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2014年4月

2014年4月26日 (土)

サウンド・オブ・アニマルズ・ファイティング

 前回のブログでも述べたが、アメリカでは、そして徐々にではあるがそれ以外の国でも、“シンフォニック・ロック”という言い方が浸透してきている。

 従来の“プログレッシヴ・ロック”という言い方は、特にアメリカでは、ジェネシスやE,L&Pのような音楽以外の、たとえば古くはイッツ・ア・ビューティフル・ディ、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、アイアン・バタフライ、ヴァニラ・ファッジ、最近ではフィッシュやレディオヘッド、マーズ・ヴォルタなど、革新的なサウンドや意欲的で斬新なバンド運営や形態などを指して、“プログレッシヴ・ロック”と言われるようになった。

 要するに、“プログレッシヴ・ロック”という言葉が、広義の意味というよりも、言葉本来の意味として捉えられるようになったのである。

 日本では、いまだに両者の言葉の定義が曖昧のまま進んでいるようだが、特に新しい音楽形態やバンドが生まれるわけではないので、曖昧のままでも特に違和感を覚える人はいないようだ。
 だから、もし今Y.M.O.が生まれていたなら、間違いなく彼らは“プログレッシヴ・ロック”のフィールドで語られているだろう。確かに音楽は“テクノ・ポップ”かもしれないが、その背景には“プログレッシヴ・ロック”が存在しているからだ。

 かくいう自分もその中の一人で、今までは特に区別をつけようとして、使ったことはなかった。これからは少しは気をつけていきたいとは思っているが、そんなに厳密につけなくても特に支障はないので、曖昧のままに来てしまっている。

 それで“アメリカで今を生きるプログレッシヴ・ロック”の一応の区切りとして、最後となる今回はサウンド・オブ・アニマルズ・ファイティング(長いので以下S.O.A.F.と略す)に登場してもらった。

 このバンド、写真を見ても分かるように、謎の覆面集団で、実態はRx Banditsというバンドのメンバーが主体となったサイド・プロジェクトでもある。1
 やっている音楽は、パンクからレゲエ、ジャズからヘヴィ・メタルと非常に多岐にわたっていて、一応、ポスト・ハードコアとは言われているものの、やはりプログレッシヴ・ロックといった方が一番わかりやすいであろう。

 もともとRx Banditsというバンドは、1995年にカリフォルニアのオレンジ・カウンティで結成されたレゲエ、スカ・バンドだった。当初は6人編成で、サックスやトロンボーン担当もいたが、メンバー交代やアルバム発表ごとに、徐々にミクスチャー・ロックやオルタナティヴ・ロック系統の色彩が濃くなり、今では唯一無二のまさにプログレッシヴな音楽を追及しているバンドでもある。

 レゲエ系から始めた彼らだが、当人たちは、目標とする音楽のひとつにマーズ・ヴォルタを挙げていて、確かに彼らの3枚目のスタジオ・アルバム「オーシャン・アンド・サン」を聞くと、そういう要素もうかがえるだろう。Photo_2

 このアルバムは基本的には4人で制作されている。リンクス(オオヤマネコ)、スカンク、ナイチンゲール、ウォーラス(セイウチ)の4人で、このうちスカンク以外の3人が元Rx Banditsか現Rx Banditsのメンバーである。Photo_3

 全12曲なのだが、そのうち1、5、8曲にはメンバーの意向によりタイトル表記が載せられていない。
 前半は静かに先行していく感じで、アルバム・タイトル曲の"The Ocean And The Sun"もややダークでミドル・テンポのボーカル曲である。当然のことながらレゲエではないのだが、リズムは安定しているし、遠くで霞にかかっているように聞こえるギターとキーボードの音が、技巧的でかなりのテクニシャンだということがわかる。

 3曲目の"I, The Swan"や4曲目の"Another Leather Lung"などは、初期のレッド・ホット・チリ・ペッパーのようで、彼らからポップ性を差し引いて、アヴァンギャルド性を加えた感じがした。

 そんな彼らの音楽が爆発するのが6曲目の"Cellophane"で、この曲の3分過ぎからのギター・ソロはジョン・フルシアンテを超え、さらに鬼気迫るものがある。まさにミクスチャー・ロックのお手本のようだ。

 次の5分39秒の"The Heraldic Beak Of the Manufacturer's Medallion"はもう最初から爆発していて、ここにきて一気に畳み掛けるように展開している。この辺は彼らが尊敬してやまないマーズ・ヴォルタの再現かもしれない。しかしこの演奏技巧は大したものである。

 2005年にRx Banditsが初めて来日したときは、来日したその日に空港から直接会場に現れて、わずか15分のサウンド・チェックの後、20分の持ち時間分を演奏して去って行ったという。もちろんその時のパフォーマンスは、信じられないほどハイレベルで、圧倒的な音空間を保っていた、と今では伝説化されているほどだ。

 それほどの能力を秘めているメンバーから放たれるサウンドには、リスナーをして黙らせてしまうパワーを備えている。
 "Uzbekistan"という7分27秒の曲でも変幻自在の構成や夢幻的なサウンド・エフェクトなど、彼らの魅力が十二分に発揮されている。

 この曲を始め、特に後半の"Blessings Be Yours Mister Vt"、"On the Occasion Of Wet Snow"には、破壊と創造、疾走感と抒情性、大衆性と前衛性がバランスよく保たれていて、まさに“進化するロック・ミュージック”を印象付けてくれた。

 彼らはこのアルバムを発表したあと、S.O.A.F.の活動としては、一旦幕を閉じるのだが、昨年の2013年には、ライヴ活動を再開することを発表した。
 彼らのライヴは数が少なくて、大変貴重なものになっている。公式にはDVDが1本出ているので、ファンとしては今までそれで満足するしかなかったが、今年は楽しみが増えそうだ。もちろんチケットは、プラチナ・チケットになるだろうけれど。2

 今まで70年代から21世紀にかけて、アメリカを代表するプログレッシヴ・ロック・バンドのいくつかを見てきたが、従来の“プログレッシヴ・ロック”という概念では、くくれないバンドが増えてきていて、シンフォニック系と区別した方がいいように思えるのだが、どうだろうか。

 しかしロック・ミュージックには、その成り立ちからしてわかるように、既存の音楽を取り入れて自分のものにしていくという雑食性が備わっている。その意味においては、ロック・ミュージック自体が、プログレッシヴ・ロックの異名なのである。

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2014年4月21日 (月)

マーズ・ヴォルタ(2)

 さて現代を生きるアメリカン・プログレッシヴ・ロックの特集も、そろそろ終わりを迎えてきたようだ。
 21世紀の今では、“プログレッシヴ・ロック”という概念も少し変わってきたようで、言葉本来の意味で使用されることも多くなってきた。

 たとえば、イギリスのレディオヘッドやそのバンド・リーダーであるトム・ヨーク、アイスランドの歌姫ビョークなどがやっている音楽も“進歩的な”音楽に含まれるだろう。
 だから70年代のジェネシスやイエスのような音楽を続けているバンドなどは、“プログレッシヴ・ロック”ではなくて、“シンフォニック・ロック”と呼ばれるようになってきた。

 そりゃ、確かにそうだろう。ある意味、旧態依然とした音楽なのだから、“プログレッシヴ”という言葉は当てはまらないだろうし、音楽的形態から言えば、“シンフォニック”という言葉は、まさに正鵠を射ている。

 2005年の5月に、このブログでアメリカのバンド、マーズ・ヴォルタについて取り上げた。マーズ・ヴォルタは、ヒップ・ホップやラップ、アイドル全盛のアメリカのチャートにおいて、まさに一石を投じた革新的“プログレッシヴ”なバンドだと断言しているのだが、今回、21世紀のアメリカン・プログレッシヴ・ロック・バンドの代表として再び取り上げてみた。

 前回のブログでも述べているのだが、2005年の「フランシス・ザ・ミュート」と翌年の「アンピュテクチャー」を聞くと、破壊と混沌の中から昇華された精神的浄化作用を味わうことができる。このことは、彼らの音楽を聞いた人なら納得してもらえると思っている。

 さらに彼らの素晴らしいところは、その芸術性と商業性が見事にマッチしているところである。公式セカンド・アルバムである「フランシス・ザ・ミュート」は全米初登場4位、ゴールド・ディスクを記録したし、次作の「アンピュテクチャー」も最高9位を記録している。曲は複雑で、30分以上もある楽曲もある中で、この商業成績は素晴らしい。彼らが如何にアメリカの中で受け入れられているかがわかるというものだった。

 もともと彼らはボーカルのセドリック・ビクスラーとギター担当のオマー・ロドリゲスの2人が中心となったバンドである。オマーの弟でパーカッションを担当しているマルセル・ロドリゲスもいるものの、他のメンバーはバック・バンドと考えていいようだ。4
 もともとこの2人は、アット・ザ・ドライヴ・インというバンドで活動していたのだが、それを発展的解消をして、サルサやヘヴィ・メタル、プログレッシヴ・ロックの要素を導入して、インプロヴィゼーションを主体に作り上げた音楽を行うようになった。

 それで今回は彼らの音楽が頂点に達したのではないかと思われるアルバム「ゴリアテの混乱」を取り上げたいと思う。2008年に発表されたメジャー・レーベル通算4枚目のスタジオ・アルバムである。

 トータルで約77分もあるのだが、12曲もあるから1曲あたりの時間が短くなっている。だから最大でも9分35秒で10分を超える曲は1曲もない。以前は15分や20分の曲があって、当たり前だったのだが、もうそれは見られない。

 確かに3枚目の「アンピュテクチャー」からだいぶ聞きやすくはなったと思うが、それはポップ化とは言えないだろう。メロディアスなフレーズが聞こえるようになっただけで、音楽的な進化といった方がいいだろう。

 とにかく彼らの音楽は、セドリックのメタリックなボーカルとオマーのテクニカルなギター演奏、それらを支える手数の多いドラムという構造で成り立っている。ごく大雑把に言うと、レッド・ゼッペリンの音に近いかもしれない。ゼップの音楽を洗濯機に入れて、高速回転をかけているような感じだ。しかもそれにフリーキーなサックスやラテン・パーカッションが加わり、終わるまでかなりの時間がかかる。

 それにアルバム制作方法も変わっていて、曲全体を最初から通して録音するのではなく、複雑なパートから部分的に録音して、最後はスタジオで仕上げるらしい。果たしてそれをライヴで再現できるのかという疑問も生じるのだが、彼らの緻密な音楽性はそんなところからも生まれてきたのだろう。

 レコード会社は、このアルバムからのシングルを7分17秒もある"Goliath"にしようとしたが、バンド側が反対して、結局2分41秒の"Wax Simulacra"になった。確かに短い方が売れそうだが、でも彼らの本質を求めるなら、やはり前者の方がいいだろう。

 彼らは、前作からかなり聞きやすくなってきた。人によっては、ポップ化というかもしれないが、それ自体は悪いことではない。それによってより広く認知されるからだ。要するに大衆性を獲得するようになるのだが、ただ問題なのは、それによって彼らの本質的な部分が劣化していく危険性があるということだ。

 ただこのアルバムの良いところは、その大衆化と彼ら本来の芸術性や前衛性が非常にうまくバランスを取って保たれている点だろう。長い曲である"Goliath"や"Cavalettas"にはメロディアスなギター・フレーズやボーカル・パートと抽象的なSEや暴力的なサックスなどが雑然としながらも、一つの塊として聞き手に迫ってくる。この辺が彼らの魅力に違いない。

3
 思うにリスナーに聞くことを強要してくるバンドは、数少ない。自分の中ではレッド・ゼッペリンとキング・クリムゾン、クィーンぐらいだ。マーズ・ヴォルタはまさに彼らの後継者たるに相応しいバンドだと思っている。

 上にも書いたが、曲の中でボーカルのセドリックの声が始まると、音空間の密度が濃くなり、より凝縮されたサウンドに変化する。それをドラムがさらに固めていくのだから、どうしてもリスナーに聞くことを強要するようになるのだろう。

 そしてそれが一体感をもってエンディングに向かうことで、あるいは曲がフィナーレを迎えるときに、聴き手側が強烈なカタルシスを味わうことができると思っている。

 またこのアルバムにはメロトロンのようなキーボードが効果的に使用された"Agadez"や疾走する感覚の"Ouroborous"など聞きどころが満載だ。そのせいかビルボードのアルバム・チャートで最高位3位を記録している。これは彼らのアルバム中で最もよい記録だった。

 ただ残念なことに、彼らはこのあと2枚のアルバムを残して解散してしまった。確かにこんな濃密度のアルバムを発表していけば、身体的にも精神的にも疲れ切ってしまうだろう。最後の2枚のアルバムにも10分を超える曲は1曲もなく、曲数も増え、サウンド的にも聞きやすいものになっている。

 2013年にセドリックがバンドを脱退したが、セドリックとオマーの仲違いが原因だといわれている。
 個人的な予想では、セドリックとオマーはしばらく冷却期間を置いた後、再びユニットかバンドを組むのではないかと思っている。そんな確信めいたものがあるのも、あまりにも彼らの音楽がプログレッシヴでメタリックだからだ。こういう音楽をやれる人たちは、彼ら以外にはほとんど見当たらない。彼らほど自分たちの音楽に自覚的であれば、また再び戻ってくるだろう。

 さらには文字通りの“プログレッシヴ・ロック・バンド”だったマーズ・ヴォルタには、不死鳥のように甦ってほしいと心から願っているのである。
 
 

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2014年4月16日 (水)

スポックス・ビアード(2)

 スポックス・ビアードについては、2007年9月3日付けのこのブログで取り上げていて、今回が2回目になる。アメリカを代表する現代のプログレッシヴ・ロック・バンドを語るには、やはりこのバンドを避けては通れないだろうと思い、今回再び取り上げることにした。

 彼らの簡単なバイオグラフィーについては前回取り上げたが、確認の意味でもう一度ここに記しておきたい。

 5人組の彼らは、元々ロサンゼルス周辺のスタジオ・ミュージシャンだった。しかも人気、実力を兼ね備えたミュージシャンだったから、ポップスからジャズまで幅広い分野で要請されていた。

 だからバンドを結成して自分たちの音楽を追及しようとしても、時間的に許されなかったようだ。結局1992年にモーズ兄弟(ニール・モーズとアラン・モーズ)が中心となって、知人のミュージシャンに声をかけたのが始まりで、バンド結成に至ったそうである。

 最初のアルバムは1995年に発表された「ザ・ライト」で、結成からアルバム発表まで時間がかかったのも、彼らの時間的制約の中で、完璧なものを制作しようとするクラフトマンシップの表れからきていた。

 バンド名は、半分冗談で決められた。アラン・モーズは100以上のバンド名の候補をリストアップしていて、この名前は一番下にあったらしい。“スポック”というのは、ご存じ“スター・トレック・シリーズ”に出てくるDr.スポックのことで、実際には生やしていないのだけれど、日本語にすれば“スポックのあごひげ”という意味になる。言葉の響きと、異次元に誘うような音世界を構築しようとする意義が込められて名づけられたのだろう。

 彼らは1995年から今まで11枚のスタジオ・アルバムと数枚のライヴ・アルバムを発表していて、最新作は昨年発表された「ブリーフ・ノクターンズ&ドリームレス・スリープ」だ。

 彼らの音楽性を一言でいうと、“高度な演奏技術に裏打ちされた聞きやすいハード&プログレッシヴ・ロック”ということに尽きるだろう。
 何しろニール兄弟はザ・ビートルズの大ファンでもあるので、彼らの楽曲にはビートルズにも通じる良い意味でのポップさも備えている。

 自分が何度も言っているように、アメリカでは芸術性だけでなく、商業性も求められるのだが、彼らはその両方を兼ね備えていたから、アメリカでも大成功したのだ。そしてその成功はワールドワイドに広がっていった。

 その音楽的傾向は初期の作風に強く表れていて、1999年の4枚目のスタジオ・アルバム「デイ・フォー・ナイト」には、ビートルズ・ライクなメロディアスな部分と、エネルギッシュでアグレッシヴな部分の両方がバランスよく保たれていて、聞いていて非常に心地よかった。2
 特にバラード・タイプの"The Distance to the Sun"、"Can't Get It Wrong"などは涙腺が緩むほどの美しい曲だし、コーラス・ワークが見事な"Gibberish"、まさにプログレッシヴな展開ともいえるインストゥルメンタルの"The Healing Colors of Sound"から後半の組曲の始まりともいえる"My Shoes"への流れなど、聞き所は多い。彼らを初めて知ろうと思うのなら、このアルバムがふさわしいだろう。

 ところが残念なことに、オリジナル・メンバーだったニール・モーズがソロ・キャリアを追及するために、2002年にバンドを脱退した。バンドはドラマーのニック・ディヴァージリオを代役に立てた。まるでピーター・ガブリエル脱退後のジェネシスのようだ。

 4人組のまま2011年まで4枚のスタジオ・アルバムを発表したあと、ニックが個人的な理由で脱退。バンドは新しいドラマーに、サンタナやジョン・ウェイトと共演したことのあるジミー・キーガンを、ギター&ボーカルにマイナーなプログレッシヴ・ロック・バンドで活動していたテッド・レナードを迎え、スタジオ入りをした。

 それで出来上がった最新アルバムが「ブリーフ・ノクターンズ&ドリームレス・スリープ」だった。

 新生スポックス・ビアードのニュー・アルバムには、以前のポップネスが影をひそめ、ハードでワイルドさが増している。それは1曲目の"Hiding Out"によく表れていて、ギター、ベース、キーボードのソロ・パートと楽曲全体が乖離することなく、上手にブレンドされているところが印象的だった。

 また楽曲にキレがあり、リズミカルでロック本来の肉体性も備えていて、疾走感や躍動感にも満ちている。特にメロトロンやリード・ギターが疾走する"I know Your Secret"、アコースティック感覚で美しいフレーズが散りばめられた"A Treasure Abandoned"など、充実した楽曲が並んでいる。

 この転換は正解だろう。今まではキーボードが主体だったが、ギタリストが2人になったことで、アルバム全体にエッジが立ってきた。プログレ色が後退して、ややロック寄りにシフトしてきたからだろう。

 ただ7曲目の"Waiting For Me"は12分36秒あり、最初からメロトロンとハモンド・オルガンなどのヴィンテージ・キーボードが咆哮し、途中からアタック音の強いベース・ギターが並走してくる。ベーシストのデイヴ・メロスは、オリジナル・メンバーだから初期のプログレ臭を漂わせているのかもしれない。

 またこのバンドには、日本が世界に誇るミュージシャンの奥本 亮というキーボーディストがいたので、プログレッシヴ・ロック的なサウンド・カラーの大きな変化はない。むしろリード・ボーカリストが40歳代に若返ったことで、瑞々しさも増したというもの。若返った感も加わって、バンドにとっての代表作の一つに数えられるに違いない。Photo_3

 このアルバムにはボーナス・ディスクが収められていて、トータルで22分以上もある。1曲目の"The Man You're Afraid You Are"は重いリズムとハモンド・オルガンが初期のディープ・パープルに通じるような曲。一転してサビの部分がメジャー調になるところが救いだろう。

 逆に2曲目"Down A Burning Road"ではアランの演奏するエレクトリック・ギターが目立っていて、B級映画のエンディングにでも使用されそうな雰囲気だ。日本人には好まれるメロディ・ラインだ。
 "Wish I Were Here"などと、どこかで聞いたようなタイトルを持つ曲では、中間部でのリョウ・オクモトのキーボードが目立っていて、単なるハードな曲調で終わらないように工夫されている。

 最後の曲は本編ディスクの"Something Very Strange"のリミックス・ヴァージョンで、本編のディスクと比べてSEがなく、演奏パートが少しカットされている。シングル・カットされていいように、時間的に短くしたのだろうか。

 とにかく3年ぶりのスタジオ・アルバムにはエネルギーに満ちていて、彼らのやる気が伺われた。このアルバムを引っ提げて、5月には来日公演も行われる。やはり彼らにとっての自信作なのだろう。

 彼らの成功は、アメリカン・プログレッシヴ・ロックの立場をよく表している。演奏テクニックや機器の発達だけでなく、商業性(というか大衆性といってもいいだろう)と芸術性を兼ね備えていない限り、メジャーな成功は望めないのである。

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2014年4月15日 (火)

Queeness(2)

 先日、雨の中をQueenessのライヴを見に行った。Queenessとは、知る人ぞ知るイギリスの国民的バンド、クィーンのトリビュート・バンド(コピー・バンド)のことだ。このブログでは約1年前の2013年4月15日付でアップしているので、バンド・メンバーの詳細については、今回は割愛したい。

 それでも何度でも言うが、単なるコピー・バンドではないのである。メンバーそれぞれがプロとしての活動経験もあるし、当然、演奏については全くもって不安はない。自分は昨年に続き今回が2回目に当たるのだが、前回も今回も安定した演奏を聞かせてくれた。Cimg0441

 ただ毎回話題になるのは、ボーカルのフレディ・エトウの容姿である。本家のフレディ・マーキュリーもデビュー当時の貴公子然とした姿から、やがては短髪、短パンのマッチョな姿まで、かなり異形なミュージシャンだったが、こちらのフレディも優るとも劣らず、一度見たら忘れられないミュージシャンだ。

 写真を見れば一目瞭然、自分は子泣きじじいがフレディに化身したと思っているのだが、このルックスを最大限に生かしているフレディ・エトウなのである。

 以前にも書いたが、彼は高校生の時にヤマハのポプコンで入賞しているほどの実力者だった。実際、ステージでもギターやピアノを披露しているし、フレディのようにファルセットで歌うこともできる。
 この見た目と実際のパフォーマンスとのギャップが、彼をしてまさにフレディのように、いやフレディ以上に強烈なインプレッションを与えてくれるのだ。Cimg0434
 また彼を取り巻くバンド・メンバーの演奏も素晴らしかった。レッドスペシャルを華麗に弾きまくるブライアン・“ちゃーり~”・ヨシカワは相変わらず山本恭司のようなルックスとテクニックを披露していたし、ベース担当のジョン・ヤマムラとドラム担当のロジャー・“アミーゴ”・マツザキは、時間は短いながらも、それぞれソロ演奏を見せてくれた。Cimg0447
 さらにはツアー・サポート・メンバー?のキーボーディスト、スパイク・ヨコタの"Crazy Little Things Called Love"でのピアノ演奏は忘れられないハイライト・シーンのひとつだ。

 前回はこのブログで、バス・ドラにクィーンのそれぞれのメンバーの星座をイラストしたロゴがなくて残念だったというようなことを書いたのだが、今回の凱旋公演では、写真を見てもわかるように、きちんとロゴが入っていた。さすがQueeness、ファンを大事にする姿勢も本家に劣らないようだ。Cimg0442

 そんな彼らの姿勢もライヴ会場を訪れた約200名のファンたちも知っているようで、最初の曲からスタンディング状態、中には会場内で1000円で売られていたQueeness公認のタオルを掲げて声援している人もいた。ひょっとしたら高校時代の幼馴染みの人たちなのかもしれない。

 会場は満席状態で、入り口付近には立ち見の人もいた。Queeness自身も言っていたが、市内にあるスタジアムを満員にする日も遠からずやってくるかもしれない。ちなみに日曜日はJ2の試合があるので、土曜日でないと会場予約ができないだろう。ただチームがJ1に上がれば別の話だが…

 ライヴは前回と同じく前後半に分かれていて、前半は70年代中心、後半は80年代から90年代とわかりやすい構成になっていた。そしてフレディの後半のステージ衣装が赤タイツだった。これにはビックリで、まるでスパイダーマンが登場したのかと思った。でも糸はすぐに切れるだろうけれど…Cimg0445
 前回は"Mustapha"や"Somebody to Love"が演奏されたが、今回はそれらの代わりに、フレディ自身も言っていたが、本家もステージではあまり演奏しなかった"My Melancholy Blues"が演奏された。

 次回は、できればメンバーのソロ演奏をもっと聞きたい。“ちゃーり~”の"Brighton Rock"やロジャーのドラム・ソロに"Sheer Heart Attack"、"I'm in Love With My Car"、"A Kind of Magic"などの歌ものも聞きたい。まだまだやっていない曲はあるはずだから、どんどん挑戦していってほしいものだ。Cimg0451

 もう今となっては見られない本家クィーンの楽曲を、こうして疑似体験できるだけでもうれしいし、有難いというものだ。
 見かけはコミック・バンドかもしれないが、中身は本物のエンターティナーたちなのである。次回の凱旋公演を今から楽しみにしている。
 

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2014年4月11日 (金)

エコーリン

 あなたはエコーリンという名前のバンドの音を聞いたことがあるだろうか。このバンドは、アメリカの東海岸フィラデルフィア出身のプログレッシヴ・ロック・バンドで、1989年には既に活動を始めていたようだ。

 自分は21世紀に入ってから、初めて彼らの存在を知った。しかも日本では国内盤が発表されていたというから、根強い人気を獲得していたのだろう。

 彼らのデビュー・アルバム「エコーリン」が発表されたのは1991年で、彼ら自身のレーベル(ブリッジ・レーベル)から発表されている。
 さらに翌年にはセカンド・アルバム「サフォケイティング・ザ・ブルーム」を、93年にはベース・ギター以外はすべてアコースティック楽器を用いた4曲入りのミニ・アルバム「アンド・エヴリィ・ブロッサム」を発表した。

 いくら自分たちのレーベルを持っているとはいえ、ディストリビューションはマイナーなレコード会社を通していたから、どうしても発表ルートは限られていた。これは自分たちで活動を行うバンドにとっては、どうしても避けられない道のようでもある。

 そんな彼らの活動に注目したのが、当時のエピック・レコードのマイケル・キャプランというA&R(発掘・宣伝担当)だった。当時は第2、第3のドリーム・シアターを探して契約を結ぼうという風潮があったが、この契約のおかげで、彼らの4枚目のアルバム「アズ・ザ・ワールド」はメジャー・レーベルから発表されたのである。(日本ではエピック・ソニーから)

 言い忘れていたが、彼らは5人組で、途中メンバー・チェンジはあったものの、現在でもデビュー当時のオリジナル・メンバーに戻って活動を続けている。3_2

 それでこの1995年に発表された「アズ・ザ・ワールド」に話を戻すと、1曲目は30秒程度のストリング・アンサンブルで、これから始まることを告げているようだが、2曲目のアルバム・タイトル曲"As the World"を聞いて思いついたことがあった。ああ、この感触、これはジェントル・ジャイアントに似ているな、ということだった。

 だからリズムが変則的で、転調が多い。またコーラスやボーカル・ハーモニーも多用されていて、メロディアスな部分は少ないということだ。
 だからジェントル・ジャイアントが好きな人にはたまらないだろうし、即興的な音楽、ジャズやフリーフォームなサウンドを期待している人には、またとないアルバムだと思う。

 20世紀の終わりに、アメリカからこういう種類の音楽が出現してくるとは思わなかった。もちろん、本家のジェントル・ジャイアントのように、演奏テクニックには長けているし、アメリカの風土には似合わない湿っぽさも備えている。

 しかも全16曲もあり、途中7曲目から12曲目までは組曲"Letters"とクレジットされている。彼らのファンの中には、このアルバムがベストだと見なしている人もいるようだが、自分はジェントル・ジャイアントが好みではないので、数回聞いた後は、棚の中にしまっていた。今回これを書くにあたって、久しぶりに聞きなおしてみたのだが、やはり1家に1枚とは言い難いし、無人島に持っていくプログレ・アルバムとは違う気がした。Photo

 要するに構築美は備えているのだが、それはメロディの美しさではなくて、バンドの一体感から来るものであろう。

 ところがやがて彼らにも、アメリカのプログレッシヴ・ロックの宿命ともいうべき商業主義からのプレッシャーがかかってきたのである。

 確かに客観的に見れば、当時のアメリカで(現在でも)これほどまでに緻密で、技巧的なバンドは見られなかっただろう。それをストレートにアルバムに反映していることを考えると、プロダクション側も彼らの意図を組んで制作したに違いない。

 ところがそういう制作現場の方針を、親会社のエピックは認めなかった。要するにもっと売れるアルバムを制作しろということだろう。それほどのテクニックを備えているのなら、メタルとの融合やジャーニーやスティクスのような産業ロックを目指せという話があったという。

 彼らは親会社のプッシュもなく、地道にライヴ活動を続けたが、そんな環境に嫌気がさしたようで、最終的に彼らはエピックを離れた。

 バンドは解散し、ギタリストとドラマー、ボーカリストは“スティル”というバンドを結成し、シングルを発表した。のちに「オールウェイズ・オールモスト」というアルバムを発表し、バンド名もそのタイトル名に変えるのだが、これもプログレッシブなサウンドを追及していた。
 一方、キーボーディストはジャズ・ロックに傾倒して、1996年に新しいバンドを結成し、2枚のアルバムを発表している。

 そんな状態が4年ほど続いた後、エコーリンはほぼオリジナル・メンバーで再結成して、アルバム制作を始めた。2000年、2002年、2005年と活発にアルバムを発表して、アメリカを代表するプログレ・バンドに成長している。
 特に2002年には新曲を含むライヴ音源を加えた3枚組アルバム「ア・リトル・ナンセンス」を発表。彼らの音楽性がデビュー以来一貫したものだということを、世に示している。

 また同年に、もう1枚のアルバム「メイ」を発表した。これは50分にも及ぶ"Mei"という1曲で構成されたアルバムで、ドラマティックかつスリリングな演奏と歌が収められている。また時間は長いものの、飽きさせないように聞きやすくなっていて、ある意味、彼らの音楽性の変化が伺われる。

 また2005年には初めてのヨーロッパ・ツアーを経験、またギタリストのブレット・カルとボーカリストのレイモンド・ウェストンはソロ・アルバムを発表したり、ブレットとドラマーのポール・ラムゼイはクリス・スクワイアが在籍した“ザ・シン”や元イッツ・バイツのギタリスト、フランシス・ダナリーのソロ・アルバムに参加するなど、個人活動も活発になっていった。

 こうした活動がフィードバックされて、彼らのニュー・アルバムはそれまでとは違うものになった。2012年に発表されたアルバム「エコーリン」は2枚組になっていて、1991年のデビュー・アルバムと同じタイトルにしたことで、その間の音楽的変遷や変化を表している気がする。2

 ディスク1の1曲目は"Island"で16分に及ぶ。かつてのような転調につぐ転調というのはあまり見られず、やや軽めのイエスという感じがした。これはこれで許せるのだが、びっくりしたのは2曲目の"Headright"、続く"Locust to Bethlehem"を聞いた時で、前者は3分に満たないほどのポップ・ソング、後者はゆったりとしたリズムとキーボードにゲスト奏者のビオラやチェロ、バイオリンがフィーチャーされていた。

 両者とも歌もので、「アズ・ザ・ワールド」のようなアグレッシヴで先鋭的な演奏は影をひそめ、聞きやすいものに変貌している。
 このことはディスク2でも同様で、彼らのオリジナリティと、いい意味での商業性が上手くブレンドされていると思う。

 "Past Gravitiy"はムードあふれるスロー・ナンバーで、アメリカのバンドと思えないほど、ウェット感がある。エンディングに至る部分がドラマティックで感動的だ。
 SEの音で始まる"When Sunday Spills"もややスローな曲で、以前のような激しさはいったいどこへ消えて行ったのだろうかと思えるほど、穏やかなものである。以前に比べて、こんなにアコースティック・ギターが聞こえてくることが不思議というか、信じられなかった。

 "(Speaking in) Lampblack"は、これはもう完全に映画音楽の世界観だ。ピアノにストリングス、しっとりとしたボーカルと3拍子揃っていて、確かにプログレといわれればプログレかもしれないが、もう少しメロトロンを使うなど、10分以上もあるのだからもっと工夫してほしかった。ただ曲自体は良い曲だと思う。

 最後の曲"The Cardinal And I"は、以前のエコーリンらしい曲で、やっと出てきたかと思うと、ほっとしてしまった。ただ曲自体はこれもまたスローで、最初はギターが細かく動いていたのだが、途中で消えてしまったのは悲しかった。ただ最後はもう一度最初に戻ってくれたので安心したのだが、もう少し暴れてもよかったと思う。

このアルバムでは、いい意味で角が取れた彼らの音楽に接することができる。これを音楽的成長ととるか、商業主義におもねったととるかは、リスナーの判断によるだろう。
 ただこのアルバムによって、彼らの音楽はより多くの人に受け入れられるようになったのは間違いないだろう。

 ただもう少し初期の音楽観に立ち還って、もっとワイルドに、もっとパワフルでアブストラクトな音楽をやってもいいのではないだろうか。
 ともかくエコーリンは、芸術性と商業性を微妙なバランスで保っている数少ないアメリカン・プログレッシヴ・ロック・バンドの1つだと思っている。

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2014年4月 6日 (日)

ザムナンビュリスト

 今回も相変わらずアメリカン・プログレッシヴ・ロックの特集だが、先月は70年代、今月は90年代以降のバンドやアルバムを紹介しようと思っている。

 それで前回は、ラナ・レーン関連のロケット・サイエンティスツについてだったが、その前に“プログレ不毛の地”とまで言われたアメリカに、なぜプログレッシヴ・ロックが根付いたかを考察させてもらった。

 要するに、もともと需要があったのだが、基本的にヨーロッパのプログレ・バンドの二番煎じか、芸術性は高くても売れないので、やむなく売れ線狙いに走ってこけてしまうことが多かったというようなことだった。

 そんな状況を打破してくれたのが、グランジ・ロックの影響や、テクノロジーの発達による楽器類の進歩、ヘヴィ・メタルとの融合などの諸条件だった。
 グランジの成功で、小さなレーベルでも商業的な成功をつかむことを覚えたマーケットには、レイザーズ・エッジやシン‐フォニック、シンク・タンク・メディアなどのプログレ専門レーベルが次々と生まれ、90年代以降のプログレッシヴ・ロックの発展に影響を及ぼすことになったのである。

 それで今回は1996年にアルバムを発表したザムナンビュリストを取り上げようと思う。このバンドは、ざっくりいうと“アメリカのアネクドテン”、もしくは“70年代クリムゾンの復権”をテーマに掲げたバンドだと思っている。

 ともかくアルバム全体を通して、“混沌と静寂”、“破壊と構築”に彩られていて、聞いていて、まさに上記のようなテーマが頭に浮かんでしまった。
 しかもそれを裏打ちするほどのテクニックも備えていて、リズムは変拍子を連打し、メロトロンは泣き叫び、ギターはわけのわからないグニャグニャとしたフレーズを奏でている。

 それに単なるコピー・バンドに堕することなく、自分たちのオリジナリティを出せているところが素晴らしい。ひとつにはグランジ・ロックの影響もあるだろう。

 “アメリカのパンク”とも言われたグランジだが、このバンドはダークな雰囲気を保ちながら、自分たちで音を構築しようとしている。それにヘヴィ・メタルにすり寄ることもなく、独自性を保っているところは彼らなりのアイディンティティなのだろう。

 このデビュー・アルバムには9曲収められているが、音空間の質感は一貫していて、とてもアメリカ出身のバンドとは思えない。特にインストゥルメンタルの曲では荒涼とした風景が浮かんできそうだ。
 それは気色の悪い生物の骨格?のようなアルバム・ジャケットを見れば、わかるだろう。もちろん模型なのだろうが、テレビ番組で特集されそうなUMA(未確認生物)みたいだ。Photo

 1曲目の"Frotus"という曲からメロトロンやハモンド・オルガンのソロを聞くことができて、自分のようなメロトロン・ファンにはそれだけで満足してしまう。またそれに続くヘヴィなリズムとメロトロンによる分厚いストリングスが素晴らしい。
 2分30秒あたりからヘタウマなギターとボーカルが突如乱入してきて、ますます混沌さが深まっていくが、最終的にキーボードが救ってくれる。6分30秒という微妙な長さが90年代のアメリカン・プログレッシヴ・ロックの特長なのかもしれない。

 2曲目の"Conqueror Worm"はインストゥルメンタルで、この曲だけ聞けば“暗黒の世界”のときのクリムゾンのようだ。3分27秒と短い曲だが、バックにメロトロンが広がり、グニャグニャギター・ソロと、わりとすっきりしたギター・ソロの両方を味わうことができる。

 このアルバムでは商業性を無視して、自分たちの音楽を貫いているところが潔い。こういうバンドがもっと出てくれば、アメリカのプログレ・シーンももっと健全に淘汰されていくだろう。

 続く"Return Of The Son Of Civilization"、"Globos Formas Para Mañana"の2曲は転調が多く、変拍子が多用されている。最初の曲は4分30秒余りと意外とすっきりとまとまっていてメロディアスでもあるし、その次の曲は6分少々とやや長く、SEも含まれていてドラマティックだ。クリムゾンだけでなく、イタリアのバンコかP.F.M.の要素も含まれている気がした。

 個人的に気に入ったのはインストゥルメンタルの"Pinocchio"で、抒情的なギターのフレーズと無機質なリズム・キープの対比が印象的だった。それに4分過ぎのムーグ・シンセサイザーとピアノのソロもまた、次の曲の"Multum In Parvo"の長いイントロと並んで、このアルバムの一番の聞きどころになっているように思えた。

 基本的にこのバンドはベーシストのテリー・クロースとキーボーディストのジョディ・バークの2人が中心になっているようで、4分59秒の"Multum In Parvo"では、その2人のプレイが目立っている。

 面白いのは7曲目の"Prometheus' Lament"で、ゲストのサックスの音と曲全体の印象が非常に抽象的で、まるでヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイターの曲みたいだった。7分少々と意外と長い曲でもある。

 "Torquemada"もインストゥルメンタルで、テクニカルだが展開がわかりやすいので、聞き苦しさがない。このバンドはインストゥルメンタルの方がいいのではないかと、この短い曲や最後の曲"Unlearning Folds Of Red"を聞きながら思った。

 この曲は4部形式に分かれている13分余りの組曲で、演奏の部分は非常に素晴らしい。特に7分過ぎのピアノ・ソロなどは、リック・ウェイクマンやパトリック・モラーツのそれと比べても遜色はないと思う。このジョディさんは、結構な名プレイヤーだ。Somnambulist

 ところがボーカルが入ると、ちょっと印象が違ってくる。アルバム全体を通して、メロトロンが鳴り響いているし、リズム陣は困難な音をキープしているのだが、ボーカルが入ると、できの悪いパンク・バンドになってしまう。これもグランジ・ロックの影響だと思うのだが、ジョン・ウェットンやグレッグ・レイクのようなコクのあるボーカルの方が似合っている気がした。

 そのせいかどうかはわからないが、2001年のセカンド・アルバム「ザ・パラノーマル・ヒュミドール」では、ギタリストとドラマー、ボーカリストが交代して、アヴァンギャルドながらも、ややマイルドな音響世界を構築している。

 彼らはコンスタントに作品を出し続けているようで、2013年にも「ソフィア・ヴァローレン」というアルバムを発表している。バンド名は“夢遊病者”という意味だが、実際はアメリカの大地にプログレッシヴ・ロックを根付かせようと、彼らなりに頑張っているのであった。
 

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2014年4月 1日 (火)

ロケット・サイエンティスツ

 これまでは、70年代のマイナーなアメリカのプログレッシヴ・ロック・バンドについて綴ってきたが、自分が言いたかったのは、アメリカでは芸術性だけでなく、商業性の方も、というかそちらの方が重視されるということと、キーボード類などのテクノロジーの発展が必要不可欠なものだった、ということである。

 だからアメリカではプログレッシヴ・ロックは育たないといわれてきた原因は、そこら辺にあると思っている。“育たない”のではなくて、“育てない”のだ。もちろん、育てようとしないのは、リスナー側ではなくて、商業主義に毒されたレコード会社の方だった。

 したがって、当然のことながら根強いプログレ・ファンは、アメリカにも存在している。あのピンク・フロイドの「狂気」が、アメリカで15年間以上もチャート・インしていることからもわかるだろう。決してそのすそ野は広くはないものの、しかし、70年代以降も着実に広がりつつあると思う。

 それで80年代では、産業ロックまがいな形でしか存続していなかったアメリカン・プログレッシヴ・ロックは、90年代に入ってからは形を変えて発展していった。

 その理由の1つは、グランジ・ロックの興隆であろう。個人的には“アメリカのパンク・ロック”だと思っているあのムーヴメントで、マイナーなレーベルやレコード会社でも、十分マーケットにインパクトを与え、存在感を示すことができるということを見せてくれた。

 またもう1つの理由としては、メタル・ロックの興隆とプログレッシヴ・ロックとの交流であろう。特にクイーンズライチの1988年のアルバム「オペレーション・マインドクライム」や1990年の「エンパイア」の大成功で、ヘヴィ・メタル・ロックとプログレッシヴ・ロックとの境界線が外され、両方の要素を兼ね備えた音楽が認知され、広がっていった。

 その結果、小さなレーベルでも積極的にメタルチックなプログレッシヴ・ロック・バンドを紹介し、世に問うことができるようになったのである。今ではすっかりメジャーになってしまったけれども、以前にも紹介したマグナ・カルタ・レーベルなどはそのいい例だろう。

 そんな中で、イエスのジョン・アンダーソンの代役の代役をしたジョン・ディヴィソンのいたグラス・ハマーや日本ではやや知名度が低いセーラム・ヒルなどのバンドが生まれてきたし、一方でメタル寄りのドリーム・シアターや、そこから派生したリキッド・テンション・エクスペリメンツなどは、本国や日本以外でも名前が知れ渡っている。

 だいぶ前置きが長くなってしまって申し訳ないのだが、これからしばらくは90年代以降のアメリカのプログレッシヴ・ロック・バンドを紹介したいと思う。

 それで第1弾は、ロケット・サイエンティスツの登場である。本当はラナ・レーンについて書きたかったのだが、もうすでにこのブログで述べていたので、それならラナ・レーンに一番近いバンドにしようと思った。

 何で一番近いかというと、このロケット・サイエンティスツ(以下、略してRSとする)の中心メンバーであるキーボーディストのエリク・ノーランダーはラナ・レーンと夫婦関係にあるからだ。Photo_2

 基本的にこのRSは、エリクとギタリスト&ボーカルのマーク・マクライトの2人で運営されているプロジェクトで、1980年代後半に結成された。
 スタジオ・アルバムは現在までに5枚発表されていて、1993年の「アースバウンド」がデビュー・アルバムとされている。ラナ・レーンのデビュー・アルバムが1995年だから、エリクにとっては、RSでの活動の方が早かったことになる。

 時系列的に考えるとエリクのRSが先で、彼のサポートを得て、ラナ・レーンの活動がスタートしたようだ。そして、2人は最初単なるミュージシャン同士としての関係が、いつしか恋愛関係に陥り、結婚してしまった。

 彼はまたワーカホリックでもあり、RSとラナ・レーン以外でも、ソロ・アルバムを8枚発表しているし、エイジアや他のミュージシャンとのコラボレーションも盛んだ。

 エリクとマークは、1999年にRSの3枚目のスタジオ・アルバム「オブリヴィオン・デイズ」を発表した。彼らのアルバムはデビュー・アルバムの「アースバウンド」から一貫した何かがあるようで、たとえば1曲目はすべて"Dark Water"から始まるインストゥルメンタルが置かれていて、この3枚目の「オブリヴィオン・デイズ」では"part3"になっている。またこのアルバムには、途中にも"part4"が収録されている。

 また4曲目には"Archimedes"(アルキメデス)というインストゥルメンタルが配置されているが、セカンド・アルバムでは同様に"Copernicus"(コペルニクス)という曲が書かれていた。これらは彼らのファンに対するサービスのようで、RSのアルバムを購入するたびに、ささやかなサプライズを用意しているのだろう。Photo_3

 タイトル曲の"Oblivion Days"は本来、E,L&Pのためにエリクが用意した曲だったが、本家の方が活動休止状態になったため、このアルバムに収録されたという。ただE,L&Pがやるには少しハードな感じがした。

 全体的にこのアルバムは、“男性版ラナ・レーン”という感じがする。演奏といい、曲調といい、あまり変わりはないようだ。ただ少しだけこのアルバムは、メタリックな要素が目立っていて、情緒性や抒情性はラナ・レーンの方が上回っているようだ。

 ラナ・レーンの方は、歌っているのが女性で、曲やアレンジはエリクが中心となっているし、参加ミュージシャンもほぼ同じ。ちなみにベース・ギターはトニー・フランクリンとドン・シフ、ドラムスにはグレッグ・エリスとトミー・アマート、ギターにはニール・シトロン、アルイエン・アンソニー・ルカッセン、バック・ボーカルには奥方のラナ・レーン自身が参加している。

 個人的には起承転結がはっきりしたラナ・レーン的な"Banquo's Ghost"、"Escape"が気に入ったが、"Archimedes"のような、リズミカルでややファンクっぽい曲は、RSの独自性を示しているようで面白かった。

 とにかくエリクの演奏するキーボードは種類が多くて、ピアノ、ハモンド・オルガンから始まって、ミニ・ムーグ、シンセサイザー、メロトロンにローランドMKS-30、MKS-70、MKS-80'sさらにはAlesis QS8&QSR、Kurzweil1000PXと、わけが分からないものまで手を付けていて、演奏するというよりは装置を扱っているという感じがした。1曲ごとに扱う装置のクレジットがあるから、キーボード・マニアにとっては格好の資料になるだろう。

 とにかく、夫婦ともに意欲的に音楽活動に取り組んでいて、まだまだ彼らの創作意欲はやまないようだ。アメリカのプログレッシヴ・ロック・シーンが少しずつ開拓され、ファン層も増えているのも、彼らのおかげかもしれない。

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