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2012年11月

2012年11月29日 (木)

フライング・カラーズ

 今年の夏に1枚のアルバムが発表された。いわゆるスーパー・バンドといってもいいだろう。しかもかなりのお薦め盤でもある。今年の夏からずっと聞いていて、飽きがこない。よく練られたメロディを基本にお互いのテクニックが相乗作用を起して楽曲全体を高めていく、そういう過程がサウンドを通して伝わってくるような稀有な音楽性を秘めている。

 それが今年の話題をさらった(あくまでも自分の中ではという条件付きだが)超バカテク・プログレッシヴ・ハード・ロック・バンド、フライング・カラーズのデビュー・アルバムだ。

 もう既にいくつかのメディアやネットでも紹介されているように、バンドというよりはプロジェクト・チームといってもいいかもしれない。バンド・メンバーの中の何人かは、他のメジャー・バンドでも活躍中だからだ。一応、紹介しておくと以下の通りになる。

ドラムス…マイク・ポートノイ
ギター…スティーヴ・モーズ
キーボード…ニール・モーズ
ベース…デイヴ・ラルー
ボーカル…ケイシー・マクファーソン

 これもまた御存知のように、マイクは元ドリーム・シアターで活躍し、ニールは元スポックス・ビアードに在籍していた。この両名は現在もトランスアトランティックに在籍している。また、スティーヴはディープ・パープルに、デイヴはディキシー・ドレッグスで活躍中である。因みにスティーヴとデイヴはスティーヴ・モーズ・バンドで一緒にやっていた経歴を持っている。

 この中でリード・ボーカルのケイシーについては、日本では無名に近いかもしれない。彼は36歳で、アルファ・レヴというオルタナ・バンドのリーダー兼ボーカリスト。バンドは2005年に結成されていて、2010年には"New Morning"というシングルがビルボードで2週に渡ってトップ5内にチャートインしていた。彼はまたソングライターでもあり、ライヴではギターやキーボードも演奏するという。2
 元々2年前にスティーヴとニールが元カンサスのケリー・リヴグレンと一緒にアルバムを制作する予定だったのだが、ケリーが参加できなくなり、それなら他の実力あるミュージシャンを呼んで制作しようということになり、マイクやデイヴ、ケイシーらが選ばれることになったようだ。

 プロデューサーはラッシュの一連のアルバムでおなじみのピーター・コリンズで、このアルバムでもメタリックなハード・ロックとポップなフィーリングをうまくマッチさせることに成功している。
 自分の中では彼らをプログレッシヴ・ロックの範疇に入れているのだけれども、実際に出てくる音はハードでメロディアスなロック・ミュージックである。

 アルバムは全11曲で、3分少々から12分を越える曲まであり、その音楽性も様々である。アルバム冒頭から7分を越える"Blue Ocean"が流れるが、ノリのよいベースがロックン・ロールのリズム・パターンを刻み、それにギター、キーボード、ボーカルが徐々に重なり合っていく。メロディはあくまでもポップで覚えやすい。この落差がリスナーを引きつけてくれるのだ。聞きようによっては、トランスアトランティックのアルバムに収められてもおかしくない曲だと思う。

 一転して2曲目はハードな曲調で、これはスティーヴの意向を反映しているのだろうか、逆に次の曲ではボーカルのケイシーの持つポップな趣味が反映されている。"Kayla"という女性名をりフレインするところは、まるでポップ・ソングである。

 4曲目から6曲目からは3分から4分程度の短い曲が続くのだが、単なるハード・ロックに終わらずに5人の個性がそれぞれ反映しているところが素晴らしい。"The Storm"ではスティーヴの伸びのあるギター・ソロを、"Forever in a Daze"ではデイヴのアグレッシヴなベースを堪能することができるし、"Love is What I'm Waiting For"ではケイシーのファルセットを聞くことができる。Photo
 "Everything Changes"は基本はスローなバラードで、これもサビの部分はメロディアスで覚えやすい。転調が多く、ニール主導で作られたのであろう。今時にふさわしい叙情的な展開と途中のスティーヴのギター・ソロが胸を熱くさせてくれる。次の"Better Than Walking Away"も静かなバラード系の曲。イエスの"To Be Over"をコンパクトにしたような曲だ。

 "All Falls Down"は一転してメタリックなリフを持つヘヴィな曲。マイク・ポートノイ腱鞘炎説は嘘だったということがわかる曲でもある。全体を引っ張るのはマイクとスティーヴで、ドリーム・シアターの硬質な部分を抽出した曲調だ。
 サザン・ロック・テイストをもつ曲をフライング・カラーズ流に料理したらこうなりましたというのが"Fool in My Heart"で、ミディアム・テンポの短い曲ながら印象度は高い。ボーカルはスティーヴのようだ。

 そして最後は問題作"Infinite Fire"である。12分を越える曲であるが、これこそまさにプログレッシヴ・ロックにふさわしい大作である。5人の各パートがバランスよく配置され、全体的に無駄がない。またバカテク・バンドにふさわしく、ギター・ソロの次はお約束のキーボード・ソロで、そのキーボードもシンセサイザーからハモンド・オルガンまでと幅広い。

 途中一旦ブレイクして、ボーカルのケイシーが曲をコントロールしつつ後半に突入していく。この辺の方法論はトランスアトランティックで自分は学習済みでもある。本当は彼らはもう少し楽曲を継ぎ足して組曲形式にしたかったのではないだろうか。

 とにかく恐ろしいほど可能性を秘めたバンドである。各人がそれなりの技術と歴史を背負っているので、こうなるのも当然なのかもしれないが、ポップなメロディからプログレッシヴな曲形式まで、各人の持てる力を結集して出てきたものが、彼らの音楽なのである。3
 前回紹介したエイジアは後ろ向きの音楽だったけれど、もし彼らがもう一花咲かせたいと思うのなら、このフライング・カラーズの音楽が参考になるだろう。テクニック的にはほとんど遜色のないこの2つのバンドであるが、それを分けるのは自らの音楽性や時代性に自覚的になるか、そうではないかだと思っている。

 いずれにしても彼らは他のバンドとも掛け持ちしていることでもあり、パーマネントな活動は無理であろうが、今後も閉塞した音楽業界に風穴を開けて、新鮮な空気を送ってほしいと願っている。

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2012年11月24日 (土)

XXX~ロマンへの回帰

 基本的に、このブログではミュージシャンを悪くいったりはしないのだが、どうもこのアルバムだけはどうなのかなと思っている。結成30周年を記念して発表されたエイジアのアルバム「XXX~ロマンへの回帰」のことだ。3

 今までペッカ・ポーヨラやNOSOUNDのような素晴らしいプログレッシヴ・ロックのアルバムを聞いていて、次のこのアルバムを聞いたからそう思ったのだろうか、それともこのアルバム自体にそう思わせる要素が備わっているのだろうか。いずれにしても、いつもとは違う意味で紹介してみたいと思う。

 エイジアの結成25周年記念のときに発表されたアルバムが「フェニックス」だった。オリジナル・メンバーでのアルバム発表だったので、それなりに話題になったのだが、このブログでも述べているように、内容的には25年前とほぼ同じ、ほとんど変化がないものだった。

 エイジアのメンバーは、いずれも60年代末から70年代に流行ったプログレッシヴ・ロック・シーンを牽引していったつわものである。イエスやキング・クリムゾン、E,L&Pなどで中心メンバーとして活躍していたミュージシャンたちだ。そういう人気も実力も兼ね備えていた人たちがこういうAORに極めて近い音楽をなぜやるようになったのだろうか。

 思えば70年代後半になると、プログレッシヴ・ロック・シーンも方法論的に行き詰ってきて、弱小バンドは解散し、有名バンドでさえも方向転換を余儀なくされていった。しかも商業主義が徐々に音楽業界を蝕んでいき、バンドの意見よりもレコード会社の意向の方が重要視されるようになっていた。

 その結果、イエスやピンク・フロイド、ジェネシスのようなバンドがポップ・ミュージック寄りのサウンドを演奏するようになったのである。音楽と金儲けの融合だが、自分にとっては音楽的衰退だと思っている。その中で一時音楽活動を停止したキング・クリムゾンは、さすがと言うほかはない。時代に対峙し、その中で自己の音楽を客観視できた結果であろう。自分たちの音楽に批評性がないとできないことである。

 エイジアのデビューは1982年だった。プログレッシヴ・ロックのブームも過ぎ去った中で、彼ら4人は新しい音楽表現を求めて活動を再開したのだろう。確かにデビュー・アルバムは鮮烈な刺激も含んでいた。2

 しかしこのデビュー30周年記念アルバムは、プログレッシヴ・ロックの範疇には入れてはいけない。むしろジョン・ウェットンのソロ・アルバムに、有名ミュージシャンがサポートしていると考えた方がいいと思う。

 理由は30年前と音楽的進化が見られないからだ。むしろデビュー当時の方が、エッ、あの有名ミュージシャンがこんな音楽を、という新鮮な驚きと、プログレッシヴ・ロックのフィールドでポップ・ミュージックを演奏したらどうなるのかという実験性が見られたものである。そういう意味では、確かに“プログレッシヴ”だったのかもしれない。

 しかし25年も経っても、30年経ってもほとんど進化していない。楽曲の良さはそのままだが、やってることはほとんど変わらない。だからこのアルバムは、まるでサザエさんや水戸黄門のドラマのように永遠不変で、熱狂的なファン以外は見向きもしないのではないだろうか。

 さらには“歌もの”アルバムとだけしか機能していず、インストゥルメンタルには聞くべきものもない。せめてスティーヴ・ハウのあの引っ掻くようなギター・ソロやジェフ・ダウンズの意外にスピードのあるキーボード・ソロなどを聞きたかったのだが、それらは影を潜め、全編ジョンの歌声だけが目立っている。

 やはり彼のソロ・アルバムと言われても仕方ないだろう。せめて彼らのキャリアにふさわしく、もう少しテクニカルなフレーズや複雑な組曲を入れてもらえればうれしかったのだが…

 BGMとして聞き流すだけなら問題はない音楽である。音楽に対して思い入れは不要である。ただの高機能なBGMとしての役割しかないだろう。少なくとも自分にとっては、そういう音楽でしかないのだった。

 たぶん彼らの音楽性は、結成35周年を迎えても、できるかどうかわからないけれど40周年を迎えても変わらないだろう。もはや“プログレッシヴ”という言葉は彼らにとっては死語であり、“古典芸能”という言葉こそがふさわしいのである。

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2012年11月19日 (月)

NOSOUND

 話は半年以上に遡るのだが、自分に洋楽の素晴らしさを教えてくれた“師匠”からメールが来て、そこにはNOSOUNDというバンドのことについて述べられていた。そのときの“師匠”はそのバンドの音楽がいたく気に入っていたようで、是非ともすぐに聞きなさい、聞かないと一生後悔するぞみたいなことが書かれていた。

 “師匠”が気に入っている音楽なら、これはもう間違いのないことであり、自分にとっては至上命令と同じことでもあるので、さっそくアマゾンで購入して聞いてみた。その結果は…近年では稀に見る、“プログレッシヴ・ロック”という本来の意味にふさわしい音楽性が包含されていたのであった。

 NOSOUNDは基本的にはジアンカルロ・エラという人のソロ・プロジェクトから始まった。名前からもわかるように?イタリア人であり、イタリアから世界に向って発信された音楽だった。1998年頃のことである。

 最初は友人とデモ・テープを作っていて、彼は自分の音楽を“曲作りを通して、過去の記憶を鮮明に呼び起こすもの”と規定していた。
 2002年頃から自分の音楽をライヴで表現する必要に駆られたジアンカルロは、バンド形式でパフォーマンスを行うようになった。途中でギタリストとドラマーの交代はあったものの、現在も5人組のバンドとして活動を続けている。2
 それで自分が購入したアルバムは、彼らの最初の公式アルバムといわれている「ソル29」だった。
 このアルバムは世の中に3種類が流通していて、2005年のメジャー・デビュー・アルバムと2008年のリマスター盤、そして2010年のDVD付リマスター盤で、自分はそのうちのDVD付リマスター盤を手に入れて聞いみたのだが、これは確かに師匠の言うとおり幻想的、夢幻的、夢想的などという言葉がピッタリと来る音楽であり、久しぶりの必聴盤になってしまったのである。

 例えていうなら、「神秘」や「雲の影」のときのピンク・フロイドの演奏をブライアン・イーノがプロデュースしたような感じで、これだけでも自分は食指が動くのだが、色艶のある空間につぶやくような英語のボーカルがかぶさり、その印象度を忘れ難いものにしてくれるのである。Photo
 それに大事なことを忘れていたが、NOSOUNDは2008年にイギリスのプログレ・バンド、ポーキュパイン・ツリーの所属するKscopeと契約していて、このアルバムはそのレーベルから発表されている。ジアンカルロはポーキュパイン・ツリーのスティーヴン・ウィルソンやレーベル・メイトであるNo-Manのティム・ボウネスと親交があるようだ。因みにKscopeにはスウェーデンのアネクドテンや元ジャパンのリチャード・バービエリも所属している。

 このアルバムにはオリジナル10曲とボーナス・トラック3曲が収められていて、6分以上の長い曲の間に3分~4分程度(中には5分以上の曲もある)のアンビエントな曲が挿入されている。特に9分以上もある"The Moment  She Knew"ではギルモアばりの艶のあるギターとメロディアスなフレーズを堪能することができるし、アコースティック・ギターとメロトロンの調和が美しい"Overloaded"などは彼らの(正確にいえば彼の)最も特長的な部分といえるだろう。

 また9分以上もある"Idle End"や"Sol29"も名曲である。彼のボーカルは決してシャウトせず、呟くように歌うのだが、それがまた幻想的な演奏にピッタリと当てはまってしまう。2012年の現代でも、こういう良質な音楽が息づいていることにうれしくなってしまった。さらにはこれらの曲のイメージDVDも付属しているので、映像(フォト・ピクチャーみたいに固定されたもの)を見ながら彼らの曲を聞いていくと、自分が異空間にいるような錯覚にとらわれてしまうのだった。

 あまりのアルバムの素晴らしさに感動してしまい、次に2008年のアルバム「ライトダーク」を聞いてみた。このアルバムは2枚組CDになっていて、1枚は正規のアルバム、もう1枚はボーナスCDになっている。
 正確にいうと、このアルバムもまたリイシューされたもので、オリジナルはインターネットを通じてダウンロードされていた。それらの曲に音を付け加えて編集し、ボーナス・トラックとブックレットを添付してCD化したものである。3
 基本的な音作りとアルバム構成は前作と変わらない。ただ、「ソル29」はジアンカルロが基本的に一人で作ったものだが、この「ライトダーク」はバンド編成で録音したものである。

 ジアンカルロの演奏するエレクトリック・ギターがカラフルな色合いを醸し出す"Places Remained"、マリアンヌというゲスト・ミュージシャンのチェロとピアノの音色が印象的な"The Misplay"、繊細で華やかな音使いのある15分以上の大作"From Silence to Noise"など聞きどころは多い。

 またこのアルバムは前作よりもサウンド・コラージュというかアンビエントで前衛的な部分が少なくなり、全体的にすっきりとしている。それだけ曲作りに専念したということだろう。
 さらにボーナスCDの"Like the Elephant?"ではバリバリとギターを弾いているし、"You Said 'I am...'"ではキーボードをバックにしっとりと歌い上げている。今までのNOSOUNDとは少し色合いが異なるようだ。

 同じレコード会社ということでポーキュパイン・ツリーと共通しているところもあるのだが、ポーキュパイン・ツリーよりはキーボードの音が厚く、ドリーミィかつファンタジックだ。またギターの出番も、ここぞというときに効果的に鳴るのはNOSOUNDの方だと思う。

 まるで映画のサウンドトラックのような音場面もあるし、思わず聞き惚れてしまうサウンドもある。ただ全体的には起伏に乏しいところもあり、情熱的で激しいサウンドを求めるプログレ・ファンには物足りないかもしれない。

 しかしそれにしてもさすが“師匠”、常に一歩先を進んでいて、誰も知らないような、それでいて斬新な音楽を探す能力は、もはや人智を超えたものがある。これからも“師匠”の後を追いながら、刺激的な音楽を求めて行きたい。今年はペッカ・ポーヨラやNOSOUNDのような良質のプログレッシヴ・ロック・ミュージックにめぐり合えてよかったと実感している。

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2012年11月14日 (水)

ペッカ・ポーヨラ

 北欧の人の名前をローマ字で表記するのは難しい。"Pekka Pohjola"というフィンランドを代表するミュージシャンの名前は、“ペッカ・ポーヨラ”とするのか、“ペッカ・ポホヨラ”とすべきか、はたまた“ペッカ・ポヨーラ”なのか、よくわからない。ここでは取りあえず“ペッカ・ポーヨラ”とする。

 それでなぜ“ペッカ・ポーヨラ”なのかというと、最近、彼の1992年のアルバム「チェンジング・ウォーターズ」を聞いて、これがまた晩秋の今時にピッタリとくる音楽だったからだ。
 彼はもともとクラシックを勉強していて、フィンランドを代表する音楽学校、シベリウス・アカデミーを卒業した。子どもの頃はバイオリンとピアノを学んでいるし、音楽学校では作曲法を学んだという。

 ところがなぜか18歳のときにフィンランドのプログレッシヴ・バンド、ウイグアムに参加して彼らの代表的なアルバム「フェアリーポート」や「ビーイング」で才能を発揮したのだが、本来のベース・プレイだけでなく、ピアノやミニ・ムーグ、アコースティック・ギター、バイオリン等々、マルチな活躍を行っている。

 ごく大雑把に彼の印象をいうと、ベーシストとしては“フィンランドのジャコ・パストリアス”であり、サウンド・プロデューサーとしては“フィンランドのマイク・オールドフィールド”だろう。Photo_2
 その後、自分の中にある音楽的欲求を発現する場を求めて、ソロ活動を始めたのはまだバンド在籍中の1972年頃だった。
 
 彼はフランク・ザッパの音楽にも影響を受けたといっているが、基本的に彼の音楽性はジャズだ。最初のソロ・アルバムはギターレスで、彼はキーボード類とベース、バイオリンを扱い、サックスやクラリネットなどはゲスト・ミュージシャンを招いて制作された。

 その頃、新しい音楽を生み出そうとしていたイギリスのヴァージン・レコードの社長、リチャード・ブランソンから声をかけられたペッカは、彼のリクエストに応えるかのように創造的な音楽制作に励むようになり、同じようなタイプのマルチ・ミュージシャンであるマイク・オールドフィールドを招いて発表したのが、1976年のソロ3作目「数学家の空中広告」だった。初期の彼の代表作といわれているアルバムだ。3
 これで気心が知れたのか、ペッカは1979年のマイクのワールド・ツアーに参加した。このときの音源はライヴ・アルバム「エクスポウズド」に収められている。

 その後ペッカは、フュージョンよりのジャズ・ロック・サウンドやタンゴを現代流に解釈したアルバムなどを意欲的に発表していくのだが、まさに“プログレッシヴ”という言葉の意味に近いミュージシャンの一人であることは間違いないだろう。

 そんな彼が90年代の初期に発表した9枚目のソロ・アルバムが「チェンジング・ウォーターズ」だった。全7曲ですべてインストゥルメンタル。60分を越える大作である。3_2
 1曲目と7曲目は"Benjamin"という同一タイトル曲で、最初の曲が導入部だがそれでも7分48秒もある。静かなピアノのアルペジオで始まり、すぐにもうひとつのピアノの主旋律が重ねられていく。躍動感はないが、これから始まるペッカ・ワールドの序章として否が応でも期待が高められていく形になっている。中間部はペッカのベース・ソロを聞くことができ、まるでジャコ・パストリアスとマイク・オールドフィールドが結合したようで感動的でもある。

 2曲目"Waltz for Iikka"は3拍子のワルツをジャズ的に解釈したもの。転調が多く、途中のギター・ソロやキーボード・ソロが目立つ。かつてタンゴをフュージョン的に料理していたから、この手の曲はお得意なのだろう。最後のストリングスが曲の締めくくりに合っている。

 "Innocent Questions"ではアコースティック・ギターとピアノのコラボレーションを聞くことができ、"Fanatic Answers"ではそのタイトルが示すように、アンサー・ソングのようで、静かなイントロからいきなりエレクトリック・ギターが叫び声を上げてくる。この辺の手法はマイク・オールドフィールドから影響を受けているようで、彼のアルバムと部分的に似通っている。北欧のトラッド音楽とロック・ミュージックを融合させたかのようだ。

 アルバム・タイトル曲の"Changing Waters"は以前のアルバムに収められていた曲をアレンジしたもので、このアルバムではメロディアスでカラフルな印象を与えてくれる。基本はギター、ベース、キーボード、ドラムスなのだが、曲の展開がクラシック的でメロディが次々と変化していくさまが面白い。

 6曲目もまた"Waltz for Outi"というワルツのジャズ的展開になっているもので、2曲目と呼応しているようだ。2曲目の方がハードな展開で、こちらの方がやや軽やかな雰囲気になっている。要するにこのアルバムは、アルバム・タイトル曲を挟んで、最初と最後の"Benjamin"、途中のワルツ2曲、"Innocent Questions"とその対曲である"Fanatic Answers"とシンメトリーのように配列されている。まるでバッハの対位法を曲の配置として示しているかのようだ。この辺もペッカの考えを反映しているのだろう。

 トータルとして、ペッカのクラシックの素養とジャズのセンスが微妙にブレンドされていて、それにレベルの高い演奏が加わっている。目を閉じて聞くと、北欧のひんやりとした空気や低く立ち込めた鉛色の雲、あたり一面の雪景色、白い三角波が踊る蒼い海などが浮かんでくるから不思議だ。フィンランド出身のミュージシャンという思い込みがあるのだろうが、こういう絵画的な音楽を聞いたのは久しぶりであった。

 残念なことにペッカは2008年の11月27日に56歳で亡くなっている。死因はアルコール中毒だった。もう彼の新作を聞くことはできないのだが、新作が発表されてもされなくても、自分にとって彼の音楽を充分に理解できるまでには、まだ何年もかかるだろう。とりあえず今月の27日にはこのアルバムを聞きながら彼のことを偲ぼうと思っている。

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2012年11月 9日 (金)

ジャーニー(2)

 “5CD Original Album Classics”シリーズ第2弾はジャーニーである。ジャーニーについては、以前、初期のジャーニーとして3枚のアルバムを紹介させてもらったが、今回は1978年から86年までのアルバム「インフィニティ」、「エヴォリューション」、「エスケイプ」、「フロンティアーズ」、「レイズド・オン・レディオ」の5枚についてである。

 ファンの人は分かると思うけれど、要するにボーカルにスティーヴ・ペリーが就いてからである。彼がリード・ボーカルを担当するようになってから、ジャーニーは世界的にビッグになったのであり、その黄金期のアルバムが一挙に5枚も収められているのが、このシリーズなのだ。2_2

 ただ思ったことは78年の「インフィニティ」と79年の「エヴォリューション」は、それぞれ全米21位と20位を記録したものの、チャート・アクションとは別に、後のアルバムと比べて内容的には今一歩かなあと思っている。
 確かに大ヒットを記録した"Wheel in the Sky"、"Lovin', Touchin', Squeesin'"などのシングルを含んではいるものの、彼らにとっては初期のハード・プログレ系の雰囲気も捨てがたいようで、テクニックに走るところもあり、またミディアム・テンポの曲も多く、イマイチノリが悪かった。

 せっかくのスティーヴ・ペリーの歌唱力も何となく場末のクラブのバラード歌手のような感じがして、パワー全開ではなかったように思ってしまった。

 彼らが真の意味でブレイクしたのは、1980年発表の「ディパーチャー」だと思っているのだが、残念ながらなぜかこのシリーズには含まれていない。個人的にはこのアルバムを含む「インフィニティ」から「フロンティアーズ」の5枚がベストの選択と思っていたので、この「ディパーチャー」の欠落は大きかったと思っている。
 もし「ディパーチャー」が含まれていたなら、もっと売れたに違いないと思うのだが、どうだろうか。悔しいのでアルバム・ジャケットだけここに載せておきたい。Photo

 ところが一転して「エスケイプ」は、素晴らしい。TVのCMでも使用された"Don't Stop Believin'"から"Stone in Love"、"Who's Crying Now"までの頭3曲はいつ聞いても素晴らしいと思っている。当然のことながら全米1位を記録した。
 またこのシリーズのアルバムではボーナス・トラックも付いていて、シングルの裏面だった"La Raza Del Sol"やライヴ・ヴァージョンの"Don't Stop Believin'"や"Open Arms"も楽しめる。なかなかファン・サービスもよいのだ。

 そして「フロンティアーズ」も前作のヒットを意識してか、それ以上の力のこもったアルバムに仕上げられている。よく言われることだが、もしマイケル・ジャクソンの「スリラー」がなかったら、このアルバムが全米1位を独走していたことは間違いないだろう。ちなみに「フロンティアーズ」は、チャートでは9週連続2位を記録した。

 「エスケイプ」と「フロンティアーズ」のアルバムに共通していえることは、全体にメリハリがあり、テンポのよい曲が効果的に配置されていることだろう。特にアルバム1曲目に何を持ってくるかで印象が変わってくるのだが、この2枚のアルバムではまさにベストの選択で名曲が持ってこられ、最初からリスナーの心を奪ってしまうのだ。

 またキーボーディストがグレッグ・ローリーから元ベイビーズのジョナサン・ケインに交代したことも結果的に良かった。グレッグはブルーズ系、プログレッシヴ系の曲を得意にしていたが、ジョナサンの方はポップス的なフィーリングを持ち込んで耳に馴染みよい曲つくりに貢献することができたようだ。
 また彼は、エレピ、オルガン、シンセサイザーと様々な種類のキーボードだけでなく、ギターも演奏できたから、ライヴでの演奏の幅が広がった。このジョナサンの貢献も忘れてはならないだろう。

 自分はロック・バンドとしてのジャーニーは、「フロンティアーズ」までだと思っている。1986年に出された「レイズド・オン・レディオ」は、タイトル通りラジオで流されやすい短めの曲が多く、かなりAORに流されているようだった。
 彼らとしては、自分たち自身もラジオを聞いて育ち、自分たちの曲もまたラジオを通してリスナーに流されていて、そういうラジオという媒介に感謝する意味でポップ・ミュージックのような曲を制作したのだろう。

 確かにこのアルバムも売れた。全米4位を記録し、シングルも4曲カットされ、すべて20位以内を記録している。しかし内容はAOR寄りのメロディアス・ハード・ロックだと思っている。メンバー・クレジットもスティーヴ・ペリー、ジョナサン・ケイン、ニール・ショーンの3人だけであった。ジャーニーとは名前だけで、ひとつのユニットとして考えた方がいいだろう。

 いずれにしても、「ディパーチャー」が欠落しているのは惜しいが、この5枚組みは彼らの全盛期を知る上では打ってつけの教材だろう。彼らが如何にして頂点を極めたかがよくわかるのだ。そういう意味でこの5枚組シリーズは自分にとっては欠かせないのであった。

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2012年11月 4日 (日)

REOスピードワゴン

 最近“5CD Original Album Classics”という5枚組CDセットに興味があって、これから聞いていこうと思っている。

 なぜそういう気になったかというと、安いからである。5枚の輸入盤CDで2000円から2500円、国内盤でも3300円なのだ。1枚単価では400円から660円になる。この安さが貧乏な自分には魅力的に映ってしまう。
 またそのバンドやミュージシャンの変遷というか歴史が割と簡単に知ることができるという点も見逃せない。

 ただし安いだけに歌詞カードや対訳、解説の類いは入っていない。逆に言えば、そのぶん音楽だけに集中し、楽しみなさいという販売目的なのだろう。(国内盤には解説が入っているが、曲名と数行に渡る簡単な説明だけなので、解説とまでは言えないと思っている)

 今までで聞いた中ではブレッドやリトル・フィートなどがあった。ブレッドは1969年のデビューアルバムから解散前の1972年のアルバム「ギター・マン」までが収められていて、改めてブレッドはベスト盤1枚で十分ということが分かった。
 ブレッドはシングル・ヒットした曲とそうでない曲の差が大きくて、オリジナル・アルバム1枚を通して聞くにはちょっと辛いものがあった。やはりベスト盤にはそれなりの効用があるようだ。

 リトル・フィートの方は1971年の「リトル・フィート」から75年の「ザ・ラスト・レコード・アルバム」で、名作といわれる「セイリン・シューズ」や「ディキシー・チキン」のみならず、意外にデビュー・アルバムもよかったし、4枚目の「アメイジング」の中にも"Oh Atlanta"、"Spanish Moon"のような良い曲が多いというのが分かってうれしかった。

 こんなふうに5枚も同じアーティストのアルバムを時間軸に沿って聞くと、今までわからなかったことや新しい発見があって、けっこうこのシリーズを気に入ってしまったのである。

 それでついでにREOスピードワゴンも輸入盤で購入したのだが、1977年のライヴ盤「ライヴ~嵐の中へ」から78年の「ツナ・フィッシュ」、80年「禁じられた夜」、82年「グッド・トラブル」、84年「ホィールズ・アー・ターニン」までのまさに黄金時代の各アルバム計5枚で構成されていた。
 77年のライヴ盤はレコードでは2枚組だったもので、CDでは1枚になっている。REOスピードワゴンは80年の「禁じられた夜」で一気に世界的メジャーになったのだが、77年当時に2枚組のライヴ・アルバムを出せるほどのネーム・ヴァリューがあったとは知らなかった。

 彼らがメジャーになったあとに、彼らの特集記事などが雑誌などに載っていたが、それにはビッグになるまで、如何に彼らが苦労したか、どれだけアメリカ中を回ってライヴ活動をしたかが書かれていた。Reo
 実際、年間300回以上のライヴ活動を行い、それこそ楽器をバンや大型バスに積んで、メンバー自身も車の中で寝ながら次のライヴ会場まで移動していた。オリジナル・メンバーのボーカリストやベーシストはブレイクする前に脱退しているが、やはり言えない苦労などもあったのだろう。(ちなみにボーカリストは後にスターキャッスルに加入している)

 また自分の記憶に間違いがなければ、彼らはレインボウの前座としてアメリカをツアー中にトラブルを起している。レインボウのリッチー・ブラックモアからボーカル&ギター担当のケヴィン・クローニンが殴られたのである。理由はリッチーがケヴィンのことを気に入らなかったからということだったのだが、たぶん前座の時間が延びてしまったからだろう。

 リッチー・ファンの多い日本では、相変わらずのリッチーの奇行として報じられていたが、可哀想なのは殴られたケヴィンの方だ。しかしのちにREO自体が成功したので、そういう苦労も報われたのではないだろうか。

 それで先のライヴ盤に話を戻すのだが、ハッキリいってこれといったいい曲は少ない。確かにノリはよく、ロックン・ロールでグイグイ押してはいるのだが、耳に残るメロディは乏しい。ただギタリストのゲイリー・リッチラスとキーボーディストのニール・ドーティの演奏は素晴らしく、もっと彼らは評価されていいミュージシャンだと思った。
 ゲイリーは伸びやかで艶のある音を出し、結構早弾きも行っているし、ニールはまるでジョン・ロードのようにオルガンを演奏し、ニッキー・ホプキンスのようなピアノを演奏している。一度全盛期でのメンバーの映像を見てみたいものである。

 そして78年の「ツナ・フィッシュ」では疾走感のある"Roll With the Changes"やポップすぎてこの曲だけ浮いているような"Do You Know Where"にみられるように、印象的な曲が多く書かれていくようになる。この下敷きがあって、あのどの曲もシングル・ヒットできそうな名盤「禁じられた夜」が生まれたのであろう。Reo2
 REOスピードワゴンといえば、このアルバムと思い浮かぶ人も多いはず。どこを切っても金太郎飴のように、本当にどの曲も素晴らしい。
 このアルバムはジョン・レノンの「ダブル・ファンタジー」を蹴落としてチャートのNo.1になると、ジョンのアルバムの8週連続No.1を軽く越えて、15週連続No.1を記録し、1000万枚以上売り上げてその年の年間アルバム・チャートでもNo.1になっている。

 この後、2匹目のドジョウを狙った82年のアルバム「グッド・トラブル」、3匹目のドジョウを狙ったアルバム「ホィールズ・アー・ターニン」の両方とも全米7位を記録した。88年にオリジナル・メンバーだったドラマーのアラン・グラッツァーが脱退してしまうのだが、この80年から88年までが彼らの全盛期だと思っている。

  面白いことに「禁じられた夜」、「グッド・トラブル」、「ホィールズ・アー・ターニン」の3枚のアルバムの1曲目はアップ・テンポの曲、2曲目はバラード系と共通していることである。80年の「禁じられた夜」の曲構成を真似て、次のアルバム以降も同様に配置したのだろうか。彼らにとっては成功するアルバムの黄金律だったのかもしれない。

 この5枚のアルバムは「禁じられた夜」を頂点とした片面だけ急な山を形成しているかのようだ。チャート的に見ると、ライヴ盤が72位、「ツナ・フィッシュ」が29位、以下1位、7位、7位だからである。
 彼らにとって80年代は、まさに1968年の結成から十数年にわたる苦労が報われて成功を手にした時代である。そんな彼らの苦労と成功の記録がこの5枚のCDに記録されているように思えてならない。

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