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2013年7月

2013年7月27日 (土)

グー・グー・ドールズ

 自分の中では、グー・グー・ドールズというアメリカン・バンドはボン・ジョヴィに匹敵するくらいの重きをなすバンドなのだが、今年で結成27年にもなるということを知ってビックリしてしまった。そんなに長く活動してしていたとは知らなかった。 

 というか、彼ら自身21世紀になってからベスト・アルバムは3枚も出してはいるものの、オリジナル盤は3枚と少なくて、自分はしばらく彼らから離れていたからだった。

 
 
  彼らがデビューしたのは、1987年だ。その頃はまだマイナー・レーベルに所属していて、しかもそのレーベルは主にヘヴィ・メタル・バンドを擁していた。そのせいかどうか、彼らの初期の音楽性はへヴィ・メタとパンクが合体したような音楽だった。

 
  一般的にいって、ヘヴィ・メタルには様式美や構築美が求められることが多くて、だから演奏能力には一定水準以上の技術が求められる。逆にパンクでは、演奏技術よりもそのスピリットやメンタルの部分が求められるようだ。

 
  グー・グー・ドールズ(以下GGDと略す)は、ギター、ベース、ドラムスの3ピース・バンドで、その演奏能力にはデビュー当時から定評があったようで、“アメリカでもっとも有名な無名バンド”と呼ばれていた。歌や演奏はうまくてもヒット曲がなかったからだろう。

 そんな彼らが一気にメジャーになったのは、1995年にシングル"Name"が全米5位になり、アルバム「ボーイ・ネイムド・グー」もダブル・プラチナを記録したときからだった。Photo このアルバムでは、ギターのジョン・レズニックとベースのロビー・テイキャックがそれぞれリード・ボーカルを取っていて、曲もメロディアスで疾走感がある。ジョンのギターはライヴで鍛えられたせいか、かなりのテクニシャンのようだ。
「アメリカではツアーをやっていないとダメなんだ。忘れられてしまうんだよ」とは、ロビーの弁であるが、彼らはマイナー時代では、年間300本以上のライヴをこなしていたようだ。その時の努力がこのアルバムで結実している。

 この「ボーイ・ネイムド・グー」が助走とすれば、さらに彼らの人気を決定づけたのが、1998年に発表された「ディジー・アップ・ザ・ガール」だった。アルバム自体は最高位が全米15位だったが、トリプル・プラチナ・アルバムになりグラミー賞にもノミネートされた。
 また、このアルバムから5曲のシングル・ヒットが生まれ、そのうちの"Iris"が全米No.1を記録している。(HOT100では9位)

 このアルバムの曲は、前作よりもかなり練りこまれて作られたようで、前作ではパワーで押し切ったような曲も目立ったが、このアルバムではハードな曲にもストリングスを用いて広がりを与えたり、静かな曲ではアコースティックな楽器を用いて、巧みな曲つくりを行っている。
 特にシングル"Iris"では、アコースティック・ギターの導入からマンドリン、ストリングスが使用され、盛りあがったところでジョンのギターがフィーチャーされるというまさに典型的な曲つくりがなされていて、以前よりも作曲能力の向上や曲つくりとアレンジの上手さが光っている。

 まさに捨て曲なしのアルバムだろう。メロディはポップながら、アレンジにはハードなエッジが施されていて、まさにニュー・タイプのハード・ロック・バンドという感じがした。自分がGGDをボン・ジョヴィと比較してしまうのも、そういう点からきているのだろう。Photo_2
 また彼らは映画のサウンドトラックにも曲を提供していて、「ボーイ・ネイムド・グー」からは、"Long Way Down"が1996年の竜巻映画「ツイスター」に、"Ain't That Unusual"が1995年のコメディ「アンガス」に使用されているし、当時の新曲だった"Lazy Eye"は1997年の「バットマン&ロビン」に提供されている。
 最近では“トランスフォーマー・シリーズ”に楽曲を提供していて、彼らの曲は視覚化しやすいというか、映像と結びつけやすいのだろう。

 先の"Iris"も1998年のニコラス・ケイジとメグ・ライアンのロマンス映画「シティ・オブ・エンジェルズ」に使用されていて、そのせいでもないだろうが映画のサウンドトラック盤自体もビルボードのアルバム・チャートで18週1位というサウンドトラック盤としては珍しい大記録を残した。

 その後の彼らのアルバムは、常にチャートの10位以内に入るという好調さを維持していたが、ジョンの離婚やアルコール依存症などのパーソナルな問題があったせいか、チャートの成績は良くても商業的には90年代には及ばなかった。

 そんな彼らが、デビュー以来10枚目のオリジナル・アルバムを発表した。それが「マグネティック」で、タイトル通り聞く人を引き付ける磁力を持った楽曲に満ちている。
 冒頭の"Rebel Beat"はシングル・カットされていて、サビの部分はまるでグリーン・デイの曲のように歌いやすい。

 この聞きやすさ、歌いやすさというのは、このアルバムのモットーみたいで、2曲目の"When The World Breaks Your Heart"や続く"Slow It Down"など、どの曲がシングル・カットされてもおかしくないほどのクォリティの高さを誇っている。

 個人的に気に入ったのは"Bulletproof Angel"で、この曲は第2の"Iris"といっていいほどの哀愁さと曲の深みを備えている。美しいバラード曲とはこういうのを指すのだろう。
 とにかくスピーディな曲もスローな曲もどれもいい。彼らは、まさに大陸的な広大な広がりをもった曲を堂々と演奏するロック・バンドに成長したようだ。Photo_3 ところで彼らの名前は、雑誌のおもちゃの広告からとられたという。どんなおもちゃなのかわからないが、まさかここまで世界的に名前が知られるまでになるとは彼ら自身も思ってもみなかっただろう。
 GGDは、全世界で通算1000万枚以上のセールスを持つビッグ・バンドだ。最新アルバムでは、新たな地平を切り開く彼らの意気込みが伝わってきそうで、今後の彼らの活動に期待大である。

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2013年7月22日 (月)

オールド・ソック

 いまのクラプトンは、昔のクラプトンとは別人だ。ブルーズの求道者ではなくて、ギターの上手なシンガーである。だいたいギタリストであれ、シンガーであれ、ブルーズをやっている人は満たされてはいけない。幸せになってはいけないのだ。

 なぜなら幸せになったミュージシャンのブルーズには、人を感化させるエネルギーが不足しているからだ。それはもはやブルーズではない。気持ちのよいロック・ミュージックか、はやりのポップ・ミュージックに他ならない。

 ブルーズがどこから生まれてきたのかを考えれば、よく分かると思う。昔々アメリカでは、黒人として生まれてきたものは、その生涯を通して黒人として生きていかなければならなかった。生まれた時点ですでにマイノリティの存在であり、白人たちとの差異が生じていて、彼らはそれを文字通り肌を通して、感じ、悩み、苦しみながら受け止め、生きていった。

 白人のブルーズメンは、いかにして黒人のブルーズに肉薄し、それを超克していくかを考えていただろう。でもそれは言葉で言うほど簡単ではなく、安全地帯に立っていながら戦場を眺め見ているようなもので、黒人ミュージシャンから見れば、単なる子どもだましに過ぎないと思ったことだろう。

 だからこそ逆に白人ブルーズメンたちは、立場の違いを承知の上で、それでも本物のブルーズに迫ろうとした。そこには常人では考えられないような執念やエネルギーが生まれ、シンガーなら本物よりもよりソウルフルに歌おうと工夫し、ギタリストなら技術を磨き、雰囲気が伝わるように、黒人よりもより黒人らしく演奏しようとしたに違いない。

 自分の中にある“ブルーズ”をどのように表現して、他者に伝えていくのかという命題を携えて、彼らはより求道の道を歩んで行った。だからこそ、その姿勢や表現方法が多くのリスナーをひきつけ、感動を与えることができたのである。

 自分の中の定義では、“Blues is Pain”なのだ。つまりブルーズは“痛み”なのである。この“痛み”があるからこそ、それを現実の生活の中で見つめ、対象化し、落差が生じて、それが言葉となり、音楽として結実する。その落差や差異が大きければ大きいほど、痛みが肥大化して、より大きなパワーを発揮するのだと思っている。

 逆にいえば、“痛み”が少ないとパワーが減少してしまい、他の音楽との違いがなくなってしまう。自分の独断と偏見では、AORやMORなどは、確かに優れたものもあるが、その最たるものだと思っている。どれも同じように聞こえてくるからだ。
 固有名詞を出して申し訳ないが、デュアン・オールマンと一緒にやっていた当時のボズ・スキャッグスは信用できても、シルク・ディグリーズ以降のボズは信用できないのと同じようなものだ。

 それで今年の春に発表されたクラプトンの新作「オールド・ソック」を聞いてみた。結論からいうならば、そこにあるのは趣味の世界に耽溺するクラプトンの姿だった。Photo
 全12曲で、レゲエ系、スタンダード系、ロック系に分かれている。基本的には彼の幼少の頃やミュージシャンになってから聞いていた曲やフェイヴァレットなミュージシャンの曲を中心にセレクトして録音したもので、それに新曲が2曲プラスされている。

 1曲目"Further on Down the Road"はタージ・マハールとジェシ・エド・デイヴィスの1969年の曲で、タージ・マハール本人もハーモニカとバンジョーで参加している。
 次の"Angel"はJ.J.ケイルの1981年の曲。J.J.ケイルとは「ザ・ロード・トゥ・エスコンディード」制作後に仲違いしたというニュースが伝わってきたのだが、そうでもないらしい。この曲でもボーカル&ギターで参加している。

 3曲目の"The Folks Who Live on the Hill"はクラプトンが幼少の頃に聞いていた曲だろう。1937年のミュージカル映画に挿入されていた曲らしく、クラプトンの弾くアコースティック・ギターが印象的だ。
 新曲2曲はいずれもクラプトンの手によるものではなく、ドイル・ブラムホールⅡとジャスティン・スタンレー、ニッカ・コスタ3人で作詞作曲されている。そのうちの1曲"Gotta Get Over"は80年代の曲"Forever Man"のようにポップで、ギター・ソロが目立つ曲だ。ゲストでチャカ・カーンがハモっている。

 "Till Your Well Runs Dry"は1975年のピーター・トッシュの曲で、もちろん途中からはレゲエのリズムになる。この曲も聞きやすいし、ボーカリストとしてのクラプトンも歌いやすそうだ。
 サー・ポール・マッカートニーが参加しているのが"All of Me"で、1931年に書かれたジャズのスタンダードらしい。これもクラプトンが子どもの頃に聞いていたのだろう。ポールは珍しくアップライト・ベースを弾いている。ポールの2012年のアルバム「キス・オン・ザ・ボトム」でクラプトンがゲスト参加したので、そのお返しだろう。

 "Born to Lose"はカナダのシンガー・ソングライターであるハンク・スノウの1957年の曲。彼はカントリー・ミュージシャンだったので、ここでも完全にカントリー・ソングになっている。リラックスしたクラプトンの姿が目に浮かぶようだ。クラプトンはドブロ・ギターでリードのパートを弾いている。

 そしてこのアルバムの中でも1,2の聞きものになっているのが、8曲目の"Still Got the Blues"だろう。1990年のゲイリー・ムーアのオリジナルで、少しゆったりとジャージィーに演奏している。ハモンド・オルガンはスティーヴ・ウィンウッドだ。
 間奏やエンディングのリード・ギターの演奏は、さすがクラプトンともいうべきもので、ファンならば、もっとこういう曲をたくさん聞きたかっただろう。

 ゲイリー・ムーア自身もクラプトンに憧れて、ブルーズを追求したギタリストだった。残念ながら2011年にアルコール中毒で亡くなったが、自作曲が尊敬するミュージシャンに取り上げられて、さぞかし彼も満足しているに違いない。

 "Goodnight Irene"は1933年のブルーズで、レッドベリーという人の曲らしい。ここは12弦のアコースティック・ギターやフィドルなどが使用されていて、カントリー・ブルーズに仕上げられている。
 10曲目の"Your One And Only Man"はオーティス・レディングの1965年のオリジナル。ここではレゲエ調にアレンジされていて、今のクラプトンにはこういう曲がしっくりくるのだろう。彼のギターよりもハーモニカの方が強調されて、彼はボーカルに集中している。

 もう1つの新曲が"Every Little Thing"で、もちろんビートルズの歌ではない。クラプトンの周りの優秀なブレインたちが、彼のボーカルが一番引き立つためにはどういう曲が一番合うのかを考えて、作ったような曲だ。この曲もまた途中からレゲエ調になるし、間奏にはギター・ソロも挿入されている。
 また彼の3人の娘たちのボーカルを最後の部分で聞くことができるが、昔のクラプトンなら100%考えられないことだ。現在の彼の幸せな境遇をうかがい知ることができるエピソードでもある。かつてのブルーズ・マンが幸せになると、こうなってしまうというお手本ともいえるかもしれない。

 最後の曲はジョージ・カーシュウィン作曲の"Our Love is Here to Stay"。1938年の映画の主題歌でもある。以前クラプトンは、"Over the Rainbow"をライヴで歌っていたが、この曲もそんな感じの曲になりそうだ。ボーカリスト、クラプトンを印象付ける曲でもある。

 自分はこのアルバムについて文句を言うつもりも、ケチをつけるつもりもない。現在のクラプトンが彼の心情や思いを素直に反映させてレコーディングしたアルバムである。
 悪い曲は1曲もないし、68歳になったミュージシャンにしては素晴らしいアルバムだと思う。それに楽曲もバラエティに富んでいて、リスナーを飽きさせることはないし、時おり見せるギター・テクニックも当然ながら素晴らしい。

 ただ昔の彼を知る人にとっては、その変化に少し驚くのかもしれない。もう少し弾いて欲しいと思う人もいるかもしれないが、それは今の彼にとっては合わないのだろう。

 逆にいえば、彼が本当のブルーズ・マンだから、昔のようには弾けないのかもしれない。それはいまの彼にとっては幸せな状況を反映しているからで、それをファンの都合で勝手に考えても彼には迷惑というものだろう。

 ちなみにこのアルバムは、イギリスで11位、アメリカでは7位を記録した。アルバム・ジャケットの写真は、カリブ海にあるアンティグアで撮影されたもので、彼自身のiPhoneでの自画撮りだ。このアルバムを象徴するかのようなポートレイトである。

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2013年7月17日 (水)

ブッチ・ウォーカー

 最近のブログで取り上げた2枚のアルバム、フォール・アウト・ボーイの「セイヴ・ロック・アンド・ロール」とパニック!・アット・ザ・ディスコの「悪徳と美徳」のプロデュースには共通のミュージシャンが関わっていた。

 そのミュージシャンが、アメリカはジョージア州生まれのブッチ・ウォーカーである。彼は今ではプロデューサーの方で有名になってしまったが、元々はシンガー・ソングライターだった。

 ブッチ・ウォーカーは今年で43歳になる。決して若くはないのだが、自分としては未来有望な若手のミュージシャンの一人だと思っていた。
 
 自分が彼のことを知ったのは、2002年に発表された彼の1stソロ・アルバムをラジオで聞いたときだった。もちろん全曲は聞けなくて、アルバムの中の2曲くらいだったが、いずれもパワー・ポップ全開の弾けた楽曲だった。

 それでさっそくショップでそのCDを購入して聞いたのだが、確かに疾走感のあるリズムに聞きやすいメロディが乗っかっていて、しばらくは車で運転するときのBGMとしても使用していた。久しぶりに聞きながらこれを書いているのだが、10年以上たったいま聞いても、そんなに古く臭くはない。歴史的な名盤ではないが、好盤には間違いないだろう。Photo_2
 彼はシンガー・ソングライターと書いたが、基本的にはマルチ・ミュージシャンで、このアルバムでもドラムスやチェロ以外は、基本的にすべて自分で演奏している。またアレンジやプロデュースも自分で行っているので、ほとんど彼一人で作り上げたようなものだ。

 彼のソロ・デビューは33歳のときで、その前はサウスギャングやマーベラス3というバンドの中心者として活躍していた。
 面白いのは、サウスギャングはヘヴィメタル・バンドで、そこで彼はギターをガンガン弾いていたという。このバンドは1990年代初期に、当時はまだロックが珍しかった中国でライヴ活動を行っている。

 マーベラス3時代では、1998年に"Freak of the Week"というシングル曲が全米5位を獲得して、彼らの名前は一気に全米に知れ渡ったのだが、その後の曲は売れず、また年間250回以上もライヴ活動を行うことに疲れたのか、バンドは2001年に解散してしまった。

 彼が自分で言うには、AC/DCやモトリー・クルー、キッスなどのハード・ロックから、イギリスのニュー・ウェーヴ・バンド、ザ・キュアー、ディペッシュ・モードまで、幅広く影響を受けていて、ハードからソフトまで、硬軟取り混ぜて音楽が好みらしい。
 さらに音楽は楽しむものと割り切っているようで、エンターテインメントの要素が強いステージを行うことでも有名だ。

 1stアルバムでも日本盤ボーナス・トラックとして、ライヴでのクイーン・メドレーが収められていた。これは当時のアトランタ公演でのライヴを収録したもので、"Under Pressure~Bohemian Rhapsody"を観客と上手く掛け合いをしながら歌っている。自分も一緒になって歌いたくなるような、そんな盛り上がった雰囲気が伝わってくる。また何よりも張りのあるボーカルは、聞き続けているとフレディに思えてくるから不思議だ。

 これ以外にも、このアルバムにはいい曲が多くて、"Suburbia"はグリーン・デイのような元気のある曲、"Sober"はアコースティック・ギターのイントロから一気に盛り上がっていくという定番パターンだが、サビのメロディが哀愁をそそる。
 また、"Far Away From Close"にはシングル・カットされてもおかしくないメロディがあるし、チェロの響きが印象的な"If (Jeannie's Song)"も映画のサウンドトラックに使われてもおかしくない曲だと思う。

 このアルバムはアリスタから発売されたのだが、次のアルバム「レターズ」はエピック・レコードから2004年に発表された。レコード会社を移籍して、いよいよ全米ブレイクを果たそうとしたようだ。ソロ・デビュー・アルバムは全米チャートには入らなかったが、このアルバムからはチャート・インを果たすようになった。(全米171位)

 個人的には、前作よりもこちらのアルバムの方が気に入っている。どの曲もエッジが立っていて、なおかつメロディアスだ。
 それに最大の特徴は、前作よりもソングライティングが向上、充実している点だろう。1、2曲目の"Sunny Day Real Estate"~"Maybe It's Just Me"は前作の延長線上にある曲だが、3曲目の"Mixtape"は前作では見られない美しいバラード曲だ。2

 たとえと言うと、前作のアルバムはストレート中心のピッチングだったが、今作ではそれに多彩な変化球が加わったような感じで、5曲目の"So At Last"もカリフォルニアのドライな空気や澄んだ空が伝わってきそうな美しいバラードに仕上げられている。

 一転して"Uncomfortably Numb"はハイウェイを時速200kmで突っ走っているような雰囲気が伝わってくる。しかも曲名は、例の超有名バンドからパクっているようだが、壮大なギター・ソロもなく、至ってシンプルなつくりになっている。
 アルバム全体も、アップテンポな曲とスローな曲とがほぼ交互に配置されていて、ストリングスとピアノをバックにしっとりと歌われる"Joan"なんかはこのアルバムでの聞きもののひとつである。

 他にも"Lights Out"は典型的なパーティ・ソングだし、"Race Cars And Goth Rock"は肩の力を抜いたようなアコーステック・ギター主体のミディアム調の曲で、バラエティ豊かなソングライティングを味わえる。
 "Best Thing You Never Had"は5分以上あるバラードで、この1曲だけでも充分お腹が一杯になってしまう。

 前作はソロ・デビュー・アルバムだけあって、勢いが全面に出たような感じだったが、このアルバムでは彼の成熟したソング・ライティングを味わうことができる。それだけ彼自身も成長したのだろう。

 その成長に合わせたかどうか、彼のもとにプロデュースの依頼が舞い込んでくるようになった。特にアヴリル・ラヴィーンの2004年のアルバム「アンダー・マイ・スキン」やシンプル・プランの「スティル・ノット・ゲティング・エニィ…」の大成功以来、ますますその数が増えてきている。最近ではピンクやテイラー・スィフトなどの大物ミュージシャンからの依頼も多い。

 ひとつは硬軟取り混ぜた彼の音楽的センスの良さだろうし、また彼自身が楽曲を提供することができる点も挙げられるだろう。ミュージシャンの良さを引き出すようなタイプのプロデューサーではなくて、ミュージシャンと一緒になって音楽をコラボレートしていくタイプのようだ。それが特に若手のミュージシャンにとっては、刺激になるのではないだろうか。

 ちなみにブッチ・ウォーカーは、子どもの頃、学習障害の一種である失読症で苦しんでいて、さらにそのせいではないだろうが、高校を卒業するときの体重は100kg近くあったという。
 それが今では売れっ子のミュージシャン兼プロデューサーなのだから、人生何がどうなるかわからない。自分も残りの人生に、一発逆転を賭けて頑張っていきたいと思っている。

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2013年7月12日 (金)

パニック!アット・ザ・ディスコ

 今回は、フォール・アウト・ボーイの弟分に当たるバンド、パニック!・アット・ザ・ディスコ(以下PATDと略す)について述べてみたい。

 彼らはアメリカのラスヴェガス出身の4人組だった。だったというのは、今はオリジナル・メンバー2人が脱退してしまったからだ。

 PATDがフォール・アウト・ボーイの弟分というのも、同じレーベルメイトだったからで、フォール・アウト・ボーイの音楽を目標としていたメンバーが、フォール・アウト・ボーイのベーシストであるピート・ウェインツにネットでデモ曲を送ったことがデビューのきっかけとなった。いかにもネット社会である21世紀の話らしい。

 ちなみにウェインツは自分でディケイダンスというレーベルの運営もしていたから、そこからPATDをデビューさせた。彼らの才能を認めたからであろうし、売れるミュージシャンをもっと多く抱えてレーベル運営を行いたいという目論見もあったようだ。

 それでPATDは2005年に「フィーバーは止まらない」というアルバムでデビューして、これが大ヒット。アメリカではプラチナ・ディスクに認定されて、200万枚以上売れたのである。
 もちろん彼らの音楽性はフォール・アウト・ボーイのようなポップで、エモーショナルなメロディを擁していたが、それだけでなく彼らのライヴは演劇的で、ステージ上にはカラフルな衣装をまとったダンサーや芸人を登場させて、まるで見世物小屋のようなエンターテインメントを提供させてくれることから、一躍、全米で火がついたようだ。

 自分が初めて彼らの音楽に接したのは、セカンド・アルバム「プリティ。オッド。」をラジオを通して聞いたときだった。2008年頃の出来事である。
 このアルバムにはパンキッシュで、エモーショナルな要素はほとんどなくて、落ち着いたデリケートな音楽性でまとめられていて、その点が自分のツボにヒットした。2

 とても当時20歳そこそこの若者が奏でるような音楽ではない。例えていうならビートルズの中期、「リボルバー」や「マジカル・ミステリー・ツアー」、キンクスの「ヴィリッジ・グリーン・プリザヴェーション・ソサイエティ」を髣髴させるもので、ストリングスやアコースティック・ギターの使い方などがそういう雰囲気を醸し出していた。

 ただし誤解してほしくないのは、メロディラインなどはもちろんオリジナルで、決してビートルズやキンクスの曲をパクッたというものではないということだ。でもどうしてもそれらの曲を思い出してしまうのは不思議だ。

 例えば"Pas De Cheval"はPATD流の“ゲット・バック”であり、"We're So Starving"から"Nine in the Afternoon"の流れはサージャント・ペパーズのリプリーズからいきなり“ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ”につながっていったかのようだ。

 またアルバム・ジャケットも、下にある1968年のスモール・フェイセズのアルバム・ジャケット「オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク」によく似ている。これはひょっとしたらパクリといわれるかもしれないけれど、それほどこのアルバムにはPATDの60年代中期の趣味が反映されているのだろう。Photo
 このアルバムは全米では初登場1位を記録したし、イギリスでもアルバム・チャートで2位、ゴールド・ディスクを獲得した。

 このまま彼らは快進撃を続けると思いきや、ギタリストとベーシストがバンドから脱退してしまった。理由は音楽性の違いということで、友好的な別離だったらしいが、ファンにとっては心配事である。はたしてこのまま彼らは空中分裂するのではないかとも噂されていた。

 やはりデビュー・アルバムからいきなりセカンドのような音楽観を提示されると、これは音楽的進化なのか、それとも単なる趣味的追求なのか、またこういう変化は誰のイニシアチィヴによるものなのか、戸惑った人も多かったし、何よりバンド・メンバー自身も今後の方向性に迷いが生じてしまったかのようだった。

 それでバンドの分裂という事態が生じたのだろう。しかしそれでも残されたメンバーは、2011年に3枚目のアルバム「悪徳と美徳」を発表した。残ったオリジナル・メンバーのブレンドン・ウーリーは、この3枚目のアルバムについて次のように述べている。

 “すべてというわけではないけれど、サウンド的に『フィーバーは止まらない』で使ったエレクトロニクスやシンセサイザーが懐かしかったんだ。今回、それを取り戻したかった”

 一聴すればわかるけれど、この「悪徳と美徳」は、デビュー・アルバムに回帰したようなサウンドになっていて、まさにフォール・アウト・ボーイの弟分にふさわしい、元気がよくて、メロディにメリハリがあるものになっている。
 またロック・ミュージックの要素とダンス・ミュージックの要素にパンクの粉末を振りかけたような好アルバムに仕上がっていて、これはアルバム・プロデューサーのブッチ・ウォーカーとジョン・フェルドマンのお陰だろう。Photo_2
 ただアルバム自体は全米7位と健闘したものの、シングル"The Ballad Of Mona Lisa"は89位と振るわず、他のシングル"Ready To Go"はチャート・インすらしなかった。

 このアルバムも個人的には好きなアルバムで、忘れ難いメロディ・ラインの"The Ballad Of Mona Lisa"や疾走感のある"Memories"、ストリングスとロック・ミュージックが見事に融合した"Trade Mistakes"、"Ready To Go"など、佳曲が多く含まれている。

 またアコースティックな"Always"、イントロのアコーディオンの音色が哀愁を誘う"Sarah Smiles"などアメリカのルーツ・ミュージックへの気配りも感じられた。ただ個人的には、ファーストに及ばないのは仕方ないとしても、セカンドより売れなかったのは悲しかった。

 これをもってPTADが解散することはないと思うが、その可能性もなくはない。2000年代に活躍していたエモ・パンク・バンドのいくつか、たとえばマイ・ケミカル・ロマンスは解散したし、兄貴分のフォール・アウト・ボーイも活動休止に陥っていた。PTADもいまはターニング・ポイントを迎えているのかもしれない。

 昨年には、ツアー・メンバーだったベーシストをメンバーに加え3人組になったPATDである。自分も他の多くのファンと同じように、彼ら自身のオリジナリティを大事にした起死回生のアルバムを待っているのだった。

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2013年7月 7日 (日)

フォール・アウト・ボーイ

 フォール・アウト・ボーイ(以下FOBと略す)は、アメリカのバンドである。もともとはエモ・パンク・バンドだった。大雑把にいうと、一時期のグリーン・ディやウィーザーのようなもので、エモーショナルなメロディとパンキッシュなリズムが絶妙なバランスで成り立つ音楽を奏でている。

 なぜか自分は彼らのアルバムを4枚も持っていて、もともとそこまでのめり込もうとは思ってもいなかったのだが、なぜかこうなってしまった。これもひとえに彼らの音楽的な魅力のせいだろう。
 誤解を恐れずに言い換えるなら、音楽の毒素と言い換えてもいいだろう。それほど中毒性が高いという意味だ。

 事実、彼らのアルバムは各国で熱狂的に受け入れられている。メジャー・デビュー以来全世界で600万枚以上は売れていて、とにかくアルバムを出せば必ずヒットするのだ。

 彼らはシカゴ出身の4人組で、2001年に結成され、2003年にインディー・レーベルより「テイク・ディス・トゥ・ユア・グレイヴ」を発表してブレイクした。そして2005年にアルバム「フロム・アンダー・ザ・コーク・ツリー」でメジャー・デビューしたのである。2

 もともとデビュー前は、ヘヴィメタやハードコア・パンクなども手がけていたから、彼らの音楽の振れは大きく、このメジャー1stアルバムでも、アコースティックなものから、デスメタル声で歌うものまで、器用に披露していた。
 そのせいか、このアルバムは全米アルバム・チャートで初登場9位を記録し、1年以上もトップ100位内にランクして、最終的には300万枚以上売り上げている。

 またシングルの"Dance, Dance"、"Sugar, We're Goin' Down"は、それぞれチャートで9位と8位になり、第48回グラミー賞では最優秀新人賞にもノミネートされている。(残念ながらR&Bシンガーのジョン・レジェンドが受賞し、彼らは賞を逃した)

 彼らの特徴のひとつは、とにかく曲数が多いということだ。1枚のアルバムに15,16曲は収録されていて、ファースト・アルバムの日本盤にはボーナス・トラックを含めると合計で19曲もあった。続くセカンド・アルバム、サード・アルバムの国内盤でも16曲ずつ収められていた。とにかくサービス精神が旺盛なのだろう。

 もうひとつの特徴は彼らの音楽性だ。ひとことでいうと、“高揚感”という言葉がすぐに浮かぶほど、彼らの音楽はアッパーなのである。
 自分が一番好きなアルバムは、セカンドの「インフィニティ・オン・ハイ-星月夜」で、これは本当に何回も聞いていたので愛着がある。Photo

 とにかく1度聞けば、彼らの音楽の“高揚感”というものがよくわかると思う。これを言葉で説明するのは難しい。強力なフックをもつメロディ・ラインには疾走感があり、1度聞くと忘れられなくなってしまう。
 また、かつてはヘヴィメタもレパートリーにしていたせいか、演奏能力には定評があり、リズムにもキレがある。

 それに文学青年の一面もある。このアルバム・タイトルはゴッホが弟テオに宛てた手紙の中から引用されていて、それは次のようなものだった。
"Be clearly aware of the stars and infinity on high. Then life seems almost enchanted after all."「空に高く輝く星々と無限性をはっきり感じること。そうすれば人生は、最後にはほとんど魅力的に思えてくるものだ」(訳:プロフェッサー・ケイ)

 生涯全くの無名画家だったゴッホが亡くなる2年前に書いた手紙である。一番創作意欲のあった時期に書かれた手紙らしく、天才画家の精神的高揚が伺える文面になっている。 
 また彼には、「星月夜」という題名の作品も存在していて、それはこの手紙の後に制作された。

 いずれにしてもFOBがこれをアルバム・タイトルにしたことには意味があるようだ。彼らはこの手紙から芸術家の人生を垣間見ることができたといっていて、それをアルバム・タイトルにすることで、自分たちの人生を披露したのだという。でも自分は、彼らの“高揚感”の表出ではないかと思っている。

 このアルバムには彼らの弟分であるパニック!・アット・ザ・ディスコの当時のギタリスト、ライアン・ロスや世界的ラッパーのジェイ・Zが参加しているし、曲によってはR&B界の大物プロデューサーであるベイビーフェイスが手がけているものもあり、かなり話題になった。チャート的にも全米No.1を獲得している。

 FOBの3枚目のアルバム「フォリ・ア・ドゥ-FOB狂想曲」は前作よりわずか1年半後の2008年に発表された。制作期間が短かったせいか、どうしてもセカンド・アルバムの2番煎じという感があった。それだけ彼らの創作意欲は高かったのだろうけれど、似た感じを与えるアルバムという印象が強かった。

 そのせいか前作は200万枚以上売れたのだが、このアルバムはビルボードのチャートでは最高位8位、全世界で100万枚程度の売り上げだった。(それでも充分凄いことなのだけれど…)3

 このアルバムにもエルヴィス・コステロやブロンディのデボラ・ハリー、パニック!・アット・ザ・ディスコのブレンドン・ウーリー、ジョン・メイヤーなどの豪華ゲストが参加している。

 またこの「フォリ・ア・ドゥー」というタイトルは、フランスの心理学用語で、“かなりの興奮を2人以上の人間が共有すること”を意味する。彼らは自分たちの音楽を通して、FOBをファンとの間で共有しようとしたのだろう。そしてその手がかりとなるキーワードは“高揚感”なのではないだろうか。

 FOBはこのあとベスト盤を発表して、2009年以降は無期限の活動休止状態になったが、今年になって「セイヴ・ロック・アンド・ロール」を発表した。
 約4年間の休養期間を経て発表されたこのアルバム。今までの音楽観と比べて何か大きな変化があったかと思いきや、全くない。

 むしろサード・アルバムの頃の迷いが吹っ切れたようで、今まで以上に自分たちの道をまっしぐらに突き進んでいるようだ。その“自分たち道”というのは、何度もいうようだが“高揚感”に至る道なのだ。

 いきなり映画のサントラのような非常にアグレッシヴなストリング・アレンジメントで始まる"The Phoenix"、1stシングルになった"My Songs Know What You Did in the Dark"のコーラスはクィーンのようだ。
 さらにイントロなしでいきなり歌われる"Alone Together"など、輸入盤アルバムに添付されている歌詞カードとともに歌うと(自分は歌えないけれど、米国人は歌えるはず)、やはり気持ちが高ぶってくる(はずだ)。これも彼らFOBがもつ独特の“高揚感”のせいだろう。

 このアルバムにはバラード曲が含まれていない。強いてあげればそれに近いのは、サー・エルトン・ジョンと一緒に歌っている"Save Rock And Roll"だろうか。ただこれもバラードというよりは、ストリングスが使われて、ややゆっくりと歌っているに過ぎないのだが。3_2
 これらの作品の方向性はプロデューサーのブッチ・ウォーカーの戦略だろう。今までのFOBのアルバムは、メジャー・デビュー以来、いずれもニール・アヴロンという人が手がけていた。しかし今回は、自身もシンガー・ソングライターであるブッチ・ウォーカーがプロデュースしてして、今まで以上に彼らの特徴である“高揚感”を全面に出したものになっている。

 そうした方針が上手く効を奏したようで、このアルバムも売れに売れていて、ビルボードでも2度めのNo.1を獲得した。

 たぶんFOBは、このアルバムを引っさげて大規模なワールド・ツアーに出るだろう。そしてアリーナやスタジアムでは、FOBと一緒になってシンガロングする数多くのファンの姿を目にすることができるはずだ。なぜならFOBとファンの間をつなぐものは、磁場となる“高揚感”なのだから。

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2013年7月 2日 (火)

ニール・ヤング-サイケデリック・ピル

 最近ずっとニール・ヤングの新作を聞いている。新作といっても発表されたのは、昨年の秋だったから新しくはない。最新作といったほうが適切だろう。

 それでそのアルバムとは、2枚組の「サイケデリック・ピル」のことだ。御年68歳になろうとするニール・ヤングの37枚目となるスタジオ・アルバムで、2枚組ながらどれもすばらしい9曲が収められている。
 
 しかもソロ作品ではなく、クレイジー・ホースとの共演になっていて、久しぶりにバンド形式で歌うニール・ヤングに接することができた。ソロでの演奏もいいけれど、やはりクレイジー・ホースがバックにいると、何となくいつもよりガンガンロックしているニールに出会ったような気がしてならない。Photo
 
 知っている人は多いと思うけれど、昨年(2012年)彼は、2枚のアルバムを発表している。1枚はこのアルバムだが、もう1枚は昨年の夏に発表された「アメリカーナ」だ。
 このアルバムは、アメリカの民謡やフォーク・ソングをニール流にアレンジして歌ったもので、ここでもバック演奏に徹したクレイジー・ホースの好演が光っている。

 この「アメリカーナ」では、ウディ・ガスリーの"This Land is Your Land"やフォスター作曲の"Oh Susannah"、トラディショナルの"Clementine"など、日本人にも親しみのある佳曲がニール流にアレンジされていて、全米アルバム・チャートでは4位まで上がるほどに、多くの人から大好評で迎えられた。

 そのアルバムからほとんど時間を置かずに制作されたアルバムが、この「サイケデリック・ピル」だった。だから先ほどの「アメリカーナ」とは双子のアルバムだといっていいだろう。

 ただし収められている曲は、まるで全盛期のニール・ヤングを髣髴させるほど、エネルギッシュかつダイナミックで、とても70近い御老人の作品とは思えないのだ。
 例えばディスク1の1曲目"Driftin' Back"は27分37秒もある。いまどき27分もある曲をアルバムの冒頭に持ってくるミュージシャンなどいるだろうか。プログレ・ミュージシャンでも最近はお目にかかれない。15,6分程度でお茶を濁すくらいだ。

 そう考えると今のニール・ヤングのこのエネルギーは、第何次かの臨界点を迎えているのではないのか。70年代の"Like A Hurricane"や"Cortez the Killer"に負けないほどのエネルギーを放出している。これこそまさにロックン・ローラーだろう。

 "Driftin' Back"を聞いていると、酩酊感というかトリップ状態になってくる。最初の1分程度はアコースティック・ギターによって全体の姿が提示されるが、それ以降はまさにニール・ヤングの独壇場だ。このヘタウマなエレクトリック・ギターに誘われるように、異界に吸い寄せられていく自分の姿が見えてくるのだった。

 でもこれこそまさにファンが待ち望んでいたことで、おそらく多くの人は喝采を挙げてこのアルバムを受け入れただろう。ただライヴではまったく同じ旋律では演奏できないだろうと思うけど…

 しかもこのアルバムには名曲が多い。アルバム・タイトル曲の"Psychedelic Pill"ではギターに、たぶんフランジャーだと思うけど、エフェクトをかけてより攻撃的な雰囲気を高めている。また、"Ramada Inn"というホテルで過去を回想する曲では、穏やか中にも秘めた情熱を感じさせてくれた。ミディアム・テンポのこの曲は、16分51秒もあるのだが、彼の爆音ギターが優しく響いてくるから不思議だ。

 "Born in Ontario"は、昔の"Southern Man"を丸くしたような感じを受けたのだが、たぶんこれは前作「アメリカーナ」の伝統的なルーツ・ミュージックの影響を引き摺っていたからだろう。ニールが演奏するオルガンが素朴な味を加えている。

 ディスク2の"Twisted Road"もバック・コーラスが70年代の残り香を添えているような曲だし、続く"She's Always Dancing"はメロディアスな佳曲である。8分以上もあるのだが時間の長さをまったく感じさせない。特に中盤のギター・ソロは、彼なりの泣きのギターなのだろう。

 3曲目の"For the love of Man"はこのアルバム唯一のバラードで、70近くになってもこういうバラードが書けるというところが素晴らしい。思わず涙しそうになるメロディだし、まるで母の胸で抱かれて聞く子守唄のようだ。"Star of Bethlehem"、"Harvest Moon"、"Sleeps With Angels"系統の曲といえばわかりやすいだろうか。

 そして最後のハイライトは、これまた16分29秒もある"Walk Like a Giant"で、ここでもニールの爆音ギターを聞くことができる。ただしここでは比較的ゆっくり目で、クレイジー・ホースの面々によるバック・コーラスと口笛が可愛いというか、ギターとギャップがあって面白い。また10分過ぎのギター・ソロは、本当にサイケデリックで、今は60年代後半ではないかと思えるほどだった。“アメリカの北爆には反対だ”というスローガンが聞こえてきそうである。

 そしてカーテン・コールのように、再び"Psychedelic Pill"のオルタネイト・ミックス・バージョンが聞こえてきて最後を締めくくっている。こちらの方が本編より10秒ほど短くなっているせいか、性急さが感じられる。こちらのバージョンも捨てがたい。

 とにかくニール・ヤングの中には溢れ出てくる何かがあるのだ。それが昨年は1年を通じて外に噴出してきて、彼はそれを音楽という形でまとめていったのだろう。
 しかしその水準は極めて高く、70年代、80年代の彼の音楽と比べてもまったく遜色のないものに仕上がっている。このパワーは一体どこから来ているのだろうか。

 自分はこういう素晴らしいアルバムを発表したニール・ヤングに対して、その本質を語るべき言葉を持っていない。あくまでアルバムの表面をなぞることしかできないのだ。
 だから彼の音楽やライフ・スタイルに少しでも近づけるように、今夜も彼の音楽を聞いているのである。

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