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2012年6月27日 (水)

ジョージィ・フェイム

 モッズ・バンドやモッズの音楽について、いろいろと書いてきたけれども、最後に重要なミュージシャンを忘れていた。60年代のイギリスを代表するモッズ・バンド、ジョージィ・フェイム&ブルー・フレイムズのリーダーで、ソロでも活躍しているジョージィ・フェイムである。まさにモッズの黎明期を飾ったような人で、昨日(6月26日)で69回目の誕生日を迎えている。

 ただ自分は60年代当時の空気を吸っていないので、彼の人気ぶりや影響力を現実的に感じていない。だからよくわからないというのが正直なところではある。ただ、ポリドールから発売されている彼のベストアルバム「ジョージィ・フェイム~20ビート・クラシック」を聞くと、当時はこういう音楽がクラブなどで流れていたんだなあということが実感できた。Photo
 全20曲でほとんどがR&Bやモータウン音楽のカバーである。たとえば有名どころでは、テンプテーションズの"My Girl"、ジェイムス・ブラウンの"Papa's Got a Brand New Bag"やマーヴィン・ゲイの"Pride & Joy"などがあるし、また、デヴィッド・ゲフィン&キャロル・キングのクレジット曲"Point of No Return"やウィリー・ディクソンの"I Love the Life I Live"なども収められていて、まさに“黒っぽい”音楽で埋め尽くされている。

 特に"Pride & Joy"の間奏では、彼特有のハモンド・オルガン・プレイを聞くことができる。当時から彼のキーボード・プレイは折り紙つきだったようだ。また演奏だけでなく、意外とボーカルもイケルのであった。
 前々から言っていたけれど、モッズになる必要条件にはこういうR&Bやソウル・ミュージックが大好きでなければならないのである。

 ジョージィ・フェイムは芸名で、本名はクライヴ・パウエルという。彼の父親はピアノやアコーディオンが得意だったようで、幼いジョージィも自然と音楽に触れていった。
 また7歳ごろから本格的にピアノを学び始め、15歳で学校を卒業したあとは働きながらバンド活動を始めている。そして地元で行われたのど自慢コンテストに参加した後、当時のロカビリー歌手だったローリー・ブラックウェルという人から誘われてプロ並みの活動を行うようになった。

 彼にスポットライトがあたったのは16歳のときで、イギリスでジーン・ヴィンセントやエディ・コクランなど、当時の大スターがツアーを行ったのだが、そのときのバック・バンドのメンバーに採用された。そのときはすでにジョージィ・フェイムと名乗っていたのだが、16歳でメンバーになったのだから、やはりそれなりの技能を持ち合わせていたのだろう。

 彼がモッズ・ムーヴメントを代表するミュージシャンになったのは、時代のブームというものもあったのだろうが、当時のモッズの聖地とされたロンドンのフラミンゴ・クラブでレギュラー出演するようになったおかげでもあろう。

 ロカビリー歌手のビリー・ヒューリーの後を継いで、バンドリーダーとなったジョージィは、ジョージィ・フェイム&ブルー・フレイムズとして、アフリカ系アメリカン人兵士やジャマイカ人などを相手にロンドンの裏町でクラブ出演を果たすようになった。
 
 そこでは午後11時までは普通のジャズが演奏されていたが、深夜をまわると仕事を終えたアメリカ人兵士などがやってきて、朝まで騒いでいた。ジョージィたちはロックン・ロール発祥の国から来た人たちを相手にR&Bやジャマイカ音楽を朝6時まで演奏していたのである。
 当時はジャズとR&Bバンドが交互に演奏していて、ジョージィたちの対バンとして出演していたジャズ・バンドにはジンジャー・ベイカーやジャック・ブルースがやっていたという。

 彼はこのクラブで、ひとりのアフリカ系アメリカ人兵士からブッカー・T&M.G.’sのレコードを貰うのだが、そこに演奏されていたハモンド・オルガンに衝撃を受けて、翌日すぐにオルガンを購入した。彼が19歳頃のお話である。ちなみにそのレコードというのは、彼のベスト盤にも収められているインストゥルメンタル曲の"Green Onions"であった。

 1963年に、彼はソロではなくバンドとしてデビューした。それが「R&B・アット・ザ・フラミンゴ」というライブ・アルバムで、夜毎自分たちのホームグラウンドで繰り広げられるホカホカの音源をパッケージしたものである。
 65年には"Yeh Yeh"が、66年には"Getaway"がシングル・チャートでNo.1を、3rdアルバム「スィート・シングス」がアルバム・チャートでNo.2を記録し、彼らの人気はピークを迎えた。

 ビートルズ全盛のこの時期に、No.1になったのだから、たいしたものである。イギリスにはアメリカや中米からの移民が多かったというのもその背景にあるのだろう。
 モッズたちもイタリア製?スーツを身にまとい、ヴェスパを乗り回しながら、アメリカ直輸入の音楽を聞いていたのであるが、ジョージィのおかげもあって、自国のミュージシャンによるR&Bなどを聞くことができるようになった。

 この人気絶頂のときにバンドは解散し、ジョージィはソロ活動を行うのだが、それはひとつはマネージメント側の戦略でもある。同時期のバンドにマンフレッド・マンというのがあって、のちにはプログレッシヴ・ロック・バンドに変身するのだが、そのバンドにいたボーカリストのポール・ジョーンズと同様に、彼もまたソロで売り出そうとしたのだろう。

 残念ながらジョージィもポール・ジョーンズもソロでは上手くいかず、ジョージィは80年代終りまで鳴かず飛ばずだったが、89年にヴァン・モリソンとのコラボから音楽シーンに再登場するようになった。
 最近では、ストーンズを脱退したビル・ワイマンのバンドで活動したり、クラプトンや若手バンドのヴァーヴなどと共演している。また、2009年のグラストンベリー・フェスティヴァルのジャズ・ステージではヘッドライナーとしての出演を果たしている。また2人の息子と一緒に演奏活動も行っているようだ。2
 というわけで60年代~90年代のモッズ・ムーヴメントとその時々のモッズに愛された音楽やミュージシャンを紹介してきたのだが、R&Bやソウル・ミュージックは海を越え、イギリスではモッズたちにも愛された。
 逆にイギリスはザ・ビートルズを始めとしたブリティッシュ・インヴェイジョンでアメリカにお返しをするのだが、そのザ・ビートルズやザ・フーたちもデビュー当時はモッズ・ファッションだったことを考えれば、いかにモッズの影響が強かったということが分かると思う。

 そして、このモッズ・ムーヴメントが21世紀に入って、どのように変貌していくか、どんなバンドが影響を受けて出てくるか、それは今後のお楽しみといったところだろうか。


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