« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »

2008年3月

2008年3月31日 (月)

そして3人が残った

 ジェネシスについて書き始めるときりがないのだが、1978年に発表された「そして3人が残った」は、彼らの決意表明のようなアルバムだった。

そして3人が残った(紙ジャケット仕様) Music そして3人が残った(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ジェネシス
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007/07/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 1975年にピーター・ガブリエルが脱退したあと、4人でバンドを継続していたのだが、ソロ活動の楽しみを覚えたスティーヴ・ハケットもまた77年にバンドから離れたために、3人になってしまった。

 もともとジェネシスというグループは民主的な運営を心がけているグループのようで、音楽活動をする際は、レコーディングからみんなで取り組むということを方針にしているようである。

 たとえば“ザ・ファーム”と呼ばれるレコーディング・スタジオを彼らは所有しているが、アルバムを制作するときは、必ずそこに泊りがけで行うようである。TVの音楽番組でフィル・コリンズがそういっていたのを覚えている。

 だから初期は5人で、中期は4人で、そして78年以降は3人で共同制作していたのだが、ソロ・アルバムが成功して自信をつけたスティーヴが脱退した。
 しかし3人でもジェネシスの音楽は作れるぞと宣言したのがこのアルバムだと思う。

 確かにこのアルバム以降はポップになっていくのだが、純粋なポップ・ソングではなくて、あくまでもジェネシス流のポップ・ソングなのである。
 だから転調が多く、ハッキリとしたメロディ・ラインはなく、聞き流していると、いつの間にか終わってしまうアルバムだった。

 しかもギタリストがいないのだから、キーボード主体になるのは当然の話で、分厚いキーボードの音に囲まれるかのように、フィルのボーカルが今まで以上に感情を込めながら主張している。
 もちろんギターの音が全くないのではないのだが、そこはやはりマイケル・ラザフォードのギターなのだから、アクセント程度だ。(でも"Scenes from a night's dream"のように、それなりに曲にあっているし、この人はかなり器用なのだと思う)

 でもやっぱりそれまでと違う音だったので、びっくりした。何といってもシングル・ヒットまで出したのだから、考えられなかった。プログレッシヴ・バンドにシングル・ヒットは、中国人がスカンジナビア料理を食べるようなものである?

 "Follow you follow me"は4分程度の曲であり、確かに短い。この曲以外にも3分程度の曲は2曲もある。最大長くても7分少々であるから、それまでのアルバムと比べて確かに変わっていた。
 また"Many too many"は後のフィル・コリンズのソロ・アルバムに通じるようなテイストを持った曲だった。ちなみに作詞・作曲はトニー・バンクスである。

 ジャケットもそれまでのイラストのような絵からヒプノシスによる特徴的な写真に変わっていたのも印象的だった。

 しかし変わっていないのは、曲の持つイメージというか、ぼやけているような一種つかみ所のない曲調やメロディ、リズムなどである。
 この路線はこれ以降もさらにはっきりとなっていくのであるが、この3人が選んだ結論がこの音で、重厚長大から軽薄短小になっていった。

 だから決意表明のアルバムなのである。個人的には決して嫌いではない。当時はパンク・ロックが全盛期だったので、時代の流れに合うのはやはりこんな音だったのだろう。
 これも個人的な感想なのだが、春の日のはっきりしないような、ぼんやりとした天候にはこのアルバムの曲群は合うと思うのだが、どうだろうか。

 この後、さらにポップ化を進めていくジェネシスだったのである。

| コメント (1) | トラックバック (1)

2008年3月29日 (土)

フォックストロット

 1972年に発表されたジェネシスのアルバム「フォックストロット」については、確かに彼らの初期においての最高傑作アルバムだといえる。

Photo_5 Music フォックストロット

アーティスト:ジェネシス
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:1995/11/29
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 全6曲であるが、レコードではサイドAは4曲、サイドBは2曲という構成であった。キング・クリムゾンから譲り受けたメロトロンを前奏に持ってきた"ウォッチャー・オブ・ザ・スカイ"から始まり、ハモンド・オルガンがリードする"タイム・テーブル"、詩がシュールで奇抜な"ゲッテム・アウト・バイ・フライディ"など、どちらかというと、ギターよりもキーボードが目立つ曲が多い。

 ギターが目立つといえば4曲目の"キャン-ユーティリティ・アンド・ザ・コーストライナーズ"でアコースティック・ギターのアルペジオで始まっているくらいだろうか。でも途中でメロトロンやオルガンが挿入されているし、ベースもクリス・スクワイアばりにビンビン鳴らされていて、いつのまにかギターの音はかき消されてしまっている。

 そういえば3曲目の"ゲッテム・アウト・バイ・フライディ"でもバックで鳴っていたように思う。でもどちらかというとリフで攻め立てるとか、メロディアスなリード・プレイがあるというわけではなかったと記憶しているが、どうだったろうか。

 自分の好みをいえば、基本的にギターとキーボードが拮抗しているような曲やそういう曲を演奏するバンドが好きなのである。
 だからイエスやピンク・フロイド、キング・クリムゾンは好きだし、キャメルやマイナーだけどバークレイ・ジェームス・ハーヴェストも好きである。

 それではE,L&Pのようなギターレスのバンドはどうかというと、最初からギターがないと分かっているので、それはそれでまた大好きなのである。

 だけどジェネシスは、スティーヴ・ハケットというギタリストがいるのも関わらず、そんなに目立つようなフレーズやプレイがなかったように思う。むしろキャメルのアンディ・ラティマー方が叙情的なプレイが目立つように思えた。

 だからジェネシスはあまり好きでなかった。そしてスティーヴ・ハケットがソロになってアルバムを出したと聞いたときは、むしろビックリしてしまった。そんなに曲が書けるとは思っていなかったからだ。
 さらにまたそのアルバムが恐ろしくファンタジックで、一聴しただけで好きになってしまったことにも自分ながらに驚いてしまった。

2 Music Voyage of the Acolyte

アーティスト:Steve Hackett
販売元:Astralwerks
発売日:2005/10/11
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 その後の彼のアルバムについては、このブログでも紹介しているのでここでは割愛をするが、逆に考えると、ジェネシスというグループでは彼の実力を充分に発揮できなかったからソロとして独立したということだろうか。

 とにかくジェネシスというグループは、ギターはそんなに目立つほどではないものの、確かな演奏力や曲の構成力と何よりもボーカルのピーター・ガブリエルの声を変えて歌ったり、シアトリカルな演技などの表現力がメインだったということが分かる。

 特にこのアルバムが発表された初期では、彼の存在なくしてはジェネシスを語ることはできない。

 それでも昔はこのアルバムをよく聴いたものだった。何しろジェネシスとして初めて買ったアルバムでもあったからだ。
 しかしCD時代の今では珍しくもないが、このアルバムは50分以上もあったので、カセットテープに全曲収めることは不可能だった。だから3曲目の"ゲッテム・アウト・バイ・フライディ"はカットして録音した覚えがある。

 でもジェネシスのほかのアルバムについては大学生になるまではそんなに聴かなかった。また録音をしようにも“ジェネシスはどのアルバムも50分近くあるよ”という師匠の忠告を覚えていたので、最初から録音をあきらめていた。

 そして1978年になってプログレ・バンドからポップ・バンドへと転身したあと、ようやく彼らのアルバムを本気になって聴こうと思い、「フォックストロット」から「月影の騎士」、「トリック・オブ・ザ・テイル」、「静寂の嵐」と順番に聴いていった。(「眩惑のブロードウェイ」は2枚組だったので、後回しにしていた。結局聴いたのは就職してからだった)

 80年代に入ってからのジェネシスは、ポップ化が成功したせいか全世界的に有名なバンドになってしまった。その頃も長めの曲はやっていたが、初期の頃のようなくぐもった音ではなくなった。
 音がクリアになった分、文学性や叙情性が薄れていったように思える。だからというわけではないのだが、昔のジェネシスが懐かしいのである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月25日 (火)

キャメル

 キャメルはイギリスのプログレッシヴ・ロック・グループで、1973年にデヴューしている。前回のブログ、ゲイリー・ムーアのところで、彼がキャメルの曲をもじって作ったということを書いたが、その曲が含まれていたのが彼らの代表作といわれている「スノー・グース(白雁)」だった。

The Snow Goose Music The Snow Goose

アーティスト:Camel
販売元:Polygram Int'l
発売日:1998/09/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 1975年のこの作品はポール・ギャリコの短編小説を音楽化したものである。ちなみにポール・ギャリコは映画“ポセイドン・アドベンチャー”の原作者でもあった。
 この作品はオール・インストゥルメンタルで、全16曲が流れるような感じでつくられている。
 一般的にこのアルバムが彼らのベスト・アルバムであるといわれているが、確かにメリハリのある構成で、映画のサウンドトラックのような印象を残してくれる。特に"醜い画家ラヤダー"なんかは特徴のあるメロディで、印象に残る音楽だと思う。
 しかしベストアルバムかどうかといわれると、ちょっと違うんじゃないかなあと思うのである。正直に言って…

 確かにアンディ・ラティマーのギターは流れるように美しく響き、ピーター・バーデンスのキーボードもときにリードし、ときにバッキングに徹し、曲構成を根底から支えているのはわかるが、でも聴き続けていると、ときに眠り込んでしまうのである。

 プログレッシヴなサウンドなのは分かるが、やはり軟弱というかバンドとしての演奏力ならキング・クリムゾンやイエスの方が上手だし、メロトロンならムーディ・ブルースの方が聴き応えがある。また、インストゥルメンタルなら圧倒的にピンク・フロイドの方がトリップ感覚に満ち溢れている。

 だから個人的にも昔は女、子どもが聞くプログレッシヴ・ロックの代名詞としてキャメルの名前を挙げていた。

 それで自分が一番好きなのは「ブレスレス」である。その理由は次回に譲りたいが、少なくとも「スノー・グース」よりは1974年のアルバム「ミラージュ(蜃気楼)」のなかの"レディ・ファンタジー"や76年のアルバム「ムーンマッドネス」の"永遠のしらべ"、"転移"、"水の精"、"月夜の幻想曲"の方がはるかに緊張感があり、プログレッシヴ・バンドとして機能していると思うのであるが、どうだろうか。

 しかもジャケットのデザインが好きである。女、子どものロックとして活動するのであれば、ここまで徹してほしいと思えるような素晴らしいジャケット・デザインだと思った。

Moonmadness Music Moonmadness

アーティスト:Camel
販売元:Decca
発売日:2002/06/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 私の大好きなアルバム「ブレスレス」を1978年に発表したあとは、ピーター・バーデンスがラティマーとの軋轢から脱退し、ヴァン・モリソンのバンドに加わった。後任に元キャラヴァンのヤン・シェルハース、さらにツアーメンバーとしてやはり元キャラヴァンのデイブ・シンクレアが参加している。
 それ以前にベーシストのダグ・ファーガソンが元キャラヴァンのリチャード・シンクレアに代わっていたために、オリジナル・キャメルより元キャラヴァンのメンバーの方が多くなり、キャラメル(Caramel)とあだ名されるようになったらしい。

 さすがユーモアと伝統の国イギリスを髣髴とさせるエピソードではある。この後、キャメルはギタリストのアンディ・ラティマーのバック・バンドとして活動するようになってしまい、ますますその存在意義を失ってしまっていった。

 ただ決して非難しているわけではないのだ。もともとアンディとピーターのいい意味でのエゴや競争意識というものが、このバンドを支えていたわけだから、ピーターがいなくなってしまってからは、アンディのバック・バンドになるのも時間の問題だったともいえるだろう。

 それにアンディのギタリストとしての腕前は見事だし、演奏中にフルートに持ち替えて、清涼感溢れる音を奏でてくれるのだから、たいしたものだと思うのである。

 以前、私の師匠であるK・K氏の自宅でキャメルのライヴを見せてもらった。レーザーディスクからのライヴ演奏だったが、たぶんこれは“プレッシャー・ポインツ、キャメル・ライヴ・イン・コンサート1984”ではないかと思われる。

 1984年5月11日のライヴでは、オリジナル・メンバーだったピーター・バーデンスと元メンバーのメル・コリンズが共演しているからだ。ピーターは2002年1月に亡くなっており、今となっては貴重なライヴ映像だと思う。できればもう一度見てみたいものである。

 とにかく70年代のキャメルは確かにプログレッシヴ・ロックだったことは認めるものの、その代表作が「スノー・グース(白雁)」とは言い難いのである。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2008年3月24日 (月)

ゲイリー・ムーア

 BBMからゲイリー・ムーアについての回帰

ということで、BBMを結成する前のゲイリー・ムーアのことについて少しだけ触れたいと思う。

 1952年生まれのロバート・ウイリアム・ゲイリー・ムーアは、北アイルランドのベルファストに生まれた。父親は地元の有力プロモーターでクラブも経営していたようである。

 10歳からギターを始め、14歳で父親の経営するクラブで初めて人前で演奏をした。このときはバンドのメンバーとして参加している。

 そして16歳で伝説のバンド、スキッド・ロウに参加し、プロ・デヴューを果している。このスキッド・ロウというグループには、のちにシン・リジィの中心メンバーとなるフィル・ライノットがベーシストとして活躍していた。

 ちなみにフィルはスキッド・ロウから脱退し(解雇されたという話もあるが…)、1969年に自身のグループ、シン・リジィを結成している。
 ゲイリーの方は、そのままスキッド・ロウで活動していたが、1971年に3枚目のアルバムを録音したあと、脱退した。

 スキッド・ロウでは、2度のアメリカ・ツアーを行っており、まだデュアンが存命していたオールマン・ブラザーズ・バンドやグレイトフル・デッドと共演している。こういう地道なツアーを行いながら、演奏技術を高めていったのであろう。

 この71年から74年までの間に、自分自身のバンドを結成してアルバムを発表したり、ツアーを行ったりしたのだが、いずれもあまりうまくいかなかった。この頃が彼の不遇時代かもしれない。

 しかし74年にシン・リジィのアルバムに参加したことから、彼の人生も拓かれてきたようで、シン・リジィで活動しながら同時にコロシアムⅡというジャズ・ロック・バンドでも活動するようになった。
 ハード・ロック・バンドであるシン・リジィとジャズ寄りのバンドであるコロシアムⅡと二束の草鞋を履いての活動が彼に演奏の幅を与えたらしい。

 彼の基本スタイルはブルースであるが、それにジャズのテクニカルなプレイ・スタイルが重なり、正確なピッキングや驚異の速弾きなど技術的にもアイルランドだけでなく、世界を代表するギタリストに成長した。

 特に泣きのフレーズが満載のバラード系では技術的な上手さとその豊かな表現力で彼の実力が遺憾なく発揮できている。

 1978年に発表された彼のソロ・アルバム「バック・オン・ザ・ストリート」では一躍彼を有名にした名バラード曲"パリの散歩道"がおさめられている。

バック・オン・ザ・ストリーツ Music バック・オン・ザ・ストリーツ

アーティスト:ゲイリー・ムーア
販売元:MCAビクター
発売日:1991/12/16
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 4分にも満たない小曲ではあるが、彼の泣きのギターの魅力が充分に堪能できる。なおこの曲で彼はギブソン社のレス・ポールを使用しているのだが、このギターは元フリートウッド・マックのピーター・グリーンから譲り受けたものらしい。

 またこの曲の歌詞はフィル・ライノットが書いていて、彼の父親Parisについて書いたものである。
 彼の父親はブラジル人の軍人であり、アイルランド駐留中にフィルの母親と出会い、1949年にフィルが生まれた。しかしその後、父親のParisは母国に帰ってしまい、二度と息子のフィルに会うことはなかった。

 だからこの曲の出だしは“I remember Paris in '49”となっている。ちなみにフィル自身のミドル・ネームもParisといい、母親が父親の名前から取ってつけたようである。なかなか泣かせるエピソードである。

 またこのアルバムには"Flight of the Snow Moose!"というインストゥルメンタル曲があるのだが、わかる人にはわかると思うが、イギリスのプログレ・バンド、キャメルが1975年に発表したアルバム、「スノー・グース(白雁)」にある"Flight of the Snow Goose"から拝借したものである。

The Snow Goose Music The Snow Goose

アーティスト:Camel
販売元:Polygram Int'l
発売日:1998/09/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 キャメルの方の曲は4分未満の短い曲であるが、ゲイリーの方は倍近くの長さの曲になっている。そしてキャメルの方は叙情的な雰囲気に満ちているが、ゲイリーの方はテクニカルでアグレッシヴ、攻撃的な曲調になっている。

 このアルバムのヒットで、彼の知名度も上がり、ますます評価も高まっていくのだが、今回はこのぐらいで彼の紹介に代えたいと思う。
 いずれにしてもいまなお人気、実力ともに兼ね備えたギタリストである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月23日 (日)

BBM

 “クリーム”について書いているときに、ふと思い出したのが、第二のクリームといわれたBBMのことであった。

 BBMとは3人の名前の頭文字をとったグループ名のことで、ベーシストのジャック・ブルースとドラマーのジンジャー・ベイカー、ギタリストのゲイリー・ムーアのことである。Jack Bruce, Ginger Baker, Gary MooreだからBBMなのである。

 それで見れば分かるように、リズム・セクションはクリームそのままである。クリームのエリック・クラプトンの代わりにゲイリー・ムーアが参加したようなもので、このメンバーで1枚だけ公式アルバムを発表している。

 それが1994年に発表された「Around the next dream(邦題:白昼夢)」だった。いま聴いても充分聞き応えのあるアルバムである。

Around the Next Dream Music Around the Next Dream

アーティスト:BBM
販売元:Virgin
発売日:2003/05/12
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 基本的にはブルースである。1曲目"Waiting in the wings"なんかはクリームの新曲だといわれても分からないのではないだろうか。クラプトン張りにワウワウ・ペダルを使って、ゲイリーが弾きまくっているのだ。また4曲目の"Can't fool the blues"もその名のとおりブルースで、ここでもまたゲイリーは弾きまくっている。

 ゲイリーは1952年生まれなので、このアルバム制作時では42歳であった。ちなみにジャック・ブルースは51歳、ジンジャー・ベイカーは55歳だった。

 事の発端は1993年11月に行われたジャック・ブルースの50回目のバースディ・パーティ・コンサートで3人が顔をそろえたことだった。
 ただジャックとゲイリーは初対面ではなく、以前のゲイリーのアルバムにもジャックがボーカルやベースで参加していたこともあり、その後もツアーではお互いに共演していたらしい。

 それでジャックとゲイリーで曲作りを始め、ドラマーには誰を起用するかというときに、やっぱりジンジャー・ベイカーにしようとなったらしいのだ。
 ただジャックとジンジャーは仲が悪いのは、知る人ぞ知る有名な話である。ケンカ両成敗という言葉もあるように、お互いに問題点はあるのだが、ジンジャー・ベイカーについてはどうも変人という話がある。

 ロック・ミュージックにバス・ドラを2つ並べて最初に使用したのはジンジャー・ベイカーのようだし、クリームでの成功を捨て去って、西アフリカにスタジオを建て、そこで生活を始めたりしたようで、天才的な芸術的才能と天才ゆえの常識にはとらわれない行動が変人として評されているようだ。

 それでこのBBMも数回のライヴ活動のあと、ジンジャー・ベイカーがバンドを去り、このアルバム1枚で終わってしまった。
 ゲイリーはジャックとともに、ドラマーにゲイリー・ハズバンドを迎えてベスト・アルバムをリリースした。ちなみにバンド名はBMH、JGGもしくはGGJにはならなかったようである。

 とにかく1枚で終わらせるには惜しいグループだったと思う。ジンジャー・ベイカーしだいだったと思うが、彼の性格的な問題や年齢的なことだったのかもしれない。
 彼らにとってはたった1枚のアルバムだったのだが、一聴の価値があるアルバムだと思うのである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月20日 (木)

ダイヤモンドの犬

 以前、デヴィッド・ボウイの「アラジン・セイン」について書いたことがあった。今回はそれに引き続いて、1974年に発表されたアルバム「ダイヤモンドの犬」について記したい。

51au8mg9tl Music Diamond Dogs

アーティスト:David Bowie
販売元:Virgin
発売日:1999/09/28
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 前回のブログでも書いたのだが、「アラジン・セイン」と「ダイヤモンドの犬」の2枚については本当によく聞いた。
 ただ、大学生になってから聞いたので、発表されてから5年以上たっていたような気がする。

 今回このブログを書くにあたり、再び耳にしたのであるが、本当によくできたアルバムである。
 ボウイのファンならよく知っているように、このアルバムはイギリス人作家ジョージ・オーウェルの「1984年」を下敷きにしたコンセプト・アルバムだった。

 ただオーウェルの未亡人からは“1984年という言葉を大々的に使ってはいけない”、“「1984年」をミュージカル化してはいけない”という制約がつけられたらしい。

 そういう制約があった割には、"1984"という歌が入っているが、これは大々的に使用してはいないということなのであろうか。

 それはとりあえず置いといて、この頃のアルバムの構成は見事である。「ジギー・スターダスト」もそうであったが、どの曲もその場所にふさわしく配置されていて、まさにコンセプト・アルバムをよりいっそう際立たせている。

 当時のレコードでは、Aサイドの曲が流れるような組曲形式になっていた。1曲目の"未来の伝説"から"ダイヤモンドの犬"までは普通の曲なのだが、それ以降の"美しきもの"、"キャンディディット"、"美しきもの(リプリーズ)"の3曲は切れ目がなく、一つの曲のように聞こえた。

 今回、これを書くにあたって聞いたのだが、あっという間にAサイド最後の曲"愛しき反抗"になってしまった。単純なリフを持ったこの曲は、単純だからこそ、いつまでも記憶に残るものになった。いま思えば、ストーンズの"サティスファクション"のような曲だと思う。

 参加ミュージシャンについていうと、前作「アラジン・セイン」(正確にいうと前々作なのだが)にも参加していたのはピアノのマイク・ガーソンだけで、それ以外は一新されている。
 またギタリストも不在で、1曲を除き全てボウイが弾いている。("1984"のギターはアラン・パーカーだ)かつての盟友ミック・ロンソンもいないのだ。

 またピアノのマイク・ガーソンも前作で見せたようなエキセントリックな演奏を聞かせてくれてはいない。結構おとなしくなっていて、本当に一バック・ミュージシャンになったような演奏を聞かせてくれている。それはそれでいいのだが、何か物足りない。

 後半は"ロックンロール・ウィズ・ミー"で始まるのだが、アメリカ南部のサザン・テイストを持った曲で、いい曲なのだが、あまり印象に残らなかった。
 そして後半も"1984"から"ビッグ・ブラザー"、"永遠に周り続ける骸骨家族の歌"と立て続けに曲が並んでいる。

 確かに"1984"はいい曲である。メロディ自体もいいし、トニー・ヴィスコンティがアレンジしたストリングスが緊張感を醸し出していて、聞くものに焦燥感を与えてくれる。日本ではシングルカットされたのではないだろうか。ラジオで聞いたことがあったように思う。

 しかしアルバム全体を通して38分あまりというのは短い。確かに当時のボウイはクスリと精神的なプレッシャーからくる体調不良で参っていたのは分かるが、それにしてもという感じである。

 それに「ジギー・スターダスト」(1972年)「アラジン・セイン」(1973年)「ダイヤモンドの犬」(1974年)という一連のアルバムには共通点がある。
 ひとつは架空のキャラクターによるコンセプトなアルバムであるということと、もう一つはアルバム構成である。

 先ほど見事なアルバム構成と書いたが、よく考えたら後半(レコードでいうとBサイド)は最初がピアノをメインにした比較的静かな曲("レディ・スターダスト"、"タイム"、"ロックンロール・ウィズ・ミー")で始まり、中盤に盛り上がる曲を用意し("サフラジェット・シティ"、"ジーン・ジニー"、"1984")最後に締めの曲("ロックンロールの自殺者"、"薄笑いソウルの淑女"、"永遠に周り続ける骸骨家族の歌")をもってくるという配置である。

 この形式はこの時期のアルバムに共通なことに気がついた。やっぱりこの時期のボウイは才能が溢れていたと同時に、マンネリ化も迎えようとしていたのだ。

 だからこの“ダイヤモンド・ドッグス・ツアー”の途中からアメリカのソウル・ミュージックに傾倒していったのだろう。それは“このままではいけない”というボウイらしい危機意識だったのかもしれない。

 いずれにしてもこれ以降のボウイはソウル・ミュージックに傾倒していくのだが、絶えず変化することを意識付けたボウイの70年代は、まさに万華鏡のようにカラフルにその様を変えるのであった。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2008年3月16日 (日)

岡林信康

 日本の“フォークの神様”と呼ばれた岡林信康。2007年の10月20日、東京の日比谷野外大音楽堂、通称“野音”で36年ぶりのライヴ演奏を行った。
その模様は後日、NHKのBSで90分番組として放送された。ちなみに自分はそれをDVDに録画して、つい先日ヒマだったので見てしまった。

 36年前の野音でのコンサートの模様は、2枚組ライヴ・アルバム「狂い咲き」で聞くことができる。

岡林信康/狂い咲き 岡林信康/狂い咲き
販売元:HMVジャパン
HMVジャパンで詳細を確認する

 昭和46年(1971年)7月28日に入場料前売り券500円、当日券600円でこのコンサートは行われた。

 当時の岡林はデヴューして4年目で、その4年間で作った曲が32曲だった。そのうち30曲をほぼ発表順に歌うという企画であった。

 1曲目は、放送禁止になった"くそくらえ節"である。この曲や次の曲"がいこつの唄"などを聴くと、岡林のスタートはまさにアングラ・フォーク・ソングの歌い手からだったというのがわかる。
 “フォークの神様”、“日本のボブ・ディラン”とまでいわれた岡林信康であるが、最初は時代の流れに乗っかっていったのだろう。

 それで、今では音楽の教科書にも載っている"友よ"でワーキング・クラス・ヒーローに祭り上げられ、それを利用しようとした人たち(団体)との軋轢が生じてきたのだろう。今ではこの"友よ"を歌うことはないのではないだろうか。彼にとっては封印しておきたい曲ではないかと思うのだ。

 最初の7曲はアコースティック・セットになっていて、ギター1本の弾き語りになっている。ここでの岡林はけっこう饒舌である。しかも下ネタとまではいかないが、品のないギャグをかましている。もう少しシリアスな印象があったのだが、意外な一面を見たような気がした。

 やはり"チューリップのアップリケ"や、これまた放送禁止になった(正確にいうと自主規制された)"手紙"などは、彼のシリアスな面を伝える佳曲である。
 特に部落問題を扱った"手紙"などは、いまだにインパクトのある曲だと思う。自分はこのアルバムを購入するまで、こういう歌があること自体知らなかった。おそらく"竹田の子守唄"とならんで、部落問題を扱った数少ない曲だと思う。

 このあとバンドを入れて、岡林は歌い続けるのだが、この辺はザ・バンドをしたがえたボブ・ディランと同じで、プロレリアートの代表が資本主義の落とし子のようなロック・ミュージックをやるのだから、これはこれで本家のディランのように、当時のファンから反発を食らったのではないだろうか。

 自分にとって“岡林信康”とは何だろうと考えてみると、よくわからないという結果しか出てこなかった。
 36年ぶりの野音コンサートで本人が言うには、京都の田舎で農家の真似事をしながら、演歌に目覚めたらしい。美空ひばりにも"月の夜汽車"という曲を提供して、一緒にステージにも立ったらしい。これも初めて知ったことだった。

 現在の彼は“エンヤトット”という音楽を展開しており、演歌から民謡ロックという新しい局面を提示している。
 テレビでは約90分しか放送されなかったが、現在の岡林を知ることができてよかった。さすがにTVカメラが入っていたせいか、下品なジョークはなかったし、NHKBSだったのであの名曲"NHKに捧げる歌"も歌われなかった。ちなみにこの曲の作曲者は早川義夫、作詞は柏倉秀美である。

「あゝ この広き国 日の本に
名高きものは 富士の山
加えて 名高き えぬ・えち・けい
多くのものに絵を送り 月々 戸口に あらはれて
とりたて歩くは 絵の代金

誰が言ったか 押し売りと
されど払わにゃ なるまひと
渋々 さしだす その代金
おはなはん なら ありがたし
りょうま 来たれば ありがたし
たびじ あるのも ありがたし

色つき絵には 高く取り
白黒絵には 安く取る
されど もぐりの 客めらは
金を払わず 絵をながめ
お上は ばひとを 使ひつつ
悪者をさぐり 続けるなりけれ

えぬ・えち・けい」

  下品なジョークはないが、やはりけっこう喋っていた。もう今年で62歳ということで、声も昔のように若々しくはなかったが、客を煽り、のせるのは見事である。さすが芸歴40年である。さだまさしにも彼の爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだ。
 風貌も俳優の山口崇を少し老けさせた様な感じで、なかなかの男前であった。年を取ってカッコよくなるのは、うらやましいことだ。

 とにかくまだまだ衰えない岡林信康であった。団塊の世代のヒーローは、やはりまだまだパワーを持っている。日本を牽引してきた自信と誇りがそうさせるのであろうか。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月13日 (木)

泉谷しげる

 泉谷しげるの歌には3つの側面があると思う。一つは、ナイーヴな心情を正直に吐露する曲であり、一つは反権力・反体制の曲、もう一つはユニークでふざけ過ぎのコミック・ソングである。

 今では泉谷というとタレント、コメンテイター、役者などの印象の方が強いが、70年代から80年代にかけては、陽水、拓郎と並び称されるほどのシンガー・ソングライターだった。

 青森県青森市で生まれ、3歳で東京に引っ越してきたそうである。両親はそのことをなぜか本人に黙っていたらしい。
 高校を一週間で退学したあと、岡林信康にあこがれてフォーク・シンガーを目指したという。もちろん最初からそれで生活はできなかったので、本人曰く、100種類以上のアルバイトや仕事に就いたそうだ。そういう意味では苦労人でもある。

 また一方では、漫画家になることも考えていたそうで、あの有名な漫画雑誌「ガロ」に投稿もしたようである。それが採用されたかどうかは不明であるが、その後の経歴を見れば分かるように、あくまでも趣味の域に留まっているようである。(ただ映画の美術担当として参加したことはある)

 拓郎や陽水とともに設立したレコード会社“フォー・ライフ”の第一弾アルバムだった「ライヴ!!泉谷~王様たちの夜」を聴くと、最初に泉谷について述べた3つの特徴がよく分かると思う。Photo

 1975年に発表されたアルバムであるが、初期の泉谷の音楽の集大成的な趣を持っていて、軟から硬、叙情的なものからエキセントリックなものまで、幅広い彼の音楽性をしっかりととらえているアルバムである。

 基本的に彼はナイーヴな心情を屈折して吐き出す詩人だと思う。TVでは乱暴者、辛辣な批評家の面が強いが、それは繊細な彼の心情を覆い隠すポーズではないかと思う。自分の弱い心を隠すために、自分を強く見せているのではないだろうか。

 このアルバムの"里帰り"、"春のからっ風"、"ひとりあるき"、"夜のかげろう"などの曲では、そういう彼の繊細さがよくあらわれていると思うのだ。

 一方で、"眠れない夜"、"Dのロック"、"ブルースを歌わないで"などのロック調の曲には、彼のもって生まれた?反権力の資質が見え隠れする。これも彼の心情の繊細さや弱さの裏返しではないだろうか。弱い分だけ、その反動が大きいのだと思う。

 このライヴ・アルバムではあまり見られないのだが、初期のベスト盤には"黒いカバン"、"乱・乱・乱"、"おー脳!!"などのコミカルでかつナンセンスな曲も見られる。"黒いカバン"などは小市民的な国家権力への反感みたいなものが歌われているし、"おー脳"などは、いま聞けばフェミニズムのグループや女性人権団体などから間違いなくクレームがつくと思う。何しろ女性を買って梅毒をうつされる曲なのだから…Photo_2

 また"国旗はためく下に"は優れたアンチ・ゲバルトな曲だし、日本で初めてレゲエのリズムを取り入れたシングル"君の便りは南風"も収められている。ただすべてスタジオ録音なので、彼の微妙な心情に迫ろうとするなら、やはりライヴ盤のほうが優れていると思う。

 自分はこのアルバムを何度も何度も聞いた。このライヴ盤は2枚組のレコードとして購入して、一人部屋に閉じこもってはよく聞いたのだ。

 彼の代表作としての"春夏秋冬"や"里帰り"、"春のからっ風"を聞くと、春先の今どきの気候や風景、様子などを思い出してしまう。妙にしっくりとくるのである。バックのハーモニカやスティール・ギターなどがそういう心情にさせるのかもしれない。

 また"ひとりあるき"、"夜のかげろう"などのアコースティック・セットでは、自分の人生とダブって聞こえてきた。“父はしくじったと思ったのだろ 母はともかく生んでみたんだ 君の意思とは関わりなく 女は母にならずに女を選んだ”というところは、否応なしに自分と母親の関係を思い出させてくれたのだった。 

 1948年生まれだから、今年で還暦を迎える。実生活ではすでに孫がいるお祖父さんであり、孫のことをいわれると行動も鈍ってしまうような好々爺でもある。

 しかしいまだに彼のキャラは攻撃的である。一方で北海道南西沖地震、雲仙普賢岳噴火、阪神・淡路大震災などの現場にいち早く駆けつけ、ボランティアを手伝ったり、チャリティ・コンサートを行ったりする一面もある。
 そのアグレッシブな行動力と内に秘められた繊細な感情が彼の活力の源泉になっているのであろう。

| コメント (1) | トラックバック (0)

2008年3月11日 (火)

ボニー・レイット(2)

 昨年の10月2日のブログに、ボニー・レイットのことを載せた。その際、彼女の代表作といわれるほどの名盤「ギヴ・イット・アップ」については、いまだ聴いていないということを書いてしまった。

 確かにその通りで、グラミー賞を獲得した「ニック・オブ・タイム」は持っていても、「ギヴ・イット・アップ」は持っていなかったのだ。
 しかしこれでいいのか、プロフェッサー・ケイ!、このままではロック検定2級合格の称号も泣いてしまうのではないかと思い、ここはやはり聴いとかなくては…ということで、先日タワー・レコード某店に走って買いにいった。(もちろん走ったのは車であるが…)

 あった、あった、ありました輸入盤1枚だけ。それで聴いてみたところ、やっぱりこれは名盤だと納得したしだいである。

Give It Up Music Give It Up

アーティスト:Bonnie Raitt
販売元:Warner Bros.
発売日:2002/03/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 ラッキーなことにデジタル・リマスターされているために、音が滅茶苦茶いい。しかも音だけでなく、曲自体もいい。
 1曲目の"Give it up or Let me go"からノリノリのスライド・ギターとピアノ、ホーンが互いに自己主張しながら、曲を形作っている。まるでディキシー・ランド風のジャズにボニーの弾くスライド・ギターが乗っかっているような感じだ。

 このアルバムは1972年に発表されたものだが、この頃のボニーは、まだ22歳。しかし年齢の割には歌、演奏ともにすばらしいものをもっている。表現者というにふさわしいボーカルとギター・テクニックを持っていることがわかる。

 2曲目はアコーステイックな曲で、彼女のボーカルもいっそう際立って聞こえる。またこれにテナー・サックスが絡んでくるので、何とも形容のしがたい良いムードを醸し出してくれるのだ。以前紹介したエリック・カズもヴァイブを演奏している。

 この最初の2曲はボニー自身の作詞作曲したもので、やはり若いうちから才能があったんだなあと改めて納得したしだいである。しかもまだ声が若い。リンダ・ロンシュタットとまではいかないが、声にはりがあり、特に高音はよく伸びている。

 この頃はそんなにハスキーでもなかったのが分かる。やはり長年の飲酒と喫煙が影響したのだろうか。後年になると声が違ってきているようだ。
 またジャクソン・ブラウンの"Under the falling sky"はノリの良いロック調の曲であり、曲自体がいいので、誰が歌っても上手に聞こえてくる。
 でもこの曲では、ブル-ズ・ハープをポール・バタフィールドが吹いていて、曲に厚みを増しているようだ。

 とにかく最近のエリック・クラプトンのアルバムよりもよい。そんなに目立つギター・ソロはないのだが、水準はこちらの方が上だと思う。ギタリストが作ったボーカル主体のアルバムと考えれば、間違いなくボニーのこのアルバムに軍配は上がるはずである。

 ギター・ソロといえば、9曲目ではジョン・ホールがソロを取っているが、これもまたイイ感じである。このアルバムに参加したミュージシャンは、みなさんいい仕事をしている。

 このアルバムには、基本的にニューヨーク近郊のウッドストック周辺にかかわりのあるミュージシャンが参加しているようで、ピアニストのマーク・ジョーダンは、ヴァン・モリソンの「テュプロ・ハニー」にも参加しているし、サックスのジョン・ペインは、「アストラル・ウィークス」に参加している。

 またオーリアンズからは前述のジョン・ホールとドラマーのウェルズ・ケリーも参加。他にもマイルス・ディヴィスと共演したジャズ・ミュージシャンも録音に加わっている。
 そういう意味では豪華ミュージシャンがサポートしているといってもいいだろう。

 最後に、このアルバムはこの年に亡くなったブルーズ・マン、フレッド・マクドウェルと北ベトナムの人たちに捧げられている。
 前者は彼女に多大なる影響を与えた人で、一緒にコンサート活動もしたようである。ストーンズが歌った“You gotta move”は彼の曲である。

 後者は当時の世相を反映しているのであろう。少なくとも彼女は反戦支持だったことが分かる。
 今でもミュージシャンが“ブッシュ反対、イラク反対”と叫べば、弾丸入りの封筒が送られてきたり、脅迫電話や、アルバム不買運動、デモ行進など起きるのに、当時、アルバム・ジャケットにこういうクレジットを入れるのはかなり勇気がいったのではないかと思う。

 彼女に信念に感動した。当時も今もこういうミュージシャンがいるから、まだまだアメリカ社会も捨てたものではないと思うのである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 9日 (日)

風見鶏

 風見鶏といっても、どこかの国の元総理大臣のことではない。さだまさしが1977年に発表したアルバム・タイトルのことである。

 この“さだまさし”という人はあまり好きでない。昔々、タモリのラジオ番組で当時のニュー・ミュージックを批判していたことがあったからだ。松山千春や、さだまさし、アリスなどのニュー・ミュージック勢である。

 かすかな記憶で申し訳ないが、そういうニュー・ミュージック系のアーティストは国策によって扇動する昭和初期の政治家のようなものだ、というようなことをいっていたような気がする。
 たとえば“ハンド・イン・ハンド”といって見知らぬ人どうしに手をつながせるのは、生理的に気色悪い、受け付けない、それは一歩間違えれば、お国のために死のうというメッセージにもつながるというものだった。

 そういえば、当時の邦画で日露戦争を描いた「二百三高地」や太平洋戦争に従軍した若者を描いた映画(だったと思う)「連合艦隊」などがあったが、その映画のテーマソングは「防人の詩」であり「群青」だった。前者はさだまさしが、後者は谷村新司が歌っている。

 1980年や1981年はそういう戦争映画が流行したのだが、その主題歌を歌った人たちはいずれもニュー・ミュージック系アーティストだったというのも興味深い。タモリの説を裏付けているような気がしたのである。

 また当時の自分には長崎市出身の知人がいて、その人が言うには、さだまさしは地元では人気がない、なぜなら人気が出たあと、グループを解散して自分ひとりでソロ活動を始めたから、というようなことも言っていた。まるでワムを解散したジョージ・マイケルである。

 確かに、さだまさしはグレープというデュオを組んでいた。チャゲ&飛鳥を暗くしたような感じである。"精霊流し"というシングルがヒットして、一躍有名になったのだが、それから2年後に解散した。
 ただ、さだまさしの弁護をするわけではないが、彼らはたまにコンサートで一緒に歌っており、1991年にはレーズンというふざけた名前で、一時的に再結成している。だから実際は仲はそんなに悪くはないと思う。

 そういうわけで自分は、さだまさしが嫌いなのである。長崎生まれで平和を求め、原爆には反対していながら、平気で「君が代」を歌う姿勢もよくわからないし、誤解を招く原因にもなっている。

 そういうさだまさしなのだが、自分が持っているCDが1枚ある。それが「風見鶏」である。そしてこの中にあるのが"飛梅"で、この時期になると思い起こされてならない。

風見鶏 Music 風見鶏

アーティスト:さだまさし
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2005/02/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 このアルバムの欠点はストリングスのかぶせすぎだと思う。いわゆるオーヴァー・プロデュースである。
 さだ自身は、このアルバムのストリングス・アレンジをいたく気に入っており、西海岸まで出かけていって、有名アレンジャーであるジミー・ハスケルまで頼んでいる。

 それはそれでいいのだが、どうも砂糖をかけすぎたような甘いシュガー・コーティングのような音になりすぎていると思う。

 でも曲自体のメロディはいい。"つゆのあとさき"、"セロ弾きのゴーシュ"、"吸殻の風景"などは捨てがたい曲ではある。

 だけど彼の最初の2枚のアルバム「帰去来」、「風見鶏」はいいと思うのだが、それ以降は、やはりタモリのせいではないのだが、好きではなくなった。どうも先入観というのはいくつになっても変わらないし、なくならないものである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 7日 (金)

氷の世界

 自分は個人的に井上陽水が好きである。それは同郷ということもあるかもしれない。正確にいうと、井上陽水は飯塚生まれの田川育ちになるのだが、自分は田川郡伊田出身だから、やはりこれは同郷と言ってもいいとおもう。

 中学生になる前から、すでに彼の歌はラジオから流れていた。"傘がない"、"夢の中へ"などは、ほんとによく耳にすることができた。
 そういうこともあって、子どものときから陽水には親近感があった。当時、「平凡」「明星」などの芸能雑誌が出版されていて、それには“歌本”という簡単なコードと歌詞が載っている付録がついていた。

 だから雑誌本体は差し置いて、その“歌本”を見ながら歌ったり、歌詞を書き写したりしていた。ヒマな子どもだったのである。
 特に洋楽の曲では、親切にもカタカナで振り仮名が付けられていて、簡単な大意もあったり、そのミュージシャンの紹介や近況もあったので、情報が少なかった地方都市の少年にとってみれば、これほど貴重な情報源はなかったのである。

 それで井上陽水の「氷の世界」についてであるが、このアルバムは1973年12月に発表されたもので、時期的にもまさにアルバム・タイトルにふさわしいものであった。

61qmud1ip6l__sl1081_


Music 氷の世界

アーティスト:井上陽水
販売元:ポリドール
発売日:2001/12/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 先行シングルとして、"心もよう"がヒットしていたが、今でいうところの遠距離恋愛中の女性が愛する男性に書き送った手紙のようなものだったので、何と女々しい歌なのだろうかと反発を覚えた記憶がある。

 当時の写真ではカーリー・ヘアーにサングラスをかけている大柄な男性として写っていたので、なおさら見かけと歌とのギャップに驚いた。

 自分がアルバム全体を聴いたのは、もう少し後だったと思う。1年後くらいかもしれない。そしてそのときに感動した曲は、"心もよう"よりも、"あかずの踏切り"から"帰れない二人"へと続く、冒頭の3曲だった。

 この展開は見事だと思ったし、有無を言わせない展開だった。よくプログレで“組曲”などといわれるが、まさにそういう組曲形式だった。
 もし聴いていない人がいれば是非一度聴いてほしい。この意味がよく分かると思う。

 特に"あかずの踏切り"は前作のライヴ盤「もどり道」と180度アレンジが違う曲に仕上がっている。
 いきなり切れのいいドラミングとスキャットから始まるこの曲は、ノリのいいロックンロールになっているし、続く"はじまり"は最終曲"おやすみ"と対を成している曲だ。そういう意味ではこのアルバムもまた、トータル・アルバムといえるかもしれない。テーマは“氷の世界のような孤独感、寂寥感”だろう。

 "はじまり"と"帰れない二人"の立役者は、ギターの高中正義とキーボード、シンセサイザーの深町純である。この二人の援護があったからこそ、名曲になったのではないだろうか。深町はメロトロンも使用しているし、自分のようなメロトロン愛好家にはそういう点でも忘れがたい印象を残してくれるのである。

 それにしても"氷の世界"での“窓の外ではりんご売り”というのはいまだに分からない。今までりんご売りを見たことも聞いたこともないからである。
 また、“そのやさしさをひそかに 胸に抱いている人は いつかノーベル賞でももらうつもりでガンバってるんじゃないのか”というフレーズもいまだに意味不明である。

 この辺が井上陽水の天才的に凄いところなのだと思う。この言葉の使い方やメロディとリズムの組み合わせなどは、いま聴いても新鮮で斬新でさえある。

 このアルバムには名曲が多い。上記の曲をはじめ、"チエちゃん"、"自己嫌悪"、"白い一日"、"Fun"、"おやすみ"なども隠れた名曲だと思う。

 その中で個人的に好きなのは、"桜三月散歩道"である。自分が三月生まれということもあるかもしれないが、イントロのアコースティック・ギターがかっこよかったのと、“川のある土地へ行きたいと思っていたのさ”というフレーズが自分の郷里の伊田を想起させるのだ。

 伊田には犀川という川が流れていて、そこはきれいな川で魚釣りやもちろん川泳ぎもできた。河川敷ではテントを張ってキャンプをすることもできたはずだ。やったことはないので、“はず”としか書けないのだが…

 というわけで3月弥生である。3月になると陽水の「氷の世界」を思い出して、ついつい聴いてしまうのである。しかし歴史的名盤とはこのアルバムのことである。
 オリコン・チャートで100週以上ベスト10に入り、日本で初めてミリオン・セラー(100万枚以上)を記録したのだが、当時のミリオン・セラーは1995年現在の規模でいうと800万枚~1000万枚以上の売り上げになるという。

 一家に一枚とはまさにこのアルバムのことだと思うのである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 6日 (木)

スプリング

 3月に入り、日ごとに春めいてきた。いよいよ春が来たと実感できる。永い冬も終わり、地中にいた生き物も出てくるときだ。ちなみに3月5日は啓蟄であった。

 イギリスのロック・グループにも“スプリング”という名前のグループがあった。あったという過去形なのは、とうの昔に解散しているからである。

 アルバムも1971年に1枚しか発表していない。たぶん2ndアルバム制作途中で解散したのだろう。94年に再発された輸入盤にはボーナストラックとして3曲収録されていたからだ。Photo

 彼らが有名になったのはメロトロンが3台使用されているという話からだ。確かにクレジットには3台使用されているように書かれているが、正確にいうと、メンバーのうちの3人が使用しているというだけで、3台一度に演奏しているわけではないのである。

 それでも1曲目の"The prisoner"ではバック演奏だけでなく、フルート、ギターの音色までメロトロンを使って出している。この辺のこだわりは凄いと思った。

 全体を通しての印象は、メロトロンも使用されているが、ギターも結構頑張っているし、曲自体もなかなか出来がよく、そこそこいいグループだと思う。

 キャッチコピーでは、メロトロンが強調されているようにいわれていたが、実際は普通のロックにメロトロンがやや過剰に使用されているという感じである。

 だいたいプロデューサーがエルトン・ジョンとの作業で有名なガス・ダッジョンである。だからメロディを重視するし、曲構成にも配慮している。芸術性を志向するあまり、ポピュラリティを失ってしまうような音楽性は、このアルバムには見られない。さすがガス・ダッジョンである。

 特に2曲目の"Grail"はサビの部分はポピュラー・ミュージックと見間違えるばかりの聴きやすく歌いやすい?ものになっているし、3曲目"Boats"や5曲目"Golden fleece"ではアコースティック・ギターやエレクトリック・ギターも目立っていて、ロック性も高い。もちろんバックではメロトロンが鳴り響いている。

 1枚で終わるグループには思えないのだが、結局は1枚だけレコーディングして、ロックの歴史の中に埋没してしまった。
 当時は混沌とした時代だったのだろう。次から次へと新しいグループが生まれては消えていった。余程の個性と実力、運がなければ生き残れなかったのでる。

 彼らは渡英していたヴェルヴェット・アンダーグラウンドとともにツアーをして回ったが、結局、売れずに終わった。
 ボーカルでメロトロン担当のパット・モランは、プロデューサーとしてイギー・ポップやロバート・プラント、ルー・グラムと仕事をしている。

 ギター、メロトロン担当のレイ・マルティネスはセッション・ギタリストとして、アルカトラスやマイケル・チャップマン、ロバート・プラントと主にハード・ロック関連の音楽に携わり、キーボード、メロトロン担当のキップス・ブラウンはランカスターのローカル・バンドに加わった。

 ベースのエイドリアン・マロニーは音楽業界から完全に引退し、ドラムスのピック・ウイザーズはセッション・ドラマーとして、ミック・ジャガーの弟のクリス・ジャガーやバート・ヤンシュ、マグナ・カルタと主にフォーク畑を歩いた後、1978年にダイヤー・ストレーツに加入し、世界的に(バンドが)売れた。

 蛇足だが、ボーカルのパットは、どことなくグレッグ・レイクに似ている。ちょうどグレッグ・レイクの声質から深みを取り、フラットにしたらこんな感じになるのではないだろうか。

 それにしても結構いいバンドだったのに、返す返すも1枚で終わったことが残念である。いくら再結成ブームとはいえ、このバンドが再結成することはまずないであろう。
 でも一聴の価値はあるアルバムなのである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 3日 (月)

クリーム

 クリームといってもお菓子のことではない。60年代末に活躍したイギリスのロック・バンドの名前である。
 正確にいうと66年から68年の2年間しか実働していなかったグループなのだが、2年間という短期間の割には、後世に与えた影響は非常に大きいものがあった。

 バンドメンバーは、ギターにエリック・クラプトン、ベースがジャック・ブルース、ドラムスがジンジャー・ベイカーの3名であった。
 ギター、ベース、ドラムスというロックの基本フォーマットであったが、ジャズやブルースに裏打ちされたサイケデリックなロックは新鮮で、なおかつ他の追随を許さない独創性に満ち溢れていた。

 特にライヴ演奏では、アルバムの中の3~4分の曲が20分近くにも及ぶこともしばしばで、ロック・バンドにもかかわらず、そのジャズ的な即興性は3人の優れた技量に裏打ちされたものだと思う。技術的なテクニックがない限り、毎回毎回ライヴで同じ演奏をすれば、すぐに飽きてしまうからである。

 自分が初めて買った彼らのアルバムは、彼らの3枚目の「クリームの素晴らしき世界」で2枚組だった。
 当時のポリドールでは、クラプトン関係のアルバムを割安で販売していて、このアルバムも2枚組とはいえ安かったのだ。そのうち1枚はスタジオ録音で、もう1枚はフィルモアでの実況録音盤であった。

クリームの素晴らしき世界 Music クリームの素晴らしき世界

アーティスト:クリーム
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2006/06/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 スタジオ盤には名曲"White room"や"政治家"などが含まれ、実況録音盤には"Crossroads"や"Spoonful"などが収められている。
 特にライヴを聴けば分かるように、3人のエネルギーとテクニックを充分に発揮した演奏になっており、俗にいわれるインプロヴィゼイション主体のものになっていて、スタジオ盤とは全く趣をことにしているのがわかる。

 ロバート・ジョンソンの"Crossroads"では3人一体となった迫力ある演奏が聞かれ、"Spoonful"ではクラプトンのギターが、"Traintime"ではジャック・ブルースのブルーズ・ハーモニカとボーカルが、"Toad"ではジンジャー・ベイカーのドラム・ソロがフィーチャーされている。
 そういう意味でも3人の集大成的作品のようであり、おそらくこの頃にはグループの解散は規定項目になっていたのであろう。このアルバムは全米No.1になり、その後の輝かしいキャリアが待っていたにもかかわらず、彼らはあっさりとそれを捨ててしまった。

 彼らはその後も数回ライヴ演奏している。公式なものとしては1994年にロックの殿堂入りのときに、その場限りのライヴを行っているし、2005年には解散コンサートを行ったロンドンのロイヤル・アルバート・ホールとニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンで復活コンサートを行った。
 そのときのロンドン・ライヴではのちに映像となって発売されている。

リユニオン・ライヴ -アット・ロイヤル・アルバート・ホール2005 DVD リユニオン・ライヴ -アット・ロイヤル・アルバート・ホール2005

販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2005/10/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 そのときのDVDを中古で購入して見たのだが、さすがにみんな還暦を超え、年とっていた。特にジャック・ブルースは皺だらけのように見えた。そして声にも艶はなかった。

 しかし演奏技術に関しては、さすがに素晴らしいものがあった。ジンジャー・ベイカーなどは革靴のようなものを履いていて、そんなものでバスドラ叩けるのかと思ったのだが、いやいやどうしてどうして、若干手数は減ったかなとは思うものの、随所にベテランの味わいを見せてくれた。

 「クリームの素晴らしき世界」のオリジナル・タイトルは“Wheels of Fire”といい、直訳すると“火の車”という意味になるであろう。
 そのタイトル通り、この2枚組には当時の3人の火を噴くようなバトルが展開されているのである。そして残念ながら、その車はこのアルバムで燃え尽きてしまったようである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 2日 (日)

チーム・バチスタの栄光

 先日、映画が1000円だったので久しぶりに見に行った。しかも久しぶりの邦画である。タイトルは「チーム・バチスタの栄光」で、1000円にしては、なかなか面白い映画だった。

チーム・バチスタの栄光オリジナルサウンドトラック Music チーム・バチスタの栄光オリジナルサウンドトラック

アーティスト:サントラ,山口良一
販売元:rhythm zone
発売日:2008/03/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 もともとこの映画は、ベストセラーになった「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した小説を映画化したもので、原作をお読みになった方はご存知のように、ほぼ原作に忠実に映画化されている。

チーム・バチスタの栄光(上) 「このミス」大賞シリーズ [宝島社文庫] (宝島社文庫 599) Book チーム・バチスタの栄光(上) 「このミス」大賞シリーズ [宝島社文庫] (宝島社文庫 599)

著者:海堂 尊
販売元:宝島社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 肥大化した心臓の一部を削除し、縫合することで小さくする手術をバチスタ手術といい、これはそういう手術を初めて行ったバチスタという人の名前からとられたものらしい。
 それで“神の手”という異名を持つ桐生助教授(当時の呼称)は、このバチスタ手術の世界的権威であるのだが、続けてその手術に失敗し、患者を死なせてしまう。

 その原因を探るために、同じ病院内で神経内科の田口講師が選ばれるのだが、やはり畑違いなせいか、なかなか原因が分からない。そしてついにその田口講師の目の前で術死が起こるのである。

 しかしそこに厚生労働省から派遣された異色の官僚、白鳥氏が病院に訪れ、関係者と様々な軋轢を引き起こしながらも、最後はその原因を解き明かし、犯人を特定するのである。つまりこの術死は事故ではなく、殺人事件だったのだ。

チーム・バチスタの栄光(下) 「このミス」大賞シリーズ [宝島社文庫] (宝島社文庫 (600)) Book チーム・バチスタの栄光(下) 「このミス」大賞シリーズ [宝島社文庫] (宝島社文庫 (600))

著者:海堂 尊
販売元:宝島社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 原作と違うところは、田口講師が男性から女性に代わっていること、白鳥氏の登場の仕方と体型ぐらいだろうか。もちろんロックンローラーを夢見る患者が病院の中庭で歌を歌うシーンもなかったが、そういうのは些細なことだと思う。

 映画では白鳥氏はソフトボールはしないし、体型はディクスン・カーの小説に出てくるフェル博士並みとはいわないが、結構太いように描写されていた。
 しかしそういう違いが気にならないほど、阿部寛の怪演?は見事であったと思う。ああいうアクの強い演技をやらせれば、当第一の名優ではないだろうか。

 また共演した竹内結子も自分自身の癒しやセラピーにもなったのではないのだろうか。この映画に打ち込むことによって、彼女自身もスッキリし、演技の幅も広がったように思える。ついつい余計なことを考えてしまうほど、彼女の演技はよかった。

 ただやはり小説の方が隅々まで描写が行き届いていて、イメージを膨らませやすい。だから映画だけではテンポが速すぎて、あっという間に終わってしまうのが惜しい。特に小説の中の白鳥氏のキャラクターの方が異色で際立っているのだが、映画の中でそれがもう少し描かれてもよかったのではないかと思った。

 映画は時間的な制約があるせいか、どうしても視覚中心、イメージ先行という観がある。あのダン・ブラウンの小説「ダ・ヴィンチ・コード」でもそうであったように…

 原作者は現役の医師であるペンネーム海堂尊という人である。現役医師だけあって、大学病院内の人間関係や手術中の描写などは、一般の人にも分かりやすく描かれている。この白鳥&田口の名コンビは、次作のミステリー「ナイチンゲールの沈黙」にも登場しており、どうもシリーズ化しそうである。

ナイチンゲールの沈黙 Book ナイチンゲールの沈黙

著者:海堂 尊
販売元:宝島社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 しかしこの海堂という人、医師が作家になったのか作家が医師になったのか、ストーリー展開や心理描写なども巧に描いていて、才能の素晴らしさを感じさせてくれる。天は二物を与えているのである。私には与えてくれなかったのだが…

 というわけで今回はひさしぶりに映画の印象を記してみた。これからも安いときは映画を見に行きたいと思っている。最後まで貧乏性なのである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 1日 (土)

ボブ・ウェルチ

 自分は子どものときから“友だち”と呼べる人がいなかったように思う。いまだにいないのだが、年を取ってからいないのと、子どもの頃にいないのとでは、格段に意味が違う。

 おとなになれば、友だちがいなくても他のもので気を紛らすことが出来る。例えば、こんな誰も読まないようなブログでも書いて、自己満足することはできる。
 しかし、子どもの頃に友だちがいないということは、全世界のなかで孤立しているようなものである。ほんとはそうではないのだが、子どもにとってはまさに断崖絶壁に立たされているようなもの。いるかいないかで、これほど明暗の分かれることはない。

 小学校の低学年のとき、なかなか遊び仲間に加えてもらえなかった。自分から“一緒に遊ぼう”といっても、“もう間に合っているから”と何回か断られた思い出がある。
 あるときはついに泣き出してしまった。そのときには一緒に遊んでもらったような気がする。

 でもいつも泣くわけにはいかない。そんな意気地なしかと思われてしまうだけである。そのとき校舎の違う場所で遊んでいる集団があった。その子たちに声をかけてみると、本当に仲良く遊んでくれた。

 当時、彼らは“特殊学級”と呼ばれるところで学び、過ごしていた。普通の生徒とは違う生徒たちばかりであった。要するに肢体不自由児や知的障がいを持つ子どもたちである。

 “普通の子”に相手にされなかった自分は、そういう“普通でない”子どもたちから温かく迎えられた。一緒に遊んでくれるし、好きな本を自由に読むことができた。小学校の低学年だから、読む本は普通の子であれ、特殊学級の子であれ、似たようなものである。

 また当時のお菓子についていた景品のオマケを交換してくれた。ウルトラマンの怪獣のミニチュアなどで、同じものがあれば、相手に言ってかえっこしてもらった。今でいうポケモンなどのトレーディング・カードのようなものだ。

 あるとき彼らの一人が、授業中に自分のいる教室に来て、担任の先生が授業をしている前で自分にそういうオマケをくれたことがあった。
 自分はどうしたかというと、席を立って素直にありがとうと言って受け取った。それ以来彼らは私の周りに姿を現さなくなった。

 アメリカ人のボブ・ウェルチは1946年7月31日生まれである。父親はパラマウント映画の有名なプロデューサーで、母親は歌手で女優、あのオーソン・ウェルズと舞台で共演したこともあったそうである。

 ボブ自身は最初はクラリネットを吹いていたが、そのうちギターに変え、ジャズやR&B、ロックに興味を持つようになった。
 60年代の後半にソルボンヌ大学に留学するためにフランスのパリに赴くが、途中で退学してしまう。当時全世界的に流行ったサマー・オブ・ラヴの影響を受けたのだろう。

 1971年にイギリスの伝説的ブルーズ・バンド、“フリートウッド・マック”にアメリカ人として初めて加入した。かつてのマックには有名なジェレミー・スペンサーやピーター・グリーンなどがいたのだが、当時は2人ともグループを抜けてしまっていたのだ。

 彼の加入で、グループの音楽はアメリカナイズされた。純粋なブルーズからポップなテイストをもつ音楽へと変化していったのだ。
 それに伴って彼らも徐々にではあるがセールス的に売れ始めた。やはりブルーズよりもポップなミュージックの方が需要が多いのであろう。それは今も昔も同じである。

 しかし4枚のアルバムに参加したあと、1974年の12月に彼もまたバンドを離れた。理由は精神的、身体的な疲労というものであった。彼はメイン・ライターでもあり、ボーカリスト、ギタリストを兼ねていたが、その重圧に負けたのだろうか。
 あるいはバンドのフロントマンであるにもかかわらず、リーダーはドラムのミック・フリートウッドだったために、バンドに対してリーダーシップを取れなかった歯がゆさみたいなものがあったのだろうか。

 その後彼は自身のバンド、パリスを結成するもわずか2年足らずで解散させ、ソロ・キャリアをスタートさせた。そしてあの名曲"センティメンタル・レディ"が含まれたアルバム、「フレンチ・キッス」を発表するのである。1977年のことであった。

【Aポイント+メール便送料無料】ボブ・ウェルチ Bob Welch / French Kiss (輸入盤CD) 【Aポイント+メール便送料無料】ボブ・ウェルチ Bob Welch / French Kiss (輸入盤CD)

販売元:あめりかん・ぱい
楽天市場で詳細を確認する

 バンド名の“パリス”といい、“フレンチ・キッス”といい、若かりし頃パリで学んだ経験(あるいは挫折した経験)が後々まで尾をひいていたのだろうか。
 このアルバムはプラチナ・アルバムを獲得し、ここから3曲のシングル・ヒットが生まれた。
 続くアルバム「スリー・ハーツ」もゴールド・ディスクを獲得したが、その後彼はヘロイン中毒になり音楽シーンから一時遠ざかってしまうのである。  

 ボブ・ウェルチの音楽観は首尾一貫していたのだと思う。1977年に大ヒットした"センティメンタル・レディ"も実は72年に発表したアルバム「枯れ木」のなかに収められていた。つまり5年後に大ヒットしたわけである。

 時代の流れみたいなものもあったのだろうが、彼にしてみれば何で今頃ヒットするのという不思議な気持ちもあったのではないだろうか。つまり普通にやっていたことが評価されずに、あとになって褒め称えられたのだ。彼にとっては何が何だかわけが分からず、成功に溺れて自分を見失いドラッグに走ってしまったといえまいか。

  何が普通で何が普通でないのかは相対的な価値観である。特殊学級の生徒から見れば、普通の人の方が特殊なのかもしれない。人数の多寡によって、普通といわれ、特殊といわれる。
 自分にとっては相手にしてくれなかった普通の人が特殊であり、特殊学級の生徒の方が普通だったのだ。 
 そして自分は今も当時遊んでくれた特殊学級の生徒に感謝している。自分にとっては特殊でも何でもなく普通の子どもたちだったのである。

 ロック・ミュージックとは異形の音楽である。普通の人が聴く音楽とは違う。普通は歌謡曲やJ-POPなどを聴くのだろうが、普通でない人はロックに向かうのである。ちょうど自分が普通でないといわれた人たちと一緒に遊んだように。

| コメント (0) | トラックバック (1)

« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »