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2012年5月 3日 (木)

キンクス

 日本で最も知名度の低いブリティッシュ・3大ロック・バンドといえば、キンクス、ザ・フー、ジェスロ・タルと言われてきた。確かにこの3つのバンドは、本国では有名で人気も高いのだが、70年代の日本ではマイナーで、コアなロック・ファン以外は、誰も見向きもしなかった。あるいは見向きもしても、進んで彼らのアルバムを購入しようとする人は少なかったし、少なくとも自分の周りには誰もいなかった。

 そんな自分がジェスロ・タルに目覚めたのが1978年で、ザ・フーをまともに聞いたのが、1979年頃だったように思う。しかし残りのキンクスにはさっぱり触手が動かなかった。

 彼らの興味を持ち始めたのは、ヴァン・ヘイレンが"You Really Got Me"をヒットさせたあとだった。この曲はそれまでラジオなどから流れていたのを聞いたことがあったので名前ぐらいは知っていたのだが、オリジナル・ヴァージョンを聞くまでには至らなかった。なにせ1964年に発売されたものだし、その頃はまだ赤ん坊だったから聞いても理解不能だったろう。

 初めて彼らのアルバムを買ったのは、1980年に発表されたライヴ・アルバム「ワン・フォー・ザ・ロード」だった。これは彼らの1979年の全米ツアーを収めたもので、初期のヒット曲"Stop Your Sobbing"から"Lola"、"Victoria"、当時の最新アルバムだった「ロウ・バジェット」からの"Attitude"など、彼らの魅力がたっぷりとパッケージされたものだった。Photo
 ここから逆に彼らの歴史を振り返るようになり、パイ・レコード時代のベスト・アルバムや1968年の「ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサイエティ」などを購入した。

 でも残念ながら、ベスト・アルバムはシングル中心で、彼らのシングルは自分にとっては当たり外れが大きかったから、ベスト盤とはいいながらイマイチ好きになれなかった。
 また「ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサイエティ」は、その名の通り牧歌的でフォーク調だった。"You Really Got Me"とは対極をなす曲群で占められていて、ちょっと期待ハズレだった。自分はソリッドでワイルドなものを求めていたのである。6

 キンクスはこの1968年から大作志向を取り始め、いわゆるロック・オペラ的なトータル・アルバムを制作するようになった。これはリーダーであるレイ・デイヴィスの意向であるが、彼の中に大衆演劇好みの血が流れているからだろうか。
 だから翌1969年に「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡」、1970年には「ローラ対パワーマン、マネーゴーラウンド組第1回戦」などの傑作を発表した。

 しかし前者の「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡」は前年に発表されたザ・フーのロック・オペラ「トミー」の二番煎じと見なされ、商業的には成功しなかったし、後者のアルバム「ローラ対パワーマン、マネーゴーラウンド組第1回戦」にはシングル・ヒットを記録した"Lola"、"Apeman"などが収められていたせいか、久しぶりにヒットするもののなぜか日本ではほとんど話題にもならなかったらしい。やはりタイトルが長すぎたからか、それとも内容的にとっつきにくかったせいだろうか。2

 大雑把に言って、キンクスは初期のビート・バンドの時代と、60年代後半から70年代初期にかけてのトータル・アルバムの時代、70年代後半以降のロックンロール・バンド時代の3つに分けられると思っている。第1期がパイ・レコード時代、第2期がパイ・レコードの後半とRCAレコードのとき、そして第3期がアリスタ・レコードに移籍した以降の時代にあたる。

 キンクスは1965年の全米ツアーのときに、暴力事件やツアーの遅刻などを行ったせいで、4年間アメリカ興行禁止という処分を受けてしまう。その腹いせというか鬱憤晴らしという意味もあったのではないか、レイは自分の趣味であるトータル・アルバム志向とアメリカへの郷愁を込めた音作りを求めていったように思える。だからフォーク調の「ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサイエティ」やアメリカ南部のサウンドの匂いがプンプンする「マスウェル・ヒルビリーズ」を制作したのではないだろうか。
(To Be Continued)


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