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2008年6月14日 (土)

レッツ・ダンス

 ドゥービー・ブラザーズやスティーヴィー・レイ・ヴォーンのところでも述べたけれど、デヴィッド・ボウイが1983年に発表したアルバム「レッツ・ダンス」は個人的に結構気に入っている。

レッツ・ダンス(紙ジャケット仕様) Music レッツ・ダンス(紙ジャケット仕様)

アーティスト:デヴィッド・ボウイ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007/03/07
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 このアルバムの一般的な評価は・・・低い。商業的な売り上げは、おそらくそれまでのデヴィッド・ボウイのアルバムの中で一番売れたアルバムになったのではないだろうか。それほど売れたアルバムだった。

 だからついにボウイも商業主義に走ったとか、コマーシャリズムの犬に成り下がったなどと非難された。
 確かにそうかもしれないが、しかし売れることと芸術至上主義とは相反するものではないと思う。売れても芸術性の高い作品はあるし、逆に売れない芸術品はごまんとあるのだ。

 それにこのアルバムの評価が低いのは、ただ単に売れたから悪いというわけではなくて、内容がダンス系統のリズミックなアルバムだったからともいえる。

 それまでのボウイのアルバムは自身の思想を具体化し、音にしたアルバムであり、ジギー・スターダスト、アラジン・セインなど常に変化するキャラクターを体現しながら、そのキャラクター像を表現してきた。
 だからその時々で、彼の精神や思想、苦悩や喜びがアルバムにパッケージされ、ファンはその音とともに彼と一体化して音楽を楽しんできたともいえるだろう。

 また70年代末の時代や空気を反映して、終末観や世紀末思想をアルバムの中にも表現していて、時代に対する批評性も表していたのである。

 ところがこのアルバムには、彼の思想や精神性、はたまた時代に対する批評性などまるで感じられない。あるとすれば、時代に対する批評性ではなくて迎合性ではないか、と評論家筋は考えたのである。

 しかし今になって考えれば、このアルバムにはボウイの80年代という時代に対して、どう向き合えばいいのかという解答が用意されているのである。
 その答えは1曲目の"モダン・ラヴ"にすでに用意されている。
「モダン・ラヴに落ちたりはしない
モダン・ラヴが僕のそばを通り過ぎ
歩いていく
モダン・ラヴは時間とおりに僕を
教会に連れて行き
時間通りの教会は僕を脅かし
僕にパーティを開かせ
僕に神と人類を信じさせる
そこには告白もなく
宗教も存在しない
モダン・ラヴを信じてはいけない」
(訳プロフェッサー・ケイ)

 現代の人たちの宗教観や生活観を表現している曲である。モダン・ラヴとは享楽的な生き方を意味し、それが現代でのある意味宗教的な理念にまでなっているということだろう。もちろん意識的にも無意識的な意味においてもという意味であるが・・・
 自分にはそういう生き方への警鐘を鳴らしている歌とも取れるのであるが、考えすぎであろうか。

 だから80年代にふさわしいボウイの時代批評が込められたアルバムだと思うし、決してボウイを擁護するわけではないのだが、芸術性がないわけではないのである。
  音的にもリズミカルでダンサンブルな曲が多いのだが、時代に対する彼の考えをこういう踊れる音で表現したのであろう。さすがデヴィッド・ボウイ、これこそがモダン・ラヴな音なのである。

 このアルバムからは4枚のシングル・カットが生まれている。"モダン・ラヴ"、"チャイナ・ガール"、"レッツ・ダンス"そして"キャット・ピープル"である。いずれもヒットしている。

 だからこのアルバムは、芸術性と商業性がいい意味においてバランスよく保たれているアルバムであり、80年代だけでなく彼のキャリアを代表するアルバムの中の1枚だと思うのである。

 ついでに言うと、この次のアルバム「トゥナイト」こそが、二匹目のドジョウを狙った商業主義に走ったアルバムではないだろうかと密かに思っている。61frcnuql6l

 ともかくこの83年から84年にかけてのデヴィッド・ボウイは、世界的な規模で売れに売れたのであった。


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