追悼;マイケル・ジャクソン
6月25日は、12月8日や11月29日のように洋楽好きの人にとっては忘れられない日になるだろう。先日からTVやラジオで繰り返し流されているように、“キング・オブ・ポップス”といわれていたアメリカのエンターティナー、マイケル・ジャクソンが亡くなったからである。
享年50歳。死因は心不全といわれているが、LAの検視局ははっきりとした死因の結果が出るのは4~6週間かかるコメントしている。結果がどうであれ、マイケルが生き返ることはない。
確かに才能のある素晴らしいエンターティナーだったと思う。特に1980年代のマイケルは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったと思う。出す曲、出す曲世界中で大ヒットを記録し、彼の名前を聞かない洋楽番組はないほどであった。
また1998年と2003年にはノーベル平和賞の候補にノミネートされるなど、音楽活動以外でも世間を賑わせていた。
しかし最近では、様々なゴシップが彼の周りを取り囲み、まるで犯罪者か精神異常者のように扱われたりもした。有名人ならではの扱いといえばそれまでだが、かつての栄光が崩れ落ちたかのようだった。
彼の整形疑惑や借財の規模、その評判については80年代との落差が大きくて、とても信じられなかった。どこまでが本当でどこまでが偽りだったのか、今でもよくわからない。よくわからないまま彼は亡くなってしまった。つまり伝説がまた一つ生まれたのである。
とにかく彼は時代の流れにうまくマッチしていた。よくいえば時代の流れに敏感であり、悪くいえばそれを利用していたということだろう。
彼が有名になったのは、子どもの頃(11歳)からの芸能活動のおかげだった。ジャクソン5として有名になり、ソロでもシングルを出してNo.1にもなった。確かに歌もダンスも子どものころから上手で、それについては誰しもが認めるところである。
そして1979年、80年代のさきがけとしてアルバム「オフ・ザ・ウォール」が発表された。このアルバムからのシングル"Don't Stop 'Til You Get Enough"(今夜はドント・ストップ)が売れ、アルバム自体も世界中で約1900万枚売れたといわれている。
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オフ・ザ・ウォール(紙ジャケット仕様) アーティスト:マイケル・ジャクソン,クインシー・ジョーンズ,ロッド・テンパートン |
ただ別に文句を言うわけではないのだが、このアルバムの好セールスの影には、アルバム・プロデューサーであるクインシー・ジョーンズの手腕がかなりあったのではないかと思っている。
またMTV(ミュージック・ビデオ)という影響もまた見逃すことはできない。確かにそれまでのMTVは黒人を放映することを避けていた。その障壁を破ったマイケルの功績は見過ごすことはできないのだが、そのMTVに何度も登場することで、彼のアルバムは全世界的に売れたということもまた事実である。
そしてあの"Thriller"のようなビデオを制作することができたのもMTV全盛時代のなせる業なのである。
ちなみにマイケルはPV(プロモーション・ビデオ)のことをショート・フィルムといっていた。まるで短編映画のようだが、実際にジョン・ランディスやマーチン・スコセッシなどの監督が担当していた。こういうところでもマイケルのプライドみたいなものが感じられる。
ところでまた、あのきらめくようなサウンド・メイクやヒップ・ホップの要素などの時代の動きをうまく取り入れることができたのもクインシーやアルバムの中の楽曲を提供した人たちの力だと思うのである。実際、クインシーと一緒にプロデュースしたアルバムは売れている。(「オフ・ザ・ウォール」、「スリラー」、「BAD」)
唯一の例外は1991年に発表された「デンジャラス」だが、これも彼一人のセルフ・プロデュースではなくて、テディ・ライリーやR・ケリー、ベイビー・フェイスなどと共同制作している。
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デンジャラス(紙ジャケット仕様) アーティスト:マイケル・ジャクソン |
彼一人で制作したアルバムはこれまで発表されていない。彼にはそういう信頼できるパートナーというかアドヴァイザーが必要だったのだろうと思っている。
また彼自身が作詞・作曲してヒットした曲は前述の"Don't Stop 'Til You Get Enough"、アルバム「スリラー」からは"Wanna be Startin' Something"、"The Girl is Mine"、"Beat it"、"Billie Jean"の4曲、「BAD」では"BAD"、"The Way You Make Feel"、"Another Part of Me""I just Can't Stop Loving You""Dirty Diana""Smooth Criminal""Leave me Alone"であるが、「BAD」で全米No.1になったのは最初の5曲だけである。
確かに凄いのだが、一方で他のミュージシャンや作曲家との共作も多いのである。決して彼一人の曲だけでヒットしたアルバムを作ったわけではないのだ。
彼にとっての最後のオリジナル・アルバム「インヴィンシブル」には彼一人で作った曲は"Speechless"、"The Lost Children"の2曲だけで、この2曲はシングル・カットされていない。アルバム自体も全米・全英ともにNo.1にはなったものの、往年の頃の売り上げに及ぶことはできなかった。
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インヴィンシブル アーティスト:マイケル・ジャクソン |
だから彼の黄金時代は1979年から1991年までだと思っている。しかし音楽的な進化という点で見ると、クインシー・ジョーンズとタッグを組んでいた1979年から1987年だったと思う。それはアルバム「BAD」までで、「デンジャラス」以降についてはそれまでの勢い、余勢で売れたと見ている。
だから彼は最高のエンターティナー、パフォーマーであり、決して最高のミュージシャンではないのである。チーム・MJとして活動できたから“King of Pop”と呼ばれたのであり、彼一人では到底無理であっただろう。ただ彼には子どものころからカリスマ性があったのだろう。
だから彼には信頼できるパートナーやスポンサーが常に必要だった。それが表面的な友だちや取り巻きになってしまったところに彼の悲劇があったのだと考えている。
いずれにしても突然の訃報であり、まさにエルヴィス・プレスリーやジョン・レノンと同じような衝撃を与えられた。7月はロンドンのO2アリーナで50回の公演が予定されていた。最後のライヴだといわれていただけに残念な結果になってしまった。今後は何らかの追悼公演や偲ぶ会が催されるだろう。今夜は時代の流れに乗ったスーパースターに哀悼を表したい。
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