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2013年6月

2013年6月27日 (木)

ベルリン3部作(3)

 別に「ベルリン3部作」に倣ったわけではないのだが、ベルリン時代のボウイについてのこのブログも、3部作になってしまった。前回では「ロウ」と「ヒーローズ」について述べたので、今回は最後の「ロジャー」についてである。

 前回でも述べたのだが、果たしてこれを3部作の中に入れていいのかという疑問があって、自分はこれの代わりに「ステージ」を入れた方がいいと思っている。また、ミュージシャンのサエキけんぞう氏は、「ロジャー」の代わりに「スティション・トゥ・スティション」を勧めていて、いずれにしても「ロジャー」には抵抗感があるようだ。

 その「ロジャー」は1979年に発表された。アルバム・ジャケットにも記されているように、「ロジャー」というのは、“間借人”という意味らしい。デヴィッド・ボウイのようにひとところに安定せずに、常に変化を求めていくミュージシャンには、ふさわしいアルバム・タイトルなのだろう。 

 確かにこのアルバムにはブライアン・イーノは参加している。プロデューサーも前2作と同様にデヴィッド・ボウイとトニー・ヴィスコンティで、これも変わらない。
 しかしこのアルバムはベルリンで録音されていない。1978年は彼にとってワールド・ツアーの年だったので、その合い間を縫って、スイスのモントルーとアメリカのニューヨークで制作されていた。

 さらにはその音楽面にも大きな違いが見られる。このアルバムには荒涼たる精神世界を表現したインストゥルメンタルは1曲も存在しない。
 かわりに在るのは、すべてボーカル入りの楽曲のみである。前作や前々作では言葉は切り詰められたり、省かれたりしていた。そのかわりにイーノのシンセサイザーやキーボードが饒舌に語りかけていた。

 だからこのアルバムを、“ベルリン3部作”と括ってはいけないのである。あくまでもベルリン時代の終了を意味するものであり、それを提示するということなら理解できないこともないが…

 ただ、あのパンク・ムーヴメント時代に、自分の立ち位置を明示して見せたデヴィッド・ボウイにとっては、このアルバムは、やはり3部作の最後に位置づけられるのだろう。3

 このアルバムの中で、一番ベルリン時代の残り香を感じさせることができるのは、4曲目の"Yassassin"だ。トルコ語で「長生き」を意味するこの言葉は、ベルリンでのトルコ人街での生活の中から生まれてきたといわれている。
 またキーボードが比較的目立つ"Red Sails"や、アフリカン・リズムの上に、サウンド・コラージュ風にサックスやキーボード、コーラスがかぶせられる"African Night Flight"などは新しい試みかもしれない。

 特に後者の畳み掛けるかのようなモノローグ的ボーカルは、のちのラップ・ミュージックに通じるものがあると思っている。

 後半の"D.J."や"Look Back in Anger"などは、のちに世界的大ポップ・スターになってしまったデヴィッド・ボウイのはしりの様な楽曲で、ポップなメロディなど確かにヒットする要素を備えている。
 また続く"Boys Keep Swinging"も異様に聞きやすくなっている。これも変化することを宿命づけていた当時の彼には、必要なことだったのかもしれない。

 最後の曲"Red Money"などはユニークな曲だと思う。ひねくれたポップ・ソングというのはこういう曲を指すのだろう。ややスローな展開の中で、エイドリアン・ブリューの奇妙なエレクトリック・ギターが目立っている。

 歌もののアルバムのせいか、全英4位、全米20位を記録した。かなりよい結果だが、時間的にはトータルで35分少々と、非常に短いものだった。

 とりあえずこれを70年代最後のアルバムとして、次の新しい時代に突入しようとする彼の決意が込められたものだろうが、だからといって何度もいうようだが、ある意味、芸術性がピークに達していたようなあのベルリン時代と一緒にしてはいけないように思えてならない。

 とにかくこのあと彼は、80年代初めにポップ・スターとして世界的な人気を博するのだが、その契機になったアルバムがこの「ロジャー」と次の「スケアリー・モンスターズ」だった。
 変化を自らに義務付けているボウイにしてみれば、これくらいの変わり様は当たり前なのだろう。

 今回の新作アルバム「ザ・ネクスト・ディ」の発表の仕方は、確かにセンセーショナルで効果的だった。事前に一切のアナウンスメント無しでのニュー・アルバムの登場は、インターネット全盛の時代だからこそ、全盛期を髣髴させるような驚きと興奮をファンに呼び起こした。

 しかしデヴィッド・ボウイは、今後のライヴ活動については行うつもりはないと断言しているし、「ザ・ネクスト・ディ」に続くアルバムが今後いつ発表されるかは、本人のやる気は高いようだが、まだ未定だ。今回のアルバムはみごとに成功したが、次のアルバムが成功する保証はない。

 思えば、彼にはその時々で重要なパートナーに恵まれていた。グラム時代はギタリストのミック・ロンソンであり、ジャズ・ピアニストのマイク・ガースンだった。
 アメリカ時代ではカルロス・アロマーであり、ベルリン時代はブライアン・イーノだった。また80年代前半ではナイル・ロジャースのもとで世界的にビッグになっていった。
 彼らはデヴィッドのもとで、とても重要な役どころを演じ、それぞれの時代の頂点にデヴィッド・ボウイが立つことを支えてきた。

 まるで磁力を帯びた超合金が周囲の鉄片を引きつけるように、デヴィッド・ボウイの周りには、有能な人材が集ってきたのである。彼は彼らの才能が十全に発揮できるように、上手に自分のまわりに配置し、活用してきた。

 80年代後半から彼の影響力に翳りが見えてきたのも、残念ながらそういう才能豊かなミュージシャンが彼の周囲にいなくなったからだろう。

 デヴィッド・ボウイは、80年代後半から90年代にかけて、上記のミュージシャンの中の何人かと一緒にアルバム制作を行ったのだが、残念ながら輝かしきケミストリーが再び戻ってくることはなかった。

 いろんな見方があるとは思うが、彼のカリスマ性も、またアルバム・セールス的にも下降線を下っていったのも、彼の才能や時代状況の変化だけでなく、彼と彼を取り巻く人間関係も考慮しないといけないのではないかと考えている。

 常に前を向いて、変化を義務付けてきた彼が、今年の新作ではベルリン時代のことを回顧し、自己の分析を行っている。ひょっとしたら今後は過去を振り返ることで、未来の変化を呼ぶとでも思っているのかもしれない。

 しかし今後の彼に本当に必要なのは、有能なパートナーであり、アドバイザーなのではないだろうか。「ベルリン3部作」は、そういう意味でも自分にとって思い出深いアルバム群なのである。

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2013年6月22日 (土)

ベルリン3部作(2)

 さて、運良くベルリン3部作について書く機会に恵まれたようだ。前回のブログでは、デヴィッド・ボウイがベルリンにたどり着く前の状況や、当時の彼を取り巻く環境などを探ってみた。当時の彼には、ベルリンに赴くという必然性があったということを確かめたかった。

 それでベルリン3部作である。一般的には1977年の「ロウ」、同年続いて発表された「ヒーローズ」、そして1979年の「ロジャー」の3枚のアルバムをさすのだが、最初の2枚には同意しても、最後の「ロジャー」は前2作とは少し趣が違う。これを3部作に入れていいのか悪いのか。
 
 自分としては、1978年に発表された2枚組ライヴ・アルバム「ステージ」を代わりに入れて、3部作とした方が納得できる。ベルリン時代のアルバムを含む当時のアメリカ・ツアーの音源でまとめられているだけに、その時代の雰囲気を上手くパッケージしているし、カルロス・アロマーとエイドリアン・ブリューという対照的なギタリストと元ユートピアのキーボーディスト、ロジャー・パウエルなどの実力派で固められたバンド演奏は隙がなく、デヴィッド・ボウイを引き立てることに成功しているからだ。4
 まあ、それはともかく「ロウ」を初めて聞いたときは、正直驚いた。当時のレコードのA面1曲目の"Speed Of Life"がインストゥルメンタルだったからだ。確かにブライアン・イーノが全面協力したアルバムとは知っていたが、いきなりインストとは予想を裏切られた気がした。

 それでもこのインストは、まだメロディアスで聞きやすい。続く短いボーカル曲"Breaking Glass"やイギー・ポップも一緒に歌っている"What in the World"などは、ヒリヒリした感覚を伴ってはいたものの、充分ロックしている。ブライアン・イーノのシンセサイザーも刺激的だが目立ちすぎず、いい貢献をしている。

 "Sound And Vision"もシングル・ヒットが狙えるくらいポップだし、安物の薬物をつかまされたデヴィッドが、怒って麻薬ディーラーを追いかけ、あやうく死亡事故になりかけたことを歌った"Always Crashing in the Same Car"もシンプルで面白い。A面最後の曲もインストゥルメンタルで、とりあえずサイドAは首尾一貫していた。
 サイドAのイーノのシンセ演奏は、やがて来るゲイリー・ニューマンなどのニュー・ウェーヴの先駆けとなるもので、今となって考えれば、まさに時代の一歩先を行っていた気がする。1
 問題はB面の演奏だ。ベルリンにいながらポーランドのことを曲にした"Warszawa"を聞いたとき、しまったと思った。前半のA面はあくまでも魚釣りでいうところのルアーのような囮であり、本音はこっちにあるのではないかと直感的に考えたのだが、聞き進めるうちにその不安は確信へと変わっていった。

 当時の自分はレコードをカセットテープに録音して聞いていたのだが、このアルバムの後半に入ると、早送りするか止めてしまっていた。どうもこの環境音楽のような雰囲気が好きになれなかったのだ。"Weeping Wall"はまだテンポがあったからよかったが、"Art Decade"は苦しかったし、"Subterraneans"はさらに理解不能だった。

 ブライアン・イーノが招かれた最大の理由は、このB面にあったのだろう。デヴィッドは言葉にならないものを音楽で表現したいということで、それに適った人物がイーノだった。
 あとになってこの荒涼な音楽を聞き続けていくと、目には見えないが、当時のベルリンの様子やそこで生活する人々の息遣いが伝わってきそうになった。言葉は限定されるが、演奏には想像する余地が残されているのだろう。

 今となっては自分も鑑賞に耐え得るようになり、デヴィッド・ボウイの意図するところも分かるのだが、何せロック小僧だった当時、ボウイとイーノの取り合わせはさっぱり理解不能だった。まだピンク・フロイドの「ウマグマ」の方が理解できた気がする。

 所属のレーベル会社もこれじゃ売れないよみたいなことを最初言っていたが、意外に全英2位、全米11位まで上昇して、次のアルバムも同じ路線で制作することに抵抗は示さなかった。

 そしてほとんどの曲をスタジオで即興的に作曲したといわれる「ヒーローズ」に繋がるのだが、ここでもイーノの制作方法が採用されていた。
 イーノはスタジオの各所にカードを置いて、時々それを引いては制作のアドバイスにしていた。カードには“静寂を破ってはならない”とか“上下さかさまにしてみよう”などと書かれていて、制作途中にそのカードを見ながら仕上げていったという。

 そういうふうに、ほとんど偶然の機会を利用しながらアルバムは制作され、イーノだけでなく、元クリムゾンのロバート・フリップもギターで応援に駆けつけてきた。彼は48時間のベルリン滞在で、1回だけスタジオにやってきてテープにあわせて演奏したという。もちろんワン・テイクで仕上げている。

 オリジナル盤では全10曲、そのうちボーカル入りは6曲、残りの4曲はインストゥルメンタルである。前作の延長線上にあるアルバムだが、より力強く、より確信的に歌っているように聞こえてきた。ベルリンの生活にも慣れ、身体的にも精神的にも健康的なってきたのだろう。
 A面はすべてボーカル入りで、どの曲も生き生きとしていて、この当時の彼の感性や表現意欲は、とめどなく表出していたことを表している。2_2

 当時のデヴィッド・ボウイは、クラフトワークやノイをよく聞いていたようで、後半の最初4曲にはその影響が表れている。"V-2 Schneider"は明るく聞きやすいが、不協和音が目立つ"Sense of Doubt"や、日本の印象を表現した"Moss Garden"、ベルリンのトルコ人街に関係する"Neukoln"などは彼の心象風景を表している。

 前作とは違って、最後はボーカル曲"The Secret Life of Arabia"で締めくくられる。おかげで何となく救われたような気がした。あのまま荒涼たる心象風景がさらに続くと、ちょっと息苦しくなってしまう気がしたからだ。

 当時は世界的にパンク/ニュー・ウェーヴが台頭していた時だったが、この2枚のアルバムはそんなムーヴメントに対するデヴィッド・ボウイなりの回答なのだろう。後に彼はこう述べている。

 “自分たちはパンクだって宣言することで表現を枠にはめてしまう。パンクのジャンルに分類された子どもたちが、ジャンル分けを受け入れているのが残念だ。自分たちがいる状況を把握できていないのかもしれない。あるいは自分たちで曲に枷をはめているのか。最終的に、最初の頃に大切だったものやパッションを失くしてしまうんだ”

 そうやって自分の創造性や芸術性を発揮しながら、パンクの時代を彼は生き延びてきた。それは、その当時のミュージシャンとしては、最も理想的とする生き方だったに違いない。

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2013年6月17日 (月)

ベルリン3部作

 今年の3月に発表されたデヴィッド・ボウイの新作「ザ・ネクスト・ディ」の評判は、世界的に高いようだ。とても66歳のロッカーとは思えない若々しい作品に仕上げられていて、全英ではもちろん第1位を獲得し、全米でも2位まで上昇した。商業的にも大成功である。さすがデヴィッド・ボウイだ。1

 それで本来なら、ここでその新作について取り上げるべきなのであろうが、少々時期外れでもあり、もうすでに多くの人がコメントしているので、今回はパスしたい。

 そこでふと思いついたのだが、デヴィッド・ボウイにとって新作のジャケット・デザインの元になった「ヒーローズ」を含むベルリン3部作とは一体なんだったのかをもう一度確認したくなって、少しだけ調べてみた。

 デヴィッド・ボウイ・ファンなら知っていると思うけど、彼は“変化”の人である。デビュー時はフォーク・タッチの曲調だったが、徐々にロック化して、1971年から74年まではグラム・ロックの第一人者として、異星人(ジギー・スターダスト)や動物(ダイヤモンド・ドッグズ)に化身していった。

 1975年からはイギリスを離れ、大西洋を越えてアメリカへと渡り、そこでソウル・ミュージックを彼なりに解釈したアルバムを発表した。それまでの彼はイギリスやヨーロッパでは賞賛の拍手で迎えられていたのだが、アメリカではさっぱり成功していなかったのだ。
 1973年の6月までで、あの歴史的名盤「ジギー・スターダスト」はたったの32万枚しか売れていなかったし、「アラディン・セイン」に至ってはわずか26万枚という有様だった。

 やはりデヴィッドも人の子、アメリカでの成功を夢見ていたのであろう。ただそのプレッシャーからか、彼は薬物に溺れていき、ほとんど廃人同様の状態になりながらも、アルバム制作とツアー、映画出演などを続けていった。彼の強迫観念に近いミュージシャンシップや、人間としての最低限のプライドが彼を支えていたのだろう。

 幸いにしてアルバム「ヤング・アメリカンズ」は全米9位になり、シングル・カットされたジョン・レノンとの共作曲"Fame"は見事全米1位を獲得することができ、アメリカでも念願の成功を収めることができた。3
 この時期のデヴィッド・ボウイはコカインやアンフェタミンに耽溺していて、ほとんど病人状態だった。さらに黒魔術やカバラに傾倒して、邪悪な力から自分を守るために、自分のオシッコを冷蔵庫に保管したり、壁や床に六芒星を書いて悪魔を呼び出そうともしていた。それでも傑作アルバムを発表しているのだから、やはり彼は異能の人のようだ。

 1976年に発表された「ステイション・トゥ・ステイション」も前作の流れを汲むデヴィッド流ソウル/ファンク・ミュージックだったが、“駅から駅”というタイトルからも分かるように、すでに彼はアメリカを離れる決意をしていたらしい。

 このアルバムでも彼は新しいキャラクターの“シン・ホワイト・デューク”を創出しているが、この痩せこけた公爵はもちろんデヴィッド本人のことであり、それほど薬物の影響が強かったということだろう。
 まあ、それを客観的に見れるようになったのは、ある意味、状況が改善されてきたのだろうが、それをさらによくするために、また自己のアイディンティティを確かめるために、彼はヨーロッパに回帰していった。2

 デヴィッドは、友人のイギー・ポップと薬物から足を洗う約束をして、ともにドイツのベルリンに向った。なぜロンドンではなくてベルリンだったのか。彼は、ロンドンでは物事の予想がつきやすく、刺激が不足していたというようなことを、のちに雑誌で述べている。

 当時のベルリンにはあの有名な“ベルリンの壁”がまだ存在しており、西側と東側を分断していた。経済的に豊かだった西ドイツとは逆に、東側のベルリンでは、ある意味、人々の不安と不満が支配していて、表向きのプロパガンダとは別に、同性愛やドラッグが密かに広がっていた。

 また、“シン・ホワイト・デューク”というキャラクターも、“極めてアーリア人的で、ファシスト的な人物”とも自分で評していたから、やはりアメリカ時代から次はベルリンという指標があったのだろう。

 デヴィッドとイギーは、ベルリンでも2人でつるんでは、飲んだり吸ったりしていたようだ。それでもアメリカ時代と違ったのは、生きる喜びや解放感に癒しを感じることができるようになったことだった。
 何しろ銃撃の音が聞こえ、毎年何人かは亡命に失敗し、命を落とす場所で彼らはレコーディングをしていたのである。

 1977年11月のニュー・ミュージカル・エキスプレスで、彼はこうインタビューに応えている。
 
“僕の場合、それなりにまともな作品を書くにはある種の特殊環境に自分を追い込む必要があるんだ。どこかの国とか状況に行くと、つねに感情面でも精神的にでも物理的にでも何であれ、危険水域まで行ってみないといけないという気持ちになる。
 だからベルリンに住んだら、僕みたいな人間からすれば、禁欲的なスパルタ式の生活スタイルに変えて、なるべくその街の持つ限界の中で暮らそうとするんだ”

 なるほど、こういう状況下で制作された3部作だったから、耽美的で幽玄な世界観を表現することができたのだろう。やっと3部作にたどり着いたようだが、それぞれのアルバムについてはこの次に述べてみたいと思う。この次の機会があればの話だが…

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2013年6月12日 (水)

ホール&オーツ(3)

 2ヶ月くらい前に、ゆうさんという方からオリジナル・アルバム・クラシックス・シリーズにホール&オーツのアルバムが追加されたという連絡をいただいた。
 チェックしてみると、確かにその通りで、前回の5枚のアルバム以外のアルバム5枚が1セットとして発売されていた。

 今年の2月のこのブログで、彼らの以前の5枚組について書いたのだが、下のリストを見ても分かるように、年代的にはなっているものの、途中のアルバムが抜けていた。今回のシリーズでは、その部分も入れて80年代後半までのアルバム編成になっている。

 〔前回のオリジナル・アルバム・クラシックス〕Halloates2_2
①サラ・スマイル(1975)
②ロックン・ソウル(1976)
③裏通りの魔女(1977)
④プライベート・アイズ(1981)
⑤H2O(1982)

 見て分かるように、1975年から77年までは発表順なのだが、それから急に1981年に飛んでいる。彼らのピークだった80年代初期のアルバムが収められているのはいいのだが、それに至る70年代後半のアルバムが欠けていた。

 今回のシリーズでは、その70年代後半と80年代後半のアルバム群が収められていて、前回のシリーズものとセットにすると、1975年から1988年まで、文字通り彼らの黄金期のアルバム・セット10枚組が完成するのだ。ちなみに今回のアルバムは以下の通りである。

 〔今回のオリジナル・アルバム・クラシックス〕Halloates
①赤い断層(1978)
②モダン・ポップ(1979)
③モダン・ヴォイス(1980)
④ビッグ・バム・ブーム(1984)
⑤ウー・イエー!(1988)

 簡単に各アルバムを紹介したいと思う。①には、ジョージ・ハリスンやトッド・ラングレン、ロバート・フリップやリック・ニールセンなどがゲスト参加していて、前半はソウル色が、後半ではロック色が濃い構成になっている。
 確かにギター・オリエンティッド・アルバムといっていいような感じだ。残念ながらこのアルバムからのビッグ・ヒットはなかったが、そんなことは気にならないほど、たとえば"It's A Laugh"などの佳曲が多いと思う。個人的には大好きなアルバムだ。

 ②当時流行していたディスコティックな音楽フィーリングが伺えるアルバム。"Portable Radio"、"Who Said the World Was Fair"などアップテンポでノリのよい曲は、その影響だろう。もちろん"Wait For Me"は全米18位とヒットしたし、あらためて彼らの素晴らしさを印象付けたアルバムでもあった。
 全体的に躍動感があるし、邦題通りのポップなアルバムだ。ちなみにボーナス・トラックも2曲追加されている。

 ③1980年に発表されたこのアルバムでは、初めて自分たち2人でプロデュースを行っていて、それが効を奏したのか、アルバム自体もミリオン・セラーを記録した。
 何しろこのアルバムからは4枚のシングル・ヒットが出ている。"How Does It Feel to Be Back"は全米30位、ライチャス・ブラザーズで有名な"You've Lost That Lovin' Feeling"は12位になっているし、"You Make My Dreams"は5位に、そして"Kiss On My List"は1977年"Rich Girl"以来の全米1位を獲得した。
 他にも1985年にポール・ヤングが歌ってNo.1になった"Everytime You Go Away"など、充実した曲で占められている。こんなアルバムが売れないはずがないのだ。

 ④このアルバムの前年にベスト・アルバムが発表されていて、一区切りをつけたあとのオリジナル・スタジオ・アルバムである。
 このアルバムから彼らの新機軸が感じられた。それまでの“ロックン・ソウル”から、“ダンス・ミュージック”に変容したような感じがするのだ。また、ギターの比重が少なくなり、キーボード中心になったような気もした。これは当時流行のサウンドだった。ある意味、彼らのオリジナリティが薄くなったようにも思える。ただ、このアルバムからも全米No.1ヒット・シングルになった"Out of Touch"が発表され、アルバム自体も全世界で300万枚以上売れた。

 ⑤前作より4年ぶりに発表されたアルバム。この間、彼らはニューヨークのアポロ劇場でのライヴ・アルバムやソロ・アルバムを発表している。そのせいか一時、解散説も流れたが、レコード会社をRCAからアリスタへと移籍して発表された。
 全体的には前作を踏襲したダンス・ミュージック風で、これもキーボードの比重が高い。個人的にはもう少しロック色を前面に押し出してほしかった。このアルバムからシングルのNo.1は出ておらず、"Everything Your Heart Desires"が全米3位になった。またバック・バンドを一新していて、個人的に好きだったギタリストのG・E・スミスがいなくなったのが寂しい。ちなみに"Realove"では、桑田佳祐がゲスト・ボーカルで参加している。

 全体的には決して悪い出来ではなく、今聞いても古臭さはあまり感じられず、むしろ水準以上の内容だと思う。ただそれまでのビッグ・ヒット・アルバムと比べれば、ソウル色は強いもののロック色が少なくなり、ダリル・ホールのソロ・アルバムと言われてもわからないほどだ。
 このあたりから彼らのピークは消えていったのだろう。あるいは、彼ら自身はどう思っているか分からないけれど、もう充分稼がせてもらったから、これからは自分たちの納得のいくアルバム作りに専念しようと思ったのかもしれない。

 このあと彼らのスタジオ・アルバムは、1990年代には2枚、2000年代には3枚と寡作になって、むしろライヴ活動の方が重視されていった気がする。
 
 それでこの合計10枚のアルバムを、発表された年代順に入れ替えて聞いている。やはり彼らの時代との対峙の仕方や音楽的変遷を知るには、この方法が一番手っ取り早く、簡単だと思うからだ。
①サラ・スマイル(1975)
②ロックン・ソウル(1976)
③裏通りの魔女(1977)
④赤い断層(1978)
⑤モダン・ポップ(1979)
⑥モダン・ヴォイス(1980)
⑦プライベート・アイズ(1981)
⑧H2O(1982)
⑨ビッグ・バム・ブーム(1984)
⑩ウー・イエー!(1988)

 最初から年代順に5枚ずつ収めたセットになれば、やはり後半の5枚セットの方が売れて、片寄りが生じると販売促進責任者は思ったのかもしれない。こういうふうに黄金期を上手に2つに分割して販売すれば、両方とも売れるといういいお手本を示すかたちになった。
 はたして他のアーティストのアルバムも、今後こういう販売方法をとるのか、ある意味、ファン泣かせのシリーズでもあると思う。

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2013年6月 9日 (日)

オブリビオン

 “オブリビオン”という英語は、“忘却”という意味らしい。確かにトム・クルーズ演じる主人公のジャック・ハーパーは大切なことを忘却していたようだ。

 あまり詳しく書くと、ネタがばれてしまうので詳細は省くが、異星人から攻撃された後の地球に残された人類最後の男の物語である。Photo_2

 どうでもいい話だが、あるクイズ本にこういう問題があった。“核戦争後の地球に、たった一人だけ人類最後の男が生き残った。その男の家で、ある夜ノックをする音が聞こえてきた。これは一体どういうことなのか。宇宙人かそれとも亡霊なのか”

 答えは、“人類最後の男は一人だけだが、女はいた。つまりノックは女性がしたのだ”という人を食ったものだった。

 ちなみにこの映画でも、人類最後の男性ジャックと、そのパートナーである最後の女性が登場している。自分はそれを見たときに、上記のようなクイズを思い出した。確か多湖輝の「頭の体操」シリーズの中にあったと思う。このクイズ問題は“忘却”していなかったようだ。

 それで映画の話に戻るけど、その一人しかいないと思われた女性以外に、もう一人の女性が空から降ってきたのである。彼女は、60年前に地球を飛び立った宇宙船の乗員だった。その女性を救助するところから、一気にストーリーがあわただしくなっていく。3

 そのヒロインは“007シリーズ”にも出演したウクライナ出身のオルガ・キュリレンコという人だった。主人公のパートナーはアンドレア・ライズボローというイギリス人女優で、知的でセクシーさも兼ね備えている(ように見えた)。自分はその乗船員のヒロインよりも、ジャックのパートナーだった女性アンドレアの方が気に入った。ちなみにアンドレアは31歳。彼女の方がオルガよりも2歳若い。

 いろんな映画評を読んでもわかるように、この映画は過去の映画作品へのオマージュとしても楽しめるようで、例えば“地球最後の男”といえば、「アイ・アム・レジェンド」を思い出すし、“過去を忘れた男”といえば、シュワルツネガー主演の「トータル・リコール」だろう。

 また“妻を思い出す男”はショーン・コネリー主演の「未来惑星ザルドス」を髣髴させるし、“反乱軍に加担する男”といえば「スター・ウォーズ」だろう。

 確かに主人公と敵対するエイリアンのスカヴの最初の登場の仕方は「スター・ウォーズ」のタトゥイーンに住むジャワ族に見えるし、スカヴを攻撃するドローンは帝国軍の攻撃機にも見えてくる。また、地上1000mにあるスカイタワーは、「帝国の逆襲」のクラウド・シティだろう。それ以外にも、荒廃した地球のシーンは「猿の惑星」のパクリだったし、探せばまだ他にもあるに違いない。

 そういう意味では、この映画は何回も見て楽しむべきものかもしれない。最初はストーリー展開を楽しみ、2回目以降はそういう過去の映画との対比を楽しめばいいだろう。

 それでロック・ミュージック的には、この映画の中で2曲、有名な?曲が使用されていた。1曲はレッド・ゼッペリンの"Ramble On"で、もう1曲はプロコル・ハルムの"A Whiter Shade of Pale"だ。
 前者は1969年の彼らのセカンド・アルバムに収められていた曲で、後者は1967年に発表されたもの。いずれも60年代の曲というのが興味深い。

 プロコル・ハルムの曲は、今でも日本のCMで使われているくらい有名なもので、この曲が使用されるのは理解できるけれど、"Ramble On"がなぜ使われたのかわからない。

 2007年のO2アリーナでのライヴがDVD化されたからか。それまでこの曲のフル・バージョンがライヴで演奏されたことはなかったからだ。
 
 唯一考えられるのは、この曲の歌詞はトールキンの「指輪物語」に影響されているということだろうか。作品中でのこの曲は、主人公ジャックの心が唯一休める場所、湖畔のうらぶれた小屋でリラックスするところで使用されていたが、ジャックがファンタジーの世界に没頭していると考えれば、何となく理解はできた。2

 全体的にこの映画は、約2時間という時を忘れるくらい面白かったし、最近の劇場の音響効果の素晴らしさも体験できるほど、迫力もあった。それにどこまでが実写で、どこまでがCGなのか、最近の映画は本当にわからないということを痛感した。実写は主にアイスランドで撮影されたという話を聞いたが、本当に不思議な光景だった。

 またその日はメンズ・デーだったので、1000円というロー・コストで観れたことが何よりも一番よかった。相変わらず貧乏性だけは忘れようとしても忘れられないようだ。

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2013年6月 7日 (金)

ベーブ・ルース

 今回も“ハーヴェスト名盤復刻シリーズ”から引用させてもらう。はっきり言ってこのシリーズ、“名盤”というよりも“迷盤”の方が多いように思うのだが、それがこのシリーズのウリなのだろう。

 このハーヴェスト・レーベルの当初の方針は商業主義よりも芸術主義を重視するものだったから、売れる売れないは二の次だった。だからというわけでもないのだろうが、歴史的な名盤よりは、ユニークで個性的なアルバムの方が多く残されているようだ。

 それで今回はベーブ・ルースの登場だ。ベーブ・ルースといってもアメリカ人の野球選手ではない。れっきとしたイギリスのバンドなのである。
 中心人物はギター担当のアラン・シャックロックとベース担当のデイヴ・ヘウィット、ドラムス担当のディック・パウエルだった。

 彼らは、ザ・サンダーバーズやシャックロックと名前を変えて活動していたが、それにアメリカ帰りの女性ボーカルのジェニー・ハーンが加わってベーブ・ルースとしてスタートした。
 ベーブ・ルースという名前はジェニーが提案したもので、スライ・ストーンの妹のバンド、リトル・シスターで活動していたジェニーが、アメリカで有名だった人の名前をバンドに命名したのだ。ひょっとしたらアメリカでも売れるようにという願いが、こもっていたのかも知れない。

 彼らは1972年にアルバム「ファースト・ベイス」でデビューしている。このアルバムのジャケット・デザインは、イエスのアルバム・ジャケットで有名なあのロジャー・ディーンが手がけていて、その方面でも有名になった。Babe1
 肝心の音の方だが、イマイチ方向性がつかめない。1曲目の"Wells Fargo"でのギター・ソロはハード・ロックだが、後半はサックスがフィーチャーされてファンク・ミュージックに変容している。それにジェニーの声は女性ボーカルというよりも甲高い男性の声のようだ。最初聞いたときは分からず、ずっと男性だと思っていた。

 2曲目の"The Runaways"はストリングスがバックで盛り上げ役に徹するバラードで、確かにいい曲ではあるが、フランク・ザッパの1969年の曲"King Kong"とマッチしない。さらには続いてジェシ・ウィンチェスターの"Black Dog"のカバーも収められているし、映画「夕陽のガンマン」のテーマをギター・ソロで披露してしまうという"The Mexican"という曲もある。こうなるとバンドがどこに向かおうとしているのかまるでわからない。

 それぞれの曲だけを聞けば、水準以上、いやむしろ"Wells Fargo"、"The Runaways"などは忘れ難い印象を残してくれるのだが、アルバム全体をみると、普通というより平均以下に思えてくるのである。

 ただ共通しているのは、アランのギター演奏だろう。どの曲にも必ず聞かせ所が用意されていて、この演奏のお陰でアルバムとしての統一感が保たれている。逆に言えば、彼がいなければアルバムも、バンド自体も崩れ去ってしまっただろう。

 2年後、セカンド・アルバムを発表した。「Amar Caballero」という、たぶんスペイン語のタイトルだった。こんどのアルバム・ジャケットはヒプノシスが担当している。ロジャー・ディーンといい、ヒプノシスといい、アートワークは一級品である。この馬のジャケットなんかは来年用の年賀状に使えそうだ。Babe2
 前作が彼らの雑多性を象徴しているとすれば、このアルバムはそれからややプログレッシヴ・ロックの方向にシフトしているようだ。今回はアランのギターとともに、ストリングスやキーボードもやや多めに使用されている。
 ただこのストリングスも使い方を誤ると甘ったるいバラードになってしまうので、要注意だが、彼らはストリングスを基本としながらもサックスやトランペットも用意していたので、一本調子にはならなかった。ただそんなにストリングスが要るのかという疑問は残ったのだが…

 "Lady"、"Broken Cloud"など静かな曲で滑り出し、"Gimme Some Leg"ではストリングスの代わりに珍しくコンガが使用されて、ややハードな展開になる。
 このアルバムは全体的に静寂な趣に包まれていて、起伏に乏しいというマイナス面があるが、5曲目の"Cool Jerk"と7曲目の"Doctor Love"は、クール&ザ・ギャングのようなファンク・ミュージックである。この辺の感覚がよくわからない。曲が不足したから、しかたなくこういう曲を入れたわけでもないだろうに、全体としてこの2曲だけ浮いている。

 "We Are Holding On"はアランのアコースティック・ギターにストリングスが絡み合うインストゥルメンタルで、アルバム・タイトルの"Amar Caballero"は10分近い3部作になっている。

 この3部作、タイトルがスペイン語だけあってか、中盤はまるでサンタナのようなラテン・ミュージックに仕上げられている。特に3分過ぎから6分過ぎまでのスペイン劇場はなかなかエネルギッシュだ。ただ、リズム陣の腰がちょっと弱くて、もう少し粘っこいと本家サンタナにも負けないものになったと思う。

 このアルバムも中途半端の感が否めない。ストリングスが使用されたプログレッシヴな要素とファンク・ミュージック、ラテン音楽が雑然としているし、それぞれの曲にも魅力がない。この手の音楽が好きな人ならいいが、そういう人はあまりいないだろう。

 翌年彼らは3枚目のアルバム「ベーブ・ルース」を発表した。1曲目の"Dancer"を聞く限りでは、なかなか良いと思う。ミディアム調のハード・ロックであり、ギターとキーボードのバランスも素晴らしい。次の曲"Somebody's Nobody"もボーカルとバックの演奏がうまく調和している。Babe3
 ただ相変わらずマカロニ・ウェスタン好きは変わらないようで、"A Fistful of Dollars"は「荒野の用心棒」のカバー曲。それをハード・ロックに仕上げている点が面白い。たぶんアランの趣味だろう。

 このアルバムでお勧めなのは"Jack O'Lantern"だろう。これはシングル・カットされてもおかしくない曲で、まさにホームラン級の名曲だと思っている。またシュプリームスやスペンサー・デイヴィス・グループもカバーした"Private Number"も素晴らしい。これは原曲がいいからだろう。これらのような曲が他にももう2,3曲くらいあれば、このアルバムはきっと大ヒットしたに違いない。

 このアルバムは前作や前々作のようなバラツキが見られず、ハード・ロックで統一されている点が良い。アルバムの帯にはこう書かれている。“ストレートなハード・ロック・バンドへと見事に変身したサード・アルバム!演奏・楽曲ともに最も完成度が高く、ベーブ・ルースの最高作と称される超名盤!”

 “超名盤”は言いすぎだが、確かに3枚のアルバムの中では一番出来が良いだろう。もしあなたがベーブ・ルースの中で一枚だけ聞きたいと思うのなら、迷わずこの3枚目をお勧めする。いい印象を持っていてほしいからだ。

 バンドはこのあと、ギタリストのアランが脱退し、のちにホワイトスネイクで活躍したバーニー・マースデンが加入するのだが、その頃はもう引退に近づいていたベーブ・ルースだった。
 彼らは1976年に解散したが、2007年にはセカンド・アルバムのメンバーでダウンロード用のアルバムを発表している。

 彼らはプログレッシヴ・ロックのフィールドで語られることもあるのだが、自分としてはあくまでもハード・ロック・バンドだと思っている。でも彼ら自身では、ファンクやソウル・ミュージックもレパートリーにあるロック・バンドだと思っていただろう。たぶんアメリカで売れることを願って、バンド名を設定し、音楽的趣向もシフトしていったのだろう。

 そういう認識の乖離が彼らをマイナーなB級バンドのままにしてしまったに違いない。器用貧乏と呼ぶにふさわしいバンドではないだろうか。

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2013年6月 2日 (日)

エドガー・ブロートン・バンド

 この春、“ハーヴェスト名盤復刻シリーズ”と銘打たれた一連のアルバム群が発売された。全30タイトルで、ケヴィン・エアーズやエレクトリック・ライト・オーケストラという名前の知られたミュージシャン、バンドから、シャーリー&ドリー・コリンズ、パナマ・リミティッド・ジャグ・バンドといった無名に近いアシッド・フォークや無国籍サウンドを有するものまで、当時の混沌とした音楽状況を反映した内容になっている。

 しかも価格が1200円という驚きのもので、もちろん完全限定品だったから、興味を持ったアルバムは即行で購入してしまった。7枚くらいは買っただろうか。そしてその中にはかねてより名前は知っていたけれども、その音には接していなかったバンドのアルバムもあった。それがエドガー・ブロートン・バンドの2枚のアルバム、「ワサワサ」と「エドガー・ブロートン・バンド」だったのである。

 彼らのデビュー・アルバム「ワサワサ」は1969年に発表されている。バンド名の通り、兄のエドガーと弟のスティーヴによるブロートン兄弟で結成されていて、兄はギター&ボーカル、弟はドラムスを担当していた。

 元々はエドガー・ブロートン・ブルーズ・バンドと名乗っていたようだが、当時のニュー・ロックの流れを反映したのか、やがてサイケデリックな彩りを備えたハードなロックを基調とするようになった。
 同時に彼らは、アメリカのキャプテン・ビーフハートやフランク・ザッパにも影響を受けているようで、ときにフリーキーなサウンドの片鱗も見せてくれるところが面白い。

 とにかくサウンドはヘヴィで、ダークである。60年代から70年代へと移行する時代の雰囲気というか、混沌として世紀末的な風潮を反映しているようだ。個人的には結構好きなサウンドで、ブラック・サバスより暗くて重い、ほとんどコマーシャリズムの欠片もない混沌としたサウンドスコープが繰り広げられている。

 ボーカルの声質は押しつぶされたミック・ジャガーか、もしくは飲みすぎでフラフラのトム・ウェイツといった感じだ。唯一ポップさというか、明るさが伺えるのが2曲目の"American Boy Soldier"で、バックの“ララララ”というコーラスがこちら側につなぎ止めてくれているようだ。当時のベトナム戦争に言及した政治的な内容の歌のようで、爆弾が破裂するSEも取り入れられている。

 それ以外の7曲はいずれも濃くて、ヘヴィである。ギターの音にもファズやワウワウなどのエフェクトを多用していて、アンダーグラウンドの香りがプンプンしてくる。ただ演奏自体はしっかりしているので、途中でダレることはない。その辺はライヴなどで鍛えられたのだろう。2

 6分を越える"Death of an Electric Citizen"やブライアン・フェリーがラリっているようにも聞こえる"Why Can't Somebody Love Me"、ハード・ロックとしても楽しく聞ける"Love in the Rain"など、かなり聞き所は多い。最後の曲"Dawn Crept Away"は13分以上もあって、早く終わってほしいと感じたりもした。ただ割と起承転結がはっきりとしていて、終りが近くなるにつれて演劇的な要素が濃くなり、彼らにとっては力作だったと思われる。

 彼らは当時からライブ活動を重視していて、特にイギリス国内やヨーロッパでは異常な人気を博していたという。ドイツでは彼らの影響を受けなかったバンドはいないと言ってよく、70年代当初のジャーマン・ロック・バンドのほとんどはエドガー・ブロートン・バンドの影響下にあったといわれている。

 順序が逆になったが、彼らは当時のピンク・フロイドが所属していたブラックヒル・エンタープライズと契約を交わしたところから、ハーヴェスト・レコードからアルバムを発表するようになった。当時のピンク・フロイドは人気上昇中であったことも手伝って、所属していた彼らの宣伝にも力が入っていて、デビュー・アルバムは売れなかったけれども、ライヴ演奏の定評さで名前は売れていったようである。

 ところが2枚目以降、彼らの音楽性は一変してしまう。自分としてはデビュー・アルバムの方針を貫いてほしかったのだが、残念ながら彼らは商業性をアピールし始めたのである。

 これは彼らだけの責任ではなく、レコード会社の方針でもあったのだろう。確かに実験性の濃い、アンダーグラウンドの音楽では、やっているミュージシャンの方はいいとしても、会社としては営業利益も上がらず経営の危機に瀕してしまうだろう。しかもそんな音楽ばかりが30枚以上もカタログとして在ったとしても、宝の持ち腐れどころか、負債のマル抱えになってしまう。

 いくら担当者が熱心でも、上の方の方針が変われば、ミュージシャン側も廃業するのがいやならば、その方針に従わざるをえないだろう。当時はプログレやハード・ロックは売れると思われていたから、実験性重視のハーヴェスト・レコードも方向転換せざるをえなかったと思われる。

 それで1971年に発表されたエドガー・ブロートン・バンドの3枚目のアルバムは、デビュー・アルバムと比較すればものすごく聞きやすいアルバムに転換してしまった。むしろ逆にそのアルバム・ジャケットの奇抜さの方に目を奪われてしまい、彼らの音楽を真っ当に評価することが難しくなった面もあった。

 このジャケット・デザインは、英国の天才アート集団、ヒプノシスが担当していて、食肉貯蔵庫の中に人体がぶら下がっている気色の悪さで一世を風靡してしまった。
これを担当したストーム・トーガソンいわく、これは“流れ作業の非人間化を象徴するマルクス主義的側面”を表現したらしいのだが、別にそんなことはどうでもよくて、一瞬で気持ちが悪くなってしまう。CDサイズでもこうなのだから、これが30cmサイズのLPレコードだったら、もっと気分が悪くなっただろう。

 音楽的にはとにかく普通になってしまった。ストリングスや女性コーラスを一部使用した"Evening Over Rooftops"から始まり、ハーモニカがフィーチャーされたブルーズ・ロックの"The Birth"、アコースティック・ギターとフィドル、多声のコーラスがアメリカの南部サウンドを想起させる"Piece of My Own"と、バラエティ豊かで多種多様な音楽性に彩られている。Photo

 これを音楽的進歩といえるかどうかは、リスナーの判断に任せるしかないだろう。とにかく霧が晴れた感じで、聞きやすいことは聞きやすい。"House of Turnabout"などはシングル・カットされてもいいような曲である。ちなみに弟のスティーヴが歌う"Thinking of You"でのマンドリンはマイク・オールドフィールドが弾いていて、そのお返しか、マイクの「チューブラー・ベルズ」にはスティーヴが参加している。

 唯一、最後の曲"For Dr. Spock(Part1/Part2)"では実験性のある音楽を演奏しているが、バックにはセンチメンタルなストリングスが流れているので、やはりデビュー時を知る人には、物足りないだろう。

 彼らは1976年には一旦解散するのだが、1979年にはブロートン兄弟によるザ・ブロートンズを結成し、1989年にはエドガー・ブロートン・バンドを再結成した。しかし2010年には再び解散してしまい、現在では65歳のエドガー・ブロートンのソロ・プロジェクトになってしまったようだ。

 ともかく、初期のフランク・ザッパやブラック・サバスあたりが好きな人なら「ワサワサ」がお勧めである。聞きやすい彼らを望むならセカンドかサードだろう。聞き手を選ぶアルバムを発表したバンド、それがエドガー・ブロートン・バンドだった。しかし彼らの本心は、間違いなくデビュー・アルバムに封じ込められていると思っている。

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