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2013年3月24日 (日)

デイヴ・エドモンズ

 前回はニック・ロウについてであったが、やはりニックの次にはこの人しかいないだろう。ニックと同郷の先輩だったデイヴ・エドモンズである。

 不思議なことに、ニック・ロウについては様々な資料があって調べやすいのだが、同じバンドにいたデイヴについてはそんなに多くはないのだ。数あるロック・ガイド本でもニック・ロウについてはページ数を割いているのだが、デイヴについてはほんの数行か、あるいは全く触れられていないものもあった。

 どうもデイヴについては、ニックよりも評価が低い気がしてならない。これは日本だけの問題なのかそれとも海外でも同じようなのか。その原因はアルバムの発表数の違いか、はたまたシングル・ヒットの数なのか。気になったので、少しだけ調べてみた。

 結論から言えば、ヒット曲数はニック・ロウよりも、むしろデイヴ・エドモンズの方が多いのだ。しかも全英No.1ヒットまでもっている。
 また、プロデューサーとしてもニックに負けず劣らず、多くのミュージシャンやバンドを担当している。ストレイ・キャッツを発掘し、世に出したのもデイヴだし、フォガットや意外にもモーターヘッドのアルバムまでプロデュースしている。

 だから、欧米ではデイヴ・エドモンズはきちんと認められているようで、ここ日本でのみ評価が低いらしい。これはポップス好きな傾向がある日本人の音楽観によるものか。   
 あるいは日本の音楽雑誌などのメディアの方も、ニック・ロウはプッシュしても、デイヴの方の後押しはなかったのかもしれない。それともレコード会社の営業方針だったのか…よくわからない。

 ちなみに自分もニック・ロウのアルバムは数枚聞いたことがあったが、デイヴのアルバムはまともに聞いたことがなかった。自分が持っているのはアリスタ時代の彼のベスト・アルバム1枚きりである。

 もともと彼は15歳で兄弟バンドとして活動を始めた。彼自身はロカビリーやロックン・ロールをやりたかったが、レコード会社は当時流行していたブルーズ・ロックを彼に求め、嫌々ながら彼もその方針に従ったようだ。結局、彼の名前が売れるのは、1970年の全英No.1になった"I Hear You Knocking"のヒットまで待たされたのである。

 このシングルは全米でも300万枚以上の売り上げを記録し、ゴールド・ディスクに認定された。あのジョン・レノンもフェイヴァレット・ソングのひとつに挙げていたから、相当流行ったのだろう。

 このヒットの後、彼はプロデューサー業に重点を置いて活動を行うようになり、その中でニック・ロウと出会った。ちょうどニックのいたブリンズリー・シュワルツのアルバムをプロデュースしていた頃である。

 それで1976年にニック・ロウとロックパイルを結成して、楽曲を録音したのだが、ニックとデイヴがそれぞれ別レーベルに属していたために、バンドとしてのアルバムは発表できなかった。
 だからデイヴのソロ名義のアルバム「ゲット・イット」(1977年)、「トラックス・オン・ワックス・4」(78年)、「リピート・ホエン・ネセサリー」(79年)やニック名義のソロ「ジーザス・オブ・クール」(78年)、「レイバー・オブ・ラスト」(79年)は、世間一般では事実上のロックパイルの作品と捉えられている。

 ちなみにこの時期のデイヴは、ロバート・プラントの勧めでスワン・ソングと契約し、そこからアルバムを発表している。この時期のスワン・ソングにはデイヴを始め、バッド・カンパニーやプリティ・シングスなどが所属していて、ハード・ロック系ではかなり強力なレーベルだった。
 しかし残念なことに、ニック・ロウはレコード会社を移り、1980年にレッド・ゼッペリンが解散した後、スワン・ソングも閉鎖した結果、彼は心機一転、アリスタに移籍してアルバムを発表するのである。

 それでアリスタ時代のベスト盤についてだが、20曲入りでロックパイルが解散した後の1982年から87年までの4枚のソロ・アルバムから選曲されている。彼の全盛期の後半に当たるものだろう。Photo
 最初の4曲は82年の7枚目のソロ・アルバム「D.E.7th」からで、1曲目の"From Small Things, Big Things come"は“ザ・ボス”こと、ブルース・スプリングスティーンから提供された曲。王道ロックン・ロール仕様で、ブルースのアンコールでの“デトロイト・メドレーズ”に使われそうな曲調だ。ちなみにそれまではブルースとデイヴには親交はなかったらしく、いきなりブルースのロンドン公演でプレゼントされたという。
 ブルースの「ザ・リバー」のアウトテイクスだったこの曲は、ビルボードのメインストリーム・ロック・チャートで28位を記録した。

 "Generation Rumble"は、このブログでも取り上げたギャラガー&ライルの片割れ、グラハム・ライルの手によるもの。当時はロニー・レインズ・スリム・チャンスに所属していた。小粒だが粋のいいロンクン・ロールを披露している。

 イギリスのアコーディオン&ピアノ奏者のジェレイン・ワトキンスが作った"Deep in the Heart of Texas"やクリス・リーズの"Bail You Out"などが続くが、この4曲を聴く限りでは、デイヴはアメリカの南部に根ざした音楽をやりたかったというのがよくわかった。彼は根っからのロックン・ローラーで、アメリカのルーツ・ミュージックの探求者だったのだろう。

 この4曲が入った「D.E.7th」はイギリスで60位、アメリカでは46位と中規模のヒットを記録した。やはりロックパイル時代の方がチャート的には評判がよかったみたいだ。

 次の3曲"The Shape I'm In"、"Slipping Away"、"Information"は1983年のアルバム「インフォメーション」からのもの。"The Shape I'm In"はアメリカ南部のケイジャン・ミュージックを模したものになっていて、ロニー・レインなどもこういう音楽を志向していた。

 問題は"Slipping Away"で、一聴してわかるようにシンセサイザーが使用され、ドラムのピッチも緩めで音もバシャ、バシャと鳴っている。作曲者はジェフ・リン。"The Shape I'm In"とは正反対の曲調で、これらが1枚のアルバムに納められていたのだから、統一感に欠けていたことが予想される。曲自体は全米39位とヒットしたのだが、自分にとってはちょっと違和感が伴う。"Information"なんかは正にE.L.O.の曲といわれても納得してしまうほどだ。

 デイヴ本人が望んだこととはいえ、この辺のミスマッチが80年代中盤から後半のデイヴの失速につながったと個人的には思っている。だからニック・ロウに人気を奪われてしまうんだなあ、ここ日本では。

 1984年の9枚目のアルバム「リフ・ラフ」からは4曲収録されているが、ここでもジェフ・リンが活躍していて、このアルバム自体のプロデュースも10曲中6曲をジェフが手がけていた。また曲も3曲提供している。"Something About You"はモータウン所属フォー・トップスの1965年のヒット曲で、ここではジェフの手によって軽快なリズムになっている。

 "Something About You"が1stシングルなら、次の"Steel Claw"は2ndシングルになった曲で、この曲はジェフのプロデュースではないものの、まるでE.L.O.の曲のように聞こえてくる。この時期のデイヴにとっては、ジェフは大事なパートナーだったのだろう。疾走感もあり、間奏のギター・ソロもカッコいいのだが、どうしても違和感があるなあ。

 さらにジェフのオリジナル3曲中の1曲"S.O.S."も当然といえば当然のことだがE.L.O.臭プンプンの曲。聞いているこちら側まで助けを求めそうになってしまう。
 そういう声が聞こえたのだろうか、"How Could I Be So Wrong"はこのアルバム唯一のバラード曲で、バンドマスターでベーシストのジョン・デヴィッドの作品。この曲を聞いてホッと一息つくことができた。

 ジェフ・リンとのコラボレーションは賛否両論を巻き起こした。デイヴ本人は満足していたようだが、実際はどうだったのだろうか。結局、ジェフとのコラボはこれで終了し、以後2人の蜜月関係は見られなかった。
 また、デイヴもしばらくスタジオ盤制作から手を引き、1987年に初めての公式ソロ・ライヴ盤「アイ・ヒア・ユー・ロッキン」を発表した。このベスト盤にもそれから5曲収録されている。

 "Girls Talk"はエルヴィス・コステロの作品。"Queen of Hearts"はエミルー・ハリスのバック・バンドのスティール・ギター奏者ハンク・デヴィートの曲、この2曲は1979年のソロ・アルバム「リピート・ホェン・ネセサリー」に収められている。
 また"Your True Love"は1957年のカール・パーキンスのヒット曲。オリジナルはサン・レコードから発表されていて、ギターはもちろんカール・パーキンス、ピアノはジェリー・リー・ルイスが演奏していた。

 続く"I Hear You Knocking"はデイヴ最大のヒット曲で全米4位まで上昇している。オリジナルはアメリカ人のブルーズ・ギタリスト、スマイリー・ルイスで、1955年R&Bチャートで2位を記録した。ライヴ・ヴァージョンの最後は、1977年のアルバム「ゲット・イット」の中の曲の"I Knew the Bride"で、盟友ニック・ロウの曲。さすがライヴ盤ということで、幾分テンポが速く演奏されている。

 ここまでの16曲がアリスタ在籍時のアルバムからで、残りの4曲は1975年のセカンド・ソロ・アルバム「サトル・アズ・ア・フライング・マレット」(邦題:ひとりぼっちのスタジオ)からで、どれもカバー曲、しかも50年代、60年代のヒット曲の焼き直しになっている。
 またこのアルバムでは、ボーナス・トラックを除いて、ほとんどすべての楽器を彼一人で演奏していて、意外な器用さを発揮している。

 "Baby I Love You"は1963年のザ・ロネッツのヒット曲で、デイヴは1973年にシングルとして発表し全英8位を記録した。"Born To Be With You"もオリジナルは1956年にザ・コーデッツという女性コーラス・グループがヒットさせている。デイヴの曲も1973年に全英5位を記録した。この2曲はもろフィル・スペクターの影響を受けたような雰囲気に満ちている。

 "Let It Rock"はチャック・ベリーの1960年の曲で、ここではデイヴのライヴ・ヴァージョンとして収録されている。最後の曲"Some Other Guy"のオリジナルは1962年で、アメリカ人のR&Bミュージシャンがヒットさせた。あのビートルズやサーチャーズもカバーしたという有名曲らしい。

 こうしてみると、ニック・ロウはメロディ・メイカーとして自作曲が多いのだが、デイヴの方は自作、他作にこだわらないというか、むしろ他人の作品を上手に再解釈して表現する方を得意としているようだ。このアリスタのベスト盤でも20曲中彼のクレジットがあるのは1曲しかなかった。
 だからロックパイルがうまくいかなかったというのも、その辺にも原因があったのではないかとみている。

 ニック・ロウもデイヴ・エドモンズもニュー・ウェーヴ・シーンの中から出てきたように見えたのだが、実際は実力と経験を伴っていたミュージシャンだった。その源にあったのは、やはりアメリカからのロックン・ロールやリズム&ブルーズ等のルーツ・ミュージックである。

 ただその表現方法は対称的で、ニックはそれを消化してオリジナルにこだわり、デイヴはその再解釈にこだわった。そのこだわりの差が2人の音楽性の違いにつながったと思っている。
 2人は無理に同じバンドで活動するよりも、ある程度の距離感を伴って活動した方が長続きしただろう。しかし実際は、ロックパイルでの活動があだになったようだ。ニュー・ウェーヴ時代の“レノン&マッカートニー”は成功の一歩手前で失速してしまった。誠に残念なことである。


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