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2013年2月

2013年2月27日 (水)

フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド

 トレヴァー・ホーンのプロデュースで大成功をおさめたバンドといえば、やはりこれだろう。フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドである。(長いので以下FGTHと略す)

 自分は、なぜか1984年に発表された彼らのデビュー・アルバム「プレジャー・ドーム」を持っていて、おそらく今までに2回くらいしか全部を聞きとおしたことは無いのではないか。音楽よりも、むしろ彼らの映像作品(PV)の方が記憶に残っている。Photo_2

 このアルバムは当時のレコードで2枚組として発売されている。全部で16曲で、序曲とも言うべき"The World is My Oyster"の短い曲(1分57秒)の次は、13分38秒もある"Welcome to The Pleasure Dome"だ。

 この曲のショート・ヴァージョンはイギリスで2位を記録していて、アルバムでは南海の孤島?かどこかに誘うような鳥や動物の鳴き声のSEから始まり、途中の“ウッ、ハッ”という掛け声や笑い声が禁断の花園に迷い込んだ人たちを脅すかのように散りばめられている。この掛け声は日本のアイドル・グループ、モーニング娘。にパクられたのではないかと冗談半分で思っている。

 3曲目はあの名曲というか時代を代表する曲、"Relax"である。彼らのデビュー曲であり、SM的内容のせいで放送禁止になりながらも、見事全英1位を記録した。いまだにどこかの放送局やCMでも使われているほど影響力が強く、単純なリズムとメロディが印象的な曲でもある。

 彼らは全員がゲイではなく、ボーカルの2人がそれを認めているに過ぎない。当時のハード・ゲイの人たちは、口ひげと短く刈った髪、それに裸にレザーのベストや服を着用するというのが一般的だったような気がするが、彼らもそれに近いような感じだった。

 ちなみにボーカルのホリー・ジョンソンは、1993年にエイズに感染していることを公表したが、まだ生きているのだろうか。最近はいいエイズ抗薬ができているせいか、エイズも不治の病とはいえなくなったようだ。

 また当時のMTVでヘヴィ・ローテーションされていたのが"Two Tribes"で、冷戦時代の世界的リーダーだったアメリカのロナルド・レーガンとソビエトのコンスタンティン・チェルネンコの2人をリングで戦わせるというパロディが世界中で受けていた。
 このPVを担当したのが、元10CCのゴドリー&クレームで、そのおかげのせいか、このシングルも全英No.1を記録している。

 このアルバムには数曲のカヴァー曲が収められている。そのうちの1つは1970年のモータウン・レコードのヒット曲"War"で、オリジナルはエドウィン・スターが歌って全米No.1を獲得した。ここではトレバー・ホーンの手が加わっているようで、ベース・ギターとフリーキーなキーボードがカッコいい。

 またその"War"を歌ったこともあるブルース・スプリングスティーンの"Born to Run"もまたカバーされていて、これはほぼ原曲に近い。
 彼らの同郷の先輩バンドであるジェリー&ザ・ペースメーカーズの曲"Ferry Cross the Mersey"を参考にしたのが"Fury"だが、1分少々の時間しかなくて、次の曲とのつなぎとして使われているようだった。

 意外なのは"San Jose"だ。いろんなミュージシャンがカヴァーしているが、オリジナルは1968年にディオンヌ・ワーウィックが歌っている。バート・バカラックとハル・デヴィッドの作品。彼らはこの曲もほとんど原曲に近いかたちで歌っている。プロデューサーのトレヴァー・ホーンは何も言わなかったのだろうか。

 FGTHは基本的にポップである。覚えやすい基本のメロディとダンサンブルなリズムに、フェアライトなどの当時の最新のテクノロジーをまぶして曲が作られていて、もちろんこれはトレヴァー・ホーンの意図したものだろう。

 ヒット曲ではないが"Wish The Lads Were Here"や"Krisco Kisses"はノリのよいFGTH流のロックン・ロールだし、これらの曲にラップのライムが加われば、立派なレッチリになれるだろう。
 一方で、"Black Night White Light"は彼らの隠れた名曲かもしれない。「レッツ・ダンス」当時のデヴィッド・ボウイが歌っているようなポップネスさを備えているし、メロディもしっかりしている。

 "Only Star in Heaven"もまた面白い。基本はダンス・ミュージックだが、それを忘れさせるほどコーラスやエンディングのア・カペラなどの凝ったアレンジが秀逸である。
 そして最後を飾るのが、このアルバムから3枚目の全英No.1になった曲"The Power of Love"だ。これは彼らにしては珍しい壮大なラヴ・バラードの曲で、こういう曲もやれる幅の広さがFGTHの特長だったのだろう。

 彼らはリヴァプール出身で、リヴァプールといえばザ・ビートルズを思い出すが、デビュー曲から3曲連続してNo.1になったリヴァプール出身のバンドは、彼らとジェリー&ザ・ペースメーカーズしかいないという。そういう意味では名誉なバンドだったと思う。

 その後、彼らはヒット曲に恵まれず解散してしまうが、あまりにもデビュー当時の印象が鮮烈過ぎて、これを越えることは難しかったようだ。またトレヴァー・ホーンと、今後の方針をめぐって意見の衝突もあったようで、やはり彼の手腕なくしては成功は覚束なかった。

 このアルバムにはイエスつながりで、スティーヴ・ハウとトレヴァー・ラビンも参加していて、それぞれアコースティック・ギターとエレクトリック・ギターを演奏しているし、トレヴァー・ホーン自身も一部でベースを弾いている。

 アルバムは当然のように全英No.1を獲得した。まさに時代を象徴すると同時に、徒花のようなアルバムだったのではないだろうか。

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2013年2月22日 (金)

バグルス

 トレヴァー・ホーンの在籍していたバグルスについては、このバンドって80年代のバンドだと思っていた。
 彼らの代表的なシングル曲の"Video Killed the Radio Star"(ラジオ・スターの悲劇)をきっかけにして、PV(プロモーション・ビデオ)が発達し、アメリカのMTVが全盛期を迎えたと思っていたからだ。

「1952年にあなたの音楽をラジオで聞いた
夜中に目覚めたままベッドに横になって
あなたの声にチューニングしようと必死だった
みんなはあなたの古い曲に功績を認めたが
今では機械で書き換えられる
新しいテクノロジーを使って
そして今ではあなたの直面している問題を
理解できるだろう

あなたの子どもたちに会った
あなたは彼らに何と言っていたか
ビデオがラジオ・スターを殺した
ビデオがラジオ・スターを殺したんだと
映像がやって来て
あなたの心を壊してしまった」
(訳:プロフェッサー・ケイ)

 でも実際にこの曲がヒットしたのは、1979年だった。80年代にはまだなっていなかった。自分の認識が間違っていることがわかった。でも時代の曲がり角という意味では、エポック・メイキングな出来事だったと思っている。

 MTVが登場したのは1981年で、24時間放送するケーブルTV局に鮮烈な印象を受けたことを覚えているが、その第1回目のプレミア・ビデオとして登場したのがこの曲だった。だから80年代の曲と混同してしまったのだろう。

 この曲が生まれた当時のイギリスでは、パンク/ニュー・ウェーヴ・ムーブメントに沸き、一方ではレゲエから発展したスカ・ビートやディスコの影響を受けたダンス・ミュージックなども流行っていて、音楽的熱気に満ちている状況だった。あのエルトン・ジョンも「恋に捧げて」というディスコ・アルバムを発表したのも1979年だ。あのアルバムには少なからずショックを受けたけれど…

 このバグルスのアルバム「ラジオ・スターの悲劇」は、原題を"The Age of Plastic"といい、まさに時代を象徴するようなタイトルだったが、音楽的にもリズムはダンサンブルで、キーボード主体の未来的なサウンドだった。

 彼らのオリジナル・アルバムには8曲が収められているが、そのうち4曲がシングル・カットされた。デビュー曲の"Video Killed the Radio Star"は当然のことながら全英No.1を獲得したが、続く"Living in the Plastic Age"は全英16位、"Clean, Clean"は38位、"Elstree"は55位になっている。ということはアルバム全曲がシングルABサイドとして発表されたことになる。ちなみにアルバム自体は27位に終わった。Photo

 アルバム冒頭を飾る"Living in the Plastic Age"もノリの良いダンス・ナンバーで、途中で入るシンセ・ピアノやキーボードの装飾音がいかにもこの時代の音を象徴しているかのようだ。
 同傾向の曲には"Kid Dynamo"、"Clean, Clean"、"Johnny on the Monorail"などがあり、いずれも車の中で聞くと、思わずアクセルを踏んでしまいそうになる。

 一方で"I Love You (Miss Robot)"や"Astroboy(And the Proles on Parade)"などは、少しスローになるがリズミカルであることは間違いない。ただ"Astroboy"の方は、ややメロディアスで聞きやすい。シングル・カットされた"Elstree"もエレクトロニック・ポップ・ソングとしては、よくできていると思う。

 彼らの曲は無機質で金属的質感を伴っているが、よく聞くとサビの部分はメロディアスで、60年代のポップ・ソングのような哀愁感を漂わせている。それらがバランスよく同居している点がヒットの原因になったのだろうと勝手に解釈している。60年代のラジオ・スターは時代が変わっても上手く適応しているのではないだろうか。

 自分はバグルスはトレヴァーとジェフの2人のバンドだと思っていたのだが、実際はギタリストのブルース・ウーリィという人も3人目のメンバーとして、バンド結成当時から関わっていた。"Video Killed the Radio Star"や"Clean, Clean"の共同ライターとして彼の名前がクレジットされている。

 ただし彼の言葉を借りれば、バンド・メンバーだったわけではなく、単なるデザイン・チームだったということになっている。でもバンド再結成のイベントには参加しているようだ。

 しかしバグルスのトレヴァー・ホーンとジェフ・ダウンズが、ジョン・アンダーソンとリック・ウェイクマン脱退後のイエスに加入するとは予想だにしなかった。トレヴァー・ホーンの方はボコーダーで声を誤魔化していたので、新作は歌えても旧作の曲群は歌えないだろうと思ったし、ジェフがリックのような華麗なキーボード・ソロを弾けるとは思ってもみなかった。

 ジェフの父親は教会のオルガン奏者で、母親はピアノの先生だった。だから本人も高校卒業後、リーズ音楽院で3年間ピアノの勉強をして、卒業後はセッション活動に従事していた。テクニック的には何ら問題はなかったのである。むしろ新しい機材を使う上ではジェフの方が、テクノロジーの発達に慣れている分、リック・ウェイクマンより長けていたかもしれない。

 いずれにしても時代の変化を象徴する曲だった。パンク/ニュー・ウェーヴという潮流の中で、必然的に生まれてきた曲に違いないと思っている。彼らは時代の申し子だったのだろう。

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2013年2月17日 (日)

プロデューサーズ

 昨年の終わりごろに1枚のアルバムが発表された。タイトルを「メイド・イン・ベイシング・ストリート」といい、バンド名は“プロデューサーズ”で、イギリス出身のメンバーで構成されている。

 といっても、全くの新人バンドではなく、いずれも経験豊富なベテラン・ミュージシャンたちで、名前を聞けば、おそらく多くの人がビックリするのではないだろうか。

 まずはトレヴァー・ホーン、元バグルスのメンバーで、イエスにも一時期在籍していたあの人である。イエス脱退後は、文字通りプロデューサー業で大成功した。
 次にロル・クレーム、もちろんゴドリー&クレームの片割れで、その前は10CCのメンバーだった。80年代には映像制作の分野でも活躍した。

 さらに元トム・ロビンソン・バンドでドラムを叩いていたアッシュ・ソーン。この人はその後スクイーズにも参加したし、最近ではアデルのアルバムにも参加している。

 そして最後はちょっとマイナーなスティーヴ・リプソンというギタリストで、この人はトレヴァー・ホーンと一緒の活動が目立つ。元はスタジオ・エンジニアで、ローリング・ストーンズの1983年のアルバム「アンダーカヴァー」のアシスタント・エンジニアから出発して、以後、様々なアルバムやミュージシャンに関わっている。
 そういえば、ジェフ・ベックの「エモーション・アンド・コモーション」のプロデュースを手がけていたのもこの人だった。

 なお当初は、もう一人クリス・ブレイドというキーボーディストも加わって、5人でアルバムを制作していたが、クリスはアメリカ居住でライヴ活動には参加できないということで、アルバム完成後はバンドを離れている。友好的な別離ということだろうし、もしプロデューサーズがアメリカ・ツアーを行うなら、ゲストで参加するかもしれない。
 

 それで彼らは、2007年にシングル"Barking Up the Right Tree"を発表して、年内にはデビュー・アルバムを発表すると予告もし、アルバムもほぼ完成していたのだが、残念ながら、メンバーそれぞれが仕上がりに納得できなかったようで、発表を延期した。そして、バンドとしてのライヴ活動を行いながら、もう一度録音作業に取り掛かったのである。

 結局、約5年待たされてのアルバム発表になったわけだが、これがまたメンバーの音楽的趣向の最大公約数的なものになっている。その音楽とはそのものズバリ、王道ポップ路線だ。

 個人的には、10CCのようなややねじれたポップ・ソングや、ちょっとプログレがかったポップ・ミュージックを期待していたのだが、やはり“プロデューサー”としての血が騒いだのだろうか、売れる音楽を志向している。

 大体バンドの中にプロデューサー、エンジニア経験者が3人もいて(クリスも加えれば4人になる)、プロデューサーとしての使命がやはり売れるものを作ることであるならば、どうしてもこういう音楽になってしまうのだろう。

 トレヴァー・ホーンはイエス脱退後、ABCやフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの作品を手がけて大ヒットさせたし、ロル・クレームも音楽だけでなく、映像制作者としてMTVの興隆や、PVの技術的、視覚的発展に大いに貢献している。
 残りのスティーヴやアッシュも同じようにアルバム制作に携わっている経歴からみても、ものづくりをする方々には、“やはり作るからには売れるものを”という気持ちが働くようだ。

 アルバムは通常盤とデラックス盤の2種類あり、輸入盤は通常の1枚で、国内盤は2枚組仕様になっている。国内盤のディスク2にはエクステンディッド・ヴァージョンやオルタナティヴ・ヴァージョン、ライヴ録音などが収められていて、それ以外は通常盤からもれた3曲が収録されている。2

 ただそのエクステンディッドやオルタナティヴ・ヴァージョンが、ディスコ調にアレンジされていたり、ギター・ソロが長めでキーボードが厚く重ねられていたりと、かなり冒険しているところが面白い。こういうところに10CCやイエスの面影がちょっとだけ顔を出しているところも彼らならではの音楽なのであろう。
  ディスク2の方が、自分的には、聞いていて妙に納得してしまった。もしあなたがプログレ・ファンなら、国内盤を購入した方がいいと思う。

 またディスク1には10曲が収められていて、いまどき1枚のアルバムで10曲は少ないと思った。しかし、この10曲は曲のレベルが極めて高い。10曲でも他の新人バンドのアルバム2枚分に匹敵するのではないだろうか。

 まず1曲目の"Freeway"はロサンゼルスの高速道路を走っていたときに、思いついた曲だとトレヴァー・ホーンがどこかに書いていたのを思い出した。確かに高速道路を180kmでぶっ飛ばしているような曲調だ。アルバムトップの曲には、こういう曲がふさわしい。

 次の"Waiting For the Right Time"はミディアム調のややブルージィな感じの曲。メイン・ボーカルはロル・クレームだろうか、声がよく伸びている。
 3曲目はこのアルバム中最も長い曲で6分29秒もある"Your Life"。出だしはマイク&ザ・メカニックスの1stアルバムの"Take In"に似ている。

 このアルバムの音楽は、10CCやサッド・カフェ、マイク&ザ・メカニックス系統に属しているようで、やはり血脈を受け継いでいるということだろう。

 "Man on the Moon"は、ソウルっぽいバラードで、間奏のギターがいい味を出している。ジョージ・マイケルあたりがカヴァーすると結構いけると思うのだが、どうだろうか。

 バラードの次はややアップ・テンポの曲という鉄則を踏んでいるようで、"Every Single Night in Jamaica"はストリングスの応援を受けながらも、転調に次ぐ転調で、かなり凝っている。ボーカルも交代しながら歌っていて、この辺のこだわりが異能のポップ集団の曲にふさわしい。

 一転してアコースティック・ギターで導かれる"Stay Elaine"はお口直しなのか、ポール・マッカートニーの"Mother Nature's Son"や"Band on the Run"を連想させる。徐々に音に厚みがつくところもビートルズ・テイストに溢れている。

 ややアイリッシュなポップ・ソングがシングル・カットされた"Barking Up the Right Tree"だが、このアルバムの中に置かれると、アルバムの中の1曲という感じで、特にこの曲だけが目立つというわけではない。やはり全体的にレベルが高いからだろう。

 さていよいよラストの3曲だが、1曲目の"Freeway"と似たようなアップ・テンポの曲調で始まる"Garden of Flowers"には、クライマックスに向けて突っ走っていくような疾走感がある。

 このアルバムはどの曲もメロディ良し、アレンジ良しで本当に捨て曲がない。ミディアム・テンポの"Watching You Out There"のメロディーも素直に耳に入ってきて、気持ちがいい。

 最後の曲"You And I"の最初は、キーボードの装飾音が暗く覆いかぶさり、これがこの曲全体を象徴している。途中のコーラス部分と後半のブレイクを挟んで盛り上がりを見せるが、最後はハミングとピアノの音、SEの風の音で締めくくられている。できればもう少し盛り上がるバラードだと、もっとよかったと思う。Producers

 途中でも述べたが、いずれにしても10CCやサッド・カフェ、XTC、ビー・バップ・デラックスのような英国流ポップ・ミュージックの流れに位置するアルバムである。21世紀になってもこのような伝統を引き継いでいくのが英国流ポップ・ミュージックなのだろう。できればこのメンバーでのパーマネントな活動を願っている。

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2013年2月12日 (火)

オールマン・ブラザーズ・バンド(2)

 今回も前回に引き続いて「オリジナル・アルバム・クラシックス」シリーズについて書くことにした。それは久しぶりにこのシリーズで結構なシロモノに当たったからだ。タイトルは「オールマン・ブラザーズ・バンド」(以下、ABBと略称する)である。

 今回のこの5枚組の特徴は、1990年代のアルバム群からチョイスされている点だ。普通、ABBとくれば、“スカイ・ドッグ”こと、デュアン・オールマンが在籍していたした頃が最も有名だろうが、このシリーズでは、わざと?そこを外して、なぜか1990年から1995年までのアルバムが、しかも年代順で収められている。

 さらにそれだけではなく、内容的にも素晴らしいに尽きる。ひょっとしたらデュアン在籍時の演奏と並び称されるくらいではないかと思われる名演が収録されていて、購入してよかったと密かに喜んでいるのだった。Photo

 ABBは2回解散している。1度目は1976年で、2度目は1982年だった。1971年に偉大なギタリストだったデュアン・オールマンがオートバイ事故で亡くなった後、弟のグレッグ・オールマンとギタリストのディッキー・ベッツの仲違いや麻薬事件でのバンド内での対立が目立つようになり、「ブラザーズ&シスターズ」などの名盤を発表するもバンドは分裂してしまった。

 しかし2年後には復活して、アルバムを発表して活動を始めた。しかしミュージック・シーンでは、それまで興隆していたサザン・ロックに翳りが生じてきていたし、そのサザン・ロックの牙城とも言われていた親会社レーベルの倒産などもあって、彼らに逆風が吹き始めたようだった。

 もちろんそれだけの事情ではないにしろ、豪快なロックからポップ・テイストが散りばめられた売れ線狙い(とそれまでのファンから判断されてもいた)路線も災いした様だった。
 結局、1982年から8年間ほどバンドは解散状態だったのだが、1990年に突如として復活した。これには新メンバーになったギタリストのウォーレン・ヘインズの功績が大きいようだ。

 彼は北カリフォルニアのアシュヴィル生まれで、今年の4月で53歳になる。エリック・クラプトンやジミー・ペイジに憧れて12歳からギターを手にした。またギターに関していうと、彼はレス・ポールやファイヤー・バードを愛するギブソン派でもある。1
 彼が凄いのは、普通オープン・チューニングでボトルネック演奏するところを通常のレギュラー・チューニングを使って演奏するところだ。だから演奏の途中でボトルネックをはめたり外したりしていている。さらにデュアンでないと演奏できないようなフレーズも軽々と演奏してしまうという。
 ちなみにデュアンもレギュラー・チューニングでボトルネック演奏していた。この2人の共通点だろう。

 そういう素晴らしい才能を秘めたギタリストなのだ。見つけてきたのはディッキー・ベッツで、彼のバンドで活動をしていたときに、ABBの再々結成話があってウォーレンとディッキーはバンドに参加したのだった。

 それで1990年のアルバム「セヴン・ターンズ」は素晴らしいアルバムだと思う。1曲目のブルージィーな"Good Clean Fun"やスライド・ギターがフィーチャーされた"Let Me Ride"、アコースティック・ギターが映えるカントリー・タッチの"Seven Turns"、グレッグのオルガンが目立つロック・バラードの"Gambler's Roll"、ややフュージョン気味のインストゥルメンタル曲"True Gravity"、いずれも佳曲が収められていて、聞いていて飽きがこない。

 また91年のアルバム「シェイズ・オブ・トュー・ワールズ」では、前作の勢いに乗って制作されていて、ややハード・ポップな"Bad Rain"や10分以上もある"Nobody Knows"などは、ライヴで聞くと間違いなく盛り上がる曲だろう。特に後者はオルガンも目立っていて、サザン・ロックをやっているディープ・パープルのようでもある。

 さらには完全なブルーズ・ロックの"Get On With Your life"やジャズっぽい"Midnight Man"、ロバート・ジョンソンでも有名な"Come On In My Kitchen"などバラエティに富んでいて、このアルバムもまた全体的にバランスが取れている。残念ながら前作よりはチャート的には低かったが(前作は53位、これは85位)、ファンの間では評価が高かったようだ。

 ディッキー・ベッツが参加した最後のアルバム「ホェア・イッツ・オール・ビギンズ」は1994年に発表されていて、最終的にゴールド・ディスクを獲得している。
 グレッグ・オールマンの薬物中毒のことを歌った"All Night Train"、ディッキー・ベッツとウォーレン・ヘインズのギター・バトルが聞ける"Sailin' Cross The Devil's Sea"や、なぜかジャーニーのニール・ショーンとジョナサン・ケインが曲作りに参加したブルーズ色に彩られている"Temptations is A Gun"など、これまた聞き所満載のアルバムになっている。

 この時期のABBのアルバムは意外に素晴らしいということに、実は驚いている。自分は1990年代前半は、オールマンを聞かずに何を聞いていたのだろうかと自問自答してしまうほどだ。

 しかもこの5枚組には、2枚のライヴ・アルバムまで付いている。最初の「アン・イーヴニング・ウィズ・ジ・オールマン・ブラザーズ・バンド:1stセット」は1991年から92年にかけてのライヴ演奏が収められている。
 中でも「イート・ア・ピーチ」に収められていた"Blue Sky"や"Melissa"が新しいメンバーで再演されている点は興味深い。

 もう1枚のライヴ盤「2ndセット」は1992年と94年のライヴから選ばれたもので、リリースは1995年だった。全8曲だが「ホェア・イッツ・オール・ビギンズ」から4曲選ばれていて、このアルバムのためのツアーからだったのだろう。

 それ以外の曲では、あの有名なデュアン在籍時の"In Memory of Elizabeth Reed"やウィリー・ディクソンの"The Same Thing"、「ブラザーズ&シスターズ」に収められていたインストゥルメンタル"Jessica"などが収録されていて、ツイン・ギターやツイン・ドラムス等のライヴならではの迫力ある演奏を聞くことができる。確かにこのアルバムを聞けば、一度は彼らの演奏を間近で見てみたい誘惑に駆られるに違いない。

 とにかく内容の濃い5枚組アルバムだ。ABBの熱心なファンからすれば何をいまさらという感じだろうが、自分は彼らの隠れた一面、しかも素晴らしい一面を知ったような気がする。こういう掘り出し物にめぐり合えるのも「オリジナル・アルバム・クラシックス」シリーズの特長だろう。
 こういう良質のアルバムに会うと、思わず次の5枚組アルバムを探してみようという気になってしまう。商売上手な企画である。

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2013年2月 7日 (木)

ホール&オーツ(2)

 昨年このブログで、“オリジナル・アルバム・クラシックス”シリーズについて書いたことを覚えているだろうか。
 ブレッドやモンキーズ、リトル・フィート、ジャーニー、REOスピードワゴンなど、主にアメリカン・ロック関係のアルバムを購入したのだが、このシリーズ化には意外と重宝している。手軽で簡単に特定のミュージシャンやバンドの歴史の変遷を知ることができるからだ。

 それで今回はダリル・ホール&ジョン・オーツ(以下、ホール&オーツと略す)のアルバムを手に入れた。もちろん5枚組である。内容は以下の通り。タイトル名は邦題で、数字はオリジナル・アルバムの発表年である。
①サラ・スマイル(1975)
②ロックン・ソウル(1976)
③裏通りの魔女(1977)
④プライベート・アイズ(1981)
⑤H2O(1982)

 いずれもRCA時代のアルバムであり、1972から74年までのアトランティック・レコード時代のアルバム3枚は含まれていない。Photo
 
 個人的には、これでも充分満足なのだが、しかし5枚組にするのならば、1980年に発表されたアルバム「モダン・ヴォイス」を入れてほしかったと思うのは、私一人ではないはずだ。

 何しろこのアルバムは初めて自分たちでプロデュースしたものであり、前半がロック・サイド、後半がソウル・サイドに分かれていて、初のミリオン・セラーを記録したことでも知られるからだ。

 この大ヒットが契機となって、80年代の彼らの黄金期が築かれたといっても過言ではないだろう。悔しいのでアルバム・ジャケットだけでも見てほしい。3

 じゃあ、どれを外すかとなるとそれもまた問題なのだが、苦しまぎれにやはり③の代わりに入れるしかないか、あるいはひと思いに①と②を1978年の「赤い断層」と1979年の「モダン・ポップ」に入れ替えて、「モダン・ヴォイス」、「プライベート・アイズ」、「H2O」にすれば完璧に近いかもしれない。要するに1978年から1982年の5枚のアルバムということになる。

 とにかくこのシリーズの売りは、わざとベストの5枚を選ばないということだろうか。必ず1枚は世評と違うものが選ばれるようだ。ジャーニーのときは「ディパーチャー」だったし、探せば他にもあるような気がする。

 ところでこのホール&オーツ5枚組だが、①「サラ・スマイル」の冒頭の曲"Camellia"ではフィラデルフィア・ソウルのようなストリングスの使い方が見られて、当時から彼らはブルー・アイド・ソウルを志向していたことが分かった。

 自分は彼らのベスト盤しか持っていなかったので、こうして初めてオリジナル・アルバムを聞き通してみてわかったこともある。①は個人的に気に入ったのだが、全体的にストリングスを使いすぎていて、甘ったるいチョコレート・ケーキのようだった。

 ②からは3枚のシングル・ヒットが生まれていて、"Rich Girl"は2週にわたり全米No.1を記録したし、ファンキーな"Back Together Again"は28位、スロー・バラードの"Do What You Want, Be What You Are"は39位にランク・インした。そのせいかアルバム自体も13位まで上昇している。70年代のアルバムの中で最も最高位を記録したアルバムでもあった。

 ドラムスにジェフ・ポーカロが参加した③はファンにはたまらないアルバムだろうが、世間一般的には微妙なアルバムになったと思う。2曲目のシングル・カットされた"Why Do Lovers Break Each Other's Heart?"はロックよりの曲で、リード&バッキングのギターが目立っている。このことはアルバム通していえることで、今までよりも全体的にハードになった感じだ。

 ③と④の間に4年間のブランクがあるのだが、この間に1枚のライヴ・アルバムと3枚のスタジオ・アルバムを発表していて、この間の音楽活動を抜きにプラチナ・アルバムに認定された④の大ヒットは語れないだろう。
 この5枚組を通して聞くと、このことがよくわかる。③から④に移ったときに、一気にクォリティが高まり、まるで違うミュージシャンの音楽を聞いているような気がしたのだ。

 ④の素晴らしさは言うまでもなく、躍動感のある演奏とますます充実してきた2人のボーカルは、このアルバムから3枚のヒット・シングルを生み出すことに成功した。そのうちの2曲"Private Eyes"、"I Can't Go For That"は全米No.1を記録し、アルバムも初めてのプラチナ・アルバムに認定された。

 彼らの活動のピークにあたる時期に発表されたのが、⑤だろう。この時の彼らはまさに飛ぶ鳥を落とすほどの勢いで、どんな曲でも発表すれば売れたのではないかと思わせるほどだった。
 当時の流行のサウンドと彼ら流のソウル・ミュージックが絶妙にブレンドされていて、マイク・オールドフィールドの曲"Family Man"も、まるでホール&オーツのオリジナルのように聞こえてくる。

 そして、これまた当然のことながらこのアルバムも、プラチナ・アルバムに輝き、この年の年間第4位のアルバムにも認定された。彼らの今までの人生の中で一番売れたアルバムになり、このことはおそらく今後も変わらない記録になるだろう。

 というわけで彼らの偉大なる足跡をたどることができる5枚組だと思う。ただ惜しむらくは70年代の後半が一部抜けているところだ。こうなれば彼らのライヴ盤も含めて、10枚組にして販売すれば完全編集になるだろう。たぶん商売としては成立しないかもしれないが…

【追記】

 2013年4月にホール&オーツの残りのアルバム5枚が“オリジナル・アルバム・クラシックス”シリーズに追加された。そのアルバムは以下の通り。
「赤い断層」(1978年)
「モダン・ポップ」(1979年)
「モダン・ヴォイス」(1980年)
「ビッグ・バン・ブーム」(1984年)
「Ooh Yeah!」(1988年)

 担当者がこのブログを読んだということは100%ないが、やはり残りのアルバムを商品化してほしいという声が多かったのだろう。うれしい限りである。こうなったらいつか残りのアルバムについてコメントしなければという気持ちにもなった。

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2013年2月 5日 (火)

永遠の0

 久しぶりに本を一気読みをした。百田尚樹著の「永遠の0」である。文庫本で600ページ近いボリュームなのだが、3日間くらいで読み終えた。しかもその余韻はまだ続いていて、こうしてブログにも書き込んでいるのだ。

 この本は単行本で2006年に、文庫本でも2009年に発表されているので、自分は遅ればせながら読み終えたという感じだ。
 評判はかねてより聞いていて、本屋でも100万部を越えたベストセラー本として大きな広告が出されていたし、テレビでも様々な芸能人が感動した本、涙を流しながら読んだ本として紹介もしていた。

 だから何をいまさらと思っている人もいるかもしれないが、良い本は良いわけだし、また自分の気持ちを落ち着かせるためにもネタバレを覚悟で、一言書かせてもらった。

 自分は最初、書名を見たとき何のことなのか分からなかった。文庫本の後表紙に簡単なあらすじがあったので、それを読んで“0”とは“ゼロ戦”のことだとわかった。要するにこの本は、戦争文学なのである。

 しかし、ただの戦争文学ではない。太平洋戦争のルポルタージュでもなければ、ゼロ戦についての研究本でもない。ゼロ戦搭乗員の宮部久蔵の生き様を通して、人を愛することや人としての生き方を考えさせてくれる小説なのである。0_2

 またミステリー的な手法も斬新だと思った。主人公の宮部は生きて絶対に帰ってくると、妻と幼子に誓ったのにもかかわらず、なぜか終戦の約1週間前に特攻隊員として南西諸島に出撃し、戦死してしまう。

 あれほどまでに生きて帰ることを誓い、それに執着していたのに、なぜ100%死ぬことが分かっていた特攻隊に参加したのか、その理由を知るために孫である2人の姉弟が戦友会を通して当時の関係者にインタビューをしていく。その過程がミステリー的なのであった。

 例えて言うなら、芥川龍之介の「藪の中」のようで、各関係者の言うことが少しずつ違ってくるのだ。
 最初は、“あんな臆病者はいない。帝国軍人の恥さらしだ”と言われるのだが、次の人からは、“天才的な操縦士だった”とか、“臆病というよりは、自分の命を大事にしている人だった”、あるいは“厳しい上官がいる中で、あんな優しい人はいなかった”、“自分にとっては命の恩人だ。同時に他人に優しすぎて、あの人は心の中で苦しんでいた”という具合に、徐々に真実が分かっていく。そのストーリー展開に手に汗握るのである。

 そして最後にアッと驚くどんでん返しというか、ビッグ・サプライズが用意されていて、百田尚樹という人は、ストーリー・テラーとしても素晴らしく才能のある人だと思った。言ってみれば、日本のフレデリック・フォーサイスのような人だと思う。

 詳細を書くと未読の人に申し訳ないので省略するが、孫の姉弟にとって宮部久蔵という人がどういう人だったのか、そのリアルさが物語の始まりと終りでは180度変わっていく。その落差が素晴らしい。当たり前で恐縮だが、これは読んだ人でないとわからないだろう。

 また戦争文学としては、戦争の愚かさ、人命の儚さ、軍隊組織としての非条理さなどが描かれ、戦争を知らない世代の人にも当時の状況がよくわかる。特に軍指導部の自己保身ぶりには、開いた口がふさがらなかった。
 また真珠湾攻撃からその後の歴史を運命づけたミッドウェー海戦、珊瑚海海戦、レイテ沖海戦、ガダルカナル島戦等々、史実に基づいての歴史的経過も描かれていて、太平洋戦争の戦史として読んでも面白い。

 それにゼロ戦とグラマンとの空中戦や特攻隊の誕生の経緯など、ゼロ戦ファン、戦闘機マニアにとってもたまらない内容だと思う。しかもその描写が、まるで目の前で行われているような生き生きとしたものになっていて、次の展開が待ち遠しく思われ、思わず時間を忘れて読み耽ってしまった。

 個人的には、当時の軍部や政府におもねり、戦後は一転して当時の戦争指導者を非難し、アメリカ礼賛を繰り返し行った新聞社や、特攻隊と9・11などの自爆する現代の過激派とを同列視する姉の恋人に対する批判を、登場人物の口に語らせているところが良かった。その恋人と姉が結婚するかどうかも気になったが…

 ただ最近は年をとったせいか、感性が鈍ってしまったようで、結末については、さもありなんと思い、涙は出なかった。自分が情けなくて、それが残念でならない。
 昔は例えば兄が戦死してしまい、その弟が義理の姉、つまり兄の嫁と結婚するということはよくあったと聞いていたからだ。昭和時代の結婚観では、家と家の結びつきが強いという習慣が色濃くあったのだろう。

 よく考えれば、戦争が終わってまだ70年もたっていない。わずか60数年前に、お国のためではなく、愛する自分の妻子や両親のために自らの命を犠牲にしてまで戦う人たちが、しかもまだ10代の後半から20代の前半の若者がいたという事実を前にして、自分は語るべき言葉もない。
 戦後60年以上たって、確かに日本は経済的に立ち直り、人々の生活は豊かになって、世界のトップ・リーダーのひとつに数えられるようになったが、果たして国民の精練度としては、どれほど高まっているのだろうか。むしろ有限の生を自覚し、それを完全燃焼させた、あるいはさせられた人たちの方が、人としては数段優れていたのではないかと考えさせられてしまった。

 鹿児島の知覧には、この場所から飛び立っていった特攻隊の記念館が設立されているが、そこにある彼らが書いた手紙はとても二十歳そこそこの人が書いたとは思えないほど、字が整っていて綺麗である。
 手紙を書いたそのときから、数時間か数日後にはこの世から自分が消えてしまうことがわかっているにもかかわらず、これほど落ち着いた字が書けるのか、また、人前では決して涙を見せずに淡々と死地に赴いたという事実が、来館者の涙を誘う。

 政治的に右寄りであれ、左寄りであれ、いたずらに人の命を、人生を弄んではいけないというのは理解できるはずだ。現代の戦争は、湾岸戦争以来、まるでTVゲームのように無機質で、無感覚なものになっている。しかし、それでも戦争によって、人生を絶たれる人はあとを絶たない。

 日本人として決して忘れてはいけないことを、あらためて教えてくれた稀有な本だと思う。できるだけ多くの人に、しかも若い人に読んでもらいたい一冊である。
 この小説は映画化されて、今年の12月には公開されるらしいが、変な戦争礼賛映画にならず、人の生き死にを真摯に描いてほしいと思っている。

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2013年2月 2日 (土)

セーラム・ヒル

 先日、新しい毛布を買った。寒がりというわけでもないのだが、今までは毛布2枚に羊毛布団1枚と掛け布団、計4枚をかぶって寝ていたのだが、それでも寒いと感じるときがあって、ダウン・ジャケットを着て寝たときもあった。

 それで新年早々の格安セールで、抗菌・保温性能を備えた毛布を購入したところ、これがまるで羽毛布団のように暖かくて、非常に満足している。それで今では、その毛布を含めて2枚と掛け布団1枚で、しかも薄着のスウェットを着て眠っている。今年は正月から満足のゆく睡眠生活を送ることができていてうれしい。できれば一日中眠っていたいくらいだ。

 それはさておき、前回のブログでアメリカのマイナーなプログレ・バンド、グラス・ハマーのことを紹介したのだが、それに関連して今回もマイナーなセーラム・ヒルというプログレ・バンドについて述べたいと思う。

 このセーラム・ヒルのギター&キーボード担当がカール・グルーヴスで、彼がグラス・ハマーのアルバム「カルチャー・オブ・アセント」に参加していたことで、自分はセーラム・ヒルにたどり着いたのだった。

 セーラム・ヒルとグラス・ハマーは同郷のバンドだ。いずれもアメリカ南部のテネシー州、ナッシュビルで活動していた友人同士で結成されたもので、1997年頃の結成だと思われる。
 70年代に活躍していたカンサスもカンサス州が活動の最初の拠点だったが、南部のテネシー州出身のプログレッシヴ・バンドというのも珍しい気がする。

 それだけアメリカには様々な種類の音楽を演奏する人たちや、それらを許容する土壌が備わっているのだろう。が、やはりアメリカ南部、特にナッシュビルといえばカントリー・ミュージックやオールマン・ブラザーズ・バンドなどのサザン・ロックだろう。オールマン兄弟はナッシュビル生まれだった。そういう土地柄からプログレッシヴ・ロックとは何となくミスマッチのようで、興味深いものがある。

 カール・グルーヴスは、いわゆるマルチ・プレイヤーでアルバムのプロデュースやエンジニアなども担当している。彼とタッグを組んでいるのは、大学の後輩のドラマーであるケヴィン・トーマスとベーシストのパトリック・ヘンリーだ。
 ドラマーのケヴィンはジェネシスのツアー・メンバーだったチェスター・トンプソンから個人レッスンを受けていたこともあり、ジェネシスの影響を強く受けているらしい。

 当初はこの3人だったが、これにキーボード&ギタリストのマイケル・デアリングを加えて、現在は4人で活動している。

 自分が持っているアルバムは、彼らが2000年に発表した通算5枚目、公式なスタジオ・アルバムとしては3枚目の「ノット・エヴリバディズ・ゴールド」というもので、全7曲のシンフォニックな楽曲で占められている。
 またこのアルバムには、ゲスト・ミュージシャンとして、元カンサスのデヴィッド・ラグスデールがバイオリンを担当している。Photo

 アルバムの冒頭を飾るのはインストゥルメンタルの"Prelude"で、最初のスキャット部分や切れのいいリズムは70年代初期のイエスを髣髴させてくれた。

 4分余りのインストに続いて、もっとアップ・テンポの曲"Riding the Fence"が始まった。ボーカルは取り立てて特徴のある歌声ではなく、ごく普通の感じだ。やや弱いと言われるかもしれないが、それをバック・コーラスが補っている。
 曲調はメロディラインがはっきりとしていて、わかりやすい。演奏の方はしっかりしていて、リズム・セクションはいうまでもなく、ときおり切れ込んでくるエレクトリック・ギターやクラシカルなピアノが効果的なアクセントを出している。確かに元気のいいイエスという感じだ。

 3曲目はボーカルが交代して、中音域に伸びのあるソフトな歌声になっている。今までとはうって変わった"The Last Enemy"というタイトルのバラードだ。バックの分厚いキーボード群がより荘厳さを醸し出している。
 途中ブレイクしてピアノ・ソロになり、そこにメロトロンが重なってくるところが個人的には好きだ。ただしメロディはタイトル通りに明るくはない。どんよりとした曇天のような音楽だった。

 4曲目の"January"はハード・エッジなギター・リフにマイルドなボーカルとボーカル・ハーモニーがかぶさって、テクニカルなキーボードが彩りを添えている。この1枚のアルバムだけでは判断できないが、このバンドはかなり技術的な水準が高く、少なくともグラス・ハマーの「カルチャー・オブ・アセント」よりは豊かな音楽性を備えているといえそうだ。

 ファンファーレのようなキーボードで始まる"Let Loose the Arrow"は軽めのラッシュという雰囲気で、イントロとそれに続くボーカル・ハーモニーが印象的だった。またボーカルは掛け合って歌っていて、4人全員が歌えることがこのバンドの強みでもあるらしい。

 SEから始まる"We Don't Know"はダークなバラード・タイプの曲だが、プログレというよりはハード・ロック・バンドの“チーク・タイム”のようで、時間も4分少々と、このアルバムでは短い方だ。ある意味、次の曲への“つなぎ”と言ってもいいかもしれない。

 そしてこのアルバムの一番の聞き所である"Sweet Hope Suite"が始まる。時間にして約30分、3部構成で第Ⅰ部"Eternity in Our Hearts"は、激しいリズムの動きとそれに絡まるギターとキーボードの洪水で始まった。この手の曲によくあるように緩急を上手く付けていて、合い間に挿入されるオルガンやグロッケンスピールが効果的だ。

 第Ⅱ部"And We Wait"ではメイン・ボーカルが交代して、ミディアム・テンポになる。ここでもアコースティック・ギターやヴィブラフォン、ゲスト奏者のバイオリンがいい味を出している。
 そして第Ⅲ部"The Hill of Peace"では元に戻ってアグレッシヴに演奏すると思いきや、最初はソフトに語りかけるようなボーカルで始まり、切々と訴えかけるように始まった。意外であった。しかしこれでは“プログレ”は終われない。転調を繰り返し、徐々に高みへと誘い、やがて大団円を迎えるのであった。

 このアルバムの前半は小曲(といっても4分以上8分近くまであるのだが)を並べて、後半は大曲を配置したのだろう。最後の曲などはトランスアトランティックの曲のようで、長いのにもかかわらず、途中だれる事もなく聞かせところが満載だった。

 21世紀の現在で、こういう音楽をやっているアメリカのバンドにめぐり合えたことが幸せだった。またこういうバンドが活動を続けていくことができるという点でもうれしい。彼らの音楽を支持しているファンがかなりいるようだ。マーケットは小さくても、アメリカは人口が多いから衰退はしないのだろう。

 彼らはその後もアルバムを出し続けていて、2005年には2枚組ライブ・アルバム「パペット・ショー」を、2010年には最新アルバム「ペニーズ・イン・ザ・カーマ・ジャー」を発表している。
 アメリカでは決してお金になる音楽ではないけれど、それでも約20年も続けているところからみて、自分たちの音楽を愛し、信じているのだろう。そういう彼らの姿勢がうれしい。これからも良質な音楽を発表してほしいし、できれば国内盤も発売してほしいところではある。

 アメリカのコミック、チャーリー・ブラウンの友だちにサイラスという男の子がいて、いつも毛布を持っている。毛布を持っていることで心が落ち着くようだ。自分も彼のように、暖かい毛布にくるまれながら今年もいい音楽との出会いを楽しみに待っているのだった。

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