« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »

2013年11月

2013年11月29日 (金)

アネクドテン(2)

 アネクドテンについては、以前にもこのブログの中で簡単なプロフィールやデビュー・アルバムなどについて書いたことがあった。
 今回は
2回目にあたるが、前回書き落としたことがあるので、補足してみたいと思う。

 1993年のデビュー・アルバムから2年間のブランクの後、セカンド・アルバム「ニュークリアス」を発表した。自分は最初店頭で見た後、そのジャケットの薄気味の悪さに少し驚いてしまった。「目玉おやじ」といえば何となくかわいらしく聞こえるが、やはりそのでか過ぎる目玉はグロテスク過ぎて、いい意味でも悪い意味でも記憶に残ったことは間違いないだろう。3_2
 その印象度の強さのせいか、このアルバムを購入するのを敬遠して、確かコラージュの「ムーンシャイン」を買ったような記憶がある。少なくともこの「ニュークリアス」よりはまともなジャケットだったように思えたからだ。(実際、アルバムも素晴らしかった)

 それで最近になって彼らの過去のアルバムがリマスターされて再発されたので、「ニュークリアス」を手に入れて聞いてみた。すると…

 デビュー・アルバムもそうだったが、やはりクリムゾンの影響下にあるアルバムだった。ただし前作よりはロック寄りでスピード感がある。また単なる“クリムゾン・フォロワー”で終わろうとしない彼らの決意みたいなものが伝わってきた。

 特に”Nucleus””Harvest”には前作に続いてクリムゾンのような衝動性、破壊性も見られるものの、同時にロック的なカタルシスも備えていて、明らかにデビュー・アルバムよりは進化している。

 一方で、”Book of Hours”のような抒情性を湛えた曲もある。ただこの曲にはどうしてもクリムゾンの影が見え隠れしていてオリジナリティに欠ける。ただ自分のようなメロトロン・ファンには7分前後から突如として出現するメロトロンの壁を聞くことができて、たとえそれが予定調和だとしても、思わず感動して涙ぐんでしまうのであった。

 キング・クリムゾンではサックスやバイオリンなどが時折フィーチャーされていたが、アネクドテンではチェロが使用されることがある。たとえば”Here”ではイントロや途中のバックで演奏されていて、それがより一層寂寥感を高めてくれる。クリムゾンのパクリとはいえ、なかなかの名曲でありオリジナリティも高いと思う。

 このアルバムでは最初と最後の2曲が、途中スローになる部分はあるものの、“プログレッシヴ・ヘヴィ・ロック”とも呼べるような疾走感に溢れたものになっていて、中間部の2曲はクリムゾン流“プログレッシヴ・バラード・ロック”だろう。

 またこのアルバムのボーナス・トラックとして、”Luna Surface”という曲が収められているが、映画のサウンド・トラックのようなダークで即興的なインストゥルメンタル曲だ。まるで「雲の影」当時のピンク・フロイドをロバート・フリップがプロデュースしたような印象の曲でもある。

 とにかく彼らのデビュー・アルバムとセカンド・アルバムは、まさにクリムゾンのDNAを受け継いだような楽曲で占められていて、70年代のキング・クリムゾンが90年代に甦ったような感じだった。

 だからアネクドテンの音楽は、クリムゾンの幻影を未だに追い求めている人たちにとっては、まさに奇遇ともいうべきものだったし、キング・クリムゾンを直接知らない世代にとっては、千載一遇の機会に思えたのだろう。

 自分は2007年に発表された5枚目の公式スタジオ・アルバム「ア・タイム・オブ・デイ」を「ニュークリアス」と同時に購入して聞いたのだが、これがまたビックリさせてくれるアルバムで、一言でいうと“ポップな”アネクドテンを聞くことができるものであった。4
 まず1曲の時間数が短くて3分あまり、長いもので714秒しかないことだ。非常にすっきりしていて、“イージーリスニング的なメロトロン・バンド”のようだ。

 それにボーカル・パートが充実していて、曲によってはインスト部分よりもボーカルの方が目立つものもある。さらには暗鬱な雰囲気を持った曲が見当たらず、どちらかというとアルバムのタイトルのように、彼らにとっては(あるいは北欧の人にとってはというべきか)、明るい印象を持たせるような曲調を含んでいる点だろう。

 1曲目の”The Great Unknown”や次の曲の”30 Pieces”のように軽やかに跳ね上がっている曲もあるし、その”30 Pieces”ではジェスロ・タルのイアン・アンダーソンが少しおとなしくなったようなフルート演奏も聞くことができる。

 “King Oblivion”だけを聞けば、この曲がアネクドテンだと分かる人は少ないだろう。確かにギターはクネクネしていてフリップ調だが、曲全体はミディアム・テンポで聞きやすい。メロトロンの哀愁サウンドも聞くことができない。

 “A Sky About to Rain”はギターのアルペジオで始まり、1stヴァースのあと壮大なメロトロンが鳴り響く。自分のようなメロトロン信者にとってみれば、まさに感涙に浸ることができるファンタスティックな曲でもある。それにメロトロンを背景にしてムーグ・シンセサイザーが使用されているところも彼らなりの新機軸だろう。名曲の一言に尽きる。
それにこの曲は
5曲目のインストゥルメンタル曲”Every Step I Take”につながっていて、じっくりと余韻も楽しむことができるのだ。

 続く”Stardust And Sand”はアネクドテン流のバラード。ここではアコースティック・ギターにメロトロン、ムーグ・シンセサイザーのソロを聞くことができる。この点でも彼らの新境地というか、新たな可能性の扉を開くものとして期待できるところだと思っている。

 そしてバラードの次はアルバム冒頭のような疾走感のあるアネクドテン流ハード・ロックに戻る。この曲”In For A Ride”のようなスピード感のある曲では、普通メロトロンは使わない(使えない)と言われてきたのに、平気でメロトロン内のテープをすり減らしている。
こういう使い方をするのは、かつてのイタリアのバンド、ムゼオ・ローゼンバッハやイギリスのジョーンジーくらいだろう。確かにカッコいい。

 ラストの曲”Prince of the Ocean”には多少ダークな印象を持ち合わせているが、それでも歌ものとして最後まで頑張っている。また、キーボードの使い方がメロトロン一辺倒ではなく、シンセサイザーなどを重ねて音に厚みをつけていて、フィナーレを飾る荘厳な感触を秘めている曲になっている。

 このアルバムまでは、どうしてもクリムゾンの影を引きずっていた彼らだったが、このアルバムを聞く限りでは、その感触を払拭しているようだ。上にも触れたが、これはこれからの彼らの新境地を託したものだと考えられるだろう。


 このアルバムの
1曲目の”The Great Unknown”を聞けばそれがよくわかるはずだ。

こんなスピーディーなアネクドテンなどは今まで想像すらできなかった。そういえばアルバム・ジャケットも日差しのある明るいフォトが使用されていたし、こんなところにもそれまでの彼らとは大きく違っている。

彼らは2009年にベスト・アルバム「チャプターズ」を発表した後、しばらく沈黙を守っている。デビュー当時のクリムゾン路線に再び回帰するのか、それとも「ア・タイム・オブ・デイ」のようなクリムゾン色を排した、歌と演奏の双方を重視した方向性に進むのか、興味は尽きない。彼らは、いま最もニュー・アルバムを期待されるバンドの一つなのである。

| コメント (4) | トラックバック (0)

2013年11月24日 (日)

トレッティオアリガ・クリゲット

 さてオランダ、ドイツときて、次は北欧のスカンジナビア半島に行ってみよう。北欧のプログレッシヴ・ロック・シーンも盛んというか、今はむしろこの地域の方が全世界のプログレ・シーンを牽引しているかのようだ。

 このブログでもすでに取り上げたように、この地域のバンドやミュージシャンは、スウェーデンのザ・フラワー・キングスやパル・リンダー・プロジェクト、ノルウェーのホワイト・ウイローにフィンランドのウィグワムやペッカ・ポーヨラと世界的にも人気を確立しているし、ファンも多い。

 今回は2回目の訪問ということで、前回取り上げられなかったバンドを中心に述べてみたいと思う。
 それで今回はスウェーデンのバンド、トレッティオアリガ・クリゲットの登場だ。名前が長いので、以下TKと略すことにした。


 さてこのTK、日本語にすると「30年戦争」になるのだという。「30年戦争」といえば世界史で習った方も多いだろうが、要するに1618年からヨーロッパを舞台に約30年間続いた戦争のことを指す。途中からスウェーデンも参戦して国王自身も戦死している。戦争の原因はキリスト教のカトリック対プロテスタントの勢力争いからきているのだが、こういう歴史的な事実からバンド名をとったということは、ひょっとして愛国心旺盛なメンバーで結成されたからであろうか。

 それはともかく、彼らは1970年にストックホルムで結成された。当時は高校生だったが、6人のメンバーのうち2人がドラマーだった。その時のデモ・テープが後にCDとなって発表されたが、アヴァンギャルドでアート・ロック的な内容だったらしい。まだ音楽的な方向性も定まっていなかったのだろう。

 幾度かのメンバー・チェンジを経て、1974年にデビュー・アルバム「30年戦争」を発表した。自分はTKをプログレッシヴ・ロックの範疇に入るバンドだと認識していたのだが、このアルバムを聴いて少し考えが変わった。基本的には時々メロトロンも使用するハード・ロック・バンドだとわかったからだ。Trettioariga_kriget_2
 1曲目の“Kaledoniska Orogenesen(カレドニア造山運動)はまさにワイルドなハード・ロックである。ただ6/8拍子や7/8拍子などの転調が多いし、エレクトリック・ギターのリフはそれほど印象に残るものではない。逆に叫び声のような鋭い絶叫型ボーカルと、野太いベース音の方が目立っている。ちょうど線の細いイアン・ギランとクリス・スクワイアがコンビを組んでいるようだ。

 次の“Roster Fran Minus Til Plus”で初めてメロトロンが顔を出している。748秒という長さだが、途中でボーカルの早口な語りが入るのでそんなに長さを感じさせない。また専任のキーボード・プレイヤーは存在しないからか、この曲でもギターとベースが目立っている。メロトロンは後半で薄くゆったりとバックで広がる程度だ。

 3曲目の“Fjarilsattityder”(蝶道)もスウェーデン式ハード・ロックだろう。ボーカルはすべての曲においてスウェーデン語で歌われていて、何となくドイツ語のように聞こえてくる。この曲では230秒過ぎからギター・ソロが挿入されているが、上手だがそんなに速弾きではない。のちのイングウェイ・マルムスティーンと比べると音楽的進化がわかって面白かった。

 次の“Mina Lojen”(我が冷笑)でもメロトロンは使用されている。もちろんバック演奏に徹していて、リードは取っていない。どうやらドラマーやギタリストが追加録音しているようだ。ただこの曲では効果的な使われ方をしていて、メロトロンをバックにギター・ソロが響くと、自分の中でかなりプログレの血が騒いでしまった。
 またこの曲は18世紀のスウェーデンの詩人ヨハン・ヘンリック・ケルグレンからインスピレーションを受けているらしい。


 5曲目の“Ur Djupen”(深き淵より)は当時のレコード会社からシングル・ヒットを期待されて作られたもので345秒と短い。ただしシングル・カットはされなかったようだ。この曲でもバックにメロトロンが流されている。先ほどボーカルは線の細いイアン・ギランと書いたが、この曲を聞いたらユーライア・ヒープの今は亡きデヴィッド・バイロンを思い出してしまった。

 オリジナル・アルバムでは最後の曲になる“Handlingens Skugga”(言葉は実行の影法師)では短いながらもギターが印象的なフレーズを紡ぎだしていて、自分は結構気に入っている。またベースの方もバリバリと目立っていて、エレクトリック・ギターとベース・ギターのユニゾン・プレイがこの曲の印象をさらに強くしている。
 この曲のタイトルはギリシャの哲学者デモクリトスの言葉から引用されていて、要するに“Talk is Cheap”ということらしい。


 基本的にハード・ロックなのだが、アルバムの前半ではギタリストは自分を抑えているかのようなプレイしかしていない。後半になるにしたがって、目立っているのだが、最初からもう少し自己主張してもよかったのではないかと思っている。


 なぜかというとボーナス・トラックにある“Under the Pendent Roof”では最初の3分間はバリバリと弾きまくっているからだ。これくらい弾けるのなら遠慮することはないだろう。ちなみにこの曲ユーライア・ヒープっぽい。ケン・ヘンズレーのいないヒープみたいだった。ボーカルのファルセットがそう思わせてくれるのだろう。

 TK1976年にイギリスでツアーを行い、当時のメロディ・メイカーは来年の有望株と高く評価していたが、どうも当時のレコード会社のCBSは彼らのことを快く思っていなかったようで、資金的な援助もせず、思うようなプロモーションも行わなかった。

 結局、その後のパンク/ニュー・ウェーヴの波に彼らも押し流されてしまい、5枚のアルバムを残してTKは、1981年に解散してしまった。ちなみに1996年には過去の未発表曲集の発表に合わせて再結成を行い、現在も活躍中である。

 多くのガイドブックではTKのことをプログレッシヴ・ロック・バンドと紹介しているが、自分は基本的にはハード・ロック・バンドだと思っている。ただメロトロンを使用しているのがユニークなのだが、この特徴が後に出てくるバンドに影響を与えたのは間違いないだろう。


 スウェーデンのロック・ミュージックの歴史の中では、ハード・ロックとプログレッシヴ・ロックの橋渡しとして、またのちのカイパやイングウェイなどへの仲介者として、その果たした功績は決して小さくはないのである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月19日 (火)

ネクター

 ネクターというバンドがある。何となく喉が潤うような名前なのだが、決して飲み物の名前ではない。表記では"Nektar"となっているが、これはドイツ語から来ているのだろうか、よくわからない。それに欧米ではかなり人気があるようだが、日本ではそれほど名前を聞いたことがない。

 英語本来では"Nectar"とは“花の蜜”のことであり、"Pollen"とは“花粉”を意味する語である。もともと彼らは、ライヴなどで自分たちの演奏が上手くいったときは"Nectar"と言って、演奏がよくなかったときは、今日は"Pollen"だと内輪で話していたという。そんなところから彼らのグループ名が決まったようだ。

 なぜこんなことを話したかというと、もともと彼らはイギリス人で、ドイツを舞台に活動をしていたからだ。結成当時のメンバーは以下の通りだった。
ロン・ハウデン…ドラムス
デレク・ムーア…ベース・ギター
アラン・フリーマン…キーボード
ロイ・アルブライトン…ギター
ミック・ブロケット…ヴィジュアル・エフェクト

 ロンとデレクが1964年頃にフランスで出会い、2人はドイツを中心にヨーロッパ各地を演奏して回った。最終的にメンバーがそろったのは1969年頃だった。ヴィジュアル担当のミックは、デビュー初期のピンク・フロイドのステージ照明や音響効果を担当していたようで、たとえて言えばキング・クリムゾンのピート・シンフィールドのような感じだったのだろう。ただ作詞までは行っていなかったようだが。

 要するにイギリス人が母国から遠く離れたドイツで活動を行っていたのである。だから英語で歌っているし、音楽的にもブリティッシュ・ロック風なのだった。

 自分が聞いたのは1972年に発表されたセカンド・アルバム「ア・タブ・イン・ジ・オーシャン」からだった。基本的にこのバンドのアルバムは、ジャケットも素晴らしく、どのアルバムもなかなかのインパクトがある。
 このセカンド・アルバムも同じで幻想的な絵画のようなものが魅了させてくれた。Photo
 音楽的にはプログレッシヴ・ロックというよりは、サイケデリックなハード・ロックという感じだった。昔は全5曲と記載されていたらしいが、リマスター盤では全4曲で表記されている。1曲目のアルバム・タイトルと同名曲"A Tab in the Ocean"は16分40秒の大作だが、基本的にはキーボード、特にハモンド・オルガンが中心となって全体をリードしている。もう少しギターが前に出てもいいのではないかと思った。

 2曲目の"Desolation Valley /Waves"や続く"Crying in the Dark"を聞いていると、何となくイギリスのアフェニティやギターの目立たないトラフィックのような感じがした。
 特筆すべきは最後の曲"King of Twilight"だろうか。この曲は1984年にあのアイアン・メイデンがカバーしていて、メロディアスで疾走感を伴う曲調は、確かにアイアン・メイデンにはふさわしいだろう。

 続いて聞いたのは、1973年に発表された4枚目のアルバム「リメンバー・ザ・フューチャー」だった。一般的にはセカンド・アルバムでプログレッシヴ・ロック・バンドとして認知され、この4枚目でその人気が確立されたといわれている。
 その評判が正しいかどうかはわからないが、当時のレコードではA面、B面で各1曲というイエスも真っ青の大作主義の権化のようなアルバムだった。2_2 ただ自分が聞いた限りでは、ドゥービー・ブラザーズがサイケデリック化して16分から18分の曲を演奏している気がした。イギリス人にしてはメジャー調の明るい感じだったし、コーラスも目立っていたからだ。
 ちなみにそれまでアメリカをツアーしたことがないにもかかわらず、このアルバムはビルボードで13位を記録している。プログレ全盛時代とはいえ、やはりこのドゥービー調の雰囲気が受けたのではないだろうか。

 当時は新譜としてリリースされる前に、ライヴで演奏されることはよくあることで、たとえば、ピンク・フロイドの「狂気」などはレコードとして発売される前に、ライヴでよく演奏されていた。そうやって曲想がまとまり、演奏もしっかりしたものに整えられていくのだろう。
 このアルバムもフランク・ザッパとヨーロッパを巡業していく間に、しっかりとした形になっていったようだ。

 またこのアルバムはコンセプト・アルバムで、目の見えない少年が地球外生命体とコンタクトを取りながら成長していくという内容のようだ。輸入盤なので歌詞カードもなく、何と歌っているかわからないのだが、転調につぐ転調で起伏があり、聞いていて飽きが来ないし、あっという間に時間がたってしまう。摩訶不思議なアルバムなのである。

 そして1975年に発表された「リサイクルド」は彼らの最高傑作といわれているアルバムで、通算6枚目にあたる。このアルバムもコンセプト・アルバムで、タイトルが意味しているように現在と未来の環境問題について言及している。そういうアイデアでアルバム1枚を作り上げるのだから、いかにもヨーロッパらしいと感心してしまった。

 彼らは、前作の「ダウン・トゥ・アース」でも人生をサーカスに例えたコンセプト・アルバムを発表していて、この73年から75年までの彼らは、プログレ・バンドとしてのピークを迎えていたようだ。

 音楽的な傾向としては、「リメンバー・ザ・フューチャー」では全2曲(のちのリマスター盤ではボーナス・トラックを含めて4曲)だったが、「ダウン・トゥ・アース」では短い曲を9曲重ねていって、1枚のアルバムとしてまとめている。

 この手法は「リサイクルド」でも活かされていて、さらに全11曲と増えていた。当時のレコードのサイドAでは7曲が収められ、そのほとんどが3分から4分程度の曲で、中には1分少々の曲もみられた。
 しかもアルバムのテーマを表すフレーズが何度も繰り返されていて、前半部分は1つの組曲としても聞くことができる。3_6
 後半でもハイパーでアップテンポな音楽的傾向は変わらないが、キラキラしたシンセサイザーがトッド・ラングレンを髣髴させる"Sao Paulo Sunrise"やエレクトリック・ピアノが強調される"Costa Del Sol"など、聞きどころは多い。

 特筆すべきはラストの曲“It’s All Over”で、アメリカのバンド、シナジーのキーボード奏者であるラリー・ファストがムーグ・シンセサイザーを演奏している点だろう。彼はのちにピーター・ガブリエルのバンドに参加している。

 
 この後、ギタリストのロイがバンドから脱退して、ネクターはプログレッシヴ・ロックからハード・ロック・バンドへとシフトしていった。1980年には一旦解散するが、20年後の2000年にはロイが戻ってきて再び活動を始め、現在ではロイとドラマーのロンが中心となってアルバム制作やライヴ活動を行っている。

 アルバム「リサイクルド」は別にして、自分にとってはプログレ・バンドとは言い難いネクターだったが、後に与えた影響力は侮れないものがあった。ドイツにはエロイやネクターのようなハード・ロックとプログレッシヴ・ロックの境界線上にあるバンドが多いようだ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月17日 (日)

ポール福岡公演2013

 ポール・マッカートニーが11年ぶりに来日して、先週から公演を行っている。当初は3会場5公演の予定だったが、あまりの人気ぶりに大阪の京セラ・ドーム公演が追加された。確かに11年ぶりにポール・マッカートニーが見られるのだから、たった5回だけでは少なすぎるというものだろう。しかも御年71歳、果たして次の公演があるかどうかも怪しいわけだし、熱心なポール・ファンでなくても見てみたいと思うであろう。Cimg0395
 それで自分も来日公演が新聞紙上で発表された後、チケットを手に入れて見に行くことにした。何しろ福岡のヤクフク・ドームで行われるとあっては、これはもう何があっても見に行かないといけないと思ったからだ。

 119日に来日してから15日の公演まで、たびたびテレビのワイドショーなどでその動向が報道されてきたが、そのせいか列島あげてポールの一挙手一投足にますます注目が集まってきたようだった。


 ロック・ミュージックに革命を起こし、音楽界だけでなくその後の文化史までにも影響を与えたザ・ビートルズの元メンバーだし、イギリス女王からその功績を認められてSirの称号まで与えられた貴族なのである。しかも年齢を考えれば、こんなフィーヴァーぶりもむべなるかなといえよう。

 たとえば11日の大阪での追加公演では「マイド、オオキニ」と日本語でMCをしたり、ステージ上では一切水分を摂取せず、2時間45分間歌いきったなどというニュースが全国ネットで流されていた。

 それで福岡公演である。そんなニュースを耳にしながら市内から臨時バスに乗り、期待に胸を膨らませて会場に赴いた。5時入場開始というのにもかかわらず、自分が着いた3時過ぎにはすでにもう入口ゲート付近に列ができていて、オフィシャル・グッズ売り場では売り切れになった商品を係員が連呼して注意を喚起していた。Cimg0393
 話によると別途料金を払えばサウンド・チェック中のメンバーを観戦できるということを耳にしたのだが、どうだったのだろうか。実際、4時を過ぎてもドーム内から曲が漏れ聞こえてきて、時間的にだいぶ押していることが分かった。だから5時を過ぎても入場できなかったし、夕闇が迫って星が瞬き始め、少し肌寒くなってもみんな並んでいた。実際に入場できたのは6時前だったと思う。ひょっとしたらポールは今日も相撲観戦に行って遅くなったのだろうか。

 S席とはいえ自分が座ったのは2階の後ろの方だった。しかもステージ上の両翼にカーテンが掛ってあって自分が座った1塁側からでは左側が邪魔になって見づらかった。
 エアロスミスの時もそうだったけど、最近のアリーナ以上の大型ライヴ会場ではスクリーンが特設されるのは普通だから、オペラ・グラスなどは必要ないと思っていたが、障害物があればオペラ・グラスがあろうがなかろうがますます意味のないことだった。

 それで約20分遅れの午後720分頃にコンサートは始まった。大阪でもそうだったが、福岡では「コンバンハ、フクオカ!カエッテキタバイ」と日本語でMCをした。さらに「ニホンゴ、ガンバリマス。バッテン、エイゴノホウガ、ウマカトヨ」とこれまた大阪公演にならって話しかけてくれた。さすが天下のポール・マッカートニー、状況に応じて立派に対応している。この適応力もいまだに現役を続けることができている源の一つなのだろう。Cimg0399
 ただ、大型スクリーン下には日本語での翻訳が提示されていて、自分のような門外漢にはありがたかった。これは大阪公演にはあったのだろうか、ひょっとしたら福岡公演から始まったのかもしれない。

 ちなみに福岡でのセット・リストは以下の通り。大阪公演と異なっているのは、34曲目の“I Saw Her Standing There”で、大阪では“Get Back”だった。

1 Eight Days A Week

2 Save Us

3 All My Loving

4 Listen to What The Man Said

5 Let Me Roll ItFoxy Lady

6 Paperback Writer

7 My Valentine

8 1985

9 The Long And Winding Road

10 Maybe I’m Amazed

11 I’ve Just Seen Her Face

12 We Can Work It Out

13 Another Day

14 And I Love Her

15 Blackbird

16 Here Today

17 New

18 Queenie Eye

19 Lady Madonna

20 All Together Now

21 Lovely Rita

22 Everybody Out There

23 Eleanor Rigby

24 Being For The Benefit of Mr. Kite

25 Something

26 Ob-La-Di, Ob-La-Da

27 Band On The Run

28 Back In The U.S.S.R.

29 Let It Be

30 Live And Let Die

31 Hey Jude

<Encore1>

32 Day Tripper

33 Hi, Hi, Hi

34 I Saw Her Standing There

<Encore2>

35 Yesterday

36 Helter Skelter

37 Golden SlumbersCarry That WeightThe End

 ポールは日本公演前には北米公演を行っていて、カナダでも全37曲ほぼ同じセット・リストだった。ただ8月だったのでまだニュー・アルバムは発売されておらず、すべて過去の曲ばかりだったが、9月のロサンゼルスの野外公演ではニュー・アルバムからも数曲演奏されていて、この模様はYou Tubeで見ることができる。ちなみにカナダでは“Your Mother Should Know”“Junior’s Farm”“Mrs. Vandebilt”が披露されていた。

 以下、気がついたことを数点書かせてもらうと、1曲目に“Eight Days A Week”を持ってきたのには驚いた。以前は、“Drive My Car”や“Back In The U.S.S.R.”のようなパンチの利いたロックン・ロールがオープニング曲になったのだが、今回は割とゆるい曲だった。やはり年齢のなせる業なのだろうか。

 しかし彼の年齢には関係なく、ポールは間違いなく現役ミュージシャンだというのが分かったのが、ニュー・アルバムからの4曲だった。ふつう71歳のミュージシャンがアルバムを発表して、はるばる極東の日本まで来るだろうか。たとえ来たとしても4曲も入れずにシングル・カットされた曲だけに抑えて、あとは他のヒット曲で終えるというのが普通であろう。日本のミュージシャンでは考えられないことである。

 それを新曲を含む4曲も披露したのだから、ポールはこのアルバムに相当、力を入れているはずだ。そのせいかアルバム「ニュー」は全英、全米ともに最高位3位、日本では2位になった。これは1989年のアルバム「フラワーズ・イン・ザ・ダート」以来の快挙だといわれている。ちなみに個人的には、このアルバムは「ラバー・ソウル」に似ていると思った。Photo
 ウィングス時代のブルーズ・ロック5のあとに、ジミ・ヘンドリックスの曲のワン・フレーズが披露されているが、これはどこの公演でも行っているようだ。
 それから古いレス・ポールに持ち替えて6を演奏したが、そのギターは実際にレコーディングに使用されたものだと話していた。ちなみにベース・ギターはヘフナーのヴァイオリン・ベース1本だったが、ギターはほぼ1曲ごと頻繁に持ち替えていたようにみえた。

 今の妻のナンシーのために作った7やかつての愛妻リンダに捧げた10を経て、アコースティック・セットに変わった。11を聞いたとき、この曲がカントリー&ウェスタンだったと初めて気がついた。ポール流のC&Wだったのだ。当時はリンゴがC&Wに夢中だったが、ビートルズの中でそういう雰囲気があったのだろう。


 また15では、この曲はアメリカツアー中に問題があって、その人のために作った曲だといっていた。これは翻訳の字幕では『公民権運動』となっていて、差別を受けていた黒人たちに向けてのメッセージ・ソングということらしい。そんなことは全く知らなかった。 続く16については、亡くなったジョンと対話するような感じで作ったと説明していた。

 17からはアップライト・ピアノの前に座って歌っていくのだが、このときステージの一部が上にせり出してきて、しかもそのせり出た部分の前がスクリーンになるという演出だった。ポールはその上で歌っていることに途中で気づいたが、2階から見ていたのでよくわからなかった。そのうち「ライヴ・イン・ジャパン」のDVDでも出るだろうから、それでも見ながら確認することにしよう。

  演出といえば、2430などではレーザー光線で天井の後部に幾何学模様が映し出されるというのがあったが、アリーナ席の前の人は、後頭部に目がない限りは、絶対に気がついていないはずだ。こういう時の2階席は都合がいいのである。

 また20は某国営放送の「みんなのうた」でも放映されたが、この日もスクリーン上ではセサミ・ストリートのようなキャラクターが登場していた。洋の東西を問わず、この歌は子ども用かも知れないが、ポールがやればおとなも満足するのである。

 25では最初ウクレレを弾きながら歌うというものだったが、当のジョージがいたらどう思っただろうか。でもこの曲をウクレレで歌うのはもう10年近くも前から行っているのだから、ジョージは何も言わないだろう。ポールとしてはビートルズのメンバーを身近に感じながら、一緒にやっているという気持ちなのだと思う。(後でわかったのだが、ポールは生前のジョージにウクレレの演奏方法をジョージの曲で学んだことを伝えていたようだ)

 それから30のときの爆発炎と煙は消防法上、大丈夫だったのだろうか。かつてUSJでは火薬の使用過多で責任者が書類送検されるということがあったが、今回もドームという密封された空間ではかなり衝撃が強かった。場内の温度は間違いなく2度は上がったし、煙が多くてそのあとの演奏が少しかすんで見えてしまった。

 29では東北大震災の被災者に捧げるといっていたし、31ではポールの指示で男女別に分かれて歌ったりして、会場全体で大合唱になった。当然といえば当然であろう。昨年のロンドン・オリンピックの開会式を思い出したのは、私一人ではないだろう。

 1回目のアンコール3曲は、いずれもノリノリのロックン・ロールで、2回目のアンコールではあの天下の名バラードの弾き語りから始まった。途中で「ソロソロイエニカエリマショウ」みたいなことを日本語で言っていた。そして36で一気に興奮を盛り上げて、最後のメドレーに突入していった。Cimg0404_2
 自分は、自分が死んだときは、身内だけの家族葬にするということを周りの人に言っていて、その時のBGMはザ・ビートルズの「アビー・ロード」を流してくれるように頼んでいる。特に後半のサイドB、“Here Comes The Sun”から“Her Majesty”は繰り返し流すようにお願いしようと思っている。もう少ししたら具体的に書面に残そうと思っているが、このメドレーを聞いて、ますますその思いを強くした。

 とにかく自分も含めて、この日集まった約36千人の人たちには、生涯忘れえぬ日になったことは間違いない。この日のために頑張ってきた人や、この日のお陰でこれからがんばれそうな人たち、間違いなく一人ひとりのドラマがこの日に集約され、この日から生まれていったのである。そんな場を提供してくれたポールに心から感謝したいと思っている。


 すでに功成り、名を遂げたポールである。プールサイドでシャンパンを飲みながら、妻ナンシーと楽しく暮らすだけ、何も働かずに年数億円もの著作権料が入ってくる身分のポールが、なぜここまでエンターテインメントに徹するのだろうか。

 それはアメリカ流の商業主義ではなくて、イギリスの国民性やポールの階級意識に根差しているのではないだろうか。単なる勤勉性だけでなく、女王からSirの称号を授かったとはいえ、やはり家族意識の強いアイリッシュ系の家系であり、セールスマンだった父親や看護師の母親の影響が、彼自身が両親以上の年になっても、まだ残っているのであろう。

 だから今のポールは、逆に今まで以上に音楽に対して純粋である。もうすぐ終わるであろう彼のキャリアに対して自覚的であり、だからこそ真剣に音楽に向かい合っていけるのだ。そういう彼の意識が前面に出ているからこそ、ニュー・アルバムは売れているし、今回の「アウト・ゼア・ツアー」はどこに行っても大成功するのである。

 

 

 一部のメディアでは、今回のチケット代について儲け主義的なことを述べていたが、一流の音楽を最高のパフォーマンスで提供するためには、最高級の設備とトップレベルのクルー等が必要なのは当然のことで、それがチケット価格に反映されているだけのことだ。その代金が高いか低いかは、あくまでも個人的な問題で、一般論で括られることではないだろう。Cimg0405_2
 公演の最後に「マタアイマショウ」、“See You Again !”と言っていたポールだが、そうあってほしいのはすべてのポール・ファンの本音だろう。でもたとえそうでなくても、ポールの気持ちを自分の心の中に秘めて生きていくこともまた、本当のポール・ファンならわかってくれるはずだと思っている。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月14日 (木)

エロイ

 このバンド、名前だけ聞くと何か誤解されてしまいそうだが、決して怪しいバンドではない。H.G.ウェルズの小説「タイム・マシーン」に出てくる未来の人種の名前から取られたものだ。

 以前にも書いたが、ドイツのプログレ界にはいくつかの流れに分かれていて、アモン・デュールなどの実験音楽系、タンジェリン・ドリームなどのシンセサイザー・インストゥルメンタル系、ノヴァリスなどの正統派シンフォニック系、それに今回のエロイのようなメタル・プログレッシヴ系である。(ドイツではないけれど、現在のドリーム・シアターもこの発展系かもしれない)

 特にドイツのハード・ロック/ヘヴィ・メタル・バンドの楽曲には、時間の長いものが多い。ハロウィーンやガンマ・レイ、70年代のスコーピオンズにも10分近い曲があるし、ブラインド・ガーディアンには組曲形式のものもある。そういえば、イギリスのアイアン・メイデンも同じような感じだ。
 どうもヘヴィ・メタルとプログレッシヴ・ロックの境界線は曖昧だ。扱うテーマや演奏技術の高さを披露しようとすると、そうなってしまうのだろう。違うのはボーカリストの歌い方ぐらいだろうか。

 それでエロイだが、このバンドの歴史も長い。1969年にバンドのギター&ボーカルのフランク・ボーネマンが中心となって結成された。彼はエンジニアとしても有名で、スコーピオンズのセカンド・アルバム制作にも関わっている。

 当時のドイツには、他のバンドのカバーや模倣をするバンドが多くて、オリジナリティを持ったバンドはほとんど見られなかったということで、自分たちがその状況を変えようとしたらしい。だからバンド名も想像上の未来の人種にちなんでつけられた。

 でも「芸術は模倣から生まれる」といわれるように、エロイも最初はビートルズやシャドウズのコピー・バンドからスタートしていた。

 彼らは1971年にデビューした。当初はプログレッシヴというよりも、初期のディープ・パープルのようなサイケデリックなサウンドだった。時間的にも長くて8分少々で、5、6分台の曲が多かった。

 彼らがプログレ・ファンの間で認知されたのは、1974年のサード・アルバム「フローティング」を発表してからだった。2曲目の14分35秒もある"The Light From Deep Darkness"でのハードなギターとサイケデリックなオルガンのバトルには、多くのファンが感涙したようで、ここから彼らの快進撃が始まったのである。

 彼らの全盛期は70年代後半から80年代初めにかけてだと思っている。74年以降はコンセプト・アルバムやトータル・アルバムを数多く発表した。
 この期間は、まさしく彼らはプログレッシヴ・ロック・バンドだった。1枚のアルバムで全4曲、全5曲といった構成と、決して演奏技術は高くはないのだが、雰囲気で聴かせるところなどは、本家イギリスのバンド以上だった。それを証明するかのように、ドイツ国内では、ジェネシスやピンク・フロイドよりアルバムは売れていった。

 80年代に入ってからは、相次ぐメンバー・チェンジのせいで、エロイはフランクのワン・マン・バンドになってしまう。また時流に合わせたせいか、1曲あたりの時間も短くなってしまい、少しずつプログレッシヴ・ロックの流れから離れていった。
 結局1984年にバンドは一時的に解散状態になってしまった。4年後に再開するものの、バンドはジャーマン・メタルの色を加えながら、再出発したのである。

 自分は彼らのベスト・アルバムを2枚持っている。1枚は1993年に発表された「クロニクルⅠ」で、10曲しか収録されていないにもかかわらず、彼らのプログレッシヴな側面を聞かせてくれる。1
 1曲目は11分29秒もある"Poseidons Creation"で、アトランティック大陸をテーマにした1977年のコンセプト・アルバムの冒頭の曲である。スペイシーなキーボード、メロディアスなギターと意外に目立つベース音など、結構手が込んでいる。

 2曲目も11分以上の"The Apocalypse"で、1979年のアルバム「サイレント・クライズ・アンド・マイティ・エコーズ」の2番目の曲。静かなバラード・タイプの曲と思いきや、徐々にドラマティックに盛り上がっていく。この曲もキーボードが牽引役となって、全体をリードしている。

 残りの曲はキーボードと同等かそれ以上にギターも目立っていた。つまり1980年の「カラーズ」、81年の「プラネッツ」、82年の「タイム・トゥ・ターン」の3枚のアルバムから収録されていて、サウンド的にはプログレッシヴ・ロックからジャーマン・メタルに移行するときのものになっているからだ。
 曲によっては"Mysterious Monolith"のようにホークウインドのようなものや、"End of An Odyssey"のように9分のうち最初の4分少々が演奏というピンク・フロイドを意識したような曲まである。

 もう1枚のベスト・アルバム「クロニクルⅡ」は、再結成された1988年前後の3枚のアルバムから収録されていて、彼らの長い活動歴を考えれば、ベスト・アルバムと称するには少し苦しい気がした。このアルバムが発表された1994年当時からすれば仕方ないのかもしれないが、できれば70年代初頭のアルバム群からも収録してほしかった。2 

 このアルバムも全10曲で、1984年の「メトロマニア」、88年の「輪廻」、92年の「デスティネーション」の3枚からほぼ均等に収録されている。"All Life is One"のようなボコーダーを使用したフューチャリスティックな曲もあるのだが、やはりボーカル・パートの充実ぶりとギター・サウンドが目立つのである。

 この時期の(そして今でも)エロイは、フランクのソロ・プロジェクトみたいなものだから、どうしてもボーカルやギターが目立ってしまうのだろう。ただキーボードに関しては、決してお座なりにはならずに、それなりに目立っていることは強調しておきたい。

 その後エロイは、2009年に結成40周年を記念してニュー・アルバム「ヴィジョナリィ」を発表した。フランク曰く、初期の作風に立ち返って自分たち自身を見つめ直したものらしく、原点回帰を図ったのだろう。
 また翌年にも2枚組DVDを発表しているし、さらには2011年にかけてはヨーロッパをツアーして、いまだ健在な姿を見せている。

 決してテクニカルな演奏技術を誇るバンドではないが、イギリスのプログレ・バンドの演奏形態や雰囲気を上手に消化して、自分たちのものにしている。
 その影響力は国内のプログレ・バンドのみならず、ハード・ロック/ヘヴィ・メタル系のバンドにも強く及んだ。名前はエロイかもしれないが、その志たるや立派なものだったのだ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月10日 (日)

グローブシュニット(2)

 ドイツのプログレ・バンドの中で、わりとまともな(“まとも”というのは「正統的」という意味)音を出すバンドの一つに、グローブシュニットというのがある。

 このバンドは1970年に結成されて1989年には解散したが、21世紀になってから再び活動を始めている。ある意味息の長いバンドなのだが、面白いのは、音楽的にはテクニカルではないが、きちんとした楽曲フォームに乗っ取ったメロディアスなプログレッシヴ・ロックを聞かせるところである。3
 自分が思うに、基本的にはドイツのバンドたちはメロディアスである。ハード・ロック畑のスコーピオンズやハロウィーン、プログレ畑のノヴァリスやエニワンズ・ドーター、あのアモン・デュールやタンジェリン・ドリームでさえもサイケデリックで実験的ではあるが、まともな旋律を聞かせるところは持っている。
 デビュー前のザ・ビートルズがハンブルグで修業して、単なるビート・バンドでは通用しないということを学んだのも、そういう土壌があったのだろう。

 それでグローブシュニットのことに話を戻すと、ザ・クルーというバンドが母体となっていて、このバンドが解散したあと当初は8人編成で結成されたものである。
 ザ・クルーはサイケデリック・ロックを演奏していたが、徐々にプログレッシヴな方法を採るようになった。

 それは彼らのステージが演劇的で、まるでミュージカルとサーカスとロック・コンサートが一体化して繰り広げられているようなものだったらしい。とにかく一晩のライヴ演奏が通常でも3時間はあったというから尋常ではない。それをドイツ国内でツアーをするのだから、口コミで彼らの人気が高まっていった。Photo
 1972年にデビュー・アルバム「冥府宮からの脱出」を出した後、2年後には2枚組のセカンド・アルバムを発表した。そのときは5人組になっている。
 また彼らはそれぞれ偽名を使っていて、メンバー間でもニックネームのように呼び合っていたし、アルバム・ジャケットにも記載されていた。なぜそんなことをしたのかは、よくわからない。たぶんアマチュア時代からそう呼び合っていたのだろう。

 それで、このセカンドに"Solar Music"というトータルで33分以上の曲があるのだが、ライヴではこの曲だけで2時間近くなったという。いったいどんな演奏をしていたのだろうか。当時の映像を見てみたいものである。2
 自分は彼らが1975年に発表したサード・アルバム「ジャンボ」をなぜか持っていて、聞いたことがある。この時はベーシストに新メンバーのウルフガング・ジャガーが加わり、より一層プログレッシヴ・ロックに近づいたといわれていたが、自分が聞いた限りでは、非常に聞きやすいプログレッシヴ・ロックだった。

 非常に聞きやすいといっても、決してポップではない。全5曲で、長いものは11分以上もあった。ただ全体では40分に満たないものだったから、CDでは英語版とドイツ語版の2種類で歌われていて、両方の言語で味わうことができる。
 ドイツ語で歌われていてもメロディの親しみやすさは変わらないし、演奏も安定していて特に違和感はない。地元のライヴではおそらくドイツ語だっただろうから、実際の雰囲気もこういう感じだったのだろう。Photo_4
 1曲目の"Jupp"は13秒ほどのSEで、ドイツ語での会話やものが飛んでぶつかる音などが聞こえてきて、すぐに次の"The Excursions Of Father Smith"が始まる。イントロではアタック音の強いベースがグイグイと引っ張っているので、確かにクリス・スクワイヤっぽい。バックではメロトロンが薄く広く音のすそ野を広げていく。リスナーに期待させる出だしである。

 よく聞けば、イエスよりも初期のジェネシスのようだろう。ただメンツ的にはギタリストが2人いるので、ギターが目立つ「ナーサリー・クライム」だろう。
 ギターの音色は一定だが、キーボードはメロトロンからハモンド・オルガン、シンセサイザーと次々と繰り出してくれる。そういう意味ではなかなか達者なキーボーディストである。名前は英語読みで、ヴォルカー・カールスというようだ。

 3曲目の"The Clown"でのオルガンの使い方は、トニー・ケイに似ているし、途中で切り込んでくるギターのリフも、指が引っ掛かりながら弾いているところがスティーヴ・ハウといえば、そう思えてくる。ただ何回も言うが、メロディが優しくてあくがない。この曲でも前の曲でも途中で演劇的なボーカルが挿入されている。ライヴではこのあたりで盛り上がっていたのだろう。

 "Dream And Reality"は、アコースティックで始まるバラード系の曲。もちろんエレクトリック・ギターやシンセサイザーも使わられているが、アルバムのほぼ真ん中あたりでこういう5分少々の曲を持ってくるところは、よく配慮されていると思う。彼らのハーモニーやバック・コーラスも新鮮さを感じさせてくれた。

 そして11分27秒という長い曲"Sunny Sunday's Sunset"でアルバムはクライマックスを迎えるのだが、おどろおどろしいギターのアルペジオとシンセサイザーの響きが妙に期待を持たせてくれた。
 静から動、また静へというのは、プログレの長尺曲の定番だが、ここでも徐々に盛り上げていくさまは、なかなかのものである。21世紀の今聞いても決して古臭さはなく、むしろ引き込まれていきそうになってしまうほどだ。ザ・フラワー・キングスのロイネ・ストルトなどは、この手法を学び自身のバンドやトランスアトランティックなどに活かしているのではないだろうかと、ふと思ったりもした。

 彼らのサウンドはイエスに似ているといわれるが、そこまで計算されているものではないし、一人ひとりの演奏技術もそこまで驚くほどのものではない。ただライヴでの演奏能力(というか体力!)は、高かったに違いない。
 またメロディの良さは一聴に値するだろうし、後世のプログレ・バンドも彼らから多くのことを学んだと思う。

 彼らは13枚ほどスタジオ・アルバムを出して解散したが、今世紀になって急にライヴ活動を始め、その様子を収めたアルバムも発表している。
 ただ悲しいかな、ベーシストとキーボーディストは、それぞれ2007年と2008年に亡くなってしまった。この2人がいたから、彼らは名前が売れたと個人的には思っている。

 とにかく彼らの音楽性なら、もう少し世界的にも有名になれたと思うのだが、実際はマイナーのままで終わってしまった。彼らが英語で歌っていたということは、世界的な活躍を願っていたのだろうが、結局80年代はドイツ語でアルバムを出すようになってしまった。自分の中では、再結成よりも再評価されてほしいバンドの一つなのである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月 6日 (水)

追悼:ルー・リード

 

 先日の1027日にルー・リードが亡くなった。71歳だった。謹んでお悔やみを申し上げたい。彼は長らく肝臓を患っていたようで、移植手術まで受けていたらしい。一時は術後の経過もよくて、外出もできていたようだが、結局は肝臓疾患が原因だったという。

 自分がルー・リードのことを知ったのは、高校生ぐらいの時だった。その頃パンク・ロックが全盛期で、そのつながりで元祖パンク・バンドとも呼ばれたヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバムを聞いたのが最初だった。アンディ・ウォーホールのイラストで有名な例のアルバムである。Photo_2
 その時は確かにカッコいいサウンドだと思った。自分はイメージとして、もっとドロドロとしたおどろおどろしいものだと予想していたのだが、意外に明るくてロックしていたのがよかった。

パンク・ロックに先駆けること約10年前のアルバムにしては、サウンド的にも全く古びていないと思った。おそらくいま聞いてもそう思うだろう。

それで個人的に一番聞いた彼のアルバムは、「ベルリン」だった。このアルバムは1973年に発表されたのだが、自分が聞いたのは一人で暮らし始めた1980年頃だった。当時は大学生だったが、周りには話し相手もおらず、アパートと学校を往復するような毎日だった。

当時大学の生協にはレコード売り場があって、定価の2割引きで販売されていた。だからたまにアルバイトなどで臨時収入があった時は、そこの売り場でアルバムを物色しながら時間を過ごして、気に入ったものは購入していた。今思えばささやかな楽しみだった。

それでそのとき「ベルリン」の復刻盤が販売されていて、しかもそれが定価2000円だったので、即購入してしまった。当時のRCAレコードは定期的にアルバムを廉価盤で再発していたのだ。
 しかも定価が2000円ということは1600円で買えたのである。新品のアルバムが1600円だったから、それだけでも満足だったが、レコードの帯には『ルー・リードの最高傑作』とまで書かれていたから、これはもう間違いないだろうと思った。Photo_4
 それで聞いた時の印象は、まさに“耽美的”や“退廃的”といった言葉がピッタリ当てはまる物だった。ロック的な疾走感や爽快感は皆無で、聞いていくにつれて、暗い穴倉に引き込まれそうな気がした。もちろんポップなサウンドでもなく、シンガロングできるような曲でもなかった。

それにルー・リードが例の低音の声でボソボソと呟くように歌っていたし、演奏の方もギターが唸りをあげ、キーボードが音に厚みをつけ、豪快なドラミングが聞けるというものでもなかった。後で聞いた話だが、このアルバムにはベースにジャック・ブルースとトニー・レヴィン、ドラムスにエイズレー・ダンバー、キーボードにはスティーヴ・ウインウッド、ギターはアリス・クーパー・バンドからディック・ワグナーとスティーヴ・ハンターが参加していた。

今から考えれば、超豪華なラインナップだが、当時は全然そんな事は知らなかったし、たとえ知っていても、あくまでもルー・リードのソロ・アルバムだったから、ボーカル以上に目立つことはなかったのである。

さらにプロデューサーがあのボブ・エズリンだった。のちにキッスの「地獄のデストロイヤー」やピンク・フロイドの「ザ・ウォール」を手掛けた彼である。ボブ・エズリンといえばトータル・アルバム作りに優れ、彼のトレードマークともいうべき“耳で聴く映画”通りのプロデュース業だった。時にオーヴァー・プロデュースになりながらも、効果音やエフェクト類を使用して、視覚的にもイメージしやすいような音作りを得意とするボブだけあって、このアルバムも“映画的”、“絵画的”だった。

もちろんこのアルバムもトータル・アルバムだった。主人公の男と娼婦キャロラインとの恋愛とその結末が描かれていて、舞台は世紀末のベルリンだ。もちろん悲恋の物語であり、そこには生と死、聖と俗、エロスとタナトスなど、相反するものが混沌として描かれていた。

当時のレコードの解説を今は亡き今野雄二が書いていて、そこには彼らしく饒舌でナルシスティックな文章が綴られていた。彼によれば、妻子ある男性がベルリンである女性と恋に落ちてしまう。その女性にも子どもがいたのだが、母親の仕事もしくは素性のせいか、子どもと母親は引き離されてしまい、母親の方はすべてに絶望して自ら命を絶ってしまうというストーリーだった。

自分はこのアルバムを幾度となく聞いた。他に聞くものも少なかったというのもあったが、まるで何かに憑りつかれたかのように、毎日毎日飽きることなく聞いた。報われぬ恋愛物語で、カタルシスなどは全く味わうことができないし、むしろ気が滅入ることの方が多かったが、薬に耽溺するかのように、毎日聞いていた。

最後の曲“Sad Song”のストリングのように、いつまでも終わらないことを願いながらも、やがては目覚めてしまう夢のように、余韻が続くアルバムだった。自分の無気力状態もそのエンディングのように、いつまでも続いていた。

このアルバムのせいではないのだが、たぶんそのときの自分は鬱状態だったのだろう。当時はまだ世間にも慣れておらず、未熟で無防備な状態だった。夢も目標もない状態で、何をしていいかわからなかったし、何をしても報われないような気がした。そんな自分を癒せる音楽が「ベルリン」なのだから、これはもう手の打ちようもない、火に油を注ぐような状態だった。


 再び「ベルリン」を聞きながら、昔のことを思い出してしまった。
今は世渡りはうまくなった分、自分の素の部分は見えなくなったが、基本的には変わっていないと思っている。
 心も体も成熟したが、だからといって満たされているわけではない。逆にこれからは、後悔の念が募っていくのだろう。家に引きこもることはなくなったが、この先、引きこもってしまっても何も変わらないのかもしれない。

妙にまた無気力になってしまったが、そういう摩訶不思議で耽美主義的な魅力をもつアルバムがルー・リードの「ベルリン」だった。確かに歴史的な名盤である。あらためて彼の才能の素晴らしさに敬意を表したいと思う。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2013年11月 4日 (月)

SFF

 ドイツのプログレッシヴ・ロックは、いくつかの系統に分かれるようで、個人的にはアモン・デュールやカンなどのアヴァンギャルド系、タンジェリン・ドリームやクラフトワークなどのシンセサイザー中心もの、エロイのようなハード&メタル系、ノヴァリスやウインド、エニワンズ・ドーターのようないわゆる正統派シンフォニック系などである。

 今回のSFFというバンドは、この中のいずれにも属さない特異なバンドだ。まずその編成からして異なっていて、E,L&Pのような3人組にもかかわらず、ドラマーと2人のキーボーディストの3人で構成されている。

 SFFというのはその3人のメンバーの頭文字を取ってつけられたものだった。結成は1974年。70年代に3枚のアルバムを出して有名になったが、2人のキーボーディストが自分たちでアルバムを発表するようになり、いつのまにか(80年代を迎える前頃)自然消滅してしまった。

 それで1974年に録音され、76年に発表されたデビュー・アルバム「銀河交響曲」には、彼らの特徴が詰め込まれている。
 まず、シンセサイザー中心の音楽で、時にメロトロンも使用されている点がユニークだ。そしてアヴァンギャルドで、メロディアスではなく、ところどころはアンビエント風でもある。Sff 要するに70年代同時期のタンジェリン・ドリームがブライアン・イーノの曲を演奏しているようなもので、個人的には進んでターン・テーブルに乗せようとは思えない曲調なのだ。全5曲すべてインストゥルメンタルで、後半16分26の"Pictures"ではそんな彼らの特徴がよく表れていると思った。

 国内盤のこのアルバムは、1975年当時のライヴ盤とのカップリングになっていて、個人的にはこのアルバムの中の"Tao"や"Dialogue"の方が気に入っている。こちらのライヴ盤の方がメロトロンの音が横溢していて、大勢の?観衆の前だったせいか、ダラダラとしておらず緊張感のある演奏を耳にすることができたからだ。
 もし彼らのアルバムを聞いてみたいと思う人は、1975年のライヴ盤も単体で既発されているので、そちらの方をお勧めしたい。

 一説によれば、あのフランク・ザッパがデビュー・アルバムをプロデュースするといわれていたようだが、ザッパのスケジュールが合わずにこの企画はボツになった。そのせいか、このデビュー・アルバムは、制作に1週間、すべてワン・テイクで仕上げられているという。

 自分はこの1枚で彼らと関係を切るつもりだったのだが、どうしてもライヴ盤のメロトロンの音が忘れられずに、翌年発表された彼らのセカンド・アルバム「太陽幻想曲」を購入してしまった。このアルバムもまた、全7曲インストゥルメンタルだった。

 このアルバムにはベーシストがゲスト参加していて、前作よりはよりバンドとして一体化された音楽を発していた。またリズムが明瞭になって、ややロック的になっていた。

 この頃の彼らは、マハビシュヌ・オーケストラを目標としていたようで、このセカンドではその影響が出ているようだ。アルバム冒頭の"Wizzard"にはそういうリズムの強化されたサウンドを楽しむことができる。

 だからといってメロトロンがなくなったわけではなく、"Autumn Sun in Cold Water"では幻想的で繊細な音を聞くことができるし、"Driftin'"ではリズミカルな音を聞くことができる。後者の曲は、何となくYMOのようにも聞こえてきた。当時は世界的にもこういうテクノ音楽が流行っていたせいだろうか。

 このセカンド・アルバムは、個人的には前作より聞きやすかった。ただ前作の作風を引き継いだような"Artificial Energy"、珍しくピアノ中心の前衛的な"1580"のような曲もあって、やはり根底は変わっていないようだった。Sff2 彼らは1979年に3枚目でラストになったアルバム「ティケット・トゥ・エヴリウェア」を発表した。このアルバムの1曲には、とうとうボーカリストまでゲスト参加していて、しかもそれはスコーピオンズのクラウス・マイネだというからビックリである。全体的にわかりやすい音楽にシフトしようとしたのかもしれないが、自分はもうそこまでついていけなかった。

 とにかくSFFは、メロトロンは演奏しているものの、その楽曲全体はタンジェリン・ドリーム風でもあり、アヴァンギャルド風でもあり、テクノやジャズっぽい雰囲気の中に前衛的な抒情性を散らばせているものであった。だから一筋縄ではいかないのである。

 結局、彼らはキーボーディスト2人になってアルバムを数枚発表したが、その内の1人が1992年に亡くなったので、2011年には残りのキーボーディストとオリジナル・ドラマーの2人でアルバムを発表している。どんな音楽なのかはわからないが、その楽器編成から考えて、基本的にはあまり変わってないのではないだろうか。

 彼らはジャーマン・ロックを代表するバンドだったかもしれないが、自分にとっては“シャーマン”・ロック風に聞こえてきたのであった。

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »