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2012年4月12日 (木)

80年代のストーンズ(3)

 さて80年代のストーンズのアルバムについて、いろいろ取り留めのないことを書いてきたが、今回は80年代では最後のスタジオ・アルバムとなった「スティール・ホイールズ」について述べてみたい。

 その前になぜこの時期のストーンズにゴタゴタが多かったのかといえば、やはりミックとキースの確執が一番の原因だろう。ミックは1985年と87年にソロ・アルバムを発表して、自己のキャリアを追及していた。しかも最初のソロ・アルバムは注目もされ、それなりにヒットしたから、ミックなりに次も頑張ろうと思ったのだろう。

 一方のキースは、ストーンズ用のアルバムに使用されてもおかしくないアイデアや楽曲がミックのソロ・アルバムに使われては面白くないのは当然だったし、その反動が86年のアルバム「ダーティ・ワーク」に表れたのである。
 また彼もミックに対抗するかのように、自身のソロ・アルバム「トーク・イズ・チープ」を88年に発表した。両者の関係はこの時期が最悪だったように思える。

 前回のブログでも述べたように、「ダーティ・ワーク」にはロン・ウッドも積極的に曲作りに関わっていて、ギターが全面にフィーチャーされたアルバムになった。逆にミックはこのアルバムを気に入っておらず、そのせいかバンド結成40周年を記念した2002年のベスト・アルバム「フォーティ・リックス」にはこのアルバムから1曲も収録されなかった。これもひとえにミックのさしがねに違いない。9

 またビル・ワイマンは、89年に18歳の少女と結婚している(91年に離婚)。ちなみに彼女とは13歳のときから付き合っていたというから、ミックとキースの関係などどこ吹く風、マイペースで過ごしていたのである。さらにはドラマーのチャーリー・ワッツは、この時期、アルコールとドラッグの中毒に苦しんでいたとも言われているから、バンド全体としてもうまくいっていなかったのだろう。

 そんな彼らが再び結束してアルバムを発表したのが、1989年だった。このときのアルバム「スティール・ホイールズ」は、結果的には全英2位、全米3位を獲得して、久しぶりに大きなニュースになった。
 アメリカではアルバム発表に関して記者会見を行い、そのときに今後のツアーについても言及した。このときの模様は、日本でも夕方のTVニュースで放送されたのを覚えているが、それほど全世界がストーンズの再開を待望していたし、その結果を祝福したのである。

 彼らの再活動がこれほどスムーズにいったのは、ひとつはミックのストーンズに対する運営方針(経営方針といってもいいだろう)が、大きくシフト・チェンジした結果である。自分自身の2枚目のソロ・アルバムの結果と、ファンやメディアのストーンズに対する期待を天秤にかけての判断だったに違いない。

 残念ながら2枚目のソロ・アルバム「プリミティヴ・クール」は全英26位、全米41位と思うように振るわず、彼の中には失望感が高まっていった。また、自分がストーンズの中心者として状況改善を図らないといけないという責任感みたいなものもあったのだろう。
 そして、彼らにとって幸いなことに、1989年の1月には“ロックの殿堂”入りを果たすことができて、メンバーそろって授賞式に参加している。

 そんなこんなで、元の鞘に納まったというか、あるべきところに落ち着いたというか、ミックとキースは50曲以上を持ち寄り、その年の春からレコーディングを始めたのであった。

 ストーンズのアルバムの最初の曲はジャンプ・ナンバーで始まるというのが、一般的なのだが、このアルバムも例外ではなく、ノリのよい"Sad,Sad,Sad"で始まっている。続くシングル・カットされた"Mixed Emotions"もミック、キース、ロンの3本のギターが強調されていてなかなかのものである。ちなみにこの曲はキースが持ち込んだものに、ミックが手を加えたもので、意味深な歌詞はそのせいだろう。Photo
 一番の聞かせどころは、アルバム後半の4曲の"Rock and A Hard Place"、"Can't Be Seen"、"Continental Drift"、"Break the Spell"ではないだろうか。

 "Rock and A Hard Place"はタイトル通りのハードな楽曲で、ミックも含めて3本のギターが強調され、後半ではブラスや女性コーラスも添えられている。後のツアーでも演奏されるほど、ストーンズにふさわしい曲でもある。
 また"Can't Be Seen"はキースがリード・ボーカルをとる曲で、キースのソロ・アルバム用に書かれたもの。ミックのソロ活動があったからこそキースのソロもあったということで、逆説的にミックに感謝しなければいけないのかもしれない。

  普通ストーンズといえば黒人音楽の影響(あるいは引用、もしくは盗用ともいえるだろう)を感じさせる曲があるのだが、このアルバムではその前に東洋的な(あるいはエスニック的な)旋律を持つ"Continental Drift"が印象的である。ここではキースがアコースティック・ギターを、ロンがアコースティック・ベースを演奏している。まるで昨年発表されたスーパー・ヘヴィのアルバムに収められていてもおかしくない曲である。ミックは20年以上も前からこういう音楽をも視野に入れていたのであろうか。

 そしてブルーズ・ハープが妖しい雰囲気を醸し出す"Break the Spell"ではストーンズらしく黒っぽい音楽を聞くことができる。ここでのギターはミックとキースで、ロンはドブロ・ギターとベースを担当している。ビルは録音に参加していない。新婚生活をエンジョイしていたのだろう。

 このアルバムで80年代のストーンズは幕を閉じるのだが、発表後すぐに8年ぶりのワールド・ツアーに出かけていて、初の日本ツアーもこのアルバム発表後だった。またベーシストのビル・ワイマンが参加した最後のストーンズのアルバムにもなった。

 とにかくこのアルバムのおかげで、ストーンズは息を吹き返し、その後の90年代以降もアルバム発表とツアーを繰り返すことになった。そういう意味では、単なる成功作というよりもその意義は深いといえるだろう。

 60年代はビートルズの後塵を拝し、70年代でジャンキーになりながらも黄金期を迎えたストーンズは、80年代になってからその歩みを遅らせたようにも見えた。しかし不死鳥のように彼らは再び甦った。そして結成50周年を迎える今年、彼らの動向から目が離せないのである。


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