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2011年11月

2011年11月28日 (月)

セバスチャン・ハーディー

 今年は暑さが長引いて、9月過ぎても高温多雨な気候が続いたのだが、さすがに11月も後半になると、朝晩も冷え込んきて、暖房器具を必要とするようになった。東北や北海道はすでに雪景色なのだから、狭い日本とはいえ、ところ変われば生活様式も変わってくるようだ。

 それで“秋のプログレ祭り”も、今回でいちおう幕引きとなるのだが、最後を飾るのは、ところ変わってもプログレッシブ・ロックの様式は変わらないというバンドの登場である。その名はセバスチャン・ハーディー、プログレの本国から遠く離れたオーストラリアのバンドなのだ。

 オーストラリアといっても元はイギリスの植民地、現在でも国旗を見てわかるように、イギリスとは親戚みたいなものである。だからというか、当然のことながら文化的にも類似性があるのだろう。

 このセバスチャン・ハーディーは2003年に日本に初来日したそうであるが、1stアルバム「哀愁の南十字星」は1975年に発表された。今から30年以上も前のアルバムなのだが、どのアルバム・ガイドを読んでも、全プログレ・ファン必聴の歴史的傑作、一家に一枚のアルバムだと記されていて?、自分もいまだにブログに書くくらいなので、確かにそうだと思っている。

Four Moments Music Four Moments

アーティスト:Sebastian Hardie
販売元:Musea Records France
発売日:2002/10/29
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 何しろ曲がいい、メロディがいい、邦題に“哀愁の”と付けられているが、全くその通りなのだ。緩急に富むメロディアスなギターと、ときおりリードを取るハモンド・オルガン、サウンドに厚みを付けるメロトロンの洪水、確かな技量に裏打ちされたリズム・セクションと、どれをとっても非の打ち所がないのである。

 例えていうなら、サウンド面ではオーストラリアのフォーカス、ボーカルと全体の印象度ではオーストラリアのキャメルという感じで、両者を足して2で割ったような感覚なのである。彼らは1967年にシドニーで結成されたのだが、当初はセバスチャン・ハーディー・ブルーズ・バンドと名乗っていたようで、ポップス系の曲を演奏していたという。

 自分が初めて聞いたのは、高校生くらいで、友人のK氏の家の2階だったように記憶している。彼が言うには、とにかくすごいバンドがオーストラリアから現れたので、聞きに来いというもので、確かに一聴してこれは素晴らしいと思ったことだけは覚えている。

 当時はレコードだったので、A面とB面に分かれていたのだが、A面は4曲になっているものの、実際は連続した曲になっていて、それがアルバム・タイトルの「フォー・モーメンツ」という言葉に象徴されているのだろう。

 その曲群はそれぞれ"Glories Shall be Released"、"Dawn of Our Sun"、"Journey Through Our Dreams"、"Everything is Real"と表記されていて、1曲目の"Glories Shall be Released"に表れるメインのメロディーがこの組曲のテーマを表しているし、5分過ぎからのメロトロンの挿入あたりは何度聞いてもゾクゾクしてしまう。
 また2曲目の"Dawn of Our Sun"は彼らの“静”の部分を表現していて、厚みのあるキーボード群がボーカルを引き立てている。まるでイエスの「海洋地形学の物語」の“追憶”のような感じだ。

 3曲目ではギターとキーボードが互いに自己主張を繰り返していて、リック・ウェイクマンのムーグ・シンセサイザーのように後半ではキーボードが頑張っている。そして最後を締めくくるのは"Everything is Real"で、アルバム冒頭のテーマが繰り返されながら、大団円を迎えるのである。

 B面は2曲ともインストゥルメンタルで、最初の"Rosanna"は当地ではシングル・カットされた。時間にしても5分59秒で、まるでフォーカスの曲のようである。理由は、マリオ・ミーロの演奏するギターがヤン・アッカーマンを髣髴させてくれるからで、甘く切ないメロディやフレーズが印象的だ。
 最後の曲は邦題では"哀愁の南十字星"となってはいるが、原題は"Openings"となっていて、タイトルとは逆に最後を飾るナンバーになっている。そしてまたこれもインストゥルメンタルで、13分もあるのだが全く長さを感じさせない構成、演奏なのである。

 彼らは翌年には「風の唄」を発表するのだが、これがまるで柳の下のドジョウ狙いのようで、1曲目の"風の唄"(Windchase)が20分を越える組曲形式の曲、続く4曲は3分後半から4分程度の短い曲で、2曲目の"At the End"と4曲目の"Hello Phimistar"、5曲目の"Peaceful"はインストゥルメンタル、3曲目の"Life, Love and Music"はシングル・カットされた軽めのポップ・ソングだった。Photo
 だからというわけではないのだろうが、1stアルバムは本国で最高位13位というチャート結果だったのだが、この2ndは残念ながら50位にも到達しないという結果になってしまった。
 個人的には悪いアルバムとは思わないのだが、前のアルバムが良すぎて、みんなの期待に応えられなかったのだろう。4曲目の"Hello Phimistar"などは、疾走感があって、なかなかのものだと思うのだが、前作と似たような曲が多すぎたというのが悪かったのだろう。

 商業的に失敗したからだろうか、このあとリズム・セクションを担当していたベーシストのピーターとドラマーのアレックス兄弟はバンドを脱退して、残ったギタリストのマリオ・ミーロとキーボーディストのトイヴォ・ピルトはウインドチェイスというバンドを結成した。これはセカンド・アルバムのタイトルから名づけられたものだった。Photo_2
 このアルバムは1977年に発表されていて、セカンドの「ウインドチェイス」もギターが強調されていたのだが、それ以上に目立っている。また、2曲目"Horsemen to Symphinity"のようにパーカッションのないサンタナ風の曲や今まで以上にポップな3曲目の"Glad to Be Alive"などが収められていて、バラエティに富んだアルバムに仕上げられている。これは1976年にサンタナとの国内ツアーの影響を受けたせいかもしれない。

 今までの2作は“叙情性”や“哀愁”という言葉がピッタリ合う雰囲気を擁していたのだが、このアルバムは一転して、それこそ“多様性”や“複合性”という言葉がふさわしい。フォーカスやキャメルがフュージョンやラテン系音楽をするとこうなりましたよという見本のような作品である。

 彼らは1994年に、アメリカのロサンゼルスでのコンサートで、オリジナル・メンバーで再結成をして「哀愁の南十字星」の中の曲を演奏している。そのあとも2003年のオーストラリアでのイエスのコンサートで前座として演奏した。そのあとは、それぞれまたソロで活動しているようだ。

 とにかく彼らの1stアルバムは、紙ジャケなどで再発されているように、それだけ今でも需要があるということだろう。できればオリジナル・メンバーで新作を発表してほしいものである。

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2011年11月24日 (木)

チェレステ

 恒例の?“秋のプログレ祭り”は、まだまだ続く。今回紹介するこのアルバムは、以前からずっと欲しかったもので、ひょっとしてと思い、アマゾンで確認したところ"在庫あり"とあったので、思わず購入してしまった。

 そのアルバムとは、イタリアのバンド、チェレステの最初で最後のアルバム「チェレステ」である。Photo

Music チェレステ

アーティスト:チェレステ
販売元:マーキー・インコーポレイティド
発売日:2010/09/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 このアルバムは1976年に発表されている。1976年といえば、世界的にはプログレ衰退期にあたったが、イタリアではまだまだその人気、需要は辛うじて続いていた。翌77年をもって、衰退期の始まりだと認識している。

 バンドの中心人物はキーボード奏者のレオナルド・ラゴーリオという人で、この人はあのイタリアン・プログレッシヴの歴史に名を刻むバンド、ムゼオ・ローゼンバッハにも一時参加していたらしく、あの傑作アルバムを制作する前に、バンドを脱退した模様である。

 とにかくこの人の演奏するメロトロンとフルートが、非常に心地よいのである。一言でいうならば、イージー・リスニングを演奏するキング・クリムゾン、もしくはメロトロンを多用するドラマー不在のキャメルという感じで(一言ではなかった!)、聞いていて心が和んでいくのが実感できるのだ。

 ここまでメロトロンが使用されているとは思わなかった。最初の曲"Principe Di Un Giorno"からメロトロンが使用されていて、それにフルートやアコースティック・ギター、それから4分過ぎからサックスも盛り込まれてくる。

 使用楽器から見れば、エレクトリック楽器は控えめで、その分、メロトロンやアコースティックな楽器が活躍しているかのようだ。

 特に2曲目"Favole Antiche"の冒頭部分は、そこはかとなく"In the Court of the Crimson King"を連想させてくれて、思わず頬が緩んでしまった。まるでクリムゾンに捧げたオマージュである。
 時間にして約8分少々なのだが、曲の展開がクリムゾン的で、特にアコースティック・ギターやドラムのシンバルの使い方、ボーカルの入り方などが、クリムゾンの初期をイメージさせてくれる。

 3曲目の"Eftus"はレオナルドのフルートが活躍する曲で、ボーカルよりもインストゥルメンタルに比重が置かれているし、次の"Giochi Nella Notte"では2分過ぎの多重録音されたサックスとリードを取るメロトロンが印象的だった。また4分前後に挿入されるエレクトリックのピアノ・ソロがとても美しい。それにメロトロンが重なっていく様が何ともいえず癒されてしまうのである。

 キング・クリムゾンがイタリアン・プログレッシヴ・ロックに与えた影響の強さを今さらながら納得させられてしまうのだが、それにイタリア的な優美さが重なって、このアルバムが成立しているような感じだ。

 "La Grande Isola"はP.F.M.の"通りすぎる人々"のような印象を与えてくれていて、このアルバムの中でも特に綺麗な楽曲に仕上げられていて、最後のシンセサイザーのソロがアクセントにもなっている。このような曲をもっと追求していくと、彼らのオリジナリティがもっと出せたのではないかと思っている。

 最後の2曲"La Danza Del Fato"、"L'mbroglio"は、それぞれ3分少々、1分あまりと短い曲。前者はボーカルとフルートが強調されて、まるでイタリアン歌謡曲のようでもあり、後者の曲は映画の挿入曲にふさわしい。

 とにかくイタリア的な牧歌的メロディとメロトロンの厳かさ、それにからむアコースティック・ギターとフルートという構図なのだが、これがまるでクリムゾンの叙情性の部分を濾過させ、抽出した結晶のような美しさなのである。この1枚で解散してしまったのが、まことに悔やまれてならない。

 彼らはこのアルバムを発表後、レーベル会社Grogの消滅に伴って解散してしまった。ただイタリアでは、このアルバム前後に録音された映画音楽用のサントラや未発表音源集などはCD化されたようである。ともかくこのアルバムが、こうして遠くはなれた日本で発表されたということについては、まさに僥倖といってもいいのかもしれない。

 ひとつだけ問題なのは、日本語解説の曲順が実際の曲順と異なっていることだ。たぶんアルバム・スリーブ内にある曲順をなぞってそのまま記載したのだろうが、実際はCDのレーベル表面上にある曲順である。
 1994年以降に再発されたものについてはどうなっているのかはわからないが、少なくとも1994年の紙ジャケット盤については誤記がある。もしそのままになっているのであれば、訂正した方がいいと思う。

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2011年11月20日 (日)

カナリオス

 “秋のプログレ祭り”ということで、今回はスペインのバンド、カナリオスについて簡単に述べてみたい。

 このバンドのアルバム「シクロス」を購入した。このアルバムは1974年に発表されている。このアルバム・スリーブの日本語部分にはこういうふうに書かれていた。
 『スペインのプログレッシヴ・ロック・シーンに燦然と輝く名盤。当時の国立歌劇のメンバーやオーケストラも参加し制作された本作は、ヴィヴァルディの「四季」をモチーフに人間の誕生から死までになぞらえた一大コンセプト作となっている。スペインのみならず、世界中のクラシカル・シンフォニック作品の中でもトップ・クラスに位置する屈指の傑作』

 ある意味、この宣伝文句につられて購入したわけだが、確かに一大コンセプト・アルバムになっているのは間違いなかった。

シクロス(紙ジャケット仕様) Music シクロス(紙ジャケット仕様)

アーティスト:カナリオス
販売元:SMJ
発売日:2010/02/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 タイトルの「シクロス」とは英語でいうところの“サイクル”のことで、上記にもあるように、人間の一生、さらには輪廻転生のことを譬えている。
 アルバムはまた、全4曲で、第一の輪廻から第四の輪廻まであり、それぞれがイタリアの作曲家ヴィヴァルディの「四季」の第1番から第4番までに当てはまっていて、自分は「四季」を通して聞いたことがないのでよくわからないのだが、それぞれの旋律が使用されているということだった。

 だから1曲目は「四季」の“春”の部分にあたり、人の“誕生”を表現している。2曲目は“夏”を表し、“人生の試練”を意味し、以下、“秋”は“信仰への懐疑と癒し”、“冬”は“人生の終焉と来世への転生”を表しているのである。

 音楽的にもそのモチーフを表現するかのような音作りになっていて、場面場面で、エレクトリック・ギターやメロトロンなどのキーボード、オーケストラ、コーラス隊、さらには歌劇のような効果音等が非常にうまく配列されていた。確かにクラシカルでシンフォニックな音楽が詰め込まれているのである。

 当時はクラシックとロックの融合という事が頻繁に行われていて、古くはムーディー・ブルーズの「デイズ・オブ・ヒューチャー・パスト」が1967年、ディープ・パープルの「ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ」が1969年というふうに、それぞれオーケストラとの共演アルバムが発表されている。

 ただこれらはあくまでもオーケストラとの共演であって、有名なクラシック音楽の楽曲を手直ししたものではなかった。そういう意味では1971年にE,L&Pがムソルグスキーの「展覧会の絵」を発表したのがポピュラーなものであろう。

 カナリオスのこのアルバムは、ヴィヴァルディの旋律の一部を引用したものに過ぎず、しかもかなりアレンジが施されているので、別物に聞こえてくる。
 むしろ圧倒的な構成力の巧みさや、その時々に強調される楽器の使用法が聞き手に興奮をもたらしてくれるのだ。

 自分はまた、このアルバムを聞いてリック・ウェイクマンの「ヘンリー8世の6人の妻」を思い出したが、あの雰囲気に近いものがある。リックのアルバムは1曲あたりの演奏時間が短いし、彼自身がキーボーディストなので、キーボードが強調されているが、このカナリオスの方は、1曲あたりの時間が16分後半から21分くらいまで、しかも時にギター、時にメロトロン、時にコーラス隊にオーケストラと、非常によく考えられて使用されている。

 だから起伏に富み、聞いているうちに引き込まれてくるので、時間が経つのが早く感じられる。あっという間に2枚組CDを聞き終えてしまうのである。

 ただ欲を言うなら、もう少しコンパクトにまとめてくれると、あるいは曲数を増やしてくれると、もっとセールス的にも成功したのではないかと思っている。同時に宗教的というか歌劇的な装飾も含まれているので、外国の人にとっては親しみやすいのかもしれないが、自分には少し苦しかったのも事実であった。

 バンドの中心人物はギタリストのテディ・バウティスタで、60年代は彼を中心にしたビート・ロック・バンドだったようである。
 当時のスペインはフランコ将軍の独裁政治体制で、自由な音楽は制限されていたようであるが、それでも世の中の影響を受けてか、テディはこのアルバムの制作を決意し、メンバーを入れ替えて行った。

 残念ながら1974年という時代は、プログレッシヴ・ロックにとっては冬の時代を迎えつつあった。イエスはパトリック・モラーツを迎え、「錯乱の扉」を発表したものの、それまでの評価とは打って変わって時代錯誤といわれ、キング・クリムゾンは「レッド」とともに終焉を飾った。
 また、E,L&Pはライヴ・アルバムを発表してその活動に区切りをつけ、ジェネシスもまた重要なメンバーを失おうとしていた。時代はプログレッシヴ・ロックを“ダイナソー・ロック”と呼び、衰退に向かう音楽と位置づけようとしていたのである。

 だからのこのアルバムも、もう少し早く発表されていたら、PFMのような評価を受けたかもしれない。またそういう評価を受けるだけの音楽性を備えているのは間違いないだろう。ただしスペインではこのアルバムの影響か、プログレも含めた多彩な音楽が芽生えるようになった。

 そしてこのアルバムを発表した後は、大仕事を果たした安心感からか、バンドは解散し、テディは演奏活動から引退してしまった。スペインのプログレッシヴ・ロックの草創期を飾ったアルバムが、この「シクロス」だったのである。

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2011年11月16日 (水)

ヴィジブル・ウインド

 前回のイギリスのケストレルに引き続き、今回も“秋のプログレ祭り?”ということで、あまり陽の目を見なかったプログレッシヴ・ロック・バンドを紹介しようと思う。

 今回はカナダのバンド、ヴィジブル・ウインドである。自分がこのバンドのことを知ったのは1996年頃のことだった。彼らは当時のポニー・キャニオンからオリジナル・アルバムを既に4枚ほど発表していて、そのアルバムが店頭に並んでいた。
 当時も今も貧乏だった自分は、正規盤なのに1800円という価格に正直驚いたし、アルバムの帯に“実力派シンフォニック・バンド”とあったものだから、思わず購入してしまった。

 彼らの1stアルバムの「カタルシス」は1988年にLPレコードのかたちで発表されていたが、あまりお金も時間もかけずに制作されたせいか、メンバーたちは内容の一部に不満を抱いていたようだ。それで94年に一部を手直しして、CDとして発表したのである。
 
 内容的にはブリティッシュ的な香りが漂う正統的なプログレッシヴ・ロックであり、80年代から流行り始めたイギリスのマリリオンやペンドラゴンのような“ポンプ・ロック”とは似ているものの、一線を画しているように思えた。あまりポップ寄りではなく、曲調に起承転結が見られたからだ。またギターとキーボードのバランスもよく、演奏技術も優れていた。2

 彼らはカナダでも東部のケベック州出身である。ご存知の方も多いとは思うが、かつてはケベック州はカナダから独立するかもしれないと噂されるほど、地理的、風土的、環境的にもヨーロッパに近く、多くの住民は英語よりもフランス語を話すほどである。(このアルバムにもフランス語表記の曲名が見られるし、のちのアルバムには実際にフランス語で歌っている)

 だから自分的にはこの1stアルバムは充分堪能することができたし、価格的にも満足した。唯一気に入らなかったのは、アルバム・ジャケットだった。このジャケットを見て、このアルバムがプログレッシヴ・ロックの範疇に属するとは誰も気づかないだろうし、気づいても購入するには躊躇するかもしれない。それほどのジャケットだった。Photo

 このアルバムでは5人組なのだが、セカンド・アルバム「時を超えた世界」ではボーカリストのクリストファー・ウェルという人が脱退して4人組になっている。このボーカリストは1stアルバム発表後、まもなく脱退したようだ。
 このセカンドは元々1991年に発表されていたが、これもまた再録、一部曲順が入れ替えられて96年に再発された。だから1800円だったのだろう。
 またボーカルは、このアルバムからキーボード担当のステファン・ジェサンが担当しているのだが、なかなかいい味を出していて、在りし日のジョン・ウェットンを思い出させてくれた。
 1曲目の"A Moment in Time"は3部形式の組曲で13分32秒もあるし、続く"Soleil D'aube"はフランス語で歌われている。この曲のギター演奏は叙情的でキャメルのアンディ・ラティマーやジェネシスの元ギタリスト、ステーヴ・ハケットを髣髴させてくれる。

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 残念ながらこのギタリスト、フィルップ・ウルガはこの後脱退してしまい、代わりにクロード・ランヴィルという人が加入した。この人もなかなかのテクニシャンで、しかも叙情味に加えて、攻撃的な演奏も得意なようだ。
 
 この2枚を聞いて、彼らのことをもっと知りたくなったし、日本でもっと評価されてもいいバンドだと思うようになったのである。
 特に4枚目のアルバム「ナーシサス、月へ」は彼らの最高傑作ではないかと思われるほど、なかなかの名盤なのである。3
 ひとつにはフルートが効果的に使用されていて、2曲目の"Fuzzy Concept"などはキャメルのような曲調に仕上げられている。
 またピンク・フロイドのように曲間にSEが使用されていて、これもまたアルバムに陰影を添えている。

 このアルバムは全体的に録音もクリアーで、トータル・アルバム形式にもなっている。先ほど述べたフルートだけでなく、メロトロンも効果的に使用されているし、ギターもアコースティックからエレクトリック、メランコリックでアグレッシヴと大活躍している。

 彼らは日本でのディストリビューションは失ったが、その後も活動を続け、地元カナダでは2000年には5枚目のアルバム「バーバ・バーラ・ルー」、2006年には「ラ・ダメンティア・ロマンティカ」を発表している。

 とにかく現在では通販でしか入手できないかもしれないが、ロマンティックなプログレを味わいたければ「時を越えた世界」を、トータル性を重視したい人は「ナーシサス、月へ」がお薦めである。
 またここでは省いたが、3作目の「エマージャンス」もプログレッシヴ・ロックにハードで攻撃性を加えたような音楽性が秀逸で、特に14分を越える冒頭の"Sweet Perdition"や叙情性たっぷりの"Winter Night"などが素晴らしい。特に後者は、まるでジョン・ウェットンが歌っているかのように深みのあるボーカルで、渋みがある。5
 しかし、彼らのアルバム・ジャケットがもう少し良質であれば、例えばヒプノシスあたりが担当していれば、もっと世界規模で認知されていたのではないかといまだに思っている。

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2011年11月13日 (日)

一命

 最近読んで面白かった本は、「一命」だった。これは役所広司や市川海老蔵、瑛太などが出演して映画化されたので、ご存知の人も多いと思う。時代劇では珍しく、2Dと3Dの2種類で上映されていた。

 自分は映画を見に行こうと思ったのだけれど、時間的にまた予算的にそれが許されなかったので、見に行くのを止めて、原作を読もうと思った。Photo

 原作は滝口康彦の「異聞浪人記」というもので、これは短編小説の部類にあたる。内容を簡単にいうと、以下のようなことである。

 江戸初期には天下が太平になるにつれて、御用済みとなった、あるいはお家取り潰しにあった浪人があふれ、その中には、糊口をしのぐために有名大名家のお庭を借りて、狂言切腹を図ろうとするものが出だした。

 そうすれば大名家は評判を気にして、あるいは庭先が汚されるのを嫌って、そのような浪人に幾ばくかの金銭を与えて追い返し、浪人の方はそれでしばらくは食いつなげるということであった。

 しかし名門の井伊家では、そういう世の動きを潔しとせず、あるとき自家に切腹を願い出てきた浪人に対して、実際に切腹をさせてしまったのである。この件をきっかけにして、狂言自殺を図るものは、急にいなくなったという。

 ところがそんなある日、またもや井伊家に切腹を願い出る浪人が現れた。井伊家では前例に習い、この浪人をも切腹させようとするのだが、そのまえにその浪人から最後の願いが出されるのであった。ここからこの小説の絶妙なプロットに移っていくのである。

 作家である滝口康彦氏は、直木賞の候補になること6回を数えたほどの名ストーリー・テラーなのだが、残念ながら受賞をすることはなく、80歳で2004年に亡くなっている。
 この人の描く小説は、地元九州に関する時代小説が多く、特に人生のほとんどを過ごした佐賀についての事件、歴史、人物が多いようだ。

 自分が読んだ講談社文庫には、「異聞浪人記」以外に、殉死を禁じた掟について問う「高柳父子」や下級武士の世界の家族の、夫婦のあり方を歴史的事実に基づいて脚色した「拝領妻始末」、ミステリー風の謎解きも楽しめる「上意打ち心得」、女性のささやかな誇りが歴史を変えてしまった「謀殺」など、どれも楽しめる6編が収録されている。

 値段も手ごろ、時間もかからずに読めて、久しぶりに知的に興奮する時間を過ごす事ができた。今までこの本のことや作者のことを知らずに生きていたが、長生きしてよかったと思っている。

 なお、「一命」は1962年にも小林正樹監督、橋本忍脚本、仲代達也主演で映画化されていて、今回が2度目にあたる。1962年のものは「切腹」というタイトルだった。はやり原作がよければ、何度も映画化されるのであろう。

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2011年11月12日 (土)

ケストレル

  秋といえば、プログレッシヴ・ロックといえると思うのだが、秋というよりもうすぐ冬になる。今年は少し遅すぎたようだ。
 
 そんなことを考えながら、今回はあまりメジャーではないものの、隠れた名盤というか、もっと正当に評価されていいアルバムを紹介したいと思う。

 そのうちの1枚は、わかりやすいメロディと確かなテクニックに裏付けられたアルバム「ケストレル」である。演奏しているバンドも同名の5人組だった。

 このアルバムは1975年という、プログレッシヴ・ロックの全盛期から少しずれた時期に発表されていて、パンク・ロックの台頭を迎えていたときであった。
 そのせいか日本のみならず欧米でも正当な評価はされず、あっという間に時代の闇に埋もれてしまった。

 このケストレルというバンドのギタリストは、デイヴ・ブラックという人で、このアルバムの発表後、ミック・ロンソンの代わりにスパイダース・フロム・マーズに参加している。そういったこともあってアルバム1枚で解散してしまったのだろう。Photo

 最初にも述べたように、メロディ・ラインはしっかりしており、ポップなテイストも含んでいるし、ギターだけでなく、ベースやキーボードも自己主張をしている。
 特にベースはクリス・スクワイアばりにゴリゴリとアタックの強い音を出しているし、キーボードはハモンド・オルガンやシンセサイザーだけでなく、メロトロンも使用されていて、愛好家としてはたまらないのだ。

 そして間奏には時にメロディアス、時にジャス・テイストにあふれたテクニカルなギターが舞うのである。これで売れないはずはないと思うのだが、たぶん時代背景とそれに伴ってのアルバム会社の強力なプッシュ、宣伝がなかったのだろう。まさに時代に埋もれた悲劇のバンドという感じが、個人的にはするのである。

 全8曲だが1曲目の"Acrobat"はその名前の通りギターがフィーチャーされて、このバンドは只者ではないと感じさせてくれるし、2曲目の"Cold Wind"は逆にキーボードが導入を彩り、それにボーカルやギターが絡んでいくという構図になっている。
 ボーカルのトム・ノウルズという人も癖のない素直な声質で、曲調と非常にマッチしている。ボーカルだけ取り出せば、普通のポップ・バンドという印象だ。

 3曲目の"I believe in You"はこのアルバム中一番ポップな雰囲気を持っている曲で、ひょっとしたらシングル・カット用に作られたのかもしれない。以前ドゥルイドというイギリスのプログレッシヴ・ロック・バンドをこのブログで紹介したことがあったが、彼らの音楽にポップな味付けをしたらこうなりました、という感じである。

 4曲目の"Last Request"は壮大なバラードで、ジョン・クックの演奏するシンセサイザーが大活躍している。当時のレコードではこの曲がA面の最後を飾っていたのだろう。

 後半に入ると一転してプログレっぽくなるところが面白い。"In the War"などはジャズ的な転調とが目立つし、この曲だけ聞けばキャラヴァンやハットフィールド&ザ・ノースなどのカンタベリー系と思われるかもしれない。そして6分過ぎから唐突に挿入されるメロトロンがカッコいいのだ。まるで隠し玉である。

 6曲目"Take it Away"はまるで疾走する10CCのようだし、意外とコーラス・ワークもいけることが分かる。次の"End of the Affair"ではイントロのギターがハード・エッジで、この曲もまたハードな感じになるのかと思えば、急に叙情的なピアノとボーカルがスタートする。こういう緩急つけた展開もまた彼らの魅力のひとつだろう。そして途中に割り込むギターとメロトロンが曲をより印象的なものにしてくれる。

 最後の曲"August Carol"でもこの展開は変わらず、最初から最後までバックでキーボードが鳴っているし、途中で割り込むギターがアクセントになっている。なんとなく初期のイエスのようだ。初期といっても「サード・アルバム」の頃のイエスである。
 そしてラストにキング・クリムゾンのような壮大なメロトロンが厳かに鳴り響くのである。まるで"In the Court of the Crimson King"である。それに泣きのギターが絡みつくのだからたまらない。

 とにかくこのアルバムは、再評価されていいし、2回くらい再発されたようだが、もう一度販売してほしいアルバムである。適度に湿っぽく、適度に乾いていて、あと4年ほど早ければ、このアルバムとともに彼らはもっとビッグになっていたはずだ。時代に埋もれた名盤の1枚なのである。

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2011年11月 8日 (火)

ジョン・アンダーソンについての独り言

 最近、よくないことが続いて起こった。まず、CD・MDラジカセのMD部分が使用できなくなってしまった。エラーが出るのである。購入して5年しかたたないし、そんなに酷使した覚えはないのだが、故障したのである。

 続いてパソコンが故障した。このブログを書いていたのもそのパソコンだったのだが、それもできなくなった。いまは代用品で我慢しているのだが、これがまた低機能、低レスポンスの製品で、1本のブログを書くのに、何時間もかかってしまうのである。

 さらにはピンク・フロイドのブートレッグを注文したのだが、これが不覚にもよく説明を見ずに買ってしまって、CDではなくてmp3ファイルでダウンロードしなければならないものであった。
 だから価格自体は安いものの、たとえファイルが送られても、パソコン音痴の自分にはどうしようもないのである。解凍ソフトを使って自分でパソコンに保存し、しかもそれをCDにするには、自分で焼かないといけない。そんなことができない自分は、お金を倍にして払うからどうかCDを送って下さいといいたいくらいだった。もっとよく注意してwebページを見ればよかったと後悔している。もしネット通販をしている人がいたら、私のような失敗をしないように、十分気をつけてほしいと願っている。

 そんなこんなで暗い毎日を送っているプロフェッサー・ケイであるが、そういうときは、例えばジョン・アンダーソンの歌を聴くことにしている。彼の歌を聴くと、こちらまで彼の誇大妄想癖が伝わってきそうで、思わず心が高揚してしまうのだ。

 とにかく彼の守備範囲は広い。前回も述べたが賛美歌からブラジル音楽、ケルト・ミュージック等々、とてもイエスというバンドの音からは想像もつかない音楽に携わっている。

 今回紹介するのは、彼が2回目のイエスを脱退した後に発表したアルバム「イン・ザ・シティ・オブ・エンジェルズ」である。

イン・ザ・シティ・オブ・エンジェルス Music イン・ザ・シティ・オブ・エンジェルス

アーティスト:ジョン・アンダーソン
販売元:Sony Music Direct
発売日:2003/09/18
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 タイトルが示しているように、“天使の街”とは、アメリカのロサンゼルスであり、ジョンはイエス脱退後、アメリカに渡りこのアルバムを制作した。

 アルバム制作に携わったミュージシャンは、ロスのスタジオ・ミュージシャンたちで、特にTOTOのスティーヴ・ルカサーやデヴィッド・ペイチ、スティーヴ・ポーカロ、ジェフ・ポーカロなどが全面的に協力している。

 だから収められた楽曲は、プログレッシヴ・ロックとは正反対のもので、80年代の遅れてきたAORという感じである。
 1曲目の"Hold on to Love"から最後の"Hurry Home"まで、これでもかというくらいポップ・テイストでコーティングされた曲を聞くことができのだが、これが妙に気持ちいいのである。

  また1998年に発表された「モア・ユー・ノウ」もレゲエ・ミュージックやラテン・フレイバーの曲など、様々なエッセンスにあふれたAORアルバムに仕上がっている。

More You Know Music More You Know

アーティスト:Jon Anderson
販売元:Import [Generic]
発売日:2008/05/13
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 曲の長さも3から4分程度と短く、基本的に彼の妻のジェーンと2人のアフリカ系ミュージシャン、ボビーとフランシスの4人で制作されたものであった。

 もともとジョンという人は、ビートルズやサイモンとガーファンクルをはじめとして、フランク・シナトラ、アンディ・ウィリアムス、ディオンヌ・ワーウィックやフィフス・ディメンションなどのポピュラー・ミュージックが好きだそうで、バンド結成前からこういう音楽的趣味があったという。

 そういう音楽的趣向がこのアルバムにも反映されているようだ。だからジョンはのびのびと歌っている。ましては周りはスタジオ・ミュージシャンばかりだから、彼の意向に逆らうつもりもなかっただろう。ジョンの意思が100%反映されたアルバムになっているのである。

 最初の「イン・ザ・シティ・オブ・エンジェルズ」は、1988年に発表されているのだが、この後も彼は様々な音楽的変遷を繰り広げながら、その時々の自分の意思に従ってアルバム制作を行っている。
 彼の音楽的な誇大妄想も実はといえば、彼の力強い意志によるものであろう。自分はそんなジョンがうらやましくてならないのである。

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2011年11月 4日 (金)

ジョン・アンダーソンの妄想癖

 ジョン・アンダーソンといえば、イギリスのプログレッシヴ・ロック・バンド、イエスの元リード・ボーカリストである。
 彼は2010年から“ツアー・オブ・ジ・ユニヴァース”という名前の北米ツアーを続けていて、同名のDVDも発売されている。

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 イエスというグループは、結成されてもうすぐ45周年にもなろうかという息の長いバンドである。このブログでもたびたび取り上げたが、代表作としては「危機」、「こわれもの」、「究極」、「錯乱の扉」、「90125」などがあるが、息の長い分、メンバー・チェンジも激しく、入れ替わり立ち代り、しかも一定以上の高レベルの演奏技術を持つミュージシャンのみが加入しては去っていっている。

 しかしその中心人物は、ジョン・アンダーソンとベーシストであるクリス・スクワイアの2人で、彼らがロンドンのパブで出会ったところから、長い長い物語が始まるのである。

 別に長い話をするつもりもないので、それは省略するのだが、面白いのはその中心者でもあったジョン自身も1979年に音楽的意見の対立でバンドを去っている。
 そしてキーボーディストのリック・ウェイクマンも後を追うようにバンドから脱退してしまうのだが、ジョンは1983年に、リック・ウェイクマンも1991年に再加入した。

 しかしジョンは、何を思ったか1988年には再び脱退した。当時のイエスは旧イエスと分別するために“90125イエス”と呼ばれていたのだが、その中心になったのはスーパー・マルチ・ミュージシャンのトレヴァー・ラビンだった。

 はっきりいって彼が加入したおかげで、シングルは全米No.1になり、アルバムは売れてツアーは大盛況、商業的にも大成功したわけなのだが、彼とジョンとではやがては音楽的にも対立するようになった。やはりジョンとしてはイエスを立ち上げたのは自分だという自負があっただろうし、トレヴァー・ラビンには自分が新しい血となってイエスを再構築し、今まで以上にビッグにしたという自信があっただろう。ある意味、予想できた対立ともいえるかもしれない。

 ジョン・アンダーソンという人は、誇大妄想というか自尊心肥大症ではないかと思っている。ああいう壮大な音作りの構築美型音楽を作り上げるには、自分に自信がないとやっていられないというのはよくわかる。

 特にジョンとしてはフロントマンとしてと同時に、リーダーとしてバンドをまとめ上げ、方向性を示すために音楽面だけでなく、アルバムのコンセプトやジャケットなどの美的センスなども求められたであろう。

 だから彼らの音楽空間にふさわしいイラストレイターやスタッフが揃えられ、それにあうものが選ばれたのだが、それが段々と高じてしまい、やがては自分のコンセプトに合うものを選択するようになったのではないだろうか。それが旧イエスと90125イエスが合体してしまった8人編成イエスだったのである。

 この8人編成が結成されるきっかけになったのも、ジョンがトレヴァーに電話をかけて、自分たちのアルバム(アンダーソン、ブラッフォード、ウェイクマン&ハウ)に曲が足りないから提供してくれという、何とも虫のいい話から始まったものであった。
 このように自分の妄想を叶えるためには手段を選ばないというやり方もジョンらしいやり方なのである。

 8人編成イエスという妄想も、もともとジョンが温めていたプランだったようで、8人ではなく、イエスに参加したすべてのミュージシャンを集めてライヴを行いたかったようだ。
 また1974年にリック・ウェイクマンの代わりにパトリック・モラーツがキーボーディストとして加入したのだが、ジョンは本当はギリシャ人のヴァンゲリス・パパナシューを加入させたかった。しかし他のメンバーから反対されてしまい、そうはならなかった。

 それでジョンは、それならばということで、ヴァンゲリスとコラボレーションを図り、アルバムを発表してしまった。自分はジョン&ヴァンゲリスのアルバムを4枚、ジョンのソロ・アルバムを11枚所有しているのだが、ジョンの音楽というのはクリスマスの賛美歌からケルト・ミュージック、ブラジル音楽まで幅広い。まるで幼児が目の前にあるものを手当たり次第に口に入れるような感じで、興味のある音楽を手当たり次第にやっているのである。

 この節操のなさというか、窓口の広さというか、こういうところにもジョンには誇大妄想癖があるのではないかと思わせてくれる。(だいたい上にある北米ツアーのタイトル名からして大仰というか過剰というか、誇大過ぎると思うのだが、どうだろうか)

 だから彼が2008年にバンド結成40周年記念ツアーに喘息の悪化で参加できなくなったというのも眉唾物だと信じている。なぜならその前の年の2007年にアメリカとイギリスに、2009年にはヨーロッパ・ツアーに出かけているからだ。喘息が悪化したといわれた2008年にも曲つくりや他のアルバムにも参加しているのである。自分はまた彼特有の誇大妄想癖が表れて、他にジョンがやりたい事ができたのだろうと思っていた。

 結局、イエスは新しいボーカリストのベノート・デヴィッドを入れてツアーを始めたし、アルバムも発表した。ジョンも今度はリック・ウェイクマンと2人でアルバムを制作して発表した。それが2010年の「ザ・リヴィング・ツリー」である。

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 このアルバムの中のウェイクマンは美しいピアノを聞かせてくれていて、シンセサイザーやメロトロンなどは使用されていないか、ごくわずかである。かつてのウェイクマンを知る人にとっては驚くべきことで、ほとんどジョンのバッキングに徹している。2010年にはジョンとリックは2人でイギリス・ツアーに出かけて、このアルバムの中の曲を演奏している。

 また2011年には13年ぶりのスタジオ・アルバムの「サヴァイヴァル&アザー・ストーリーズ」が発表された。

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 これはジョンが約4年前から自身のウェブサイトでミュージシャンを募集していて、応募してきた中から気に入った人と一緒に制作したものである。
 全11曲だが、どの曲も穏やかで温かい。例えていうならジョンの"Soon"のような曲で占められている。特に8曲目の"Love and Understanding"はメロディも印象的で、美しい。彼のボーカルのよさが充分生かされている曲だと思う。

 今年で66歳になったジョンだが、声量は少し落ちたかなと思われるが、相変わらず高音はよく伸びていて見事である。“エンジェル・ボイス”と彼の声は例えられたものだが、よく言ったものである。

 ジョンはイエスの最新アルバム「フライ・フロム・ヒア」には批判的で、期待していたよりもよくないと言っている。そして自分自身はというと、妄想癖が高じたせいか、トレヴァー・ラビンとリック・ウェイクマンとアルバム制作中らしく、来年はツアーの計画もあるという。ただ残念ながらドラマーのビル・ブラッフォードの勧誘には失敗したらしい。

 というわけで、66歳になっても彼の壮大なドラマは続いている。歴史は繰り返すと言われるが、来年にはジョンのいたイエスと新しいアンダーソン、ウェイクマン&ラビン(仮称)の2つのバンドのライヴや、ひょっとしたらこの2つが合体した新編8人編成イエスが見られるかもしれない。
 ジョンの軌跡をみていると、物事というのは、不可能と思われることでも妄想し続けることによって、実現につながるかもしれないと、つくづく思うのである。

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