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2014年8月24日 (日)

ピンク・フェアリーズ

 “真夏の暑さを忘れるブリティッシュ・ハード・ロック”編の第10弾だが、ほとんどマンネリ化しつつあるけれども、ここまで来たのだから、せめて月末までは続けていこうと思っている。でも、ひょっとしたら来月からは“残暑を忘れるブリティッシュ・ハード・ロック”編になるかもしれないなあ。相変わらず芸のないブログである。

 それで今回は少し昔に戻って、1970年代のアンダーグラウンド・シーンで話題になったバンド、ピンク・フェアリーズに登場してもらうことにした。

 最近になって彼らの残した3枚のスタジオ・アルバムが紙ジャケット化されたが、21世紀の今になっても、彼らの人気というか、話題は続いているようだ。
 名前だけ聞くと、何となく女、子ども向けのポップ・バンドや今流行のビジュアル系バンドのように思えるが、実際は写真にあるように、汗も飛び散る男だけのむさ苦しいバンドだった。Pinkfairies
 彼らを語るには1960年代末のロンドンまで話を戻さなければならない。オリジナルのピンク・フェアリーズは、1969年の終わりに結成されたからだ。

 メンバーは、デヴィアンツというバンドにいたボーカル担当のミック・ファレンと、ティラノザウルス・レックスにいたベーシストのスティーヴ・トゥック、スティーヴ・ハウもいたトゥモロウのドラマーだったトゥインク、そしてジ・エンタイア・スー・ネイションというアングラ・バンドのギタリストだったラリー・ウォーレスの4人だった。

 ただバンド名は、その都度変わることがあり、彼らはピンク・フェアリーズと名乗ったり、シャグラットと言うこともあった。

 バンド名は、トゥインクがいつも着ていたピンクのジャケットと、彼が以前結成していたバンドのザ・フェアリーズに因んだものというのが定説になっている。ちなみにトゥインクは、ザ・フェアリーズからトゥモロウ、プリティ・シングスへとバンドを渡り歩いている。何となくアングラ臭のするバンドばかりだ。

 それで話を元に戻すと、オリジナルのピンク・フェアリーズのメンバーだったミック・ファレンはデヴィアンツのリーダーでもあったのだが、彼がトゥインクのソロ・アルバム「スィンク・ピンク」のレコーディングに他のメンバーを呼んで参加させた。

 この共演がきっかけとなって、ツイン・ドラムスの4人組バンドである第2期ピンク・フェアリーズが誕生することとなった。1970年の初めの頃のお話である。
 この時のメンバーは、トゥインクと同じドラマーのラッセル・ハンター、カナダ人ギタリストのポール・ルドルフ、ベーシストのダンカン・サンダースだった。

 当時のアンダーグラウンド・シーンでは、メンバーの移動が流動的で、よほど売れているバンド以外は、契約がはっきりしていなかったせいか、昨日の友が今日は違うバンドメイトということは、日常茶飯事だったようだ。

 とにかく彼らは、翌年、シングルとアルバム「ネヴァー・ネヴァー・ランド」を発表した。2
 このアルバムはジャケットが表しているように、何となく牧歌的でファンタジー色もある。1曲目の"Do it"のようなハードロック的な曲もあれば、"Heavenly Man"のように一転してポップな曲もある。
 また、10分以上もある"Uncle Harry's Last Freak-Out"はサイケデリックでもあり、プログレッシヴ・ロック風な展開も備えている。要するに、つかみどころがない、やりたい音楽をみんなでやりました、というような音楽なのだ。

 彼らは、アルバムごとにメンバー・チェンジをしている。1972年のセカンド・アルバム「ホワット・ア・バンチ・オブ・スウィーティーズ」では、トゥインクが抜けて3人組になり、1973年のサード&ラスト・アルバムでは、ギタリストが交代してラリー・ウォーレスが戻ってきている。

 ラリーは、第1期ピンク・フェアリーズが自然消滅したあと、ピーター・バンクスの後釜としてブロドウィン・ピッグに参加して、そのバンドの解散後は1972年に、マイケル・シェンカーも在籍していたUFOに参加した。もちろんマイケルが参加する随分前である。

 ラリーはUFOをクビになるのだが、ボーカリストのフィル・モグがいつも飲酒運転していることを注意したためだと言われている。今から考えれば、至極真っ当なことで、逆にフィルの方が馘首されるべきだろう。時代とともに人の意識は変わることをよく表しているエピソードでもある。

 この3枚目のアルバム「キングズ・オブ・オブリヴィオン」は、彼らの最高傑作と呼ばれているもので、たぶんその基準は、ロックの持つ疾走感や焦燥感を備えていて、それがのちのパンク・ムーヴメントに大きな影響を与えているところからきているのだろう。

 アルバムのタイトルは、デヴィッド・ボウイの1971年の「ハンキー・ドゥリー」の中の曲"The Bewlay Brothers"の1節から引用されたもので、アルバム・ジャケットも当時のアヒルが飛んでいる装飾品のパロディだった。

 2002年のリマスター盤には4曲のボーナス・トラックが収められているが、オリジナルは7曲で構成されていて、1曲目の"City Kids"からノリのよいロックン・ロールを聞くことができる。ここで聞くことのできるラリーのギターは、テクニック的には普通で、特に聞くべきところはないが、曲と非常にマッチしているので、有名ギタリストたちとひけをとらない感じがする。Photo
 2曲目の"I Wish I was a Girl"は9分以上もある大作で、長い曲の割には聞きやすく、あっという間に終わってしまう。この曲や6曲目の"Chambermaid"などは、ロング・ドライヴに最適な曲の1つだろう。
 また3曲目の"When's the Fun Begin?"はイントロが長いミディアム調の曲で、ややサイケデリックな匂いを漂わせている。

 ところでラッセル・ハンターはドンドン、ドコドコ、ドラムを叩いていて、何となくキース・ムーンのようだし、ベース担当のダンカンもバンドの屋台骨を支えている。とても3人とは思えない演奏だ。完全インストゥルメンタルの"Raceway"を聞くと、そのことがよくわかると思う。まさにB級ハード・ロックの真骨頂だろう。

 ところで1992年版のポリドール国内盤(POCP-2186)では、曲順が裏ジャケットの表記と異なっている。このCDでは1曲目が"I Wish I was a Girl、"2曲目"Chambermaid"、3・4・5・7曲は表記通りで、6曲目にオリジナル盤では1曲目の"City Kids"が来ていた。

 これはひょっとしたら製盤プレスするときのミスではないだろうか。紙ジャケット盤などはオリジナル盤と同じ順番なので、この1992年バージョンは珍品かもしれない。中古市場で、将来うん十万円の価値が出てくることを期待しているのだった。(ちなみにこのブログでは、オリジナル順に曲紹介をしている)

 この後、ギタリストのラリーはモーターヘッドに一時的に参加したあと、プロデューサー業やソロ活動を行った。同じくポール・ルドルフは、ブライアン・イーノのアルバムに参加したり、ベーシストとしてホークウインドに参加したりした後は、地元カナダに戻り自転車屋のオーナーになった。

 またピンク・フェアリーズ自体は、たびたびリユニオンされていて、80年代や90年代にスタジオ・アルバムやライヴ・アルバムを発表している。

 とにかく70年代の初めに、たった3枚のオリジナル・アルバムしか残さなかったピンク・フェアリーズだが、その実績はのちのちまで影響力を及ぼした。その魅力と影響力が一番強かったアルバムが「キングズ・オブ・オブリヴィオン」なのは、間違いないだろう。


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