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2010年4月

2010年4月28日 (水)

ジェネシス・ライヴ映像

 最近ハマッテいることは、中古DVDの収集である。家の近所に、といっても歩いて優に30分以上はかかるのだが、ビルの地下に中古レコード、CDショップがあって、そこでは品数は少ないもののDVDも置いてある。

 以前から気にはなっていたショップだったのだが、どうもあまり気がすすまなかった。ところがそこに行った人から話を聞くと、結構古いDVDもあるということなので、ついに決心して行ってみたのだった。

 すると...やはり“百聞は一見にしかず”で、よく見ると、その気にさせるDVDがかなり鎮座していたのである。
 しかも1枚800円から1400円ぐらいで、かなりリーズナブルなのである。中には680円というのもあった。

 値段の違いは、画質の差やプロ・ショットとオーディエンス・ショットの違いだろう。E,L&Pといってもエマーソン、レイク&パウエルの方だが、この3人でのライヴ映像「ライヴ・イン・デトロイト1986」の場合は、画質も劣化していて、ステージ中央からのオーディエンス映像なのだが、全16曲、110分で800円なのだから思わず購入してしまった。

 またスティーヴ・ウィンウッド&エリック・クラプトンの「イン・コンサート2007」は135分という完全版の980円というもので、画質も上々のものだった。唯一の欠点はオーディエンス・ショットということで、ステージ左右の2階席から下に向かって撮影していたことだろうか。それでも音的にはデジタル・ドルビー処理されていて、実際にライヴを見ている臨場感はある。

 他にも数枚購入したのだが、その中にジェネシスの「ライヴ・イン・ザ・セブンティーズ」というDVDがあった。これは1972年から73年にかけてのTV映像をコレクションしたもので、
・1972年ベルギーのTV番組
・1973年フランスのクラブでのライヴ映像
・1973年イギリスでのライヴ映像
という3編から構成されていた。

 72年、73年のジェネシスといえば、「フォックストロット」、「月影の騎士」を発表した頃で、DVDではピーター・ガブリエル在籍時の貴重な映像が収められている。

 特に1972年のベルギーでのスタジオ・ライヴ映像では、71年のスタジオ・アルバム「ナーサリー・クライム」の中の曲、"Fountain of Salmacis"、"The Musical Box"、"Return of The Giant Hogweed"のほかに、アルバム未収録曲"Twilight Alehouse"の映像(もちろん音源も)も見ることができる。
  この"Twilight Alehouse"は、当時のライヴ演奏用の曲らしく、公式アルバムには収録されていない。(1998年に発売された4枚組CDボックス「ジェネシス、アーカイブ」には収められている)
 ただ1974年に7インチ・シングルとして発表されたことがあり、7分47秒という時間の中でドラマティックな曲構成が敷かれていた。

 このスタジオ・ライヴでは、スティーヴ・ハケットが黒のレス・ポールを腰掛けて弾き、マイケル・ラザフォードは12弦のアコースティック・ギターを演奏している。ピーターのフルート・ソロもあり、かなりハードな面も備えた曲だと思った。

 また1973年のフランスのTV番組では、小さいクラブでのライヴ映像とメンバーのインタビューで構成されている。

 インタビューではフランス語の翻訳も流れるのが悲しいが、演奏ではピーター・ガブリエルの逆モヒカン頭(モヒカンは頭の中央部だけを残す髪型だが、逆モヒカンはその逆で江戸時代の武士のように月代している)や、スティーヴ・ハケットのメガネや口ひげ、さらにはライト・ハンド奏法も見られる貴重映像である。(やはりエドワード・ヴァン・ヘイレンよりも先にライト・ハンド奏法を行っていたというのは正しかった!ただ本人にはその意識はあまりなかったと思うが...)

 そして曲の途中でアルバム「フォックストロット」のジャケットに出てくるキツネ婦人?の被り物と衣装をして歌うピーターの姿を見ることもできる。歌う曲は、"The Musical Box"だった。

Foxtrot Music Foxtrot

アーティスト:Genesis
販売元:Virgin
発売日:2009/03/05
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 さらに同年のイギリスでのライヴでは、ピーター・ガブリエルは、今度はお笑い芸人の鉄拳のような髪形になっていて、それにメーキャップを施しているので、ますます怪しいフルート奏者になっている。
 さらにそれまでは写真でしか見たことがなかったのだが、ピーターのひまわりの被り物やアルバム「ジェネシス・ライヴ」の裏ジャケットに写っているコウモリ・ハットも見ることができるし、役者のような動きなども目にすることができる。

 「フォックストロット」まではスタンド・マイクを振り回してワイルドな動きが多かったのだが、この時期(「月影の騎士」)になると、マイクは立てたままで、その周囲で演技をする場面が多くなっている。優秀なバック・バンドを従えた歌うパントマイム役者のようだ。

 この頃にはのちのステージで見られるようなマイケル・ラザフォードの12弦ギターとベース・ギターを合体させてダブル・ネック・ギターにしたものや椅子らしきものに座って黙々とギターを弾くスティ-ヴ・ハケットの姿も見られる。まるでロバート・フリップのようだ。
 しかもドラマーのフィル・コリンズの頭は、額は広いものの、まだふさふさしているし、トニー・バンクスは、"Supper's Ready"の途中で12弦ギターも演奏していた。

 参考までにそれぞれの曲は以下の通りである。
1973フランス
"The Musical Box"
"Supper's Ready"
"Return of The Giant Hogweed"
"The Knife"

1973イギリス
"Watcher of The Skies"
"Dancing with The Moonlit Knight"
"I Know What I Like"
"The Musical Box"
"Supper's Ready"

 これだけ貴重な映像が惜しげもなく次から次へと流れるさまは、まさに圧巻であり、思わず生きていてよかったと感涙に咽んでしまうほどであった。この時期の動くピーター・ガブリエルはまさに天然記念物のようなものであり、権利関係のせいだろう、日本のテレビでもほとんど放送されたことはないのではないだろうか。

ライヴ(紙ジャケット仕様) Music ライヴ(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ジェネシス
販売元:EMIミュージックジャパン
発売日:2009/12/23
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 ドルビー・デジタル処理されて約128分、画像も綺麗で、これで840円なのだから、まさにデフレ現象か、はたまた天の恵みか、家宝として子孫末代まで伝えていきたいと思うほどであった。

 とにかくこの時期のジェネシスを知るだけでも、うれしかった。他にもこういう貴重なDVDがあるかもしれないと思うと、自分のDVD漁りは、まだまだしばらくは続くのであった。

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2010年4月24日 (土)

アリス・クーパー

 アリス・クーパーは確かにロック・ミュージシャンなのだが、彼から発せられる音はロックの中にもポップ・ミュージックの雰囲気を漂わせていた。特に70年代の初期の頃は、ヒット・チャートと無縁ではなかった。

 また彼は、ルー・リードと並びアメリカ本国における初めてのグラム・ロッカーだと思う。ポップでありながらグラマラスな衣装や化粧を施し、シアトリカルなステージを繰り広げる姿は、きっと70年代のキッスやチューヴス、80年代のL.A.メタルに影響を与えたに違いない。

 それに彼の音楽は、一時、ショック・ロックとも呼ばれていて、音楽的にもハードな面もあるのだが、それ以上にステージ上にギロチンや電気椅子、偽の血糊、生きている大蛇などを用意して、演奏の間に、あるいは演奏中にそれらを使って女の子を処刑したりしていたらしい。(もちろん演技だが…)
 それにニシキヘビを首に巻いた写真もたびたび見たことがあった。彼らは、常識の破壊者であり、ロックに新しい概念や表現を持ち込もうとしたに違いない。Photo

 自分が初めて彼を知ったのは、シングル"Elected"(アリスは大統領)を聞いたときだった。たぶん1973年ごろだと思うのだが、曲自体はそんなに優れたものではなかった。ただその頃のDJは、彼のステージ上の行いやお化粧のことをしきりに言っていたから、記憶の中に刷り込まれてしまった。

 それに微かであるが、彼がギンラメの衣装を着て、星条旗か何かに倒れこむ写真やフィルムを見たことがあった。それもごく数秒の様子だったのだが、そのことも記憶の中に残っている。

 もともとアリス・クーパーというのはバンド名であった。彼自身17世紀の魔女“アリス・クーパー”の生まれ変わりという触れ込みだったし、本名はヴィンセント・ファーニアという名前だったのだが、ファンから“アリス・クーパー”と呼ばれるようになり、現在では本当にアリス・クーパーに改名したらしい。

 生まれはデトロイトで父親は宣教師だった。子どもの頃に病気を患って、アリゾナ州フェニックスに引っ越した。そこでのど自慢大会のような演芸が毎年催されていて、彼は16歳のときに友人と参加して、それをきっかけに音楽活動を始めたようである。
 しかし一体何が彼をロックの、しかも当時最低のロックバンドといわれたものに駆り立てたのだろうか、興味は尽きない。

 1969年にフランク・ザッパの所属しているストレイト・レコードと契約して、2枚のアルバムを発表するのだが、残念ながら売れずにデトロイトに戻った。そこで出会ったのがボブ・エズリンで、彼が彼らのステージを見てプロデュースを申し込んだ。

 ボブ・エズリンといえば、のちにキッスやピンク・フロイドのアルバムも手がけるほどの敏腕プロデューサーになっていくのであるが、彼の手腕は、アリス・クーパーのような演劇的な要素や視覚に訴えるミュージシャンやバンドで特に発揮されるようである。

 1970年に発表されたシングル"I'm Eighteen"は、全米チャートの21位になり、それを含むアルバムはチャートの35位を記録した。ここから彼らの活躍が展開していくのである。

 自分が持っている彼らのアルバムはベスト盤1枚しかなく、しかも1970年から74年までのシングル中心である。

アリス・クーパー・グレイテスト・ヒッツ(スーパー・ファンタスティック・ベスト2009) Music アリス・クーパー・グレイテスト・ヒッツ

アーティスト:アリス・クーパー
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2009/04/01
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 このアルバムを聞く限りは、シングル中心のせいか非常に聞きやすく、ハード・ロックというよりもヒット・チャートを意識した感じである。

 特に"Be My Lover"や"Elected"(アリスは大統領)、"No More Mr. Nice Guy"などアルバム後半に行くにしたがって、ポップな曲が並んでいる。また"Teenage Lament '74"などは60年代の雰囲気が漂っていて、彼らのポップな面が全開といった感じだ。ところで"Billion Dollar Babies"にはイギリスのフォーク歌手、ドノバンが参加しているというのだが、本当だろうか。

 このベスト盤は1974年に出されたものだが、ここらで一区切りといった意味もあったのだろう。このあと彼はソロ活動に精を出していくのだが、名実ともにアリス・クーパーとしてひとり立ちしていくことになった。

 このあと、80年代には一時アル中になったりしたのだが、1989年のアルバム「トラッシュ」で復活した。このアルバムでは有名ライターのダイアン・ウォーレンやデスモンド・チャイルド、さらにはジョン・ボン・ジョヴィ、リッチー・サンボラ、ジョーン・ジェットまでもが曲作りに参加している。アルバム成績もイギリスで2位、アメリカでは20位を記録している。

Trash Music Trash

アーティスト:Alice Cooper
販売元:Sbme Special MKTS.
発売日:2008/02/01
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 その後も「エルム街の悪夢」シリーズの映画に出演したり、レストランの経営やラジオのDJなども行っている。今年で齢62歳になるのだが、いっこうに年齢を感じさせない。これも17世紀の魔女のパワーなのかもしれない。

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2010年4月20日 (火)

ビリー・スクワイア

 さて自分の元いたバンドよりも有名になったミュージシャン、アメリカン・ハード・ロック編最終回の今回は、ボストン出身のビリー・スクワイアーである。

 1950年5月生まれのビリーは、ボストン郊外の裕福な家に生まれた。彼の父親があのコンヴァース社の社長だったから、彼の将来は、ほぼ約束されたも同然だった。しかし彼もまた多くのミュージシャンのように、時代の流れにひきつけられてしまった。

 彼は9歳のときに祖父からピアノの手ほどきを受けている。2年間ほどレッスンを続けたが、時はあたかもロックの黎明期、ロカビリーからロックン・ロールへという移行時期でもあった。それでピアノからギターへと興味の対象が変わっていった。 
 そしてエリック・クラプトンにあこがれて、ビリーはボストン大学在学中から音楽活動を始め、バンドを渡り歩くという生活を始めた。

 そして1970年代半ばに、ニューヨークでパイパーというバンドを結成した。このパイパーというグループは、5人組でそのうち3人がギタリストというトリプル・ギター・バンドだった。
 さらにはキッスと同じマネージメント会社に所属し、前座ではあったがキッスとともに全米ツアーを行い、マジソン・スクウェア・ガーデンでも演奏を行った。

 当時の日本ではキッス、エアロスミス、チープ・トリックがアメリカン・ロック・バンドの御三家といわれていて、これにイギリスのクィーンを加えて、四天王とも呼ばれていた。(と思うのだが、昔のことなのではっきりと思い出せない。そろそろボケてきたらしい)

 それに続けとばかりに、どのレコード会社も次に続くバンドを必死にプロモーションしていた。それがザ・ベイビースであり、エンジェル、そしてパイパーだった。あるいはスターズも入れて新・御三家あるいは新・四天王という場合もあった。(ということにしましょう)

 それでこのパイパーであるが1976年、77年に2枚のアルバムを発表しているが、残念ながら商業的には失敗している。
 2枚のシングル"Who's Your Boyfriend"、"Little Miss Intent"を聞くと、前者はポップな印象でトリプル・ギターが全然目立っていないし、後者の曲もギターは前面に出てきてはいるものの、はたして3本もいるのかしらと思ってしまう代物である。

 両方ともビリーの作詞・作曲なのだが、この頃はまだ修行の段階だったのだろう。1980年にひとり立ちしたビリーは、あのイエスをプロデュースしたエディ・オファードをプロデューサーに迎えて、1stソロ・アルバムを制作、発表した。

 このアルバムも散々な出来だったが、このアルバムに収められていた"You Should Be High Love"は、なかなかの出来で、これを聞いたアリス・クーパーのマネージャーから、アリス・クーパーの全米ツアーに参加しないかと誘われている。

 彼の名前が知れ渡るのは1981年に発表された「ドント・セイ・ノー」からであり、このアルバムから"The Stroke"、"In the Dark"、"My Kinda Lover"、"Lonely is the Night"などのヒットが生まれ、MTVでもヘヴィ・ローテンションされた。その結果、このアルバムはアメリカ国内だけで400万枚以上も売れている。

Don't Say No Music Don't Say No

アーティスト:Billy Squier
販売元:Capitol
発売日:1990/10/25
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 ひょっとしたらこのアルバムをビリーと一緒にプロデュースしたマックのおかげかもしれない。マックといてもハンバーガーではなくて、クィーンのアルバム「ザ・ゲーム」をプロデュースした人である。
 本当はブライアン・メイが頼まれたのだが、忙しくてスケジュールの調整がつかず、代わりにマックが担当したのだった。当時のマックは売れっ子プロデューサーで、特にハード・ロック系の音楽には強かった。

 そして翌年、名作「エモーションズ・イン・モーション」を発表し、これも全米チャートの5位にまで上昇した。このアルバムのジャケットは、かの有名なアンディ・ウォーホールが担当している。

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 このアルバムからは"Everybody Wants You"、"Emotions in Motion"、"Learn How to Live"などがヒットしたが、前作のハード・ロック路線から少しバラエティ豊かな音作りになっていて、"Emotions in Motion"はクィーンの"Another One Bites the Dust"のような感じである。この曲にはクィーンのフレディ・マーキュリーやドラマーのロジャー・テイラーも参加していたから、そのせいかもしれない。

 このアルバムもアメリカ国内だけで300万枚以上売れている。またデフ・レパードを前座として、彼自身のアメリカ国内アリーナ・ツアーもこの間に行われている。しかし1984年の発表のアルバム「サインズ・オブ・ライフ」をもって彼のピークは終焉を迎えた。

 このアルバムからも"Rock me Tonite""All Night Long"などがヒットした。特に"Rock me Tonite"は全米15位と貢献し、アルバムも全米11位になっている。ただ以前よりもギター・パートの比重が減っており、その分キーボードのバッキングが目立っている。

 1986年の「イナフ・イズ・イナフ」というアルバムには、フレディ・マーキュリーも"Love is the Hero"、"Lady with A Tenor Sax"という曲に参加しているのだが、話題にはなったもののアルバム自体は最高位61位と低迷している。(後者の曲にはフレディ自身も曲作りに参加した)

 その後も彼はアルバムを発表し続けるものの、かつての栄光を取り戻すことはできなかった。1998年にはクラプトンと同じようにブルーズに回帰し、「ハッピー・ブルー」というアコースティック・アルバムを発表した。
 また2006年、2008年にはリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドに参加して、ツアーを行った。その後も小規模ながらもライヴ活動を行っているようである。

 彼のピークは1981年から85年ぐらいまで、せいぜい80年代終わりまでで、それ以降はキャピタル・レコードのバックアップも消極的になっていった。さすが商業主義のアメリカ、売れないとなるとコロッと手のひらを返すのである。

 彼の成功は、曲のよさや見た目のよさ、そしてMTVでのヘヴィ・ローテーションなどの要素が重なって起きたものだと思う。しかし、単なるポッと出の新人とは違って、若いときの下積みがあったからに違いない。

 上記のような彼の主要な曲を網羅したアルバムがある。自分も持っているが、決して一家に1枚とはいえないアルバムだ。しかし彼の成長の足跡を知るには格好の1枚だと思っている。Photo

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2010年4月16日 (金)

エンジェル

 さて元のバンドよりも有名になったミュージシャン・シリーズ、アメリカン・ロック編である。今回登場するのは、これも1970年代の半ばに登場したアメリカのロック・バンド、エンジェルである。

 このバンドは、1975年の10月にデビュー・アルバムを発表しているが、その所属先はカサブランカ・レコードだった。当時のカサブランカには、かの有名なキッスが所属していたのだが、会社はそれに続くロック・バンドとして売り出そうとしていた。だから当時、人々はあのレコード会社には天使と悪魔が同居していると噂しあったものだった。

 それも会社の宣伝方法の一つだったのかもしれない。もともとこのバンドは、ワシントンD.C.付近で活動していたミュージシャンが集まってできたものである。

 ギタリストのエドウィン・メドウスは、子どもの頃のあだ名がパンキーだったことから、自らパンキー・メドウスと名乗っていたが、バックスというローカル・グループに参加した。
 そこにはミッキー・ジョーンズと名乗るベーシストがいて、意気投合した2人は、セントルイス生まれのキーボーディストのグレッグ・ジフリアとともにバンドを立ち上げた。

 そのバンドに、ドラマーのバリー・ブランドとボストン生まれのフランク・デミノが加わって、エンジェルが生まれた。
 そしてこれはもう伝説的な話になっているのだが、キッスのジーン・シモンズがワシントンD.C.のクラブで演奏している彼らを見て気に入り、カサブランカ・レーベルの社長のニール・ボガートに朝の3時に電話をして、彼に契約するように勧めたのである。

 結成当時の彼らは、たぶんこれはレコード会社の指示によるものだと思うのだが、真っ白いコスチュームを着てアルバム・ジャケットに写り、ステージで演奏していた。同じレーベル所属のキッスが黒を基調としたコスチュームだったのとは対照的だった。

 またキッスよりもよりハード・プログレッシヴ・ロック寄りで、ジミ・ヘンドリックスばりのギターとスペイシーなキーボード・プレイがセールス・ポイントだった。
 だから1stアルバム「エンジェル」では、重厚で荘厳な雰囲気をもった"Angel(Theme)"というインストゥルメンタル曲(ただし1分34秒しかない)や6分56秒もある"Tower"、メロディアスなハード・ロック"On&On"といった佳曲が含まれていた。

Angel Music Angel

アーティスト:Angel
販売元:RCA International
発売日:1994/06/14
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 何しろ"Angel(Theme)"ではメロトロンによるコーラスを聞くことができるし、"Tower"でもグレッグの演奏するメロトロンやキーボードが大活躍する。またそのキーボードの音を切り裂くかのようにパンキーのギターが咆哮するのである。曲調も静から動といった転換が図られていて、確かにこの曲だけを聞けば、ハード路線に転換したジェネシスといった観がある。

 "Tower"ではキーボードの音のほうが目立っていたのだが、"On&On"では逆にパンキーのギターが目立っている。サビの"On&On&On"というところがかなりキャッチーで、これならヒットも狙えたと思うのだが、実際はどうだったのかよくわからない。

 自分はベスト・アルバム、しかも輸入盤しかもっていないので、何とも言えないのだが、1stアルバムでは自分たちのやりたいことをすべてやりました、というものではなかったかと想像される。曲も長めだし、ギターもキーボードもボーカルも強く自己主張している。

 逆にいうと、それだけ音が分散化されていて、焦点が定まりにくいアルバムだともいえるだろう。70年代も半ばを過ぎると、音楽のジャンル分けが進んでいて、ロックの中でもプログレッシヴなのか、ハード・ロックなのか、ポップなのか、フォークなのか自分の立場を鮮明にするのが普通だった。

 だからエンジェルの1stアルバムの場合は、プログレッシヴでもあり、ハード・ロックでもあり、ポップなメロディーもあるという具合で、ファンも戸惑ったのではないだろうか。
 だからキャーキャー叫ぶ、子女は別として、普通のロック・ファン、特に男性ファンは敬遠しただろう。
 日本でも当時の音楽雑誌では、彼らのビジュアルが先行していて、音楽的バックグラウンドや表現内容については二の次だったような気がする。だから彼らの人気は、一部の狭い範囲にとどまったのだと思っている。

 彼らを日本のバンドに例えるとするなら、ノヴェラがわかりやすいかもしれない。彼らよりももっと短い曲を演奏するのが当時のエンジェルだった。

 自分がラジオから流れている曲を聞いたのは、"Anyway You Want It"と"The Winter Song"だった。前者は1976年の2ndアルバム「Helluva Band」に収められていた2分31秒の短い曲であり、後者は1977年の4枚目のアルバム「White Hot」に収められていた。いずれも日本では小ヒットしたと思う。

ANGEL + HELLUVA BAND (エンジェル+ヘラヴァ・バンド)(直輸入盤・帯・ライナー付き) Music ANGEL + HELLUVA BAND (エンジェル+ヘラヴァ・バンド)(直輸入盤・帯・ライナー付き)

アーティスト:ANGEL (エンジェル)
販売元:ディスクユニオン (原盤:UK/BGO)
発売日:2010/01/30
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 彼らは、最初はプログレッシヴ・ロックの要素が大きかったものの、段々とそれは影を潜めていき、もっと売れそうなポップ路線へと移行していった。特に3枚目のアルバム「On Earth As It Is In Heaven」からその傾向は強まり、このアルバムはチャートの77位まで上がり、続くアルバム「White Hot」からは"Ain't Gonna Eat Out My Heart Anymore"という2分50秒の曲がシングル・カットされ、見事44位にまで上昇した。この曲はチャートに7週間とどまり、彼らの最大のヒットにもなった。Photo

 彼らは1980年にそれまでの活動の集大成として2枚組のライヴ・アルバムを発表して、翌年活動を停止した。彼らは正式には解散声明は出していないので、80年代以降はソロ活動にいそしんだということになるだろう。

 ただ90年代では違うメンバーで、エンジェルとして活動している。アルバムは出していないので、ライヴ中心だと思うが、ボーカリストのフランクとドラマーのバリー以外は新しいメンバーだった。

 そして肝心のその後の話だが、ボーカリストのフランクは、元UFOのポール・レイモンドと一緒に活動したし、2代目ベーシストのフェリックス・ロビンソンはホワイト・ライオンに加入した。

 そしてソロ活動の中で一番成功したのは、キーボーディストのグレッグ・ジフリアで、自分名義のバンドを結成して、アルバムもシングルも大ヒットしている。確か当時流行していたジョン・ウェットンやスティーヴ・ハウのいたエイジアのような音だったと記憶している。またラス・ベガスのカジノやホテル経営、ゲーム機メーカーのCEOにも就任している。たいした出世である。

 ギタリストのパンキー・メドウスは、長い間引退して日焼けサロンを経営していたようであるが、2000年に発表された彼らの再活動アルバムには、2代目ベーシストのフェリックスとともに参加している。

 最後に初代ベーシストのミッキー・ジョーンズは、2009年の9月5日に長い闘病生活の後、亡くなっていた。死因は肝臓癌であった。

 彼はエンジェルの最初の3枚のアルバムに参加した後、1976年頃に脱退した。その後、ニューヨーク・ドールズへの加入を打診されたが断っている。また、ロザンジェルスでエンパイアというバンドを結成したのだが、パッとしなかった。そして映画産業に興味を持ち、映画関連の会社で働いていたという。

 というわけでキッスとともに全米ツアーも行ったというエンジェルである。活動停止する前は、映画「フラッシュダンス」にディスコ調の楽曲("20th Century Foxes")を提供していたエンジェルである。そういうエンジェルがホントは好きだったのである。

 プログレッシヴ・ロックからディスコ・ミュージックまで懐の深いバンドだったのだが、その変化にはファンもなかなかついて来れなかったようで、ひょっとしたら彼らは、“天使”という名前で“堕天使”を演じていたのかもしれない。

Anthology Music Anthology

アーティスト:Angel
販売元:Polygram
発売日:1992/06/23
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2010年4月12日 (月)

ザ・ベイビーズ

 “ミュージック・ライフ”というシンコー・ミュージックから出版されていた音楽雑誌が昔あって、この雑誌については何回かこのブログでも述べた。女性編集員が甲斐よしひろと結婚して離婚したということまで書いた。
 なんだかゴシップ・ネタで恐縮だが、それはあくまで余談で、当時の日本の洋楽関係の雑誌ではNo.1の売り上げ部数を誇っていた(ように思う)。

 それほど影響力がある雑誌だったのだが、1970年代の後半にニュー・グループの特集があった。その中で紹介されていたのが、アメリカのバンド、“ザ・ベイビーズ”だった。
 これもどうでもいいことなのだが、普通ベイビーズというと"Babies"と綴るのだが、このグループは"The Babys"と綴っていた。発音は同じだが、確かにこちらの方が見栄えはいいような気がする。こうやって言葉は変化していくといういい見本かもしれない。

 ところでこのバンドは、結局のところ不発で終わったのだが、日本では、自分がおぼえているくらいだから、結構売れたのではないかと思っている。あるいは売れなくてもミュージック・ライフ誌は、かなりプッシュしていたように記憶している。

 それでこのバンドは、もともとイギリスのバンドだった。きっかけはギタリストでキーボード・プレイヤーのマイケル・コービーが1973年ごろに、後にマネージャーになるエイドリアン・ミラーと知り合ったことからだった。
 1974年にオーディションで残りのメンバー、ジョン・ウェイト(ボーカル&ベース)、ウォーリー・ストッカー(リード・ギター)、トニー・ブロック(ドラムス)が決まり、彼らはめでたく1976年にクリサリス・レコード契約を交わすことができた。

 1stアルバムは1977年に発表された。プロデューサーにはアリス・クーパーやルー・リードのアルバムで有名になったボブ・エズリンの名前もあったのだが、メンバーはこのアルバムのできには満足していなかったらしい。ここからシングル・カットされた"If You've Got the Time"は可もなく不可もない普通のロック・ナンバーである。

 当時のクリサリス・レコードはジェスロ・タルを筆頭として、ブロンディやパット・ベネター、レオ・セイヤーなどが売れていて、彼らはそれらの陰に隠れて陽の目を見れない存在だった。

 しかし同じ1977年の後半になって、彼らの名前は徐々に知られるようになってきた。それは2ndアルバム「ブロークン・ハート」の成功のおかげであった。アメリカのアルバム・チャートでは45位、シングル"Isn't It Time"は13位になり、1stと比べれば文句の付けようのない結果だった。
 ただシングルの"Isn't It Time"は彼らのオリジナルではなく、レイ・ケネディの作品である。

 基本的に「ミュージック・ライフ」という雑誌は、面食いというか、イケメン好きというか、音楽的な評価よりも、見た目のよさを重視する雑誌になっていったように思う。だからクィーンやチープ・トリックなどはかなり強力にプッシュされている。硬派な音楽雑誌ではなかったから、売り上げのためにティーンの女、子ども向けの雑誌に変わって行った。だから時代の流れに逆らえずに1998年にひっそりと廃刊したのだと思う。

 閑話休題、ともかくこのザ・ベイビーズもその例に漏れず、かなりの美男子集団で、特に中心メンバーのマイケルはかなり人気があった。まるで少女漫画の中から抜け出したような超美形で、ウィンクひとつで女性をなぎ倒すような感じだった。またリード・ギターのウォーリーは硬派な男前だった。

 しかし、それが災いしたのか、それとも急に売れて自分たちを見失ったせいか、マイケルと他のメンバーが対立してしまい、結局彼はバンドを脱退してしまった。(たぶんマイケルとジョン・ウェイトのグループの主導権をめぐっての争いだと思う)

 だから1978年に発表された彼らの3枚目のアルバム「ヘッド・ファースト」は、基本的に残りの3人で制作されている。しかしそれでもこのアルバムは、全米22位まで上昇し、シングル"Every Time I Think of You"は13位まで上がった。ただしこの曲もレイ・ケネディの手によるものである。(レイの曲はロックではなくて、AORに近いものがある)

 その後、アメリカ人のメンバーを2人加入させ、そのうち1人はベーシストでこれによってジョンはボーカルに専念し、もう1人のメンバーはギターもキーボードも巧みだったので、ウォーリーの代わりになった。そのミュージシャンの名前は、ジョナサン・ケインといった。

 のちに彼は、ジャーニーに加入し、ザ・ベイビーズにいた頃よりも名前も収入もよりビッグになっていくのだが、それはまた別のお話である。

 ともかく今度は5人組となって、1980年の1月ににアルバム「ユニオン・ジャックス」を、10月には「オン・ジ・エッジ」を発表した。

Union Jacks Music Union Jacks

アーティスト:The Babys
販売元:Rock Candy
発売日:2009/05/26
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 しかし80年のツアー中にジョン・ウェイトがステージから落ちて怪我をし、残りをキャンセルするという事態に見舞われた。またアルバムやシングルの売り上げも落ちていった。やはりパンクやディスコという時代の中で音楽活動を続ける事は大変だったのであろう。
 また彼らのバンド名からくるイメージは、子女向けのバンドとみなされてしまい、正当な音楽的評価を下されなかったという点も彼らの活動のマイナス・ポイントになった。

 ちなみにクィーンのブライアン・メイは、「ユニオン・ジャックス」に収められていた"Back On My Feet Again"をいたく気に入り、無人島に持っていく曲の1枚に選んでいる。

 Back On My Feet Again Back On My Feet Again
販売元: iTunes Store(Japan)
iTunes Store(Japan)で詳細を確認する

 それやこれやで、結局、彼らは解散し、ジョン・ウェイトと新メンバーだったベーシストのリッキー・フィリップス、ジョナサン・ケインはバッド・イングリッシュを結成し、アルバムを発表するもこれまた解散。ジョナサン・ケインはジャーニーに加入して名声を手に入れた。

 ジョン・ウェイトは1984年に"Missing You"で全米No.1を獲得し、成功した。またドラマーのトニーはロッド・ステュワートのバンドで活動を続けたし、ギタリストのウォーリーは、エア・サプライや新生ハンブル・パイに加入し、90年代に活躍している。

 こうやってみてみると、ザ・ベイビーズ時代は下積み時代みたいで、解散した後の方が有名になったいるような感じがする。まるで出世魚のようだ。
 "Baby"の複数形が"Babys"になるということは定着しなかったが、1970年代の洋楽を知る人にとっては、忘れられないバンドの1つだと思う。
 自分はベスト盤しか持っていないのだが、短かった彼らの全貌を手短に知るには最適なアルバムだと思っている。

Anthology Music Anthology

アーティスト:The Babys
販売元:Disky
発売日:2000/01/25
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2010年4月 8日 (木)

フォトメイカー

 1970年代後半に、フォトメイカーというバンドが鳴り物入りでデビューした。彼らは5人組だったが、そのうちのリズム・セクションは元ラスカルズのジーン・コーニッシュ(ベース)、ディノ・ダネリ(ドラムス)で、ギタリストの1人は元ラズベリーズのウォーリー・ブライソンだった。

 もともとは元ラスカルズ組が、ラスカルズのようなブルー・アイド・ソウルを離れて、“ハードなエッジを効かせたメタル・ポップ的アプローチ”を行う活動をしたいということで結成したバンドだった。

 彼ら2人は無名のミュージシャン、レックス・マーチェシー(ギター&ボーカル)とフランキー・ヴィンチ(キーボード&ボーカル)を加えて音楽活動をスタートし、デビュー・アルバムの録音を開始した。
 そのときにジーンがもう少し音にハードさを付け加えるために、当時すでにラズベリーズを脱退していたウォーリーに声をかけて、バンドに参加してもらったのだった。

 ただバンドのフロント・マンはレックスとフランキーで、曲のほとんどのボーカルは彼らのどちらか、あるいは両方がとっている。また曲の大部分もレックスかフランキーが作っており、おそらくは自分が作った曲は自分がリード・ボーカルをとっていると思われる。

 また意外なことに、曲を聞けばわかるのだが、30年以上たった今聞いてみても、彼らは結構いい曲を書いている。元ラスカルズと元ラズベリーズといえば、何となくポップなイメージを想像しがちなのだが、曲の中にはハードな曲も含まれていて、ハード・ロック・バンドといってもいいような感じのものもある。この2人はかなり才能に恵まれていたミュージシャンだったことがよくわかると思う。

 彼らの1stアルバムは1978年に発表されたのだが、当時は聞いたことはなかった。ただ雑誌には、所属ミュージシャンのネーム・ヴァリューのせいか、大々的に写真やインタビューが掲載されていたような記憶がある。
 またアルバム・ジャケットに、ピアスや化粧をした少女の写真が使われていたので、当時はウブな自分にとってはかなり衝撃的だったことも覚えている。

 またその年の終わりごろに発表された2ndアルバムには、道化師の格好をした老人の顔写真が使われていて、これも結構印象に残っている。何しろ彼らのバンド名が“フォトメイカー”だったから、そういう写真を使用したのだろう。

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 ちなみに正確な綴りは"Photomaker"になるのだろうが、彼らはアトランティック・レコードからデビューしていて、当時のアトランティックには"F"で始まるバンドが成功していた。それでそれに倣って"Fotomaker"という名前にしたそうである。当時成功していたバンドというのは、"Foreigner"や"Firefall"だった。

 1995年ぐらいに、偶然CDショップをのぞいたら、彼らのベスト盤が発売されていたので、迷わずに購入した。当時、気に入って何回も聞いていたのだが、今回このブログを書くにあたってまた引っ張り出して聞いたら、またハマッてしまった。

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 1曲目の"Where Have You Been All My Life"は外部ライターが作った曲なので、いかにもの売れ線ソングである。逆にベスト盤で聞くと、この曲だけ甘ったらしくて浮いて聞こえる。
 しかし2曲目以降は、キャッチーな曲やハードな曲が目白押しで、ひょっとしたら彼らの影響力は、後に続くザ・ナックなどに目に見えない影響を与えたのかもしれない。

 特に5曲目のフランキーが作曲した"The Other Side"では華麗なメロディとギター・ソロを聞くことができるし、6曲目の"Say the Same for You"ではワイルドな曲調に唸ってしまう。
 一方で、"Lose at Love"や"If I Can't Believe in You"のようなバラードでも聞かせる魅力を備えている。こういう音作りでは元ラスカルズ組が力を発揮したのではないだろうか。

 ちなみに"Miles Away"という曲がチャートで63位を記録し、彼らの最大のヒット・シングルになっている。これはもうポップ・ソングのお手本のような曲である。もう少し売れてもおかしくないと思う。

 彼らはレコード会社のプロモーション不足で売れなかったといわれているが、時代はパンクやニュー・ウェイヴ、あるいはディスコ・ミュージックが主流だった。だから時代にうまく乗れなかったと思っているし、ポップ路線なのか、ロック路線なのか中途半端な印象を与えてしまったという点も戦略的な失敗だったと思える。

 彼らは1979年に3枚目のどうしようもないアルバムを発表して解散した。このアルバムはレコード会社との妥協の産物みたいなもので、当時流行のディスコやテクノ・ミュージックの楽曲が中心のアルバムだった。だからフォトメイカーの持っていた瑞々しさやハードさは微塵も見られない。彼らの唯一の汚点だと思っている。

 解散後は、元ラスカルズ組はロックの殿堂入りを果たしたし、元ラズベリーズのウォーリーは、地元クリーブランドで息子とともにバンド活動を行いながら、ラズベリーズの再結成活動にも参加している。
 また才能豊かだったレックスとフランキーは、それぞれコンピューター関係の道やTVCMの作曲活動に携わっている。

 ただ世間的には認められなかったかもしれないが、自分にとっては70年代の前半はラズベリーズが、中期はチープ・トリックが、そして後半はこのフォトメイカーが、アメリカのパワー・ポップ・シーンを牽引したのではないかと思っている。そしてその命脈は、いまだに次世代へと引き継がれていると思うのだが、どうだろうか。

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2010年4月 4日 (日)

ドクター・フック

 “ドクター・フック”という名前のグループが、70年代のアメリカに存在していた。もとのバンド名は、“ドクター・フックとメディスン・ショウ”といっていたのだが、CBSコロンビアからキャピタル・レコードに移籍した後に、名前を短くしている。1974年ごろのお話である。

 自分が初めて彼らの曲を聞いたのは、まだ彼らが“ドクター・フックとメディスン・ショウ”と名乗っていた頃だった。彼らのシングル、"Cover of the Rolling Stones"という曲がヒットしていて、ラジオの洋楽ランキング番組などでよくかかっていたからだった。

 この曲を聞いて、てっきりこれは一発屋、もしくは怪しげなキワモノバンドと判断した。例えて言うなら、いかりや長介のいたドリフターズやハナ肇とクレイジー・キャッツのようなコミック・バンドだと思ったのである。

 だいたいローリング・ストーンズ誌の表紙を飾りたい、表紙に写っている俺の笑い顔を見たい、俺たちの母親のために5部買って配りたい、などと歌って、しかもそれがヒットしたのだから、きっとこれは普通のまともなバンドではないと思っていた。(このシングルは全米6位、カナダでは2位まで上昇した)
 また歌い方も普通ではなくて、演劇的な台詞を言うようなもので、子ども心にもこれは変だと感じざるを得なかった。

 しかもリーダーのレイ・ソイヤーという人は、テンガロン・ハットをかぶって目にはアイパッチをしている。どうみても海賊の末裔か売れないカントリー・バンドといったイメージだったのだ。

 しかしこの曲は日本でも有名になり、それなりに売れたと思う。たった2分49秒しかない曲なのだが、当時のランキング番組では最後までかかることが少なくて、ごくまれに終わりまで聞かせてくれたときは、曲の出来映えの良し悪しは別として、妙にうれしかったのを覚えている。結局、彼らの名前を覚えてしまった。

 また彼らは1975年の4枚目のアルバムには"Everybody's Makin' it Big But Me"(俺はパッとしないぜ)という曲を入れていて、それはこういう内容だった。

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「エルヴィスはヒーローだ
彼はスーパースター
俺はポール・マッカートニーが
ロールス・ロイスを運転している
話を聞いたことがある

ディランは何百万ドルも稼いで
俺はただ同然に歌う
俺は顔に油を塗って照からせる
ルー・リードのように
俺はマスカラを使っている
ミック・ジャガーと同じものを

だけどみんなはビッグだ 
俺を除いて
みんなビッグになっている
俺だけは昔のままだ」
(訳プロフェッサー・ケイ)

 それ以来は、彼らの名前を聞くことはなかったのだが、1978年に「悲しみの向こう側」という彼らのアルバムが発表されて、再び彼らの名前や曲を聞くようになった。Photo
 しかもそれが初期のカントリーっぽい雰囲気やコミック・バンド的な装いを一掃してのまさに新装開店的な面持ちだったために、ビックリしたことを覚えている。何しろ完全に当時流行していたAORサウンドに変わっていたからである。

 だいたい同じバンドで、2回も驚かされたことはそれまでなかった。初期のいかがわしさと当時のボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルのようなアダルト・オリエンティッド・ロックとでは雲泥の違いがあったからで、とても同一のバンドとは思えなかったのである。

 後期ではスティール・ギターなどは使用されていて、カントリー・バンドという過去の面影は伺わせてくれるものの、バック・コーラスやストリングスが多用されている。
 メロディも美しく、さらに聞きやすくなって、まさに万人に受けるポップ・バンドに変身してしまった。これなら国民的なバンドといってもおかしくはないくらいの成長ぶりだった。

 また1980年の"Sexy Eyes"はディスコ調の踊れる曲で、アメリカでは5位、イギリスでは4位にまでランクされている。ここまで変貌するとは1972年の時点では考えられなかった。
 うがった見方をすれば、それだけ流行に敏感というか、売れ筋に手を出すというか、そういう時流の乗り方がうまかったといえるだろう。
 しかし、それだけでヒットが出せるはずもない。時流に乗れば乗ったで、同じような音楽を奏でるバンドは他にもあるわけだから、その中で頭角を現すためには、やはりそれなりのセンスのよさもあったのだろう。

 リーダー(と思われる)のレイ・ソウヤーは、1983年にソロ活動をするためにバンドを去ったが、1988年にまた復帰している。また継続的な活動はないものの、彼らは2007年にはバンドの総決算となるようなCD/DVDセットを発表している。本国では意外とメジャーなバンドなのかもしれない。

 自分が持っているのはベスト・アルバム1枚だけなのだが、これが18曲入りというボリュームで、彼らの初期から後期80年までカバーできて、重宝する。この1枚で彼らの魅力を知ることができる。もし彼らに関心があるのなら、このアルバムを迷わずお薦めする。

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 ところでレイのアイ・パッチはファッションでも飾りでもなくて、本物のようである。1967年に音楽活動に嫌気がさして、木こりになりたくてオレゴン州に向かっていたときに、車がスリップして左目を失った。そして怪我から回復したときに、もう一度音楽の道を志そうとしたということである。てっきり目立つためにやっているのかと思っていた。

 70年代から80年代初めまで、その音楽の色合いを大きく変化させながらもヒットを残していったバンドだった。それはレイ・ソウヤーも含めたバンド・メンバーのビッグになりたいという執念の表れだったのかもしれない。

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