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2012年4月24日 (火)

ロニー・レイン&スリム・チャンス

 前回のブログの続きというわけではないのだけれど、スモール・フェイセズつながりで、1973年に同バンドを脱退したロニー・レインのその後について簡単に見てみたい。

 ロニーは、フェイセズ脱退後、自らのバンドを結成した。それがロニー・レイン&スリム・チャンスだった。彼らは1973年に1stアルバム「エニモア・フォー・エニモア」を発表したのだが、これがまた渋い。Photo_3
 前回にも述べたように、スティーヴ・マリオットはスモール・フェイセズをロック寄りにした音楽を目指してハンブル・パイを結成した。一方のロニー・レインは、フェイセズをもう少しアメリカ寄りというか、アメリカ南部のテイストを持ち込もうとしたのだが、黒人音楽の香りはしても、そこまでは徹底できなかった。むしろ徐々にロッド・スチュワートの趣向が反映された音作りになっていったのである。

 だからロニーは、自分の求める音楽をこの1stアルバムに込めて制作したのであろう。フィドルやマンドリンが土の香りを運んでくれる"How Come"からアルバムは始まり、トラディショナルの"Careless Love"、レインのオリジナル曲でサックスがフィーチャーされた"Don't You Cry For Me"と続いている。
 このアルバムに収められている"Tell Everyone"や"Anymore For Anymore"などは、フェイセズ時代に作られた曲だが、ここではまさに自分流の音楽として見事に消化されている。

 レインのオリジナル曲もアメリカ南部志向のためか、トラディショナル曲との差があまりなく、全体に統一感がうかがえる。また6曲目の"The Poacher"はクラリネットの音色が牧歌的な彩りをそえていて、このアルバムの中でもひときわ出来の良さを誇っている。
 またレインの歌声は、どことなくはかなく頼りない。特に高音の部分になるとそれが顕著であり、個人的には不思議とジョージ・ハリソンの印象を与えてくれた。ところどころで聞かれるスライド・ギターがそうさせたのだろう。

 当時のレインは、曲芸師やダンサーなどを引き連れて、まるでサーカスの一団のように、ツアーをしていたと言われている。3枚目のアルバム・ジャケットにはメンバーの後ろに移動式トレーラーが写っているが、それらに乗っては移動していたのだろう。2
 しかしすぐに資金繰りが困難になり、借金がかさんでいった。そのときと相前後するが、ロニーは移動式のレコーディング・ユニットを実用化して、ローリング・ストーンズなどに貸し出している。のちにストーンズも同様のスタジオを所有するようになるのだが、そのアイデアはここから出ているのだろう。

 77年頃からロニーは多発性硬化症という病気を発症し、徐々に運動麻痺を併発するようになった。彼はヘビ毒という民間療法から現代的な骨髄移植まで、ありとあらゆる治療を試したのだが、結局、うまくいかなかった。

 1984年、彼はアメリカのテキサスに移住し、1997年コロラド州のトリニダードで亡くなった。51歳という若さだった。彼は決してメジャーなミュージシャンではなかったけれど、彼をサポートしたミュージシャンにはクラプトンを始めとする一流ミュージシャンが多かった。自分の音楽を追い続けたという意味では、幸せな人生だったのではないだろうか。


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