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2014年6月

2014年6月30日 (月)

インディシプリン

 さてさて梅雨はまだまだ続いていくのだが、明日から7月ということもあり、ジメジメした雰囲気を吹き飛ばすカナディアン・ロックの特集も、今回とこの次で最後にしようと思った。また来年のこの時期に似たような企画をしようと思う。それまでこのブログが続けばのお話だが…

 さて今回登場するのは、カナダのプログレッシヴ・ロック・シーンからのバンドになる。その名をインディシプリンというのだが、プログレ通の人なら、ひょっとしてあのバンドの曲名を思い出すに違いない。

 “名は体を表す”というが、これはこのバンドのサウンドにも当てはまるだろう。彼らの曲を聞けば、思わずニヤリとしてしまうに違いない。

 彼らが1994年に発表したデビュー・アルバム「ア・ノン・オブヴィオス・ライド」は、まさに彼らが志向している音楽を表現していた。
 メンバーは4人で、キーボード奏者がバイオリンも担当していて、曲によってはギターよりも目立っている。Photo
 ただカナダという土地柄は、アメリカともヨーロッパとも違う、独特の距離感をもっているバンドが多くて、単なるフォロワーとしてではなく、自分たちなりのオリジナリティーをもっている場合が多い。ただそれが成功しているか、いないかは、また別の問題であるが…

 このインディシプリンという4人組も、基本はあのバンドに敬意を払いつつも、自分たちなりの味付けを試みている。ただデビュー・アルバムというせいかもしれないが、それが受け入れられるかどうかは、やや微妙である。

 曲数はボーナス・トラックを入れて、12曲とやや多い。3分台の曲が4曲、4分台も4曲とコンパクトで、長い曲でも7分と9分、これはアメリカの隣国という土地柄のせいかもしれない。それなりの商業的成果をも狙っていたのだろう。

 自分が持っているのは輸入盤なので、詳しい情報はよくわからないのだが、当時でメンバー全員20歳前後とまだ若いようだ。しかしそれなりに技巧的でもあり、音的には十分プロフェッショナルと言えるだろう。

1曲目の"Weakness"から戦慄をかき立てるようなバイオリンと、ヘヴィなリズム陣、ハードでソリッドなカッティング主体のエレクトリック・ギター、それらを支えるキーボードと、この手の音が好きな人にはたまらない展開を耳にすることができる。
 ボーカルはボコーダーがかけられたモノローグ調で、ダークな雰囲気を漂わせているが、4分過ぎからエンディングまでのギター・ソロが意外に豊富な音数を擁していて、幾分安心させられた。

 次の"Last Ground"はハードなギターとリリカルなピアノで始まり、ジョン・ウェットンを軽くしたようなボーカルが続いている。分厚いサウンドと変拍子は72年~73年当時の本家に似ているのだが、ボーカルが饒舌すぎて、この辺はアメリカ大陸のバンドだということを再確認させられてしまった。もう少し演奏中心の方がよかったのではないだろうか。

 ピアノ中心のバラードが"D-Wise's World"で、歌に伴奏するムーグ・シンセサイザーが隠し味になっている。もちろん途中で爆音ギターが参戦するので、静かな音世界が一転してハードになるのだが、できれば"Book of Saturday"のような一貫した静寂性が欲しかった。
 ただゲストの吹くサックスが非常に効果的で、この辺は本家に迫っていると思う。

 "Generator"はハードなギターとボーカル主体の曲。やはりもう少しインストゥルメンタルの要素を増やして、緊張感を高めてほしかった。ただギターの腕前には自信があるのだろう。最後には短いギター・ソロを披露している。

 1994年といえば、隣国アメリカでグランジ・ロックが流行していたが、このグランジとプログレッシヴ・ロックが融合してできたアルバムがこの「ア・ノン・オブヴィアス・ライド」なのかもしれない。

 緊張感といえば、次の"The Ripper"の方が該当している。この曲はインストゥルメンタルで、ベースとドラムが走っていて、ダレてくると唐突にピアノ・ソロやドラム・ロール、バイオリン・ソロが入ってくる。変調も目立っていて、まさにフォロワーといった感じだ。こういう曲があと数曲欲しかった。そうすればもっとメジャーになっただろう。
 とても3分少々の曲とは思えず、何回でも繰り返し聞きたくなってしまった。疾走感もあって、このアルバムの中では推薦曲だろう。

 7分7秒もある"A Concrete Demand"もなかなか意欲的な作品で、バックのパーカッションがジェイミー・ミューア的で思わず笑ってしまった。ドラマーのルイス・フェレティアーは、カナダを代表する若手のパーカショニストらしく、別のオーケストラでも活躍しているという。
 この曲もこのアルバムを代表する曲で、本家のサウンドが好きな人なら、一度は耳を傾けても損はしないはずだ。

 "The Valley"は歌もので、"Sans Fin"はインストゥルメンタル。前者は2分過ぎに入ってくるバイオリンが実に効果的で哀愁をそそる。個人的には歌詞部分をもっと少なくして、演奏を重視してほしかった。
 後者はそのバイオリンが大活躍していて、やはりこのバンドは演奏力で勝負するバンドだと思ってしまう。またインストになるとベース・ギターも自己主張を始めていて、途中のチョッパー的なプレイが逆に新鮮に聞こえてきた。

 ただ問題は、この曲が途中で突然切れて、次の"Over Yeras"が始まってしまうところだ。リリカルなピアノをバックに、ボーカルが歌い上げるのだが、これはやはりアイディア・ミスだろう。"Sans Fin"を最後まで聞かせて、その余韻を保ちながら始まるのなら良いが、この曲のつなぎでは10人中9人は激怒するだろう。明らかにプロデューサーの判断ミスである。

 ただ"Over Years"のメロディやフレーズは良いと思う。バイオリンの入り方も秀逸である。10曲目の"Deep Dawn"もボーカル主体の曲で、ややポップに聞こえてくる。メインのボーカルはギタリストのフランシス・セリュオートという人で、どうしても歌いたい年頃だったのでしょう。

 "Black and Tans"は5分少々のインストゥルメンタル、何度も言うが、こういう曲だけでアルバムを固めてほしかったというのが、偽らざる心境だ。途中のサックスもいいし、テンポが上がっていくところは、本家以外のプログレ・ファンにも訴えるものがあると思っている。

 彼らは4年後にも「ヴィキジット」というアルバムを発表してて、このアルバムでは15分以上もある"Darkness"という曲が収められていた。4年かかって、やっと自分たちの特長がわかったのかもしれない。

 とにかくこのアルバムには、歌ものと演奏ものがバランスよく配置されていて、彼らなりの自負を示したようなのだが、逆に一貫性がないような印象も与えているようだった。演奏力は十分に備えているのだから、その辺を強調してくれれば、もっと評価が上がったのではないだろうか。

 カナダのプログレ・バンドは、このブログでも紹介したヴィジブル・ウインドを始め、東部ケベック州出身が多く、やはりヨーロッパからの影響を強く受けているようだ。

 このインディシプリンもそうなのだが、カナダのバンドには、あるいは個人でもそうだが、物事に対する批評性を強く備えている。そしてその中で自らの独自性を示していくのだが、アメリカやヨーロッパから影響を受けながら、彼らなりの音楽の潮流を形成していくのがカナディアン・ロックなのである。

ただそれが成功するかしないかは、また別の次元の話になるだろう。インディシプリンを聞きながら、そんなことを思ってしまった。

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2014年6月25日 (水)

ライトスピード

 世間ではWカップが注目を集めている。日本対コロンビアは、今日の午前5時からキック・オフになるが、果たしてどうなるだろうか。コロンビア相手に2点以上差をつけて勝つことは容易ではない。タフな試合になるだろう。
 個人的にはドイツとオランダが決勝カードになると思っているのだが、強いところに勝って歴史に名前を残してもらいたい。4年に1度のお祭りなのだから。

 さて、梅雨を吹き飛ばすカナディアン・ロック特集だが、今回はシンガー・ソングライターを離れて、メロディアス・ハード・ロックもしくはプログレッシヴ・ロックの分野に進んでいきたいと思う。

 それで日本でも、本国カナダでも、ちょっとだけ名前が売れたバンド、ライトスピードの登場である。

 このバンドの基本路線は、スティクスやボストンなどのアメリカン・プログレッシヴ・ハード・ロックだろう。基本はハード・ロックなのだが、メロディアスで適度に湿っぽく、ヨーロッパ風味の味付けがしてあるという感じだ。この辺はカナダという国土や地理的・歴史的な要因によるものかもしれない。

 だからメロディアスなギターとともに、スペイシーなキーボードとよく伸びるボーカルに、それを支えるハーモニーと、ほぼ定番の雰囲気なのだが、聞き進むにつれて結構ハマってしまう。ある意味、日本人のツボを押さえた音楽性といえるだろう。

 メンバーは5人で、楽器編成も定番の構成である。もともとはベース&ボーカルのロッドとキーボード担当のゲイリーのチャペル兄弟が中心となり、ライトスピードと名乗り、バンド活動を行っていて、それにギタリストやボーカリストが加わるようになった。1976年頃のお話である。

 しかし、70年代の終わりにはバンド活動に対する方向性の違いから、バンドはいったん解散してしまった。メンバーはそれぞれ各自で活動を始めたが、約10年後、ロッドとドラマーであるテリー・クロフォードが意気投合して音楽活動を開始した。それがこのバンドの今に繋がっている。要するに第2期ライトスピードと言ってもいいだろう。

 ただこの第2期ライトスピードにはゲイリー・チャペルは参加しておらず、代わりにサンディ・ヌメックというイギリスはスコットランド出身のキーボーディストがプレイしていた。彼は3歳ごろにカナダに移住してきたようだ。

 彼らは1990年に9曲入りのミニ・アルバムを発表したが、それが人気となり、ライヴ活動に力を入れるようになった。
 その間も曲つくりに励み、92年にはオリジナル・フル・アルバム「ソー・イグザクトリー・ホエア・ウィ・アー」を発表した。1
 彼らは1970年代の終わりから活動しているわけだから、下積みは長い。曲はチャペルやクロフォードが中心となって書き、プロデュースは全員で行っている。彼らが所有するスタジオもあるようなので、それなりに知名度もあり、売れていたようだ。

 アルバムは、1分30秒余りの短いインストゥルメンタル"So..."で始まる。パーカッションとキーボードで構成された曲で、2曲目の"The Bottom Line"に繋がっている。

 この2曲目は疾走感があって、なかなか良い曲だ。ベースとドラムスのコンビネーションもよく、ボーカルの伸びもよい。3分過ぎのギター・ソロも速弾きを交えたテクニカルなもので、このジーン・マーレイというギタリストは、ジェフ・ベックやジョー・サトリアーニを尊敬するだけあって、なかなか器用なプレイヤーだ。ただ4分少々と曲が短いのが残念である。

 次の"Yesterday's Tears"という曲もなかなかの佳曲で、分厚く覆っているキーボードが印象的だ。間奏のサスティーンの効いた透明感のあるギターとリリカルなエレクトリック・ピアノのバランスが見事なのだが、この曲も5分過ぎにはフェイド・アウトしてしまった。もう少しエンディングをハッキリさせたものにすると、もっと印象度もあがったのではないだろうか。

 "Miss You Now"は、お約束のバラード。エレクトリック・ピアノをバックにして、クリアなギター・サウンドが宙に舞っている。このアルバムの中では、一番の聞かせる曲だろう。7分近い抒情的な雰囲気は、ペンドラゴンやマリリオンに似ていると思う。

 次の"World on Edge"も同じようなメロウな曲で、ギターが後ろで自己主張しているところが面白い。全体的にはミディアム・テンポなのだが、途中のギター・ソロからは徐々にテンポが上がり、AOR的な雰囲気になってくる。キーボード・プレイは、トニー・バンクス的な味付けになっていて、興味深い。

 80年代特有のキラキラしたシンセサイザーとコーラスで始まる"Shine on"は、口直し的な意味を持つハード・ロックで、昔のLPで言えば、サイドBの冒頭に当たるような曲だ。コマーシャルなメロディアス・ハード・ロックといったところだろう。ただ、エンディングはしっかりしている。

 CDでは7曲目の"We're All the Same"も売れ線狙いのハード・ポップな曲で、ボーカルが目立っている。間奏部分のギター・ソロにボーカルが絡むところが面白い。そこまでしなくてもいいと思うのだが…この曲も5分少々あるが、終わり方がしつこい。

 雰囲気を変えて、アコースティック・ギターで伴奏を取りましたというのが、8曲目"Visiting Hours"で、アコースティック・ギターとキーボード&ボーカルは、テリー・クロフォードが担当していて、元々のボーカリストのジョン・ペルシーニは、ドラムスとサックスを担当している。       
 このボーカリストは、ドラマーとしての技量も高く、ライヴではツイン・ドラムスとして時々プレイしているという。

 そのツイン・ドラムスで録音されているのが、"When It's Over"で、この曲のボーカルは、この曲を書いたベーシストのロッド・チャペルが担当している。
 アルバムの最後は"Exactly Where Are We?"で、5分近くもある割とまともなインストゥルメンタルだ。ただこれといった特徴がないのが、残念である。

 アルバムにはボーナス・トラックとして2曲のライヴが収められていて、個人的にはこの2曲の方がダイナミックでカッコいいと思った。ライヴのせいか、ワイルド感もあり、単なる売れ線狙いのハード・ロックではないぞという感じが十分に伝わってくる。これなら確かにライヴでは、人気があったに違いない。2
 このアルバムはそれなりに売れたようで、彼らはライヴ活動を続けながら、3年後の1995年に2枚目のアルバム「オン・セカンド・ソート」を発表している。

 その後、キーボードにゲイリー・チャペルが戻り、2004年には3枚目のスタジオ・アルバム「ウェイヴズ」を出しているが、その後は沈黙を続けているようだ。

 いずれにしても曲の時間が中途半端で、だいたい5分程度で終わっているところが難点だ。これをもう少し膨らませて、8分~10分ぐらいにすれば、プログレッシヴ・ロック・バンドとして認知されただろうし、3分程度で終わらせていれば、AORバンドとしてコマーシャルな成功を収めていただろう。

 まだ解散はしていないし、本国カナダを中心にライヴ活動を行っているようだが、もう少し方向性を絞らないと、メジャーにはなれないだろう。
 ただアメリカやカナダなどには、この手の実力を持つバンドは星の数ほどあるということは、理解できた。

 売れる売れないというのは、最後は運命のようなものに手引きされるのではないかと、年をとってきたせいか、思うようになってきた。

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2014年6月20日 (金)

ブルース・コバーン(3)

 さて前回に続いてブルース・コバーンの登場である。90年代のブルースのアルバムは、一時期CBSソニーから配給されていて、そのときはアメリカン・ロックのような売れ線狙いの音楽傾向だった。

 それが配給会社が変わってしまうと、また70年代に奏でたような本来の音楽に戻っていったようだった。
 また日本では、根強いファンに支えられているせいか?21世紀に入ってからも国内盤が発売されていたし、デビュー・アルバムを始め、70年代の名盤群も再発されていた。恐るべし、ブルース・コバーン、まだまだその人気は失われてはいないようだ。

 1999年に発表された24枚目のスタジオ・アルバム「ブレックファスト・イン・ニューオーリンズ、ディナー・イン・ティンバクトゥ」でも、ブルースの社会の矛盾や不正を見据えた冷徹な視点と、それを上手にメロディに載せて歌うシンガー・ソングライターの側面やテクニカルなギター・プレイを味わうことができる。1
 このアルバムの特長は、そのタイトルにある。アメリカの音楽(たぶんロックやブルーズなどのルーツ・ミュージックだろう)とアフリカの音楽の彼なりの融合だろう。

 80年代に入ってからのブルースは、主に第三世界の国々に出かけて行っては、彼の地で暮らす人々の生活の様子や、俗に先進国と呼ばれる国々が如何に第三世界の国を搾取してきたか、あるいは彼らの犠牲の上で豊かに暮らしているかなど、彼なりの視点で追及してきた。

 もちろんその姿勢は、時に暗喩的な歌詞やキレのあるリズムや芳醇なメロディとともに、90年代以降も変わってはいない。

 このタイトルにある“ティンバクトゥ”とは、西アフリカのマリ共和国にある地名のことらしく、“西アフリカのジョー・リン・フッカー”と言われているアリ・ファルカ・トゥーレというミュージシャンの生誕地のようだ。

 ただブルースはマリで曲を作ったわけではなく、ドキュメンタリー映画の撮影に伴って彼の地を旅して、そのイメージを持ち帰り曲を作っている。
 結局、このタイトルはアメリカとアフリカ、文明と自然、繁栄と貧困などの相反するものと、魂や感性などの共通するものを表しているらしい。

 また西アフリカの楽器“コラ”がフィーチャーされていて、2曲目の"Mango"と、11曲目の"Use me while You can"で使用されている。
 コラというのは大きなスイカのような胴体をくりぬいて、それに長いネックと21本の弦が付属している楽器のことで、膝の間に挟み、中指、薬指、小指で弾きながら演奏される楽器である。Kora3ff21b

 これらの曲では、琴のようなリュートのような音を出していて、西洋音楽にも十分にマッチしていて違和感はない。

 またこのアルバムでは、今までのシンガー・ソングライター然とした音楽にパーカッションが加えられていて、躍動感のある曲が多い。特に5曲目の"Down to the Delta"での熱さやノリの良さは素晴らしく、今までのクールな彼のイメージとは違うものが感じられた。ちなみにこの曲はインストゥルメンタルでもある。

 さらに珍しく?彼がエレクトリック・ギターを演奏していて、これがまた唸らせてくれるのだ。特にファッツ・ドミノが1956年に歌い、全米2位を記録した"Blueberry Hill"でのギターは、特筆ものであろう。

 さて上記のアルバムから4年後の2003年に発表されたアルバム「ユーヴ・ネヴァー・シーン・エヴリシング」は、非常に力強い曲"Tried and Tested"で幕を開ける。前作からこのアルバムの間に、“9・11”や“イラク戦争”など、世界は歴史的な変遷を経たせいか、その世界に屹立するかのように、彼の音楽も変化しているのであろう。2
 前作ではアフリカの民族楽器が使用されていたが、このアルバムではヒュー・マーシュとい人が演奏するバイオリンがフィーチャーされている。このヒューという人は、80年代のブルースのアルバムには参加していた人で、久しぶりの復帰になったようだ。特に11曲目の"Don't Forget About Delight"では活躍している。

 また珍しいことには、このアルバムにはインストゥルメンタルの曲が1曲も収められていない。もちろん曲によっては、間奏のソロ・プレイで華麗なフィンガリングやギター・ソロを味わうことができるのだが、演奏のみの曲はない。

 これはやはり歌詞としてきちんと訴えなければならないという彼なりの欲求が、彼の気持ちの中で高まっていったのだろう。冒頭の曲もそうだし、4曲目の"Trickle Down"は大企業やそれを保護する政府の姿勢を批判したものだ。7曲目の"Postcards from Cambodia"ではポル・ポト政権が残した負の遺産である地雷の悲劇を歌っている。

 ただ彼のことを知るファンとしては、やはりインストゥルメンタルの曲がほしかっただろう。彼のトレイドマークの1つだし、アルバムの構成上としても、また彼の創作能力の結果としても、ブルースのギター・プレイがあれば、アルバム自体も引き締まったものになったのではないだろうか。

 またこのアルバムには、友人のジャクソン・ブラウンが9曲目の"Celestial Horse"にボーカル・ハーモニーとして参加していて、曲調も穏やかなで静かなものになっている。まるでジャクソン・ブラウンが自分のアルバム用に作った曲のようだ。

 さらにはアメリカの歌姫、エミル―・ハリスも参加していて、3曲目の“9・11”以降の世の中を歌った"All Our Dark Tomorrow"とアルバム・タイトル曲でモノローグ中心の"You've Never Seen Everything"で歌声を添えている。

 エミル―の方はそんなに目立ってはいなくて、ほとんど裏方のような感じだ。ただ彼女はブルースとともに、対人地雷撤廃運動の「ランドマイン・フリー・ワールド」で活動していて、そのご縁で、アルバムに参加したらしい。

 個人的には「ブレックファスト・イン・ニューオーリンズ、ディナー・イン・ティンバクトゥ」の方が好きで、今でも時々聞いている。こちらの方が音楽的に豊かで、何度聞いても飽きが来ない。
 一方、「ユーヴ・ネヴァー・シーン・エヴリシング」の方が、ブルースの主張(歌詞)の方に力点が置かれているようで、聞いていて肩が凝りそうなところもあった。何度も聞き通すには、英語がわからない分、辛いかもしれない。

 その後もブルース・コバーンはスタジオ・アルバムを発表しているが、国内盤では流通していないようだ。この辺が今一歩、日本では人気が出ない原因かもしれない。

 とにかくブルース・コバーンといえば、70年代にいつもスポットが当たるのだが、彼は“行動する詩人”であり、“歌う運動家”でもある。
 彼の場合には、いつも“今”を追っていかないと、本当の姿はわからないかもしれない。69歳になった今でも、いまだに現役のミュージシャンなのである。もっとリスペクトを払ってもいいのではないだろうか。

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2014年6月15日 (日)

ブルース・コバーン(2)

 今月はカナディアン・ロック特集ということで、今まではジョニ・ミッチェルのアルバムを紹介してきたが、女性の次は男性ということで、今回と次回はブルース・コバーンの登場である。

 ブルース・コバーンについては、一度70年代の代表作を紹介しているので、ここでは90年代のアルバムを紹介したいと思う。

 まず1994年の「矢」である。ブルース・コバーンといえば、静謐でクールなイメージがあるのだが、このアルバムではホーン・セクションが導入されていて、曲によってはロック色が強くなっているものもあった。
 これは前作の「光」と同じくアメリカ人のT・ボーン・バーネットの影響だろう。彼がプロデュースを担当すると、だいたいブルーズ色やロック色が強くなるからだ。4
  まずは1曲目の"Listen for the Laugh"は挨拶かわりのロックン・ロールで、最初聞いたときは驚いてしまった。確かにいい曲なのだが、何となく彼のイメージに合わないと思ったからだ。

 しかし続く"All the Ways I Want You"、"Bone in My Ear"と聞き進めるにつき、昔のアコースティック色が戻ってきていたので、安心したことを思い出した。

 "Burden of the Angel/Beast"はスライド・ギターが強調されたサザン・テイスト溢れるスロー・バラードになっていて、これはこれで心に染み入る名曲だと思っている。
 5曲目の"Scanning These Crowds"にもホーン・セクションが用いられていて、何となくマーク・ノップラーのいたダイヤ―・ストレーツを思い出してしまった。

 "Southland of the Heart"はキーボード、特にハモンド・オルガンが強調されていて、これまたアメリカン・ロックのようだった。これもスローな曲で癒されるのだが、別に彼でないと歌えないような曲でもない。ブルース・コバーンの個性はいったいどこに行ったのだろう。

 と言ったと思えば、"Train in the Rain"は、まさに彼でないと弾けないようなアコースティック・ギターによるインストゥルメンタルである。流れるようなフィンガリングが素晴らしい。自分のつぶやきが聞こえたみたいで、こういう曲こそ彼の本領発揮といっていいだろう。

 そのアコースティック・ギターが活かされている"Someone I Used to Love"は幾分メロディアスでポップな小曲だ。
 また"Love Loves You Too"もスローな曲で、70年代のジャクソン・ブラウンの曲のように、しっとりと抒情的に仕上げられている。声も何となく似ているように聞こえてきた。

 このアルバムには2曲のインストゥルメンタルが収められていて、"Train in the Rain"と10曲目の"Sunrise on the Mississippi"だ。前者は動きのある曲だが、後者の曲はミディアム・テンポで、メロディーもしっかりしている。ひょっとしたら歌詞をつける前の曲だったのかもしれない。

 ラス前の"Closer to the Light"は、南部のゴスペル・ミュージックのような静かな曲。当時彼は、クリスマス・アルバムも同時並行で作成していたので、その影響があったのかもしれない。曲自体はもちろんいい曲で、心にグッとくるものがある。

 最後を飾るのはテンポの良い"Tie Me at the Crossroads"で、思わず体が動いてしまいそうなロックン・ロール調になっている。この辺のテイストも、T・ボーン・バーネットの意思を反映しているのだろう。

 このアルバムはアメリカン・ロックのテイストが強いものの、佳曲が多く収められていて個人的には気に入っている。確かにブルース・コバーンの独自性は薄いものの、ワールドワイドに展開するのであれば、当たり外れの少ない無難なアルバムだと思う。悪く言えば、商業主義に則った売れ線狙い、と言われても仕方がないだろう。

 3年後の1997年に発表された23枚目のスタジオ・アルバムが「ザ・チャリティ・オブ・ナイト」で、アルバム冒頭の曲は"Night Train"というタイトルが示すように、ノリのよい曲だ。
 ただ基本は3人組のバンドの音で作られていて、ロブ・ワッサーマンという人の演奏するウッド・ベースの音が、真夜中を走る列車を象徴している。

 冒頭のラップ調の歌詞がユニークな曲"Get up Jonah"は、ベトナムやアフガニスタンという言葉が見られるように、反戦歌のようだ。さすがブルース・コバーン、昔からこの視点は変わっていない。

 続くアコースティックな"Pacing the Cage"は、初期の彼に戻ったようなアコギ1本で歌われていて、清々しい。梅雨時期のジメジメした今頃には、最適の曲だと思う。
 このアルバムにはインストゥルメンタルは1曲しかない。それが"Mistress of Storms"で、6分以上のこの曲は、相変わらず彼はギターの名手であることを教えてくれている。

 もともと彼はバークレー音楽院で音楽理論を学んでいるから、それが実践に活かされているのだろう。ジャズの要素を備えた彼独特の演奏方法は、、まさに唯我独尊、追随を許さない。そういえばジョニ・ミッチェルも独特のオープン・コードで演奏していたが、カナディアンにはそういう共通項があるようだ。

 5曲目の"The Whole Night Sky"のスライド・ギターを弾いているのはボニー・レイットで、相変わらずいい味を出している。また次の曲の"The Coming Rains"のバック・ボーカルには、マリマ・マルダーが参加していて、このアルバムは前作と違って、有名なゲスト・ミュージシャンが参加している。3
 一転してダークな印象の"Birmingham Shadows"では、例のボソボソとした語り調で始まり、次の"The Mines of Mozambique"へとつながっている。
 この曲は、モザンビークの内戦で使用された地雷のことを歌ったもので、いまだに子どもや老人が被害を受けていることを訴えている。
 ボブ・ディランも彼の地の内戦のことを歌っていたが、それから20年以上たった当時でも、その影響を引きずっていたのだ。ちなみにこの曲は、彼自身が現地に行って作ったものである。

 後半はダークな曲が続いているようで、9曲目の"Live on My Mind"もマイナー調で、ブルースのボーカルが引き立つような演奏になっている。ブルースのギター演奏はそんなに目立たないのだが、短い間奏でも非常にテクニカルで巧みだ。以前にも書いたが、もっと評価されていいギタリストだと思う。

 アルバム・タイトルの"The Charity of Night"も語りから入る曲で、よくわからない歌詞なのだが、何となく妖艶で肉感的な匂いがする。ただサビのメロディは限りなく哀しくて美しい。
 最後の"Strange Waters"は、スローな曲ながらも重厚な雰囲気を醸し出しているし、また間奏のエレクトリック・ギターはブルース自身が弾いていて、より一層曲の価値を高めているようだ。

 この2枚のアルバムは対照的で、前者は明るく開放的、後者はダークで暗示的だ。どちらがブルース・コバーンの本質を突いているかというと、やはり後者の「ザ・チャリティ・オブ・ナイト」の方だろう。

 このヒンヤリとした雰囲気と冷徹に現実を見つめる視点は、彼の音楽に内包されているからである。
(To Be Continued...)

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2014年6月10日 (火)

ドンファンのじゃじゃ馬娘

 前回に続いて、ジョニ・ミッチェルである。今回は1977年のアルバム「ドンファンのじゃじゃ馬娘」についてだが、ある意味、このアルバムは彼女の音楽的到達点ではないかと思っている。

 このアルバム、発表当時のレコードでは2枚組だった。当時も今も貧乏人だった自分は、購入しようもできずに、CD化されるまで待って聞いたものだった。
 なぜかCDでは1枚組2500円で、これはCD化された方が安かったので、ひそかにほくそ笑んだ覚えがある。貧乏人とはまことにかような生態をもっているのだ。

 当時は、なぜかジョニ・ミッチェルに凝っていて、「逃避行」から「夏草の誘い」、「ブルー」そして「青春の光と影」と、発表順とは別に、何かに憑りつかれたかのようにずっと聞いていた。

 それでこのアルバムにたどり着いたのだが、とにかくこのアルバムは彼女の作品を代表すると思っている。
 彼女自身が、あるインタビューで『「夏草の誘い」、「逃避行」、「ドンファンのじゃじゃ馬娘」の三作は、いずれもトータル・アルバムとして、映画のように作った』と応えていたが、この3枚のアルバムの中で、一番映画的というか、イメージを喚起されてしまうのがこのアルバムではないだろうか。Photo
 「夏草の誘い」と「逃避行」は、もちろん素晴らしい作品には間違いないのだが、起伏が乏しく、数曲では躍動感が味わえるものの、ロック的なアプローチは見られず、何となく物足りなさを覚えた。

 ところがこのアルバムは、ロック的な曲や、16分にもわたる映画のサウンドトラックのような曲もあるし、もちろんジャズ的な曲も収められていて、それまでの彼女の音楽の集大成になっている。
 どの曲もジョニ的な個性に満ちていて、余人には真似のできない独創的なものであると同時に、アルバムとして商品化し、なおかつチャートの上位に顔を出すほど大衆的なのだ。

 この傑出したオリジナリティと誰人にも受け入れられる?ポピュラリティを有しているからこそ、ジョニ・ミッチェルは、(個人的に)唯一アーティストと呼ばれるほどのミュージシャンなのである。

 前作「逃避行」に引き続いて、当時の恋人のジャコ・パストリアスのベース・プレイが目立っている。何しろ最初の"Overture~Cotton Avenue"はオープニングから3分前のパーカッションが入るまでは、ジョニのギターとボーカル・ハーモニーの多重録音、ベース・ギターのみで構成されている。それでもカラフルな色彩感があり、映画のサウンドトラックといわれても分からないだろう。

 "Talk To Me"は非常に躍動感のある曲だが、いつ聞いても、これがドラムレスの曲ということに驚いてしまう。これもジョニのボーカルとギター、ジャコのベースのみで構成されている。信じられないほどリズミカルで、鶏の鳴きまねをするジョニのボーカルも秀逸だ。

 一転して"Jericho"はスローなジョニ流バラードで、たぶん当時の恋人のジャコのことを歌っているのだろう。
 しかしこの曲のドラムスは「夏草の誘い」当時の恋人のジョン・ゲランであり、リズム隊の2人がジョニの恋人(一人は“だった”)というのも、どうなのだろう。仕事は仕事、プライベートはプライベートと割り切っていたのだろうか。日本ではありえないことだと思うのだが、事実は小説よりも奇なりである。

 そして当時のレコードのサイドB全面を使った"Paprika Plains"が始まるのだが、これはもう完全に映画か、ミュージカルの世界だ。ピアノの弾き語りからスタートし、ストリングスが伴奏して、最後はウエイン・ショーターの吹くサックスで締めくくられる。

 歌われている内容は、ジョニが子ども時代に過ごしたカナダの大平原や、そこでの暮らしのことだ。曲自体が絵画的なので、イメージしやすい気がした。しかしこういう曲を作れるとは、まさに彼女は時代の寵児であり、その当時のミューズだった。

 レコードでは2枚目のサイドCに収められていた"Otis And Marlena"は、「夏草の誘い」や「逃避行」のアルバムにあったややスロー・テンポの曲調で、ジョニの弾き語りを中心としている。物語を読んでいるようで面白い。ちなみに電気ギターを演奏しているのは、ラリー・カールトンだ。

 この"Otis And Marlena"から次の曲"The Tenth World"、"Dreamland"では、曲間の切れ目がなく連続している。"The Tenth World"はアフリカン・リズムと掛け声がフィーチャーされていて、この時代の彼女の趣味が反映している気がした。6分45秒もあるインストゥルメンタルである。

 次の曲"Dreamland"も前の曲の影響を受けているのか、アフリカン・ドラムを背景に歌われていて、リズミカルである。この曲のタイトルはブラジルのことを指しているようで、リオのカーニバルとまではいかないものの、ジョニのボーカルとパーカッションだけで歌われている。

 アルバム・タイトル曲の"Don Juan's Reckless Daughter"はややリズムのある"Coyote"タイプの曲。ここでのジョニも饒舌だ。ただ、日本語の歌詞を読んでも何のことかよくわからない。自分の中に存在する聖と邪のことだろうか。

 "Off Night Backstreet"には、グレン・フライとJ.D.サウザーがバック・コーラスに参加していて、そのせいかロックっぽい雰囲気になっている。ただジャコのベースがリード・ギターのように響いていて、リード・ギターのないロック・ミュージックといったところか。

 そしてアルバム最後は、ジョニのアコースティック・ギター弾き語りの"The Silky Veils Of Ardor"で締めくくられる。久々のジョニのギターだけの演奏なので、初期のフォーク時代の彼女に戻ったかのようだった。

 とにかくこのアルバムには、彼女の才能が詰め込まれている。オーケストラを使った音楽からギター1本のフォークまで、とにかく自分の頭の中にある音をすべて吐き出したかのような音楽なのだ。
 それらを彼女の声とジャコのベースが結び繋いでいる。この当時のジャコは、まさに彼女にとって恋人であると同時に、貴重なミュージック・パートナーだったことを象徴している。

 
 それからこのアルバムのジャケット写真は、3種類のジョニの写真を合わせたもので、黒人も横を向いている子ども?の写真も、ジョニが変装したものである。この辺の遊び心というか、心の余裕があったのも、当時の彼女を取り巻く状況が安定したことを証明している。

 とにかくこのアルバムは、車のドライブのお伴には似合わない。運転しながら聞き流すにはあまりにも勿体ないし、ジョニの才能に対して冒涜というか、失礼でもある。
 今となっては、自分もほとんど聞かなくなったが、聞くときは気持ちを込めないと聴き通すことができない。そんなアルバムなのだ。

 聞くところによれば、ジョニ・ミッチェルはモルジェロンズ病という奇病に冒されていて、音楽的活動から遠のいているらしい。すぐに命に及ぶほどの病気ではないものの、効果的な治療の方法はまだ見つかってないようだ。

 一刻も早く、彼女が回復することを願っている。まだまだ、彼女は引退するには早すぎる。彼女の才能や作品群は、まだまだ世界中の多くの人を魅了してやまないからだ。

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2014年6月 5日 (木)

夏草の誘い

 いよいよ6月である。6月といえば梅雨というイメージが強いが、これから始まる“夏”の前触れ、つまり“初夏”にもあたる月だ。

 それで、毎年この時期になると聞きたくなるアルバムがある。それはカナダ、いや世界を代表するシンガー・ソングライターであるジョニ・ミッチェルの1975年のアルバム「夏草の誘い」である。

 以前にもこのブログで書いたように、自分が初めて彼女のアルバムを聞いたのは大学生になってからで、映画「ザ・ラスト・ワルツ」を観てからだった。
 だから最初に聴き通したアルバムは「逃避行」だった。「ザ・ラスト・ワルツ」の中で彼女が歌っていた曲"Coyote"が収められていたからだ。

 彼女の名前は、"Both Sides Now"や"Woodstock"などの曲を通して、中学生くらいの頃から知っていたが、まともに聞いたことはなかったので、「逃避行」を聞いたときは、一般的なシンガー・ソングライターという範疇から大きく飛び出していた彼女のソングライティングに驚いてしまった思い出がある。

 「逃避行」が発表されたのが1976年だったので、とりあえずその前の年に発表されたアルバムを聞こうと思い「夏草の誘い」に手を出したのだが、これがまたビックリするほどの名盤で、しばらくはこのアルバムを聴きまくっていた。当時の自分には、ピッタリと当てはまったアルバムだったのだろう。Photo

 一般的によく言われているのは、この時期のジョニ・ミッチェルはジャズ志向が強かったというものだが、彼女にとってはそういうジャンル分けは無意味なことだったろう。
 初期のフォーク&ロックから比べれば、確かにジャズ寄りだ。バック・ミュージシャンもほとんどがジャズ分野で活躍していたミュージシャンだったし、楽曲自体もスポンティアスな感じがするものだった。

 しかし、当時の溢れるような彼女の才能を音楽化するには、譜面によらない音楽が必要だった。彼女にとってみれば、自分の理想とする音楽が実態を伴うのであれば、ジャズでもクラシックでも何でもよかったのだ。

 

 70年代後半から80年代にかけては、彼女の音楽活動はそれほど充実していた。とにかく次から次へと湧き出てくる自分のアイデアをどう処理していくか、どのように音楽に結び付けていくかが、当時の彼女にとっては最重要課題だったに違いない。

 アルバムは意外とポップな"In France They Kiss On Main Street"で始まる。バック・ボーカルには、デヴィッド・クロスビーとグラハム・ナッシュ、それにジェイムズ・テイラーも参加していて、過去のジョニの恋人が大集合といった感じだった。

 それにドラムスには当時の恋人のジョン・ゲランが担当していて、やはり彼女の音楽的才能には多くの一流ミュージシャンも魅了されてしまうのだろう。ちなみにギターを弾いているのは、ロベン・フォードとジェフ・バクスターである。

 発表当時話題になったのは、2曲目の"The Jungle Line"だ。アフリカン・ドラムを大胆に導入し、ジョニのムーグ・シンセサイザーで味付けをしていた。80年代にはエスニック・ブームで、ポール・サイモンを始め、多くのミュージシャンがアフリカなどに目を向けるようになったが、それの先駆的な役割を果たしている気がした。

 "Edith And The Kingpin"は、このアルバムを代表する曲のひとつ。とても1975年の作品とは思えないほど、芳醇なサウンドと豪華な雰囲気を備えている。2014年のいま聞いても全く違和感がない。彼女のボーカルも冴えわたっている。タイムレスな曲だ。

 キーボードはジョー・サンプル、ギターはラリー・カールトンが担当している。

 

 コンガの音がリズミカルな"Don't Interrupt The Sorrow"に続いて、ジョニのボーカルが映える"Shades Of Scarlett Conquering"は、まるで映画のサウンドトラックのようだ。たおやかなバラードなのだが、逆にジョニの歌のうまさが引き立ってしまう。彼女ってこんなに歌が上手だったのかと再認識させられた。

 カリフォルニアの乾いた空気と青い空を想像させるアルバム・タイトル曲の"The Hissing Of Summer Lawns"で後半が始まり、ピアノがリードする"The Boho Dance"が始まる。
 この曲も演奏は素晴らしいが、歌われている内容は商業的な成功のために、自分の才能を安売りしてしまうミュージシャンのことを指しているという。曲の印象と内容が対照的なのも、いかにもジョニらしい。


 後半はメドレー形式になっているようで、"The Boho Dance"から、切れ目なく"Harry's House/Centerpiece"へと続いている。"Centerpiece"はもうジャズの世界である。正確に言えば、ジャスという表現形式を借りたジョニの世界観が提示されているのだ。ロックからフォーク、ジャズと彼女の音楽観は、本当に幅広い。

 彼女が恋多き女性だったのも、何となくわかるような気がする。彼女のような才能豊かな女性を満足させる男は、そう何人もいないだろう。彼女は自分にないものを持っているか、自分以上の才能のある男性にしか目がいかなかったに違いない。
 男性側は彼女を引き留める魅力を相当に備えていないと、彼女との恋愛は成就しなかっただろう。


 "Sweet Bird"はジョニとラリー・カールトンの2人だけでバック演奏を行っている。初期のシンガー・ソングライター時代の雰囲気なのだが、アレンジが素晴らしくてついつい聞き惚れてしまう。この曲も21世紀のいまでも十分通用するだろう。

 そしてジョニの多重録音のボーカルとシンセサイザーだけで構成された"Shadows And Light"で締めくくられるのだが、後のツアー名にもなった曲で、昼と夜、光と影、善と悪など二律背反で構成されたこの世界にどのように対峙していくのか、彼女の決意表明のような曲でもある。

 もともと彼女は美術学校の生徒だった。だからアルバム・ジャケットのコンセプトやペインティングは、彼女自身が手がけている。

 このアルバムでもタイトルを象徴しているようなイラストになっていて、バックにニューヨークの摩天楼、その下に草原の上で大蛇を運ぶ人たちと左隅にはロサンゼルスにある彼女の自宅が描かれている。

 大蛇とそれを運ぶ人たちは2曲目の"The Jungle Line"を表しているといわれているのだが、どうだろうか。個人的には彼女の才能(楽曲)を蛇に見立てて、それをN.Y.からL.A.へと全米中に広げていこうとする彼女の意思を感じてしまうのだった。

 とにかくこのアルバムを聞くと、夏空前の今の季節を思い出してしまう。プリンスはこのアルバムを大絶賛していて、彼女の代表作とまで言っていたが、代表作かどうかは別にして、確かに傑作には違いないだろう。

 アルバムは全米4位を記録し、その年の第19回グラミー賞「ベスト女性ポップ・ボーカル賞」の候補にノミネートされている。

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