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2009年3月

2009年3月26日 (木)

オアシス

 兄弟でバンドをやっているのはロック界では珍しくはない。古くはイギリスのジャパンやアメリカのヴァン・ヘイレン、日本の鈴木慶一とムーンライダーズ、新しいところではアメリカのブラック・クロウズやイギリスのオアシスなどがあげられるだろう。

 そのうちのオアシスのノエルとリアムのギャラガー兄弟は仲がよいのか悪いのかよくわからないほど喧嘩を繰り返してきた。もう何度も解散寸前までいったことがある。でもやはりそこは血を分かち合った兄弟、最終的には仲直りをしてはバンド活動を続けてきている。

 また兄弟間だけでなく、その歯に衣着せぬ物言いは多くの他のバンドやミュージシャンにも及んでいる。はっきり言って彼らほど品格のないミュージシャンはいないのではないかと思えるほどだ。
 特に同じイギリスのミュージシャンであるブラーやレディオヘッド、エルトン・ジョンやフィル・コリンズにロビー・ウィリアムズ、アメリカのグリーン・デイ、エミネム、ジェイ・Z、バックストリート・ボーイズなどには、かなりひどい悪口を言っている。特にバックストリート・ボーイズには“射殺すべき”といい、ブラーには“エイズになって死んでしまえ”とまで言っている。(ブラーには後に謝罪しているが、後の言動から見てもちろん本心からではないだろう)

 そんな彼らが1995年に発表したアルバム「モーニング・グローリー」は歴史的な名盤である。とにかくどの曲もいい。彼らが全曲シングル・カットを考えたことからもその素晴らしさがわかると思う。

モーニング・グローリー Music モーニング・グローリー

アーティスト:オアシス
販売元:エピックレコードジャパン
発売日:1995/10/10
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 チャート的に見てもイギリスでは当然のことながら1位、アメリカでも4位を記録しているし、全世界的にも2000万枚以上も売れたといわれている。日本では"Morning Glory"がCMソングにも使用されたほどだ。

 彼らは英国人としての、しかも労働者階級出身としてのプライドが強く、彼らのフェイヴァレット・バンドはザ・ビートルズとセックス・ピストルズである。特にビートルズからはかなりの影響を受けていて、曲の雰囲気からビートルズのあの曲とまでわかるものまである。

 ほとんどの曲は兄のノエルが作っているのだが、確かにビートルズ・ライクなところはあるものの、メロディのよさや曲作りの巧さなどは同時代の他のバンドと一線を画しているように思う。
 とにかく一緒になって歌えるところが素晴らしいし、決して偏見ではないのだが、パブで酒を飲みながら歌えるような要素も兼ね備えているのだ。この辺が彼らを国民的なバンドに押し上げたのだろう。

 彼らの最新作は昨年発売された「ディグ・オウト・ユア・ソウル」である。これは数年の不振を一気に晴らすかのような充実した内容になっている。

ディグ・アウト・ユア・ソウル Music ディグ・アウト・ユア・ソウル

アーティスト:オアシス
販売元:SMJ(SME)(M)
発売日:2008/10/01
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 ジャケットを見ればわかるように、ビートルズの「マジカル・ミステリー・ツアー」のようなサイケデリックでトリップ感覚にあふれていて、内容的にもビートルズの後期のような作風である。
 このアルバムもほぼ全曲シングル・カットされるくらいにメロディが優れているし、久しぶりにタイトで粘っこいリズムを聞くことができる。決してハード・ロックではなく、ハードなロックをやっているオアシスを堪能することができた。これは彼らの原点回帰なのだろうか。

 "The Turning"、"The Shock of the Lightning"、"I'm Outa Time"、"Falling Down"などは推薦曲である。もしジョン・レノンが生きていてビートルズが再結成したら、こういう曲を作るだろうという雰囲気に満ちている。また曲によってはメロトロンも使用されていて、これも後期のビートルズのようでもあった。

 とにかく彼らの作る曲は素晴らしいし、当然のことながら世間に認められ、アルバムも売れるだろう。
 しかしどう考えてもわからないのは、こういう素晴らしい名曲群が、他人のことを平気で罵詈雑言するような人たち(特にギャラガー兄弟)から生まれてくる不思議さなのである。この名曲とそれを作る人たちの品格とのギャップが大きすぎるのだ。

 ひょっとしたらイギリス国民はこのギャップを楽しんでいるのだろうか。それとも曲は曲、人は人と割り切って考えているのだろうか。この辺が極東の田舎に住んでいる自分にはわからない。

 オアシスは現代のビートルズであると同時に、現代のモーツァルトである。彼らは才能に満ち溢れた賞賛に値するグループであると同時に、ある人たちから見れば品格を失った憎むべき悪党どもである。
 しかし、ここは一つ心を大きくして、悪ガキどもが作った名曲たちを愛した方が私たちにとっては身のためかもしれないのだ。

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2009年3月23日 (月)

ピーター・バーデンス(もしくは2人のピーター)

 イギリスのプログレッシヴ・ロック・バンドであるキャメルのキーボーディスト、ピーター・バーデンスが1970年に発表したアルバムがある。タイトルを「ジ・アンサー」といった。

【LP】 Peter Bardens / Answer 【LP】 Peter Bardens / Answer
販売元:HMV Yahoo!店
HMV Yahoo!店で詳細を確認する

 当時の状況からして全6曲しかないのだが、なかなか素晴らしいアルバムである。何が素晴らしいのかというと、楽曲もさることながらピーターと共演しているギターの演奏が素晴らしいのだ。

 クレジットを見ると、バックでギターを演奏しているのはアンディ・ギーとある。しかしそんなギタリストは当時も今も存在しない。アンディとは何を隠そうイギリスの伝説的なブルーズ・バンド、フリートウッド・マックの元ギタリスト、ピーター・グリーンその人なのである。

 そう、このアルバムには2人のピーターが参加していたのだ。ピアノとオルガンはピーター・バーデンスが、ギターはピーター・グリーンが演奏していて、はっきりいって圧倒的にグリーンの存在感の方が目立っている。マックでの演奏より100倍はカッコいいのだ。

 1曲目の"The Answer"はオルガンのイントロがキャメルっぽい印象なのだが、一旦ギターの音が弾けると、グリーンの独壇場に変わってしまう。それほど目立つし弾きまくっている。

 曲自体の時間は比較的長く、1曲目は5分弱、2曲目は7分以上、3曲目にいたっては10分以上もある。バーデンスの方は基本的にオルガンを中心に演奏している。一方のグリーンの方は得意のブルーズのフレーズやサンタナがワウワウ・ペダルを使って演奏するようなテクニックを惜しげもなく披露している。

 まさに70年という時代の音なのであるが、それがかえって新鮮に聞こえてしまうのである。いまどきこんなに弾きまくるギタリストやキーボーディストはそんなにいないはず。だからそれが好きな人にはたまらないのである。

 そういえばピーター・バーデンスという人は、もともとブルージィな演奏をしていた人ということを思い出した。19歳のときはミック・フリートウッドと一緒にバンドを組んでいたというし、アイルランドの魂のシンガー、ヴァン・モリソンのバンド、ゼムにも参加していた。だから彼の1stソロ・アルバムがブルーズっぽいになるのもある意味当然のことなのかもしれない。

 "Let's get it on"ではニッキー・ホプキンスのようにピアノを弾きながら歌っている。ほとんどの曲でバーデンスは歌っているのだが、歌い方があくのないミック・ジャガーみたいなためあまり印象に残らなかった。
 
 最後の曲"Homage to the God of Light"は13分を超える大作なのだが、ここで初めてバーデンスのオルガン・プレイとグリーンのギター・ソロがバトルを繰り広げている。“よっ、待ってました!”と思わず声をかけたくなるほどじらされてきたのだが、この曲を聞けば両者の持つ演奏力の素晴らしさに思わず唸らされるに違いない。

 曲の前半はバーデンスのオルガンがリードをしていき、中盤からグリーンのギターが目立ってくる。
 スキャット風の女性ボーカルと絡み合いながら、グリーンのギターがフレーズを刻む様は聞いていて思わず感嘆してしまった。グリーンのギターは決して速くはないのだが、味のある演奏なのだ。それに対抗するために、バーデンスもオルガンを鳴らしているのだが、やはりどうしてもグリーンのギターに耳が行ってしまった。バーデンスはオルガンだけではどうしても分が悪そうだ。

 このアルバムはピーター・バーデンスの1stソロ・アルバムなのだが、これを聞いて、初めてピーター・グリーンが伝説のギタリストということがわかったような気がした。彼が参加したのはミック・フリートウッドとバーデンスとともに一時バンドを組んでいたからだという。

 ところでバーデンスの方はこのあともう1枚アルバムを発表したのだが、いずれも鳴かず飛ばずだったようだ。それで71年頃、メロディ・メイカー紙上にバンド・メンバー募集の広告を見てキャメルに参加した。それからの成功は以前にも述べたので省略したい。

 だからこのアルバムはプログレッシヴ・ロックというよりは、むしろ純然たるブリティッシュ・ロックの範疇に入るのである。“俺も若い頃はこんなふうにジャムってたんだぜ”とでもいいそうな雰囲気だ。天国にいるバーデンス自身にもきっと満足のいくアルバムだったに違いない。

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2009年3月20日 (金)

テレヴィジョン

 最近、“テレヴィジョン”を聞いた。こういう風に書くと何か変な気がする。テレヴィジョンは聞くものではなくて、見るものだからである。

 でもここで言う“テレヴィジョン”とは、アメリカはニューヨークのパンク・ロック・バンドであるテレヴィジョンのことである。もっと詳しく言うと、トム・ヴァーラインという人がリーダーの4人組バンドのことである。

 彼らの1stアルバム「マーキー・ムーン」を全編通して聞いたのは初めてであった。このアルバムは、日本では1977年に発表されているので、発表されて約30年たって初めて全曲通して聞いたわけで、いまさらながらやっぱりパンク・ロックは門外漢ということがよくわかった。(私の知人のパンクの神様K氏が聞けば、驚くと同時に呆れ果てるに違いない)

マーキー・ムーン Music マーキー・ムーン

アーティスト:テレヴィジョン
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2006/02/22
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 確かに1977年当時はパンク・ロックの全盛期であった。パンクはニューヨークが発祥の地であるといわれ、ラモーンズがその元祖ともいわれているが、正確なことはよくわからない。
 いずれにしてもパンクは、ニューヨーク・パンクとロンドンパンクが二大潮流だった。そのニューヨーク側の代表の一つが、このテレヴィジョンだった。
 
 またパンク・ロックの特長としては、曲の時間が短く、全体的に疾走感があると同時に、アルバム全曲を通して一本調子のところがある、演奏力は素人に毛が生えた程度などの点が上げられるが、このテレヴィジョンは少し違った点が見られる。

 彼らのオリジナル・バンドは1971年に遡ることができる。当時はネオン・ボーイズと名乗っていたそうだ。テレヴィジョンとして初めてライブハウスで演奏したのは1974年の事で、それから3年たってオリジナル・アルバムを発表した。だから、それなりに下積みの経験があるわけで、演奏力はかなりある。決して素人ではないのだ。

 また短い曲もあるが、長い曲もある。アルバム・タイトル曲の"Marquee Moon"は9分を超える大作だし、"Elevation"、"Guiding Light"、"Torn Curtain"なども5分や6分を超えている。
 またメロディがしっかりしていて、曲ごとの印象が異なる。前衛的な感じの曲は見られず、いずれも結構いい曲なのである。

 また"Prove it"などはシンプルで、かなりポップな印象を受ける曲である。こうやってみると、トム・ヴァーラインという人は、曲作りのセンスがあったのではないかと思うのである。

 世の中に認知されたパンク・バンドは、いずれもメロディがしっかりしていて、耳に残りやすい要素を備えていると思う。このテレヴィジョンしかり、イギリスのセックス・ピストルズやストラングラーズ、クラッシュ、XTCなどいずれもパンク・バンドだったが、すぐに有名になった。やはり気合や姿勢、ファッションだけでは歴史に残るバンドには成りえないのであろう。

 歌い方は男性版パティ・スミスである。リーダーのトム・ヴァーラインは、当時パティのボーイ・フレンドだったからその影響もあったのだろうか。ときにささやくように、ときに絶叫するように歌う様子はよく似ていると思う。

 ニューヨーク出身のパンク・バンドは、どのバンドも多かれ少なかれ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影響を受けているように思える。ヴェルヴェットのルー・リードも似たような感じだからだ。
 しかもテレヴィジョンはヴェルヴェット・アンダーグラウンドだけでなく、西海岸のドアーズの影響もあるのだろう。だからドアーズと同じように、曲の構成が他のパンク・バンドとは違っているし、歌詞からも文学的な香りが漂ってくる。キーボードがあまり響いてこないドアーズという感じである。

 もともとトムは、トム・ミラーという名前だった。それではあまりにも普通すぎるので、フランスの詩人から名前を借りてトム・ヴァーラインとしたのである。だから歌詞にもそういう雰囲気が漂っているのであろうし、名前の頭文字を取って、TV、つまり“テレヴィジョン”とバンドに名づけたのであろう。

 彼らは翌年の78年に「アドヴェンチャー」という2ndアルバムを発表したあと、解散した。メンバー間の軋轢のせいともいわれているし、2ndがあまり売れなかったからという話もある。
 しかし90年代に入って、再結成し、アルバムも発表した。日本にも初めてコンサートにやってきたようだ。

 ともかくいまさらこういうのも何だが、彼らの1stアルバムの「マーキー・ムーン」は名盤である。ナイフのような切れがあり、かつビロードのように光沢のあるサウンドだと思う。
 確かにヴェルヴェット・アンダーグラウンドやドアーズの影響もあるのだろうが、それ以上のインパクトと影響を与えたアルバムだと思うのである。あのU2も、デビュー前にはテレヴィジョンの曲をコピーしていたという。

 トムとパティの蜜月期間と同じように、バンドの命運も短かった。しかし短かったとはいえ、彼らの与えた影響力は21世紀の現在にも流れ続けているのである。

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2009年3月15日 (日)

ジェネラル・ルージュの凱旋

 久しぶりに映画を見に行ったのだが、これがまたよい映画だった。タイトルは「ジェネラル・ルージュの凱旋」という邦画である。

 この映画、以前見た「チーム・バチスタの栄光」の続きという設定である。この医療問題を扱ったシリーズものは、海堂尊という人の原作を映画化したものである。
 海堂尊という人は、千葉県出身で千葉大学医学部を卒業した現役の病理専門医でもあり、その経験が前作の「チーム・バチスタの栄光」で生かされていたと思う。

 それで今回はドクター・ヘリの導入の是非や、救急救命体制の問題など現代医療が直面している問題を鮮やかに切り取って見せてくれるのである。

ジェネラル・ルージュの凱旋 Book ジェネラル・ルージュの凱旋

著者:海堂 尊
販売元:宝島社
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 今回もシリーズの顔として、竹内結子演じる田口医師と阿部寛演じる厚生労働省の役人、白鳥圭輔が問題解決に走り回るのであるが、映画の実質的主人公は救急救命センター長の速水晃一と看護士長の花房美和である。

 あまり詳しく書くと、今から映画を見ようとする人に失礼なのでやめるが、東京都で実際に妊婦が各病院の救急救命を断られ、胎児ともども死亡したという事件もあり、映画のストーリーとあわせて、救急救命の実態がとてもリアルに描かれている。

 要するに政府の医療行政の問題もあり、予算不足から医師不足になり、だからすぐに救急救命も手一杯になるのである。また医療ヘリがあれば、東京のような大都市でも交通渋滞に巻き込まれずに、患者をすぐに搬送する事ができるのだ。

 同時に、医療も商売であり、その責任者は経営者でもある。だから赤字部門は見直さないといけないし、なるべく薬を出して効率のよい客回転を目指さなければならないのである。

 この映画を見ると、その辺の実態がよく理解できたし、自分の良心に従うのかそれとも商業主義に走るのか、医者は、特に良心的な医者ほど、この二律背反を抱えていると思った。
 だから出入りの業者からリベートをもらって私腹を肥やす医者も出てくるし、逆にそのリベートを医療不備に当てようとする少数派も出てくるのであろう。

 事件の発端は出入り業者とセンター長が癒着しているという投書があり、その出入り業者が墜落死するのであるが、それが事故死なのか殺人なのかはっきりしない。
 その背景を調べていくうちに、先述した現代医療が抱える問題点が浮き彫りになるのである。

 一番の見所は、堺雅人演じる速水センター長の役どころであろう。まさに名演であり、完璧に役を演じきっている。彼がなぜ“ジェネラル・ルージュ(血まみれ将軍)”と呼ばれるのかその理由が最後に明かされるのだが、まさに映画のクライマックスだと思った。

 また映画の医療技術アドバイザーとして、埼玉大学病院の高度救急救命センターの人たちがあたっていたが、実際に医療行為を目の当たりにしているような錯覚に陥った。それほど緊迫感があり、迫力があった。この辺は見ごたえのあるシーンである。

 映画では時間的な制約があるせいか、告発文書をなぜ書いたのか、どうやってわかったのかが、イマイチよくわからなかったが、それを補って余りあるほど面白かった。

 とにかく事件解明というエンターテイメント性と、現代医療の問題提示という社会性が見事に両立している、近年まれに見るほど素晴らしい邦画に仕上がったと思う。

 映画の終盤で、大事故が起こり、大量の事故者が大学病院に運び込まれてくるのであるが、医療の緊急性が高い順に赤色、黄色、緑色のタグをつける。そして治療を施しても無駄な人には黒いタグをつけるのである。

 このとき、まだ生きている主人になぜ医療行為を施さないのか泣き叫ぶ妻を抱いてなだめようとする田口医師の姿があった。現実的にもありえる話だと思った。全編を通して涙あり、笑いあり、そして考えさせてくれる映画なのである。

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2009年3月14日 (土)

イ・プー

 イ・プーというイタリアを代表するロック・バンドがある。彼らは1966年にデビューしたというから、もう40年以上も活躍している現役バンドであるが、彼らがプログレッシヴ・ロックの範疇に入るか入らないかはちょっと微妙なのである。

 というのも一般的なプログレッシヴ・ロックとしてイメージされるような長い曲や変拍子を伴った曲構成、難解な歌詞、技巧的なソロ演奏、メロトロン、ハモンド・オルガンなどのヴィンテージ・キーボードの使用などがほとんど見られないからである。
 強いてあげれば、ストリングスなどをバックに歌っているという点かもしれないが、そんなバンドや個人は取り立てて珍しくはない。

 ともかくイ・プーは果たしてプログレッシヴといっていいのかどうかは、自分の中でずっと疑問であり、今もその疑問は消えてない。

 ただ一点、イタリアのプログレ・バンドには奇妙な名前のバンドが多いといったが、このバンドもご多分に漏れず、“イ・プー”なのである。つまりウィニー・ザ・プー、“クマのプー”さんというわけである。なぜこういう名前になったのかは、自分は知らない。

 彼らが1971年に発表した「オペラ・プリマ」は、イタリアン・ロックの中では確かに名盤だとは思うのだが、プログレとは言い難い。明らかにイタリア歌謡曲集である。

オペラ・プリマ(紙ジャケット仕様) Music オペラ・プリマ(紙ジャケット仕様)

アーティスト:イ・プー
販売元:Webkoo
発売日:2005/02/15
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 このアルバムの中に収められている"ペンシエロ"、"君をこの胸に"はシングルでも大ヒットした曲であり、このアルバムの中でも輝きを放っている。
 この曲を聞くと、イタリアの明るい陽光や白亜の家並み、グリーンに映える地中海などを連想してしまう。確かに名曲群だと思う。

 また、"ただ一人の男"ではハードなギター演奏を耳にすることができる。ハードな演奏とは言っても、あくまでこのアルバムの中では“ハード”というだけで、間違ってもジミ・ヘンやジェフ・ベックは出てこない。

 彼らのCDを買ったのは90年代に入ってからで、それまで彼らの名前は知っていても、実際に聞いたことはなかった。それで最初に「オペラ・プリマ」を買って聞いたのだが、先ほどのようにプログレとは言い難かった。

 しかし騙されたと思って、もう1枚彼らのCDを購入した。それが「ロマン組曲」であった。何しろ“組曲”だから、これはもうプログレの代名詞といってもいいフレーズであるし、裏ジャケットには曲時間が記載されていて、6分や10分を超える曲があったので、これはもうプログレ以外の何物でもないと思ったのである。Photo

 1975年に発表されたこのアルバムは彼らの代表作の一つに数えられているのだが、厳かな"朝焼けのプレリュード"で始まっている。これから“組曲”が始まるという雰囲気を感じさせてくれる。

 "愛を信じて"という曲が続くのだが、美しいコーラスやメロディラインが印象的である。またバックにはストリングスの調べがたおやかに流れている。
 しかし、である。ギター・ソロやキーボード・ソロを聞くことはできない。美しいままで終わってしまった。

 3曲目の"微笑みの物語"は無伴奏で始まる。これもピアノとストリングスがすばらしい曲なのだが、あくまでもボーカル重視である。ソロ演奏はおろか、転調もない。間違っても変拍子などは聞くことができない。困ったもので、これではプログレッシヴ・ロックとはいえないのだ。

 全編を通して、流麗なストリングスが朝日を浴びて輝く白露のように美しいのだが、残念ながらやっぱりイタリア歌謡曲なのであった。しかし確かに一級品ではあると思う。せめてこのストリングスがメロトロンで代用されていたらと思ってしまった。

 エイジアのようなプログレ・ポップではない、気品のある美しさを秘めた楽曲集である。その点は十分に評価できるであろう。最後の曲は10分を超える長尺曲なのだが、手を変え品を変えながら、最後まで美しいままでフィナーレを迎えるのであった。 

 ともかくイタリアのムーディ・ブルースだと思いたかったのだが、どうしてもそう思えなかった。でもクラシカルでファンタジックなアルバムである。だからプログレと切り離して聞けば、優れたアルバムなのである。

 40年以上も現役バンドとして活躍してきた貫禄を感じさせるアルバムだと思う。ただ水準以上のアルバムではあるが、やっぱりプログレッシヴ・ロックではないと思うのである。

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2009年3月12日 (木)

アルティ・エ・メスティエリ

 イタリアン・プログレッシヴ・ロックも結構長く続いている。まだまだ紹介したいバンドやアルバムもあるのだが、ぼちぼち春も近づいてきたことだし、プログレ専門のブログというわけでもないので、もうそろそろ幕引きをしようかと考えている。

 それで今回は舌をかみそうな長いネーミングのバンド、アルティ・エ・メスティエリのことについて書きたい。
 以前、イタリアのバンド名は変わったものが多いというようなことを書いた。例えば、パン屋の屋号や銀行名、果ては小鬼などであったが、今回は割とまともな名前を持つバンドで、日本語で“芸術家と職人たち”という意味である。(それでも奇妙に思う人もいるかもしれない!)

 彼らは6人組のバンドであるが、1974年に発表した「ティルト」は傑出したアルバムで、これはオザンナの3rdアルバムやP.F.M.、バンコの1st、2ndに負けず劣らずの名盤だと確信している。Photo

 名盤というのは時の長さの中で色あせることはない。ビートルズの「アビー・ロード」やキング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」、イエスの「危機」などの例を引くまでもなく、いつ聞いても新鮮であり、感動をもたらしてくれる。名盤たる条件の一つだろう。

 それでこのアルバムも最近引っ張り出して聞いたのだが、やはり感動してしまった。とにかく演奏に緊張感があり、引き締まっていて、ダレることがない。一気に最後まで聞き通してしまった。

 このバンドを語る上ではずせないのは、ドラマーのフリオ・キリコの“技”である。自分が初めてマイケル・ジャイルズやイアン・ウォーレスのドラミングを聞いたときも、正直言ってビックリしたのだが、このアルバムでのキリコのドラミングはそれ以上ではないだろうか。

 とにかく手数は多いし、ドラム・マシーンのように正確無比だし、さらには堅実にリズム・キープも行っている。まさに“びっくり島田伸介”という感じである。これは“びっくり四万十川”の発展的バージョンと解釈してほしい。

 冗談はともかく、まるでビル・ブラッフォードとナラダ・マイケル・ウォルデンとサイモン・フィリップスが合体したかのようなのだ。

 しかしそれだけなら素晴らしいドラマーのいるバンドのアルバムという評判で終わってしまうだろう。彼らの凄さは、それだけではない。他の楽器とのバランス、メンバーの技量も半端なものではないのだ。それはこのアルバムを聞けばよくわかると思う。

 6人組でインスト重視。音の感触からクリムゾンよりももっとジャズよりである。しかもキーボードとギターだけでなく、サックスとヴァイオリン・プレイヤーもいるので、重厚な音圧を体験する事ができる。
 アルバムを聞けば、このバンドは決してドラマーひとりでもっているバンドではなく、メンバー間の白熱したインタープレイ重視というのがわかると思う。

 個人的にはメロトロンが効果的に使用されている点がうれしいし、ヴァイオリンも十分に自己主張をした音を奏でている。エディ・ジョブソンもU.K.時代に、これくらいヴァイオリンを演奏してほしかったとつい思ってしまった。

 特に1曲目"重力"、4曲目"ポジティボ/ネガティボ"、8曲目"関節"がお薦めである。とにかく1曲目は名曲である。スリリングな導入部から、サックスやヴァイオリン、ギターによるメイン・テーマの展開・発展、フリーキーなソロ・パートとすべてが有機的に連動している。そしてそれを支えているのがフリオ・キリコのドラミングなのである。

 また4曲目ではギターが縦横無尽に走り回っているし、13分を超える8曲目では、一部ボーカルも入れて、彼らの世界観が表現されているような展開を聞くことができる。
 それに曲間がほとんどないので、まるで組曲のような印象を受ける。そういう構成面でもよく練られていると思う。

 全体的には40分を満たない内容ながら、とにかくメンバー一人ひとりが演奏技術に長けており、だからこれほどの名盤が出来上がったのだろう。繰り返しになるが、決してドラマーひとりのバンドではないのである。

 彼らは1978年に一度解散した後、再結成したのだが、また85年に解散してしまった。しかしそれから15年後、さらにまた再結成を行い、ニュー・アルバムまで発表してしまった。どうもイタリアには、解散~再結成という軌跡をたどるバンドが多いようである。

 彼らの他のアルバムを探しているのだが、なかなか見つける事ができない。この素晴らしい1stアルバムの後の2ndや3rdを聞きたくなってしまったのだが、通販で探してみるよりほかはないようである。
 ともかく、70年代のイタリア・プログレッシヴ・ロックを代表する1枚、いや世界に通用するアルバムの1枚だと思っている。

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2009年3月10日 (火)

イル・ヴォーロ

 マルボーロという名前の洋菓子がある。名前の由来は、よくわからないらしい。ポルトガルのお菓子の名前から取ったとも、マルコ・ポーロの名前から取ったとも言われている。

 それとよく似た名前のバンドがイタリアにあった。ポルトガル語もイタリア語もラテン系なのかよく似た言葉が多いようだ。
 
 それでそのバンドの名前は、マルボーロではなくて、イル・ヴォーロといった。前回で紹介したフォルムラ・トレが解散した後、ギタリストとキーボーディストが中心となって結成したバンドである。

 バンド・メンバーは6人組で、ツイン・ギターにツイン・キーボード、ベースとドラムスという構成だった。また、いずれも当代一流のミュージシャンであり、イタリアのスーパー・バンドといわれていた。

 彼らが1974年に発表した1stアルバム「イル・ヴォーロ」では、歌と演奏部分がほどよくブレンドされていて、まことに結構な“イタリア歌謡+インストゥルメンタル”になっている。

イル・ヴォーロ(紙ジャケット仕様) Music イル・ヴォーロ(紙ジャケット仕様)

アーティスト:イル・ヴォーロ
販売元:BMG JAPAN
発売日:2004/06/23
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 このアルバムを聞いて思い出したのは、TOTOの1stアルバムである。ちょっと音色は違うけれども、TOTOにプログレ風のスパイスを振りかけ、イタリア語で歌うとこうなりましたという感じである。

 TOTOは専属のボーカリストとツイン・キーボードで、ギタリストはスティーヴ・ルカサーひとり。でも同じ6人組なのである。奇妙な偶然だが、のちにスティーヴ・ルカサーはイル・ヴォーロのギタリストのひとり、マリオ・ラヴェッツィのアルバムに参加し、一緒にセッションをしている。

 それで1stアルバムの"魂の変革"や"情念"などを聞くと、確かに歌ものだけではない、確かな技量を感じさせる演奏を耳にすることができる。全体的によくできたアルバムであり、どちらかというとブリティッシュ・ロックに影響を受けたような、しっとりと湿感を伴った渋くブルージィーな雰囲気を携えている。

 この路線に対して、市場の反応はイマイチだったようである。たぶん一流のテクニシャンが6人もそろっていながら、この程度のアルバムなのかという失望感が広がったのではないかと予測したのだが、あながち間違いではないと思っている。

 それで翌年に2ndアルバム「イル・ヴォーロⅡ」を発表した。これは1stの反省を生かしてか、歌ものではなく、演奏重視の姿勢をとっている。それぞれのメンバーの技術と個性を十分に発揮させようとして制作されたに違いない。だから歌詞入りの曲は1曲しかないのだ。

イル・ヴォーロ/イル・ヴォーロII(CD) イル・ヴォーロ/イル・ヴォーロII(CD)
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 1曲目の"愛につつまれて"を聞くとその事がよくわかる。途中でスキャット部分はあるものの、確実にリズムを刻むベースとドラムスを背景に、ギターとキーボードがお互いに絡み合って曲を構成している。
 全体的にクールなジャズ的な要素が増え、1作目よりも緊張感がアルバム全体にみなぎっている。

 2曲目の組曲"a)中近東249000~コスモス~宇宙 b)労働歌"を聞くと、プログレッシヴ・ロックの根本命題である“ここではないどこか”に連れて行ってくれそうな気がしてくるのである。別に現実逃避ではなく、要するに“構築美”なのである。
 イタリアン・ロック特有のメロディアスな情熱とヨーロッパ特有の造形美とが有機的に組み合わさっている印象なのだ。

 だからこの2ndアルバムは1stより素晴らしいと思っている。3曲目の"エッセレ"は唯一の歌詞入り曲なのだが、このことをよく証明している曲ではないかと思っている。
 また音自体もクリアであり、際立った演奏を堪能することができる。一家に一枚とはいわないが、一度は耳を傾けてしかるべきな内容を持つアルバムであることは間違いない。

 一般的にイタリアン・プログレッシヴはギターなどのリード楽器演奏よりもベースやドラムスなどのリズム楽器演奏のほうが名演が多いように思える。このバンドもこの例に漏れない。リズムがしっかりしているから、リードも思うように演奏できるのだろう。

 ただプログレとはいいながら、曲自体は短い。平均して4分程度で、一番長い曲でも6分14秒である。
 また6人もいてこの程度の音なのかという気がどうしてもしてしまう。クリムゾンなら4人でもできることをこのグループは6人でやろうとしている気がしてならない。しかも楽曲的には決めのフレーズが欠けていて、このメロディ、この部分というのが見られない。その点が残念である。

 だから個人的には演奏はイル・ヴォーロよりゴブリンのほうが緊迫感があり、思わず聞き耳を立ててしまう印象的なフレーズが多いと思っている。
 決してゴブリンのほうが上手というわけではないのだが、彼らのほうがイル・ヴォーロよりも音が硬質であり、疾走感、緊張感が漲っているのである。イル・ヴォーロはどうしてもウェット感が伴うのだ。

 イル・ヴォーロは2枚のアルバムを残して解散してしまった。イタリア語で“飛翔”という意味を表すバンド名だったのであるが、現実的にはギリシャ神話のイカルスのように飛び損ねてしまった。
 一流のミュージシャンが集まって結成されたバンドは長続きしないようである。スーパー・バンドとはこのような宿命を持っているであろう。

 しかし21世紀の日本で、30年以上も前のイタリアのバンドの音楽を聞くことができるというのも面白いことである。いったい何人の人が彼らのことを知っているのかわからないが、これが音楽の持つ魅力なのだろう。

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2009年3月 9日 (月)

フォルムラ・トレ

 最近、フォルムラ・トレの「神秘なる館」を聞いた。彼らが1974年に発表したグループとしての最後のアルバムらしいのだが、どうも私の感性が鈍ったせいか、プログレッシヴ・ロックとは思えないイタリア歌謡の歌ものアルバムとしてしか思えなかった。

 “フォルムラ・トレ”というのは、日本語で“3つのかたち”という意味のようである。実際にバンド構成は、ギターとキーボード、ドラムスの3つの楽器で成り立っているから、そういうネーミングにしたのだと思う。

 彼らは1968年に結成され、70年に1stアルバムを発表した。73年に解散したそうなので、このアルバムは彼らの解散後に出されたものであろう。

フォルムラ・トレ/神秘なる館(CD) フォルムラ・トレ/神秘なる館(CD)
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 とにかく全編にわたって、イタリア語で歌われていて、南国のムードや雰囲気がよく伝わってくる。そういう意味では非常に聞きやすくて、好盤だと思うのだが、では一家に一枚の愛聴盤になるかというと、それはちょっと“勘弁四万十川”である。“勘弁四万十川”というのは一種のジョークなのでそんなに気にする必要はない。例えて言うなら、“勘弁島倉千代子”のニュー・ヴァージョンくらいと受け止めてもらえるとありがたい。

 だから全然ロック的ではないのである。ロックの持つ疾走感や焦燥感、躍動性、破壊性とは対極的存在である。ライナーノートには“華麗なアコースティック・ギターとバンド・アンサンブルのバランスが絶妙”とかあったような気がしたが、某女優ではないが、“別に~”という感じもするのであった。

 しかもボーカルがメインなので、あくまでも演奏はところどころ表に出るものの、全体的には引き立て役なのである。だから2,3回聞いたところで、CD棚の中になおしてしまった。

 本当に彼らのバンド・アンサンブルを聞きたいのなら、1972年に発表された彼らの3作目のアルバム「夢のまた夢」がお薦めである。このアルバムでは、インストとボーカル部分がバランスよく(若干インスト多め)収められていて、ある意味映画のサウンドトラックのような印象を与えてくれる。

夢のまた夢(紙ジャケット仕様) Music 夢のまた夢(紙ジャケット仕様)

アーティスト:フォルムラ・トレ
販売元:BMG JAPAN
発売日:2005/12/21
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 全体が4つのパートに分けられていて、そのうち3つは組曲のような形式になっている。中でも“男と女のお話”はボーカル主体の歌謡もので、こういう歌をモチーフにして次作のアルバム「神秘なる館」が作られたのだろう。

 そしてアルバムの最後を飾る曲“永遠”はなかなかドラマティックな曲になっていて、キース・エマーソン風のグランド・ピアノの連打やオルガンなどの他のキーボードとエレクトリック&アコースティック・ギターの組合せが秀逸だと思う。クラシカルな雰囲気と現代的な空気が見事にマッチしているのである。

 3人組なので、エマーソン、レイク&パーマーと比べがちだと思うのだが、あそこまでテクニック重視ではない。あくまでも歌心を大事にした3人組のプログレ・バンドと考えた方がいいと思った。

 そういう意味ではワールド・ワイド的な人気を獲得するのは難しいと思うのだが、イタリア人の国民性には十二分にあっていると思うのである。

 彼らは数年間の活動期間を経て解散するのだが、このバンドのギタリストとキーボーディストは新しいバンドを結成して、さらなる足跡を残すのであった。

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2009年3月 6日 (金)

チェリー・ファイヴ

 ゴブリン関連として、その前身バンドであったチェリー・ファイヴについて書くことにした。1975年に制作されたアルバム「白鳥の殺意」は隠れた名作・名盤である。まだ未聴の人はぜひ一度耳を傾けてほしい。素晴らしい演奏にただただ感嘆するに違いない。

 このバンドは、ゴブリンのギタリスト、マッシモ・モランテとベーシスト、ファビオ・ピニャテッリ、キーボーディストであるクラウディオ・シモネッティが中心となって結成されたものである。

 結成されたといっても、もともと“オリバー”という名前のバンドだったのを、チェリー・ファイヴという名前に変えただけのことで、しかもチェリー・ファイヴという名前には特に意味もなかったらしい。ひょっとしたら、さくらんぼが好きだったのかもしれない。

 しかもアルバムのタイトルが「白鳥の殺意」だから、少女向けコミックか何かを連想させてくれる。でも内容はそんなものとは全く関係なく、非常にタイトでスリリングな内容になっているのだ。まったくネーミングで判断してはいけないという好例であろう。

 全くこの下ネタ、ではなくてシモネッティの演奏能力は見事に高い。まるでキース・エマーソンなみである。特にハモンド・オルガンの使い方などはよく似ている。しかもE,L&Pではほとんど使用された事のないメロトロンがアルバム全体にわたって頻繁に使用されている。
 ときに似たような展開になって、同じような曲調が続くときもあるのだが、とにかく疾走感に溢れた、非常にロック寄りのプログレッシヴ・ロック・アルバムである。できればクリムゾンの"エピタフ"のような曲があるともっとよかったと思う。

 ベースはイエスのクリス・スクワイアのように一音一音が太く、クリアに鳴らされていて、根底から支えているし、時に力強く自己主張している。
 歌詞は英語で歌われている。たぶんひょっとして、ワールド・ワイドな世界進出をもくろんでいたのではないだろうか。

 アルバム自体は1975年の4月から6月にかけて、おそらくイタリアで録音されている。それ以前にはイギリスのロンドンで活動していた。そのときにキース・エマーソンと知り合いになり、彼の部屋を借りて練習もしていたというから、プレイ・スタイルや音に彼の影響を強く受けているようだ。

 Cherry Five Cherry Five
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 それでこのアルバムを聴いた映画監督のダリオ・アルジェンドはこのグループをいたく気に入り、彼らに映画音楽の制作を依頼したのであった。その映画が「サスペリア2」である。
 その際、チェリー・ファイヴではホラー映画とミス・マッチと判断されて、ゴブリンと改名した。

 1曲目は斬新なリフを中心にキーボードが大活躍をするノリのいい曲で、隠し味風のメロトロンが哀愁を運んでくる。ベースとキーボードの音を聴けば、まさにE,L&Pである。

 2曲目はゆったりとした調べにアコースティック・ギターやフルート(たぶんメロトロンから)がからみ、急にアップテンポに展開してゆく。8分以上の曲にもかかわらず、その長さを感じさせない。リズムの間の取り方がジェネシスっぽいし、コーラスはイエスっぽい。彼らのいいところを寄せ集めたかのような観があるが、テクニックは十分あるので似非グループではない。

 3,4曲目はアルバムタイトルになっている曲でもあり、パート1,2に分かれている。グランド・ピアノはまさにキース・エマーソンという感じで、音域を広く使って演奏している。

 5曲目は"Oliver"というタイトルになっているが、チェリー・ファイヴと改名する前に自分たちのバンドにちなんで作った曲なのかもしれない。このアルバムでは一番長い9分30秒の曲である。
 6曲目はこのアルバムで一番の名曲で、もう少しこういう曲調のものがほしかった気がするし、もう少しエレクトリック・ギターが活躍してほしいとは思う。それにしても演奏能力は確かに長けている。

 確かにアルバム・ジャケットはダサいし、タイトルも少女趣味的であり、とてもロックとは呼べない代物になっている。しかし何度もしつこく言うが、このアルバムは隠れた名盤なのである。

 歴史に“もし”は禁物だが、もし彼らに映画のサウンドトラック制作の声がかからなかったら、もしアルバム会社が、この“白鳥の殺意”を真剣にプロモートしていたら、彼らの立場も大きく違っていたに違いない。
 そうなれば、後のゴブリンも生まれなかっただろうし、彼らもP.F.M.に次ぐ世界的なビッグ・グループになっていたかもしれない。 

 “出世魚”という言葉がある。同じ魚なのに稚魚や成長過程、成魚で次々と名前が変わる魚の事であるが、シモネッティがいたバンドも70年代初頭の“ドリアン・グレイの肖像”から始まって、“オリバー”、“チェリー・ファイヴ”、“ゴブリン”と名前を変えてきた。

 彼らは名前を変えるたびに段々とビッグになってきたようである。そういう意味では、イタリアを代表する“出世魚”プログレシッヴ・ロック・バンドだったのかもしれない。

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2009年3月 4日 (水)

ゴブリン

 英語では"Satan"も"Devil"も同じような意味であるが、"Goblin"となるとちょっと違う。アメリカ映画に“トワイライト・ゾーン”というのがあったが、あれの第4話に悪戯をする小鬼がでてくる。それを英語で“ゴブリン”というらしい。

 それでイタリアのホラー映画に“サスペリア”というのがあり、そのサウンドトラックを担当していたバンドが“ゴブリン”だった。
 映画の内容もさることながら、それを印象付ける効果的なサウンドトラックは当時かなり有名になって、彼らは一躍脚光を浴びるようになった。1975年ごろのお話である。

 それより数年前に、映画“エクソシスト”でマイク・オールドフィールドが有名になり、ヴァージン・レコードの経済的基盤を作るという出来事があったのだが、今度は同じような経緯でイタリアから素晴らしいグループが登場したと話題にもなったのである。

 ただこのバンドは、どうもサウンドトラックを制作するために集まって、メンバーを一部入れ替えてゴブリンと改名したようで、ひょっとしたら永続的な活動は予定していなかったのではないかという印象を与える。

 この“サスペリア”(正確に言うと「サスペリア2」)の成功のおかげで、やる気が出てきたというかバンド活動を続けていこうと決意したのではないだろうか。

 そして彼らが2作目に発表したアルバムは、映画音楽とは全く関係のない通常のアルバムであった。タイトルを「ローラー」という。1976年の発表である。
 全6曲すべてインストゥルメンタルであり、全編を通してカチッとした硬質の印象を与えてくれるアルバムになっている。

ゴブリン/ローラー ゴブリン/ローラー
販売元:STAR RECORDS
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 例えていうならイタリアのイエスといったところだろうか。そういえばゴブリンの前身バンドのその前、彼らが“オリバー”と名乗っていたときイエスのエンジニア、エディ・オフォードにデモテープを送ったことがあり、エディは彼らのことをいたく気に入りロンドンに招いたというエピソードもあった。

 特に5曲目の"Goblin"は名曲である。11分の長さを全く感じさせない緊迫した演奏を堪能することができる。キーボードとギター、ときにベース・ギターまでもがそれぞれ自己主張を繰り返していて、決してだれることはない。誰が聞いても、まさにテクニカルな音楽集団だということがわかるだろう。

 彼らのオリジナル・アルバムは2枚しかなくて、1枚はこの「ローラー」、もう1枚は1977年に発表された「マークの幻想の旅」である。

マークの幻想の旅(紙ジャケット仕様) Music マークの幻想の旅(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ゴブリン
販売元:ディウレコード
発売日:2007/04/20
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 このアルバムはトータル・アルバムになっており、マークという15歳の少年が“ある朝、目覚めたら、僕は虫になっていた”というカフカの「変身」のように、甲虫になって旅をするという内容である。普通、昆虫は足が6本なのだが、ここでは8本になっている。オリジナル・ジャケットも8本足の虫が描かれている。幻想の旅なのだから、そんな事は関係ないのであろう。

 生物学的なことは別にして、音楽的には結構まとまったいい作品に仕上がっている。全8曲40分にも満たない作品ながら、相変わらず演奏テクニックは優れていて、映画のサウンドトラック作品で鍛えられているせいか、曲自体を印象的な構成にする点は見事である。

 それで8曲の中にはボーカル入りと演奏のみの曲があって、ボーカルはイマイチだが演奏はすばらしい。例えば2曲目の"ヴィリディアナの滝"ではシンセサイザーが静かに流れ、続いてギターのアルペジオがそれに絡んでいく。サックスも聞こえ、静かにしかし徐々に盛り上げ、展開していく様は、まさにサスペンスフルな映像にふさわしい流れでもある。

 とにかく演奏が引き締まっていてタイトであり、その中をギターが、キーボードが、ときにサックスが縦横無尽に舞い踊るという感じである。だから聞いていてなかなか飽きが来ない。
 また逆に"舞踏"という曲があるのだが、これなんか完全に歌ものになっている。演奏はバッキングのみなのだが、陽気なイタリアンが歌う歌謡曲という雰囲気である。こういうギャップの大きさもまたこのアルバムを素晴らしいものにしているのかもしれない。

 彼らはこの2枚のオリジナル・アルバムと数枚のサウンドトラック・アルバムを残して自然消滅してしまった。しかし1999年、キーボード担当のクラウディオ・シモネッティを中心に再結成をして、アルバムを発表。そしてすぐにまた解散してしまったそうである。

 とにかくキーボーディストの、下ネタではなくて、シモネッティの演奏力は素晴らしいものがある。結局、彼だけがその後も映画音楽に携わり、デモニアというグループを結成して公演活動などに励んでいるようである。“小鬼”はいなくなった代わりに“悪魔”が降臨したのだろうか。
 いずれにしても70年代のイタリアン・プログレッシヴ・ロック・シーンに欠かせないバンドであった。

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2009年3月 1日 (日)

チェインジリング

 毎月1日は「映画の日」ということで、誰でも1000円で映画を見る事ができる。便利な制度があるものだ。それで今回はアンジェリーナ・ジョリーが出演している“チェインジリング”を見に行った。もちろんひとりである。

 この映画なかなかの力作である。まずアンジェリーナ・ジョリーの演技が素晴らしい。言われてみないとアンジーとは気づかなかった。

オリジナル・サウンドトラック Changeling Music オリジナル・サウンドトラック Changeling

アーティスト:クリント・イーストウッド
販売元:ジェネオン エンタテインメント
発売日:2009/02/04
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 今までの彼女のイメージにはどうしても“トゥームレイダー”シリーズの印象が強く残っていて、アクション・シーンには強いけど、演技力はどうかなという不安があったように思えた。

 確かに以前、アカデミー賞助演女優賞を獲得したことがあるし、この作品でもアカデミー賞主演女優賞にノミネートされていたから、演技力には定評があるのかもしれないのだが、それでもアクションだけでなく内面の微妙な心理を演技できるのだろうかという不安は拭いきれなかったのである。

 ところがこの映画では、子どもをなくした(正確にいうと、行方不明になった息子を探す)母親の心理を上手に表現しているのである。しかもただ単に悲しんだり、落胆したりするのではなく、捜査は終わったと宣言している警察に対して、憤ったり、哀願したり、抵抗をみせるという微妙な演技も見事にこなしている。確かに主演女優賞にノミネートされただけのことはあると思った。

 この映画を見て驚いた事は2つある。まずこの映画が事実に基づいたものだという事である。あまり詳しく書くと見てない人には申し訳ないのだが、子どもの失踪事件から入れ替え事件につながり、さらには連続殺人事件として発展していく様子が圧倒的なリアリティをもって迫ってくる。事実がもつ重みである。しかもロスアンジェルスという昔も今も大都会である街の中で起きたのである。

 もう一つは警察の腐敗である。1928年という時代は日本では昭和3年にあたり、社会主義運動が活発になり、満州事変の遠因にもなった張作霖が爆殺された年であり、アメリカでは禁酒法時代の真っ只中でもあった。

 男女同権といわれているアメリカでもやっと女性の社会進出が認められ、スカートの丈がくるぶしから膝まであがるようになった時代である。映画の中でも街中を走る電車よりも車がゆっくりと走っていたが、馬車が原付のエンジンで動くような感じであった。

 また禁酒法のせいでギャングが幅を利かせ、一部の警察とギャングは相互に利権を守りあうパートナーでもあった。
 この映画ではギャングは出てこないが、暗に賄賂の横行や組織の腐敗などが描かれているし、主人公を全面的にバックアップする社会活動家の牧師は、ラジオ放送を通してそうした警察を声高らかに糾弾していく。

 警察はプロパガンダとして彼女の立場を利用しようとする。何よりも市民のことを第一に考え、優先して解決しようとし、その結果無事に子どもが戻ってきたという設定である。ところが、彼女は自分の子どもではないという。警察はスピーディに問題を解決したがったために、これはもう解決済みの事件であり、彼女の方が結果に対応できていないと反論する。

 さらには彼女の言動から彼女を反体制派として考えるようになり、ついには警察署から直接、精神病院に移送してしまう。これが法律的に認められていたというのだから、今から考えれば人権軽視もはなはだしい感がある。
 しかも病院には彼女のような立場の人は少なからずいたのである。まるで第二の拘置所だ。

 結局は、彼女の立場が認められて、無事に戻ってきて法的手段をとるのであるが、署長は担当者を停職処分にして、問題を早く解決しようとするし、市長も選挙が近いので幕引きを急がせるのであった。この点は現代社会でも似たようなものであり、同種のような駆け引きはよく見られる。

 今ではDNA鑑定があるので同種の事件がおきても、ものの数週間で解決するのであろうが、当時はこういうことには科学的な判定が困難であったのであろう。映画の中では歯医者が以前の歯のカルテ結果から違うと断定するのだが、主人公にとっては大いに勇気づけられたに違いない。

 日本でも“神隠し”などと呼ばれていたし、このようなことはあったのかもしれない。ごく最近もある県で試験管の中の受精卵を取り違えて移植するということがあり、中絶せざるをえなくなった悲惨な事件があったが、これがもし気づかずにいたら、あるいは気づいても事件になるのを恐れてそのままにしておいたらと思うと、まさに現代版チェインジリングである。
 ちなみに"Changeling"とは妖精や邪悪な鬼が取り替えた子どもの事を指すらしい。その子どもの多くは元の子どもより醜いという。

 製作と監督はクリント・イーストウッドで音楽も監修している。相変わらずジャジーなテーマ・ソングが素晴らしい。もう80歳近いのに相変わらず高い製作意欲である。さて次回はどんなテーマで賞の候補にノミネートされるのだろうか。楽しみである。

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