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2011年10月

2011年10月31日 (月)

80年代のクラプトン(2)

 スティーヴ・ウィンウッド&エリック・クラプトンの来日公演を記念して、ウィンウッドとクラプトンについて書いてきたが、今回はその片割れであるクラプトンの80年代の活躍について記してみたい。

 前回のこのブログで、80年代のクラプトンのプライベート・ライフやアルバムについて少し述べた。もう一度おさらいすると、80年代のクラプトンのスタジオ作品は次の5作品であった。
①アナザー・チケット(1981)
②マネー&シガレッツ(1983)
③ビハインド・ザ・サン(1985)
④オーガスト(1986)
⑤ジャーニー・マン(1989)

 ①と②については前回のブログで述べたので、今回は③以降のアルバムについて思いつくことを書いていきたい。

 基本的に80年代のクラプトンは音楽的には下降気味だった。少なくとも70年代よりは実のある作品はできなかったと思っている。私生活では逆にアルコール依存症から立ち直って、いい意味でも悪い意味でも充実していたが、音楽面ではそうでもなかったようだ。特に②の「マネー&シガレッツ」以降はセールス的には売れても評判は、いま一歩だった。

 80年代のクラプトンのアルバムの中で一番の問題作は、③の「ビハインド・ザ・サン」だろう。何が問題といえば、プロデューサーがフィル・コリンズでサウンド的にポップ化しているからだ。

Behind the Sun Music Behind the Sun

アーティスト:Eric Clapton
販売元:Warner Bros / Wea
発売日:2000/10/02
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 フィル・コリンズといえば、あのプログレ・バンド、ジェネシスのリード・ボーカル&ドラマーのフィル・コリンズである。バンドの顔であったピーター・ガブリエル脱退後は、代わりにバンドのフロントマンとなって、実質的に引っ張ってきたあのフィル・コリンズである。

 80年代のジェネシスのサウンドがどうなっていったかは、プログレ・ファンなら誰でも知っているであろうが、バンドだけでなく、ソロ活動でもプログレッシヴ・ロックとは一線を画すサウンドを披露していたフィル・コリンズである。
 クラプトンのこのアルバムもどういう音に変わったかは、大体予想できるものであり、しかもその予想は大方当たっていたのであった。

 ポップ化といっても3分間のポップ・ソングではなくて、聞きやすくなったということだ。また、クラプトンがギター・シンセサイザーを使用した曲("Never Make You Cry")やフィル・コリンズの叩くドラム・マシーンが話題にもなった。そういう意味では時代に順応したクラプトン・サウンドが楽しめるのだが、それはそれでファンの間では賛否両論だった。
 ただアメリカでは、アルバムはチャート的にはそんなに上昇しなかったが、セールス的にはプラチナ・ディスクを獲得した。

 ところで、このアルバムの中の"Forever Man"でのクラプトンのギター・プレイは、鬼気迫るものがあり、MTVでも当時盛んにヘヴィ・ローティされたものだった。久しぶりに弾きまくるクラプトンの姿は、確かにファンには大好評だった。だからというわけではないだろうが、2008年のNYでのマディソン・スクエア・ガーデン・コンサートにはセットリストに加えられている。

 ちなみにこの曲を作詞・作曲したジェリー・リン・ウィリアムスはテキサス生まれのSSWで、このアルバムには"Forever Man"以外にも2曲彼の曲が取り上げられている。("See What Love Can Do""Something's Happening")残念ながら彼は2005年に肝臓疾患で57歳の若さで亡くなった。

 そしてこの3曲をプロデュースしているのは、フィル・コリンズではなく、テッド・テンプルマンとレニー・ワロンカーである。個人的にはフィル・コリンズではなくてよかったと思っている。

 続いて翌年発表されたのが④である。このアルバムもメイン・プロデューサーはフィル・コリンズだった。ただ前作のようなぼんやりと霞がかかったような雰囲気はなく、どのトラックも非常に力強く鳴っている。一部で手伝ったトム・ダウドの影響だろうか。

August Music August

アーティスト:Eric Clapton
販売元:Warner Bros / Wea
発売日:2001/04/13
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 ひとつは前作とは違いホーン・セクションが鳴っていることだろう。しかもマイケル&ランディのブレッカー兄弟である。特にマイケル・ブレッカーといえば、アメリカを代表するサックス・プレイヤーで、様々なミュージシャンと交流もあった。残念ながらこの人も2007年1月に白血病のために亡くなっている。57歳だった。

 さらに"It's in the Way that You Use it"ではロビー・ロバートソンと共作し、"Tearing us Apart"ではティナ・ターナーと共演している。また日本のYMOの曲"Behind the Mask"を取り上げたことでも話題になった。ちなみにアルバム・タイトルのオーガストは自分の息子コナーが生まれた月を記念して名づけられたと言われている。
 様々な意味で話題のアルバムなのだが、アメリカのチャート的には37位と前作よりも低迷して、ゴールド・ディスクに終わっている。

 そして80年代最後のアルバムになった⑤であるが、これは80年代の最後になってやっと出た起死回生、一発大逆転のアルバムになった。80年代のアルバムでどれか1枚というのならば、迷わずこれをお薦めする。

Journeyman Music Journeyman

アーティスト:Eric Clapton
販売元:Reprise / Wea
発売日:1994/06/17
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 何がいいかというと、まず楽曲がよいということ、それに音がタイトになっていることと、彼のボーカルとギター・ソロのバランスがよいということだろう。

 70年代から単なるブルーズ・ギタリストではなくて、ボーカルにも専念し始めたクラプトンだが、70年代後半から80年代前半までは、ボーカルに比重が行き過ぎて、肝心のギター・ソロが少なくなってきた。85年の「ビハインド・ザ・サン」の中での"Forever Man"のギター・ソロが話題になったが、あれくらいのソロは、70年代前半では当たり前だった。それが話題になるくらいだから、クラプトンはレイド・バックし過ぎていたのだ。

 何しろ豪華なサポート・ミュージシャン(ロバート・クレイ、ジョージ・ハリソン、ダリル・ホールにチャカ・カーン、その他諸々)に囲まれて、同じ年のフォーリナーのミック・ジョーンズとの共作曲やレイ・チャールズやジョージ・ハリソンの曲、プレスリーも歌った"Hound Dog"と選び抜かれた楽曲を思う存分歌い、演奏している。

 また"Bad Love"、"No Alibis"でのギター・ソロやもっと注目されていいほどの名バラード曲"Running on Faith"、"Lead Me On"など聞き所満載である。このアルバムでもジェリー・リン・ウィリアムスの曲を5曲も取り上げている。("Pretending"、"Anything for Your Love"、"Running on Faith"、"No Alibis"、"Breaking Point")

 このアルバムから5曲がシングル・カットされ、チャート的にもイギリスでは2位、アメリカでは16位と好調で、イギリスではプラチナ・ディスク、アメリカではダブル・プラチナ・ディスクを獲得した。それだけの結果が出るようなアルバムだったのである。

 この後90年代に入ってから、アンプラグドのアルバムやブルーズのカヴァー作品を発表しながら、クラプトンは自己の原点を探るかのようにブルーズに回帰し、自分の居場所を確認するようなアルバムを発表していった。その後の活躍は周知の通りである。

 なぜここで80年代のクラプトンを取り上げたかというと、こういうことだ。60年代のクリーム時代は言うに及ばず、70年代もクラプトンは活躍を続けた。途中コカイン中毒で治療に専念するも、音楽面でも商業性でも充分な結果を出してきた。(「461オーシャン・ブールバード」や「スロウ・ハンド」など)

 しかし80年代に入ってからのクラプトンはイマイチ活動がよくわからなかった。自分がクラプトンだけを追っていたわけではなかったし、"Layla"や"Wonderful Tonight"のようなビッグ・ヒットがあったという記憶もなかった。

 90年代以降のクラプトンは、ブルーズへの原点回帰からギターの上手なシンガーになりつつあるが、それでも世界中にその名は知られ、70年代よりもポピュラリティを獲得したと思っている。だから自分的には80年代が彼の陥没期ではないかと思っていて、少し振り返ってみようと考えたのである。

 確かに80年代は彼のキャリアから見れば、低迷期だったかもしれないが、89年の⑤の成功のおかげで、彼は自分のキャリアに区切りをつけることができた。そして原点回帰に向かったのである。
 私生活では迷いはあったかもしれないが、自分が子どもの頃に得られなかった温かい家庭を求めて、遍歴を繰り返していった。現在は3人の娘に囲まれて幸せな生活を送るクラプトンであるが、いまの彼があるのもこの80年代の混迷の時代があったからではないかと思っている。

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2011年10月27日 (木)

80年代のクラプトン(1)

 スティーヴ・ウィンウッドについていろいろと書いてきたが、相方のクラプトンについてもバランスを取る意味で何かを書こうと考えた。

 確か音楽評論家の福田一郎氏だったと思うが、クラプトンは確かに欧米では人気があるものの、真のブルーズマンとは思われてはいない、というようなことを雑誌に書いていた。

 例えば、クラプトンのコンサートにはアングロサクソン系の人がほとんどで、アフリカン・アメリカンの聴衆はほとんどいないという。これがB.B.キングなら人種を問わず見に行くそうである。つまりエリック・クラプトンはあくまでもアングロサクソン系によるブルーズであり、アフリカン・アメリカンにとってはその陰に商業主義が見え隠れするのだろう。

 エリック・クラプトンにとって80年代はどうのように映っていたのだろうか。もちろんクラプトンしかわからないことであるが、彼のキャリアから推測してみることにした。

 ごく大雑把に言うと、クラプトンの80年代は低迷から復活への道程だったといえよう。彼個人の出来事としては、アルコール中毒からの復活とチャリティ活動への積極的参加、そしてパティ・ボイドの別れと新しいガールフレンドの出会い、愛嬢、愛息の誕生などが挙げられるだろう。

 1981年にクラプトンはアムネスティ・インターナショナルの要請で、ザ・シークレット・ポリスマンズ・コンサートに参加し、そこで盟友ジェフ・ベックとの共演を果たすのだが、これをきっかけに、85年のライヴ・エイド、87年のプリンス・トラスト・コンサート、88年のネルソン・マンデラ救済コンサート等でパフォーマンスを披露している。

 これは彼自身のアルコール中毒からの回復を意味しているし、同時にアルコール治療を行う中で、彼の中に他者に対する視点が変化したのであろう。自分は世の中で一人で生きているのではなくて、他者から(あるいはキリスト教の視点による神から)生かされているのだという認識をもったに違いない。だから他人のために意欲的に活動しようという気持ちに傾いたのだろう。

 そしてまた80年代のクラプトンは、35歳から45歳という一番脂の乗った時期にもあたる。名声や財産は若くして手に入れている彼には、まだ手にしていないものがあった。それは家庭である。
 彼自身は、幼い頃は自分の祖父母を本当の父母と思い込んで育った。実父は兵士で、彼が生まれた後、カナダに帰国して戻ってこなかったし、実母も16歳で彼を生んだ後、別のカナダ人兵士と結婚して、彼を祖父母に預けたままドイツに行ってしまった。

 だからというわけではないのだが、「愛しのレイラ」で自分の思いを果たしたクラプトンは、不妊治療にもかかわらず、残念ながらパティ・ボイドとの間には子どもをなすことができず、それだけのせいではないだろうが、イヴォンヌ・ケリーという女性との間にルースという女の子を、イタリア人モデルのロリー・デル・サントとの間に、コナーという男の子を、それぞれ1985年と1986年にもうけている。

 当然のことながら、1988年にパティとは離婚するのだが、その後の女性遍歴も発表したアルバム以上に多かったようだ。ほとんどは遊びだろうが、この人は何かに溺れていないといい仕事はできないのだろう。
 あるいは1975年のアルバム・タイトル「安息の地を求めて」が示唆しているように、心身ともに落ち着くことのできる安住の地を築こうと模索していたのかもしれない。

安息の地を求めて Music 安息の地を求めて

アーティスト:エリック・クラプトン
販売元:USMジャパン
発売日:2011/11/09
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 一方音楽的には、アルバム・セールスが、低迷から上昇へと変化している。彼が80年代に発表したスタジオ・アルバムは5枚である。

 80年代最初のアルバムは1981年の「アナザー・チケット」で、彼の最後のレイド・バック作品といわれている。プロデューサーはトム・ダウド。個人的には"Wonderful Tonight"と同じ路線の"Another Ticket"が好きなのだが、全体としては単調な感が否めない。それでも全米7位まで上昇している。

Another Ticket Music Another Ticket

アーティスト:Eric Clapton
販売元:Polygram Records
発売日:2007/02/27
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 ポリドールからワーナー・ブラザーズに移籍しての最初のアルバムが83年の「マネー&シガレッツ」だった。ザ・バンドの曲をパロッたのか"The Shape You're In"や久しぶりにカッコいいと呼べる曲"Ain't Going Down"、シングル・カットされて全米18位を記録した"I've Got a Rock'n'roll Heart"など、いい曲も多いのだが、このアルバムから低迷が始まった。
Money & Cigarettes Music Money & Cigarettes

アーティスト:Eric Clapton
販売元:Warner Bros / Wea
発売日:2000/10/02
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ポップ・テイストが散りばめられた明るい印象のあるブルーズ・アルバムといえるだろうが、ある意味、中途半端な印象の残る楽曲集だったと個人的に思っている。
(To Be Continued)

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2011年10月23日 (日)

スティーヴ・ウィンウッド

 約半月にわたって、スティーヴ・ウィンウッドの遍歴を見てきた。スペンサー・ディヴィス・グループから始まって、トラフィック、ブラインド・フェイスなどを扱ってきたのだが、いよいよ最後ということで、トラフィック解散後のウィンウッドを見てみようと思う。

 とか偉そうなことをいっても、自分はソロになったウィンウッドのことはよく知らないのだ。知っているのはツトム・ヤマシタのプロジェクトに参加したことや、80年代に入って急にブレイクしたこと程度である。

 ちなみに1977年のソロ・デビュー・アルバム「スティーヴ・ウィンウッド」は、ジム・キャパルディやリーバップなどの元トラフィックのメンバーやアンディ・ニューマークやウィリー・ウィークスなどの名うてのスタジオ・ミュージシャンを起用して制作されたものである。

 だから悲しいかな、聞いたことのあるアルバムしか知らない。しかもたった2枚で、1枚は1980年に発表された名作「アーク・オブ・ア・ダイバー」であり、もう1枚は1986年の傑作「バック・イン・ザ・ハイ・ライフ」である。

 「アーク・オブ・ア・ダイバー」を聞いたとき、ウィンウッドってこんなにポップだったっけと思った。それが正直な感想だった。アルバムに先行して発表されたシングル"While You See a Chance"は売れ線のメロディを含んでいたし、当時流行の薄っぺらいペラペラとしたシンセサイザーの音も耳についた。

Arc of a Diver Music Arc of a Diver

アーティスト:Steve Winwood
販売元:Island
発売日:1990/09/18
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 しかしそれでもこの曲はヒットして、イギリスでは45位とパッとしなかったが、アメリカでは7位と大ヒットした。この成功にひきづられるようにアルバム自体もイギリスでは13位、アメリカでは3位を記録している。
 さらには全世界で700万枚以上も売れたというから、今まで玄人受けの彼の音楽が、一挙に一般世間にも受け入れられるようになったわけである。

 このアルバムからは3曲シングル・カットされていて、80年の12月には"While You See a Chance"が、81年3月に"Spanish Dancer"、6月には"Night Train"がそれぞれシングル・カットされている。

 そのうち"Spanish Dancer"はバラード・タイプの曲で、"Night Train"はダンサンブルでノリのよい、それこそ夜汽車に乗ってどこかに出かけそうな曲調になっている。後半のギター・ソロはウィンウッドが弾いているが、確かに器用というか、これほど弾ければたいしたものである。

 個人的には最後の曲"Dust"のような落ち着いた曲が好きなのだが、この曲ももう少しテンポを落として、シンセサイザーを使わずに生のストリングスを入れてもっとアーシーな雰囲気を作れば、隠れた名曲になったと思っている。

 またマルチ・ミュージシャンとしての本領発揮というべきか、パーカッションをはじめ、キーボード、ギターとすべての楽器を手がけている。またエンジニアとプロデュースも手がけていて、やってないのは作詞とアルバムのカヴァーデザインぐらいなものである。

 しかしいくら当時の流行とはいえ、このシンセの音には飽き飽きする。当時はこの手の音が充満していて、どのヒット・アルバムにも含まれていた。同時代に、同様に一挙にビッグになったイギリスの白人ソウル・シンガーであるロバート・パーマーにも、同様のことがいえるだろう。

 翌年にはアルバム「トーキング・バック・トゥ・ザ・ナイト」を発表するも、柳の下の2匹目のドジョウを狙ったかどうかはわからないが、あまりヒットしなかった。やはりシングル・ヒットがなかったからだろうか。このアルバムからも3曲シングル・カットされているが、40位~70位くらいに留まっている。

 それでそれから約4年、満を持して発表したのが世紀の名作?「バック・イン・ハイ・ライフ」だった。

Back in the Highlife Music Back in the Highlife

アーティスト:Steve Winwood
販売元:Island
発売日:1990/09/18
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 これはもう素晴らしくゴージャスなアルバムで、薄っぺらいドラムスの音は耳につくものの、ギターにジョー・ウォルシュ、ナイル・ロジャース、コーラスにチャカ・カーン、ジェイムス・テイラーにジェイムス・イングラムなど多彩な有名ミュージシャンを起用している。

 アルバムが成功した理由は、プロデューサーにラス・タイトルマンを起用したことと、ギタリストにナイル・ロジャースを用いたことだろう。
 ラス・タイトルマンはポール・サイモンやランディ・ニューマンなど、いわゆるシンガー・ソングライター系に強いプロデューサーであるということと、ナイル・ロジャースは80年代の音楽シーンをリードしていたアイコンでもあったからだ。

 だから"Higher Love"などのノリのいい曲はナイル・ロジャースのアドヴァイスを受けながら、"Back in the High Life Again"のような土の香りがする曲はラス・タイトルマンの影響を受けているのではないかと邪推しているのだ。だからというか、前者はビルボード・シングル・チャートで1位、後者は13位を記録している。これはやはり外部のプロデューサーのおかげではないだろうか。

 この2曲以外にも"Freedom Overspill"、"The Finer Things"、"Take it As It Comes"がシングル・カットされていて、それぞれ20位、8位、ロック・チャートで33位を記録している。アルバム自体も500万枚以上売れ、3位と大ヒットした。

 このあとウィンウッドは、88年にアルバム「ロール・ウィズ・イット」を発表し、これまた大ヒット、同名シングル・アルバムとも全米No.1になっている。そういえばトラフィック時代から彼の作る音楽はイギリスよりもアメリカで売れている。アメリカ人のソウルに触れる何かを持っているのだろうか。

 この辺が商業的には彼のピークで、以降マイ・ペースの活動を続けることになる。それで今回のクラプトンとのコンサートは2007年のクロスロード・ギター・フェスティバルと2008年のニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデンでの再演になると思われる。

 ということは、トラフィック時代やブラインド・フェイス時代の曲が中心になるであろう。間違っても"Higher Love"などはやらないだろう。彼ほど時代の音に敏感で、世間の要求に鋭い人は、ファンが何を求めているかわかっているはずだからだ。しばらくはトラフィックやブラインド・フェイスのアルバムを聞きながら、来日を待つことにしよう。

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2011年10月19日 (水)

トラフィック(2)

 “盲目的信頼”と名づけられたバンドは、アルバム発表後、全米ツアーに出かけたが、ミュージシャン同士のエゴのために解散してしまった。彼らの唯一のアルバムは英米ともにチャートのNo.1を記録したにもかかわらずである。
 アメリカに残ったクラプトンは、デラニー&ボニーとともにツアーを続け、後にデレク&ザ・ドミノス結成にいたる。

 母国イギリスに戻ったウィンウッドは、ジンジャー・ベイカーのプロジェクトに参加するものの、1970年にはソロ・アルバムの制作を開始した。「マッド・シャドウ」と名づけられたアルバムには、かつての同僚ジム・キャパルディやクリス・ウッドも参加するようになり、最終的には3人名義でのトラフィック再編アルバムとして発表されるようになった。それが全英5位、全米11位を記録した「ジョン・バーレイコーン・マスト・ダイ」である。

John Barleycorn Must Die Music John Barleycorn Must Die

アーティスト:Traffic
販売元:Island
発売日:2001/02/27
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 ④アルバムは軽快なピアノやキーボード、クリス・ウッドのサックスがフィーチャーされたインストゥルメンタル"Glad"で始まる。ジャズっぽいテイストは、子どもの頃からのウィンウッドの趣味を反映したものであろう。曲の後半ではウィンウッドのピアノ、オルガンをサックス、パーカッションが支えるという展開になっている。
 ほとんど切れ目なく2曲目の"Freedom Rider"が始まり、今度はウッドのサックスだけでなく、フルートも目立っている。

 続いてポップな"Empty Pages"が始まるが、途中のエレクトリック・ピアノのソロはいかにもウィンウッドらしいし、"Stranger to Himself"では彼のギター・ソロを耳にすることができる。最初は自分のソロ・アルバムを作るつもりだったからだろう。

 アルバム・タイトルの"John Barleycorn"はトラディショナルの曲をアレンジしたもので、トラフィック流トラッドに仕上がっているし、"Every Mothers Son"はアメリカのサザン・ロックっぽい。またオリジナル・アルバムでは全6曲だったが、2003年の紙ジャケCDではボーナス・トラック付の11曲に増えている。

 ⑤「ウェルカム・トゥ・ザ・キャンティーン」は、1971年の7月にクロイドンとロンドンで録音されたライヴ演奏を商品化したものである。オリジナル・アルバムにはトラフィックという文字はなく、参加したメンバーの名前だけが記載されている。

Welcome to the Canteen Music Welcome to the Canteen

アーティスト:Traffic
販売元:Island
発売日:2002/03/19
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 このアルバムには脱退したデイヴ・メイソンも参加しているのだが、もちろんトラフィックに復帰したというつもりはなく、とりあえず要請されて加わったものらしい。だからアルバムには彼の曲"Sad and Deep as You"、"Shouldn't Have Took More Than You Gave"が収められている。

 自分がなぜこのアルバムを購入したのかというと、アコースティック・ライヴでは名盤とされていると雑誌で読んだからである。80年代にMTVアコースティック・ライヴが流行ったが、それより10年以上も先取りした企画であった。

 しかし1曲目の"Medicated Goo"や4曲目のメイソンの曲"Shouldn't Have Took More Than You Gave"にはエレクトリック・ギターが使用されているし、11分もある"Dear Mr. Fantasy"ではスティーヴ・ウィンウッドとデイヴ・メイソンのギター・バトルも用意されている。そう考えると、純粋なアコースティック・ライヴではなく、アコースティックな曲も含まれているライヴなのである。ある意味雑誌の記述に騙されたようなものであった。しかもLP時代の作品なので、曲数は6曲と少ない。CDの長時間になれた身としては少々物足りない気がする。

 ⑥「ホエン・ジ・イーグル・フライズ」は1974年に発表された彼らの通算9枚目のアルバムで、1994年に「ファー・フロム・ホーム」が出るまではラスト・アルバムという位置づけだった。

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 94年のアルバムもそうなのだが、もうこの辺のアルバムは、トラフィックというバンド名義ではあるものの、実質スティーヴ・ウィンウッドのソロ・アルバムという感じがする。1曲目の"Something New"などは妙に明るいし、伸び伸びと歌っているからだ。

 このアルバムの購入のきっかけになったのは、2曲目の"Dream Gerrard"にメロトロンが使用されていたからだった。2003年当時の自分はプログレッシヴ・ロック以外の曲でメロトロンが使用されているものを探していて、それでこのアルバムにめぐり合ったのである。
 確かに約11分に渡って全編メロトロンの洪水とまではいかないけれど、メロトロンの放水状態の曲は、自分にとってはうれしい贈り物のようなものであった。

 3曲目の"Graveyard People"はそのメロトロンに代わって、シンセサイザーが大きくフィーチャーされている曲で、キャパルディの叩くコンガの音とともに幻想的な雰囲気にさせてくれるし、4曲目の"Walking in the Wind"もよく動き回るキーボード類がカラッとしたアメリカン・ロック・テイストを運んでくれる。5曲目の"Memories of Rock'n Rolla"にいたってやっとギターの音が顔を出してくれる。

 アルバム・ジャケットみればわかるように、この時点で彼らは4人組だった。キャパルディとウィンウッド、クリス・ウッドにロスコー・ジーという17歳のジャマイカ人ベーシストが参加している。チャート的にはイギリスでは31位と低迷していたが、アメリカでは9位と好調だった。後期のトラフィックはイギリスよりはアメリカで人気が高かったようだ。

 オリジナル・メンバーだったクリス・ウッドは1983年7月に肝臓疾患で、またジム・キャパルディは2005年の1月に胃がんで亡くなっている。それぞれ39歳と60歳だった。途中で加入したリック・グレッチは1990年の3月、43歳のときアルコール過剰摂取の肝臓病で、パーカショニストのリーバップは、1983年の1月、38歳で亡くなった。脳溢血だった。

 残ったメンバーであるデイヴ・メイソンは現在65歳、スティーヴ・ウィンウッドは63歳で活躍中である。こうやってみるとトラフィック自体も優秀なミュージシャンを輩出したバンドだったということがわかる。やはり60年代から活躍していた高名なミュージシャンは、それなりの業績を残している。たかがロックン・ロールとはいえ、奥は深いのだった。

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2011年10月15日 (土)

ブラインド・フェイス

 1969年にトラフィックは解散した。残されたメンバーはそれぞれの道を歩むことになるのだが、スティーヴ・ウィンウッドは元クリームのエリック・クラプトンとジンジャー・ベイカー、元ファミリーのベーシスト、リック・グレッチとバンドを結成した。それがブラインド・フェイスだった。

 “盲目的信頼”と名づけられたこのバンドは、当時の流行だったスーパー・バンドと呼ばれるにふさわしいメンバーで成り立っていて、マスコミだけでなくファンの多くも彼らの将来に希望を抱いていた。
 当時の(そして今も)アルバムの日本語タイトルは「スーパー・ジャイアンツ」である。それだけこのバンドに期待を寄せていたのであろう。またアメリカではC,S&N(あるいはC,S,N&Y)が結成され、イギリスではE,L&Pも登場していた。そういうムーヴメントが興っていたのである。

スーパー・ジャイアンツ Music スーパー・ジャイアンツ

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 クラプトンとウィンウッドの関係は、1966年頃にまで遡ることができる。当時のエレクトラ・レコードの企画アルバム「ホワッツ・シェイキン」にパワー・ハウスというバンドが演奏しているが、これこそクラプトンやジャック・ブルース、それにウィンウッドが参加していた覆面バンドだった。

 そして時が来た彼らは、満を持してバンドを結成したのである。また最初はベーシストが不在だったので、ロジャー・チャップマン率いるファミリーからリック・グレッチを誘った。彼はまたバイオリンも演奏できた。ちなみにグレッチなきあと、ファミリーに加入したのがジョン・ウェットンだった。

 2008年のクラプトンとウィンウッドのNYマディソン・スクエア・ガーデンでの公式ライヴ盤では、このアルバム「スーパー・ジャイアンツ」から"Had to Cry Today"、"Can't Find My Way Home"、"Well All Right"、"Presence of the Lord"の4曲が演奏されているが、ベストな選曲だろう。

 クリーム時代にはクラプトンは歌っていたが、このアルバムではボーカルはすべてウィンウッドに任せて、彼は演奏に集中しているかのようだ。ほとんどの曲をウィンウッドが手がけているからだろう。
 DVDでは"Had to Cry Today"のときはクラプトンとウィンウッドによるツイン・ギターだったと記憶している。あのクラプトンと堂々と渡り合えるのだから、デイヴ・メイソンのときはもっと自己主張していたに違いない。

 素朴なアコースティック・サウンドが楽しめる"Can't Find My Way Home"は、確かに美しい曲だ。途中で入るハイハットの音も効果的である。
 一転してバディ・ホリーの曲をハードに焼き直した"Well All Right"にいたって、やっとウィンウッドのオルガンが目立ってきた。曲の後半はオルガン主体でクラプトンがサポートに回っている。

 "Presence of the Lord"は、その後のクラプトンの代表曲のひとつになった。自分が若い頃は途中でクラプトンのソロ・ブレイクが入る意味がよくわからなかったし、もう少し叙情的な泣き節を期待したものだったが、やはりスーパー・バンドだったのだろう、クラプトンの聞かせ所になっている。ちなみにこの曲だけクラプトンの作詞・作曲である。

 リック・グレッチのバイオリンが目立つ"Sea of Joy"やジンジャー・ベイカーの作品で、メンバーそれぞれのソロの聞かせどころ満載の"Do What You Like"がマディソン・スクエア・ガーデンのコンサート演目から外されたのは仕方がないだろう。ただ4人の中でマイナーな存在だったリック・グレッチの貢献度の高さはもっと評価されていいと思う。ここまで有能なミュージシャンだとは思ってもみなかった。

 1989年再発のCDではボーナス・トラックが2曲追加されていて、"Exchange and Mart"は4分程度のインストゥルメンタルで、リックのバイオリンが目立つ曲。主にアイデアを出したのは彼なのだろう。
 もう1曲の"Spending All My Days"はポップな曲で、ひょっとしたら彼らはシングル・ヒットを狙っていたのかもしれないと思わせるくらいのイージー・リスニングである。この辺はウィンウッドの主導だったのだろうか。しかしこの曲をアルバムに入れたなら間違いなく浮いていたに違いない。

 この2曲はリック・グレッチの作品だといわれているが、彼のソロ・アルバムには収められていない。また他のメンバーがこの曲に関与しているという証拠も残っていない。どういう経緯で収められたのか不明である。そのせいか89年以降に再発されたCDには除かれている。やはりバンド名では発表できない何かの理由があったに違いない。

 最近のCDにはこのアルバムのデラックス・バージョンがあって、2枚組で当時のジャム・セッションが追加されている。中には"Can't Find My Way Home"のエレクトリック・バージョンなどもあるようだ。Photo
 彼ら4人はアルバム発表後、全米ツアーに出かけるが、そこでツアーを続けたいクラプトンと早く帰国したい他のメンバーと意見がわかれ、そのまま分裂してしまった。

 その後クラプトンは、デラニー&ボニーとツアーに出かけ、その後のデレク&ザ・ドミノスの結成へとつながっていく。
  ジンジャー・ベイカーはグレッチとウィンウッドを誘ってエア・フォースというバンドを結成するものの、ウィンウッドは1作目のみに参加しただけだった。

 彼はソロ・アルバムの制作に取り掛かかるのだが、結果的にはそれがトラフィックの新しいアルバムに結びつくのである。ここからは次回へとまわしたい。

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2011年10月11日 (火)

Charのライヴ

 とにかくカッコいいのだ、Charのライヴは。ギターを弾きまくり歌いまくる。ロックはこうでないといけねえという典型的なものだった。

 初めてCharのライヴに行ったのだが、これがまた何とも素晴らしいライヴで、完全に圧倒された。だいたいCharのような日本を代表するギタリストが、なんでキャパ200ぐらいの小さなハコに来たのかわからない。もっと大きなホールでもいいと思うのだが、おかげでオーディエンス的には身近に見れてありがたかった。

 Char自身もお客さんと身近に触れ合えたり、コール&レスポンスができてうれしそうだった。やはりトップを極めた人であっても、かえってこういう小さいライヴハウスの方に惹かれるのかもしれない。

 とにかく出てきたときからカッコいい。だいたいこの人、デビュー当時から帽子をかぶっているのだが、ライヴでも羽飾りのついた帽子をかぶっていて、これがまたキマッている。まるで和製スティーヴィー・レイ・ヴォーンのようだった。2
 体型的もお腹は出ていなくて、やはりロック・ミュージシャンはこうでないといけねえという感じだ。御年56歳、MCでは孫がいるといいながらも、全然年齢を感じさせない演奏や容姿。普段から音楽面だけではなくて、それ以外にも気をつけているのだろう。一流のミュージシャンとはこういう人を指すのだ。

 演奏した曲数は数え切れないくらい多かった。20曲以上はいっているだろう。オリジナル曲半分、カバー曲半分といったところか。
 だいたい今回のライヴは、“TRADROCK by Char 2011”ということで、彼自身が子どもの頃に影響を受けた音楽のカバーを披露するというものだった。

 だから小学校3,4年生頃に聞いてコピーしたザ・ベンチャーズの曲やザ・ビートルズから始まって、エリック・クラプトンやジェフ・ベック、レッド・ゼッペリンなどの曲を演奏してくれた。

 Char自身“助けてくれ”といって紹介したビートルズの"Help"はレゲエっぽく処理されていたし、終りの方に演奏した"Come Together"はハードロック風にアレンジされていて、原曲がほとんど連想されないほどだった。
 また、ベンチャーズの"Caravan"はいっぱいいっぱいの演奏と言っていたし、クリームの"Badge"や"Crossroad"も演奏した。"Crossroad"はクリームの演奏通りの完コピだった。またジミ・ヘンドリックスの"All Along the Watchtower"もレゲエ風味を加えて演奏してくれた。

 バンドはギター、ベース、ドラムスの3人で構成され、エレクトリック~アコースティック~エレクトリックというセットで進行し、アコーステイック・セットでは自身のヒット曲"気絶するほど悩ましい"やベンチャーズの作った"京都慕情"、はたまたお客さんのリクエストに応える形でゼッペリンの"I'm Gonna Leave You"のイントロだけ演奏するなど、ユーモア精神、遊び心満載の楽しいものだった。

 他にもクラプトンの"Wonderful Tonight"をアレンジを変えて演奏したり、本番最後の曲では、何という曲かはわからなかったが、"Superstition"や"Purple Haze"などのフレーズが飛び出すなど、非常に盛り上がった。

 しかもお約束のアンコールが終わったあと、客電がつき、BGMが流れる中、興奮したお客が更なるアンコールを求めて拍手をしていると、約5分ぐらいして、2回目のアンコールに応えてくれたのである。何という優しいファン・サービスだろう。ステージ中に何度も焼酎飲みたいと言っていたにもかかわらず、それを我慢して応えてくれたのである。そして最後の曲は"Smoky"だった。

 結局、午後7時から9時半まで、約2時間半のライヴだった。充分満足のいくライヴだった。しかも学割があって、2300円の返金までしてくれた。このときほど放送大学の学生でよかったと思ったことはない。

 ここまで書いてお恥ずかしい限りだが、自分はCharの代表曲をほとんど知らないのだ。知っている曲名といえば"気絶するほど悩ましい"や"闘牛士"などで、そういえば"逆光線"や"Smoky"などがあったなあという程度である。
 だからCharの大ファンとはいえないのだが、少なくとも彼が70年代の日本のロック・シーンを牽引してきた人で、日本のみならず世界に通用する数少ないギタリストだという認識は持っている。

 自分が持っているChar関連のアルバムは1枚だけで、「Free Spirit」という。クレジットはJohnny, Louis & Charとなっている。Photo
 このアルバムは3人名義のデビュー・アルバムにあたるのだが、1979年7月14日日比谷の野外音楽堂でライヴ・レコーディングされたものである。
 まるでジミ・ヘンドリックスのように“君が代”をアレンジした"Introduction"から始まり、全8曲歌いまくり、弾きまくっている。

 Charの音楽にはブルーズ臭もなく、ハード・ロック一辺倒という雰囲気もない。だから日本の音楽独特の湿った感じもなく、逆にカラッと乾燥しているというものでもない。
 だから湿りすぎず乾きすぎず、まるで高機能のギター・サウンド・マシーンを聞いているような気がして、非常に気持ちがいいのである。

 たぶん彼自身もそれに気がついていて、最近の“TRADROCK”シリーズのように、演奏することに徹しているのではないかと思っている。本当はもう1,2発ヒット曲を出してほしいと個人的には願っているのだが、本人にはその気になればたやすいのだろうけれども、そういうつもりはないのだろう。
 今さら世の中に媚びずとも、ミュージシャンCharとして充分世の中を渡っていけるのである。日本国内ばかりでなく、世界中どこにいってもギター一本あれば、彼なら生きていけるはずだ。

 これからも自分の信念を貫き通しながら、ロック・スピリットを感じさせる作品を世にもたらせてほしいし、世界中の一流ギタリストとの共演を果たしてほしいと願っているのだ。Charならそれが可能だと思っている。

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2011年10月 7日 (金)

トラフィック(1)

 なぜか自分の家にはトラフィックのアルバムが6枚もある。そんなに好きなバンドでもなく、好みの曲があるというわけではないのに、いつのまにか6枚も集まってしまった。この辺が節操のなさというか、偏執的な収集癖のなせるところなのかもしれない。

 それで6枚のアルバムは以下の通りである。
①ミスター・ファンタジー
②トラフィック
③ベスト・オブ・トラフィック
④ジョン・バーレイコーン・マスト・ダイ
⑤ウェルカム・トゥ・ザ・キャンティーン
⑥ホエン・ジ・イーグル・フライ

 ①はトラフィックのデビュー・アルバムであり、ビートルズの「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」と同じ年の1967年に発表されている。
 もちろん同時代に聞いた音楽ではなくて、発売から20年以上も経ってから購入して聞いた。当時はデイヴ・メイソンの音楽を聞いていて、そこからトラフィックに遡って聞いたのだが、"Dear Mr. Fantasy"以外はあまりピンと来なかった。

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 このボロ具、ではなくてブログで書くことになって、再び引っ張り出して聞いてはみたのだが、やはり67年当時に流行したであろうサイケデリックな雰囲気に満ちていて、たぶん同時代に聞けばもっと興奮したと思うのだが、21世紀の今となってはもうひとひねりほしいようなところもある。

 やはり各曲の終りがもう少し工夫がほしい。いつの間にか終わっていて、それでもいいのかもしれないのだが、もうちょっと盛り上げてほしいという気もしてならない。聞き流していると、あっという間に終わってしまうのである。

 それでも印象に残る曲はあって、特に後半に多いようだ。"Dear Mr. Fantasy"に続く"Dealer"という曲は、クリス・ウッドのサックスが牧歌的な雰囲気をかもし出しているし、バックのアコースティック・ギターもなかなかいい味を出している。
 "Utterly Simple"は典型的なラーガ・ロック。デイヴ・メイソンの演奏するシタール・ソロを聞くことができる。これも60年代当時の流行の音なのだろう。

 よくいえば実験精神に満ちている、あるいは遊び心に溢れたアルバムといえるだろうが、個人的にはぜひとも聴きたいとは思えなかった。

 ②翌年の68年に彼らはセカンド・アルバム「トラフィック」を発表した。もともとこのバンドは4人組で、マルチ・プレイヤーのスティーヴ・ウィンウッドとギター、ベースのデイヴ・メイソンの2人を中心に、ドラムス、パーカッションのジム・キャパルディ、サックス、フルート担当のクリス・ウッドで構成されていた。

 1stアルバムはサイケデリックなものだったが、このセカンドでは落ち着いたというか、装飾を取り払い、曲のもつ本質的な魅力で勝負している。だからアルバム・タイトルもバンド名と同じシンプルにしたのだろう。

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 ただし両雄並び立たずというか、デイヴ・メイソンとスティーヴ・ウィンウッドの確執は深く、実は1stアルバム発表後に、一時デイヴはバンドを離れている。その後このアルバムには参加したものの、すぐにまたデイヴ・メイソンはバンドを脱退してしまった。

 だからというわけでもないのだろうが、このアルバムではデイヴ・メイソンとウィンウッド/キャパルディの曲が交互に並んでいる。(最後の2曲はウィンウッド/キャパルディが続いている)間違ってもウィンウッドとメイソンは協力して曲を作っていない。1stアルバムは全員で協力して制作したにもかかわらずである。(1stでもウィンウッドとメイソンが同時にクレジットされている曲はない)

 それでもこのアルバムにはいい曲が多い。クラプトンの復活コンサートになった「レインボウ・コンサート」でも演奏された"Pearly Queen"やデイヴ・メイソンの代表曲になっている"Feelin' Alright"、イギリスの田園風景を想起させる"Don't Be Sad"や"Vagabond Virgin"などで、クリス・ウッドのフルートがいい味を出している。

 また"Forty Thousand Headmen"はのちにB,S&Tにカバーされている。それにウィンウッドのソウルフルなボーカルやメイソンとのツイン・ギターも"Means to an End"で聞くことができる。

 ③は67年から69年までの3枚のアルバムと2枚のシングルからの、いわゆる第1期トラフィックのベスト盤である。全11曲で、特筆すべきは彼らのシングル"Paper Sun"、"Hole in My Shoe"及びそのB-Sideが収められているところだろう。前者は全英シングル・チャートで5位を、後者は2位を記録している。
 シングル曲はいずれもポップな味付けがされていて、"Paper Sun"ではメイソンのシタールが強調され、"Hole in My Shoe"はそのシタールとともに、メイソンの演奏するメロトロンが味付けされている。

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 いずれにしてもこれらの曲は、今ではボーナス・トラックとして聞くことができるので、このアルバムは必要ないだろう。手っ取り早く彼らの魅力を知りたい人には便利かもしれない。ただし、初期のトラフィックに限定されてしまうけれども。

 そういうわけで初期のトラフィックはスティーヴ・ウィンウッドとデイヴ・メイソンの双頭バンドだったといえるだろう。ただ蜜月期間は長くは続かず、2年余りだった。彼らの確執はいまだに続いているようで、2004年のロックの殿堂入りの際でもいろいろともめたようである。

 この後、バンドは一旦解散し、ウィンウッドはクラプトンとブラインド・フェイスを結成するのだが、それについては次回に回したいと思っている。(To be Continued)

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2011年10月 3日 (月)

スペンサー・ディヴィス・グループ

 11月にエリック・クラプトンとスティーヴ・ウィンウッドが来日するのを記念して、特にスティーヴの歩みを振り返ろうと思った。

 スティーヴ・ウィンウッドが世に出たきっかけとなったのは、スペンサー・ディヴィス・グループ(以下SDGと略す)における活躍からであった。1964年ごろのお話である。

 デビュー時のスティーヴは15歳。キーボードからギターとたいていの楽器をこなすことができるし、シンガーとしても非常にソウルフルかつエネルギッシュに歌いこなすことができた。当時の音楽誌は“天才児あらわる”と囃したてたらしいが、それもむべなるかなという感じだ。

 自分はSDGのアルバムを1枚持っていて、それはベスト盤なのだが、それのメンバー・クレジットには、リーダーのスペンサー・ディヴィスはリズム・ギター、"She Put the Hurt on Me"だけでのボーカルと記載されていて、一方のスティーヴ・ウィンウッドはオルガン、リード・ギター、ピアノ、ハーモニカとリード・ボーカルになっている。いかにこのバンドがスティ-ヴ・ウィンウッドの双肩にかかっていたかがわかると思う。

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 何度もしつこく書くが、予備知識無しに、このベスト・アルバムの彼の歌声を聞いて、当時15歳だったとわかる人はそういないと思う。“早熟の天才あらわる”と騒がれたのも納得できるのである。

 まず1曲目の"I'm a Man"。これはスティーヴ・ウィンウッドとこの曲でのプロデューサーであるジミー・ミラーの2人で書き上げたものだが、いやはやこの迫力、技巧さは見事すぎる。
 この曲は1967年に発表されているので、当時のスティーヴは19歳だったが、あのミック・ジャガーでさえも"Come On"でデビューしたのが20歳のときだったから、それと比べると(失礼かもしれないが)、力量的にどちらが上かは一目瞭然といった感がある。

 このアルバムでの曲順は発表順というわけではないので、年代的に彼の歌声を味わうということはできないのだが、1曲目の"I'm a Man"から度肝を抜かれ、続く天下の大ヒット曲"Gimmie Some Lovin'"で圧倒され、3曲目のバラード"Every Little Bit Hurts"で酔わせてくれるという素晴らしい順序で並んでいる。

 "Gimmie Some Lovin'"は1966年に発表されたが、イギリスではシングル・チャートの2位を、アメリカでは7位を記録した。このときのスティーヴは18歳だったし、しっとりとしたバラード"Every Little Bit Hurts"を歌ったときは、1965年なので17歳だったことになる。

 やはり彼の素晴らしさは、実際に聞いてみないとわからないと思う。これらの曲を高校生ぐらいの年齢の男の子が歌って演奏するのだから、これはもうほとんど奇跡に近いことではないだろうか。

 このアルバムには2曲の全英No.1ヒット・シングルが収められている。1つは"Keep on Running"であり、もう1曲は"Somebody Help Me"である。
 両方ともジャマイカ出身のミュージシャン、ジャッキー・エドワーズという人の作品なのだが、当時イギリスで活躍した人らしい。前者の"Keep on Running"は60年代のビート・バンドの典型的な雰囲気をもったミディアム調の曲。手拍子なども入っていて何かの曲に似ているのだが、思い出せない。後者の曲も同様の傾向の曲である。

 またこのあるアルバムには、残念ながら1964年のデビュー曲"Dimples"とセカンド・シングル曲"I Can't Stand It"は収録されていない。権利関係のせいだろうか。たぶんオリジナル曲ではないからだろう。

 さらには2曲のインストゥルメンタル曲も収録されている。両方ともスティーヴのオリジナル曲で、6曲目の"Waltz for Lumumba"はジャズっぽく、彼の十八番ともいえるカッコいいハモンド・オルガン・プレイを堪能できるし、9曲目の"Trampoline"はR&Bながらも少々ポップよりのオルガン&ピアノ・プレイを味わうことができる。この曲での後半のプレイはまるで円熟味を帯びたミュージシャンのようだ。

 このベスト盤には14曲収録されているのだが、最後の"Goodbye Stevie"という曲ではスティーヴ・ウィンウッドのリード・ギターを聞くことができる。のちにトラフィックでデイヴ・メイスンとギター・バトルを行うのだが、その萌芽はここに既に表れている。

 このSDGにはスティーヴの兄、マフ・ウィンウッドも参加して、ベース・ギターを担当している。実はこの兄弟、父親が趣味でバンドを組んでサックスを吹いていて、その影響からか幼い頃から音楽に親しんでいたようである。
 兄のマフが6歳年上だったので、先にジャズ・バンドで活動していて、のちにスティーヴも加わったようだ。

 ちなみにこのグループのリーダーであるスペンサー・ディヴィスという人は、スティーヴの兄マフと同じ年で、バーミンガム大学でドイツ語の講師をしながら、ソロで活動していたミュージシャンであった。
 彼がマフに声をかけ、それに続くようにスティーヴも参加して、このSDGが結成された。やがてアイランド・レコードの創始者であるクリス・ブラックウェルに見出され、デビューするのだが、1967年にはスティーヴとマフは、バンドを離れている。

 だからSDGでの活動は実質3年に満たないものだったが、スティーヴの名声と評価は、たった3年間で世界的に広まった。

 残されたSDGはメンバーを補充しながらも活動を続けたが、1969年には解散して、スペンサー・デイヴィスはソロ・ミュージシャンになった。彼はドイツやイギリスでも活動を続けたが、やがてはアメリカに渡り、70年代後半からはジャズを中心に活動を続けている。

 とにかくスティーヴ・ウィンウッドは、15歳でデビューしてから63歳の今に至るまで、幸運なまでにほとんど第一線で活躍しているミュージシャンである。若い頃から売れてしまうと、普通は途中で消えていったり、ドラッグなどで亡くなったりするのだが、彼にはそういうことはなかった。本当に稀有なミュージシャンである。それほどの才能を有している人なのであろう。次回はSDG以降の彼の軌跡にスポットをあてたいと思っている。

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2011年10月 1日 (土)

世界侵略:ロサンゼルス決戦

 久しぶりに映画を観た。「世界侵略:ロサンゼルス決戦」というタイトルの映画で、地球侵略を狙うエイリアンとアメリカ海兵隊との戦いを描いたものである。Photo

 見どころは迫力ある戦闘シーンで、まるで「プライベート・ライアン」の冒頭のシーンやアカデミー賞を受賞した「ハート・ロッカー」のような銃撃戦や爆発などがほぼ全編にわたって繰り広げられている。

 この手の映画が好きな人には、たまらない一本だと思う。個人的には充分楽しめたし、払った金額だけのものはあると思った。
 要するに相手がテロリストや対戦国の兵士ではなくて、宇宙人に交代した戦争映画なのである。

 以前観た映画「スカイライン-征服-」によく似たコンセプトで、UFOの形やエイリアンの姿など類似する部分はあるものの、ストーリー展開や迫力では、はるかにこちらの映画の方が優れていると思う。

 映画のストーリー自体は簡単なもので、正体不明のエイリアンとの戦いと、彼らを迎え撃つアメリカ海兵隊員の絆や組織としての在り様、アーロン・エッカート扮する二等軍曹とかつて彼の指揮のもとで兄を失った伍長との確執など、ヒューマン・ドラマとまではいかないものの、それなりに感動する筋縦にはなっている。2

 ただかなり海兵隊を脚色しすぎている感じがしないでもない。そんなにアメリカ海兵隊はいいイメージがあったかなあという感じである。むしろ日本(沖縄)では、いいイメージはないような気がするのだが、偏見だろうか。
 彼らが戦闘地域の常に第一線に赴任させられるせいか、彼らの能力の高さというイメージとともに世間のルール無視という負のイメージもついてまわるのである。

 とにかくほぼ2時間にわたって、銃撃戦や爆裂の音を聞き続ければ、観る方も緊張しアドレナリンも増幅されているので、粗雑なストーリー展開であったとしても、それなりに興奮すると思う。(もちろんこの映画が粗雑だとは思っていないのだが…)3

 とにかく3流映画クラスのものかなと思って観たら、これが結構迫力満点の印象的な映画だった。確かに今年の映画ベスト10には入らないだろうが、印象度では素晴らしいものがあると思っている。

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