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2014年8月

2014年8月29日 (金)

テン

 さていよいよ8月も押し詰まってきた。最近は、日中は確かに暑いものの、朝夕はしのぎやすくなってきたようだ。季節は確実に移ってきている。

 それで“真夏のB級ブリティッシュ・ハード・ロック”特集もクライマックスを迎えてきた。第11弾の今回は、90年代からのブリティッシュ・ロック界を牽引してきたテンの登場である。

 このテンというバンド、カタカナで書けば“テン”だが、外国では“Ten”もしくは“Ⅹ”と表記されているようだ。
 基本的にこのバンドは、ボーカリストであるゲイリー・ヒューズという人のワンマン・バンドで、初期の頃は、彼とギタリストのヴィニー・バーンズ、ドラマーのグレッグ・モーガンの3人が中心となって活動していた。

 自分は90年代のハード/ヘヴィ・メタル・ロックには疎くて、ゲイリー・ヒューズと言われても誰のことかさっぱりわからなかった。それは元ディープ・パープルのグレン・ヒューズのことだろうと、勝手に判断していた。

 ゲイリーは1967年7月5日生まれだから、今年で47歳になった。イギリスはマンチェスター生まれで、9歳頃ギターを手にしたことから子どもの頃から音楽に興味を持ったようだ。
 音楽系の大学でクラシック・ギターの学位を取得したあと、イーグルスの美しいハーモニーに惹かれて、プロを目指すようになったという。

 その後はホワイトスネイクやディープ・パープルなどの70年代のハード・ロックの洗礼を浴びて、ハード・ロックを目指すようになった。
 1989年に、初めてのソロ・アルバムをノルウェーのレコード会社から発表した。たぶんイギリスでは契約ができなかったのだろう。ただこのアルバムは、のちの1992年にイギリスのクリサリス・レコードから「ストレングス・オブ・ハート」というタイトルで売り出されている。

 彼は、1993年にもソロ・アルバムを発表しているが、次のソロ・アルバム用にレコーディングしているときに、もう少しハードな要素が欲しいということで、かねてより知り合いだったギタリストに声をかけた。それがヴィニー・バーンズだった。

 このヴィニー・バーンズという人も、当時のハード・ロック界では有名だったようだが、自分は全く知らなかった。きっとヴィニー・ヴィンセントの間違いか、彼の変名だろうと勝手に思っていた。

 ヴィニーは1965年4月4日生まれだから、今年で49歳。イギリスのオールダム出身で、10歳の頃からギターを手にし、音楽活動を始めようと思っていたようだ。
 1985年、20歳になったのを切っ掛けに、元シン・リジ―のツアー・キーボーディストだったダーレン・ワートンとともにデアを結成して、1988年にはA&Mレコードよりデビュー・アルバム「アウト・オブ・サイレンス」を発表した。

 デアはゲイリー・ムーアやヨーロッパ(バンド名の方)のツアーに同行して、そのオープニング・アクトを務めていたが、1991年にセカンド・アルバム「ブラッド・フロム・ストーン」を発表したあと、2人は仲違いをしてしまい、ヴィニーはバンドを脱退してしまった。
 彼らの2枚のアルバムは、当時日本でも販売され、話題になったそうだが、自分は全く知らなかった。当時はブリティッシュよりもアメリカン・ロックの方に関心が向いていた気がする。

 そんなことはともかく、デアを脱退したヴィニーは、エイジアの「アクア」ツアーに抜擢されて、日本やヨーロッパをまわった後、今度はウルトラボックスに参加して、アルバム制作やライヴ公演に携わっている。こうやってみると、なかなか器用で上手なギタリストのようだ。

 もともとゲイリーとヴィニーは、1988年頃から知り合いだったようで、その時は別々のバンドだったが、いつかは一緒に活動できるといいねというような話はしていたようだった。
 それでゲイリーは、自分のソロ・アルバムに彼の持っている力を借りようとして声をかけ、それがバンド活動へと発展していったのである。

 彼らのデビュー・アルバム「Ⅹ」は1996年に発表された。このアルバムにクレジットされているのは、ゲイリーとヴィニー、ドラムス担当のグレッグ・モーガンの3人で、残りのメンバーはサポート・ミュージシャンのようだ。2
 ちなみにドラマーのグレッグは、1970年7月5日生まれの44歳。8歳頃からドラムをプレイし始め、1990年にドラム・コンテストでなぜかヴィニーと出会い、デアのセカンド・アルバムに参加した。デア脱退後は、フュージョン系のバンドで活動していたという。テンに加入したのもヴィニーの声掛けがあったからだろう。

 それでデビュー・アルバム「テン」を聞いた印象では、ハード・ロックというよりは、ハードなロック・アルバムという感じだった。元々はゲイリーのソロ・アルバム用に作った曲ばかりだったから、ソング・オリエンティッドな作りになっていても当然だろう。

 実際、全10曲の中でゲイリーとヴィニーの共作は1曲目のインストゥルメンタルの部分である"The Crusades"だけしかなく、残りはすべてゲイリーの作詞作曲になっている。

 ただヴィニーの貢献度は高く、アコースティック・ギターでの抒情性や、バラードでの泣きのギター、疾走感のある速弾きなど、聞きどころは多い。

 それにゲイリーのやや湿ったブルージーなシンギング・スタイルとの相性は抜群で、ゲイリーの歌のうまさを引き立てる役回りも上手にこなしている。さすがエイジアからウルトラボックスまで、幅広く器用に請け負ったことだけはあると思う。

 もう少しだけこのデビュー・アルバムのことについて触れておくと、1曲目のインストゥルメンタル"The Crusades"ではヴィニーのエフェクティヴなギターが、チェロやビオラなどのストリングスと絡み合って、これから始まる楽曲を期待させてくれる。

 また2曲目の"After the Love Has Gone"は、ヴァン・ヘイレンをブリティッシュぽく変化させたような曲で、テクニカルなギターと売れ線狙いの美しいメロディが、ミドルテンポのリズムに乗って空中に漂っているようだ。

 続く"Yesterday Lies in the Flames"は涙腺も切れそうな泣きのバラードで、ドラマティックな曲仕立てになっている。
 一方で"Stay With Me"という曲では、マイナー調のアコースティック・ギターから一気にハードな展開に移り、コーラス部分がボン・ジョヴィ化している。

 よく考えれば、このアルバム、捨て曲なしの内容になっていて、しかもどの曲もメロディアスで印象深い。"Close Your Eyes and Dream"はアメリカン・ハード・ポップだし、"Eyes of a Child"では、それこそイーグルスも真っ青なハーモニーを聞くことができる。Photo
 今となって考えると、“メロディアス・ブリティッシュ・ハード”というジャンルを作れば、全くそれにマッチする音楽だろう。(もちろんそんな分野はないけれども…)
 あるいはボン・ジョヴィやヴァン・ヘイレンに対するブリティッシュ・ロックからの回答と言ってもおかしくはなかったはずだ。

 彼らは日本でまず人気が出て、その後でイギリスやヨーロッパでも売れるようになった。アルバムも着実に発表していき、1998年にはヨーロッパ・ツアーを収録した2枚組のライヴ・アルバムも出している。

 2000年にはキーボード担当に、あのドン・エイリーを迎えてアルバム「バビロン」を発表したが、彼はこの1作にしか参加していない。

 2001年には「ファー・ビヨンド・ザ・ワールド」を発表したが、このアルバムを最後にゲイリーを支えていたヴィニー・バーンズが脱退してしまった。音楽的な相違ということだが、ゲイリーにしてみれば、マンネリ化を避けるためにはよかったかもしれない。

 逆にヴィニーにしてみれば、もっと自分の活躍するところを発揮したかったに違いない。曲はゲイリーが書いていて、ヴィニーが関与するところはほとんどなかった。彼は曲に彩りを添えるギタリストの役回りしか与えられずに、そのことが脱退の大きな理由を占めていたのではないだろうか。

 その後、バンドは、ますますゲイリーのワンマン・バンド化してしまっている。ギタリストは3人入れ替わっているし、キーボーディストも2人は替わっている。それでも2012年時点での最新アルバム「ヘレシー・アンド・クリード」は全英チャートで30位を記録しているから、本国でも根強い人気はあるようだ。

 今となっては、果たしてハード・ロック・バンドと呼んでいいのかどうか疑問だが、ブリティッシュ・ハード・ロックの流れを絶やさずに、地道に牽引してきたバンドであることは、間違いないだろう。これからも“B級ブリティッシュ・ハード・ロック・バンド”の鑑として頑張ってほしいものである。

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2014年8月24日 (日)

ピンク・フェアリーズ

 “真夏の暑さを忘れるブリティッシュ・ハード・ロック”編の第10弾だが、ほとんどマンネリ化しつつあるけれども、ここまで来たのだから、せめて月末までは続けていこうと思っている。でも、ひょっとしたら来月からは“残暑を忘れるブリティッシュ・ハード・ロック”編になるかもしれないなあ。相変わらず芸のないブログである。

 それで今回は少し昔に戻って、1970年代のアンダーグラウンド・シーンで話題になったバンド、ピンク・フェアリーズに登場してもらうことにした。

 最近になって彼らの残した3枚のスタジオ・アルバムが紙ジャケット化されたが、21世紀の今になっても、彼らの人気というか、話題は続いているようだ。
 名前だけ聞くと、何となく女、子ども向けのポップ・バンドや今流行のビジュアル系バンドのように思えるが、実際は写真にあるように、汗も飛び散る男だけのむさ苦しいバンドだった。Pinkfairies
 彼らを語るには1960年代末のロンドンまで話を戻さなければならない。オリジナルのピンク・フェアリーズは、1969年の終わりに結成されたからだ。

 メンバーは、デヴィアンツというバンドにいたボーカル担当のミック・ファレンと、ティラノザウルス・レックスにいたベーシストのスティーヴ・トゥック、スティーヴ・ハウもいたトゥモロウのドラマーだったトゥインク、そしてジ・エンタイア・スー・ネイションというアングラ・バンドのギタリストだったラリー・ウォーレスの4人だった。

 ただバンド名は、その都度変わることがあり、彼らはピンク・フェアリーズと名乗ったり、シャグラットと言うこともあった。

 バンド名は、トゥインクがいつも着ていたピンクのジャケットと、彼が以前結成していたバンドのザ・フェアリーズに因んだものというのが定説になっている。ちなみにトゥインクは、ザ・フェアリーズからトゥモロウ、プリティ・シングスへとバンドを渡り歩いている。何となくアングラ臭のするバンドばかりだ。

 それで話を元に戻すと、オリジナルのピンク・フェアリーズのメンバーだったミック・ファレンはデヴィアンツのリーダーでもあったのだが、彼がトゥインクのソロ・アルバム「スィンク・ピンク」のレコーディングに他のメンバーを呼んで参加させた。

 この共演がきっかけとなって、ツイン・ドラムスの4人組バンドである第2期ピンク・フェアリーズが誕生することとなった。1970年の初めの頃のお話である。
 この時のメンバーは、トゥインクと同じドラマーのラッセル・ハンター、カナダ人ギタリストのポール・ルドルフ、ベーシストのダンカン・サンダースだった。

 当時のアンダーグラウンド・シーンでは、メンバーの移動が流動的で、よほど売れているバンド以外は、契約がはっきりしていなかったせいか、昨日の友が今日は違うバンドメイトということは、日常茶飯事だったようだ。

 とにかく彼らは、翌年、シングルとアルバム「ネヴァー・ネヴァー・ランド」を発表した。2
 このアルバムはジャケットが表しているように、何となく牧歌的でファンタジー色もある。1曲目の"Do it"のようなハードロック的な曲もあれば、"Heavenly Man"のように一転してポップな曲もある。
 また、10分以上もある"Uncle Harry's Last Freak-Out"はサイケデリックでもあり、プログレッシヴ・ロック風な展開も備えている。要するに、つかみどころがない、やりたい音楽をみんなでやりました、というような音楽なのだ。

 彼らは、アルバムごとにメンバー・チェンジをしている。1972年のセカンド・アルバム「ホワット・ア・バンチ・オブ・スウィーティーズ」では、トゥインクが抜けて3人組になり、1973年のサード&ラスト・アルバムでは、ギタリストが交代してラリー・ウォーレスが戻ってきている。

 ラリーは、第1期ピンク・フェアリーズが自然消滅したあと、ピーター・バンクスの後釜としてブロドウィン・ピッグに参加して、そのバンドの解散後は1972年に、マイケル・シェンカーも在籍していたUFOに参加した。もちろんマイケルが参加する随分前である。

 ラリーはUFOをクビになるのだが、ボーカリストのフィル・モグがいつも飲酒運転していることを注意したためだと言われている。今から考えれば、至極真っ当なことで、逆にフィルの方が馘首されるべきだろう。時代とともに人の意識は変わることをよく表しているエピソードでもある。

 この3枚目のアルバム「キングズ・オブ・オブリヴィオン」は、彼らの最高傑作と呼ばれているもので、たぶんその基準は、ロックの持つ疾走感や焦燥感を備えていて、それがのちのパンク・ムーヴメントに大きな影響を与えているところからきているのだろう。

 アルバムのタイトルは、デヴィッド・ボウイの1971年の「ハンキー・ドゥリー」の中の曲"The Bewlay Brothers"の1節から引用されたもので、アルバム・ジャケットも当時のアヒルが飛んでいる装飾品のパロディだった。

 2002年のリマスター盤には4曲のボーナス・トラックが収められているが、オリジナルは7曲で構成されていて、1曲目の"City Kids"からノリのよいロックン・ロールを聞くことができる。ここで聞くことのできるラリーのギターは、テクニック的には普通で、特に聞くべきところはないが、曲と非常にマッチしているので、有名ギタリストたちとひけをとらない感じがする。Photo
 2曲目の"I Wish I was a Girl"は9分以上もある大作で、長い曲の割には聞きやすく、あっという間に終わってしまう。この曲や6曲目の"Chambermaid"などは、ロング・ドライヴに最適な曲の1つだろう。
 また3曲目の"When's the Fun Begin?"はイントロが長いミディアム調の曲で、ややサイケデリックな匂いを漂わせている。

 ところでラッセル・ハンターはドンドン、ドコドコ、ドラムを叩いていて、何となくキース・ムーンのようだし、ベース担当のダンカンもバンドの屋台骨を支えている。とても3人とは思えない演奏だ。完全インストゥルメンタルの"Raceway"を聞くと、そのことがよくわかると思う。まさにB級ハード・ロックの真骨頂だろう。

 ところで1992年版のポリドール国内盤(POCP-2186)では、曲順が裏ジャケットの表記と異なっている。このCDでは1曲目が"I Wish I was a Girl、"2曲目"Chambermaid"、3・4・5・7曲は表記通りで、6曲目にオリジナル盤では1曲目の"City Kids"が来ていた。

 これはひょっとしたら製盤プレスするときのミスではないだろうか。紙ジャケット盤などはオリジナル盤と同じ順番なので、この1992年バージョンは珍品かもしれない。中古市場で、将来うん十万円の価値が出てくることを期待しているのだった。(ちなみにこのブログでは、オリジナル順に曲紹介をしている)

 この後、ギタリストのラリーはモーターヘッドに一時的に参加したあと、プロデューサー業やソロ活動を行った。同じくポール・ルドルフは、ブライアン・イーノのアルバムに参加したり、ベーシストとしてホークウインドに参加したりした後は、地元カナダに戻り自転車屋のオーナーになった。

 またピンク・フェアリーズ自体は、たびたびリユニオンされていて、80年代や90年代にスタジオ・アルバムやライヴ・アルバムを発表している。

 とにかく70年代の初めに、たった3枚のオリジナル・アルバムしか残さなかったピンク・フェアリーズだが、その実績はのちのちまで影響力を及ぼした。その魅力と影響力が一番強かったアルバムが「キングズ・オブ・オブリヴィオン」なのは、間違いないだろう。

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2014年8月19日 (火)

ローン・スター

 中学生の時に、ギルバート・オサリバンの"Alone Again"という歌が流行っていて、その時に初めて"alone"という単語を知った。
 ところが"lone"という単語も同じような意味だということは、大人になるまで知らなかった。というか、今回登場するバンドのアルバムを聞くまでは知らなかった。"lone"は単なるスペル・ミスだと思っていた。

 今回登場するバンドは、イギリスの「ローン・スター」という名前である。日本語にすると、“孤独な星”という名前になるだろう。

 それでそっくりそのままのタイトルで、彼らのデビュー・アルバムが発表された。1976年のことだった。
 バンドの構成は、ツイン・リード・ギターにキーボード、ベースにドラムとリード・ボーカルという6人編成で、最初はイギリスのウェールズで活躍していたローカル・バンドだった。

 中心メンバーは、ボーカルのケニー・ドリスコールとギター担当のポール・チャップマン、ベース担当のピーター・フューリーの3人だった。

 ポール・チャップマンと聞けば、ロックに詳しい人にはわかると思うけれど、あのUFOに在籍していたギタリストのことだ。
 詳しく言うと、1977年のUFOの全米ツアーの途中に、元々のギタリストだったマイケル・シェンカーが疾走してしまい、急遽、代役に立てられたのがポールだった。

 ポールは、1974年に約半年間UFOに在籍してマイケル・シェンカーとツイン・リード・ギターを披露しているから、まるっきりの初めての経験というわけではなかったのだろうが、それにしてもいきなり声をかけられて、それに対応できるというのは、やはり大したものである。

 ところでこのポール・チャップマンというギタリストは、代役の声がかかることが多く、17歳の時にゲイリー・ムーアの代わりにスキッド・ロウに参加している。1971年頃のお話だ。やはり若い時から、それなりの才能豊かなギタリストだったのだろう。

 ちなみにポールの父親もギタリストで、あのデイヴ・エドモンズとは親戚だという。(ポールはいとこにあたるらしい)ポール自身もその影響を受けて、9歳からギターを弾き始めている。
 またボーカリストのケニーの父親もサックスやトランペットを演奏するミュージシャンだったようだ。

 それで彼らはバンド活動を始めるも、ポールがスキッド・ロウに移籍したので、新たなギタリストであるトニー・スミスを迎え入れて、ニュー・グループを結成した。

 一方でスキッド・ロウ加入後、体調を崩したポールは、またイギリスに戻ってピーターとともに活動を始めたのだが、「現象」を発表したばかりのUFOからツアー・メンバーとして声がかかり、そちらで約半年活動したあと、ケニーのいるローン・スターに加入したのである。1975年頃のお話だ。

 彼らのアルバム「孤独な星」のプロデューサーは、当時クィーンで名を馳せていたロイ・トーマス・ベイカーだった。クィーンのようなオペラティックなハーモニーや音を重ねたようなサウンド効果は聞かれないが、それでも随所随所にスペイシーでドラマティックな曲構成をとっている。やはりギタリストが2人とキーボーディストがバンドにいたから、音に厚みを重ねることができたのだろう。Photo
 何しろ1曲目がザ・ビートルズの"She Said She Said"である。しかも8分29秒もある。やはりこれは、プロデューサーの意向が強かったのだろうか。
 曲の途中にはキーボード・ソロがあるし、もちろんギター・ソロもあるのだが、ハード・ロック・バンドというよりも、まるでプログレッシヴ・ロック・バンドのようだ。そういえばイエスもザ・ビートルズの"Every Little Thing"のカバーをしていたような気がする。

 全体を通して聞くと、ちょっとバラバラで中途半端な印象を受けてしまった。せっかくのツイン・リード・ギターという強みを十分に発揮できていないと思うのである。
 2曲目"Lonely Soldierでも2分40秒過ぎに、爆撃のようなSEが加えられていて、逆に曲の盛り上がりを削いでいる気がしてしまう。

 ロックの持つ疾走感が味わえるのが、3曲目の"Flying in the Reel"で、こういう曲をもっと演奏してほしかった。逆に言えば、そういう良さがないところが、B級バンドとしての特質をよく表していると思える。

 ザ・ビートルズのカバー曲以外は、すべてケニーとトニー・スミスが作っている。たぶん歌詞はケニーで、作曲はトニーだろう。

 ギタリストが作った曲の割には、あまり目立つフレーズがない。逆にスペイシーなキーボードが目立つ"Spaceships"や"Illusions"など、やや複雑な曲構成を持つ曲が多くて、この辺もハード・ロック野郎には嫌われた原因になったのだろう。
 そういえば、何となくトッド・ラングレンの曲を聞いているような感じもしてきた。メロディアスでないトッド・ラングレンズ・ユートピアのようだ。

 また1976年という時代状況も、彼らに逆風をもたらしたに違いない。パンク・ロックの嵐が吹き荒れる直前でのハード・ロック、しかもややプログレッシヴな要素を持つ曲構成のバンドには、辛いものがあったと推測される。

 このアルバムで唯一ツイン・リード・ギターが目立っているのが"A New Day"だろう。この曲でのスライド・ギターともう1つのエレクトリック・ギターの掛け合いは、聞く価値があるかもしれない。

 アルバム後半は曲が連続していて、曲間がない。この辺の手腕はロイ・トーマス・ベイカーの得意とするところだろう。
 また最後の2曲"A Million Stars"と"Illusions"は3分少々と短い。"Illusions"の方は、シングル曲"She Said She Said"のBサイドになっている。

 このアルバムは全英チャートでは、47位を記録した。バンドは同じCBSレーベルのミュージシャンだったテッド・ニュージェントの前座として、全英ツアーに同行している。
 ところがこのツアーの途中で、ボーカリストのトニーと他のメンバーとの対立が生じてしまい、結局、トニーはバンドを脱退してしまった。

 代わりに当時20歳だった新人のジョン・スローマンを迎えて、セカンド・アルバム「炎の銀惑星」を翌年発表した。チャートでは36位を記録し、楽曲的には、こちらのアルバムの方が優れているといわれているが、自分はまだ未聴なので、何とも言えない。

 ただこの年には、メロディ・メイカー紙上でブライテスト・ホープ第5位に選出されているので、77年以降の方が人気があったのは間違いないだろう。
 ちなみにこの年のレディング・フェスティバルには、マイケル・シェンカーが彼らの陣中見舞いに訪れている。

 彼らは2枚のスタジオ・アルバムを残して解散してしまった。(最近では未発表だった3枚目のスタジオ・アルバムも発表されている!)

 新人ボーカリストだったジョン・スローマンは解散後、ゲイリー・ムーアのバンドやユーライア・ヒープの3代目ボーカリストとして活躍したし、ポール・チャップマンは再び、というか三度というか、UFOに参加した。

 もう一人のギタリストだったトニー・スミスはアメリカに渡り、“ライオン”というバンドを結成したが、間もなく脱退している。

 そしてオリジナル・ボーカリストだったケニー・ドリスコールは、1980年には短期間ながらゲイリー・ムーア・バンドに所属してライヴ盤を発表した。現在では地元のパブやライヴ・ハウスなどで歌っているようだ。

 もしローン・スターと同時代に自分がこのバンドのことを知っていたなら、その時"Lone"という単語も覚えただろう。でも知ることができなかったのは、残念ながら、やはり彼らがB級バンドだったということなのかもしれない。

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2014年8月14日 (木)

リトル・エンジェルス

 それにしても英国は日本よりも面積も人口も少ないのに、多くのミュージシャンや音楽のトレンドを輩出してきた。しかも英語圏ということもあるのだろうが、中にはロックやポピュラー・ミュージックの頂点に立つ個人やバンドも出てくるのだから、まったく大したものである。

 今回のB級バンドは、同じB級でも一味違って、それなりの成功を収めた人たちだ。“真夏の暑さを乗り切るB級ブリティッシュ・ハード・ロック・バンド”の第8弾には、リトル・エンジェルスが登場する。

 彼らは1990年代のハード・ロック/ヘヴィ・メタル不毛の時代に、成功を収めた数少ないバンドの1つでもあった。
 結成は1984年頃で、イギリスの東北部スカボローのローカル・バンドだった。中心人物はボーカル&ギターのトビー・ジェプソンとベーシストのマーク・プランケットだった。

 彼らはミスター・スラッドというバンド名で活躍していたが、ギタリストのブルース・ジョン・ディッキンソンとキーボーディストのジミー・ディッキンソンの有望な兄弟が加入してきて、バンド名をリトル・エンジェルスに変え、全国的な成功を目指すようになった。

 ちなみにギタリストのブルースは、どこかのバンドのボーカリストと同姓同名だったので、間違われないように、ミドル・ネームのジョンをいつも入れていたそうだ。

 最初は、地元のレーベル会社と契約を結び、地道に活動を続けていった。やがては彼らはポリドール・レコードと契約を結ぶのだが、それが1988年か89年の頃だった。

 リトル・エンジェルスは3枚のアルバムを90年代に残している。彼らの成功の原因はいくつか考えられる。
①曲が分かりやすいということ…基本的に70年代のハード・ロックを90年代に再構築したような音楽を提供してくれている。妙に小手先だけのテクニックに走ることなく、堂々としたハード・ロックになっている。

②演奏がしっかりしている…プロなのだから当たり前なのだが、演奏が上手い。しっかりしたタイトなリズム陣と、ディッキンソン兄弟のプレイが素晴らしい。特にギタリストのブルース・ディッキンソンの速弾きはスリリングで、緩急の付け方が上手く、この時期のイギリスのギタリストでは5本の指に入るのではないだろうか。
 またドラマーだったマイケル・リーは、後にザ・カルトやペイジ&プラントとともにライヴやレコーディングに参加している。
 

③アメリカでの成功を意識しているのか、外部ライターとの共作が目立つ…例えば、レインボーの曲で有名になったラス・バラードやブライアン・アダムスやエアロスミスと共作したジム・ヴァランスと一緒に曲を書いている。だから曲によってはメロディアスで覚えやすい。

④ホーン・セクションが付随している…当時の(そして今も)ロック・バンドとしては例を見ないのだが、このバンドには“ビッグ・バッド・ホーンズ”という名前の3人組ホーン・セクションがくっついていて、レコーディングだけでなく、ライヴのステージにも登場して、時にファンキーなセッションを行っていた。日常的にいつも一緒に行動するホーン・セクションが存在するハード・ロック・バンドというのは、珍しいものだった。

 そんな特徴を備えていたリトル・エンジェルスである。彼らは90年代に、イギリスのシングル・チャートの40位までに12曲を送り込み、1枚のアルバムを全英No.1に押し上げた。

 また、ボン・ジョヴィやヴァン・ヘイレンなどとイギリス・ツアーを行い、ロイヤル・アルバート・ホールやハマースミス・オデオン(今はハマースミス・アポロ)ではヘッドライナーとして凱旋公演を行っている。

 彼らが1991年に発表した「ヤング・ゴッズ」は、全英アルバム・チャートの17位を記録したが、まさに昇り竜状態だった彼らの意気込みや情熱が伝わってきそうだ。Photo 特に3曲目の"Young Gods"は、スコティッシュなトラッド色も織り込んだミディアム・テンポの曲で、徐々に盛り上がっていく構成が素晴らしいし、4曲目の"I Ain't Gonna Cry"はブルースの演奏する泣きのギターと途中のナイロン・ギターがカッコいい。

 この1曲のためにこのアルバムを購入しても、損はしないだろう。冗談ではなく、90年代を代表するハード・ロック・バンドのバラードだと思っている。

 これらの曲以外でも、ファンキーなホーンが炸裂する"The Wildside of Life"やディッキンソン兄弟が活躍する"Product of the Working Class"、ラス・バラードとの共作の"Love is a Gun"など聞きどころは満載だ。

 また、このアルバムのジャケットにも注目してほしい。よく見るとジョン・レノンや「ロウ」時代のデヴィッド・ボウイのポスターが飾られているし、裏ジャケットにはジム・モリソンにジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス?やフランク・ザッパ?などの写真もあった。まさに70年代的な背景や発想で作られたジャケットであり、音楽だったのだ。

 1993年には「ジャム」というアルバムを発表して、見事全英No.1を獲得した彼らだったが、残念ながらアメリカでの成功は望まれず、メンバー間の対立も生じて、1994年に解散してしまった。

 その後、彼らはそれぞれ活動を始めたのだが、元ドラマーだったマイケル・リーが癲癇発作で2008年に39歳の若さで亡くなり、その葬儀をきっかけに再び集まろうということになり、2012年から1年間だけ再結成されて、いくつかのフェスに参加している。残念ながら再々結成の予定はないようだ。Little_angels_2012
 とにかく70年代のハード・ロックを90年代に甦らせようとして活動を続けたリトル・エンジェルスだった。ただ彼らはイギリス国内だけでなく、アメリカでの成功も目指そうとし、伝統的なブリティッシュ・ロックよりもカラッと爽やかなアメリカン・ハード・ロックを志向していったのが、失敗の一因かもしれない。

 ボーカリストのトビーは、まだ47歳だ。ミック・ジャガーに比べれば、まだまだ若造である。成功するとか失敗するとかいうことを抜きにして、もう一度自分のやりたい音楽を極めてほしいものである。これほどの素晴らしいアルバムを残したのだから。

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2014年8月 9日 (土)

ライオンズハート

 “真夏を乗り切るB級ブリティッシュ・ハード・ロック・バンド特集”の第7弾である。今回から、このシリーズのクライマックスともいうべきB級の真打ちがいよいよ登場してくる。

 最初はライオンズハートだ。日本では国内盤も出るほど有名で人気もあったようなのだが、残念ながら本国ではほとんど日の目を見ることもなく消えていったバンドである。

 なぜか自分の手元には、彼らのデビュー・アルバム「獅子の咆哮」がある。別にB級バンドのアルバムを集めようと思ったわけではないのだが、それほど90年代の日本では需要があったということだろう。

 このバンドに興味があったのは、ギタリスト&ベーシストのマーク&スティーヴのオワーズ兄弟の存在があったからだ。この兄弟、実は双子でかなりのテクニシャンでもあった。

 この双子とボーカリストのスティーヴ・グリメットの3人が中心となって結成されたのが、ライオンズハートだった。
 なんでライオンズハートなのかというと、この3人が同じ獅子座だったからだ。獅子座3人が集まってバンドの中心になっているということで、ライオンズハートになったという。46968971_o2
 このオワーズ兄弟は、1988年にはアフター・アワーズというバンドで「テイク・オフ」というアルバムを出しているが、アルバム発表前後に彼らは脱退してしまったので、クレジットには名前がない。
 その後、彼らはタッチというバンドで活動していたが、その時にボーカリストのスティーヴ・グリメットと出会ったらしい。

 一方、スティーヴの方はというと、メドゥーサというバンドでプロ・デビューした後に、グレム・リーパーに加入した。1981年か82年ごろのお話である。

 このバンドは、このB級バンド特集に出てもおかしくないほどメタル道では有名らしく、83年のデビュー・アルバム「スィー・ユー・イン・ヘル」は、アメリカのMTVでヘヴィロテされ、ビルボードのチャートで73位を記録している。

 また1985年には、ディープ・パープルやスコーピオンズ、ボン・ジョヴィなどと、テキサス・ジャムに参加して2万人以上の前でプレイするなど、まさに全盛期を迎えていた。
 ところが良いことは長く続かないもので、バンドは新たにRCAレコードと契約をするのだが、その契約を無効として訴えたのが元のレコード会社だった。ここでバンドと新旧のレコード会社との間で裁判合戦が始まったのである。

 そんな状況に業を煮やしたスティーヴは、RCAのサポートも無くなったせいか、バンドを脱退して、1988年にオンスロートに参加した。
 翌年に発表したアルバム「イン・サーチ・オブ・サニティ」は、このバンドで唯一イギリスのチャートに登場していて、46位を記録している。ただ、この結果に満足しなかったスティーヴはバンドを脱退して、新たなバンドの結成を目指していった。

 ライオンズハートは1990年に結成され、「獅子の咆哮」はその2年後に発表された。最初にも述べたが、中心となる3人はそれなりの実績を持っていたので、アルバムは十分安心して聞くことができるものだった。Photo
 とにかくスティーヴ・グリメットのボーカルは、素晴らしい。幾多のバンドを渡り歩いたせいか、経験値もあるし、パワフルで情感豊かなところもある。
 たとえて言えば、デヴィッド・カヴァーディルを一回り大きくしたような声量の豊かさと、ロバート・プラントを思わせる金属的なシャウトを聞かせてくれる。

 また曲はギタリストのマークが書いていて、90年代当時のヘヴィ・メタルの王道を歩むようなサウンドだ。このギタリストのマーク・オワーズは、素晴らしい速弾きギタリストだ。間奏でのプレイはメチャクチャ速い。エドワード・ヴァン・ヘイレンやイングウェイ・マルムスティーンと比較しても決してひけは取らないと思う。

 日本で彼らが人気を得たのも、スティーヴ・グリメットのボーカルとマーク・オワーズの才能があったからだろう。ひょっとしたら第2のペイジ&プラントという期待もあったのかもしれない。

 またギターはヘヴィ・メタルだが、いくつかの曲にはブリティッシュ・ロックの伝統的なブルージィーで情感に訴えるようなものも含まれていて、日本人の琴線に触れたのではないだろうか。
 たとえば"Can't Believe"は、シングル・カットされてもおかしくないほどメロディアスだし、逆に7分近い"Portrait"は、キーボードも活躍するなど、ドラマティックな構成力を備えている。

 ただ残念なことに、彼らはこの1作で終わってしまった。オワーズ兄弟が脱退してしまったのだ。恐らくは伝統的なブリティッシュ・ハード・ロック路線を歩みたいボーカリストと、メタル道をもっと極めたいギタリストで志向する音楽が違っていったのだろう。

 それがわかるのが11曲目に収められている"Going Down"だろう。ジェフ・ベック・グループも演奏したドン・ニックスの曲だが、ギターが狂ったように暴れていて、ボーカルの存在を消している。そこには感情や情念の宿る場所はない。ヘヴィ・メタルで料理された"Going Down"だ。70年代のハード・ロックを経験した人には、この曲がこのバンドやアルバムの試金石になるだろう。

 3人の獅子座のうち2人が去っていったから、ライオンズハートという呼び名は、ふさわしくはないはずだが、セカンド・アルバムや来日公演などは昔の名前で出ていた。

 ボーカリストのスティーヴは、今では自分自身のバンドとしてスティーヴ・グリメット・バンドを結成して活動している。

 オワーズ兄弟は、2008年にザ・サイキックスというバンドを結成して、2枚ほどアルバムを発表している。音楽路線はライオンズハートの延長線上にあり、弟のスティーヴの方がボーカルを兼任しているようだ。

 基本的にライオンズハートは、伝統的ブリティッシュ・ロックを希求するスティーヴ・グリメットとメタル道を邁進したいマーク・オワーズがミスマッチしていたバンドだった。残念ながら彼らの咆哮は日本だけで終わってしまったのである。
 

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2014年8月 4日 (月)

FM (U.K.)

 さて今月も、“真夏の暑さを忘れるB級ブリティッシュ・ハード・ロック特集”の続きである。今までは名前もある程度は知られていたバンドも出てきたが、これからはまさに真骨頂というか、むしろC級に近いようなバンドも出てくるだろう。我慢してつきあってもらいたいと思う。

 それで8月最初のバンドは、FMである。以前にもカナディアン・ロックのカテゴリーで、同名バンドを紹介したが、あれはカナダのプログレッシヴ・ロック・バンドだった。

 今回紹介するFMは、カナディアン・ロック・バンドとは同名異人というか、伝統的なブリティッシュ・ハード・ロックを披露していたバンドのことだ。
 結成は1984年のロンドンで、ダイヤモンドヘッドのベーシストだったマーヴ・ゴールドワーシーは、サムソンに加入してドラマーのピート・ジャップと意気投合して、2人でバンド活動を始めた。

 それにワイルドライフというバンドにいたスティーヴ&クリスのオーヴァーランド兄弟とキーボーディストが加わり、5人組として1986年にデビュー・アルバム「インディスクリート」を発表した。
 

 1984年といえば、“ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィー・メタル”のブームはすでに過ぎ去り、多くのバンドは生き残りをかけて苦労していた。

 そんな中でバンドを結成したのだから、相当の覚悟をしていたのだと思う。最初のアルバムと1989年の2枚目のアルバム「タフ・イット・アウト」はハード・ロックというよりも、ハードなポップ・ソングを演奏するバンドだったようで、イギリスよりもアメリカのマーケットを意識した音作りだった。

 当時はMTVの影響のせいか、ボン・ジョヴィやアメリカ西海岸のへヴィ・メタル・バンド(いわゆるLAメタル)が流行っていて、FMもその後を追うかのような活動を行っていた。
 だからフォーリナーやボン・ジョヴィのヨーロッパやイギリス・ツアーの前座を務めるなど、彼らも頑張ったようだが、残念ながら良い結果に結び付かなかった。

 そのせいか、オーヴァーランド兄弟の一人であるギタリストのクリスとキーボーディストは脱退してしまい、代わりに以前一時的に一緒に活動していたアンディ・バーネットが加わって、4人組として再出発した。

 残ったオーヴァーランド兄弟の一人のスティーヴは、元バッド・カンパニーのドラマーだったサイモン・カークが結成したバンド、ワイルドライフのボーカリストだった。
 おそらくそのせいだと思うのだが、彼らは再出発するにあたって、売れ線狙いではなく、イギリスの伝統的なブルーズ・ロック・バンドをお手本として活動を始めた。

 だから1991年の3枚目のアルバム「テイキン・イット・トゥ・ザ・ストリーツ」から、フリーやバッド・カンパニーがヘヴィ・メタルをやったらこうなりますよ、というような音楽性に変わっていった。

 それが結実したのが1992年の4枚目のアルバム「アフロディジアック」だろう。ここで聞かれるブルージィーでソウルフルなボーカルと、メタリックなギター・リフと速弾きは、それまでの3枚のアルバムを大きく凌駕するようなものになっていた。Fm1
 1曲目の"Breathe Fire"こそ、キーボードやホーンが目立っているが、次の"Blood and Gasoline"からは、スティーヴのボーカルはまるでデヴィッド・カヴァーディルのように激しくシャウトし、アンディのギターは要所要所でキレまくっている。

 特に"All or Nothing"のギター・ソロは名演だろう。短いながらもゲイリー・ムーア張りの速弾きを披露している。さらに4曲目の"Closer to Heaven"は名バラードだ。この曲のためにこのアルバムを購入しても、決して損はしないと請け合う。こんな曲を書けて、演奏できるのだから、このFMというバンドは、もっと評価されていいと思う。それにしても、このスティーヴという人は、こんなに歌が上手だったとは思わなかった。

 それ以外にも名曲が多く含まれていて、このアルバムは彼らの代表作になるだけではなく、90年代初期のブリティッシュ・ハード・ロックを代表する1枚だと思っている。

 このアルバムの出来に気をよくしたメンバーは、この年の秋から冬にかけて、イギリス中をアコースティック・ライヴして回ったのだが、小さなクラブのせいか、アットホームな雰囲気の中で、尚且つ彼ら自身のルーツが分かる選曲をしていた。Fm3
 何しろ1曲目がバドカンの"Seagull"である。この曲に関してはほとんど原曲と同じで、アドリブは加えられていない。他にはフリートウッド・マックの"Need Your Love So Bad"、ジョー ・ウォルシュ"Rocky Mountain Way"、ビートルズの"Get Back"、スティーヴィー・ワンダーの"Superstition"、マーヴィン・ゲイ"Heard it Through the Grapevine"、ウィルソン・ピケット"Midnight Hour"、出ましたフリーの"Little Bit of Love"、さらにはスティーヴ・ミラー・バンドの"Rockin' Me"とZZトップの"Tush"まで、ブリティッシュ・ロックのクラシックよりは、アメリカン・ロックやソウル・ミュージックの大御所のカバーが目立っていた。結構、守備範囲は広いようだ。

 このアルバムは、最初は日本だけの企画盤だったのだが、あまりにも好評だったためか、1993年には本国イギリスやヨーロッパでも発売された。

 この後彼らはキーボード奏者の必要性を感じ、元ミッドナイト・ブルーやUFOのサポート奏者だったジェム・ディヴィスを正式メンバーに迎えた。そして、5人組として発表したアルバムが1995年の「デッド・マンズ・シューズ」だった。Fm2
 スティーヴのボーカルは、相変わらずブルージィーだし、アンディのギターもアコースティックからボトルネック奏法まで、歌に対して器用に対応している。

 1曲目の"Nobody's Fool"ではアンディのスライド・ギターがいい味を出しているし、2曲目の"Ain't No Cure for Love"では、ボン・ジョヴィのリッチー・サンボラのように、ボーカリストを立たせながら、しっかりと自己主張している。

 新加入のジェムのキーボード、特にハモンド・アルガンのプレイが目立っているのが、スモーキー・ロビンソンがレア・アースというバンドに書いた曲"Get Ready"だ。ただ、あくまでもFMは、ギター・バンドなので、全体的にはギターの方が目立ってはいるようだが…

 これら以外にも、アコースティック・ギターを基調としながらハードなギター・ソロと美しいハーモニーが目立つ"Sister"や乾いた空気を帯びたバラード"You're the One"など良い曲は多い。

 ただこのアルバムは、伝統的なブリティッシュ・ロックというよりも、ヒット狙いのアメリカン・ロックを志向しているように聞こえた。前作の「アフロデジィアック」にあったような湿ったブルージィーな感覚は消えていて、耳触りの良いメロディやコーラスが強調されていたからだ。ボン・ジョヴィや後期のヴァン・ヘイレン、ラットの類が好きな人なら問題ないだろうが、自分はいかがなものかなと思ってしまった。

 やはり自分たちのルーツを忘れてはならないし、自分たちを育ててくれた人たちや世間を意識しないといけなかったのではないかと思っている。
 彼らはもともとアメリカ志向だったのを、それでは売れないし受け入れられなかったので、3枚目からブリティッシュ・ロックに回帰したのである。それをまた売れ始めたからといって、アメリカ志向になってもいいものだろうか。

 このアルバムの発表後、ボーカルのスティーヴはソロ活動を始めた。それを契機に、他のメンバーもソロや他のバンドでの活動を行うようになり、やがてバンドは自然消滅してしまった。メンバーそれぞれがそれなりの力量を持っていたから、そういうソロ活動も可能だったのだろうが、それにしても勿体ない事をしたものだ。

 ただ日本では彼らの人気はそれなりに高く、解散後の1996年には、日本限定発売ということで、1989年の“タフ・イッツ・アウト”ツアーの模様も収めた2枚組変則盤「パラフェルナーリア」を出した。日本のファンに応えると同時に、商業的な思惑もあったのだろう。

 アコースティック・ライヴを聞けば分かるように、確かに彼らのルーツにはポール・ロジャーズの影もあれば、マーヴィン・ゲイやウィルソン・ピケットのようなソウル・ミュージックの影響もある。だからどうしてもアメリカン・ロックを志向してしまうのだろう。

 ただ彼らは、2007年にフェスで再演を果たし、その時の観衆の反応のおかげで再活動を決めたようだった。その後はギタリストが交代するものの、シングルやアルバムを発表しては、主にヨーロッパを中心にライヴ活動も行っている。Fm4
 今後は自分たちの音にもっと自覚的になりながら、さらにブリティッシュ・ロック道を極めていってほしいものだ。彼らは、B級はB級でも歴史に残るB級ブリティッシュ・ロック・バンドだと思っているからだ。
 

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