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2008年11月 3日 (月)

オーティス・レディング

 忌野清志郎はアメリカの黒人ソウル・シンガー、オーティス・レディングにあこがれてプロ・ミュージシャンになろうと思ったそうである。彼がブッカーT&the MG’sと日本公演を行っているときにそう話していた。

 オーティス・レディングは伝説となっている1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルに出演したのをきっかけに、白人の間でも人気がでるようになった。それまでは黒人の間では有名だったが白人の間では今一歩だった。

 彼の魂を震わせるような歌い方やステージでのMCなどは、誰も真似が出来ないほどの彼独自のパフォーマンスだった。
 オーティス自身は、リトル・リチャードとサム・クックを尊敬していて、彼らのようになろうと思ってミュージシャンの道を歩み始めた。リトル・リチャードのアップテンポなロックン・ロールとサム・クックのシルクのようになめらかなバラードを取り入れようと思ったのではないだろうか。

 だからオーティスの歌やその歌い方には両者のいいところが含まれているのだと思う。したがって彼が白人と黒人の両方から支持されたのは、ある意味当然のことなのであって、そうなるべくしてそうなったといってもいいと思うのである。

 彼はジョージア州出身なのだが、そういえばレイ・チャールズやリトル・リチャードも同じ州出身である。そういう地元ならではの雰囲気や影響もあったのだろう。

 当然のことながら60年代のアメリカ南部は人種差別の激しいところであった。バスの座席も区別され、トイレも白人用と黒人用に分かれていて、間違っても白人が黒人のところに行くことはなかったし、黒人が同様のことをしたら虐待されていたし、最悪の場合は殺されても文句は言えなかった。

 そういう状況の中で、オーティスのえらいところは、そういう垣根を取っ払って白人の曲であれ、黒人の曲であれ、彼自身が気に入った曲はどんどん録音していったという点である。
 有名なところではビートルズの"Day Tripper"やストーンズの"Satisfaction"であろう。ビートルズやストーンズ自身が黒人音楽から影響されているので、ある意味、先祖帰りしたのかもしれないが、オーティスは何度もステージで歌っている。(後にストーンズはオーティスの歌である"I've been loving you too long"をライヴで歌っている)

 また彼のバックで演奏しているブッカー・T&the MG'sは白人と黒人の混成バンドであった。リーダーのブッカー・Tは黒人だが、ギタリストのスティーヴ・クロッパーやベーシストのドナルド・"ダック"・ダンは白人である。
 人種差別の激しい南部で、このように白人と黒人が協力して音楽を作り上げてそれをヒットさせたということは、当時としてはまさに奇跡のような出来事だったに違いない。これぞまさに“神のご加護、配慮”なのかもしれない。

 音楽は、ロックン・ロールは、奇跡の音楽なのだろうか。この場合はロックではなくソウル・ミュージックなのだが、ロックン・ロールはこのように何でも飲み込む貪欲性というか、吸収力を秘めているのだ。
(というとカッコいいのだが、要するに“パクリ”の音楽なのである。“パクリ”を積み重ねてここまで成長してきたといってもいいだろう。事実、ロッド・ステュワートなんかはサム・クックやジェイムズ・ブラウンの影響を受けているし、彼らのまねをしたステージングをしている。日本の矢沢永吉もロッド・ステュワートのまねをしたといわれても仕方ない歌い方をしている)

 それでオーティスであるが、彼の本領はライヴで発揮される。それがよく現れているのがライヴ・アルバム「ヨーロッパのオーティス」である。ここではヨーロッパの白人聴衆の前で堂々の熱唱を披露している。

Live in Europe Music Live in Europe

アーティスト:Otis Redding
販売元:Atco
発売日:1999/03/16
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 アルバムの中にもオーティスとコール&レスポンスしている聴衆の熱狂的な反応が収められていて、ロックのライヴ・アルバムよりも激しく興奮しているのがよくわかる。

 よく言われることだが、彼の歌い方こそまさに“魂(ソウル)”を揺さぶられるものである。歌っているのか叫んでいるのかよくわからない、体全体で表現する唱法は、唯一無比のものであった。
 ステージ上で縦横無尽に動き回り、時にひざを曲げ、時にジャンプしながら歌うその様子は、まさに世間の度肝を抜くものであった。

 ある意味、オーティスはキング牧師と同じように、人種差別を解消させてくれる希望の星だったのかもしれない。
 しかし人生とは皮肉なもの。キング牧師は1968年に暗殺されて亡くなり、オーティスはその前年の12月10日、ツアーに行く途中、彼の乗った自家用飛行機が墜落し、事故死してしまった。享年26歳であった。

 彼の生前に録音されていたシングル"(Sittin' on) The Dock of the Bay"は、ビルボードのチャートでNo.1を記録した。ビルボードの集計が始まってから初めて、アーティストの死後発表されて1位を記録した曲になった。

 オーティスのデビューは1962年か63年頃だったから実質の活動期間は4年余りである。しかし彼が残したものは余りにも多かった。彼以降のソウルやロックのボーカリストでオーティスの影響を受けていない人はいないといわれている。

 我が愛する日本の忌野清志郎も彼の影響を受けている。彼がライヴで歌う“ガッタ、ガッタ、ガッタ、ガッタ”はオーティスの先のアルバムの中でも聞くことが出来るし、“愛し合ってるかーい”という呼びかけも、もともとオーティスがステージ上から聴衆に呼びかけていたフレーズであった。

 アメリカは、21世紀になっていよいよ黒人大統領が誕生するくらい社会も熟成してきた。もしオーティスが生きていたならば、この様子を見てどう思うのだろうか。ひょっとしたら“湾の波止場にたたずんで”冷静に見つめているかもしれない。


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