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2008年6月

2008年6月24日 (火)

レッド・ホット・チリ・ペッパーズ

 レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下レッチリと略す)は、アメリカを代表するロック・バンドに変身してしまった。
 最初出てきたときは、単なる変態バンドだと思っていた。当時はミクスチャー・ロックという呼び名で彼らのようなグループは呼ばれていた。ロックやファンク、ラップ、パンクなどの要素を詰め込んだ音楽だった。とても洗練されたものでもなく、聞きやすいものでもなかった。

 それが一躍有名になったのは、1991年に発表された「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」が世界的に売れたためだった。これは全米3位にランクされ、全世界で1200万枚以上売れた。

Blood Sugar Sex Magik Music Blood Sugar Sex Magik

アーティスト:Red Hot Chili Peppers
販売元:Warner Bros.
発売日:1991/09/24
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 売れた理由の一つは、プロデューサーがリック・ルービンになったということもあげられる。リック・ルービンはミクスチャー系の音が得意であり、エアロスミスとRUN-D.M.C.のコラボレーションである"Walk this way"をプロデュースしたのも彼であった。

 またこのアルバムからは"Under the bridge"、"Give it away"などのシングル・ヒットも生まれた。前者は初の全米No.1を記録し、後者はグラミー賞のハードロック部門最優秀シングルを受賞した。

 このあとギタリストの交代、復帰というバンド内のゴタゴタがあったものの、彼らの世界的な快進撃はさらに続いた。1999年に発表した「カリフォルニケイション」からは"Scar tissue"がシングル・ヒットを記録し、アルバムは全世界で1500万枚以上売れた。
 このときはギタリストにジョン・フルシアンテが復帰したという話題も売り上げに貢献したものと思われる。

カリフォルニケイション Music カリフォルニケイション

アーティスト:レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
販売元:ダブリューイーエー・ジャパン
発売日:1999/06/09
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 個人的な意見だが、彼らとビートルズのアルバムと関連付けるとすると、「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」は“ラバー・ソウル”にあたり、「カリフォルニケイション」は“リボルバー”だと考えている。
 いずれもシングル・ヒットを含んでいるし、音楽的にも深まりや繊細さを感じさせ、歌詞にも文学性が生じているからである。

 そして2002年に発表されたアルバム「バイ・ザ・ウェイ」は彼らの“サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド”といっていい音楽性を携えている。売り上げは前作には及ばなかったものの、彼らの魅力を十二分に発揮することができたアルバムではないだろうか。

BY THE WAY Music BY THE WAY

アーティスト:レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2002/07/10
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 音楽性は前作の延長線上にあるものだが、全体的に聴きやすくなっており、何よりメロディがそれまでのアルバム以上に重視されている。これはギタリストのジョン・フルシアンテのリーダーシップのもとで制作されたからであろう。

 とにかく最初はイカれたバンドだった。彼らを有名にしたのは、その音楽性と同時にパフォーマンスでもあった。
 特に“ペニス・ソックス”は有名で、全裸でペニス部分にソックスをはかせて演奏したり、写真に写ったりした。またウッドストック'94では巨大な電球のかぶりものをして演奏したりもしていた。こうなるとパフォーマンスではなくて、アホーマンスである。

 しかしアルバムを発表するごとに、彼らは巨大な存在となり、その音楽性もファンク色が薄れ、よりロック色が強まっていった。
 2006年に発表された2枚組のアルバム「スティデイアム・アーケイディアム」は世界24カ国でNO.1を記録した。日本でも2枚組の洋楽アルバムとしては史上初の初登場1位を記録している。

ステイディアム・アーケイディアム Music ステイディアム・アーケイディアム

アーティスト:レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2006/05/10
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 このアルバムで3度目のグラミー賞を受賞しているし、シングル"Dani California"は映画「デスノート」の主題歌として、"Snow"も「デスノートthe last name」の主題歌として採用された。洋楽の曲が主題歌になる邦画もあまり例を見ない。

 だからこの「スティデイアム・アーケイディアム」は彼らの“ホワイト・アルバム”にあたるだろう。とすれば、次にくるのは“マジカル・ミステリー・ツアー”か“レット・イット・ビー”ではないだろうか。

 しかしそうなると、彼らの終焉も近いということになってしまう。彼らの音楽性が爛熟期を迎えているのは分かるが、まだまだ終わってほしくはない。おバカなパフォーマンスは終わってもバンドの解散は避けたい。

 とりあえず今のバンドの音楽的リーダーはギタリストのジョンである。彼がこのバンドを続けていく意思があるならば、バンドは終わりを迎えることはないであろう。そういう意味でもジョンには頑張ってほしい。もうドラッグなどには手を染めずに、純粋に音楽に没頭してもらいたいものである。
 

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2008年6月22日 (日)

今はまだ人生を語らず

 アルバム「今はまだ人生を語らず」は、今もまだCD化されていない。80年代と95年頃に一度CD化されたのだが、今は廃盤状態である。なぜこの名盤が廃盤なのか憤りを感じるのである。

 廃盤なのは理由があって、"ペニー・レインでバーボンを"の歌詞の一部に放送禁止用語があるからだ。具体的にいうと“つ●ぼさじき”という言葉である。だから制作会社の自主規制に引っ掛かっているのだ。

 ところが面白いことに、ベスト・アルバムにはこの曲は収録されているのである。しかも歌詞もそのままなのだから、一体どうなっているのかと思う。なぜ同じ曲なのに、「今はまだ人生を語らず」が発売禁止で、ベスト・アルバムは発売されているのかよくわからない。

 一方で、井上陽水の曲に"自己嫌悪"という曲がある。これはあの名盤「氷の世界」に収録されているのだが、この歌詞に一部に“め●らの男”という部分がある。これも放送禁止用語だと思うのだが、堂々とこのアルバムは発売されている。なぜなのだろうか?

 「氷の世界」の方が売れたからだろうか。それとも“つ●ぼ”は悪くて、“め●ら”は良いというのだろうか。これこそ差別ではないか。目よりも耳の方に障がいを持つ人が多いからだろうか。(そういう統計があったかどうかは不明である)

 たぶんこのアルバムはCBSソニーから発売されていたと思うのだが、まだ版権があるのなら、きちんとしたかたちで発売してほしいのである。こういう名盤こそ芸術作品であり、芸術作品ならば、“表現の自由”として許されるのではないかと思うのである。

 だって明治や昭和時代の文芸小説には、そういう表現がゴロゴロ出ているではないか。あの文豪夏目漱石だって書いている。小説はよくて、音楽では許されないというのも変である。
 それとも絵画でも彫刻でも性器は露出しても許されるのに、写真では許されないというのと同じ理由なのだろうか。

 このアルバムは1974年に発表された。自分はもう少しあとになってフル・アルバム聞き通した思い出がある。
 とにかく1曲目"ペニーレインでバーボンを"から2曲目"人生を語らず"、3曲目"世捨人唄"まで一気に聞かせるところが凄い。また、かまやつひろしとのデュエットの"シンシア"、森進一に提供した"襟裳岬"など捨て曲なしのアルバムである。

 このアルバムを聴くと、当時の辛い状況を思い出してしまう。とにかく閉塞状況だった。早くひとり立ちしようとはするものの、経済的にもそれが許されなかった。だから尾崎豊ではないが、盗んだバイクで夜中の街を突っ走ってしまいたくなる衝動にかられた。青春とはそういうものだろう、と今になって思うのだが、渦中にいる人にはそういうゆとりはないのである。

「気持ちの悪い政治家どもが
勝手なことばかり言い合って
時には無関心なこの僕でさえが
腹を立てたり怒ったり」
("ペニーレインでバーボンを")
 こういう状況は30年以上たったいまでも繰り返されている。本当にこの国の政治状況は悲惨なものがある。

 また"知識"という曲には次のような一節がある。
「言葉をみんな食い荒らし
知識のみがまかり通る
一人になるのに理由がいるか
理由があるから生きるのか

自由を語るな不自由な顔で
君は若いと言うつもりかい
年功序列は古いなどと
看板だけの知識人よ」

 まさに拓郎の面目躍如たる観がある。こういう激しい言葉で時代や社会を糾弾する曲もあれば"シンシア"や"襟裳岬"のように、ロマンティシズム溢れる曲も収められている。この振り子のような振幅の大きさが拓郎の持ち味なのであろう。

 拓郎自身に降りかかった災難として、73年の金沢の女子大生による狂言事件があった。全国ツアー中に金沢の女子大生が私は吉田拓郎に暴行されたと訴えたのである。
 これは女子大生の狂言だったのだが、マスコミは寄ってたかって拓郎をバッシングした。まるで敵将の首を取ったかのような騒ぎであった。おかげでツアーのキャンセル、曲の放送自粛などが起きた。

 結局は不起訴になったのだが、このことが拓郎の気持ちにも影響を与えたことは想像に難くない。だから「今はまだ人生を語らず」というタイトルになったのではないだろうか。
 また、森進一も母親の自殺や子どもの認知裁判事件(これも無罪になった)などに巻き込まれていて、苦しんでいた。うがった見方をすれば、お互いに共通項があったから、拓郎は気を許して、曲の提供をしたのかもしれない。

「あの人のための 自分などと言わず
あの人のために 去り行くことだ
空を飛ぶことよりは 地を這うために
口を閉ざすんだ 臆病者として

今はまだまだ 人生を語らず
目の前にも まだ道はなし
超えるものは すべて手探りの中で
見知らぬ旅人に 夢を多かれ

超えて行け そこを
超えて行け それを
今はまだ 人生を語らず」
("人生を語らず")

 この曲を思い出しながら、自分に人生を語る時が来るのだろうかと思うときがある。恐らくはないだろう。自分にはそんな資格もないし、そんなことをするつもりもない。
 自分が人生を語るようになったら世の中はおしまいだろう。人生を語るよりはむしろ残り少ない時間を味わって生きたいと思っている。少なくともそちらの方が世の中にとって悪い影響は与えないだろうと思うからである。

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2008年6月19日 (木)

吉田拓郎

 まぎれもなく日本のフォーク・シーンをリードしてきたのは吉田拓郎である。70年代当時は“よしだたくろう”と名乗っていたそうである。彼は当時アングラな存在だったフォーク・ミュージックを表舞台に引き上げたし、深夜ラジオのDJを担当した現役ミュージシャンでもあった。当時のDJは局アナが担当するのが普通だったのである。

 また、ミュージシャンとしてプロデュース業に携わったり、“フォー・ライフ”というレコード会社を立ち上げその社長になったり、野外イベントを企画して運営したりと八面六臂の活躍をしてきた。例えば“つま恋”コンサートなんかは日本の“ウッドストック”といってもいいだろう。
 1979年には愛知県の篠島を3日間借り切って、オールナイト・コンサートを実施している。まるでイギリスで行われたワイト島フェスティバルのようだが、あそこまで大規模ではなかった。何しろゲストが小室等とデビュー2年目の長渕剛で、長渕は帰れコールを浴びながら、最後まで歌いきったらしい。

  彼の独特なメロディ、起伏の激しい展開や早口にしゃべるようにして歌うところは、間違いなくボブ・ディランをまねている。彼自身もボブ・ディランからの影響を受けたといっているから間違いないと思う。

 またディランをまねて、家出を繰り返しては日本の民謡などの採譜していったらしいが、あまりうまくいかなかったらしい。まだ60年代の半ばのことであった。
 その後、広島に戻った拓郎は岩国の米軍キャンプなどでライヴを経験していった。当時はソロではなく、バンドの一員として活動していたようで、この辺が彼の下積みだったのかもしれない。

 その後、70年に実質メジャー・デビューした彼は文字通り日本の音楽シーンを牽引していった。当時は反権力・若者の代弁者というイメージが強かったのだが、1972年に"結婚しようよ"、"旅の宿"、"伽草子"を発表して方向転換をした。

 個人的にはここから後のニュー・ミュージックが派生してきたのではないかと思うのだが、この点でも吉田拓郎が先駆者だったと思っている。

 だが拓郎自身には、熱心なファンからは“裏切り者”呼ばわりもされている。このことは歴史の転換点にいるときには、もう少し幅広い観点から俯瞰していかないと、物事の本質は見えないということを表しているエピソードではないかと思っているのだが、どうだろうか。

 世相的にもベトナム戦争が終結に向かい、大学紛争も終わりを迎えて、世の中は後に“昭和元禄”という享楽的な生き方にシフトしていった。こういう時代の先取りをしていたのも、このときは間違いなく拓郎だったのである。

 とここまでエラそうなことを書いて来たが、個人的に持っているレコードは「今はまだ人生を語らず」で、CDは「元気です」と「ベスト・セレクション」しかもっていない。他にもいくつかあったのだが、引越しなどで散失してしまった。

 それで「元気です」のアルバムについてだが、彼の中で一番売れたアルバムになった。何しろオリコン・チャートで14週連続1位という記録を持ち、1週間で40万枚以上の売り上げを達成した。同時代の天地真理をも凌駕したのであった。

元気です。 Music 元気です。

アーティスト:よしだたくろう
販売元:Sony Music Direct
発売日:2006/04/05
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 何しろいい曲が多い。目白押しである。"旅の宿"、"春だったね"、"祭りのあと"、"高円寺"、"たどり着いたらいつも雨降り"など、拓郎的サージャント・ペパーだ、という人も出てくるほどだった。
 おそらくこのアルバムを聞いて、あるいは聞きながらフォーク・ギターを手に持ち、歌った人は全国に数万人といるだろう。そういうアルバムなのである。

 そして次のアルバム「伽草子」もしっとりした名盤で、今頃の季節には最適ではないかと思っている。"からっ風のブルース"、"伽草子"、"ビートルズが教えてくれた"などはいま聞いても新鮮である。名盤ではないが、好盤だと思われる。

伽草子 Music 伽草子

アーティスト:よしだたくろう
販売元:Sony Music Direct
発売日:2006/04/05
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 この2枚は、いずれもチャートで1位を記録している。個人的には「今はまだ人生を語らず」の方に思い入れが強いのだが、それについては次の機会に譲りたい。次の機会があればの話だが・・・

 ともあれ、拓郎が最も先鋭的で、最も輝いていた時代のアルバム群である。どのアルバムをとっても駄作はないのである。

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2008年6月18日 (水)

サザン・オールスターズ

 サザン・オールスターズ(以下SASと略す)のことについて書きたい。彼らというか、桑田佳祐の活動休止宣言によって、しばらくの間、SASのアルバムやライヴ活動に接することができなくなった。

 今さらSASの素晴らしさを述べてもあまり意味が無いだろう。最初"勝手にシンドバット"を聞いたときは、また新しいコミックバンドが出てきたなあと思った程度だった。当時は“トム・キャット”というバンドもあったし、きっとSASも“一発屋”に違いないと思っていた。

熱い胸さわぎ Music 熱い胸さわぎ

アーティスト:サザンオールスターズ
販売元:ビクターエンタテインメント
発売日:1998/04/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 しかし彼らの人気と実力を決定付けたのは、何といっても“いとしのエリー”の大ヒットだった。1979年のことである。それから30年あまり。途中でメンバーの脱退や出産、桑田のソロ活動などで、活動休止期間はあった。今回の休止宣言もそれに類するものだと考えれば、納得できるのではないだろうか。何といっても桑田自身も52歳なのである。

 それで、SASはアメリカのバンド、リトル・フィートの影響を受けているということを本当はここで述べたかったのであるが、それについてはまた次の機会に譲りたい。次の機会があればの話であるが・・・

 それでここからはちょっと新聞の三面記事みたいになってくるので嫌なのだが、そのSASのオリジナル・メンバーで、桑田をして彼がいなかったらバンドの結成は無かったと言わしめたギタリスト、大森隆志のことについて述べてみたい。

 彼も桑田と同じ年の52歳。桑田は神奈川出身だが、大森は宮崎県出身である。彼らは青山学院大学で知り合い、SASの原型となるバンドを結成した。1975年頃の話である。

 それで1980年代に大森は、元ゴールデンハーフ・スペシャルのメンバーだったリンダと結婚している。そして2児を残して二人は離婚した。このリンダとは現在大分県のOBS放送でリポーターをしているリンダさんのことである。

 そして2人の子どもはリンダさんが育てているようで、すでに高校も卒業しているようである。実際、2人の中学生時代を知っている人から聞いた話なので間違いは無い。PTAにはそのリンダさんが来ていたそうである。

 その当時、たぶん1982年頃だったと思うのだが、彼の1stアルバム「真夜中のギターボーイ」発表後に、SASとしてライヴ活動に来たときに、直接彼に会って話をしたことがあった。

 大森隆志/真夜中のギターボーイ 大森隆志/真夜中のギターボーイ
販売元:HMVジャパン
HMVジャパンで詳細を確認する

 もちろん、そのときにリンダさんや子どもの話は一切しなかったのだが(その前にプライベートについては全然知らなかった)、売れ出すと、ギターメーカーがこのギターを使ってみてください、といってただでギターをくれるという話は聞いた。

 また有名になっても、全然いいことはないし、むしろどうやって自分が社会に貢献していくかが大事だという話を聞かせてくれて、何といい人なのだろうと感動した記憶がある。

 その大森は2001年にSASを脱退し、それから運が下がり始めたのか、2006年に大麻・覚せい剤所持で逮捕されてしまった。おいおい社会貢献が大事だと話していたかつてのあなたはどこに行ってしまったのか、と自分は嘆くと同時に憤慨してしまった。

 彼は某宗教団体に入会していたのだが、再婚した奥さんもその教団の美人通訳だった。しかし彼らはこの犯罪を犯したために、破門されてしまった。そして大森はまた離婚してしまった。まるでジェット・コースターのような人生である。

 結局、懲役2年6ヶ月、執行猶予4年という温情判決が下されたのだが、現在彼のブログは閉鎖中で、彼のファンクラブにお金を振り込んでも会報も送られてこないという現状らしい。

 これから彼はどうなるのだろうか。たとえ二度とクスリに手を出さなくなったとしても、高中や布袋のような作曲能力があれば別だが、彼の才能だけでもう一度表舞台に上がるのは難しいだろう。

 本当はデビュー40周年や50周年を記念して、もう一度SASにカムバックするのがいいのだろうが、活動休止宣言が出た今では、それも叶わぬ夢となってしまった。

 もう二度とメジャーには上がれないだろうが、個人的に思い入れもあった人なので、少なくとも他人に迷惑をかけずに、残された余生を静かに送ってほしいものである。本当はいい人だったのだろうが、やはりどこかで人生の歯車が狂ったのであろう。
 私自身も我が身を振り返りながら、残された人生を有意義に過ごしたいものである。

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2008年6月16日 (月)

鬼束ちひろ

 今テレビ朝日系列で金曜日の午後9時に“パズル”という番組を放送しているが、それとよく似た番組にかつて“トリック”という番組があった。自称天才マジシャンの山田奈緒子と物理学教授の上田次郎の迷コンビが難事件を解決していくストーリーである。

トリック(3) DVD トリック(3)

販売元:パイオニアLDC
発売日:2000/12/08
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 2000年に放送され、それ以降はシリーズ化されていてDVDでも見ることができる。仲間由紀恵と阿部寛はこれでお茶の間に浸透したと言っていいかもしれない。
 それでこの番組のエンディング・テーマを歌っていたのが鬼束ちひろだった。 

 だからその番組を思い出しながら最近、車の中では鬼束ちひろのベスト盤を聞いている。彼女の歌う"流星群"や"眩暈"、"月光"、"Infection"、"シャイン"、"私とワルツを"などは名曲だと思っている。

the ultimate collection Music the ultimate collection

アーティスト:鬼束ちひろ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2004/12/01
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 このうち“トリック”シリーズの主題歌になっているのは"流星群"、"月光"、"私とワルツを"の3曲である。

 彼女の歌は生々しくリアルな感じがする。
「貴方の腕が声が背中がここに在って
私の鈍った本音を掻き乱す
気付きたくなんて無い 
自分を振り切る自分を
何処まで走らせていればいい」
(“眩暈”より)

「叫ぶ声はいつだって
悲しみに変わるだけ
こんなにも醜い私を
こんなにも証明するだけ
でも必要として
貴方が触れない私なら
無いのと同じだから」
(“流星群”より)

 “中島みゆき”ほどは女としての情念を出しているわけではないのだが、それでも女性性を強く感じさせる詩作だと思う。
 同時に“孤独感”や“閉塞感”も感じられるし、その裏返しとして友情や愛情を求めようとする気持ちが込められている。また“醜い”、“爆破”、“腐敗”、“蹴り倒し”など通常の恋愛の曲には使用されそうもない言葉がよく使われるのも特徴なのかもしれない。

 彼女の特徴は作詞を優先することだそうで、詞にあわせて作曲するそうである。だから詞にあうように音を付け足したり、取り除いたりしているとのこと。
 またステージでは裸足になり、腕時計など体を締め付けるようなものは身につけない主義だそうである。

 一方で、スティール・ギターをフィーチャーした“We can go”、“Call”というカントリー・ロック風の佳曲もある。彼女自身もカントリーが好きだそうで、好きなアーティストもジュエル、ジョニ・ミッチェル、シェリル・クロウ、アラニス・モリセット、ボン・ジョヴィなど、どちらかというとアメリカン・ロック勢が占めている。これも母親が聞いていたカーペンターズの影響があったのかもしれない。
 
 鬼束ちひろは宮崎県出身で現在27歳。一時、所属事務所とのトラブルから精神的にノイローゼ状態になり、自殺未遂をしたり、大量に薬を服用したりもした。
 2004年末から2007年まではそういう状態が続いていたが、現在では新曲を発表して、フェスにも出場する予定である。

 彼女が歌っている姿を見たことは無いのだが、彼女の歌マネをしている芸人をTVで見たことがある。かなりエキセントリックな歌い方だったのだが、実際の彼女の歌い方に近かったのであろう。

 さて、TVでのトリック・シリーズは終わってしまって、今は“パズル”という番組が始まっていることはすでに述べたが、この番組のエンディング・テーマは残念ながら鬼束ちひろではない。

 彼女の今夏のフェス出演は決定しているのだが、本当に出演するのか、ドタキャンがあるのかは分からない。
 願うべくは彼女の精神状態が安定して、さらなる活動を今後も続けていってほしいものである。

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2008年6月14日 (土)

レッツ・ダンス

 ドゥービー・ブラザーズやスティーヴィー・レイ・ヴォーンのところでも述べたけれど、デヴィッド・ボウイが1983年に発表したアルバム「レッツ・ダンス」は個人的に結構気に入っている。

レッツ・ダンス(紙ジャケット仕様) Music レッツ・ダンス(紙ジャケット仕様)

アーティスト:デヴィッド・ボウイ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007/03/07
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 このアルバムの一般的な評価は・・・低い。商業的な売り上げは、おそらくそれまでのデヴィッド・ボウイのアルバムの中で一番売れたアルバムになったのではないだろうか。それほど売れたアルバムだった。

 だからついにボウイも商業主義に走ったとか、コマーシャリズムの犬に成り下がったなどと非難された。
 確かにそうかもしれないが、しかし売れることと芸術至上主義とは相反するものではないと思う。売れても芸術性の高い作品はあるし、逆に売れない芸術品はごまんとあるのだ。

 それにこのアルバムの評価が低いのは、ただ単に売れたから悪いというわけではなくて、内容がダンス系統のリズミックなアルバムだったからともいえる。

 それまでのボウイのアルバムは自身の思想を具体化し、音にしたアルバムであり、ジギー・スターダスト、アラジン・セインなど常に変化するキャラクターを体現しながら、そのキャラクター像を表現してきた。
 だからその時々で、彼の精神や思想、苦悩や喜びがアルバムにパッケージされ、ファンはその音とともに彼と一体化して音楽を楽しんできたともいえるだろう。

 また70年代末の時代や空気を反映して、終末観や世紀末思想をアルバムの中にも表現していて、時代に対する批評性も表していたのである。

 ところがこのアルバムには、彼の思想や精神性、はたまた時代に対する批評性などまるで感じられない。あるとすれば、時代に対する批評性ではなくて迎合性ではないか、と評論家筋は考えたのである。

 しかし今になって考えれば、このアルバムにはボウイの80年代という時代に対して、どう向き合えばいいのかという解答が用意されているのである。
 その答えは1曲目の"モダン・ラヴ"にすでに用意されている。
「モダン・ラヴに落ちたりはしない
モダン・ラヴが僕のそばを通り過ぎ
歩いていく
モダン・ラヴは時間とおりに僕を
教会に連れて行き
時間通りの教会は僕を脅かし
僕にパーティを開かせ
僕に神と人類を信じさせる
そこには告白もなく
宗教も存在しない
モダン・ラヴを信じてはいけない」
(訳プロフェッサー・ケイ)

 現代の人たちの宗教観や生活観を表現している曲である。モダン・ラヴとは享楽的な生き方を意味し、それが現代でのある意味宗教的な理念にまでなっているということだろう。もちろん意識的にも無意識的な意味においてもという意味であるが・・・
 自分にはそういう生き方への警鐘を鳴らしている歌とも取れるのであるが、考えすぎであろうか。

 だから80年代にふさわしいボウイの時代批評が込められたアルバムだと思うし、決してボウイを擁護するわけではないのだが、芸術性がないわけではないのである。
  音的にもリズミカルでダンサンブルな曲が多いのだが、時代に対する彼の考えをこういう踊れる音で表現したのであろう。さすがデヴィッド・ボウイ、これこそがモダン・ラヴな音なのである。

 このアルバムからは4枚のシングル・カットが生まれている。"モダン・ラヴ"、"チャイナ・ガール"、"レッツ・ダンス"そして"キャット・ピープル"である。いずれもヒットしている。

 だからこのアルバムは、芸術性と商業性がいい意味においてバランスよく保たれているアルバムであり、80年代だけでなく彼のキャリアを代表するアルバムの中の1枚だと思うのである。

 ついでに言うと、この次のアルバム「トゥナイト」こそが、二匹目のドジョウを狙った商業主義に走ったアルバムではないだろうかと密かに思っている。61frcnuql6l

 ともかくこの83年から84年にかけてのデヴィッド・ボウイは、世界的な規模で売れに売れたのであった。

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2008年6月13日 (金)

スティーヴィー・レイ・ヴォーン

 初めてスティーヴィー・レイ・ヴォーンを聞いたのは、たぶん1984年頃だったと思う。当時は彼のアルバム「テキサス・ハリケーン」のビデオ・クリップを見たときだったと思う。
 彼のギターを弾きまくる姿を見て、久しぶりにカッコいい新しいギタリストが登場したと思った。

テキサス・ハリケーン Music テキサス・ハリケーン

アーティスト:スティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブル,スティーヴィー・レイ・ヴォーン
販売元:Sony Music Direct
発売日:2005/04/06
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 実際は83年に1stアルバム「テキサス・フラッド」を発表していたから、もう少し早く気がついてもよかったのだろうが、当時も今も田舎に住んでいるので、情報量が少なかったのである。

テキサス・フラッド~ブルースの洪水 Music テキサス・フラッド~ブルースの洪水

アーティスト:スティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブル,スティーヴィー・レイ・ヴォーン
販売元:Sony Music Direct
発売日:2005/04/06
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 スティーヴィー・レイ・ヴォーン(以下SRVと略す)は、テキサス出身のブルーズ・ギタリストである。彼が有名になったのは、デヴィッド・ボウイが彼の才能に目をつけて、彼のアルバム「レッツ・ダンス」に彼を起用したからであった。
 しかもそのアルバムが世界的に大ヒットしたために、SRVも一躍表舞台に躍り出たのであった。

 彼の実兄、ジミー・ヴォーンもファビュラス・サンダーバーズというグループでギターを弾いているので、SRVもその兄からかなり影響を受けている。それで12歳頃にはすでにクラブなどで演奏していたようだ。

 テクニック的にもソング・ライティング的にもジミーよりSRVの方が上回っていると思う。彼の曲"Love struck baby"や"Pride and Joy"、"Texas flood"などを聴くと、本当にギターが上手だということが素人にも分かる。

 テキサス州はアメリカで一番大きな州である。ただでさえアメリカ人は、自国が世界でNo.1だと思い込んでいる国民なのに、そんな州に住んでいる人たちがさらに自己肥大化し、我らテキサス人こそ世界でNo.1だと思ってもある意味仕方ないのかもしれない。

 SRVのアルバムやそれに収められている曲を聴くと、そういう州民性?を持っているせいか、豪快で自由闊達な音に満ちているような気がしてしまう。

 1983年に発表されたアルバム「テキサス・フラッド」はゴールド・ディスクを獲得し、シングル"Pride and Joy"もチャートの上位に位置した。後にこのシングル名を取って、ザック・ワイルドという人は自分のバンド名にしている。彼もまたSRVを愛しているのであろう。

 個人的にはこのアルバムに納められている"Testify"と「テキサス・ハリケーン」にある"Scuttle Buttin'"が大好きである。いずれもインストゥルメンタルであるが、豪快な速弾き(という形容が適切かどうかは分からないが)が楽しめるナンバーである。
 しかもリフがカッコいい。リズムにキレがあり、メロディにも無駄がなくシャープである。他のギタリストもあこがれる理由が分かるような気がする。

 ところが人気も実力もピークを迎えたときに、アルコールとドラッグ中毒になってしまい、施設に入院してしまった。これが約2年続くことになる。

 1989年に復帰し、4thアルバム「イン・ステップ」を発表。グラミー賞を獲得し、ジェフ・ベックとともにツアーも開始した。再びシーンの第一線に返り咲くことができたのである。
 そしてこれからというときに悲劇が彼を襲った。1990年8月27日、彼が乗ったヘリコプターが濃霧の中、電線に接触し墜落、帰らぬ人となったのである。享年36歳であった。

 本当は彼はそのヘリコプターに乗る予定ではなかったのであるが、席が一つ空いているからということで乗り込んだのが、運命の分かれ道になってしまった。

 歴史に“もしも”ということは禁句かもしれないが、“もしも”彼が生きていたなら、もっと素晴らしいブルーズを書き、演奏していたと思う。それは彼の生き様自体がブルーズだったからである。

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2008年6月10日 (火)

レーナード・スキナード

 南部出身のバンドやミュージシャンには非業の死を遂げた人が多い。前回紹介したオールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン・オールマンやベリー・オークレー、ギタリストのスティーヴィー・レイ・ボーンなどは自動車事故やヘリコプター事故で亡くなっている。

 今回紹介するサザン・ロックの雄、レーナード・スキナードも主要メンバーを飛行機事故で亡くしている。70年代当時はまだまだずさんな装備点検で終わらせていたのだろうか。

 レーナード・スキナードという名前は、主要メンバーが通っていたフロリダ州の高校の先生の名前から取られている。
 レオナルド・スキナーという名前の体育教師は、彼らを見るたびに“髪の毛を切れ”と口うるさくいっていたそうである。その高校教師の名前をもじってつけられた。よほど印象が悪かったのだろう。

 もともとサザン・ロックには豪放的、開放的、自主独立というイメージが伴っている。彼らもこの特徴に漏れず、ガンガン演奏し、自由気ままに弾きまくっている。

 レーナード・スキナードは3人のギタリストを擁しており、そこからトリプル・ギター・バンドとも呼ばれるようになった。3人がそれぞれ交代して、あるいは一緒になってリード・パートを弾くのだから盛り上がらないはずはない。

 特にデュアン・オールマンのことを歌って、彼の魂を追悼した"フリー・バード"は10分以上もある曲で、前半から徐々に盛り上がり、後半一気に本領発揮をしてくる。まさに聴き終わったあとは、軽い疲労と爽快感が残るはずだ。この曲は1973年に発表された彼らの1stアルバムに収められている。

レーナード・スキナード Music レーナード・スキナード

アーティスト:レーナード・スキナード
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2006/06/21
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 自分が彼らのことを最初に知ったのは、ラジオから"サタダー・ナイト・スペシャル"が流れてきたときだった。
 この"サタデー・ナイト・スペシャル"とは、拳銃のことを意味するものらしい。内容的に拳銃所持を容認するような歌詞だったので、銃規制派からは嫌悪され、実際、州によっては放送禁止になったという話を聞いたことがある。本当かどうかは分からないが、確かに20ドルで命が買えると歌われれば、健全なPTA団体などは眉をしかめるだろう。

 しかし、曲自体はなかなかカッコいいのである。特に歌の途中に入るシンバル3連発やギターの印象的なフレーズは子ども心にも強く記憶に残されたものだった。
 ちなみにこの曲のムーグ・シンセサイザーを弾いているのはアル・クーパーで、彼はこの曲でプロデュースもしている。

 彼らの6枚目のアルバム「ストリート・サヴァイヴァーズ」は1977年10月15日に発表された。

Street Survivors Music Street Survivors

アーティスト:Lynyrd Skynyrd
販売元:MCA
発売日:2001/11/20
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 このジャケットを見て分かるように、炎に包まれた建物をバックにメンバーが写っている。そしてこの3日後に冒頭に述べた飛行機事故に遭遇したのである。
 メンバーやツアー・クルー総勢26名のうち6名が死亡、この事故でボーカリスト、ギタリスト、バック・コーラス、ツアー・マネージャーなどを失ったバンドは解散してしまった。

 だからこのジャケット写真は後になって不吉な忌まわしいものとして、ファンからは敬遠されるようになった。しかし皮肉なことにチャート的には全米5位になっている。たぶん追悼の意味もあって売れたのだろう。

 そんな彼らの魅力がつまっているアルバムは、やはり何といってもベスト盤が一番手っ取り早いと思う。

スキナーズ・イナーズ/グレイテスト・ヒッツ Music スキナーズ・イナーズ/グレイテスト・ヒッツ

アーティスト:レーナード・スキナード
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2002/06/21
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 事故から約10年後にボーカリストの実弟をボーカルにして、バンドはツアーを開始した。そして1991年にメンバーを補充して、再結成、以降コンスタントにアルバムも発表し、今に至っている。

 ひょっとしたら亡くなったメンバーの気持ちが“フリー・バード”となって、今もなお活動している彼らの後押しをしているのかもしれない。

【追記】
 「ロード・オブ・ザ・リング」でブレイクしたオーランド・ブルームと「スパイダー・マン」シリーズに出演している女優キルスティン・ダンストが共演した映画「エリザベス・タウン」では、レーナード・スキナードの"フリー・バード"が演奏されている。演奏しているのはレーナード・スキナードではないのだが、なかなか印象的なシーンになっている。

パラマウント映画提供「エリザベスタウン」オリジナル・サウンドトラック Music パラマウント映画提供「エリザベスタウン」オリジナル・サウンドトラック

アーティスト:サントラ,リンジー・バッキンガム,ザ・オンブレス,イーストマウンテンサウス,ホリーズ,トム・ペティ,アイ・ナイン,トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ,エルトン・ジョン,ヘレン・ステラ
販売元:BMG JAPAN
発売日:2005/11/09
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2008年6月 8日 (日)

ア・チェインジ・オブ・シーズンズ

 先日、某中古CD店に行ったら、何とドリーム・シアターのアルバムが販売されていた。2ndの「イメージズ&ワーズ」から昨年発売された9枚目の「システマティック・ケイオス」まであった。
 “望外の喜び”とは、まさにこういうときに使う言葉だと思った。本当に生きててよかったと思ったほどだ。

 それで自分の持っていないアルバムを、ごそっと全て買い集めた。タイトル名をいうと、「ア・チェインジ・オブ・シーズンズ」、「フォーリング・イントゥ・インフィニティ」、「シックス・ディグリーズ・オブ・インナー・タービュランス」、「トレイン・オブ・ソート」、「オクタヴァリウム」である。

 それで今1枚ずつ聴いている最中で、とりあえず「シックス・ディグリーズ・オブ・インナー・タービュランス」まで来た。

 「ア・チェンジ・オブ・シーズンズ」はミニ・アルバムということだが、ドリーム・シアターにとってのミニ・アルバムは他のバンドにとっては通常のアルバム・サイズである。23分にも及ぶタイトル曲はさすがにドリーム・シアターらしい内容だと思う。

A Change of Seasons Music A Change of Seasons

アーティスト:Dream Theater
販売元:Elektra
発売日:1995/09/13
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 しかし興味深いことは、こういうヘヴィでプログレッシヴな曲だけでなく、彼らが影響を受けた他のバンドやアーティストのカヴァーをしているところである。
 特にエルトン・ジョンの"葬送~血まみれの恋はもうおしまい"やゼッペリンのメドレー、ピンク・フロイドの"イン・ザ・フレッシュ"など、へえこんな曲をコピーしていたんだという驚きにとらわれてしまった。

 当然のことながらオリジナル曲がいいので、コピーされた曲もカッコいい。さらに演奏しているのがバカテク集団なのだから、超カッコいいのであった。

 また2枚組の「シックス・ディグリーズ・オブ・インナー・タービュランス」のディスク2はアルバム・タイトル曲の組曲形式になっていて結構これもいいのである。

シックス・ディグリーズ・オブ・インナー・タービュランス Music シックス・ディグリーズ・オブ・インナー・タービュランス

アーティスト:ドリーム・シアター
販売元:イーストウエスト・ジャパン
発売日:2002/01/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 今までのドリーム・シアターといえばダークでヘヴィでマイナー・スケール中心というイメージがあったのだが、この組曲に関していえば、明るくてメジャーな雰囲気に満ちているのである。
 例えていえば、往年のイエスや最近のスポックス・ビアードやフラワー・キングスのような肯定感に溢れたサウンドなのだ。彼らがこんな音を出すとは意外だった。これも期待していなかった喜びである。

 それにしてもドラムスのマイク・ポートノイがアルコール依存症になったおかげか、そこからインスパイアされて、数々の楽曲やアルバムが制作されている。災いもって福となすとはこのことか。

 ともかくこれからまだ未聴の残りのCD「トレイン・オブ・ソート」、「オクタヴァリウム」を聴いていきたいと思っている。

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2008年6月 5日 (木)

オールマン・ブラザーズ・バンド

 しかしドゥービー・ブラザーズほど車を運転して聞くにふさわしい音楽はないような気がする。とにかくノリがいいし、自動車道などを走ると思わずスピードを出してしまう。

 それに対してオールマン・ブラザーズ・バンドの音楽は、田舎道をのんびり走る時に聞くのがふさわしいようだ。

 自分が初めてオールマンの音楽を聴いたのは1973年ごろか、もしくはもっと遅かったかもしれない。だからオリジナル・メンバーで“スカイ・ドッグ”というニックネイムを持っていたギタリストのデュアン・オールマンは、オートバイ事故ですでに他界していたときだった。

 現役で活躍中のデュアンのことは、あまりよく知らないのである。もちろんクラプトンと一緒に「いとしのレイラ」をレコーディングしたということは知っていたが・・・

 彼らのアルバムで今でも好きなのは「ブラザーズ・アンド・シスターズ」だ。これはよく聞いた。このときはデュアンはもう亡くなっていて、このアルバムでは演奏していないのだが、シングルでもヒットした"ランブリン・マン"やインストゥルメンタルの"ジェシカ"などが大好きだった。

Brothers and Sisters Music Brothers and Sisters

アーティスト:The Allman Brothers Band
販売元:Universal Japan
発売日:1997/10/14
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 この2曲はいずれもオリジナル・メンバーのギタリスト、ディッキー・ベッツが作曲したものだった。しかしこの人は本当によい曲を書いていると思う。
 他にもこのアルバムには"サウスバウンド"というノリがよくて泥臭い名曲が収められている。そういえば"エリザベス・リードへの追憶"を作曲したのも彼だった。

 リーダーのグレッグ・オールマンは"むなしい言葉"を作っているが、ホンキー・トンク調のピアノ演奏で自己主張をしている。
 もともとバンド名からもわかるように、デュアンとグレッグの兄弟(グレッグが兄)を中心としたバンドであった。そしてツイン・リード・ギター、ツイン・ドラムスという当時としては(今でも?)ユニークな編成で人気を集めた。

 結局、デュアンはデヴューした1969年から亡くなった1971年までの実質3年間あまりしか活動しなかったのだが、そのわずかな期間にもかかわらず、いまだに伝説として語り継がれている。
 特に1970年に発表されたデレク&ザ・ドミノスの「いとしのレイラ」と、翌年発表され全米15位と躍進した「フィルモア・イースト・ライヴ」では彼の豪快なスライド・ギターを聞くことができる。

The Allman Brothers at Fillmore East Music The Allman Brothers at Fillmore East

アーティスト:Allman Brothers
販売元:Island / Mercury
発売日:1997/10/14
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 それでさあこれから、という矢先の死亡事故だったのである。まだ24歳の若さだった。もし生きていたら、数多くの名演奏を残してくれたに違いない。本当に残念である。

 クラプトンの話によると、デュアンは普通のチューニングのままでスライドバーを指につけて演奏していたそうである。それを見てクラプトンは驚くとともに、伝統的な弾き方に改めるように言ったという。しかしデュアンは改めなかったそうである。

 その後もオールマン・ブラザーズ・バンドは離合集散を繰り返しながら、いまだにメンバーを変えて活動中であるという。しかし、70年当初のような輝きはもう見られない。残念なことである。

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2008年6月 2日 (月)

ドゥービー・ブラザーズ

 昔々、自分が大学生の頃、知り合いに医科大の大学生がいた。彼は東京の東村山市出身で、医者になりたくて、とりあえず合格できそうな?地方の大学を受験し、合格した。

 その人も音楽が好きで、大学の頃はジャズにハマっていたが、基本はロックだったと思う。そういえばニール・ヤングが大好きで、彼のアルバムはブートレッグも含めてほとんど全て持っていた。

 ニール・ヤングが好きということは、そこから派生してくるCS&NやCSN&Yは当然のこと大好きだったが、不思議とブルーズは聞いていなかった。あまりに泥臭かったのだろうか。ジャズに走ったのも洗練された音楽が好きになったのかもしれない。

 その彼がニール・ヤング以外に持っていたアルバムがドゥービー・ブラザーズである。自分もドゥービーの名前ぐらいは知っていたし、代表的な曲も聞いたことはあったが、アルバムを通して聞いたことは、残念ながら、まだなかったのである。

 それで「キャプテン・アンド・ミー」を聞いて冒頭の3曲に感動してしまった。"ナチュラル・シング"、"ロング・トレイン・ランニン"、"チャイナ・グローブ"、特に"ロング・トレイン・ランニン"、"チャイナ・グローブ"はいつ聞いても素晴らしい楽曲だと思った。

キャプテン・アンド・ミー Music キャプテン・アンド・ミー

アーティスト:ドゥービー・ブラザーズ
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2005/05/25
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 この冒頭3曲の素晴らしさに匹敵するのは、エルトン・ジョンの「黄昏のレンガ路」、デヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」のそれぞれの冒頭3曲くらいだろうか。

 それ以外にも"ウイズアウト・ユー"、"イーヴル・ウーマン"もいい曲であり、彼らのベスト・アルバムに収録されている場合もあるくらいだ。
 またジャケットも何となく哲学的な意味合いを持っているようにも見えた。建設途中のハイウェイをバックに、馬に跨るメンバーたち、単なる懐古趣味に終わらない現代文明批判のような味わいを醸し出している。

 そしてこのアルバムから2年後の1975年に発表されたのが「スタンピード」だった。このタイトルの"スタンピード"というのは銃声に驚いた牛の群れなどが一斉に同じ方向に走り出すことを意味するものらしい。そこから群集心理や集団心理を指すようになったらしい。

Stampede Music Stampede

アーティスト:The Doobie Brothers
販売元:Warner Bros.
発売日:1994/05/26
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 個人的には1曲1曲の楽曲では「キャプテン・アンド・ミー」の方が、アルバム全体の統一感では「スタンピード」の方が優れていると思っている。
 このアルバムでも"ロング・トレイン・ランニン"や"チャイナ・グローブ"に匹敵する"スウィート・マキシン"や"ニールズ・ファンダンゴ"で始まっている。ヒットはしなかったものの、この2曲も疾走感に溢れている。

 それに意外とコーラスも上手なのである。イーグルスをはじめ、西海岸のグループはいずれもコーラス・ワークに長けている。これもCS&Nの影響であろうか。

 このアルバムからのビッグ・ヒットといえば"君の胸に抱かれたい"であり、これはオリジナル作品ではない。また"レイニー・デイ・クロスロード・ブルーズ"にはライ・クーダーが参加しているし、"ハングマン"にはマリア・マルダーがボーカルに参加している。

 この6分を超える"ハングマン"こそが、このアルバムのハイライトだと思っている。静かに徐々に盛り上がっていくギターやストリングスをバックに美しいハーモニーが広がっていくのである。
 後半はトランペットがフィーチャーされていくのだが、これがギターだったらもっと良かったのにと思う。この辺はオーヴァー・プロデュースだといわれても仕方ないのかもしれない。
 しかし直後の曲"プレシー"ではジェフ・バクスターのアコースティック・ギターが曲の余韻を引き締めてくれているようだ。

 このアルバムからトリプル・ギターになり、それまでのダブル・ドラムスにプラスして重厚な仕上がりになっている。

 “ドゥービー・ブラザーズ”というのは“マリファナを回し飲む仲間”を意味するスラングだそうだが、このグループのメンバーたちも出入りは多かったものの、脱退したあとも仲良く付き合っている。“名は体を現す”というのはこういうことを指すのだろう。

 冒頭の医大生も今では立派な開業医として眼科のクリニックを開いている。ただ東村山ではなくて神奈川県の海老名市というところである。
 自分たちは残念ながら“ドゥービー・ブラザーズ”ではなかったせいか、その後音信も途絶えたが、彼から教えてもらったこのアルバムは終生忘れることはできないであろう。

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