« ザ・ミュージック | トップページ | プロメテウス »

2012年8月31日 (金)

ボーナム

 さてさて8月も今日で最後、今年の夏も終りを迎える時が来た。今までゼップの影を引きずってきたバンドやミュージシャンを紹介してきて、英米を中心に10組のバンド、ミュージシャンが登場した。そして今回が大トリ、間違いなくゼップの遺伝子を受け継いでいるミュージシャンの登場である。

 それもそのはず、元レッド・ゼッペリンのドラマーだったジョン・ヘンリー・ボーナムの遺児であるジェイソン・ボーナムだからだ。

 ジェイソンは1966年生まれだから、今年で46歳。父親のジョン・ボーナムが亡くなったときは14歳で、その2年後にプロ・ドラマーとしてデビューした。やはり幼いときから父親に手ほどきを受けていたのであろう。映画「永遠の詩」でも小さなドラム・セットの前で微笑んでいたシーンがあったが、あのジョン・ボーナム譲りのドラミングは一朝一夕で生まれたわけではないということか。

 1982年にエアレースというバンドのドラマーとして、そのミュージック・キャリアをスタートさせたジェイソン・ボーナムは、アトランティック・レコードからデビュー・アルバムを出すものの、商業的に失敗しバンドは解散した。
 85年には4人組のヴァージニア・ウルフというバンドを結成した。デビュー・アルバムのプロデューサーにはクィーンの同じくドラマーであるロジャー・テイラーが当たり、少々評判にはなったのだが、結局2枚のアルバムを残してこのバンドも解散してしまった。

 次に彼の名前がロック史に出てくるのは1988年の5月、アトランティック・レコード25周年記念に一日だけ復活したレッド・ゼッペリン・ライヴのときだった。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでのライヴではゼップのオリジナル・メンバーだったジミー・ペイジ、ロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズらとともに、ジェイソンがドラマーとして参加して、父親譲りのパワフルなパフォーマンスを見せてくれた。

 そのときの腕前にほれ込んだジミー・ペイジは、自分のソロ・アルバム「アウトライダー」にジェイソンを招いて数曲でプレイさせ、ツアーにも参加させた。この時のことをジミー・ペイジはこう述べている。『サウンド・チェックをしていて後ろを振り向くとジェイソンがドラムを叩いていて驚いた。俺にはジョンがドラムをたたいているように感じられたからだ』

 そしてツアーが終了した後、ジェイソンは再びバンド活動を始め、ボーナムという4人組を結成した。1989年のことである。

 このバンドのギタリストであるイアン・ハットンはロバート・プラントとツアーに出た経験もあるギタリストで、ベーシストのジョン・スミスソンはかつてゼップのマネージャーだったピーター・グラントを通じてジェイソンと知り合い、参加したという因縁があった。

 このときのデビュー・アルバム「無限」のプロデューサーはアリス・クーパーやルー・リードのアルバムを担当したボブ・エズリンで、ベースとバッキング・ボーカルには当時イエスに在籍していたトレバー・ラビンがなぜか参加している。
 またボーカルはカナダ人のダニエル・マックマスターという人で、この人の声も高音が伸びて、時々ロバート・プラントと聞き間違えてしまうほどである。2
 それでこのアルバムには11曲収められているのだが、面白いことに、ただ単純なハード・ロックを演奏しているわけではない。メンバーの見かけはハード・ロッカーなのだが、やっている音楽はハード・ロックに徹し切れなかったエイジアといった趣だ。

 たとえば1曲目の"The Disregard of Timekeeping"は2分あまりのインストゥルメンタルで、ひょっとしたらこのアルバムはトータル・アルバムかと錯覚させてくれる。音楽的にも中近東風のフレーズやストリングスが使用されて大仰なのだが、たぶんこれはプロデューサーのボブ・エズリンの趣味だろう。何しろピンク・フロイドの「ザ・ウォール」でも分かるように、組曲やロック・オペラ風に仕立てるのはお手のものだったからだ。

 結局、1曲目は次の曲"Wait for You"の導入部にしか過ぎなかった。そしてその"Wait for You"ではロバート・プラント風のボーカルを楽しむことができる。このアルバムの中ではメロディアスな佳曲でもある。
 "Bringing Me Down"や"Guilty"はミディアム・テンポの曲でハードといえばハードなのだが、後者では随所にストリングスやコーラス・ハーモニーなども使用されていて、ちょっとオーヴァー・プロデュース気味なのである。ちなみにこの曲にはボブ・エズリンも曲作りに関わっている。

 5曲目の"Holding on Forever"も同傾向の曲で、ちょうど90125イエスのボーカリストが代わりましたが、あとのメンバーは同じですよと言われても信じてしまいそうな感じの曲で、ギターよりもキーボードが目立っている。
 極めつけは7分50秒もある"Dreams"で、イントロ部分にはバイクや靴音などの効果音が使用されている。やはりボブ・エズリン効果か。途中の演奏部分は産業プログレッシヴ・ロックの匂いがしてしまう。

 このアルバムにはあと2曲ほど長い曲が収められていて、6分54秒の"Playing to Win"はハード・ロックに近いサウンドだが、キーボードのフレーズが気になってしまい楽曲に没頭できない。ギターも頑張ってはいるのだが、全体的に中途半端なのだ。
 またこのアルバムには疾走感溢れる曲は含まれていない。ディープ・パープルでいうところの"Speed King"であり、ゼップならば"Rock'n'roll"に値するような曲がないのだ。ほとんどの曲がミディアム・テンポなので全体を通してはメリハリがないと感じてしまった。

 もう1曲の"Room for Us All"は7分14秒あり、これまた緩急のある曲でミディアム・バラードから徐々に盛り上がる展開になっている。最初の方ではロバート・プラント風のボーカルと言ったのだが、この曲では何となくジョン・アンダーソン風にも聞こえる。
 
 ジェイソンのドラミングはパワフルで、音抜けもよい。このアルバムから分かることは、彼のプレイ・スタイルはどんな音楽にもマッチできるということかもしれない。ハード・ロックはもちろんプログレッシヴ・ロックにも対応できるだろうし、エスニックな音楽も大丈夫だろう。それはこのアルバムを通してジェイソンが一番言いたかったことではないか。だからボブ・エズリンをプロデューサーに迎えて、ハード・ロックの風味を含んだドラマティックな?ロック・アルバムを制作したのだろう。
 したがって、このアルバムは彼の可能性を試すためのものであって、ロックの歴史に残るような名盤ではないのである。

 このボーナムというバンドも1992年にもう1枚アルバムを発表して解散した。やはりセールス的な面での成功には程遠かったからであろう。その後ジェイソンはセッション活動を中心に活動を続けていった。
 1997年には、自分の父親がいたバンドの楽曲を録音したトリビュート・アルバムを発表した。そしてそのときの収益は、チャリティに寄付している。Photo  
 10年後の2007年にはロンドンのO2アリーナで、アトランティック・レコードの創始者であったアーメット・アーティガン・トリビュート・コンサートにレッド・ゼッペリンのメンバーとして参加したことは、記憶に新しいところである。
 そのあと彼らは同じメンツでワールド・ツアーを行う予定であったが、ロバート・プラントが不参加ということで、結局取りやめになってしまった。おそらくもう2度と同じメンバーでのコンサートは開かれないであろう。残念なことである。

 ジェイソンは父親のような名声を得るまでには至らなかったが、その演奏力については充分すぎるほど父親譲りで、伝統を受け継いでいる。まだ彼も46歳。今後は彼の技量にふさわしいミュージシャン同士でスーパー・バンドを結成して、歴史に残るようなアルバムを発表してほしいものである。


« ザ・ミュージック | トップページ | プロメテウス »

ブリティッシュ・ロック」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ボーナム:

« ザ・ミュージック | トップページ | プロメテウス »