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2011年7月 7日 (木)

村八分

 久しぶりに日本のロック・バンドのアルバムを買った。「村八分」のライヴである。前々から聞いてみたいアルバムの一つだった。
 以前、彼らの6曲入りスタジオ・ミニ・アルバム「草臥れて」(“くたびれて”と読むらしい)を聞いたのだが、なかなかの好盤だったのを覚えている。

くたびれて Music くたびれて

アーティスト:村八分
販売元:GOODLOVIN'PRODUCTION
発売日:2007/07/19
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 このアルバムは1971年に録音されたものだが、発売されたのは1991年であった。約20年間、いわゆる“お蔵入り”していたのだが、やはり差別用語の入った曲があったせいで、自主規制していたのだろうか。

 それでも彼ら屈指の名バラードといわれている"くたびれて"も収められていて、この1曲を聞くだけでも充分購入する価値があると思った。1971年当時に、こういう曲が制作されていたのである。日本のロックもまんざら捨てたものではないと思ったりした。

 それで今度は17曲入りのライヴ・アルバム「村八分ライヴ+1」を購入したのである。はっきりいって名盤だった。

ライブ+1 Music ライブ+1

アーティスト:村八分
販売元:GOODLOVIN'PRODUCTION
発売日:2001/08/29
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 タイトルに“+1”がついているのは、スタジオ録音の曲が1曲付いているからである。("ゴミ箱のふた")

 このアルバムは1973年のライヴ音源であるが、発売当初は2枚組のレコードだったらしい。現時点では1枚の紙ジャケットCDとして販売されている。

 率直に言えば、本物のロックバンドによる本物のロックン・ロール・アルバムである。当時こういう音楽があったとは知らなかった。何となくそういうバンド名を聞いたような気もするのだが、それが73年当時なのか、それともそれ以降だったのかはっきりしない。もし当時こういう音楽を聞いていたら、たぶん人生も少しは変わっていただろう。そんな音楽なのである。

 何しろいきなり“うるせー”というボーカルのチャー坊の声が聞こえてくる。そしてライブというより昔の実況録音盤のようなノイズも入っていて、それがよりいっそう迫真性というか、緊張感というか、ライヴ独特の異空間を演出しているのである。

 そして音楽性はもろストーンズである。60年代後半から70年代初頭にかけてのストーンズの音楽性が反映されている。作詞作曲はボーカルのチャー坊とリード・ギターの山口富士夫が手がけているが、ストーンズのような猥雑さや粘着性、ドライヴ感を醸し出しているのはギターの山口富士夫のおかげであろう。

 彼は日本人の女性とイギリス人の黒人男性とのハーフである。いまではハーフといってもそんなに珍しくもないが、1949年生まれの彼にとって見れば、おそらくは“混血児”などと言われて育ったことは想像に難くない。当時の日本はそういう国民意識だったのである。そしてその言葉には、疎外性や差別感、場合によっては侮蔑感も込められていたに違いない。

 だから彼は、幼少のときからそういうイメージと格闘していたのだろう。幼少時は孤児院で育ったともいわれているから、世の中に対する反抗心や疎外感を抱いていたのだろう。そういう人がロックン・ロールをやるとどうなるか、その答えが彼のギターの音に、村八分のアルバムに詰め込まれているのである。

 ローリング・ストーンズの影響が強いとはいえ、恐ろしく鋭いエッジにノリノリのドライブ感と独特のタメ、曲をリードするメロディアスな間奏やブルーズの影響等々、73年の日本にこんなに弾けるギタリストがいたとは思わなかった。もっと評価されていいし、もっとメジャーになってもおかしくないギタリストである。

 それが結局アンダーグラウンドの世界にいたのは、彼の信念であり、彼の世の中や社会に対する態度であり、いわゆる彼の世界観なのだろう。あるいは意図的な怨嗟といってもいいかもしれない。

 とにかく歌詞といい、曲調といい、どの曲も妖しげで、すばらしくロックン・ロールしているのである。当時の日本のロック・シーンには、全共闘時代の名残というか、安保闘争の残滓というか、まだこういうヤバイ雰囲気が流れていたのであろう。

 そしてある意味では、パンク・ロックは、4年早く日本で発生していたといってもいいくらいだ。ヴェルベット・アンダーグラウンドよりも、セックス・ピストルズよりも、パンキッシュでワイルド、過激な歌詞であり、そういう意味でパンクの先駆けといっていいだろう。パンク・ロックの発祥地は実は日本の京都だったのだ。(ちなみに村八分は1968年に京都で結成されている)

 まさにロックは時代を映す鏡のようなものであるが、当時の日本の時代性と音楽性が素晴らしく記録されている名アルバムである。もっともっと評価されるべきバンドであり、サウンドだと思うのは、決して自分ひとりではないはずだ。日本が世界に誇れるバンドの一つなのである。

【追記】
 ボーカルのチャー坊こと柴田和志は、1994年に44歳の若さで亡くなっている。ドラッグの過剰摂取だといわれているが、真相は不明。そういわれても妙に納得できる彼らしい人生だった。まさに人生そのものがパンクであり、ロックン・ロールだった。


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コメント

> パンク・ロックの発祥地は実は日本の京都だったのだ

率直に、それは「違う」と思た。

投稿: 通り過ぎ | 2015年12月14日 (月) 04時59分

 コメントありがとうございました。京都が日本のパンクロックの発祥地であるかどうかには、特に拘泥しません。ただ、京都という伝統文化や日本の歴史を大切にする保守的な土地柄にもかかわらず、ロックンロールが脈打っているところに感動を覚えるのです。

 そういえば新月も京都で生まれましたし、岡林も同志社大学に在籍したような記憶がありますし、北山修や加藤和彦も京都の大学に通ったり、京都で生まれたと思います。京都って懐が深いと思うのです。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2015年12月14日 (月) 22時33分

村八分を知ったのは32年前です。最初に聞いたときは、
「なんじゃこりゃ。」です。
テレビ・ラジオで流れる歌は、心地よくロマンチックな歌詞と綺麗なメロディ-が当然主流であります。
 村八分は、チャー坊の歌声はガラガラ声で美声とは
ほど遠い。ギター・ドラムはワイルドで、美しいメロディ-というよりも、ギターを弾いてる人・ドラムを叩いている人の過激な感情が乗り移ったような感じです。
 他の音楽とは、感動感銘する“次元”が違うという表現でしょうか?
3次元の世界から2次元の世界へ飛んだというか?
 でも、村八分の曲で「どうしようかな?」等は、その後もいろんな方々が歌い継いでいますので感銘を受けた方々は多いのでしょう。

山口富士夫さんの激動の人生は凄いと思います。
パンクなど好きではないですが、イギリスでセックスピストルズが出て来る4年前以上に、村八分が結成されていると書かれていますが、山口富士夫さんは、イギリスの黒人と日本人の女性の混血と考えると、それはそれで
不思議な話でもないような感じが致します。

投稿: 匿名 | 2017年5月22日 (月) 19時03分

 コメントありがとうございました。村八分は今となってはそれなりに受け入れられていますが、当時の日本の社会では、まさにアンダーグラウンドの存在でした。

 本当は存在しているのだけれども、存在してはいけないそんなバンドだったように記憶しています。

 残念ながら、山口冨士夫は2013年8月14日に脳挫傷で亡くなりました。享年64歳でした。
 生前のソロ・ライヴを一度だけ見たことがありますが、「駄目なものは駄目なんだよ」と叫んでいた姿は忘れられません。

 彼はワイルドでパンキッシュでアウトローでしたが、一方では、一本気で正義感というか、彼なりの分別をわきまえていた人だと思っています。ああいうミュージシャンは、もう出てこないのではないでしょうか。

 重ね重ねコメントありがとうございました。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2017年5月22日 (月) 20時13分

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