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2013年8月

2013年8月31日 (土)

ドッジー

 さて“残暑を涼しく過ごすシリーズ”の最後は、イギリスのポップ・バンド、ドッジーの1996年のアルバム「フリー・ピース・スウィート」についてである。

 このアルバムは、あるいはこのバンドはといってもいいだろうけれど、あまり有名ではない。むしろ今となっては、かなりマイナーな存在だろう。
 まあ、あくまでも自分のなか限定ということで、この時期によく聞いた思い出があって、それで少しは涼しく過ごせると思っただけである。あくまでも個人的なことなので、初めて彼らのアルバムを聞く人には、何のことかよくわからないと思う。

 
 それで90年代のイギリスでは、“ブリット・ポップ”という音楽が流行していた。その代表格はご存じ、オアシスとブラーだったし、その他にもパルプやスウェードなどが有名だった。

 今回のドッジーもその範疇に入れられるもので、1990年にロンドンで結成された3人組だった。
 彼らは1993年にデビュー・アルバムを発表したが、有名になったのは翌年のセカンド・アルバム「ホームグロウン」がヒットしてからだ。折しも世は“ブリット・ポップ”の全盛期で、彼らもその余波を受けて売れていったことは否定できないだろう。

 それでも彼らの音楽は60年代のポップ・ミュージックの良質な部分を受け継いでいたし、ロンドンのクラブで鍛えられたその演奏力は評論家からの評価も高かった。単にブームに乗ったバンドではなくて、それなりの実力を備えていたのである。

 セカンド・アルバムからは数曲ほどシングルがヒットして、彼らは一躍有名になり、それから2年後に発表されたのが、「フリー・ピース・スウィート」だった。だからある意味、彼らが一番ノリにノッていた頃に制作されたもので、その勢いが楽曲にも表れているようだ。Photo_4 全16曲で、いずれも60年代のビート・バンドが90年代に甦ったような感じのキャッチーで、メロディアスな曲揃いだと思う。

 特にシングル・カットされた"Good Enough"は、まさにこの残暑をも吹き飛ばしてくれそうな爽やかさと明るさに満ちていて、何度聞いても飽きがこない。ノリの良いリズムに弾けたメロディー、途中のホーンやコーラスがアクセントになっていて、全体的にソウルフルなのだ。自分はこの曲を聞くたびに、夏の日の木洩れ陽や、芝生にきらめくシャワーの光などを思い出してしまうのである。ちなみにこの曲は全英4位を記録して、彼らの最大のヒット曲になった。

 またファースト・シングルの"In a Room"は、まるで60年代のキンクスのようだし、"Trust in Time"や"You've Gotta Look Up"は初期のザ・フーのシングル曲みたいだった。

 さらにバラードの"One of Those Rivers"は抒情性にあふれていて、途中のバンジョーとストリングスが雰囲気を盛り上げていた。"Jack the Lad"なんかを聞いていると、彼らは90年代のザ・フーになりたかったのではないかなどと思ってしまう。同じ3人組だし、ギターやコーラスの入れ方やドラムスの連打音などがそういう気にさせるのだ。ひょっとしたらドッジーもまた組曲形式のアルバムを作りたかったのかもしれない。

それに"U.K. R.I.P."や"Grateful Moon"などにはU.K.ソウルの影響を感じることができるし、のちのオーシャン・カラー・シーンやポール・ウェラーを連想させてくれた。

 このアルバムはイギリスで7位を記録した。アルバムのタイトルは、洋服の“三つ揃いのスーツ”、もしくはホテルの“3点セットのスウィート・ルーム”と懸けているようで、要するに自分たち3人のことを言っているのだろう。

 このあと彼らはアルバムを発表するも、“ブリット・ブーム”の終焉の影響からか、ボーカル&ベース担当のナイジェル・クラークが脱退して、1998年に解散してしまった。
 その後、再結成をして昨年2012年には、オリジナル・メンバーでアルバムを発表しているが、全盛期には及ばないようだ。

 いずれにしても自分にとっては夏の日の思い出に残るアルバムである。久しぶりに"Good Enough"を聞きながら、過ぎゆく夏に浸りたいと思う。

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2013年8月26日 (月)

ザ・ポスタル・サーヴィス

  “今年の残暑を涼しく乗り切るシリーズ”の第3弾は、アメリカのエレクトロニック・ユニットのザ・ポスタル・サーヴィスのアルバムである。

 「ギヴ・アップ」とタイトルがつけられたこのアルバムは、2003年に発表された。全10曲(日本盤では11曲)、すべてキーボード中心のエレクトロニックな音楽で構成されていて、聞き続けていくと、不思議な浮遊感に包まれてくる。

 このアルバムは、彼らのデビュー・アルバムにあたるのだが、彼らはパーマネントなユニットではない。
 ザ・ポスタル・サーヴィスは、ベン・ギバードとジム・タンボレロの2人組ユニットだ。両者ともアメリカ西海岸を中心に活躍するミュージシャンで、ベンの方はシアトル出身のインディー・バンド、デス・キャブ・フォー・キューティのボーカル&ギタリストである。

 一方、もう一人の立役者、ジムはロサンゼルス周辺で活動するミュージシャンで、このユニットの基本をなすエレクトロニック・サウンド・クリエイターでもある。
 それでジムのアルバムにゲスト・ボーカルでベンが参加したところから、2人の交友が始まり、それがこの1枚のアルバムにまとめられたのである。Photo_3
 ユニット名の由来は、アルバム制作の経緯による。2人はシアトルとロスということで、普段から会える状況ではなく、曲や歌詞ができたらCD-Rに焼いて郵送していたというところから“郵便サービス”というふうに付けられたそうである。

 彼らのやり取りは10か月に及び、時にはジムの所有するスタジオにゲスト・ミュージシャンを呼んで、歌や演奏を付け加えてアルバムは完成した。

 自分は夏になるとこの手の音楽を聞いてしまうのだが、その源は1984年のストロベリー・スゥイッチブレイドから来ているようだ。
 彼女たちの音楽は、当時ニュー・ウェーヴと言われていて、エレクトロニック・ミュージックとポップ・ミュージックが絶妙にブレンドされていた。もちろんシングル・ヒットしたし、テレビのCMにも用いられた。

 それをよく聞いていたのが夏だったから、この手の音楽を夏に聞くようになった。あるいは夏になると、こういう種類のものを欲するのかもしれない。

 最近では、アウル・シティが夏の清涼感とファンタジックな浮遊感をもたらしてくれた。アウル・シティについてはこのブログでもすでに取り上げているので重複は避けるが、引きこもり生活を送っていたアダム・ヤングの2枚のアルバムは、自分に音楽の楽しさだけでなく、人生の教訓も教えてくれたようだった。

 ちなみにこのザ・ポスタル・サーヴィスは、当時アメリカのロサンゼルスに住んでいた知人から紹介されたもので、その頃のアメリカで流行っている音楽を教えてくれと言ったら、このアルバムを告げられたのだ。

 その人はドアーズやカウンティング・クロウズが好きだったので、自分はてっきりロックのアルバムだろうと思っていたのだが、まるで違っていた。そのギャップが面白くて、いまだにこのアルバムを夏になると引っ張り出すのである。

 ところが今年(2013年)に、このアルバムの発売10周年記念ということで、スペシャル・エディションが発表された。
 このアルバムには25曲も収められていて、その中には2曲の新曲とジョン・レノンの"Grow Old With Me"やフィル・コリンズの"Against All Odds"のカバー曲も収められている。

 そういえば彼らは2枚目のアルバムを発表していない。最初のアルバム発表後は、ツアーまで行っていて、仲違いしたわけではない。結局、2人のスケジュールが合わないからで、その代わりに新曲を含めた企画盤を発表したのだろう。

 2003年のアルバム、ビルボードのアルバム・チャートでは114位と低迷したが、商業的にはプラチナ・アルバムを獲得した。また、2013年盤の方は、45位と健闘していて、売り上げの方も100万枚以上記録した。

 このアルバムは、ロック・ミュージックのもつ衝動性や破壊性からは、ほとんど無縁の音楽なのだが、しかしこれもまたロックの持つ多様性、進化形の一つと考えれば、好き嫌いは別として、納得はできるだろう。ロック・ミュージックとは、かくの如く貪欲で拡散性があり、奥深いのである。

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2013年8月21日 (水)

ブルーノ・マーズ

 “今年の残暑を涼しく乗り切るシリーズ”の第2弾は、21世紀の“キング・オブ・ポップ”、ブルーノ・マーズの登場だ。

 自分はつい最近になって彼のアルバムを買ったので、あまり彼のことは詳しく知らない。彼のデビュー・アルバムは、日本では2011年の1月に発表されているから、もうかれこれ2年以上前になる。

 彼のデビュー・アルバム「ドゥー・ワップス&フーリガンズ」は今だに全世界で売れていて、累積500万枚以上になるという。
 全米では最高位3位になり、シングル"Grenade"と"Just the Way You Are"は、ともに全米1位を記録した。加えてデジタル配信のダウンロードのセールスで、"The Lazy Song"もいれると、2011年で最もシングルを売ったミュージシャンに認定されている。

 ちなみにその前年には、トラヴィー・マッコイとB.o.B.というミュージシャン仲間に、それぞれ"Billionaire"(全米4位)、"Nothin' on You"(全米1位)というシングルを提供していて、それもまたヒットしたために、史上初めて2年連続して1000万枚以上の売り上げを達成したミュージシャンになった。またグラミー賞にも2年連続6部門にノミネートされている。まさに稀代のメロディ・メイカーであり、新時代の“キング・オブ・ポップ”の称号が与えられてもおかしくないだろう。

 特にこのデビュー・アルバムは素晴らしい。よいメロディとAMラジオでかかりやすい程度の長さ、バラエティに富んだ楽曲、耳によく馴染むシルクのような声と売れる要素がぎっしりと詰まっている。Photo_2
 自分が購入したのは輸入盤だったので、全11曲+ボーナス・トラック1曲という構成だったが、ポップスからソウル、レゲエ、ヒップ・ホップと自分のオリジナリティの幅の広さを充分に発揮している。

 何となくマイケル・ジャクソンが歌っているように聞こえる"Grenade"、サビの部分がポップな"Just the Way You Are"と、超強力な2曲がアルバムの冒頭からリスナーの心をひきつけて離さない。

 続いてレゲエ・バラードの"Our First Time"、イントロのベースのメロディがアグレッシヴでハードな"Runaway Baby"に明るいレゲエ・ソング"The Lazy Song"と、曲の配置も実に巧妙で飽きさせない。
 また"Marry You"などはすべてサビといっていいほどメロディアスで、一発で口ずさめるほどだ。(もちろん外国人はという意味だけど)まるでマルーン5の曲のようだ。

 そしてピアノ1台から始まり、途中で音が装飾されいく"Talking to the Moon"は、まさにこれぞバラードといっていいほどのものだし、"Liquor Store Blues"にはボブ・マーリィの息子のダミアンが参加して花を添えている。
 ノスタルジックなミディアム・バラード"Count on Me"は隠れた名曲だろうし、"The Other Side"は逆にロック的なパワー全開で、ダイナミズムに満ちている。

 ブルーノ・マーズは、ハワイ生まれの27歳である。父親はユダヤ系プエルトリコ人で、母親はフィリピンから移民してきた。彼女がフラダンサーをしていたときに、バックでパーカッションを叩いていたのがきっかけで一緒になってそうだ。

 またブルーノの叔父は、エルヴィス・プレスリーの物真似芸人をしていて、その叔父からの勧めもあって、幼い頃からロックやブルーズ、レゲエなどに親しみ、また人前でも臆せずにプレスリーのパフォーマンスをしていたらしい。幼い頃からその道に至るように準備されていたのだろう。まるでマイケル・ジャクソンの子どもの頃によく似ている。

 それで2枚目のアルバムが今年発表されたのだが、どうしても1枚目の印象が強すぎて、どうも好きになれない。時間もわずか35分程度だし、あっという間に終わってしまう。アルバムの解説によれば、10曲しか収められていないものの、それぞれ曲調が違うし、どれも印象的なメロディを含んでいるとあったが、似たり寄ったりという感じもしないではない。

 1枚目はかなりバラエティに富んでいたが、2作目「アンオーソドックス・ジュークボックス」は全体的にソウル・ミュージックよりになっていて、“キング・オブ・ポップ”が“ソウル・オブ・ポップス”に変化したように感じた。2_2
 1曲目の"Young Girls"は1枚目の"Just the Way You Are"のように、よくできたポップ・ソングで、続く"Locked Out of Heaven"はかなり黒っぽいロックだ。プリンスとジョージ・マイケルが共演して曲を作るとこうなりましたよ、という感じがする。

 3曲目の"Gorilla"は、かなりキワドいミディアム・バラードのラヴ・ソングで、こういう歌詞の表現では前作よりも成長したかもしれない。続く"Treasure"はご機嫌なダンス・ナンバーで80年代の匂いがプンプンする。まさにマイケル・ジャクソンが歌ってもおかしくないだろう。

 個人的に好きなのは、"When I Was Your Man"で、前作の"Talking to the Moon"のように、ピアノ1台で切々と歌っている。こちらの曲の方が最後まで装飾音が加えられていないので、彼の生の歌声や演奏が伝わってきて感動もひとしおである。

 8曲目の"Show Me"でやっとレゲエのリズムが出てきた。やはり暑い夏を乗り切るにはレゲエが必要と思うのだが、2枚目のアルバムにはその手の曲数は少ない。
 これら以外にもヒップ・ホップの要素がより一層に緊張感を高めていく"Money Make Her Smile"や、50年代のスロー・バラードを想起させる2分あまりの"If I Knew"など印象的な曲は多い。

 だけどやはり自分にとっては、2枚目のこのアルバムよりは、1枚目のアルバムの方がお好みなのである。
 自分がこの「アンオーソドックス・ジュークボックス」のアルバムを買おうと探していたときに、ロック/ポップス部門の棚を探しても見つからなかった。見つけたのはソウル/R&Bの棚だ。なぜこのアルバムがそこに置かれていたのか、このアルバムを聞いたときにその理由がよくわかった。

 結局、ブルーノは第2のマイケルを目指しているのではないだろうか。彼の子どもの頃のエピソードやミュージシャンになってからのソングライティング、パフォーマーとしての資質などがそう感じさせてくれるのである。
 これから彼がどんな足跡をたどるのか興味深いものがあるが、いずれにしても質の高い楽曲やパフォーマンスを見せてくれるに違いない。

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2013年8月16日 (金)

シガー・ロス

 8月も残り2週間程度となった。それでもまだ暑い日が続いている。今年は梅雨が早く終わったので、余計に長く感じる。それに年をとったせいか、年々暑くなっているようにも感じる。寒さは運動したり、服を着込めば耐えられるけれど、暑さは裸になっても暑いままだ。どうしようもない。

 だからというわけではないが、せめて涼しさを感じる音楽を求めようと思ってこれを綴っている。第1回目は、それにふさわしいアイスランドのバンド、シガー・ロスの登場だ。“アイス”の国から来たバンドなのだから、これはもう涼しいに違いない。

 個人的な意見を言えば、シガー・ロスはアメリカのバンド、マーキュリー・レヴのヨーロッパからの回答だ。あるいはシガー・ロスへのアメリカ側の回答がマーキュリー・レヴかもしれない。結成はマーキュリー・レヴの方が10年くらい早いが、いずれにしてもこの2つのバンドには共通点がある。(もちろん相違点も多いが…)

 両方とも映像的というか、イマジネイションをかきたてられる音楽性を有している。マーキュリー・レヴの方は映画のサウンドトラック作りから始まったが、シガー・ロスの方は独特の空気感を有していて、これはアイスランドのオルタナティヴ・ロックの歴史から生まれてきたものだろう。

 このブログでも過去に述べているが、80年代のイギリスにコクトー・ツインズというバンドがあった。彼らも独特の浮遊感と優雅さを備えていたが、まだロックの初期衝動というか躍動感は伴っていた。

 しかしシガー・ロスの場合は、最初からそういうものはなかった。彼らは1994年に結成され、1997年にデビュー・アルバムを発表した。バンド名はアイスランド語で“勝利、薔薇”を意味する語から由来するという。

 最初はギターのノイズと静謐感が入り混じったような音楽をやっていた彼らだが、1999年に発表したアルバム「アゲイティス・ビリュン」がアイスランド以外でも売れて、成功への階段を一気に登っていった。
 そして2002年には、アルバム・タイトルのない「( )」がグラミー賞のベスト・オルタナティヴ・ミュージックにノミネートされて、世界的な名声を獲得するまでになったのである。

 自分は2005年のアルバム「Takk...」を聞いて、初めて彼らを知った。このアルバムもアイスランド語で“ありがとう”という意味らしいが、全11曲すべてが浮遊感と透明感、そして荘厳さに彩られていて、“美しい”という言葉がピッタリ当てはまった。まさに曲を聞いて感動できる数少ないアルバムなのだ。Photo
 また彼らはアイスランド語か、自分たちで勝手に作ったホープランド語という言語で歌っていて、英語で聞いてもよくわからないのに、ますます彼らが何を歌っているのかわからない。日本盤にも歌詞カードはついていないので、内容は全く理解不明だった。

 このアルバムでも"Hoppipolla"という曲では、本棚にあった本を適当に選んで、しかもそれを逆向きに読んだものを歌詞にとっている。それでも聞いていても全く違和感がないから不思議でしょうがない。

 でもそれらを超越するくらいメロディが美しく、またゆっくりと徐々に昇天するような奥行きのある音楽は、まさに天上の音楽といってもいいくらいで、もし天国で聞こえる音楽があるとすれば、それはシガー・ロスのこのアルバムのような音楽なのではないかと思っている。

 それから3年後の2008年に発表されたアルバム「残響」を聞いた。最初はだいたいの内容が予想できたので、無理をしてまで買おうとは思っていなかったのだが、アルバムのジャケットが衝撃的だったので思わず買ってしまった。

 内容的には前作よりもリズムが前面に出ていてよりロックらしくなっている。またアコースティック・ギターがアルバム前半でかなりフィーチャーされていて、少し軽やかになった感じだ。後半はやや環境音楽のようなアンビエントな雰囲気に包まれるが、それもまたバランスが取れていて、全体的にいい感じになっている。

 この当時の彼らはアコースティック演奏にこだわっていたようで、ライヴでも全曲アコースティックにアレンジしてプレイしていたという。
 また珍しいのは9曲目"Fljotavik"という曲にはメロトロンが使用されていて、11曲目の"All Right"ではシガー・ロスの歴史で初めて英語で歌われていた。世界的にメジャーになったせいか、新境地を開拓しているように感じられた。2
 “アイスランドは小さな国で、人も少ないから、空間がたくさんあるんだ。そこからインスピレーションを受けるっていうのが大きいかな。周りの人たちとの距離感というかね。アイスランドって他の国から遠いし。だから自分の中を見つめて、自分に集中してクリエイティヴになることができるんだろう。外からの影響がない分、独創的になれるっていうね。そこにアイスランドのアーティストのアイディンティティがあるんだと思うよ”

 メンバーのキャータン・スヴェイソンは上記のように、自分たちの創作の様子を述べていたが、キーボード担当の彼は、今年一身上の都合でバンドを脱退した。音楽的相違や喧嘩別れではないらしい。
 それで残された3人でニュー・アルバム「クェイカー」を発表したシガー・ロスである。今作は従来の神秘性もさることながら、ロックのダイナミズムも包しているという。ますます今後の活動が楽しみでもある。3 アイスランドといえばビョークの名前が浮かぶが、このシガー・ロスも通常のロックの躍動感とは無縁だ。しかし、それでもロック・ミュージックであることは間違いない。ロックを解体して生まれてきた音楽には、やはりどうしてもロックの残滓というか残り香があり、それはまたロック・ミュージックの範疇からは逃げ出せないことを証明しているかのようだ。

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2013年8月15日 (木)

昭和天皇・マッカーサー会見

 数日前に「終戦のエンペラー」という映画を見に行った。貧乏なので、もちろん1000円で見られる日を選んでひとりで行った。

 映画の趣旨は、要するに昭和天皇に戦争責任があるかないかを一人の進駐軍の高官が調査し、それをマッカーサー最高司令官に報告すると、マッカーサーはそれでは直接調べようと司令部に呼び出すというものであった。
 映画なので、もちろんいくつかのフィクションも含まれてはいるのだが、天皇やマッカーサーは当然のこと、調査にあたった主人公のボナー・フェラーズ准将や通訳だった奥村勝蔵などは実在の人物である。Photo_2
 それにこれはフィクションだろうけれど、フェラーズ准将の恋愛話や、マッカーサーと天皇とのツー・ショット写真の経緯も語られていたのだが、映画の出来としてはもう少しディテールにこだわってほしいなあと思った。所詮100分程度で、終戦秘話を語ること自体に無理があるのだが…
 ただマッカーサーが天皇を呼び出すというくだりが本当にそうだったのかは、実に疑わしい。というよりも実際はその逆で、天皇の方からマッカーサーに会おうとしたらしい。

 それが詳細に書かれているのが、左派系の学者、豊下楢彦が書いた「昭和天皇・マッカーサー会見」(岩波現代文庫)である。

 自分は昭和天皇とマッカーサー司令官の会見は1回だけだろうと思っていたし、映画のストーリーのように、マッカーサーの方から天皇を呼び出したと思っていたのだが、それは史実とは違うということがわかった。

 実際の会見は1回では終わらずに、11回にも及んだという。また、マッカーサーが罷免されたあと新たに最高司令官に任命されたリッジウェイとの会見も7回行われた。いずれも昭和天皇の方からの指示だったという。

 またその理由も戦争責任を認めるというよりは、立憲君主として政治に介入したくなかったし、戦争突入は時の軍部、特に東条英機の責任が大きいというものであった。

 要するに、昭和天皇は立憲君主という立場の説明と、天皇制維持(国体維持)がマッカーサーとの会見の主な目的だったということである。

 確かに昭和天皇に戦争責任を認めさせ、何らかの処罰を、特に絞首刑などを執行すれば内乱が起こるか、少なくともその後の戦後処理はそう簡単には収まらなかっただろう。そうなれば、その後の日本の対米感情や両国の関係もかなり違ったものになっていただろう。

 不思議なことに、日本が一番親しみを持つ国がアメリカであり、日本にはアメリカの文化が多大に影響を及ぼしているが、戦争をして負けた国がそういう国民感情を持つというのも珍しい。

 同じ日本国内でも会津(福島)と長州(山口)が和解したように見えたのは、福島原発事故のせいで福島市が萩市の物資の補給を受けたからだった。
 それまではまだ友好関係は持てなかったのだ。1986年に萩市が「もう120年たったから友好都市を締結しよう」といったのに対して会津若松市の方は「まだ120年しかたっていない」といってこれを断ったという話は有名になった。

 
 話を元に戻すと、昭和天皇の身にもし何かあれば、それこそイラクに駐屯するアメリカ部隊のようになっていただろう。マッカーサーとしては自身の大統領選への立候補という野心も手伝ってか、自分の行政能力が評価されるように早く戦後処理をしたかったに違いない。

 また昭和天皇のマッカーサーとの会見は新憲法発布後も行われていて、象徴天皇になったにもかかわらず、天皇としての政治力、外交力を発揮していったと書かれている。それは日本を取り巻く国際関係の変化(冷戦)によるもので、もし日本が中国のように共産化してしまえば、天皇制が廃止される可能性が高いからというものであった。

 本書によると、昭和天皇は新憲法発布やサンフランシスコ講和を喜んでいたようで、それはこれにより天皇制が護持されたからである。新憲法が“押し付け”憲法といわれているが、1945年9月に設置された旧ソ連を含む極東委員会がマッカーサーの頭越しに権力を発揮するようになれば、新憲法の内容がどうなったかわからない。この委員会が機能を発揮する前に先に憲法を決めようとして、作成されたとのことだ。2_2 また詳細は省くが、現在の沖縄での米軍駐留について、いわゆる日米安全保障条約の締結においても昭和天皇による口頭と文書によるメッセージがあったからだとされている。

 個人的にはどこまでが真実かわからないが、一読した限りでは説得力があった。それは筆者の空想によるものではなく(部分的には推論のところもあるが)、少しずつ公表されている公文書などによる文証があるからだ。(宮内庁による2002年の公開資料や「豊田メモ」、「卜部日記」など)

 マッカーサーは日本をスイスのように永世中立国にしようと思っていたらしいが、結果論としてはそれは不可能になった。むしろ自衛隊などではなく、自前の軍隊を持つか持たないかと議論されているのが現状だ。これが歴史の流れというものだろうか。今となれば昭和天皇も受け入れた憲法第9条が、こんなに問題になるとはだれも予想していなかっただろう。

 結局、大事なことは自分の頭で考えることだろう。また、もう少し自分の国の歴史について正しい知識を備えておくことは大切なことである。自分は自国の歴史について知らないことが多すぎた。時にはこういう本を読んで、考えることは必要だと思っている。

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2013年8月11日 (日)

アンブロージア

 アメリカのミュージック・シーンで成功する際の指標のひとつに、アルバム・セールスがある。要するにどれだけ売れて、どれだけ儲かったかという現実的な話なのだが、ミュージシャンやレコード会社にとっては、避けては通れない話で、むしろ自らの音楽性を曲げてでもこれを重視する場合もでてくるだろう。

 特に芸術面や音楽性も重視しするプログレッシヴ・ロックの場合は、この経済効率との両立が求められていて、バンドやミュージシャンはどちらを重視するのか、あるいはどうやってバランスをとりながら活動を続けていくかが問題になってくる。

 これがアメリカ以外の国、たとえばイギリスや北欧になると、音楽マーケットが小さくなるせいか、自分たちのやりたい音楽を追求できるのだが、アメリカのような広大な国では、前述したような基準が重視されてきて、場合によっては、自らの信念を貫き通すのか、あるいは節を曲げて売れる音楽を目指すのかの瀬戸際に立たされる場合も生じてくる。うまく両方を止揚できればいいのだが、そういう幸福なミュージシャンはバンドは少ないようだ。

 ロサンゼルスで1970年に結成され、75年にデビュー・アルバムを発表したアンブロージアもそういうバンドのひとつだった。
 中心メンバーだったギタリストのデヴィッド・パックは、最初はバッファロー・スプリングフィールドのようなバンドを目指していたが、ある晩、ウィスキー・ア・ゴー・ゴーでのキング・クリムゾンのライヴを見てから、フォーク・ロックからプログレッシヴ・ロックを追及するようになったと述べている。

 ただイエスやピンク・フロイドのような音楽を志向しても、アレンジの基になるメロディなどはしっかりとしたものを作り上げようとしていたらしく、彼らは芸術性と商業性の両立を目指そうとしていたようだった。

 1975年に20世紀レコードより発表された「アンブロージア」では、メロディアスな"Holdin' on to Yesterday"があると思えば、やリード・ギターとキーボードが印象的な"Drink of Water"、E,L&Pのような組曲風の"Mama Frog"という曲もあり、彼らの努力の跡がうかがえるアルバムに仕上げられている。ちなみに"Holdin' on to Yesterday"は全米17位というシングル・ヒットを記録した。Photo

 彼らの音楽性は演奏面だけではなくて、ボーカル・パートも重視されていた。最初はバッファロー・スプリングフィールドやC,S&Nのような音楽を志向していたというから、インストゥルメンタルだけ重視していたというわけではなかったらしく、この点はイギリスのイエスのデビュー時とよく似ている。

 翌1976年に彼らのセカンド・アルバム「ピラミッドの伝説」が発表された。このアルバムのプロデューサーはかの有名なアラン・パーソンズで、前作よりもより積極的にアルバム作りに関わっている。(前作ではエンジニアを担当していた)

 アラン・パーソンズといえば「原子心母」や「狂気」のアルバムのエンジニアで有名だが、プログレだけでなく、パイロットやコックニー・レベルのようなポップ・バンドのアルバム・プロデュースも手がけていた。そのせいか、マネージメント側は、“芸術性”と“売れる音楽”の両方を目指すには最適の人選だと判断したようだ。

 セカンドではよりプログレッシヴに展開されて、最初の"And..."、"Somewhere I've Never Travelled"では高音のボーカルがイエスを髣髴させるし、"Cowboy Star"では「原子心母」のようなオーケストレーションが加えられている。
 一転して"Runnin' Away"では、アコースティックで牧歌的な曲調が広がり、ジョン・アンダーソンがジェネシスをバックに歌っているかのようだ。2
 2分あまりの"Harvey"から"I Wanna Know"へ続くあたりから後半に入るのだが、この"I Wanna Know "という曲はハードな展開をしながらも、基本となるメロディは美しい。スティクスやカンサスと比べても見劣りはしないだろう。
 さらにキース・エマーソンばりに流麗なピアノ演奏を聞かせてくれる"Dance With Me, George"でのクリストファー・ノースのソロはなかなかよい。彼がバンドのプログレッシヴな部分を牽引しているのがわかるだろう。

 このアルバムはトータル・アルバムとして構成されている。のちにアラン・パーソンズ自身も同じテーマで1978年に「ピラミッドの伝説」というアルバムをアラン・パーソンズ・プロジェクト名義で発表しているが、それにはこのときの経験が反映されていた。

 
 全体としてはよくできたアルバムだと思うのだが、レコード会社のプッシュとシングル・ヒットに恵まれず、このアルバムは全米79位と不調に終わった。
 さらにオリジナル・メンバーだったクリストファー・ノースがライブ活動に疲れ、バンドを脱退。彼らは3人組になって再出発を余儀なくされたのである。

 バンドのプログレッシヴな部分を担っていたノースの脱退で、必然的に彼らはプログレ路線だけでなく、ポップ路線をも含む幅広い作風へと変化させ、レコード会社もワーナーに移籍して1978年に「遥かなるロスの灯」を発表した。

 したがってサウンド的にはそれまでのプログレ風味は残しながらも、当時のウェスト・コーストのような曲やシックでアダルトな雰囲気の曲、ポップでシングル・ヒットが狙いそうな曲などバラエティに富んだもので構成されていた。

 1曲目の"Life Beyond L.A."は起承転結がハッキリしていてプログレっぽいし、ギターがジャズしている"Apothecary"、ポップな"If Heaven Could Find Me"、AOR流"How Much I Feel"など、前作とは少し姿を変えたバンドを見つけることができるだろう。特にバラードの"How Much I Feel"は全米シングル・チャートの3位まで上昇したし、アルバムの方も全米19位を記録して彼らの最大のヒット作になった。

 6曲目の"Dancin' By Myself"は、まるでブラック・コンテポラリー・ミュージックのようで、サックスまでが強調されている。明るくはない、あくまで黒っぽい衣装をまとっている白人ファンク・バンドのようだ。
 また"Not As You Were"を聞くと、C,S&NがTOTOと一緒にウェストコースト風な短いプログレ・ソングを歌っているように聞こえてくる。クラヴィネットのソロがプログレ的で、曲全体がポップなのだ。

 最後の曲の"Ready For Camarillo"のピアノとオルガンでは、元メンバーのクリストファー・ノースが客演していて、全体を引き締めている。この曲もプログレッシヴ風味が横溢していて、静かに進行するデヴィッドの力強いボーカルにエモーショナルなギターと三連符のピアノが絡まるところがダークだ。前半の明るい曲とは打って変わって対照的だと思う。Photo_2
 このアルバムのヒットで、彼らはAOR路線を本格的に選択し、1980年には「ワン・エイティ(真夜中の晩餐会)」を発表した。そこからのシングル曲"Biggest Part of Me"や"You're the Only Woman"が大ヒットして、グラミー賞にもノミネートされ、さらに多くの高い評価を得るようになった。
 この頃のアンブロージアは、すでに演奏の上手なポップ・バンドになっていて、ファンからもメロウでアダルト・オリエンティッドな音楽を求められていた。だから構成が少しでも複雑で長い曲を演奏すると、ファンからブーイングも出たといわれている。

 今となってみれば、彼らはスティクスやジャーニー並みのバンドになれる可能性もあったのだが、シングル・ヒットのお陰で?、ゲスト・プレイヤーを参加させながらも敢えてポップ・バンドとして活動を続けていった。
 3作目までは、ひょっとしたらTOTOのようにヒットも出すし、テクニックもある幅広いレンジのロック・バンドを目指していたのかもしれないが、どうも中途半端な作風になってしまったようだ。

 だから4作目以降、ポップ路線を選択したことは、彼らにとっては、たとえ一時的にしろ、賢明な選択だったのかもしれない。

 この後、メンバーのデヴィッド・パックがドゥービー・ブラザーズのマイケル・マクドナルドと共同で曲を書くようになったり、他のメンバーもソロ活動を行うようになってしまって、バンドとしては休止状態になっていく。80年代の後半からは、メンバー・チェンジや再結成をしながら現在でもライブ活動を行っているようだ。(現在はノースも戻り、パック以外のオリジナル・メンバー+αで活動している)

 一時は元イエスのピーター・バンクスが自分のサポート・バンドにアンブロージアを指名して、ツアーを行うと発表したが、彼自身の健康問題でこの話は流れてしまった。

 このアンブロージアなどは、アメリカでの音楽的成功とはどういうものなのかを具体的に教えてくれる良い例だろう。要はメンバー自身が納得していればそれでいいのだろうが、ファンの側からすれば、サウンドの変化の受け止め方は千差万別である。

 いずれにしてもアメリカでは、芸術性と商業性のバランスを取ることは、そう簡単ではなさそうだ。

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2013年8月 6日 (火)

サード・アイ・ブラインド

 さて、前回まで90年代のアメリカでビッグになったバンドを紹介してきた。それはグー・グー・ドールズであり、マッチボックス20だったわけだが、いよいよ残りの1つになった。

 それはサード・アイ・ブラインド(以下、3EBと略す)のことで、彼らは1994年にサンフランシスコで結成され、1997年デビュー・アルバムを発表した。
 バンド名は、予想通りというか、"Mind's Eye"(心の眼)のことを意味していて、表面的ではなく深く物事を見つめていこうという彼らの考え方を表しているようだ。

 オリジナル・メンバーは、ボーカル、ギター、ベース、ドラムスの4人で、そのうち3人がカリフォルニア大学バークレー校を卒業している。なかなか偏差値の高いバンドだった。だからというわけでもないだろうが、バンド名を新聞広告や机の上にあったマッチ箱などからは適当に取っていないようだ。

 3EBは結成して3年後に、エレクトラ・レコードと契約してデビュー盤を発表した。自分の中ではサンフランシスコ出身のバンドというと、一癖も二癖もある個性的なバンドという印象が強くて、この3EBにもそういう先入観があった。3

 一聴してみて、やはり単純なロック・バンドではないとわかった。やはりグランジの聖地シアトルに近いせいか、その影響を受けているようで、内省的な歌詞やシャープなギターに特徴があった。

 このアルバムはチャート的には最高位25位に終わったが、104週に渡ってビルボードの200位以内に留まり(ということは約2年にということか)、何曲かシングルカットされた。そのうちの"Semi-Charmed Life"は軽快でポップなメロディに、ラップに近い歌詞が載っているもので、やはりただのバンドではないことがわかる。ちなみにこの曲は、ルー・リードの"Walk On the Wild Side"へのサンフランシスコからの回答だといわれていた。

 また、"Jumper"は橋から投身自殺をする人のことを歌ったもので、ボーカルのスティーヴン・ジェンキンス自身の個人的な経験や苦しみを反映したものでもある。(彼は両親の離婚や虐待経験、また自身の学習障害などを背負っていた)
 これらのシングルは、"Semi-Charmed Life"が4位、"Jumper"が5位、バラード・タイプの"How's It Going to Be"が9位になっている。

 こういう若者の苦悩や喜び、等身大の日常体験を記した歌詞もまた、アルバムのヒットに結び付いたようで、このデビュー・アルバムはアメリカ国内だけで600万枚以上売れる結果に結びついた。

 昔からデビュー・アルバムにはそのミュージシャンのすべての要素が込められているといわれるが、3EBもまたその例にもれず、ハードなロックからアコースティックで繊細な曲までバラエティ豊かであった。

 それから2年後の1999年に彼らのセカンド・アルバム「ブルー」が発表された。面白いのは、このアルバムの1曲目から5曲目までシングル・カットされた曲が並んでいる点である。ヒット曲をアルバム前半にもってくることで、アルバム自体をもヒットさせようと企画したのだろうか。
 具体的には"Anything"、"Wounded"、"10 Days Late"、"Never Let You Go"、"Deep Inside of You"の曲群であるが、この中ではスティーヴンと当時の恋人だった女優のシャーリーズ・セロンの関係を歌った"Never Let You Go"が14位に、若者の予期せぬ妊娠を歌った"10 Days Late"が21位、アコースティックで美しいバラードの"Deep Inside of You"が69位を記録した。

 もちろんこれら以外にもAC/DCの曲のような"1000 July"やゼッペリンの雰囲気を持つ"An Ode to Maybe"や"The Red Summer Sun"など、硬軟取り混ぜての曲配置がされていて、デビュー・アルバムのようにバラエティに富んでいる。結局、このアルバムも約200万枚以上売れている。Photo 

 こうやって彼らは、全米屈指のロック・バンドに成長したわけだが、残念ながらボーカルのスティーヴンとギタリストのケヴィン・ギャドガンとの確執が生じ、ケヴィンはバンド側から解雇されてしまった。このことは裁判沙汰になり、2002年には判決が下され、両者は和解したが、詳しい内容は明らかにされていない。

 ここからバンドのメンバーチェンジが繰り返されるようになったのだが、ギタリストが交代して発表されたのが、2003年の3枚目のアルバム「アウト・オブ・ザ・ヴェイン」だった。
 このアルバムは彼らの新しい旅立ちともいえるもので、スティーヴンの言葉を借りれば、“最初の2枚のアルバムは、同じ作品の両面を描いたもので、これからは豊かな作品集を作り上げていくんだ”と決意も新たに制作されたものだった。

 確かにこの言葉通り、サウンド的には肯定的で確信に満ちた音で溢れていて、聞いていて清々しい想いまで生じてきそうだった。特にシングル・カットされた"Blinded"は、ザ・フーの"Pinball Wizard"に似ているという批判はあったものの、まさに生き生きとしたサウンド作りで、ビルボードのアダルト・ポップ・ソング・チャートで17位、ポップ・ソング・チャートで34位を記録した。

 また"Crystal Baller"はアコースティックとエレクトリックが絶妙にバランスよく成り立っている佳曲で、最初はアルバム・タイトルにも用いようかと考えられていた曲だった。ただ残念なことに、シングル・カットされたがチャート・インはしなかった。

個人的には良いアルバムだと思ったのだが、ややマンネリ化したと思われたのか、もしくはメンバーチェンジが悪い影響を与えたせいか、プラチナ・ディスクまでは至らなかった。2
 3EBは2009年にベスト盤を挟んで、4枚目のアルバム「アーサ・メイジャー」が発表され、ビルボードでは初登場3位を記録したが、翌週には45位まで急降下してしまった。
 実はこのアルバムには「アーサ・マイナー」というアウトテイク集のアルバムが別に存在しているようなのだが、残念ながら現在まで発表されていない。ファンは首を長くして待っていると思うのだが…

 そして、昨年スティーヴンは自身のツイッターで、次の5枚目のアルバムが3EBにとって最後のアルバムになるだろうと述べ、2013年の6月からレコーディングに入ると公言している。ということはデビュー20周年をもって解散ということだろうか。もしそれが本当の話なら、残念なことである。3EBはスティーヴンのソロ・プロジェクトみたいなものになってしまって、本人はそれを嫌がったのだろう。

 ということで、90年代の特にアメリカで大活躍した3つのバンドを紹介したが、いずれのバンドも途中数年間のブランクを抱えて、今また世間の注目を集めている。
 そのうちのグー・グー・ドールズはロックの王道を歩んでいるし、マッチボックス20は逆にポップ・ミュージックのフィールドを進んでいるようだ。

 そして最後のサード・アイ・ブラインドは、サウンドだけでなくその歌詞で、多くの若者の支持を集めてきたが、度重なるメンバー・チェンジのせいか、その終焉が近づいてきたようである。オー・ヘンリーの小説ではないが、約20年たつと、人も音楽も変わってしまうのかもしれない。

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2013年8月 1日 (木)

マッチボックス20

 自分の中ではあまり区別のつかないバンドがある。最近気になっているのは、前回のグー・グー・ドールズと、マッチボックス20、それにサード・アイ・ブラインドだ。

  いずれもアメリカン・バンドだが、グランジ終了後の90年代半ば以降にメジャーになったロック・バンドである。日本ではマイナーな存在かもしれないが、アメリカではいずれも国民的なバンドなのだ。(たぶん)
 しかも3つのバンドともネーミングが変だ。日本語にすると、“人形”と“マッチ箱”と“三つ目”である。名前だけでもインパクトがあるし、やっている音楽も何となく同じように聞こえてきた。一体違いは何なのだろうか。

 この3つの中で一番売れているアルバムを残しているのが、マッチボックス・トゥエンティである。(以下MB20と略す)彼らはフロリダ州オーランドで結成された5人組で、中心人物はソングライティング&ボーカルのロブ・トーマスだ。(現在は4人組)

  このバンド、何が凄いかというと、デビューアルバムから3枚のアルバムと1枚のベスト・アルバムだけで、全世界で3000万枚以上売り上げているという点だろう。たった4枚のアルバムで3000万枚以上売れたことには、何か理由があるに違いない。それで少しだけ調べてみた。

 3000万枚以上売り上げを記録したのは事実だが、そのうちの約半分を売り上げたのが、デビュー・アルバムの「ユアセルフ・オア・サムワン・ライク・ユー」だった。201 このアルバムは1996年に発表され、5曲のシングル・ヒットが生まれた。特に"Push"のヒットをきっかけにしてブレイクした。

 曲のすべてはボーカルのロブ・トーマスが手がけている。彼は13歳頃にはすでにミュージシャンになろうと決意していたようだ。その頃からソングライティングを行っていて、高校を中退してからも曲を書き溜めていた。だからデビュー・アルバムに収録する楽曲には困らなかったらしい。

 この頃のアメリカはグランジ以降ということもあってか、曲も比較的短く、シンプルな作りだった。個人的な意見だが、90年代の半ばからアメリカの音楽シーンでは、メロディの復権、アメリカの伝統的な音楽への回帰が目立ってきたように思う。それまでのグランジへの反動が出たのだろう。

 だからMB20の豊かなメロディや歌心にあふれた歌詞などが広くアピールしたのではないだろうか。あくまでもイメージだが、アメリカの広いハイウェイを走るのにはこういう曲がピッタリくるような、そんな曲調なのだ。

 デビュー・アルバムのすべての曲を書いたロブ・トーマスのもとには、様々なミュージシャンからコラボレートのアプローチが来たようで、中でもサンタナとの"Smooth"でのコラボでは、第42回グラミー賞の“最優秀楽曲賞”、“最優秀レコード賞”、“最優秀ポップ・コラボレーション賞”がロブにも与えられた。その後もロブは、ミック・ジャガーやウィリー・ネルソンなどのビッグ・ネームのミュージシャンと共演を果たしている。

 デビュー・アルバム後も彼らは2年半にわたって、アメリカをはじめヨーロッパ、極東などをツアーして回った。このツアーの間にアルバムが1000万枚超のセールスを記録したようだ。
 そしてツアー後にセカンド・アルバムの制作を行い、2000年にそのアルバム「マッド・シーズン」が発表された。202 不思議なことに、デビュー・アルバムよりは自信の溢れた音作りが感じられるのだ。特に2曲目の"Black&White People"や続く"Crutch"では、大々的にブラスやギターがフィーチャーされていて、前作とは違う作風が感じられた。

 曲つくりの巧みさは相変わらずで、ロブ節が炸裂しているのだが、2枚目ではバンドの他のメンバーやプロデューサーと共作している曲もあり、少しバラエティに富んでいる気がした。そして"If You're Gone"、"Bed of Lies"、"Leave"、"You Won't Be Mine"あたりのバラードを聞いていると、こちらまで胸がキュンと締め付けられてしまいそうになる。音楽の“マジック”とはこういうことを指すのだろう。

 このアルバムは全米で400万枚以上を売り上げ、シングル・カットされた"Bent"は初の全米No.1を獲得した。またアルバムのチャートについても、デビュー作は5位止まりだったが、このアルバムでは最高位3位にまで上がっている。

 3枚目のアルバムは2年後の2002年に発表されたが、このアルバムも全世界で500万枚以上の売り上げを記録した。1stアルバムは、どちらかというとロック寄りで、セカンドではバラエティ豊かになり、このサード・アルバム「モア・ザン・ユー・シンク・ユー・アー」では、メロディがややポップ寄りになった気がする。

 また12曲中の半分はロブ一人の手によるものだが、残りの5曲はロブと他のバンド・メンバーやミュージシャンとの共作(そのうちの一人はミック・ジャガー!)、1曲はドラムス担当のポール・ドウセット自身の曲になっていて、その辺が今までのアルバムとは違う印象を与えてくれるのかもしれない。

 ポップ寄りと書いたが、あくまでもメロディ・ラインがそうなのであって、曲調自体は今までと変わらずにハードにロックしている。また曲によってはペダル・スティール・ギターやヴィオラ、メロトロンまで使用されていて、マンネリ化を防いでいるようだ。

 個人的にはミックと共作した"Disease"、メロディが美しい"All I Need"、ファズのかかったギターが激しくドライヴする"Cold"、ピアノやバンジョーも使用されてアメリカのルーツ・ミュージックに根ざした"Unwell"などがよかった。メロディの美しさだけで選ぶなら、このアルバムだろう。もし1枚だけ彼らのアルバムを選べというなら、迷わずこの3枚目を選ぶし、このアルバムは彼らの代表作だと思っている。マルーン5の「オーヴァーエクスポウズド」に対抗できるのはこのアルバムではないだろうか。203 ところが向かって敵なしのMB20が2007年に新曲6曲を含むベスト・アルバムを発表したあと活動休止状態に入ってしまった。
 理由の一つは、ロブのソロ活動だろう。彼は2005年と2009年にソロ・アルバムを発表して、ライヴ活動を行った。またそれが原因か不明だが、ギター担当のアダム・ゲイナーがバンドを脱退して、4人組になってしまった。

  その間に彼らは休みを取りながら、次のアルバムに向けて構想を練っていたようだ。4人でナッシュビルの一軒家を借りて合宿状態で60曲を作り上げ、その中から最終的に12曲を絞り1枚のアルバムとしてまとめた。3枚目のスタジオ盤以降、約10年を経て、それが昨年(日本では今年の春)に発表された「ノース」だった。

 “人は迷った時には、北を探して自分の位置を探り道を見つけて進んでいく”こういう意味がこのアルバムのタイトルに込められているという。ロブ自身もホームページ上に次のように述べていた。“とにかく前に進むことだ。新しい方向を見つけ、そしてどこに行きたいのかを見つけながらね。12曲、それぞれに違う時や違うことについての曲になっているからテーマを語るのは難しいけれど、でも何か一つのテーマがあるとすれば、それは前に進むことだと思う”

 このアルバムでは、彼らはロックの王道路線からポップ・ミュージックに路線を転換したような感じだ。ガンガン行くというよりも、一つのフレーズ、一つのメロディを大切にして、それを膨らませながら曲を作ったように感じる。

 このアルバムでもロブ一人で作った曲は12曲中5曲しかなく、残りは他のメンバーとの共作になっている。また沈鬱なマイナー調の"English Town"はドラマーのポールの手によるもので、彼自身がメイン・ボーカルで歌っている。

 さらにメロディアスでポップな"How Long"はギタリストのカイル・クックの曲。60年代のイギリスのバンド、エースのヒット曲"How Long"を思い出させるような佳曲だ。そして"The Way"はそのカイルとポールの曲で、80年代のフリートウッド・マックのようなファンタジックなポップ・ソングに仕上げられている。20_7 彼らは3作目から約10年間の空白の後、よりポップな道を歩み始めた。そしてそれはロブ一人ではなく、バンド全体の意思として一丸となって進み始めている。彼らが今後どういう道を歩むかはわからないが、どんなに売れても、あるいは売れなくても、ぶれずに自分たちの道を歩んでいくだろう。ちなみに「ノース」は、ビルボードで初登場1位を記録している。

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