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2011年5月

2011年5月28日 (土)

マグナ・カルタ

 むかしエルトン・ジョンが好きで、彼の曲をよく聞いていた。そのときのバックの演奏はエルトン・ジョン・バンドと呼ばれていたのだが、ギターはデイヴィ・ジョンストンという人が弾いていた。
 それで彼のことが気になって調べていったら、もとマグナ・カルタというグループに在籍していたということがわかった。

 マグナ・カルタという英国人にとってみれば誰でも知っている(と思う)名称を用いたことは、彼らの自信の表れなのかもしれない。結成されたのは1969年。オリジナル・メンバーはクリス・シンプソン、ライエル・トランター、グレン・ステュワートの3人で、デイヴィ・ジョンストンはゲスト扱いだった。

 この中のグレン・ステュワートは元俳優という経歴の持ち主なのだが、5オクターブの声域をもっていて、グループのボーカル・アレンジメントを担当していた。またアルバムの中で詩の朗読も行っている。

 そのグレンの特長がよく発揮されているのが、彼らの2枚目のアルバム「四季」である。このアルバムは1971年に発表されていて、彼らの代表作の1枚になっている。

Seasons Music Seasons

アーティスト:Magna Carta
販売元:Repertoire
発売日:2006/10/31
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 オリジナルのレコードではサイドAを全面使って春夏秋冬、それぞれの季節について書かれている。

 面白いのは春夏秋冬という順番ではなくて、冬春夏秋と並んでいる点である。英国人にとっては冬が一番印象深いのか、あるいは一番つらい時期を先に表して、後は心ゆくまで他の楽しい季節について歌っていこうとしたのだろうか。

 またこのアルバムにはキーボード担当(主にオルガン)にリック・ウェイクマンが参加している。彼が後にアルバム「地底探検」などでナレーション担当を用いているが、そのアイデアはここでのグレンの詩の朗読をきっかけにしたのかもしれない。

 ここでの彼らは、あくまでもブリティッシュ・トラッド/フォーク・ロック・バンドという立場から、アコースティック・サウンドを中心としたボーカル・ハーモニーが基本になっている。ただ"Spring Song"はスティール・ギターが使用されて、何となくアメリカのカントリー&ウェスタンの楽曲のようだ。

 また"Summer Song"ではストリングスも添えられていて、美しいソフト・ロックのようであり、後半になるとまるで夏の喧騒を表すかのようにビーチ・ボーイズみたいな展開になっている。
 以前、英国人に一番訪問するにいい時期はいつかと聞いたら、6月から7月だと答えてくれたが、このアルバムでもそういう英国人の気持ちみたいなものが表現されているのだろう。

 曲はすべてクリス・シンプソンが作っていて、ギターも演奏している。ライエルの方はナイロン弦のギターを使用して、エレクトリック・ギターやシタールはデイヴィ・ジョンストンが演奏している。

 アルバムの後半はリックのピアノが軽快に鳴り響く"Goin' My Way"やサイモン&ガーファンクルのような"Elizabethan"、シタールが印象的なサイケデリック・ポップの"Give Me No Goodbye"など意外と聞きやすい楽曲が並んでいる。当時のレコードでは組曲風のサイドAとは好対照だったことだろう。

 このアルバムの発表後、メンバーのうちのライエルが母国オーストラリアに帰ってしまい、代わりにデイヴィ・ジョンストンが正式メンバーとして加入した。そして1971年に発表されたアルバムが「ソングス・フロム・ウエィスティーズ・オーチャード」だった。
 ここでのデイヴィはまさに八面六臂の活躍で、ギターにマンドリン、シタールにハープシコードそしてボーカルと大健闘している。

Songs From Wasties Orchard Music Songs From Wasties Orchard

アーティスト:Magna Carta
販売元:Repertoire
発売日:2009/07/21
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 楽曲もボーカル・ハーモニーにシタールが絡む"The Bridge at Knaresborough Town"から始まり、フォーク・ロック・タッチの"White Snow Dove"、"Parliament Hill"と続いていく。
 "Country Jam"という曲のクレジットは、デイヴィ、グレン、クリス3人の共作で、ハーモニカがメインになっていて、アメリカのカントリー&ウェスタンそのままの味付けである。こういうところはとてもブリティッシュのグループとは思えないのである。

 デイヴィのオリジナル曲は2曲あって、"Down Along Up"はこれまたアメリカ南部のフォーク・ソングといった感じの曲。彼自身が演奏するアコースティック・ギターが華麗である。
 もう1曲の"Sponge"は逆にイギリス伝統の香りが漂うようなトラッド曲になっている。昔の人はこういう音楽で踊っていたんだろうなあと想像させてくれるインストゥルメンタルで、まさにデイヴィの独壇場といった感がある。

 このアルバムは前作よりもロック寄りになっていて、取りも直さずそれはメンバー交代の成果だと考えている。また前作以上にブリティッシュ&アメリカン・ミュージックの強い影響を感じさせる内容に仕上がっている。ある意味、マグナ・カルタの音楽的深化といえるかもしれない。

 その後のマグナ・カルタは、マーガレット王女の前で御前演奏を行ったり、ライヴ・アルバムを発表したり、その活動のフィールドを広げていった。
 一方、デイヴィはバーニー・トゥーピンのソロ・アルバム制作に携わったことを契機に、エルトン・ジョンと親交を持ち、彼のバック・バンドに参加して、キャリア・アップを図っていくことになる。

 イギリスのトラッド/フォーク・ロック・バンドに共通していることは、活動歴が長いということであり、現役で今もなおライヴ演奏を行っているということだ。デイヴィもマグナ・カルタもその例にもれず、今もなお活躍している。やはり名前の通り国家を象徴するグループなのかもしれない。

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2011年5月24日 (火)

ロイ・ハーパー

 さてそろそろブリティッシュ・トラッド/フォーク・ミュージックも種が尽きてきたようだ。今まではある意味、正統派トラッド・フォーク・ロックを扱ってきたのだが、時代が下がるにしたがって、様々な音楽ジャンルと融合するようになってきた。

 これはまた音楽の宿命みたいなものだろう。アメリカではカントリー・ミュージックが黒人音楽と融合してロックン・ロールが生まれたが、イギリスでも規模は異なるものの、似たような状況は日常的だったに違いない。

 それでトラッド/フォーク・ミュージックにジャズのスパイスを振りかけたのがペンタングルであり、ロック的なテイストを持ち込んだのがフェアポート・コンヴェンションだと勝手に解釈しているのだが、あながち間違いでもないだろう。

 今回紹介するのは、ロイ・ハーパーというミュージシャンなのだが、この人はフォーク・ミュージシャンもしくはシンガー・ソングライターとして出発して、のちにフォーク畑よりもロック・フィールドで有名になった人である。

 たとえばレッド・ゼッペリンの1970年のアルバム「Ⅲ」では"Hats Off to Roy Harper"というよくわからない曲があるし、ピンク・フロイドのアルバム「炎」では"Have a Cigar"でボーカルをとっている。これはロジャー・ウォータースが自分で作曲したのにキーが高くて歌えなかったところ、隣のスタジオでたまたまアルバムを制作していたロイに頼んで歌ってもらったということらしい。

 そのときロイが録音していたアルバムが「HQ」だった。このアルバムは全英31位を記録するほどヒットした。

Hq Music Hq

アーティスト:Roy Harper
販売元:Science Friction
発売日:2001/04/10
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 ひとつにはバックの面々が超有名ミュージシャンぞろいだった事も挙げられるだろう。ベースのデイヴ・コクランは別として、ギターはクリス・スペディング、ドラムはビル・ブラッフォードが担当していて、このアルバムの収録後、バンド名を“ザ・トリガー”としてツアーに出かけている。

 またアルバムにはフロイドのデヴィッド・ギルモアやゼッペリンのジョン・ポール・ジョーンズも参加していて、豪華なメンツが勢揃いしている。ちなみにジミー・ペイジは73年発表のアルバム「ライフマスク」にゲスト参加している。これらの協力はロイがそれだけ愛されている証拠でもあろう。

 このアルバムの1曲目"The Game"は5つのパートに分かれていて13分以上もあるのだが、まさにロック的な部分のロイが表れている。デヴィッド・ギルモアは幻想的なギターを弾きまくっているし、ブラッフォードとジョン・ポール・ジョーンズは正確にリズムをキープしている。

 ロイの書く歌詞は難解で、日本語の訳詞を読んでもよくわからない。ある意味彼は詩人なのだろう。そういう意味でも彼はミュージシャンから慕われているのかもしれない。

 2曲目の"The Spirit Lives"と次の"Grown Ups are Just Silly Children"は、ロイ流のロックン・ロールになっている。クリス・スペディングが大好きな曲調だ。このリード・ギターはたぶんクリスだろう。
 4曲目の"Referendum(Legend)"ではやや落ち着きを取り戻すのだが、うしろの演奏は相変わらずロック・バンドなのである。

 彼の本来の姿は"Hallucinating Light"や"When an Old Cricketer Leaves the Crease"で聞くことができる。アコーッスティックで香ばしさが漂うような名曲だが、両方ともスローな曲で、心に染み渡るようだ。

 後者はロイ自身が愛してやまないイギリスの国民的スポーツ、クリケットについて歌ったものである。彼の父親がクリケットの選手だったといわれているのだが、この曲はBBC放送のクリケット番組では必ずかかるほどのテーマソング的な扱われ方をされているらしい。

 こういうアコースティックな曲にロイ自身の本来の姿があったのだろう。彼は1941年生まれ。13歳のときに兄とスキッフルのバンドを結成して演奏していたそうだが、英国空軍に入隊してもバンド活動に明け暮れ、結局、素行不良ということで精神病棟に送られ、除隊した。

 一時、窃盗罪で逮捕されるなど犯罪に手を染めたときもあったが、1964年までヨーロッパ中を放浪し、街頭で表現活動を行っていたようである。

 レコード・デビューは1967年で、そのときからアコースティック・ギターで難解な歌詞を伴った歌を歌っていた。さらに独特なオープン・チューニングを使用するなど、音楽的にも進化していった。そういう彼独自の音楽観が多くのミュージシャンの共感を生んだに違いない。彼のコンサートにはジミー・ペイジやピンク・フロイドのメンバーが駆けつけるということで話題になったりもした。

 その後も彼は話題性のあるアルバムを発表していったのだが、ケイト・ブッシュやデヴィッド・ギルモアが参加した「ジ・アンノウン・ソールジャー」も有名になった。もちろん現在でも活躍するミュージシャンでもある。

Unknown Soldier Music Unknown Soldier

アーティスト:Roy Harper
販売元:Science Friction
発売日:2001/06/12
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 彼は純粋なというか保守的なトラッド/フォーク・ミュージックに携わっているわけではないが、その精神性はまさに現代の吟遊詩人と呼べる語り部なのである。そしてその音楽の魅力でプロ、アマ問わず多くの人を虜にしているのもまた事実なのだ。

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2011年5月20日 (金)

アン・ブリッグス

 ブリティッシュ・フォークは、アメリカの音楽の影響とイギリス国内の民謡とが微妙にブレンドされて発展してきたらしい。
 話は遡るのだが、1950年代のイギリスには“スキッフル”ブームが起きた。“スキッフル”とはジャズから派生した音楽で、身近なもの(洗濯板や茶道具など)を使ってのダンス・ミュージックのことで、あのジョン・レノンなども若い頃に親しんだ音楽だった。

 この“スキッフル”ブームがあっという間に去った後に、ロックン・ロールやブルーズなどの音楽が流行するのだが、それと同時にフォーク・ブームも起きたのである。

 これにはアメリカからの影響があったのだが、幸いにもイギリスには豊かな音楽が存在していた。それが昔からの民謡であり、トラディショナルな音楽だったのである。

 そういう古い伝統を大切にする気質というか国民性も伴って、民謡の口承などが行われ、それをまとめていこうという運動や、第2次世界大戦後には左翼運動の一環として、労働歌や民衆歌なども歌われるようになり、それらを背景にフォーク/トラッド・ミュージックが興隆したのである。

 1960年代の半ばを過ぎると、個人の活動とともにバンド形式で活動するということも頻繁に行われるようになり、さらにはエレクトリックな音楽として、またジャズやブルーズと融合した音楽として広がっていったのである。

 ただし、ファンの拡大につながったかというと、そうとはいえないようだ。このジャンルの音楽が好きな人はどうしてもその特定内に限定されるようで、よほどシングル・ヒットがない限りは、あるいは人気のあるミュージシャンが出ない限りは、国全体にひろがるムーヴメントにはならなかった。たとえていうなら、今ではスキッフル・ミュージックなど誰も振り向かないように。

 それで今回はブリティッシュ・トラッド界のプリンセスと呼ばれていたアン・ブリッグスの登場である。
 彼女の場合は、どうしてもその美貌が話の先に出てしまって、彼女の音楽性を正当に評価されるということが後からになってしまった。それが彼女の不幸といえるだろう。自分などもCD化されたジャケットしか見ていないので、いつかはLPサイズのジャケットを見てみたいと切望しているのである。

森の妖精(紙ジャケット仕様) Music 森の妖精(紙ジャケット仕様)

アーティスト:アン・ブリッグス
販売元:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
発売日:2007/08/22
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 しかも彼女は1971年に2枚アルバムを発表した後、表舞台から突如姿を消してしまった。一体、彼女に何が起きたのだろうか。さらに1996年になって1973年に録音されていたサード・アルバムが発表されたのだが、それでも彼女はなかなか姿を現そうとはしなかったのである。

 彼女は1944年にノッティンガム州に生まれた。子どもの頃から人前で歌を歌うのが大好きで、その頃にいろんな種類の民謡を覚えては歌っていたらしい。
 18歳のときに、左翼系のトラッド復興運動主催のオーディションを受け、見事に合格。ここからシンガーとして大きく飛び立つことになった。

 そしてバート・ヤンシュとの共同制作やアルバム参加などを経て、1971年にソロ・アルバムを発表したのである。

アン・ブリッグス Music アン・ブリッグス

アーティスト:アン・ブリッグス
販売元:Pヴァイン・レコード
発売日:2008/09/19
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 最初のアルバムでは全10曲中、オリジナルは2曲で、残りはトラッド・ソングだったが、2枚目の「森の妖精」では逆に、13曲中7曲がオリジナル、バート・ヤンシュとの共作が1曲になっていて、ソングライターとして彼女が成長しているのがわかる。

 最初の曲"Sandman's Song"からバリバリのフォーク・ソングで、ギター1本の弾き語りになっている。次の曲の"Highlodge Hare"はインストゥルメンタルなのだが、このギターもアンが演奏しているのだろう。彼女はバートに古い民謡を教え、バートはアンにギター奏法、特に変則チューニングなどを教えたという。その成果が表れているのだろう。

 まさにこのアルバムは典型的なフォーク・ソング集という感じで、アンの歌声と彼女の弾くギターだけで構成されていて、清々しさというか、清冽さが音として表現されているのである。
 "Step Right Up"はヘンリー・マッカロウの曲で、ヘンリー・マッカロウといえば、グリース・バンドやポール・マッカートニー&ウィングスで活躍したギタリストであるが、アンはまるで自分の曲のように伸び伸びと歌っている。

 アルバムタイトルと同名曲の"The Time Has Come"はバート・ヤンシュや彼が所属したペンタングルでも演奏されているが、オリジナルをアンが作っていたとは知らなかった。まるで原石のようで、素朴な味わいがする曲である。確かにカバーされるだけはあると思う。

 このアルバムにはインストゥルメンタルの曲が2曲あって、もうひとつは"Clea Caught a Rabbit"である。こうしてみるとアンはギター演奏に関しても非凡な能力を持っていたようだ。さすがバートの教え子だけある。
 そのバートともに作った"Wishing Well"は物悲しい歌。おそらく民謡を焼き直したか、それをもとにしたのではないだろうか。1分46秒と非常に短いのも特徴である。

 レッド・ゼッペリンの1stアルバムには、"Black Mountain Side"というインストゥルメンタル曲があるが、この曲の元歌は"Blackwater Side"といって民謡なのだが、これはアンがバートに教えて録音していたものを、ジミー・ペイジがカヴァーしたものであった。こういうマイナーなところにもアン・ブリッグスの影響が表れているのだが、彼女自身も1stアルバムでは歌詞付で歌っている。

 彼女自身は自分の声を気に入っておらず、またアルバム・セールス的にも不作でもあった。3枚目のアルバムのレコーディング中は、2番目の子どもを妊娠していて、そういう様々な原因が重なって、隠遁状態になったのであろう。
 1990年代になって、テレビのドキュメンタリー番組でバート・ヤンシュとデュエットしたり、メモリアル・コンサートで歌ったりと、人前に姿を現すようになったが、それでもオリジナル・アルバムを発表しようとは思っていないらしい。たぶんもう二度と彼女のスタジオ盤は発表されないだろう。

 今となって考えれば、「森の妖精」とはよくつけたタイトルである。21世紀になっても、アンは妖精のままなのである。

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2011年5月16日 (月)

スティーライ・スパン

 イギリスの3大トラッド/フォーク・ロック・バンドといえば、フェアポート・コンヴェンション、ペンタングルとスティーライ・スパンを指すという。

 結成時期をみてみると、フェアポート・コンヴェンションとペンタングルがほぼ同時期にあたり、やや遅れてスティーライ・スパン(以下SSと略す)が結成された。それもそのはずSSは元フェアポート・コンヴェンションのベーシストであったアシュリー・ハッチングスが中心となって結成されたからである。

 また音楽的にはペンタングルは最初はアコースティック中心でジャズのエッセンスも含まれていたが、やがてはエレクトリック中心になっていった。フェアポート・コンヴェンションの方は最初からエレクトリック中心のトラッド/フォーク・ロックで、SSはドラムレスのトラッド/フォーク・ロック・バンドだった。ただしこちらも70年代の途中からドラマーが正式に加入して、普通のロック・バンドの形態にかわっていった。

 また3大バンドとも女性シンガーがフィーチャーされていて、いずれも甲乙つけられないほどの見事な歌唱力を誇っていた。ただ個人的には、フェアポートのサンディ・デニーがやや表現力などが抜きんでいたような気がする。

 SSの女性シンガーはマディ・プライアといって、1969年に結成されたときはギター、ヴァイオリン担当のティム・ハートと夫婦だった。
 このバンドは他の2つに比べてメンバー・チェンジが多く、それを書き記すだけで終わってしまうほどである。まあメンバー・チェンジが多いということは、それだけメンバー間の交流などが活性化されて、常に新鮮な気持ちで音楽に携わることができるということだろう。

 また彼らの場合は、基本的にイギリス、アイルランドなどの民謡を歌い、演奏するのだから、その基盤となる音楽性は変わっていない。だから多少メンバーが代わっても、彼らの音楽性が大きく変質するということは無かった。

 ただ自分は初期のペンタングルと中期のフェアポート・コンヴェンション、リチャード&リンダ・トンプソンの追っかけだけで一杯一杯になってしまい、SSの音楽性を追求するまではできなかった。

 それで手っ取り早く彼らの全体像をつかもうと思い、2枚組ベスト盤を購入した。でもやはりベスト盤だけでは、盲人が象をなでて象は何と長い生き物だろうと思うようなもので、はっきりとした特徴をつかむのは難しかった。Photo
 1971年に発表された彼らのセカンド・アルバム「プリーズ・トゥ・シー・ザ・キング」と次のアルバム「テン・マン・モップ・オア・ミスター・リザボア・バトラー・ライズ・アゲイン」にはギター&ボーカルにマーティン・カーシーが参加しているが、彼こそブリティッシュ・トラッド/フォーク界の至宝といわれているミュージシャンである。

 彼は1940年生まれなので、ジョン・レノンと同じ年である。1959年から活動をはじめ、最初のソロ・アルバム「マーティン・カーシー」は1965年に発表されている。

マーティン・カーシー Music マーティン・カーシー

アーティスト:マーティン・カーシー
販売元:ライス・レコード
発売日:2006/11/19
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 このアルバムにはポール・サイモンによって世界的に有名になった"Scaborough Fair"の原曲が収められているが、彼の活動によって、イギリスの古い民謡が現代でも通用することが証明されたのである。
 また彼の活動が無ければ、その後のイギリスのトラッド/フォーク・シーンも存在しなかったか、存在してもその規模は小さくなっていただろうといわれている。

 そういう偉人のような人がバンドに加わっていたのだから、他のメンバーもさぞかし心強かったに違いない。ただ、彼と中心メンバーだったアシュレー・ハッチングスは3枚目のアルバム後に脱退してしまった。アシュレーはもっと自分の意思を反映させることができるようなバンドの結成を目指し、マーティンは自分のやるべきことを済まして、さらなるキャリアの追求を目指したのである。(彼は70年代後半に一時復帰しアルバム制作に協力している)

 一部の評論家に言わせれば、SSの音楽的な創造性のピークはファースト・アルバムからサードまでで、アシュレーとマーティン脱退以降のSSはトラッドを演奏する単なるポップ・バンドになってしまったと評されている。

 確かに1974年に発表された「ナウ・ウィ・アー・シックス」にはデヴィッド・ボウイがサックスで参加しているし、アルバム・プロデュースは何とジェスロ・タルのイアン・アンダーソンだった。このアルバムからドラマーが正式にバンドに参加している。

Now We Are Six Music Now We Are Six

アーティスト:Steeleye Span
販売元:Shanachie
発売日:1991/07/01
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 そして翌年に発表された「オール・アラウンド・マイ・ハット」は全英7位にまで上昇し、シングル・カットされた同名曲は全英5位を記録した。それだけ商業的にも成功したということだろう。
All Around My Hat Music All Around My Hat

アーティスト:Steeleye Span
販売元:EMI Gold Imports
発売日:1996/03/18
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 その後のSSはポップ路線を選択することになるのだが、1978年に一度解散し、2年後に復活してメンバー・チェンジを繰り返しながら、今に至っている。
 最近のSSはトラッド曲よりもオリジナル曲が多くなっているようであるが、女性シンガーのマディ・プライアは今もなお歌い続けている。彼女の歌声がある限りはスティーライ・スパンは健在であろう。

 ちなみに3大バンドとも今も活動を続けている。それもまた3大バンドといわれる所以かもしれない。それにしてもトラッド/フォーク・ミュージックには女性シンガーが必要不可欠なのはどういう訳なのだろうか。

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2011年5月12日 (木)

フォザリンゲイ

 サンディ・デニーのことについて調べていたら、彼女が1969年の終わりにフェアポート・コンヴェンションを脱退したあと、自分自身のリーダー・バンドを結成したということがわかった。

 少し付け足すと、彼女自身と彼女の恋人でのちに夫となったトレヴァー・ルーカスが中心となって結成したバンドである。それはイングランドの古城の名前からフォザリンゲイと名づけられ、1970年には唯一のオリジナル・アルバム「フォザリンゲイ」を発表した。

 実はこのバンドは1970年の3月から翌年の1月くらいまでしかもたなかった。公式には、プロダクションの方からサンディにソロ活動の話が出て、彼女がそれを了解したといわれているが、実際はどうだったのだろう。ひょっとしたら彼女とその恋人以外のメンバーにとっては、少々やりにくかったのではないかと穿った見方をしている。

 サンディがフェアポート・コンヴェンションを脱退した理由は、音楽的な見解の相違とともに、恋人ともう少し一緒の時間がほしかったからというものだったし、それが正しければ、せっかく同じバンドにいるのに、ソロ活動を始めるとまた生活のすれ違いが始まるのではないだろうか。だからバンド活動が途中でうまく行かなくなったのだろう。セカンド・アルバム用の曲まで用意されていながら、お蔵入りになったのはそういうことだったと勝手に解釈している。
 ちなみにそれらの曲は、のちに彼女のボックス・セットに収録され、発表された。

 それでこのアルバム「フォザリンゲイ」であるが、ブリティッシュ・トラッド/フォーク・ミュージックというよりは、もう少しロック的であり、ヴァラエティ豊かな彼らの音楽観が反映されている。

フォザリンゲイ+7 Music フォザリンゲイ+7

アーティスト:フォザリンゲイ
販売元:USMジャパン
発売日:2010/12/22
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 当然のことながら彼女の歌声は目立っているのだが、同時にリード・ギタリストのジェリー・ドナヒューの演奏するエレクトリック・ギターも目立っていて、後に彼がリチャード・トンプソン脱退後のフェアポート・コンヴェンションに加入したのも納得できるほどの熱演だと思った。

 彼のギターは1曲目の"Nothing More"から目立っている。例えていうならマーク・ノップラーの音に近いものがある。マイナーな曲調と憂いのあるサンディの歌声を強調するかのように彼のギターも鳴いている。
 続く"The Sea"もしっとりしたバラッド・タイプの曲で、こういう曲を聞くと、本当にサンディは素晴らしい女性ボーカリストだとわかる。繊細さと力強さが同居した不思議な曲である。

 3曲目は恋人のトレヴァーが歌っている曲で、作詞作曲も彼自身である。バック・ボーカルはサンディと後にリチャード・トンプソン夫人になったリンダ・ピータース。"The Ballad of Ned Kelly"というタイトルらしい曲でもある。

 "Winter Winds"はアコースティックな曲で、いかにも冬の厳しさが表現されているような感じだし、"Peace in the End"はサンディとトレヴァーの共作曲。2人のデュエットも堪能できるという計らいもある。
 アルバム前半は比較的おとなしい曲調で、サンディの歌声を最大限に生かそうとするプロダクション側の意図が見て取れる。

 ところが後半の1曲目の"The Way I Feel"はカナダのシンガー・ソングライターのゴードン・ライトフットのカバーで、リズム陣やエレクトリック・ギターも目立つハードなものになっている。
 ここでのジェリーのリード・ギターは素晴らしく、曲に緊張感を与えていて、最後まで一気に聞かせてくれる。リード・ボーカルはトレヴァーがとっている。

 続く"The Pond and the Stream"はサンディの作品。これもアコースティックな作品で、トレヴァーとジェリーのアコースティック・ギターが美しく響いている。
 また"Too Much of Nothing"はボブ・ディランの曲で、サンディは本当にボブ・ディランが好きなのだと思う。彼女自身のソロ・アルバムでも必ずといっていいほど、ディランの曲を取り上げている。ここではトレヴァーが歌っているが、おそらくサンディが歌えと勧めたのであろう。ちなみにこの曲は1967年にピーター、ポール&マリーによってヒットしたが、オリジナルは1975年のディランのアルバム「地下室」に収められている。

 オリジナル・アルバムでは最後の曲である"Banks of The Nile"はトラディショナル・ソングをアレンジしたもので、エジプトを植民地にしていた当時のイギリスの兵士のことを歌っている。最後になってトラッド・ソングが出てくるところがこのアルバムの特長なのだろう。

 ほとんどの曲はサンディが手がけていて、彼女の創作力の高さが示されているアルバムでもある。また曲自体のクォリティも高い。フェアポート・コンヴェンションの曲と比べても決して劣っていない。彼女は優秀なシンガー・ソングライターだったと思う。もう少し長く生きていれば、もっと素晴らしい曲を残せたに違いない。残念なことである。

 最新のSHM-CDではボーナス・トラックが追加されていて、その中には4曲ほど1970年のオランダ、ロッテルダムでのフェスでのライヴ音源を聞くことができる。
 40年以上も前の音源を今になって聞けるというのもうれしいことだし、ここでのサンディやバックの演奏は実に見事というか、たった1枚のアルバムを残して解散したとは信じられないほど完成している。

 結局、1971年に解散した彼らは、それぞれ各自の道を歩みだした。ドラマーのジェリー・コンウェイは一時ジェスロ・タルにも在籍していたし、ギタリストのジェリー・ドナヒューは、今もなお活動を続けている。

 ただ悲しいことは、中心メンバーだったサンディとトレヴァーがこの世にいないことである。サンディは1978年に、トレヴァーは1989年に心不全で亡くなった。それぞれ31歳と46歳だった。
 たった1枚しかアルバムを残さなかった彼らだが、その名前は永遠にトラッド史上に残るに違いない。

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2011年5月 8日 (日)

サンディ・デニー

 今回もフェアポート・コンヴェンション関連の内容で、フェアポートの、いやイギリス・トラッド/フォーク界の歌姫と呼ばれたサンディ・デニーについてである。

 自分は一時ペンタングルやフェアポート・コンヴェンションの音楽を聞いていたときがあって、そのときサンディのソロ・アルバムも買ってみようと思って、手に入れたのが1973年に発表された彼女の3枚目のソロ・アルバム「ライク・アン・オールド・ファッションド・ワルツ」だった。

Like an Old Fashioned Waltz Music Like an Old Fashioned Waltz

アーティスト:Sandy Denny
販売元:Ume Imports
発売日:2005/06/07
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 タイトルからして、ひょっとしたらスリー・ドッグ・ナイトの歌とカブッているのかとおもったが、全くそんなことはなかった。
 彼女が他の女性シンガーと違う点は、自分で曲を作り、歌って、演奏もできるという点だろう。いわゆるシンガー・ソングライターなのだが、そういうことをサッラとやるところもまた彼女の強みといえるかもしれない。

 アルバム・タイトル曲の"Like an Old Fashioned Waltz"もまた彼女のオリジナル曲で、彼女の優しい歌声がワルツの調べとともに流れてきて、思わずうっとりとしてしまう、そんな曲である。途中から入ってくるストリングスもまた、曲に彩を添えている。

 以前にも書いたが、サンディ・デニーという名前を初めて知ったのは、レッド・ゼッペリンの4枚目のアルバムの中の"限りなき戦い"を聞いたときだった。
 このアルバムのサイドAは彼らの代表曲が完璧ともいえる布陣で並んでいるのだが、そのうちの3曲目がこの"限りなき戦い"だった。

Led Zeppelin 4: Zoso Music Led Zeppelin 4: Zoso

アーティスト:Led Zeppelin
販売元:Atlantic / Wea
発売日:1994/07/18
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 "Black Dog"、"Rock'n'roll"ときて、"限りなき戦い"が始まるのだが、前の2曲とまったく曲調が違うこの曲が始まったときは、少々ビックリしてしまった。
 何しろ女性ボーカルなのである。しかもそれがロバート・プラントと対等に、いやそれ以上に激しく熱唱しているのだ。バックのアコースティックな伴奏も彼らの歌声をさらにかき立てるように、激しく盛り上げていて、アコースティックなのに、非常に緊張感のあるテンションの高い楽曲になっていた。

 あとでこの曲を歌っている女性がサンディ・デニーという人で、彼女が亡くなったことを知って、もっとびっくりしてしまった。本当に惜しい人を亡くしたものである。

 彼女は1947年にロンドンで生まれた。中学校を卒業後、キングストン美術学校に進学するのだが、この学校にはジミー・ペイジやピート・タウンゼンド、ジョン・レンボーンも在籍していた。彼女がゼッペリンやザ・フーのアルバムに参加しているのも、その同窓のよしみというものかもしれない。

 彼女は1969年にフェアポートを脱退し、70年にはフォザリンゲイを結成し、アルバムを発表するのだが、1枚で解散した。

 そしてソロ活動を始めた。1973年のこのアルバムにはフォザリンゲイやフェアポート・コンヴェンションのメンバーが参加している。特にフォザリンゲイのメンバーだったトレヴァー・ルーカスは、ジョン・ウッドとともにこのアルバムをプロデュースしている。サンディはのちにトレヴァーと結婚している。

 この「ライク・アン・オールド・ファッションド・ワルツ」は、トラッド/フォーク・ミュージックというよりは、サンディ自身の創作力が溢れ出ているアルバムと考えた方がいいと思う。
 全9曲のうち、カヴァーが2曲で、残りは彼女のオリジナルである。カヴァーの"Whispering Grass"と"Until the Real Thing Comes Along"は1930年代、40年代にヒットした曲で、古いジャズを聴いているような感じにさせられる。

 タイトル曲や"Solo"、"No End"という曲も、昼下がりに聞いていると、思わずまどろんでしまうような、そんなタイプの曲なのである。それはきっと彼女の歌の上手さから来ているのだろう。

 自分は最初は彼女のこのアルバムのよさがわからなかった。ロック的なダイナミズムには欠けているし、ストリングスがオーヴァー・プロデュースのような気がしたからだった。
 しかし今では非常に気に入っている。今になって彼女の歌唱力や表現方法を理解できるようになったということだろうか。

 そしてもっとずっと後になって、1972年に発表されたセカンド・アルバム「サンディ」を購入して聞いてみた。このアルバムまた彼女を代表作といえる1枚だと思った。

Sandy Music Sandy

アーティスト:Sandy Denny
販売元:Ume Imports
発売日:2005/06/07
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 「ライク・アン・オールド・ファッションド・ワルツ」は1950年代のスタンダード曲集のようだったが、このアルバムはもう少しロックしていて、特にリチャード・シンプソンのギターが光っている。特にアルバム冒頭の"It'll Take a Long Time"ではペダル・スティール・ギターと、3曲目の"For Nobody to Hear"では、彼女のボーカルがブラスと美しく絡んでいる。
 また"Sweet Rosemary"ではフェアポート・コンヴェンションのデイヴ・スウォーブリックのフィドルが哀しく鳴り響いて、まさにブリティッシュ・トラッドという感じの曲になっている。

 アメリカン・フォークの影響も受けているようで、数曲におけるペダル・スティール・ギターがアメリカン・カントリー・ミュージックっぽい雰囲気を出しているし、ボブ・ディランの"Tomorrow is a Long Time"を上手にカヴァーしているのも興味深い。個人的にはアルバム後半の"Listen, Listen"、"Bushes and Briars"、"It Suits Me Well"、"The Music Weaver"などがよかったと思う。バックの演奏と堂々と渡り合うサンディの歌声は実に潔くかつ力強いのである。

 ともかくブリティッシュ・トラッドやフォーク・ミュージックでは避けて通ることのできない彼女である。たった2枚のアルバムで彼女のことを理解したとはいえないのだが、少なくとも彼女が不出世の女性シンガーだったということは理解できたと思っている。

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2011年5月 4日 (水)

リチャード・トンプソン

 前回からのつながりで、フェアポート・コンヴェンションのギタリスト、リチャード・トンプソンについて書くことにした。

 彼は1949年生まれで、子どもの頃から音楽に慣れ親しんでいた。父親はスコットランド・ヤードの警察官だったが、セミ・プロ級のギタリストでもあったらしい。そのせいか家族も何らかの楽器を扱うことができたようである。
 高校時代にバンドを結成して活動を始めたが、この辺の様子は日本も英国もあまり変わらないようだ。ちなみに彼の高校時代のクラスメイトにはストラングラーズのギタリストだったヒュー・コーンウェルもいたという。

 18歳のときにフェアポート・コンヴェンションの結成にかかわり、以後1971年まで同バンドで活躍するのだが、その後ソロ・アルバム「ヘンリー・ザ・ヒューマン・フライ」を発表した。
 そのときにゲスト女性シンガーとして歌っていたリンダ・ピータースと恋仲になり、1972年に結婚、以後リチャード&リンダ・トンプソンとして、公私共に活動するようになったのである。

 自分が彼らのアルバムを聞いたのは、90年代に再発されたアルバムを通してであった。1974年に「アイ・ウォント・トゥ・シー・ザ・ブライト・ライト」を発表したのだが、約20年後に自分はこのアルバムを耳にした。当時はあまりこの手の音楽に興味が無かったので、簡単にスルーしてしまった。

I Want to See the Bright Lights Tonight Music I Want to See the Bright Lights Tonight

アーティスト:Richard Thompson & Linda
販売元:Ume Imports
発売日:2004/09/28
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 一般的にリチャード・トンプソンは評論家や同業のミュージシャンからはウケはいいのだが、商業的には成功していないといわれている。自分もこのアルバムだけを聞いていたときは、そんなにすばらしい音楽やミュージシャンとは思わなかった。

 このアルバムはアイランド・レコードから発売されていて、同社のプロデューサーのジョー・ボイドやジョン・ウッドはこういうフォーク/トラッド系ミュージシャンやバンドを売り出そうとしていた。だから彼らが当時プッシュしていたのは、ニック・ドレイクやフェアポート・コンヴェンション、ジョン・マーティン、インクレディブル・ストリング・バンドなどであった。

 ともかくこのアルバムは、全体的にしっとりしていて"Withered and Died"や"Has He Got a Friend for Me"などは一人で深夜に聞く音楽としては最適だと思う。また、タイトル曲の"I Want to See the Bright Lights Tonight"は彼らの代表曲のひとつでもある。えもいわれぬ哀愁や寂寥感が漂ってくるのである。
 またグリフォンのリーダーだったリチャード・ハーヴェイもアルバムに参加していて、よく分からない古楽器を演奏しているし、フェアポートのメンバーのサイモン・ニコルはダルシマーを担当している。その点では確かにトラッド・ミュージックといえるだろう。

 その後しばらく彼らと縁が無かったのだが、ふと久しぶりにCDショップで彼らのアルバムを見つけたので、何となく買ってみて聞いたところ、これがすばらしかったのである。それが「シュート・アウト・ザ・ライツ」だった。

Shoot Out the Lights Music Shoot Out the Lights

アーティスト:Richard Thompson & Linda
販売元:Hannibal
発売日:1991/07/01
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 何が良かったのかというと、よりロックよりの音楽になっていて、1曲目の"Don't Renege on Our Love"では、元フェアポートのメンバー、デイヴ・ペグやデイヴ・マタックスが参加しているせいか、生き生きとしたリズムにのってリチャードも伸び伸びと歌っている。

 逆に次の曲の"Walking on a Wire"ではリンダが伸びのある声でバラードを歌い上げている。この落差というか変化がこのアルバムをよりいっそう聞きやすく、魅力的なものにしている。また途中のギター・ソロも魅力的で、エフェクトも少なく、枯れた音のソロが素晴らしいのである。

 このアルバムは1982年に発表され、リチャードとリンダにとっては最後のアルバムとなったものである。当時のリチャード夫妻はレーベル契約を失っていて、レコーディングするのも困難な状況だった。
 わずか3日間でベーシック・トラックが録音されるという予算的にも時間的にも制約があった中でのアルバム制作だったようであるが、逆に集中できたせいか、彼らにとっては珍しく商業的にも成功したものになった。特に米国ではこのアルバムのおかげで人気が出たようだ。

 ところがその米国である事件が起きた。リンダは3人目の子どもがお腹の中にいてツアーに参加できず、リチャードだけ出かけたところ、ツアー・ブッキング担当のアメリカ人女性ナンシー・コヴェイとリチャードが恋に落ちたのである。
 男性心理からいわせてもらうと、身重の妻を置いて他の女性に走るというはよほどのことだと思われる。単なる浮気や遊び心ではなく、そこまで男性を追い込むというのは夫婦間に以前から何か問題があったのではないかと思っている。

 おそらくこのアルバムの制作途中にも何かあったのではないだろうか。かなり深読みできるような内容の歌詞が見られるからである。逆にそういう緊張感がこのアルバムを優れたものにしているように思える。

 かくしてリチャードとリンダは離婚して、2人は別々の道を歩むようになったのである。ただ外国人に往々にしてみられるのは破局しても仕事は仕事として割り切れることである。

 このアルバムはニューヨーク・タイムズ誌やタイム誌ではその年のトップ10アルバムに選出され、ニューズウィーク誌では年間最優秀アルバムに選ばれるなど、アメリカではかなり売れたのである。(ローリング・ストーンズ誌は、80年代のアルバム100選で第9位に選んでいる)

 だからアルバム発表後にツアーが予定されていたのだが、キャンセルはせずに、2人はライヴを続けたという。かなり緊張感のある状態だったそうで、バンドがステージに登場する際にはリンダがリチャードを殴りつけるという光景がたびたび見られたといわれている。

 ともかくこのアルバムの出来がいいというのは間違いないことで、先述した曲のほかに旧ソ連のアフガン侵攻を歌った"Shoot Out the Lights"や、かなり意味深の"Just the Motion"、人生をオートバイの曲芸にたとえた"Wall of Death"など名曲揃いなのである。彼らのアルバムの中から1枚選ぶとすれば、間違いなくこのアルバムを選ぶだろう。

 その後、リンダはシンガーとしては引退して、曲つくりや音楽プロデューサーとして活動するようになった。一方のリチャードの方は今もなお、ソロ活動を行っている。

 1994年に発表された「ミラー・ブルー」はもはやトラッド・ミュージックではなくて、ロック寄りの音楽になっている。ソロになって表現領域が拡大されていったようであり、このアルバムはエルヴィス・コステロやシェリル・クロウ、パール・ジャムなどを担当した敏腕プロデューサーのミッチェル・フルームが担当している。

Mirror Blue Music Mirror Blue

アーティスト:Richard Thompson
販売元:EMI Europe Generic
発売日:1994/02/08
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 このアルバムもまたリチャードの渋い歌声と素晴らしいギター演奏を堪能することができる。"Easy There, Steady Now"の間奏や"King of Bohemia"のバラードなどは何度聞いても感動する。確かに彼は日本ではマイナーながらも、世界的に評価の高いミュージシャンということが分かると思う。

 2010年の6月12日に、あるフェスティバルでリチャードとリンダは約30年ぶりに一緒にステージに立って、パフォーマンスを行った。このときは穏やかに進行していったという。30年という時間はすべてを許し、水に流してくれたのだろうか。

 ともかくリチャード・シンプソンはもっと評価されていいミュージシャンである。もう60を過ぎているのだが、もっともっと印象的な歴史に残るアルバムを発表してほしいと願っている。

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