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2011年10月 3日 (月)

スペンサー・ディヴィス・グループ

 11月にエリック・クラプトンとスティーヴ・ウィンウッドが来日するのを記念して、特にスティーヴの歩みを振り返ろうと思った。

 スティーヴ・ウィンウッドが世に出たきっかけとなったのは、スペンサー・ディヴィス・グループ(以下SDGと略す)における活躍からであった。1964年ごろのお話である。

 デビュー時のスティーヴは15歳。キーボードからギターとたいていの楽器をこなすことができるし、シンガーとしても非常にソウルフルかつエネルギッシュに歌いこなすことができた。当時の音楽誌は“天才児あらわる”と囃したてたらしいが、それもむべなるかなという感じだ。

 自分はSDGのアルバムを1枚持っていて、それはベスト盤なのだが、それのメンバー・クレジットには、リーダーのスペンサー・ディヴィスはリズム・ギター、"She Put the Hurt on Me"だけでのボーカルと記載されていて、一方のスティーヴ・ウィンウッドはオルガン、リード・ギター、ピアノ、ハーモニカとリード・ボーカルになっている。いかにこのバンドがスティ-ヴ・ウィンウッドの双肩にかかっていたかがわかると思う。

Best of Spencer Davis Music Best of Spencer Davis

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 何度もしつこく書くが、予備知識無しに、このベスト・アルバムの彼の歌声を聞いて、当時15歳だったとわかる人はそういないと思う。“早熟の天才あらわる”と騒がれたのも納得できるのである。

 まず1曲目の"I'm a Man"。これはスティーヴ・ウィンウッドとこの曲でのプロデューサーであるジミー・ミラーの2人で書き上げたものだが、いやはやこの迫力、技巧さは見事すぎる。
 この曲は1967年に発表されているので、当時のスティーヴは19歳だったが、あのミック・ジャガーでさえも"Come On"でデビューしたのが20歳のときだったから、それと比べると(失礼かもしれないが)、力量的にどちらが上かは一目瞭然といった感がある。

 このアルバムでの曲順は発表順というわけではないので、年代的に彼の歌声を味わうということはできないのだが、1曲目の"I'm a Man"から度肝を抜かれ、続く天下の大ヒット曲"Gimmie Some Lovin'"で圧倒され、3曲目のバラード"Every Little Bit Hurts"で酔わせてくれるという素晴らしい順序で並んでいる。

 "Gimmie Some Lovin'"は1966年に発表されたが、イギリスではシングル・チャートの2位を、アメリカでは7位を記録した。このときのスティーヴは18歳だったし、しっとりとしたバラード"Every Little Bit Hurts"を歌ったときは、1965年なので17歳だったことになる。

 やはり彼の素晴らしさは、実際に聞いてみないとわからないと思う。これらの曲を高校生ぐらいの年齢の男の子が歌って演奏するのだから、これはもうほとんど奇跡に近いことではないだろうか。

 このアルバムには2曲の全英No.1ヒット・シングルが収められている。1つは"Keep on Running"であり、もう1曲は"Somebody Help Me"である。
 両方ともジャマイカ出身のミュージシャン、ジャッキー・エドワーズという人の作品なのだが、当時イギリスで活躍した人らしい。前者の"Keep on Running"は60年代のビート・バンドの典型的な雰囲気をもったミディアム調の曲。手拍子なども入っていて何かの曲に似ているのだが、思い出せない。後者の曲も同様の傾向の曲である。

 またこのあるアルバムには、残念ながら1964年のデビュー曲"Dimples"とセカンド・シングル曲"I Can't Stand It"は収録されていない。権利関係のせいだろうか。たぶんオリジナル曲ではないからだろう。

 さらには2曲のインストゥルメンタル曲も収録されている。両方ともスティーヴのオリジナル曲で、6曲目の"Waltz for Lumumba"はジャズっぽく、彼の十八番ともいえるカッコいいハモンド・オルガン・プレイを堪能できるし、9曲目の"Trampoline"はR&Bながらも少々ポップよりのオルガン&ピアノ・プレイを味わうことができる。この曲での後半のプレイはまるで円熟味を帯びたミュージシャンのようだ。

 このベスト盤には14曲収録されているのだが、最後の"Goodbye Stevie"という曲ではスティーヴ・ウィンウッドのリード・ギターを聞くことができる。のちにトラフィックでデイヴ・メイスンとギター・バトルを行うのだが、その萌芽はここに既に表れている。

 このSDGにはスティーヴの兄、マフ・ウィンウッドも参加して、ベース・ギターを担当している。実はこの兄弟、父親が趣味でバンドを組んでサックスを吹いていて、その影響からか幼い頃から音楽に親しんでいたようである。
 兄のマフが6歳年上だったので、先にジャズ・バンドで活動していて、のちにスティーヴも加わったようだ。

 ちなみにこのグループのリーダーであるスペンサー・ディヴィスという人は、スティーヴの兄マフと同じ年で、バーミンガム大学でドイツ語の講師をしながら、ソロで活動していたミュージシャンであった。
 彼がマフに声をかけ、それに続くようにスティーヴも参加して、このSDGが結成された。やがてアイランド・レコードの創始者であるクリス・ブラックウェルに見出され、デビューするのだが、1967年にはスティーヴとマフは、バンドを離れている。

 だからSDGでの活動は実質3年に満たないものだったが、スティーヴの名声と評価は、たった3年間で世界的に広まった。

 残されたSDGはメンバーを補充しながらも活動を続けたが、1969年には解散して、スペンサー・デイヴィスはソロ・ミュージシャンになった。彼はドイツやイギリスでも活動を続けたが、やがてはアメリカに渡り、70年代後半からはジャズを中心に活動を続けている。

 とにかくスティーヴ・ウィンウッドは、15歳でデビューしてから63歳の今に至るまで、幸運なまでにほとんど第一線で活躍しているミュージシャンである。若い頃から売れてしまうと、普通は途中で消えていったり、ドラッグなどで亡くなったりするのだが、彼にはそういうことはなかった。本当に稀有なミュージシャンである。それほどの才能を有している人なのであろう。次回はSDG以降の彼の軌跡にスポットをあてたいと思っている。


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