« プレイング・マンティス | トップページ | メコン・デルタ »

2014年9月18日 (木)

スプーキー・トゥース

 さて“残暑を乗り切るB級ブリティッシュ・ハード・ロック”の第4弾だが、秋分の日も近いということで、今回がいよいよ最終回になってしまった。
 実際、この夏はずっとブリティッシュ・ハード・ロックもしくはヘヴィ・メタルのバンドを紹介してきた気がする。

 それで90年代から80年代と、時代を遡ってきたので、今回はさらにその昔の60年代から70年代にかけて活躍したバンドを登場させようと思う。その名をスプーキー・トゥースという。
 彼らは1967年から1974年の7年間に8枚のスタジオ・アルバムを残したバンドで、当時の新興レーベルだったアイランド・レコードが強力にプッシュしていたバンドだった。

3 

 自分がこのバンドのことを知ったのは、元メンバーだったギタリストのミック・ジョーンズがフォーリナーを結成した時で、それから聞き始めたのだが、ミックは後期のメンバーで、そんなに活躍していなかったことを知って、残念な思いをしたことがある。

 このバンドもメンバー・チェンジが多くて、どの時期がベストの時代なのかがよくわからなかった。基本はR&Bを基調としたハード・ロックなのだが、時代が時代なので、ややサイケデリックなところもある。同じレーベル・メイトだったトラフィックのような感じと思えば、わかりやすいと思う。

 それにギター・バンドではなく、キーボードとピアノが中心のバンドだったから、よりサイケ色は出しやすかったのだろう。彼らは先行していた人気バンドのプロコル・ハルムをライバル視していたようで、彼らのバンド形態を模したところもあった。

 逆に、先ほどのミック・ジョーンズではないが、このバンドから旅立った人の方が有名になった場合が多くて、彼を始め、全米1位のシングルを出したゲイリー・ライト、モット・ザ・フープルに入ったルーサー・グロブナー、ハンブル・パイに加入したグレッグ・リドレー、のちにボクサーを結成したマイク・パトゥ、ピーター・フランプトンとフランプトンズ・キャメルで活動したマイク・ケリー、さらにはあのキース・エマーソンも一時的に在籍していて、その後ザ・ナイスを結成した。こうしてみるとかなりのミュージシャンが、このバンドの上を通過している。

 彼らは、もともとはVIP'sという名前のバンドだった。このバンドの中心人物はマイク・ハリソンというピアノ奏者で、彼らは1964年にRCAより"Don't Keep Shouting at Me"というシングルを発表した。
 このシングルは、イギリスではヒットしなかったが、海を渡ったフランスでは第2位という大ヒットを記録している。

 この後バンドはメンバー交代して、ベーシストにグレッグ・リドレー、ドラマーにマイク・ケリー、ギタリストとしてルーサー・グロブナーという陣容になった。

 この中のルーサーは、ヘリオンズというバンドでシングルを出した経験があって、その時はデイヴ・メイソンやジム・キャパルディと一緒にレコーディングしたらしい。のちのトラフィックとスプーキー・トゥースの接点は、この時からすでに芽生えていたようだ。

 それにこの頃、クリス・ブラックウェルというアイランド・レコードの社長が彼らに目をつけ、1966年に"I Wanna Be Free"を自分のレーベルからシングルとして発表させた。ただこのシングルもイギリスではヒットせず、当時の西ドイツやフランスでは大ヒットした。どうも初期の彼らの感覚は、ヨーロッパ大陸向けだったようだ。

 またこの頃、当時初めてイギリスに来たジミ・ヘンドリックスとも共演していて、彼らはジミヘンのバック・バンドにならないかと声をかけられたらしい。(もちろん共演していたら、その後の彼らはなかっただろう)

 1967年には一時的にバンド名をアートと変えて活動を始めたが、アメリカ人のゲイリー・ライトの加入を切っ掛けに、名前をスプーキー・トゥースにして、ツイン・キーボード&ツイン・ボーカルで活動を始めたのである。

 彼らは1968年にデビュー・アルバム「イッツ・オール・アバウト」を発表した。サイケデリックな雰囲気は残しつつも、アメリカのザ・バンドの影響を受けた要素も漂わせていて、彼らの評価は徐々に上がっていった。

 このアルバムに収められている"Tobacco Road"はカバーだが、ルーサー・グロブナーのギターがかなり頑張っていて、ハード・ロックに変化した"Tobacco Road"という感じだ。また"It's All About A Roundabout"では、こじんまりしたR&B曲を聞くことができる。

 彼らの最高傑作は、一般的には1968年の「スプーキー・トゥ」と言われている。セカンド・アルバムだが、これはオリジナル・メンバーでの最後のアルバムになった。Photo このアルバムには良い曲が多くて、たとえば"Better By You, Better Than Me"は1978年にジューダス・プリーストがアルバム「ステンド・クラス」でカバーしたし、9分以上もある"Evil Woman"のギター・ソロのフレーズは、あのリッチ―・ブラックモアもパクッたのではないかと噂されるほどだった。

 また2曲目の"Feelin' Bad"にはジョー・コッカーがバック・ボーカルで、次の曲"I've Got Enough Heartache"にはスティーヴ・ウィンウッドがピアノで参加している。そのせいか、このアルバムはアメリカで44位まで上昇した。イギリス流のアメリカ南部音楽の解釈という点が評価されたのだろう。まあバンドにはアメリカ人もいたので、彼がリードをとった曲では自然とそうなったのかもしれない。

 ところが何を思ったのか、そのゲイリー・ライトは、フランス人の現代音楽家ピエール・アンリをゲストに迎えて、サード・アルバム「セレモニー」を1969年に発表した。これが賛否両論を巻き起こし、せっかく上昇気流に乗っていたバンドの趨勢を削ぐ結果につながったのである。

 当時は、たとえばジョージ・ハリソンの「電子音楽の世界」やドイツのカンなどが同じようなアルバムを発表していて、ゲイリー・ライトたちも、時代の“気分”みたいなものに影響を受けたのであろう。

 結局、ゲイリー・ライトは脱退してしまい、残されたメンバーは契約を果たすために、メンバーを補充してアルバムを発表した。そのメンバーが以前このブログに登場したバンド、ザ・グリースの面々だった。(ギターがヘンリー・マカロック、ベースにアラン・スペナー、キーボードがクリス・ステイトン)

 ここまでが第1期スプーキー・トゥースで、まだミック・ジョーンズは登場しない。彼は1972年の第2期から参加した。この頃のバンドのドラマーは、パトリック・モラーツもいた元メインホースのブライソン・グラハムだった。

 面白いのはマイク・ハリソンとゲイリー・ライトの関係だろう。彼らは2人ともキーボード・プレイヤーで、バンドの主導権を巡って争っていて、そのこともあって第1期ではゲイリーの方が脱退していった。

 ところが第2期では、再び2人は組んでバンド運営を始めたのだが、当然といえば当然、また諍いを始めてしまったのである。

 そして1974年には、今度はマイク・ハリソンの方が脱退してしまった。彼の代わりに新メンバーのマイク・パトゥがキーボードを担当したのだが、残念ながら傾きかけた船を元に戻すことはできなかったようだ。

 彼らの足跡を知るには、ベスト・アルバムが一番最適だろう。サード・アルバムの「セレモニー」以外のアルバムからほぼ万遍なく選曲されている。2 その後彼らは、1999年にゲイリー・ライトを除くオリジナル・メンバーでアルバム「クロス・パーパス」を発表したが、ベーシストのグレッグ・リドリーが2003年に肺炎の合併症で亡くなってしまい、パーマネントな活動はできなくなってしまった。 

 今になって考えれば、3枚目のアルバムの音楽性を2枚目の延長線上に位置するものにしておけば、ひょっとしたらプロコル・ハルムやトラフィック以上の名声を手に入れていたのかもしれない。一瞬の判断が、その後の将来を決定してしまったという好例だろう。


« プレイング・マンティス | トップページ | メコン・デルタ »

ブリティッシュ・ロック」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: スプーキー・トゥース:

« プレイング・マンティス | トップページ | メコン・デルタ »