« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »

2009年10月

2009年10月31日 (土)

ギルガメッシュ

 ギルガメッシュといえば、古代バビロニアのシュメール王朝時代の王の名前である。かつては伝説上の王様と言われていたようだが、現代では実在した王として考えられている。

 ロックの世界でも同名のグループが存在した。しかもそれはカンタベリー系のグループとして捉えられている。さらにあのハットフィールド&ザ・ノースの兄弟版のようでもあるのだ。

 ギルガメッシュの中心人物は、キーボード奏者のアラン・ゴウエンという人だった。この人は実はハットフィールド&ザ・ノース結成時のオーディションに参加していた。
 しかし結果は不合格。合格したのは元エッグのキーボード奏者のデイヴ・ステュワートだった。

 このアラン・ゴウエンという人は、1960年代後半はあのキング・クリムゾンの短期間のメンバーだったジェイミー・ミューアと一緒にアサガイというアフロ・ロック・グループを結成していたようで、世の中狭いものである。

 それでアランはオーディションには落ちたものの、合格したデイヴ・ステュワートと、これがきっかけとなって親交を結ぶようになり、交流が生まれたのである。世の中何が幸いするかわからない。
 しかもアランは、今度は自分でグループ結成を計画したのである。もし彼のほうがハットフィールド&ザ・ノースに加入していれば、ギルガメッシュというグループも生まれなかっただろう。

 グループの結成は1972年。アランが25歳のときである。ギターにフィル・リー、ドラムにはマイク・トラヴィスが加わり、ベースは最終的にジェフ・クラインに決定した。知っている人は知っていると思うのだが、このベーシストのジェフ・クラインは後にアイソトープに参加している。こういう交流の広さもカンタベリー系グループの特長なのである。

 そして1975年にやっと彼らの1stアルバム「ギルガメッシュ」が発表されたのだが、このアルバムのプロデュースは彼ら自身とデイヴ・ステュワートが担当している。いかにデイヴが彼らを応援していたかがわかると思う。こういう友情というか人情の厚さもカンタベリー系グループの特長である。

 Gilgamesh Gilgamesh
販売元: iTunes Store(Japan)
iTunes Store(Japan)で詳細を確認する

 このアルバム、プレイ時間は40分に満たないものの、濃密で心地よい時間を与えてくれる。全8曲なのだが、中心となるのは1曲目と5曲目、7曲目の3曲でそれぞれ3部形式の組曲になっている。

 音楽的にはジャズ・ロックなのだが、聞いているうちに何となくハットフィールド&ザ・ノースに聞こえてくる。いろんな意味で影響をしあっていたのであろう。

 ただ、ギルガメッシュの方が色気があるというか、サウンド的に面白みがある。理由はデイヴ・ステュワートの方はオルガンやエレクトリック・ピアノが基本で、あとはちょっとシンセやメロトロンを使う程度だが、アランの方はピアノやオルガン、クラヴィネットにシンセサイザー、メロトロンと本当に多彩で、きらびやかである。しかもそれが音的にマッチしているから素晴らしい。

 またギターのフィル・リーという人も素晴らしい演奏を聞かせてくれる。エレクトリック・ギターがマイルドで、フィンガリングも華麗である。どうしてこうも次から次へと素晴らしいミュージシャンが現れてくるのだろうか。まことにカンタベリー・ミュージックは奥が深いと思う。

 もちろんこのアルバムは、ジャズ・ロックだからインストゥルメンタルなのだが、時々スキャット・ボーカルが聞こえてくる。スキャットしているのはアマンダ・パーソンズという女性で、この人はハットフィールド&ザ・ノースのアルバムでもノースセッツという3人組の女性ボーカルの一人として参加している。本当にハットフィールドとは縁が深いのである。

 3つの組曲の間に挟まってひっそりと息づいている曲の中に"Arriving Twice"という1分34秒の短い作品があるのだが、この曲は彼らの代表曲でもあるようで、その後も繰り返しライヴなので演奏されている。本当に短い曲だがエレクトリック・ピアノを支えるアコースティック・ギターという感じで、デリケートでドリーミィな曲に仕上がっている。

 このあとギルガメッシュは、ハットフィールド&ザ・ノースの解散を受けてデイヴ・ステュワートが合流し、ツイン・キーボード体制になるのだが、結局うまく行かず解散状態になってしまう。
 そしてアランとデイヴを中心として、ハットフィールドのメンバーが集まり、新しいグループのナショナル・ヘルスが誕生するのである。こういう離合集散が多いのもカンタベリー系バンドの特長なのである。

 その後、ヒュー・ホッパーがベースを担当してアルバムを制作したり、フィル・ミラーやリチャード・シンクレアなどとも共同でアルバムを発表したりしたのだが、残念なことに1981年5月に白血病でアラン・ゴウエンは亡くなってしまった。33歳という若さであった。最後のアルバム「ビフォア・ア・ワード・イズ・セッド」は、死の数日前に録音されたものだといわれている。

 2000年にはこの1stアルバムのデモやアウトテイク集なるものが発表されている。彼らのデビューに至るまでの瑞々しい演奏を味わうことができるとのこと。

 Gilgamesh/Arriving Twice Gilgamesh/Arriving Twice
販売元:HMVジャパン
HMVジャパンで詳細を確認する

 ともかくリーダーのアラン・ゴウエンは亡くなってしまったのだが、期間的には短くてもその音楽は、伝説のギルガメッシュ王のように輝き続けるのであろう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月28日 (水)

ハットフィールド&ザ・ノース

 カンタベリー系・ミュージックのバンドを紹介しているわけだが、だいたい時系列にそって古い順から紹介しているので、今回はハットフィールド&ザ・ノースの登場となる。

 日本でも絶大な?人気を誇るハットフィールド&ザ・ノースなのである。あの日本のジャズ・ロック・プログレ・バンド、アイン・ソフもハットフィールド&ザ・ノースをもじって「帽子と野原」というタイトルのアルバムを発表しているくらいである。Photo

 

しかもこのバンド、カンタベリー系のミュージシャンの代表メンバーで構成されていて、いわゆるスーパー・バンドなのである。1973年のデビュー当時のメンバーは以下の通り。

キーボード・・・デイヴ・ステュワート(元エッグ)
ギター・・・フィル・ミラー(元マッチング・モウル)
ベース・・・リチャード・シンクレア(元キャラヴァン)
ドラムス・・・ピップ・パイル(元ゴング)

 実に堂々たる布陣である。“ディス・イズ・カンタベリー”といっても過言ではないメンバー構成で、この面子での音楽がどういうものになるのか結成当初から期待されていたようである。

 自分が最初に聞いたのは、彼らのデビューから少し遅れてからだったが、まだ子どもだったせいか音の印象については、残念ながらよく覚えていない。
 しかし、そのアルバム・ジャケットの手触りはよく覚えている。普通のアルバム・ジャケットよりも上質紙で出来ていて、まるでコーティングされたような手触りだったのである。しかもデザインがカッコよくて、夜のような昼のような街の情景が記憶に残っている。

 よくみるとキリスト教の宗教画のように、天上の部分に様々な人々の姿が薄く描かれているのだが、それに気づいたのはもっと後で、当時はよくわからなかった。

Hatfield and the North Music Hatfield and the North

アーティスト:Hatfield and the North
販売元:Plan 9/Caroline
発売日:1992/04/10
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 そしてこれも師匠の家で拝見したものであるが、そのデザインや手触りだけが記憶に残っていて、たぶん音楽も一緒に聞いたと思うのだが、その点については記憶にない。たぶん師匠もあまり推薦しなかったのではないだろうか。カセット・テープにも録音した覚えはないのである。

 それはともかくとして、この1stアルバムのゲスト・ミュージシャンの中には後にデイヴ・ステュワートとコンビを組むバーバラ・ガスキンが女声コーラス隊の一人として参加しているし、内ジャケットには車椅子に乗っているロバート・ワイアットが描かれていて、事故の後にレコーディングに参加したことがわかる。こういう交流が普通に行われていたのもカンタベリー・ミュージックの特長であろう。

 曲数は全15曲(CDでは17曲)と多いのだが、最初と最後の曲はサウンド・エフェクトのように短くて、曲間もほとんどなく、短い曲を連ねてトータル・アルバムのような形式になっている。
 ジャズ・ロックという分野に入るのだろうが、メロディがはっきりとしていて堅苦しくないし、聞きやすい。そういう意味ではソフト・マシーンやマッチング・モウルと全然違い、同じカンタベリー系とは思えないほどである。

 そしてメロディの優しさとともに、リチャード・シンクレアの声質も柔らかく温かみがあり、何となくこちらまで和んでしまうのである。初期のキャラヴァンもそうだったのだが、彼が歌うと不思議と安心してしまう。

 このアルバムでは中盤から後半にかけて素晴らしいと思う。前半は何となく聞き過ごしてしまうのだが、7曲目の"Rifferama"や9曲目の"Shaving is Boring"などは躍動感があって聞き応え十分である。こういう演奏を聴くと、やはりジャズ・ロックだなあとつくづく実感してしまう。
 さらに10曲目の"Licks for the Ladies"は一転して静かなバラードになるし、13曲目"Lobster in Cleavage Probe"と14曲目"Gigantic Land Crabs in Earth Takeover Bid"はアルバムの最後を飾るかのようにメンバー全員で白熱したプレイを繰り広げている。しかしその激しさを感じさせないのが、このグループの特長なのだ。

 CDではイギリスでシングルとして発売された曲のサイドAとBが収められていて、これがまたボーカル入りのポップ・ソングなのである。この表現の幅の広さもハットフィールド&ザ・ノースの素晴らしさなのであろう。

 そして彼らの素晴らしさがパッケージされたのが、翌年の1975年に発表された2ndアルバム「ザ・ロッターズ・クラブ」である。これは彼らの最高傑作であり、カンタベリー・ミュージックの中でも最高に位置するアルバムの1枚と評価されている。

The Rotters' Club Music The Rotters' Club

アーティスト:Hatfield and the North
販売元:Virgin
発売日:1992/04/10
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 どのアルバム評やプログレ関係の雑誌を読んでみても、このアルバムに関しては最高の賛辞で埋め尽くされているのである。

 最初の曲"Share it"のリチャードのボーカルを聞いたとたんに、安らかな気持ちになる。彼のボーカルを耳にすると、そのほんわかとした歌い方や声質のせいで、和んでしまう。そこが幻惑の落とし穴なのである。

 彼のボーカルで安らいだ気持ちになり、さらに聞きているうちに複雑な演奏に絡め取られ身動きできなくなってしまい、そのまま一気に最後まで聞いてしまう。途中下車はできない。

 4曲目"Chaos at the Greasy Spoon"から"The Yes No Interlude"を経て"Fitter Stoke has a Bath"への流れは見事である。疾走感のある高度な演奏と温かみのあるボーカルとのマッチングが素晴らしい。この部分のほとんどをドラマーのピップ・パイルが手がけている。

 そして圧巻は何といっても20分を超える"Mumps"であろう。たたみかけるようなビートとおのおのリードを取るギターとキーボード、合い間に流れる透明感溢れる女声スキャットとゲスト陣による管楽器演奏、どこを切り取っても一糸乱れぬアンサンブルである。20分という時間を感じさせない名演であろう。
 イエスの"Close to the Edge"、ピンク・フロイドの"Echoes"、ジェネシスの"Supper's Ready"、キャラヴァンの"Nine Feet Underground"と比べても全く遜色はない。

 このスキャットを含むボーカル部分と、軽快かつ複雑なインストゥルメンタルの対比が歴史に残るアルバムを形作ったに違いない。自分にとっては大人になるまで(大人になってからも)この良さがよくわからなかったのだが、じっくりと聞き込むにつれてお灸のようにジワジワと効いてきたのだった。

 とにかく聞き流していては、このバンドや音楽の良さはわからない。リチャードのボーカルやポップな躍動感に騙されてはいけないのだ。しかし本人たちはそういうつもりはないのだろうけれど、リスナーにそんな思いをさせては、きっとニンマリしているに違いない。まさに歴史に残るグループなのである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月25日 (日)

マッチング・モウル

 アイソトープというジャズ・ロック・バンドに関連して、この際ソフト・マシーン関連のグループのアルバムを聞いてみようと思い立った。

 ただ問題があって、もともとジャズ・ロックは、本来的な自分の趣味・趣向とは正反対に位置するものであるから、聞いたことのあるアルバム数が極端に限られてくるのである。だから、あくまでも限定された感想しか述べられないのが悲しい。

 マッチング・モウルというグループがかつて存在していた。このグループはカンタベリー・ミュージックの原型ともいうべきワイルド・フラワーズからソフト・マシーンを経て、結成されたものである。

 ごくごく大雑把に言うと、ワイルド・フラワーズからは2つのグループが派生した。一つがソフト・マシーンであり、もう一つがキャラヴァンである。この2つのグループについては既にこのブログでも簡単に述べている。

 ワイルド・フラワーズにいたパイ・ヘイスティングスやリチャード・シンクレアなどはキャラヴァンを結成し、そこから脱退したロバート・ワイアットは、ケヴィン・エアーズやデヴィッド・アレンとともにソフト・マシーンを結成した。1966年の頃であった。

 そしていろいろ紆余曲折があって、ジミ・ヘンドリックスのアメリカ・ツアーの前座で活動したあと、ソフト・マシーンは一旦解散をするのだが、1stアルバムの評判が良かったために彼らは再結成し、メンバー・チェンジを繰り返しながらも活動を続けていった。

 しかし2ndアルバムから加入したヒュー・ホッパーの志向がアルバムに反映し始めると、それに嫌気が差したドラマーのロバート・ワイアットが元キャラヴァンのデイヴ・シンクレアとともに新しいグループを結成したのである。それがマッチング・モウルであり、1971年の出来事だった。

 彼らはギターにフィル・ミラー、ベースにビル・マコーミックを迎えてアルバムを制作したのである。バンド名と同じタイトルのアルバムなのだが、もともとマッチング・モウルとはソフト・マシーンのフランス語(Machine Molle)を英語読みにしたときに、当てはまる語に置き換えてできたものだった。(Matching Mole)
 直訳すると“当てはまるモグラ”ということだろうか。ちなみに日本のアルバム・タイトルは「そっくりモグラ」となっている。

 彼らは2枚の公式スタジオ・アルバムを残して解散したのだが、いずれも1972年に発表されていて、そのうちの1枚の「そっくりモグラ」を持っている。もちろんのちにCD化されたものであるが、アルバム・ジャケットが妙にかわいらしいのだ。

そっくりモグラ Music そっくりモグラ

アーティスト:マッチング・モウル
販売元:Sony Music Direct
発売日:2005/03/02
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 音的には最初の3曲は聞きやすい。特に1曲目の"O Caroline"はややスロー・テンポのバラード風の楽曲になっていて、ひょっとしたらシングル・ヒットも期待できそうなという感じの仕上がりになっている。
 また続く"Instant Pussy"や"Signed Curtain"でもシンプルなスキャットやボーカルを聞くことができて、ちょっと高尚なポップ・ソングという感じである。

 同時に1曲目からここまで、バックにメロトロンが使用されていて、それがいいムードを醸し出している。ジャズ・ロックにメロトロンが演奏されるというのも、いかにもプログレッシヴで実験的な音楽という感じだ。メロトロンを演奏しているのは、クレジットによるとドラム担当のロバート・ワイアットということだから、これは彼の趣向によるものであろう。

 しかし続く4曲目"Part of the Dance"から7曲目"Beer as in Braindeer"は、これはもうソフト・マシーンの世界である。あるいはもっと実験的でサイケデリックな音楽といっていいだろう。
 とにかく全くポップではないし、個人的にはアヴァンギャルドな音響空間だと思う。少なくとも自分にはそう聞こえてくるのである。だからこのアルバムを聞くときは、最初の方の曲しか聞かないようにしている。

 ただ8曲目最後の曲の"Immediate Curtain"は全編メロトロンが鳴り響いているので、ちょっと安心する。ただこの曲ももちろんポップな音ではない。

 彼らは同じ年にもう1枚スタジオ・アルバム「リトル・レッド・レコード」を発表するが、キーボードのデイヴ・シンクレアが脱退してしまった。一方で、ブライアン・イーノがゲストとして参加し、シンセサイザーを担当、ロバート・フリップがプロデュースを行っている。

 2枚のスタジオ盤を残して、マッチング・モウルは解散するのだが、ロバート・ワイアットはさらに新しいバンドを企画し、リハーサルを始めた。しかし、その矢先の1973年6月にパーティで酔っ払ったロバートは、階段から落ちて脊髄を痛めて下半身不随になり、車椅子生活を余儀なくされ、バンド構想は失われてしまったのである。以後、彼は車椅子のミュージシャンとして素晴らしい作品を発表している。彼のソロ作品については次の機会に譲りたい。次の機会があればの話だが…

 2001年になって、1972年当時のライヴ盤が発表された。聞いたことはないのだが、音質は悪く、質の良い海賊盤程度だといわれている。内容は2ndアルバム中心で、演奏しているミュージシャンも2ndアルバム制作時のメンバーである。

まっすぐモグラ Music まっすぐモグラ

アーティスト:マッチング・モール
販売元:ディスク・ユニオン
発売日:2001/05/02
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 ともかくバンド解散後は、ギター担当だったフィル・ミラーとキーボード担当のデイヴ・シンクレアはハットフィールド&ザ・ノースに参加し、ベース担当だったビル・マコーミックはフィル・マンザネラのいた801やクワイェット・サンに参加した。

 こうやってみると、どのミュージシャンもカンタベリー・ミュージックという基盤を軸に、幅広く交流しながら、当時のプログレッシヴ・ロック・シーン全般に影響を与えていたことがわかる。一流のセンスとテクニックを兼ね備えていたミュージシャンたちだったから、できたことなのだろう。恐るべし、カンタベリー系ミュージックなのである。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月22日 (木)

アイソトープ

 1970年代の日本人ミュージシャンであるツトム・ヤマシタと一緒に活動をしていた人に、元ソフト・マシーンのベーシスト、ヒュー・ホッパーとギタリスト、ゲイリー・ボイルがいるが、彼らはイースト・バンドという名前のバンドを組んでアルバムを発表している。

STOMU YAMASHTA’S EAST WIND/Freedom Is Frightening (1973/1st) (ツトム・ヤマシタズ・イ−スト・ウインド/Japan,UK) STOMU YAMASHTA’S EAST WIND/Freedom Is Frightening (1973/1st) (ツトム・ヤマシタズ・イースト・ウインド/Japan,UK)
販売元:ショッピングフィード
ショッピングフィードで詳細を確認する
その後でギタリストのゲイリーが在籍していたバンドがアイソトープという名前であった。1974年前後である。

 このバンドはジャズ・ロックを追及するバンドで、特に2作目の「イリュージョン」ではゲイリーの華麗なギター演奏とそれを支えるヒュー・ホッパーのベースを堪能することができる。

 自分はこのアルバムで初めてこのバンドの演奏を聞いたのだが、ゲイリーのアラン・ホールズワース並みのテクニカルなプレイに驚いてしまった。しかもこれまでこの人をノー・マークだった。今までこの人の名前を聞いたことがなかったからである。

 どうしてこれほど上手な人が今まで無名だったのだろうか、普通これほどの技術があるならもっと有名になってもおかしくないと思った。また、もっと売れてもしかるべきと思ったりもした。

 ゲイリー・ボイルがドラマーのナイジェル・モリスやキーボーディストのブライアン・ミラー、ベーシストのジェフ・クラインと一緒にアイソトープを結成したのが1973年だった。
 それまでのゲイリーはセッション・ミュージシャンとして有名だったという。60年代はダスティ・スプリングフィールドのバック・バンドのメンバーとしてレコーディングやツアーに参加しているし、ブリティッシュ・ジャズ界の重鎮ブライアン・オーガーやジュリー・ドリスコールのバックでも演奏していたようである。

 その後はスタジオ・ミュージシャンとして、バート・ヤンシュやキース・ティペットのレコーディングに参加してさらに腕を磨き、1973年にアイソトープを結成した。彼は1941年11月生まれだから32歳のときになる。ちょっと遅咲きのデビューでもあった。ちなみにゲイリーはインド生まれのイギリス育ちである。

 ツトム・ヤマシタと共演したのはアイソトープ結成前だったようで、そのときにヒュー・ホッパーと親交を結んだと思われる。だから74年の2ndアルバム「イリュージョン」ではジェフ・クラインが脱退したので、その代わりにヒュー・ホッパーが参加したのであろう。

 とにかく、この「イリュージョン」でのゲーリーのギター・ソロは素晴らしい。何度も言うが、今まで名前が売れなかったのが不思議なほどである。Photo

Music イリュージョン

アーティスト:アイソトープ
販売元:インディーズ・メーカー
発売日:2005/12/09
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 しかしアルバム全体を見ると、ギターが目立ちすぎて、他の楽器がそんなに自己主張していないところが気になる。ドラマーもベーシストも腕は確かなのだが、ギターの方が目立ちすぎる。また印象的なフレーズが少ないという点もどうかなと思うのである。

 ただ長めの曲と短めの曲を用意していて、飽きさせない工夫をしている点は評価できるのだが、どうも自分にはジャズは門外漢という意識が強くて、ついていけないのである。ソフト・マシーンとこのアイソトープの違いは何かと聞かれても答えられないだろうし、ほとんど似たように聞こえてしまう。ただ強いていえば、アイソトープの方が聞きやすいのではないかと思う。

 特に長い曲は、けっこう疾走感があっていい。また迫力もある。アルバムの2曲目である"Rangoon Creeper"や、後半の"Sliding Dog/Lion Sandwich"、"Golden Section"などは緊迫感も伴っていて、聞かせてくれる楽曲に仕上がっている。

 また"Marin Country Girl"では、2分少々と短い曲なのだが、アコースティック・ギターを使用していて、秋の夜長にふさわしいような渋めの演奏を披露している。ただフェイド・アウトしているから、いつ終わったのかわからなかった。もうちょっと盛り上げてほしい気がした。

 1976年に3枚目のアルバムを発表したあと、アイソトープは解散してしまう。ソロになったゲイリーはアルバム「ダンサー」を発表し、モントルー・ジャズ・フェスティバルではポップ・ジャズ賞を獲得して、ようやく彼の名前も世界的に有名になった。Photo_2

Music ザ・ダンサー(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ゲイリー・ボイル
販売元:インディーズ・メーカー
発売日:2006/01/07
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 その後もコンスタントに活動していて、2006年にはゲイリー・ボイル・トリオとして来日公演を果たしている。もちろんジャズである。

 こうやってみると、昔からイギリスでもジャズやジャズ・ロックが、ブームではなくて、一つの流れ、音楽の分野として根付いていたことがわかる。ジャズといえばアメリカ産の音楽なのだが、アメリカからイギリスへと逆輸入した形になったのだろう。

 ただそれをそのまま演奏するのではなくて、ジャズ・ロックとして、ときにプログレッシヴ・ロックの範疇に入れられながらも昇華して行ったのが、ブリティッシュ・ジャズ・ロックなのかもしれない。その代表的な例がコロシアムやソフト・マシーンであり、マイナーな例が元アイソトープのゲイリー・ボイルなのである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月19日 (月)

ノルウェイの森

 秋である。秋といえば、食欲の秋、芸術の秋、そして読書の秋でもある。最近久しく本などを読んでいなかった自分は、自己の人格の陶冶を目指し、読書に励もうと思った。

 それで今まで一度も読んだことのない人の本を読もうと決意し、日本を代表する小説家であり、ノーベル文学賞に一番近いといわれている日本人の村上春樹氏の本を選んだのである。そして、その本のタイトルは「ノルウェイの森」というものであった。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Book ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

著者:村上 春樹
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 自分は貧乏性なので、評価の定まった人の本を買って読むのは、たとえ内容が失望させられるものであったとしても、読む上で安心感があって、手を出しやすい。逆に流行小説家の作品は当たり外れが大きいと思っていて、なかなか手が出せなかった。

 今回は清水の舞台から飛び降りるつもりで、思い切って手を出したのである。しかも「ノルウェイの森」といえば、単行本・文庫本を合わせて1000万部以上売り上げているモンスター・ブックなのである。たぶんこの数字は小説部門では№1ではないだろうか。

 というわけで「ノルウェイの森」を読んだわけであるが、これがなかなかどうして一筋縄ではいかない小説なのであった。

 テーマは“喪失と再生の物語”らしいのだが、自分にとってはなかなか微妙な感じがした。

ノルウェイの森 下 (講談社文庫) Book ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

著者:村上 春樹
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 時は1969年頃、場所は東京である。主人公は神戸から東京にやってきた大学生のワタナベという人と彼の高校時代の同級生の直子である。この2人には同じ年のキズキという友だちがいて、このキズキは直子の恋人でもあった。しかし17歳のときにキズキは自殺したのである。

 このことは主人公の「僕」(ワタナベ)と直子にとって、共通の痛みを伴っているのだが、よくある話で、今度はこの2人が恋人同士になってゆくのである。

 こうやってみると恋愛小説なのだが、単純にストーリーは展開しない。直子は姉と叔父を自殺で失っているという悲しい過去がある。自殺が遺伝するとは考えられないのだが、ひょっとしたらそういう精神的な脆弱さを抱えているのかもしれない。

 実際、直子は京都の療養所に入所し、精神的な病を治そうとするし、そこで出会った年上の元ピアノ講師で主婦だったレイコを軸に話は展開してゆく。
 一方、東京では「僕」と同じ科目を履修している小林 緑という女性が登場し、この人と「僕」との関係を軸にして話は進む。要するに「僕」をめぐる2人の女性を軸に大筋が描かれているのである。

 それについては異論もなく、なるほど恋愛小説とはこういうものかと思ったのだが、それにしてはこの「僕」は、簡単に女性とできてしまうのである。話の中にはこの「僕」という人は、美形でもなく、モテそうな描写はない。しかしまるで現代の“光源氏”のようなのである。

 また1969年前後の時代背景で、ちょっとおしゃれな服装や食事(外食)などが描かれているし、1980年に発表された田中康夫の小説「なんとなくクリスタル」を思い出してしまった。(ちなみに「ノルウェイの森」は1987年の作品である)

 さらに内容というか男女関係の描写が赤裸々でしかも淡々と描かれている。まるで×××小説に近いところもある。1969年当時にこんなに性知識が知れ渡っていたのかどうかは疑問なのである。もちろん自分はその頃は、まだ小学生だったからよくわからないのだが、マ××××××××やフ××××などは東京の大学生は知っていたのだろうか。あの大学紛争華やかな時代に、である。

 そして性に対する規範意識もこんなに抵抗感がなかったのだろうかと思うのである。自分が読み聞かせられていた大学紛争や60年代末の時代の雰囲気とはかなり異質なものがあるように思った。とにかく主人公の「僕」とその先輩の永沢さんはナンパに出ては、ほとんど百発百中ものにしてしまうのである。ときに相手を交換してしまうのだから、ちょっとどうかなあと思ってしまった。

 小説と割り切ればいいのかもしれないけれど、作者の体験や見聞も混じっているだろうし、少なくとも読後感は冴えないのである。悲しいことにスカッと爽やかにはならないのだ。

 文体はアメリカ近代小説をそのまま借りてきたかのようで、読みやすいことは間違いない。読みやすいのだが、心は晴れない。喪失はあっても魂の再生は、自分には現れなかった。

 小説の最後で年上のレイコさんと4回も、いやこの話はやめよう。アメリカ文学に影響を受けているのであれば、できれば「ライ麦畑でつかまえて」のようなラストシーンがよかった。あるいは「アルジャーノンに花束を」でもいい。あそこまで感動的でなくても、魂の再生がおこなわれるのであれば、もう少し若者らしい潔癖性や純粋主義みたいなものがあってもいいのではないか。

 これが混迷の70年代やバブル時代の80年代の話なら納得できるのであるが、どうも時代性とマッチしていないように思えてならない。
 自己の存在意義や自己同一性、アイデンティテイの確立は性に対峙することでしか成り立たないものなのであろうか。大江健三郎は「性的人間」の中で、自分を確認するためには、政治的人間になるか性的人間になるかしかないと述べたが、そういうものでしかないのか。人間に無限の可能性があるというのは嘘っぱちなのだろうか。

 「ノルウェイの森」は、これらの問題を残して自分の本棚に置かれている。女性がこの本を読んだらどういう感じがするのだろうか。おそらく男性の精神構造なり、下半身の構造などがよくわかったのではないかと思っている。しかもこれだけ売れたのだから、このことは女性にも支持されているのであろう。

 ちなみに作者の村上春樹氏は、熱烈なビートルズ・ファンというわけではないらしい。本来は違うタイトルが用意されていたらしいのだが、結局このタイトルに落ち着いたのだという。

 ビートルズといえば、この秋全作品がデジタル・リマスター化され、高音質になった。初期の4枚のアルバムもステレオ化されて、今までのCDと比較すると全く違うアルバムを聞いている感じがするという。

ラバー・ソウル Music ラバー・ソウル

アーティスト:ザ・ビートルズ
販売元:EMIミュージックジャパン
発売日:2009/09/09
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 自分にとってはこちらの“ノルウェイの森”の方が再生感がある。デビューから40年以上たっているにもかかわらず、ビートルズの楽曲は、まさに時代を超えての普遍性を備えている。
 そしてこのリマスター化を予想していたかのように、まるで違う楽曲に生まれ変わったビートルズの名曲群は、この後も時代を先駆けるかのように光り輝いていくであろう。

 自分にとってビートルズの歌こそが、魂の覚醒と癒しに通じるものなのかもしれない。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月16日 (金)

ゴー三部作(後編)

 もともとツトム・ヤマシタという人は京都に生まれたミュージシャンで、主にパーカッションを演奏していたそうである。1947年5月生まれだから今年で62歳になる。

 16歳のときにあの小澤征爾から日本フィルにスカウトされたというから天才的な何かを持っていたのであろう。
 その後ニューヨークのジュリアード音楽院やボストンのバークレー音楽院でジャズのドラミングを学んだあとはフランスのパリに行って公演をしている。またそのころアメリカの雑誌“Time”の表紙を飾ったというから、当時から世界的な音楽家として活躍をしていたようである。

 またジャズ・ロックに興味を持ち始め、1970年にはイギリス人のパーカッショニストのモーリス・パートとともにカム・トゥ・ジ・エッジというグループを結成しているし、1972年になるとイギリスで「レッド・ブッダ」というアルバムを発表している。内容を聞いたことはないのだが、話によると演劇や音楽などを総合した前衛的なスタジオ&ライヴ・アルバムということである。

 Stomu Yamashta/Man From The East (Ltd)(Pps) Stomu Yamashta/Man From The East (Ltd)(Pps)
販売元:HMVジャパン
HMVジャパンで詳細を確認する

 1973年には元ソフト・マシーンのヒュー・ホッパーやアイソトープのゲイリー・ボイルとともにバンドを結成している。こういう精力的な活動が認められたせいか、彼はアイランド・レコードと契約を結び、1976年に「ゴー」を発表したのであった。

 ツトムは“Go三部作”として、1976年の「ゴー」、1977年の「ゴー・トゥー」と発表してきた。次は当然「ゴー・スリー」になる予定だったのだが、それを変更してライヴ盤を発表した。それが1978年発表の「ゴー・ライヴ」だった。

 Stomu Yamashta/Go Live In Paris Stomu Yamashta/Go Live In Paris
販売元:HMVジャパン
HMVジャパンで詳細を確認する

 このライヴ・アルバムは「ゴー」発表後の1976年6月12日のフランスはパリの“パレ・デ・スポール”での演奏をレコーディングしたもので、メンバーも「ゴー」とほとんど同じ構成になっている。
 ただベーシストに元トラフィックだったロスコー・ジーの代わりに、ジェローム・リムソンという人が参加している。

 もともと「ゴー」はコンセプト・アルバムで、テーマは善と悪、輪廻転生、よくいわれる東洋思想に近いものになっている。
 登場人物は格闘家のクロタと相手方のフーシェンで、内容はというと、クロタがフーシェンと戦い失明をし、妻も財産もすべて失うのだが、荒野の果てで自分を信じて生命力を獲得し、やがてはフーシェンを倒し、勝利を獲得するというものである。

 元のスタジオ・アルバムではこの内容が逆転しており、サイドAでは自分の力を信じ、生命力を獲得したクロタが相手を倒し、真の勝利者となるという展開。
 一方、サイドBではクロタとフーシェンが登場し、死闘を行い、クロタが失明をして荒野で倒れるという内容になっている。

 これがなぜ逆転しているのかというと、アルバムを最初から最後まで聞き通すことで、終わりから始まりに続き、万物は流転するという話に通じるからということらしい。あるいは手塚治虫の“火の鳥”のように、永遠の生命をテーマにしているのかもしれない。いづれにしても東洋人のツトム・ヤマシタらしい話である。

 ライヴ・アルバムでは、逆にこれが普通の展開になっていて、スタジオ盤とは逆のストーリーになっている。ややこしい話だが、物語の展開としてはライヴ盤のほうがノーマルなのである。

 またCDでは1枚ものになっているが、もともとのレコードでは2枚組だった。当然のことながらスタジオ盤よりも熱気みなぎる演奏を聞くことができる。特にギターはパット・スロールとアル・ディ・メオラであり、パットの方はツトム・ヤマシタとの仕事が彼の初めてのキャリアとなるものであった。

 またライヴ盤なので、オーケストラなどは使用されていないのだが、その分キーボード、シンセサイザーが多用されている。シンセはクラウス・シュルツだけでなく、ツトム・ヤマシタも演奏しているし、ピアノに関してはスティーヴ・ウィンウッドが担当している。だからストリングスなどがなくても十分聞きごたえがあるし、むしろ白熱したプレイになっている。

 ツトム・ヤマシタは、こういうコンセプトのもとにアルバムを制作したのだが、バンド・メンバーの国籍を見ると、日本、イギリス、ドイツ、アメリカというように多国籍になっている。人種、国籍、国境などを超越して、純粋に音楽を中心として結ばれた人と人が生み出したものこそ、彼にとっては探し求めていた大切なものだったのではないだろうか。

 彼はその後1980年にヨーロッパを去り、日本に戻って「シィー&スカイ」というアルバムを発表したあと一時引退をしていた。

 Stomu Yamashta/Sea & Sky Stomu Yamashta/Sea & Sky
販売元:HMVジャパン
HMVジャパンで詳細を確認する
 しかし最近ではサヌカイトという石を木琴のように叩いて音楽を制作している。これは四国の讃岐地方や奈良県にだけ産出される石のようで、さすが本来はパーカッショニストだけあって、目の付け所が違う。なかなか前衛的な音楽家でもあるようだ。

 ところで昔から疑問に思っていたのだが、ツトム・ヤマシタの英語表記は"Stomu Yamashta"になっている。本来なら"Tsutomu Yamashita"なのだが、これはいったいどういう理由からであろうか。

 欧米人には"Tsutomu Yamashita"という発音が難しくて、特に"Tsu"よりも"S"の方が発音しやすかったというのが、個人的な考えなのだが、どうだろうか。だから発音そのままの音を表記したら"Stomu Yamashta"になってしまったという気がするのである。

 ともかく自分にとっては、70年代に外国で活躍した数少ない日本人ミュージシャンという意味で、思い出深く、なおかつ尊敬に値する人でもあった。そして彼の功績は時がたつにしたがって、ますますその輝きを放っているように思えてならないのである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月13日 (火)

ゴー三部作(前編)

 昔々子どもの頃に、洋楽雑誌「ミュージック・ライフ」で、外国で活躍しているミュージシャンの写真を見たことがあった。

 日本人でも堂々と外国人と渡り合って一緒に演奏している姿を見て、子ども心にも感動を覚えてしまった。その頃のミュージシャンとは、フェイセズでベースを弾いていた山内テツとかスティーヴ・ウィンウッドやマイケル・シュリーヴと一緒にアルバムを制作したツトム・ヤマシタなどであった。

 特にツトム・ヤマシタは、彼自身がリーダーとなって前述のミュージシャンや、他にもアル・ディ・メオラ、クラウス・シュルツ、ジェス・ローデン、リンダ・ルイスなど、錚々たるミュージシャンを起用してスタジオ・アルバムを制作していた。しかも2枚もである。

 当時の自分は、個々のミュージシャンの名前を見てもその偉大さは分からなかったのだが、元サンタナ・バンドとか元ブラインド・フェイス、元タンジェリン・ドリームなどという名称は理解できたから、充分刺激的であり、興味を沸き立たせるにはかなり効果的であった。

 たぶん自分が見たアルバムの写真は、1977年に制作された「ゴー・トゥー」だったと思うのだが、ほぼ雑誌1ページの3分の2のスペースを使って宣伝(プロモーション)していた。参加したミュージシャンの小さな顔写真もあったのも覚えている。

 もちろんまだ子どもだし、貧乏でもあった自分は、そういうアルバムを購入することもなく、ただ外国で活躍している日本人もいるのだ、凄いなあという感想を抱いたまま大人になってしまった。

 しかし、いつかは聞いてみたいという願いは忘れずにいた。そしてその願いがついに叶えられるときが来たのである。

 今年はアイランド・レコード50周年ということで、ツトム・ヤマシタの3部作、「ゴー」、「ゴー・トゥー」、「ゴー・ライヴ」が一挙に紙ジャケ化された。制作から30年余り過ぎているが、やはり根強い人気があったのであろう。

 ただ自分は「ゴー・ライヴ」は購入できたものの、「ゴー」と「ゴー・トゥー」に関しては日本盤で入手できなかった。それだけ販売枚数が少なかったのか、それとも人気が高くすぐに売り切れたのか。仕方なく残り2枚はインターネットで輸入盤を購入してしまった。

 聞いた感想を率直に述べると、1stアルバム「ゴー」は素晴らしいと思う。まずメロディがいい。スローな曲では哀愁を帯びたメロディアスな曲調だし、リズムのある曲ではテンポがよく躍動感がある。

 Stomu Yamashta/Go (Rmt) Stomu Yamashta/Go (Rmt)
販売元:HMVジャパン
HMVジャパンで詳細を確認する

 外国人が作る日本風の曲は日本というよりも中国風なメロディに近いものになってしまう場合が往々にして見られるのだが、やはり日本人が作った曲は当たり前の話だが完全に日本風になっている。悪くいえば歌謡曲風なのだが、それが逆に新鮮に感じられる。

 中盤の"Space Theme"、"Space Requiem"、"Space Song"は、今でいうニュー・エイジ・ミュージック、環境音楽風であり、ツトム・ヤマシタとクラウス・シュルツの演奏するシンセサイザーやムーグが飛び交っている。この辺はスペイシーでどちらかというとタンジェリン・ドリームの世界に近い。

 しかしそれらを挟む前後半はメロディは秀逸だし、躍動感はあるし、何度聞いても感動した。何しろ歌っているのはスティーヴ・ウィンウッドだし、ドラムは元カルロス・サンタナ・バンドのマイク・シュリーヴである。ギターはパット・スロールやアル・ディ・メオラが弾いている。
 超一流ミュージシャンが日本風歌謡曲を演奏しているのを想像してみると面白いと思う。こんな贅沢なことはないし、できればこういう人たちをバックにして歌ってみたいものだ。スティーヴ・ウィンウッドがうらやましい限りである。

 たぶんこのアルバムは成功したのであろう。続く翌年の1977年に2枚目のアルバム「ゴー・トゥー」が発表されたからだ。

 Stomu Yamashta/Go Too Stomu Yamashta/Go Too
販売元:HMVジャパン
HMVジャパンで詳細を確認する

 この2枚のアルバムに共通しているのは、曲はほとんどをツトム・ヤマシタが作曲し、歌詞はマイケル・クォーターメインが作っていることである。だから歌う側からすれば、日本人が英作したものを歌うよりは、違和感なくすんなりと歌えるのであろう。

 またオーケストラのアレンジはポール・バックマスターが担当している。彼はエルトン・ジョンやローリング・ストーンズ、マイルス・デイヴィスなどポップからジャズまで幅広く担当してきた有能なアレンジャーである。あのデヴィッド・ボウイの"Space Oddity"のストリングスを担当したのも彼である。

 逆に違う点は一部ミュージシャンが交代しているところで、ベースが元トラフィックのロスコ・ジーからジャズ・プレイヤーのポール・ジャクソンに、ボーカルがスティーヴ・ウィンウッドからジェス・ローデンになっている。だからというわけでもないだろうが、かなりファンキーでロック色が強くなっている。

 前作の流れを踏襲しているのは4曲目の"Mysteries of Love"と6曲目"Beauty"であろうか。いずれもジェス・ローデンとリンダ・ルイスの掛け合いが美しい和風のバラードである。こういう名曲がさりげなく収められているところが、このアルバムの凄いところでもある。

 ともかくプレグレッシヴな雰囲気を楽しみたいのなら1stアルバムを、ファンキーでロック色を味わいたいのなら2ndアルバムだと思うのだが、いずれも甲乙つけ難い名盤だと思っている。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月10日 (土)

デヴィッド・エセックス

 さていよいよB級グラム・ロック・シリーズも今回が最終回になってしまった。ブリティッシュ・ロックの中でグラム・ロックの占める位置はどういうものなのかはわからないが、確実に影響力はあったと思っている。
 だから1980年代に入ってもボーイ・ジョージやデュラン・デュランなど、ファッション的にはその流れを汲むバンドやミュージシャンが出てきたのではないだろうか。

 それで最後はグラム・ロックの中には入らないと思うけれど、子どもの頃に個人的に印象に残っている人に登場してもらうことにした。その人の名はデヴィッド・エセックスという。

 この人がヒット曲を出して日本でも紹介されたのが、ちょうどグラム・ロックの終わりの時期だった。それで自分は、この人も時流に乗り遅れないように一発ヒットを出したのだろうくらいしか思っていなかった。

 何しろ見た目がカッコいい。日本でも若い女性がキャーキャー言っていた覚えがあるし、ミュージック・ライフなどでも特集が組まれていたように記憶している。
 だからきっとグラマラスな衣装とメーキャップで歌っていたのだろうと思い込んでいた。

 自分が最初に聞いたシングルは「魔法のランプ」だったと思う。1973年に発表されたアルバム「ロック・オン」に収められている曲で、聞いただけで、妖艶、グラマラスな雰囲気が漂っているのがわかるし、歌い方などはデヴィッド・ボウイやT・レックスのマーク・ボランに似ていた。だからこれは間違いなくグラム・ロックの傍流だと思ったのである。

 このアルバムは後年になって輸入盤で手に入れたのだが、この「魔法のランプ」だけでなく、アルバム全体が70年代前半のロンドンの雰囲気に包まれていて、聞くたびに自分を幼い頃に連れて行ってくれるのである。

 それにけっこうよく練られているアルバムである。単なる若者向けのアイドル・アルバムというわけではなく、全11曲中、自作曲が7曲もあるのだ。シングル・ヒットした"魔法のランプ"(Lamplight)だけでなく、アルバム・タイトルにもなった"Rock on"もそうである。

Rock On Music Rock On

アーティスト:David Essex
販売元:Sony/BMG
発売日:2008/04/01
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 この独特のメロディとリズムの“タメ”は、良い悪いを超えて記憶に残るものになっている。とても新人の作った曲とは思えないほど、イマジネーションとオリジナリティに溢れていると思う。

 バラード系の"On and On"はバックのストリングスやサックスが効果的で、まるで映画のエンドロールに使われそうな曲である。もしくはラスベガスでのステージでも歌われそうな甘い歌になっている。こうやってみると彼は才能豊かなミュージシャンだったことがわかる。

 それに"Ocean Girl"などは、スティール・ドラムが使われて、本当は陽気なカリプソ・ミュージックになるところなのだが、デヴィッドの粘っこい歌い方は、まるでロンドン特有の夜霧の中でダンスしているカリブの女の子のように聞こえてくるのである。

 それほど才能豊かなデヴィッドであるが、オリジナルでない曲もある。1959年にビルボードの9位になった"Turn me Loose"は、もとはファビアンというアメリカのアイドルが歌った曲なのだが、デヴィッドが歌うと、粘着性のあるプレスリーが歌っているように聞こえてくる。

 またトラヴィス&ボブというアメリカ人のポップ・デュオが、これも1959年にヒットさせた"Tell Him No"という曲もカバーしている。原曲を聞いたことがないので、オリジナルとの違いが分からないのだが、ここではスローなバラードとして歌われていて、なかなか味わい深いものになっている。
 さらにはS&Gの"For  Emily, Whenever I may find her"も歌っていて、意外とこの人はアメリカ志向が強かったのかもしれない。

 デヴィッドは1947年7月に生まれているから、1stアルバムでのカバー曲は、彼の少年時代の曲に当たる。子どもの頃に聞いて口ずさんだ曲を、プロ歌手になって歌いたかったのであろう。

 彼は1963年にデッカ・レコードからデビューし、2年ほど自分のバンドと一緒にツアーをしていたようである。
 そして1stアルバムを発表した翌年、翌々年、"Gonna Make You a Star"と"Hold Me Close"の2曲で全英No.1を獲得し、遅咲きながらも全英のトップ・アイドルになった。

 その後、以前からちょくちょく映画に出ていたデヴィッドは、本格的に映画俳優としても活動を始めた。二束のわらじを履いた彼は、音楽と映画、次は舞台ということでミュージカルでも成功を収めている。

 現在でも彼は、しばしばアルバムを出してはツアーを行い、ミュージカルの舞台にも立っている。やはり彼は才能溢れるミュージシャンであり、エンターテイナーだったのである。何度も言うようだが、彼はグラム・ロックの範疇には入らないが、自分の中ではグラマラスに輝いていたミュージシャンだった。

 以上でB級グラム・ロックの特集は終わるのだが、今まで紹介してきたバンドやミュージシャン以外にもゲイリー・グリッターやスージー・クアトロなど数多くいる。もしまた機会があれば紹介したいと思う。たぶんそういう機会はないと思うけれど…

 とにかく1970年代の始めのイギリスで生まれたグラム・ロックであるが、その実績と影響は、21世紀の今でも人々の記憶の中にしっかりと息づいているのである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月 7日 (水)

ビー・バップ・デラックス

 B級グラム・ロック・バンド・シリーズの第6弾は、ブームの終わりにデビューしてきたバンド、ビー・バップ・デラックスの登場である。

 以前にも述べたように、イギリスのグラム・ロックは1971年から1974年までの短い期間であったが、この短期間に数多くのバンドが登場し、消えていった。
 こういう短期間での新陳代謝の激しさが、イギリスの音楽シーンを活性化し、日本とほぼおなじ国土面積なのに世界をリードしていくバンドが登場する理由だと思っている。

 そこでビル・ネルソン率いるビー・バップ・デラックスの登場である。

 このビル・ネルソンという人は、幼少の頃からギターに慣れ親しみ、デュアン・エディやハンク・マーヴィンからジミ・ヘンドリックス、ジェフ・ベックまでひたすらコピーし、マスターしていったという。だからギターに関しては、かなりのテクニシャンなのであった。後年、YMOの高橋幸宏の日本国内ツアーにギタリストとして参加しているほどだ。

 彼らは「美しき生贄」でデビューしたのだが、グラム・ロック的な雰囲気を含んでいたのは、このアルバムだけで、セカンドからは、というかアルバムごとに様相を変化させる点がまさにデヴィッド・ボウイ的であった。

Photo 美しき生贄
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する

 1stアルバムに収められている"Jet Silver & the Dolls of Venus"や"Adventures in a Yorkshire Landscape"などを聞くと、ビル・ネルソンのマイルドなトーンのギターワークが目立つ。言葉で説明するのは難しいのだが、グラム・ロックといっても、金属音的でもブギー的でもなく、田舎ののどかな風景とともに描き出されるビル・ネルソンの世界という感じである。

 2ndアルバム「フュチュラマ」になると、プロデューサーがあのクイーンを有名にしたロイ・トーマス・ベイカーになったせいか、少々ハードな音作りになった。もちろんそのハードネスを牽引するのはビル・ネルソンのギターなのである。

 フュチラマ フュチラマ
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する

 3作目以降はどんどんポップ化して行き、1976年9月に発表された4作目「モダン・ミュージック」は彼らの最高傑作と評価された。

EMIミュージック・ジャパン ビー・バップ・デラックス/モダン・ミュージック(紙ジャケット仕様) EMIミュージック・ジャパン ビー・バップ・デラックス/モダン・ミュージック(紙ジャケット仕様)

販売元:ムラウチDVD
楽天市場で詳細を確認する


 このアルバムは、そのタイトル通りに21世紀のいま聞いても全く古臭さを感じさせない。楽曲自体がポップで、それまでのビルのギターを控えめにして、全体のバランスが重視されて制作されている。

 とにかく曲数が多く(ということは1曲あたりの時間数が短い)、トータル・アルバム的な内容になっている。もともとビル・ネルソンにはSF趣味があり、コンサートの途中でバックに20年代等の古いSF映画の映像を流したり、歌詞の中にも登場させたりしている。

 レコードではBサイドにあたる部分に"モダン・ミュージック組曲"みたいなものを挿入し、英国の有名なDJであるジョン・ピールのSEなどを利用して構成に一工夫を見せている。また"月影の舞踏会"や"ハネムーンは火星で"、"ヒューマノイド・サム"などタイトルを見てもわかるように、極めてSF的でイマジネーションを喚起させるものになっている。

 曲的にもポップで印象的なメロディに満ちている。表題曲の"Modern Music"はもとより、"Kiss of Light"(妖しき月の女神)や"Forbidden Lovers"(恋人たちの密会)などシングル・ヒットしそうな曲が多いのも特長である。

 しかしこのアルバムが発表された1976年にはすでにグラム・ロックは終焉しており、時代はパンク/ニュー・ウェイヴ・ブームを迎えつつあった。
 ところが逆にこのアルバムの成功のおかげで、ビー・バップ・デラックスはのちに登場するマガジンやXTC、シンプル・マインズなどのニュー・ウェイブ・バンドに多大なる影響を与えることになったのである。

 だから今では彼らは、グラム・ロックとニュー・ウェイヴ・ムーヴメントをつなぐ架け橋という評価が与えられている。実際、ビル・ネルソンは日本のイエロー・マジック・オーケストラ、サンディ&ザ・サンセッツ、土屋昌巳、高橋幸宏などと活動をともにしたこともあった。
 ちなみにビル・ネルソンの奥さんは日本人という話があるが、定かではない。

 ビルは1978年にビー・バップ・デラックスを解散させて、自らのバンドのレッド・ノイズを結成した。音的にはシンセサイザーを使用したピコピコのテクノ・ポップなものである。その後もビルはソロで活動を続けているようである。

 グラム・ロックは音的には基本的にノリのよいロック・サウンドなのだが、それに装飾的なファッションが乗っかかっていたから、目新しく見えたと思うのである。
 しかしブームとはあっけないもので、飽きられてしまうと、音的には目新しいものもなかったグラム・ロックは終わりを迎えてしまった。

 ただし、このビー・バップ・デラックスは、次の世代にしっかりと遺伝子を残してくれたのである。これもビル・ネルソンのおかげである。まさに“奇才”ビル・ネルソンという異名がピッタリのミュージシャンであった。

| コメント (0) | トラックバック (1)

2009年10月 4日 (日)

スレイド

 70年代のB級グラム・ロック特集もいよいよ大詰めである。今回はそのB級グラム・ロックの中で最大の人気と影響を与えたと思われるバンド、スレイドを紹介したい。

 この4人組のスレイドというバンドは、歴史の長いバンドでもある。結成は1966年というから、もう40年以上も前の話になる。ただスレイドという名前になったのは1969年頃らしい。

 結成されたのはバーミンガムで、そこからロンドンにやってきて、あのジミ・ヘンドリックスを世界に紹介したチャス・チャンドラーの力添えでアルバム・デビューすることができた。
 ちなみにチャス・チャンドラーとは、"朝日の当たる家"などのヒットを放ったアニマルズというグループのベーシストだったが、ミュージシャンよりもプロデューサーの方で有名になっている。

 “スレイド”という名前にしたのもチャスの指示だといわれているし、彼らにレコード会社との契約の橋渡しをしたのも彼だったそうである。ジミ・ヘンドリックスとスレイドではかなり違う音楽性だと思うのだが、有能なミュージシャンを発掘する嗅覚に優れていたのであろう。

 1969年のアルバム・デビュー後、最初はなかなか売れなかったようであるが、地道な活動と、おりからのグラム・ロック・ブームに便乗するような形で売れるようになってくると、イギリスを代表するグループにまで登りつめたのである。
 これにもチャス・チャンドラーのアドバイスがあったようで、ポップなメロディーや派手な衣装やステージングをメインに置いて活動を続けた結果だと言われている。

 特に1971年から74年にかけては、グラム・ロックの興隆と衰退にあわせるかのように、スレイド自身も黄金時代であった。チャート的にも12枚のシングルが連続してトップ5の中に入り、そのうち半分がNo.1になったし、アルバムもライヴ盤「スレイド・アライヴ」が2位、「スレイド?」、「スレイデスト」(ベスト盤)が連続して1位という快挙であった。

 自分が初めてラジオから彼らの音楽を聞いたのが、ジャニス・ジョップリンのカヴァー曲"Move Over"だった。実にカッコよかった。当時はまだジャニスが歌ったオリジナルの方を知らなかったので、スレイド自身の曲だと思っていた。

 そしてこの曲と"Gudbuy T'Jane"(グッバイ・ジェーン)が同じバンドが演奏しているとは思えなかった。"Move Over"の方はハードな曲だったし、途中でシンバルだけをバックに歌うところがカッコよかった。
 "Gudbuy T'Jane"の方は、シンプルで口ずさみ易かったし、子どもでもわかりやすい曲だった。だからこの落差が当時の自分には奇妙であり、かつまた刺激的でもあったのだ。

 この2曲が含まれているアルバム「スレイド?」は1972年に発表されていて、前述したとおり全英No.1を獲得している。この2曲以外にも"Mama weer All Crazee Now"(クレイジー・ママ)というヒット曲もあって、ベスト盤以外でとりあえず彼らを知るには最適のアルバムだと思っている。

Slayed? Music Slayed?

アーティスト:Slade
販売元:Slavo
発売日:2006/09/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 彼らの人気が高かったのは、確かにノリのよいシンプルなメロディとリズムという点が大きいのだが、それ以外にも庶民的で労働者階級の出身というセールス・ポイントが効果的だったと思う。

 よく言われていることが、曲の表記方法で、例えば"Look at Last Night"→"Look at Last Nite"、"Goodby to Jane"→"Gudbuy T'Jane"、"Mama we're All Crazy Now"→"Mama weer All Crazee Now"などと正しい英語で書かれていないのである。
 
 これらは発音されたとおりにアルファベットを使って表記したものであり、庶民的ロッカーという受けを狙う戦略も含まれているように思える。こういうのもチャスの入れ智恵かもしれない。

 ところが当時のイギリスのティーンエイジャーたちは、喜んでこれらを受け入れたようで、まあ一種の流行になったのだろう。しかしそういう流行を作り出す影響力がスレイドにはあったのである。

 彼らはパンク・ブームの時には失速するのだが、80年代に入ってNWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)が流行すると、スレイドを敬愛する若手バンドからリスペクトを受けて復活するのである。
 さらに1983年にはアメリカのヘヴィ・メタル・バンド、クワイェット・ライオットがスレイドの曲をカバーして、これが大ヒット。イギリスだけでなくアメリカでも一躍有名になり、曲もチャートの上位に上がった。

 とにかくスレイドは息の長いバンドであった。しかもその間、一度もメンバー・チェンジをしていないのである。活動期間が長いだけでなく、結束力も強かったのである。こういうギルド的協同組合のような雰囲気がイギリス人にはマッチしたのではないだろうか。

 メンバーのボーカル&ギター担当のノディ・ホルダーは、1991年に体力の限界という理由で脱退した。これでオリジナル・メンバーでの活動は終焉を迎えたのだが、他のメンバーは違う人を加入させ、現在でも活動しているらしい。還暦近い人たちであるが、ここまでくれば人間国宝ものである。

 とにかくB級といっては失礼に当たるかもしれないロック・バンドである。キッスのジーン・シモンズも彼らに影響を受けたといっているように、アメリカのバンドにも影響力が強かったバンドであった。まさにグラム・ロックという時流に乗って、歴史に残ったロック・バンドなのである。

The Very Best of... Slade Music The Very Best of... Slade

アーティスト:Slade
販売元:Universal Japan
発売日:2005/11/29
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月 1日 (木)

スウィート

 スウィートといっても“おめざフェア”などの甘いものではない。70年代に活躍したイギリスのロック・バンドの名前である。

 彼らをグラム・ロックに属するかどうかは、意見の分かれるところでもある。ファッション的にはもろグラム・ロックなのだが、音楽的にはそう簡単に言い切ることはできない。

 彼らは活動歴の長いバンドで、だからその音楽性も大きく3期くらいに分けられる。バンドの結成は1968年で、ボーカル担当のブライアン・コノリーとドラム担当のミック・タッカーが中心となって結成した。彼ら2人はウエィンライツ・ジェントルメンというバンドに入っていて、このバンドにはのちにディープ・パープルに加入したイアン・ギランとロジャー・グローヴァーも所属していたという。

 それでベース担当のスティーヴ・プリースト、ギター担当のアンディ・スコットが加わってスウィートとして活動を始めたのだが、最初は泣かず飛ばずだった。

 転機が訪れたのは1971年で、このときに"Funny Funny"というシングルがヒットして、彼らはポップ・バンドとして人気が出た。ただしこれは自作曲ではなく、当時一流のヒット・メイカーだったニッキー・チン&マイク・チャップマンが制作した曲だった。日本の70年代でいうと筒美京平と松本隆もしくは阿久悠といったところだろうか。あるいは宇崎竜堂と阿木燿子か。

 だからこれ以降は出す曲、出す曲ヒットするのだが、すべて他人の曲で彼らのオリジナルではなかったのである。
 この状態は1975年まで続いた。だから71年から75年までが他人様の曲で人気があった第1期に当たる。

 第2期は1975年から1979年まで、この時期はクイーンと匹敵するほど?のロック・バンドだった。まず75年に"Fox on the Run"が全英2位、全米5位というビッグ・ヒットを記録したのだが、これはメンバー全員の共作だった。
 これに自信を持ったのかどうかわからないが、続いて発表した"Action"も同じチャート・アクションを記録し、人気だけでなく実力も兼ね備えたバンドという名声を得たのである。

 1976年に発表されたアルバム「甘い誘惑」にはこれらのシングルが収められており、全米で27位という好結果を出しているし、日本でもクイーン、キッス、エアロスミス、チープ・トリックと同等もしくはそれ以上の人気だった。Music Lifeなどの音楽雑誌には写真入で記事が載っていたような気がする。Sweet
 だからこの第2期はハード・ロック・バンドといった感じであり、ファッション、格好などまさにグラム的なイメージを発散していた。

 実際に"Action"のコーラスやギターの入り方、ギミックの使い方などはクイーンぽかったし、ギタリストのアンディ・スコットは実力派のギタリストだということもわかった。

 この「甘い誘惑」には生き物に関する曲があって、"White Mice"(ネズミ)、"Fox on the Run"(キツネ)、"Cockroach"(ゴキブリ)などがあって面白い。
 "Cockroach"なんてどんな曲かと思ったら、恋人のことをゴキブリに例えていて、“君はゴキブリみたいに僕のベッドに忍び込んでくる。だけど君が大好きだ”というわけのわからない曲で、欧米人はゴキブリに例えられてうれしいのだろうかと疑問に思ったりもした。

 またハードな曲だけでなく、"Healer"などは7分以上もあるハードでスローな曲になっているし、"Lady Starlight"はアコースティックでメロディアスな曲に仕上がっている。"Keep it on"でのリード・ギターはかなり聞かせてくれる。このアルバムは彼らの代表作だと思う。

 ところが1979年にボーカリストのブライアン・コノリーがソロ・アルバムを作って、バンドを脱退してしまった。ポップ化していったバンドに嫌気が差してきたのかもしれない。
 残った3人は活動を続け、3枚ほどアルバムを発表するのだが、だんだんとAORのような音楽になってしまい、1981年に解散してしまった。だからこの3人組での活動時期が第3期にあたるのだが、この時期が一番売れなかったと思うのである。

 結局、グラム・ロックとしての時期的なズレはあるものの、第1期のポップ・バンドのときはイメージとしてのグラム・ロックを、第2期では本格的なグラム・ロックを演じていたスウィートだった。だから彼らはグラム・ロックに分類されるのだろう。

 しかしグラム・ロック勢の中では、一時はクイーンと対抗していたのだから実力を持っていたバンドだった。だから80年代まで長続きできたのだろう。

ヴェリー・ベスト・オブ・スウィート Music ヴェリー・ベスト・オブ・スウィート

アーティスト:スウィート
販売元:BMG JAPAN
発売日:2005/10/26
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 グラム・ロックの初期におけるB級バンドは、新聞広告などでメンバーを集め即席のメンバーで活動を始めるというパターンが多かったのだが、中期以降になると実力も備えたB級バンドの活動が目立つようになった。そうやって淘汰されたバンドが歴史に刻まれていったのであろう。

| コメント (2) | トラックバック (0)

« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »