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2014年1月

2014年1月28日 (火)

マホガニー・ラッシュ

 前回のブログで、カナダのハード・ロック・バンドにはワンマン・バンドが多いのではないかと書いたが、今回はそれについてほかの例えを出そうと思い、あるバンドを紹介しようと思う。

 そのバンドとは、デビュー当時は3人組だったマホガニー・ラッシュだ。“ラッシュ”というと、例の3人組が有名だが、こちらの3人組には“マホガニー”という名前がつく。いかにも木材資源の豊富な国を象徴するかのような名前だが、両バンドに共通する“ラッシュ”という言葉は、カナダでは何か大切な意味でもあるのだろうか。

 そんなことはともかく、マホガニー・ラッシュの方は、ギタリストのフランク・マリノのワンマン・バンドだといってもおかしくないと思っている。

 このフランクさん、1954年にモントリオールに生まれ、15歳で音楽活動を始め、16歳でバンドを結成した。残り2人のメンバーはいずれも高校時代の友人だった。
 そして1971年にはシングル・デビューして、73年にはデビュー・アルバム「マクソーム」を発表した。

 このフランク・マリノの最大の特徴は、“ジミ・ヘンドリックスの再来”と呼ばれるような演奏方法やサウンドを追及していたという点だろう。

 “ジミ・ヘンドリックスの再来”といえば、古くはロビン・トロワーやウルリッヒ・ロート(ウリ・ジョン・ロート)、スティーヴィー・サラス、最近ではゲイリー・クラーク,Jr.などが挙げられるが、70年代の当初、まだジミ・ヘンの生前の記憶も生々しいときに登場したのはロビン・トロワーとフランク・マリノぐらいだった。

 ただフランク・マリノ自身は、“ジミ・ヘンドリックスの再来”と呼ばれるのは好きではないようだ。デビュー・アルバムには“ジミ・ヘンドリックスに捧ぐ”と記しているのだから、確かに影響を受けたことは認めている。ただジミ・ヘンドリックスのコピーをしているわけではないと雑誌では語っていた。
 彼はまたこうも述べている、『自分の演奏方法は自然に出てきたものであって、自分が選択したわけではない。音楽が私を選んだのだ』

 彼のアルバムを聞くと、自ずからジミ・ヘンドリックスを想起してしまうのだが、確かにいくつかの点では異なっている。例えば、
①ギター以外の楽器も演奏する
②ギターはギブソンSGをメインに使用する
③ロック、ブルーズ以外の音楽性も含んでいる
④作曲だけでなく、アレンジ、プロデュースも行う

 ジミ・ヘンはベース・ギターも演奏していたが、フランクの方はベース・ペダルにキーボード類も使用している。またジミはフェンダー・ストラトキャスターが主だったが、フランクはギブソンSGだった。
 アタッチメントを取り付けてギターの可能性を広げるところは似ているのだが、サイケデリックな曲やスペイシーな曲も録音しているところは、ジミ・ヘン時代よりも楽器類や録音方法が進化したせいか、フランクの方が進んでいた。Photo
 ただ残念なのは、その私生活もジミ・ヘンに似ていて、特にドラッグに溺れるところも同じだった。そこまで傾倒しなくてもいいだろうと思うのだが、やはり信奉しすぎてそうなってしまったのだろう。本人は否定しているけれど、ジミ・ヘンの占める割合は彼の中ではほとんどすべてだったのかもしれない。

 そんなフランク・マリノの曲を聞くのは、ライブ盤が一番いいと思うのだが、スタジオ盤では1976年にマホガニー・ラッシュの名義で発表された「鋼鉄の爪」だろう。
 先ほど③でも述べたが、このアルバムではフランクはギターだけでなく、ベース・ペダルとメロトロンを演奏している。この辺がプログレ・ファンの心をそそるのである。

 そのメロトロンは1曲目の"I'm Going Away"から聞くことができる。ジミも生きていたら使用していたかどうかはわからないが、こういうハード・ロックでも十分マッチしている。
 それにフランクの歌声も何となくジミ・ヘンに似ているし、途中のギター・ソロが左右のスピーカーから交互に聞こえてくるところもそっくりだ。確かにこれではパクリといわれても仕方がないだろう。

 「エレクトリック・レディランド」以降、もしジミ・ヘンが生きていたら、ファンク・ミュージックやソウル・ミュージックを追及していったのではないかといわれているが、そういうファンキーな曲"Man At The Back Door"や"The Answer"、"Jive Baby"などは、確かにカッコいい。

 またメロトロンを使った曲は他にもあって、5曲目の"It's Begun To Rain"のようなバラードのバックに使用されたり、最後の曲"Ⅳ...(The Emperor)"ではアコースティック・ギターとともに使われている。
 前者の曲はジミのアルバム「エレクトリック・レディランド」の中の"Rainy Day, Dream Away"に似ているし、後者はプログレ・バンドの曲と言われても分からないほど、メロトロンが目立っている。時間も7分以上あって、私のようなメロトロン・ファンには隠れた名曲だろう。

 他にもダンス・ナンバーのような"Dragonfly"、アップテンポの"Little Sexy Annie"、エフェクト類を多用した"Moonwalk"など、聞きどころはたくさんある。
 ただ個人的に残念なのは、ハード・ロックらしい衝動性や疾走感のあるノリのよい曲がほとんどないことだ。このアルバムでいうと"Little Sexy Annie"のような曲である。Photo_2
 ファンキーでミドル・テンポの曲が目立っていて、アルバム全体的には今一歩という感じだった。フランク・マリノのマルチぶりはわかったものの、彼の個性が十分に発揮されたとは言い難いだろう。やはり彼の音楽を堪能したいと思うのなら、ライヴ盤がお勧めである。1978年のライヴ盤は一聴の価値があるだろう。

 その後、1980年には実弟のヴィンス・マリノをリズム・ギター担当にして4人編成になって、バンド名をフランク・マリノ&マホガニー・ラッシュに変更したり、さらにメンバー・チェンジをしてからはただ単に、フランク・マリノと名乗るようになったりした。

 バンド名が変わるということは、それだけ彼の音楽に対する姿勢が変遷しているということだろう。80年代後半には5年間の休止期間があったし、90年代に入ってもオリジナル・アルバムは1枚だけで、あとはベスト盤だけだった。

 フランク・マリノも随分悩んだことだろう。変にサイケデリックでプログレッシヴ・ロック風味を付け加えていけば、同じくカナダの3人組、ラッシュと比較されただろうし、自分の個性を発揮すれば、単なるジミ・ヘンドリックスの二番煎じとしか扱われないと思っただろう。

 だからジミ・ヘンにこだわらず、ファンクに走らず、SGのギターでハード・ロック一本で活動を続けて行けばよかったのではないだろうか。その上で、キーボードやアコースティック・ギターなどの味付けを行えばもっと違う展開もあったと思うのである。

 70年代に一世風靡したマホガニー・ラッシュだが、今ではフランク・マリノと個人名を使っての4人組バンドとして活動を行っている。やはりカナダのハード・ロック・バンドには、ワンマン・バンドが多いようだ。

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2014年1月23日 (木)

エイプリル・ワイン

 そういえばカナダのロック・バンドで、まだ忘れてはいけないバンドがあった。カナダの東部、“赤毛のアン”で有名なプリンス・エドワード島の下にあるノヴァスコシア州ハリファックス出身のエイプリル・ワインである。

 ジャンルでくくると、ハード・ロック・バンドにあたるエイプリル・ワインだが、1969年の結成から今日まで、途中解散状態はあったものの、約40年にわたって活動しているベテラン・バンドでもあった。こんなバンドは、カナダではラッシュ以外には見当たらない。それくらい実績のあるバンドなのだ。Aprilwine1hits2
 ところが大変悲しいことに、彼らは本国カナダでは著名なバンドなのだが、それ以外の国では、隣のアメリカでさえも、ほとんど知られていないのが現実だ。

 彼らは16枚のスタジオ・アルバムと15枚のコンピレーション・アルバム、9枚のライブ盤と34枚のシングルを発表しているにもかかわらず、アメリカではゴールド・ディスクの数は2枚、シングル・ヒット(トップ40に入った数)は3枚しかなかった。イギリス国内でのシングル・ヒットにいたっては、わずか2枚だった。

 一方本国カナダではというと、アルバムについては8枚のゴールド・ディスク、そのうち5枚がプラチナ・アルバム、2枚がダブル・プラチナ・アルバムになっているし、シングル・ヒットは最高位2位を含む21枚がトップ40に上がっている。この違いはいったいどこから来るのだろうか。

 要するにカナダ以外では、“無冠のヒーロー”だったエイプリル・ワインだ。彼らは今でもライヴ活動を続けてはいるものの、1977年から1984年頃までが彼らのピーク時だった。
 もともと彼らは4人組のバンドとしてスタートしていたが、この1977年からの約7年間は、5人組として活動している。この頃のエイプリル・ワインはトリプル・ギター・バンドとして活動していたのである。

 彼らは、この7年の間に5枚のアルバムを発表しているが、その中で一番有名かつセールス的にも成功したのが1981年に発表された「ザ・ネイチャー・オブ・ザ・ビースト」(邦題;野獣)だった。
 このアルバムは、アメリカでもビルボードのアルバム・チャートで26位になり、ゴールド・ディスクを獲得しているし、このアルバムからシングル・カットされた2枚のうちの1枚"Just Between You And Me"は21位まで上昇している。ちなみにカナダではダブル・プラチナ・アルバムになり、同名のシングルは6位と大ヒットしていた。Photo
 1977年にギタリストのブライアン・グリーナウェイが加入したが、彼は同じカナダのバンドだったマッシュマッカーンのギタリストだった。彼が加入することでトリプル・ギター編成になるのだが、しかし、結局、エイプリル・ワインというのはオリジナル・メンバーでギタリスト兼ボーカリストだったマイルス・グッドウィンのバンドといっても過言ではなかった。

 実際、彼がプロデュースした1975年のアルバム「スタンド・バック」からエイプリル・ワインの知名度が上がっていたし、アルバムのほとんどの楽曲を彼が手がけている。つまりマイルスは、メイン・ギタリストでリード・ボーカルをとり、コンポーザー、プロデューサーも兼ねていたのだ。

 良くも悪くもエイプリル・ワインがマイルス・グッドウィンのバンドなら、彼の能力以上の結果は出せないわけで、結局、このバンドがカナダでは成功しても、ワールドワイドの成功が得られなかったのは、この点にあるのではないかと思っている。

 1981年に発表された「ザ・ネイチャー・オブ・ザ・ビースト」のアルバムには、マイク・ストーンが共同プロデューサー兼エンジニアとして関わっていたという事実も見逃せない。マイクはクイーンやエイジア、ジャーニーのアルバムなどのプロデュースに携わった経歴のある有名かつ有能なプロデューサーだったが、残念ながらエイプリル・ワインでは共同プロデューサー扱いだった。

 もしこれが彼ひとりで担当していれば、もっと疾走感のある80年代風のハード・ロック・アルバムになったのではないかと思っている。もちろんこのアルバムだけでなく、これ以降のアルバムもマイクやロイ・トーマス・ベイカー、ジャック・ダグラスなどに全面的に任せていれば、もっと大化けした可能性もあったと思う。

 アルバム・プロデューサーを変えただけで、アルバムが売れるとは思っていないが、せっかくのトリプル・ギターという特質を活かした方向性で、アルバム作りを行っていけば、もっと違う展開があったのではないだろうか。

 彼らの黄金時代だった7年間の内で、スタジオ・アルバムは5枚発表されているが、すべてマイルスと他のプロデューサーでプロデュースされていた。プロデュースは思い切って他の人に任せて、マイルスは歌や演奏に集中した方がよかったのではないかと思っている。

 バンドが売れる売れないには、多くの要素があって一概には言えないのだが、少なくともエイプリル・ワインの場合にはマイルス・グッドウィンの責任に負うところが多いだろう。

 結果論になるかもしれないが、彼が「ザ・ネイチャー・オブ・ザ・ビースト」の売れた後に、もっと楽曲作りに専念して時代の求めるアルバム作りを行っていけば、世界的な成功につながった可能性もあった。

 カナダのハード・ロック・バンドには、この手のワンマン・バンドが多いように思えるのだが、どうだろうか。

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2014年1月18日 (土)

ハーレクイン

 さて、マイナーなカナディアン・ロックを紹介する第2弾は、ハーレクインの登場である。

 名前だけを聞くと、何となく恋愛小説群を想像させるのだが、このバンドは前回のビッグホーンよりは、少しだけ有名だ。
 何しろ本国カナダでは、1978年にデビューして以降、4枚もアルバムを発表しているからだ。そのうちのセカンド・アルバムが、国内盤として今でも入手可能だと思う。

 さらにこのバンドは、ウェスタン・カナディアン・ミュージック・アワード賞を受賞していて、カナダでの“ホール・オブ・フェイム”に殿堂入りしている。この賞がどれだけ権威あるものかはよくわからないが、カナダではそれなりに知られているバンドなのではないだろうか。

 デビュー当時のメンバーは5人で、ボーカリストのジョージ・ベランガーとギタリストのグレン・ウィロウズの2人が中心のようだ。ほとんどの曲はこの2人の手によって書かれている。

 もともとはトロントの地元のバーやクラブで歌っていたが、たまたま現地を訪れていたプロデューサーのジャック・ダグラスがいたく気に入り、その伝手で当時のCBSレコードと契約することができたようだ。

 ジャック・ダグラスといえば、かの有名なジョン・レノンからエアロスミス、チープ・トリック等々、歴史的なミュージシャンやバンドを数多く手掛けているが、実はカナダにも手を伸ばしていたのである。

 1978年のデビュー・アルバム「ヴィクティム・オブ・ア・ソング」はスティクスやボストン寄りの、ややプログレっぽいテイストもあったのだが、80年に発表されたセカンド・アルバム「ラヴ・クライムス」ではやや方向転換して、軽くなったTOTOのような音を追及している。Photo
 もちろんプロデュースはジャック・ダグラスが手がけているせいか、そういう売れ線狙いのハード・ロック・サウンドは得意とするものなのだろう。

 今聞くと、ハード・ロックというよりは、メロディアスな軽いロックなのだが、1980年当時はこの手の音楽もハード・ロックと呼ばれていたのだ。

 1曲目の"Innocence"などはバックのシンセサイザーがいかにも80年代を想起させるものになっているし、途中でブレイクする伸びのあるギターは爽やかでもある。まるで音数の少ないエディ・ヴァン・ヘイレンのようだ。曲全体も彼らの"Jump"を思い起こさせる。

 続く"Love On The Rocks"は、1曲目よりも疾走感があり、まさに80年代のアメリカン・ハード・ロックという感じである。さすがジャック・ダグラス、野性味の少ないエアロスミスといった感じだろう。途中のギター・ソロもいたくカッコ良い。また3分16秒にまとめたところが成功していて、無駄な部分がないところもこの曲の魅力だろう。

 3曲目の"Thinking Of You"は1曲目のようにライトな仕上がりになっていて、途中のメロウなギター・ソロが印象的でもある。
 次の曲"It's All Over Now"はTOTOの"99"のテンポを少し速くしたような曲で、エレクトリック・ピアノやシンセサイザーの方が目立っている。

 このアルバムはミドル・テンポの曲が多くてどれも同じように聞こえるのだが、それを救っているのがメロディの良さだろう。全体的に軽いものの、聞きやすさとメロディアスなのが彼らをカナダで人気ものにしたのだろう。

 個人的に好きなのは"Sayin' Goodbye To The Boys"で、"Love On The Rocks"のような疾走感とややテクニカルなギター・ソロが目立っている。こういう曲がもう2,3曲あれば、このアルバムの知名度ももっと上がったのではないかと思っている。

 曲のイントロはカッコいいのだが、歌が入ると急にポップ・ソングになってしまう"Wait For The Night"、"Can't Hold Back"や、このアルバムの中では、ややダークで異色なバラードの"Crime Of Passion"など、バラエティには富んでいるが、やや散漫な印象も受けるのもまた事実である。

 ジャック・ダグラスは方向性を絞れきれなかったのではないだろうか。全体としてはポップ寄りすぎるのが難点だと思う。これをエアロスミス寄りに軌道修正すれば、もう少し全世界的に売れたと思うのである。西カナダでは有名だったかもしれないが、すぐ下にあるアメリカでは、残念なことにほとんど売れなかった。

 結局彼らは1984年に4枚目のアルバム「ハーレクイン」を発表したが、大きな話題になることはなく、音楽シーンから一旦消えて行った。ちなみにこのアルバムのプロデューサーは、ジャック・ダグラスではなかった。プロデューサーを変えて再起を図ろうとしたのだろうが、その夢は消えてしまったのである。

 ところが2004年に彼らはハーレクインⅡとして活動を再開した。2007年にはボーカリストのジョージ・ベランガー以外のメンバーを一新して、バンド名をハーレクインに戻し、ニュー・アルバム「ウェイキング・ザ・ジェスター」を発表している。

 彼らは現在でもカナダ国内を中心に活動を続けているようで、ライヴ・アルバムも発表しているが、一流プロデューサーの力をもってしても、メジャー級にはなれなかったバンドでもあった。
 やはり世の中に広く認められるためには、実力だけでなく、目に見えない要素も働くのであろう。

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2014年1月13日 (月)

ビッグホーン

 ラッシュはカナダ出身の超ビッグなバンドだが、同じカナダ出身のバンドで超マイナーなバンドも、当然ながら存在した。それで2回にわたって、マイナーな存在でありながら、なぜか日本では国内盤も発表されていたというバンドを紹介しようと思う。

 それで今回はカナダはバンクーバー出身のバンド、ビッグホーンの登場である。彼らはプログレッシヴ・ロックというよりは当時流行ったボストンやスティックスのようなアメリカン・プログレ・ハードに属するような音楽をやっていた。

 デビュー時の彼らは5人組で、最初で最後のアルバムとなった「ビッグホーン」は1978年に発表された。Photo
 全10曲、トータルで40分未満の内容ながら、いかにもカナダ出身のというようなバンドの音になっている。

 カナダ出身のバンドの音とはどういうものかというと、爽やかなサウンドで、メロディが美しく、決してゴチャゴチャしたような音ではないということだ。要するに盛り込み過ぎていないということになるだろう。

 まずはコーラスが流麗であるということ。アルバム冒頭の"Penny For Your Dreams"はいきなりコーラスで始まる。クィーンのようにオペラチックではなく、ビーチボーイズまでは上手ではないが、確かにこのバンドの特長の一つにはなるだろう。

 またキーボードはエレクトリック・ピアノが中心で、メロトロンは使用されていない。まあこの時点でプログレとは言えないのだが、盛り上げようとする努力は伝わってくる。

 メロディの美しさはスティクスやジャーニーに肩を並べようとするレベルに近いのだが、如何せんギターが目立っていない。正確に言えば、ギター・ソロはあるものの印象が薄いということだろう。

 たとえば2曲目の"I'm Not Afraid Anymore"ではトム・シュルツのようなソロを奏でているし、3曲目の"Star Rocker"ではボトルネックのギターが鳴っているのだが、バックのエレピの音が強すぎて目立たないのである。特に3曲目ではそうだ。だからもう少し各楽器のバランスを考えてほしかった。

 こうなった理由はほとんどの曲をキーボード担当のピーター・ディヴィスという人が書いているからだろう。決して自分だけが目立とうとしたわけではないだろうが、やはりキーボーディストの性が発揮されたのだろう。

 逆にそれが成功しているのは、バラード・タイプの"Mary-Anne"だ。リリカルなピアノと華麗なストリングスは、確かにこういうメロウな曲にはピッタリである。

 一方でドラマーのスティーヴ・アダメックという人が書いた曲は4曲ほどあって、彼がバンドのハードな面を担当しているように感じられた。ただドラマーだからかどうかわからないが、やはりギターはあまり目立っていないのだった。

 少しだけギタリストのことを弁護すると、プロ・デビューするくらいだから決して下手なギタリストではない。8曲目の"Helen Betty"の後半のギター・ソロはなかなか力がこもっていて立派だと思うし、次のバラード曲"Sunday Boy"でも抒情的な盛り上げに貢献している。
 ただジョー・シカニーというギタリストの持ち味が発揮されていないのだ。彼自身は1曲しか手掛けていないし、その曲の中のソロはほとんど目立っていない。むしろボーカリストの方が頑張っているくらいだった。

 アルバム後半からは、もう完全にメロディアス・ハード・ロックの世界になっている。聞き進むにつれて、スティクス、ジャーニー級からREOスピードワゴン・レベルになっていった。
 これは決してREOスピードワゴンが悪いといっているのではないので、誤解しないでほしい。当時の流行の音楽からメロディアスなロック・バンドに変化したような感じがしたからで、たぶんこのアルバムを聞いた人は、このことが決して的外れなことではないと思うだろう。

 だからむしろ美しいコーラスを備えたロック・バンドとして売り出せば、意外に受け入れられたのではないかと思っている。デビュー当時のカナダでは、スティクスやカンサス、ボストンと比べられたというから、残念ながら、その時点で勝負はついたと思っている。

 やはり1作で姿を消すバンドには、それなりの理由があったと思っている。名前には“ビッグ”がついていたが、名前の通りにはなれなかったバンド、それがビッグホーンだったのである。

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2014年1月 8日 (水)

ラッシュ7枚組CD

 最近は、CDショップでCDを購入するということがほとんどなくなってきた。ほとんどのCDはインターネットで注文している。
 理由はただ単にズボラになってきたということもあるが、主な理由はあえて国内盤を買う理由が見当たらないということだろう。

 それにネットでは簡単にほしいCDを見つけることができるし、輸入盤であれば一度にたくさん購入しても、経済的にもそんなに負担にならない。最近の輸入盤には歌詞カードがついているものもあるので、歌っている内容についてもそんなに気にならない。(というか、昔から何を歌っているのかあまり気にしていない。どうせわからないし、分かったとしてもそれでミュージシャンやアルバムに対する評価が変わるということはないからだった)

 だからよほどのことがない限り国内盤は購入しなくなってしまった。最近ではエミネムの「マーシャル・マザーズ2」とレディ・ガガの「ポップ・アート」を国内盤で手に入れたのだが、それもアマゾンを通して購入したものだ。アマゾンでは発売前の新作には割引が適応される場合がときどきあるからだった。

 それでもCDショップにはよく訪れる。新作の中で評判になっているものは試聴できるからだ。やはり音楽は自分の耳で聞くに限る。試聴して購入を決めたり、逆にあきらめたりすることはよくある。

 それで先日、いろいろと物色をしていると、ラッシュのボックス・セットが売られていた。輸入盤なのだが、全7枚ですべてリマスター盤、そのうち1枚はリミックスも施されていて、旧作とはほとんど別物に聞こえるほど音がクリアで迫力があるという宣伝文句が添えられていた。
 また、7枚中6枚分の歌詞カードがブックレットになっていてまとめられていた。しかもお値段は、これで3600円である。1枚当たりの単価はわずか514円だ。貧乏人の自分は思わず購入してしまった。あとで考えたら、6300円でもおかしくない値段だと思った。いやあ、いい買い物をしたものだと内心ほくそえんでいる。Photo ちなみに自分はその7枚のうち3枚はすでに購入して持っていたのだが、それでも残りの4枚を単発で買っても、お値段的には7枚組ボックスを買った方が安くつくと思ったし、実際、そうだと思う。

 ちなみにこの7枚組のタイトルは「Rush The Studio Albums 1989-2007」というもので、1989年に発表された「プレスト」から2007年の「スネイクス&アロウズ」までの7枚である。

1989年「プレスト」
1991年「ロール・ザ・ボーンズ」
1993年「カウンターパーツ」
1996年「テスト・フォー・エコー」
2002年「ヴェイパー・トレイルズ」
2004年「フィードバック」
2007年「スネイクス&アロウズ」

 なんで1989年からの7枚組になったのかというと、たぶんレコード会社の移籍があったからだろう。それまでは国によって違ったが、主にマーキュリー・レコードから発売されていた。それが1989年のアルバムからアトランティック・レコードに移ったからだ。(カナダ本国を除く)

 最初の2枚のプロデューサーはルパート・ハインだった。彼は元ジェネシスのギタリストだったアンソニー・フィリップスの初期のアルバムをプロデュースしていたし、ケヴィン・エアーズやキャメルのアルバムも手掛けている。でもティナ・ターナーやトンプソン・ツインズのアルバムで名前が知られたようだ。

 次の2枚のアルバム・プロデューサーは、ピーター・コリンズで、ニック・カーショウやエア・サプライなどの、どちらかというとポップ・ミュージック系のミュージシャンのアルバムを得意としていて、1985年と87年のラッシュのアルバム「パワー・ウィンドウズ」と「ホールド・ユア・ファイヤー」で初めて担当している。だから今回2度目の起用だった。そして残りの3枚のアルバムではそれぞれ異なったプロデューサーを起用している。

 別にプロデューサーのせいで売り上げが大きく変わることはないとは思うけれど、70年代後半から80年代の前半まではラッシュの第1期黄金時代だったが、80年代後半から商業的な売り上げが悪くなっていった。マンネリ化していったのだろうか。確かにテクノロジーに走りすぎて、演奏は充実していても、ロック本来のキレやダイナミズムなどは不足していたように感じる。

 自分はそんなに熱心なラッシュ・ファンではないからよくわからないのだが、ラッシュの第2期黄金時代が始まったのは、90年代に入ってからの「ロール・ザ・ボーンズ」からだったと思う。

 それを検証する意味でも、この7枚組CDは貴重だ。いかにして彼らが低迷から復活していったかが、音楽を通してよりはっきりと感じられるのではないだろうか。

 また2004年の「フィードバック」は、彼らがデビュー前に影響を受けたバンドやミュージシャンの楽曲を集めたミニ・アルバムだ。Photo_2
 時間は27分程度と短く、ザ・フーの"Summertime Blues"や"The Seeker"、バッファロー・スプリングフィールドの"Mr.Soul"と"For What It's Worth"など8曲が収められている。

 他にはヤードバーズの1965年のシングルで、元10ccのグラハム・グールドマンが書いた"Heart Full of Soul"、1966年の"Shapes Of Things"、60年代アメリカ西海岸のサイケデリック・バンド、ラヴの1966年の曲"Seven And Seven Is"、ロバート・ジョンソンの超有名曲でクリームもカバーした"Crossroads"などである。
 

 このミニ・アルバムは今の3人組になっての30周年を記念して、企画され発表されたもので、彼らの音楽的なルーツが垣間見れて、ファンには興味深いものだと思う。ちなみにこのアルバムの歌詞カードだけ添付されていない。カバー曲集だからだろう。

 またドラマーのニール・パートのリハビリという意味合いも込められたアルバムでもあった。彼は妻子を続けて亡くしてして、一時は引退状態にあった。バンドもこのまま解散かと噂されてもいた。このアルバムを通して、彼らはもう一度再起、復活を図ったのである。

 まだ全部を聞いていないので、深いコメントはできないが、しばらくはこの7枚組に付き合っていこうと思っている。

 ところで今ネットで調べたら、アマゾンで中古が3000円で出ていた。新品でも3470円だった。じぇじぇじぇ、今年もネットでの購入が続きそうである。

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2014年1月 3日 (金)

うま年にちなんで

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。特にこのブログに訪れる皆様方全員には良い年になってほしいと心から願っております。

 といっても今日はすでに3日目、正月3ヶ日の最後にあたるのだが、今年は明日明後日が土日にあたるので、休みが長い。うれしい限りではあるが、特に何をすることもなく、正月特番のくだらないテレビ番組を見ながら、いたずらに時間を過ごしている。

 それで今年最初のブログは、今年の干支を表しているアルバム・ジャケットを何枚かピック・アップしてみた。

 それで探してみると「馬」のアルバム・ジャケットはかなりあって、本当は11枚にコメントを寄せたかったのだが、そうすると膨大な量になりそうなので、紹介だけに留めることにした。

 まずはアメリカン・ロックからだ。最初は70年代の有名なバンドのアルバムからで、1枚はザ・ドゥービー・ブラザーズの「スタンピード」、もう1枚はザ・スティーヴ・ミラー・バンドの「ペガサスの祈り」である。

 「スタンピード」は1975年のアルバムで全米4位を記録したもの。トリプル・ギターとダブル・ドラムスは豪快にして繊細で、意外と知られていない“Slat Key Soquel Rag”のアコースティック・ギターなどは小曲ながらも存在感があった。ちなみに彼らの3枚目のアルバム「キャプテン&ミー」にも馬車が写っていて、こちらの方もメッセージ性があって捨てがたい。Photo
 「ペガサスの祈り」は1977年の作品で、これはもう全米で300万枚以上売れるという大ヒットを記録した。正確に言えば、「馬」ではなく馬に羽のはえた「ペガサス」なのだが、馬の一種ということで勘弁してもらいましょう。ちなみに翌年発表された「グレイテスト・ヒッツ」にもペガサスが描かれていた。Photo_2
 次はボブ・シーガー&ザ・シルヴァー・ブレット・バンドの1980年のアルバム「アゲンスト・ザ・ウィンド」で、これも当時バカ売れしたもの。確か全米だけで500万枚以上売れて、ピンク・フロイドの「ザ・ウォール」のNo.1の位置を奪っているはずだ。その後6週連続No.1になり、グラミー賞も獲得している。
 ボブ・シーガ-はデトロイト出身のロックン・ローラーで、当時はブルース・スプリングスティーンと人気を二分するほどだった。Photo_3
 あとマイナーなところでは、キャロル・キングの「サラブレッド」、ジェフ・ワトソンの「ローン・レンジャー」などがある。

 キャロル・キングは今年で御年72歳になるのだが、いまだに健在で昨年はグラミー賞の舞台で歌っていた。「サラブレッド」は1975年の作品で全米3位を記録し、ゴールド・ディスクを獲得している。名盤ではないが好盤である。この中の“Only Love Is Real”はベスト盤にも収められている。Photo_4
 ジェフ・ワトソンはロック・バンド、ナイト・レンジャーのギタリストだった人で、このアルバムはソロになって初めてのアルバムだった。全曲インストゥルメンタルで、8本指で弾くエイト・フィンガー奏法(別名オクトパス奏法)で有名だった。「ローン・レンジャー」は1992年の作品で、サミー・ヘイガーやアラン・ホールズワース、スティーヴ・モーズにブラッド・ギルス、さらにはカーマイン・アピスにボブ・ディズレーなど錚々たるミュージシャンが参加している。Photo_5
 

 さて次はブリティッシュ・ロック編である。アメリカでは「馬」ジャケットは1970年代に集中していたが、イギリスではアメリカのようなモーターサイクル社会にまでなっていないせいか、70年代から90年代まで幅広い。

 それでは年代順に70年代のアルバムからで、マイナーなところでは、ベガーズ・オペラやベーブ・ルース、ウォーホースなどがある。

 ベガーズ・オペラは5人組のプログレ・バンドで、このアルバムは1972年の作品。詳細はこのブログでも述べているので、そちらを参照してほしい。CDでも変形ジャケットで販売されて、話題になった。Photo_6
 ベーブ・ルースも70年代に活躍したブリティッシュ・バンドで、このアルバムは1973年に発表された。基本的に彼らはハード・ロック・バンドだったが、このアルバムには組曲もあって、プログレ・テイストも添えられていた。これも詳細は過去のこのブログで述べている。Photo_7
 一方、ウォーホースは元ディープ・パープルのベーシストだったニック・シンパーが結成したバンドで、デビュー前にはリック・ウェイクマンもバンド・メンバーだった。これは1970年に発表された彼らのデビュー・アルバムである。かなりパープルを意識していて、対抗心を燃やしながら制作したような感じだ。Photo_8
 またメジャーなところでは、ジェスロ・タルの隠れた名盤「逞しい馬」だろう。タイトルを見て一瞬購入することをためらったものの、清水の舞台から飛び降りるつもりで買った思い出がある。

もちろん買って大正解で、アコースティックな“Moths”や“One Brown Mouse”、ダリル・ウェイも参加した“Heavy Horses”など聴きどころ満載で、何度感涙の涙を流したかわからないほどだ。Photo_9
 もともとジェスロ・タルとはイギリスの農学者の名前だったし、このアルバムのテーマは馬による農耕が機械耕作に変化した時代の農夫の悲哀を表していた。70年代のジェスロ・タルが如何に充実した創作活動を行っていたかを証明できるアルバムだと思っている。


80年代に入っても「馬」が使用されたアルバムが発表されていて、1982年にはあのXTCが「イングリッシュ・セツルメンツ」のジャケット・デザインに“アフィントンの白馬”を使用している。デザインはイングランド南部に実在する約3000年前の遺跡を模したものである。Photo_10
 また1987年にはアズティック・カメラの「ラヴ」が発表された。それまで彼らは“ネオアカ”と呼ばれるアコースティック・ギターを中心としたアルバム作りを行っていたのだが、このアルバムではかなりソウル色を強めていて、急に大人になったような音楽を披露している。いい曲は多いのだが、ちょっとオーヴァー・プロデュースな気がした。Photo_11

そして最後を飾るのは1994年のブライアン・フェリーの作品「マムーナ」である。前作がカヴァー作品集だったので、約7年ぶりのオリジナル・ソロ・アルバムだった。
 フィル・マンザネラやブライアン・イーノ、アンディ・マッケイなどが参加していて、当時はロキシー・ミュージックの再編と騒がれたものだった。他にはロビン・トロワーやナイル・ロジャーズ、ピノ・パラディーノなど有名ミュージシャンも参加していた。

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 というわけで、取りあえず代表的な「馬」アルバム・ジャケットを紹介させてもらった。他にも探せばあるかもしれないが、きりがないのでやめておく。(そういえばポールの「ラム」の内ジャケットにもあったし、メインホースや「馬の耳に念仏」のように、バンド名やアルバム・タイトルに使用されている例もある)

やはり馬と人間の関係は太古の昔から続いているせいか、馬に関するアルバム・ジャケットが多いのかもしれない。

とにかく「人間万事塞翁が馬」ということわざもある。今年1年何が起こるかわからないが、何が起きてもあわてず、あせらず、健康で自分らしく生きていきたいと思っている。

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