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2014年5月 6日 (火)

浜田省吾

 自分が初めて浜田省吾を聞いたのは、大学生の頃だった。当時、同郷の後輩が近くに住んでいて、浜田省吾ファンだったのだ。

 また当時のテレビ番組に「夜のヒット・スタジオ」というものがあり、それに出演している長髪のサングラス青年を見たときに、何か歌謡曲とは違う、ちょっと周囲から浮き上がった感じが漂っているように思えた。あとになって思えば、あれが浜田省吾だったということに気がついた。

 ただ彼の声質は野太い声で、決してきれいではなかった。サングラスをしているので、表情がわからず、世の中に怒りを感じているフラストレーション満杯のシンガーのように思えた。
 しかもその声で、ラヴソングを歌うのだから、何か余計に暑苦しくなるような気がしていて、最初は好きになれなかった。

 思えば80年代の浜田省吾は、彼の全盛期だったと思う。自分も彼のライヴに3回くらいはいったような思い出がある。当時の彼はアルバムを発表するたびにツアーをしていたから、1982年の「Promised Land」、84年の「Down By The Mainstreet」、86年の「J.Boy」発表後のライヴ会場には足を運んだように思う。

 当時の彼は100か所以上演奏して回っていたから、キャパ2000くらいの地方の田舎の会場にも来てくれたのだ。有難いことである。さすが浜田省吾と当時は思っていた。

 それで生まれて初めて聞いた彼のアルバムは、ライヴ盤だった。当時はLPの2枚組だったが、2枚組といっても1枚で収まりきれなくなって、もう1枚増やしたような感じだった。Photo
 全12曲で1枚目には9曲、2枚目は12インチ・レコードで表に1曲、裏に2曲録音されていた。

 今のCDとは曲順が違っていて、LPでは1枚目の最後が"愛の世代の前に"で、12インチのサイドAが"路地裏の少年"と"Midnight Blue Train"、サイドBが"On The Road"だった。
 CDでは、"路地裏の少年"が5曲目に収められていたから、昔を知っている者としては違和感があって、できれば昔に戻してほしいと思っている。

 それで個人的には、1枚目よりも2枚目の方がよかった。特に"路地裏の少年"のファルセットの部分や"Midnight Blue Train"のリフレインのところは、将来の目標も希望もない孤独な青年の心を癒してくれたのだ。癒すというよりも、歌詞の一節が当時の心象風景とマッチしていたのだと思う。それですっかり彼の音楽が好きになってしまったのである。

 それから遡って、このLPに含まれていた楽曲を聞こうと思い、「愛の世代の前に」を聞いた。当時はレンタル・レコード業が流行っていたから、1枚300円くらいで1日借りたことがある。だから著作権保護の観点から問題になったことがあった。今となっては懐かしいが。

 それでこの「愛の世代の前に」は名盤だと思った。何しろ捨て曲なしで、どの曲を聞いても素晴らしいと思ったからだ。2  "愛の世代の前に"の疾走感、"ラストショー"の緊張感やバラードの名曲"愛という名のもとに"、"陽のあたる場所"、のちにテレビ・ドラマの挿入曲にもなった"悲しみは雪のように"、ライヴではファンとの掛け合いに使用された"土曜の夜と日曜の朝"など、どの曲もどの曲も忘れ難い印象を残してくれた。

 これですっかりファンになった自分は、続く「Promised Land」、「Down By The Mainstreet」と、今度はお金を出してアルバムを購入した。しかも合間のライブにも出かけて行った。

 「Promised land」のときはアルバム・ジャケットに使用された爆弾?みたいなものがスクリーンに映し出されていたし、「Down By The Mainstreet」のときには、アルバム・ジャケットにある“足”が、演奏前にスクリーン上で動き始めるという演出があったように思う。(記憶ミスがあるかもしれないが…)

 それで「Promised Land」の"マイホームタウン"の冒頭、いきなり“パワーシャベルで削った”という言葉が出てきたときにはビックリした。それまでの日本のロックやポップスのアルバムでは考えられないことだった。3
 それに最後の曲"僕と彼女と週末に"にも汚染された河川の描写があって、いかに頭の悪い自分でも、このアルバムは“反戦・反核”のアルバムだとわかった。そういえば浜田省吾は、広島生まれだったのだ。

 ところが「Down By The Mainstreet」では、一転して"Money"、"Dance"の歌詞で世俗的で艶めかしくなって、まだ純情だった自分は、聞いていてちょっと気恥ずかしかったし、カラオケでは絶対に歌えないだろうと思った。
 また"Hello Rock&Roll City"はライヴの定番になり、ライヴ会場では開催地名を入れて歌ってくれた。4
 だからこのアルバムは、前作の「Promised land」 と比べて、思想的な部分が薄れて、現実的に戻ったような気がした。

 彼はジャクソン・ブラウンに影響を受けているようで、アルバム・ジャケットの写真、バック・バンドや所属事務所の名前などはジャクソン・ブラウンに関連して使用されている。

 でも曲名、曲の趣向や彼のライヴでの仕草や構成、服装などは当時のブルース・スプリングスティーンに強く影響を受けていたのではないかと思っている。ブルースも反核運動に参加していたし、白いTシャツに青いジーンズが定番だった。

 躍動感のある曲と抒情的なバラードが巧みに配置されたアルバムは、ブルースの70年代のアルバムに似ているし、2枚組の「J.Boy」はブルースの2枚組アルバム「ザ・リバー」のようだった。

 さらに「Promised Land」の中の"さよならスウィート・ホーム"はシングル曲"The River"のモチーフに似ているし、「J.Boy」の中の"A New Style War"、"想い出のファイヤー・ストーム"は「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」の中の曲想に似ている。

 ところでライヴを見て驚いたのだが、浜田省吾はけっこう逞しかった。白いTシャツから出ている二の腕はかなり太かったし、上半身はわりと筋骨隆々だった記憶がある。
 確かに年間100本以上ライヴを行っていれば、かなりの体力が求められるだろうし、それがないとやっていけないだろう。

 ちなみにアルバム「J.Boy」の中の"America"では、“ロスからサンフランシスコへ続くフリーウェイを”という歌詞があったが、この歌詞に触発されて、自分はロスからサンフランシスコまで旅行した思い出がある。1989年のことだった。ただしヒッチハイクではなく、国内旅客機を使ってだったが…

 それでもこの2枚組アルバムは、傑作だろう。当時の日本で、2枚組アルバムを発表してそれをチャートの1位に押し上げることができたのは、浜田省吾くらいだろう。5

 その後彼は90年代に入ると、一時のピークからマイ・ペースに活動するようになった。この辺の動きもブルース・スプリングスティーンと連動していて、運命的な交差を感じさせてくれる。アルバムもメガ・ヒットを記録することはなかったが、コンスタントに発表され、チャートで1位を記録したものもある。相変わらず根強いファンがいるようだ。

 ともかく自分にとっては、浜田省吾は、青春の思い出の中に存在するミュージシャンである。あのころのような感性や情緒はもう戻ってこないだろうが、当時の彼のアルバムを聞くたびに、その頃の風景が浮かんでくる。

 音楽の良さというのは、いつでもどこでもタイム・スリップすることができる点だ。それを味あわせてくれる浜田省吾には、今でも感謝しているのである。


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