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2010年11月

2010年11月29日 (月)

33&1/3

 ジョージ・ハリソンが亡くなったのは2001年の11月29日だったから、今年で9年目になる。今回は1976年に発表された彼の7枚目のスタジオ・アルバム「33&1/3」を紹介したい。

 このアルバムは個人的によく聞いたものだった。確かFMでアルバム丸ごと放送されていたのをテープに録音して繰り返し聞いていた。今では携帯などでダウンロードできるのだろうが、昔はそんなものはなかった。身銭を切って自分で購入するか、友だちから借りるか、こうやってラジオから録音するしかなかったのである。

 しかし発売間もない新作を丸ごと放送するというのも、なかなか勇気のいることではないだろうか。自分なんかは売れなくなってしまうのではないかと心配してしまうのだが、当時はアルバム会社も宣伝の一環として、放送してもらっていたのであろう。

 確かにジョージのアルバムは、回を負うに従ってその質は落ちていった。一番優れていたのは「オール・シングス・マスト・パス」だし、その次の「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」も素晴らしかった。
 でも1974年の「ダーク・ホース」あたりから売れなくなってきて、その次の「ジョージ・ハリソン帝国」はさっぱりだった。

 ジョージの作品の特長は、その美しいメロディにあると思っている。あるいは若々しい歌声か。でもビートルズ時代から心酔していたインド哲学やヒンズー的価値観が彼の音楽にも影響を強く与えてきて、音楽的にも少し堅苦しくなってきた気がする。もう少し弾けた方がよかったと思っているが、それもまた彼の音楽の特徴なのであろう。

 それに彼の私生活にも波乱があって、妻のパティは親友のエリックに盗られてしまうし、大ヒットした"My Sweet Lord"は盗作問題で裁判沙汰になるし、肝臓病にはなるは、レコード会社とはもめて移籍問題にまで発展しまうという按配だった。
 これでは落ち着いてヒット作品を作れというのも無理かもしれない。ましては相手はポピュラー史上最大のグループの元メンバーなのである。周囲の期待からのプレッシャーもかなりあったはずだ。そういう中でのアルバム制作は想像以上に大変だったと思う。

 それで「33&1/3」である。このアルバムは、当時のLPレコードの回転数を表しているのと同時に、制作時のジョージの年齢も兼ねているといわれている。
 このアルバムの素晴らしさは、そういう逆境の中でもミュージシャンシップを忘れずに、佳曲を作っていることだ。

Thirty Three & 1/3 Music Thirty Three & 1/3

アーティスト:George Harrison
販売元:Capitol
発売日:2004/02/06
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 1曲目の"Woman Don't You Cry for Me"のファンキーさはかなりのもので、ギターは相変わらずかわいらしいが、ドラムとベースのリズムは他の曲と一線を画している。ちなみにベースはウィリー・ウィークス、ドラムスはアルヴィン・テイラーである。
 この曲はアルバム「オール・シングス・マスト・パス」に収録予定だったというから、早くから出来上がっていたようだ。
 2曲目の"Dear One"は神への賛歌であるが、あまり抹香臭さを感じさせない。途中で転調してオルガン以外にもキーボードなどが使われるあたりから、曲に柔らかみと温かさをあたえてくれている。

 続く"Beautiful Girl"は前曲と同じようにキーボード主体の曲なのだが、ジョージのスライド・ギターがいい味を出していて、曲を明るくさせてくれる。内容も純粋な愛の曲だし、ひょっとしたらこの曲は後にジョージの妻になるオリヴィア・アライアスのことを歌っているのだろうか。

 そして"This Song"である。妙に明るい。内容は盗作問題の事を歌っているのだが、それを客観的に見れる心のゆとりが生じたのだろう。途中のトム・スコットのサックスも相変わらずよいし、この曲を挟む前後3曲のキーボードはビリー・プレストンが担当している。
「この曲は何も変わったところはなく
この曲は自分の知る限りは白でも黒でもない
誰かの著作権を侵していることもない
この曲は僕たちのものだし
曲のキーはEで
この曲は君たちのためで…」
(訳プロフェッサー・ケイ)

 この曲は全米25位までヒットした。自分としてはもう少しヒットしたように思えたのだが、何か久しぶりにジョージの明るい曲を聞いたような気がしたのだった。

 A面最後を飾る"See Yourself"も明るい曲で、当時のジョージの状況を考えると、よくこういう曲が書けたなあと思ってしまう。もう完全に開き直ってしまったのだろうか。

 B面に移って"It's What You Value"もファンキーな曲調だが、歌詞はジョージの価値観を反映している。例えどんな立派な車に乗っていても、行く先をきめるのは運転者自身だといっていて、なかなか考えさせる歌詞である。
 次の"True Love"はアルバム中唯一のカバー曲。コール・ポーターという人が1950年代に書いた曲で、ミュージカル映画「上流社会」の挿入曲だった。ジョージ自身が子どもの頃に聞いた曲なのだろう。こういう明るいポップな曲があるから、このアルバムも明るく聞こえるのだろう。ひょっとしてこれもオリヴィアに捧げた曲なのかもしれない。

 捧げた曲といえば次の"Pure Smokey"はR&Bシンガーのスモーキー・ロビンソンに捧げられたもので、ジョージは彼のことを本当に尊敬していたのであろう。前作でも"Ooh Baby(You Know that I Love You)"という曲を作って、彼のことを称えている。
 またセカンド・シングルとなった"Crackerbox Palace"もイギリス人俳優ロード・バックリーに捧げられた曲である。
 タイトルの"Crackerbox Palace"とは、そのロード・バックリーがアメリカで所有していた家屋のことらしい。
 ちなみにこの曲は、全米シングル・チャートで19位まで上昇している。確かにポップな曲で、こういう跳ねるような曲で彼の本来の持ち味が発揮されるのだろう。

 最後の曲"Learning How to Love You"はアルバム最後を飾る曲にしてはおとなしすぎるような気がしてならない。まるで子守唄のように静かな感じで、確かに疲れているときに聞けば、ゆったりできるだろう。でも曲調にメリハリがなくて、特徴をつかみ辛いし、つかむ間に曲が終わってしまった。個人的にはあまり好みではない。

 チャート・アクションを見ると、このアルバムは全米11位と健闘したものの、やはり前作の8位から比べれば下降線をたどっている。次のアルバムも14位だったから70年代のジョージは高みから転げ落ちるようなものだったのかもしれない。これもまた彼の運命だったのだろうか。
 でも80年代後半のMTV流行の世の中になってからは、逆に再びブレイクするのである。この辺はジェフ・リンのおかげでもあるのだが、やはり彼のもとにはそういう才能ある人たちが集まってくるのである。音楽面とは違った面で、これもまた彼の才能のひとつかもしれない。

 というわけでジョージのアルバムを回顧したわけであるが、今回で彼の追悼に関しては終わりにしたいと思う。自分がリアル・タイムで聞いたアルバムがここまでだったからで、あとは1987年の「クラウド・ナイン」まで、しばらく彼のアルバムから遠ざかっていたのである。

 “寡黙なビートル”とか“第三の男”とか言われていたジョージだが、曲によって出来不出来はあれ、今となっては彼でしか作れないアルバム群だった。“唯我独尊”とまではいかないだろうが、彼らしく自分の信念に従って歩んだ58年間だった。ビリー・ジョエルの曲に"All the Good Die Young"というのがあったが、まさにそれを地で行くような人生だったように思うのである。

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2010年11月25日 (木)

ニドロログ

 この前のブログでイギリスのプログレッシヴ・ロック・グループ、ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイター(VDGG)について紹介させてもらったが、音的にその系列に連なるバンドがかつて存在した。それがニドロログであった。

 このニドロログというバンドは1969年に結成され、2枚のアルバムを残して一時的に消滅している。
 このバンドの中心人物は、双子のゴールドリング兄弟だった。この兄弟、コリンとスチュワートという名前で、コリンがリード・ボーカル、ギター、サックス、ハーモニカ等、スチュワートがリード・ギター、ボーカルを担当していた。また、ピーター・カウリングという人はベースとチェロを、パーカッション、ピアノ、フルート、オーボエをナイジェル・ペグラムという人が担当していて、4人組のバンドだった。

 このバンド名の“ニドロログ”(Gnidrolog)は、“ゴールドリング”兄弟(Goldring)の名前のつづりを入れ替えたもの(アナグラム)から来ている。要するに言葉遊びなのだが、“森田”を“タモリ”、江川卓の"Suguru"を"Urugus"に言い換えたようなものであり、欧米ではよくあるものらしい。

 彼らがデビューしたのは1972年で、1stアルバム「イン・スパイト・オブ・ハリーズ・トゥネール」はVDGGやキング・クリムゾンの影響を受けた音世界を有している。

31v0nls3yrl ニドロログ/イン・スパイト・オブ・ハリーズ・トウネール(初回生産限定盤)(CD)
販売元:ぐるぐる王国2号館 ヤフー店
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 このアルバムは全6曲で、1曲目の9分を超える"Long Live Man Dead"からVDGG的混沌としたアヴァンギャルドな世界が広がっている。

 要するに明るくないし、記憶に明快に残るようなサビのメロディが少ないのだ。また4曲目"Time and Space"では、リコーダーやチェロ、フルートなどが使用されて、キング・クリムゾンの影響をうかがうことができる。
 この曲イントロは叙情的なのだが、徐々に様々な楽器が参加しては離れていき、リード・ギターも"21世紀のスキッツォイド・マン"のような素早いフレーズを繰り返している。最後はジェスロ・タルのイアン・アンダーソンやフォーカスのタイス・ヴァン・レアのような激しいフルート・プレイを聞かせてくれて、様々な楽器のごった煮みたいな感じがした。

 アルバムの帯びには“名作の誉れ高いセカンド・アルバムと全く引けをとらない傑作である”とあったのだが、それは少し言い過ぎかもしれない。あくまでも個人的な感想である。

 それでその“名作”アルバムの「レディ・レイク」であるが、これも1972年に発表されている。つまり彼らは1年で2枚のアルバムを発表したのである。これは当時としてはよくあることであった。

 レディ・レイク レディ・レイク
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 1stアルバムはセールス的に惨敗していたから、起死回生の2ndアルバムだったのだろう。だからアルバム・ジャケットにも気合いが入っていて、いかにも幻想的で印象的なペインティングになっている。

 内容的にも、このアルバム・ジャケットに負けないような仕上がりになっていて、いきなり1曲目から11分を超える反戦歌"I Could Never Be a Soldier"が始まる。
 だいたいこのグループでは目立つのはギターよりもフルート、サックスなどの管楽器である。この曲でもまさにジェスロ・タルばりのフルートを聞くことができるし、エンディングには少しのギター・ソロと多重録音されたサックスを味わうことができる。

 2曲目の"Ship"は、このグループには珍しく、耳に残りやすいメロディを伴った曲である。ここでもサックスが目立つのだが、終わりにギター・ソロも少しフィーチャーされている。
 それにこの声、どこかで聞いたことがあると思ったのだが、アメリカのプログレ・バンド、パヴロフズ・ドッグのボーカリストに似ている。要するに濁ったジョン・アンダーソンといった感じなのだ。わかる人にはわかる例えであるが、わからない人には全くわからないと思う。

 3曲目の"A Dog with No Collar"は続くアルバム・タイトル曲"Lady Lake"の序章となるような2分あまりの短くて暗いバラード・タイプの曲。バックはアコースティック・ギター1本が基本で、それにオーボエがかぶさるという構成である。なかなかダークな味わいだ。

 次の"Lady Lake"がこのアルバムのハイライトかもしれない。このバンドは1作目のVDGG的前衛主義からこのアルバムではキング・クリムゾン的ジャズ・ロックに変貌していったと思う。だから1作目よりもこちらの方が聞きやすいし、印象的でもある。たしかにこちらのアルバムは彼らを代表するアルバムなのである。(2枚しか残していないので、二者択一にはなるのだが…)

 この"Lady Lake"ではサックスやフルートなどの管楽器がフィーチャーされていて、クリムゾンのジャズ的部分が好きな人にはきっと好まれる曲だと思う。クリムゾンの「リザード」や「アイランド」のジャズ的インプロヴィゼーションと共通する感覚があるように思えた。

 個人的には次の曲"Same Dreams"が一番好きで、理由はこのアルバムの中で一番わかりやすいからだ。ボーカル中心の叙情的バラード曲で、ピアノのイントロと微かに鳴る管楽器が郷愁をさそうのである。こういう曲が彼らから生まれてくるというのも不思議な気がするのだが、とても同じバンドが演奏しているとは思えないのだ。

 最後の曲"Social Embarrassment"も違う意味で不思議な曲で、ブラス・ロックのように管楽器が前面に出てきて曲をリードし、遠くでギターが鳴り響く。ギターも巧みなので、もっと前面に出てきてもいいと思うのだが、そこはロバート・フリップとは違うようである。これでギターにもっと光が当たれば、もっと売れたのではないかと思う。
 この曲のエンディングは面白くて、段々とギターが表に出てきて、さあこれからいくぞというときに、演奏が急に止まり、わめき散らすコーラスだけになり、それもまた消えていくのだった。

 結局このアルバムもジャケットは印象に残ったが商業的には失敗し、バンドはVDGGやクリムゾンの亜流というイメージしか残らず、プログレの歴史の中に消えていった。

 ところが2000年に1972年当時のライヴ盤と新作「Gnosis」を27年ぶりに発表したのである。内容も70年代のアルバム同様にアグレッシヴで前衛的らしい。ただしキーボーディストがいるので、音的にはカラフルになっているそうだ。

 結局彼らのアルバムは、自分的にはやはりVDGGやクリムゾンの傍系といった感じがして、何回も引っ張り出して聞くようなアルバムではなかった。しかし当時はこういう音楽をするバンドがクリムゾン以外にもいたのであろう。

 逆説的ではあるが、それほどVDGGやキング・クリムゾンは影響力があったということなのである。恐るべしイギリスのミュージック・シーン、その影響は21世紀の今でも脈々と受け継がれているに違いないのだ。

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2010年11月21日 (日)

ピーター・ハミル

 さてさてVDGGことヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイターのボーカリストで、リーダーのピーター・ハミルのソロ・アルバムについて書こうと思う。とはいえ彼のことはあまりよく知らないから詳しくは書けないのが残念である。

 自分はピーター・ハミルとケヴィン・エアーズの違いが最初分からず、よく混同していた。2人とも何となくよくわからないポップな曲を歌っているからだった。
 最近になって、ケヴィン・エアーズの方はわり合い真っ当なポップ・ソングを歌っていると思うようになった。一方、ピーター・ハミルの方はVDGGのリーダーだけあって、やっぱりどことなくアヴァンギャルドで奇妙なポップ・ソングを歌っている感じがした。

 もともとピーター・ハミルは熱唱型というか、ナルシストというか、歌っている自分に酔ってしまうような、そんな歌い方をしている気がする。ちょっと例えは違うかもしれないが、プログレ版ブライアン・フェリーといった感じで、歌えば歌うほど自分に酔ってしまう感じなのだ。

 だからVDGGでは、そういうナルシストが前衛的かつアンダーグラウンドな演奏をバックに歌うのだから、余計にナルシスティックになっていくのである。

 自分は彼のアルバムは1枚しか持っていない。1971年に発表された「フールズ・メイト」である。

 日本にも同タイトルの音楽雑誌があったのだが、今は邦楽専門の音楽雑誌に転向している。もともとはプログレ専門の雑誌だったのに、残念である。ちなみに初代編集長の北村昌士氏は、2006年に49歳の若さでなくなっている。死因は心臓疾患だった。この場を借りて、謹んでご冥福をお祈りしたい。

 さてピーター・ハミルの「フールズ・メイト」である。このアルバムはVDGGのアルバム「ポーン・ハーツ」が発売される前に発表された。
 ということは以前から録音されていたということになるのだが、VDGGのメンバーも一緒に参加しているので、むしろVDGGのアルバムには使用されなかった楽曲が集められたアルバムといっていいだろう。

 確かにオリジナル盤では全12曲、いずれも2分少々から4分程度までの短い曲で占められていて、メロディ・ラインもしっかりしているし、曲としても完成されているし、意外に聞きやすかった。

Fool's Mate Music Fool's Mate

アーティスト:Peter Hammill
販売元:EMI
発売日:2005/05/30
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 そういう意味ではVDGGとは対極をなすアルバムかもしれない。1曲目の"Imperial Zeppelin"は彼流のロックン・ロールだし、続く"Candle"はマンドリンの音がアクセントになっているミディアム・テンポのポップ・ミュージック。トラディショナルな香りもするハミル的“マギー・メイ”なのである。

 このアルバム、聞けば聞くほど彼のボーカルにハマっていきそうで、聞くたびに新たな発見がある。単なるメロディだけでなく、使用されている楽器やその使われ方などが新鮮に迫ってくるのである。

 "Happy"や"Solitude"はひねくれたポップ・テイストを味わうことができるし、VDGGのようなダークな音世界に引き込まれそうで、逆に突き放されるといった気分を味わうことができる。こういう一筋縄でいかない音楽性もまたピーター・ハミルの音楽観なのだろう。

 でもやろうと思ったらできるのである、ピーターは。VDGGのように、1曲あたり10分以上、場合によっては20分以上もある組曲を作るのがハミル流だと思っていたのだが、こういう短くて、ポップなセンスを伴う曲も書けるのである。さすがピーター・ハミルである。

 特にピアノ弾き語りの"Vision"は名演である。秋の夜長に一人でこれを聞いていると、思わず涙がこぼれてしまいそうな郷愁を覚えるのである。隠れた名曲とはこういう曲を指すのであろう。
 11曲目の"The Birds"も同傾向の曲で、なかなか心に染み入る曲である。ただこちらには軽いドラムとロバート・フリップの演奏するギターの音が重ねられている。

 先ほどVDGGのアルバムで使用されなかった曲を集めたのだろうと書いたが、よく考えたら、そうともいえない気がしてきた。こんなに短くてポップな曲は、たとえ組曲でも他の曲と調和できないと思うからだ。"Sunshine"という曲には、スキャットもあるビートルズライクな曲調なのである。

 VDGGで使えるとすれば、8曲目の"Child"くらいだろうか。この曲にしてもバックのピアノが不協和音的なぐらいで、旋律自体はごくまともだ。ボーカルと演奏のアンバランスがいいのかもしれない。

 最後の曲"I Once Wrote Some Poems"の最後の音響は1曲目の"Imperial Zeppelin"のイントロにつながっている。これはケヴィン・エアーズの奇しくも同じ1971年のソロ・アルバム「Whatevershebringswesing」と同じパターンであった。これもまた“シンクロニティ”(同時性)と呼べる現象なのだろうか。

 この後も彼はソロ・アルバムを数多く発表していて、アルバムごとにその内容が異なっているという。中にはVDGGのアルバムの中に収められてもおかしくない曲もあるそうだ。

 そんな彼も今年でもう62歳である。今はVDGGで活動を続けているようだが、ソロ・アルバムもまた発表してほしいと思っている。今度はリアル・タイムで、彼のマジカルなポップ・テイストを味わってみたい。

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2010年11月17日 (水)

ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイター

 ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイターというバンドがある。(以下VDGGと略す)イギリスのプログレッシヴ・ロック・グループなのだが、恥ずかしい話だが、自分はこのバンドのよさがイマイチよくわからないでいる。

 このグループの結成は古く、1967年にまでさかのぼるらしい。バンドのリーダーはピーター・ハミルというボーカリストで、彼の書く哲学的な歌詞や情熱的なボーカル・スタイルとそれを支えるバックの演奏がウリらしい。

 ただ聞いた印象では、ダークで暗い感じがするのである。ボーカルのメロディ・ラインもはっきりしないし、演奏自体にも曲の構成力やその衝撃性はあっても、叙情性には欠けるので、繰り返し聞きたいという気持ちにはならないのである。

 この辺がキング・クリムゾンとは違うところで、クリムゾンにも即興性や芸術至上主義みたいなところもあったが、よい意味での商業性も備えていたと思っている。
 だからクリムゾンの凄さは、その音楽性と商業主義が極めて高い位置でバランスを保っているところにあると思う。それを何年も続けていけるところが素晴らしいと思う。

 一方、VDGGも使用楽器などはほとんどクリムゾンと変わらないのだが、その結果として出てくる音には違いがあるし、商業的にも成功したとはいえ、クリムゾンとは比較にはならない。
 確かにVDGGの音楽性は高いとは思うのだが、自分のようなメロディ至上主義というか、売れて何ぼの人間にはよくわからないことが多いのだ。

 自分が初めてVDGGに接したのは、これもまたK師匠の家の2階だった。たぶんお兄さんが所有していたレコードだったと思うのだが、師匠はそのレコードのジャケットを見せてくれて、ひょっとしたら1曲くらいは聞かせてくれたかもしれない。

 でも今でもよくわからないのに、中学生にその手の音楽がわかるわけがない。浮かない顔をしている自分を見た師匠は、その後二度と彼らのことを口にすることはなかった。そのときのアルバムは「ザ・リースト・ウィ・キャン・ドゥ・イズ・ウェイヴ・トゥ・イーチ・アザー」か「ポーン・ハーツ」のどちらかだったように記憶している。ジャケットが印象的だった。

The Least We Can Do Is Wave to Each Other Music The Least We Can Do Is Wave to Each Other

アーティスト:Van der Graaf Generator
販売元:EMI
発売日:2005/05/12
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 自分が持っているアルバムは「ポーン・ハーツ」、「スティル・ライフ」、「ワールド・レコード」、「アイ・プロフェシー・ディザスター」(ベスト盤)の4枚だけである。

 「ポーン・ハーツ」は1971年に発表された彼らの4枚目のアルバムで、CD化されてボーナス・トラックがついているが、オリジナルは全3曲で、うち1曲は23分もある組曲であった。

Pawn Hearts Music Pawn Hearts

アーティスト:Van der Graaf Generator
販売元:EMI
発売日:2005/05/12
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 3曲のうち"Man-Erg"という10分近い曲はピアノの弾き語りから入ってきて、非常に聞きやすかった。メロディもきれいで叙情的。これならイケルと思ったのだが、前奏を経てサックスが鳴り響くと、あとは混沌と狂気の世界が侵入してくるのである。

 ただこういう転換や変化に慣れれば、あるいは好みの人にとっては、これほど素晴らしい曲はないだろう。そして曲はもとの叙情をたたえたピアノやサックスの音に戻っていき、ピーターのボーカルも力強く宣言するかのように響き渡っていく。

 彼らはイタリアでは人気が高く、アルバムも1位に輝いている。この71年から72年にかけてイタリアを始め、ドイツ、オランダなどのヨーロッパ・ツアーを行った。
 しかし音楽的成功は収めたものの、ツアーからくる精神的、身体的な疲労やプレッシャーが重なって、彼らは72年の8月に一度解散している。半年の間に3回もイタリア・ツアーを行ったというから、かなり大変だったと思える。ただ彼らの影響を受けたバンドがイタリアにも生まれたことは間違いないだろう。

 解散前のアルバムは前衛的で難解な部分があった。その種の音楽が好きな人にとっては初期のアルバムの方が親しみやすいかもしれない。
 彼らは72年に解散した後、しばらくして再び集まり1975年にアルバムを発表した。自分は再結成後のアルバムの方が好きで、特に76年に発表された「スティル・ライフ」はロックよりの作品になっていて、聞きやすくとっつきやすいのである。もし初めてVDGGを聞いてみようかなという人には、このアルバム方をお薦めしたい。

Still Life Music Still Life

アーティスト:Van der Graaf Generator
販売元:Virgin Records/Charisma
発売日:2005/05/30
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 特に1曲目の"Pilgrims"と2曲目"Still Life"は名曲である。"Pilgrims"は牧歌的な雰囲気から始まり、徐々に力強いボーカルへと変化するさまは見事である。またバックの演奏にも盛り上げようという一体感が伴っている。
 "Still Life"の方もタイトルの如く静謐なボーカルから始まり、オルガンをバックに徐々にドラムやサックスなど他の楽器が重なってくる。そしてエンディングはオープニングと同じように静かなボーカルに回帰するのである。

 VDGGは翌年もアルバムを発表した。「ワールド・レコード」というもので、ジャケットには地球とレコードが半々に写っていて、“世界記録”と“世界のレコード”を掛けているようだ。
 このアルバムにも20分を越える大曲があり、相変わらず彼らの芸術性や独創性が発揮されている。

World Record Music World Record

アーティスト:Van der Graaf Generator
販売元:EMI
発売日:2005/06/28
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 前作ではどちらかといえばロックよりの作品だったのだが、ここでは初期のような即興性やジャズ的で混沌とした音世界に戻っているようだ。
 その中で3曲目の"Masks"と最後の曲"Wondering"は比較的聞きやすい。前者はゆったりとした曲で、途中でサックスが入りながらも終わりは元の穏やかな曲になる。

 このアルバムは輸入盤で購入したのだが、それは"Wondering"という曲が名曲だというコメントを雑誌で読んだからであった。
 確かに今までの彼らからすれば難解ではない。ボーカルはジェネシスのピーター・ガブリエルを髣髴させ、バックの演奏もシンプルで、コーラスも教会の聖歌隊のようで、まさにアルバムの最後を飾るにふさわしいエンディングだと思う。この曲だけを聞くのではなく、アルバムを通して聞くと、そのよさがいっそう理解できる類の曲だと思う。でもプログレの中で十指の中に入る曲かと問われると、何ともいえない。

 その後彼らは1978年に再び解散し、ピーター・ハミルはソロ活動に従事し、他のメンバーもバンド活動やソロ活動を行っていた。
 そして2004年に再々結成し、アルバム「プレゼント」を発表し、2007年にもアルバムを発表した。さらに2008年には来日公演を行っている。21世紀に入ってもますますその制作意欲は一向に衰えてはいないようだ。

 しかし、である。少なくとも自分にとってはよくわからないバンドなのだ。離れ小島に持っていく10枚のプログレ・アルバムの中には、正直言って入れそうにない。これからさらに研究を続けていかなければならないバンドの中のひとつなのであった。

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2010年11月13日 (土)

ムゼオ・ローゼンバッハ

 イタリアのプログレッシヴ・ロック隠れた名盤シリーズ第7回目の今回は、これこそまさに歴史的な傑作と、誰もが賛嘆してやまない隠れた名盤を紹介することにした。それがムゼオ・ローゼンバッハというバンドのアルバム「ツァラトゥストラ組曲」である。

 このバンドは6人組で、キーボード・プレイヤーが2名いるほかは、ベース、ドラムス、ギター、ボーカルという編成だった。彼らは1972年にデビューし、翌年にこのアルバムを発表し、解散している。たった1枚しか作品を残していないのだが、この作品がイタリア・プログレッシヴ・ロック界を代表するアルバムと称せられているのである。

 当時はCDではなくてレコードだったから、A面とB面に分かれていた。このアルバムのA面では20分以上にわたって、組曲"ツァラトゥストラ"が繰り広げられている。またサイドBでは、3曲"女について"、"自然"、"永遠の回帰"が収められている。Photo

 このアルバム何といってもうれしいのは、メロトロンがこれでもかというくらい使用されている点である。全編で要所要所にメロトロンの嵐を聞くことができる。こんなにメロトロンが使用されているのも珍しいと思う。あのP.F.M.でもこんなに使用していなかったように思うのだが…

 組曲は5部形式に分かれていて、"a)最初の男"からメロトロンが爆発している。イタリア版"クリムゾン・キングの宮殿"といった観がある。静かなボーカルから激情するそれへと変化する様は感動すら覚える。またそれに付随してメロトロンの波が押し寄せ、圧倒的なシンフォニック・ロックに発展している。

 "b)昨日の王"では不協和音的なピアノが不安を抱かせ、それにキーボードやピアノ、フルートが広がりをつける。この曲は“静”の部分であり、この曲に続いて“動”の部分の"c)善悪の彼方に"が始まるのである。

 この"善悪の彼方に"はメロディアスで、アグレッシブなギターやキーボードとともに、効果的なメロトロンを聞くことができる。途中でテンポがスローダウンし、ボーカルが入るのだが、この辺の転換がいかにもイタリア的な歌劇のようだ。手数の多いドラムの音も雰囲気を高めるために役立っている。

 組曲はメロディ形式になっているので、曲が続いていく。続く"d)超人"は比較的穏やかな曲でシンセやハモンド・オルガンなどのキーボードが目立つ。途中でドラムの回転が早くなってフェイドアウトしていき、組曲の最後"e)砂時計の宮殿"がフェイドインしてくる。

 この曲は8分以上もあるインストで、まさに最後を盛り上げて終わろうとする雰囲気を醸し出している。メインのフレーズは、どことなく"クリムゾン・キングの宮殿"風で、ちょっとは真似てみましたという感じだ。しかしそれを補って余りあるほどの印象的なメロトロンを聞くことができるのはうれしい。

 組曲以外の2曲目の"女について"はハード・ロック的な要素が見られ、珍しくギターも自己主張している。ただもう少しキーボードと対抗できるまでになるともっとよかったと思った。ギター・キッズには少し物足りないかもしれない。

 次の曲"自然"はアルバム中一番長い曲であり、ここでもイタリア的ボーカルとテクニカルでマイケル・ジャイルズ的なドラム、駆け回るオルガンやキーボードを堪能することができる。またバックにはメロトロンの幕がかかっていて、聞く人を異空間へといざなうのである。
 途中でスキャット風ボーカルが入るが、この辺はジャズ的影響がうかがえる。とにかくこのバンドのメンバーはいずれもテクニシャンである。曲の終わりには短いながらもギター・ソロも聞こえてきた。

 アルバムの最後を飾るのは"永遠の回帰"。この曲もムゼオ・ローゼンバッハ風ハード・ロックといった感じで、最初は突っ走ってくれるのだ。この曲も転調が多く、途中でボレロ調になったりするが、一気に最後まで聞かせるパワーには迫力がある。

 このバンドの特徴は、とにかく演奏力があり、曲構成が見事であるということだ。リードはドラムとキーボードがその役割を担っているようで、ギターは上手なものの、そんなに目立つということはない。
 全体的には疾走感のあるプレイが目立ち、P.F.M.のような叙情性には欠けるようだ。これに叙情性が加われば、まさにクリムゾンの再来ということになったに違いない。

 このアルバムの国内盤は現在では入手不可能らしく、再発が待たれている。何しろ輸入盤の新品では11545円もするし、中古品でも5897円という値段である。紙ジャケット・アルバムも同じようなもので、とにかく今では貴重品、とりあえず持っている人で現金のほしい人は、ネット・オークションでさらに値段を吊り上げてもいいでしょう。でも本当の愛好家なら、毎日愛聴して気分を和ませ、イタリアン・プログレッシヴの世界に浸りましょう。

 とにかくイタリアの至宝といってもいいくらいのアルバムである。隠れた名盤とはこういうものを指すのであろう。

 7回にわたってイタリアのマイナーな名盤を紹介してきたが、今回で一応の幕引きとしたい。今回のバンドの多くは1枚だけ、もしくはほんの数枚のアルバムを残して解散してしまったバンドたちであった。そんな数少ない作品の中にも歴史に残るような傑作はあったのである。

 わずかたった数年の黄金時代だったイタリアのプログレ・シーンだったが、大事なことは期間の長さではなく、その中身であろう。充実した数年間だったことは、残された名盤の多さからでも証明できるのである。もう少し長くこの時代が続けばよかったのだろうが、残念ながら時代は急速に変化していった。パンク・ロックの嵐は全世界的だったようだ。

 とにかく、ロックは時代の流れから逃れられない宿命を背負っている証明にもなったのが、このイタリアン・プログレッシヴ・ロック・シーンの黄金期だったのである。

【追記】

 イタリアン・プログレッシヴ・ロックのオーソリティと呼ばれている風呂井戸氏によると、このバンドは1999年に再結成し、「イグジット(Exit)」というアルバムを発表しているということである。はたして往年のようなサウンドなのかは定かではないが、機会があれば是非拝聴したいと思っている。
 また彼らにはライヴ曲や未発表曲の編集盤もあって、したがって、正確には彼らは1枚しかアルバムを残していないというのは間違いである。あらためて訂正してお詫びをしたい。

 ちなみに風呂井戸氏のブログでは、芸術的な感性と芳醇な知識に裏打ちされた音楽、映画等の芸術批評を目にすることができる。まさに優れものというブログでもある。リンクを張っているので、関心のある方は是非訪れてほしいと思う。

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2010年11月 9日 (火)

マクソフォーネ

 イタリアのプログレッシヴ・ロック・グループには、P.F.M.やバンコ、ニュー・トロルスなど、いわゆるメジャー級の有名バンドもいれば、ここに紹介しているようなあまり有名でないバンドもある。

 しかし日本でCD化されたアルバムは、その多くが優れていて、いわゆる隠れた名盤ではないかと思っている。だからそのアルバムを発表したバンドも無名なものが多いのだが、実力的にはメジャー級のバンドに匹敵すると思うのである。こういうのもイタリアのプログレッシヴ・ロックの特徴なのだろう。

 今回紹介するバンドもその中の一つだと思っている。彼らは1973年に結成され、1975年にデビューしたが、前回見てきたように、そのときはもうシーンの絶頂期から衰退期へと移行しつつあった。そのような状況でデビューしたのがマクソフォーネであった。

 彼らの最初で最後のアルバム「生命の故郷」はイタリア語ヴァージョンだけでなく、英語ヴァージョンも制作されたというから、彼らもまたワールド・ワイドの成功を目指してデビューしたのだろう。

 メンバーは、ギター、ベース、キーボード、ドラムスに、クラリネット・サックス・フルート担当とトロンボーン・ヴィブラフォン担当がいて、当時としては珍しく2人も管楽器プレイヤーがいた。
 しかもこのアルバムにはゲストとして、バイオリン、ハープ、コントラバス、ビオラ奏者も加わっているので、総勢10名という大所帯バンドで録音している。

 このアルバムには6曲収められていて、4分台の後半から9分近い曲まであるが、1曲を除いてボーカル入りである。最近のものにはボーナス・トラックも2曲追加されているようであるが、手持ちのアルバムは6曲入りのものである。

Maxophone Music Maxophone

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 自分が持っているアルバムは、イタリア語ヴァージョンなのだが、イタリア独特の熱唱というか、情熱的で迫力のあるボーカルを聞くことができる。またこのボーカリストは、かなり技巧的で、訴える箇所では力を込めて前面に出てくるように歌い、時に囁くように、時にスローにソフトに歌っている。

 また演奏も素晴らしく、通常のロック・バンドの編成に管楽器、弦楽器が加わっているので空間的な広がりを感じさせてくれるのだ。例えていうならキング・クリムゾンからダークなインプロヴィゼーション部分を取り除いて、もう少しクリアでライトな雰囲気を加えたような感じである。トロンボーンもフィーチャーされているので、ブラス・ロック的な面も感じられる。

 1曲目の"生命の故郷"は、このアルバムからのシングルBサイドに収められていた曲で、クラシカルなピアノにヘヴィなギターが絡み、それらにトロンボーン、クラリネットらが重なって、最後にボーカルが流れ始める。このボーカル、一聴したときにはフィル・コリンズによく似ていると思った。
 穏やかな雰囲気から一転して緊張感のあるプレーに場面転換する手法はプログレッシヴ・ロックにはよくあるパターンであるが、この曲でもそれは踏襲されている。ただ場面転換する場合はギターやキーボードだけでなく、クラリネットやトロンボーンなども使用される点が斬新である。全体的にタイトル通りの生命の誕生を連想させるようなゆったりと穏やかな感じだ。

 2曲目"位相"は、このアルバムの中では唯一のインストゥルメンタル曲。他の曲と比べれば少しハードな印象を受けた。それはギターとサックスが紡ぎ合う音響効果なのだろう。確かにこの辺はクリムゾンやヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイターなどのイギリスのプログレ・バンドの影響がうかがえるところでもある。

 3曲目はシングルのAサイドになった"蝶の忘れられた誕生日"という曲で、フルートの響きも軽やかな導入部から複数のボーカルへとつながり、ドラムの響きとともにキーボード、ギターが攻撃的なフレーズを奏でる。この辺の曲構成は、まさにプロフェッショナルである。
 ただこの曲5分52秒あるのだが、シングルでヒットしたかどうかは不明である。またエンディングがいつのまにか終わっていて、次の曲が始まってしまっていた。

 そして次の曲は"エルゼヴィール"。まさにイタリアン・カンツォーネといった感じでボーカルがフィーチャーされて、ドラムのフィル・インとともに演奏が始まる。
 サックスとギターの関係がジャズ・ロックを髣髴させ、思わずイギリスのバンド、コロシアムを思い出してしまった。とにかく完成度が高く、とてもデビュー・アルバムの中の曲とは思えない。

 "狂気の商人達"もまた幻想的なボーカル・パートから入り、様々な楽器がそれに追随していく。ボーカルだけ聞くと、何となくジェネシスの「静寂の嵐」にイメージ的に近いと思った。ただ使用楽器やボーカルのハーモニーという点では違っている。
 この曲の前後が少しハードな曲なので、その間にこういった静かで、たおやかな曲を配置したのだろう。シンセサイザーのスペイシーなサウンドがアクセントになっている。

 最後の曲"黒人たちの古の結末"は、まさにアルバムの最後を飾るにふさわしい曲に仕上げられている。
 明るいサックスやトロンボーンで始まったので、一瞬シカゴ?と思ってしまったのだが、それはあくまでも序奏であり、明るいボーカルにシンセやサックスが絡んできて、徐々に複雑な楽曲へと変身していく。
 6分過ぎにエレクトリック・ギターがファンファーレを奏で、一挙にエンディングに向かって終結する。最後は微かなチャーチ・オルガンを背景に、ボーカル・コーラスがアカペラ仕立てで歌っていく。まるで厳かな賛美歌のようだ。もしくはタイトルにあるような黒人霊歌かもしれない。

 とにかく高度な音楽性と通常のプログレッシヴ・ロックでは見られない楽器などが使用されていて、斬新な印象を受けたアルバムだった。まさにイタリアン・プログレッシヴ・ロック・シーンが最盛期から衰退へと始まった時期に制作されたせいか、充実した内容の音楽性が詰め込まれているアルバムだと思う。

 このあと彼らは1977年に1枚のシングルを残して、自然消滅してしまった。そのあとのメンバーの消息についてはよくわからなかった。まるで彼らの音楽性を反映したかのようなグループの歴史だったように思えてならない。

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2010年11月 7日 (日)

十三人の刺客

 久しぶりに映画を見に行った。しかも邦画である。日本の映画を観るのも久しぶりだった。話題の「十三人の刺客」が今週の金曜日一杯で終了ということだったので、終了する前に見に行ったのであるが、これがすこぶる面白かった。134

 もともとこの映画は1963年に片岡千恵蔵主演で制作されたらしく、いわゆるリメイクなのだが、自分にとってはリメイクであろうがなかろうが関係なく、初めてであり、リメイクされるほどオリジナルも好評だったのであろう。132

 何しろSMAPの稲垣吾郎がバカ殿を演じているのだが、これがまた素晴らしくハマッていて、演技ではなく素でやっているのではないかと思えるほどだった。
 バカ殿といっても陰惨で狂気を発散する方なのだが、稲垣吾郎は自己陶酔派なのだろうか、妙に似合っていた。以前「催眠」というオカルティックな映画にも主演していたが、個性のある役にはピッタリとはまるタイプなのだ。

 また主演の役所広司以下、松方弘樹、市村正親、伊勢谷友介などベテランから若手まで芸達者な役者をそろえていて、安心してみていられた。脚本、配役、カメラワークと三拍子揃っており、まさに世界に配信されても通用する日本映画だと思う。133_3

 何しろストーリー展開が明快でわかりやすい。勧善懲悪なのだから、最初から結果がわかっている。まるでTVドラマ水戸黄門のような展開なのだが、それでもハラハラ、ドキドキで、思わずこぶしを握ったりするなど、上映中に何度も力が入ってしまった。

 どうやって始末するのか、十三人のうち何人生き残るのか等々、観る前から興味があったのだが、スピーディな展開と相まって最後まで充分楽しめた。
 1963年版では13人対53騎だったらしいのだが、新作では13人対約300人になっていて、当然迫力充分であった。135

 もともとこの映画は職場の上司から教えられたものだった。夫婦で公開日の夜に観に行ったらしいのだが、稲垣吾郎の怪演とグロテスクな演出を熱弁していた。それで自分もいつかは観に行こうときめていたのだった。観にいって正解だったと思っている。

 映画の内容は当然のことながらフィクションなのだが、これに近いような出来事は実際にあったらしい。火のないところには煙は出ないというものだろう。
 老中の土井利位は実在の人物だし、松平斉韶も歴史上の人物である。ただ彼は映画に出てくるような極悪非道の人物ではなくて、養子としてあとを継いだ松平斉宣が11代将軍家斉の実子、12代将軍家慶の異母弟であり20歳で亡くなっていることからして、こちらの方をモデルにしているようである。

 一説によると、斉宣が参勤交代中に尾張領を通過したとき、3歳くらいの幼児が行列を横切って捕まえられ、斬捨てられたといわれていて、怒った尾張藩は、以後明石藩の領内通行を禁止したと伝えられている。

 ともかく、今年観た映画の中では非常に感動した一本だった。最近は洋画よりも邦画の方に良質な作品が多いようであるが、これなんかもまさにこのことを証明するかのような作品だった。オリジナルが良ければ、リメイクされても素晴らしいのであろう。
 ちなみにテレビ朝日もこの映画の制作にかかわっていたから、1年後には日曜映画劇場で放映されるに違いない。134_2

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2010年11月 5日 (金)

ロカンダ・デッレ・ファーテ

 イタリアのプログレッシヴ・ロックについて考えてみた。イタリアのプログレ・シーンの全盛期は欧米より遅れること数年、1971年がその始まりだと考えている。
 この年にオザンナは1stアルバムを発表し、ニュー・トロルスの「コンツェルト・グロッソⅠ」が喝采を持って世に迎えられたからだ。そして翌年にはP.F.M.やバンコがアルバム・デビューし、アレアが結成されている。

 そしてその終焉の始まりは1977年あたりではないかと思う。P.F.M.は「ジェット・ラグ」を発表し、アメリカ志向からの原点回帰を果たそうとしたが成しえず、バンコはその前年に名作「最後の晩餐」を発表したあとソフト路線に転換してしまった。またフォルムラ・トレは74年に、オザンナは75年に解散している。
 そしてフォルムラ・トレから派生したイル・ヴォーロもまた75年に2作目を発表したあと発展的解消を果たし、アルティ・メスティエリもまた78年に解散している。

 こうしてみると、イタリアのプログレッシヴ・ロック・シーンの全盛期は、ほんの5~6年程度だったように思える。欧米、特に本国イギリスでも全盛期間は10年ぐらいだろうか。イタリアでは始まりが遅かった分、全盛期も短かったようだ。これもパンク・ロック/ニュー・ウェイヴの興隆のせいだろう。

 そしてそのイタリアのプログレッシヴ・ロックが終わりを迎える頃に、突如彗星のように表れたバンドがあった。それがロカンダ・デッレ・ファーテという7人組のバンドである。

 彼らはツイン・ギター、ツイン・キーボード、ドラムス、ベース、リード・ボーカルという組み合わせで、1977年に発表された「妖精」はイタリアン・プログレッシヴ・ロック・シーンのまさに最後を飾るにふさわしい名盤だと思う。

妖精+2(紙ジャケット仕様) Music 妖精+2(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ロカンダ・デッレ・ファーテ
販売元:ユニバーサルインターナショナル
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 ツイン・ギターにツイン・キーボードといえば、確かにイル・ヴォーロを想起させるが、彼らよりは穏やかで、ソフィストケイトされていて聞きやすい。また夢幻的でロマンティシズム溢れる作風は、傑作の名前にふさわしい要件を備えている。

 まず何よりも曲がよい。長ければいいというものではないのは重々承知なのだが、いかにもプログレらしい長さである。長くて9分後半で、短くてもボーナス・トラックを除いて3分半ばと構成も素晴らしい。

 そして2人のキーボーディストの演奏するピアノやシンセサイザー、メロトロン、ハモンド・オルガンなどが重厚な雰囲気を作り、その中をギターやフルートが縦横無尽に動き、清涼なメロディを奏でるという構図である。

 だからアルバム・ジャケットに描かれている情景のような本当に素晴らしい作品が並んでいて、1曲目の"ひとときの静寂"という曲から耳を奪われてしまう。この1曲目を聞いただけで、このアルバムがどんなに素晴らしいかがわかると思う。
 リリカルなピアノに導かれてテンポのよいリズムが展開され、それにギターやシンフォニックなキーボードが広がってゆく。非常に心地よいインストゥルメンタルである。

 プログレ的な展開、いわゆる“動-静-動”といった典型的なパターンながら惹きつけられるのは、主導権はキーボードに委ねられているからだろう。2人もギタリストがいながら、ギターはそんなに目立っていない。むしろフルートの挿入の方が効果的である。

 2曲目の"蛍が消える時"という曲から最後の"誤ち"までにはイタリア語のボーカルが入っている。"蛍の消える時"というのは、このアルバムの原題である。日本語では「妖精」になっているのだが、これはアルバム・ジャケットの印象から付けられたのだろう。
 それでこの曲はまるでジェスロ・タルの組曲のように、転調が目立ち、またパートによってはフルートやギター、ピアノなどが目立っている。このアルバムの中で一番長い曲で9分49秒もあるのだが、全然長さを感じさせない。それだけ構成が巧みということだろう。

 次の"白色の香"も穏やかなシンセサイザーで序奏が始まり、キーボード群が隙間を埋めるかのように全体的にリードしていく。リズム隊は結構引き締まっていて、イエスを髣髴させる。でもキーボード群はジェネシスっぽい。両者のいいところが合体している。これでは悪いわけがない。曲の最後でギターが目立っているが、あくまでもソフトな感じで、曲の構成を乱さない。

 曲はキーボーディストのコンタやギタリストのヴェヴェイが書いているのだが、誰が書いていてもあまり変わりはない。あくまでもアルバムのイメージというか、バンドのポリシーというか、それを主体に考えられているように思える。だから統一感があるのだろう。

 ボーカルはバックの演奏とは違って、野太い声で声域もそんなに広くない。ジョン・アンダーソンとは真逆の声質であり、深みもない。強いていえば野性味は味わえるだろうか。しかし演奏陣がそれを埋めて余りあるから、心配することはないだろう。

 5曲目の"憧れ"では、そんな野性味溢れるボーカルやスピィーディなギターを味わうことができる。このアルバムの中では疾走感があり、ロック的な感性を持った曲である。

 "星に鍵をかけないで"は3分あまりと、このアルバムの中で一番短い曲である。アコースティック・ギターとエレクトリック・ギター、ボーカルがメインの曲。最後の曲の前なので、お口直しというか、序曲のような意味合いもあるのだろう。

 そしてオリジナル・アルバムでは最後の"誤ち"が始まるのだが、これもまた恐ろしくシンフォニックな曲で、彼らの力を総結集したというような曲である。
 ピアノのリードで曲が始まり、ボーカルがメイン・フレーズを歌う。それにベースやドラムス、キーボードが徐々に絡んでいく。フルートがギターとデュエットをする様は、やはりジェネシスを思い出させる。
 アルバムの後半になるにつれてボーカルが目立ってくるのだが、この曲もボーカルが健闘している。歌と歌の間の演奏が際立っているのだが、この曲ではボーカルも対等に自己主張している。

 ただもう少し盛り上がりがほしかった。全体的にファンタジックで幻想的なのだが、例えばジェネシスにはそれを切り裂くようなスティーヴ・ハケットのギターやピーター・ガブリエルのボーカルがあったが、このバンドにはそういうインパクトはない。だから聞き様によっては淡々と進行するというイメージが喚起され固定されてしまうのである。その点が惜しい。

 またギタリストとキーボーディストが2人ずついるのだから、その点でも工夫がほしかった。特にギターについてはツイン・リードにするとか、もっとエフェクトを効かせて装飾を凝らすということも必要だったのではないか。そうすればもっとこのアルバムも、彼ら自身もさらに知名度が上がったように思える。

 残念ながら彼らは本国イタリアでもそれほど取り上げられなかったらしい。だからメンバーのバックグラウンドもその後の活躍もほとんどわからない。

 ただ1998年に再結成され、99年には22年ぶりにアルバムを発表している。このあいだ彼らは何をして稼いでいたのだろうか。気になるところではある。

 ちなみに7人編成から、リード・ボーカリストと、主なソングライターでキーボーディストだったミケーレ・コンタが抜けて5人編成になっている。しかもドラマーとベーシストはオリジナル・メンバーなのだがゲスト扱いらしい。この辺の人間関係も気になるところだ。Photo

 いずれにしても77年当時では珍しいシンフォニックな傑作アルバムである。もしこれがあと4~5年早く発表されていたら、彼らはもっと違う道を歩んだに違いない。イタリアン・プログレッシヴ・ロックの最後の輝きがこのロカンダ・デッレ・ファーテの「妖精」なのである。

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2010年11月 3日 (水)

プリテンダーズ

 季節は早いものでもう11月である。今年もあと2ヶ月を切ってしまった。ついこの前まで、今年の残暑は長引くとか、秋刀魚の漁獲高が少ないとか、いろいろ言っていたのだが、いつのまにか秋が来て、もう冬が来ようとしている。今年は何か季節感のない秋だった。

 そんな季節の中で、職場の同僚からこのCDを聞いてみろということで、2枚のCDを渡された。1枚はスライ&ファミリー・ストーンの「暴動」、もう1枚はプリテンダーズの2枚のアルバム「愛しのキッズ」と「ゲット・クロース」をカップリングしたものだった。

 スライのアルバムについては別の機会に譲るとして(別の機会があればの話だが)、もう1枚のプリテンダーズについて述べたいと思う。

 今までプリテンダーズはイギリスのバンドだとばかり思っていた。ちょうどパンク・ロックとニュー・ウェーヴのシーンの終わりごろに出てきたバンドだし、イギリスでの人気が高かったように思えたからだ。
 でもリーダーのクリッシー・ハインドはアメリカはオハイオ州、アクロンの出身だった。自分はてっきり生粋のイギリス人だと思っていたので、ビックリしてしまった。しかもそれがつい2日前のことだった。

 彼女は、たぶん大学卒業後だと思うのだが、23歳頃にイギリスに出かけて音楽雑誌、ニュー・ミュージカル・エクスプレスに記者として働き始めた。それほど音楽が好きだったのだろうが、本当は最初からミュージシャンになりたかったのではないかなと思っている。

 似たような経歴に元ダイヤー・ストレイツのギタリスト&ボーカリストであるマーク・ノップラーがいるが、彼も大学卒業後、ヨークシャー・イヴニング・ポストという新聞社で記者をして音楽評論などを手がけていた。でも彼は生粋のイギリス人だった。

 それでクリッシー・ハインドだが、彼女はイギリスに来てデビューするまで約5年くらいブランクがあるのだが、その間に経験を積んでいたのだろう。一時はフランスでライヴ活動を行ったり、あるいはセックス・ピストルズのミック・ジョーンズともバンド活動を行っている。

 彼らの1stアルバムはクリス・トーマスやニック・ロウがプロデュースを担当しているのだが、確かに彼らほどの有名人が担当するにふさわしいアルバムだった。

Pretenders Music Pretenders

アーティスト:Pretenders
販売元:Warner Bros UK
発売日:2000/03/13
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 自分は丸々彼らのオリジナル・アルバムを聞いたことはなかった。でもシングルのベスト盤は持っていたので、その中にある代表曲は聞いて知っていた。

Pretenders: The Singles (Ocrd) Music Pretenders: The Singles (Ocrd)

アーティスト:Pretenders
販売元:Rhino / Wea
発売日:2008/06/03
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 1stアルバム「愛しのキッズ」は後半になるにしたがって、曲がよくなる。特に7曲目の"Stop Your Sobbing"から"Kid"、"Private Life"、"Brass in Pocket"は絶品である。最後の曲"Mystery Achievement"もノリがよい。
 のちに彼女は憧れの人、キンクスのレイ・デイヴィスと同棲し、一児をもうけるのだが、昔からキンクスが大好きだったようだ。

 ところでこのCDを渡してくれた同僚は、1stアルバムは好きだが、「ゲット・クロース」は好きでないと言っていた。

Get Close Music Get Close

アーティスト:Pretenders
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 調べてみると、このアルバムは彼らの4枚目にあたり、1986年に発表されている。よく聞くと2極傾向にあるようで、"My Baby"、"When I Change My Life"、"Don't Get Me Wrong"のようなメロディアスで聞きやすいものと、"Light of the Moon"、"Dance"、"How Much Did You Get Your Soul?"、"Room Full of Mirrors"のようなビートが効いてノリやすい曲にわかれている。

 特に"Dance"や"Room Full of Mirrors"などはダンス系の音楽と考えてもいいくらいで、いまクラブで流されても充分通用するような曲調である。特に後者はジミ・ヘンの曲なのだが、ジミが生きていたら、きっとビックリするようなそんなアレンジになっている。

 何でこんな風になったかというと、この当時のバンドのメンバーが流動的で、固定していなかったということと、ベースに驚異の黒人T.M.スティーヴンス、キーボードにP-ファンカデリックのバーニー・ウォーレル、ギターに当時デヴィッド・ボウイとの共演で有名だったカルロス・アロマーらが参加していたからだろう。

 T.M.スティーヴンスは、バカテク・ベーシストだし、バーニーは黒人最高峰のキーボーディストの一人であり、トーキング・ヘッズとも一緒に活動していた。あの「リメイン・ザ・ライト」が成功したのも、彼の貢献が大きいといわれている。そしてカルロスは賛否両論だったボウイの「レッツ・ダンス」にも参加していた。だから彼らが加わって黒くならないのがおかしいくらいなのだ。

 だからこのアルバムは、ファンク・ミュージックの要素も備えている。自分にはけっこう聞きやすくてハマッたのだが、同僚のA氏は気に入らなかったのだろう。
 しかしスライの「暴動」は太鼓判を押しておきながら、この「ゲット・クロース」が気に入らないのは不思議である。統一感がないから聞いていて、違和感があったのだろうか。

 ともかくこのアルバムにはけっこういい曲もあり、"My Baby"や"Don't Get Me Wrong"は両方ともシングル・チャートでNo.1になったし、それ以外にも"I Remember You"、"Hymn to Her"などメロディアスな曲もある。"My Baby"、"Hymn to Her"などは次の恋人(シンプル・マインズのジム・カー)との間に誕生した女の子にちなんでできた曲だろう。

 クリッシーは、レイ・デイヴィスとの間では結婚はしておらず、いわゆる未婚の母だった。当時はそういうゴシップでも有名だったし、音楽面以外でも彼女は流行の先端をいっていた。
 彼女は自分より8歳年下だったジム・カーとも1990年に離婚し、97年にほかの男性と結婚したものの2002年に別れている。今はロンドンで一人暮らしをしているようだが、最近では故郷のアクロンにヴェジタリアンの地中海料理店を開き、経営にも励んでいるという。まだまだ彼女も59歳、そのうち全世界に店舗展開するかもしれない。

 ところでA氏であるが、もともとブリティッシュ・ロックから始まり、今ではアメリカン・ロックでは有名無名を問わず、オーソリティである。またブラック・ミュージックにも詳しいのは先に述べた通りなのだが、やはり首尾一貫していないと気がすまないのだろう。「ゲット・クロース」は嫌いで、「暴動」はお気に入りなのである。

 ちなみに10ccのアルバムはすべて所有しているようなのだが、クィーンは1枚も持っていないという。そういう面でも信念を貫く人なのかもしれない。

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2010年11月 1日 (月)

レ・オルメ

 今回はレ・オルメという、これまたイタリアン・プログレッシヴ・ロックの歴史を作ったバンドを紹介するのだが、自分にとってはこのバンドは他のイタリアン・プログレッシヴ・ロックとは少し違う出あい方をしている。

 今までのイタリアン・プログレッシヴ・ロックはP.F.M.から始まり、ゴブリンやニュー・トロルスなどビッグ・ネームのバンドを経て、それらを追いかけるようにマイナーなバンドへと走っていった。その際に、手がかりになったのはアルバムの中にあるライナー・ノートや店頭で手に取った際の帯に記載されている文章だった。

 それらの内容を参考にしながら他のバンドのアルバムを手に入れていったのだが、実際はほとんどそのバンドに関する知識や先入観もないままアルバムを聞いていった。
 しかし、このレ・オルメだけは先に充分な知識を仕入れてしまって、そして購入したのである。だからある意味、偏見というか先入観みたいなものが先立って彼らの音楽性に接したのだった。

 彼らを語る上でのキーワードは、“イタリアのE.L.&P.”である。この言葉がいつも頭の中にあって、E.L.&P.のような音楽ならだいたい予想がついてしまうので、このバンドについてはいつも後回しにしていた。だから、実際に耳にしたのは、そんなに昔のことではなかったのである。

 それで彼らが1973年に発表した5枚目のアルバム「フェローナとソローナの伝説」については、はたして“イタリアのE.L.&P.”という例えが果たして適切なのかと、聞くたびにいつも疑問に思っていて、それは今も変わらない気持ちなのだ。

フェローナとソローナの伝説(紙ジャケット仕様) Music フェローナとソローナの伝説(紙ジャケット仕様)

アーティスト:レ・オルメ
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 本家E.L.&P.の方は、もっとclassicalでjazzyでテクニカルな姿勢を保っているのだが、こちらのレ・オルメの方は、やはりそこかしこにイタリアの音楽性というか雰囲気をたずさえていて、共通点は3人組のバンドというくらいで、音楽性については別物と考えた方がいいように思う。

 この当時のレ・オルメは確かに3人組なので、キーボードが目立つのは仕方ないことなのだが、同時にアコースティック・ギターも耳にすることができるし、メロディもいかにもイタリアらしく明るいフレーズも含まれていて、そういう意味では自分の先入観を裏切ってくれたのである。

 1曲目の"信じられないまま"は、いかにもアルバムのトップの曲にふさわしく、キーボードのソロをメインにした大曲になっている。ただハモンド・オルガンだけでなく、ピアノも含めた様々なキーボードが使用されているのはE.L.&P.以上であるが、キース・エマーソンよりは指運は少ない。8分40秒あまりの大曲なのだが、その長さを感じさせない曲構成やアレンジが素晴らしいと思う。

 続く"フェローナ"はいかにもイタリアらしい明るく陽気な楽曲で、この牧歌的な曲だけ聞いていると、イタリアン・フォーク・ソングのような気がしてしまう。

 このアルバムはトータル・アルバムで、曲間がつながっているか、ほとんどない状態なのだが、タイトルからもわかるように、フェローナとソローナについての物語である。

 ただ訳詞を読むと、叙事詩というよりは抒情詩のようであり、具体的な記述が少なく、この2人がどういう状態なのかイマイチよくわからない。おそらく悲恋に終わる物語なのだろう。そしてジャケットに描かれている2人がフェローナとソローナなのであろう。
 あるいはこの2人は何かの喩えを表しているのかもしれない。深読みをしようと思えばいくらでもできる感じだ。

 4曲目の"バランス"は、1曲目と並んで、このアルバムの前半におけるメインの曲だと思った。緊張感のある進行と後半のキーボーディストのトニー・パリューカの演奏が見事である。確かにピアノ演奏部分はキース・エマーソンを髣髴させるものがあるが、曲の時間が3分程度と短くて、もう少し演奏を味わいたかった。それが残念である。

 次の曲"ソローナ"は、"フェローナ"とは違って、シンセサイザーが使用されるマイナー調の暗い曲である。陽と陰、明と暗、喜びと哀しみなどの対比を表現しているかのようだ。中盤のこの部分は短い曲が途切れなく続いていて、確かにトータル・アルバムを構成しているのがわかる。

 7曲目の"朝の肖像"では、最初はダークな効果音が用意されているのだが、途中からそれまで続いていた暗い旋律が晴れるかのように、一転して明るい曲調になるのがうれしい。いま気がついたのだが、アルバム前半は“フェローナ”を、後半は“ソローナ”を表現しているのかもしれない。そして“フェローナ”は明るさを、“ソローナ”は暗さを表しているのだろう。だから5曲目からはマイナー調の曲が続いていく。ただこの曲も4分にも満たない。

 続く"時間を除いて"はP.F.M.の"通りすぎる人々"のような感じの曲で、アコースティック・ギターとキーボードをバックにしたフォーク調の曲。ただボーカル部分が終わると、急に暗雲が垂れ込めたかのように重いキーボードが鳴り響き、最後のインストゥルメンタル曲"無に帰る"が始まるのである。

 確かにこのアルバムは彼らの代表作といっていいほど、構成や演奏技術、旋律などが素晴らしいと思う。ただ本家のE.L.&P.と比べると、やはり技術的には差がでてくる。それよりむしろ当時のイタリアで、本家の向こうを張るようなバンドがいたことと、イタリアらしさが発揮された聞き応えのある構成力やメロディを称えるべきだと思うのである。

 このアルバムを聞いて、彼らのほかのアルバムを聞きたくなった。彼らは75年にはギタリストを加えて4人組になり、さらなる表現の拡大を試みていきながら音的にはポップになっていったようだ。

 ということで、アルバムの発表順とは逆になるかたちで、1972年の彼らのアルバム「包帯の男」を購入して、聞いてみたところ、これもE,L&Pとは違うものの、佳曲が多くて好盤ということがわかった。

包帯の男(紙ジャケット仕様) Music 包帯の男(紙ジャケット仕様)

アーティスト:レ・オルメ
販売元:ユニバーサルインターナショナル
発売日:2010/06/23
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 まずキーボードの音がカラフルである。ハモンド・オルガンやエレクトリック・ピアノはいうまでもなく、ムーグ・シンセサイザーやメロトロンまで使用されていて、この点では上にもあるようにE,L&P以上である。
 またアコースティック・ギターの調べも心地よい。E,L&Pのグレッグ・レイクもアコースティック・ギターを使用するが、こんなには多用していない。だから音楽的に幅が出てきているし、曲のイメージに彩を添えているのだ。

 1曲目の"Una Delcezza Nuova"は出だしの重厚なオルガンが攻撃的で威圧感がある。これは確かにキース・エマーソンばりだが、ボーカル部分の主旋律が聞こえてくると確かにイタリア的になるのである。イタリア歌謡にプログレッシヴな味付けをしたような感じだ。

 続く"Gioco Di Bimba"も、これまたイタリア歌謡なのだが、3拍子のリズムが印象的で、邦題の"子どもたちの遊戯"にピッタリのアコースティックな曲である。

 このアルバムの中で一番プログレッシヴなのが3曲目の"La Porta Chiusa"(邦題;閉ざされた扉)であろう。7分30秒とアルバム中一番長い曲で、インストゥルメンタルの部分が迫力がある。使用されているキーボードの種類も多いし、ドンドコ、ドンドコと激しいリズムを刻むドラムスが暴れまわっている。この辺だけ取り上げれば、確かにE,L&Pっぽい気はする。曲の構成も見事だし、静から動へ移る部分は思わずゾクッとするのであった。

 アルバム後半は歌ものが続く。またメロトロン、アコースティック・ギターも多用されていて、ファンにはたまらないところである。"Breve Immagine"(邦題;簡潔な思想)や続く"Figure Di Cartone"(邦題;未完成絵画)、"Aspettando L'alba"(邦題;夜明前)はメロディがいいから、非常に聞きやすい。キーボードも主張すべきところは主張しているので、単なるイタリア歌謡曲に陥っていない。

 最後の"Alienazione"(邦題;精神錯乱)はタイトル通りのおどろおどろしい雰囲気のキーボード、多用されるシンバルの乱打から始まり、聞き手を否応なく不安な精神状態に陥れてしまう。クリムゾンのように様々な楽器が混在しながら一丸となって迫ってくるのである。この曲はインストゥルメンタルで歌ものではない。ボーカルがある曲とない曲の落差が大きいのも彼らの魅力なのかもしれない。
 ちなみに「包帯の男」も「フェローナとソローナの伝説」も、ともに最後はインストゥルメンタル曲で締められている。そういうこだわりみたいなものがあったのだろうか。 

 彼らは解散はせずに、キーボーディストは代わったものの、ドラマーとベーシストはオリジナル・メンバーのまま現在まで活動を続けている。特に90年代からは原点回帰を目指したのか、70年代以上にプログレッシヴでシンフォニックな名作群を発表しているようだ。できれば何とか手に入れて聞いてみようと思っているのだが、いつになるのかわからない。貧乏暇無しとは、よく言ったものである。

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