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2008年2月 6日 (水)

サム・クック

 自分の家のアルバム棚にはサム・クックのアルバムが2枚ある。1枚はベスト・アルバム「ベスト・オブ・サム・クック」でRCAレコードから出されたもの。
 もう一枚は、輸入盤で「ライヴ・アット・ザ・ハーレム・スクウェア・クラブ、1963」というタイトルのライヴ・アルバムである。

 ベスト盤は、よくあるような普通のベスト盤である。うりはガーシュインが作曲したジャズの名曲"Summer time"の別ヴァージョンが収録されていることであろうか。全13曲というコンパクトな内容になっている。

サム・クック/ ベスト・オブ・サム・クック サム・クック/ ベスト・オブ・サム・クック
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 ライヴ・アルバムの方は、これはもう歴史的な名盤といっていいほどの素晴らしい内容である。

One Night Stand: Sam Cooke Live at the Harlem Square Club, 1963 Music One Night Stand: Sam Cooke Live at the Harlem Square Club, 1963

アーティスト:Sam Cooke
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 これは1985年になって初めて公に発売されたアルバムであるが、63年当時の熱気と人気が聴く側に十分以上に伝わってくるのである。

 このアルバムで聞かれる"Cupid"は名曲である。ベスト盤に収められているスタジオ録音のものと聞き比べてみればよく分かるのだが、スタジオ録音の方は淡々と歌っているのに対して、ライヴ盤では、やはり聴衆を意識してか、感情を込めて歌っている。当たり前のことしか思いつかないのだが、とてもソウルフルな熱唱を聞かせてくれている。

 また聴衆とのやり取りがリアルに伝わってくる。次の曲は"It's alright/For sentimental reasons"と2曲続くメロディ形式の曲なのだが、歌の合間に聴衆に早口に話しかけるようなトークがライヴ感をいっそう高めている。
 こういうやり取りを聞いていると、後年ラップ・ミュージックが生まれ、黒人の間に流行し、広がっていったということがよく理解できる。

 これはたぶん教会で歌われるゴスペル・ミュージックの“コール&レスポンス”からきていると思うのだが、黒人霊歌といわれるゴスペルの影響は意外と大きいと思うのである。
 サムは牧師の家庭に生まれていて、幼い頃からゴスペルを聞き、自身も聖歌隊で歌っていたので、こういうやり取りは、肌身に染み付いていたのであろう。このアルバムでも実に余裕たっぷりに聴衆とのやり取りを楽しんでいるようである。

 このアルバムを聞いていると、ロッド・ステュワートを思い出した。いかにロッドがサム・クックの影響を強く受けているかがよく分かるのである。
 ロッドのようにハスキーな声ではないが、リズム感や聴衆とのやり取りなど非常によく似ている。似ているというよりもそっくりである。

 このアルバムでもロッドが歌った曲"Twistin' the night away"、"Bring it on home to me"が収録されているが、ロッドそっくりである。正確にいうと、ロッドのほうが彼を真似しているのだが、ロッドを先に聴いて、あとからサム・クックを知ったので、ロッドの真似をしていると思った。
 歌の途中で笑い声を入れたりするサム・クックの癖まで真似しているくらいなのだから、やはりサムの影響力は大きいとあらためて感じ入ったしだいである。

 このライヴは1963年1月12日土曜日に行われたものであり、場所はニュー・ヨークのアフリカ系アメリカ人が当時よく集まっていたクラブである。キャパは2000人程度といわれている。
 このときサムは32歳、まさにボーカリストとしてピークを迎えていた時期でもある。

 サム・クックを語るときに、避けて通れないのがその時代背景である。いまだに人種差別の残るアメリカで1930年代から60年代は公民権運動の高まりとともに、差別や偏見と闘うブラック・パワーが目立った時代だった。

 黒人歌手は、白人歌手よりも差別され搾取されて当たり前のときである。そういうときに白人並の、いやそれ以上の人気と実力を兼ね備えた彼の存在は、ある意味、黒人社会における希望の星ともいえた。

 今では当たり前のことだが、黒人の彼が自分で音楽会社を設立し、自分の著作権を自分で管理するようにしたということは、当時としては画期的であり、大げさに言うと驚天動地のようなことだったと推測される。

 そういう意味では単なる歌の上手なソウル・シンガーという面だけではなく、非常に先見の明があるエリート・ビジネスマンという面も兼ね備えていたと思う。
 そしてボクサーのマホメド・アリや社会運動家のマルコムXたちと交流を持ち、黒人運動にも貢献している。64年には"A change is gonna come"を発表し、黒人の側からのメッセージ・ソングを歌い、大きな影響を与えた。のちにこの曲は、オーディス・レディングやアレサ・フランクリンなどにカヴァーされている。

 また彼は歌も上手で、さらにハンサムでもあった。だから結構女性には、人種を問わずもてたらしい。
 しかし彼の最後は呆気ないものだった。モーテルの管理人から銃殺されたのである。警察の発表によると、モーテルから逃げ出した女性を追いかけて管理人室に入ったところを泥棒か何かと間違えられて射殺されたというのである。
 一説によると売春婦からだまされてお金と服を取り上げられ、裸で追いかけていて射殺されたともいわれている。いずれにしても黒人だからという理由で、たいした調べも行わずに簡単に捜査が終了したらしい。

 もし彼がいまも生きていたらと思うと残念でならない。はたして今のアメリカ社会が彼の満足するものかどうかはわからないが、少なくとも黒人が大統領選挙に立候補できるようになったということについては、少しは前進したと評価するのではないだろうか。

 そしてロッド・ステュワートやプリンスなど、白人や黒人を問わず彼のフォロワーたちを見て、彼らと共演することを望んだに違いないと思うのである。


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