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2013年12月

2013年12月29日 (日)

ナウ・ホワット?!

 先日、テレビで今年の4月にロサンゼルスで行われた「第28回ロックン・ロール・ホール・オブ・フェイム」を見ていたら、途中で亡くなった個人を追悼するコーナーがあった。

 その中にはイエスの初代ギタリストだったピーター・バンクスや、速弾きで一時代を築いたテン・イヤーズ・アフターのアルヴィン・リー、アイアン・メイデンのドラマーだったクライヴ・バーなどがいた。

 ピーター・バンクスは65歳、アルヴィン・リーは68歳で、クライヴ・バーに至っては多発性硬化症という病気だったせいか56歳という若さだった。どうもミュージシャンは割と短命のようだ。

昔は毎年アルバムを発表して、ツアーに出かけるというハードなスケジュールだったし、そのストレス発散のために酒やドラッグ、グルーピーに走るというロックン・ロール・ライフだったせいもあるだろう。若いころは将来のことも考えずに今を生きていくから、とりあえず人気のあるうちは稼ぐだけ稼ごうという意識も手伝ったのかもしれない。

一方で、ルー・リードは71歳、リッチ-・ヘヴンスは72歳とやや長生きしているし、7月に亡くなったJ.J.ケイルは74歳、プロデューサーのフィル・ラモーンは79歳まで生きている。シンガー・ソングライターやプロデューサーは、自分のペースで生活できるので、長生きできるのかもしれない。そういえば昨年亡くなったスコット・マッケンジーは73歳で亡くなっているし、ラヴィ・シャンカールに至っては92歳だった。長生きしたいなら自作自演で活動を続けていった方がいいのだろうか。

 そういえば元ディープ・パープルのキーボーディストだったジョン・ロードも昨年亡くなっていたことを思い出した。彼は1941年生まれだったから、生きていれば今年72歳になっているはずだ。それでも日本の平均寿命から考えれば、短い方だろう。2
 1963年からプロ活動を始め、1968年にディープ・パープルを結成して最初はアート・ロックやサイケデリック・ロックの範疇で語られていたが、リッチ-・ブラックモアの意見を取り入れて、ハード・ロックに転身するや否や瞬く間に世界中にファンを獲得してしまった。

その後いろいろとあったものの、最終的に2002年にディープ・パープルから脱退してソロ活動を始めた。膝を痛めてもうツアーに出られないという理由だったが、実際はどうだったのだろうか。膝が悪くてもレコーディング活動はできるわけで、彼としては60歳を過ぎてもうパープルでの活動をやりつくしてしまったという気持ちもあったのだろう。結局、脱退してから10年後に亡くなったことになるのだが、今年彼への追悼を込めたパープルのアルバム「ナウ・ホワット」が発表されている。

ディープ・パープルの名義としては19枚目のスタジオ・アルバムで、前作の「ラプチャー・オブ・ディープ」から8年ぶりの新作だった。

またジョンの代わりにキーボーディストに就任したドン・エイリーが参加しての3作目にあたるものだ。Photo
 アルバムは追悼盤にふさわしくジョン・ロードばりのハモンド・オルガンが鳴り響く“A Simple Song”から始まる。もの悲しいリード・ギターのソロから急にハードなハモンド・オルガンが入ってくるところなどは、確かに昔のパープルのままだ。まるで古いウィスキーのように熟成した音つくりだし、変化しないことが彼らに課せられた使命なのかもしれない。


しかしこのアルバムのプロデューサーはかの有名なボブ・エズリンである。昔のままならロジャー・グローバーに任せておけばいいわけで、あえて外部のプロデューサーを起用したということは、彼らなりの目論見なり、算段があったに違いない。

確かにここ最近のアルバムよりは音に切れがあるし、過剰な装飾、大仰な部分もある。3曲目“Out Of Hand”の出だしのシンセサイザーやラストの曲“Vincent Price”での笑声のSEは必要ないだろうと突っ込みたくもなる。キッスやピンク・フロイドではないのだから、そのままブルージィなロックをやればいいのに、作り過ぎな気がした。

一方で彼は、バンドやミュージシャンのポップな部分を引き出すことにも巧みで、シングル・カットされた“Hell To Pay””All The Time In The World”ではメロディアスなパープルの特長を引き出すことに成功している。ちなみにこのアルバムのクレジットにはボブ・エズリンの名前もあるので、サビの部分などは彼の手によるものかもしれない。

個人的には“Hell To Pay”のようなアップ・テンポの曲をもっとやってほしかった。この曲を聞けば、まだまだパープルも捨てたものではないと思う人が間違いなく出てくるだろう。この曲や次の曲“Bodyline”でのスティーヴ・モーズとドン・エイリーのプレイはなかなかのものだと思う。

ジョンに捧げられた曲は2曲で、そのうちの1曲“Above And Beyond”ではドンのキーボードがメインになっていて、『遠くからお前たちを見守ってやる』という歌詞がいかにもという感じだ。

もう1つの曲“Uncommon Man”E,L&Pも演奏した“Fanfare For The Common Man”をモチーフにしていて、イントロのギターとシンセサイザーがネタ曲を髣髴させてくれる。もちろん曲自体も力強くて素晴らしい。追悼といいながらそんな雰囲気は微塵もなく、自分たちのオリジナリティを発揮している。

今回のアルバムではドン・エイリーが目立っていて、ジョン・ロード風のハモンド・オルガンから派手目なシンセサイザーまで結構活躍している。

一方のスティーヴ・モーズの方は可もなく不可もなしといった感じだ。この人確かに器用なギタリストだし、速弾きも上手なのだが、いかんせん魅力的なフレーズ作りに欠けている。もう少し印象に残るようなフレーズやリフを組み立てることができれば、後世に名を残せるギタリストになると思うのだが、どうだろうか。

またボーカリストのイアン・ギランの声は心配したほどのこともなく、十分出せていると思う。日本盤のアルバムには、ボーナス・トラックで何と“Highway Star”のライヴ・バージョンが収録されているが、もちろん高音のパートは低く歌ってはいるものの、声自体は一時の酷い時期を脱しているようだった。プロなら当然のことだろうけれど、きちんとボイス・トレーニングを受けているのだろう。もう68歳なのだから、きちんとケアしてほしいものである。

バンドは結成45周年を迎え、この調子で50周年まで行くつもりなのだろう。一番若いスティーヴでさえ来年60歳になるし、イアン・ギランなどは70歳を超えることになる。まあいつまで続けられるかわからないが、こうなったら最年長のロック・ボーカリストとして記録を作ってほしいものだ。

このアルバムはヨーロッパ、特に東欧では人気が高く、チェコやオーストリアではチャートで1位を記録している。一方で本国イギリスでは19位、日本では50位、アメリカにいたっては110位だった。ヨーロッパではその手の専門誌が発行されているくらいだから、ハード・ロックの根強い需要があるのだろう。

いずれにしても21世紀に入ってから久々に聞きごたえのあるアルバムを作ってくれたディープ・パープルだった。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という格言があるが、こういうアルバムが作れたのも亡くなったジョン・ロードのおかげだったのだろう。Photo_2 

本年最後のブログになってしまったが、今年逝ったミュージシャンを考えながら、ディープ・パープルのアルバムにたどり着いてしまった。これもまたジョンのせいなのかもしれない。

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2013年12月24日 (火)

FM

 カナダのプログレッシヴ・ロック・バンドの一つに、FMというのがある。現在でもメンバーを入れ替えて活動中なのだが、結成は1977年と古く、翌年にはデビュー・アルバムを発表している。

 メンバーは3人で、中心人物はキーボードやベース・ギターを担当しているキャメロン・ホーキンスというミュージシャンだ。
 
もともとこのキャメロンとバイオリン、マンドリンを演奏するジェフ・プレウマンが1976年に出合い、意気投合して結成したバンドだった。

当時は2人で演奏していて、かなり前衛的なものからシンフォニックなものまで幅広い音楽性だったらしい。何しろ2人ともキーボードを自由自在に操れ、しかもエレクトリック・バイオリンやマンドリンまで取り入れていたから、ユニークなものだったに違いない。

さらにライヴではマルチ・スクリーンを導入して、ライト・ショウまで展開していた。まるで当時のジェネシスのようだ。

そのせいか彼らのデビューは割とすんなり決まった。デビューの際には、ドラムス担当のマーティン・デラーを迎え入れて3人組になっている。また、それより以前にメンバーのジェフは、1920年代の古いコメディ映画からナッシュ・ザ・スラッシュという名前を頂戴して、自分のニック・ネームにしていた。Photo_2
 彼らのデビュー・アルバムは、「ブラック・ノイズ」というタイトルで1977年に発表された。このアルバムはなかなかの傑作だと思う。キャメロンのボーカルは高音がよく伸びてさわやかに聞こえるし、バックの演奏もジャズ風からテクノ風まで幅広い。さまざまな音楽性を自分流に解釈して、自分たちの音として確立されたものを持っている。

 基本的にキーボードはスペイシーに装飾されていて、当時としては最先端のテクノロジーに裏打ちされたキーボード類が使用されているようだ。ギターレスのバンドなのだが、そんなことを考える必要もないくらい演奏は素晴らしい。

 また当然のことながら楽曲自体もよく練られていて、これはデビュー前からステージ上で演奏していたものをレコーディングしたからだろう。

 カナダのバンドは、どちらかというとカラット乾燥していてブルージィな雰囲気はない。あの大御所であるラッシュにしても、ゼップの影響は受けながらもそんなに湿っぽくはない。それ以外のヴィジブル・ウィンドやビートルズの覆面バンドと言われたクラトゥ、前回紹介したサーガ等々も暗い酒場で安酒を飲みながら嘆くときに聞くBGMには不似合いである。

このFMも変則的な編成のプログレッシヴ・ロック・バンドでありながら、奏でる音楽は聞きやすく、ときおりポップな要素を持ち込んでいる。

1曲目の“Phasors On Stun”340秒少々と短く、2曲目の“One O’clock Tomorrow”6分を超えるものの、いずれもサビの部分は耳になじみやすい。両方ともデビュー前からライヴで演奏していた曲だそうだ。Fm1_2
 一番プログレッシヴ寄りの曲は、8曲目最後の曲になる“Black Noise”だろう。シンセが飛び交うイントロから盛り上げようとするドラミング、途中のまるでエレクトリック・ギターのようなフレーズを奏でるキーボードなど、ドラマティックな展開がいかにもプログレッシヴ・ロックですよと訴えているのだ。

ただ残念なことに、このアルバム発表後ナッシュ・ザ・スラッシュはバンドを脱退した。彼はさらにプログレッシヴな方向性を志向していたのだが、キャメロンはエイジアのようなプログレ・ポップな方向を目指したらしい。ナッシュはその後ソロ活動を開始し、ソロ・アルバムや映画のサウンドトラックを発表している。また1983年から96年まではソロ活動と並行して古巣に舞い戻り、再びFMでも活動した。

また何を思ったか配給元の会社は、このアルバムを本当に“ノイズ”と思ったらしく、アルバムのプロモートはおろか、何故か500枚限定の通信販売として発表してしまった。

アルバムの評判は良かったものの、当然500枚では商業的な成功は望めず、次のアルバム「ダイレクト・トゥ・ディスク」は全2曲という極めてプログレ的でありすぎて、デビュー作とは対照的でありすぎた。(もちろん一部のファンからは熱狂的に受け入れられたが…)

それで彼らは1979年に3枚目のアルバム「サーヴェランス」を発表した。全9曲トータルでわずか36分に過ぎないもので、1作目よりもさらにポップで疾走感のある楽曲で占められていて、プログレの衣装を身に着けたロック・バンドになったような気がした。例えていうと、E,L&Pがジャーニーやフォーリナーの曲をやっているような感じだ。ただしバラードは歌っていないけれど…

特に1曲目の“Rocket Roll”や6曲目の“Seventh Heaven”などは今聞いても十分ヒットするのではないかという要素を備えている。エレクトリック・ギターは使用されていないのだが、微妙なビブラードやサスティーンがギターのように聞こえてくる。ジェフ・ベックのアルバムで演奏しているヤン・ハマーのようだ。

このアルバムでも最後の曲“Destruction”6分と一番長い曲になっていて、緩急をつけた曲展開や途中のバイオリンやキーボードの音色が特徴的だ。Fm2_2
 リーダーのキャメロンも言っているように、この作品は新メンバーのベン・ミンクもバンドに慣れてきて水準の高い楽曲も用意して制作したアルバムだった。が、しかし残念ながら当時の親会社だったパスポート・レコードが倒産してしまい、このアルバムの発売は見送られてしまった。

しばらくたってキャピトル・レコードがパスポート・レコードを吸収合併したので、やっとこのアルバムが陽の目を見ることができたのである。

このアルバムにはヤードバーズの1966年のヒット曲“Shapes of Things”が収められているが、これはキャピトル・レコードの意向だったらしい。しかもシングル・カットされてそこそこヒットしている。

またドイツのバンド、ネクターのシンセサイザー奏者だったラリー・ファストがアドバイザーとして参加しているし、親会社からは制作に1か月という、当時としては長いレコーディング期間が与えられた。ちなみにデビュー・アルバムは8日間、セカンドはわずか1日で制作されている。

結局、このアルバムも話題になったものの商業的な成功には結びつかず、彼らはその後アルバムを出し続けるも、1989年に一度解散した。

再結成やメンバー・チェンジを繰り返しながら、キャメロンを中心に今もなお活動を続けているFMだが、結局デビュー・アルバムを超えることはできなかった。

ただ個人的には好きなバンドだし、3人編成にしては躍動感のあるアルバム作りには敬服する限りだ。再結成よりも再評価の方が望ましいバンドの一つなのである。

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2013年12月19日 (木)

サーガ

 今年もあと1週間あまりになり、街も新しい年を迎えようとする準備でますます慌ただしさを増しているようだ。そんな時季に登場するのは、久しぶりにカナダからのバンドである。 

 

 カナダといえば、世界的に有名なバンドのラッシュの名前を思い出す人も多いだろう。この3人組はレッド・ゼッペリンの硬質性と、イエスのような構築美を有する音楽性を備えているが、カナダには、この手の音楽性を持つバンドが多いようだ。これも“ラッシュ効果”なのかもしれない。 

 

それでこのバンドも多少のプログレの要素は持ちつつも、それ以上にハード・ロックの部分が大きく占めているようだ。このバンドというのは、5人組のサーガである。(Sagaと表記されることもある)

  

彼らはもうベテラン・バンドと呼ばれてもおかしくないほど活動歴が長い。結成は1977年のトロントで、ベーシストのジム・クリフトンとドラマーのスティーヴ・ニーガス、キーボーディストのピーター・ラフォンが結成したポケッツというバンドが母体になっている。

その後、ボーカリストにマイケル・アドラーが、ギタリストにジムと兄弟のイアン・クリフトンが加入し、キーボーディストがピーターからジム・ギルモアに交代して、ここに不動のラインナップが完成した。 

 

 彼らは1978年に「サーガ」というバンド名と同名のアルバムを発表したが、これが早くも大ヒットを記録した。地元カナダはもちろんだが、なぜかドイツでも好評で、数か月余りで3万枚以上売り上げたという。 

 

 当時はボストンやジャーニーが人気だったが、彼らの音楽性もそれらによく似ていた。要するにクリアでメロディアスなギター・ソロとスペイシーなキーボード・プレイ、それに絡む力強いボーカルである。

カナダという国はアメリカと陸続きのせいか、そこからの影響を強く受けると同時に、一歩退いた形で、アメリカの音楽を客観的に対象化できるようだ。

 

 だからサーガの音楽性もアメリカのバンドの影響を強く受けながらも、徐々に自分たちのオリジナリティを出すようになった。まず同郷のラッシュとの差別化を図るためにポップ化の道を歩み始めた。(ラッシュものちに同じような道のりを歩むようになったが…)だから必然的に楽器ソロはコンパクトにまとめられ、ボーカルが強調されるようになった。

またジムの才能を生かして、少しプログレッシヴなテイストも演出するようになった。簡単に言えば、ボストンからエイジアに軌道修正したということだろう。 

 

そのせいか1982年に発表されたアルバム「ワールズ・アパート」は全米29位を記録し、そこからのシングル“On the Loose”はビルボードのシングル・チャートで26位まで上昇した。

さらにライヴ盤を挟んでの5枚目のスタジオ・アルバム「ヘッズ・オア・テイルズ」は、その俗悪なアルバム・ジャケットにもかかわらず、世界的に流通し、これまたヒットしている。

 

 これで順風漫歩、向うところ敵なしのサーガだったが、1987年のアルバム「ワイルデスト・ドリ-ムズ」発表後、ジムとスティーヴが脱退してしまった。理由は自分の家庭を大事にしたいということとソロ・キャリアの追求だった。成功して自分たちの求める音楽性に違いが生じたのだろう。よくある話ではある。 

 

そして残されたメンバーで活動を続けたサーガだったが、これまた主力メンバーを失った野球チームのようで、さっぱり売れなくなってしまった。これもよくある話である。 

 

ただサーガの人気は北米だけでなく欧州、特に北欧で人気が高く、それまでの活動をまとめた2枚組のベスト・アルバム「ザ・ワークス」の売り上げもよかった。2
 このベスト盤は1991年に発表されたのだが、ソロ・キャリアを追及していたメンバーもこれをきっかけに元のバンドに戻ろうと思い始め、結局、1993年にオリジナル・メンバーで再活動を始めた。この辺もプログレ・バンドなどでは、よくある話である。

 

 彼らは2012年までに22枚の公式スタジオ・アルバムを発表している。そのあいだオリジナル・ドラマーが交代したり、ジョン・アンダーソンのように、ボーカリストのマイケル・アドラーの一時的離脱もあったが、現時点ではドラマー以外は全盛期のメンバーで活動しているようだ。 

 

自分は彼らのベスト盤「ザ・ワークス」と1999年の15枚目のアルバム「フル・サークル」を持っているが、前者はシングル・ヒット中心でポップな彼らの面を知ることができたし、後者のアルバムでは円熟したエイジアのようなプログレ的な要素をもつ彼らの魅力を知ることができた。 

 

特に「フル・サークル」では、ややダークで濃密な音空間を味わうことができて、個人的には気に入っている。
 1曲ごとの演奏時間は決して長くはなく、だいたい5分程度なのだが、それぞれギターやキーボードのソロや少年少女の合唱団を使った曲もあり、時間以上の長さを味わうことができた。さすが全世界で800万枚以上のアルバム売上げを誇るバンドである。どうしたら魅力的なアルバムになるかのノウハウには長けているのだろう。Photo

 ちなみにベスト盤にはピーター・ガブリエルの“Solsbury Hill”が収められている。またギタリストのイアンは実際にエイジアと共演をしているから、エイジアの影響も受けていたのだろう。

またキーボーディストのジムはイエスのアルバム「ユニオン」のレコーディングにも参加していた。場合によってはトニー・ケイやリック・ウェイクマンの後継者として、イエスに参加する可能性もあったわけで、そう考えれば彼の演奏技術もかなりのレベルに達していると思われる。 

 

最後に上記以外で彼らの特徴はというと、アルバムのジャケットに変な生物が描かれていることと、楽曲に“Chapter”シリーズがあるということだろう。

 

この変な生物は何という名前なのかわからないが、彼らの分身か、あるいはマスコット的存在なのだろう。しかも最初はバッタとトンボが合体したような昆虫だったが、最近では徐々に進化?しているところが興味深い。

 

 それと“Chapter”シリーズという楽曲が彼らのアルバムに順不同で挿入されていて、まずデビュー・アルバムには“Chapter4”、“Chapter6”が、セカンド・アルバムの「イメージズ・アット・トゥワイライト」には“Chapter1”と“Chapter3”が収められていた。

「フル・サークル」では“9”、“10”、“13”が収録されていたが、最終的に“16”まであるようで、2005年にはこの16曲を順番通りに収めた「チャプターズ・ライヴ」という2枚組ライヴCDが発表されている。

曲については特に統一した内容はないのだが、当時の冷戦に対するレジスタンスやアインシュタインの保存されていた脳みそ、先端科学技術による死者の再生などのSFなどがテーマとして扱われている。 

 

日本ではそんなにメジャーではないのだが、北米やヨーロッパではかなり人気の高いサーガである。純粋なプログレッシヴ・ロック・バンドではないのだが、ライトなドリーム・シアターと考えれば、日本でももっと人気が出てくるかもしれない。ただ配給会社の応援がないと厳しいだろうし、それは期待する方が無理というものだろう。

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2013年12月14日 (土)

ウォブラー

  さて北欧のプログレッシヴ・ロックを少し垣間見てきたが、年末も近いことだし、そろそろ次の国に移動しようと思い、北欧については最後とすることにした。

 それで今回はスウェーデンのお隣の国、ノルウェーのバンド、ウォブラーの登場である。ノルウェーといえば、個人的には、ウィンター・スポーツが盛んで、冬季オリンピックではメダル獲得数が多いという印象が強い。また氷河と森林の国でもあり、自然との共生や教育熱心な国民性といった感じもする。

 そんな国からのプログレ・バンドだから、きっと素朴で牧歌的、土の香りのする民族性の強い音楽を奏でるだろうと思っていたのだが、ところがどっこい、21世紀のネット時代ではあっというまに過去の音楽や流行のものは、拡販していくのである。

 何もこれは音楽だけに限ったことではなく、事件や事故、ローカルな話題から個人的な意見までもが、フェイスブックやツィッターで世界の隅々まで広がってしまう。透明性や公開性が高まっていることはいいことだが、すべてが表面に出てくるのもまた問題だと思う。何でもすべてをオープンにすることが良いこととは限らないからだ。


 それでノルウェーのウォブラーである。80年代ではa-haの登場でノルウェーのポップ・シーンが紹介されたし、プログレではトラディショナルでフォーキィな味付けのホワイト・ウィローが有名だが、このバンドも個性的だ。その個性とは次の2点である。

 音楽性の基本コンセプトが変幻自在である。

 アンティークな楽器しか使用しない。

彼らは1999年にノルウェーのヘネフォスというところで結成された。結成当時は4人だったようで、デビュー・アルバムやセカンド・アルバムは、ゲスト・ミュージシャンを迎えて制作されている。
 自分が最初に聞いたのは、2005年に発表されたセカンド・アルバムの「アフターグロウ」だった。一言で言えば“傑作”の名前に値するもので、ノルウェーにはまだまだこういう素晴らしいバンドがいることを知って驚いた覚えがある。

基本的にはクリムゾンの亜流なのだが、単なるコピーに終わらせないオリジナリティーが加えられていて、ところどころに挿入されるフルートやチェロがいい味を出している。またメロトロンの使い方が本家クリムゾンを凌駕していて、ほぼ全編にわたって鳴り渡っているところが、メロトロン信者にはたまらないのだった。Photo

 アルバムは全5曲ながら、2曲目の“Imperial Winter White”4曲目の“In Taberna”をメインとして、その前後を短い曲でつないでいる。最初の“The Haywain”と最後の“Armoury”はアルバムの導入と終点になっていて、フルートやチェロが使用されている点がサウンドに奥行きを与えている。特に“Armoury”の方は約3分と時間的にも長く、ノルウェー流フォークロアのようで、最後は壮麗なメロトロンの洪水で占められているのが印象的だった。

また3曲目の“Interlude”はその名の通り、アコースティック・ギターと・アコースティック・ベースのみの挿入曲で、終盤にチェロ風味の味付けがキーボードによりなされている。何となくフルートのないジェスロ・タルの“Bouree”に似ている。

 

それで2曲目“Imperial Winter White”は、急迫なビートに変拍子の応酬が加わり、その間をメロトロンが鳴り響くという、まさにクリムゾン的な音響空間が展開されていて、アングラガルドと比べても全く遜色はない。それにフルートが加わるのだから「レッド」時代のクリムゾンにイアン・マクドナルドが参加した感じがした。ボーカルも7分過ぎと12分過ぎに加わるのだが、わずかに彩りを添える程度である。

また4曲目の“In Taberna”の方は、ほんの少しだけフリップ風のエレクトリック・ギターが目立っているが、基本はキーボードであり、中でもメロトロンの使用頻度は高い。

同時に、フルートもときおり主旋律を奏でているし、ハモンド・オルガンもジャズっぽいフレーズを聞かせてくれる。8分過ぎには民族調?のアレンジも施されていて、全体の完成度としてはかなりのハイ・レベルである。この辺はキング・クリムゾンの種子がうまく北欧に根付いたようで、単なるクリムゾン・フォロワーで終わっていないところが素晴らしい。

 ところで②にもあるように、彼らはヴィンテージの楽器しか使用しない。具体的には1975年以降に製造された楽器は使わないようで、だからギターやキーボード類もすべてそれ以前に作られたものだそうだ。したがってこのコンピューター全盛の時代に、多重録音でもすべて1つひとつの楽器やボーカル・パートを別々に録音してまとめている。
 それに彼らは楽器のメンテナンスに長けているので、古い楽器でも自分たちで修理をしながら使っているという。

 彼らの3枚目のアルバム「夜明けの儀式」は2011年に発表された。このアルバムではボーカルが正式メンバーとしてクレジットされていて、前作とは別人に交代している。またゲスト・ミュージシャンとして、フルートとバスーン奏者が加わっている。

 それで驚くべき点は、前作はクリムゾン的な音楽だったのが、今回はボーカリストの声質を生かしたのかどうかわからないが、イエス的な音世界に変質している点である。この変わり身は今作だけなのか、はたして恒久的なのか、その点については不明なのだが、よく言えば“変幻自在”、悪く言えば“変節漢”で、しかもこれほどの変わり身は尋常ではない。

ここまで音楽性を変えるのは、間違いなく意図的であり、自分たちはクリムゾンやイエス、あるいは他のバンドの音楽性を反映していますよと宣言しているかのようだ。それだけのテクニックと自信をもっているのは間違いないようだし、同時にとても前作のアルバムと同じバンドとは思えないのである。

このアルバムは全7曲で、最初の曲“Lucid”と最後の曲の“Lucid Dreams”のタイトルを見れば、トータル・アルバムの形式をとっているのがわかるだろう。両方ともアンビエントなインストゥルメンタルなので、円環的な流れになっている。2

 とにかく2曲目の“La Bealtaine”のイントロを聞けば、すぐにこれは例のバンドのパクリだということがわかる。しかもボーカリストの声も激似で、ここまでやるかという感じがした。リズム・セクションも似ているし、ボーカル・ハーモニーも「サード・アルバム」、「こわれもの」の頃に似ている。

似ていないのは、メロトロンの多用とギターが目立っていないところだろう。それからゲストのフルート奏者の存在も本家とは異なっている。

 アコースティック・ギターで導かれる“In Orbit”では、疾走感のあるリズムに乗って、手数の多いキーボードとジャズっぽいギターが目立っている。とにかく肯定感のあるメジャー調の曲はどこを切ってもイエス節である。ただどちらかといえばギターよりもキーボードの方が目立っているので、できればもっとソリッドなギター・ソロを含んでいてほしかった。

 続く“This Past Presence”はスローなバラードと思いきや、2分過ぎから急にテンポが速くなり、今度は今までの鬱憤を晴らすかのようなキレのあるギター・ソロが流れてくるが、ボーカル・パートが始まるとバラード調に戻って行く。最後はメロトロンの調べからリリカルなピアノの音で締められていった。まさに構築美を誇る音楽観が提示されているから、聞いていて興味深い。

 5曲目の“A Faerie’s Play”は、“Siberian Khatru”の彼ら流の再解釈かもしれない。途中でブレイクは入るものの、全体の流れは全盛期のイエスを髣髴させるものになっている。それは10分以上もある“The River”でも同様で、緩急をつけた曲展開やドラマティックな曲調などは、コアなイエス・ファンなら喉から手が出るほど待ち望んでいるものであろう。

 

ただ欲を言うなら、もう少しメロディアスなフレーズが欲しかったし、ギターの音色に彩色が欲しかった。テクニック的には申し分ないのだが、音色が単調でキーボードよりも目立っていないのだ。

 逆にキーボーディストはメロトロンを始め、ピアノにハープシコード、ムーグ・シンセサイザーにハモンド・オルガン、ミニ・ムーグ、クラビネット、チェンバレン、ソリーナ・ストリング・アンサンブルと名の通ったキーボード類はほとんど使用している。この人はホワイト・ウィローでもキーボードを担当しているようで、ノルウェーを代表するロック・キーボーディストなのだろう。

 歌詞はすべて英語で歌われているから、ひょっとしたらワールドワイドな展開を望んでいるのかもしれないが、果たしてどうなるのか、よくわからない。

とにかく2枚目までと3枚目では、その音楽性が一変しているウォブラーである。果たして次作以降どうなるのかわからないが、その演奏能力のポテンシャルについては、確かに優れてはいるバンドだ。

次はクリムゾンに回帰するのか、それともこのままか、さらにはフロイドや他のバンド風に変化するのかわからないが、いろんな意味で期待を持たせるバンドであることは間違いないだろう。

 そしてそれを支えているのは、1975年以前のヴィンテージな楽器なのである。楽器は時代錯誤かもしれないが、彼ら流の音楽は前向きであってほしいと願っている。

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2013年12月 9日 (月)

ムーン・サファリ(2)

 スウェーデンのプログレ・バンドで有名どころといえば、ザ・フラワー・キングスやカイパ、ちょっとマイナーながらもシンカダスなど、アネクドテンやアングラガルド、パル・リンダー・プロジェクト以外にも多くのバンドが世界的に活躍している。

 これまで見てきたように、その中でもアネクドテンやアングラガルドなどはキング・クリムゾンの影響を受けているし、パル・リンダー・プロジェクトはバンド構成上E,L&Pに近い。ザ・フラワー・キングスなどはイエスのような構築美を誇る音楽的な傾向がある。

 さらにはアネクドテンやアングラガルドは、ダークでヘヴィ、衝動性と破壊性の中から音を紡いでいくタイプだ。

 ところがそれとは正反対の音楽性を持つバンドもスウェーデンに存在した。それが以前にもこのブログで紹介したムーン・サファリだ。自分は、以前こういうふうに、彼らのことを紹介している。

『いやはや、これはもうプログレッシヴ・ロック界の革命といっていい。あるいは意識変革の賜物か、はたまたアイデアの勝利か、いずれにしてもこれは新たなロックの地平の開拓であり、まさに“プログレッシヴ・ロック”という名にふさわしい音楽である。(しかしこれを果たしてプログレッシヴ・ロックと言っていいのかという疑念も浮かんでくるのもまた、確かだった)(中略) 
 ただこのムーン・サファリが優れているのは、これらの共通点の上に、彼らの独自性というものが見られる点だ。独自性というよりは、ユニークな点といっていいだろう。
 端的にいえば、イングランド・ダン&ジョン・フォードが、またはレターメンが、10分以上もある起承転結のある複雑な曲で歌っていると想像すれば、あるいはカラパナやオーリアンズがプログレ化したと考えれば理解しやすいだろう』


 これを書いたのは昨年の12月でほぼ1年前なのだが、今でもこの考えは変わっていない。それに今年の夏に彼らの4枚目のスタジオ・アルバム「ヒムラバッケンVol.1」が発表されたが、その中でも相変わらず彼らの流麗なコーラス・ワークやポップでメロディアスな楽曲を聞くことができる。相変わらず彼らは自分の道を突き進んでいるようだ。
(ちなみに、「運命の切り札」、「アイ・イン・ザ・スカイ」発表時のアラン・パーソンズ・プロジェクトにコーラス隊が参加したような印象をあらためて感じている)

 スウェーデン語で“天国の丘”という意味のアルバム・タイトルだが、これは少年の日の思い出の中に出てくるのか、あるいは自分たちの理想とするものを象徴しているのか、はっきりとはわからないのだが、彼らの音楽性にはフィットしている語だと思う。

 オリジナル・アルバムには8曲収録されている。1曲目は27秒の“Kids”で、まるでウィーン少年合唱団のような美しいハーモニーを聞かせてくれる。このアルバムはトータル・アルバムではないのだが、このアルバム全体の導入部の役割を果たしているようだ。この曲の歌詞の中に“1993年頃にかくれんぼをしていた、天国の丘へようこそ”というフレーズがあるが、アルバム・タイトルはこのことを意味しているのかもしれない。

  2曲目はリリカルなピアノと透明感のあるギターが光る“Too Young To Say Goodbye”で、美しいメロディとコーラスも加わって、後半部はかなりスピーディになる。ピアノはロイ・ビタンが演奏しているような感じで、本当に切れがあって華やかだ。

 “Mega Moon”822秒もあり、出だしのボーカルがフレディ・マーキュリーのよう。もちろん本人たちは意識してそうしているのだろう。また途中の演奏は同郷のザ・フラワー・キングスに似ている。ほとんどパクリのような曲なのだが、ここでも彼らのトレードマークともいえるコーラスが冴えわたっているから、時間の長さを感じさせないくらいあっという間に終わってしまう。

 逆に次の曲“Barfly”はトランスアトランティックの曲を短くした感じで、最初のダークなマイナー調が急にE.L.O.のように明るくなるところが面白い。基本的に彼らにはクリムゾンのような暗黒な曲調は似合わないし、演奏するつもりもないだろう。自分たちのオリジナリティーやウリの部分をよくわきまえている。

  5曲目の“Red White Blues”も見事なポップ・ソングで、金太郎飴のようにどこを切ってもポップな味付けがされている。途中で挿入されるアコースティック・ギターも効果的だし、クリアなトーンのエレクトリック・ギターも印象深い。タイトルには“Blues”がついているが、その対極にあるような曲でもある。

  “My Little Man”はザ・ビートルズの“Mother Nature’s Sun”や“Here There And Everywhere”のように、アコースティック・ギター1本で歌われている。時間的にも3分満たないが、アルバム全体の構成から見れば、程よい位置に置かれていて長い曲に続くお口直しのようだ。

  エルトン・ジョンのピアノ・ソロみたいなイントロをもつ“Diamonds”だが、そのピアノの音に次々と楽器が重ねられていくところが彼らの真骨頂だろう。途中のドラムとシンセ、ギターの絡みなどは軽く力を抜いてやっているように聞こえるが、実際は非常にテクニカルで、難しいフレーズを難なく決めている。後半にはムーグ・シンセサイザーも使用されていた。

  最後の曲“Sugar Band”934秒と、アルバムの中で一番長い。静かなボーカルに導かれるようにキーボード、ドラムス、ベース・ギター、コーラスと次々に装飾されている。
 3分過ぎのキーボード・ソロから手数の多いドラムスが始まり、アップテンポになる。このあたりの疾走感は彼ら独特の特長だろう。

 ギターよりはどうしてもキーボードが目立ってしまうのは仕方ないところか。キーボードの方が音色が豊かでバリエーションに富んでいる。一方、ギターの方はかなり指運は激しいのだが、クリアすぎてあまり目立たない。もう少しアタッチメント、エフェクターをつけるとか工夫すれば印象度がもっとアップすると思うのだが、どうだろうか。

  しかし、それにしても相変わらず素晴らしいアルバムだ。当たり前だが、何度聞いてもいいものはいい。気になるのはアルバム・ジャケットぐらいか。相変わらず個人的にはいかがなものかと思われるセンスのなさだ。

Photo
 最初見たときはスウェーデンの炭鉱労働者かと思った。これがロジャー・ディーンやヒプノシスなら、ひょっとしたら彼らの人気はもっと高まっていくのではないだろうか。何となくもったいないような気がする。
 それともスウェーデンの人から見れば、郷愁か何かを誘う写真なのかもしれない。子どもの頃によく遊んだスポーツの写真か、“天国の丘”を象徴しているのかもしれない。この辺の感覚は現地の人ではないとわからないのだろう。

  ちなみに彼らは6人組だが、そのうち5人はボーカルが取れる。さらにその中の3人は、サイモン、ポンタス、セバスチャンのオーケンソン兄弟である。前作からこの3人が大いに活躍しているが、今後もこの3人が中心となって活躍していくのであろう。「ヒムラバッケンVol.2」が届けられるのも、そんなに遠くないかもしれない。

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2013年12月 4日 (水)

アングラガルド

 引き続きスウェーデンのプログレッシヴ・ロック・バンドを紹介している。今回はアネクドテンに名前がよく似ているアングラガルドの登場だ。この2つのバンド、似ているのは名前だけではなくて、その音楽性にも共通点が見られる。

 たとえば両者ともキング・クリムゾンからの影響がうかがえるところだろう。心なしかアネクドテンの方が強く影響されていると思えるのだが、アングラガルドの方も負けてはいない。メロトロンも全編にわたって使用しているし、その音的衝動性や破壊性には遜色はない。

 また楽曲もインストゥルメンタル中心だし、その演奏能力の高さも単なるコピー・バンドでは終わらないハイレベルなオリジナリティを持っている。

 ただ多少の違いがあって、アングラガルドの方はフルートが目立っている。そのせいか、個人的にはアングラガルドの方が牧歌的でより北欧的のような感じがした。だからデビュー・アルバムを聞いた限りでは、アングラガルドの方は、誤解を恐れずに言えば、北欧のP.F.M.に思えてならなかった。


 ところがこのままの路線を進むと思っていた自分の予想は大きく外れ、彼らはアルバムごとにそのサウンドを変化させていったのである。

 彼らは1991年に結成され、翌年にデビュー・アルバム「ヒブリス」が発表された。全4曲で、そのうち3曲が10分以上、残りの1曲も84秒という長さである。Photo
 確かにどの曲も長いのだが、起伏があり途中でダレることがない。1曲目の”Jordrok(アースモーク)”も、フルート、エレクトリック・ギター、キーボード、ドラムスのアンサンブルが見事で、ロバート・フリップの音色に極めて近いギターが主題を繰り返し描きながら、他の楽器もそれに遅れることなく調和を保っている。

 先ほど“北欧のP.F.M.”といったのは、2曲目の”Vandringar I Vilsenbet(混乱の放浪者)”を聞いたからだ。冒頭のフルートが奏でるテーマや途中のスウェーデン語?によるボーカルやエキセントリックなギター、ドラマティックな曲構成などがP.F.M.を思い出させてくれた。特にこの曲でのドラミングは素晴らしいと思う。


“Ifran Klarhet Till Klarhet(ますます強力に)”もボーカル入りの曲だ。自分はこのアルバムがすべてインストゥルメンタルだと思っていたので、少々驚いた。この曲でも途中のフルートや3分前からのアコースティック・ギターのアルペジオがP.F.M.の抒情性に似ていると思った。
 
 クリムゾンやP.F.M.もそうだけれど、一糸乱れぬアンサンブルとはまさにこのような曲を指すのだろう。8分以上もあるのだが、何度も繰り返し聞きたくなる曲だ。


 最後の曲
”Kung Bore(冬の王)”1257秒と、アルバムの中で一番長い曲になっている。ここでもテーマが表れ、それを発展させるかのようにボーカル・パートとインスト・パートの相乗効果が行われていて、北欧の牧歌的な部分と荒涼とした様子が見事に表現されている。

 このデビュー・アルバムを聞いた限りでは、クリムゾンの影響は深いものの、それだけでなく北欧の土俗的な部分やローカルな味わいとうまく共存できているところが素晴らしいと思った。

 またメロトロンだけが話題になることはなく、それを含めて上手にキーボード類やギター、フルート等が使用されているところも巧みだった。だからクリムゾンのフォロワーに終わらずに、自分たちなりに上手に取り入れ消化して表現しているのだ。


 彼らは
1994年にセカンド・アルバムを出した後に解散してしまうのだが、そのアルバムは、「エピローグ」と名付けられていた。

 
 これは自分のあくまでも想像なのだが、デビュー・アルバムからの2年の間にメンバー間で対立なり、軋轢なりがあったのではないだろうか。だから2枚目のアルバムに「エピローグ」というタイトルを付けたのではないかと思っている。

 ちなみにこのアルバム・ジャケットを遠目に見ると、人の顔(のようなもの)が表れてくる。そういうところも話題になったアルバムでもあった。2
 それでこのアルバムには6曲収められていて、そのうちの3曲、”Hostssjd(秋の儀式)””Skogstranden(森の頂)””Sista Somrar(最後の夏)”10分以上の大作である。しかもいずれもアヴァンギャルドであり、時折フルートやキーボードなどがメランロリックな雰囲気を醸し出している。全体としての印象はキング・クリムゾンの1974年のアルバム「暗黒の世界」に近いような気がする。


  曲はすべてインストゥルメンタルで、ボーカル曲はない。ただアルバムには歌詞カードがついていて、それぞれの曲にはテーマが存在しているようだ。

 またこのアルバムにはもう1枚のボーナス・ディスクがついていて、タイトルは”Rosten(叫び)”といい、本編のディスク1ではわずか14秒の曲(というか単なる“ノイズ”にしか過ぎない)が、3分少々の曲になっている。


 これもあくまでも自分の予想なのだが、クリムゾンのような即興性や衝動性を追及するのか、それともデビュー・アルバムのような自分たちのカラーをうまく出しながら抒情性も付加していくのか、メンバー間で意見の衝突があったのではないか。

 それで彼らは1994年に解散してしまい、メンバーのうちの何人かは、パル・リンダー・プロジェクトに参加したり、ソロ・キャリアを追及したりした。中にはキーボード担当のトマス・ヨンソンのように物理学の博士号を取得して核融合の研究にいそしんだ人もいる。

 

 そんな彼らが18年ぶりに発表したのが「天眼」だった。これも全4曲、短くて12分少々、長くて16分余りの曲群で構成されていて、オール・インストゥルメンタルだった。

 基本的にはセカンド・アルバムの延長線上にあるものだ。ただ前作よりは聞きやすくなっているし、フルートやサックスなどの管楽器が目立っている。 

3

 また全体のアンサンブルの素晴らしさは相変わらずで、特に2曲目の”Sorgmantel(喪服)”7分過ぎからのテクニカルな部分は、圧巻だ。ほんのちょっとだけサックスが吹かれるのだが、クリムゾンというよりはヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイターのようだった。

 また次の曲の”Snardom(茂みに潜む影)”は、出だしから彼ら流のハード・ロックになっているし、途中から即興性を加え転調を繰り返しながら、一気に最後まで聞かせてくれる。18年間のブランクを全く感じさせない演奏力である。 

 

 このアルバムではオリジナル・メンバーの一人、ギタリストのトード・リンドマンが参加していなくて、5人で制作されたものだが、最近になって彼らはメンバー・チェンジを行った。

 
 それによると、そのトードが再び参加して、逆にドラマーとキーボーディストが交代した。この後彼らがどうなるかわからないが、円熟味を帯びた演奏を続けてくれることは間違いないだろう。ただし新作がまた18年後になるということだけは、避けてほしいものである。

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