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2014年8月29日 (金)

テン

 さていよいよ8月も押し詰まってきた。最近は、日中は確かに暑いものの、朝夕はしのぎやすくなってきたようだ。季節は確実に移ってきている。

 それで“真夏のB級ブリティッシュ・ハード・ロック”特集もクライマックスを迎えてきた。第11弾の今回は、90年代からのブリティッシュ・ロック界を牽引してきたテンの登場である。

 このテンというバンド、カタカナで書けば“テン”だが、外国では“Ten”もしくは“Ⅹ”と表記されているようだ。
 基本的にこのバンドは、ボーカリストであるゲイリー・ヒューズという人のワンマン・バンドで、初期の頃は、彼とギタリストのヴィニー・バーンズ、ドラマーのグレッグ・モーガンの3人が中心となって活動していた。

 自分は90年代のハード/ヘヴィ・メタル・ロックには疎くて、ゲイリー・ヒューズと言われても誰のことかさっぱりわからなかった。それは元ディープ・パープルのグレン・ヒューズのことだろうと、勝手に判断していた。

 ゲイリーは1967年7月5日生まれだから、今年で47歳になった。イギリスはマンチェスター生まれで、9歳頃ギターを手にしたことから子どもの頃から音楽に興味を持ったようだ。
 音楽系の大学でクラシック・ギターの学位を取得したあと、イーグルスの美しいハーモニーに惹かれて、プロを目指すようになったという。

 その後はホワイトスネイクやディープ・パープルなどの70年代のハード・ロックの洗礼を浴びて、ハード・ロックを目指すようになった。
 1989年に、初めてのソロ・アルバムをノルウェーのレコード会社から発表した。たぶんイギリスでは契約ができなかったのだろう。ただこのアルバムは、のちの1992年にイギリスのクリサリス・レコードから「ストレングス・オブ・ハート」というタイトルで売り出されている。

 彼は、1993年にもソロ・アルバムを発表しているが、次のソロ・アルバム用にレコーディングしているときに、もう少しハードな要素が欲しいということで、かねてより知り合いだったギタリストに声をかけた。それがヴィニー・バーンズだった。

 このヴィニー・バーンズという人も、当時のハード・ロック界では有名だったようだが、自分は全く知らなかった。きっとヴィニー・ヴィンセントの間違いか、彼の変名だろうと勝手に思っていた。

 ヴィニーは1965年4月4日生まれだから、今年で49歳。イギリスのオールダム出身で、10歳の頃からギターを手にし、音楽活動を始めようと思っていたようだ。
 1985年、20歳になったのを切っ掛けに、元シン・リジ―のツアー・キーボーディストだったダーレン・ワートンとともにデアを結成して、1988年にはA&Mレコードよりデビュー・アルバム「アウト・オブ・サイレンス」を発表した。

 デアはゲイリー・ムーアやヨーロッパ(バンド名の方)のツアーに同行して、そのオープニング・アクトを務めていたが、1991年にセカンド・アルバム「ブラッド・フロム・ストーン」を発表したあと、2人は仲違いをしてしまい、ヴィニーはバンドを脱退してしまった。
 彼らの2枚のアルバムは、当時日本でも販売され、話題になったそうだが、自分は全く知らなかった。当時はブリティッシュよりもアメリカン・ロックの方に関心が向いていた気がする。

 そんなことはともかく、デアを脱退したヴィニーは、エイジアの「アクア」ツアーに抜擢されて、日本やヨーロッパをまわった後、今度はウルトラボックスに参加して、アルバム制作やライヴ公演に携わっている。こうやってみると、なかなか器用で上手なギタリストのようだ。

 もともとゲイリーとヴィニーは、1988年頃から知り合いだったようで、その時は別々のバンドだったが、いつかは一緒に活動できるといいねというような話はしていたようだった。
 それでゲイリーは、自分のソロ・アルバムに彼の持っている力を借りようとして声をかけ、それがバンド活動へと発展していったのである。

 彼らのデビュー・アルバム「Ⅹ」は1996年に発表された。このアルバムにクレジットされているのは、ゲイリーとヴィニー、ドラムス担当のグレッグ・モーガンの3人で、残りのメンバーはサポート・ミュージシャンのようだ。2
 ちなみにドラマーのグレッグは、1970年7月5日生まれの44歳。8歳頃からドラムをプレイし始め、1990年にドラム・コンテストでなぜかヴィニーと出会い、デアのセカンド・アルバムに参加した。デア脱退後は、フュージョン系のバンドで活動していたという。テンに加入したのもヴィニーの声掛けがあったからだろう。

 それでデビュー・アルバム「テン」を聞いた印象では、ハード・ロックというよりは、ハードなロック・アルバムという感じだった。元々はゲイリーのソロ・アルバム用に作った曲ばかりだったから、ソング・オリエンティッドな作りになっていても当然だろう。

 実際、全10曲の中でゲイリーとヴィニーの共作は1曲目のインストゥルメンタルの部分である"The Crusades"だけしかなく、残りはすべてゲイリーの作詞作曲になっている。

 ただヴィニーの貢献度は高く、アコースティック・ギターでの抒情性や、バラードでの泣きのギター、疾走感のある速弾きなど、聞きどころは多い。

 それにゲイリーのやや湿ったブルージーなシンギング・スタイルとの相性は抜群で、ゲイリーの歌のうまさを引き立てる役回りも上手にこなしている。さすがエイジアからウルトラボックスまで、幅広く器用に請け負ったことだけはあると思う。

 もう少しだけこのデビュー・アルバムのことについて触れておくと、1曲目のインストゥルメンタル"The Crusades"ではヴィニーのエフェクティヴなギターが、チェロやビオラなどのストリングスと絡み合って、これから始まる楽曲を期待させてくれる。

 また2曲目の"After the Love Has Gone"は、ヴァン・ヘイレンをブリティッシュぽく変化させたような曲で、テクニカルなギターと売れ線狙いの美しいメロディが、ミドルテンポのリズムに乗って空中に漂っているようだ。

 続く"Yesterday Lies in the Flames"は涙腺も切れそうな泣きのバラードで、ドラマティックな曲仕立てになっている。
 一方で"Stay With Me"という曲では、マイナー調のアコースティック・ギターから一気にハードな展開に移り、コーラス部分がボン・ジョヴィ化している。

 よく考えれば、このアルバム、捨て曲なしの内容になっていて、しかもどの曲もメロディアスで印象深い。"Close Your Eyes and Dream"はアメリカン・ハード・ポップだし、"Eyes of a Child"では、それこそイーグルスも真っ青なハーモニーを聞くことができる。Photo
 今となって考えると、“メロディアス・ブリティッシュ・ハード”というジャンルを作れば、全くそれにマッチする音楽だろう。(もちろんそんな分野はないけれども…)
 あるいはボン・ジョヴィやヴァン・ヘイレンに対するブリティッシュ・ロックからの回答と言ってもおかしくはなかったはずだ。

 彼らは日本でまず人気が出て、その後でイギリスやヨーロッパでも売れるようになった。アルバムも着実に発表していき、1998年にはヨーロッパ・ツアーを収録した2枚組のライヴ・アルバムも出している。

 2000年にはキーボード担当に、あのドン・エイリーを迎えてアルバム「バビロン」を発表したが、彼はこの1作にしか参加していない。

 2001年には「ファー・ビヨンド・ザ・ワールド」を発表したが、このアルバムを最後にゲイリーを支えていたヴィニー・バーンズが脱退してしまった。音楽的な相違ということだが、ゲイリーにしてみれば、マンネリ化を避けるためにはよかったかもしれない。

 逆にヴィニーにしてみれば、もっと自分の活躍するところを発揮したかったに違いない。曲はゲイリーが書いていて、ヴィニーが関与するところはほとんどなかった。彼は曲に彩りを添えるギタリストの役回りしか与えられずに、そのことが脱退の大きな理由を占めていたのではないだろうか。

 その後、バンドは、ますますゲイリーのワンマン・バンド化してしまっている。ギタリストは3人入れ替わっているし、キーボーディストも2人は替わっている。それでも2012年時点での最新アルバム「ヘレシー・アンド・クリード」は全英チャートで30位を記録しているから、本国でも根強い人気はあるようだ。

 今となっては、果たしてハード・ロック・バンドと呼んでいいのかどうか疑問だが、ブリティッシュ・ハード・ロックの流れを絶やさずに、地道に牽引してきたバンドであることは、間違いないだろう。これからも“B級ブリティッシュ・ハード・ロック・バンド”の鑑として頑張ってほしいものである。


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