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2012年10月

2012年10月30日 (火)

スティーヴィー・ニックス

 “美魔女”という言葉がある。いわゆる中年の女性で年齢を感じさせない美しい熟女を意味する言葉なのだが、この言葉にふさわしい女性シンガーを思い出した。それはフリートウッド・マックの女性シンガー、スティーヴィー・ニックスのことである。

 彼女は今年で64歳。もはや熟女という域を超えて老女といっても過言ではない年齢であるが、まだまだティラー・スイフトのような若いものには負けじと現役で頑張っている超有名ミュージシャンなのだ。Photo

 実は自分は彼女の隠れファンみたいなもので、1981年のソロ・アルバム「麗しのベラドンナ」から2001年の「トラブル・イン・シャングリラ」までのすべてのスタジオ・アルバムとベスト・アルバム1枚を持っている。90年代のアルバムは全盛期から比べると少し質は落ちるものの、81年から85年までの彼女のソロ・アルバムは今でも愛聴しているほど気に入っている。

 彼女は当時の恋人だったリンジー・バッキンガムと一緒に1975年にフリートウッド・マックに加入して、その妖精のような服装、歌い方、曲調、歌詞、そしてよく言えばハスキー、悪くいえば場末の飲み屋のママのような酒に潰れた声で、バンドを一躍世界的なスーパー・バンドに導いてしまった。

 その後リンジーと別れた彼女は、バンド・リーダーのミック・フリートウッドやイーグルスのドン・ヘンリー、ジョー・ウォルッシュ、スタジオ・ミュージシャンのワディ・ワクテルなど、数多くの有名人と浮名を流した。それでも彼女がいまだに現役を続けられているのも、そのようなゴシップを芸術まで昇華して、数多くのヒット作を出し続けることができたからだろう。

 そんな彼女が昨年に新作を発表していたとは全く知らなかった。これでは本当の彼女のファンとは言いがたい。情けないことだがファン返上だ。

 日本での国内盤は出ていないので、国内の契約は打ち切られたのだろう。以前は東芝EMIからワーナー傘下のリプリーズに移籍してアルバムを発表していたのだがその影響だろうか。彼女ほどの人気もあり、超有名なミュージシャンの契約を打ち切るとはワーナー・ジャパンの重役は何を考えているのだろうか。見る目がないというか、聞く耳がないというか、そんなことだから音楽業界も下り坂になり、CDも売れなくなってしまうのだろう。(とついつい他人に非を押し付けてしまった、いけないことだ)

 それはともかく、このアルバム、彼女にとっては7枚目のスタジオ・アルバムだが、かなり気合いが入っていて、久しぶりに充実した内容になっている。

 それは今までとは違い、二人のミュージシャンの応援があるからだ。一人はグレン・バラード。古くはマイケル・ジャクソンやアラニス・モリセット、最近ではケイティ・ペリーなどと仕事をしているアメリカ人のミュージシャンで、このスティーヴィーのアルバムでは、プロデューサーとして協力している。

 もう一人は元ユーリズミックスのデイヴ・スチュワートで、このアルバムではグレンとともにプロデュースと、スティーヴィーに7曲提供し、ギターやキーボード演奏も行っている。アルバムの裏ジャケットに彼女と一緒に写っているのがデイヴ・スチュワートだろう。

 このアルバムの素晴らしいところは、スティーヴィーの年齢を感じさせない歌声とともに、このデイヴの提供した楽曲が今までのスティーヴィーのアルバム曲と比べて何ら遜色のないもの、というよりもむしろ今まで以上に彼女のイメージにピッタリフィットしている点だろう。歌っているスティーヴィーも自分の色で染めているところも凄いのだが、そういう曲を提供できたデイヴの能力もまた素晴らしいと思う。2

 冒頭の"Secret Love"は1976年にお蔵入りになっていたものを引っ張り出して録音したもの。ミディアム・テンポで聞きやすい。ただ想定通りの音になっているのはマンネリといわれても仕方ないだろう。スティーヴィーの作詞作曲によるもので、当時のフリートウッド・マックはピーター・フランプトンの前座としてツアーをしていて、そのときに作られたものだという。禁じられた恋について歌われていて、如何にも恋多き女にふさわしいトラックである。

 続く"For What It's Worth"はアコースティック・サウンドで彼女の得意なカントリー色がよく出ている。クレジットを見るとトム・ペティ&ハートブレイカーズのマイク・キャンベルが曲を提供していた。プロデュースにも関わっていて、その影響なのだろう。

 アルバム・タイトル曲の"In Your Dreams"はアップ・テンポのロックン・ロールで、とても64歳の人が歌っているとは思えない。作曲はデイヴ、作詞はスティーヴィーだ。その次の曲"Wide Sargasso Sea"もデイヴの手によるもの。結構ハードな曲で、たぶんステージではこの曲をバックにスティーヴィーはひらひらと舞い踊るのだろう。

 "New Orleans"はスロー・バラードで、"Moonlight(A Vampire's Dream)"もややスローな曲。今時の季節にはピッタリの情緒的な雰囲気を漂わせている。久しぶりに彼女の水準の高い曲を聞いた感じだった。

 80年代の全盛期時代の曲を思い出させてくれるのが"Annabel Lee"で、アメリカの小説家エドガー・アラン・ポーの同名短編小説にインスパイアされて作ったという。盟友というか元恋人のワディ・ワクテルがギターで参加している。

 そして元デュオで元祖恋人でもあったリンジー・バッキンガムがコーラスとギターで全面参加している曲が"Soldier's Angel"である。この曲はなかなか出来上がらなくて、ある晩、スティーヴィーがリンジーに協力を求めたところからデュエットが実現したという。徐々に盛り上がり最後はリンジーのギターが爆発するのだろうと期待を持って聞いたのだが、残念ながら最後まで淡々と、おどろおどろしいままだった。やっぱりリンジーの気持ちが表れたのだろうか。

 後半の"Everybody Loves You"から最後の曲まではデイヴとの共作曲で占められていて、中間部でストリングスとギターが盛り上げてくれる"Everybody Loves You"やこのアルバムでは一番ロックしていてカッコいい"Ghosts Are Gone"、一転してスローな"You May Be The One"など聞き所満載である。

 そしてストリングスが美しい"Italian Summer"がクライマックスを飾る。まるで映画のエンディング・テーマのように、スティーヴィーは熱唱し、ストリングスが盛り上げている。曲自体も美しいし、この曲をアルバムの最後の方に配置した点も納得である。

 アンコールに応えるかのように、最後の曲"Cheaper Than Free"が静かに始まる。この曲ではデイヴとデュエットしていて、スティール・ギターも使用されカントリーっぽい雰囲気で締めくくられている。

 このアルバムを制作するときに、スティーヴィーは、1977年の歴史的名盤「噂」以来のコラボレーションだと語っているが、グレン・バラードとデイヴ・スチュワートとのトロイカ体制は久しぶりの彼女の制作意欲を刺激したのだろう。全体的に90年代以降では充実したアルバムになったし、ビルボードのチャートでもいきなり6位でチャートインしている。

 今作では全曲の作詞を手がけているが、作曲に関してはあまり関わっていない。できれば次作では全曲彼女のオリジナルを聞きたいと思っている。

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2012年10月25日 (木)

ジェフ・リン

 ジェフ・リンの1990年のソロ・アルバム「アームチェア・シアター」を聞いた。いい曲は多いものの、まあこんなもんかなあといった感じだった。取り立てて名盤ともいえないし、必聴盤というものでもない。ただ他の人のソロ・アルバムよりはポップ度は高く、この手の音楽が好きな人にとっては気に入るのではないだろうか。

 ジェフ・リンは現在64歳だが、御存知の人も多いように、イギリスのプログレッシヴ・ポップ・バンド、エレクトリック・ライト・オーケストラ(以下ELOと略す)のリーダーとして、そのほとんどの曲を創作し、演奏し、プロデュースまで行ってきた多才なミュージシャンである。

 ELOについては、以前にもこのブログで取り上げているので詳細は省くが、これもイギリスの奇才といわれたロイ・ウッドとともにELOを結成した。1970年のことである。しかし“両雄並び立たず”のことわざ通りにロイがバンドを脱退して、以降はジェフ・リンが実質的なリーダーとしてバンドを牽引していった。

 彼らの活動のピークは1974年から1982年頃までで、1986年の「バランス・オブ・パワー」発表後はバンドとしての活動は行っていない。2001年には久々にバンド名義で「ズーム」というアルバムを発表したが、実際はジェフのソロ・アルバムに限りなく近いものだったので、バンドとして機能していたかは極めて疑わしいと思っている。

 それでELO以降のジェフは、1988年から90年まで、かの有名な覆面バンド、トラヴェリング・ウィルベリーズで活動している。これも御存知の方は多数いると思うのだが、簡単にいうと、ボブ・ディラン、トム・ペティ、ジョージ・ハリソン、ロイ・オービソンとジェフがウィルベリー兄弟の名の下にアルバムをレコーディングして、これが大ヒット、グラミー賞では最優秀ロック・デュオ/グループ賞まで獲得してしまうほどであった。

 このアルバムのプロデュースもジェフが中心となって行っていて、80年代後半から2000年代まではプロデューサーとして大活躍している。しかも超有名ミュージシャンのアルバムに関わっていて(といっても個人的な関係からだろうが)、一番有名なのはザ・ビートルズのアンソロジーに収められた新曲"Free As a Bird"、"Real Love"だろう。

 元々ジェフの中には、ザ・ビートルズに対する憧憬や思い入れなどが強かった。彼にとっては尊敬すべきバンドであり、目標ともするバンドだった。だから“世界最小のオーケストラ”といわれたELOも、最初はプログレッシヴ・ロックのフィールドで語られていたのだが、知名度が高まるにつれて徐々にポップ度を高めていき、後期ではまさにビートルズライクな音楽性を示していた。
 だからザ・ビートルズのアンソロジーや元ビートルズのメンバーのアルバムに携わることは本人の願いでもあり、もちろん自信もあっただろうし、レコード会社も彼ならミュージシャンの音楽性を理解し、任されると判断したのだろう。

 それでそのトラヴェリング・ウィルベリーズの活動も一段落ついたのか、1990年になって突然彼のソロ・アルバムが発表された。この時期のジェフはワーカホリック状態だったのだろう。様々なミュージシャンのプロデュース業に携わりながらもアルバム用の曲を書き溜めていたし、もちろんソロ・アルバムも自分でプロデュースをしている。Photo
 全11曲で、この時期のジェフ・リンの音楽性の集大成といった感がある。1曲目のシングル・カットされた"Every Little Thing"は後期ELOのような音楽で、サックスとカラフルなキーボードが目立っている。
 続く"Don't Let Go"はプレスリーのようなロックン・ロール調で、歌い方もロカビリー歌手っぽい。この曲は"Unchained Melody"のヒットで有名なロイ・ハミルトンという歌手が歌ったもので、オリジナルは1958年にヒットしている。
 また"Lift Me Up"、"What Would It Take"はミディアム調で、これもトラヴェリング・ウィルベリーズのアルバムに収められてもおかしくないような曲調である。ひょっとしたらアウトテイクの作品だったのかもしれない。

 さらには"September Song"、"Stormy Weather"というミュージカル関連のカバー2曲では、情感込めて歌っている。前者はマックスウェル・アンダーソンとカート・ウェイル、後者はテッド・コーラーとハロルド・アーレンの手によるもの。ここまでくるともはやロックではなく、フランク・シナトラのようなスタンダード歌手のようだ。

 そしてもちろんこのアルバムにもジョージ・ハリソンやデル・シャノン、元ELOメンバーのリチャード・タンディ、ストーンズのアルバムでも有名なジム・ホーンなど有名ミュージシャンが参加している。ジェフはマルチ・ミュージシャンなのでその気になれば、ジェフ一人でもアルバムは制作できるのだが、やはり一人で作るよりも仲間と一緒の方が創作意欲が刺激されてアイデアも多く浮かぶのだろう。

 自分は以前からこのアルバムを探していたのだが、なかなか店頭では見つけることはできなかった。中古CD店でも売っていなかった。しかたがないのでネットで買うことにした。こういうときにはインターネットは便利である。さすがアマゾン何でもそろっているようだ。

 それで念願かなってジェフのこのアルバムを聞いたのだが、バラエティ豊かなジェフの音楽性が反映されていて、その点では気に入ったのだが、全体的には何となく物足りない。例えていうなら「ラム」や「レッド・ローズ・スピードウェイ」時代のポール・マッカートニーのようで、“器用貧乏”という言葉や“全体的な統一感に欠けている”といった批評が当てはまる気がした。

 確かにジェフ・リンという全体像を知るにはこのアルバム1枚で充分かもしれないが、ジェフの実力はまだまだこんなものではないはずだ。彼が本気になれば、もっとすごい、それこそ歴史に残るようなアルバムを作れると思っているのだが…
 最近発表された彼の最新アルバムは、彼のルーツを確認する意味で発表されたカバー曲集だった。2 これもまた私が期待しているようなものではなかった。しかしこれは、ジェフのこれからの新たな音楽人生の始まりを告げるアルバムになるのだろうか。それとも総括、総集編なのだろうか。果たして彼が本気になって、これからソロ・アルバムを発表してくれるかどうか不安でしょうがないのである。

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2012年10月20日 (土)

ザ・モンキーズ

 さてさて、今までパワー・ポップのアルバムを紹介してきたが、いっそ60年代まで戻ってみようと思い、ザ・モンキーズのアルバムを聞いてみた。聞き終わって思ったのだが、やはりザ・モンキーズはパワー・ポップ・バンドではなく、単なるポップ・バンドという当たり前の結論にたどりついた。

 理由はメロディはポップなのだが、イギリスの“カブト虫たち”とは違って自作曲が少ないということやギターがさっぱり目立っていないということが上げられるだろう。
 よく言われることだが、彼らは自然発生的なバンドではなく、メンバーはオーディションで決められていて、“作られたアイドル”というイメージが強かった。コーラス・グループでは選抜されてデビューするというのはよく聞く話だが、バンドでは当時は珍しいといえるだろう。

 要するにイギリスの“カブト虫たち”に対抗して、アメリカでもアイドル・バンドを作ろうとしたテレビ会社の思惑だったのだろう。だから当時のアメリカではレコードだけでなく、テレビや雑誌などのマス・メディアを総動員して彼らを後押ししていた。しかもこの企画は大当たりして、海を越えイギリスでも売れるようになってしまった。

 ただ彼らの寿命は短かった。彼らの看板番組が終了すると、人気も下降線をたどるようになり、曲も売れなくなった。当然のことながら有能なスタッフは去ってしまい、バンド内の人間関係も微妙になって、最終的に解散してしまう。今ではよくあるバンド・ヒストリーであった。

 1965年に、テレビ会社のNBC主催で行われたオーディションには437人が集まったといわれていて、中にはスリー・ドッグ・ナイトのボーカリストのダニー・ハットンや売れる前のスティーヴン・スティルスもいた。スティルスは歯並びが悪くて髪が汚いという理由で不合格になったのだが、彼は自分の代わりにピーター・トークを推薦して、ピーターの方が合格している。

 自分は、彼らは作られたバンドだったから全く演奏できなかったのだろうと思っていたのだが、実際はギター担当のマイク・ネスミスとベース担当のピーターはセミ・プロ・バンドで活動していたので演奏は充分だった。特にマイクの方はレコーディングの実績もあったので、プロ・ミュージシャンといってもいいだろう。
 残りのメンバー、ボーカルのデイヴィー・ジョーンズとドラマーのミッキー・ドレンツの方は俳優としての経歴はあったものの、本格的な音楽的経歴はなかった。だからデビュー・アルバムとセカンド・アルバムの演奏にはグレン・キャンベルやレオン・ラッセルなどのスタジオ・ミュージシャンが集められたのである。(ミッキーの方はギターの覚えはあったもののあくまでも趣味の範囲を超えない程度であったようだ)

 また当時のアメリカの音楽業界の権力者であったドン・カーシュナーが、これらのアルバムの音楽監修を務めていて、彼の意向に沿った内容になっている。だからそれぞれのアルバムにはシングル・ヒット曲が収められていた。

 デビュー・アルバム「モンキーズ」の中の"Last Train to Clarksville"(恋の終列車)がビルボードのチャートで1週間全米1位になったし、セカンド・アルバムに収められていた"I'm a Believer"は7週連続1位を記録した。ちなみにこの曲はニール・ダイヤモンドが作っている。

 そんな彼らがたんなる操り人形を嫌って音楽的自立を始めたのが、サード・アルバムの「ヘッドクォーターズ」からであった。全14曲中7曲にメンバーが作詞や作曲に関係していた。中でもマイクとミッキーが単独でそれぞれ3曲と1曲、ピーターが1曲共作して、他の2曲は4人で書かれている。41nhe38a
 マイク・ネスミスは、1曲目の"You Told Me"と5曲目の"You Just May Be The One"、10曲目の"Sunny Girlfriend"を提供していて、ザ・バーズのようなアコースティック的フォーク・ロック調である。一方、ミッキーの"Randy Scouse Girl"の方はピアノを基調としたもので、イギリスでヒットしたそうだ。

 ザ・モンキーズの活動ピークは1966年から68年の3年間で、特に67年にはセカンド・アルバムと「ヘッドクォーターズ」、4枚目の「スター・コレクター」と3枚発表していて、これは自分たちで制作しようという意欲の表れであり、逆にいえばデビューから押さえつけられていた反動が出たのだろう。

 この4枚目のアルバム「スター・コレクター」ではオリジナル曲が減っていて、ピーターが1曲、マイクが1曲、ディヴィーとマイクが他者とそれぞれ1曲ずつ共作しているだけである。
 ただボーナス・トラックにはマイクたちの曲があるので、オリジナル・アルバムに収録されたのが少なくて、実際はもう少し曲を作っていたのだろう。2

 また当時の彼らは、テレビ番組収録や1年間で3枚のレコーディング、全米各地でのライヴ活動と、寝る暇もない状態だったから、曲をたくさん作ることは時間的にも困難だったのだろう。
 クレジットを見ると、ニルソンやジェリー・ゴフィン&キャロル・キングなど有名ミュージシャンが曲を提供していて、後者の曲"Pleasant Valley Sunday"はシングル・チャートで3位になっている。

 全体的にはサイケデリックな印象があって、やはり当時の時代の影響だろうか、おとなになったザ・モンキーズに思えた。特にアルバム後半では、マイク単独曲の"Daily Nightly"や彼の共作曲"Don't Call On Me"などにそれが見られる。なお"Daily Nightly"ではムーグ・シンセサイザーが使用されていた。

 彼らのテレビ番組は1968年3月に終了したが、その翌月に発表されたのが「小鳥と蜂とモンキーズ」だった。それまでのアルバム4枚はすべてチャートの1位を記録していたが、このアルバムは3位で止まっていて、内容的にはそれまでのアルバムと遜色はないものの、番組終了の影響か1位を逃している。1
 このアルバムからは有名な"Daydream Believer"が収録されていて、4週連続1位を記録した。このアルバムがもう数ヶ月早く世に出されていたならおそらく1位を記録したに違いない。1曲目からストリングスが目立っていて、ソフト・ロックの世界に迷い込んだような気がした。2曲目もアルペジオ中心の電気ギターが目立つくらいで、静かな印象を受けた。耳には馴染みやすいが、彼らの今までのアルバムに比べれば、ロックの世界からは最も遠いアルバムになったようだ。

 スティルスの推薦でバンドに加入したピーターは、1968年末にバンドから脱退し、翌69年にはギター担当のマイクも脱退した。残されたディヴィーとミッキーの2人はバンドを続けていったが、1970年には解散した。
 その後も新メンバーを入れたり、オリジナル・メンバーでアルバムを発表したりと散発的な活動を繰り返していたが、ボーカルのディヴィーが今年の2月29日に心臓発作で亡くなってしまい、オリジナル・メンバーでの再結成は不可能になってしまった。

 現在、ミッキーはTVやラジオの司会、DJなどを行っているし、ザ・モンキーズの中で一番目立っていたマイクは現役ミュージシャンとして活躍している。また、70歳になるピーターはガンを宣告されていたが、現在は回復していて、自分の体験談をフェイスブックなどに綴っているようだ。

 一時は“カブト虫たち”と並び称されるほどアメリカで人気を誇っていたザ・モンキーズである。作られたアイドル・バンドとはいえ、その知名度や影響力は、時代を超えて今もなお人々の記憶に焼きついているようだ、特にここ日本では。

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2012年10月15日 (月)

ウィーザー

 自分にとってのアメリカン・パワー・ポップ3大バンドは、レッド・クロス、ポウジーズ、ファウンティンズ・オブ・ウェインだった。このことは前回までのブログに述べたのだが、それ以外に90年代のパワー・ポップ中興の祖と呼ばれたバンドがあった。それが今回登場するウィーザーなのである。

 一般的に言って、ロック・バンドではボーカリストやギタリストだけでなく、ベーシストやドラマーなど多少の差はあってもメンバー全員がそれなりに名前が知られている場合が多い。60年代のザ・ビートルズやストーンズ、クリームから始まり70年代、80年代のロック・バンド群もその例にもれない。
 しかし、ことポップ・バンドになるとメンバー全員の名前を覚えている人は少ないだろうし、バンドのサウンドもバンドごとの差異はそんなにハッキリとはしていない。違うのはボーカリストの声質ぐらいだろうか。

 これにはロックのフィールドとポップ・ミュージックのフィールドの違いもあると思う。ロック・バンドにはそれぞれの音楽性を備えているが、ポップ・バンドは大きくポップ・ミュージックというジャンルでくくられる為か、似たような音楽性に収斂するようだ。

 だからバンドのリーダーや中心人物の名前は覚えられても、一人ひとりのメンバーを覚えることは困難であり、よほどそのバンドのファンでもない限り知ることは少ない。このことは、60年代において“○○+ナントカーズ”というようなバンド名が多かったことからも伺える。この流れは脈々と現在まで引き継がれているように思える。

 それでウィーザーもまた自分にとっては、中心人物+バック・ミュージシャンなのだ。中心人物とはボーカル&ギターのリヴァース・クオモである。彼はバンドの曲をほとんど作詞・作曲しているのだが、その自尊感情の低い作風やネガティヴな内容などから“泣き虫ロック”と長い間呼ばれていた。

 バンド結成は1992年で、コネチカット州からロサンゼルスにやってきたリヴァースが同じく地方からロスにやってきたメンバーと意気投合して活動を始めた。そして早くも翌年にはレコード契約を結び、1994年にデビュー・アルバムを発表した。それが「ウィーザー」、通称ブルー・アルバムだった。Photo
 彼らはバンド名と同じアルバムを1994年と2001年、2008年に発表していて、紛らわしいので区別しやすいように、それぞれ“ブルー・アルバム”、“グリーン・アルバム”、“レッド・アルバム”と、そのジャケット・デザインから名づけられている。

 自分はそのブルー・アルバムを聞いたとき、そんなに感動しなかった。やはりグランジの影響からか、エレクトリック・ギターの装飾音というか轟音がせっかくのメロディの良さを邪魔しているような気がしたからだ。
 シングル・ヒットした"Buddy Holly"を聞いてもピンとこなかった。でも本国アメリカではアルバムがビルボード16位まで上昇し、現在までに300万枚以上売れていて、彼らが今まで発表した6枚のアルバムの中では一番セールス的に成功しているようだ。(イギリスでは23位)

 個人的には1996年のセカンド・アルバム「ピンカートン」が好きで、安藤広重の浮世絵のジャケットを見て、深く考えずに購入してしまった。2
 2曲目の"Getchoo"や3曲目の"No Other One"のようなロック寄りの音にメロディアスなサウンドがカッコよかったし、続く"Why Brother?"、"Across the Sea"、"The Good Life"のポップネスさも1stにはないものだと思った。
 ところが日本ではそこそこ売れたものの、アメリカでは確か50万枚くらいしか売れず、(アメリカのチャート的には最高位19位)、それがトラウマとなってリヴァースは音楽業界から逃避するように翌年ハーヴァード大学に入学してしまった。

 この辺がリヴァースのユニークなところで、本人は真剣に悩んで選択した道なのだろうが、なぜ大学入学、しかもアメリカ最高峰の大学なのかがよくわからない。自分の自信を取り戻そうとしたのだろうか。(それにしてもハーヴァードに合格するところが凄い!)

 自分はもう1枚彼らのアルバムを持っている。2005年に発表された5枚目のオリジナル・アルバム「メイク・ビリーヴ」で、個人的には聞いた中では一番ポップで売れ線狙いのアルバムだと思っている。
 実際に、アメリカのチャートでは2位を記録し、100万枚以上売れてグラミー賞にもノミネートされた。チャート的には2012年現在で最高位のアルバムになったし、シングルも4曲発表された。そのうち"Beverly Hills"、"Perfect Situation"は、ビルボードのシングル・チャートで10位と51位を記録している。3
 また叙情的な"Hold Me"、イントロがカッコいい"We Are All On Drugs"、アコースティック・ギターが珍しく少しだけ使用される"The Other Way"、ピアノで導かれる"Haunt You Every Day"など聞かせどころが多いのも特徴的だ。

 ところでリヴァース・クオモも考えてみれば、もう42歳。2006年には熊本県出身の日本人女性と結婚し、翌年には長女も誕生している。もう青臭い歌詞とはサヨナラするときではないかと思うのだが、果たしてどうなるのか興味深いところである。

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2012年10月10日 (水)

ファウンティンズ・オブ・ウェイン

 自分の中でのパワー・ポップ3大バンドを紹介するシリーズの最後を飾るのは、アメリカの東海岸出身の4人組、ファウンティンズ・オブ・ウェインである。(長い名前なので、以下FOWと略す)

 このバンドの中心も2人のミュージシャンで、ボーカル&ギターのクリス・コリングウッドとギター&ベース&キーボード担当のアダム・シュレシンジャーである。曲のほとんどはこの2人によって書かれていて、夢見るようなポップ・テイストとキャッチーなメロディに溢れた曲を聞かせてくれる。

 2人は学生時代からの知り合いで、当時から曲を書いていた。バンドの結成は1996年と90年代に入ってからだが、アダムの方は一足先に活動を始めていて、1994年にはアイヴィーという3人組でもデビューしている。またトム・ハンクス主演の映画「すべてをあなたに」での劇中曲も提供している。
 デビュー・アルバムは2人で制作したとクレジットされていて、その直後にギタリストとドラマーを加えてバンド活動を行うようになった。以後、同じメンバーで活動を続けている。

 自分は音楽雑誌で彼らのことを知り、どんなものか聞いてみたのだが、これがまたまさにポップ・ミュージックの玉手箱のようなアルバムで、一発で彼らのことが好きになってしまった。
 そのアルバムが1999年に発表された「ユートピア・パークウェイ」である。雑誌のアルバム評にあったように、まさにファンタジックなアルバムで、無駄な曲が少ない素晴らしいものだった。Fow
 まあ確かに曲によっては出来不出来というのもあるのだが、とにかく安心して聞くことができる。20世紀の終りになって、こういうポップなアルバムを聞くことができるとは思わなかった。80年代のパワー・ポップ・バンドは西海岸出身が多かったのだが、東海岸出身でここまでポップなテイストのアルバムを作り上げるバンドがあるとは思わなかった。偏見とは恐ろしいものだ。

 ちなみにアルバム・タイトルの「ユートピア・パークウェイ」とは、ニュー・ヨークのクィーンズ州に実在する通りの名前で、郊外の生活を描いたアルバム・コンセプトに基づいて名づけられている。
 ただメンバーに言わせると、彼らのレーベル会社であるアトランティック・レコードはこのアルバムをあまりプッシュしなかったらしく、売り上げの方はさっぱりでチャート・アクションも悪かった。結局のところ、FOWはこのアルバムを最後にアトランティックからドロップ・アウトしてしまう。

 したがって次のアルバム「ウェルカム・インターステイト・マネージャーズ」まで4年の歳月を待たなければならなかった。(日本ではEMI傘下のヴァージン・ジャパンから発売されるようになった)
 自分は当時流行ったコピーコントロールCDとして購入したので、自分自身では楽しめたものの、他の人にはこの良さを味あわせることができずに残念な思いをしたことを覚えている。なぜならこのサード・アルバムは、個人的には彼らの代表作だと思っているからだ。Fow2
 実際にバラードの"All Kinds of Time"はアメリカンフットボールのクォーターバックのことを歌っていて(ユーミンの“ノー・サイド”のようだ)、2004年シーズンのNFLのプロモーション・ビデオに使用されたし、小曲"Hey Julie"はTVのコメディ・ドラマ“スクラッブス”の中で使われた。またアコースティックな佳曲の"Valley Winter Song"はL.L.ビーンの2008年のCMの中で流されている。

 こういうアルバムを聞いていると、日常の出来事に起因する疲れや悩みなどが解消されたような気になってしまうから不思議だ。ポップ・ミュージックは確かに軽い音楽のように思えるけれども、その影響力は決して侮れないものがあると思っている。だから次から次へと新しいポップ・ソングが生まれてくるのだろう。それは流行という側面もあるのだろうが、いつの時代でもリスナー自らも求めているからだろう。

 ところでこのアルバムはゴールド・ディスクに認定され、バンドも2003年のグラミー賞ベスト・ニュー・アーティストと2人以上でのベスト・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞した。

 この勢いをかって、FOWはシングルB-サイドや未発表曲を集めた2枚組アルバムを発表し話題を集めた。その間にも彼らは次のアルバムについて企画・制作を行っていたようで、2007年には4枚目「トラフィック・アンド・ウェザー」を出している。Fow3
 あくまでも個人的な感想なのだが、FOWは2000年代のジェリーフィッシュだと思っている。ただジェリーフィッシュは4人とも能力のあるミュージシャンだったが、FOWは基本的に2人である。それでも作り出される楽曲はジェリーフィッシュと比べても遜色のないものになっていると思う。
 このアルバムでも全14曲、どれをとっても個性的で独創的、なおかつポップで誰が聞いても心地よいだろう。

 曲によっては多少のバラつきはあるものの、日本の車を題材にした"'92 Subaru"や高速道路95号線をひとりでドライヴする"I-95"など、メロディだけでなく歌の内容にも工夫されていて面白い。
 音楽雑誌ローリング・ストーンでは、"I-95"が2007年のベスト100曲の中で54位に位置している。しっとりとした名曲だ。またタイトル曲はフィラデルフィアの交通・天気情報局にちなんで名づけられたもので、FOW流のロック・ミュージックとなっている。

 そして今のところ彼らの最新アルバムが、昨年発表された5枚目の「スカイ・フル・オブ・ホールズ」で、前作がビルボードの97位だったのに対して、このアルバムは37位と大きくジャンプアップした。もちろん今までの中で最大のヒット作で、商業的にも成功している。Fow4
 パワー・ポップというマイナーなジャンルであっても、良いものであれば認められる。もちろんそこに至るまでの彼らの努力は並大抵のものではなかっただろうが、リズム重視、ヒップ・ホップ系が占める今のチャートの中で、この結果は個人的には喜ばしいものだ。メロディの復権、ポップ・ロックの再評価のためにも、FOWにはこの調子で素晴らしいアルバムを発表し続けてほしいと願っている。

 3回にわたって自分の好きなアメリカン・パワー・ポップ・バンドを紹介したのだが、要するにグランジの影響を強く受けていたのがポウジーズで、ややアコースティック色を備えているのがレッド・クロス、そしてどちらかというとポップ・ミュージックの方に両足を踏み入れているのがファウンティンズ・オブ・ウェインということになるだろう。いずれも自分にとっては忘れられないバンドなのである。

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2012年10月 5日 (金)

ザ・ポウジーズ

 パワー・ポップのバンドを紹介する第2弾、ポウジーズの登場である。このバンドも前回のレッド・クロスと同じように、90年代にその人気のピークを迎えた。いわばパワー・ポップと呼ばれ始めた最初の世代といえるだろう。

 自分が好きな彼らのアルバムは1990年のメジャー・デビュー・アルバム「ディア23」だった。(日本発売は1993年)
 アメリカはワシントン州シアトル出身のバンドだったので、グランジ系のノイジーでパンキッシュな音楽だとばかり思っていたのだが、ラジオから流れてきた音楽はその真逆なもので、メロディアスでアコースティックな音色を備えた音楽だった。

 それで早速CDショップでこのアルバムを購入したのだが、やはり予想通りの素晴らしいもので何度も繰り返し聞き直したものである。
 特にシングル・カットされた"Golden Blunders"や"Suddenly Mary"などは彼らの代表曲といえるもので、そういう佳曲がさり気なく収められているところが素晴らしい。Photo
 このアルバムは後のアルバムとは違ってアコースティック色が強く、今時の季節にはピッタリだと思う。"Golden Blunders"だけでなく"Apology"、"Any Other Way"など、メロディアスかつポップで、幻想的な雰囲気もたずさえている。

 それ以外にもチープ・トリック系列の曲に属するようなハード・ポップな"Help Yourself"やビートルズ・テイストのする"Mrs. Green"、"Everyone Moves Away"、サイケデリックな要素を含む"Flood of Sunshine"など、捨て曲無しのアルバムでもある。全10曲という曲を絞り込んだことも成功の一因であろう。

 そしてこのアルバムの成功で自信を得て制作、発表したアルバムが1993年の「フロスティング・オン・ザ・ビーター」だった。このアルバムは前作のような美しいメロディを基調にしたギター・ポップ・アルバムになっている。本当の意味でパワー・ポップというアルバムはこういうものを指すのであろう。2
 前回はアコースティック色の曲もあったのだが、このアルバムではエレクトリックでグイグイ押してくる。特に最初の3曲"Dream All Day"、"Solar Sister"、"Flavor of the Month"でリスナーの心を掴み、続く"Love Letter Boxes"、"Definite Door"でまさに“ポウジーズ・ワールド”に引き込まれてしまう。

 人によってはこのアルバムこそが彼らの代表作という人もいるのだが、個人的にはどうにも賛成できない。このアルバムにも"Earlier Than Expected"、"Lights Out"というアコースティックな曲もあるのだが、全体的に前作より電気的装飾が目立ち、曲調もミディアム・テンポが多い。だから何となく平板でつかみ所が少ないように思えた。

 ザ・ポウジーズは基本的には4人組のバンドなのだが、中心人物はジョン・オウアとケン・ストリングフェロウの2人である。この2人が1984年に高校で出会い、曲を作り、演奏するようになった。そして1988年に制作費50ドルで作成したカセット「フェイリャー」をマイナー・レーベルから発表してライヴを重ね、徐々に名前が知られるようになったのである。

 90年代前半の彼らは3年ごとにアルバムを発表していたようで、1996年には「アメイジング・ディスグレイス」を発表している。
 前作発表後、約1年にわたってライヴ活動を続けていた彼らだったが、その反動からかベース&ドラムスのリズム・セクションが脱退してしまい、新しいメンバーで録音したアルバムになった。だからというわけでもないだろうが、全体的に音が引き締まった感じがする。3
 またグランジの影響も受けたような曲もあれば、まさにパワー・ポップの洗礼を受けたような曲もあり、96年当時の彼らの力を最大限に発揮したような力作に仕上げられている。たとえばアルバム冒頭を飾る"Daily Mutilation"は前者のようであり、シングル・カットされた"Ontario"や"Please Return It"などは後者に属するだろう。

 また"Hate Song"には、70年代のパワー・ポップ・バンドの代表だったチープ・トリックからギターのリック・ニールセンとボーカルのロビン・ザンダーが参加している。こういうところでも新旧の交流があったようだ。

 アルバム全体としては前作の流れを引きついでいて、大きな変化はないと感じた。ただ輸入盤では15曲、日本国内盤でも16曲もあり、全部を聞き通すとお腹一杯になってしまった。似たような曲もあるので、余計なお世話だが、もう少し曲を絞り込んで印象度を強くした方がよかったのではないだろうか。

 この時期のアメリカのバンドのアルバムはやたらと曲数が多くて、いい曲もあるのだが、全体としては散漫な印象を残してしまったようなアルバムが目立つ。時代の流れみたいなものもあったのだろうが、ちょっと残念だと思う。

 このあと彼らは1998年に「サクセス」というアルバムを発表したのだが、そのタイトルとは裏腹に活動休止になり、メジャーとの契約も失ってしまった。
 その後2000年代に入って数枚のアルバムを出しているようだが、残念ながら90年代のような成功は収めていない。

 彼らのバンド名の“ポウジーズ”とは英語で“花”を意味するそうだ。できればバンド名のように、もう一度彼らなりの花を咲かせてほしいものである。

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