闇に吠える街
自分にとってはもう“学園祭”という言葉は死語になっているが、まだこの言葉が生きていた頃はよその学校に行っては学園祭を見学していたものだった。
その学園祭のときに、友だちを介して他の大学生と知り合って、そいつがブルース・スプリングスティーンの大ファンだと知ったときは少々驚いた。もう11月で、師走の声もあと少しで聞こえそうという時期にもかかわらず、白いTシャツとジーンズ姿で全く季節感がなかったからだ。
ちょうど1978年に発表されたブルースの4枚目のアルバムの裏ジャケット写真のような格好だった。
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闇に吠える街(紙ジャケット仕様) アーティスト:ブルース・スプリングスティーン |
そいつは自分の尊敬する人物は“ボス”だといっていた。ここでいう“ボス”とは缶コーヒーのことではなくて、ブルース・スプリングスティーンのことである。彼の愛称は“Boss”だった。
当時の自分は、ブルース・スプリングスティーンのことは知ってはいたが、そんなに詳しくは知らなかった。彼が1975年に発表したアルバム「明日なき暴走」は全米3位というアルバム・チャートを記録し、同名シングルも大ヒットをし、彼自身も雑誌「タイム」や「ニューズ・ウィーク」の表紙を飾った。
そのときの評論家ジョン・ランドゥのキャッチ・コピー「僕はロックン・ロールの未来を見た。その人の名前はブルース・スプリングスティーン」というのは今でも忘れられない。これは自分だけでなく、おそらく彼のことを知っている人ならみんな知っているほどの有名なエピソードだと思っている。
そのアルバムから3年間、「闇に吠える街」が発表されるまで、彼は最初のマネージャーとの裁判に巻き込まれていた。
最初のマネージャーであるマイク・アペルはブルースをシンガー・ソングライターとして売り出そうと考えていた。実際、最初の2枚はボブ・ディランのようで、キャッチ・コピーも“第2のボブ・ディラン”だったそうである。
ところが3枚目のアルバムは、先ほどのジョン・ランドゥをプロダクション・チームに招きいれ、それまでのフォーキーな音楽から一転してロックン・ロールを中心としたアルバムに方向転換してしまった。
そしてこれが大ヒットしたものだから、マイク・アペルとしては面白くない。自分の方針がくつがえされたようなもので、彼はジョン・ランドゥの排除とブルースの音楽方針をめぐって、ケンカになり、結局裁判沙汰になってしまった。
だからこの裁判が決着するまで約2年半余りの長いブランクがあったのである。それで「明日なき暴走」以降は彼の名前や曲をラジオ等で聞かなかったものだから、彼のことは記憶の彼方に飛んで行ってしまっていたのであった。
それで冒頭の彼に出会って、ブルースが新作を出している(といっても1年ぐらいたった後だったと思うが)と聞いて、あわてて購入したのが「闇に吠える街」だった。
このアルバムを聞いて、それまでの彼のイメージが大きく変わったのを覚えている。それまではシングル"Born to run"の影響が強くて、ロックンローラーという印象が強かったのだが、このアルバムを聞いて、ロックする曲もさることながら、バラード系も優れているとあらためて確認したのだった。
特に"Something in the night"、"Racing in the street"、"Darkness on the edge of town"の3曲は名曲だと思う。特に夜中に一人で聞いていると、しみじみとした気持ちになってしまう。ポップスではなくて、ロックを聴いてしみじみした気分になったのは実に久しぶりのことだった。
またこれらのバラード系以外でもいい曲が多い。"Badlands"、"The promised land"、"Prove it all night"などはその後もコンサートで歌われている曲である。
アルバム自体は全米5位と「明日なき暴走」には及ばなかったものの、内容については結構充実していて、彼の隠れた名盤になっていると思う。
「明日への暴走」と「ザ・リバー」の間に発表されたので、イマイチ印象度は薄いかもしれないが、彼のキャリアの中で重要な位置を占めているアルバムだと思う。
冒頭の彼にはその後会ってはいない。実際、会ったのは数回だし、直接話をしたのは数えるほどである。だから名前も覚えていないのだが、彼の印象は今でも残っている。“Boss”の素晴らしさを再確認させてくれたのは彼だからだ。
今でも尊敬する人は“Boss”なのだろうか。そして今でも半袖Tシャツとジーンズで過ごしているのであろうか。
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