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2014年3月

2014年3月27日 (木)

パブロフス・ドッグ

 70年代のアメリカン・プログレッシヴ・ロックの特集をしてきたつもりだったが、大物バンドを忘れていた。70年代のアメリカを代表するプログレッシヴ・ロック・バンドといえば、セントルイスから現れたこのバンド、パブロフス・ドッグだろう。

 自分が初めて知ったのは中学2年生頃で、師匠の家で聴かせてもらった時だった。当時の雑誌「ミュージック・ライフ」でもアルバムが紹介されていたから、名前とその音楽性は知っていたが、やはり“百聞は一見にしかず”で、実際に聞いてみてびっくりした思い出がある。3

 またイエスのドラマーだったビル・ブラッフォードがイエスを脱退して新しいバンドに参加したがそれがこのバンドだ、みたいな話もあって、二重に驚いたのだが、実際は加入したのではなく、ゲスト参加ということだった。

 こんなブログを読んでいる人には、もうすでにご存じのことだと思うのだが、まだ彼らのことをよく知らない人のために、以下のことを記していきたい。

 彼らの2枚のバンド、すなわちデビュー・アルバムとセカンド・アルバムは一聴の価値があるので、まだ未聴の人がいたら、できるだけ早く聞いた方がいいだろう。いい悪いは別として、必ず印象には残るからだ。(特にデビュー・アルバムはお勧めである!)
 しかも生涯にわたって忘れられない経験になることは、間違いないだろう。あるいは人によっては、途中で聴くのをやめてしまうかもしれない、そんなアルバムなのである。

 その最大の理由は、ボーカルのデヴィッド・サーカンプの声質だ。当時のジョン・アンダーソンよりもキーが高く、何となくラッシュのゲッディ・リーに似ているのだが、彼よりももっと感情がこもったような感じがする。

 とにかく中性的な声質で歌いまくるので、プログレッシヴ・ロックというよりは、ちょっと演奏が目立つロックという感じがした。また、メロトロンやヴァイオリン、ストリングスなども効果的に使われていて、その辺はプログレ・マニアの心をくすぐってくれるはずだ。

 彼デヴィッドとベース・ギター担当のリチャード・ストックトンは1970年に“High On A Small Hill”というバンドを結成して活動を始めたが、翌年解散してメンバーを募集し、“Anima Mundi”という名前で再び活動を始めた。
 その後、REOスピード・ワゴンのギタリスト、スティーヴ・スコーフィナをメンバーに加えて、1972年頃からパブロフス・ドッグ名義で活動を始めている。

 それにしても当時のREOスピード・ワゴンは、アメリカのプログレ・シーンに多大な貢献をしているようで、ボーカリストはスターキャッスルに、ギタリストはパブロフス・ドッグに移籍している。ひょっとしたら初期のREOスピード・ワゴン自体にも、そういう要素が備わっていたのかもしれない。

 さて、このパブロフス・ドッグのデビュー時は7人編成で、キーボーディストが2人、ヴァイオリン・ヴィオラ担当が1人いた。キーボーディストのうち1人は、メロトロン・フルート担当だった。
 自分が残念だったと思うのは、それだけの演奏陣を抱えていながら、ソング・オリエンティッドなアルバム作りしかしなかったことだ。

 特にセカンド・アルバムは歌中心になっていて、おいおいビル・ブラッフォードはどこにいるんだという感じで、プログレッシヴ・ロックの匂いはするものの、プログレッシヴ・ロック・アルバム選には間違っても入れられないだろう。

 ビル以外にも、ロキシー・ミュージックのアンディ・マッケイやジャズ畑のサックス奏者マイケル・ブレッカーなども参加していて、結構豪華なゲスト陣なのだが、それがあまり活かされていない気がした。またジャケットが不気味だったし、どちらが上でどちらが下かよくわからなかった記憶もある。2
 このセカンド・アルバム「条件反射」は1976年に発表されていて、日本ではこのアルバムが先に紹介された。何度も書くが、ビル・ブラッフォードが参加したということでも話題になり、日本では雑誌などでも大きく取り上げられた。
 ただこのアルバムでは、ドラマーとヴァイオリン担当が抜け、ギタリストが加入したので、6人編成になっている。

 この辺がアメリカでのプログレッシヴ・ロックの限界なのかもしれない。もう少しインストゥルメンタルに力を入れて、8分台や10分以上の曲が収められていれば、ジェネシスやキング・クリムゾンくらいのポピュラリティを獲得していただろう。

 紹介する順番が逆になったが、1975年の彼らのデビュー・アルバム「禁じられた掟」では、セカンドよりも抒情性やインスト部分に力が入っていて、それなりの水準に達している。

 1曲目の"Julia"でのイントロのピアノとアコースティック・ギター、ボーカルの1ヴァース後の忍び寄るメロトロン、ブレイク後のフルートなど、プログレッシヴ・ロックでのバラードのお手本のような曲だ。

 2曲目の"Late November"も全編にわたってメロトロンが使用され、よりデヴィッドのボーカルが目立っている。曲自体もなかなかメロディックで起伏があり、間奏のギターやキーボードがいい味を出している。わずか3分13秒というのが勿体なく感じられてしまい、せめて6分ぐらいは欲しいと思ってしまった。

 その点、3曲目の"Song Dance"は5分ちょうどになっていて、珍しく演奏も充実している。3分過ぎでのヴァイオリンやエレクトリック・ギターのソロなどは、彼らが決してデヴィッド・サーカンプだけのバンドに甘んじてはいないということを宣言しているかのようだ。後半になるにつれて、それぞれのソロ演奏が飛び出てくるところが面白かった。

 4曲目の"Fast Gun"などは、シングル・カットされてもおかしくないほどのノリの良さとメロディ・ラインの美しさを備えていて、この辺がアメリカのバンドらしいと思った。
 同様に次の"Natchez Trace"もアメリカで生まれたロックン・ロール風で、チャック・ベリーが歌って演奏してもおかしくない曲調だ。ただし前半はメロトロンが、後半はヴァイオリンがフィーチャーされている点が異質だろう。

 "Theme From Subway Sue"にもエレクトリック・ピアノとメロトロンが目立っていて、何となく吉田拓郎の"落陽"を思い出してしまった。テンポと曲調が似ていると思う。ただ最後の盛り上がりはこちらの方が優っているようだ。

 7曲目の"Episode"はアメリカン・プログレ風の哀愁たっぷりのバラードで、途中と最後のヴァイオリン・ソロがカンサスを思い出させる。ひょっとしたらカンサスの方は、このパブロフス・ドッグを真似たのかもしれない。これもまた日本人向けの泣かせるメロディ・ラインを備えている。

 8曲目の"Prelude"はインストゥルメンタルになっていて、最後の曲"Of Once And Future Kings"に繋がっている。両方合わせて7分弱の曲になるが、こういう構成の長めの曲をもっと作ってほしかった。
 だからこのアルバムでは、こういう曲の方がむしろ異質に映ってしまう。ドラマティックな構成といい、ギターやフルート、シンセサイザーやメロトロンがエンディングに向かって盛り上がっていくさまは、PFMにもつながるものがあると思う。Photo

 このあと彼らはサード・アルバムを録音するのだが、レコード会社から発表差し止めになってしまう。要するにプッシュした分の見返り、収益が上がらなかったからだ。彼らの音楽性は理解されずに、パブロフス・ドッグは1977年に解散してしまった。

 その後、ほぼオリジナル・メンバーで再結成して、1990年に4枚目のアルバム、2010年には5枚目のアルバムを発表している。いずれもセカンド・アルバムの延長線上のようなサウンドで、何となくデヴィッド・サーカンプ&ヒズ・バンドという感じだった。

 残念ながら、オリジナル・メンバーだったヴァイオリニストのシーグフライド・カーヴァーと、メロトロン奏者だったダグ・レイバーンは、それぞれ2009年と2012年に亡くなっている。
 ただデヴィッドのボーカルはいまだ健在ということなので、個人的にはぜひ一度、映像でもいいので、ライヴを見てみたいと思っている。

 結局、彼らはデビュー当初からデヴィッド・サーカンプのボーカルをメインにしていて、演奏面ではやや物足りなかった。セカンド以降もその方向性を維持していて、トータルな意味ではプログレッシヴ・ロックとは言えないかもしれない。

 しかしそれでも、メロトロンやヴァイオリンなど、普通のロック・バンドでは使用しない楽器を用いるなど、プログレ的な一面は備えているバンドだった。もう少し演奏面を重視していれば、彼らはイーソスと並んでアメリカのプログレ・シーンを牽引していたかもしれない。

 ただそれには商業面での成功が求められるだろう。シングル・ヒットを出すか、売れるアルバムを発表するか、それによってバンドの存続が決まるというのも、如何にもアメリカらしい話である。

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2014年3月22日 (土)

トッド・ラングレン

 トッド・ラングレンについては、2007年の6月15日のこのブログで代表作について書かせてもらったが、主にポップ・ミュージックに溢れた代表作ばかりだった。
 自分の中では、トッドといえば“ポップ・ミュージックの魔術師”もしくは“稀代のサウンド・クリエイター”というイメージが強くて、その多岐にわたる才能にただただひれ伏すばかりで、正確な音楽的コメントなどは、できそうにない。3

 ただ彼の全体像をとらえることはできなくても、部分的には簡単な評論ができるかと思って、今回挑戦してみることにした。
 それで今月のお題である“70年代のアメリカン・プログレッシヴ・ロック”にいちばん近いであろうと思われる彼の(あるいは彼のバンドの)アルバムを選んでみた。

 70年代のトッドはまさに神がかり的で、出すアルバム出すアルバム、イメージは違いながらも、ポップな要素とアーティスティックな要素が絶妙にブレンドしていた。だからアルバム・チャート的には振るわなくても、玄人好みのファンやプロ・ミュージシャンの間では圧倒的な人気を誇っていた。

 そんな彼がプログレッシヴなロックを希求するようになったのは、1974年頃からだろう。実は前年にアルバム「トッド」(邦題;未来から来たトッド)を制作しているのだが、この時のバック・バンドをユートピアと名付けて、アルバムを制作したのである。それが「トッド・ラングレンズ・ユートピア」というアルバムに結実した。

 この時のユートピアは第1期ユートピアと呼ばれていて、メンバーは以下の通りだった。
ギター&ボーカル…トッド・ラングレン
ベース&チェロ…ジョン・シーグラー
ドラムス…ケヴィン・エルマン
キーボード…ラルフ・シュケット、マーク・“ムーギー”・クリングマン
シンセサイザー…ジーン・イーヴズ・“Mr. Frog”・ラバット

 正確に言うと、第1期ではなくて、第2期にあたるのだけれど、面倒くさいので1期にした。(ちなみに本当の第1期のユートピアには、のちのデヴィッド・ボウイのティン・マシーンで活躍したハント兄弟がいた)

 要するにトリプル・キーボードで、当時の最先端だった音楽的な機器を使用して重厚な音作りを目指したものだった。さらにトッドは、ギター・シンセサイザーも使用していたから、まさにスペイシーで近未来的なサウンドに満ちていた。

 しかもアルバムは全4曲で、最初の曲はなんとライヴ・レコーディングされたものだ。曲の途中で観客の声が入っていて、それまではライヴとはわからなかった。それほどサウンドがしっかりと構築されていて、音に無駄や隙がない。2

 1曲目の"Utopia"から14分26秒もあって、何度も言うようだが、とてもライヴ録音したものとは思えない。もちろん多少はあとで手を加えているのだろうが、オープニングの一糸乱れぬアンサンブルは何度聞いてもカッコいい。また歌詞はわずかで、ほとんどインストゥルメンタルである。

 この曲のクレジットにはトッド・ラングレンとデイヴ・メイソンとあるが、このデイヴとはキーボーディストのことで、イギリスのバンド、トラフィックのギタリストとは同名異人である。よく間違われているので注意が必要だ。ちなみにこのアルバムのデイヴは1973年から74年にかけて、トッドのバック・バンドで演奏していた。だからこの時に作った曲なのだろう。

 2曲目からはスタジオ録音になっていて、10分以上の"Freak Parade"はアヴァンギャルドな演奏パートを含んだ曲。ボーカル・パートはやや早口で、のちのラップのようだ。エンディング・パートはベース・ソロが続くのだが、とにかく自分のアイデアを音にしたらこんな風になりましたというような曲でもある。この時代のトッドは、これくらい際立っていたのだろう。

 3曲目の"Freedom Fighters"は4分3秒という、このアルバムの中では一番短く、シングル・カットされてもおかしくないようなトッド流ハード・ロック・ソングだ。それにトッド・ラングレンって、こんなにギターが上手だったとは思っても見なかった。“能ある鷹は爪を隠す”とはまさにこのことを指すのだろう。

 そして最後の曲"The Ikon"に至るのだが、この曲は30分27秒もある大作だ。この曲にはメロディー・メイカーとしてのトッドの資質はうかがえるものの、ポップ・ソングとは対極の位置に立っていて、それぞれの楽器が自己主張をしながら、最後のエンディングまで突っ走っていっている。

 3分30秒過ぎからミディアム・テンポになり、トッドのボーカルが聞こえてくる。5分過ぎにはまたブレイクして、今度はスペイシーなキーボードが前面に出てくる。
 こんなふうに次々と転調や静と動を繰り返しながら、白熱したインタープレイを行っていて、一気に最後まで聞かせてくれる。30分という時間を感じさせない、まれにみる素晴らしい構成を持った楽曲だと思う。

 このアルバムはチャート的にも健闘して、ビルボードで34位を記録した。これは1979年の「アドヴェンチャーズ・イン・ユートピア」が発表されるまでは、彼らの最高位を記録したアルバムにもなった。
 個人的にも、イエスの「こわれもの」やピンク・フロイドの「おせっかい」、ジェネシスの「幻惑のブロードウェイ」などのアルバムに負けずとも劣らないと思っている。

 ユートピアは1976年に大きく編成を変え、4人組になった。本当は違うのだけれども、自分の中では第2期ユートピアだと思っている。
 ベースがカシム・サルタン、ドラムスにジョン・ウィルコックス、キーボードにロジャー・パウエルが担当するが、4人ともボーカルが取れたために、ハーモニーが出せて、ボーカル・パートの比重が重くなり始めた。

 それにともないバンドの音もだんだんとポップ化していったが、1977年の「ラー」(邦題;太陽神)は、プログレッシヴ・ロックの範疇に属するものだと思っている。ただ当時の音楽的な流行のせいか、ややクロスオーヴァー的なところがあるような気がした。これについては、また次の機会に述べたいと思う。次の機会があればの話だが…

 それで結局、このアルバムで彼らは自分たちのすべてを出し尽くしたのだろう。それ以降は、全くもってポップなサウンドになっていったからだ。

 今度はトッド自身のソロ・アルバムの中で一番プログレッシヴ・ロックに近いものはどれかというと、1975年に発表された「イニシエーション」(邦題;未来神)だろう。
 トッドのソロ・アルバムは、いずれもビートルズやビーチ・ボーイズの影響を強く受けたポップ・アルバムなのだが、この6枚目のソロ・アルバムの前半6曲も似たような感じだ。

 3曲目の"The Death of Rock'n'Roll"にはベースにリック・デリンジャーが、5曲目のアルバム・タイトル曲"Initiation"にはサックス・ソロをデヴィッド・サンボーンが担当しているし、6曲目のバラード"Fair Warning"にはギターにはリック・デリンジャー、サックスはエドガー・ウィンターが曲に彩りを添えている。Photo_2

 問題は後半の曲"A Treatise on Cosmic Fire"4部作だろう。トータル35分以上もある組曲を全てトッドひとりで演奏している。ここまでくれば、これはもう職人の域を超えて、病人に近いものがある。

 この30分以上の組曲の基本は、ベース、ドラムス、ギター、シンセサイザーで、特に幾重にも重ねられたシンセの音はまさに多重録音の結果である。
 ただトッドが演奏すると不思議なもので、まったく無機質感とは無縁になってしまう。まず十分に考えられたうえで音が選ばられているし、その音を重ねた効果まで配慮されているからだろう。

 特に最後の曲"The Internal Fire or Fire By Friction"の11分過ぎから18分近くまでの音響空間は、のちの環境音楽に通じるものがあるし、聞きこんでいくうちに、煌びやかなシンセの音が何か感情を持っているような気がしてくる。この時のトッドは、まさにプログレッシヴであり、音の魔術師といっても決して過言ではないだろう。

 イギリスやヨーロッパでは、すでにプログレッシヴ・ロックは衰退していて、次のムーヴメントが起きようとしていた時に、海を越えたアメリカではこんなアルバムを制作していたミュージシャンがいたのである。
 ある意味、テクノロジーと結びついたプログレッシヴ・ロックの再構築を図っていたと思われてもおかしくないだろう。本人は自分の音楽を追及していただけだといって、否定するだろうけれど…

 トッドの音楽性は、基本はポップ・ミュージックだろうけれど、1974年から77年にかけてはユートピアというバンドを率いて、プログレッシヴ・ロックに一番接近していた時期だった。
 それを支えていたのは、もちろんトッドの音楽的才能なのだが、当時の最新音楽機器を備えていたテクノロジーの発達という面もあるだろう。トッドは自分の表現領域の拡大を目指して、それに興味を示していったに違いない。

 この時期の彼の音楽は、いかにもテクノロジーを象徴するアメリカという国にふさわしい音楽だったのである。逆説的にいうと、音楽的技術革新がなければ、アメリカではプログレッシヴ・ロックは発展しないということを証明しているのではないだろうか。
 

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2014年3月17日 (月)

ハッピー・ザ・マン

 今月はアメリカン・プログレッシヴ・ロックの、しかもややマイナーなバンドについての特集である。今までもカンサスやスティクスなど、折に触れて書いてきたのだが、70年代のアメリカン・プログレッシヴ・ロック・バンドをこうやってまとめて書いたのは、初めてのことだ。

 それで今回はアメリカのジャズ・ロック・バンド、ハッピー・ザ・マンの登場である。自分はこのバンドの存在自体は、昔から聞いてはいたのだが、実際の音楽を聞いたのは2005年と、比較的最近のことだった。

 自分が聞いたアルバムは、1978年に発表された彼らのセカンド・アルバム「クラフティー・ハンズ」だった。結論から言って、このアルバムは名盤だった。一家に一枚とは言わないが、死ぬまでに聞いておくべきプログレ・アルバムの中には間違いなく入るだろう。(そんなものは存在しないけれど…)Photo

 何が素晴らしいのかというと、時代を感じさせない音作り、巧緻で高度な音楽性、精神性の高さを感じさせる芸術性等を備えているところだ。
 たとえばカンサスやジャーニーのような、アメリカン・プログレッシヴ・ロック・バンドとは全く立ち位置が違う。ある意味、商業性は無視しているようで、売れ線狙いではない。

 どちらかというとイギリスのバンドのようで、聞いていくにつれて、ビル・ブラッフォードやブランドX のサウンドに近いと思った。それらのバンドに、エッグなどのカンタベリー系をプラスしたかのような感触だった。

 全8曲だが、そのほとんどがインストゥルメンタルで、歌詞つきの曲は1曲しかない。曲の大部分は、変拍子のリズムにテクニカルなギターとキーボードが絡みついていて、時に無機質、時に熱くスリリングに展開している。

 70年代の後半に、アメリカでこういうバンドが登場してアルバムを発表していたことが、自分にとっては珍しかったし、奇異な感じがしたのだが、彼の地にもこういうバンドが登場する余地があったということで、改めてアメリカの音楽性の幅広さに感嘆してしまった。

 アルバムのプロデュースは、あのデヴィッド・ボウイやスーパートランプを担当したイギリス人のケン・スコットだったということも、彼らのサウンドに影響を与えているに違いない。でもそれだけで、これほど高度で複雑なサウンドを出せるわけではないから、やはりこれはバンド・メンバーの優れた才能のせいだろう。

 そのメンバーはというと、1972年頃にアメリカのヴァージニア州で集まっていて、ギタリストのスタンリー・ホウィティカーが中心となって結成されたようだ。Band76
 このスタンリーさんは、以前にドイツにも住んでいて、そこでキング・クリムゾンやジェントル・ジャイアントの音楽に触れている。彼らの音楽がヨーロッパ的なのもそのせいかもしれない。

 バンド名は、ドイツの文豪ゲーテの「ファウスト」から引用されたものと、同時にジェネシスが1972年に発表したシングルのタイトルを借用したものの両方から来ている。これはエンジニアだったスタンリーの兄、ケン・ホウィティカーの提案だったようだ。

 その後メンバー・チェンジを経て、1976年半ばにはアリスタ・レーベルと契約を結び、翌年にはデビュー・アルバムが発表された。その間には、元ジェネシスのピーター・ガブリエルともセッションを行い、バンド活動やアルバム発表を模索していたようだが、結局はお蔵入りになっている。

 ところでこのバンドのキーボーディストのキット・ワトキンズは、19歳でバンドに加入した早熟の天才プレイヤーだったようで、2枚のアルバムでもピアノやシンセサイザー、ハープシコードなど様々なキーボードを弾きこなしている。彼はハッピー・ザ・マン解散後、キャメルに加入してさらに一花咲かせることができた。

 またデビュー・アルバム発表後、彼らはイギリスのルネッサンスや英米混合のフォーリナー、日本人のツトム・ヤマシタなどと精力的にツアーを行っていたようだが、残念ながら商業的な成功には結びつかなかった。

 そのせいでもないだろうが、ツアー後にドラマーのマイク・ベックが脱退し、代わりにロン・リドルが加入している。この人もテクニシャンのようで、8分の11拍子という"Service With A Smile"では華麗な?リズムを披露している。

 先に出てきたキット・ワトキンズは、このアルバムでは単独で3曲書いていて、そのうちの"Morning Sun"というのは、タイトル通りゆったりと目覚めるような曲で、アコースティック・ギターとムーグ・シンセサイザーが幻想的な雰囲気を醸し出している。

 残りの2曲"I Forgot To Push It"、"The Moon, I Sing (Nossuri)"ではそれぞれ変拍子や5拍子主体のトリッキーな楽曲になっていて、どうしてものちのキャメルとは結びつかない楽曲だと思った。それだけ彼の懐が深いせいなのだろうが、演奏技術と同時に、メロディにも抒情性を少なからず備えているところが、のちにアンディ・ラティマーに気に入られたところかもしれない。

 いずれにしてもマニア好みというか、通好みのバンドだったハッピー・ザ・マン。彼らはサード・アルバムを録音するも契約が打ち切られたため、結局1979年に解散してしまった。その3枚目のアルバムは1983年に「ベター・レイト」というタイトルで、マイナー・レーベルより発表されている。

 ところが2000年になって、突然彼らは復活した。キットの代わりのキーボーディストとして、1981年から84年までリッチ―・ブラックモアのバンド、レインボーに在籍していたデイヴ・ローゼンサルが担っているようで、「ザ・ミューズ・アウェイクンズ」というアルバムまで発表している。

 とにかく70年代後半のアメリカで、こういうヨーロッパ的なバンドが活動していたとは知らなかった。しかも高水準の音楽性を備えていたのだから、これまたビックリである。もし彼らがイギリスやドイツで活動していたら、間違いなくもっとメジャーなバンドになっていただろう。

 逆にいえば、アメリカの音楽性のすそ野の広さと同時に、売れてなんぼという商業主義に直面しているのがアメリカン・プログレッシヴ・シーンの現実なのである。

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2014年3月12日 (水)

スパイ

 いまロシアのソチではパラリンピックが行われているが、約1ヵ月前のソチ・オリンピックの開会式では、ロシアの歴史や国土の様子などが、バルーンのように次々と空中に浮かんで紹介されていた。あれはまるでロジャー・ディーンが描いたジャケット・デザインのようだった。
 それにBGMにはストラヴィンスキーの「火の鳥」も使用されていたから、これはまるで今からイエスのライヴ公演が行われるのではないかと錯覚させられたほどだった。Images

 それで前回は“アメリカのイエス”と呼ばれたスターキャッスルを紹介したのだが、今回はアメリカのカンサスの“弟分”といわれたスパイを紹介しようと思う。

 カンサスは、70年代後半から今も活躍を続けているアメリカの6人組(現在は5人組)プログレッシヴ・ロック・バンドで、このブログでも過去数回紹介しているので、ご存知の方も多いと思う。

 アメリカのカンサス州で結成されたのだが、メンバーの中のフィル・イハートがイギリス滞在中にイエスやキング・クリムゾンなどのプログレッシヴ・ロックに強い影響を受けていたので、アメリカでは珍しいほどヨーロッパ的な雰囲気を備えていたバンドだった。

 ヨーロッパ的な雰囲気とはどういうことかというと、ボーカルよりもインストゥルメンタルを重視して、その結果演奏時間が長くなり、どうしても大曲中心、アルバム・オリエンティッドな作風を意味する。

 しかしそこはアメリカのバンド、どうしても売れることも宿命づけられているから、シングル・ヒットや数多くのライヴ活動、ビジュアル重視も求められていた。彼らもまた、その両方をどのようにして止揚していくかが問われていたに違いない。

 幸いにしてカンサスは、ビジュアル的なことは別として、数多くのライヴをこなし、シングル・ヒットも記録して、アルバムもチャートの上位に顔を出すようになった。つまり世間的に売れるようになったのである。

 それでその後釜を狙うかのように、同じレーベルから1980年にアルバム・デビューしたのがスパイというバンドだった。

 このバンドは兄貴分のカンサスと同じようなバンド構成メンバーで成り立っていた。要するに6人組で、そのうちの一人はバイオリンやキーボードを演奏することができ、残りのメンバーは本家と同じように、ドラマー、ベーシスト、ギタリスト、キーボーディスト、ボーカリストだったのである。

 また音楽的にもよく似ていて、艶のあるリード・ボーカルとそれに絡むコーラス、長くても5分程度だが、ボーカルに負けない演奏力などは、本家カンサスも顔負けといえるものだった。

 しかし唯一、作曲能力、曲自体の魅力については兄貴分カンサスの方がはるかに上回っていて、その差がカンサスとスパイの音楽的な差異と人気の差を決定づけたようだった。
 カンサスのアルバムは70年代を中心にミリオン・セラーを記録し、ランキングのベスト10にも入ったが、スパイの方はデビュー・アルバム1枚限りで解散してしまった。Photo

 なぜ彼らが1枚で解散してしまったかというと、売れなかったからであり、そのせいかメンバー間で雰囲気が悪くなったからだ。
 売れなかった原因の1つは、アルバムのプロデューサーがバンド以外で3名もいたことだろう。

 ふつう1枚のアルバムにはひとりのプロデューサー(あるいはバンド自体のセルフ・プロデュース)が取り仕切って、そのアルバムのコンセプトや方向性を出したりするものだ。
 ところがこのデビュー・アルバムには、9曲中3曲が2名のプロデューサーとバンド自身が行っている。1曲目の"Crimson Queen"と5曲目"Ruby Twilight"、6曲目"Love's There"だ。

 5曲目はバラードで、6曲目はテンポの良いロック調なのだが、アルバム冒頭に違う2名の共同プロデューサーの曲をもってくるとは、どういうことなのだろうか。

 アルバムの2曲目から聞く人はほとんどいないわけだし、1曲目はそのアルバムやバンドの印象を決定付ける重要な曲をもってくるのが普通なわけで、その曲がメインのプロデューサー以外の手によるものということは、他の曲とどう差別化しているかがわかるはずだ。(メイン・プロデューサーもあまり気分はよくないだろう)

 結局、アルバムとしての統一感が欠けたものになりがちだし、バンドの意向が反映されないものになりがちで、このアルバムもまたその悪い例の代表のようなものになっている。

 この3曲は売れ線狙いの、当時のスティクスやジャーニーのような産業ロックに仕上げられていて、耳触りは良いものの、スパイというバンドの個性が感じられない。
 逆に2曲目の"Easy Street"や8曲目の"Anytime, Anyplace"の方が、バイオリンの哀愁味が残り香のように染み渡り、カンサスぽくって印象に残りやすいと思った。

 それに基本的にこのアルバムは、ボーカル重視である。リード・ボーカルのジョン・ヴィスロッキーは声に艶があり中音域もよく伸びていて、カンサスのスティーヴ・ウォルッシュのようなのだが、それを支えるインストゥルメントが淡泊だ。

 例えば、4曲目"Can't Complain"ではギター・ソロが短すぎて物足りない。せっかく上手(に聞こえそう)なのだから、もっと間奏部分やエンディングで弾きまくって欲しかった。

 意外に良かったのは、7曲目の"Feelin' Shining Through"で、映画音楽のサントラにも使えそうな哀愁溢れるバラードで感動ものだった。この曲や2曲目の"Easy Street"はベーシストのマイケル・ヴィセグリアが書いていて、この人をメインのソングライターにすれば、また違った展開になったのではないだろうか。

 このアルバムは後半になるに従ってよくなっていくようだ。"Anytime, Anyplace"は5分と、このアルバムの中で一番長い曲になっていて、後半になっての各楽器のアンサンブルが素晴らしかった。この部分だけ聞けば、確かにカンサスの後継者の資格はあるのかもしれない。

 また最後の"When I Find Love"も当時のAORになりそうなところを、キーボードとバイオリンがかろうじて救っているようだった。曲のセンスはなかなか良いので、やはり歌と演奏のバランスが問題だろう。

 どうやってバンド名が決まったのかわからないが、その名前の通りに、表だって目立つこともなく、ひっそりと消えて行ったバンドだった。1993年には日本でも国内盤が発売されたが、すぐに廃盤になってしまった。“名は体を表す”というが、ひょっとしたら今頃どこかで、目立たないように活動しているのかもしれない。

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2014年3月 7日 (金)

スターキャッスル

 今月はアメリカン・プログレッシヴ・ロック特集をすることにした。先月はアメリカのマグナ・カルタ・レーベル特集だったから、その流れの延長ということになるのだが、果たして月末までもつかどうかわからない。

 その理由は、アメリカではプログレッシヴ・ロックが育たないといわれているからだ。実際はそうではないのだが、少なくとも20世紀末まではそう囁かれていたし、事実、多くのプログレ・バンドは彗星のように現れては、あっという間に消えて行った。

 以前このブログで、アメリカのイーソスというプログレッシヴ・ロック・バンドを紹介させてもらったのだが、このバンドも高度な技能とハイセンスでヨーロッパ的な音楽性を備えていたにもかかわらず、わずか2枚のメジャー・アルバムを残して消えて行ってしまった。1975年という時代にマッチしていなかったのか、それともアメリカの国民性にあっていなかったのか、おそらくその両方なのだろう。

 今回紹介するのは、1976年にデビューしたスターキャッスルである。このバンドは日本ではほとんど無名だったが、アメリカでは少しだけ話題になった。
 ただその話題というのは、“アメリカのイエス”というもので、どちらかといえば真っ当な評価は与えられてはいなかったようだ。

 自分も20世紀の終わりになって初めて彼らのことを知った。教えてくれたのはかつては有名だった日本のミュージシャンのうらぶれた興行を裏稼業としているK氏である。
 ちなみに彼は某有名レコード店の雇われ店長もしていたので、当時の音楽業界には詳しかったのであろう。日本ではほとんど知られていなかったスターキャッスルを知っていたのは、おそらく輸入盤を通してからだろうと思われる。当時彼らの国内盤は発表されていないからだ。

 ところが1998年になって、なぜか突然彼らの国内CD盤が発表された。しかもメジャーのソニー・ミュージック(正確にはエピック・レコード)から全盛期の4枚まとめての発売だった。70年代半ばで4枚もアルバムを出せていること自体、アメリカ国内ではかなりプッシュされていたのかもしれない。

 当時はボストンやスティクス、カンサスなど、“アメリカン・プログレ・ハード”などという呼び名で、一つの音楽的な潮流が出来ていたから、スターキャッスルもその流れに乗ろうとしたのだろう。Photo
 しかしそのデビュー・アルバム「スターキャッスル」を聞いてビックリした。“アメリカのイエス”というものではなくて、“イエスそのもの”だったからである。
 今までイエスのコピー・バンドのようなアルバムは何枚も聞いたが、このアルバムは“極似のイエス”だと思う。しかも全盛期のイエスの音を模しているのだ。

 1曲目の"Lady of the Lake"は10分27秒もあり、キーボードの音色やリード・ギターの入り方、ベースのアタック音、ボーカルの声質まで、本当にクローンのようだった。
 ベース・ギターの音はクリス・スクワイヤだったし、ボーカルに至ってはジョン・アンダーソンのような高音だった。
 さらに曲自体も転調が多く、その間にはキーボードやギターのソロも適度に織り込まれていた。これはイエスの新曲だといわれても当時の人は信じてしまうほどの内容を持っていたと思う。

 ボーカリストのテリー・ラットレルは元REOスピードワゴンに所属していて、元のバンドとは180度ほど違う音楽性を持ったこのバンドによく加入したなあと思っている。もともとこういう音楽をやりたかったのだろう。

 2曲目の"Elliptical Seasons"はアコースティック・ギターも加えられていて、これまたスティーヴ・ハウを髣髴させるし、途中のハモンド・オルガンはまるでリック・ウェイクマンである。ここまで来たら、本家のようなアコースティック・ギター・ソロも聞かせてほしかったのだが、それは収録されていない。自信がなかったのだろうか。

 このバンドは6人組でギタリストが2人もいたから、お互いの個性を発揮すればもっと違う結果になったと思う。ツイン・リード・ギターを前面に出してもよかったのではないだろうか。またこのアルバムにはインストゥルメンタルの曲も2曲含まれていて、特に最後の7曲目"Nova"は、2分36秒と短いものの、スペイシーで印象的だった。2作目以降は、インスト部分にも力を入れて行けば、もっとオリジナリティが出せたと思っている。

 それで翌年の1977年にはセカンド・アルバム「ファウンティンズ・オブ・ライト」(邦題;神秘の妖精)が発表されるのだが、これまた前作以上にイエスに激似のサウンドだった。3
 このセカンド・アルバムのプロデューサーはクイーンでも有名なロイ・トーマス・ベイカーで、当時は超売れっ子だった。そんな彼がプロデュースしたのだから、もう少し路線が変わるだろうと思ったのだが、まったくそんなことはなく、むしろイエスにますます近づいていた。まさに“Close to the Yes”である。

 このアルバムの1曲目も10分以上もある"Fountains"という曲で、前作よりも使用されるキーボードの種類が増えていて、カラフルになっている。
 2曲目の原題は"Dawning Of the Day"といって、邦題では“燃える夜明け”となっていた。イエス・ファンならわかると思うけれど、彼らの1972年の4枚目のアルバム「こわれもの」には"Heart Of the Sunrise"(邦題;燃える朝焼け)という曲が収められている。こうなったらもう笑うしかないだろう。

 前作もそうだったが、このアルバムの曲のクレジットもメンバー全員の名前で記載されていた。彼らは1978年まで一度もメンバー・チェンジはしなかったが、自分たちのサウンドや方向性には確信を持っていたのだろう。だからあのロイ・トーマス・ベイカーをもってしても、違う方向に持っていけなかったに違いない。

 ただアルバムの売り上げはどうかというと、これはさっぱりだった。激似の音楽性で話題にはなったものの、それがチャート・アクションには全く反映されていない。

 しかし彼らはそれにもめげず、1977年の後半には早くも3枚目のアルバム「スィタデル」を発表した。このタイトルは“城塞”という意味で、日本では「星の要塞」というタイトルが付けられていた。
 アルバム・ジャケットは、“スター・ウォーズ・シリーズ”を手掛けたことで有名なヒルデブラント兄弟の手によるもので、これまたなかなか凝っている。2
 しかしその音楽性には少し変化が見られるようになった。全部で8曲もあり、今まであった10分を超える曲は1曲もない。
 しかも中には3分程度のポップな楽曲も存在していた。これは少しでも売れる曲を作るようにレコード会社からプッシュというか、圧力がかかったのだろう。やはり売れて何ぼの世界である。アメリカのエンターテイメント産業は、当時も今も、なかなか厳しいようだ。

 こうなるともうすでにプログレッシヴ・ロック・バンドとは言えない。まるでジョン・アンダーソンが軽くなった演奏を背景に歌っているようで、ファンからすればちょっと違和感があった。しかも何となく浮かない、暗い雰囲気で歌っている。

 また、3曲目の"Can't Think Twice"や7曲目の"Could This Be Love"などは、そのタイトルからも分かるように、分かりやすいメロディとハーモニー、覚えやすい曲調とあからさまにシングル・ヒットを狙ったものだった。1枚のアルバムの中で、音楽的方向性が2極分化になっていて、これは明らかにバンドとプロデューサーの失敗だろう。

 ただ本家イエスも「トーマト」というあからさまなポップ・ソング・アルバムを、1978年に発表しているが、それに比べればまだこちらの方がファンタジックでもある。それはキーボーディストのハーブ・スキルトの奏でる調べのおかげだろう。ちなみに彼はバンド脱退後、コンピューター教育の道を志し、会社を設立して教育書を出版している。日本でも邦訳が出ているという。

 彼らは1978年に「リアル・トゥ・リール」というアルバムを発表するが、これはもう完全にメロディアスなポップ・ロックになっていて、おそらくボーカルのテリーにすれば、自分が元いたバンドと比較がつかなかったに違いない。当時はREOスピードワゴンの方がスターキャッスルよりも圧倒的に売れていたから、彼の心中は複雑だっただろう。そのせいか、このアルバム発表後、彼はバンドを脱退している。

 結局、彼らは一度も商業的に成功することはなく、1980年に音楽シーンから消えて行った。バンド・メンバーだったベーシストのゲイリー・ストレイターの提案で、何度も再結成話は持ち上がったのだが、オリジナル・メンバーでの再結成ライヴは一度も行われなかった。

 そのゲイリーもすい臓がんに侵され、2004年に51歳の若さで亡くなった。生前に企画されていたオリジナル・アルバムの録音はオリジナル・メンバーのほかに、アニー・ハズラムやオリバー・ウェイクマンも参加して続けられ、2007年に「ソング・オブ・タイムズ」というタイトルで発表された。

 今となっては知る人ぞ知るバンドになってしまったが、その話題性は一世を風靡していたようだった。自分は“星のお城”ではなく、“砂上の楼閣”のようなバンドだと言っても差し支えないと思っているのだが、どうだろうか。

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2014年3月 2日 (日)

エクスプローラーズ・クラブ

 2月から行われてきた“マグナ・カルタ・レーベル”特集も一応今回で幕引きとしたい。それで最後にふさわしいバンドというか、プロジェクトを紹介しようと思う。それはエクスプローラーズ・クラブというプロジェクトの「エイジ・オブ・インパクト」というアルバムだ。

 このプロジェクトが作られた経緯については、よくわからない。ただ中心人物はマジェランのキーボード&ボーカル担当のトレント・ガードナーだった。
 彼がマジェランの3枚目のアルバム「テスト・オブ・ウィルズ」を1997年に発表したあと、このプロジェクトを手掛けている。

 ただ一説によれば、1991年に発表されたイエスの「ユニオン」にインスピレーションを受けたようで、イエスの黄金時代を支えたメンバーが集合してアルバムを制作したように、トレント・ガードナーも自分の理想とするプログレッシヴ・ロックを再現するために、当時の一流のメンバーを集めて企画したものとも言われていた。

 だから実験性や商業性はほとんど含まれていない。プログレ至上主義であり、純粋な音楽オリエンティッドのアルバムになっている。

 またこのアルバムに集結した主なメンバーは以下の通りだった。
ドラムス…テリー・ボジオ
ベース…ビリー・シーン、ウェイン・ガードナー
キーボード…トレント・ガードナー、デレク・シェリニアン、マット・ギロリー
ギター…ジョン・ペトルーシ、スティーヴ・ハウ、ジェイムズ・マーフィー、
      ウェイン・ガードナー
ボーカル…トレント・ガードナー、ジェイムズ・ラヴリエ、ブレット・ダグラス、
       D.C.クーパー、マット・ブランドリー

 今更書くのも変なことだけれども、ガードナー兄弟はマジェランのメンバーであり、ボーカルのブレットはカイロから参加している。
 要するにマグナ・カルタ・レーベルに所属していたバンドとドリーム・シアターのメンバー(元メンバーを含む)が中心となっていて、イエスのスティーヴ・ハウやロイヤル・ハントのD.C.クーパーやダリズ・ジレンマのマット・ブランドリーなどが客演していたのだ。

 客観的にみて、これが現代を代表するプログレッシヴ・ロック・プレイヤーだとは思えないのだが、テクニック的に見れば、まったく遜色ないだろう。
 実際、アルバムに収められている5曲を聞けば、納得できるというものである。

 それでこのメンツによるアルバム「エイジ・オブ・インパクト」は、1998年に発表された。基本的にはトレント・ガードナーの手による楽曲にみんなが手を加えているもので、面白いことに各メンバーのソロがどこに位置しているのか、誰がこの部分のリード・ボーカルでハーモニーをつけているのかが詳細にブックレットに記載されている。Photo
 ドリーム・シアターやロイヤル・ハントのメンバーが参加しているとはいえ、ヘヴィ・メタルの要素はほとんどなく、現代的で若々しく元気のよいプログレという感じである。4曲目にはスティーヴ・ハウのアコースティック・ギター・ソロが収められているが、他のギタリストのソロと比べるとやはり物足りなさを感じた。やはりこうして時代は移り変わっていくのだろう。

 個人的には5曲目の中間部での3人のソロ(ペトルーシ、ギロリー、マーフィによる演奏)、や後半のペトルーシの鬼気迫る速弾きが印象的だった。
 ただアルバム的にみると、アイデア先行のような気がして、トータルな意味合いで考えれば、もう少しアルバム全体に起承転結のような盛り上がりがあったらよかったと思った。1曲1曲を聞けばなかなかよいのだが、5曲を通して聞き終わった余韻が芳しくなかった。あくまでも個人的な意見だが…

 しかしそれでもボジオとシーンのリズム・セクションは鉄壁で、ブラッフォード&レヴィンもしくはスクワイアよりインパクトがあって目立っている。それにペトルーシやシェリニアンが絡む様は刺激的で、エキサイティングだった。

 彼らは2002年にも「レイジング・ザ・マンモス」というアルバムを発表している。2部形式の組曲で全44曲もあるのだが、ボーカル部分が前半、インストゥルメンタルが後半と分かれていて、この構成のせいだろうか、1stアルバムよりは評判は高まらなかった。71xctg7khvl__aa1452_
 ちなみにこのアルバムにはジョン・ペトルーシは参加していない。かわりにベーシストとしてジョン・マイアングが参加していた。残りのメンバーは、トレント兄弟を除けば以下の通り。
ドラムス…テリー・ボジオ
キーボード…マーク・ロバートソン
ギター…ケリー・リヴグレン、マーティ・フリードマン、ゲイリー・ワーカンプ
ボーカル…スティーヴ・ウォルッシュ、ジェイムズ・ラヴリエ

 パッと見で、マジェランとシャドウ・ギャラリーのギタリストにドリーム・シアターとカンサスのメンバーが合体したかのようだが、メンツ的に見れば、やはり前作の方に軍配が上がりそうだ。

 とにかく“マグナ・カルタ・レーベル”は現在でも運営されていて、上記のメンバーもこのレーベルに所属しているか、このレーベルを通して配給されている関係で参加したのだろう。

 アメリカは広大で種々雑多な音楽が混在しているが、このようなレーベルのおかげで、プログレッシヴ・ロックやプログレッシヴ・メタル・ロックのファン・ベースもコンスタントに広がっているのだろう。これからもいい新人を発掘していってほしいものである。

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