きというわけでもない。

 いつ頃からかそういう傾向になったかよく分からないが、中学生の頃からラジオでロバータ・フラックやスティーヴィー・ワンダーを聴いていたから、昔からそういう傾向があったのだろう。
 またダイアナ・ロスやマーヴィン・ゲイに触れたのもこの頃であった。

 70年代の半ば頃は、ディスコ・ミュージックではなく、スタイリックスやシルク・ディグリーズ、グラディス・ナイト&ザ・ピップスなどのわりと軽めのポップス系ソウル・ミュージックを聴いていたから、知らず知らずのうちにそういう音楽を好むようになったのだろう。
 それで大きくなって90年代になっても、時々思い出したようにその手の音楽を聴いていた。

 そんな中、ShaiというR&Bのボーカル・グループがいた。いまから15年以上も前のことである。100ドルで作ったデモ・テープがきっかけで彼らは成功の階段を上っていった。
 その曲がシングル"If I ever fall in love"である。この曲が含まれていた1stアルバムは、発売日に50万枚以上売り上げ、一日でゴールド・ディスクを記録した。

...If I Ever Fall in Love Music ...If I Ever Fall in Love

アーティスト:Shai
販売元:MCA
発売日:1992/12/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 彼らは4人組のボーカル・グループで、当時人気絶頂だったボーイズⅡメンのように、アカペラを得意としていた。

 この1stアルバムでも、彼らの得意なボーカル・ハーモニーを堪能することができる。シングル・ヒットしたアルバム・タイトル曲だけでなく、コーラスが美しい"Together forever"、ポップな作品"Baby I'm yours"、これこそブラック・コンテンポラリーといわれそうな"Changes"など、結構いい曲が収められている。

 当時は、このCDを車の中や部屋の中でよく聴いていた。季節的に1,2月頃だったので、何となく心の中まで暖かくなってきたように思えた。
 学生時代とは違って、さすがに暖房器具は備えていたので、冒頭にあるように、このアルバムを聞きながら、ゆったりとくつろいだ時間を過ごすこともあったのである。

 それにしても黒人のシルクのようなボーカル・ハーモニーは本当にいつ聴いても素晴らしいと思う。
 このshaiというグループも、新人なのだが、作詞・作曲もできたし、自分達でプロデュースもしている。声質自体も申し分ないし、充分可能性を秘めたグループだったと思う。

 でも結局、数枚のアルバムを出して彼らは解散した(と思う)。インターネットで調べてもその後の活動や動向はよくわからない。
 あれだけ才能があっても結局数枚のヒットを出しただけで終わった。ある意味アメリカン・ドリームを体現したグループといってもいいかもしれないが、体現してすぐに消えてしまった。

 そういう意味では、アメリカのショー・ビジネスというのは非情なのかもしれない。弱肉強食、適者生存の法則が貫かれているのであろう。
 しかしグループは消えても、彼らが残したヒット・シングルは記憶の中からは消えないのである。

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2008年2月 7日 (木)

ブロンディ

 以前にも書いたが、大学時代に一時パンクやニュー・ウェーヴを聴いていた頃があった。ポリスやストラングラーズ、パティ・スミス、ケイト・ブッシュまでもひっくるめて聴いていた。

 その頃流行っていたのが、アメリカのバンド、ブロンディだった。リード・ボーカルのデボラ・ハリーはマリリン・モンローの再来とまでいわれ、音楽よりもイメージ先行の趣の方が強かった。

 もともとブロンディというグループ自体70年代半ばに起きたニューヨークのパンク・ムーヴメントの中から出てきたのである。
 デボラ・ハリーはマイアミ生まれのニュー・ジャージー育ちで、ハイスクール時代からバンド活動を行っていた。その後、ニューヨークでモデルや美容師の仕事を経験しながら並行してバンド活動を行い、アメリカ・パンク発祥の地として有名なCBGBを拠点として活動をしていた。

 彼女はのちに別れることになるのだが、当時は恋人であったクリス・スタインと出会いブロンディを結成し、76年にデヴューを果したのだが、最初はパンクのイメージで売っていたせいか、なかなか売れなかった。

 ニューヨーク・パンクの女王といえば、やはりパティ・スミスの方が人気・知名度ともに上で、どうしてもブロンディは二番煎じのような感があった。
 自分もラジオや雑誌などで、その存在は知っていても積極的に聴こうとは思わなかった。

 それが一転して聞きたくなったのは、シングル"ハート・オブ・グラス"のヒットであり、そのシングルを含むアルバム「恋の平行線」を知ったからであった。

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 78年に発表された彼らの3枚目のアルバムは彼らの代表作というだけでなく、その後に続く彼らの黄金時代を築くきっかけにもなったアルバムであった。

 このアルバムからのシングル"ハート・オブ・グラス"は米英ともに1位になり、アルバムもアメリカでは6位、イギリスでは見事1位に輝いている。
 このシングル以外にも、イギリスでは"ピクチャー・ディス"が12位、"ハンギング・オン・ザ・テレフォン"は5位、"サンデー・ガール"は"ハート・オブ・グラス"に引き続き1位を記録している。
 またアメリカでも"どうせ恋だから"が24位と中ヒットを記録しており、このアルバムはある意味では隠れた傑作、彼らの代表作のひとつといってもいいくらいの中身の濃いアルバムだと思っている。

 この後、1年おきに「恋のハートビート」、「オートアメリカン」とアルバムが大ヒットを記録し、この頃のブロンディはまさに飛ぶ鳥を落とすほどの勢いだった。

 デボラ・ハリーは1945年7月生まれといわれており、デヴュー当時すでに30歳を超えていた。
 だからどうした、ロックに年齢が関係あるのかと言われそうだが、別に深い意味はない。ただ妖艶なイメージがあったために、当時はもう少し若いかなと思ったのだ。だから今彼女は60歳を超えているが、まだまだ元気である。
 彼らは1998年に再結成し、ロックの殿堂入りを果したが、それだけで終われないとばかりに2006年にもコンサートを行っている。

 ちなみにバンド・メンバーでギタリストのクリスとデボラは恋人同士と書いたが、クリスが白血病にかかってリタイア状態になったときは、デボラ・ハリーがバンド活動を中止してまで彼の看病にあたったといわれている。

 クリスはその看病のおかげか?病気から完全に快復している。しかしのちにふたりは別れて、クリスは1999年に女優のバーバラ・シクランザという人と結婚し、アキーラとヴァレンティナという2人の娘をもうけている。

 だからこのアルバムのタイトル「恋の平行線」のように、2人の関係は平行線をたどったのである。
 この辺が日本人のメンタリティと違うところで、日本人は別れたらおしまいだが、外国人特にアメリカ人は、感情と仕事とは別ものとばかりに、別れても仕事は一緒という関係は普通のようである。

 とにかくこのアルバム「恋の平行線」は、彼らがビッグになる前のエネルギーを充填した画期的なアルバムだと思っている。だからかもしれないが、いま聴いても全然古臭さを感じさせないような音が鳴っているのである。

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2008年2月 6日 (水)

サム・クック

 自分の家のアルバム棚にはサム・クックのアルバムが2枚ある。1枚はベスト・アルバム「ベスト・オブ・サム・クック」でRCAレコードから出されたもの。
 もう一枚は、輸入盤で「ライヴ・アット・ザ・ハーレム・スクウェア・クラブ、1963」というタイトルのライヴ・アルバムである。

 ベスト盤は、よくあるような普通のベスト盤である。うりはガーシュインが作曲したジャズの名曲"Summer time"の別ヴァージョンが収録されていることであろうか。全13曲というコンパクトな内容になっている。

サム・クック/ ベスト・オブ・サム・クック サム・クック/ ベスト・オブ・サム・クック
販売元:イーベストCD・DVD館
イーベストCD・DVD館で詳細を確認する

 ライヴ・アルバムの方は、これはもう歴史的な名盤といっていいほどの素晴らしい内容である。

One Night Stand: Sam Cooke Live at the Harlem Square Club, 1963 Music One Night Stand: Sam Cooke Live at the Harlem Square Club, 1963

アーティスト:Sam Cooke
販売元:RCA/Legacy
発売日:2005/09/20
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 これは1985年になって初めて公に発売されたアルバムであるが、63年当時の熱気と人気が聴く側に十分以上に伝わってくるのである。

 このアルバムで聞かれる"Cupid"は名曲である。ベスト盤に収められているスタジオ録音のものと聞き比べてみればよく分かるのだが、スタジオ録音の方は淡々と歌っているのに対して、ライヴ盤では、やはり聴衆を意識してか、感情を込めて歌っている。当たり前のことしか思いつかないのだが、とてもソウルフルな熱唱を聞かせてくれている。

 また聴衆とのやり取りがリアルに伝わってくる。次の曲は"It's alright/For sentimental reasons"と2曲続くメロディ形式の曲なのだが、歌の合間に聴衆に早口に話しかけるようなトークがライヴ感をいっそう高めている。
 こういうやり取りを聞いていると、後年ラップ・ミュージックが生まれ、黒人の間に流行し、広がっていったということがよく理解できる。

 これはたぶん教会で歌われるゴスペル・ミュージックの“コール&レスポンス”からきていると思うのだが、黒人霊歌といわれるゴスペルの影響は意外と大きいと思うのである。
 サムは牧師の家庭に生まれていて、幼い頃からゴスペルを聞き、自身も聖歌隊で歌っていたので、こういうやり取りは、肌身に染み付いていたのであろう。このアルバムでも実に余裕たっぷりに聴衆とのやり取りを楽しんでいるようである。

 このアルバムを聞いていると、ロッド・ステュワートを思い出した。いかにロッドがサム・クックの影響を強く受けているかがよく分かるのである。
 ロッドのようにハスキーな声ではないが、リズム感や聴衆とのやり取りなど非常によく似ている。似ているというよりもそっくりである。

 このアルバムでもロッドが歌った曲"Twistin' the night away"、"Bring it on home to me"が収録されているが、ロッドそっくりである。正確にいうと、ロッドのほうが彼を真似しているのだが、ロッドを先に聴いて、あとからサム・クックを知ったので、ロッドの真似をしていると思った。
 歌の途中で笑い声を入れたりするサム・クックの癖まで真似しているくらいなのだから、やはりサムの影響力は大きいとあらためて感じ入ったしだいである。

 このライヴは1963年1月12日土曜日に行われたものであり、場所はニュー・ヨークのアフリカ系アメリカ人が当時よく集まっていたクラブである。キャパは2000人程度といわれている。
 このときサムは32歳、まさにボーカリストとしてピークを迎えていた時期でもある。

 サム・クックを語るときに、避けて通れないのがその時代背景である。いまだに人種差別の残るアメリカで1930年代から60年代は公民権運動の高まりとともに、差別や偏見と闘うブラック・パワーが目立った時代だった。

 黒人歌手は、白人歌手よりも差別され搾取されて当たり前のときである。そういうときに白人並の、いやそれ以上の人気と実力を兼ね備えた彼の存在は、ある意味、黒人社会における希望の星ともいえた。

 今では当たり前のことだが、黒人の彼が自分で音楽会社を設立し、自分の著作権を自分で管理するようにしたということは、当時としては画期的であり、大げさに言うと驚天動地のようなことだったと推測される。

 そういう意味では単なる歌の上手なソウル・シンガーという面だけではなく、非常に先見の明があるエリート・ビジネスマンという面も兼ね備えていたと思う。
 そしてボクサーのマホメド・アリや社会運動家のマルコムXたちと交流を持ち、黒人運動にも貢献している。64年には"A change is gonna come"を発表し、黒人の側からのメッセージ・ソングを歌い、大きな影響を与えた。のちにこの曲は、オーディス・レディングやアレサ・フランクリンなどにカヴァーされている。

 また彼は歌も上手で、さらにハンサムでもあった。だから結構女性には、人種を問わずもてたらしい。
 しかし彼の最後は呆気ないものだった。モーテルの管理人から銃殺されたのである。警察の発表によると、モーテルから逃げ出した女性を追いかけて管理人室に入ったところを泥棒か何かと間違えられて射殺されたというのである。
 一説によると売春婦からだまされてお金と服を取り上げられ、裸で追いかけていて射殺されたともいわれている。いずれにしても黒人だからという理由で、たいした調べも行わずに簡単に捜査が終了したらしい。

 もし彼がいまも生きていたらと思うと残念でならない。はたして今のアメリカ社会が彼の満足するものかどうかはわからないが、少なくとも黒人が大統領選挙に立候補できるようになったということについては、少しは前進したと評価するのではないだろうか。

 そしてロッド・ステュワートやプリンスなど、白人や黒人を問わず彼のフォロワーたちを見て、彼らと共演することを望んだに違いないと思うのである。

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2008年2月 5日 (火)

ザ・ラスト・グッドナイト

 昨年末にデヴューしたアメリカのロック・バンドに、ザ・ラスト・グッドナイトという名前を持つバンドがある。彼らの1stアルバム「ポイズン・キス」は、まあそれなりのよいできのアルバムではある。

ポイズン・キス Music ポイズン・キス

アーティスト:ザ・ラスト・グッドナイト
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007/12/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 いつものようにスペシャル・プライス\1980という文字にひかれて購入した。もしこれが2500円以上だったら、たぶん買っていなかっただろう。相変わらず貧乏な生活を送っているのだ。

 “まあそれなりのよいできのアルバム”という何とも中途半端な表現で表したのは、もちろん理由があって、確かに売れそうなメロディラインをもつ曲が多いのだが、オリジナリティが充分に発揮できていないという弱点があるからである。

 はっきり言ってこのバンドは、マルーン5の二番煎じといわれても仕方ないと思う。ややハスキーなボーカルの声質とバックの手堅い演奏、ツボを押さえた楽曲の展開は、どう見てもマルーン5の新譜といわれても違和感はないと思う。その点が非常に残念である。

 逆にいえば、マルーン5の成功があったからこそ、各アルバム会社も同様に売れそうな新人を発掘しているのだと思う。だからこういう新人が現れたのではないかと考えるのである。

 彼らはコネチカット州出身の6人組である。カーティス・ジョンという人がボーカル、ピアノ、ギターを担当し、メインのソングライターでもある。ただ写真で見る限りは髪型が特徴的で、つまりモヒカン頭なのである。

 また6人組なのだが、アルバムの裏や歌詞カードが記載されたブックレットの写真には5人しか写っていない。これもよくわからない。ドラムス担当のラローン・マクミランという黒人プレイヤーが写っていないのだが、何か理由があったのだろうか。

 カーティス・ジョンの父親はスティービー・ワンダーのように盲目で、なおかつジャズやブルーズをピアノで演奏していたらしい。その影響でカーティスも5歳でドラム、8歳でギターをプレイするようになった。もちろんピアノもである。
 面白いことに彼のフェイヴァリット・ミュージシャンは、デューク・エリントン、プリンス、ブルース・スプリングスティーン、それにスーパートランプだそうである。プリンスやスプリングスティーンは理解できても、スーパートランプが好きというのは珍しい。なかなかいいセンスをしている。

 基本的にはピアノで作曲しているようであるが、ギタリストが彼を含めて3人、キーボーディストも彼を含めて2人いるため、表現方法が幅広く、豊かな音楽性を秘めている。

 確かにマルーン5の二番煎じとはいえ、楽曲自体はよく練られており、アルバムも確かに売れる作品に仕上がっている。
 1stシングルは"Pictures of you"であり、これはTV番組「元祖でぶや」のエンディング・テーマになっている。また"Stay beautiful"が2ndシングルとして決定している。いずれも涙腺が緩むような、あるいは映画のサウンドトラックにふさわしいようなメロディを持った曲である。
 だから1980円で購入したので、充分満足している。車のなかで聴きながら、ちょっと出かけるには充分満足できると思う。

 2年目のジンクスではないが、彼らの勝負は次作である。次のアルバムでもっと個性が発揮できれば、世界的にもっと売れると思う。そういう意味でも2ndアルバムが楽しみである。
 

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2008年2月 4日 (月)

ドリーム・アカデミー

 さてドリーム・アカデミーという名前のグループを知っている人は一体何人いるのだろうか。ドリーム・シアターではない、アカデミーの方である。

 このグループは1985年頃に少しだけ有名になったグループである。その年にシングル"Life in a northern town"がヒットした。ただそれだけのグループである。

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Music The Dream Academy

アーティスト:The Dream Academy
販売元:Wounded Bird
発売日:2007/09/18
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 ただそれ以外にプロデュースをピンク・フロイドのギタリスト、デヴィッド・ギルモアが担当しているということで話題にはなったことがある。

 アメリカでも、イギリスでもそこそこヒットしたのだが、どうしても“一発屋”という印象はぬぐえない。でも活動期間は85年から1990年までの5年間に渡っており、アルバムも3枚出している。だからそれなりに活動は展開していたのだ。

 写真で見るように、3人組でリーダーは、ニック・レアード=クルーズという白人男性である。彼がデヴィッド・ギルモアと親しくしていた関係で、彼がプロデュースを担当したようだ。
 またニック自身もピンク・フロイドの1994年のアルバム「対」にthanks to として記載されている。

 もう一人の黒人男性ギルバート・ゲイブリエルはキーボード担当で、紅一点のケイト・セント・ジョンはオーボエやサックス、アコーディオンを担当していた。

 このケイトという女性は、後にソロ・アルバムを発表したが、彼女の存在があったからこそ、このグループはヒットしたのではないかと密かに思っている。

 MTV全盛の80年代半ばにあって、このグループの名前のように、非常にクラシカルでなおかつ聴きやすいポップな展開ができたのは彼女の演奏するオーボエやアコーディオン、サックスが重要な要素になったと思うからだ。

 リーダーのニックはこう述べている。“僕たちはベースやドラムに頼らない、タイトで生な音楽をやってみたかったんだ。ドリーム・アカデミーを結成したときハープやヴァイオリン、チェロ、フルート、ちょっと変わった楽器を加えて、少しクラシック的な土台を持つグループに変身を図ろうとしたんだ”

 だから産業ロック全盛の80年代において、彼らの存在はユニークであり、逆に目立っていたと思う。
 それでシングルがそれなりにメロディアスであったために、売れたのだと考えている。全英では10位、アメリカでも10位前後にはランクされたと記憶する。

 シンプルでなおかつクラシカル、ポップな要素を持つ彼らのデヴュー・アルバムはお勧めである。ちょうど今どきの雪が積もりそうな季節に聴くのが一番である。空気の寒さも逆にこちらの精神を凛とさせてくれるような、そんな気持ちにさせてくれるアルバムなのだ。

 シングル・ヒットした曲以外にも"New light"、"New world"はお勧めである。"New light"はアップテンポの曲ではあるが、メロディラインがハッキリしているため、印象に残りやすい曲である。また"New world"はケイト・セント・ジョンの演奏するオーボエが美しい響きを奏でている。

 ただ全体的には似たような傾向の曲が並んでいるため、単調になりやすい面もある。さらに当時の音楽シーンの特徴ではあるが、薄っぺらいシンセサイザーやシンセ・ドラムの音が耳につくきらいはある。まあこれは、当時の流行のようなものだったので仕方ないことだと思う。

 とにかく"Life in a northern song"のプロモーション・ビデオを見れば分かるように、このアルバムもまた冬景色が似合うアルバムなのである。

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2008年2月 3日 (日)

バック・トゥ・ジ・エッグ

 自分の中にはポールとウィングスのアルバムは、季節によっての代表作というものがある。 春はゆったりとした「ロンドン・タウン」であり、夏は名作「バンド・オン・ザ・ラン」で暑さをしのぎ、秋は「ヴィーナス・アンド・マース」で哀愁感を味わい、冬は「バック・トゥ・ジ・エッグ」を聴きながら暖かく過ごすのである。

1979年に発表されたウィングスとしては7枚目のアルバム「バック・トゥ・ジ・エッグ」は、彼らのアルバムとしては、最も過小評価されている名盤ではないかと思っている。

 Photo_3 【CD】Paul Mccartney & Wings / Back To The Egg
販売元:HMV Yahoo!店
HMV Yahoo!店で詳細を確認する

 宇宙船から地球を見つめるポール・マッカートニーとウィングスのメンバーは、このアルバムにかける気持ちとして、“原点回帰”を目標に制作したと語っている。「バック・トゥ・ジ・エッグ」にはそういう意味もあるようだ。

 このアルバムは「ヴィーナス・アンド・マーズ」のように、1枚のトータル・アルバムとして作られていて、最初のラジオのチューニングの音からもわかるように、ラジオ番組の形式に沿って、音楽が用意されている。そしてその番組はライヴ形式なのである。

 とりあえずチューニングして、シングル・カットされた"Getting closer "を聴いたあとは、番組のテーマである"We're open tonight"が流される。そのあとはコンサートのように、立て続けに曲が流されるのだが、後半に"The broadcast"で放送局としてコンサートのラストを演出し、"So glad to see you here"で盛り上げて"Baby's request"で締め括るのである。

 そしてこのアルバムの一番の目玉は、ロッケストラ(Rockestra)である。RockとOrchestraを組み合わせた造語であるが、オーケストラのようにロック・ミュージシャンが集まって演奏しているのである。
 集まった主なミュージシャンは次の通り。
ギタリスト…デニー・レイン、ローレンス・ジューバ(この2人はウィングスのメンバー)、ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモア、ザ・フーのピート・タウンゼンド、シャドウズのハンク・マーヴィン
ベーシスト…ポール・マッカートニー、レッド・ゼッペリンのジョン・ポール・ジョーンズ、元フェイセズのロニー・レイン
ドラマー…スティーヴ・ホリー、レッド・ゼッペリンのジョン・ボーナム、ザ・フー(元フェイセズ)のケニー・ジョーンズ
キーボーディスト…リンダ・マッカートニー、プロコル・ハルムのゲイリー・ブルッカー、トニー・アシュトン
パーカッショニスト…ブランドXのモーリス・パート、レイ・クーパー

 凄腕のミュージシャンばかりである。そしてほぼこれと同じメンバーで79年の12月26日から29日にかけてロンドンのハマースミス・オデオンで行われた“カンボジア難民救済コンサート”の最終日で演奏をしている。これはその後アルバムにもなり、TVでも確かNHKだったと思うが、放送されたのを覚えている。

 このアルバムでは2曲で“ロッケストラ”のよる演奏が収められていて、2曲ともオーヴァーダビングなしの一発録音ということである。やはりみんな一流ミュージシャンだけあって、時間がない中での作業だったのだろう。(曲名は"Rockestra Theme"、"So glad to see you here"である)

 またそれ以外にも名曲は多い。当時のパンク・ニュー・ウェイヴの流行を反映してか、短くて切れのある曲も目立つ。たとえばシングル・カットされた"Getting closer"や"Spin it on"、アコースティックとエレクトリックのバランスがよい"To you"、先ほどの"So glad to see you here"などである。
 さらにデニー・レインが歌う"Again and again and again"やメロディが面白い"Old Siam, Sir"などもいい曲である。

 最初に冬によく聴くアルバムとしてこのアルバムの名前を挙げたが、その理由は"After the ball/Million miles"や"Winter rose/Love awake"などを寒い2月くらいによく聴いたからである。
 だいたいこのアルバムは、発表から半年くらいたってから聴いた思い出がある。なぜかは分からないが、この頃はジェスロ・タルをよく聴いていたので、こっちにはあまり関心がなかったかもしれない。

 そして実は知り合いの後輩のアルバム棚にこのアルバムがあったので、借りてきて初めて通して聴いた。それで傑作だと思ったのである。でもテープに録音してしまったので、自分で購入しようとは思わなかった。やっぱり我ながらセコイ性分である。

 それでアルバム後半の"After the ball/Million miles"は"Maybe I'm amazed"クラスの歴史に残る佳曲である。でもこの曲がいいという人はほとんどいない。いまだお目にかかったことはない。だから過小評価されているアルバムだと思うのだ。
 この曲と次の曲"Winter rose/Love awake"は、それぞれ2つの曲を1曲につなげたもので、ポールお得意の手法である。シングル"Band on the run"は3つのパートを1つにしたものだし、ビートルズ時代の「アビー・ロード」後半の組曲形式も彼の手によるものだ。

 とにかくこの後半の部分は、冬のこの時期に暖かい暖炉の前で(暖炉なんかないけれども)温かい飲み物でも飲みながらゆったり過ごすのに適している。当時の自分には暖房器具はなかったけれども(あったけれどほとんど使用しなかった)この部分を聞くと、心の中が暖かくなるように思えたのだ。

 だからこのアルバムは自分にとって冬のアルバムなのである。そして冬は必ず春となるのだが、ウィングスはこのアルバムを最後に(ライヴも前述のハマースミス・オデオンのコンサートが最後)、解散してしまった。このままのメンバーでさらにアルバムを作ってほしかったのであるが、それは永遠に不可能になってしまった。

 もう二度とウィングスは結成することはないけれども、自分にとってはこの時期になると、繰り返し心の中で再結成されるのである。

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2008年2月 2日 (土)

TOTO

 久しぶりにTOTOを聴いた。昔はよく聴いたものだった。多くの人は1stアルバム「宇宙の騎士」や4thの「聖なる剣」を聴いたり、勧めたりするのだろうが、へそ曲がりの自分は違う。
 2ndアルバム「ハイドラ」こそがTOTOのベスト・アルバムだ、と勝手に決め付けているのだった。

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アーティスト:Toto
販売元:Columbia
発売日:1990/10/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 1979年に発表されたアルバムだが、自分は80年になって購入したと思う。2月ぐらいの寒い時期によく聴いた思い出があるからだ。
 アルバム・ジャケットも全体的に青く映る写真であり、寒々とした印象があった。もちろん寒々としていたのは私の懐具合や心模様であったのは言うまでもないが、そうだからこそ余計自分には冷たい印象が残ったのかもしれない。

 サウンドの方もTOTOらしく、キレのあるカチッとまとまった迫力のあるもので、起承転結がハッキリしていて、聴いていて安心感というか、納得できる音で満ちていた。何というかまさにこういう音を待っていました、というファン心理を裏切らないものであった。

 そして自分にとって一番だったのは、このアルバムこそが、いわゆるプログレッシヴ・ロックに近いものと思っていたからだった。
 実際、ライヴ盤やベスト盤を除いて、今まで11枚の公式アルバムが発表されているが、その中でジャケットや曲数、曲名などトータルで判断すると、やはりこの2ndアルバムが一番プログレッシヴの範疇に近いのである。

 全部で9曲しかないし、1曲あたりの平均は約5分前後になる。1曲目の"Hydra"は7分31秒もある。しかもタイトルがギリシャ神話からの借用で、あの英雄ヘラクレスが退治した怪物の名前なのだ。これだけでも充分プログレ的展開である。

 また2曲目も"St.George & the dragon"というタイトルで、これも怪物に関係してくる。このSt.Georgeという人はキリスト教の聖人伝説の中に出てくる人で、竜を退治したことで有名なイギリス人である。最終的には殉教しているが、英語読みはジョージで、正式名はゲオルギウスというらしい。Photo

 この1曲目と2曲目とは特に関係はないのだが、強いていえば“怪物”つながりといえるかもしれない。
 またプログレ的展開といったが、それはここまでくらいで、あとは普通の楽曲が続いている。普通といってもそこはTOTOだから、普通以上の出来栄えである。

 79年の録音だが、今聴いても全然違和感がないほど録音レベルは素晴らしいものがある。スティーヴ・ルカサーのギターは攻撃的であると同時に艶があり、サスティーンもよく伸びている。特にハードにロックしている曲"All us boys"や"White sister"
での終盤の演奏は圧巻である。

 またデヴィッド・ペイチのエレクトリック・ピアノの音も軽やかで、スティーヴ・ポーカロのキーボードも華やかな色を添えている。ほとんどの曲をデヴィッド・ペイチが手がけていて、彼がこの時の音楽面でのリーダーだったことが分かる。

 TOTOといえばその名前の由来もいろんな人がいろんなことを言っていた。たとえば、便器のことだとか、ボーカルのボビー・キンボールの本名からとった等々。
 彼らの公式ウェブサイトによると、“オズの魔法使い”に出てくる犬の名前から引用したようで、これにラテン語の“全てを含む”という意味をかけているとのことだ。

 そして現在のTOTOのメンバーは次の通りである。
デヴィッド・ペイチ(key.)〔アルバム録音時のみ〕
スティーヴ・ルカサー(Gr.)
ボビー・キンボール(Vo.)
マイク・ポーカロ(B.)
グレッグ・フィリンゲインズ(Key.)
サイモン・フィリップス(Dr.)

 またTOTOにはポーカロ三兄弟がいて、キーボードのスティーヴとドラムスのジェフ・ポーカロ、ベースのマイク・ポーカロであるが、残念ながらジェフは92年の8月に急死している。死因は殺虫剤を散布中のアレルギー発作といわれているが、詳細は不明である。
 マイクも現在は腱鞘炎のため病気休養中といわれている。

 今年の3月にボズ・スキャッグスの来日コンサートに同行するということで、それにはデヴィッド・ペイチも参加する予定である。ただ残念ながらこのツアーを最後にTOTOは無期限の活動停止を宣言している。

 そういうわけでこのアルバム「ハイドラ」も、私にとっては冬の日に聴くにふさわしいアルバムなのであった。

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2008年2月 1日 (金)

山羊の頭のスープ

 寒い日が続いている。暦の上では1月下旬の大寒から2月初旬の立春までの約2週間が一年の中で一番寒い日々といわれている。
 実際、今日の最高気温も5℃だったし、暦の上だけでなく現実にも寒かったのだ。

 昔、こんな寒い日によく聴いていたアルバムがあった。ローリング・ストーンズの「山羊の頭のスープ」である。それにしても、よくまあこんなタイトルをつけたものだと思う。一体どういう意味があるのだろうか。

山羊の頭のスープ(でかジャケ) Music 山羊の頭のスープ(でかジャケ)

アーティスト:ザ・ローリング・ストーンズ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2006/03/15
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 昔のレコードの内袋には、山羊の頭が入ったスープの写真があったが、廉価盤のCDにもジャケットの裏側に大きく写しだされている。
 しかし若い人たちには少々インパクトが強すぎるのではないだろうか。R-15指定かもしれない。さすがローリング・ストーンズである。

 このアルバムのイメージとしては、タイトルのような“おどろおどろしさ”と“夢幻的な美しさ”だと思う。
 “おどろおどろしさ”については、どうにもこうにもならない、ストーンズがはじめから内包していた要素のひとつだと思うし、それを音として表現しているような感触である。

 たとえば1曲目の"Dancing with Mr.D"はミックの妖しい声やバックの演奏、特にリズムとギターの音がこの“おどろおどろしさ”一層盛り上げている。中学生の頃、この歌を聴いてびっくりした。何を歌っているのかさっぱり分からなかったが、こんな歌があっていいのか、許されるのか、存在してもいいのか、という疑問符で頭の中がいっぱいになった。

 ロックのリズムなのだが、妖しい歌だった。"Doo Doo Doo Doo Doo(Heartbreaker)"である。何しろタイトルからして何だか意味不明だし、バック・コーラスの“ドゥ、ドゥ、ドゥ、ドゥ、ドー”とファンキーなホーンが相乗効果で、彼らが持っている胡散臭さを見事に表現していると思った。

 その妖しさがいい意味でコマーシャルな効果を発揮したのがシングル・カットされて世界的に大ヒットした"Angie"である。はたしてデヴィッド・ボウイの当時の妻のことを歌ったのかどうかはわからないが、切々とした歌唱法や哀切感溢れる表現方法は中学生にも充分理解できたのだ。
 当時30歳のミック・ジャガー、まさにこれから脂の乗る時期である。久々にアメリカでもNo.1を獲得し、ストーンズここにありを示したシングルでもあった。(個人的に思うに、甲斐バンドの“安奈”はこの歌がモチーフになったのではないだろうか)

 当時中学生の自分にも、やっぱりミックは妖しかった。男のくせに女装するし、デヴィッド・ボウイと同じようにバイ・セクシャルだということも雑誌で知った。本当かどうかは分からないけれども・・・
 このアルバム・ジャケットにも化粧をしたミックが写されているし、そのステージの動き方もとても知性ある人には見えなかったのである。

 CDでは音がクリーンになっていて、この“おどろおどろしさ”の魅力は半減していると思う。その点レコードでは充分味わうことができる。

 もうひとつの“夢幻的な美しさ”は、まさに夢を見ているような、あるいは夢と現実のはざまの半覚醒状態にいるような不思議な美しさのことである。
 3曲目の"Coming down again"は、そういう美しさを表していると思う。スロー・バラードの曲だが、ここでのキースとミックのボーカル・ハーモニーは美しいの一言に尽きる。約6分近い彼らにとっては長い曲だが、自分にとっては長くは感じられなかった。

 そして8曲目の"Winter"。まさに今の時期に聴くべき曲である。5分30秒とこれも長めの曲なのだが、ミック・テイラーとキース・リチャーズの演奏が“冬景色”を演出しているし、後半のストリングスがさらにそれを高めている。最初から最後までタイトル通りの曲なのである。

 そして次の曲、"Can you hear the music"はアジアン・テイストに満ちた不思議な曲だ。笛やパーカッション部分が夢か現実か判断しかねるような雰囲気を醸し出している。またバックでかすかに聞こえるミックのささやき声みたいな音も効果的だ。
 自分にとってこれらの曲は“夢幻的な美しさ”を体現しているように思えたのである。

 もちろん"Silver train"や"Star star"などのストーンズ流ロックン・ロールも健在である。当時のNHKの“ヤング・ミュージック・ショー”ではこの頃のストーンズのビデオ・クリップ集みたいなものが放映された。
 その中で"Angie"や"Silver train"、"Dancing with Mr.D"このアルバムにはないが"It's only rock'n'roll"そのほか数曲が演奏されたが、いまだに印象深いシーンとして私の脳裏に焼き付いて離れないのだ。

 私が初めて買ったストーンズのアルバムがこのアルバムだった。季節は冬だったのか秋だったのか分からないが、寒い時期だった。そういう意味でも非常に印象深いアルバムになのである。
 そしてこのアルバム・タイトル「山羊の頭のスープ」の意味はいまだに私にとってミステリアスなのである。

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