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2012年3月

2012年3月31日 (土)

Mr.Big(U.S.)

 以前のこのブログの中で、イギリスのバンドでMr.Bigと名乗っていたものを紹介した。このバンドは1975年にデビューして78年に解散したバンドなのだが、"麗しのザンビア"というスマッシュ・ヒットも持っていて、けっこう日本では人気が高かったようだ。

 しかもドラマーが2人もいて、ドラマティックな音作りを目指していたらしいのだが、残念ながらパンク/ニュー・ウェーヴの時代の流れには勝てずに解散していった。

 それから約10年後、今度はアメリカで同名のバンドがデビューした。このバンドがUK版のMr.Bigと異なる点は、大いに売れて、人気がでたという点であろう。このバンドは無名の新人が集まっているにもかかわらず、実力レベルは難易度の高い業もらくらくこなすほどだったのである。

 自分はいま彼らのアルバム、1991年に発表された「リーン・イントゥ・イット」を聞きながら、このブログを書いているのだが、時々手が止まってしまうほど、このアルバムはよくできている。①曲がいい②ノリがいい③適度にハードで、メロディアスである、などの理由があげられるだろう。Mrbig

 このバンドの目玉はギターのポール・ギルバートとベースのビリー・シーンだろう。彼らのテクニカルな演奏は、それだけでも十分飯が食えるほどの価値がある。

 たとえばこのアルバムの1曲目に"Daddy, Brother, Lover, Little Boy"という曲がある。これには"The Electric Drill Song"というサブ・タイトルがついているが、文字通り、マキタのコードレス電気ドリルを使って演奏している。注意書きに“子どもたちは家で試みないように”とあるが、誰も電気ドリルを使ってギターを演奏しようとは思わないだろう。まさに曲芸師のような離れ業だが、彼らはライヴでもこれを行っていた。ドリルを使えば速弾きも簡単なのだろうか。

 彼らの楽曲は本国のみならず、日本でも高く評価された。先に述べたように"Green-Tinted Sixties Mind"のような楽曲自体がいいということもあるし、ギター・キッズを魅了するようなフレーズやプレイ・スタイルも備えていたからだろう。このアルバムからシングル・カットされた"To Be With You"は全米No.1も獲得している。

 ただしこれはバラード・タイプの曲で、これは彼らの一側面でしかない。彼らにしてみればこれだけで判断されたくないと思ったであろう。バンド名自体がイギリスのフリーの曲名から拝借しているのだから、自分たちはブルージーでハードなロック・バンドだという自負もあったことは想像に難くない。

 しかしレコード会社や一部のファンは、もっとポップで口ずさめるような親しみやすいハード・ロックを望むようになった。この辺から彼らの音楽に対する苦悩が生じてきたのである。

 彼らが結成された1989年前後はダム・ヤンキース、バッド・イングリッシュなどのいわゆるスーパー・バンドが相次いでデビューしたときでもあった。
 このアメリカ産Mr.Bigもスーパー・バンドといえば、スーパー・バンドであった。ただしあまり知られていなかったけれども…

 ベーシストのビリー・シーンは、1979年に自らのバンド、タラスを率いてアルバムを発表した。以後5年間でスタジオ盤、ライヴ盤をそれぞれ1枚ずつ発表するも鳴かず飛ばずで、バンドは解散。彼は85年に元ヴァン・ヘイレンのデヴィッド・リー・ロスのバンドに参加し、そこでギタリストのスティーヴ・ヴァイとともに驚異のテクニックを世界中に見せつけ、ようやくメジャーになった。

 ボーカリストのエリック・マーティンは、1983年にソロ・アルバムを発表し、少しずつ名前も売れていった。ジャーニーと同じマネージメントだったため、ジャーニーのニール・ショーンとともに曲作りも行っている。

 ドラマーのパット・トーピーはセッション活動が多く、テッド・ニュージェントのアルバムや当時の世界最速ギタリストといわれたクリス・インペリテリのアルバム「スタンド・イン・ライン」に参加している。

 そしてギタリストのポール・ギルバートは、1986年にロサンゼルスでレーサーXというバンドを結成し、アルバムを発表した。当時はいかに華麗にそして速くギターを弾きこなすかが世界的に流行していたのだが、そのときのポールの速弾きは世界でも3本指に入るものと言われていた。
 その後も2年間にアルバムを数枚発表したが、バンドは解散。ビリーとエリックに誘われてパットとともにMr.Bigに加わり、ここに黄金のラインナップが完成したのである。

 だから個々のメンバー全員がメジャーだったわけではないが、彼らのキャリアや実績は充分スーパー・バンドに値したし、1stアルバムのヒットは確かにそれを裏付けていた。

 ただ先に述べたように、売れる音楽を求める一部の人たちと自分たちの音楽を求めようとするミュージシャン側との軋轢が3枚目以降のアルバムに表れている。
 2ndアルバム「リーン・イントゥ・イット」はアメリカ本国でも15位とプラチナ・アルバムを獲得したが、3枚目のアルバム「バンプ・アヘッド」は82位と振るわず、それ以降のアルバムはチャート・インすらしていない。

 その影響はバンドの人間関係にも表れ、一時ベーシストのビリーが脱退したり、ギタリストがリッチー・コッツェンに代わったり、2002年にはバンド自体が解散したりしたが、2009年にはオリジナル・メンバーで再結成し、翌年にはオリジナル・メンバーとしては15年ぶりのアルバムも発表している。

 彼らのアルバムの多くは、アメリカよりも日本で評判が高く、商業成績も高い。1996年のアルバム「ヘイ・マン」は日本のオリコン・チャートで1位を記録しているし、それ以外のアルバムも、日本ではゴールド・ディスクやプラチナ・ディスクを獲得している。
 また日本でのライヴや衛星放送でのTV放映も多く、ひょっとしたらいつの日か彼らは、第二のベンチャーズと呼ばれるようになるのかもしれない。

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2012年3月27日 (火)

バッド・イングリッシュ

 スティクスの元メンバーであるトミー・ショウが、ダム・ヤンキースやショウ・ブレイズというバンドを結成して活動していたことを以前のブログで述べた。

 今回もシンクロニティというか、ダム・ヤンキースなどとほぼ同時期にあたるのだが、もとは有名だったバンドからメンバー達が集まって結成したバンドについて記すことにした。このバンドもまた成功している。音楽的才能のある人たちは、誰とどんな活動をしても上手くいくのだろう。

 そのバンドとは、バッド・イングリッシュといった。メンバーは以下の通りである。
ボーカル…ジョン・ウェイト(元ベイビーズ)
ギター…ニール・ショーン(元ジャーニー)
キーボード…ジョナサン・ケイン(元ジャーニー)
ベース…リッキー・フィリップス(元ベイビーズ)
ドラムス…ディーン・カストロノヴァ(元ワイルド・ドッグス)

 この中で、日本で有名でないのはドラムス担当のディーンぐらいだろうか。それでもディーンのドラム・プレイは一部ハード・ロック・ファンの間では有名で、実力的には若手ドラマーの筆頭に上がるほどだった。

 このバンドは、基本的には元ジャーニーと元ベイビーズのメンバーが合体したような形になっているのだが、実際はベイビーズの再結成を画策してこのような結果になったと思っている。

 キー・パーソンはジョナサン・ケインである。上のメンバー・リストでは、彼は元ジャーニーとなっているのだが、本当はジャーニー参加の前にはベイビーズにも在籍していたから、両方のバンド経験者なのだ。
 またデビュー・アルバムでは、全13曲中最後の"Don't Walk Away"と5曲目の"When I See You Smile"を除いて、他のメンバーとともに曲作りにジョナサン・ケインとジョン・ウェイトが関わっている。このことから見ても、この2人がこのバンドの機動力だったことがわかる。ということはやはりこれはジャーニーではなく、ベイビーズの再結成だったに違いない。

 またバンド名もベイビーズ再結成を匂わせている。定説では、バンド名はビリヤードが大好きなジョン・ウェイトが名付け親ということになっていて、キューで玉をつくときにイングリッシュといい、失敗したときはバッド・イングリッシュというところから来ているとのことだった。

 しかしこれには別の説もあって、元のバンド名であったザ・ベイビーズが英語では“The Babys”と間違ったスペルになっていることから、これはバッド・イングリッシュということでバンド名になったという話である。ここまでくれば、これはもう間違いなくベイビーズの再結成しかないだろうと思ってしまう。

 だから再結成するにあたり、ギタリストを誰にするかで、ジョナサンつながりでニール・ショーンが入ったのだろう。そう考える方が自然な感じがするのだが、どうだろうか。

 ちなみに時系列的に言うと、ベイビーズは1981年に解散し、ジョン・ウェイトは1984年にシングル"Missing You"で全米1位を獲得した。ジャーニーは1987年に一旦解散している。そしてこのバッド・イングリッシュのデビュー・アルバムは、1989年に発表された。Photo

 このデビュー・アルバムは大成功した。チャート的には21位だったが、シングルの"When I See You Smile"が全米No.1になったおかげで、アルバムもプラチナ・ディスクを獲得している。さらにこのアルバムから"Forget Me Not"、"Price of Love"、"Heaven is a 4 Letter Word"、"Possession"と5曲もシングル・カットされて、それぞれ45位、5位、66位、21位になっている。

 ただしNo.1になった"When I See You Smile"はダイアン・ウォーレンが作ったもので、彼らのオリジナルではなかった。
 とにかくジョン・ウェイトの歌うバラードは定評があり、このアルバムでも"When I See You Smile"をはじめ、"Posssession"や"Ghost in Your Heart"、"Price of Love"などは思わず聞き耳を立ててしまうほどである。彼こそロッド・スチュワートに代わっての21世紀のバラード・シンガーにふさわしいと思ったほどだ。ひょっとしたらジョンは自分がバラードを歌うために、このバンドを立ち上げたのかもしれない。

 このアルバムが売れたおかげで彼らは1991年に2ndアルバム「バックラッシュ」を発表するのだが、シングルもヒットせず、アルバムも72位と振るわず、これは大きくコケてしまった。また、ニール・ショーンとリッキー・フィリップスはバンドがポップ化することに反対し、逆にハード・ロック路線を歩もうとした。ニールはもう少し自分の見せ場を欲したのだろうし、ボーカル重視のジョンと立場を異にしたことから、バンドは分裂状態に陥ってしまったのであろう。

 結局、彼らは1991年に解散してしまう。ニール・ショーンは、ジョナサン・ケインとディーン・カストロノヴァとともにジャーニーを再結成し、ジョン・ウェイトはソロ活動を始め、ベーシストのリッキー・フィリップスは2003年から再結成されたスティクスに参加して、現在に至っている。

 こうしてみると、かつてのメンバーたちはアメリカン・プログレ・ハードという狭いジャンルながらも、離合集散しては今もなお活躍している。彼らの音楽的キャリアの陰には、様々な人間模様で綴られたタペストリーが飾られているのであろう。

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2012年3月23日 (金)

テッド・ニュージェント

 ダム・ヤンキースのところで、テッド・ニュージェントというミュージシャンが登場したので、彼について簡単に述べることにした。

 テッドは1948年生まれなので、今年で64歳になる。彼がダム・ヤンキースに参加したのは41歳のときで、メンバーの中では最高齢だった。ちなみにトミー・ショウはそのときは36歳だった。全然関係ないが、サミー・ヘイガーがヴァン・ヘイレンに加入したときは38歳だったから、テッドはサミー・ヘイガーより年齢がいっていたことになる。

 70年代の日本のロック事情というのは貧しくて、特に地方に住んでいる中高生にはあまり情報が入ってこなかった。ラジオでヒット・チャートを聞くか、ミュージック・ライフのような雑誌を購入するしかなかったのである。
 ただ残念ながら、ヒット・チャートでは、文字通りヒットした曲しか聞くことができず、雑誌はその雑誌の編集方針に沿った音楽やミュージシャンしか掲載されておらず、それ以外のことは何も知ることができなかった。

 だから70年代半ばのアメリカン・ロックといえば、キッス、チープ・トリック、エアロスミス、ボストン、ハートのようなロック・バンドか、パティ・スミス、ラモーンズ、トーキング・ヘッズなどのニュー・ウェイヴ勢が主流で、それ以外はさっぱりだった。

 当時、テッド・ニュージェントという名前は、唐突に聞いた感じがする。ある日いきなりブレイクしたワイルドなロックン・ローラーといった感じだった。しかもその売り出し方も驚きで、“野獣”のようなキャッチフレーズとともに、上半身裸でギターを弾きまくるステージ・ショットが雑誌の見開きに載せられていたから、ちょっとビックリしてしまった記憶がある。

 正確にいうと、テッドは1958年から活動を始めていて、60年代の終りから70年代初めにかけては年間300回以上のライヴを行っている。日本に紹介された頃は年間200回以上のライヴを行っていたのである。確かにそんな記事も読んだ気もするが、紹介の仕方が唐突だったので新人ミュージシャンだと勘違いしていた。

 彼はデトロイト生まれだったから、デトロイトといえばロックン・ロールというイメージがあった。(ただし10代のときにイリノイ州に引っ越している)だからかどうか知らないが、彼もエネルギッシュなロックン・ローラーで、特にギブソンのバードランドというエレアコが彼のトレードマークだった。

 彼が日本で人気があったのは1976年の「ハード・ギター爆撃機」、77年「傷だらけの野獣」、78年「ダブル・ライヴ・ゴンゾー!」ぐらいだったと思う。特に78年の2枚組ライヴ・アルバムは日本でも売れた記憶がある。本国アメリカではトリプル・プラチナ・アルバムを獲得して、アルバム・チャートでは13位を記録している。このときが彼のピークだったのではないだろうか。

 ちなみにテッド・ニュージェントとは、初期のアリス・クーパーと同じく、個人名でありながらバンド名でもあった。もちろん主役はテッドで、彼のボーカルとギターがメインなのだが、それを支えるバンド・メンバーも改名以前のバンド、アンボイ・デュークス時代からのメンバーだったから息もピッタリだった。

 ところが1978年のピーク時に昔からのメンバーだったギタリストとベーシストが脱退した。たぶん苦節何十年が報われて、経済的にも余裕ができ、家族を養えるようになったのだろう。アメリカ人にはよくあることだが、ある一定の水準に達したり、自分の夢が実現してしまうと、彼らは現実的な生活に戻ったり、あまり無理をしない活動に戻ったりしてしまう。さすがプラグマティズム発祥の国である。この辺のバランスが面白いと思う。

 結局それ以降の、特に80年代に入ってからのテッドは、そこそこヒットするも、1976年から78年のような全米規模のヒットには恵まれなくなった。だからというわけではないだろうが、1989年にトミー・ショウやジャック・ブレイズとともにダム・ヤンキースを結成した。そして1stアルバムが大ヒットして、再び彼のキャリアに脚光が当たったのであるから、運命とは不思議なものである。

 ダム・ヤンキース解散後のグランジ・ブームの中で発表された1995年のアルバム「スピリット・オブ・ザ・ワイルド」は、86位という厳しいチャート・インで終わっている。残念ながらダム・ヤンキースの栄光を引きずることはできなかったようだ。
 しかし彼のロックン・ローラーとしての炎は消えず、昨年もシングルを発表し、かつての仲間らと一緒にツアーを開始している。最近のロックン・ローラーは60歳を過ぎても当然のごとく活動を続けていることがうれしい。

 自分は「傷だらけの野獣」を持っているのだが、これが特に名盤という感じはしない。なぜ当時これほど売れたのかがよくわからない。(当時全米17位、トリプル・プラチナ・アルバムになった)

  全米30位と彼のキャリアの中で一番ヒットした"Cat Scratch Fever"よりも2曲目の"Wang Dang Sweet Poontang"の方が疾走感があってよかったし、全米70位になったインストゥルメンタル曲の"Home Bound"もノリがよかったが、全体的にはごく普通のハード・ロック・アルバムだと思う。Photo_2
 ただ上にもあったように、当時の彼は年間200回以上のライヴを行っていた。あの広大なアメリカで人気を得るためにはそれぐらいの公演活動をしないと、人々の記憶の中に残っていかないのだろう。そして一旦人気がでると、燎原の火のように燃え広がっていくのであろう。そういう彼らの努力が結果的に素晴らしいチャート・アクションや収益を上げたのである。

 70年代を生き残ったロックン・ローラーとしては、彼は珍しくドラッグとアルコールにはクリーンだった。父親が厳格なカトリック教徒だったようで、子どもの頃からテッドには厳しく教育していたようだ。
 逆にというか、だからというか、テッドの考え方は保守的な傾向が強く、銃規制には反対だ。また、彼の趣味は猟に出て、獲物をとり、家族とともに料理するという。当然のことながら動物保護団体とも対立している。こういうライフ・スタイルも含めて、テッドは根っからのロックン・ローラーなのかもしれない。

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2012年3月19日 (月)

トミー・ショウ

 アメリカン・プログレ・ハードの代表格であるジャーニーとスティクスは、それぞれ途中から大きく変化し、メジャー級になった。
 ジャーニーはスティーヴ・ペリーが参加した1977年からであり、スティクスはトミー・ショウが加わった1976年からである。それらの年を境に、両バンドは大きく羽ばたいたのである。

 それで今回は、そのスティクスの飛躍に貢献したトミー・ショウのスティクス解散後の主な足取りを確認してみた。

 トミーは1953年生まれだから、今年で59歳になる。スティクス参加時は23歳だった。当時の彼は地元アラバマ州モントゴメリーのボウリング場のバーなどで、ライヴ活動していたという。こういう下積みの生活から一気にメジャーになるという話は、アメリカ人にとっては大好きなのだが、アメリカにはこういう実力のあるミュージシャンはそれだけゴロゴロいるのだろう。

 彼が参加してからのスティクスについては以前にも述べたので、ここでは省略をして、バンド解散後の80年代終りにはソロ・アルバムを数枚発表している。

 90年代に入って、彼はダム・ヤンキースというバンドを結成してアルバムを発表した。このバンドは、今でいうスーパー・バンドで、ギターには70年代後半に一世を風靡したテッド・ニュージェント、ベースには元ナイト・レンジャーのソング・ライターであったジャック・ブレイズ、ドラマーはトミー・ショウと一緒に活動していた実力派のマイケル・カーテロンだった。彼らは1990年に1stアルバムを発表している。Photo
 当時のアメリカン・ハード・ロックの世界では、こういうスーパー・バンド結成が流行っていて、ミスター・ビッグやニール・ショーンのいたバッド・イングリッシュなども結成されていた。

 肝心のデビュー・アルバムの音であるが、カラッと乾いた典型的なアメリカン・ロックという感じである。それに2人のギタリストのソロと3人のコーラスが重なり合って、ハードでありながらライトな感覚を与えてくれる。
 このアルバムは商業的に成功した。チャート的には13位を記録し、80週以上にわたってトップ200位以内に入り、プラチナ・ディスクを獲得している。当時はグランジ前だったからこういうサウンドも好まれたのだろう。

 彼らは2年後の1992年に、2ndアルバム「ドント・トレッド」を発表した。基本的には1stと同じ路線なのだが、幾分ハードになった感じである。また3曲目の"Where You Goin' Now"は彼ら流のハード・バラード・ロックであり、6曲目の"Silence is Broken"もミディアム調のメロディアスな名曲である。

 当時の彼らのライヴは、ヒット曲のオンパレードだったという。要するにバンドの曲だけでなく、メンバーそれぞれの出身母体のヒット曲、スティクスやナイト・レンジャー、テッド・ニュージェント自身の持ち歌などを披露していたという。当然のことながら、客は大入り満員、ツアーは大成功ということで、引き続いて2ndアルバムを制作したのであろう。

 しかしそこはやはり一流プロ・ミュージシャンの集まりだけあって、エゴも強い。また1992年にもなるとグランジ・ブームの影響で、既成の音楽には逆風が吹いてきた。1stに負けず劣らずかなり素晴らしいアルバムだと思うのだが、残念ながらこのアルバムを発表したあと解散してしまったのである。

 彼らの2枚のアルバムは、今となっては誰も省みないかもしれないが、決して悪いものではなく、むしろ隠れたアメリカン・ロックの名盤といってもおかしくないくらいの出来なのだ。もう少し正当に評価されてもおかしくないと思っている。

 このあとトミーは、再結成されたスティクスのツアーやピンク・フロイドのトリビュート・アルバムに参加して、1995年にはダム・ヤンキースのメンバーだったジャック・ブレイズとともにアルバム「ハルシネイション」を発表した。このアルバムもまたなかなかの好盤だと思う。Photo_2
 全13曲(そのうち国内盤ではボーナス・トラックが2曲)あり、いずれも捨て曲無しのメロディアスで、適度にハードな仕上がりなのである。ダム・ヤンキースよりはアメリカの大地に根ざしたアコースティックでアーシーな雰囲気を湛えている。特に"I'll Always Be With You"、"Don't Talk"、"Down That Highway"などはポップでアコースティック・ギターが基調になっている。だからこのアルバムは、ダム・ヤンキースのハード・ロック路線から少しポップ・ミュージックの方に踏み出したような音作りになっている。

 彼ら2人はソング・ライター・チームとしても優秀で、エアロスミスの曲"Shut Up and Dance"、"Can't Stop Messin'"に共作者としてクレジットされているし、その他、アリス・クーパーやオジー・オズボーン、シェールなどにも曲を提供している。
 彼ら2人は、2007年にも「インフルエンス」というアルバムを発表しているから、2人組のプロジェクトとして活動は続けているのであろう。

 だから現在のトミーは、スティクスとともにジャック・ブレイズとも活動を共にしている。そういえばスティクスのアルバム「ブレイブ・ニュー・ワールド」にも2人の共作曲が収録されていた事を思い出した。

 今回のテーマは、アラバマ州の田舎?出身の青年がアメリカン・ドリームの体現者として成功したサクセス・ストーリーなのである。アメリカという国の懐の深さをあらためて認識させられてしまった。

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2012年3月15日 (木)

初期のジャーニー

 アメリカン・プログレ・ハードというジャンルの中に入るかどうかが微妙なのは、ジャーニーというバンドである。彼らは1973年に結成されていて、活動歴は長い。ただその音楽性は1977年を境に大きく変化していった。

 ジャーニーは、途中活動休止の時期もあったが、現在もまだ活動中のバンドである。昨年も「エクリプス」というアルバムを出していて、全米13位を記録しているほど、いまだに根強い人気を誇っている。

 全米的に、また世界的にも人気が出始めたのが、新しいボーカリストとしてスティーヴ・ペリーが参加した1977年なのである。翌年に発表されたアルバム「インフィニティ」が全米21位、トリプル・プラチナ・アルバムになるのだが、それ以前の3枚のスタジオ・アルバムは商業的には不振だった。

 それで1977年以前のジャーニーは、これはアメリカン・プログレ・ハードに含んでもいいと思えるのだが、それ以降のジャーニーはまさに楽曲、歌、アルバム・ジャケットと、トータルな意味で売れる音楽、いわゆる“産業ロック”の代表格になっていった。だからスティーヴ・ペリー参加以前と以後の彼らは別物だと思っているのである。

 ジャーニーは、元サンタナ・バンドのギタリスト、ニール・ショーンとキーボーディストのグレッグ・ローリーが中心となって結成されたバンドである。ニールは16歳でサンタナと共演したことから“天才ギタリスト”、“神童”などと当時言われていたほどだ。

 1stアルバムの「ジャーニー」は1975年に発表されているが、全7曲、サンタナのようなラテン・ビートとは全くの無縁で、ニールとグレッグのキーボードが強調されていて、近未来的な感じがした。1
 1曲目の"Of a Lifetime"は7分近い長さで、その長さはグレッグとニールのプレイ・タイムに比例している。次の"In the Morning Day"のメロディはアメリカン・ロック的で覚えやすいが、途中のグレッグのハモンド・オルガン、ピアノ・プレイとニールのギター・プレイが曲の前半とちぐはぐな印象を受ける。一気に転調してインストゥルメンタルで押し切っているのだが、もう少し自然な形で各自のソロを入れた方が聞きやすい曲になったと思う。

 またこのアルバムから"Of a Lifetime"、"In My Lonely Feeling"、"Mystery Mountain"と3枚のシングルが出されているが、いずれもチャート・インしていない。むしろ3分少々の"To Play Some Music"の方がメロディも明快でヒットしそうな気がしたのだが、それを避けてあえてプログレ風味の曲を優先させている。こういうところに当時の彼らの姿勢が表れているといえよう。

 当時の彼らは、サンタナとは別なものを作ろうという意識が強かったのだと思う。だから商業的な成功よりも自分たちの音楽的な進化やセンスを信じてプレイしていたのだろう。
 だから"Kohoutek"や"Topaz"のようなインストゥルメンタルを作ったのだと思う。当時はセカンド・ギタリストがいて、そのジョージ・ティックナーという人が作ったのが"Topaz"であった。彼はこの1stで脱退したのだが、この曲を聞く限りは“プログレ・ハード”のバンドだといえる。ただ、曲の終わり方がイマイチはっきりとしない点が残念である。

 彼らは76年に2枚目のアルバム「未来への招待状」を発表した。セカンド・ギタリストのジョージは脱退したが、曲作りには参加している。曲作りといえば、1作目よりもかなりポップになった感じがして、1曲目の"On a Saturday Nite"やジョージ・ハリソンの"It's All Too Much"などに、それがよく表れている。1stアルバムでは焦点化されなかった作風が、ここではポップ志向を備えたハード・ロックへと変化してきている。のちのジャーニーの成功の原点がここにありそうだ。2
 このアルバムのハイライトは、アルバム後半の3曲であろう。8分以上もある"Look Into the Future"は大陸的なアメリカン・サウンドで、徐々に盛り上がっていく展開がプログレ的でもあるし、ニールの速弾きが目立っている。続く"Midnight Dreamer"はハード・ロックなのが意外だった。この辺でバラード系の楽曲かなと思ったのだが、当時の彼らはスローな曲よりもハードな曲を積極的に取り上げていた。途中のグレッグのキーボード・プレイが目立っている。

 そして最後が7分近い"I'm Gonna Leave You"である。誰かの曲と同じタイトルなのだが、これもハードな楽曲だ。幾分ポップになりながらも、基本はハード・ロック路線を進むという彼らの方針がうかがえる曲でもある。曲の配置としては"Look Into the Future"を最後に持ってきた方が、全体が締まってよさそうと思ったのだが、個人的には初期のアルバムの中では一番よく聞いたものである。
 
 1977年には3枚目の「ネクスト」が発表されたが、2作目で見せたポップな作風は影を潜め、むしろシンセサイザーなどが多用されたスペイシーな作風が目立っている。全8曲なのだが、全体的に音が重く、垢抜けたところはない。聞いていて、躍動感が伴わずズルズルと沼に落ちていく感じだ。決して悪い出来ではないのだが、メロディアスでないし、生気がなくて、気のおもむくままに演奏しましたという感じなのである。3
 ひとつはボーカルの弱さだろう。この3枚まではキーボーディストのグレッグ・ローリーがリード・ボーカルを兼ねていたのだが、声質がソウルフルなせいか、こういうハード・ロック系のバンドにはあわないようだ。
 また、ニールのギターとグレッグのキーボードのインストに比重が寄りかかりすぎていて、曲のバランスが壊れているところもある。もう少しコンパクトにまとめてみてもよかったのではないだろうか。

 とにかくジャーニーの初期三部作は後の彼らからは想像できないほど、サウンド志向でインストゥルメンタル重視になっている。このままいけば間違いなく彼らは、アメリカン・プログレ・ハードのジャンルに入れられただろう。が、しかしメジャーにはなれず途中で解散したに違いない。

 彼らの飛躍は1977年のバンド改編から始まったのは事実であるが、その前にこういう下積みの時代があったことは忘れてはならないだろう。
 本当のアメリカン・プログレ・ハードのバンドに共通していることは、いきなり大ヒットを記録したのではなく、それまでにいたる努力の裏付けが備わっていたということであろう。

 だからこそ結果的に成功したのである。単なる時流やブームでは片付けられないものなのだ。やはりアメリカで成功するということは、運だけではなく、運を味方につけるだけの努力が求められるのであり、そしてこのことは、音楽だけの話ではないようだ。

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2012年3月11日 (日)

スティクス

 ボストン、カンサスと並び称されるバンドのひとつに、スティクスがあった。ちょうど1970年代の後半で、当時はアメリカン・プログレ・ハードというムーヴメントが流行っていた。

 もともとアメリカではプログレッシヴ・ロックは育たないなどといわれていたのだが、イギリスからのアルバムがチャートの上位に上るなどファン層も拡大されてくると、商業性も見込まれるようになり、レコード会社も新人バンドを発掘し、プッシュするようになってきたのだった。
 それで70年代半ばからボストンやカンサスなどがアルバムをヒットさせるようになり、アメリカン・プログレ・ハードという流れが生まれてきたのだが、スティクスもこれらのバンドたちとひとくくりにされることが多いようだ。

 しかし、実際はスティクスの結成は古く、1963年頃に双子の兄弟であるチャックとジョンのリズム・セクションに、キーボーディストのデニス・デ・ヤングとギタリストのトム・ナーディンが参加して結成されたバンド、トレイドウィンズ・フォーがその母体であった。

 その後ギタリストがジョン・クルリュウスキーに代わり、もうひとりのギタリストであるジェイムズ・ヤングも加わり、バンド名を“三途の川”を意味するスティクスに変えて1972年にデビューしている。デビュー・アルバムには10分以上もある曲も収められていたという。だからアメリカン・プログレ・ハードと呼称されるバンドの中では先輩格に当たるのである。彼らにしてみれば、ポッと出のバンドと同じにしないでくれというプライドみたいなものもあったのかもしれない。

 自分はやはり1977年の「グランド・イリュージョン」からのファンなのだが、90年代に彼らの初期のアルバム群が再発されたので、そのときに1974年に発表された通算4枚目のアルバムである「ミラクルズ」を購入して聞いてみた。4
 魔法使いが描かれているせいか、アルバム・ジャケットが神秘的で中身も期待できそうに思った。しかし時間的に長い曲は見当たらず、どちらかというとロック色の強いものであった。特にギタリストのジェイムズとジョンが書く曲はロック色が強く、キーボーディストのデニスが書く曲はプログレッシヴ・テイストが見られる。3曲目の"Golden Lark"はヴァイオリンの響きが哀しく聞こえ、続く"A Song for Suzanne"は雷鳴のSEも加えられ異色のバラード・ナンバーになっている。曲の長さは短くても、プログレ・テイスト失われてはいなかったようだ。

 彼らの叙情性はデニス・デ・ヤングが受け持ち、ハードな部分はジェイムズ・ヤングが、そしてポップ色はトミー・ショウが演出していると自分は踏んでいるのだが、そのポップ職人であるトミー・ショウが加入して制作されたアルバムが1976年の「クリスタル・ボール」だった。トミーの参加のおかげで、3人にいい意味での緊張感が生まれ、お互いに切磋琢磨していったのであろう。ここから彼らの快進撃が始まるのである。1
 スティクスといえば、トータル・アルバムという言葉を思い出すのだが、それくらい彼らのアルバムは統一感がとれている。特に70年代後期から80年代にかけてのアルバムはそうなのだが、この「クリスタル・ボール」も“舞踏”、“バレエ”、“ダンス”を想起させる曲名がほとんどで、内容的にはトータル・アルバムといっていいだろう。

 幾分ポップ色は強まったとはいえ、7分以上もある"Clair De Lune/Ballerina"も収められている。前半はドビュッシーのクラシックの名曲“月の光”をアレンジしたもので、ピアノとハモンド・オルガンで始まり、ギターが絡まり徐々に盛り上がっていくさまは定番とはいえプログレ風味を残している。

 そして翌年にはバンド初のトリプル・プラチナ・アルバムになり127週にわたってチャート・インした「グランド・イリュージョン」が発表されるのだが、やはりシングル・ヒットした"Come Sail Away"、"Fooling Yourself"の影響は大きいだろうし、それ以外の曲も聞きやすく、かつ1曲の中に起承転結が存在するという高度な技が見られる。"Castle Walls"などはデニスが書いた曲だけあって、キーボードが中心となりながらアルバムの最後を飾るにふさわしい深みのある曲に仕上げられている。2

 以前にもこのブログに書いたのだが、アメリカでは芸術性と商業性を兼ね備えたバンドが成功する。いくら高邁な思想を音楽として表現しても、売れなければ意味がなくなってしまう。だからラジオで(今はMTVでも)何回エアプレイされるかということが問われてくるのだが、スティクスもラジオで流されるギリギリの限界までの長さの中で、自分たちの音楽性を主張するようになった。そしてそれが一番成功したのが79年と81年のアルバム「コーナーストーン」、「パラダイス・シアター」だったのである。

 「コーナーストーン」には彼ら唯一のNo.1シングルの"Babe"が収められているし、サックスが効果的に使用された"Why Me"や、すべてアコースティック楽器を用いて演奏されるフォーク調の"Boat on the River"など印象的な曲が多い。また"Eddie"という曲はエドワード・ケネディのことについて歌ったものだという。なかなか意味深な曲でもある。

 そして彼ら唯一のNo.1アルバムとなった「パラダイス・シアター」である。これは彼らの出身地であるシカゴに実在した劇場の栄枯盛衰をテーマにしたコンセプト・アルバムである。この劇場は1928年のオープニングから30年後の閉鎖まで続いたらしいのだが、表向きは劇場のことを歌いながらも、実際は1970年代後半から80年代にかけてのアメリカの衰退のことを指しているという。5
 このアルバムからは5曲もシングル・カットされていて、アルバムのほとんどの曲がシングル化されたのだが、特に"Too Much Time on My Hands"と"The Best of Times"は、ポップ・チャートでそれぞれ9位と3位を記録している。

 それにしてもデニスはいい曲を書くと思う。前作の"Babe"もそうだし、"The Best of Times"や"Come Sail Away"も彼の手によるものである。さらにベスト・アルバムに収められている"Show Me the Way"や"Light Up"もそうである。結局、彼らは1984年に解散してしまったのだが、デニスとトミー・ショウの確執が強かったというから何とも残念な話であった。

 その後彼らは1996年にアルバム「グレイテスト・ヒッツ」の曲を再録するときにオリジナル・メンバーで集まったことから、“リターン・トゥ・パラダイス・シアター・ツアー”を企画した。ところがドラマーのジョンがアルコール中毒で亡くなってしまい、代わりのドラマーを入れてツアーを行った。そしてツアー後にほぼオリジナル・メンバーでニュー・アルバム「ブレイヴ・ニュー・ワールド」を1999年に発表した。ここでもデニスは単独で5曲書いているが、いずれもメロディアスで後味のよい曲である。("Goodbye Roseland"は思わずクレジットに目がいってしまうほどの名曲!)

 素人目にはトミーもデニスもお互いに相手の才能を認めて、協力して活動していけばいいのにと思うのだが、やはり当事者ではないとわからない何かがあるのだろう。結局、デニス抜きでスティクスは続いている。昨年は新生イエスとともに北米ツアーを行っているようだ。デニスはスティクスにいつでも参加する意思は示しているのだが、はたしてどうなるのか今後の行方は不透明である。

 アメリカン・プログレ・ハードの中で、芸術性を追求したのがカンサスであり、コンセプトはプログレッシヴ・ロックに比重を置きながらも音楽的には商業性を追求していったのがスティクスだと、自分の中では思っている。あとのボストンやフォリナーは商業的には大成功したけれども、果たしてプログレッシヴ・ロックの範疇に入れるかどうかは疑わしいと考えている。

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2012年3月 7日 (水)

偉大なる聴衆へ、カンサス・ライヴ

 アマゾンで車のレーダー探知機を購入した。1月の車の事故で、もともと反応の鈍かったレーダーが完全に故障してしまったからだ。
 それで今度のレーダー探知機はワンセグ機能もついていて、テレビ放送も受信できるという優れものなのだが、なにせ機械音痴の自分は接続の仕方がよくわからない。

 それで“自動後ろ”という専門店にお願いをしたら、基本的には自社で購入した分しか取り付けをしないといわれ、拒否された。仕方なく“黄色い帽子”に聞くと、いつでもいいので持ってきてください、取り付けしますという返事だった。自分はタイヤ4本とも交換するつもりでいたので、それもついでに“黄色い帽子”屋さんに頼もうと思った。“自動後ろ”は大事な顧客を失ったようだ。

 でも、結局インターネットで接続の裏業を見つけることができたので、とりあえずそれで対応している。カーナビなどの配線は、車のサイドブレーキなどに接続をしてアースするらしいのだが、その配線の端子に2.5mm×10mmのネジを挿入すると線をつながなくても走行中にテレビなどが見れるという。実際にやってみたところ、確かにその通りだったし、今までのところは特に問題ないようだ。ただ、もちろん自己責任で行ってほしいとも書かれていた。

 まったくインターネットというものは便利なもので、商品の販売から裏技の披露までいろんな情報が飛び交っている。

 それでまた懲りずに、今度はアメリカのプログレッシヴ・ロック・バンドのカンサスのライヴもネットで購入しようと思った。なぜならこの国内盤2枚組CD完全限定生産は店頭なら3500円もするのだが、ネットなら1800円+送料で済むからである。

 約2週間ぐらいしてブツが届いた。間違いなく紙ジャケット仕様の2枚組アルバムだった。このアルバムはライヴ・アルバム発表30周年を記念して、デジタル・リマスタリングされ2008年に発表されたものである。Photo

 2枚組全24曲、2時間以上というボリュームで、以前発売されていた1枚もののCDでは収録時間の関係で、"Closet Chronicles"がカットされていたのだが、このアルバムには当然のことながら収められている。

 カンサスについては以前のブログで述べたので、詳細は省略させてもらうが、このアルバムが発表された1978年あたりが人気、実力ともに最盛期だったように思える。このライブも1977年から78年にかけて3回の全米ツアーから録音されていて、だからこのライブ・アルバムには彼らの一番脂の乗った時期の演奏が収められているといっても過言ではないだろう。

 彼らは1974年に「カンサス」でデビューしたのだが、これが鳴かず飛ばずでセールス的にはうまくいかなかった。1stアルバムから7分、9分といった長い曲や、ギターやキーボードだけでなくヴァイオリンも効果的に使用していて、アメリカ人のバンドながらもプログレッシヴ・ロックのテイストも持ち合わせていた。

 もともと彼らはホワイト・クローバーという名前で、フランク・ザッパに影響を受けてバンド活動を始めている。一時はドアーズの前座としてステージに上がったこともあったという。ただバンドは途中で解散したのだが、そのあとドラマーのフィル・イハートが渡英して、そこでイエスやクリムゾンの音楽に啓発されて帰国し、彼らは新しいメンバーを入れて6人組として再出発した。だからアメリカのバンドでありながら、当初からそこはかとなくヨーロピアン・テイストを持ち合わせていたのである。

 彼らがブレイクしたのは、1975年に発表された2枚目のアルバム「ソング・フォー・アメリカ」のヒットからである。このアルバムは全米57位まであがり、彼らは一気に注目を集めるようになった。2
 ただ日本では3枚目のアルバム「仮面劇」が最初のアルバムにあたり、4枚目の「永遠の序曲」のヒットによって1st、2ndと遡って紹介されている。

 当時は“アメリカン・プログレ・ハード”という名称で、カンサスやジャーニー、スティックスにボストンなどが幅を利かせていて、日米ともに人気が高かったが、そういう時流にうまく乗ることができたのも成功の一因だっただろう。

 このライヴ・アルバムではそれまでの彼らのキャリアを総括するかのように、1stアルバムから5枚目のアルバム「暗黒への曳航」までの中からほぼ均等に演奏されている。
①「ファースト」…"Bringin' it Back","Lonely Wind","Belexes","Journey from Mariabronn"
②「セカンド」…"Down the Road","Song for America","Lamplight Symphony","Lonely Street"
③「仮面劇」…"Icarus","Child of Innocence","Mysteries and Mayhem"
④「永遠の序曲」…"Carry on Wayward Son","Miracles out of Nowhere","Cheyenne Anthem","Magnum Opus","The Wall"
⑤「暗黒の曳航」…"Point of Know Return","Paradox","The Spider","Portrait","Closet Chronicles","Dust in the Wind","Sparks of the Tempest","Hopelessly Human"

 上記のように1枚目から5枚目までそれぞれ4曲、4曲、3曲、5曲、8曲収録されているが、さすがに77年当時のニュー・アルバムだった「暗黒の曳航」からは10曲中8曲も収められている。

 ひとつだけ注文をつけるとするならば、できれば当時のコンサート順になるように曲の配列をしてほしかったと思った。そうするとまさに当時のコンサート会場にいるような気分に浸れたに違いない。記録に残すということと記憶に残ることは違うことなので、もう少しその辺の配慮があれば、このアルバムはもっと多くの人に受け入れられたに違いないと思うのだが、どうだろうか。

 ともかくこのライブ盤は、タイトル通りのライヴ・アルバムなのだが、偉大なのは聴衆だけでなく、当時の彼らもまたこのタイトルに値するバンドであり、これはその偉大な記録なのである。

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2012年3月 3日 (土)

トランスアトランティック(4)

 自分はトランスアトランティックのことを深く知れば知るほど、ますます驚きと感動が増してくるのである。

 昨年の初冬に彼らのライヴ・アルバムが発表された。このアルバムCD3枚、DVDが2枚の計5枚組という圧倒的ボリュームで、聞く前にその内容を知っただけでビックリした。4
 このCD不況の現代に、彼らのような音楽に対してストイックで、リスナーに対して誠実さを持っているバンドはそうそうざらにはいないだろうし、その意欲が結果として5枚組というかたちで表現されているのであろう。

 しかしそれでも5枚組という形で発表すること自体が、すでに常識の枠を超えていると思う。少し商売っ気のある人ならライヴCDとライヴDVDに分けて販売するはずだ。そうした方がそれぞれの単価が高くなって、利益が上がるからである。でも彼らはそれをあえて避けて、まとめて商品化したのである。

 しかもその価格もまた常人の理解を超えているのだ。輸入盤では5枚組で2500円という安さだった。国内盤は5040円だった。自分は輸入盤を購入したのだが、国内盤でさえも1枚単価が1008円である。国内ミュージシャンの5枚組なら1万円以上はするだろう。こんなに安くていいのだろうか、彼らに収益はあるのだろうかと、余計な心配もしてしまうほどだった。

 また収録時間もトータルで3時間10分もあり、これもまた常識外である。自分はとてもではないがこのCD&DVDを最初から最後まで一気に聞きとおす時間的余裕が取れず、断続的に聞いたり観たりしていたのだが、以下その感想を簡単に記して、彼らに敬意を表したいと思う。

 まずCDのライヴは2010年5月22日のイギリスはマンチェスターで収録されたもの。この「旋風」ツアーの最終日にあたるようで、ニールの解説によると、ツアーでも最もタイトでインスパイアされた演奏のひとつだったという。

 ディスク1には79分46秒にわたって、「旋風」が丸々1曲収められている。ほとんどスタジオ盤と変わらない演奏で、途中にイエスの"And You And I"のワン・フレーズが挿入されているところがオールド・ファンにはうれしいところだ。

 ディスク2には"All of the Above"、"We All Need Some Light"、"Duel with the Devil"の3曲があり、トータルで71分10秒になっている。こちらも"Duel with the Devil"の途中でディープ・パープルの"Highway Star"のワン・フレーズを歌ってくれている。

 ディスク3は、"Bridge Across Forever"、"Stranger in Your Soul"の2曲で、こちらは39分22秒と短めになっていて、"Stranger in our Soul"では今度は同じくパープルのあの歴史的名曲"Smoke on the Water"の一部を演奏している。こういったところもまたライヴならではの醍醐味だろう。

 DVDの方は、同年の5月20日のオランダのティルバーグでのライヴで、楽曲はCDとほとんど同じ配列になっているが、最後にジェネシスの"Return of the Giant Hogweed"が追加されている点が異なっている。

 DVDのディスク1は「旋風」のライヴで、こちらはやや長めの81分15秒。ディスク2は143分にわたって、CDの5曲+"Return of the Giant Hogweed"のライヴ演奏が収録されている。ちなみに、このジェネシスのカバー曲をライヴで演奏したのは、このツアーで初めてだとニールは述べている。

 DVDを見てよくわかったのだが、主に歌うのはロイネとニールでも、それ以外のメンバーも時に応じてリード・ボーカルをとっている。もちろんコーラスも全員で行うところもあった。
 またニールはマルチ・ミュージシャンでもあり(基本的に他のメンバーもマルチ・ミュージシャンなのだが)、"We All Need Some Light"では12ストリングス・アコースティック・ギターを上手に操っていたし、"Stranger in Your Soul"では何とドラムスまで演奏していた。

 ちなみにこの曲の途中では、ニールがドラムスを、ピートがキーボードを、そしてマイクがベース&ベース・ペダルを演奏しているのだ。CDではよくわからなかったのだが、まるでかつてのジェントル・ジャイアントが演奏中にメンバー間で担当楽器を交換していたように、トランスアトランティックのメンバー中3人が担当楽器を曲の途中で交換している。そしてベース・ペダルのイントロに導かれて、"Smoke on the Water"が始まるのであった。

 そして5人目のメンバーのダニエル・ギルデンロウという人がサポート・メンバーとして参加していて、この人もまた凄腕ミュージシャンで、あるときは片手でキーボード、片手でギター、あるときは片手にスティック、片手でマラカスと、数時間にわたって八面六臂の大活躍をしている。要するに音の隙間を埋めるために演奏しているのだろうが、後ろで演奏しているにもかかわらず、曲のある部分ではリード・ボーカルも務め、その貢献度たるや、フロントのメンバーを凌駕する場面も見られるほどだった。

 ちなみにこのダニエルさんは、スェーデンのプログレッシヴ・メタル・バンド、ペイン・オブ・サルヴェイションというバンドのリーダーらしく、一時期、ザ・フラワー・キングスにも在籍していたらしい。ロイネつながりで参加したのだろうが、素晴らしいマルチ・ミュージシャンである。(ただしアンコールのジェネシスの曲には参加していなかった)

 さらにはこのDVDには、"Stranger Jams"という"Stranger in Your Soul"での楽器交換演奏シーンを集めたボーナス・クリップ集がついていて、各地でのライヴ・シーンの様子が見られる。そこではいつも"Smoke on the Water"を演奏していたわけではないようであるが、詳細は省きたい。別に出し惜しみや宣伝するわけではないのだが、是非ご自分の目で確かめてほしいところである。

 今まで4回にわたって彼らのアルバムや音楽性を紹介してきたのだが、要するに彼らの特長とは次のようなものだろう。
①1曲の収録時間が長い。
 どのアルバムにもアルバム裏に曲ごとのランニング・タイムが記載されていることから見ても、彼らは収録時間にプライドをかけているかのようにみえる。こんなバンドは他にはあまり見られない。

②曲の構成が複雑である。
 彼らの曲にはメインになるフレーズやメロディが含まれているが、それが繰り返し提示されている。しかもそれが1曲の中で完結せずに、次の曲や他の曲の中にも繰り返される。まるでロシアのマトリョーシカや日本の入れ子構造の入れ物のようなものである。演奏時間も長くなるのは当然のことかもしれない。

③曲がメロディアスで覚えやすい。
 曲が長くて複雑な構成になっているにもかかわらず、意外にメロディ自体は覚えやすく、耳に残りやすいのである。これは彼らだけの特長ではなく、優れたプログレッシヴ・ロック・バンドの曲、特に今でもときどきFMラジオや雑誌でも紹介されるような曲は、基本的にポップな要素も兼ね備えているが、彼らもそれを踏襲しているかのようだ。
 特にまたトランスアトランティックのメンバーの(元)所属バンドは、何枚もアルバムを出し続けていて(いた)、商業性にも優れているものだった。だから自分たちのセールスポイントもわきまえているのだろう。

④テクニックも備えたプロ集団である。
 あえて言う必要はないかもしれないが、4人ともハイ・レベルなテクニックを備えたミュージシャンである。ライヴを観てもわかるように、30分前後の曲を、場合によっては1時間以上の曲をスタジオ・アルバムと寸分の違いもなく平然と演奏することができるのだ。
 また4人とも歌えるので、コーラスもつけることができる。歌、演奏ともに優れているプログレッシヴ・ロック・バンドはそうそう目にすることはできない。まさに世界水準のバンドなのである。

 ただ気になるのは、マイク・ポートノイとニール・モーズの動向である。彼らはディープ・パープルのギタリスト、スティーヴ・モーズらとともにフライング・カラーズというバンドを結成したからだ。アルバムは今年の3月に発表ということらしく、すでに曲名なども公表されている。

 彼らはしばらくこのバンド活動に専念すると思われるので、残されたメンバーのロイネとピートも自分のバンドに戻り活動を始めるだろう。
 だから5枚組の総集編のようなCD&DVDが昨年に発表されたということは、これを一区切りにして、彼らはしばらく活動休止をするのではないだろうか。ひょっとしたら次のスタジオ・アルバムはまた8年後というふうになるのかもしれない。ワーカホリックのような人たちだから、トランスアトランティックだけに従事するということはないだろう。

 いずれにしても、彼らのアルバムを聞いて失望するプログレ・ファンはいないはずだ。8年後であれ、10年後であれ、次のスタジオ・アルバムを熱望しているファンは世界中に存在している。自分もまた“トランスアトランティック”ではなく、“トランスパシフィック”と改名してもいいくらいに待ち続けているのである。

 最後になったが、この5枚組のタイトル名を紹介するのを忘れていた。「モア・ネヴァー・イズ・イナフ」という。それにしても彼らのアルバムに描かれている宇宙船らしきものは、映画「2012」に登場した潜水艦によく似ていると思うのだが、何か関連はあるのだろうか。

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