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2008年5月

2008年5月30日 (金)

ジャミング・ウィズ・エドワード

 ニッキー・ホプキンス関連のアルバムを1枚紹介する。1972年に発表された「ジャミング・ウィズ・エドワード」である。

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 もとは1969年のアルバム「レット・イット・ブリード」制作時にジャム・セッションを行っていて、それを録音したものである。
 「レット・イット・ブリード」はブライアン・ジョーンズ脱退前後に録音され発表されたもので、今ではロックの古典として評価されているストーンズの代表的なアルバムの1枚である。

レット・イット・ブリード Music レット・イット・ブリード

アーティスト:ザ・ローリング・ストーンズ
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 その録音時にキース・リチャーズだけがなかなか来なかった。ようやく到着したものの、当時のエンジニアであるグリン・ジョーンズの言葉を借りると“アニタがキースになぜか家に帰ってきて欲しがったんだ。それでキースは帰宅した”となるらしい。

 要するに当時のキースの事実上の妻であったアニタ・パレンバーグがキース・リチャーズに電話をして家に帰らせたということだった。(ちなみにアニタはブライアン・ジョーンズと最初に付き合っていたが、破局しキースの元に走ったのだった)

 それで残ったメンバーでジャム・セッションを行った。残ったメンバーというのは、ミック・ジャガー、チャーリー・ワッツ、ビル・ワイマンのストーンズ組に、ニッキー・ホプキンス、ライ・クーダーであった。

 ジャム・セッションなので、録音状態はそんなにはよくない。CDになっているのを聴いても、特にミックのボーカルがイマイチはっきりしない状態だ。
 しかしそれを補ってあまりあるatomasphereを感じることができると思う。

 特にライ・クーダーのスライド・ギターは素晴らしいし、ニッキー・ホプキンスもまたジャム・セッションという空気のせいか、自由に伸び伸びと演奏している。

 特にエルモア・ジェイムズの曲をカヴァーした"It hurts me too"でのライのスライド・ギターは見事だと思う。もっときちんと録音しなおしてアルバムで発表してもいいと思うくらいの出来である。また4曲目の"Blow with Ry"もお見事である。後ろから聞こえてくるミックのボーカルが邪魔に思えてくるほどだ。

 彼はストーンズが俺のフレーズを盗んだと、後に息巻いて訴えたりするのだが、確かにこれほど素晴らしいジャム・セッションをすれば、この中のいくつかは借用したい気持ちになってくるであろう。さらにライ・クーダーは、"ホンキー・トンク・ウィミン"のフレーズも自分のだと主張している。

 実際、「レット・イット・ブリード」には"Love in vain"のマンドリンでのライ・クーダーのクレジットがあるだけで、一緒にセッションした割には、それだけではないだろうと素人なりに思ったりもする。

 そういうわけで、ブライアン・ジョーンズの代わりにライ・クーダーをギタリストとして加入することにはならなかったのだが、ニッキー・ホプキンスの方は相変わらずいい仕事をしているようで、3曲目"Edward's Thrump up"や6曲目"Highland Fling"での彼のプレイはさすがと言うほかはない。
 とにかくクラシックからロック、ジャズと幅広くどんな音楽にもあわせて弾ける彼の技量は本当に素晴らしいと思う。

 なぜ“エドワード”がニッキー・ホプキンスのことを指すのかは、彼が持っていた本の中にエドワード朝時代の本があったことからそういうようになったらしいのだが、彼の優雅なピアノ・プレイ自体もそういう雰囲気を持っていたのかもしれない。

 このCDは1995年に発売されたのだが、その前年に亡くなったニッキー・ホプキンスの追悼盤の意味合いもあったのだろうか。ちなみにアルバム・ジャケット表裏の絵はニッキーの作品(というよりもいたずら書き)といわれている。

 確かに、ラフで大雑把なつくりのアルバムなのだが、ライ・クーダーとニッキー・ホプキンスのプレイを聞くだけでも価値のあるアルバムだと思うのである。

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2008年5月27日 (火)

ニッキー・ホプキンス

 ニッキー・ホプキンスのアルバム「夢みる人」を久しぶりに聴いてみた。ただ何となく聴いてみようと思って聴いてみたのだけれど、初めて聴いたときの印象とは随分と違って聞こえた。 Photo

 最初は何となく印象の残らないパットしないアルバムだと思ったのだが、今回聴いてみたところ、結構これがいいのである。
 ニッキー自身のボーカルも好感が持てるほどハマっているし、もちろん彼のトレードマークともいえる流麗なピアノも健在である。

 このアルバムは1973年に発表されたものであるが、前年にはニルソンやカーリー・サイモンのアルバムに参加しているし、73年にはジョージ・ハリソンやリンゴ・スター、ドノヴァンのアルバムにも参加している。

 確かに60年代後半から80年代にかけての彼は、当代一流のセッション・プレイヤーとして活躍した。1966年のキンクスの「フェイス・トゥ・フェイス」や1971年のザ・フーのアルバム「フーズ・ネクスト」にも参加しているし、リック・スプリングフィールド作の85年の「タオ」、89年のポール・マッカートニーの「フラワーズ・イン・ザ・ダート」、90年のゲイリー・ムーアの「スティル・ガット・ザ・ブルーズ」と枚挙に暇がないほどである。

 意外なところではファッツ・ドミノ、ジャイル・ジャイルズ&フィリップス、グラハム・パーカー&ザ・ルーモア、マーク・ボラン、ピーター・フランプトン、ファミリー、ストローブス、マーク・アーモンド、アンディ・ウィリアムス、アート・ガーファンクル、ベイ・シティ・ローラーズ、ロニー・ドネガン、ポインター・シスターズ、バッドフィンガー、エディ・マネー、ローウェル・ジョージ、ニルス・ロフグレン、ランディ・マイズナー、ミートローフ、日本の浜田省吾などもいる。

 まさにブラック・ミュージックからパンクまで幅広いものがある。参加していないジャンルはラップ・ミュージックくらいだろうか。それくらい多方面で引っ張りだこであった。

 彼自身が参加したグループは、初期のビート・グループを除いて、ジェフ・ベック・グループ、サンフランシスコのバンドであるクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、短期間しか活動しなかったスィート・サーズディやマンフレッド・マンズ・アース・バンドのクリス・トンプソンのバンド、ナイトなど数えるほどしかない。

 それでこのアルバムだが、全10曲。いずれも彼のピアノを味わえる佳曲である。また彼のボーカルもいい味を出している。ふと思いついたのだが、キャラヴァンのリチャード・シンクレアの歌声に似ている気がするのだ。

 最初は1分30秒くらいの短いピアノだけのインストゥルメンタルで、このアルバムの導入曲であろう。続いて彼の持ち味である流れるようなピアノが聞こえてきて、"Waiting for the band"が始まる。これも2分程度と短い曲であるが、メロディもしっかりしていて、シングル・ヒットも充分狙えたのではないだろうか。

 3曲目もインストゥルメンタルで、タイトルは"Edward"。これはニッキー・ホプキンス自身を指すらしい。3部形式になっていて、最初と最後はアップテンポでギターがフィーチャーされ、中間部にはサックスが強調されている。

 4曲目はホプキンス版“アンジー”ともいうべきバラード、"Dolly"である。これは世界最初のクローン羊のドリーのことではなく、ニッキーの奥さんの名前である。彼女について切々と歌っている。

 この4曲目と5曲目"Speed on"、7曲目"Banana Anna"、8曲目"Lawyer's lament"はテキサス出身のブルーズ・マン、ジェリー・リン・ウィリアムスとの共作で、ボーカルにも彼が参加している。
 ちなみにジェリー・ウィリアムスはクラプトンで有名な"Forever man"や"Journeyman"を作ったことでも有名である。
 
 彼がボーカルに参加している曲は、サザン・テイスト溢れるファンキーなR&Bテイストを持っている。一方で6曲目のアルバム・タイトル曲"The Dreamer"や8曲目"Lawyer's lament"などでは叙情味のある音を出している。
 こういう叙情味溢れる楽曲にこそニッキー・ホプキンスの真骨頂が表れていると思うのである。だからこのアルバムではニッキーのピアノを生かした曲とR&B風味の曲を味わうことができる。

 ゲスト陣も豪華で、たぶん"Living in the material world"の延長だと思うのだが、ベースにクラウス・ヴアマン、サックスにボビー・キーズ、ギターにジョージ・オハラという変名でジョージ・ハリソンが参加している。
 それ以外にも、パーカッションにレイ・クーパー、ギターにミック・テイラーとクリス・スペディング、アコースティック・ギターにはクリス・レアも参加している。
 "Speed on"ではミック・テイラーがリズム・ギターを、ジョージ・ハリソンがリード・ギターを弾いているし、"Lawyer's lament"ではミックがリード・ギターを担当している。

 最終曲"Pig's boogie"ではギターがクリス・スペディングで、2分少々の短い曲ながら印象的なフレーズを弾いている。
 だからそういうわけで、聴けば聴くほどいい味わいを出しているアルバムなのである。

 ただ残念なことにニッキー・ホプキンスは1994年9月6日、アメリカのナッシュビルで亡くなった。腸の手術後の合併症によるものらしいが、もともと彼は欧米人に多いクローン病という持病を持っており、そのせいでツアーはあまりできず、スタジオでのセッション活動を行うようになったらしい。享年50歳であった。

 ちなみにクローン病とは遺伝的なものが原因で体内の消化器官に炎症や潰瘍が起こる病気であり、彼が腸の手術を行ったのも、おそらくその病気が原因だと思われる。

 生きていれば、おそらく数多くのミュージシャンとセッションを行っていたことは間違いない。どうか天国でジョンやジョージ、キース・ムーンらと豪華セッションを繰り広げていてほしいものだ。
 この「夢みる人」は、そういう思いをさせてくれる、まことに優れたアルバムなのである。

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2008年5月25日 (日)

ミック・テイラー

 ローリング・ストーンズの黄金時代を築いた名ギタリスト、ミック・テイラーのことについて記したい。
 ミック・テイラーは1948年1月生まれなので、今年でちょうど還暦を迎えた。子どもの頃から音楽好きで、9歳からギターを始めたと言われている。なるほど彼のプレイは幼いときから磨かれてきたもののようだ。

 彼のことを語るときに避けて通れない話がある。それはイギリスの伝説的バンドであるジョン・メイオール&ブルースブレイカーズに参加するきっかけになった逸話である。

 ある日、ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズがライヴを行ったのだが、バンドの中心的人物であるギタリストのエリック・クラプトンが出演していなかった。理由はよく分からないが、彼抜きで演奏を始めたらしい。
 第1部が終わって、2部の始まる前に楽屋にある少年が現れて、自分にクラプトンのパートを弾かせてほしい、彼の演奏なら完全コピーできるといったらしい。
 それで実際に弾かせてみたところ上手にできたので、第2部は彼をギタリストに据えて演奏を行ったそうである。

 この話が本当かどうかは分からないが、確かにジョン・メイオールならそれくらいのことを許す度量があるだろうし、ミック・テイラーなら実際に可能だと思わせてくれる実力を持っている。

 そして17歳でミック・テイラーは、ピーター・グリーンの後を受けて、ブルースブレイカーズに参加したのであった。
 この後、約3年間はブルースブレイカーズの一員として活動したのだが、このときが彼の修行時代だったのかもしれない。

 そして1969年に脱退したブライアン・ジョーンズの代わりに、ローリング・ストーンズに参加したのであった。このときまだ若干21歳。あの天下のストーンズから参加要請があったのだから、天にも上る心持ちだっただろうことは想像に難くない。

 そしてストーンズでの活躍は以前のブログでも述べたのでここでは割愛をする。とにかく1969年から74年までの5年間はストーンズのリード・ギタリストとしてレコーディングに、ライヴ活動にと充実した時期だったに違いないし、ストーンズ・ファンも音楽的にはこの時期が一番優れていたと認めるに違いない。

 彼がストーンズを脱退して5年後に発表したソロ・アルバムがある。「ミック・テイラー」という自分の名前を冠したアルバムであった。

ミック・テイラー ミック・テイラー

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 ここで聞かれる彼の音は、非常にリラックスして、彼自身が求める音をパッケージングしたような印象を与えてくれる。
 1曲目の"Leather Jacket"はウェストコースト風の軽いタッチの曲で、充分ヒットも狙えるようなポップな曲作りになっているし、続く"Alabama"はアコースティックなミディアム・テンポのブルーズ・ロックである。

 彼の豊かな才能をこれでもかと見せ付けている点では優れたアルバムといえるが、残念ながらブルーズからフュージョン風までと幅が広く、焦点化されていない。もう少し絞って、曲をまとめていけば、もう少し売れたに違いないと思うのである。

 特に後半になるにつれて、当時流行っていたジェフ・ベックの「ワイアード」っぽくなって行くのには、少し閉口した。ファンが彼に求めているのは、やはりストーンズでのカッコいいリード・ギター・プレイであり、ブルージィなロックだと思うからだ。

 彼としてはそういうストーンズの幻影から逃れたくて、こういう幅の広い趣味性を開示して見せたと思うのだが、周りの見方と違っていたのではないだろうか。

 そんな彼が20年の沈黙を破って1999年に発表したアルバムが「ア・ストーンズ・スロー」である。Photo
 はっきり言って、これは隠れた名盤である。まさに最初から最後までブルーズに立脚したロック・ミュージックを楽しむことができるからだ。

 3曲目の"Never fall in love again"のスライド・ギターは感動もので、曲自体も70年代のポップなストーンズのような雰囲気を漂わせてくれている。
 全体的に、アルバム「ミック・テイラー」よりもギターを弾きまくっているし、歌いまくっている。結構彼のボーカルも面白い。そんなに上手ではないのだが、一生懸命歌っているのが、聞き手に伝わってくる。

 ゲストにはキーボードにジェフ・ベックと共演したマックス・ミドルトン、ドラムスには元イースト・オブ・エデンのジェフ・アレン、ベースにはマイケル・ベイリーとスノーウィ・ホワイトとも共演した日本人のクマ原田が参加している。なかなか渋い人選である。

 そしてこのアルバムは焦点が絞られているので、聞いていて彼の音楽と一体感を味わうことができる。だから彼のファンなら安心して聴くことができるのだ。

 またボブ・ディランの1983年のアルバム「インフェデル」発表時の未発表曲だった"Blind Willy Mctell"はなかなか秀逸な曲である。ディランの作品だから悪かろうはずがない。

 日本盤のボーナス・トラックには、ミックがストーンズ時代にキースと共作した曲"Separately"とジミ・ヘンドリックスの"Red house"のライヴ・ヴァージョンが収められている。
 前者はオシャレな雰囲気を持つものであり、アルバム「刺青の男」の後半の雰囲気によく似ている。
 後者の曲ではジミ・ヘンというよりも、クラプトンのように弾きながら歌っている。

 ミック・テイラーの公認スタジオ録音アルバムは今のところこの2枚だけで、これ以外のは彼が認めていないものだそうである。それにしても寡作である。
 確かにライヴ活動はジャック・ブルースと共演したり、日本にも来日公演に来たりと結構頻繁に行っている。ライヴで忙しくてスタジオにこもれないのだろうか。

 いずれにしても元ストーンズのメンバーとして、まだまだ頑張ってほしいものである。ミック・ジャガーやキースのようにもう少し体を絞っていけば、彼もまだまだイケると思うのだがどうだろうか。

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2008年5月24日 (土)

スティッキー・フィンガーズ

 マリアンヌ・フェイスフルについて書いていたときに、ローリング・ストーンズが彼女のことについて歌った曲"シスター・モ-フィン"について、ドラッグ中毒に陥った彼女のことを偲んで作った曲というふうに書いた。

 このことが正しいのかどうか、アルバム「スティッキー・フィンガーズ」を引っ張り出して、歌詞カードを見ながら聴いてみた。実に数年ぶりのことであった。

「俺はこの病院のベッドに横たわっている
教えてくれ、シスター・モルヒネ
次はいつ回ってくるんだ
俺はそんなに長く待てねえよ
わかるだろ、俺の痛みが強いことを

救急車のサイレンが俺の耳に響いてくる
教えてくれ、シスター・モルヒネ
俺はどれくらいここにいるんだ
ここで何をしていたんだ
なぜその医者には顔がないんだ
床を這うこともできやしねえ
わかるだろ、シスター・モルヒネ
俺はただよくなろうとしているだけなんだ」
(訳:プロフェッサー・ケイ)

 見て分かるように、決してマリアンヌのことを愛しく思ったり、偲んだりしているわけではなさそうだ。むしろ、自分も含めてマリアンヌのような麻薬中毒者を皮肉っているような内容であった。ミック・ジャガーもおそらく彼女に対しては、複雑な気持ちだったのだろう。

 それにしてもこのアルバム「スティッキー・フィンガーズ」は名盤である。70年代のストーンズの快進撃のきっかけとなった大傑作アルバムではないだろうか。

スティッキー・フィンガーズ Music スティッキー・フィンガーズ

アーティスト:ザ・ローリング・ストーンズ
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 何しろ曲がよい、ギターがよい、そして極め付きは、ファスナー付きアルバム・ジャケットが衝撃的という、すべてがインパクトの強いアルバムであった。

 このアルバムから、ストーンズは自分たちが設立した会社、ローリング・ストーンズ・レコードから発表しているのだが、アルバム・ジャケットとあの舌出しで有名なロゴ・マークを考案したのは、ヴェルベット・アンダーグラウンドのところでも述べたアンディ・ウォーホールだった。

 このアルバムをLPレコードとしても持っているのだが、アルバム棚に並べていると、このファスナー部分が次のレコードの背中の部分に当たってしまい、そのところだけくぼんでしまった。くぼんだレコードのタイトルは「山羊の頭のスープ」である。
 だからファスナーの金属部分に綿を当てたりもしたものだった。今はそんなことはしていないけれども。

 そういう素晴らしいジャケット・デザインに包まれたアルバムは本当に内容も素晴らしく、今回も聴きながら感動してしまった。
 ストーンズ独特のノリや黒人音楽の影響、ワイルドでいかがわしい歌詞など、この時期のストーンズでしか味わえない雰囲気を漂わせていて、どの曲から聞いてもいいと思う。

 実際、このアルバムに収められている曲は全てライヴで演奏されている。そういうアルバムはこのアルバムと「レット・イット・ブリード」、「女たち」、「ブラック・アンド・ブルー」だけだそうである。

 シングル・カットもされた"Brown Sugar"やアップ・テンポの"Bitich"、途中のスライド・ギターやエンディングのギターがカッコいい"Sway"など、ストーンズの定番のような曲もあるし、叙情的なカントリー・ロック的なバラード"Wild horses"、もろブルーズな"You gotta move"、"I got the blues"、アコースティックな"Dead flowers"、ジャズっぽい"Can't you hear me knocking"など聞きどころが満載である。

 もちろん"Sister Morphine"もあるのだが、初めて聞いてビックリしたのは、"Can't you hear me knocking"と"Moonlight mile"である。
 前者はこんなにストーンズは演奏が上手だったのかという素直な驚きをもたらしてくれた。後者は中国風というか東洋的な、ちょうど香港のように東洋と西洋が出会ったような音が印象的だった。こんな曲も書けるのかと、あらためてストーンズの偉大さに感服してしまった。

 また、イアン・スチュワートやビリー・プレストン、ライ・クーダーなどのゲスト陣もいい仕事をしている。自分たちの設立した会社からの最初のアルバムということで、気合を入れて制作したのだろうか。

 でも結局は、ミック・テイラーのいた頃のストーンズが、今となって考えれば、自分は好きだったのかもしれない。
 このアルバムから「メイン・ストリートのならず者」、「山羊の頭のスープ」、「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」の頃のストーンズが一番ロックしているようで大好きなのである。

 寡黙なミック・テイラーだったが、音楽に対する姿勢はストイックであり、求道的でもあった。ストーンズというグループにいて決しておごらず、自分を見失わず、自分の道を求めてストーンズを去っていったその生き様が共感を呼ぶのではないかと、自分なりにその理由を考えている。

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2008年5月21日 (水)

マリアンヌ・フェイスフル

 マリアンヌ・フェイスフルのアルバムを買った。2002年に発表されたもので、もちろん中古CDであるが、タイトルを「キスィン・タイム」という。なかなか洒落た名前ではないか。

Kissin' Time Music Kissin' Time

アーティスト:Marianne Faithfull
販売元:EMI
発売日:2002/03/12
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 ご存知のように、マリアンヌ・フェイスフルほど浮き沈みの激しい人生を送っている人は滅多にいない。日本でいうと、古いところでは内藤やすこ、新しいところでは元モー娘の加護亜依のようだ。加護亜依はこれからどんな人生を送るのか目が離せない。

 ちなみに内藤やすこは、浪曲師の両親を持つ歌手で、1975年にデビューし、その独特のハスキー・ヴォイスと歌唱力で一躍有名になったが、2年後の77年に大麻所持で逮捕され、芸能活動を一時自粛した人である。自粛後、NHK紅白歌合戦にも出場した。現在57歳だが、2006年脳内出血で倒れて以来リハビリ中である。

 マリアンヌも彼女の歌よりも、その人生の方に常に注目されてきた。アラン・ドロンとも共演した映画「あの胸にもういちど」でのマリアンヌは、ルパン3世に出てくる峰不二子のモデルになったとも言われている。その映画を見ていないのでなんともいえないのだが、確かに美しさでは峰不二子以上かもしれない。

 彼女は1941年にロンドンで生まれた。父親は大学教授で、母親はオーストリアの貴族の家系を継ぐ人であったらしい。だからデビューしたての彼女は、そのイメージが先行していて、さらにまたその清楚な印象と清らかな歌声のせいで、一躍アイドル界のトップに躍り出た。

 しかし実際は、幼い頃に両親が離婚し、彼女自身は修道院で育てられたらしい。だから決して裕福な子ども時代ではなかったのである。また、芸能界に入る前の17歳の時には、すでに結婚していたから、汚れを知らぬ少女というわけではなかったのだ。

 当時の彼女の夫とローリング・ストーンズのマネージャーであるアンドリュー・オールダムとが知り合いであり、それがきっかけとなって彼女はデビューした。

 最初のシングル曲"涙あふれて"は、もちろんジャガー=リチャーズの曲であり、ストーンズ自身も歌っている曲であるが、これがヒットして、TVや映画に出演するようにもなった。1964年のことであった。

Marianne Faithfull Music Marianne Faithfull

アーティスト:Marianne Faithfull
販売元:Deram
発売日:2000/05/02
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 彼女はローリング・ストーンズの恋人といわれていて、最初はミック・ジャガーと付き合っていたのだが、彼の子どもを流産したり、精神的に不安定になったりして酒とドラッグにハマってしまってしまい、ミック以外のメンバーやグループ外の男性とも付き合ったらしい。
 そういう自堕落な生活が続いたせいか、精神的にも追い詰められてしまい、自殺未遂やアルコールとドラッグ中毒と入院を繰り返すようになった。そしてミックと別れてからも、人間不信が続いたりしたという。

 ストーンズのアルバム「スティッキー・フィンガーズ」に収められている曲"シスター・モーフィン"(モーフィンとはモルヒネのこと)は、マリアンヌ・フェイスフルのことを歌っていて、つまりモルヒネにまで手を出してしまって、現実社会に戻って来れない彼女のことを偲んで作った曲である。(と勝手に解釈しているのだが、もう一度歌詞カードを見てみようと思う)

 それで60年代後半からの約10年間は忘れ去られた状態だった。また思い出されても“堕天使”とか“汚れた少女”、“天使の顔をした娼婦”とまで言われる始末で、スキャンダラスなイメージが常につきまとっていた。

 それが1979年のアルバム「ブロークン・イングリッシュ」で一躍脚光を浴び、再び奇跡的にも芸能界に復帰することができた。ドスのきいたしわがれた声とともに…

Broken English Music Broken English

アーティスト:Marianne Faithfull
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 実際は60年代後半から彼女の声は変容してきていて、あの天使のような歌声は消えてしまっていた。もちろんアルコールとドラッグ、精神的なダメージからである。だからアルバムを聞く前は、ルー・リードとスティーヴィー・ニックスを足して2で割ったような印象を持っていた。

 最近の彼女は映画「マリー・アントワネット」の女帝マリア・テレジア役やフランス映画「パリ・ジュテーム」にも出演しており、音楽界だけでなく映画界でも活躍している。

 ところでアルバム「キスィン・タイム」であるが、これが意外と聞きやすくてよかった。もっとおどろおどろしいダークなイメージを抱いていたのであるが、"Like being born"、"I'm on fire"、"Wherever I go"など、かなりポップな曲が多かった。

 このアルバムではベック、ブラー、スマッシング・パンプキンのビリー・コーガン、元パルプのジャーヴィス・コッカー、ユーリズミックスのデイヴ・ステュワートなど英米のミュージシャンが参加して、彼女とコラボレートしている。
 特にビリー・コーガンやジャーヴィス・コッカーとの共演では、マリアンヌ自身の生き生きとした歌声、ただしドスのきいた声は相変わらずだが、を聞くことができて、よかった。60歳を超えたいまでも現役として活躍していることが、特に昔を知るものにとってはうれしさ2倍以上ではないだろうか。

 とにかくこのアルバムを聞いて、マリアンヌ・フェイスフルに対する認識が変わったようだ。彼女は貫禄がついて、野太い声をしていても、歌に対する感情はピュアなままなのかもしれない。

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2008年5月17日 (土)

アラン・トゥーサン

 アラン・トゥーサンの名前を知ったのは、中学生の頃だった。ウィングスのアルバム「ヴィーナス&マーズ」に彼が参加していたからだった。
 あのポール・マッカートニーがニューオリンズにあこがれて、このアルバムはL.A.とニューオリンズで録音されている。

 そしてニューオリンズ音楽の立役者といえば、やはりアラン・トゥーサンであろう。あるいはポールは、アラン・トゥーサンに会うためにニューオリンズに来たのかもしれない。

 彼は1曲しかピアノで参加していないのであるが、それがシングルにもなった"ロック・ショー"だった。

 それでポールが会いに行くぐらいだから、そんなに凄いアーティストなのかと思い、記憶の片隅に残ったのである。

 しばらく時がたって、おとなになったときに、アメリカの南部音楽やそれに影響を受けたグループの音楽を聞くことがあり、アルバムの解説にもしばしば彼の名前を見かけるようになった。
 そのときに中学生の頃、彼の名前を聞いたことを思い出したのである。それで彼の代表作といわれている「サザン・ナイツ」を購入して聞いてみた。

サザン・ナイツ Music サザン・ナイツ

アーティスト:アラン・トゥーサン
販売元:Warner Music Japan =music=
発売日:2008/05/28
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 私の耳にはそんなに驚くほどの名作、傑作とは聞こえなかったのだが、確かにニューオリンズの音楽というか、南部の土の香りが漂ってくるようなアルバムだった。

 ニューオリンズに限らず、アメリカ南部音楽はリズムとブラスに特徴がある。専門的なことは分からないのだが、ベースが小刻みに動いたり、ドラムだけでなくコンガなどのパーカッションも使用され、思わずスゥイングしてしまうような雰囲気を持っている。これはディキシーランドやニューオリンズなどのジャズの影響があるのだろうか。

 またサックスなどのブラスの使い方も巧みである。特にスローなバラードにはここぞというときに流れてくるので、感動的な面持ちに浸ってしまう。

 このアルバムにも1曲目の"ラスト・トレイン"などはリズミカルになっているし、3曲目の"バック・イン・ベイビーズ・アームズ"ではサックスが効果的に使用されている。
 それにコーラスの使い方もニューオリンズ音楽や南部音楽の特徴だと思う。カントリー&ウェスタンならこういうコーラスは使われないはずだ。しかも女性コーラスだけでなく、男性コーラスも場合によっては使われるのだ。ネヴィル・ブラザーズもニューオリンズ出身だし、そういう伝統みたいなものがあるのに違いない。

 このアルバムのハイライトは、やはりアルバム・タイトルにもなっている"サザン・ナイツ"であろうか。この曲はアメリカのシンガー、グレン・キャンベルが歌って大ヒットさせたのだが、オリジナルはアランだった。
 この曲を聴くと、何かジョン・レノンの曲を思い出してしまう。ジョンが作りそうな雰囲気を持った曲だからだ。声質は全然違うけれど、リズムをもっとシンプルにすれば、ジョンが歌ってもおかしくないと思う。

 そして南部の満点の夜空を印象付けてくれる。タイトルがそうなっているからかもしれないのだが、南部の湿地帯や川沿いで見る夜空はこういう雰囲気を携えているのかもしれない。

 またボズ・スキャッグスやローウェル・ジョージも歌った"あの子に何をして欲しいの"も収められている。アランの方があっさりとした味付けである。何か無欲な感じなのだが、飾り気のない人柄がそういう雰囲気を醸し出しているのかもしれない。

 アルバム全体も、最初の方はリズミカルな曲が多いが、後半に進むにしたがってバラードやミディアム・テンポ、スローな曲が占められてくる。決して何回も引っ張り出して聞きたいというアルバムではないのだが、確かにアルバム・タイトルのようなムードは満点である。

 アメリカ人にとってニューオリンズ音楽や南部音楽というのは郷愁を誘うのだろうか。一度はやってみたい音楽なのだろうか。特にロック・ミュージックに携わるミュージシャンにとっては。

 ロックが白人と黒人の融合した音楽なのであれば、ニューヨークなどの東部から来たのが白人であり、ニューオリンズのような南部から大陸に入って来たのが黒人であった。だから自らのルーツを探るために黒人たちは南部音楽が当然のことながら好きなのだろうし、ロックを演奏する白人たちは、メンタルな意味でも、音楽的なルーツを探るためにも一度は南部音楽を経験しないと気がすまないのではないだろうか。

 だから人種を問わず、ロック・ミュージシャンは南部を目指して当然なのかもしれない。彼の音楽を聴きながら、そんなことを思った。 

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2008年5月14日 (水)

ローウェル・ジョージ

 最近ローウェル・ジョージの1979年に発表された唯一の彼のソロ・アルバム「特別料理」を聴いている。紙ジャケットとして再発されたものであるが、ジャケット帯にある“完全生産限定盤”という文字が気になって、思わず購入してしまったのだ。

 何か早く買ってしまわないと、廃盤になってしまうのではないかと気になってしまう。どうもこういう文句には弱いのである。

 それで彼のソロ・アルバムなのだが、タイトルが「特別料理」なのである。原題は"Thanks I'll eat it here"というもので、画家のマネの“草上の昼食”をパロッたバックにローウェルの自画像が描かれている。

特別料理 イート・イット・ヒア<紙ジャケットCD> Music 特別料理 イート・イット・ヒア<紙ジャケットCD>

アーティスト:ローウェル・ジョージ
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 原題を直訳すると“ありがとう、ここで食べるよ”となるのであろうか。それを「特別料理」と訳すのだから、翻訳も大変である。
 ちなみにこのタイトルは、彼がリーダーだったリトル・フィートというバンドの2ndアルバムのタイトル候補の一つだったらしい。結局それは「セイリン・シューズ」になったわけだが…

 ジャケットに関していうなら、昔イギリスのパンク・グループにバウ・ワウ・ワウというのがあって、彼らのアルバム・ジャケットが“草上の昼食”を真似たものであったが、あれと似たようなバックである。

I Want Candy: Anthology Music I Want Candy: Anthology

アーティスト:Bow Wow Wow
販売元:Castle
発売日:2003/10/20
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 ただよく見ると、昼食を取っているのはボブ・ディラン、キューバのカストロ議長、マレーネ・ディートリッヒの3人である。なぜこの3人なのか分からない。

 ローウェル・ジョージはスライド・ギターの名手としても知られているのだが、このアルバムではあまり弾いていない。ギタリストとしてよりもボーカリストとして頑張って制作しましたというような感じで、最初から最後まで歌いまくっている気がする。

 その数少ないスライド・ギターの聞かせところが"I can't stand the rain"の間奏部分だろう。また楽曲としては"20 million things"、"Find a river"はアコースティックなバラードで、ジャクソン・ブラウンあたりが歌ってもおかしくない名曲だと思う。
 それに"Honest man"、"Two trains"なども個人的にはファンキーな名曲だと思う。

 一番驚いたのは"What do you want the girl to do"が収録されていたことである。自分がこの曲を知ったのは、ボズ・スキャッグスの「シルク・ディグリーズ」の中にあったからで、てっきりボズのオリジナルとばかり思っていて、ローウェルがリバイバルさせたと思っていた。

 オリジナルは1975年のアラン・トゥーサンのアルバム「サザン・ナイツ」にあるらしい。2008年になって初めてこのことを知ったのだから、やはり長く生きておくべきである。いいこともたまにはあるのだ。

 ローウェル・ジョージは1945年にL.A.に生まれた。幼い頃から音楽に興味を持ち、ハーモニカや尺八、ギターと次々と楽器演奏を修得していったようである。
 だからもともとギタリストだけの肩書きではなくて、その後プロデュースも担当したように幅広い音楽的素養を有していたのであろう。

 ただ残念なことに彼は34歳の若さで亡くなってしまった。心臓発作ということであるが、その並外れた体型とおそらくはドラッグの影響が原因ではないかと思っている。

 彼は一時、フランク・ザッパのバンド、マザーズ・オブ・インヴェンジョンに参加して、その時ザッパから“自分のグループを作ったほうがいい”とアドヴァイスされ、その言葉通りにリトル・フィートを結成したらしい。1969年のことだった。リトル・フィートについては別の機会に譲りたい。別の機会があればの話だが…

 このアルバムは1979年の3月に発表されたものであり、彼は6月29日になくなったので、文字通り彼の遺作となったアルバムである。
 そのせいか曲数も少なく、収録時間も40分にも満たないものであった。ひょっとしたら自分の死期を悟っていたのかもしれない。

 ただあの巨漢から想像もつかないサラッとした癖のないストレートなボーカルを楽しむことができる。決して死に臨んでいるような人が作ったとは思えない楽曲であり、アルバムである。もう少し生きていればもっと素晴らしいアルバムを作れたのにと思うと残念でならない。

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2008年5月12日 (月)

90年代のCSN&Y

 1988年にアルバムを発表したCSN&Yだったが、それから10年以上たった20世紀も終わりに近づいた1999年にアルバムを発表した。それが「ルッキング・フォワード」である。

Looking Forward Music Looking Forward

アーティスト:Stills, Nash & Young Crosby
販売元:Reprise
発売日:1999/10/22
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 公式には、CS&N結成30周年を祝う意味でアルバム制作が進められていたようで、それにニール・ヤングが便乗して、最終的にCSN&Yとして発表されたものと言われている。

 一説によると、90年代のCS&Nの2枚のアルバム「リヴ・イット・アップ」(1990年)と「アフター・ザ・ストーム」(1994年)の売り上げが不振で、親会社のアトランティックがもう1枚売れるアルバムを作るように言ったらしい。

 実際、「リヴ・イット・アップ」はビルボード・チャートの57位、「アフター・ザ・ストーム」にいたっては98位という70年代の彼らの人気からは考えられない悲惨なチャート・アクションであった。

 それでスティルスがヤングを招いて、数曲に参加させて曲を完成させ、それがアルバムへと発展したようなのである。
 アルバム完成後はツアーの準備や企画も発表された。そのせいかどうかはわからないが、「ルッキング・フォワード」は26位というチャート・アクションを記録している。

 やはりニール・ヤングが参加するかしないかで、アルバムの売り上げが変わってくるのだから、彼の力は大きいのである。前回のブログにも書いたが、CS&Nの3人よりも彼の影響力の方が大きいということが、このアルバム発表の際により明確になったと思うのである。

 アルバム全体としては12曲で、ニール・ヤングの曲が4曲、スティーヴン・スティルスは3曲、デヴィッド・クロスビーとグラハム・ナッシュが2曲ずつ、その他1曲ということで、やはりヤングの功績は大である。

 その彼の4曲のうち2曲"ルッキング・フォワード"、"スローポーク"はアコースティックな曲で、残りの"アウト・オブ・コントロール"はピアノを中心としたしっとりとしたバラード、"クィーン・オブ・ゼム・オール"は軽いロック調の曲である。

 特筆すべきはスティルスの曲が目立つ。アルバム冒頭を飾る"フェイス・イン・ミー"はカリビアン・ミュージックで、思わず腰が浮いてしまうようなリズミックな曲だ。
 またボブ・ディランの"サブタレニアン・ホームシック・ブルース"に影響されたとされるブルース調の"シーン・イナフ"ではヤングのボトルネック・ギターがフィーチャーされている。スティルス自身はアコースティック・ギターを演奏しているのだが、あまり目立たない。

 逆にもう1曲の"ノー・ティアーズ・レフト"では、このアルバムでは異質なほどのギンギンのロック・ナンバーで、これでもかというほどスティルスはアコースティックとエレクトリック・ギターを弾いている。しかもけっこうカッコいいのである。このときスティルス53歳。まだまだ現役であった。

  それにもともとスティルスはギタリストとして定評があり、60年代末はセッションに引っ張りだこだったし、彼の1stソロ・アルバムにはエリック・クラプトンとジミ・ヘンドリックスが参加しており、彼ら2人が参加している最初で最後のアルバムとして有名になったほどだった。

Stephen Stills/Stephen Stills - Remaster Stephen Stills/Stephen Stills - Remaster
販売元:HMVジャパン
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 だからギターの腕は確かであるのだが、なぜかしら意識して控えめに演奏しているような観がある。

 一方で相変わらずグラハム・ナッシュの曲は美しいメロディが目立つし、デヴィッド・クロスビーのはその太い巨体にもかかわらず、曲作りが巧で、ドラマティックに盛り上がる曲構成を持つものから、"ドリーム・フォー・ヒム"のようにジャズっぽいものまでバラエティ豊かな曲を聞かせてくれる。

 アルバム全体の印象としては、ちょっと地味な曲が多いようで、それがチャート・アクションにも反映していると思う。前回のアルバム「アメリカン・ドリーム」の方がメロディが綺麗な曲が多く、コーラス・ハーモニーも聞かせどころが多かったように思えた。

 CSN&Yはアルバムのインターバルが長い。約10年以上かかる。だからいよいよ来年か、さ来年には彼らのアルバムが発表されるのではないだろうか。
 2年前の2006年には“言論の自由”ツアーとして4人でコンサート活動をしているので、アルバムが発表される可能性はある。

 ただクロスビーの健康上の問題が唯一の不安材料だろうか。それさえクリアすれば問題はないだろう。21世紀になっても彼らのハーモニーを聴きたいと思っているのは自分ひとりではないはずだ。

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2008年5月11日 (日)

80年代のCSN&Y

 CSN&Yは、スタジオ録音のアルバムとしては1970年に発表された「デジャ・ヴ」1枚あるのみで、その後は4人そろってのアルバムは作られることはなかった。
 スタジオ録音のアルバムは作られなかったものの、4人そろってのライヴ活動などは行われたていたわけで、いわゆる離合集散、つかず離れずの活動だった。

 ただしCS&Nとしては、この間に2枚のスタジオ盤と1枚の公式ライヴ盤を発表しているから、クロスビー、スティルスとナッシュの3人の間にニール・ヤングが入るか入らないかがポイントになるのだが、これについてはまた後で述べたい。

 ところが突然、約18年ぶりに彼らのスタジオ録音アルバムが発表されたのだ。それが「アメリカン・ドリーム」だった。1988年のことである。

American Dream Music American Dream

アーティスト:Stills, Nash & Young Crosby
販売元:Atlantic
発売日:1988/11/15
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 当時はMTV全盛の時代で、どれだけ彼らの音楽が新しい世代に通じるか不安だったのだが、チャート的には全米16位とまずまずの健闘だったと思う。ただそれまでの3枚のアルバム(スタジオ盤「デジャ・ヴ」、ライヴ盤「4ウェイ・ストリート」、ベスト盤「ソー・ファー」)がいずれも全米No.1を獲得していただけに、残念といえば残念な結果ではあった。

 1982年の5月にデヴィッド・クロスビーがテキサスで逮捕された。理由は麻薬使用と銃の不法所持であった。この頃のクロスビーは麻薬使用でかなりイカレタ状態だったらしい。実際85年には施設に入所して治療に専念したり、8ヶ月ほど刑務所に入所したりしている。

 それから約3年、クリーンになったクロスビーを迎えて録音が始められ、アルバムが完成したのである。ニール・ヤングの牧場にあるスタジオで録音されたそうだが、クロスビーの復帰を祝う意味もあったのかもしれない。

 全14曲だが、そのうちニール・ヤングの作曲が4曲、ニール・ヤングとスティーヴン・スティルスの共作曲が3曲と、ニール・ヤングの活躍が目立っている。

 これは70年代のニールの活躍を抜きにしては語れない。CS&N結成当時はCS&N>Yという図式だったと思う。スティルスがヤングをバンドに誘ったからだ。
 ところが70年代にSSWブームの影響もあり、また彼の振幅の大きい楽曲群の成功もあってニール・ヤングの存在が大きくなってしまった。だからこのアルバムではCS&N<Yという図式になるのではないだろうか。

 シングル・カットされた"アメリカン・ドリーム"もニールの作曲だったし、カントリー・ロック風の"ネイム・オブ・ラヴ"、"ディス・オールド・ハウス"などは、ニール・ヤングの穏やかなテイストを伺わせてくれる。

 個人的に好きなのは、グラハム・ナッシュの曲、"ドント・セイ・グッバイ"、"クリア・ブルー・スカイ"、"ソウルジャーズ・オブ・ピース"などである。

 "ドント・セイ・グッバイ"はナッシュ自身の弾くピアノをバックに淡々と歌っているし、"クリア・ブルー・スカイ"は3分程度ながらも、非常にメロディアスで印象的なフレーズを持った佳曲である。本当にこの人の作る曲はポップながらも耳の残るいいメロディラインを持った曲が多いと思う。

 "ソウルジャーズ・オブ・ピース"は、この人にとっては珍しくシンセサイザーなどのキーボードを使用した作品になっており、テーマがテーマだけに、途中のニール・ヤングのギター・ソロも含めてドラマティックな構成になっている。

 とにかくこのアルバムは、各人の個性がよく表された楽曲で占められていて、聴いていて飽きが来ないのである。18年振りとはいえ、彼らの創作意欲や美しいハーモニーなどは一向に衰えていないことが分かる。

 たとえチャートでNo.1にはなれなくても、セールス的によくなかったとしても、そういう評価を超えたところにこのアルバムは存在していると思うし、それはとりもなおさずCSN&Y自体が時代を超越した存在感を示しているからだと思うのである。

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2008年5月 9日 (金)

CSN&Y

 CSN&Yのアルバム「デジャ・ヴ」を初めて聴いたのは大学に入学してからであった。それまでは彼らの楽曲、例えば"Teach your children"や"Helpless"はFMラジオなどで聞いたことがあったから知ってはいたが、アルバムを最初から最後まで聴いたことはなかったのである。

D炎Vu Music D炎Vu

アーティスト:Crosby Stills Nash & Young
販売元:WEA/Atlantic
発売日:1994/09/27
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 最初に"Carry on"を聴いたときは、かなり面食らった。今までの音楽と何かが違うような気がしたからだった。次の曲がメロディアスでポップな"Teach your children"だったから、なお一層そういう感触がした。

 とにかくいきなりハーモニー・ボーカルで始まるのである。そしてギターが挿入されるのだが、このギターの音がへんてこな音でグニャグニャ地面を這うように鳴っている。
 そして“Carry on, Love is coming, love is coming to us all”というブレイクのあと、オルガンが鳴り響くのである。

 当時は、この辺の展開はまさにプログレッシヴ・ロックの展開だと思っていた。そしてそのあとは非常に聴きやすいメロディが示されるのであるが、ギターは相変わらずエフェクトをかけたような音なのである。

 でも最初はへんてこな音だと思っていたが、何度も繰り返し聴きなおすことで何となくおもしろい音だと思うようになってきた。

 ニール・ヤングとの出会いはこのアルバムの中の"Helpless"、"Country girl"だったように思う。彼の特徴のある歌声、ちょうど蓄膿症の人が高い声で歌うとこういう声になるのではないかというような、鼻にかかったハスキーな高音の声を聴いてびっくりした思い出がある。

 このアルバムは4人が曲を持ち寄って作られているだけあって、バラエティに富んだ楽曲を楽しむことができた。

 スティーヴィン・スティルスが作る曲は、さすがギタリストが作るだけあって、ギターがフィーチャーされている。エレクトリックだけでなくアコースティックな曲作りも得意である。

 もう一方のギタリスト、ニール・ヤングはスティール・ギターをフィーチャーしたカントリー・タッチの曲やサイケデリックなギター・サウンドが目立つ曲構成が得意なようである。この2人はいい意味でライヴァルであったようで、ライヴァルでありながら2人で曲作りをしたり、バンド活動をしたりしている。

 グラハム・ナッシュは非常に聴きやすい曲をつくるのが得意なようで、このアルバムでも"Teach your children"、"Our house"などの明るくて爽やかな曲を残している。
 "Almost cut my hair"、"Deja vu"を作ったのはデヴィッド・クロスビーで、彼はその体型に応じてか、結構ハードな楽曲も創作している。

 だからこのアルバムは、結構尖がったエキセントリックな曲からのちのウエスト・コースト・ミュージックを連想させる爽やかな曲まで楽しむことができた。

 当時はこれを聴きながら朝起きたり、車の中でも流したりしていた。そのうち何回も聴きたい曲とそうでない曲とに分かれていったのだが、それについてはここでは省きたい。
 いずれにしても当時の時代を反映した歴史的な名盤だと思う。もうこういうその時代の空気を感じさせてくれるアルバムは出てこないのではないだろうかと思うのである。

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2008年5月 8日 (木)

CS&N

 自分がCS&Nを初めて聴いたのはいつの頃だったろうか。たぶん中学生のいま時分だっただろう。でもそのとき聴いたのはライヴ・アルバム「4ウェイ・ストリート」のさわりの部分だったと記憶している。

4 Way Street Music 4 Way Street

アーティスト:Crosby Stills Nash & Young
販売元:WEA Japan
発売日:1995/03/23
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 “7分の曲が10数秒で終わっているんだよ”と師匠は教えてくれたが、確かにその通りで"組曲:青い目のジュディ"は終わりのスキャットの部分しか聞けなかった。
 逆にニール・ヤングの"サザン・マン"は13分にも及ぶロング・バージョンで、かなりエキセントリックなギター・サウンドだったのを覚えている。彼の周りだけ違う空気が漂っているようだった。

 しかし正確に言うと、これはCSN&Yのことで、CS&Nのことではない。本当のことをいうと、CS&Nのデヴュー・アルバムを最初から最後まで聴きとおしたのは、大学生になってからであった。

 1969年に発表されたこのアルバムは、まさに名盤である。当時はスーパー・グループといわれたらしい。元バーズのデヴィッド・クロスビー、元バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルス、元ホリーズのグラハム・ナッシュの3人であった。

Crosby, Stills & Nash Music Crosby, Stills & Nash

アーティスト:Stills & Nash Crosby
販売元:Wea Japan
発売日:1994/08/18
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 この中でイギリス人は誰でしょう?答えはグラハム・ナッシュである。イギリスはマンチェスター出身ということである。どうでもいいトリヴィアだが、一人だけ英国人というのもユニークである。

 確かに"青い目のジュディ"は斬新な曲だと思った。コーラスは当然のこと素晴らしいと思ったが、主旋律がどれかよくわからない曲構成は、当時の自分には画期的だと思えた。
 これもどうでもいい話だが、“ジュディ”とは当時人気があったシンガーのジュディ・コリンズのことだといわれている。ジュディはその頃スティーヴン・スティルスと付き合っていて、この歌が生まれたそうである。

 また"マラケッシュ行急行"や"泣くことはないよ"、"どうにもならない望み"などは強く印象に残った曲だった。
 いずれもコーラス・ワークが中心のアコースティックな曲である。初夏のさわやかな朝にピッタリの曲だと思う。ここから70年代のウェストコースト・サウンドが生まれ、イーグルスやポコ、アメリカ、ブレッドなどのグループが登場することになるのだが、その原点となるようなアルバムだと思うのである。

 グループ結成時の逸話として次のような話がある。ジョニ・ミッチェルの家に遊びに行っていた3人であるが、そのときデヴィッド・クロスビーとスティーヴン・スティルスが"泣くことはないよ"を歌ったらしいのだが、それにコーラスをつけたのがグラハム・ナッシュだったそうである。

 そこから3人でグループを結成しようという話になったそうである。1968年の夏のある日の出来事だった。

 これにはオチがついていて、当時クロスビーと付き合っていたジョニ・ミッチェルだったが、そのときのことがきっかけかどうかは分からないが、クロスビーからナッシュに乗り換えてしまった。

 まあ人生いろいろなのであるが、それでもこの3人の結束はその後も変わっていない。決してあせらずにマイ・ペースで活動することが、長く続く秘訣かもしれない。

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2008年5月 6日 (火)

フランシス・ダナリー

それでイッツ・バイツを脱退したフランシス・ダナリーは、自分のソロ・キャリアを追及し始めた。ところが1991年に最初のソロ・アルバム「ウェルカム・トゥ・ザ・ワイルド・カントリー」を制作したにもかかわらず、所属レーベルの売却騒動に巻き込まれてしまい、残念ながら日本以外で販売されることはなかった。

 失意に沈んだフランシスは、翌年に元レッド・ゼッペリンのボーカリストであるロバート・プラントのバンドにギタリストとして参加し、アルバムのレコーディングやツアー活動に精力的に取り組んだのである。

 その活動が評価されたかどうかは分からないのだが、アトランティック・レコードと契約を交わすことができ、94年に2ndアルバムを発表することができた。それが「フィアレス」であった。

フランシス・ダナリー/フィアレス フランシス・ダナリー/フィアレス
販売元:ショッピングフィード
ショッピングフィードで詳細を確認する

 このアルバムでは、元イッツ・バイツのフランシスという姿を見つけることができない。完全なロック・アルバムになっている。ロック・アルバムといっても売れ線狙いのポップス寄りのロック・アルバムだといっていいだろう。

 全12曲、いずれもコンパクトな曲作りになっている。さらに彼のボーカルが全編に渡ってフィーチャーされており、ギタリスト・フランシスではなく、ボーカリスト・フランシスの姿を映し出している。

 だから華麗なギター・ソロやプログレ風味の曲構成は不在である。逆にロック寄りの曲だけでなく、アコースティックな曲やブルーズ系、ストリングスをかぶせたバラード系など、バラエティに富んだ内容になっている。

 また面白いことに、ジェスロ・タルの名曲?"リヴィング・イン・ザ・パースト"をカヴァーしており、ボーナス・トラックとしてこのアルバムに含まれている。
 フランシスは、ジェスロ・タルのリーダーであるイアン・アンダーソンとは旧知の仲であり、以前一緒にツアーで回ったときに、様々なアドヴァイスをもらったことがあったそうだ。

 だからその恩返しとして収録したのだろうか。それにしてもどうせ1曲選ぶのなら、もっと違う曲、たとえば"アクアラング"などの方がよかったのにと、ジェスロ・タルファンとしては思うのである。

 日本ではこのアルバム以降、国内盤は発売されていないようであるが、外国ではこれ以降もコンスタントにアルバムを発表し続けている。もちろん内容的には、この「フィアレス」の系統を継ぐものであるようだ。輸入盤でその内容を知ることができる。

 彼は現在もミュージシャンとして活動しており、かなり忙しいスケジュールをこなしているようである。1962年生まれの彼は今年で46歳。今が一番油がのっている時期なのかもしれないが、国内盤が発売されないのが唯一の心残りではあるのだ。

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2008年5月 1日 (木)

イッツ・バイツ

 今となってはもう昔のことであるが、イギリスに“イッツ・バイツ”という名前のプログレッシヴ・ロック・グループがあった。80年代後半の話である。

 イッツ・バイツとは面白い名前であり、そのまま日本語にすると“それは噛み付く”というふうになってしまう。噛み付くくらいのインパクトを持ったグループになろうとして、名づけたのであろうか。

 バンド結成は、1984年頃であり、その約2年後に当時のヴァージン・レコードよりアルバム・デヴューしている。
 だからアメリカのドリーム・シアターと活動時期が重なってくる。彼らはプログレッシヴ・ロックとヘヴィ・メタルを重ね合わせた音楽だったが、イッツ・バイツの方はもう少し伝統的なプログレッシヴ・ロックに基づいた音楽のようだった。

 イギリスでは当時、ネオ・プログレッシヴ・ロックというムーヴメントが起こっていて、このブログの中でも取り上げているマリリオンやペンドラゴンというグループが一世を風靡していた頃であった。
 だからイッツ・バイツもそれらのグループと同列に論じられることが多いのだ。

 でもそれらのグループと基本的に違うところは、アメリカのLA・メタルの影響も多少ありそうな雰囲気を持っている点である。
 曲自体が10分を超えるというのはほとんどない。長くて7,8分である。2ndアルバムには14分を超える"ワンス・アラウンド・ザ・ワールド"という曲があったらしいが、3rdアルバム「イート・ミー・イン・セントルイス」では反省したのか?短めの曲が多くなり、耳に残りやすいメロディを持った曲が目立っている。

Once Around the World Music Once Around the World

アーティスト:It Bites
販売元:Warner Bros.
発売日:2000/05/16
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 またギター中心のサウンドにもなっている。もともとこのグループの中心人物は、ギタリストのフランシス・ダナリーという人で、豊かな音楽センスとかなりのギター・テクニックをもっている。

 リード・ボーカルもこの人がとっていて、いわゆる歌って弾けるミュージシャンであるが、そういう人に限って、自分の豊かな才能を生かそうとしてソロ活動に走ってしまうのである。あのジミ・ヘンのように…

 フランシス・ダナリーもアンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウ(ABW&H)のアルバム録音に呼ばれて一緒に歌ったりしている。これは当時彼らと同じマネージメントだったせいかもしれない。そのせいかABW&Hとツアーにも出かけている。

 1989年に発表した3rdアルバムが実質ラスト・アルバムになった。先にも述べたようにプログレッシヴな音楽観の中で、ポップな要素を随所に散りばめていて、非常に聞きやすくて印象的なアルバムになっている。

Eat Me in St. Louis Music Eat Me in St. Louis

アーティスト:It Bites
販売元:Toshiba EMI
発売日:2000/05/23
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 ダナリーはこれが売れてビッグになることを考えていたのかもしれないが、実際はそうならなかった。アルバムはそこそこ売れたのであるが、シングル・ヒットが生まれなかったのである。
 ただライヴ・バンドとしてはヨーロッパやアメリカで名前が通っており、ジェスロ・タルと一緒のツアーでは世界各国をまわって、来日公演も果している。

 そしてダナリーは翌90年にグループから脱退した。やはりソロ活動を追及するためであった。

 自分はどうやって彼らを知ったのかをずっと考えていた。彼らのアルバムは国内盤の3rdアルバムと輸入盤のベスト・アルバムしか持っていないのである。
 それで3rdアルバムを見たら、思い出した。アルバム・ジャケットを見て直感で購入したのであった。見る人が見ればわかるのだが、彼らのグループ・ロゴはあのロジャー・ディーンの手によるものだったからである。

 自分の中ではロジャー・ディーンが手がけるものであれば、品質保証間違いなし、という感じなのである。(もちろん例外はあるが)
 そしてその結果、購入して大正解だったのである。できれば1stアルバムから揃えたかったのであるが、残念ながらその時は彼らは解散してしまっていて、日本では手に入れるのが困難だった(というかそれほど真剣には追い求めなかった気もする)

 彼らのベスト盤を聴くとよく分かるのだが、プログレッシヴな雰囲気は味付け程度で、ポップなテイストを持ったロック・バンドというのが今さらながらよく分かる。

 フランシス・ダナリーはソロ活動を追及した後、2003年にバンドに再加入した。そして一緒に続けていく予定だったのだが、彼自身の過密スケジュールのためにすぐに脱退してしまった。

 イッツ・バイツ自身は、現在では新しいギタリスト兼ボーカリストのジョン・ミッチェルを迎えて、ツアー活動やニュー・アルバムの制作を行っている。彼はアリーナというバンドや、ジョン・ウェットンとも活動したことのあるベテラン・ミュージシャンである。

 今となっては誰も知らないと思うのだが、自分にとってはひょっとしたら次世代を担うかもしれない幻のプログレッシヴ・ロック・バンドという期待を抱かせるバンドだったのである。

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