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2013年5月18日 (土)

ドクター・フィールグッド

 パンク/ニュー・ウェーヴ後のリッチ・キッズや、パンク前夜のデフ・スクールなどについて述べてきたのだが、今回はパンク以前のバンドについて書いてみたいと思う。

 ドクター・フィールグッド。結成は1971年だから、確かにパンク以前である。そして現在まで活動は続いているとはいうものの、実質的な解散は1977年だと思っている。だから自分にとっては、全盛期に解散したようなものだった。

 バンドの中心人物は、ボーカル&ハーモニカのリー・ブリローとギタリストのウィルコ・ジョンソンの2人だ。リーのだみ声とウィルコのピックを使わないギター・カッティングが人気を呼んで、のちのパンク・バンドの中にも彼らを慕う声は大きかった。
 また曲のほとんどはウィルコ・ジョンソンが手がけていて、シンプルなロックン・ロールを得意としていることがよくわかる。

 自分が最初聞いたときは、シャープでノリのよいフェイセズという気がした。フェイセズよりもパンキッシュで躍動感があった。曲自体も2分弱から3分少々と短くて、あっという間に終わってしまう。もっと長く聞きたいという渇望感が、よけい彼らの音楽を熱望してしまうかのようだった。

 彼らはバンド結成後は、ロンドンのパブなどを巡り、ライヴ活動を続けていた。ようやくレコード・デビューできたのは1975年の頃だった。この年にアルバム「ダウン・バイ・ザ・ジェティ」を発表している。Drfeelgood
 このアルバムを初めて聞いたときに思いついた言葉は、まさに“カッコいい”の一言だった。特に1曲目の"She Does It Right"のコード・カッティングはキレがあるし、ジョー・リン・フッカーのブルーズ"Boom Boom"も、テンポが速くてブルーズ臭があまりしない。

 スェーデン出身の男女2人組の名前の由来にもなった"Roxette"はリズム・パターンが面白いし、"One Weekend"は60年代風のサーフ・ロックを思わせた。

 個人的には勢いのあるハーモニカとギターの演奏とのバランスが素晴らしい"Twenty Yards Behind"や、繰り返されるリフがその気にさせる"Keep It Out Of Sight"、疾走感のある"All Through the City"が好きだ。こういう曲を聞くと、思わず自分もギターを手にして、ぶっ飛ばしたいという気にさせられる。

 ちなみに"The More I Give"のオルガンは、ブリンズレー・シュワルツやグラハム・パーカー&ザ・ルーモアに在籍していたボブ・アンドリュースが演奏している。パブ・ロックを通しての交友関係から来たものに違いない。

 ただ面白いのは、同じパブ・ロックと呼ばれているにもかかわらずその音楽性には大きな開きがあることだ。
 ブリンズレーはアメリカの南部の趣があるのに対して、ドクター・フィールグッドの方はロックン・ロールがメインである。また、グラハム・パーカーの方は、R&Bやレゲエ・ミュージックにも手を染めている。当時のイギリスのパブでは、音楽的な振幅が激しかったようで、観客の好みに応じて、様々なバンドがステージに立っていたのだろう。

 彼らは1975年に2枚のスタジオ・アルバムを制作したあと、翌年には初めてのライヴ盤「ステューピディティ」(邦題:「殺人病棟」)を発表した。このアルバムは全英No.1を獲得している。

 アルバムには13曲収められていて、前半の7曲は1975年5月23日のシェフィールド・シティ・ホールでのライヴ、後半の6曲が同年11月8日に行われたサウスエンド・カーサルでの演奏で、オリジナル・レコード盤では、それぞれ“シェフィールド・サイド”、“サウスエンド・サイド”となっていた。収録曲は以下の通り。
Shefield Side;
1. Talking About You, 2. 20 Yards Behind, 3. Stupidity 4. All Through The City, 5. I'm A Man, 6. Walking The Dog, 7. She Does It Right
Southend Side;
1. Going Back Home, 2. I Don't Mind, 3. Back In The Night, 4. I'm A Hog For You Baby 5. Checking Up On My Baby, 6. Roxette

 彼らは、“パンク・ムーヴメントの火付け役”とか“後世に最も影響力のあったバンド”などと呼ばれているが、確かにそれもまた真実だろう。しかし、自分には彼らの音楽は基本的には、R&Bの再解釈だと思えてならない。

 このアルバムでのカバー曲の中のいくつかは、チャック・ベリーやソロモン・バーク、ボ・ディドリー、サニー・ボーイ・ウィリアムソンなどから取り上げられているし、("Talking About You"、"Stupidity"、"I'm A Man"、"Checking Up On My Baby")、演奏形態もシンプルで、ブルーズ・ハープやリード・ギターがフィーチャーされていて、ストーンズやヤードバーズなどの既成の音楽とさほど変わらないからだ。Drfeelgood2

 ただ彼らの音楽が革新的だったのは、やはりウィルコ・ジョンソンの書く曲の疾走感と、シャープなギター演奏にあるだろう。ウィルコによるオリジナル曲は2分~3分程度と短いながらも起伏があり、清涼感さえ感じられるし、ギター演奏もスタジオ・バージョンとほぼ同じか、それ以上にキレがある。その点では、やがて来るパンク・ムーヴメントの先駆けになったというのは、間違いではないだろう。

 またアルバムのジャケット写真を見る限りでは、まるでザ・ジャムのようなモッズ・ファッションである。もちろんこれはザ・ジャムの方が真似たのだろうが、ドクター・フィールグッドはネオ・モッズ・ムーヴメントの先駆者でもあったのだ。

 このアルバムは全英No.1を獲得したにもかかわらず、ウィルコ・ジョンソンは1977年にバンドを脱退してしまった。やはりボーカルのリー・ブリローとうまくいかなかったのだろう。これは自分の勝手な判断なのだが、リーはもっとR&Bにこだわりたかったのではないだろうか。
 逆にウィルコの方は自分のオリジナル曲に自信があって、もっと自己主張したかったのだろう。やはり“両雄並び立たず”だったに違いない。

 脱退後のウィルコはイアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズに参加したり、自己のバンドを結成してライヴ活動にいそしんでいた。日本にもフジ・ロックなどで公演していて、日本のミュージシャンとも深く交流している。ある意味、彼の音楽を最も受け入れているのは、日本かもしれない。

 ボーカルのリーは、1994年にB型肝炎で亡くなった。41歳の若さだった。一方、ウィルコの方は、奥さんのアイリーンが2004年にガンで亡くなったあとも、精力的に活動していたが、2013年、今年の初めに自らガンの末期であることを発表した。
 彼はまたフェアウェル・ツアーを行った後、健康状態の悪化のためにもう二度とツアーには出られないことも述べている。あるいは愛する妻のもとに一刻も早く旅立ちたいのかもしれない。ともかく現在65歳のウィルコだが、ただただ彼の健康回復を願うばかりである。

 とにかく彼らは、伝統の継承者であるとともに、それにオリジナリティを加えた改革者でもあった。彼らの音楽は、そういう意味でも、今後も人々の記憶から忘れられずに残っていくだろう。次にくる人たちは、それをまた拡大再生産していくである。イギリスの音楽シーンの強みは、こういうところにあるのかもしれない。


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